ハルモニア Cafe Lunatique (No.0013)

寮美千子の掲示板

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勇崎哲史  3・4日はなれてたら 2002年06月30日(日)00時07分29秒

いやさー。3・4日はなれてたら
なんかまともな議論してて、
寮さんには、まともにつきあってて
おつかれさまでした。いやさー。おれよっぱらってるからさ。

ストロベリー  はじめまして/著作権/赤でもススメ 2002年06月29日(土)01時36分37秒
日木流奈くんと『世界がもし100人の村だったら』を結ぶ謎の線 へのコメント

 こんにちは、はじめて投稿致します。
 こちらのサイトを児童文学のメーリングリストで知って以来、掲示板を時々覗かせていただいています。寮さんとはネット上でほんの数回言葉を交わしたことがある程度で面識はありません。
 掲示板は時に感心し、時に不謹慎に面白がって見ておりましたが、著作権論争に食指が動きました。どうぞよろしくお願いします。

 私はその昔卒論なるものを書きましたが、引用元の書物の著者の許諾は求めていません。ましてや「誰それの○○という本があるよ」と人に薦めるのに著者の許諾を求めたこともありません。ところがネット上では引用にも紹介(リンク)にも許諾を要するかのような見解がまかり通っている。実に奇妙な話だと思います。(「インターネット哲学」の中に全く同趣旨のことが書かれてますね。悔しい。)
 結構名の知れた出版社が、「リンクを置きたい時は事前に連絡いただき、当社が"許可"した時点でリンクを貼って下さい」などと書いているのを見た時は開いた口が塞がりませんでした。

 引用の経路は大きく分けて4種類あると思います。

1.書物の執筆のために書物から引用する
2.Webでの執筆のために書物から引用する
3.書物の執筆のためにWebから引用する
4.Webでの執筆のためにWebから引用する

 私はどれも「自由」、つまり著者に知らせたり許諾を得たりする必要はないと考えます。法律上も道義的にも○と思っています。無論、引用でなく転載なら許諾が必要ですが。(上記4点の中に×があるとお考えの方がいましたら、理由をご説明いただければ幸いです。)

 かつて、ある人が「ネット上での私の発言をどこかで引用して論じるなら知らせてほしい(知らせるべきだ)」というようなことを言っていました。それに対して私はこう反論しました。

<批判の対象になった人の目に触れることもあれば触れないこともある。そして正当な批判であることもあれば不当な批判であることもある。本人の目に触れるかどうかは巡り合わせ次第。>

 確信犯的な「不当な批判」(それではただの中傷です)を容認しているわけではもちろんありません。一旦世に出て書き手の手を離れたものを論じるのに、それを書き手に伝えたり許諾を得たりせねばならないのは理不尽なのではないかと私は言いたいのです。

 さて、私が一番引っ掛かったのは明石さんのこのくだりです。

>マイホームページの歌詞は、引用もリンクも禁じております。

 ネットは引用(出典明記は必要ですが)もリンクも自由が前提の世界であるとするならば、「禁止」ではなく、控えてもらうよう「お願い」するのが筋ではないかというのが私の感じた疑問です。

 しかもその「禁止事項」を「守る」のを「良心」と規定してしまうのにも抵抗を覚えずにはいられませんでした。
 著作物の無断引用(こんな用語はありませんが)を認める法律の意義のひとつは、誰もが自由に論じられる環境を確保し、言わば精神文化を育むこと。
 引用を「禁止」することによって自由な論評を妨げてしまったとしたら、むしろ「禁止」することこそが非良心的であり、その禁を「破って」引用し論ずることの方が良心的ではないかとさえ思うのです。
 もし「リンク禁止サイトへのリンク集」なるジョークサイトを誰かが作ったなら、私はその人を支持します。

 たとえば、明石さんの作品についてネットで論じたいという熱心なファンがいたとします。そのファンが、確実に作詞者本人の目に留まるような形では恐れ多くて議論などできたものではないといった奥ゆかしい(悪く言えば脆弱な)人だった場合、「リンク・引用禁止」の文字は大変な足かせとなるでしょう。

 著作権法によって守られるのは著作者の財産権と人格権。それと言論の自由を両立させるためにあるのが引用等の規定と私は捉えています(あやふやなのでどなたかフォローいただけると嬉しいです)。ある権利を守るのに頑なでありすぎることが、別の権利を奪ってしまう。これは由々しき問題とは言えないでしょうか。

 のっけから噛み付くような内容になってしまいましたが、作品を輩出する立場と、享受し論ずる立場の関係をどのように捉えておられるのか、明石さんはじめ皆さんのご意見をお聞かせいただければ幸いです。


追記1:出典明記は常に必要か
 寮さんの出典明記なしの引用に関する弁明、謝罪等については大筋寮さんに同意します。大事なのは誰かを不快にさせる可能性があるか否か、迷惑を掛ける可能性があるか否かであり、常に紋切り型に判断する必要はないと思うからです。車が走っていなければ私は赤信号でも渡ります。
(余談ですが、私はまさしく、頻繁にこの掲示板を見ていないために問題となった引用に戸惑ったひとりです。)

 また、私が掲示板で、ある荒らし投稿を引用した時は、投稿者名は記しませんでした。それについて知人に意見を仰いだところ、「事実であっても名誉毀損は成り立つから、投稿者名を記さなかったのは人格権を守るために適切な措置」とお墨付きをいただきました。著作権を守ることで他の法を侵すケースもあるようです。

追記1.5:番組録画ビデオは複製物
 著作権問題で私がむしろ懸念するのは、「○○を録画した人いませんか」「ホームビデオパーティーしませんか」といったくだりです。
 番組の録画ビデオ(=複製物)は、録画した本人とその家族や親しい友人しか観てはいけないはずですから、全世界に公開されている掲示板で呼び掛けるのは著作権法に抵触するのではないでしょうか。
 現実的には「親しい友人」でない人がホームビデオパーティーに参加するとは思えませんから、後者については机上の空論と言えなくもないでしょうね。しかし前者はマズイかと思います。

追記2:チェーンメールの危険性
 池澤夏樹氏のチェーンメールは私も知人から受け取りました。その時思ったのは「無料でメールマガジンがすぐに創刊できることを知らないのかな」ということと「たとえ良心でもチェーンメールはイメージ悪いよなあ」ということです。
 その擬似メールマガジンには加入しなかったので、その後の経緯は寮さんのレビューを先ほど読むまでは知りませんでした。単にイメージが悪いだけでなく、大きな危険を孕んでいるという指摘には興味深いものがありました。

追記3:差別はすべからく無自覚
>悪いものが悪い顔をしているのは、まだわかりやすい。正面から戦える。
>しかし、善きものの顔をしていて、みんながそう思っているもののなかに、
>恐ろしい差別の意識が紛れこんでいたりするとき、わたしはそれを何よりも怖いと思う。

 自覚を伴う差別なんてものは存在しない、そんな単純なことになかなか気付けないものですね。本人は「区別」と思っている点にこそ差別問題の難しさがある。
「悪気がない」を免罪符にするのも愚の骨頂。悪気がないから余計に問題なのに。

追記4:現地主義の落とし穴
「私は徹底した現地主義」には笑わせていただきました。「私はフランスに○回行った」と息巻く自称フランス通と一緒ですね。
 自分の目で見るのは確かに大事だけれど、それを絶対視するのはナンセンス。「現地主義」でなく「現地偏重」と言い換えるべきでしょう。

追記5:だいぶ古い話〜理想郷〜
「法律は必要悪」、基本的には同意見です。しかし「法律のない世界」が理想郷とも思いません。なぜなら法律には「利用価値」があるからです。
 たとえば交通法規。赤ならトマレ、青ならススンデヨイ、この決まりが安全を与えてくれる。いつもいつも「譲り合い」ではパニックになります。繰り返しますが赤でも時にはススンデヨイと思います。つまり状況に応じて交通法規を「利用」すればいいのではないでしょうか。
 もっとも、交通法規すら必要としないほどの判断力を人々が持つことも含めての「理想郷論」でしたら反論はしません。

φ本  リンクに対する考え方の一例 2002年06月28日(金)09時45分04秒
WEBにおける著作権について考えるきっかけになりました へのコメント

寮さん、明石さん、お久しぶりです。
まいどどうも、松山のφ本です。

リンクと引用の許可について意見がいくつか出ていますので、おれも一例を紹介したいと思いまして、でてきました。

諸野脇正@ネット哲学者という人が発行しているメールマガジン『インターネット哲学【ネット社会の謎を解く】』のNo.031とNo.030が、ちょうど「リンクに許可は必要か」というテーマです。
バックナンバーを含め ココ で読めます。

結論は「リンクに許可は必要ない」ということなんですが、その思考過程がなかなかおもしろかったです。



明石隼汰  リンクと引用は別でしょう 2002年06月27日(木)03時34分22秒 http://www.holopla.com/akashic/
Webの最終目標は「世界中に散らばっている私たちが織りなしている 網の目のような存在を支援し改善すること」だとわたしは思う へのコメント

