ハルモニア Review Lunatique/意見

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■水餃子の達人/スローフードはおおらかに

Mon, 18 Feb 2002 20:30:53

さて、わたしが最近、粉料理にはまった原因は多々あるのだが、直接の原因となったのは、グレン横田氏の「ぼく、水餃子なら得意です。皮からつくるんですよ」(関西弁アクセントで)という発言であった。

ちょうど、その頃、わたしは冷凍水餃子を食べて、その手軽さとおいしさに感心。しかし、なかの餡の味がいまいちだったため「自分で作れたらなあ」という願望を抱いていたのだ。

また、10数年前、よくいった下北沢の「雪園」という中華料理屋でのお気に入りのメニューが水餃子だったことも遠因にある。もちもちしてぷりぷりっとした皮の感触がなんともいえずに好きだったのだが、ある日料理人がかわってからというもの、全然別の物になってしまった。あの時も「ああ、自分で作れたらよかったのに」と思ったものだ。

だめ押しのようにして利いたのが、王子を囲む会で行った下北沢のモンゴル料理店「遊牧民」。ここの、マトンの水餃子は逸品だった。

そんなわけで、ある日とうとう水餃子に挑戦。手でこねてこねてこねて、足で踏んで踏んで踏んで、生地を休ませる。それから、直径8センチに伸ばせと書いてあるので、変だなあ、6センチぐらいがちょうどよさそうなのになあ、と思いながらも、定規で測って本の通りにきっちり8センチに伸ばした。が、しかし、その結果、皮がやけに薄くなってしまって、思った物と全然違う物に。うーん、がっかり。

よくよく本を読んでみると「わたしの母はいつも目分量で粉を計っていましたから、わたしもこの仕事を始めたとき、分量を正確に記述するのが、大の苦手でした」なんて書いてあるではないか。なんてこった! 律儀に書いてあることを鵜呑みにしないで、もっと自分の勘に頼ってもよかったのだ、と気づいて、2回目は直径6センチ相当に。これが、うまくいった。大成功!

というわけで迎えた一昨日の水餃子パーティ。計算違いは、わたしが熟達していないので、80個分の皮を伸ばして包むのに、丸二日もかかってしまったということ。パーティ当日、わたしはもうへとへと。

そこへやってきた例の自称「水餃子の達人」グレン横田氏。「じゃあ、ぼくがちょっとパフォーマンスしましょうか」と腕まくり。幸い、つくりすぎた餡が残っていたので、ちょうどいい。お願いすることにした。達人の腕前や、いかに?

「三年ぶりだからなあ、覚えているかなあ」「困ったなあ。寮さんよりうまくできてしもたら、大変なことや」などといいながら粉をこねはじめた横田氏。「う、体が覚えているわ」と、にんまり。大事な骨董のちゃぶ台が歪むほどの力を込めてこねる。

こねた生地を休ませ、みんなとゆるりと酒を酌み交わしてから「じゃあ、やるか」と再び立ち上がる横田氏。みんなは、横田氏そっちのけで酒を飲んでいたが、わたしは横に貼りついて、極意を盗もうと目を皿にした。「う、そんなに見られると、やりにくいわ」といいつつ、体が動き始める横田氏。

生地を棒状に伸ばすと、適当にちょんちょんきって、20個の塊に。大小、かなりのばらつきが。「わたし、定規で測って等分しました」というと、豪快に笑って「こんなん、ほんとうは毎日のことだから、適当でいいのよ」と言い放つ。次は、手を小刻みに動かして麺棒を操り、みるみる皮を伸ばしていく。「真ん中は厚く、周りは薄くね」といい、その通りのものが出来上がる。その手際のよさ。しかし! 等分しなかったツケがここに。伸ばした皮は大小さまざま。しかも!丸くない。でたらめな形である。

しかし、その皮を使って包んでみて気づいた。実は、丸くなくてもいいのだ。手打ちの皮は伸縮性があるから、まん丸くなくても、ちゃんと包めるのである。さらに、茹でてみてわかったのだが、大きさの大小も、大して影響しない。アバウトの勝利である。

