寮美千子ホームページ ハルモニア Cafe Lunatique (No.0047)

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松永洋介  著作権保護期間延長問題・速報 2007年05月18日(金)02時28分38秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/~ysk/
5/16 文化庁の著作権延長問題に関する小委員会で発言します へのコメント

作家・詩人の寮美千子の随行員の松永です。
文化庁の文化審議会、著作権分科会の「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」の結果について、ニュースサイトで報道がありましたのでお知らせします。本日17日は、日本文藝家協会の年次総会で、延長反対の発言をしてきました(ただし質疑は途中で打ち切られた)。
総会にあたって車谷長吉氏も延長反対の意見表明をされており、著作権保護期間延長の要望書を出している文藝家協会といえども、実際には一枚岩でないのが今回公式に明らかになりました。

辻井 豊  特許と同じ考えにしたほうが管理コストも下がり利用も促進されるのでは? 2007年05月06日(日)21時24分13秒 http://www3.ocn.ne.jp/~yugyo/
5/16 著作権延長問題@文化庁 発表予定原稿 へのコメント

 ずいぶんと前に特許出願をしたことがあります。特許は取れませんでしたが、いろいろと勉強になりました。

 特許では保護して欲しいとする側が出願し、認められれば保護されます。特許権の維持には特許権を持っている者が費用を負担します(出願当時、これを知って驚きました)。権利侵害は、権利を持っている者が告発し、場合によっては司法の判断を仰ぎます。

 最近のソフトウェアの分野では、製作者が権利を主張しないものもたくさんあります。しかも、そんな“無料ソフト”でありながら、大手ベンダーが、商売として巨大な市場を形成しているものもあります。創作物の利用と、利用によって得られる利益、技術の発展は、必ずしも著作権と結びつくとは言えなくなりました。ソフトウェアの分野では、たくさんの人が使うこと、それが最も重要だと考えられています。

 著作権も、保護して欲しいする者が申請し、費用を負担する。その上で権利を行使して利益を得るようにすればと考えます。

 ただ、権利の侵害をどのように監視するのか、どのようなものを権利侵害とするのか、これほどネットの普及が進んだ世界ではとても難しいことです。より現実的な権利保護システムを構築することこそ権利の保護につながり、結果的に著作権者に多くの利益をもたらすと思います。

 そのためには、保護の範囲を広げることばかりに目を向けるのではなく、確実に保護できる範囲はどこかなど、そんな足元からの議論を重ねることがよいかと思います。

寮美千子  5/16 著作権延長問題@文化庁 レジュメ 2007年05月06日(日)02時31分58秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:5/16 著作権延長問題@文化庁 レジュメ へのコメント

口頭発表用の現行とは別に、
提出のためのレジュメを作りました。
こちらの方が、見やすいかもしれません。
よろしく。

寮美千子  5/16 著作権延長問題@文化庁 発表予定原稿 2007年05月06日(日)01時27分55秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:5/16 著作権延長問題@文化庁 発表予定原稿 へのコメント

発表予定原稿をレビューに掲載しました。
ご意見をお待ちします。

寮美千子  5/16 文化庁の著作権延長問題に関する小委員会で発言します 2007年05月05日(土)02時31分59秒 http://ryomichico.net

「延長に慎重な創作者」という枠のなかで、文化庁より発言を求められました。
慎重と言うより、わたしははっきり延長に反対なのですが。

日時 5月16日 10時5分〜10時35分 
場所 如水会館
【延長に慎重な創作者】
  平田 オリザ 劇作家、演出家
  別役 実   劇作家
  椿 昇    現代美術家、京都造形芸術大学教授
  寮 美千子  作家、詩人

4人合わせて、わずか30分です。
傍聴できます。一般席はわずか20席。申込みは下記を参照してください。
受付は、5月11日(金曜日)17時までです。

著作権延長問題について、ご意見のある方は、
賛成反対を問わず、この掲示板にどしどしお書き下さい。
お返事できるとは限りませんが、参考にさせていただきます。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/kaisai/07042701.htm

辻井 豊  カエルのツボカビ症 2007年01月14日(日)23時07分56秒 http://www3.ocn.ne.jp/~yugyo/

 寮様、乱文にコメントありがとうございます。

 カエルなどの両生類を絶滅に追いやるかもしれない病気が国内で確認されました。
 各機関、研究者らからの情報をまとめて以下のページに掲載いたしました。
 取り急ぎ。

「カエルのツボカビ症に注意して下さい」
〜釣り人のできること〜

http://www3.ocn.ne.jp/~yugyo/doc20070114.html

寮美千子  心に刻まれた戦争の傷跡/漂着物採集家というロマン 2007年01月14日(日)15時03分55秒
100%死に直面したら、、。 へのコメント

加島昭二さま


ご投稿、ありがとうございます。

>20・5・25日から26日の早朝にかけての空襲で
>私の生まれ育った麻布六本木は焼け野が原になってしまいました。
>その空襲の最中は猛烈な熱気と雨のように降り注ぐ火の粉のなかで
>母はぼうぜんと立ちすくみ口の中で念仏を唱えておりました。
>私は若かったせいでしょう水をかぶってどうしてでも逃げるつもりでした。

生々しいご体験、お教えいただき、ありがとうございます。

>九州にきて62年目あのときの母の念仏は未だに耳の底に残っています。

繁栄する現代日本。
ビルが林立し、戦争の面影はすっかり消えてしまいましたが、
人の心のなかには、消えることのない傷として残っているのですね。
わたしたちは、そのことをよく噛みしめなければならないと思います。

憲法9条を改悪して、軍隊を持とうという動きがあります。
とんでもないことだと、わたしは思っています。
酷い目に遭うのは、庶民です。
軍隊が出来れば、その先には徴兵制もくるでしょう。

戦争を[しない]ために、何が必要なのか?
軍備でしょうか?
違うのではないでしょうか。
戦争を避けるために、いま日本がすることは、たくさんあるはず。
それに逆行するようなことばかりしているように思えてなりません。


加島さんは、化石の研究家でいらっしゃるんですね。
http://www.d6.dion.ne.jp/~fukata/shoukai.htm

また、長年、響灘海岸で漂着物を収集なさっていらっしゃるとのこと。
検索で知りました。
響灘って、こんな場所なんですね。
古代の歴史も、いろいろと埋まっていそうな場所。
どんなものが打ちあげられるのでしょう。ロマンです。
【響灘 地図】

わたしが連載中の新しい小説「夢見る水の王国」の主人公の少女は、
海岸縁で「漂着物採集家」を名のるおじいさんと二人暮らしなんですよ。
【「夢見る水の王国」連載予告】

「おじいさん」の年の頃は、わたしの父のイメージです。
加島さんのイメージに、ちょっと重なりますね。

加島昭二  100%死に直面したら、、。 2007年01月13日(土)20時57分32秒
伝えたい戦争体験 へのコメント

お忙しい中ご返事有難うございます。私たち世代が避けて通れなかった戦争体験、特に私の場合は20・5・25日から26日の早朝にかけての空襲で私の生まれ育った麻布六本木は焼け野が原になってしまいました。その空襲の最中は猛烈な熱気と雨のように降り注ぐ火の粉のなかで母はぼうぜんと立ちすくみ口の中で念仏を唱えておりました。私は若かったせいでしょう水をかぶってどうしてでも逃げるつもりでした。
NH○の歴史への招待21号「B-29に体当たりを敢行せよ」の文中P-21に中野伍長の話がありますがやはり「おふくろ助けてくれー」あとは「南無阿弥陀仏」です。
九州にきて62年目あのときの母の念仏は未だに耳の底に残っています。(昭和55年没)
甲府空襲は西の空を赤々と染めて見えました。

寮美千子  外来生物と生態系/ピナトゥボ火山被害地域への日本の葛の移植の問題点 2007年01月13日(土)17時25分42秒
映画「ダーウィンの悪夢」 へのコメント