後藤氏のページ、興味深く読みました。
うん。リンクに関しては、そんなとこでしょう。
僕がいくらリンク禁止といったって、なんの拘束力もないし
それこそ良心にゆだねられているということでしょうか。

でも、引用に関しては、後藤氏もはっきり記しているように
「著作者名の表示を含む」出所の明示が必要であると僕も考えます。
Tim氏の言葉も、ここで言及しているのはリンクの自由についてだけです。

自論を正当化するための典拠として引用する以上、
引用元の明示は、社会的影響力の大小を問わず、
また媒体がネットであるかどうかを問わず、
統計の典拠の必要性と全く同じ土壌で、必要なことであると考えます。
そしてこの掲示板もネットにつながっている以上、十分に社会的影響力を持っているし

>相手が知人であろうとなかろうと、今回わたしがしたような引用に関して、いちいち承諾を得る必要がない

という寮さんの発言には賛成しかねるものがあります。
ま、と僕がいくらいったって、なんの拘束力もないし
それこそ良心にゆだねられているということでしょうか。

今後トラブルが起きないことを祈っております。

寮美千子  ご心配ありがとうございます 2002年06月27日(木)02時07分15秒 http://ryomichico.net
僕的にはアウト・・・ へのコメント

論旨は「情報ソースを明らかにせよ」でしょう。「統計」で逃げちゃいかんぜよ。もしもこの「ある掲示板」が、でっち上げだったらどうする? それこそ「100人の村」と同じ疑惑が寮美千子に降りかかるはずでは? >明石隼汰氏
繰り返しますが、論旨のひとつは「統計数字を出すときは、その典拠を明らかにせよ」です。読めばわかります。

『地球がもし100人の村だったら』の統計を装った資料が、読者に与える誤解は、社会的責任の問われるべきものです。元となる統計数字をたどれないことは、読者にとって大きな不利益になります。

それと同じ不利益を、わたしが引用元を明記しなかったからといって、読者が被るわけではありません。

寮美千子が嘘つきで、ありもしない掲示板の発言をでっちあげたという疑惑を持たれる可能性は否定できません。しかしそれは、統計資料捏造疑惑とは一線を画すものです。万が一、掲示板発言捏造疑惑を受けたとしても、なお、引用元へ飛び火して欲しくないという配慮を優先させました。しかし、その配慮が結果的に歯切れの悪い物言いになってしまい、納得のいかない印象を与えたことは、わたしの反省点とすべきことであり、今後に生かしていきたいと思います。

「寮美千子が嘘つきで、ありもしない掲示板の発言をでっちあげたという疑惑」を持たれる可能性について、ご心配いただいたことを感謝します。
ただ、親しい人や、考え方の方向性が同じものに関しては、OKであろうと「みなし」て事後承諾をとるケースもあるでしょう。これはある意味「甘え」の許される間柄で初めて成り立つ「信頼関係」でしょうか。>明石隼汰氏
相手が知人であろうとなかろうと、今回わたしがしたような引用に関して、いちいち承諾を得る必要がないという根拠は、下記に書きましたのでご熟読ください。

cafe0013.html#cafe20020627002436

明石隼汰  僕的にはアウト・・・ 2002年06月27日(木)00時48分59秒 http://www.holopla.com/akashic/
参考まで。 へのコメント

僕はいちおう表現者なので、自分の書いたものが(作品でなくとも)
どこかで勝手に使われてたりそれに反論されてるのは抵抗あります。
問題は、引用される側の意思を反映するかどうかでしょう。
この「参考」はあくまで、メディア団体の表明にすぎません。
企業や社団法人といった団体のものは、宣伝効果から考えてもリンクフリーと
解釈できるでしょう。
個人の場合、引用やリンクOKとかだめだという人はちゃんとHPに明記してるでしょうし
それをまずチェックして、わからなければまず承諾のメールをするというのが
基本的なルールだと思っています。
ただ、親しい人や、考え方の方向性が同じものに関しては、OKであろうと「みなし」て
事後承諾をとるケースもあるでしょう。
これはある意味「甘え」の許される間柄で初めて成り立つ「信頼関係」でしょうか。

著作物で横道にそれたけど、僕のいいたいことは実は別にあるのでした。
論旨は「情報ソースを明らかにせよ」でしょう。「統計」で逃げちゃいかんぜよ。
もしもこの「ある掲示板」が、でっち上げだったらどうする?
それこそ「100人の村」と同じ疑惑が寮美千子に降りかかるはずでは?

寮美千子  Webの最終目標は「世界中に散らばっている私たちが織りなしている 網の目のような存在を支援し改善すること」だとわたしは思う 2002年06月27日(木)00時24分36秒 http://ryomichico.net
追記です。 へのコメント

▼日本新聞協会の時代遅れでクレージーな見解
吉木さん。日本新聞協会の「1997.11 ネットワーク上の著作権に関する協会見解」についてご指摘いただいてありがとう。実はこれは、一部に、そしてわたしにも悪評紛々な代物なのです。せっかくご指摘いただいたので、この機会に、なぜそう思うのかを述べたいと思います。

「1997.11 ネットワーク上の著作権に関する協会見解」は、Webがどのような目的で作られ、これからどのように社会に貢献していく可能性を持っているかを少しも省みず、新聞雑誌など印刷媒体の「著作権」という既得権ともいえる概念を、そのままWebという新しいメディアに導入したものです。当然、時代遅れの陳腐なものにならざるを得ません。既得権を失いたくないという守りの姿勢一点張りの見解だと、わたしは思っています。

たとえば、結語にもあたる最後の文章をご参照ください。
利用者の側が、情報をどのような形で利用しようとしているか、動機も、利用形態もまちまちなため、新聞・通信社としても、個々の事情をうかがわないと利用を承諾していいものかどうか、一般論としてだけでは結論をお伝えすることはむずかしい側面もあります。リンクや引用の場合も含め、インターネットやLANの上での利用を希望されるときは、まず、発信元の新聞・通信社に連絡、ご相談をしていただくよう、お願いします。
もっともらしい文章で書かれているので、うっかり信用してしまいそうですが、これは非現実的。つまり、リンクや引用をするときは、いちいち発信元の新聞社に確認をとり、その返事を待ってからにしろ、ということで、これをすべての人が忠実に守っていたら、新聞社の人は応対に追われて、業務に支障をきたすでしょう。リンクや引用を求める人は、長い時間返事を待たなければならず、その間、論議を進めることもできません。誰の利益にもならない馬鹿げた指針としかいいようがありません。

これが出された1997年時点では、まだWebについての理解が行き届かなかったため、このような見解も致し方ない面もありましたが(最初から「バカだなあ」といっている人も多数いましたが)、日本新聞協会は、いまだにこの見解をもって公式見解としています。

▼あらゆるものを参照できることは基本的人権
一方、Webの発明者であるティム・バーナーズ・リーは、Web創設の目的を、その著作の中でこのように述べています。
Tim Berners-Lee著, 高橋徹監訳『Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか』 (毎日コミュニケーションズ 2001)より

Webは技術的な創造物というよりは社会的な創造物である。私はWebを技術的な おもちゃではなく、人々の共同作業の手助けとなるような社会的効果を生むものとして 設計した。Webの最終目標は、世界中に散らばっている私たちが織りなしている 網の目のような存在を支援し、改善することである。(p.156)

文書や人などあらゆるものを参照できることこそが、言論の自由という 基本的人権そのものなのである。ハイパーテキスト・リンクを使った 参照は効率的ではあるが、参照以外の何ものでもない。(p.174)

いったん公開されてしまったら、世の中にその情報のアドレスが 出回ったことについて不満をいうことはできない。(p.175)

▼経済活動と切り離されて存在しうる新しいメディア
Webは、まったく新しいメディアです。従来の経済活動とは、ある意味切り離され、まったく別の原理で存在しうるメディアです。いままで、活字情報は必ずお金を出して購入するものでした。けれども、Webをつくってみたところが、世界中から金銭を見返りとして求めない情報が集まり、流通するようになりました。この経済社会の中でさえ、人はお金だけでは動かない、もっと別の理由でも動く生き物であるということを、目に見える形で示してくれたのも、Webです。従来の経済社会は、これをどう扱うか、頭を悩ましています。そして、日本新聞協会のように、既得権を守るためだけの、事実上実現不可能な見解を発表したりしているわけです。

▼世界基準は存在しない
勿論、著作者の権利を守ることは大切です。しかし、従来の著作権の概念だけに頼っていては、せっかくの新しいメディアを有意義に使うことはできません。それ以前に、ナンセンスです。すべての人が、引用とリンクに関して、すべて新聞社に問い合せたらどうなるかを見ても、明らかです。

新聞協会の見解しかり、「ネチケット」と世間で呼ばれているものしかり。すべては暫定的な、不完全な見解のひとつでしかありません。それが決定版でもなければ、正しくもなく、これから検討されなおされるべきものなのです。世界標準基準ではなく、だいたいが世界標準基準というものさえ、現在存在しないのです。

