■18 Feb 2013 ふたつの朗読奉納
4/21の田原本の多神社での奉納朗読&演奏、同じ日に桜井で講演が入っていたが、時間をずらしてもらい、なんとか都合をつけられた。「ということは、多坐弥志理都比古に呼ばれているのでは?」と誘ってくれたうなてたけしさん。しかも、中川英里華さんといっしょに朗読を、と。ありがとう!
太安万侶ゆかりの神社で、古事記の再話の朗読を奉納させていただけるなんて、奈良ってすごすぎる。物語は神話世界のスサノオと、出雲の農民の子ハヤブサが、かわりばんこに語る形式。蛇年なので、ヤマタノオロチの物語を。畏れ多いが、がんばろう。
奈良でのはじめての「奉納朗読」は、2010年の法華寺の光明皇后1250年遠忌だった。少年刑務所の受刑者たちの詩をはじめて公に発表。その日は5/1。光明皇后亡き父母のために発願し書写させた阿闍世のお経は「五月一日経」と呼ばれている。偶然の一致
「五月一日経」の阿闍世は父を殺めて王座についた。その5/1に、奇しくも、奈良少年刑務所で刑に服する少年達が書いた詩を、法華寺で奉納朗読させてもらうことになるなんて! その後、奈良少年刑務所詩集は、多くのハードルを超え、無事出版の運びに。
『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』 http://amzn.to/SORAGA は、出版後1年を経ずして新潮社から文庫化。異例の早さだった。おかげで、多くの方に読んでもらっている。思えば、それはあの、法華寺での奉納朗読から始まった。
昨年末から、念願だった古事記の絵本の原稿に取りかかった。すると、太安万侶ゆかりの多神社での奉納朗読のお誘い飛び込んできた。これはもう、どうしても行きたい。ほんとうに呼ばれているのかもしれない。不思議だし、ありがたい。
びるしゃなの掌のような奈良盆地に生きている。ちはやぶる神々の地で暮らしている。千年も昔の人々が、すぐそこに息づいている。その縁のお寺や神社で、奉納の朗読をさせてもらえる。なんとありがたく、うれしいことだろう。奈良に来て、ほんとうによかった。
■27 Jan 2013 明日香村「古代ガラス制作体験」
明日香村「古代ガラス制作体験」
明日香「古代ガラス制作体験」より帰宅し、父をデイサービスに迎えに行って戻ってきたところ。奈良から明日香までなら、朝10時に車で出発し、向こうでたっぷり過ごして夕方には戻ってこられる。明日香の風景だけで癒される。車に乗せてくれた @juno_afghan さんに感謝!
明日香役場前の「珈琲さんぽ」で昼食。知人のガラス作家。狩野智宏さん( @oopenman )のご友人のお店で、東京からの移住組。古民家に、アンティークな家具がよく似合う。カレーも、マレーシア名物という鶏ご飯もとてもおいしかった! 本格焙煎機もあり、次はゆっくりコーヒーを飲みたい。
明日香「古代ガラス制作体験」、古代と同じ形の炉に手動のフイゴで風を送り、炭を燃やしてるつぼの中のガラス材料を融かす。ボランティアの方々は朝10時から炉を炊き続けていた。ところが、炉の蓋を開けると、るつぼにひびが入って、ガラスがすっかり流れ落ちていたではないか!残念。
材料が炉の下に落ちてしまったので、きょうの「古代ガラス制作体験」は中止。管玉の元になるガラスの管を作るのは無理なので、すでにできた管から1玉分割りとり、それをご極小のタコヤキ器のような素焼きの板に乗せ、炉で過熱して、角を丸める作業だけをやらせてもらった。
明日香「古代ガラス制作体験」、るつぼが壊れて実施できなくなり、5人ほどいらしたボランティアの方々はがっくり。作業の難しさを改めて知った。遺跡からも、ひびの入ったるつぼがよく見つかるという。昔も、同じことに、人々はがっくり肩を落としただろう。炭や材料の調達も大変だったからなおさらだ。
ガラスを融かすための「るつぼ」は数回使うとひびが入って使い物にならなくなるという。古代遺跡からも、そのようにして捨てられたるつぼが多く見つかるそうだ。工房の庭にいくつも捨て置かれていた。「もったいないなあ、売ったらいいのに」というと、一つくださった。うれしい!