辻井豊さま

お久しぶりです。
「遊漁施策とは何か」のサイト、拝見させていただきました。
膨大ともいえるサイトなので、まだすべてを綿密には読み切れていません。

おっしゃるように、一部の人を叩けばそれでよし、というのは
方向性が違っていると、わたしも感じます。
「地球生態系」というものが、どのように発達し、機能してきたのか。
その根本的理解なくしては「外来生物規制」も
その本来の目的を見失いがちになると思います。

奈良には「天極堂」という葛菓子のお店があり、
そこのPR誌に、フィリピンのピナトゥボ火山被害地域に、
日本の葛の種を持っていって、再緑化に成功した「美談」が掲載されていました。

これは日本で起こったボランティア運動です。
神戸大学農学部の津川兵衛教授が講演で
「日本ではやっかいもの扱いの葛も、生かし方で火山灰砂漠の緑化に役立つ」と主張。
これに感銘を受けた人々がボランティアを組織し
小学生たちが日本の山野で集めた葛の種をフィリピンに持っていって植える
という活動として、始まったそうです。
「国際葛グリーン作戦山南」というこの活動は
環境庁、兵庫県、大手企業などから、多くの賞を受けています。

それを「生態系の破壊である」と非難した人に対し、
講演を行った同教授が、PR誌の中で、大反論を述べていました。

教授によると、それは、現地を見たことのない者の机上の空論だというのです。
葛が、どれだけ現地の人を助け、その生活をささえ、
日本からのボランティアたちが、どれほど感謝されているか、
涙の出そうなその現実を知らずして、何を言う!という論でした。

これもまた、目先のことだけを見て、
生物界の本質を理解しないことに思えてなりません。
日本の葛の移植を擁護する人物が、農学部の教授だということもがっかりです。
なんのための学問でしょうか。
目先ではわからない、世界の構造の本質を見極め、
ほんとうに正しい方法が何かを見定めるのが、学者の仕事ではないでしょうか。

「経済的に助かる」というだけであれば、状況こそ違え、
ブラックバスを移入した釣業界と、動機に変わりがありません。

そのような目先の利益があっても、
その後、大きな環境破壊が進み、そこに住む在来種が絶滅したら、
どうなるというのでしょうか。
当然、現地の人々の伝統的な暮らしにも、大きな影響が出るでしょう。
これこそ、もっと根本的な由々しき状況ではないか。

もし、緑化を求めるのであれば、
安易に日本の葛を移出するのではなく、
現地の火山灰の地に最初に進出する在来のパイオニア植物が何かを調査し、
そのパイオニア植物を増産する方法を考えるべきではないか。
現地にも、もちろんそのような植物があるはずです。
自然に任せておけば繁茂できたその植物も、
日本の葛が進出したことにより、その生存圏を奪われ、
そこから大きな歪みが生まれる可能性が大きいのです。
すべては「連鎖」によって「循環」しているのですから。
種は、ひとつの種として自己完結しているわけではない。
その「環境」によって、成立しています。

日本の葛が繁茂しなければ、繁っていたはずの現地の植物。
その植物がなくなれば、
その植物を食べる昆虫も、その昆虫を食べる小動物も小鳥も、
生きてはいけません。みんな影響を被ってしまうのです。

そこまで考えるのが「学者」の仕事ではないのでしょうか。

自然界の原理の根本理解、それに対する教育、指導、
そういうものなしのブラックバス叩きは、
歪みが出てくるものだと思います。



寮美千子  伝えたい戦争体験 2007年01月13日(土)16時54分28秒
思い出すままに へのコメント

加島昭二さま

ご投稿、ありがとうございます。
戦争体験は、伝えていかなけれなならない大切なことだと思います。
加島さんも、ご自身の体験があれば、ぜひ、このカフェルミエールでお話しください。
よろしくお願いします。

辻井 豊  映画「ダーウィンの悪夢」 2007年01月12日(金)20時31分04秒 http://www3.ocn.ne.jp/~yugyo/


 随分とご無沙汰しておりました。

 本日、映画「ダーウィンの悪夢」を観てきました。この映画は、かってそこに生息していた魚類の豊富さと、それを生み出した進化の道筋から、ダーウィンの箱庭と形容されるビクトリア湖に、肉食漁のナイルパーチが放流され、それが人々の生活にどのような状態をもたらしたかを描いたドキュメンタリーです。

 映画では、日本に住むわたしから見れば、救いの無い悲惨さとも思える状況が、ショッキングな映像で淡々と綴られて行きます。ヨーロッパではナイルパーチのボイコットが起きたり、それを受けて映画の監督が、そんなことをやって貰うために映画を作ったのではないとコメントしたり。他方、映画で描かれている状況を、あの描き様ほど実際は深刻ではないとする見解もあったり、また舞台となった国の政府が、映画の公開に抗議するなど、賛否両論あるようです。

 我が国では、この映画を、外来種問題の啓蒙映画とでもいった位置付けで紹介したり、コメントする人たちが多くいます。例えば、ネットで"ダーウィンの悪夢" "ブラックバス"で検索すると、そのようなコメントが無数にヒットします。メディアの紹介にも、そのような傾向が見られます。

 しかしながら、わたしがこの映画を見て抱いた感想は、外来種問題などとはかけ離れたものでした。

 この映画を実際にご覧になられた方にはお分かりでしょうし、同じ様なことがパンフレットにも書かれていますが、この映画では、適者生存というキーワードをモチーフに、グローバリズム、ビクトリア湖のナイルパーチ、ビクトリア湖周辺で繰り広げられる人と人との間の弱肉強食が連結され、描かれています。湖の中で何が起きているかは、ほとんど描かれません。漁業関係のワークショップを取材した場面の中で、そこで流されたビデオ映像が流れるくらいです。それ以外は、ただひたすらに、人と人との間で繰り広げられる弱肉強食が描かれています。

 適者生存とは進化論の根幹です。この映画は、ダーウィンの箱庭と言われるビクトリア湖で起きた悪夢としてよく紹介されますが、適者生存至上主義(ダーウィニズム)によってもたらされた悪夢と紹介したほうがずっと的を得ていると感じます。

 ところが、この映画は外来種問題の啓発映画であると、そんなふうに受け止められるコメントが、今、溢れています。映画を見てどんな感想を抱こうが、それは人の勝手です。しかしながら、とわたしは思うのです。この映画を、そんなふうにしか捉えられない人が、たくさんいるのには、外来種問題の啓蒙と、それを行なってきた方々、わたしを含めて、それに尽力してきた人たちのやり方に誤りがあったのではなかったのかと。もし、そうならば、これは恥じるべきことです。外来種問題の啓蒙に力を尽くしてきた者であるのならば、そのことに責任を負わなければなりません。

 この映画をめぐる動きだけではなく、淀川の城北わんどをめぐる報道にも、外来種問題の啓蒙は、これでよかったのかと感じさせるできごとが、昨年ありました。外来魚の駆除は、外来魚を減らし、在来生物を増やし、環境を改善させることが目的であったはずです。しかしながら、外来魚を駆除する、その行為を行なうことだけが、目的となりつつある、そんな傾向があるのです。外来魚憎し、バス釣り憎し、あまりにも、そこだけが強力に広まりすぎました。悪者を見つけて、馬鹿野郎と罵る行為だけに、なにか意味を見出す。そんな人たちが見受けられるようになりました。

 この映画を見て、外来魚駆除を支持する世論と、その世論を形成すべく尽力してきた人たちのやり方に、疑問を感じてしまいました。


 わたしが開設しておりますサイトに、この映画についてのコメントを緊急メッセージとして掲載しています。また、この文中で述べている、淀川における城北わんどをめぐる問題も、「淀川大堰を取り上げないメディア」と題してサイトに記事を掲載しております。もしよろしければ、ご覧になって下さい。