▼Webは試行錯誤の最中である
Webはいま、日々の膨大な情報の蓄積と流通を通して、このメディアが世界に何をもたらすことができるのか、壮大な実験をしているところです。

わたしは草創期にあるWebの有意義な利用法を、より多くの人々にとって恩恵をもたらすものになるように、既成概念にとらわれずに考えていきたいと思っています。新聞協会の見解や「ネチケット」を、法律を守るように守ろうとする人もいますが、わたしはそれは無意味だと思います。参照にはなりますが、それが正しいかどうかは、ひとりひとりが、いまここで、実践のなかで考えていかなければならないことだと思っています。その意味においても、明石隼汰さんの呼びかけは、考えるきっかけをこの掲示板に与えてくれ、とても意味深かったと思います。

▼過剰反応がもたらす不利益
先日「ある掲示板」で、ある人がある人にハンドルネームで呼びかけず、うっかり実名で呼びかけてしまい、ハンドルネームの人がプライバシーの侵害だと怒る場面がありました。(これは一般に起こりうる事態なので、掲示板を特定する必要はないと確信します) 確かに、その場合は実名で呼びかけるのは正しくありませんが、このようなことも、Webの本質が理解されていない現在においては、充分におこりうる「うっかりミス」です。指摘するのはとても正しい態度で、そのような積み重ねが、正しい利用法をみんなに周知し共有する方法だとは思います。しかし、言葉がきつすぎたり、脅すような言い方をされると、指摘されたほうは、すくんでしまって、何を書いても個人情報の漏洩になるのではないかと、言葉がでないような状態になってしまいます。

著作権の保護は大切な課題ではありますが、神経質になりすぎることは、利よりも害が多いとわたしは考えています。Webの発明者が自らいっているように、Webは「人々の共同作業の手助けとなるような社会的効果を生むもの」として存在すべきであり、情報はできるだけ共有する姿勢を持つべきだと思います。そして、常識の範囲で引用を行うべきであり、引用許可をとらなかったからといって、それを即座に間違いだと判断するのは間違っていると思います。先日のわたしの発言のように、元発言の掲示板に余分な負担をかけないために、あえて引用元の明示を避けるといったケースも考えうると思います。原著作者にとって、不当な不利益をうむものでなければ、わたしは基本的にリンクも引用も奨励されるべきだと考えています。

リンクも引用も拒否するような情報は、基本的にWeb向きではないとわたしは考えます。情報保護を第一に考えるのであれば、Webに掲載しないことが最善の手段であり、別なメディアを使うほうが、より適切だと考えます。

▼Webの最終目標に向かって
Webで何ができるか。間違いや思い違いも多々あるとは思いますが、わたしは以上のような姿勢で向かっていきたいと思っています。上記の引用のすべてにいちいち許可をとっていたら、このような文章を迅速に書き、みんなと議論を深めることは困難になります。それは、著作者にとっても、わたしたちにとっても不利益なことであるとしか思えません。
Webの最終目標は、世界中に散らばっている私たちが織りなしている 網の目のような存在を支援し、改善することである。
わたしは、Web発明者のこの最終目標に、深く同意する者であります。Cafe Lunatiqueも、これに貢献するべく、過去ログが残り、すべての発言を参照できる形式に改めました。過去の発言や議論の経過は、わたしたちの共有財産として存在すると認識しています。
⇒過去ログ一覧
⇒スレッド別

Web発明者の見解に立ったリンク及び引用に関する考察は、東北大学大学院助教授の後藤斉氏による以下のページに詳しくあります。上記、Web発明者の言葉も、ここから引用しました。

http://www.sal.tohoku.ac.jp/‾gothit/webpolicy.html

吉木克実  追記です。 2002年06月26日(水)21時24分02秒
参考まで。 へのコメント

肝心なところを落としてしまいました。

http://www.pressnet.or.jp/
(日本新聞協会のHP)

から、左フレームの「声明・見解」を選び、リストの下のほうに、
「1997.11 ネットワーク上の著作権に関する協会見解」
があります。
その本文中に引用して利用する場合の条件に関する見解が述べられています。
多少解釈に労力を要しますが、一般的に通用する解釈だと思います。
ぜひ御一見を。

吉木克実  参考まで。 2002年06月26日(水)21時02分02秒
WEBにおける著作権について考えるきっかけになりました へのコメント

社団法人著作権情報センターのQ&Aです。
参考まで。
(詳細は http://www.cric.or.jp/qa/sodan/sodan18a_qa.html

上記リンクは貼り付けを先方に打診していませんが、私は適法であり、かつ権利の侵害には当たらないと解釈しております。

また、寮さんの引用については、微妙ながら、適法であったと私は解釈しますが・・・。




寮美千子  WEBにおける著作権について考えるきっかけになりました 2002年06月26日(水)12時57分32秒 http://ryomichico.net
論旨からいっても へのコメント


>論旨からいっても
論旨は「統計数字を出すときは、その典拠を明らかにせよ」です。


ご指摘の引用の場合「一般にこのような考え方があるけれど、その一例として」という意味で引用しました。文脈から、それは明らかであると思います。

引用元を明記しなかったのは、第一に「個人の意見に対しての反論ではないので、あえて名前を出して個人を攻撃しているような印象を与えない配慮」のため。第二に、引用元掲示板に話題が飛び火して迷惑をかけるのを避けるためです。あくまでも、引用元を保護する意味においてこのような処置をしました。


引用元の発言者はこの掲示板の読者であり、この発言を見ていることは明らかです。わたしも引用元の掲示板の読者です。引用掲示板とこの掲示板の読者もある程度だぶっています。以前から両掲示板で同時に同じ話題を考え、情報を流通させることもありました。

また、引用掲示板の発言者とわたしとは、直接言葉を交わす親しい関係にあり、この問題についても論議を深めてきました。それを踏まえた上で、わたしの「常識の判断」としてこのような形で引用させていただきました。


わたしは、WEBで論議を深めていくためには、このような相互情報流通が大切であると考えています。引用については、一律に著作権を云々するのではなく、常識をもって判断すべきであると考えます。

何をもって「常識」とすべきかは、いまだ論議の別れるところだと思います。WEBという新しいメディアを有意義に使いこなしていくために、なにがほんとうに大切なのか、その場その場で慎重に判断し、経験を積み重ねて最良の方法を見つけていかなければならない局面にあると思います。すでにいわれている「ネチケット」というものも、新しいメディアに対応しきれていない不完全なものであると感じています。

明石隼汰さんからご指摘をいただき、それについて新たに考える機会を持ちました。そのような機会を提供してくださったにことに、お礼を申し上げます。


確かに「ある掲示板」というような書き方をしたことで、以上のような事情を詳しく知らない未知の読者の方々に、別な印象を与え不要な心配をかけてしまったことは否めません。ここにお詫びします。

掲示板は、事実上身内のダベりあいであったとしても、常に公共に開かれたものです。つい、忘れがちになるので、その点、今後しっかりと留意していきたいと思います。


明石隼汰さんのHPにつきましては、歌詞の引用は勿論のこと、掲示板なども含めて、以後すべての引用をしないよう徹底します。どうしても引用させていただきたい場合は、予めご連絡してご了承を得てからに行うようにします。

明石さんの発言で言及している、わたしの「元発言」へのリンクが、間違っていました。明石さんがリンクしたかったのは、こちらです。

cafe0013.html#cafe20020621021634

明石隼汰  論旨からいっても 2002年06月26日(水)05時04分56秒 http://www.holopla.com/akashic/
流奈くんに学ぶ へのコメント

> ある掲示板に

というのは、まずいっしょ。
掲示板といえど、掲載許可をもらうのはネチケット。
ネットにのっかっているものは、情報であると同時に
著作物であることをお忘れなく。
マイホームページの歌詞は、引用もリンクも禁じております。

http://www.holopla.com/akashic/profile/profile.html

勇崎哲史  流奈くんに学ぶ 2002年06月23日(日)01時20分47秒
日木流奈くんと『世界がもし100人の村だったら』を結ぶ謎の線 へのコメント

「日木流奈くん」の件、「世界がもし100人の村だったら」の件は、いずれも「ギャウカイ(業界)」の臭いがしますね。
僕は寮さんのように内容の真偽や構造を問うているのではなく、いわゆるHP、番組、出版物の打ち出し方の手法の臭いのことを言っています。
的を射た市場意識調査(マーケティング)、戦略的且つ緻密なメディア・ミックス。インターネット、出版、放送。これらの異なるメディアの制作日程をみごとにタイミングよく着地させるというのは、慧いプランナーの仕事でしょうね。ギョウカイの一隅に身を置く僕としては、とても勉強になります。

日木流奈くんの著作には僕はネットで読める範囲しか触れていませんが、何歳から書き始めたのか解りませんが、7歳か8歳で処女出版。4年に満たぬ期間に9冊もの本を著し、しかも(経歴を読みますと発作の治療薬の副作用で白内障となり、両眼の水晶体を摘出したにもかかわらず、おそらく人工の水晶体で視力を得ておられるとは思うのですが)、NHKによれば、その間に難解なものも含めて2000冊もの本を読破したという。これが仮に1/10の200冊だったとしても、これだけ膨大な執筆&読書の時間は、どうすれば創り出せるのでしょう。

次回作は是非とも「日木流奈の時間術・読書術」という本を著して欲しいものです。流奈くんの著作から癒しの言葉を学ぶことも承知していますが、それだけの質と量をこなす時間術や読書術を、流奈くんから学びたいと感じている大人は僕だけではないと思います。この本もきっと大ヒットするでしょうね。

ネットで読める範囲しか触れていないので、その範囲での感想ですが、流奈くんの文章のボキャブラリーは「流奈(Luna)」と命名するセンスととても共通性を感じます。もしかして「流奈(Luna)」というのはご自身が考えたペン・ネームなのでしょうか?
 
