寮美千子の意見発表の場です。ご意見ご感想はCafe LunatiqueまたはCafe Lumiereへ。
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Thu, 08 Aug 2002 17:16:47
わたしが哲学の師としているヴァルター・ベンヤミンやアンドレ・マルローも言及していますが、我々が「名画」として出会うものの8割以上は、写真や複製です。ならば、写真が最終作品であっても、なんら問題はないわけです。「ああ、ズワックマンは観念で遊んでいるんだ」というのが、彼の話を聞いたわたしの印象だった。この話でわたしがまず思い出したのは、現代美術の作家ヤノベケンジのことだった。実は、わたしはヤノベケンジの作品に対して、ズワックマンの作品に感じたような釈然としない気分を抱いている。なにか、同質のものを感じるのだ。ヤノベケンジもズワックマン同様、美大の出身である。ふたりとも「美術大学を出たから、美術の分野で仕事をするのが当然」というようにして現代美術に足を踏みこんだのではないか、という気がしてならない。「なぜ現代美術なのか」という大前提を検証することを抜きに、現代美術のフィールドで仕事をしているように思えてならないのだ。(もちろん、わたしの一方的な印象であって、事実かどうかは別の話だ)
美術大学の学生たちのいちばんの関心事。それは、芸術によって名をなすこと、有名になることです。そのために、みんな躍起になっている。わたしもその一人でした。わたしは、その欲望をそのまま作品化したらどうだろうかと思いついたのです。地道に絵画描いて評価を得ようとするのではなく、一足飛びに自分の美術館をつくってしまう。もちろん、現実につくれるわけがありませんから、模型で作らざるを得ない。とはいえ自分自身の美術館です。それは、自分自身の「有名になりたい」という野望をそのまま実現化し、作品化したものであり、同時にそのような野望を揶揄する意味もこめられているのです。
Thu, 08 Aug 2002 16:55:45
オランダの生んだ偉大な画家ブリューゲルの「バベルの塔」には、その時代の人の世のあらゆるものが描かれている。あらゆる産業、あらゆる職人、あらゆる風景……。これは、それと同じことをもくろんだもの。「バベルの塔」の現代版である。高速道路のインターチェンジだが、道路に関わるあらゆるものをひとつの画面に容れようと試みた。空にかかる雲は綿でつくり、霞んだ空気感をだすために、湯気を使っている。●港とビルの風景写真。海面が地表よりも高く、いかにもオランダ的。
オランダの風景は美しい田園風景の代表のようにいわれているが、実はすべてがとても人工的なものだ。堤防を築き、干拓したため、海面より低い土地が多い。常に海面より低いところで暮らしている不安感が、実は人々の心の底に巣くっている。海面下の人工的な風景を描くことで、人工的な世界に生きる人々の不安を描きたかった。●丘のように盛り上がった堤防を下から見上げた。堤防の向こう側から人が現れ、ずっと手前に街灯が一本立っている。
大きな山のないオランダでは、堤防こそが「向こうに何があるのだろう?」と思わせてくれるものである。その向こうには、実際には地面より高い水があるのだが。●朝食の食卓をテーブル。コーヒーカップやミルクピッチャー、シリアルの箱などが無造作に並んでいる。テーブルに近い低い目線でアップでとらえた写真。窓の向こうには、別のビルがあり、その向こうに水平線が透けて見える。ミルクピッチャーと同じ高さのビルも見える。