毎日餃子を食べるような生活をしていれば、まん丸く揃った大きさの皮を打てるようになるだろうけど、そこまで上達しなくても、全然だいじょうぶということは、大きな発見だった。むしろ、おおざっぱに手早くやって、あんまり疲労しないことのほうが大切。でないと、ちょくちょく作ろうという気をなくすことになる。そうか、これが達人の仕事だなあと、わたしはいたく感心してしまった。ほんと。誉めてるのよ、横田くん。

この水餃子をきっかけに、わたしはイーストを使ったパンづくりに没頭することになる。もうすぐ新聞連載の小説が終わるという安心感と開放感、そして、近所のおばあちゃまからこね機を貸してもらったということが原因して、ほとんど毎日イーストとおつきあい状態。こねては焼く日々である。

いわゆる流行の「スローフード」だ。これについて、いろいろ考えたことは、また別の機会に書くことにするけれど、本日の結論としては「スローフードはおおらかに!」ということ。わたしのように、いちいち定規を持ちだして測るようなことをしていては、続くはずがない。わたしも、さすがに昆布を10センチ測ったりするような人間ではないが、目の前でつくっているところを見て育ったわけではないので、こういう未知の料理に挑戦するときは、過剰に神経質になりがち。そこを強く反省。グレン横田氏のおおざっぱなところを見て、なるほどとなっとくしたのです。まあ、こんなこと、あえてわたしが声を大にしなくても、だれでもしてるだろうねどね。でも、声を大にしていおう! グレン万歳、おおざっぱ万歳!

では、参考のために手作り水餃子の皮のレシピ。

▼水餃子 40個分(直径6センチくらい)
(皮)
強力粉(スーパーカメリア)200グラム
水            110cc
(餡) 
お好きなものを 野菜が肉の倍以上入っている方が、おいしい。

1 粉と水を合わせ、なめらかになるまで力を込めてこねる。
2 30分常温で休ませる。
3 直径1センチくらいの棒状に伸ばす。
4 包丁で、40等分する。
5 打ち粉をうった台のうえで、細い麺棒で伸ばす。
  外側から中心にむけて麺棒を転がし、皮をぐるぐる回転させて丸くする。
  皮の真ん中は厚く、外側は薄く。
6 餡を包む。皮は乾きやすいので、5枚ほど伸ばしたら、包み、また伸ばす。
7 沸騰する大鍋で煮て、ぷっくり膨らんで、皮がすっと透き通るような気がしたらできあがり。
8 好みで白髪ネギ、香菜などトッピングし、ゴマ油を回しがけして供する。
9 酢醤油で食べる。辛いお酢があれば、なお可。

因みに、水餃子パーティ当日の餡は、
A 豚肉・白菜・にら
B エビ・大根・ねぎ
C 鱈のすり身・大根・大葉  でした。

■映画『PRISM』/心の闇と記憶の光が織りなすサイコファンタジー

Wed, 13 Feb 2002 21:22:58

▼期待の試写会

開始がお昼の十二時十五分というのが幸いしたのか。2002年2月12日、昨年の先行レイトショーが大評判で、この春のロードショーが決まったインディーズ作品『PRISM』のマスコミ試写会には、なぜか三名しか観客がいなかった。初回は立ち見まで出たというから、わたしはラッキーかもしれない。がらんとした下北沢の試写会場の座席に沈みこみ、わたしは期待と不安とがないまぜになった気持ちで、これから始まろうとする白い画面を見つめていた。映画の名は『PRISM』。インディーズの期待の監督、福島拓哉のはじめての長編映画だ。事前にもらったメールにあった解説が、わたしに複雑な、けれどより期待に傾いた感情を抱かせていた。

主人公は、バイセクシャルのドラッグ常習者である映写技師。「子どもの頃に読んだ童話」の夢に悩まされている彼が、恋愛映画『PRISM』のテスト上映を任される。試写室のような小さな映画館で一人『PRISM』をみる映写技師。彼は、街でその主演女優を見かけ、声を掛けるが、無視される。帰って、もう一度フィルムを見た技師は、映画の中に自分が写っていることを知る。絡まる現実と映画。そして、記憶の中の童話……。

これに、心がときめかないわけがない。錯綜する現実と幻想。現在と過去。物語と事実。ひょっとしたら、芸術オタクの難解映画、という懸念もあるけれど、これはまさに、わたしが連載中の小説『楽園の鳥』でやりたかったことではないか!