それから、6歳から7歳の時に書いたという自伝ですが、胎内にいるときから生後2週間の時に受けた手術にいたる周囲の様子に対する記憶がとても鮮明です。まるで映画をみているように。僕など凡人ですから、受精後から生後1年はもちろんのこと、4歳の頃のことすら憶えていません。でも、6歳の頃には僕にもそのような記憶があったのかなあ。6歳にして自伝を書くなどという発想は6歳の僕には持てなかったけど、もし持てたら、出生児の光景を思い出せたのかなあ。でも、僕は賢くなかったので、やはり憶えてはいなかったと思います。流奈くんはどうしてそのような感受性を持てたのかなあ。これは、傍にいたお母さんに証言して貰うようなかたちでもいいですので、著書などで教えて欲しいと思います。

時間術や読書術、感受性と記憶力を学ばせてもらったら、「1日早く知れば1日早く立派になれる」、日々カフェ流奈ティックでみなさんにもご紹介したいと思います。

「世界がもし100人の村だったら」の件は、別の機会に投稿したいと思います。

寮美千子  「心ある人」にこそ気づいてほしい 心ある人にしか気づけないことを 2002年06月21日(金)02時16分34秒 http://ryomichico.net
日本経済新聞にて伊福部昭氏の音楽性について言及 へのコメント


「世界がもし100人の村だったら・2」、テレビ放映と時を同じくしたタイムリーな発刊でしたね! さすが! というか、NHKが発刊に合わせたのか? まるで日木流奈くんの新刊が出るときに、ドキュメント番組の放映があったのと同じようなタイミングのよさに、目をみはりました。


>統計資料に基づく実証的な解説が加えられ、出典が補記されています。
>こちらが先に出版されてしかるべきだったでしょうね。

出典を明記していない統計資料もどきをばらまく出版社の不見識は、いくら「2」が出たからといって、許されるものではありません。「世界がもし100人の村だったら」それ自体に出典の補足説明を入れて改訂版を出す義務が、出版側にはあるはずです。「ちゃんと調べてつくったからいい」というわけにはいかない。なぜなら、それを検証する手段を読者から奪うからです。読者は、まず出典がなんだったのか、そこから探査をはじめなければならない。


それ以前に「同性愛者:異性愛者」という区分け。数字を挙げることが不可能な領域で、平気で数値化する無神経。

それだけではなく、この問題はもっともっとデリケートで奥深い。単純に「同性愛:異性愛」と二分してすむ問題ではありません。バイセクシャルもいれば、性同一性の問題を抱え、男と女、自分をどちらに位置させていいのか、決めかねて途方に暮れている人もいる。「男:女」という二分化された概念の隙間に落ちてしまう人々です。「同性愛者:異性愛者」という乱暴な二分法には、そのような隙間に落ち込んでしまって、周囲から理解を得られず苦しんでいる人々に向ける眼差しがまったくない。マジョリティの傲慢です。


この本の趣旨は、豊かな者として、強者として生きていることが当然だと思っている人々(=マジョリティ)に「そうではない貧しい多数派」「弱者として生きる人々」(=マイノリティ)に目を向けるきっかけをつくろう、ということであると、わたしは理解しました。であればこそ、実は自身の中に、差別とさえ気づかずに、根深い差別意識を抱えている。その欺瞞性に気づくべきです。


さらには「チェーンメール」としてこれが爆発的流行をしたという背景に対する認識の甘さも看過できない。それはつまり、自分でその情報の確実性を検証もせず「いい話だから」とネットに垂れ流した人々が莫大な数いたことの証拠に他ならない。

情報の正当性を検証せずに鵜呑みにする人々が莫大な数いるということは、恐ろしいことではないのか? もし「情報操作のための作為的情報」が、美しい衣をまとって現われたとき、人々はろくな検証もせずに、それを信じてしまうでしょう。その恐ろしさに人々は気づくべきです。


「細かいところで問題はあったとしても、結果的にこれが及ぼしたよき影響はすばらしかった」と、そう簡単にいえるでしょうか? それは「書かれた方法の正当性に問題があったとしても、結果的に日木流奈くんの書いた詩はすばらしいし、その詩に勇気づけられた人もたくさんいるのだから、詩の内容は評価されるべきだ」といっているのと、何らかわりがありません。


わたしは正直いって、池田香代子氏が番組で「世界がもし100人の村だったら」を朗読したときに、身の毛がよだちました。明らかに過ちであるはずの「同性愛:異性愛」のくだりを、平然と読んでしまう態度。「白人:有色人種」と平気で語れる神経。出版してこれだけ時間がたっていてもまだ、それらの表現が適切でないことに気づかずにいる鈍感さ。それを平気で放映してしまうNHKの鈍感さ。それが、情けない。それらを、きちんと検証して正しく捕らえ直す機会は、たくさんあったはずなのに。なぜ少しも是正されないのか?


悪いものが悪い顔をしているのは、まだわかりやすい。正面から戦える。しかし、善きものの顔をしていて、みんながそう思っているもののなかに、恐ろしい差別の意識が紛れこんでいたりするとき、わたしはそれを何よりも怖いと思う。


「世界がもし100人の村だったら」のなかに、有意義なものの見方や考え方があったということを認めることはやぶさかではありません。しかし、差別を助長する発言、マジョリティのおごりとしか見えない発言もあった。それをいざ「出版」するというとき、なぜ、そこに隠された差別意識やマジョリティのおごりに気づかなかったのか? 訳者も編集者も、それが差別的であると気づかなかったのか?

それらの「困った部分」をきちんと是正し、よりすばらしいものとして、世に送りだすこともできたはずです。だってそれは「ネットロアに流れた情報を、できるだけ原典に忠実に再現した資料」なんかじゃないんだから。それをしなかったことを追求せず、言及もせず、あたかもそれが「とてもよくできた」(池澤夏樹談)すばらしいもののように称揚してはいけない。よいところは誉めていいけれど、差別的なところはそうであるときちんと指摘すべきです。


「いいところがあるんだから、そう足を引っ張らなくてもいいじゃないか」という考え方は、この場合は、完全に間違っています。いいところはいいといい、だめなところはだめといわなければならない。そうであってこそ、いいところがいいところとして生かされる。

>統計資料に基づく実証的な解説が加えられ、出典が補記されています。
>こちらが先に出版されてしかるべきだったでしょうね。

というような簡単な問題ではないこと、お気づきいただけたでしょうか? わたしは、世界の今後を真剣に憂いている人、人類の未来を真剣に考えようとしている人、地球の未来を見据えようとしている「心ある人」が、このような「トラップ」(マジョリティの傲慢に、それと知らないうちに加担してしまうこと)に簡単に陥ってしまうことが、ほんとうに心から残念でならないのです。ある掲示板にこのようなことが書かれていました。 

>『100人の村』に対する自身のスタンスを記しておくと、
>「100人単位の明解さ」以上の関心を持つことができません。
>存在の多様性やかけがえのなさが数値化され得ないと考えるからです。
>むしろ、自身の関心を惹いたのは、これを読んだ読者から、
>「わたしにできることはなんでしょう?」という申し出が多かったという事実。
>また、当方の友人を含めて、実際にNGO活動をする者を生じさせた事実や、
>池田香代子氏を始めとして、日本におけるアフガン難民支援の輪が広がり、
>先の中国の日本大使館での事件も含めて、
>日本の難民政策そのものが見直されるムーブメントに繋がっているということです。

だから! そういう「心ある」人こそが、きちんと「世界がもし100人の村だったら」のなかの差別意識、おかしさに気づくべきだというのです。「心ある」その人たちが気づかないで、世界のどこのマジョリティが、それに気づくというのでしょう? 