オランダでは日光が大切にされ、窓は目一杯大きく取られている。そのために、窓から外を見ると、他人の家が見え、その家の窓を通過して、さらにその向こうの風景が透けて見えることがある。その典型的オランダの風景を表現したかった。ミルクピッチャーとビルは、模型では実は同じ大きさ。遠近法の思いこみが、窓の外のビルを遠くにある巨大なものだと錯覚させる。●マンションにきらめく一面のガラス窓。反対側のビルが映りこんでいる。その一つのガラス窓から、ひとりの男がこちらを見ている。見られている視線の先には、ひとりの女性がいる。女性は、路上から窓の男を見上げている。スカーフを被った後ろ姿だが、一目でトルコ人とわかる。
オランダには多くのトルコ人が移民として流入し、風景の一部と化している。その多くは低所得者で、一種の社会問題ともなり、非人間的な暮らしを余儀なくされている。女性は窓の男と視線を交わし、そこに物語を予感させたかった。この作品のヒントとなったのは、わたしの恋人の体験談だ。彼女は、散歩の時、全裸の男が窓から彼女を見ていることに気づき、目があったことがあったという。その話は、わたしにもとても印象的だった。●引っ越し後のようながらんとしたマンション。
住宅政策として新しく建築されたビルは、生活のための最低限のつくりで、とても非人間的だ。合理性の追求は人をしあわせにしない。実寸をそのまま縮尺して模型を制作すると、人が感じている殺伐とした気分を再現できないので、高さと奥行きの比率を変えて、より「感じたままの風景」つまり「現物」に近づけようとした。●引っ越し後、空っぽになったイケアの戸棚。棚板がはずれて斜めになり、塗装が禿げたところまで再現された模型を撮影。
(注:日本の基準から見ると、結構いい感じのマンションである)
「イケア」はオランダで若い人が使う典型的な安物の家具。置き去りにされた家具の風景。●パワーショベルで工事中の街の風景。背景に教会が写っている。
(注:イケアの家具は、日本では結構なブランド家具として扱われている)
この写真の意味するところは変化。パワーショベルのような大きな力で暴力的に世界を変えてきたことの象徴である。背後の教会にも深い意味がある。オランダで我々がなにをしてきたのかのメタファー。
Sun, 04 Aug 2002 01:25:57
いちばんいけないのは、役者がどういう含みでそのセリフを発しているのかがあいまいなばあいである。あいまいだと、観客にメッセージが伝わらない。明確に意志を持って表現しているとき、その意志から溢れだし、はみだしてしまうもの。意志以上のなにか。個人の意志を超えた予期せぬなにか。それが表現の面白さではないかとわたしは思う。そこに到達するためには、まずはっきりした意志を持つこと、自分の欲望がどこにあるのかをよく見つめることではないだろうか。
Sat, 03 Aug 2002 14:59:36
わたしたちの祖先は、おたま(おたまじゃくし)もなかったし文字もなかったけれど、すばらしい歌や物語を残してくれました。わたしがおばあさんやおかあさんから教えてもらったものを、みなさんに少しでも知ってもらいたい。そう思って、機会があれば、どんな機会でも喜んで歌ったり語ったりさせてもらっています。ウメ子さんは、会っているだけでこちらがなごんでしまうお人柄。女性の地母神的な包容力というのは、こういうことなんだなあと深く納得してしまいます。いつまでもいつまでもウメ子さんの声を聞いていたい。ウメ子さんの子守歌で眠れたら、どんなにしあわせだろう。
歌の歌詞で「それ、何の意味?」と聞かれることがあるけれど、わからないこともあるの。ただ、そう歌ってきたからわたしもそう歌っているとしかいえないの。こうかもしれないなあと思っても、確かじゃないままにわたしがそういってしまうと、そうなってしまうでしょう。それが怖いからねえ、なんともいえないのよ。