 乱文、失礼いたしました。


「遊漁施策とは何か」
 米国の遊漁施策であり、実績をあげ、環境保全の分野でも高い評価を得ている「D−J法」を参考にした、遊漁施策の私案を公開しております。また、他ではなかなか読むことができないような資料を中心にした、外来魚問題他の資料集も併設しております。

http://www3.ocn.ne.jp/~yugyo/


参考:
「ダーウィンの悪夢」公式サイト
http://www.darwin-movie.jp/

「カトリック新聞」
http://www.cwjpn.com/kiji/3889/1p-tanzania_fujioka.htm

加島昭二  思い出すままに 2007年01月12日(金)17時53分41秒
▼Review Lunatique:戦争の記憶/母・寮八重子の回想 へのコメント

初めましてShigeさんのブログにお邪魔している九州の昭ちゃんと申します。お母さんの
甲府空襲体験は当時東京の気球隊に勤務中で西の空が真っ赤に焼けて見えました。叔母の実家が市川大門の(西光寺)叔父は鰍沢の陸軍病院。いろいろ思い出す61年前の出来事です。コメントが重複したらなれないのでごめんなさい。

寮美千子  「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」の発起人になりました 2006年11月17日(金)19時00分21秒
「表現の自由」を確保したコミケという場 へのコメント

普段から、著作権保護期間延長に反対の言論を展開しているため、「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」から、発起人に名を連ねてほしいと要請がありました。もちろん快諾。発起人の一人となりました。

【発起人リスト】

旅から戻ったら、この件について、改めてきちんと語りたいと思います。まずは過去の主張を転載。
「著作権」について、わたしも思うところが多々あります。もちろん、無断で全文使用や転載などをされるのは遺憾に思います。けれど、作品が愛され、「この感動を伝えたい」という純粋な気持ちまで制限するつもりはありません。むしろ、歓迎です。

わたしが所属している日本文藝家協会では、著作権の存続期間を、著者の死後50年から70年に延ばすよう、要望書を出しました。愚かなことだと思います。もしも、著者が亡くなってすぐに生まれた子がいたとしても、その子が成人するのに20年。大学卒業まで大目に見て、25年間、著作権が生きていれば、経済的に助かります。けれど、それ以上著作権を「財産」として不動産のように持っている必要が、どこにあるでしょうか。財産は財産でも、作品は「人類の知的財産」です。共有されてこそ意味のあるものだと、とわたしは思います。


寮美千子  祝 泉鏡花文学賞に嵐山光三郎氏 2006年10月18日(水)02時01分20秒

第三十四回泉鏡花文学賞に嵐山光三郎氏が選ばれました。おめでとうございます。

嵐山氏とは、4半世紀前に、広告の仕事でごいっしょしたことがありました。
銀座の代理店に依頼されたとある有名弁護士事務所のパンフレットの仕事で、
嵐山氏が、所属弁護士さんたちの座談会の司会をなさいました。
弁護士事務所は広告禁止だったから、あの時は何周年記念誌、のような体裁。
座談会は、激しく迷走したというか、話題が豊富に飛びまくったというか、
嵐山氏らしい自由闊達な運びであったこと、鮮やかに思い出しました。
座談会の後、四谷のバー「ホワイトホース」に
連れていっていただいたと記憶しています。
そこで嵐山さんが「これからは手作り石鹸が儲かる!」
と話されていたことまで、思い出してしまった。
脳って、いろんなことをしまいこんでいるんだなあ。

嵐山光三郎氏といえば、雑誌「太陽」の元編集長。
しかも、編集長時代、趣味で路上生活者の扮装をして、
有楽町あたりにいたという逸話の持ち主でもあります。

とてつもなくパワフルな嵐山氏。
『悪党芭蕉』をぜひ拝読したいと思います。

11月20日は、金沢で授賞式。
顔を出そうかな、と思っています。
泉鏡花文学賞に嵐山光三郎氏 王道行く力作「悪党芭蕉」>北國新聞 2006年10月13日

 金沢市制定の第三十四回泉鏡花文学賞の受賞作は十二日、作家・エッセイストの嵐山光 三郎氏(64)=東京都新宿区=の評論「悪党芭蕉」に決まった。選考委員会では「研究 書を超える内容で松尾芭蕉の世界を描きながら楽しさも感じさせる不思議な作品。日本文 学の王道を行く力作」などと高く評価された。授賞式は十一月二十日、市文化ホールで行 われ、嵐山氏には正賞の八稜鏡と副賞の百万円が贈られる。

 選考委員会は午後六時から、東京・赤坂の「浅田」で五木寛之、泉名月、村田喜代子、 村松友視、金井美恵子の五氏が出席して開かれた。

 選考後、会見した村松氏は、嵐山氏が中学三年から憧れの芭蕉へのこだわりを持ち続け てきたことを挙げ、「他の作家には書けない作品。長年身につけた武器で芭蕉の虚像をは ぎ、最終的には『やはりすごい』と思うところまで本質を問い詰めた」と講評。五木氏も 「歴代で最も早く、満場一致で決定した」と明かした。

 嵐山氏が芭蕉ゆかりの地を旅してきた結実ともいえる作品に、村松氏は「日本文芸の王 道は、旅をして何かをつかんで描くことであり、王道の真ん中をいっている」とし、従来 の「嵐山光三郎観」が一変する作品とも評した。

 受賞の報に嵐山氏は「雷に打たれたような感激」「人生で最大の喜び。生きていて良か った」などと興奮気味に語った。

 敬愛する鏡花の名を冠した賞を射止めたいと願っていたという嵐山氏は十二日、偶然に もラジオの収録で鏡花の追悼句を紹介していたという。同日は芭蕉忌にも当たり、「あま りの嬉しさにどうしたらいいか分からず、ワインをがぶがぶ飲んでしまった」とも。受賞 作については「あえて悪党という言葉を使い、あまりにも素敵な芭蕉の存在を考えた作品 」と語った。

 山出保市長は「文学賞にふさわしい作品であり、一層のご活躍を期待する」との談話を 出した。

 泉鏡花文学賞は金沢出身の文豪・泉鏡花の功績をたたえ、一九七三(昭和四十八)年に 市が制定。今回の選考対象は昨年八月一日から今年七月三十一日までに単行本として刊行 された文芸作品。地元の推薦委員が候補とした七作品を含む八十九作品から選ばれた。

 嵐山氏は鏡花ゆかりの地である東京・神楽坂に仕事場を移すなど鏡花に影響を受け、鏡 花を生んだ金沢への思い入れも強い。机の上には、鏡花のまねをして御神酒徳利(おみき とっくり)を置いているという。

 芭蕉や鏡花、室生犀星、徳田秋声の三文豪らが題材とした金沢を「言霊(ことだま)が 生きる街」と表現し、訪れた回数は百回近くに上る。最初の訪問は約四十年前。雑誌「太 陽」の城下町特集で一カ月近く金沢に滞在、友禅人間国宝の木村雨山をはじめ、金箔や加 賀象嵌(ぞうがん)、水引などの職人を取材したことがある。二〇〇五年には北國新聞夕 刊で小説「よろしく」を連載した。

●嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう) 1942(昭和17)年静岡県浜松市生ま れ。國學院大文学部国文科卒。平凡社「太陽」編集長を経て独立、執筆活動に専念する。 88年に「素人包丁記」で講談社エッセイ賞、00年に「芭蕉の誘惑」でJTB紀行文学 大賞を受賞。自宅は東京都新宿区。