▼『PRISM』と『楽園の鳥』の共振

で、突然自分の話に振ってしまうが、千枚を超える拙作『楽園の鳥』を要約すると、こんなふうになる。

『楽園の鳥』の主人公ミチカは、童話作家。消えた恋人を捜しにカルカッタへと向かう。
 カルカッタは、二ヶ月前に恋人と訪れた土地だ。ミチカの心に襲いかかる記憶の風景。ミチカの心に、記憶の風景がアトランダムに差し挟まれる。どちらが現実で、どちらが回想シーンなのか。それは主人公ミチカ自身の、記憶と現在の時間の混乱を示している。
 ミチカは、カルカッタで締め切りの迫った短編小説を執筆する。現実に挿入される物語の時間。
 カルカッタ滞在中に出会うさまざまな人々が、ミチカにそれぞれの困難な人生の物語を語る。それも、細切れに挿入される。
 そこへ現れたひとりの日本人男性ダン。翻訳家であるダンは、ミチカが執筆した短編を英語に訳させてくれと申し出る。ダンが翻訳作業を進めるうちに、物語の世界と現実とが、奇妙にシンクロしはじめる。さらに、ミチカがかたる新しい物語の構想が、現実とシンクロし……。

というように、現在と過去、自分の物語と他者の物語、物語と現実とが錯綜する物語だ。そこに「童話」も絡んでくる。『PRISM』と『楽園の鳥』との、不思議な共振。午前中は死人のように眠っているわたしが、昼の十二時に、わざわざ下北沢まで出向いてこの試写を見ようと思ったのは、そんな不思議な共振があったからだった。

映画の中で、主人公の映写技師が、テスト映写のため、誰もいない試写室の椅子に身体を埋めて、真っ白いスクリーンを見つめる。そのシーンは、まさに、ついさっき、わたしがここでスクリーンを見つめた、そのシーンではないか。重なる現実と映像。過去と現在。不思議な胸騒ぎを感じながら、わたしはスクリーンを見つめ続けた。

▼「現実」「作中劇」「童話」の三本のライン

映画は、三本のラインの絡まりから成り立っていた。

ひとつは、現実。バイセクシャルの映写技師と、彼に心を寄せるホモセクシャルの男子学生。そしてその男子学生に恋する健康な女子学生だ。映写技師は、男女問わずベッドを共にし、ドラッグに溺れる退廃的な日々を送っている。男子学生は繊細で純情なお坊っちゃん。ひとり、異質なのが女子学生。この人物が、いちばん現実的だ。

ふたつめは、作中劇として登場する映画『PRISM』。主人公はブティックの女性店員。つきあってる男に婚約者がいると知って悩んでいる。そんな彼女に心を寄せる若きキックボクサー。体育会系のこの男の存在感が、いい。

三つめは、主人公の映写技師が幼い頃の読んだという、記憶の中にある童話の物語だ。昔々、伝染病で苦しむ民を抱えた王がいた。王は、病にかかった民を教会に集めて焼き殺す。そこから逃げ出したひとりの男の放浪の物語が、童話として語られる。

▼古典的な「童話」の力で「現実」と「作中劇」を束ねる

少しずつ小出しに語られる童話。それが、どんな結末を迎えるのか、観客は、いやでも引っ張られてしまう。現実と映画、二つの別個な物語をまとめ、観客を最後まで引っ張っていく牽引力として、この童話はとても有効だ。「昔話」というもっとも古典的な牽引力を使うことで、現実と幻想のパッチワークのような映画に、ひと筋の流れを与えた監督の手法は、とてもしたたかだと感心させられた。

