▲2010年03月の時の破片へ


■ 6 Feb 2010 備忘録1/20〜2/5


1/20〜24
遠野・花巻・仙台取材。

1/25〜28
千葉の実家の片づけ。
もう終わった、先が見えた、と思ったら、
庭の納屋から、農機具以内の物が続々と出てきた。
わたしの本、父の本、古い食器、
大好きだった陶器のおままごとセットは、箱まできちんとあって美品だ。
目を通さずに壊すわけにはいかない。というわけで、先送り。

1/29
奈良に帰還。新幹線の架線事故、危うく免れ、夕刻、奈良に到着。
一足先に奈良に着いていたクロガネジンザ氏をわが家に迎える。
疲労困憊していて、ごちそうできなくて申し訳ない。

1/30
「ならまち大冒険」の打ち上げパーティの準備。
お酒とつまみの買い出し、料理などでてんてこまい。
午後6時半より「町屋ゲストハウスならまち」でパーティ。
50人を越す来客。
うとうとさんの仕出し料理に、こたろうさんのたい焼き実演。
村松さんの紙芝居「地獄巡り」。

二次会はわが家で。深夜4時頃まで続く。
師匠がとても喜んでくれる。

1/31
クロガネジンザ氏、早朝、高野山に向けて発つ。

午後5時すぎ、写真家の上條道夫氏が京終駅に到着。迎えに出る。
上條氏、一駅乗り過ごして帯解まで行って戻ってきたとのこと。
ワンマンの2両編成で、扉の開かない方の車両に乗っていたため。
事前に教えてあげておけばよかった。
京終駅は、明治時代の桜井線開通当時に造られたそのままの木造駅舎。
これもまた近代文化遺産だ。

上條さんを紹介しに「町屋ゲストハウスならまち」に寄って、家に戻る。
外食に出る気力なく、朦朧としてスパゲティなどつくり、食べていただく。
せっかく遠くまできていただいたのに、申し訳ない。
明日の撮影の打ち合わせをして、就寝。

2/1
奈良少年刑務所の撮影。
雨と曇りで外観は寒々しかったので、屋内を中心に。
明治の近代建築遺産としての刑務所を写真で記録することが主眼。

撮影後、上條さんと、ナガノカメラワークにおじゃまする。
写真展の相談をすると、とんとん拍子に決まり、
長野さんのご厚意で、3月20日からの開催が決定。
展示方法も、高さ1メートル10センチ、長さ13メートルのロール紙に印刷。
それをロールのまま展示することにした。
額代の節約、額装の手間を省くということもあるが、
迫力ある展示ができるだろう。主催は「ならまち通信社」。
つまり、松永とわたし。
いまのところ収入の見込みゼロのボランティア通信社である。

夜は「二鶴」に鰻を食べに行く。
長野さんもいっしょ。
長野さんと上條さん、年齢も似通い、写真の話で盛り上がる。
もったいないので、わが家で小1時間ほどお茶をしよう、という話になり、
途中で、たい焼きのこたろうさんも誘って、家に戻る。
いきなり友だちの家に「遊びましょ」と訪れるなんて、
子どもの時以来だ、と上條さん、驚く。

当然のことながら、会話が弾み、小1時間ではすまなくなり、
結局、お開きになったのは11時頃。
いぶし銀のいい男たちが集まって語っているのを見るのは、いい気分だった。

2/2
奈良少年刑務所の撮影二日目。晴れてくれて助かった。
主に外観を撮る。
地下室、屋根裏など、刑務所の人も入ったことのない場所まで
案内してもらった。すごい写真が撮れた。感謝。

刑務所の撮影、少し早めに終わったので、夕暮れの奈良町を案内する。
散歩しながら「五想庵」さんへ。いま展覧会「散華舞」を開催中。
「昔、新宿のアパートの六畳を勝手にギャラリーにしたのを思い出す」
と、上條さん。そこには菅原文太さんなども遊びにいらしたという。

