寮美千子の意見発表の場です。ご意見ご感想はCafe LunatiqueまたはCafe Lumiereへ。
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Wed, 05 Jun 2002 03:25:45
こんにちは。ざっとですが、目を通しました。きちんと読まないと、いけないとはおもいつつ、先にお伺いしておきたいことがありまして、メールを出しました。<引用終わり>
この話の原典はどのフフーナムジルなのでしょうか?中身を非常にふくらまし、モンゴル文化全般に関わるような内容で、作ろうとされているのは、わかるのですが、それゆえに、原典が気になります。
内モンゴルの人は別にして、ハルハの人は、「ナムジル」「ジョノンハル」と言えば、特別なタームとして捉えます。ピンと来るわけです。「ジョノンハル」は馬頭琴弾きの数だけ存在し、それらを聞かせあう特別な音楽祭が開かれるくらいなのです。近年、モンゴルと日本との行き来が盛んになる中で、モンゴルを日本で検索する人も多いわけです。そこでヒットするものになろうという今回の絵本は、モンゴル人からすれば、オリジナルとの違いとかが非常に気になるところだと思います。
なぜ、モンゴル国の研究者や演奏家から、「ナムジル」「ジョノンハル」の話を聞かないのでしょうか?誰でもいいわけではありません。物知りのハルハの人を、しかも出来れば老人で牧民とか、ウマを愛し続けた人、物語を知る人から取材をなぜされないのですか?
「いないから」では理由にならないと思います。私が、「モンゴル人にとってとても大切なもの」というのはそういうことです。
いくつかの原典(といっても、いくつかのパターンで収録されたものということになりますが)にあたり、それらのエッセンスをまとめたものなのか、寮さんの創作という部分を表に出してくるのか?後者だという話であるならば、場合によってはナムジルという名前やジョノンハルという名前を使うかどうかということも、考え直す必要も出てくるのではないか?とも思えます。なぜなら、この二つの単語は、一定のイメージをすでに持っている「ターム」だからです。モンゴル人のために作るものではないにせよ、それを読んだ日本人は、ほぼ間違いなく寮さんのナムジルをモンゴルに持っていくようになります。そして、「あれー話がちがうのね」となるわけです。今でも多くの日本人は、モンゴルに行って「スーホの白い馬」のことばかりいいます。ハルハの人は、ぜんぜん知らない話です。とても不愉快な想いをする人もいます。
文字化すると言うことは、意図しようがしまいが、一つの形になにかをはめてしまいます。それを外国人であるわれわれがやろうというのですから、かなり気を遣う作業だと思います。
そんなことは重々承知かと思いますが、原典がなにか、それの考証をするにあたり、あたるべき人々から十分に話を聞いたか?という点がどうも気になって仕方在りません。
私の恩人は、生前「馬に乗ると言うことは草原を知ると言うことだ」と言いました。草原を知ると言うことは、草原に住むと言うことです。今の寮さんのナムジルからは、そういう彼らの深い土地への愛情とそれに連なる愛馬ということが、表面的な部分でしか感じられません。もしかすると、それは、私が「寮さんはモンゴルに行っていない」と思っているから感じているのかも知れません。
子供向けにわかりやすくということを考えれば修辞に凝ることもままならないこととも判るのですが・・・
モンゴルの風も、ウマも、体全部で感じたことの無い方に、「すばらしいウマ」とか「うつくしい・・」とか言われることに、不可解なものを感じます。
なんか、なんくせをつけてるだけみたいに思われるのは不本意ですが・・・・
たとえば学生が、モンゴルに行かずに牧民生活について文学作品を書いたとしたら、やはり、「偽物」と「感じ」ます。まして、論文なんて書かれても、あきれるだけです。写真をみて、それを「絵」にされても、面白くない。嵯峨治彦氏は、モンゴルに行かずに馬頭琴をひたすらに勉強しました。独学とはいえ、モンゴル人が近くに来たとしるや、出向いて教えを請いながら、モンゴルへのあこがれや想いを抱きながら、「嵯峨の馬頭琴」を作り上げました。その想いが、彼とモンゴルを近付け、人を感動させるものになったのだと思っています。並々ならぬ時間が費やされています。
モンゴルのことで何かをしようとされるのでしたら、やはり、まずはモンゴルの大地に立っていただきたいです。そうして、寮さんのモンゴルというのを堂々と、感じたままを表現していただくのであれば、私ごときがアドバイスなどをするまでもない作品となると思います。
私は徹底的に現地主義です。フィールドワーカーですから。あくまでもその立場から、いわせていただいております。モンゴル人が、特別な意味を持って感じ取る「ナムジル」「ジョノンハル」を扱うのであれば、結果、文体等に変わりが無かったとしても、現地の人とウマと、空と風、雲、水、太陽などに身をさらして頂きたいと思います。
まずは、そこから始まると思います。
馬に乗って突っ走るときの、胸の高鳴り、丘に登って遠くを見渡したときの喜び、牧民たちの、ナムジルの日々の感動を共有しようと言う努力無くして、彼を語ってほしくありません。
だんだん、自分が勢いづいてくるのがわかるので、とりあえず、このへんにしておきます。
Tue, 04 Jun 2002 17:39:36
Tue, 04 Jun 2002 17:33:08