▼「現実」と「幻想」の逆転

面白いのは、現実の映像が、暗く色の落ちた、幻想のような色合いで、作中劇の映画の画面の方が、よりヴィヴィッドな色彩で撮られていることだ。これにより「幻想」と定義されたものの方が、より強い現実感を持ち、逆に「現実」であるはずのものが、希薄な幻想のように見えてくる。これも「現実」と「幻想」を撹乱しようとする、監督のしたたかな技といえるだろう。

▼独自のバランス感覚

総じて現実感が希薄な登場人物たちのなかで、異質なのが、女子学生とキックボクサーだ。このふたりは、ある意味「健全な」「普通の」人々だ。

女子学生は男子学生がホモセクシュアルだと知り「直るわ。きっと直る」といって泣きだす。まるで彼が病気にかかっているような扱いだ。男が「いや、これは病気じゃなくて……」というのだが、聞く耳を持たず、挙げ句の果てに「直してあげる、わたしが直してあげる」といって迫り、彼と関係を結んでしまう。

キックボクサーは「今度の試合で勝ったら、ぼくと付きあってください」と自分勝手な目標を立てて、ひたすら頑張る。彼女に入れあげるあまり、ゴミ置き場からゴミを拾って検分するようなストーカー行為までしてしまうのだが、それでもなお、この男の発する雰囲気は「ビョーキ」ではなく「健康」だ。あーあ、一直線のおバカが、そこまでやっちゃうかよ、ですませられる心の健康さを失わない。

このふたりは、繊細さの欠けた、困ったくらいの健康ちゃん、つまりフツーの人である。けれど、それゆえに危ういところに足を取られないで生きていける。このふたりの人物像が、この作品に独特のリアリティを与えているところに、わたしは痛く感心した。でなければ、芸術オタクのアブナイ作品になってしまいそうなところだ。ゲイジュツに淫することなく、このようなバランス感覚を保てる福島監督に、心の余裕さえ感じる。もちろん、全力で頑張っているのだろう。それでもなお感じさせる余裕。そこに、大器の予感を感じないではいられない。

▼爽やかで、誠実な映画

自主制作映画というと、なんだかとても鬱陶しい芸術オタクの自己満足映画ではないか、と敬遠しがちだ。ことに、こんな現実と幻想と童話が錯綜する映画、となると、さらにその懸念が強くなる。しかし、見終わってみて、その不安は払底された。これは、爽やか、と形容してもいい映画だ。強く幻想を見ながらも現実を見失わない底力、自己満足に淫してしまわない自制心など、器の大きさを感じさせる監督自身の資質のなせる技だ。

安易な芸術映画に陥らない一方で、物語に安易な解決を与えた、わかりやすい感動映画になっていないところにも、監督の誠実さを感じる。

惜しいのは、照明や録音。低予算のせいか、やはり難が目立つ。それが、せっかくの映画を白けさせる一因になっている。このような力のある監督が、プロフェッショナルなカメラマンや音声の協力を得て映画を撮ったら、どんな映画になるか。心底、見てみたいと思った。

また、これも技術的な問題かもしれないが、映像の切れ味の良さがいまひとつだったのが惜しい。ブティック店員の恋の痛み、なども、物語として時間をかけて描くだけではなく、むしろ男の一瞬の動作や表情にぐっときてしまう店員の心、その視線で描かれていれば「恋する痛み」ももっと伝わってくるのでは? 

構想中の次回作は「痛い恋愛ロードムーヴィー」だそうだ。それってやっぱり『楽園の鳥』?! まさかネ。どんな作品になるか、今から期待が膨らむ。

http://rose.zero.ad.jp/~zaf72612/htmls/prism-1.html

■映画『PRISM』監督 福島拓哉氏 勝手にインタビュー

Wed, 13 Feb 2002 21:19:42

映画『PRISM』試写の後、この映画のプロデューサーである水戸芸術館の鈴木朋幸氏のはからいで、監督の福島拓哉氏とお茶をする機会をいただいた。下北沢の喫茶店でシナモンロールを食べながらの雑談。録音機もなく、ノートも忘れたのでメモもない。記憶だけに頼っての再現なので、不正確なところがあるかもしれないが、あまりに興味深い話だったので、忘れないうちに記しておきたい。

▼現実と幻想を逆転させた色彩設計

――映画の中で、現実の映像の色合いがくすんでいたけど、あれは?