「古代ガラス制作体験」の後、万葉文化館へ。ここは古代の大工房跡。その遺跡の上に施設を建設した。「万葉を題材にした現代絵画の展示」というコンセプトが「?」。同じ作るなら、この工房を徹底的に知るための施設を作ってほしかった。建設当時大反対があったというが、当然だ。
万葉文化館の庭に残された復原古代遺跡を見学。屋外のスピーカーからシルクロード風の音楽。こんなのいらない。押しつけがましい過剰な親切は大きな迷惑。鳥の声を聞きたい。やたら豪華な文化館の建造物と芝生の丘よりも、野菜畑と農家の庭先の方が、何倍も豊かに見えた
「亀形石像物」は1999年に発掘された。以前来たときには未発掘で、その存在も知られていなかった。50メートルほど離れた「酒船石」とともに、祭祀に使われたと推測される。呪術的な形。興味深い
古代人は「亀形石像物」や「酒船石」で、何を見て何を思い何を祈ったのだろう。
「亀形石像物」は明日香のグランドから掘り出された。いつも水が流れているのは、湧き水があるから。グランド時代は地下水になっていた。多くの水が出るのでポンプ4台でくみ出して捨てている。もったいない。
明日香の祭祀遺跡「亀形石像物」の湧き水、水質検査をしたら「六甲の水」と同じくらい質がいいという。ペットボトルに詰めて、村の名産として売り出せばいい。飛鳥時代の祈りの遺跡からの水なら、きっと霊水の名が高まり、大人気になるはず。「ルルドの水」のように。
明日香村のボランティアの方々、モチベーションが高くて、心地よかった。今回は失敗だったので、ぜひまた次回、チャレンジしたい。やはり、地元の意識の高さとやる気が大切。それを行政が応援してくれれば、いい観光地になる。トップダウンではなく、ボトムアップを!
■ 1 Jan 2013 2012-2013 日本&コロンビア 国際交流的初詣
大晦日の夜、コロンビアから来ているニンフェルさんたちに、きょう書き上げたばかりの絵本古事記「はじまりの物語」を朗読してあげた。大評判。みんなとても楽しんでくれた。イザナミからの逃走劇が、とても面白かったらしい。日本的な「神」の概念に戸惑う子もいた。
夜十一時前に、みんなで二月堂へ向けて出発。新年の観音経を拝聴した後、町に降りて、漢国神社にお参り。宮司さんにとてもよくしてもらった。御神酒をいただき、大黒さまと宝船のお札をいただいて、みんな大満足。
「フェリス・アーニョ!」と行き会う人々に声をかけながら、ニンフェルさんご一行8人と、町を練り歩きながら戻ってきた。コロンビアの言葉で「あけましておめでとう」。びっくりしながらも「おめでとう!」「ハッピーニューイヤー」と返してくれる人、多数。とてもいい初詣だった
ニンフェルさんたちが泊まっているのは、京終の「町屋ゲストハウスならなち」。二年ぶりの再会だ。宿のオーナーの安西パパは、みんなに「日本」を楽しんでもらおうと、いろいろ企画してくれる。ほんとうの草の根交流。こういう人の繋がりが、なにより大切だと思う
いっしょに行った人々の名前、覚え書き。サンチャゴ、フランシスコ、セバスチャン、マリアカリーナ、ラウラ、まゆみ=いざなみ、かおり、ニンフェルさん。そして、安西パパ、洋介、わたし。
2013年、よい年になりますように。いや、みんなでよい年にしよう!