再びいいます。「2」が出たからよいというのは違う。「世界がもし100人の村だったら」を絶版にして、それ自体の改訂版をつくるべきです。本文の明解さ単純さを大切にしたまま、きちんと参考文献をつけることも容易です。参考としての統計資料なんて、虫眼鏡で読めるくらい小さな字でも構わないのだから。こんなことは、この本で莫大なお金を儲けた出版社側からしたら、むずかしいことでもなんでもない。

できるはずのことを考えてみる前に、いまあるものを「これでいい」と擁護するのは、世界はこれでいいというのと五十歩百歩だということを、理解してほしいと切望します。

いとてつ  私も見たい 2002年06月21日(金)01時51分01秒
秘密のホームビデオ・パーティ へのコメント

寮様
日木流奈くんの番組の録画は私も持っていません。
結構話題になっていたので、見てみたいです。
もし寮さんの手に入れて、鑑賞会(批評会?)を
するということでしたら日程があえば参加します。


鳥海様
教えていただき、ありがとうございます。
100人村の話はチェーンメールでしか読んだことが
なかったのでさっそく「2」のほうを読んでみます。


鳥海  日本経済新聞にて伊福部昭氏の音楽性について言及 2002年06月20日(木)21時54分32秒 http://6004.teacup.com/michio/bbs

>いとてつさん
この度に発刊された『世界がもし100人の村だったら・2』
(マガジンハウス,2002年6月13日発行)において、
統計資料に基づく実証的な解説が加えられ、出典が補記されています。
データを測定する方法のない項目や、
値が訂正されている項目も散見されます。
こちらが先に出版されてしかるべきだったでしょうね。

>リトさん
6月20日の日本経済新聞朝刊の「春秋」において、
伊福部昭さんの音楽世界と、鈴木宗男事件のことが対照的に書かれていました。
下記において全文を読むことができます。


http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20020619EIMI173919.html

寮美千子  秘密のホームビデオ・パーティ 2002年06月20日(木)02時13分08秒 http://ryomichico.net
出典明示の重要性 へのコメント

▼いとてつさま

くるしゅうない。ちこうよれ。きみのせいじゃないいから、安心してね。

こんど「秘密のホームビデオ・パーティ」しましょうか。キップル邸で。(うちのことです) すごいのあります。ETV2002で池田香代子×池澤夏樹「100人の地球村からのメッセージ」?……とか。きみ、日木流奈くんのNHKスペシャル、持ってない?

いとてつ  出典明示の重要性 2002年06月19日(水)13時57分49秒
▼Review Lunatique:ネットロアという怪物/ETV2002 池田香代子×池澤夏樹「100人の地球村からのメッセージ」 へのコメント

Review Lunatiqueの
『ネットロアという怪物/ETV2002 池田香代子×池澤夏樹
 「100人の地球村からのメッセージ」 』
大変興味深く読ませていただきました。
10月20日のレビューへの書き込みのことも私はすっかり
忘れておりました。
もちろん分かっていることなのですが、出典明示の重要性を
再認識しました。
また、それがない情報に対して疑いを持ってかからなくては
いけないということも。

私の、鳥海さんの掲示板に対する中途半端な書き込みが
お忙しい寮さんに、この小論を書かせるお手間をとらせて
しまったとしたら申し訳ありません。

でも、大変刺激になるよい文章だと思います。
ありがとうございました。

寮美千子  日木流奈くんのビデオ 2002年06月19日(水)07時46分30秒 http://ryomichico.net
日木流奈くんと『世界がもし100人の村だったら』を結ぶ謎の線 へのコメント

4月28日放送のNHKスペシャル「奇跡の詩人」11歳・脳障害児のメッセージ
のビデオ録った人いませんか。いたら、メールを!

寮美千子  日木流奈くんと『世界がもし100人の村だったら』を結ぶ謎の線 2002年06月19日(水)07時37分07秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:ネットロアという怪物/ETV2002 池田香代子×池澤夏樹「100人の地球村からのメッセージ」 へのコメント

17日、ETV2002で池田香代子×池澤夏樹「100人の地球村からのメッセージ」が放映された。これは、ネットで広がったチェーンメール『世界がもし100人の村だったら』についての番組。この文書は、マガジンハウスから絵本として出版され、ベルトセラーとなっている。番組の出だしの映像を見て驚いた。本屋さん。通路から平台がアップになる。左右二段に平積みになっている『世界がもし100人の村だったら』。その隣りに、やはり二段で平積みになっているのは、日木流奈の新刊『ひとが否定されないルール』ではないか。その2冊が、画面のなかで大写しになる。

日木流奈といえば、4月28日放送のNHKスペシャル「奇跡の詩人」で取材された11歳の脳性麻痺の少年だ。流奈くんは、自力では動かない手を母親に支えてもらって文字盤を指さし、文章をつくって詩やエッセイを書いているという。その場面が放送されるやいなや「それは嘘ではないか」「母親が無意識のうちに、自分のいいたいことを、子どもが語ったとしていわせているのではないか」「流奈くんは、母親の腹話術人形も同然」との抗議の声が殺到した。この問題については、このサイトでもカフェルミに幽黙さんが意見を提出してくれている。>「被害者としての障害児」 NHKは、これに対する釈明会見を5月11日に「土曜スタジオパーク」の番組中で行った。わたしは、本編は見ず、この釈明会見だけを見たのだが、ひどいものだった。情報の正当性の確認ということに、まったく不徹底だった。簡単に検証できる実験すら「人権を配慮して」といった理由でしていない。「流奈くんは、ほんもの」と繰り返すばかりで、まるで危ない宗教を信じてしまっている人のようなふるまいだった。

その流奈くんの新刊が『ひとが否定されないルール』。今年の5月7日刊行で、NHKの番組は出版社と結託した宣伝番組では? との疑いの声すらもあがった。

さて、その流奈くんの公式ホームページを見て、わたしは見覚えのある名前を見つけた。中野裕弓(なかのひろみ)。『世界がもし100人の村だったら』のチェーンメールの、日本最初の発信者といわれる人物だ。「キャリア・コーチ 人事カウンセラー」と名乗るこの人物のサイトは、日木流奈くんのサイト内にあり、彼ときわめて近い人物であることは確からしい。中野裕弓は『世界がもし100人の村だったら』に刺激されたのか、自らも『100人の村争わないルール』という本を、今年の4月1日に講談社から出版している。

「日木流奈」と『世界がもし100人の村だったら』は中野裕弓を通じて一本の線につながったわけだ。『世界がもし100人の村だったら』も、情報の検証が不徹底な本。不徹底なまま「癒し」系の本として、またこの物質中心主義の世界に警鐘を鳴らす本として、喝采を浴びている。日木流奈くんの番組を見て、批判精神も疑問も持たずに賞賛してしまう、そんな感受性と同じ匂いがするのだ。

ETV2002の番組中で、『世界がもし100人の村だったら』と『ひとが否定されないルール』が隣同士に並んで大写しになったのは、単なる偶然だったのだろうか。それとも、日木流奈くんの番組をつくった人が、この番組にも関わり「サービス」のつもりで隣りに並べてみたのだろうか。出版社とNHKとは、裏で取引でもあるのだろうか。などと勘ぐってしまいたくなる。

しかし、これはまったくの未確認情報。わたしの勝手な憶測に過ぎない。裏取引があろうとなかろうと、このように情報の正当性が不徹底なものを喜々として取り上げる、NHKの姿勢をこそわたしは問いたい。しゃべることができない流奈くんが、もしも「語る道具」として自分の本心と違うことを語らせられていたら、それは人権問題だ。両親は、自分たちの気持ちを過剰に流奈くんに投影して、それが実は自分たちの心の声だということに、気づいていないのかもしれない。無意識でそうしてしまっていて、意識上では、流奈くんが語っていると信じて疑わないのかもしれない。

そのような状態にある人の目を覚ますことができるのは、他者の目、という客観的な視線だ。その視座をもたなければいけない報道機関が、客観性のかけらもなく両親と同じ夢を見て、その尻馬に乗り、さらに両親のすることを助長しようとしている。もしそうだとしたら、これはどこへも逃げだせない、自分の言葉を両親以外の人に自分で伝える手段を持たない流奈くんにとって、地獄に突き落とすも同然の仕打ちだ。情報の客観性、といことについて、ETV2002で池田香代子×池澤夏樹「100人の地球村からのメッセージ」を検証してみた。まだ端緒であり、ほんとうにいいたいことにたどりついていないが、これは大きな問題を孕んでいると思う。そして、みんなが情報の客観的正当性という問題に気づいて自己判断をきちっとするようになれば、社会が情報に踊らされてくだならいことになったりする危険を避けられると思う。

参考として、NHKのサイトに掲載された日木流奈くんの番組紹介を載せる。
【NHKスペシャル「奇跡の詩人」− 11歳・脳障害児のメッセージ −】

 脳障害を抱えながら驚異的な才能を発揮して、本や詩集を次々と発表している男の子がいる。本は、日常に押しつぶされてしまいそうな大人たちの心をとらえ、16万部を超える勢いで売れている。

 男の子は横浜市在住の日木流奈君。誕生直後の手術の影響で脳に大きな損傷を受け、自分で立つこともしゃべることもできない。5歳の時までは自分の意志をまったく表すことができなかった。

