ハルモニア Review Lunatique/寮美千子の意見

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■サンジョルディの日記念講演 帯広/レジュメ

Mon, 06 May 2002 14:38:13

2002年4月19日 サンジョルディの日記念講演 帯広/レジュメ

▼『父は空 母は大地』朗読ライブ with 明石隼汰

『父は空 母は大地』解説

1854年 アメリカ第14代大統領フランクリン・ピアスは
      先住民の土地を二束三文で買収。
      居留地を与えると提案。
1855年 戦いが無益であると悟った先住民の首長シアトルはこの条件を呑む。
      その時に大統領にあててスピーチをする。
1931年 地方紙「ワシントン・ヒストリカル・クウォーター」に
      このスピーチの英訳が掲載される。

▼語り継がれ、多くのヴァージョンが誕生

その後、手書きのコピーなどを通じて「語り継がれ」
さまざまな言葉がつけ加えられたり削られた。
多くのヴァージョン。
ワシントン州の図書館には、50を越す異なったヴァージョンが存在。
『父は空 母は大地』は、「大地とのつながり」を唱った部分を抜粋して制作。

声→活字→声 に戻ったシアトル首長の言葉。

▼朗読の復権

『声に出して読みたい日本語』がベストセラー。
子どもへの絵本の読み聞かせの奨励。

四半世紀前、ジャズ奏者と詩人による「音楽&朗読」が数多くあったが、衰退。
しかし、谷川俊太郎などの「詩のボクシング」の催しが注目され、
短歌の歌人たちも「マラソン・リーディング」を主催。
また、「ポエトリー・リーディング」のオープン・マイクが大流行。

「朗読=活字を声に出して読む」ことが復権。
なぜか?

▼ヴァーチャルな世界での飢餓感

インターネットでのメールや掲示板。
ヴァーチャルなコミュニケーション。
携帯電話も「肉声」ではない電気音。
そこでは得られない「リアル」な肉声への飢餓感。

▼言葉は元来「音」として訪れた

考えてみれば、だれにとっても言葉は、はじめ「音」として訪れる。
「はじめて聴いた音楽は、かあさんの鼓動だった」
言葉は、意味よりも先にまず、音楽であったはず。
まだ見ぬ場所からやってくる、世界のざわめきだったはずです。

耳から聞く言葉が、心地よいのは当然のこと。
なつかしさと安らぎをもたらしてくれる。

だから「語り」は、そこにある「物語」以上のものを伝えてくれる。
言葉が意味になる前の、豊かな世界のざわめきさえ伝えてくれる。
そして、語る人のさまざまな人生すら伝えてくれる。
声になった物語の豊かさよ!

▼文字の台頭

言葉はもともと「声」だった。
万葉仮名も「読みあげられる歌」を定着させるための工夫。
文字は、本来二次的なものだったはず。

文字の特性。
伝達力の強さ、記録性。
それが「支配」には好都合。
そして、心というやわらかいものを扱う「文学」の世界まで、
文字が支配するようになった。
「活字」で書かれたものが「権威」を持つようになってしまった。

▼「活字」はほんとうに偉いのか? 活字の結晶化作用

活字は、単に「強い」だけの傍若無人な存在ではない。
「ゆっくり考えられる」「時間を降り積もらせることができる」
というすばらしい特性をもっている。
口から出た思いつきの言葉を、熟慮し、推敲し、無駄を省いて、
結晶化する力がある。

▼結晶を読む

つまり、活字になった言葉を声にする、ということは
結晶化した無駄のない美しい言葉を声にするということ。
普段のおしゃべりとは違う、磨かれた言葉を聴くことができる。

▼「語り」の力

しかし、結晶化作用があるのは文字だけではない。
「語り=口承文芸」は、
人々の口から口へと語り継ぐことによって言葉を磨いてきた。

文字による結晶化作用は、一個人の力。
語りの結晶化作用は、長い時間のなかでの、無数の人々の力の積み重ね。

それは、固定された「結晶」というより、
むしろ「花」のようなもの。
生きていて、語られるたびに、そこに花開く。
花の種が、どこに落ちて、どこで芽生えるかで、
咲く花も、ひとつひとつ微妙に違ってくる。
その大地の地味、光の当たり方、気温。

言葉を磨くのは、語る人だけではない。
聞く人も、また言葉を磨く因子になる。
どこで笑うか、どこでつまらなそうな顔をするか。
語る人は、みんなが喜ぶところを長く、
退屈するところを短く切りあげようとする。

そんな反応のひとつひとつが積み重ねられ、洗練された語りの文化が生まれる。

▼なぜ、文字がなかったのか

アイヌ文化は、文字を持たなかった。
アメリカ先住民も、文字を持っていなかった。
遠く、縄文の人々も、文字は持たなかった。
それは「遅れていた」からだろうか?

違うのではないか。
「文字」によって広く人々を支配するような侵略的な世界の在り方とは違う、
別の世界を求めていたからではないか。

支配し、支配されるのではなく、共に生きる世界。
奪い合うのではなく、わかちあう世界。
そんな世界を求めていたからではないか。

そこで生まれた物語を「文字」に固定することは、
生きている物語を「殺して」しまうことに等しいことだったのかもしれない。
だから、文字という方法を拒否して
口から口へ、人から人へ、おばあさんおじいさんから孫へと、
語り継ぐ文化を育んだのではないか。

『おおかみのこがはしってきて』

アイヌの人々に伝わる物語を、再話、絵本に。
声を、活字にした。
きょうは、それを、もう一度声に戻したい。

▼ゲスト/安東ウメ子さん 紹介

思いがけず、すばらしいゲストが!
アイヌの「語り部」安東ウメ子さん。
本末転倒ではありますが、
わたしが『おおかみのこがはしってきて』を、
朗読安東さんにムックリを演奏していただきます。

▼『おおかみのこがはしってきて』朗読 with 安東ウメ子(ムックリ)

▼アイヌ語語り『おおかみのこ』安東ウメ子 with 金子恵(ムックリ)

▼耳を澄ます

目の前で人が語れば、人は自然と語る人の表情にじっと見る。
声にじっと聞き入る。
耳を澄ますこと、それは、語る人に心を澄ますことでもある。

わたしたちは、日常の中、以外と「耳を澄ます」ことがない。
おしゃべりは、あぶくのように消えて行く。
ほんとうに見つめることも、見つめられることもない。

「朗読」や「語り」は、
そんなわたしたちに、耳を澄まし、心を澄ます時間を与えてくれる。

▼カラオケのように朗読しよう

わたしたちは「語り」から遠く離れてしまった。
けれども「朗読」ならできる。
結晶した言葉を、再び声にかえすこと。
それはすばらしい体験。
いつもとは違う、耳を澄まし、心を澄ます時間を与えてくれる。

子どもへの読みきかせだけではなく、
お茶の時間、飲み会などで、気軽に「朗読」しよう!

▼群読『おおかみのこがはしってきて』

▼群読『父は空 母は大地』

▼安東ウメ子&金子恵 演奏

▼最後に with  明石隼汰

(クリスタル・ソング)

いちばん微かな音に
耳を澄ます

降り積もる 雪の音

いちばん小さなものに
目を凝らす

ひとひらの雪の結晶

いちばん近くにあるから
いちばん遠いものに
じっと 心を凝らす

すると 宇宙が聴こえる
きっと 永遠が見える

                    Copyright by Ryo Michico

■「楽園の鳥」完結記念朗読ライブ/坂田明&寮美千子 朗読原稿1「楽園の鳥」抜粋

Mon, 15 Apr 2002 16:54:31

1■夢の大気
 夢を見ていたのかもしれない。夢の大気は水よりも濃く、ねっとりと粘りついて、肌にまつわりついてくる。わたしの動きは緩慢になり、起きている時間と眠っている時間の区別もつかない。
 眠りが浅ければ、覚醒もまた浅い。そのあわいは溶け、夢と現実の境目が不確かになる。
 けれども、ずっとこんなふうだったわけではない。もっと遠い時間、子どものころには、何かが違っていた。すべてはもっと澄んで、はっきりと見えた。
 いつからだろうか、風景がこんなにもひどく歪みはじめたのは。
 少なくともここ数年間、わたしは強い夢のなかに棲んでいる。それが耐えられなくて、夢さえも見ないほど深い眠りにつきたいと、何度願ったことだろう。安定剤と睡眠薬が手放せない日々。それさえも役に立たず、いっそすべての電源を切ってしまいたいと思った。
 よく晴れた美しい日、わたしは十一階のヴェランダから宙釣りになった。片手は完全に虚空に放たれていたのに、もう一方の手は、手すりから放せなかった。
 駈けつけたパトカーが、玩具のように小さく見えた。人々が、あわただしく動いている。それが、音のない映画の一場面のように感じられた。
 わたしは眼を閉じ、顔を空に向け、光を感じながら、残された手の力を抜いた。
 そのとたん、誰かがぐっとわたしの腕をつかんだ。それが警官だったのか、誰だったのか、思いだせない。覚えているのは、空だけだ。まぶしい空の、青。
 あのころに比べれば、わたしは少しだけ癒され、少しだけ目覚めているかもしれない。
 それでもなお、深い夢のなかであることに変わりはない。幾重もの夢の箱。ひとつの箱を開けても、次の箱が待っている。すべては相変わらず夢の文法にゆだねられ、脈絡のない出来事が深い水脈でつながる。
 わたしはどこにいるのだろう。どこへ行こうとしているのだろう。いつから夢を見ていたのだろう。もしかしたら、ずっと夢のなかに棲んでいたのか。生まれた時から、いや生まれる前から。
 だとしたら、その夢はどこから来たのか。目を見開いたこともない胎児の、無垢なはずの脳に浮かびあがる夢の風景は、一体どこの風景なのか。
 円くうずくまる胎児が、淡く光る羊水にぽっかりと浮かんでいる。
 いや、あれは月だ。満月。もう何時間も地平線すれすれにいて、沈みそうで沈まない太陽がようやく沈んだのと入れかわりに、東の水平線から満月が昇った。月が昇ったぶん、世界は沈んでいく。ゆっくりと、希薄な、水の、なかに……。

85■混沌の闇
 はじめてカルカッタに足を踏みいれたあの夏の日、飛行機は最終便だった。空港から一歩外に出ると、濃い闇が広がっていた。タクシーは、なにも見えない闇のなかをひたすら走っていった。どこまでも深い闇の底に降りていく、わたしはそんな錯覚に襲われた。
 時折、道路沿いにともる灯りが、人と牛と山羊と背の低い泥の壁をぼんやりと照らした。それが、闇を一層濃く見せる。墨を流したような闇のなかから渾然とした匂いが滲みだしていた。腐った花の匂いのようにも、牛や山羊の匂いのようにも、そして闇のなかで狂おしいほど旺盛に繁る植物のなまめかしい吐息のようにも思われた。その匂いと得体のしれないねっとりした闇が、毛穴からじわじわと浸みこんでくる。
 街が近づくにつれて道路沿いの灯りが頻繁にともるようになった。わずかな灯りにふと見える人影は意外なほど多く、闇のなかすべてにびっしりと人がうごめいているようにすら感じられた。それは、葉の裏に隙間なくこびりついた虫の卵を連想させた。
 走馬燈のように現われては消える映像は、まるで記憶の深い闇から湧きあがってくる地霊たちの姿のようだ。埋葬したはずの遠い祖先の記憶を無理矢理呼び起こされているようで、わたしはいわれのない不安に襲われた。濃い闇が、それを一層増幅して、吐き気を覚えた。

 翌日、光のなかではすべてがもっとはっきりと見えた。底なしの闇と違って、そこには見えるものしか存在しなかった。
 しっかりと目を見開いて受け止めればいい。見えている、それだけしかない。想像力のなかで増幅された恐怖に比べれば、その方がずっと楽だ。すべては眩しい光のなかに、くっきりと存在していた。栄光も悲惨も、過去も現在も。
 未来だけが見えなかった。