夕食は、わが家のホットプレートで鉄板焼き。
肉と牡蠣と野菜だけでお腹いっぱいになってしまう。
撮影無事終了でほっとして、話が弾む。
上條さんの昔話が、めっぽう面白い。
中学卒業後、すぐに写真スタジオに住み込みで働いたこと。
その時、受からないはずの全日制高校に受かってしまい、
店主に相談すると「夜に働いてくれればええわ」と言われて、
昼は工業高校に通ったこと。
学校では「上條君は社会人だから」と特別扱い。
職員室で煙草を吸っていたそうだ。
「きみ、頼むから便所とかで吸わないでくれ、風紀が乱れるから」と
先生に請われて、そういう次第になったそうだ。
もう一人だけ、職員室で煙草を吸うのを許されている生徒がいたが、
その人は留年を重ねて、すでに二十歳を過ぎていたとか。
もう、面白い話が続々出てきて止まらない。結局、午前3時まで話す。

2/3
ゆっくり眠って、ゆっくり起きて、軽くバナナジュースを飲んで、
上條さんと相棒とわたしで、奈良ホテルにランチに行く。
いま、創立百年の「謝恩ランチ」が2900円。おいしい。
こんなランチぐらいではご恩返しにはならないけれど、せめてもの気持ちだ。

今回の撮影、旅費と食事と宿泊と材料費はならまち通信社持ちだが、
撮影技術料や日当はなし。上條さんの純粋ボランティアである。
電話一本で、快諾して奈良まで来てくださるなんて、夢のようである。
なんと感謝していいか、わからないほどだ。ほんとうにありがたい。
午後3時半頃、上條さんを近鉄奈良に送る。
東京に戻ったら、さっそく写真の整理をしてくれるとのこと。
またまたありがたい。

毎日新聞出版局より「ならまち大冒険」最終原稿の催促が来る。
関西弁の直しを、連載担当だった大阪本社の記者さんにお願いしてあって、
それを反映した最終原稿を渡さなければならない。
見直すと、また直したくなって、細部を直してしまう。ヤスリがけである。

2/4
「ならまち大冒険」の最終原稿を一日中いじっていた。
深夜になって、やっと完成。編集部に送る。
追加の挿画プランも立てて、それもいっしょに送る。やっと一息だ。
死にそうに疲れた。

2/5
午前中、パパをショートステイの送り出す。
先日の遠野取材のときも、ショートステイ。
戻ってきたばっかりなのに、またショートステイで申し訳ない気持ち。
老人介護施設「薬師の里」にお願いしているが、
リハビリもしてくれる施設で、パパが元気で戻ってきてくれるのが助かる。

以前、いろいろな施設を試みたが、
数日で弱って戻ってくるので、なかなか長期出張ができなかった。
「薬師の里」に巡り会えて、ようやく長期出張もできるようになった。
ありがたい。

午後1時より2時半、奈良少年刑務所の社会性涵養プログラムの授業の講師。
自転車で行ったので、顔が凍り付くほど寒かった。奈良坂がきつい。
相棒が「人力アシスト」して、自転車を押してくれた。

きょうは、5期生たちの授業。今回は4回目で、詩を書いてきてもらった。
それを合評する。合評の力はすごい。このことは、またいつか書こう。

授業のあとは、1時間ほど、指導者側の検討会を行うのが常だ。
指導教官2名、統括官1名、わたしと松永。
その5名で、今日の授業を振り返り、いろいろと検討しあう。
ともかく、今期の子たちは伸びている。そののびしろがすごい。
詳しいことを書きたいが、刑務所の規程で書けないのが残念だ。

帰ろうとすると、上條さんからの写真が届いた。
400枚余り。それを平田所長に見てもらう。
警務上、外部に見せてはいけない写真があるとまずいので、
事前にチェックしてもらうのだ。検閲を通過した写真だけを発表できる。
チェックは、庶務課の仕事だが、まず所長に見せたかった。

所長は、まずその量に驚き、そして質に驚いた。
大感激してくださった。
特に、パノラマ写真がすばらしいと絶賛。
上條さんに感謝である。さすが、一流の商業写真家だ。

その写真、わたしたちは、すでにパソコンの画面で見ていたのだが、
写真の力はすごい。
あの写真を見てから、きょう、刑務所の建物を見ると、
その細部の装飾がぐんとアップで目に入っていて、
美しさが倍にも数倍にも感じられたのだ。
上條さんの目を通して発見された建造物の美、が、
写真を通じて、わたしの中に再現されている。
所長も、教官たちもみな
「刑務所って、こんなにきれいなところだったんですね」
「まるでヨーロッパの街角だな」などとしきりと感心していた。
まさに「自然は芸術を模倣する」の建造物版だ。
上條さんの写真力に脱帽。いくら感謝してもしたりない。