寮美千子  「表現の自由」を確保したコミケという場 2006年10月02日(月)14時35分14秒
訃報/評論家にしてコミケ創始者 米澤嘉博氏 へのコメント

米沢嘉博氏の訃報から一夜。様々な方が、哀悼の意をブログで述べていらっしゃいます。棺の蓋をおおって評価が定まるといいますが、米沢くんしても、先日お亡くなりになられた宇山日出臣氏にしても、棺の蓋をおおってその存在の偉大さに改めて気づかされ、評価は定まるどころか、こちらの手に負えないほど、どんどん膨れあがっていくように思います。以下引用。
【たけくまメモ 編集家・竹熊健太郎の雑感雑記&業務連絡】
以前俺は2ちゃんねるの西村博之氏に会ったとき、なんとなく米澤さんに感じが似ているなと思ったことがあります。顔も世代もやってることも違うのだけど、世の中に対する柳に風的な態度というか、飄々とした感じに共通点があると思ったのです。ああいう巨大なシステムを維持運営する資質とは何か? について、いつか文章にしてみたいと思っていたところに、この訃報です。残念でなりません。

【弁護士山口貴士大いに語る】
故米沢代表がC50代前半の拡大準備集会のときに言っていた、「コミケには弁護士がいない」という言葉を励みに、司法試験の受験勉強に励み、司法試験に合格し、弁護士となって早6年目。新米の域を脱し、ようやく、これからお役に立てるというときに、お亡くなりになってしまうとは・・・。何とも言えない、悲しい気持ちで一杯です。

【保坂展人のどこどこ日記】
「表現の自由」について外的な規制を排除して、自律的な文化としてコミケを持続的に大きく成長させてきた第一人者で、意気に感じるところがあった。
わたしはコミケともマンガとも距離をおいてきましたが、コミケという表現の場を得て、人生に大きな意味を得た人は、はかりしれないほど多いと思います。その表現の場の自由を死守してきたのが米沢くん。コミケには、既成のマンガへのオマージュやパロディが多数出現したため、それはどうしても必要な戦いでした。それも真っ向うから「戦う」といった姿勢ではなく、竹熊さんが書かれていらっしゃるように「柳に風」の風情ながら、結果的にきちんと権利を確保している。コミケという限定された時間空間のなかで、著作権問題をクリアさせたのです。なかなかできないことです。

「著作権」について、わたしも思うところが多々あります。もちろん、無断で全文使用や転載などをされるのは遺憾に思います。けれど、作品が愛され、「この感動を伝えたい」という純粋な気持ちまで制限するつもりはありません。むしろ、歓迎です。

わたしが所属している日本文藝家協会では、著作権の存続期間を、著者の死後50年から70年に延ばすよう、要望書を出しました。愚かなことだと思います。もしも、著者が亡くなってすぐに生まれた子がいたとしても、その子が成人するのに20年。大学卒業まで大目に見て、25年間、著作権が生きていれば、経済的に助かります。けれど、それ以上著作権を「財産」として不動産のように持っている必要が、どこにあるでしょうか。財産は財産でも、作品は「人類の知的財産」です。共有されてこそ意味のあるものだと、とわたしは思います。

原著作に対して様々な角度からのオマージュが出てきても、それをみなおおらかに受け入れる姿勢、がコミケにはありました。マンガ表現、というものを、著作権という名の下に、大出版社の飯の種として完全に囲いこんでしまったら、育たなかったものが、コミケにはありました。草の根から湧きあがる表現が炸裂しているのが、コミケです。

経済にも政治にも左右されない、そのような表現の場を確保してきた米沢くんの功績は、ほんとうに大きなものだと改めて思います。コミケの人々は、きっと米沢くんの遺志をついで、表現の場としてのコミケの自由を守っていくことでしょう。

だからこそ、なおさら、おじいさんになるまで生きながらえて、時代の生き証人として語ってほしかった。ほぼ同世代の米沢くんの死が、いたましくてなりません。一夜明けて、ずしんと胸に重たいものを感じています。

人はみな死すべき運命にあるとはいえ、いい人、がんばっている人が、なぜこんなに早く逝ってしまう世の中なのでしょう。米沢くんのご冥福をお祈りします。

寮美千子  訃報/評論家にしてコミケの中心人物 米澤嘉博氏 2006年10月01日(日)23時41分02秒

評論家であり、コミケ(コミック・マーケット=マンガ同人誌のフリーマーケット)の代表として長年活躍してきた米澤嘉博氏がお亡くなりになりました。享年53歳。米沢くーん、どうしてそんなに急いで逝っちゃったんだよー!(泣)
【マンガ評論家の米沢嘉博さん死去 コミケ代表長く務める】
2006年10月01日18時48分>asahi.com


 マンガ評論家でコミックマーケット(コミケ)準備会代表を長く務めた米沢嘉博(よねざわ・よしひろ)さんが1日午前4時40分、肺がんのため死去した。53歳だった。通夜は6日午後6時、葬儀は7日午後1時30分から東京都港区元麻布1の6の21の麻布山善福寺で。喪主は妻英子(えいこ)さん。連絡先は世田谷区代沢5の8の11の102のコミケット。

 熊本県生まれ。明治大在学中に評論活動を始め、80年から準備会代表として、同人誌の展示即売会コミケを、巨大イベントに育てた。手塚治虫文化賞の選考委員も務めた。著書に「戦後少女マンガ史」「戦後SFマンガ史」など。7月に入院、9月30日にコミケ代表の退任が発表されたばかりだった。
下北沢時代の飲み仲間でした。いつも、お店に静かにちょっとうつむき加減で、でも機嫌よく飲んでいた米沢くん。やがて、50万人を呼ぶコミケの代表になるとは思えない、はにかみやで控え目な人でした。でも、たいへんな博覧強記。何を聞いてもよく知っている。それでいて、少しも鼻にかけたところがない。後に奥さまになるベルちゃん(電話のベルの意)こと英子さんとよくいっしょに来ていて、二人でいると、英子さんの明るさとにぎやかさがまぶしいほど。まるで、太陽とお月さまのように、ふたりでひとつ。実に仲睦まじい二人でした。英子さんもまた、主戦力としてコミケを戦ってきました。英子さんのお心を思うと、たまりません。

米沢くんは、マンガ評論だけではなく、「別冊太陽」で戦前の発禁本などの本を編集。評論や編集の傍ら、肥大化するコミケをつつがなく運営するような馬力が、あの穏やかな米沢くんのどこにあるのだろうと思っていました。ストレスも大きかったのでしょうか。確かに、人の何倍もの仕事をこなしていらしたと思います。でも、米沢くんには、ずっとずっとおじいさんになるまで生きてもらって、時代の生き証人として、いろいろ語ってほしかった。コミケを引退して、評論にも専念してほしかった。53歳はあまりに若い。現代日本は、大切な人をまた一人、なくしたと思います。ご冥福をお祈りします。

って、米沢くーん、ご冥福だなんて、そんなことわたしに言わせるなよーっ。

寮美千子  なら燈花会 2006年08月10日(木)01時56分46秒
訃報/宇山日出臣氏 へのコメント

きょうは、奈良は「燈花会」
町中に、蝋燭の火が揺れています。
ここはもう浄土か、と思うような美しさです。
ひとつひとつが、懸命に燃える命の火のようにも思えます。
宇山さんといっしょに来たかった。
生きていれば、いつかきっと実現できたのに。

宇山さんとは、何度も、いろんな場所でお目にかかりました。
泉鏡花賞の候補に挙がったとき、
前祝いに南林間のイーサン食堂に行きました。
「これを逃すと、お祝いする機会がなくなっちゃうから」と、
浜野さんも、門坂さんも来てくださって、
ほんとうに心の底から楽しかった。
あんなに楽しいことは、人生そうそうあるものではありません。

そんな、一点の曇りもない楽しく愉快な時間を、
わたしは宇山さんと過ごすことができました。
いくら感謝しても、し足りません。

明日10日のお通夜と、明後日のお葬式、
奈良からお伺いしようと思っています。

いまでもまだ、信じられません。
明日になれば、少しはリアリティが湧くのでしょうか。

馬渕公介  合掌 2006年08月07日(月)03時51分35秒
訃報/宇山日出臣氏 へのコメント

宇山日出臣さんは、会って、一瞬にして
透明感を感じられる編集者でした。
無念です。とても無念です。


寮美千子  訃報/宇山日出臣氏 2006年08月06日(日)03時26分33秒

【元講談社文芸局第三出版部長の宇山日出臣さん死去】>asahi.com
2006年08月05日23時34分

 宇山 日出臣さん(うやま・ひでおみ=元講談社文芸局第三出版部長、本名秀雄〈ひでお〉)3日、肝硬変で死去、62歳。通夜は10日午後6時、葬儀は11日午前10時から川崎市高津区下作延1872のかわさき北部斎苑で。喪主は妻慶子さん。自宅は同市宮前区宮崎2の6の11のC―126。