113■手風琴の男
 通りはすでに喧騒に満ちていた。朝の光のなか、それは猥雑というよりも、むしろすがすがしい。
 道端の井戸で人々が体を洗っている。布を腰に巻きつけたまま、石鹸を勢いよく泡立てて体中を洗い、頭から盛大に水を浴びる。水しぶきが、気持ちいいほど派手に飛び散る。
 大きな皮の袋に井戸水を汲んでいる男もいる。袋がみるみる膨らんで、やがてぱんぱんに張りつめ、山羊の形になる。山羊一頭分の皮を縫いあわせてつくった水袋。男がそれを背負うと、たわわに膨らんだ山羊の足が、男の背中で力強く弾ねた。
 昨日、疲れきった灰色の大気のなかで暮れていった街が、いま、生まれ変わったように透明な光のなかにある。闇のなかでうごめいていた者たちが、力にみなぎって目を覚ます。路上で暮らす子どもたちや、足のない物乞いでさえ、輝いて見えるのは、心がもうこの街に順応しはじめているせいだろうか。たったひと晩、街の空気を吸いながら眠っただけだというのに、カルカッタはもう、わたしのなかで呼吸しはじめている。

191■石の祭壇
「ねえ。早く、生贄の山羊を見に行こうよ」
「よし、いよいよ生贄の祭壇だ」
 人波に流されるように街を漂流していたわたしたちは、はっきりとした意志を持って祭壇に向かって歩きはじめた。
 人で埋まった、神具と花を売る小さな店が並ぶ細い通りを抜けると、ふいに中庭のような場所にでた。小さな通りに満ちていた虫の羽音のような喧噪がふっと抜け落ち、ざわめきともどよめきともつかぬ、重い声や深い呼吸が、そこを支配していた。そこに、生贄の祭壇はあった。
 それほど大きな場所ではない。六畳ぐらいの四角く囲まれた場所で、地面から三十センチほど低く掘りさげられた石の床だ。祭壇といえば、地面より高いものと思いこんでいたので、意外だった。
 しかし、理由は考えなくともすぐにわかった。四角い石の床は、すでに一面が血の海だった。祭壇の一方の端には、二股に分かれたしっかりした木の幹が、十字架のように台座から直立している。
 祭壇の血があらかた洗い流されると、三人の男たちがやってきた。ひとりは、大きく重そうな斧を持っている。一頭の山羊が、人に引かれて祭壇に歩み入ってきた。

192■色彩の海
 山羊の首には花輪がかけられ、額には赤い色の粉がつけられている。それだけみれば、なんともかわいらしく飾られた山羊だ。まるで、おとぎ話の主人公のように。
 けれども、山羊は生贄として首をはねられるためにここに連れてこられた。わかっているのかいないのか、山羊は祭壇に入るのを後込みし、頭をさげて、後ろ脚で踏んばる。山羊の口から、鳴き声が洩れる。血の匂いもすれば、突き刺さるような周囲の眼差しも異様だ。山羊だって、それを感じないはずがない。
 祭壇にいた屈強な男が二人がかりで、動こうとしない山羊を強引に祭壇に引きいれる。
 だれもが、次に起こることを息を飲んで見守っている。祭壇のある中庭の空気が張りつめ、急に澱んで重くなる。この中庭から見える空。その空に至るまでの大気がすべて、透明な水になって肩にのしかかってくるような重さだ。
 祭壇の男たちの身体は、不思議な力にみなぎっている。緊張感が身体を内側から輝かせている。斧の刃が光り、隆々とした筋肉が汗で光る。
 二人の男が、祭壇に立てた木のところに山羊を連れてきて、力ずくで押さえこみ、木の股に山羊の首を挟む。しっかりと挟んだのを確認して、二人の男は、一人一本ずつ山羊の後ろ脚を持ち、体重をかけて引っぱった。
 木の股に挟まれて、山羊の首が長く伸びる。山羊の脇で、斧を持った男がきっちりと場所を決めて立つ。どこかで、太鼓の音が夢のように響いた。
 と思ったとたん、男は大きく斧を振りあげた。振りおろされた軌跡が、青い空をよぎる銀の翼のように見えたのは、一瞬の錯覚だろうか。
 斧は正確に振りおろされ、長く伸びた山羊の首を一撃ですっぱりと斬り落とした。
 木の股に引っかかっていた山羊の首は転がり落ち、足を持って引っ張っていた男たちは、そのままもんどり打って後ろに倒れた。
 血を噴水のように噴きあげながら、首のない山羊が宙を舞う。そして、祭壇の柵にぶつかり、鈍い音を立てて床に落ちる。
 首のなしの胴体が大きく波打ち、脚を激しくばたつかせる。そして、ふいに動かなくなった。
 夥しい量の鮮血が石の床にまき散らされ、首からはまだ血が流れつづける。
 なんてきれいな色なんだろう。わたしは茫然としながら、そう思っていた。なんてきれいな色なんだろう。

313■世界の果て
 そこがもう尾根だ。助かった。そう思って、膝に力を入れ、ぐっと身体を持ちあげたとたん、足がすくんだ。
 尾根だと思ったその向こうは、いきなり百メートルも落ちこむ断崖だったのだ。蹴り落とした小石が、吸いこまれていく。途中で石や砂を巻きこみ、谷の底で小さな地滑りになって砂煙をあげる。恐ろしさに足が震え、思わずへたりこんだ。
 目を閉じ、息を深く吸い、気持ちを落ちつける。
 ゆっくりと目を開けた。目の前には信じられない光景が広がっていた。アンナプルナに連なる山々から流れだしてきた氷河が合流してできた、途方もなく巨きな谷。巨きい。それが何であるのか把握できないほど巨きい。
 わたしがいるのは、その巨大な谷の縁だ。小高い丘だと思ったのは、氷河が流れていく時に、巨大な力でめくれあがらせた地面だった。わたしは、幅がわずか五十センチほどの、その縁の上にいるのだった。前は断崖、後ろも急勾配の、とても降りられそうにない坂だ。
 なんてことだろう。ひとりっきりで、どうすればいいのか。縁にまたがるようにしてへたりこんだまま、わたしは茫然と身動きもとれなかった。

314■永遠の青
 誰も、わたしがこんなところにいるなんて知らない。いま死んでも、日本には知らせはいかないだろう。ここはきっと、世界の果て。
 そう思って谷を覗くと、思わず吸いこまれそうになった。重力だけではないその不思議な力に必死で抵抗して、谷底から目を逸らした。
 すると、目の前に広がる風景が見えた。巨大な谷。その谷を囲むようにして山々が高くそびえている。左手背後には、その麓を迂回してきたヒウンチュリ。その隣りに圧倒的な大きさのアンナプルナ南峰。護衛のようにそびえるもう一つの山の奥に、アンナプルナ主峰が白く輝いている。その頂まで、標高差なんと四千メートルの大岩壁がそびえている。そこから、六千メートル、七千メートル級の山々が大屏風のように峰を連ね、ぐるっと頭を回らせれば、右手背後でマチャプチャレが一段と険しい峰を屹立させる。
 山々は、空の、永遠の深さを思わせる青につながっている。この惑星の裸体は、こんなにも美しい。天に通じる山々に囲まれた聖地。それがこの谷だとしたら、わたしはいま、その縁にいる。人の領域と神々の領域の境目に立っている。
 と、突然、肝が潰れるような大轟音が鳴り響いた。大地が割れるような音。音は、誰もいない山の谷のひとつひとつに響きわたり、巨大な谷をどこまでも木霊しながら、ゆっくりと消えていった。
 茫然として谷を眺め、しばらくして、ようやくそれが、氷河の割れた音だと気づいた。
 強い日光に晒されて氷河が融け、崩れて音を出す。南峰から押しだされるように張りだした氷河の先端からは、一筋の水が絶えず流れ落ちていた。
 この水が、川になるのだ。せせらぎを駈けおり、吊り橋の下をくぐり、人々の渇きを癒し、美しい段々畑を隈なく潤し、村から町へ、ポカラからカトゥマンドゥへと流れてゆく。
 豊かな畑、頬を輝かせる人々。ここは確かに、純白の衣を纏った豊穣の女神の座なのだ。
 モディ川は、そのまま平原を南西へと流れ、国境を越えてガンジスになる。ガンジスは支流を集めながら、西ベンガルの肥沃な三角地帯へと流れ、無数に枝分かれしてベンガル湾へ注ぐ。その河口のひとつに、カルカッタがある。
 カルカッタの雑踏が、耳の奥で甦った。

315■走馬燈
 死ぬのかもしれない。人は、死ぬ前に生まれてからのことを走馬燈のように思い出すという。ならば、わたしはここで死ぬのかもしれない。
 そう思うほどに、いままでの旅のすべてが、一気に心に溢れかえった。カトゥマンドゥ、カルカッタ、バンコク……。見てきた物すべて、出会った人すべてが、次から次へと重なるように明滅し、幼い日の光と闇の一瞬までもがそこに重なる。
 回る、回る空。笑い声。木洩れ陽。まぶしい。まぶしいよぉ。こぼれる光が、天井からぶらさがる電灯になる。影が大きくぐらりと揺れる。振りあげられた腕。やめて。やめて、ママをぶたないで。泣きながらしがみつく巨人の腕。やめて、やめてアーロン。振りおろされた腕がまっ黒な影にめりこむ。うめき声をあげ、脱兎のごとく逃げる影。祭りのざわめきのなか、ドゥルガーの女神の千本の腕がふるふると震える。だいじょうぶだよ、もうだいじょうぶだ、ミチカ。アーロンの大きな背中。それが、いつのまにか父の背中になる。花の降る午後。舞いおちる白い薔薇。まっ黒な地面に落ちたとたんに、みるみる真紅に染まっていく。まっ赤な花びらで埋まる庭。流れだす花びら。あれは、血だ。花輪で飾られた生贄の山羊。ひと声鳴くと、冠物をつけたラバになっている。ラバを追い越して山道を登る女の裾が翻ったかと思うと、空に翻る経文の旗になり、バンコクの裏通りを案内する黒人の原色の服の裾になる。薄暗い路地。洋館。青い水の底で眠るディオン。振り向いてわたしを見たその目がみるみる遠ざかり、チャンドラナガールの雑踏に紛れていった男の碧眼になる。置き去りにされた血。走るリキシャ。川沿いの道。小舟とイルカ。アッシムと見上げる巨大なバニヤン樹の向こうから、切り立ったマチャプチャレが顔を出す。夜だ。山の稜線の向こうにきらめく星々。巨大な満月。月に襲われるように光に飲みこまれ、まぶしさに思わず目をきつく閉じる。
 目を開けると、そこには空があった。どこまでも青く、透明な光。聴こえてくるのは、氷河の軋みと水の音だけ。もう死んでいるのかもしれない、と思うような静けさが世界を満たしていた。
 どれくらい、そうしていただろう。動かなくては。そう思ったが、足がすくんで動けない。
 ああ、生きている。生きているから、恐い。自分がまだ肉体を持ち、生々しい恐れの感情を持っていることが、不思議だった。
 いざるように少しずつ前に進む。いくら進んでも、一ミリも進まないような気がするほど道は遠い。こんなことでは帰りつかない。しびれを切らせ、とうとう立ちあがった。ふと蹴り落とした小石が、遥か下に転がり落ちていく。
 恐くない。わたしは歩いていける。自分に強くそう言い聞かせ、谷の縁を歩いていった。

325■摩耶夫人像
 何もない。門もなければ塀もない。棒杭に錆びた有刺鉄線が張られただけのその向こう、蜜色の夕暮れの光のなか、荒野に横たわるようにして、くすんだ色の遺構と小さな池があった。
 それが、釈迦生誕の地ルンビニの宮殿跡だった。腰ぐらいまでしかない煉瓦積みの遺構が一面に並んでいる。風がざわめきを消し、夕暮れの饒舌な光さえ声を潜めている。釈迦が産湯を使ったという池の水も、鏡のように静まりかえっている。
 階段があった。かつてはどんな豪奢な空間へと続いていたのだろう。いまでは暮れなずむ空へと通じるだけの階段。人々に踏まれ続けたせいなのか、自らの重さに耐えかねたのか、褶曲する地層のように、その階段は歪んでいた。
 それは、時の流れに崩れた、というより、雨に打たれ光に溶けて、徐々に大地へと染みこんでいったもののように見えた。