■ 5 Sep 2012 人にものを頼めない子ら 奈良少年刑務所・社会性涵養10期5回目
きょうは奈良少年刑務所の社会性涵養プログラム。10期目の第5回目、詩の授業。みんなが書いてきてくれた詩を、みんなで読んで感想を述べあった。今回は新機軸で、日々の連絡ノートに書かれた言葉から、教官が抜粋して詩の形に編集した作品も。
「詩」といわれると、固まってしまってしまう子も、普段の連絡ノートにはぽろりと本音が。それを、教官たちが拾いあげて編集してくれた。文章はすべて本人のものだが、編集作業が加わることで「伝わる言葉」に。本人たちは「自分の気持ちを上手に表してもらった」と喜んでいた
毎回、授業の後に提出する連絡ノート。「なんか、さみしかった」「なんか、はずかしかった」「なんか、うれしかった」「なんか、元気になった」と、回を重ねるごとに前向きになっていく。「これは○○の授業の後に思ったこと」などと聞いて、役に立ててると知り、うれしかった
こんど栗東市で、刑務所の教官とわたしとで講演の予定があり、授業の後に打ち合わせ。わたしの講演はほとんど一方的に話すばかりだが、こんどの講演では、授業でやっていることと同じワークを参加者に体験してもらう。詩も書いてもらう。楽しみだ。
ワークの一つに「視点を変える」というのがある。「何事にも全力で取り組む」は実は「心身を壊すまでやってしまう」ことだったり、「理想を高く持つ」ことが「理想に追いつかない自分や他者を許せない」ことだったり。社会的に「いいこと」とされていることが、実は大きな抑圧だったりする
逆に「だらだらしている」、「嫌なことから逃げる」など、社会的に「悪いこと」とされていることでも、視点を変えれば、「くつろいでいる」「避難して、自分が壊れないようにする術を知っている」だったりと、プラスの評価も可能だ
刑務所に来るような子は、躾られてないだろうと思われがちだが、むしろ、厳しすぎる躾をされて「〜すべき」で全身凝り固まっているような子が多いという。その「べき」から逃れられなく、苦しくなって、内圧が高まり、やがて爆発して事件に。授業は「べき」をはずすワークだ
きょうの刑務所の授業でひとつびっくりしたのは、このクラスの子は「だれかに何か頼む」ことができない子ばかりなのだということ。「断られたらどうしよう」という思いが先に立つ。断られて傷つくのが怖いのだ。「気にすんなよ」といいたいが、それで解決できるほど簡単なことではない
なにか頼んで、断られることもある。しかし、快く聞いてくれることもあるし、相手が「頼りにされている」と感じ、うれしくなることもある。その成功体験を少しずつ積み重ね「頼むことは恥じゃない」「一人で抱え込まなくてもいい」と知るだけで、解決できることがたくさんある
奈良少年刑務所の社会性涵養のクラスの子は、みな「頼めない」子たちだったが、このクラスに出て「だんだん頼めるようになった」「頼んでみると、仲よくなれる」など、よくなってきている。一人で抱え込みすぎて孤独地獄に堕ちないよう、コミュニケーションの取れる人になってほしい
■19 Nov 2011 母の夢を見た
都賀の実家にいる。妹たちがいる。たち、とは妹とわたしのことだ。もう一人のわたしが、それを見ている。それがわたしの主体。母は父と別れて家を出てしまっている。その母が働いているという工場の絵がパソコンの画面に映っている。常広叔父が借金の形に手に入れた工場だ。廃屋のようだ。病気なのに、こんなところで働いているなんて、とわたしは母がかわいそうになる。それならわたしのところにくればいいのに。うちで面倒を見てあげるのに。うちにくれば、パパもいるのに。瞼に母の顔が浮かぶ。まだやつれきっていなくて、頬もバラ色で、意外と元気そうだ。電話が鳴る。取ると、母の声が聞こえて、わたしはパッとうれしくなる。「美千子。おかあさんね、話したいことがあって」と言ったきり、母は黙ってしまう。ためらっているのかと思い、母の声を待つが、なんの音もきこえない。音声が途切れてしまったように。わたしは電話口で母を呼ぶ。「ママ? ママ?」返事がない「ママー、ママー」叫ぶように呼んでいるところで、目が覚めた。哀しかった。涙が出ていた。母がすでに亡くなっていることに気づくまで、少し間があった。