アイヌっていうのはね「人」という意味なの。だから、あなたたちもみんなアイヌなのよ。はきはきと語るムツ子さんは、ちょっぴりきびしい姑さんのような感じ。おどろくほどクリアな記憶をお持ちです。千歳アイヌ語教室で、リトさんのお師匠さんでもあります。次世代に文化を伝えようと奮闘なさっている姿は感動的。熊送りの子熊を家で育てていたこともあるとのことで、たくさんのお話をお伺いすることができました。ありがとうございます。
アイヌはね、すべてに命があると考えているの。食べ物として口に入る肉や魚はもちろんのこと、こんなお茶碗ひとつにしても、命があると考える。お茶碗が壊れて使えなくなると、それはお茶碗の命が尽きたのだと思う。そして「ありがとうね」と感謝する。
わたしね、最近お茶碗を小さく欠いても「あ、ごめんね」と口に出るようになったの。お風呂でもね、水をいっぱい溜めるでしょう。すると「ああ、ありがとう」って思って、使い終わって水を流すときにも「ご苦労様でした」ってひとりで話しかける。ああ、いまになってやっとアイヌになれたのかしらって思うの。
クマの心を知らない人には、クマは獲れないの。わたしは、ずっとクマを見てきたから、クマの心がわかるの。『クマにあったらどうするか』(木楽舎2002)でご自分の狩人生活を詳しく語っていらっしゃる姉崎さん。あの本を読んでも、直接お話しをお伺いしても、その科学的な観察眼と思考方法には、驚かされます。科学者顔負け。実践の強さを思い知らされました。
大学の先生がね、ほんとうと違うことをいろいろいうの。例えばね「姉崎さん、クマは冬眠中でも物を食べてますよ」とかね。そんなことないの。クマは、止め糞っていってね、固いコルク栓みたいな糞を肛門に詰めて冬眠する。それ以外、お腹もからっぽ、小便袋もからっぽ。止め糞はね、発酵しない木の皮なんかを食べてつくる。冬眠前は、もうそんなものしかクマは食べないの。わたしは、森も見ているし、クマを獲ったらひとりで解体して隅から隅までみるから、よくわかるの。だから。わたしはいってやるの。「先生、クマは机の上にはいないでしょう。机の上にあるのは紙と鉛筆でしょう」って。
狩人はね、よくほらを吹く。こんなんだあんなんだって、自慢話をする。けれどね、いい加減なことをいってはいけないの。嘘を本当と思って、事故が起こるでしょう。だから、わたしはね、とても気をつけて話すんです。嘘はいわない。ほんとうに確かなことしかいえないの。責任あるからねえ。
Sun, 07 Jul 2002 19:31:58
Sun, 07 Jul 2002 03:24:30
「オコッコとシントコ」
これはね、親の代からずっとわたしの家に伝わってきた話なの。
お父さんとお母さんと子どもと、三人で暮らしていました。
明日は仕事にでかけるよと、お父さんがいいました。
お父さんが出かけた日の夜
お母さんは「さあ、もう寝ましょう」といってトイレに行きました。
昔のトイレは、家の外にあったんだねえ。
外へ出て、東の方を見たら、
ツプトン、ツプトンってね、光るものがある。
さあ、たいへん!
お母さんは、家のなかに走っていって、子どもに
「オコッコ(こわーいもの、恐ろしいもの)が来たよ。
あなたは絶対に泣かないでいてね」といって
オンネ(大きな)シントコ(交易によって本州よりもたらされた蓋のある大きな漆の器)ブタ(蓋)をマカて(開けて)そこに子どもを入れた。
「絶対に泣かないでね。泣かないでね」といって、
自分は外へ出て、西の方へ向かって走った。
大声で叫びながら走っていった。
すると、西のコタン(部落)の方から、みなさんが
「どうしたのー、どうしたのー」と叫びながらやってきた。
カンビ(白樺)の皮を捻ってタイマツみたいにしたのを灯して走ってきた。
コタンの人ら、アイヌみんなやってきた。
クマがねえ、人間を襲うんだってねえ、昔は。
光るものは、クマの眼だったんだね。
自分の家に入ったら、クマも追いかけて入ってくるから、
お母さんは、子どもをシントコに隠して、
「オンネ シントコ カムイ」って
神さま、子どもを守ってくださいって祈って、