 流奈君が受けたのは、アメリカで開発されたドーマン法というリハビリ。運動訓練とともに知性面でのトレーニングも重視する。流奈君は5歳の時に、文字が配列された文字盤を指差すことで初めて意思を表現、以来、その文字盤を通じて会話や執筆を行っている。流奈君の知識の源泉はその驚異的な読書量にある。哲学から宇宙論まで大学レベルの本をこれまで2千冊も読破してきた。

 今、流奈君は、妹の誕生をきっかけに、新たにエッセイの執筆に挑戦している。妹が大きくなったとき、世界が幸せであふれていてほしいという願いから、大人に幸せのメッセージを伝えておきたいという。

 流奈君の言葉はなぜ大人たちの胸を打つのか。なぜわずか11歳の男の子がそのような言葉を表現できるのか。ひとりの脳障害児の奇跡ともいえる創作活動を見つめる。

勇崎哲史  研究者の方への疑問 2002年06月19日(水)03時07分58秒
▼Review Lunatique:青いナムジル/研究者からのご指摘2 へのコメント

寮さんの「ナムジル」について研究者のご意見記述を振り返ってみたいと思います。

研究者の方>Wrote 1

>【また、手桶から水をウマにやるということは、まずありえない。ウマは人の手のついたものを口にしない。それはたとえ主人からであってもだ。家畜とはいえ食事という生きる根幹を、人間に依存しないというのが孤高たるウマの本分でもある。ヒツジ、ヤギ、ウシのような家畜たちは人間の手からでも食物を得る。しかし、ウマはまずそのようなことはしない。人もそのようにウマを扱わない。ウマをペットのようには決して扱わない。しかし、とても大切にする。この大切にするということが、理解するのは難しいかも知れない。しかし、これを無くしてウマを語ることも難しい。】

以上「■青いナムジル/研究者からのご指摘」より
review0002.html#review20020604173308


研究者の方>Wrote 2

>モンゴルの風も、ウマも、体全部で感じたことの無い方に、
>「すばらしいウマ」とか「うつくしい・・」とか言われることに、
>不可解なものを感じます。

>なんか、なんくせをつけてるだけみたいに思われるのは不本意ですが・・・・

(中略)

>私は徹底的に現地主義です。フィールドワーカーですから。
>あくまでもその立場から、いわせていただいております。(中略)
>現地の人とウマと、空と風、雲、水、太陽などに身をさらして頂きたいと思います。

>まずは、そこから始まると思います。
>馬に乗って突っ走るときの、胸の高鳴り、丘に登って遠くを見渡したときの喜び、
>牧民たちの、ナムジルの日々の感動を共有しようと言う努力無くして、
>彼を語ってほしくありません。

以上「■青いナムジル/研究者からのご指摘2」より
review0002.html#review20020605032545


僕は、「研究者の方>Wrote 2」の最初記した3行には共感を示しつつも、実は「研究者の方>Wrote 1」のところに疑問を抱いていました。調べてみないで、疑問点を指摘もできないので、調査に少し時間がかかってしまいました。

僕の疑問点は、「ウマは人の手のついたものを口にしない。それはたとえ主人からであってもだ。家畜とはいえ食事という生きる根幹を、人間に依存しないというのが孤高たるウマの本分でもある。」という点です。
僕にとっては30年も昔のことだったので、僕は草を手にして馬を呼び寄せたことを憶えているのですが、それを馬が食べたか食べなかったか、という記憶に確信が持てませんでした。
それで、乗馬クラブのほうに「ウマは人の手のついたものを口にしない。それはたとえ主人からであってもだ。」についてメールで問い合わせてみました。すると回答は以下の通りでした。

>馬だって人の手から餌をたべますよ。
>ただ、食べないように調教している場合もあるので、
>そんな馬は食べないでしょうね。
>でも普通の馬は食べます。

*******************************************
中札内村東戸蔦東5線168−20
tel&fax 0155-67-2416
中札内ライディングクラブ
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/za2/madoka/riding
********************************************
(回答いただいた乗馬クラブに感謝の意を込めて、PRのためにアドレスです。回答いただいたかたの個人名とメールアドレズは伏せさせていただきました。中札内は帯広に隣接し、六花亭の「坂本直行美術館」のあるところです。)


研究者の方は、ウマ全般について書かれたように思われるのですが、百歩譲って、乗馬クラブの馬は飼い慣らされたため、としましょう。しかし「ナムジル」と「ジョノン・ハル」の関係つまり「至福の人と馬の関係」を僕たちのまわりから探るのに乗馬クラブに求めるのは決して不適切な選択ではないと思います。僕の30年前の記憶は乗馬クラブではなく、日高の広い牧場です。そこでも馬は初見である僕が手にした草に呼び寄せられました。五百歩譲って、研究者の方は野生のウマについて述べられたとしましょう。野生であれば、ヒツジ、ヤギ、ウシだって、イヌだって人の手から人の手から食することはありません。ただし「ナムジル」に登場する「ジョノン・ハル」は野生の馬ではありません。

研究者の方は
>私は徹底的に現地主義です。フィールドワーカーですから。
>あくまでもその立場から、いわせていただいております。(中略)
>現地の人とウマと、空と風、雲、水、太陽などに身をさらして頂きたいと思います。
>まずは、そこから始まると思います。
>馬に乗って突っ走るときの、胸の高鳴り、丘に登って遠くを見渡したときの喜び、
>牧民たちの、ナムジルの日々の感動を共有しようと言う努力無くして、
>彼を語ってほしくありません。
と述べられていますが、このように高いところからご発言されるほどご自身はほんとうに「現地の人とウマと、(中略)身をさらし」たのでしょうか? 「馬に乗って突っ走るときの、胸の高鳴り、丘に登って遠くを見渡したときの喜び、牧民たちの、ナムジルの日々の感動を共有しようと言う努力無くして、彼を語ってほしくありません。」と延べられていますが、ご自身「馬に乗って突っ走るときの、胸の高鳴り、丘に登って遠くを見渡した」りされたのでしょうか?

僕は写真を撮る者です。ですからフィールドワークから全てがはじまります。研究者の方は「私は徹底的に現地主義です」と述べられていますが、僕には疑問が残ります。
「馬が人の手から食するか、どうか」の一点を持って、研究者の方の揚げ足をとろうとしているつもりはありません。そのような決定的な一点によって、研究者であられ、「徹底的に現地主義」として、他者より高いところからご発言されるそのお心やご発言全体に疑問を感じてしまうのです。

http://www01.u-page.so-net.ne.jp/za2/madoka/riding

リト  ちょっとした補足 2002年06月16日(日)09時18分53秒 http://rito.2.hotspace.jp/
伊福部宗夫「沙流アイヌの熊祭り」 へのコメント

木部与巴仁著『伊福部昭 音楽家の誕生』(オンデマンド版)P309で知ったこと。

伊福部宗夫さんの奥様、ナミさんは女学生時代から音楽を志望。しかし様々な事情でその道を断念。買った素晴らしいピアノも埃をかぶったまま。

そのピアノを買い取ったのが伊福部昭。今から60年ほど前のお話。

『シンフォニア・タプカーラ』も『リトミカ・オスティナータ』も『ラヴダ・コンチェルタータ』も映画音楽『ゴジラ』『原爆の子』『真昼の暗黒』その他…。

宗夫夫人、伊福部ナミさんのピアノから生まれたのですね。

寮美千子  伊福部宗夫「沙流アイヌの熊祭り」 2002年06月15日(土)19時43分01秒 http://ryomichico.net
6/6伊福部昭『日本狂詩曲』札幌初演 へのコメント

▼伊福部宗夫「沙流アイヌの熊祭り」(1969 みやま書房)
リトさんが紹介してくださった伊福部昭氏のお兄さま伊福部宗夫氏の本、ネット古書店で注文して、きょう届きました。薄い小さなソフトカヴァーの本ですが、このなかには、ぎっしりと大切なものが詰まっていると感じました。

著者の伊福部宗夫氏は民俗学の専門家ではなく、土木工学の教授であったこと。その人が、病を得て二風谷のマンロー邸で療養中、アイヌの人々と交流し、そこで聞いたこと見たことを「このまま消えてしまうのはあまりに惜しい」と書き記した。そういう本であることが「あとがき」に書かれていました。

▼差別なき視線
あの時代にあって、伊福部宗夫氏がアイヌの人々に」向ける目は、限りなくあたたかい。差別的視線など毛頭なく、人間として、古い文化を伝えてきた人々として、大切に思っていたことが、ひしひしと伝わってきます。だからといって、崇拝してしまうわけではない。崇拝はひとつの逆差別ですが、決してそんなふうではない。同じ地平に立つ。違う文化を伝えてきた人々として、敬意を払っている。

ああ、きっとこの態度は、伊福部昭氏も同じだったのだろうと、そんな気がしました。アイヌの人々の踊りタカプーラを題材にした曲「シンフォニア・タプカーラ」も、アイヌ文化を崇拝してそうしたのではなく、逆に素材として利用したのでもない。人として深く共感して自分の音楽としたのではないか。曲を聴いて、そう感じました。