刑務所恒例の秋の「矯正展」で、ぜひこの写真を展示させてほしい、
という話にまで発展。ありがたいことだ。
すべてがいい方向に加速している。目が回るほどだ。
美しい夢を見ているのではないか、と思うほどだ。

刑務所から帰宅して、一休みをしたら、市役所へ。
きょうは「奈良市まちづくり市民会議」の日である。
午後7時から9時まで、約50名の市民委員で討議している。
さすがに疲れて休もうと思ったが、やっぱり出かけた。

わたしのいる3班は「活気あるまちづくり」がテーマ。
松永のいる5班は「住みやすいまちづくり」はテーマ。

3班のキーワードは
「ならティブ・奈良 観光ビジネスの創造」に決まった。
narrative 物語性のある観光プランを創出するための方法論を語り合った。
5班のキーワードは
「持続可能な環境古都・奈良」となった。

というわけで、毎日めいっぱい。
山梨科学館で制作中の「137億年目の誕生日」というプログラムの、
イントロの詩も書かねばならない。

明日は、金沢。
新聞に掲載された小学生の詩をまとめた詩集の巻末の対談である。
あ、もうこんな時間だ。寝なくちゃ。では。

まだまだ続く怒濤のような日々である。


■ 5 Feb 2010 ならまち寧楽湯


奈良町のどまんなか、世界遺産の元興寺から歩いてわずか2分のところに、
「寧楽湯」という名の小さな銭湯があった。
細い路地に面した、まるで吉本新喜劇の舞台みたいな場所だ。
その寧楽湯、先日店じまいをしてしまって残念、と思っていたら、売りに出た。
「上物有」土地61坪、3480万円。
http://www.kintetsu-re.co.jp/chukai/search/Detail_Bukken.cgi?mode=&bknno=3100007

不動産屋は、更地使用しか考えていないのだ。
チラシのコピーに仰天した。
「お好きなハウスメーカーでプランなさってはいかがですか?」
ハウスメーカー? 悪魔のルンルンハウスにしろと?

東京谷中では、銭湯を現代美術のギャラリーにして成功している。
SCAI THE BATHHOUSE
わたしも一度、詩の朗読パフォーマンスで出演したことがあった。
作家の古井由吉氏とご一緒させていただいた。
実に面白い、いい空間だった。

「寧楽湯」はまさしく奈良町のどまんなか。
タイル張りの銭湯の建物を再利用すれば、さまざまな商売が考えられる。
その立地から行っても、名所になること間違いなしだ。
店舗用の貸家にすれば、きっと入りたい人もいるだろう。
なにも、こんなに不動産の値が下がっているときに、売ることはないよ、
と持ち主に言ってやりたい。

先日の谷井友三郎氏の生家の町家もそうだが、
このごろ、老齢化が進み、店じまいをしたり家を畳むところが多い。
子どもたちは都会に出ていって、故郷に戻らない。
仕事がなくて戻れない。
年老いた両親が家や店を維持できなくなると、売るしかなくなる。
売り手に知恵があればいいが、面倒だからと不動産屋に投げると、
どんな立派な町家も、利用価値のある銭湯も、
みな「更地」にすることしか考えない。
不動産屋は「文化」や「町並み」のことなんか1ミリも考えていない。
情けなくなる。

奈良町に限らない。
奈良県はどこでもそんな具合だ。
先日訪れた遠野でもそうだった。
日本の地方は、たいがい同じ悩みを抱えている。

地方が疲弊する。若い人がいなくなる。
家を維持できなくなる。耕作放棄地が増える。
都市への一極集中で、都市ばかりが混み合う。
間違っている。戦後の日本は、大きな間違いを犯してきたと思う。

先日の町家にしても、この銭湯にしても、
わたしに資産があれば事業でもできるけれど、いまのところ、手が出ない。
残念である。

だれか、知恵と力とお金のある人、なんとかしてくれないかな。


▼2010年01月の時の破片へ


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