福島 現実の方を、東欧のようなイメージにしたかったんです。東欧って、行ったことないんですけどね。どこか希薄な、色彩のくすんだ感じ。そんな感じにしたかったので、色や光を落としました。

――逆に、映画の中の映画の映像の方がクリアで、色彩もヴィヴィッドでしたね。

福島 作中の映画の方が、作中の現実よりかえって現実に見えてくる。そんなふうに撮りたかったんです。そういうことって、あるでしょう。現実より、夢の方がずっとリアルだってこと。

――ありますよね。夢の方が、夾雑物がない分、感情が純化されている。例えば、悲しいって思うと、もうほんとに悲しくて悲しくて、理由なんかなくて、悲しいって感情だけが純粋に存在する。だから、ぼろぼろとめどなく涙が流れたりして。そういう、純粋な夢の感情に比べると、現実は夾雑物だらけ。感情はそこに紛れてしまう。

福島 そうなんです。紛れて、希薄になってしまう。現実の映像では、その希薄さを表現したかった。だから、現実の場面の方が、色も光もずっと希薄に撮ってあるんです。夢の場面の方が、ずっと生々しくてリアルでしょう。映像もだけれど、物語もね。どろどろの三角関係の話だし。

――そうですね。見ながら、ああ、わざと撹乱させてるなって思ってドキドキした。現実と幻想が逆転していく感覚が面白い。

福島 ぼく、ほんとうに現実でもそんなふうに感じるんです。ぼくが感じてる現実って、ほんとうに現実なんだろうかって。そんな感じを表現したかった。

――それ、よく出ていたと思います。わたしがいま連載中の小説も、実は同じこと、考えて書いているんですよ。残念なことに、いまひとつその混乱が出ていないけれど。でも、目論見としてはそうだった。ただ、主人公は、現実と幻想、二つの世界を行き来しながらも、自分の足場は現実だというところに、あくまでも踏んばろうとする。あっちの世界に足をすくわれないように抵抗する。
 作品は、主人公の一人称で書かれているので、どうしてもその「現実が足場」の枠をとっぱらえないところがあるんです。
 でも、それでいいかもしれない、とも思っている。二つの世界があることを認めながらも、こっちの世界に自分の意志で留まろうとする主人公を描きたい。
 『PRISM』のなかでも、かなり幻想よりの人物がいる一方で、非常に現実的な人物が出てきますよね。ボクサーと女子学生。わたし、とくにボクサーのキャラが好き。

▼幻想的人物を救う現実的人間

福島 どのキャラがいちばん好きかって聞くとホモの男子学生を好きだっていう人がほとんどですね。あの役は、繊細で、いちばん感情移入しやすい得な役柄かもしれない。ボクサーを好きっていう人は、玄人筋っていうか、ちょっとひねくれた物の見方をする奴が多い。そういう人には人気です、あのボクサー。

――じゃあ、わたしもかなりひねくれ者の部類ってわけかな。ははは。
 その人気のホモの男の子に「直るわよ。わたしが直してあげる」っていう、あのピンのはずれた女子学生の描きかたも、すごくよかった。あの二人がいるから、この映画は単なるアブナイ幻想映画じゃなくて、もっと骨太のものになっているって感じたんです。

福島 あの女子学生は、実をいうと、もっとも観客の目線に近い人間かなって思っているんです。ある意味、いちばん自分と近しく感じられて、感情移入しやすい。

――世間の規範を、そのまま自分の規範として受け入れて、強い矛盾を感じないでいられる。そういう存在ですよね。

福島 女子学生もボクサーも、自分のことしか考えていない困った奴。でも、元気。

――相手のことを深く思いやる繊細さに欠けている。悪く言えば、無神経。だから、元気でいられるって面、ありますよね。その元気さ、健康さが、病んでいる人を救っちゃう。繊細じゃないから人を救えるっていう、そういう逆説みたいなことが成立しちゃう。