現実には、母は家出などしていないし、工場で働いていたこともない。常広叔父の事務所の手伝いをしていたことはあった。煙草の煙の充満する事務所で、その頃、咳が止まらなくなり、調べたら肺繊維症と診断された。因果関係は分からない。父もヘビースモーカーだったので、母はいつも副流煙にさらされていた。そのイメージが「大気汚染=工場」となったのかもしれない。夢の中の母は、元気そうだった。まだ間に合う、とわたしは思った。呼び寄せれば、病気も悪化させずに、元気に暮らしてもらえそうな気がしていた。母がわたしに「話したいこと」といった続きは「いっしょに住みたい」ということであったはずだ、と夢の中で思っていた。実際には、母はわたしと住むことを拒否して老人介護施設に入り、そこで衰弱。2年後、やっとわたしと住むことに合意してくれた矢先に病状が悪化して亡くなった。痛恨である。なぜあの時に、わたしの誘いを拒否して施設に入ったのか、わたしはそんなにも信用されない娘だったのか。いや、娘の幸せを願ったのだ、厄介になっては悪いと思ったのだ、と慰めてくれる人もいるが、そうではないということも、母の死後発見された手紙の下書きでわかった。そこにはわたしにも妹にも遺産を少しも遺したくないと書かれていた。「姉妹の争いの元になるから」と。母は財産はすべて、自分の兄弟姉妹に渡したのかったのだろう。家も土地も黙って売ってお金にしようとしていたらしい。わたしの世話になれば、そんなことができなくなるので、奈良に来ることを拒否したようだ。「美千子は親の年金を狙って、同居しようとしている」と母自身が親類に話していたと後から知ってショックだった。18歳以降、生活費を親にせびったことなど一度もないわたしなのに。母は、加齢により少しボケていたのかもしれない、と思いたい。とはいえ、母にとって、結婚は「永久就職」であり、家族は「勤務先」だった。母の本当の家族は実家の兄弟姉妹だった。戦争で家が丸焼けになった中、兄弟姉妹と力を合わせて生活を立て直した。その絆は何よりも強かったようだ。そんな母もかわいそうだが、父も気の毒だった。わたしたちもどこか歪んで育った。母はどこか冷たかった。それでもいい母だった。元気な頃は、わたしが里帰りをして近況報告をすると、楽しげに深夜まで聞いてくれる母だった。母の死後、家の片づけをすると、何枚もの洋服の型紙が出てきた。少女だった頃のわたしたち姉妹に、母が縫ってくれた洋服の型紙。いかにもささやかに、デパートの包装紙を使って作ったそんな型紙が後から後から出てきて、涙が止まらなかった。
■11 Sep 2011 星の海 TUNAMI2011
星の海 TUNAMI2011
愛する人も 大切な物も
なにもかも 流されて
明かり一つない 大地から
天の川が 立ちあがる
おそろしさも くやしさも
なに一つ 追いつかない
いとしい人 呼ぶ声も
光さえも 追いつけない
高くあげた拳
どこへ向けていいのか
わからないまま 胸に
ただ強く 押し当てる
なぜ わたしが生きていて
なぜ あなたがここにいない
海を見て 声もなく
うなだれる 人々の
ああ 哀しみを縁取る
無数の星たちよ
そのなかの 暗闇が
生きている証
なぜ わたしが生きていて
なぜ あなたがここにいない
この命 なんのため
許されて ここにある
ああ 苦しみを縁取る
無数の星たちよ
海に融けた 魂が
水平線から 立ち昇る
いつの日か 明かりが
この町に 戻っても
わたしは 忘れない
この深い 暗闇を
いつの日か 明かりが
この町に 戻っても
わたしは 忘れない
星たちの まぶしさを
底知れぬ 暗闇と
星ぼしの 輝きを
胸に抱き 歩んでく
波の音を 聴きながら
■31 Aug 2011 ひとにぎりの塩
ひとにぎりの塩
作詞:寮 美千子
作曲:谷川 賢作
潮の香りが こんなに なつかしいのは
いつか かあさんの お腹のなかの
小さな海に いたから
波の音(おと)が こんなに なつかしいのは
いつか かあさんの 胸の鼓動
ずっと 聴いていたから
人は 遠い昔 海に生まれた命
赤い血潮に いまも
波が 打ち寄せている
人は はるか昔 陸(おか)に上がった命
ひとにぎりの塩が
この命つなぐ
人は 時を超えて 海を抱(いだ)いた命
ひとにぎりの塩が
人の心つなぐ つなぐ つなぐ
映画「ひとにぎりの塩」公式サイト
映画「ひとにぎりの塩」公式ブログ
能登半島の塩田のドキュメント映画「ひとにぎりの塩」が10月に金沢で公開されるが、その音楽を作曲家の谷川賢作さんが担当し、エンディング曲を金沢ジュニアオペラの子どもたちが歌うという、という。「それならわたしに書かせて」と強引に頼みこみ、金沢滞在中にホテルでラッシュのDVDを見て一晩で作詞。その曲が早くも完成!子供たちが歌うのが楽しみ。9/17には、金沢で聞ける予定。
追記:監督とプロデューサーが激しく感動し、映画主題歌に格上げされた!録音後はぼろ泣き。