 謎解きの魅力を前面に打ち出した「新本格」という推理小説の仕掛け人で、綾辻行人氏らを世に送り出した。編集者としての功績で第4回本格ミステリ大賞特別賞。
まさかの訃報に言葉もありません。新聞各紙のサイトに訃報が掲載されていなかったら、いくらお知らせがあっても信じることはできませんでした。いいえ、新聞の文字を見てもまだ、信じられない気持ちです。宇山さん、ほんとうに旅立ってしまわれたんですね。こんなにも突然に。宇山さん、宇山さん、宇山さん! これから、宇山さんに喜んでもらえるものを、もっともっと書くつもりだったのに。いい作品を書いて、ご恩返しをしたいと思っていたのに。この宇宙が、もう宇山さんがいない宇宙だなんて……。

6月19日、門坂流画伯の不忍画廊での個展の時にお目にかかったのが、最後になってしまいました。あの時、オープニングの二次会に最後まで奥さまとお二人でいらして、楽しそうにしていらした宇山さん。「きょうは寮さんが来ると聞いたので、二人できました」とおっしゃってくださいました。そして「もっと宇山を利用してください」とも。飲み会も最後の方になって、画家の渡辺千尋さんが「あなたが『楽園の鳥』の編集者の宇山さんでしたか! なんだ、どうしてみんな教えてくれないの」いい「寮美千子のバカに長い小説を出してくださってほんとうにありがとう!」と、宇山さんと抱きあっていた、あのお姿が忘れられません。

つい先日も、宇山さんとメールのやりとりをしたばかりでした。ご自分のことより、奥さまの体調を気づかっていらっしゃるメールでした。このわたしでさえ、とても心の整理がつきません。一人残された奥さまのお嘆きはいかばかりでしょうか。想像に余りあります。

宇山さん、宇山さん、宇山さん。ご冥福をお祈りしますなんて、そんな言葉をわたしに、いわせるなんて、あんまりじゃありませんか。宇山さん、こんどいっしょに、おいしいお酒を飲みましょうね。勝利の美酒をともに酌み交わしましょう。宇山さんに喜んでいただけるようないい作品を書きましすから。どうかわたしに、そういわせてください。

寮美千子  原典にあたろう!/孫引きは無意味なばかりでなく、デマや誤解を流布する危険がある 2006年06月02日(金)12時59分14秒
ご説明をありがとうございます へのコメント

>ブログやHPの書き込みでは、
>明らかに寮さんの『父は空 母は大地』を読んだ上で、誤解している人がいます。
人は誤解をする生き物です。
ブログやHPには、そのような誤解が溢れています。
だからこそ、情報を発信するときは、十分な注意が必要なのです。

誤解した情報を誤解のまま流すことは困ったことです。
しかし、より責められるべきは、
その不確かな他人の情報を、自分できちんと確かめもせず、
コピー&ペーストで流す人がいることです。

一人が勘違いをする、間違った情報を流す、それを流通させる人がいる。
そうやって「デマ」は、際限なく広がっていくのです。

あなたがやっていることは、そういうことだということを自覚していただきたい。
『父は空 母は大地』を読みもせず、確かめもしないで、その本について語る。
論外です。語る資格がありません。批評の名に値しません。

松永氏が、その点をHiro-sanのブログで指摘、
『父は空 母は大地』の原本を読むようにすすめると、
Hiro-sanはこのような返答をなさっています。
>松永さん自身が公刊されている本を実際に読んでいるならば、教えてください。
あくまでも、他人の情報に依存しようという姿勢。
もしも、松永氏がでたらめなことをいったとしたら、どうするのでしょうか?

さらに、Hiro-sanのブログには、このように書かれていました。
>ということで何かのご縁でございましょう、
『父は空 母は大地』を購入することにします。到着は2週間後でしょうか。
>「解説文」をチェックした上で、全面謝罪するかもしれませんし、
>あるいは、再批判が始まるかもしれません。
明らかに『父は空 母は大地』を読んでいない、見てもいない。
にもかかわらず、驚いたことに、Hiro-sanはbk1の読者レビューにまで、
書き込みをしているのです。
読んでいない人が、読者レビューを書くというナンセンス!

Hiro-sanは「新聞記者」でいらしたそうですが、
新聞社では、情報発信の基礎について、学ばなかったのでしょうか。
どこの新聞社がそんないい加減なことをしているのか、知りたいところです。
>ネットソースだけで論陣を張るのは、当然限界があります。by Hiro-san
限界があるのではありません。今回の場合、
ネットソースだけで論陣を張ることは「不可能」なのです。
きちんと原典に当たってからではないと「論陣」とは呼ぶに価しない。
ネットソースだけででは
単なるデマの流布になってしまう可能性が、常にあるのです。

ネット上の情報は玉石混淆。
確かなものもあれば、いい加減なものもあります。
せっかく「シアトル首長のスピーチ」にご興味をお持ちのご様子。
図書館にいったり、博物館などに直接問い合せ、一次資料を収集し、
その上で「論陣」お張りください。

少なくとも、わたしは出版の時点で、そうしました。
わたしの書庫には、そのようにして集めた資料がいまも保管してあります。

先住民文化の聖典として祀りあげられている「シアトル首長のスピーチ」の
本当の由来を検証する。
Hiro-sanのその視点は悪くない、意義のあることと思います。
問題は、その検証の方法です。
ネット情報だけを頼りに不確実な情報を再生産する。
誤解に基づいた情報を流通させる。
その手法自体に大きな問題があるということなのです。

実際、Hiro-sanのブログの書き込みにより、
わたしは『父は空 母は大地』の著作権を侵害され、
全文引用したテキストが原文と違っていたために同一性保持権を侵害されています。
また、『父は空 母は大地』には、
きちんと成立の経緯が解説されているにもかかわらず、
あたかも本書が「捏造」であり「偽書」であるというイメージを
読者に与える文章となっています。
そのような印象を読者に与えたということは、
寮美千子に対する名誉毀損でもあります。
Hiro-sanは、「捏造問題」を語ろうといるのに、
平然とネット上の「捏造テキスト」を引用して、
捏造の再生産と更なる流布を行っている。
全文引用は、すでに、削除なさったとのことで、その点は深追いしませんが、
ともかく、ご自分がなさったことを自覚していただきたい。

この「情報発信者としての責任」については、
この掲示板でいままでも口を酸っぱくしていってきましたが、
もう一度言います。

安易なコピー&ペーストは「デマ」の温床となります。
それがどんなに「いい情報」であろうとも、
その情報源に直接あたらずに、
安易にコピー&ペーストして発信することは、
デマの温床の育成に寄与することになります。
問題は、その情報が「いい情報」か「デマ」かということではありません。
「正確な情報か」「そうではないか」でもありません。
問題は、その「手法」なのです。
いい情報であったとしても、たまたま間違っていない正しい情報だったとしても、
だからといって「安易なコピー&ペースト」が許されるわけではありません。
元情報をたどれないような「転送歓迎」「転送自由」も許されません。
そのような情報発信の方法に慣れてしまうと、
万が一「デマ」「偽情報」が流れてきたときにも、
発信者にも受信者にも耐性がなく、そのまま流通させてしまうことになります。
それこそが、恐ろしいことなのです。
自分で確かめず、鵜呑みにする。それが当然の世界を創ってしまう。
そのあとに何が来るか?
自分できちんと考えず、情報の正しさも確認もせず、
みんなが、誰かの言ったことを鵜呑みにして行動する社会。
それはファシズムの温床であり、差別問題を助長する温床にもなります。