326■永劫の楽園
 空は深く澄み、大地では色が鎮まって、遺構も土も樹木も、ひとつの闇の塊になろうとしていた。
 その時、突然、菩提樹から鳥が飛びたった。無音だった世界に、一斉に響きわたる羽ばたき。躍りでた鳥たちの羽根の色の鮮やかさが、砕けた蒼穹の破片のように、空を埋めた。
 鳥たちは旋回したかと思うと、梢の強い磁力に吸いつけられて墜落するかのように、急激に墜ちてきた。ばらばらと枝に止まる。色彩の乱舞が、一瞬にして鎮まる。
 湧きあがるさえずり。かしましい鳥たちの声が、菩提樹の空間を埋め尽くす。刻々と濃くなる闇の気配のなか、菩提樹の、張り巡らせた迷路のような枝のすべてが、鳥の重さで撓み震える。
 そしてまた、何かの拍子に一羽が飛びたつと、追いかけるように一斉に羽ばたいて、暮れ残る空の光に、一瞬鮮やかな羽根の色をきらめかせた。旋回し、やがて小さな黒い影絵となって、赤く燃える地平線の彼方へと消えていく鳥たち。
 後には、がらんどうになった菩提樹だけが残され、再び、死のような静けさが遺跡を満たす。
 鳥にさえ去られた、楽園の黄昏。
 かつて、枝を撓ませていたのは、執拗にさえずる鳥の群れではなく、光のように咲きほこる花々だったはずだ。満ちていたのは、死より深い静謐ではなく、燃え盛る命の歓び。栄華は一瞬で、滅びの時間は永劫に等しい。
 煉瓦の宮殿や庭園でさえ、そうなのだ。人間ひとりの命の、なんと短いことだろう。この命がわたしという形をして目覚めていられるのは、永劫の時の流れのなかの、ほんの一瞬に過ぎない。
 しかし、その一瞬の、なんと長きことだろう。苦しみに満ちた長き旅路。
 けれども、いつかは帰っていける。この永劫の静寂のなかに。砂や石、土や水、木や草や鳥や獣とともに、必ず帰っていける。
 その深い安らぎが、わたしを満たした。
 すると、地上であがく自分の姿が、頭蓋でふいに、飛びたった瞬間の鳥の姿に重なった。羽ばたきながら、一瞬見せた美しい羽根の色。
 鳥は知らなくとも、その鮮やかな色を、いつも抱いている。そっと卵を抱くように、羽根の下に。

336■彼方
 わたしは、雑踏に立ちつくしたまま、ダンの消えた道の果てを眺めていた。
 ダンは帰っていった。アッシムも帰っていった。みんなみんな、帰ってゆく。けれど、どこへ帰っていったのだろう。
 わたしは帰らない。いまはまだ帰れない。たとえここが世界の行き止まりでも、ここで正気で狂気を抱えていたい。目覚めたまま、夢を見たい。
 街の喧噪が、わたしを包む。荷車が車輪を軋ませ、散乱した素焼きの器を割りながら通る。井戸水が光にきらめき、子どもたちが歓声をあげる。
 命のざわめきが光になって、去っていった者たちの痕跡を一瞬ごとにかき消していく。
 楽園のただなか、わたしは思わず、眩しさに目を閉じた。

■「楽園の鳥」完結記念朗読ライブ/坂田明&寮美千子 朗読原稿2「光の音楽」

Mon, 15 Apr 2002 16:51:02

2000年5月、若葉繁る頃に、ジャズの名プロデューサーだった大橋邦雄氏が亡くなりました。青木マラカイ氏とともに「プロジェクト21」を主催してきた大橋氏は、坂田明氏とも、わたしとも古いつきあいでした。これから生命が繁ろうとするこんないい季節に、なぜ、独り逝ってしまったのか。この季節が訪れると、それを思わずにはいられません。いっしょに年をとりたかった。ライブの最後に、大橋氏へ捧げる詩を、坂田氏のサックスとともに読ませていただきました。ここに、再録します。

(光の音楽 大橋邦雄に捧げる)

消える
あなたが消えると
あなたのなかの 
空が消える
海が消える
太陽と月が消える
幼いころ かけめぐった渚の感触や
少年という生き物になって まぶしげに見あげた雲の遠さ
はじめて聴いたコルトレーンに 
止まらなかった涙の記憶が 消える
あなたのなかにある
まだ若かった頃の わたしたちの面影さえ
あなたとともに消え
ひとつ またひとつと
ともにつくっていった
音楽のうねりが消え
音楽を 光のように放って輝いていた
地上の星々の思い出が消える

そんなにも明るい五月の緑のなかで
どうして逝ってしまったのか
あなたは 
あなたのなかのすべての記憶をさらって
乱暴に去っていった
あなたのいない この地上に
わたしたちを 置き去りにして

あなたが消えると
あなたのなかの 
空が消え
海が消え
太陽と月が
まばゆい星々が
無数の記憶が
わたしが
消える

けれども
消えない
あなたの記憶は
わたしたちのなかに
強く刻印され
いつの日か 
わたしたちが この地上を去る日がきても
音楽は流れゆく
あなたがつくった河を
果てしなく 彼方へと

そして
消せない
あなたのあの笑顔は
だれよりも無垢な あの笑顔は
だれも 消せない
いつまでも 空に響きつづける
光の音楽のように

■青いナムジル/草稿

Sat, 30 Mar 2002 20:57:08

青いナムジル   大草原をかける翼ある馬の物語

■1
むかしむかし、モンゴルの大草原にナムジルという子どもがいました。
ナムジルは、村人から「青いナムジル」と呼ばれていました。
いつも青い草原の空が、ナムジルの生まれた日はいっそう青く、
どこまでも、どこまでも果てしなく澄んでいたからです。

ナムジルは、内気な子どもでした。めったに口もききません。
けれども、馬や羊とは、兄弟のようになかよくできました。
ナムジルが口笛をふくだけで、小さな声でささやくだけで、
どんながんこな馬も、あまえんぼうの子羊も、
すなおにナムジルのいうことをきくのでした。

■2
大きくなると、ナムジルは、すばらしい羊飼いになりました。
ナムジルの飼う羊たちは、とてもよく太り、毛もつややかだと、
村でもすっかり評判です。

ナムジルは、羊飼いの暮らしがほんとうに好きでした。
見渡すかぎりの大地。果てしない青空。
地平線の果てから吹いてきた風が、
草を波のように揺らしながら、ナムジルを吹きぬけていきます。
そんなとき、ナムジルはうれしくて、思わず口笛を吹きました。

空を、雲がゆっくりと流れていきます。
雲の影が草原を走ってきて、ナムジルと羊たちを捕まえます。
そんなときナムジルは、天に届かんばかりの声で歌いました。

「大空の 果てなき青き草原を
 馬よ駈けろ 果てを探して
 馬よ駈けろ 風より速く」

すると、雲は足の速い馬のように流れ、
まぶしい太陽が、ナムジルたちに降りそそぐのでした。  

■3
羊たちが眠るとき、ナムジルも星の下で眠りました。
まっ暗な空には、無数の星が輝いています。
ナムジルは焚き火を燃やしながら、ひとり、歌いました。
羊たちを寝かしつける、やさしい風のような歌を。

なにもさえぎるもののない草原。
ナムジルの声を響かせる、岩の山も深い谷もありません。
ナムジルはいつしか、自分の体で、声を響かせることを覚えました。
すると、ナムジルのなかから、もう一つの声がきこえてきたのです。
まるで、喉の奥の谷に、小さなこだまが棲んでいるような、
胸のなかの草原で、風が歌っているような、そんな声です。
ナムジルが歌うと、その声も歌いました。
ひとりで歌っているのに、いつもどこからか
透きとおった高い声が、寄りそうようにきこえてくるのでした。

けれども、内気なナムジルは、村に戻ると、けっして歌いませんでした。
ですから、村のだれも、ナムジルの歌声をきいたことがなかったのです。

■4
そのころ、村では、若い男はみな、一度は兵士になって、
遠い西の果ての地を守りにいくのが決まりでした。
とうとう、ナムジルの番がやってきました。
ナムジルは、馬や羊たちと別れるのがつらく、
また、年老いた両親のことも心配でした。
けれども、しかたありません。
ナムジルは、兵士になるために、遠い西の果ての地へと旅立ちました。

軍隊には、兵士を乗せるためのたくさんの馬と、
荷物を運ぶためのたくさんの駱駝がいました。
ナムジルは、ほんとうはだれとも戦いたくありませんでした。
できれば、馬や駱駝の世話をしていたかったのです。
しかし、兵士のナムジルには、それは叶わぬことでした。

■5
そんなある日のことです。若い駱駝に子どもが生まれました。
はじめてのお産で、勝手のわからない駱駝は、
生まれた子どもにお乳を飲ませようとしませんでした。
むりに飲ませようとすると、駱駝はひどく暴れます。
「だれか、駱駝に乳を飲ませられないか」と上官がたずねました。
「駱駝に乳を飲ませることのできた者には、好きな仕事をあたえよう」
「わたしがやってみます」とナムジルがいいました。
「よし、やって見ろ」

ナムジルは、駱駝に寄りそうと、低い声で、そっと歌いはじめました。
故郷の星の下で、羊たちを眠らせるために歌った歌を、
静かに静かに歌いました。
天の草原に吹く澄んだ風のようなもう一つの声が、
ナムジルの声に重なりました。
気が立ち暴れていた駱駝は、みるみるおとなしくなり、
大きな目から、ぽろぽろと大粒の涙を流しました。
そして、子どもに乳を飲ませはじめたのです。

■6
それだけではありません。
ナムジルの歌声は、兵士たちに、遠い故郷を思いださせました。
淡い夜明けの光に包まれた村の朝。
寝床のなかにいると、お茶の葉を突く、かあさんの杵の音がきこえてきます。
火を起こす、とうさんの火打ち石の音もします。
目を覚ました子羊たちが、愛らしい声で鳴きだします。
やがて、しゅんしゅんとお湯の沸く音がして、お茶の香りがしてきます。
だれもが、子どものころの、なつかしい景色を思い浮かべ、
涙をこぼしそうになりました。

「よし、ナムジル。おまえはどんな仕事がしたい」
上官は、そっと涙を拭いながらききました。
「はい。わたしは、馬や駱駝の世話をしたいのです」
「よろしい。おまえはきょうから馬番になれ。
しかし、おまえは歌がうまい。
馬の世話をするだけではなく、時々は、兵士たちに歌を歌ってやってくれ」
「はい、かしこまりました。よろこんで」
そんなわけで、ナムジルは晴れて馬番となったのでした。

■7
つぎの日、ナムジルはさっそく馬を湖に連れていくことになりました。
気の荒い馬たちも、ナムジルが歌うと、まるで子羊のようにいうことをきいて、
すなおに水を飲みました。

そのとき、どこからか歌声がきこえてきました。
「駱駝に乳を飲ませ 馬に水を飲ませる
 草原を吹きわたる 風の声を持った人はだれ?」
ナムジルは、歌で答えました。
「わたしは青いナムジル 国境のしがない兵士
 風を甘く切なく染める 花の声を持った人はだれ?」

湖の木陰から、馬を連れた娘が出てきました。
草原の馬飼いの娘でした。
ふたりは見つめあい、
そしてもう、お互いに目をそらすことができなくなりました。
ふたりは、恋に落ちたのです。

■8
夜明けごとに、ふたりは湖で会いました。
やがて、星の降る夜も、ナムジルはそっとテントを抜けだして、
娘に会いに行くようになったのです。
それを知っている兵士もいましたが、
いつもやさしい歌声で心をなぐさめてくれるナムジルのことを、
上官にいいつけるような人は、ひとりもいませんでした。