わざと家から出て、走って逃げたんだね。
子どもを守ろうとしてね。
すると、とうとうクマがお母さんに追いついて、足をかじった。
そこへ、西のコタンの人らがタイマツを灯してやってきた。
クマは、音や光が嫌なんだそうです。
山へ入る時は鈴を持っていくと
クマが襲ってこないって話が昔からあるように、
みなさんがタイマツを持ってきたので、クマは逃げちゃったとさ。
お母さんは「わたしのことはいいから、子どもを見てほしい」って頼んだ。
ある人が、走って家に入って、子どもの名前を呼んだら、
オンネ シントコ ブタがあがったりさがったりして、子どもの声があったと。
「ああ、よかったあ、子どもも元気だった、ほんとうによかった」って。
シントコに入るくらいだもの。
子どももまだ小さいよ。
ポン(小さな)エカチ(子ども)だねえ。二歳くらいかねえ。
それが、お母さんのいいつけきいて、ちゃんと泣かないでいたんだねえ。
えらいもんだねえ。
お母さんは、足を噛まれたけれど、命に別状はなかったと。
仕事にいっていたお父さんもかえってきて、
それからは、お父さんとお母さんと子どもと、
みんな無事に暮らしましたとさ。
(おまけ)
シントコっていうのはね、乾燥させた食べ物を蓄えておくの。フキとかギョウジャニンニクとか。それはちゃんと、漆で色も塗ってあるんですよ。アイヌの人がこんな漆を塗ったんですかっていうけど、それは違う。シントコがなぜ、アイヌにあるのっていうとね、ある人から聞いた話。昔は、大津(十勝川河口の浜)っていう浜があるんです。そこに年に二回ほどいろんなものを積んで、北前船が来たんだと。北前船が積んできたいろんなものを、アイヌの鹿の皮やシャケと交換したんだと。その時に、交換したもので、大きな樽みたいなものがシントコ、蓋もちゃんとある、漆が塗ってあってね。アイヌはそれを大事に大事にしたの。これはお宝、これはすばらしいものってね。
昔話はね、ただしゃべればいいってもんじゃないの。音っていうものが、必ずあるから。意味がわかっているからって、やっぱり発音ってものを大事にしなくちゃ。自分が(アイヌ語を)わからんということを誉れに思っているようなアイヌもいるの。ひょいとアイヌ語を話すと「それ何? いまいったそれ、何さ」ってバカにするような人もいるのさ。残念ながらね。言葉は、大事にしたいねえ。
Sun, 07 Jul 2002 03:19:54
「カラスと寄りクジラ」※パシクルの浜は、海流の関係で大きな漂流物が打ち上げられるポイントなのかもしれません。2002年4月に金子さんとリトラリアさんと訪れた浜にも、巨大な流木とともに、なんと大型冷蔵庫まで打ち上げられていました。しかし、どこから流れてきたんだろう?
昔、アイヌの村がひどい飢饉になったとき、浜の方でさかんにカラスが鳴いた。行ってみると、浜には大きなクジラが打ち寄せられていた。カラスが知らせてくれたのだ。アイヌの人々は喜び、カラスとクジラに感謝し、カラスたちとともにクジラを食べ、飢えをしのいだ。それで、生きのびることができた。それ以来、寄りクジラがあがった浜は「パシクル」(カラス)と呼ばれるようになり、秋にはフンペ(クジラ)祭りが行われ、フンペの踊りも踊るようになった。
「石炭にまちがえられたクジラ」※クジラと石炭の黒いつやつやとした輝きの類似が面白い物語。こんな物語を聞かされると、石炭のつやは、なるほどクジラの背中だなあと深く納得。北海道では石炭が採れたけれど、最近最後の炭坑が閉鎖したそうです。釧路の飛行場に、大きな石炭の塊が展示してありました。
クジラとシャチが喧嘩をして、クジラが川に逃げこんだ。人々が集まってきて「あれは何だ?」と騒ぎだした。黒くてつやつやと光るので「きっと石炭だろう」といった。クジラはとうとう海へ戻れず、そのままそこで息絶えたので、飢饉だったアイヌの人々は、とても助かり、クジラに深く感謝した。