『父は空 母は大地』の初版は1995年。
それからすでに10年以上が経過しています。
その後、「シアトル首長のスピーチ」に関する世間の研究も進み、
新しい情報も増えました。
新たな資料により、解説の補足の必要があると感じられれば、
増刷の時点で補足したいと思います。

Hiro-san  お目汚しで申し訳ございません 2006年05月28日(日)23時21分36秒 http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/
見つめている先の違いを感じます。 へのコメント

「ヒロさん日記」のヒロと申します。お目汚しになって申し訳ありません。

寮美千子さんは、拙ブログに「抗議」されましたが、その抗議内容よりも、こちらの掲示板でのコメント内容の方がより詳しく説明されていたため、あえて、こちらに「コピー」を投稿しました。これ以上、こちらにご迷惑をかけるつもりはありません。

議論の展開は、拙ブログのコメント欄で一本化していただければ、ありがたく存知ます。

http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1416929#comment

silica  見つめている先の違いを感じます。 2006年05月28日(日)21時10分27秒

>再反論をお待ちしております。

私は読者ですが、寮さんはすでにここで意見を語ってくださっています。
何を誰にお求めになっておられるのか意図がよくわかりませんが、寮さんへ向けておられるものではないのなら、
後はご自分のサイトでお願いしたいと思います。(見たいかたはそちらへ行くと思います。)

寮さんは、こちらで私たちひとりひとりが考えるのにとても大事な事柄を提示してくださるのです。
私はその話題をいつも楽しみしています。

Hiro-san  ご説明をありがとうございます 2006年05月28日(日)19時56分32秒 http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/
「捏造」の捏造 へのコメント

ご説明ありがとうございました。以下の文面は、拙ブログのコメントと同じものを使用しております。よろしくお願いいたします。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1416929#comment

まず、最初に「全文引用」の件ですが、数日中に「半分程度」に縮小いたしますので、著作権についてはその旨でご了解願います。全文引用の理由は、私が「抄訳」した1887年のスミス版(いわゆるオリジナル)と、いかにかけ離れているかを、ブログの読者の方に明確に読み取っていただきたかったからです。

私の批判の対象は、寮美千子さんの『父は空 母は大地』そのものではなく、1931年のバグリー版以降のバージョンを引用して、あたかも「シアトル首長」(酋長ではないそうです)の「手紙」や「スピーチ」であるかのように主張している(思い込んでいる)人たちです。寮美千子さんの主張をもとに、ブログの本文にも「注釈・追加」を入れる予定でいます。

寮美千子さんの詳しい反論は、http://ryomichico.net/bbs/cafe.html (Cafe Lunatique 寮美千子の掲示板)でいただいております。掲示板の寮さんの書き込みからの引用です。

★『父は空 母は大地』では、これは「手紙」ではなかったことが、解説文に明記されています。
★本を手に取ればすぐにわかることですが、本を見もしないで「手紙は存在しなかった」と鬼の首を取ったように宣言するのは、あまりに浅薄です。
★「シアトル首長のスピーチ」が、後世、さまざまなものが付加されたり削られたりして、50を超えるヴァージョンがあります。それは、Hiro-sanがわざわざ大声で叫ぶまでもなく、すでに周知の事実です。
★つまり、これは寮美千子による1995年版寮美千子編によるオリジナル・ヴァージョンといってもいいものです。
★このようなことになった原因の一つに、インターネットでの情報の流通という問題があるかと思います。ネットで流された不確実な情報、あるいは断片的な情報のみを材料に判断をする。そこから多くの誤解が生まれます。

寮さんの本では、「手紙でなかった」ことが明記されているそうです。「寮美千子バージョン」が世に出たのは1995年のことです。ブログやHPの書き込みでは、明らかに寮さんの『父は空 母は大地』を読んだ上で、誤解している人がいます。ビーケーワン・オンライン書店は、堂々と「ウソ」を書いています。50のバージョンがあることは、「周知の事実」であっても、数多くの読者の「事実」にはなっておりません。寮さんの『父は空 母は大地』を実際に読んでも誤解している人がいるということは、これは必ずしも「ネットで流された不確実な情報」の問題とはいえません。

次は当ブログに寄せられた、寮さんのコメントです。

★もしこれを「シアトル首長のスピーチ」そのものであるという形で発表していれば「捏造」「偽書」と言われても当然ですが、その歴史的経緯を明記しての発表に対して「捏造」「偽書」という言葉を使うことは、不当です。
★お経が、お釈迦さまの言葉そのものではないからといって、だれがそれを「捏造」と呼ぶでしょうか。

寮さんの記述された「歴史的経緯」は、私が記述した歴史的経緯をすべて含んでいる、と考えてよろしいですか。つまり、寮さんの解説する50のバージョンのなかに、1931年のバグリー版、1971年のペリー版という、捏造・改変があることが明記されているか、ということです。

オリジナルにないものを勝手につけ加えることを「捏造」と呼んでおります。私のブログの「全文引用」の中に、わずかながら正確でないものがあるというだけで、原著作者の寮美千子さんとしては、当然気になるはずです。親鸞の死後に、弟子達が親鸞を装って本を書いたとすれば、これを「偽書」と呼びます。

私は「鬼の首をとる」つもりも、「声高らかに叫ぶ」つもりもありません。再反論をお待ちしております。

寮美千子  「捏造」の捏造 2006年05月28日(日)14時39分51秒
シアトル酋長メッセージの改変・捏造について へのコメント

「シアトル酋長のメッセージ」になるものが、1854年の「オリジナル」とはかけ離れた捏造の産物であることを調べました。ご照覧いただければ幸いです。 by Hiro-san

ご忠告ありがとう。そのようなことは最初からわかっています。本の解説にも明記してあります。「シアトル首長(酋長ではありません!)のメッセージ」がオリジナルとは違うと言うことは、すでに周知の事実です。いまさら、このようなことを「捏造」「偽書」という言葉でおとしめて、なにをなさろうというおつもりでしょうか?

「新聞記者、広告編集、翻訳・通訳、ITビジネス等をへて、現在イギリス在住」という経歴をお持ちのHiro-sanという方が、このようなずさんな批判を展開されることに、驚きを感じています。新聞社では「原典(情報の源)に当たること」という基本的なことを学ばれなかったのでしょうか。そして、一冊の本を丸々引用することは明らかに著作権侵害であるということすら、知らずにお仕事なさっていらしたのでしょうか。

Hiro-sanの批判文のなかには、オンライン書店の宣伝文が引用され、それも批判の対象となっています。
ビーケーワン・オンライン書店:『父は空 母は大地』 内容説明
1854年アメリカのピアス大統領はインディアンの土地を買収し、居留地を与えると申し出た。翌年インディアンの首長シアトルはこの条約に署名。その時首長が大統領に宛てた手紙。95年に絵本版も刊行されている。英文併記。
しかし、これはあくまでもオンライン書店が独自に書いた宣伝文です。「その時首長が大統領に宛てた手紙」という部分がHiro-sanの批判対象であり、わざわざ赤字で書かれておられますが、『父は空 母は大地』では、これは「手紙」ではなかったことが、解説文に明記されています。

絵本のタイトルには「インディアンからの手紙」と副題があります。しかし、この「手紙」が意味するところは、実際の手紙ではなく、文学的な比喩です。雪を「空からの手紙」というのと同じです。それは、本を手に取ればすぐにわかることですが、本を見もしないで「手紙は存在しなかった」と鬼の首を取ったように宣言するのは、あまりに浅薄です。

こんなことになってしまったのは、Hiro-sanが、寮美千子「編訳」の『父は空 母は大地』に直接あたらず、ネットサーフィンをして得た不確実な情報を頼りに批判展開をしているからでしょう。このようなものは「批判」「批評」と呼ぶに値しないものです。