やがて、いくつかの春が過ぎ、新しい春がめぐってきました。
「ナムジル、おまえの勤めはもう終わりだ。故郷へもどるがいい」
ナムジルは、うれしくもありましたが、心配でもありました。
娘は、いっしょに故郷にきてくれるでしょうか。

■9
ナムジルは、娘とはじめて出会った湖のほとりでいいました。
「わたしは故郷へもどります。どうか、わたしといっしょに来てください。
そして、わたしの妻になってください」
娘は、いいました。
「そうしたいのはやまやまですが、それはできません。
わたしには、年老いた父と母がいます。ふたりは、ここを離れることはできません。
わたしが見なくて、だれがふたりの面倒を見るでしょう。
あなたこそ、わたしの夫になって、ここで暮らしてはくれませんか」
ナムジルは、胸が張り裂けそうになりながら答えました。
「わたしにも、故郷でわたしを待つ年老いた父と母がいるのです」
娘は、泣きながらいいました。
「それでは、どうか、月に一度でいいですから、わたしに会いに来てください」
「わたしの国は、大地の東の果て。とてもここまでは来られません」
「では、わたしの馬のなかで、いちばん足の速い馬をさしあげましょう。
この馬なら、きっとあなたを一晩で、わたしのもとへ運んでくれることでしょう」
娘は、一頭の黒い馬を差しだしました。美しく強い馬でした。
その馬でさえ、大地の東の果てから西の果てへと旅するのに、
ひと月はかかるのを、娘もナムジルもよく知っていました。
「馬の名は、ジョノン・ハルといいます」
「ジョノン・ハルを大切にします。あなたを大切にするように」
ナムジルは、娘をきつく抱きしめ、別れを告げて馬に乗りました。
馬は、黒い風のように草原を駈けていきました。
その後ろ姿を、娘はいつまでも見送っていました。

■10
ナムジルが無事もどってきて、両親は大喜びでした。
ナムジルも、元気な両親の顔を見て、ほっとしました。
けれども、心が晴れません。
羊を追っていても、馬に乗って草原を走っていても、
もう以前のように、楽しくもうれしくもないのです。
大好きだった見渡すかぎりの草原さえ、
娘と自分とをへだてる、いじわるな大海原に見えます。
まぶたに浮かぶのは、西の果ての娘のことばかり。

■11
ある星の夜のこと、ナムジルは、もうどうにもがまんがならず、
あてどなく、馬を西に向かって走らせました。
走るうちに、早く、もっと早くと馬を鞭うちます。
それでも、草原の景色は少しもかわりません。
それほど、草原は果てしなく広いのでした。
「娘よ、おまえに会いたくて、会いたくて、ならないのだ。
 ああ、花の香りのする娘よ」
かなしみに引き裂かれそうになって、そう歌うと、どうでしょうか。
馬の背に、翼が生えてきたのです。
それは月の光に銀色に輝き、ゆっくりとはばたきます。
すると、馬の体が宙に浮き、
風よりも速く、草原の上を滑るように駈けていくのでした。

■12
見開き/イラスト 草原を翔る天馬

■13
娘はナムジルと別れた湖のほとりで、涙にくれながら歌っていました。

「ナムジル。
 あなたに会いたくて、会いたくて、なりません。
 ああ、やさしい風のようなナムジル。

 草原の 草の根を踏みちぎり
 草原の 石ころを踏みくだき
 風はらむ 服の縫い目を破るほど
 走れ わたしのジョノン・ハル
 わたしの愛する男をのせて
 わたしのもとに運んでおくれ
 大地の東の果てから 西の果てへ」

すると、地平線の夜明けの光のなかから、
黒い風のように、一頭の馬が走ってきたのです。
ナムジルを乗せたジョノン・ハルでした。
馬は、たったひと晩で、ナムジルを大地の東の果てから西の果てへ運んだのでした。

それからというもの、ふたりはたびたび会うようになりました。
翼のある馬ジョノン・ハルが、ナムジルを娘のもとへ運んだのです。

■14
ナムジルは、ますますりっぱな青年になりました。
羊飼いとしても、並ぶ者がないほどの腕前です。
評判が高まり、たくさんの娘たちが、ナムジルのお嫁さんになりたいと思いました。
けれども、ナムジルはどんな娘にも、目もくれませんでした。
ある日、村いちばんのお金持ちの旦那がやってきて、
ナムジルに、娘の夫になってほしいといいました。
その娘は、太陽よりも光り輝いているというほど評判の、美しい娘でした。
それでも、ナムジルは心を動かしませんでした。
「わたしには、愛する人がいます」とナムジルは娘にいいました。
「どこにいるのですか」と娘はたずねました。
「大地の西の果てです」
「そんな遠くの人を愛して、どうなります。
どうか、わたしを愛してください。
わたしは太陽よりも美しい娘。
わたしより美しい娘は、この草原のどこを探してもいません」
「おっしゃる通りです。
 けれども、わたしは野に咲く名もない花が好きなのです」

■15
金持ちの娘は、くやしくてなりません。
一体、だれがナムジルの心を捕らえて離さないのだろうと、
ナムジルをそっと見張りました。
すると、どうでしょう。
月夜の晩、ナムジルはジョノン・ハルに乗って、
草原を西へと駈けてゆくではありませんか。
ジョノン・ハルの背中に、銀色の翼が生えるのも、娘はしっかり見届けました。

娘は、裁ちばさみを持って厩にひそみ、ナムジルの帰りをそっと待ちぶせました。
夜明けになると、ナムジルが馬で戻ってきました。
たった一晩で、草原を東から西へ、西から東へと駈けた馬は、
さすがに疲れはて翼もたたまず、すっかり汗をかいて湯気をたてていました。
馬からおりたナムジルが、馬に水を汲みにいっているすきに、
娘は持っていた裁ちばさみで、馬の翼を断ちきってしまったのです。

■16
馬は、鋭い叫び声をあげました。
ナムジルがその声をききつけて戻ってきたときには、
馬は、おびただしい血の海のなかで、もがいていました。
そばには、宝石で飾られた裁ちばさみが落ちていました。
ナムジルは、それを見て、すべてを知りました。
「かわいそうに、ジョノン・ハル。苦しいだろう、痛いだろう」
ナムジルは、馬の首を胸に抱えました。
そして、泣きながら歌いました。

「夜空の月を 踏み越えて
 夜空の星を 踏み散らし
 流れ星を 撒きちらしながら
 走れ わたしのジョノン・ハル
 水より澄んだ魂を乗せ
 天の果てまで 駈けてゆけ
 草の海から 星の海へと

馬は、ナムジルの腕のなかで息絶えました。
ナムジルの流した涙が、後から後から、
草原に降る雨のように、流れる川のように、
ジョノン・ハルに降り注ぎました。

■17
すると、ふしぎなことが起こりました。
ジョノン・ハルの頭は木の彫り物に、首は棹に、胴体は皮を張った箱になり、
その美しく長い尾は、楽器に張られた弦と、しなやかな弓になったのです。
ナムジルは、その楽器をいだき、鳴らしました。
その音色は、草原のやわらかな風のよう。
ジョノン・ハルのいななきや、軽やかな足取り、
その名を呼んだときのうれしそうな姿を、思い起こさせたのです。
ナムジルは涙にくれながら、いつまでもいつまでも、その楽器を弾いていました。

■18
金持ちの娘は自分の行いを恥じて、二度とナムジルの前に現われませんでした。
翼ある馬を失ったナムジルは、
もう西の果ての娘に会いに行くことは叶わなくなりました。

娘は、いつまでも湖のほとりでナムジルを待ち続けました。
ナムジルも、いつまでも娘を思いながら、楽器を奏でました。

娘は時折、風になかに、ナムジルの声をきいたように思いました。
ナムジルも時折、風になかに、花の香りをかいだように思いました。

そして、ふたりとも年老いて、いつしか草原の土になりました。

■19
それからというもの、人々は、ナムジルの持っていた楽器をまねて、
馬頭琴という楽器をつくるようになりました。
馬頭琴の音色は、故郷のなつかしい音色。
モンゴルの人なら、だれもが、
お茶の葉を突く杵の音や、火打ち石の音、
子羊たちの愛らしい鳴き声や、お茶の香りを思いだします。
そして、ふしぎなことに、馬頭琴をきかせると、
子どもに乳をやろうとしない気の立った若い駱駝も、
涙を流し、心やすらいで乳をやるようになるのです。

馬頭琴を弾ける人がいない時、人々は馬頭琴を草原の風にかざします。
青空から----
どこまでも、どこまでも果てしなく澄んだ青い空から吹いてきた風は、
馬頭琴をかすかにうならせ、
駱駝はやっぱり、子どもに乳をやりはじめるのです。

■連鎖する破壊と創造/黒田征太郎のライブ・ペインティング

Sat, 30 Mar 2002 17:05:53


1999年に行われたライブのレポートを、かつてムラサキ氏のホームページの掲示板に書き込んだところ、このライブに関わる黒田征太郎氏の事務所「K2」より、連絡がありました。黒田征太郎氏の「ライブ・ペインティング」について、わかりやすく書かれているので、K2のHPに再録させてほしいとのこと。もう、ずっと昔に書いた物なので、書いた本人すらも記憶になく、久しぶりに読んで「ああ、こんなことがあったなあ」と思い出しました。この5月には、渋谷のオン・エア・イーストで、同じ趣向のコンサートがあるとのこと。これを期に、ここReview Lunatiqueで加筆・再録することにしました。記録をとっていてくれたムラサキ氏、ありがとう!


1999年10月18日夕暮れ、
友人に誘われ、原宿クエストに石橋凌のコンサートを見に行った。
このコンサートは、「千年紀を越えて」という
連続イベントの一環として開催されたもの。
「千年紀を越えて」は、10月9日から20日まで、ほぼ毎晩、
なにかのコンサートがあるという強力なイベントだ。
仕掛人は下北沢のジャズハウス「レディージェーン」の大木雄高氏。
出演者が多彩なばかりでなく、
宣伝コピーは日暮真三、美術はK2という豪華な顔ぶれ。
18日のコンサートでは、石橋凌の音楽に合わせて、
画家の黒田征太郎がライブ・ペインティングをするという趣向だった。
つまり、音楽と絵画のコラボレーションというわけだ。

音楽と絵画のコラボレ? それも即興で?
一体どんなものになるのだろう?
ざわめく暗闇の中で、わたしは舞台を注視した。

あれはなんというサイズだろう。
巨大なキャンバスが横位置で2枚、舞台の後ろに置かれ
石橋凌の音楽とともに黒田征太郎がペイントをはじめる。
音楽にのって、時に跳ねるように、流れるように
まるで自由に体を動かして遊ぶ子どものようだ。
真っ白いキャンバスに点が、線が、色の塊が、
文字が、形が、あらわれていく。
そこに、美しい造形があらわれる。
けれども、次の瞬間には、それは惜し気もなく上描きされ
塗りつぶされ、別の形にのみこまれていく。
驚くべきは、子どもの落書きのようでいて、
その瞬間瞬間に、絵が、ある完成を見せていることだ。
どこかにあるはずの完成に向かって色や線や形をつくっているのではなくて
その瞬間に、音楽とともにそこに立ち上がるものを絵にして、
しかもなおそれが、その瞬間のまったき完成なのだ。
どの瞬間にストップがかかったとしても、
黒征の絵は、そこでひとつの美しい形を見せていただろう。
あるべき形への途上の一瞬ではなく、その瞬間のまったき完成として。