▼脈々と流れるもの
伊福部宗夫氏の本の記述も、同じ匂いがします。おどろくほど詳細で科学的ですが、それもまた、いわゆる観察者としての学者の目ではない。冷静に観察記述しながらも、目線の位置は彼らと同じ。例えていえば、自分たちの祭りの詳細をひとつ漏らさず書き留めたいと思うような、そんな真剣さを感じます。アイヌ文化とアイヌの人々に、人間として深く共感た伊福部宗夫氏の人柄が偲ばれます。

それにしても、このまっとうさは何だろう? あの時代に、差別の匂いのひとかけらもないのは、どうしてだろう? 伊福部家が培ってきた家風、伝えてきた文化があったのだろうなあと強く感じました。伊福部宗夫「沙流アイヌの熊祭り」のせめてあとがきだけでも、ネット上で再録されたらと思ってしまいました。著作権問題、ありけれど。

▼「ゴジラ」から「熊送り」へ
伊福部昭氏から伊福部宗夫氏へ。自然に流れていったその先にあった「熊送り」。そのアイヌの熊送りを、わたしはいま絵本にしようとしています。不思議な糸の絡まり。何かが生まれるのには、その背後にあるさまざまな見えない力が作用し、そこから湧きあがるよに生まれてくるのかもしれない。わたしはただ「物書き」という職能によって、その一部を担っているのだと、そう感じないではいられません。伊福部昭氏や伊福部宗夫氏のように、きちんと人間としてこの仕事に向き合っていきたいと、襟を正しました。

寮美千子  レス/心に刻みこまれる伊福部音楽の変拍子 2002年06月15日(土)19時36分56秒 http://ryomichico.net
伊福部昭論と北海道論、その断章 へのコメント

▼リトさま
ありがとう。熱い心がまっすぐに伝わってくる文章に、わたしの心も震えました。ある芸術家に入れこむと、時として過剰なる崇拝者になりがちですが、リトさんは、そういうのとは全然違う。もっとまっすぐですがすがしい。だから、読んでいても感動して、こちらの胸に迫ってきます。今回が最終回というのは、とても残念。この話題に限らず、どんどんいろんなこと書いてください。お待ちしてます。

▼勇崎さま
固有名詞が苦手なわたしの足りないところをすっかり補っていただくような投稿、感謝しています。「変拍子」と「過激な早打ちのリズム」については、わたしも心のなかでずっと引っかかっていて、そのことも書きたかったのですが、整理がつきませんでした。勇崎さんが引用なさったこの部分を読んで、なるほどと胸の仕えが降りました。でも、まだ何かが腑に落ちない。リズムのこと、もう少し気持ちの中に抱え続け、考え続けたいと思っています。
土着的、土俗的な美意識と、現代文明、科学文明のイメージ。両者は、一見、相対立するとも思われる。が、実は両者は、狂おしいまでに粗暴になりうるとの一点のみでは鮮やかに結ばれうるのだ。伊福部はここに注目し、日本的、アジア的に雄頸な旋律美に、第2次大戦を巻き起こすまでに至った科学文明の凶暴なヴァイタリティを象徴する、メカニックな変拍子や不気味なポリリズムや暴力的トーン・クラスターを結びつけ、『協奏風交響曲』(註:『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』)を書き上げたのである。
        >片山杜秀氏「血液と風土:伊福部昭、その創作史の瞥見」より
▼silicaさま
カフェルナで伊福部玲さんの作陶展について書いてくださってありがとう。不思議なつながりから、ほどけていく過去の記憶。こんなことでもなければ、もう語られることもなく消えていったはずのものが、こうやって立ち上がってくるなんて、なんてすばらしいことかと思いました。そのすてきなものを、分けてくださってほんとうにありがとう。

勇崎哲史  伊福部昭論と北海道論、その断章 2002年06月15日(土)03時39分09秒
▼Review Lunatique:「遠TONE音」と伊福部昭/ふたつの北海道音楽 へのコメント

「富良野や美瑛の風景と西新宿の高層ビルが林立する風景は僕には同じに見える。どちらも森を根こそぎ切り開き、一方は作物という有機物を、他方はコンクリートという無機物を一面に変換した。有機物だから、これは自然、無機物だからこれは反自然などと思うのは間違いで、どちらも反自然に過ぎない。むしろ、農薬という毒物で大地を汚染している風景こそ、僕には怖く感じる」。
「北海道を広大な大地とか、大陸的とか感じるなんて、ちゃんちゃらおかしいよ。キミは地球儀や世界地図をみたことあるの? 僕の持ってる地球儀の北海道なんて、鼻くそ丸めてポンとつけた位の土地だぜ。そう、島国なんだよ。北海道は島国なんだってところにたたないと、ほんとうの僕たちの北海道は築かれていかないと僕は思うんだ。サハラ砂漠とか、グランドキャニオンとか、そういうものと比べて、広大とかを考えないと、北海道の奴は世界に通用しっこない、甘ったれた奴しか育たないと思うんだ」。

1971年から73年、沖縄でモラトリアムを過ごし、帰郷した僕は即座にこんなことを言い続けて、周囲のみなさんのヒンシュクを買い続けながら北海道で暮らしています。

伊福部昭少年がアイヌの人たちの音楽(踊りと歌とが分離していない世界)に眼を丸くして、耳をそばだてた時代には、もちろん「ワールド・ミュージック」なんてジャンルなんてないし、アイヌの人たちの音楽なんて、「遅れた、価値のないもの」とみなされていました。しかし、伊福部少年は、そこにインスパイアされ、作曲家を志し、動機つけをしてくれたアイヌの人々とそれを体験させてくれた音更(おとふけ)という土地へ、ある意味完成された返礼として、あの「シンフォニア・タプカーラ」があるのだと思います。

日本初演まで45年(1980年)、その曲が創られた札幌の地での初演まで67年(2002年)かかった「日本狂詩曲」の海外での初演は1936年(ボストン)。1939年に指揮者・小船幸次郎がヨーロッパ・ツアーを行い「日本狂詩曲」を各所で演奏しました。そのラジオ放送を聞いたシベリウスが「日本狂詩曲」に感涙し、小船幸次郎氏を捜して電話をしてきた、というエピソードもあります。
寮さんが記されたように、この「日本狂詩曲」は1935年チェレプニン賞に応募し、みごと第1位を受賞しますが、そこに至るまでに、とんでもない事実があります。応募事務局を担った日本の音楽評論家や作曲家たちが、イフクベアキラというド田舎の馬の骨が応募してきたものは、祭囃子や日本の民謡のような旋律をつらねただけの「国辱的な音楽」だといって、「これは、応募からはずし、向こうには送らないことにしよう」とされたそうです。ところが「いやいや、これはこれで面白いところもあるし、我々は審査員じゃなんだから、応募してきたものを送らないというのはいかがなものか」と発言した人がいて、間一髪、闇に葬られるのをまぬがれました。

伊福部がなぜ日本で冷遇されてきたのか、を語ると一大論文のための字数を必要とするので、ここでは起因の一例だけに書きとどめますが、それは「教育」というものの弊害でしかありません。
日本の楽壇で発言力や影響力を持つ人は、「日本で高度といわれる音楽教育を受けた人、さらには、その完成をめざしての欧州留学をした人」ということになります。その教育とはドイツ、ウィーンを音楽の至上とする価値観です。そのような教育を受ければ受けるほど、その価値観の対極にある伊福部の音楽は無視と否定の対象にしかならないのです。

寮さんが指摘されるようにイエローマジックオーケストラや遠tone音を伊福部と比較するのは気の毒だと思いますが、観念的な東洋を売りにするYMOと観念的な北海道に依拠する遠tone音と伊福部の音楽の違い=伊福部がなぜ日本で冷遇され、無視されてきたのかの2つめの理由について、音楽評論家の片山杜秀氏が小論考「血液と風土:伊福部昭、その創作史の瞥見(べっけん)」から、その一部を引用します。

「土着的、土俗的な美意識と、現代文明、科学文明のイメージ。両者は、一見、相対立するとも思われる。が、実は両者は、狂おしいまでに粗暴になりうるとの一点のみでは鮮やかに結ばれうるのだ。伊福部はここに注目し、日本的、アジア的に雄頸な旋律美に、第2次大戦を巻き起こすまでに至った科学文明の凶暴なヴァイタリティを象徴する、メカニックな変拍子や不気味なポリリズムや暴力的トーン・クラスターを結びつけ、『協奏風交響曲』(註:『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』)を書き上げたのである。結果、この作品は、1940年代までの日本のオーケストラ音楽で、突出して過激な楽曲となった。
 が、伊福部は、こんなモダニズムへの興味をたちまち失い、現代文明、科学文明を土俗的美意識の破壊者として糾弾するようになる。その転機となったのは『交響譚詩』(1943年)だ。この曲で伊福部は、北アジアの土俗感覚をひたすらノスタルジックに歌い上げ、そこには現代文明礼賛の志向はもはやない。そして、この『交響譚詩』の路線上に、戦後の伊福部の音楽はほぼ築かれてゆく。この路線転換とその継続には、戦争の悲惨な経過への絶望感や、科学者だった兄、伊福部勲の放射線障害による死、あるいはやはり科学者でもあった伊福部昭自身の、これまた放射線障害による闘病体験が、大きな影を落としていよう。(※因みに伊福部が見限った『協奏風交響曲』のコンセプトを戦後に継承したのは、伊福部の弟子の黛敏郎だったと、筆者は考える。)
 とにかく伊福部は、このような紆余曲折の末、アジアのノスタルジックなうたごえの擁護者としての立場にしっかり腰を据え、戦後作曲界のモダニズム的諸潮流−たとえば、観念的にとらえられたアジアの精神を、前衛的な音楽技法で表現することに活路を見いだそうとした、かつての盟友、早坂文雄や、その後継者の武満徹、湯浅譲二らの音楽−と、鋭く対立していったのである。」(コピーライトby片山杜秀)