『父は空 母は大地』の解説にも書いたとおり、「シアトル首長のスピーチ」が、後世、さまざまなものが付加されたり削られたりして、50を超えるヴァージョンがあります。それは、Hiro-sanがわざわざ大声で叫ぶまでもなく、すでに周知の事実です。

『父は空 母は大地』には、複数のヴァージョンから独自に編集しなおしたものであることが明記されています。つまり、これは寮美千子による1995年版寮美千子編によるオリジナル・ヴァージョンといってもいいものです。そのため、わたしは「編・訳」と明記しました。あくまでも「翻訳」ではないのです。

Hiro-san引用の、無断引用テキストは、多くの表記の違いなどがありますが、いちばんひどいのが「翻訳」となっているところです。ここでもHiro-sanが、『父は空 母は大地』に当たらずに書いていることが明白です。


このようなことになった原因の一つに、インターネットでの情報の流通という問題があるかと思います。ネットで流された不確実な情報、あるいは断片的な情報のみを材料に判断をする。そこから多くの誤解が生まれます。

『父は空 母は大地』は多くの方々の琴線に触れ、ネット上のあちこちで「全文無断引用」がなされています。わたしは、ネット上の引用に関して、あえて著作権を主張してきませんでした。寮美千子オリジナル・ヴァージョンとはいえ、人々が育んできた「シアトル首長の言葉」に基づいているのですから、徒に著作権を主張することは控えてきたのです。

しかし、その結果、断片的な情報だけが流通し、不完全な訳文が流布し、「手紙」として「インディアンの聖典」にまつりあげられるという事態が生じています。

そのようなネット上の様子を見て、「ねつ造」などと声高にいいだす失礼な人まで出てくると、果たしてこれでよかったのかと考えてしまいます。

少なくとも、引用をする方は、コピペという安易な手段に頼らずに、きちんと本を見てほしいと思います。そして、解説もきちんと読んでほしい。著者にも連絡をほしい。情報を発信する際の基本的なルールをきちんと守っていただきたいと思います。批判文を書くならば、なおさらです。以後、ご注意願います。


silicaさんも触れてくださったことですが、歴史的事実と文化的価値をきちんと峻別して語る、ということについて、語るべきことがあります。これはまた、後日。

silica  すみません 2006年05月28日(日)14時29分18秒
>シアトル酋長メッセージの改変・捏造について  へのコメント

投稿されてきたかたは研究者ではいらっしゃらないようでした。
多くの研究者の方々、誤解を招くような発言をいたしまして、ごめんなさい。

松永洋介  原典を参照しない批判に何の意味があるか 2006年05月28日(日)13時26分57秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/~ysk/
シアトル酋長メッセージの改変・捏造について へのコメント

わたしには わからない。
原典を参照しないテキスト批評に、いったい
どんな意味があるというのだろう。
          松永洋介の言葉 (c)2006
Hiro-san氏は、『父は空 母は大地』を含む「シアトル首長(酋長)のスピーチ」のテキスト批評を試みるにあたり、容易に入手可能な原典すら参照していません。「原典を参照せずに批判する」というHiro-san氏の姿勢には、ただあきれるしかありません。

『父は空 母は大地』には「シアトル首長のスピーチ」の生成経緯が明記されています。1970年代以降の多くのテキストがテッド・ペリーの書いた映画台本を基にしているということ、そして『父は空 母は大地』が、数多くのバージョンから再構成された新しいテキストであることも、巻末の解説に明確に記されています。
自ら経緯を語り「当時のものではない」と述べているテキストを「捏造」と呼ぶ意図は何なのでしょうか?

「それでは、時間の余裕がある方は、「聖典」をじっくりと読んでみてほしい。とてもすばらしい文章だ」として全文転載されたテキストさえ、どこの誰が電子化したかわからない“野良テキスト”です。『父は空 母は大地』とは本文の形式が異なり、文言には異同があり、クレジットすら誤っています。たいへん寒々しいことです。

オリジナル・テキストと解説はここにあるので、ぜひご参照ください。海外発送もできますよ。
『父は空 母は大地』寮美千子/編・訳、篠崎正喜/画、パロル舎、1995
『父は空 母は大地[対訳版]』寮美千子/編・訳、パロル舎、2002

なお、正当な引用の範囲を超えて著作物の一部または全部を転載する場合には、事前に著作権者に連絡をしなければならないことぐらい、かつて「新聞記者」であった方ならご存知のはずですが、どうなっているのでしょう。

silica  >シアトル酋長メッセージの改変・捏造について  2006年05月28日(日)11時50分01秒

のサイトを拝見してみましたが、私にとっては、「ふうん。だから何なのでしょう。」が正直な気持ちです。
もともとシアトル酋長を崇拝しているわけではないので、いろいろなかたがそれこそ紡がれる糸のひとつとして
メッセージに心を寄せ、よりすばらしい言葉が生まれたことへの感動のほうがまさっています。
それ以上に私は「創作」に携わる方々の心の美しさのほうにさらに惹かれました。
そして創作家と研究者は仕事をするものとして、どちらが幸せになれるのかなあ、という深い問題まで
考えさせていただきました。

Hiro-san  シアトル酋長メッセージの改変・捏造について 2006年05月27日(土)21時30分08秒 http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/
▼Review Lunatique:英語版『父は空 母は大地』 へのコメント

はじめまして。
「シアトル酋長のメッセージ」になるものが、1854年の「オリジナル」とはかけ離れた捏造の産物であることを調べました。ご照覧いただければ幸いです。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1416929

http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1416929

DORONKO  下北沢に知り合いはいませんか? 2006年05月18日(木)10時40分30秒

下北沢の再開発問題が、重要な局面を迎えようとしています。

これは、地域に住んでいる人や、下北沢でお店をやっている人に、
ぜひ知っていただきたいことです。

お友だちや知り合いで、下北沢の付近に住んでいる人がいたら、
ぜひ知らせてあげて下さい。
多少ワクを広げて、世田谷区民でもいいです。


《下北沢再開発計画の重大局面である「地区計画(原案)説明会」が、
来る5月26日(金)、北沢タウンホールで開催されます。》

 下北沢の再開発計画が明らかになってからというもの、地元住民は
もちろんのこと、商業者や、下北沢を愛する実に幅広い人たちが、
計画の見直しを求めて声をあげてきました。
専門家グループが行ったアンケート調査では、地元住民と商業者の
約80%が「計画全体については、代替案も含めて十分な話し合いが
なされるべき」と回答しています。

 これまで、地域の様々なグループが、話し合いの場=ラウンドテーブル
の設置を世田谷区に要望してきました。しかし区は住民の声を無視し続け、
ついに今回、「地区計画(原案)説明会」を開催し、なし崩し的に計画を
進めようとしています。
説明会が開催されれば、計画はいよいよ次のステップへと進みます。

 現在新規道路の54号線については、世田谷区の当初の予定よりも事業認可
が遅れているという状況があります。そうであるにもかかわらず今回の説明会
は、その54号線を前提にした地区計画を先に進め、既成事実を作り出して
いこうという乱暴なものです。
こうした倒錯した手法自体、あまりにも身も蓋もないものといわざるを得ません
し、それを見過ごしてしまっては、多くの人の将来に大きな禍根を残すこと
にもなりかねません。

 これは多くの人の生活環境に関わる重要な問題です。ぜひみなさん、
説明会場にお越しください。そして生の声を直接行政に伝えましょう!