はじめに引かれたのは、一本の線だった。
その上にYUSAKUと描かれ
線の下には不思議な鏡文字のような文字で
MATSUDAと描かれた。
亡くなった俳優「松田優作」へ捧げる献辞だ。
その文字のひとつが鳥の形になる。
曲が変わると、その中央にハイヒールが描かれ、無数の顔が浮かび、
それが消され、混ぜられ、渾沌となり、そのうえにさらに船が浮かぶ。
絵のアイテムは歌詞の意味性と微妙にシンクロしながらも、
描かれたとたんに意味というよりは、
むしろリズムや旋律という意味を超えた音そのものに感応して独自の進化をしていく。
挙げ句に、黒征は白い絵の具でいま描いたものをすっかり塗り潰してしまった。
破壊と創造が同時に進行し、ダイナミックに変わり続ける画面に
わたしは一時間半というもの、釘付けになってしまった。
そのダイナミックな変わり方にしても、つまらぬ「作意」というものが
感じられないところが、またあきれるほどに凄い。
本当の「即興」であり、音楽との呼応なのだ。
最後の方は、衰えを知らぬ黒征のパワーに、さすがに圧倒されて
見ているだけで、くらくらしてしまった。

先日、物理学者の佐治晴夫が講演で「人間は相互関係からできている」と語っていた。
関係性であれば、刻一刻と変わっていくのが当然の摂理だ。
一瞬も留まらない。
だから、飽きることがない。
一瞬一瞬が、新しい体験だ。

黒田征太郎が目の前で繰り広げたのは、それではないか。
その一瞬一瞬を捕らえながら、次の一瞬を選択していくという人生のダイナミズム。
それを、一時間半という時間に濃縮して見せ、
観客の目から、なかば強制的にインプットしてしまう。
「絵画」とは完成形としてそこにあるもの。
そんな既成概念を、論理ではなく、現物としてそこに見せ、
感性からダイレクトに侵入してがらがらと壊してしまう。
そんな強烈な、ある種暴力的なパフォーマンスだった。

最後に黒田征太郎がいっていた。
「人間60年やっているけれど、全然飽きへん」
飽きないのは当然として、あの勢いで走り続けてきたとは!
黒征、恐るべし。

追伸:石橋凌は、観客席を向いているので、背後でライブ・ペインティングしている黒田征太郎が見えない。でも、どうしても気になるので時々振り向き「ああ、こっち見ていたいなあ」といいながらも、さすがプロ、ぐっとこらえて、観客席に向き直った。とはいえ、石橋凌がかわいそう。せっかくのコラボレである。できれば、石橋凌が黒田征太郎を見ながら歌うことはできないか? そして、絵から触発され、音にフィードバックできないだろうか? そうやって、絵と音楽とが、その場で互いにインスパイアされながらのコラボレであれば、と願わずにはいられなかった。次回はぜひ、そのような舞台設計をお願いします!

http://www.k2-d.co.jp/index.html

■地球創生の「大いなる時間」の視点を持つことの光と闇

Wed, 20 Mar 2002 16:14:27

▼「人間圏」を提唱する松井孝典氏への違和感

鳥海さんが、掲示板「BBS地球の地軸を星野道夫に傾ける」で「気になる」とおっしゃった宇宙物理学の松井孝典氏について、わたしも別の意味で「気になり」、著作を読んだだけではなく、以前、大枚払って松井氏のカルチャー講座の連続講義を聞きにいったことがありました。

松井さんの「人間圏」の考え方、及び「月のあたりから俯瞰して地球・生物・人間を捉える」という見方。大きな時間スケールのなかでいまの人間の問題を考えなくてはいけない、という点において、一見わたしの考えと重なるように見えますが、実はとても微妙なところで、違うのではないか、松井氏の考え方には、かなりの「傲慢」が潜んでいるのではないか、ということをわたしは危惧しています。

▼シミュレーションは神の視点か?

「太陽系生成をシミュレーションする」というのが、松井さんの大きな仕事のひとつでした。コンピュータでシミュレーションして、宇宙塵が太陽系になっていく様を目に見える形で復元する、ということをしている。その時の松井さんの心境は「いま、まさに太陽系を生成している。ぼくは神の視点に立った」ということでした。だれもが、地上にはいつくばって目先のことしか見えないのに、ぼくは神の視点で高みからその全体を俯瞰している。そういう気分です。

その「優越」の気分が、松井思想の根源に流れていることは否めないと思います。それは、著作のはしばしに現れています。(わたしはかつて、彼の著作を読みながら、どうしてもそれが鼻について、そこに線を引きながら読みましたが、読み終わってすぐに、古本屋に売ってしまいました)

(余談になりますが、松井氏の「太陽系生成シミュレーション」は、NHKの科学番組でも大々的に取りあげられ、話題を呼びました。しかし、シミュレーションというものは、投入する数値によって激しく結果が変わってくるものです。そして、投入できる可能性のある数値の幅はかなり広い。松井氏の場合、得たい結果が得られるように任意に操作した数値が投入された結果、得られた生成理論でした。巷では話題になりましたが、惑星科学の世界では、そのような認識があり、科学的評価は低いと、理化学研究所のある科学者から聞いたことがあります。専門外なので、真偽のほどはわかりませんが、その時、なるほどそういうことだったのか、と思ったことを覚えています。)

▼松井氏の根底に流れる悲観論

例えば、人類の未来について、松井氏は根本的に悲観論を持っています。「どこまでも増えていこうとするのが生物の本質なのだから、人口爆発はどうやっても食い止めることはできない」という本音を抱いています。そして「でも、ぼくは悲観しない。宇宙は、生命を生み出すようにできている。地球の人類が滅びても、宇宙にはそれこそ星の数ほどの生命や文明があるはずだ」といいました。

これは、人類の未来について、わたしが直接質問したときの松井氏の返答でした。つまりそれが「ぼくは神の視点を持っている」ということなのでしょう。その時、わたしが重ねて「それは『人間はたくさんいるから、ひとりくらい死んでもどうってことない』という考え方と、どう違うのでしょうか?」と質問したところ、松井氏は「もう時間ですから、きょうはここまでにしましょう」と打ち切りにしてしまいました。実際、お忙しかったのかも知れませんが、とても残念でした。

さて、松井氏のそのような基本認識の上で、いくら「人類はストック利用型の文明(=石油などのストック・エネルギー資源利用型文明)からフロー利用型の文明(太陽エネルギーおよび地球システムによって生じる物質循環の流れに乗った文明)に転換すべきである」といっても、どうも説得力に欠ける。表面的には正論だけれど、そこに真実がこもっていない、とわたしは感じてしまう。

▼われわれは、どの時間スケールにフォーカスすべきか

松井氏は「未来の地球」について語るとき、結論はいきなり50億年後の話になってしまいます。
これから人間圏がどうなっていくのか。短期的なスパンでどうなるかはぼくにはわからない。我々がどんな生き方を選択するかにかかっていますから。でも、時空スケールをうんと長くとって、地球という星がどうなるのかは見えます。
 50億年後に地球がどうなるか──。(中略)

地球の歴史は、今ちょうど折り返し点にきているということです。これからは、これまでたどってきた道を逆にたどり始める。ガスから火の玉状態になり、これが冷えて海になり、大陸が生まれ、生物圏が生まれ、そこから人間圏が生まれ、現在の地球システムになった。これから以降は、この逆の過程をたどって終焉に向かうと考えられます。
これは確かに、現在科学が到達した地球の行く末の姿です。けれど、文明論を話しているときに、いきなりそこへ飛ぶことに、一体いかなる意味があるのか? 「結局は無に帰す」ことを結論じみた場所に位置させることに、いかなる意義があるのか? さらに、松井氏はこう述べます。
ぼくがものを見る視点というのは、俯瞰的な見方です。地表に這いつくばって見るのではなく、空からものを見ている。空から見るのであってもその高度によって見える時空スケールには違いがある。ぼくの場合には宇宙に出てしまって、月のあたりから地球を見ているわけで、これが今、人間が持っている俯瞰する高度としてはいちばん高いだろうと思います。こういう高度から人間のあり方や地球がどうなっているかを考えることが大切だと考えます。
 人間の存在を絶対視するのではなく、相対視してみる。人間の歴史だけでなく、宇宙、地球、生命の歴史を踏まえたパラダイムで、現代を見つめ直し、価値観を問い直していくことが必要でしょう。
一見、とても正しい論理です。確かに正しい。しかし、そこには危険な陥穽が潜んでいると、わたしは思います。

科学的認識をもつことは大切。50億年後に人類が地球ごと消えてしまうという認識は、いまの科学では正しい結論です。

しかし、それを持つことで得られる視点にこそ、意味がある。

試しに、この50億年を50年に縮めて考えてみましょう。50歳未満の人なら、こんなことがいえる。「50年前にはわたしは生きていなかった。50年後にも生きてはいないだろう」 この考えが人間の視点に何をもたらすか。死を思うことです。メメントモリ。それが何をもたらすか。「だから、何をしても無駄だ」ということになる人もいるかもしれない。けれど、それよりは、「だからこそいま生きていることの大切さ、かえがえのなさを認識する」ことが多いのではないか。50年、という時間単位は、日常からは遠いけれど、充分に実感的な時間です。

松井氏が50億年後について語るとき、それは何を意味しているのか? 人生の50年と、地球の50億年は、それこそ「スケールが違う」。50億年未来の消滅は「いまを生きていることのすばらしさ」には直結しにくい。逆に、50億年かけてつくられた地球のいまの姿、ということを考えると「いま、こうあることのすばらしさ」が際だつはずです。実感的でない途方もない時間をかけてつくられた精妙なシステムに対する敬意が生まれるからです。では、なぜ松井氏は「結論」の部分に、あえて「50億年かけてできた地球」ではなく、「50億年後の地球の消滅」を語らなくてはならないのか?

▼50億年後の消滅を語ることの無意味

それは、うがった見方をすれば、松井氏は、そのような大スケールを最後に持ってくることで、自らが「神の視点にいる」ことを確認したいからではないか。個や人類を超越した視点を持つことで、自分は個や人類を超越したと感じたいのではないか。わたしは、そう感じないではいられない。
ぼくの場合には宇宙に出てしまって、月のあたりから地球を見ているわけで、これが今、人間が持っている俯瞰する高度としてはいちばん高いだろうと思います。
この言葉からも、松井氏が「一般人」とは違って、自分はすでに神の視点にある。そのような自負が感じられます。それさえも乗り越え、さらに銀河系の中心に位置する視点をぼくは持っているといわんばかりの物言いに、わたしには思えてしまう。

環境問題を論じるとき、もちろん50億年後の地球消滅という事実はあっても、我々がフォーカスすべきは、そこではないことは明白です。同じ50億年でも、わたしたちが見るべきは、生物が生まれ、システムとして機能して今日の地球環境をつくったというその事実。未来の消滅ではなく、むしろ過去の積み重ねの結果だと思います。

そして、その20億年という長い長い生物の歴史のなかで、松井氏のいう「人間圏」の作用は、実はたかだか1万年、化石燃料を消費するようになってからは、わずか250年の歴史しかない、という恐るべき事実です。この、瞬間にも等しい時間に、人類は地球の大気の組成さえ変えるほどの働きかけをしてきてしまった。50億年をかけて物質と生物が巧妙につくりあげてきた恒常的システムを、とんでもない短い時間で乱している。そのことにこそ問題があり、考えるべき要素がある。その時に、50億年後の消滅を語ることは、ナンセンス以外の何ものでもない。

▼「大きな時間単位で考える」ことの傲慢と謙虚

真実の科学は、それが進めば進むほど、人間を「人間中心」の世界観から、人間が世界のはしっこの一員である世界観へと移行させてきました。天動説から地動説しかり、太陽系が銀河の辺境の惑星系であるとわかったことしかり、そして進化論は、人間が万物の霊長として最初から君臨していたわけではないことを示してくれました。

しかし、科学技術は「なんでもできる」幻想を与え、それとは正反対の世界観へと、人間を導いてきました。そして、その全能感が、人間の文明を加速させ、短い期間で地球環境を激変させることになったのです。