【フフーナムジルの原語の意味は、「カッコウ ナムジル」になる。カッコウのように美しい歌声を持つナムジルということである。】■1
【口笛は狼を喜ばすという言い方が地方にはある。「歌を歌うと自然が喜ぶ」という言葉がある。従って、馬に乗って移動するときには歌を歌うのが良いと言われる。ただし、これは地域によって違いがあるかもしれない。】空を、雲がゆっくりと流れていきます。
【遊牧中の日陰は、人にも、家畜にも良いものと理解されることが多い。むろん、ここでナムジルが何を願って雲を追いやるのかによって解釈は変えることは可能。】■3
【ヒツジを追いながら移動するというモチーフであるが、これは季節移動中のことだろうか?日常の遊牧において、ヒツジとともに寝るというのは、ナンセンス。一日の放牧サイクルから考えると、家に戻ってくるのが当然。ただし、夏場、ゴビ地方などでは、水やりや塩をなめさせるためにつれていくことがある。この場合は野宿になることが多い。】なにもさえぎるもののない草原。
【物語の中での設定ということで・・・。原作とは全く逆。】■4
【ナムジルが歌が上手いことはとても有名であったため、最初から兵役というよりも、歌手の扱いで、軍の仕事をさせなかったという。まぁ、創作の設定と言うことで。】■5
【創作にしては・・・。モンゴル人であれば、見たことは無くとも、仔に乳をやらないラクダに馬頭琴を聞かせてやると、涙を流して乳をやるようになるということは知っている。これを、上官の示す提言としては・・・楽すぎ。まぁ、当時、まだ馬頭琴が無い時代だと仮定して一つのイベントということなら。。。しかし、牧民たちは馬頭琴を使わずともラクダをなだめる方法を知っているはず。知らないと言うのは、牧民ではない。】ナムジルは、駱駝に寄りそうと、低い声で、そっと歌いはじめました。
【日々、かまどに火をおこすのは母親の仕事。父親は、この母親をはじめ家族と家畜を守るのが仕事。】「よし、ナムジル。おまえはどんな仕事がしたい」
【細かなことだが、鍋でお茶を沸かすのが普通であり、ヤカンをつかうことはない。鍋でお茶をいれて、ヤカンに移す。従って、「シュンシュン」は現実的とは言えない。】
【絵がどのようになるかと関係があるが、一時的な住まいだとしても、テントよりもゲルの方が現実的。テントにするか、ゲルにするかは難しいところ。3年間の兵役だという記述からすればゲルと考えるのが妥当だと思われる。】やがて、いくつかの春が過ぎ、新しい春がめぐってきました。
【一晩で往復できたというのが、原文。毎晩ナムジルは西の娘の所へでかけ、帰ってくる途中で、自分の馬群たちを集めて家に戻る。原文ではウマを夜に放牧に出して、朝、家の付近に集めてくるという実際のウマの放牧サイクルに合った話になっている。】それからというもの、ふたりはたびたび会うようになりました。
【羊飼いとしての腕前なんていうのは、オトコにとってはなんの勲章にもならない。良いウマを持つことがオトコの夢。ウマを飼う意味にステイタスシンボルという要素は非常に大きい。】■15
【日本の子供向けと言うことなので、「村」という表現は仕方ないのだろうが、モンゴル草原に住む牧民たちが、「村」に住んでいるという間違った先入観を助長するとも考えられる。】
【ジョノンハルは、一晩に東西を往復しても大丈夫なくらいタフなウマである。それが疲れ切って翼をたたまずと言うのもどうか。。。また、原文では、ナムジルが近づいてきたのと勘違いして翼を出してしまったとある。これは、主人とウマがそれほどまでに信頼関係を作ると言うことを伝えようとしている。】■16
【また、手桶から水をウマにやるということは、まずありえない。ウマは人の手のついたものを口にしない。それはたとえ主人からであってもだ。家畜とはいえ食事という生きる根幹を、人間に依存しないというのが孤高たるウマの本分でもある。ヒツジ、ヤギ、ウシのような家畜たちは人間の手からでも食物を得る。しかし、ウマはまずそのようなことはしない。人もそのようにウマを扱わない。ウマをペットのようには決して扱わない。しかし、とても大切にする。この大切にするということが、理解するのは難しいかも知れない。しかし、これを無くしてウマを語ることも難しい。】
【モンゴルでは流れ星は死を連想させるモチーフ。すなわち、この記述は沢山の命を蹴散らしてという意味になる。】馬は、ナムジルの腕のなかで息絶えました。
【モンゴルでは人は死ぬと天に帰る。土に戻るのは死のイメージではない。】■19
【この部分は、起源説話を逆にしている。】
Sun, 02 Jun 2002 17:29:52
Sun, 02 Jun 2002 17:14:36
Sat, 01 Jun 2002 04:28:25
父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。「遺書なんか、食堂に貼るかな?」と、その人は電話の向こうでつぶやくように言った。
巌兄、姉上様、しめそし、南ばん漬け美味しゆうございました。喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。モンゴいか美味しゆうございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。
Fri, 24 May 2002 01:50:54
Wed, 22 May 2002 17:30:33
Mon, 06 May 2002 14:57:05
Mon, 06 May 2002 14:44:00