観念的にとらえられたアジアの精神を、前衛的な音楽技法で表現することに活路を見いだそうとしたYMO、と置き換えれば、寮さんが指摘されようとしたことと繋がっていくと思います。

また、遠tone音への指摘については、ニューウエーヴバンド・元ヒカシューの井上誠氏が木部与巴仁氏、小林淳史氏との鼎談で発言されたその一部を引用してみます。

「僕は、最初は強く感じましたよ。ロックに夢中だった10代の頃っていうのは、それだけ日本的なものから遠ざかっていたわけだから。だけど本当は、僕だって赤ん坊のときはやっぱり“ねんねんころりよ”があったし、小学生の時も、夏祭りのお囃子が聞こえてくるともう興奮して、一日じゅう山車にくっついて歩いちゃその太鼓と笛に全身で反応してたんですよ。思春期になって、どんなにロックに浸っていても、血は憶えているわけだから。その内アメリカンドリームが崩れだして、次第にインドや東南アジアの民族音楽なんかをレコード店で見かけるようになる。そして津軽三味線や鬼太鼓なんかがロック・ファンの間でも話題になったりしてくるんです。すごく遠回りして、イギリスのビートルズ発アメリカのヒッピー経由でインド、バリ、佐渡あたりを巡ったあげくやっと自分の町の祭り囃子に再会したぞと。ちょうどそんな頃、あの山田一雄さん指揮の『日本狂詩曲』を生で聴いたわけで、これは凄かった。やっぱり生ですよ。以前にレコードでは聴いていたんだけれどもう全然違った。体に入ってくる音の速度が全然違う。目の前で叩かれる沢山の打楽器のリズムがマイクなんかで増幅されるんじゃなくて直接飛び込んでくる。それがとんでもなく迫力があって、もうどんなに大音量で増幅されたロックコンサートでもあの迫力、あのスピード感には太刀打ちできない。これだけは残念だけどレコードじゃ伝わらないですよ。もともと僕らが幼かった頃に生活の中で耳にしていた日本の音楽はいつも生だったでしょ。祭り囃子とか子守歌とか。でもそれがいつのまにかラジオの邦楽番組なんかに代わっていって、音楽の授業で教養としてレコードで聴かされたりしたら、もうベートーベンなんかよりも遠くに行っちゃう。それが『日本狂詩曲』を生で聴いたときには、文化とか教養とかもうぶっとんじゃって、全身の血がね、喜んじゃうんですよ。このショックは凄かった。しばらくロック演るのがやんなっちゃったくらい。」

僕が伝えたいのは井上氏が「すごく遠回りして、イギリスのビートルズ発アメリカのヒッピー経由でインド、バリ、佐渡あたりを巡ったあげくやっと自分の町の祭り囃子に再会したぞ。」と発言された部分ですが、遠tone音の音楽(僕はMARIKOさんがプロデュースされたCDしか聞いていないのですが)は、北海道を出発して、ようやく地球の裏側の南米アンデスあたりにたどりついたように思います。井上氏のように「自分の町の祭り囃子に再会したぞ。」には、もう少しなのか、あるいは錯覚したままこのままいくのか、、、(そこに気づかずに錯覚したままの方が、日本で暮らすには幸せかもしれないけど)。
ただ、僕は遠tone音に期待したいし、MARIKOさんが山梨県立科学館の仕事の件で彼らを起用されたのは正しい、と思っています。

それにしても、寮さん。あなたはどうして伊福部昭の世界を、その音楽とのわずか数ヶ月の出会いのなかで、かくも鋭く見抜かれるのでしょう。それから、透徹した北海道論も。
あなたの感性には、全く、全く脱帽です。

長い記述になったので、このまま推敲もせず、投稿します。推敲よりも睡眠の方が(睡敲VS推眠、、はて、、)、この瞬間の僕には重要。誤字・脱字・てにをは・変な論旨がありましたら本意ではございません。各位様ご高配下さいますよう。
おやすみなさい。

リト  6/6報告・最終回〜伊福部昭『管絃楽 日本の太鼓<ジャコモコ・ジャンコ>』札幌初演 2002年06月15日(土)02時07分31秒 http://rito.2.hotspace.jp/

演奏会の後、勇崎さんの御家族、伊福部達教授、音更の方、苫小牧で伊福部『管絃楽法』片手に作曲活動を今もされている中古車屋さん、木部与巴仁さん、映画作家・吉雄さん、その他数人のみなさんと懇親会をもちました。場所は札幌市中央区の「サッポロファクトリー」の近くにあるイタリアレストラン。そこは「勇崎恒次郎商店」の元倉庫でありました。帰りがけに今も残る「勇崎恒次郎商店」の看板を見つけて体が震えるのをおさえられませんでした。2000年12月12日伊福部昭夫人・アイさん逝去。アイさんこそ戦前、札幌で絶大な人気を誇った舞踊家・勇崎愛子その人です。「勇崎恒次郎商店」は彼女の実家でありました。

終戦直後、映画と並ぶ娯楽には創作バレエがあった。まだまだ語り尽くされていない事実です。1年に100回以上も上演されていたこともある。その創作バレエ音楽を最も書いた人物こそ伊福部昭その人でありました。彼がバレエ音楽を書くきっかけとなった『イゴザイダー』(47年・江口隆哉振り付け)。江口の弟子が勇崎愛子であったことが始まりです。1951年、同じく江口隆哉と妻・宮操子振り付けによる『日本の太鼓「鹿踊り」』、音楽・伊福部昭。84年に純音楽として改訂され発表されたのが今回、北海道初演となった『日本の太鼓<ジャコモコ・ジャンコ>』。勇崎愛子が舞った札幌で舞踊音楽が鳴り響きました。

江口と伊福部は岩手県江刺郡の鶴羽衣で「鹿踊り」という伝統舞踊を体感。大きな感動を受けます。そのインパクトをもとに(ここが重要なのですが)「鹿踊り」をそのまま素材にするのではなく、あくまで自分たちのオリジナル・バレエとして創作しました。

今回の札幌初演は(純音楽化されてからの)ベストといってもいい演奏かもしれません。91年の伊福部昭本人指揮演奏は別格として。ゴツゴツした、でも流れるような、まさにバレエ音楽。指揮・小松一彦に感嘆しました。伊福部指揮演奏を聴き慣れた身にとっては「上品な」演奏かもしれません。しかし「舞う」ということを第一に意識された演奏ではなかったのか。5/19米寿記念コンサートで石井眞木作品で実際に踊りがありましたが、私は踊りを実際にこの曲に乗せて見たかった。

踊り…。音更でアイヌ民族の踊りを体感し、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』で作曲に目覚め、札幌に来た日本舞踊会の最高峰・石井漠(石井眞木の父。後に伊福部とコンビを組む)を夢中で見に行った。そして札幌という限定された地域ながら「おっかけ」まであったという当時のアイドル(?)勇崎愛子からの影響…。『日本狂詩曲』とはまた違う意味で、札幌で演奏されたことに深い感慨を覚えました。今回の演奏は絶対にCD化すべきです(『日本の太鼓〜』自体が音源廃盤のため聞き難い状況にある)。

最後に。私が(ずいぶんしつこく書いてきましたが)生まれてはじめて行った演奏会は84年札幌の『伊福部昭の世界』(構成・勇崎哲史氏)でした。伊福部氏が不在で残念だったのを根本から変えたのは会場にいらっしゃった伊福部アイさんの存在でした。演奏終了後、花束が彼女に渡され、実にいい笑顔で応えられました。あの笑顔の素晴らしいことといったら!昨日のことのように目に焼き付いています。一生のほんの短い時間でありましたが伊福部アイ=勇崎愛子さんの姿を生で見られたこと。永遠の財産です。

ということで6/6『伊福部昭と山下洋輔の世界』レポートはここまで。寮さん、暖かいメールありがとうございました。また素晴らしい伊福部論、涙ものです。どうかもっともっと書いてください。お願いします。私も書きます。さ〜て、でも年内、もっとすごいイベント(?)が待っています。また書かせてくださいませね。

「鹿(しし)踊り」見たいなぁ。

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