そして、その全能感は、本来「謙虚」をもたらすはずの科学そのものまでも汚染し、「なんでもわかる」という不遜な幻想さえ、人類に抱かせました。

そのような不遜な幻想を以てして科学が得た結論を解釈すると、ひどい歪みが生じる。例えば、進化論。「人類の源はひとつ」と解釈すれば平等論になるけれど、優性遺伝幻想を重ねるとそのままヒトラーの差別主義につながる。自然に対しても、「生物の一員としての人類」という観点は、人を限りなく謙虚にさせるけれど、「頂点に立つ人類」と解釈することで、限りない自我の拡大をもたらす。進化それ自体に善悪の価値はないのに、「進化=すばらしきこと」とすることで、大航海時代の舞台をそのまま「宇宙」へと移したような、侵略的幻想を持ってしまう。

その「全能感」にブレーキをかける「叡智」を働かせない限り、人間は他の生物もろともに滅びてしまう。科学技術が「全能感」の根源なら、真の科学は「叡智」の元だと、わたしは思います。

科学技術のもたらした「全能感」と、真の科学がもたらす「叡智」をごっちゃにしてはいけない。そこは厳しく峻別すべきであるとわたしは考えます。前者は人間を傲慢にし、後者は人間を謙虚にします。

「どうせ帰依するなら、生物の時間に、宇宙の時間に帰依すべきだ」とかつてわたしは語りました。それは、科学によって得られた事実を元に、自分という存在の位置を知り、より謙虚になろうという呼びかけです。

大きな時間を考える、ということの裏側には「神の視点のような大きな時間について考えられるわたしという偉大な存在」という陥穽があります。同じ、大きな時間について考えても、一生物の視点に立つか、神の視点に立つか。どちらの視点に立って見るかで、世界の感じ方は一変します。

▼似て非なるもの

かつて、吉田兼好は「諸行無常」を語りました。宮澤賢治は「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである」と、一見誇大妄想のような言葉を「農民芸術概論」の中に書きつけています。

しかし、これらが「自我の肥大」を意味していたか。というと明らかに違うとわたしは思うのです。逆に、だからこそ謙虚に生きるということを語っていると感じます。自然の声に耳を傾け、死すべき運命を持ったすべてを慈しむ。

松井氏の言葉は、表面上は、吉田兼好や宮澤賢治によく似ている。けれど、決定的に違う。似て非なるものだと、わたしは感じます。その巨大な時間を自己の中に感じたからこそ、謙虚になるのではなくて、自我を肥大させ、自己を神の視点に置く。

「かけがえのないわたし」「かけがえのない地球」という思想は、自己を神と同一視するところからは生まれないのではないか、とわたしは思うのです。

▼微妙なる差異を嗅ぎわける力

環境問題について、積極的発言をしている科学者に対して、どうしてこのような異議を唱えるか。わたしは、地球の未来に、あるいはこの現状に心を痛めているすべての人が、そのような鋭敏な感受性があるからこそ陥りやすい陥穽にはまってほしくない、と思うからです。考えるべき道筋を巧妙に逸らされてしまうことで、本来、地球の未来に力になるはずの人が、うまくごまかされてしまう。さらに深く進められるはずの思考を、そこで停滞させられてしまう。そのことが惜しくてたまらない。勇崎さんが以前、鳥海さんの掲示板に書かれた「癒されて、思考を昇華されたくない 投稿者:勇崎哲史 投稿日: 3月 5日(火)22時36分25秒」も、おそらくは、わたしと共通の気分を持たれていたのではと思います。映画「ガイアシンフォニー」についても、実は松井氏に感じるのと同じような微妙な部分で、決定的に「違う」と感じられずにはいられないものがありました。そのことについては、また別の機会に書きたいと思っています。

このような微妙な差異。微妙で、表現された言葉としては一見、ほとんど同じようにみえるものの陰に、実は正反対の思想や感受性が紛れていることを、言葉によりきちんと説明することは、大変な労力がかかることです。わたしは松井孝典氏や「ガイアシンフォニー」を排除したいと考えているわけではありませんが、人々がその「匂い」の決定的違いに気づいて欲しいと願っています。もちろん、峻別しつつ、そのなかでいいところはいいと受け取る。でも、ちょっと違うぞそれは、という部分に気づいてほしい。丸呑みにしないでほしいと願っています。そのように峻別できてこそ、その向こうにほんとうに着実な「叡智」への道が開けると考えているからです。

※松井孝典氏の文章は、以下のWEB講義より引用させていただきました。

http://eco.goo.ne.jp/magazine/files/lesson/nov00.html

■先住民、という他者への憧れ/都市生活者の「持ち前」とは何か?

Mon, 25 Feb 2002 02:17:11

かつて、フランスへの憧憬が画家たちをパリへと駆りたてた。「美しき他者」への憧れ。いや、他者なる者だからこそ、美しく見えたのかもしれない。「わたくし」を生きる者にとって「わたくし」とは日常になる。ケになるのだ。そこに差し挟まれる「他者」のイメージは、いつだって「ハレ」の輝かしさをまとっている。その証拠に、パリで、ゴッホは浮世絵の模写をしていたのだから。

昨日行った神奈川近代美術館での「湘南5人の画家」では、岸田劉生、萬鉄五郎 朝井閑右衛門、原精一 、鳥海青児の油絵を扱っていた。それぞれ、日本の画壇に名を残し、評価の定まった画家だが、はっきりいって無惨であった。憧れが持ち前にまで消化されず、中途半端なまま「らしさ」を装っている、としか、わたしの目には映らなかった。例外として、岸田劉生のみが、異様な迫力をもって迫ってきた。あの「麗子像」に象徴されるデフォルメは、西洋からの借用ではなく、どこかもっと根深い、土の底から湧きあがってくるもののように感じられたのだ。

わたしが先住民の文化に強い興味を持つ。環太平洋のモンゴロイドの民話を絵本にしたいと思う。それは「持ち前」だろうか? わたしの知らない、ずっとずっと底に眠っている「持ち前」なのかもしれない。けれど、それはもう、ほとんど「他者」に等しいものだ。

東京郊外の新興住宅地で育ったわたしには「持ち前」の文化がない。そこには祭りもなければ、年寄りもいなかった。それぞれのうちで、違った訛りのことばをしゃべっていたのは、父や母が地方から東京へと移住してきた田舎者の第一世代だったからだ。当然のことながら、土地の風習を語る古老もなく、土地独特の食べ物も知らなかった。お雑煮に「ハバ」という海藻を入れて食べるのが上総下総の風習だと知ったのは、高校生になってからだった。代々千葉に住む地主の息子の家の餅つきに招かれて、はじめて知ったのだ。

そんなわたしにとって「先住民の文化」は、圧倒的な他者である。だから、憧れるのかもしれない。遠い昔、画家たちがパリに憧れたように。そして、あの画家たちのように、未消化のものを吐き出しはしないかという恐れを、いつも抱いている。

アイヌの民話を絵本にしようという企画が持ちあがったときも、そうだった。十勝から招かれて、土地の人々の協力を得て制作したのだが、わたしがドのつく素人であることは誰の目にも明らかだ。もっと適した人物がいるはずだと辞退しようとしたが、ぜひに、と乞われ、無謀にも取り組ませてもらった。

それでも、不安に思っているわたしの背中を一押ししてくれたのは、阿寒湖畔のコタンに棲むアイヌの古老の言葉だった。「どうせ作るなら、民話に捕らわれていちゃあだめだ。新しい話をつくる意気込みでなくちゃあ」

倭人にはほんとうに理解はできないだろうという宣言ともとれる言葉だったが、その響きは違った。わたしのような拙い者の背中を押し、励ましてくれる言葉だった。そのひと言でふっきれてつくったのが『おおかみのこがはしってきて』という絵本だった。

人に何かを伝えようとするとき、専門家の言葉が、かえってわかりにくいことがある。専門家にとっては当然の日常の言葉や考え方が、素人にとっては「専門用語」であり、専門的ななじみのない考え方だったりするからだ。「先住民文化」を伝えようとするとき、もしかしたら、わたしのような「根のない人間」が、必死で理解しようと努力し、自分が理解し得たことを自分の言葉に置き換えて伝える。そうやって伝わるものがあるかしれない。そんな慰めの言葉を、自分にかけたりもした。それは「先住民文化」の正しい紹介ではないけれど、アイヌの古老にいわれたように「わたしの物語」、つまり「持ち前」ではないかと。

そのようなジレンマのなかで仕事をしてきた。それでもやはり、先住民の文化にどうしても興味がいく。だからといって、十勝に移住するわけでもなく、次の絵本の素材としているモンゴルはいまだ訪れたことがない。もちろん、それを非難する人もいる。「行かないでは、書けませんよ」「アイヌの友人ひとりいないで、どうして絵本なんか書けるんですか」。当然である。厚顔無恥は承知の上だ。それでも、やはり書きたい。心惹かれる物語を、わたしの言葉で語り直したい誘惑には、打ち勝てない。

単なる言い訳になるが、もし「本当に知らなかったら、書いてはイケナイ」ということにしたら、アイヌの文化も、アメリカ先住民の文化も、なかなか人々に理解されないのではないだろうか。そのように高い塀をつくり、その文化について語ることを「専門家」だけの特権にすることは、その文化を守るように見えて、実は逆ではないか。「桃太郎」や「赤ずきん」の話をだれもが知ってるように「おおかみの子」の物語を、誰もが知っていたら、それはすばらしいことではないだろうか。専門家には、もちろん敬意は払うし、その文化を「持ち前」としている人々への憧憬はやまない。けれど、それが囲いのなかだけではなく、広く人々と共有できるものになったらと願う。

ではなぜ「憧れのフランス」や「憧れのアメリカンポップカルチャー」ではなくて「ネイティブ」なのか。そこには「より長い時間に育まれてきたものへの敬意」がある。どうせ帰依するなら地質学的時間、宇宙的時間に帰依したいという、わたしの願望がある。それについては、またいずれ語ろうと思う。(さうすウェーブのインタビューでも、少し触れている)

さて、そのように文化のない宇宙植民地同様の新興住宅地に育ったわたくしの「持ち前」とは何か? 科学とアトムが大好きだった少女の「持ち前」とは何か? 確かに「太陽の塔」や「アトム」も、その時代に育ったわたしの人格形成に何がしかを与えただろう。そこを基点に「持ち前」を語る人がいてもいい。それが「借り物」の「未消化」な代物でなければ。

けれど、安易な同時代論をかざし、さらにはそれを強引に縄文にまで結びつけ「持ち前」とすることには、異議を差し挟みたい。それは「持ち前」である以前に単なる「憧れ」であることを認めてしまった方が、きっとずっと楽だ。「憧れ」それ自体が罪なわけではないのだから。「憧れ」と思ったものが、深く深く探っていくと、いつのまにか自分の無意識の領域に触っていた。そんな到達の仕方なら、納得もいく。

結局のところ「持ち前」の究極は、個人でしかありえない。詩人の一色真理氏の語るように「自分のなかの無意識」の領域にまで踏みこまなければ、ほんとうの「持ち前の言葉」は出てこないのかもしれない。

それでもわたしのなかに確かに「八百万の神」を認める自然神信仰に近い気持ちがあることは否めない。宇宙植民地に育ったから、余計に感じる天然自然への憧憬なのかもしれない。けれど、その憧憬がわたしなら、それがわたしの「持ち前」なのかもしれない。どこまで「本物」に迫れるか。あの画家たちのような、無惨なものしか残せないのか、それとも、なにがしか人の心に訴える真実を語れるのか、それは偏にわたしの精進にかかっているに違いない。わたしの無意識の領域に、「先住民文化」に抵触する何ものかがあるのかどうか、定かではない。何の専門も持たないわたしが、どこまでやれるか、心許ないが、できるだけのことを精一杯するしかない。

アイヌの民話を題材とした、新しい絵本の企画が進みつつある。今回のテーマは「イヨマンテ」(熊送り)である。神の国から、たっぷりとした肉と暖かい毛皮を土産として人間に与えるためにしょってくる熊の神の魂。それを、どこまで実感として感じられるか、心を研ぎ澄ましたい。