●「下北沢駅周辺地区地区計画(原案)」説明会
 日時:5月26日(金)19時〜20時半
 場所:北沢タウンホール 2階ホール
 参加方法:当日直接会場へ


 説明会の後は、意見の提出期間があります。

●広告・縦覧・意見の提出
 縦覧期間:5月29日(月)〜6月12日(月)
 意見提出期間:5月29日(月)〜6月19日(月)
 縦覧・意見提出先:拠点整備第一課、北沢総合支所街づくり課

 ※4月25日付「広報せたがや」2面「きたざわ」の欄に、説明会・
  意見提出に関する告知がされています。
 http://www.city.setagaya.tokyo.jp/koho/koho/2006/060425/index.html

http://www.stsk.net/

寮美千子  日本がアイヌ文化を変えるのではない、アイヌ文化が日本を変えるのだ 2006年05月16日(火)02時39分08秒
首相官邸にメールを送ろう! へのコメント

▼首相官邸からの返事

「萱野茂氏を国葬に!」というメールを首相官邸に出したら、こんな返事が戻ってきた。
差出人 : 首相官邸HP発信専用 hentou@kantei.go.jp
宛先 : mail@ryomichico.net
件名 : 首相官邸より
送信日時 : 2006年 5月 9日 火 9:12

ご意見等を拝見しました。いただきました国政へのご意見・ご要望は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただきます。
   首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当
何のことはない、返信フォームを送ってきただけである。だれか、わたしの投稿に目を留め、少しはモノを考えた人があっただろうか。

▼「萱野茂氏を国葬に!」の真意

ところで「萱野茂氏を国葬に!」といいだしたのは「国葬がいちばん立派だから」「それが名誉なことだから」という意味ではない。誤解を招くといけないので、ここで説明しておきたいと思う。

「日本人は単一民族」などという認識しかない人が平然と首相になってきたという日本という国。いまでも、アイヌ民族とその文化に対する理解は浅い。多くの人が、アイヌが日本語とは違う言語を持っていた、ということさえ知らない。

そのようなことになった原因は、もちろん「和人」の政策にあった。アイヌの人々の土地に乗り込み、支配し、狩りをしていた土地を取り上げ、狩猟も禁止し、ライフスタイルを奪い、同化政策を徹底し、その結果、アイヌの文化も言語も奪ってきた。

ひとつの文化、ひとつの言語を奪うということは、どういうことか。時が培ってきた人類のかけがえのない宝を破壊することだ。一度失われたら、それはもう二度と戻らない。そんなひどい暴力を、日本は「国」の名の下に行ってきた。

植民地支配にしてもそうだ。植民地の学校では、現地の言葉を話すことを禁止して徹底的な同化政策を行ってきた。

そのような野蛮なことをしてきた日本政府は、いまだに反省の色も示そうとしない。それどころか、小泉首相が靖国参拝をして、近隣諸国の感情を逆撫でしている。そして「愛国心」なるものを、押しつけようとしている。事実上、日本という「国」は、いまだに「和人」の国であり、「大和がいちばん!」と思っている国なのだ。

わたしは、ある意味で「愛国」の人だと思っている。しかしそれは「国家」という組織を愛するという意味ではない。「お国はどちらですか?」といわれたときに応える「国」、つまり「郷土」や、その文化、という意味での「国」だ。わたしは和人として育ってきた。大和の文化には深いシンパシーがある。

けれども、その意味での「国」と、政治制度としての「国」は違う。制度としての国は、文化としての国と、同じものではない。

制度としての「国」は、そこに生きるすべての人の文化を大切にしてこそ、その意味がある。でなければ、ただの「征服者」に過ぎない。

それぞれの郷土があり、文化がある。それをとりまとめ、みんなが豊かに心安らかに暮らせるように計らう組織、それが「国」であるべきではないだろうか。

いま、日本の領土とされているなかには「アイヌ」という民族がいて、アイヌ文化がある。しかしそれは「国」という組織の横暴で、壊滅的状態に追いやられてしまった。

日本が政治制度としての「国」という時、「日本文化」の中には「アイヌ文化」があるはずである。壊滅状態にあったアイヌ文化を、そのぎりぎりの時期に守ろうと立ちあがったのが萱野茂氏だった。そのまま放置されたなら、消滅しかねなかった文化を守ったのが、萱野茂氏だ。日本という「国」が失いかけていた「日本の文化」を守った人に、日本という国は絶大な恩義があるはずだ。国は、萱野茂氏を讃えるべきである。

というか、国は、アイヌ文化を迫害したという自らの非を悔いて、アイヌ文化を自国の大切な文化の一つとして、その復興に一層の力を尽くすべきだ。

その意味において、わたしは「萱野茂氏を国葬に!」と言った。

それは、萱野茂氏の葬儀を「和人のやり方で行うべきである」とか「和人としての最高名誉を与えるべきである」ということでは、さらさらない。アイヌ文化を守った萱野氏を、アイヌ民族として鄭重に送るべきである、というのが、わたしの考えだ。

「国」という存在が、必要悪ならば、せめていい国であってほしい。日本という領土のなかに住む人のすべてが、アイヌの人々や在日の人も含めて、みな自分たちの文化を誇りとし、のびのびと生きられる、そんな国であってほしい。少数民族や、失われゆく古い文化を大切にする国であってほしい。

「国」が、和人のためだけの「国」ではなく、すべての人のための国であることを自覚してもらうためにも、萱野氏を国葬に!と、わたしはいったのである。

▼アイヌプリではなかったという萱野氏の葬儀

萱野氏の葬儀が、二風谷で執り行われた。わたしは、萱野氏の葬儀は、すっかりアイヌプリ(アイヌ風)に行われるものだとばかり思っていた。しかし、そうではなかったという。

お葬式の様子を報告したブログを読み、わたしは大変驚いてしまった。祭壇には「勲三等」「名誉町民」「元参議院議員」と書かれた垂れ幕が麗々しく下がり、 公民館中に著名人や政治家の名前が書かれた紙が張られていたという。儀式は無宗教ということだそうだが、この場合の無宗教とは仏教の各宗派混合という意味で、各派の読経の声がそろわなかったとも記されていた。

なぜそんな? アイヌ文化の復興の象徴的存在である萱野茂氏を、地元の二風谷で見送るのに、なぜそんなことに? 釈然としない気持ちでいっぱいになってしまった。

そして、はっと気づいた。「萱野氏を国葬に」といったわたしの言葉は、まさしくこのような事態を誘導してしまう危険があったのではなかったかと。「お葬式は大和流に行うことが正しい」とか「それが立派なお葬式のやり方である」というような誤解を招きはしないかと。

わたしは「国がアイヌ文化の復興者である萱野氏を高く評価すべきである」「国はアイヌ文化を大切な『日本の文化』のひとつとして、位置づけるべきである」という意味でいったのであって、その逆ではない。「国としてのお葬式をすることが立派なことである」「アイヌ文化を大和に取り込んでしまえ」といっているわけではないのだ。

国が、アイヌ民族とアイヌ文化を、自国の文化としてもっと大切にするよう変わってほしいという願いを込め、わたしは「萱野茂氏を国葬に」といったのだ。

アイヌの人々が、アイヌ風の儀式よりも、「勲三等」「名誉町民」「元参議院議員」といったことをより大切にするような、そのようなこととはまるで違うことなのだ。

国葬を行い、アイヌの人々が、アイヌの衣裳を正式な「礼服」として堂々と着用して、アイヌ語でお別れの言葉を述べる。もしもそのようなことができたとしたら、どんなにかよかっただろう。それができたとしたら、日本という「国家」は、今とはもっと違うものになっていっただろう。そのようなことのできる「国家」であってほしいと、わたしはいまも強く願っている。


ヒマラヤに登ったとき、こんな標語をいたるところで見かけた。

「あなたがヒマラヤを変えるのではない。ヒマラヤがあなたを変えるのだ」

アイヌの文化に関しても同じことがいえるだろう。変わるべきは「征服者」としての視点しか持ってこなかった日本という国家の方だ。アイヌ文化は、堂々とアイヌプリであってほしい。アイヌ文化の復興は、日本という国が、多様な文化を認め、さまざまな文化に敬意を払うことのできる国になるための、大切な一歩ではないだろうか。

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