Wed, 03 Jul 2002 15:03:21
【「2ちゃんねる」に賠償命令】>産経新聞社▼2ちゃんねる側の報道
2002/06/26 インターネットの掲示板「2ちゃんねる」に書き込まれた中傷発言の削除に応じなかったとして、東京都内の動物病院と経営者の獣医師が、管理者の西村博之さんに損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は26日、請求をほぼ認め、400万円の支払いと書き込みの削除を命じた。
判決によると、2ちゃんねるはメールアドレスなどを明らかにしなくても匿名で書き込みができる掲示板。昨年1月以降、「ペット大好き掲示板」などに、病院名や獣医師の名前が分かる形で「えげつない病院」「過剰診療、詐欺」などの書き込みがされた。
西村さんは「発言の真実性などが明らかでない場合は削除義務を負わない」と主張していたが、山口博裁判長は「被害者が書き込み者を特定することは事実上困難。被害回復の方法が著しく狭められ公平を失する」と退けた。
西村さんは「不当な判決で控訴する」としている。
【動物病院裁判、2ちゃんねる一審敗訴】>電波2ちゃんねるweb▼裁判所はいつも正しいか?
2002/06/28 2ちゃんねるでユーザーに名誉棄損の書き込みをされたとして、「(有)谷澤動物病院」と谷澤浩二さんが2ちゃんねる暫定菅直人の ひろゆき に500万円の損害賠償などを求めた訴訟の一審判決が26日13時10分から、東京地裁第627号法廷であり、山口博裁判長は、西村氏に400万円の支払いなどを命じた。
2001/09/19 に第1回口頭弁論がおこなわれ、本日判決がでたもの。
判決では、言論の自由は認めつつも、管理の不行き届きにより無用の混乱を招いたとし、「匿名掲示板であるために被害者が書き込み者を特定できず、名誉回復の機会などが与えられないのは公平ではない」として原告の訴えを認め、400万円の支払いなどを命じた。
正確に調べようがない統計を、正確なもののようにして流通させる。そして、それを鵜呑みにしてしまう人がたくさんいる。もし、悪意の人が恣意的な情報を流したとしても「疑ぐり深くない人々」は、きっと丸呑みしてしまうでしょう。その構造こそが、世界に恐ろしい結果を招く要因のひとつではないか、とわたしは思うのです。▼マスコミとWebを同列に論じてはいけない
そんな結果を招かないためにも「疑う気持ち」「自分で調べる態度」が大切だとわたしは考えます。
>谷澤動物病院こんな調子です。どこが目的の削除してほしい文章なのかを特定せず、しかも自分は一回ずつ指摘するのが面倒だという。だとしたら、ボランティアで削除している人の労力はどうなるのか? 一回ずつ、指摘する前に探しだして削除しろとでもいうのでしょうか?
またまた同一人物と思われる書き込みがありますが,削除お願いします。
>名無し
「>>1 先日も↓のスレ立ててましたが、板の説明もURLも無いと誘導もできません。
TOPをよく読んで削除依頼してください。
>谷澤動物病院
いつもの悪意のアル掲載驚かされます。あまりに不毛です。できればもう乗せないでほしい。一回ずつの削除願いは大変です。
>名無し
この動物病院、何度言われれば依頼の方法覚える気になるんだろうなあ
2ちゃんねるは誰も拒むことはない自由な掲示板です。ルールを守らなかったのは、谷澤動物病院に他なりません。その非を認めず、2ちゃんねるに400万円という莫大な損害賠償を求めた判決の真意はどこにあるのか?
ただ一つ、ルールを知り守ってくれること、それだけなのです。
簡単なルールの遵守が、気持ちのいい環境を生み出すことを判って下さい。
Sat, 22 Jun 2002 23:45:43
Sat, 22 Jun 2002 03:00:45