■「ケアする人のケア」ワークショップ第一回レポート/重なる声の力

Thu, 21 Feb 2002 21:59:56

▼さまざまな参加者
昨日2月20日は「ケアする人のケア」ワークショップの第一回。ワークショップの講師をするのは、生まれてはじめて。わたしより年長の方々もいらっしゃるかもしれないし、わたしのような者でお役に立てるだろうかと、内心どきどき。朝からナーバスになりすぎ、緊張の限度を超え睡魔に襲われる、といった妙なコンディションで出かけた東中野でした。

会場は、東中野の線路沿いの専門学校の教室。ピカピカの現代的な建物の十一階の教室には、大きな継ぎ目のない窓が広がっていました。そこから見える夜景のすばらしさ。わざとブラインドを開け、外が見えるようにすると、宙に浮かんでいるような不思議な空間が出現しました。アメリカ先住民の笛を演奏するカルロス・ナカイの「earth spirit」というCDをかけ、はじまるのを待ちました。

ぽつぽつと人が集まってきます。初対面の人がほとんど。どんな方なのかなあと、声をかけてみました。「八百屋兼古本屋です」とおっしゃる女性。よく聞くと、無農薬有機野菜野菜の老舗「ガイア」から独立した、稲毛海岸のお店にお勤めとのこと。すぐお隣りの西千葉で育ったわたしには、懐かしい地名でした。

「わたしも千葉からきました。船橋です」という方のお仕事を訊ねてびっくり。まだ、高校生だそうです。夜の九時半まであるこんな会に、よく遠くから来てくださったと感激して聞いてみると、なんとわたしの作品のファンの方。「活字倶楽部」で知って、小説は全部読んだとのことで、さらに感激。会えて、わたしもほんとにうれしかった。

さらには、Cafe Lumiereでもおなじみの森本雅樹氏の孫弟子にあたる若き電波天文学者や、語りと歌とのコンビネーションでステージを構成していらっしゃるという女性オペラ歌手の方、昨年の夏の相模原博物館でのリーディングを聞いて、またいらしてくださった方、俳優を引退なさってから幼年童話を書いていらっしゃるというご年輩の男性、などなど、参加者の経歴は千差万別。こうなるともう、怖じ気づいていても間に合わないので、かえって度胸が座ってくるわたしでした。

▼リーディング『父は空 母は大地』&講演
きょうのコラボレ相手のカリンバ演奏の横田哲也氏現われ、ついに開始。まずは、横田氏の演奏といっしょに『父は空 母は大地』のリーディング。実は、この作品をみんなの前で読むのも、はじめての体験。自分の創作を読むより、ずっとむずかしく、緊張しました。カリンバの素朴な音色が、この作品にぴったり。演奏に、ずいぶん助けてもらった気がしました。

次に、短い講演をさせてもらいました。内容は、前述した「第一回を控えて」の内容。先住民の視線で見れば、美しいこの夜景の広がる街も、実は砂漠同然。緑もなければ、野生動物もいない、そんな場所なのだということを、話しながらつくづく感じました。

▼ワークショップの課題
さて、講演が終わって、いよいよワークショップです。『父は空 母は大地』の本文だけを抜き書きしたコピーをみなさんにお渡しして、三チームに分かれてもらい、チームでの群読をお願いしました。群読の方法は、各チームで相談して決めてもらいます。
  • どこを読むか。全部読む必要はない。各チーム、好きなところを、好きな順番で読んでいい。繰り返しも可。
  • だれが読むのか。一人でもいいし、複数でもいい。
そんな条件で、ということはつまり、このテキストを素材として、どのようにでも料理していいよ、ということで、お願いしました。相談の時間は十五分。もし、それまでに話がまとまらなかったら、もう少し時間をとります、ということで、相談の始まりです。

▼チームでもそれぞれの特色が
六名、六名、五名の三チーム。それぞれ椅子を輪にして話し合いのはじまりです。まず、最初にごく手短に名前と職業の自己紹介。名前は、事務局の方が大きな名札を用意してくださったので、覚えてなくても呼べます。自己紹介をはじめたら、そのまま世間話に突入してなかなか相談が始まらないチームがあるかと思えば、さっさと読みあわせをして、それから決めようという実践的なチームもあり、それぞれ。最初のうちは、初対面で固いムードだったものが、予定の時間の十五分後には、みんな侃々諤々で「さあ、時間です」といっても、どのチームもそっちのけで話し合っている有様。聞こえてきた内容をちょっと書いてみると。

「それぞれ、一番好きなパートをひとつずつ読めばいいんじゃない?」
「誰がどれが好きか、わかるのもいいよね」

「ひとつのパートをワンセンテンスずつ次々読んでいくのはどうかな? 前の人が読んだのを引きついで読む」
「それ、いいじゃないですか。相手の声をちゃんと聞いてつなげなくちゃいけないしね」

「最後は、だんだん静かに消えてゆくって感じはどう?」
「うんうん、それがいいと思う」
「みんなで読んで、それから、繰り返しでどんどん読む人の数が減って、最後はひとりになって終わる。そういうの、どう?」

かようにして論議は続き、結局五分延ばし、それでも足りなくてさらに五分延ばして、やっと発表にこぎつけました。

▼「重なる声」の力
その結果!各チーム、短い時間で趣向をこらし、それぞれまったく趣の違うものになりました。面白かった。座って読むチームあれば、立って読むチームあり。全体を通読するチームもあれば、抜粋を読むチームあり。繰り返しを使ったり、群読と一人での朗読をうまく組み合わせて、それぞれに胸に迫るものがある朗読になりました。

わたしは、基本的にチームプレーが苦手。「さあ、みなさん、声を合わせて歌ってください」なんて言われたら、虫酸が走って歌えない質の人間です。けれど、誰かに強制されるのではなく、また「さあ、ご一緒に!」なんて無理に誘われるのではなく、自分たちで決めてそうするのなら、抵抗がないかもしれません。

多くても六人というチーム。その人たちの合意の上で声を合わせて読む。その時の、重なる声の力には、びっくりするほど訴えるものがありました。胸にぐっとくるものがあったのです。一人ずつ読み、その上に聞こえてくる「みんなの声」です。まったく別の個性を持った、様々な音色の声が、ひとつに重なる。その響きの、なんとやわらかく、美しく、そして力強いことでしょう。ああ、いいもんだなあと、心から思ってしまいました。

群読の発表が終わり、みんなでぐるりと大きな輪になって、感想を述べあいました。わたしが感じた「声の力」について、同じように感じた人が多いことを知りました。「テキストが群読に適していた」という、うれしい意見もありました。「自分が演じる側なのに、思わずみんなの声に聞き入ってしまいました」という声も。群読は「読む者」だけでなく「聴く者」にも多くのものを与えてくれるようです。

「みんなに読んでもらって、作家冥利につきるでしょう」という鋭い指摘も。はい、その通りです。申し訳ないくらい、うれしい気持ちでした。

▼群読用テキストとしての『父は空 母は大地』
『父は空 母は大地』は、全部で二十のパートに分かれ、どこを読んでもいいし、どこから読んでもいいようにできています。抜粋でも構いません。まだ、どのパートも「つなぎ」ではなくて、それぞれ独立して訴えるものがあります。こんな群読の素材には、実に適したものかもしれません。

群読の面白さは、想像以上のものでした。この場だけではなく、みんながこの方法を持ち帰り、さまざまなテキストを使って広めてくれたらいいなあと、心から感じました。

▼次回課題
最後は、来週の話。各自、好きな素材を持ち寄って、朗読してもらいます。簡単な自己紹介と、朗読作品についての思い出や解説もお願いし、それをきっかけにして、みんなで対話を重ねていきたいと思っています。

例として、三つの作品を読んで、おしまいにしました。金子みすゞの詩「不思議」、茨木のり子「自分の感受性くらい」、そして宮澤賢治「春と修羅 序」です。耳で聴いて理解できる作品もいいし、理解できなくても心に響く美しい言葉はある。科学論文でも、漫画の台詞でも、薬の能書きでも、なんでもいいから、もってきてください、とお願いしました。一観客として、次回が楽しみでなりません。

最後に金子みすゞ「不思議」を、引用させてもらいます。
不思議
                金子みすゞ
私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑のはたべている、
蚕が白くなることが。

私は不思議でたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。

■ワークショップ「ポエトリー・リーディングのサロン」第一回を控えて

Wed, 20 Feb 2002 02:26:00

▼ワークショップの当日を迎えて

きょうは、いよいよワークショップ「ポエトリー・リーディングのサロン」の初日。ポエトリー・リーディングのステージは重ねてきたものの、ワークショップの指導ははじめて。参加者も、20名限定のところ、22名集まったと聞き、ちょっと緊張気味の寮美千子です。

この企画は、障害者による芸術「エイブル・アート」などの活動でも知られている財団法人たんぽぽの家が主催するワークショップ「ケアする人のケア」の一環として開かれるもの。大阪会場は劇作家の平田オリザ氏「対話のレッスン」、西宮会場は園芸作家銅金裕司氏の「箱庭園芸と私の物語」。そして、東京会場はわたしの「ポエトリー・リーディングのサロン」です。

「ケアする人のケア」というのは、つまり、ケアされる側ではなく、ケアする側の心のケアをしようよ、という企画。といっても、福祉関係者に限定しているわけではなく、すべての人に開かれたワークショップにしたいというお話を伺っています。
「英語のケアって言葉には、気にしてる、とか、大事にしてね、とか、好きです、という意味まで含まれている。そんなふうに、人と人が関わることについて、考えたいというワークショップです」と、事務局の方からお話をきいています。

さて、そこに寮美千子がどう関われるか。力を問われるところです。己の力量を顧みず、無謀にもお引き受けさせていただいたわたしですが、こんなふうに考えています。

▼言葉は本来、声として存在する

「はじめて聴いた音楽は、かあさんの心臓の鼓動だった」

これは、わたしが衛星放送ラジオ曲、セント・ギガに、放送中に読むための詩を書いていた頃、5月5日の子どもの日の番組に書いた言葉。考えてみれば、言葉は本来、声として発せられるものです。文字は、ずっと後から生まれたもの。言葉を発する人の声、顔の表情、身体の仕草、言葉が発せられる状況、時間、空間、言葉を取りまくすべての環境。そんなものすべてを含めて、言葉は、生きた言葉として、相手に伝わるものです。

例えば「こら」と一言いっても、それがどんな状況で、どんな声で、どんな表情で発せられたのかで、意味が全然違ってくる。だから、言葉は本来、言葉だけで自立して存在するものではありません。

そんな事情があるので、こんなことも起こります。ある人の本を10冊精読して、その人に会いに行ったら、15分話しただけで、10冊の本以上のことがわかる。それは、言葉が、単に言葉だけではなく、その回りのすべてを含めた情報として伝わってくるからに他なりません。それは、豊かな言葉。意味だけではない、すべてを含めた豊饒な言葉だからです。

言葉を文字にする、ということは、画期的発明でした。それで、遠くの人にも何か伝えることができるし、時代さえ超えて語りかけることができる。けれども、文字にしようとすると、多くのものがこぼれおちてしまうのは、仕方のないことです。そこには、それを発する人の顔もなければ、状況も、空気もないのですから。その、こぼれおちたものまで読もう、というのが「行間を読む」という行為ではないでしょうか。

しかしまた、文字にする、ということで、人は、別の力を得たともいえます。言葉を、結晶させることができるようになったのです。書かれた言葉を何度も読み返しては、無駄を省き、自分の書いた言葉にさらに思考を重ね、寝かしてはまた読み、手を入れ、そうやって、純粋結晶のような、すばらしい言葉を紡ぐことができるようになりました。それはきっと、ただ頭の中で考えただけ、垂れ流すように語るだけでは到達できなかったことかもしれません。

そうやって生まれてきた純粋結晶のような言葉に、人々が高い価値を置くようになるのは、当然のことだったと思います。

しかし、それが行きすぎて、本来二次的な産物であったはずの文字が、いつのまにか、大きな権威を持つようになってしまいました。活字として印刷されたものが大切、活字だから信用できるといった、活字偏重主義に、わたしたちは長いこと侵されてきたように思います。

考えてみれば、言葉は本来、声。万葉の歌も、ろうろうと朗読されるために書かれました。あのむずかしい万葉仮名で記された万葉集は、それを記憶に留め、いつまでも記録しておくための道具にしかすぎません。言葉とは、声に出して読んだ瞬間、そこに命を持って甦るものなのです。

声にしないまでも、本は誰かに読まれなければ、ただの紙の束です。読まれているその瞬間に、文字が意味を持ち、言葉として立ち上がってくる。そのとき、はじめて生きてそこに存在するものなのです。

それを、さらに声にして、肉体化しようとしたものが「朗読」です。さあ、やっと言葉が声として戻ってきました。

▼朗読とおしゃべりの違い

本を、声に出して読む。それは、とても面白い経験です。読む人も楽しければ、聞く人も楽しい。普段のおしゃべりと、まったく違う空気が流れ、時間が流れます。

それは、なぜでしょうか。わたしが思うに、それは「言葉の結晶化作用」と関係があるのだと思います。書かれた文字は、おしゃべりのように、ゆるい状態で発せられたものではありません。いまは、そういうものもとても多いけれど、ほんとうに結晶させようとして真剣に書かれた言葉には、独特の緊張感があります。無駄がなく、それでいて余韻があり、言葉から世界が、そして宇宙が広がっていきます。

わたしたちは普段、そんな言葉を吐くことはありません。だから「書かれたものを読む」という行為は、読む人にとっても、聞く人にとっても、普段とはまったく違う新しい体験なのです。

▼何を読むか 誰が読むか

何を読むか、ということで、そこに生まれる空間が違ってくることは、いうまでもありません。童話を読むのか、詩を読むのか、哲学書を読むのか、自分の日記を読むのか、薬の能書きや、パソコンのマニュアルを読むのか、それで、そこに生まれる空間や流れる時間が、すっかり変わってしまいます。

それだけではありません。同じものを読んでも、読む人が違うと、また別なものになるのが、朗読の面白さ。その人の思いや、背景、声の質や、アクセント、すべてのものが、言葉を単に意味だけではない、もっとふくよかなものとして立ち上がらせてきます。

セント・ギガに詩を書いていた頃、その詩が放送されるのが、とても楽しみでした。自分が書いた詩を、ナレーターはどんなふうに読むのか、どきどきして聞いていたものです。また、同じ詩でも、ナレーターが違うと、まったく雰囲気が変わりました。同じナレーターでも、後ろにかかっている音が違うと、また違うように聴こえてくるのです。それが、波の音なのか、笛の音なのか、どんな音楽なのか、そんなすべてが、言葉と一つになって伝わってきます。

セント・ギガでは、サウンド・デザイナーという人がいて、音の設計をしていました。面白いなと思ったのは、サウンド・デザイナーは、わたしの詩を、ひとつの素材として使いながらも、やはり言葉を核として音を構成せざるを得なかったということです。言葉は強い。意味があり、強いイメージ喚起力があります。サウンド・デザイナーは、言葉の持っているそのイメージを核として、そこから広がる音世界をつくっていました。そんなふうにして、言葉から広がった音世界に耳を澄ませるのも、当時のわたしの大きな楽しみのひとつでした。あのサウンド・デザイナーは、わたしのあの詩に、どんな音をつけてくれるのだろう。そう思って、どきどきしながら、番組を聴いたものです。

▼耳を澄ます

「耳を澄ます」という言葉が出てきたので、そのことについて、少し語りたいと思います。

わたしたちは、日常の中、以外と「耳を澄ます」ことがない。雑音に紛れ、なんとなく過ごしています。セント・ギガの仕事をして面白かったのは、この「耳を澄ます」ということに、目覚めたことでした。サウンド・デザイナーたちは「地球の音」を録るために、海へ山へとでかけます。わたしは、お抱えの詩人としてくっついていくのですが、森で、川で、海岸で、みんなが録ってきた音をその場で聴かせてもらって、びっくりしてしまいました。マイクの性能や録音技術がいいからということもあるけれど、そこにはくっきりと、いろんな音が録音されていたのです。鳥の声、せせらぎの音、波にも細かな音の表情があります。なんだか「ざわざわ」という雑音のようにして聞いてきたいろんな音が、実は一つ一つ表情や声や言葉を持って存在しているのだと知りました。世界は、音に満ち溢れている。

そう思って聴くと、いままで聴こえてこなかったものが聴こえてくるようになったのです。「耳が劈かれたんだよ」とあるサウンド・デザイナーはわたしにいいました。聴こえなかった人が、はじめて音を聴いたような驚きでした。

▼心を澄ます

日常では、ほんとうに「耳を澄ます」機会がありません。それは、とりもなおさず「心を澄ます」機会が少ないことなのかもしれません。誰かの表情をじっと見る。声にじっと聞き入る。そうやって、語る人に心を澄ます。その人を見つめる。見つめられることも、見つめることも、「忙しいから」という言い訳をして、わたしたちはあまりにもおろそかにしているかもしれません。セント・ギガに、こんな詩を書いたことがありました。
(クリスタル・ソング)

いちばん微かな音に
耳を澄ます

降り積もる 雪の音

いちばん小さなものに
目を凝らす

ひとひらの雪の結晶

いちばん近くにあるから
いちばん遠いものに
じっと 心を凝らす

すると 宇宙が聴こえる
きっと 永遠が見える

                    Copyright by Ryo Michico
近いものほど、よく見ていなかったり、耳を澄ませていなかったりするかもしれません。
朗読は、そんな近くに、心を澄ます、とてもいいチャンスです。ちゃんとその人を見つめ、その人の声に耳を傾ける。日常の時間の流れのなかでは得られない体験が、きっとそこにはあるはずです。

▼カラオケのように朗読を楽しむ

わたしは、よく家で飲み会を開きます。飲んで、話して、それだけでも面白いのですが、時折、酔っぱらって、みんなで朗読をすることがあります。読む人は立ちあがって、背中に光のあるところに行って、読みたいものを読む。飲み会の時は、蝋燭の光と間接照明だけにしてあるので、席では字がよく見えない、ということもあるけれど、舞台に立つようにそこに立つと、読む人も聴く人も、「さあ、やるぞ」「聴くぞ」という気分。その微かな緊張感が、またいい。朗読、そして拍手拍手。また飲む。カラオケみたいに、順番にいろんなものを読む。バックに音楽があっても楽しいし、なくても楽しい。どんな言葉が聴こえてくるかと心をときめかして待っている時も楽しいし、ああ、こいつ、こんな詩が好きなんだ、とわかるのも楽しい。こういうのって、結構楽しい。

ある時、飲み屋さんで飲んでいる時、そこの本棚にあったわたしの本を、いっしょに飲んでいた天文学者が読んでくれたことがありました。『ほしがうたっている』という絵本の、こんな一節です。
ひかりも なみ。
しんくうを つたわる なみ。
ちいさななみから おおきななみまで
どこまでも ひかりはある。
ひとのめに みえるのは
そのなかの ほんのすこしだけ。

まっくらな うちゅうは
みえないひかりに みちている。
もし それが みえたら
ほしぞらは どんなふうに みえるだろう。
みたい。
みえないものを ぼくは みたい。
これを声にして読んでくれたのは、森本雅樹氏。宇宙に満ちる見えない光=電波。日本に、それを見るための電波望遠鏡を作ったその人です。うれしくて、じんとしてしまいました。とてもいい時間でした。

▼ここから広がるリーディング・パーティ

そんなふうに、みんなが結晶した言葉を声に戻してやることで、言葉を受けとり、心を受けとり、その人を受けとっていけたらなあと思います。気取ったのじゃなくて、よれよれでいい。なんでもいい。これは、きっかけ。今回は、ワークショップという形で参加してもらいましたが、できれば、みんなで飲み会でもしたいところです。みんなが、これを持ち帰って、お家や飲み屋で、リーディング・パーティを開いてくれたらな、と思います。そこで楽しんだ人が、また別な場所でリーディング・パーティを開く。そんなふうに、これがきっかけで、どんどん広がって、当たり前のようなことになればいいなと、夢は膨らみます。

飲み会だけじゃなくて、ちょっとした時間を朗読に使っても楽しい。ケアする人が、される人が、その時間の中、ちょっとした時間を割いて、朗読の言葉に耳を傾ける。そこから、いろんな話が広がる。そんな豊かな時間を持てたら、お互いに楽しいのではないでしょうか。

そして、そこから新しい物語がはじまると思うのです。その「物語」とは? それについては、次回にまた書かせていただきたいと思います。では、よろしく!

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■四半世紀変わらない捏ね機の話

Tue, 19 Feb 2002 14:40:56

いいことが、みっつありました。
ひとつは、新聞連載小説「楽園の鳥」の入稿終了。
もうひとつは、憧れの「ベニエ」づくり大成功です。

ベニエに出会ったのは、ニューオリンズのカフェ・ドゥ・モンド。真夜中の揚げたてドーナツは、その後、拙作『星兎』に出てくるシナモン・ドーナツの原形となりました。ずっとつくりたかったんだけど、レシピがわからなかった。先日、そのレシピを本の中に発見。それに基づいてつくってみたところ、できたのです! おいしい! 揚げたてのあつあつ! やったね! これで、カフェ・ドゥ・モンド(日本にも各地に支店ができました)まで行かなくても、ベニエが食べられる。よかった。

もうひとつは、捏ね機をもらっちゃったこと。ご近所の和子さん(78歳の大学出の才女/お料理からお裁縫、なんでもプロ級)から借りてたんだけど、その話を和子さんのお友だちにしたら「あら、うちに一台余ってるのよ。あげるわ!」ということになり、そのお友だちからもらってしまったのです。驚いたことに、もらったのは和子さんに借りてたのと、同じものの色違い。これは「大正電機」という会社の「レディースニーダー」という捏ね機でした。

レディースニーダーは、捏ねるだけの機能しかついていない単純な機械。ところが、よくみれば、これがよくできている。和子さんが昭和58年に買ったものについていた説明書に「モデルチェンジはいたしません」と書いてあったので、まさか、と思いネットで調べたら、これが本当。四半世紀、ほとんどモデルチェンジをしていない。もらったレディースニーダーも、同じ機種だと思ってたけど、よく見ればわずかに改良がほどこされた新型でした。和子さんの説明書には、「つまみ以外、プラスチックの部品はございません」とも書いてありました。ボディはホーローだし、捏ねる羽根はアルミダイキャスト(いまは樹脂製らしい)。ともかく頑丈にできている。

いまの日本の電機製品は、改良改良で、どんどん新しい機種が出る。捏ね機&自動パン焼き機能付きオーブンレンジ、なんていう凄いものまで登場。それはそれで便利だけれど、どうも腑に落ちない。壊れたら「古い機種ですので、部品がありません」なんていわれるのはしょっちゅう。

単純な機能の機械を、モデルチェンジしないで作り続ける。そこに、企業の高い志を見たように思いました。こういうのは、とってもうれしい。レディースニーダーは、家庭用パン捏ね機(餅もつけるし、うどんもつくれる)として家庭に普及し、通算50万台製造されたそうです。家庭でパンを作る人を増やす原動力にもなっている。地道に、パン教室も開いているようです。

こういう機械を見ると、安心する。単純だから、壊れそうにないしね。捏ね機のついた、最新型のオーブンを買おうかと思っていたけれど、当分これで行くことにしました。だけど、もらったものには「パン捏ね用の羽根」がついていない。なくしちゃったのだそうです。でも、だいじょうぶ。こんな会社なら、きっと注文すれば部品だけ買えるはずです。

そんなわけで、わたしの「粉熱」は、当分覚めそうにありません。さて、次はなにをつくるかな。

http://www.biwa.ne.jp/~taishowr/sales/kneader.htm

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