福島 そういうことって、実際あると思うんですよ。同質の人間、深くわかりあえる人間同士って、実は、長いこといっしょにいられないんじゃないかって思う。お互いがわかりすぎ、見え過ぎちゃって、息苦しくなって。
 でも、ああいう無頓着な奴が元気にしていてくれると、なんかこう、自分の細かい悩みなんて、存在しないも同然に扱われるから、かえってそれで救われるのかもしれない。

――いますいます。わたしの友だちにも、そういうカップル。男の方がすごく繊細。繊細すぎてむずかしい人なんだけれど、それがよくわからない女の子と結婚した。無神経ってわけじゃないけれど、資質が違うから、わからないんですよね。女の子の方は、かわいくて、いつもにこにこした元気な子。友だちは、結局その子の笑顔に救われちゃう。それでボコボコ子どもつくって、いい家庭つくっています。

福島 それは、本人が求めていたものとは違うかもしれない。胸焦がすような恋、っていうのとは、やっぱり違うでしょう。でも、平穏無事だし「ま、いいか」って。

――なんかズレていて、ほんとのしあわせとは違うかもしれないけれど、その「ま、いいか」に救われることってありますよね。そうじゃなきゃ、救われないことも。
 『PRISM』には、そういう健康さを感じたんです。純粋さにのめりこんで、そこに淫してしまわない。あのような、純粋な精神にとっては夾雑物であるような現実を差し挟むことで、映画全体が強靭になっている。そこに、すごく好感を持ちました。福島さんて、とても純粋で幻想的なのに、そこにしがみつかない余裕がある。その余裕が、いいですね。

▼恋する心の視線

――しかし、映画の中の映画に出てくる男、あれ、ひどい男ですね。婚約者がいて結婚するのに、別につきあっている恋人とも別れようとしない。あんなバカ男の、どこがそんなにいいんだって、思っちゃう。

福島 みんなにそう言われます。

――どんな恋だって、傍から見れば「あんな奴のどこがいいの?」みたいなものだけれど、本人にとってはたまらなく魅力的で、この人じゃなくちゃだめ、って感じ、あるでしょう。その本人の視線が、映像にもっとあったらなあって思ったんです。

福島 あのふたりの物語、もっとたくさん撮ったんですが、編集でずいぶんカットしたんです。それで、描き切れていなかったところもあったなあって思っています。もう少し、切らないで入れたらよかったかなあ。

――そうかなあ。素人考えでこんなこというのも何だけれど、あの男の魅力を、物語で説得する、っていうんじゃないような気がするんですね。長くなくてもいい。魅力的に見える一瞬が、映像として切り取られていたら、それで充分説得力あると思うんですよ。ちょとした仕草、目線。そんなものだけでも充分じゃないかって。恋それ自体が、そういうものでしょう。文脈のなかで恋するっていうより、なんか一瞬のことに魅力を感じてしまう。女の子の側のそんな視線が欲しかった。
 福島さん、男だから、なかなか女の子の視線になりきれないのかなあ。
 そういえば、ホモの学生が恋する切ない気持ち。あれがすごくよくわかった。やっぱり、男の気持ちは、描きやすいのかなあ。
 もしかして、女の気持ちがよくわかってない?

福島 ははは。そうかもしれません。もっと勉強します。

――でも、女の子が悲しむシーン。あれはよかった。悲しい気持ち、すごく伝わってきた。だから、一層惜しい。男の魅力がわかったら、もっと感情移入できただろうになって思いました。
 とはいえ、わたしも小説の中で、バカ男にひっかかるバカ女を描いているんですが、やっぱりむずかしい。どうしてこんな男に? こんな男のどこがいいの? ってことになっちゃう。まあ、わたしの物語は、相手に魅力があるっていうより、恋する本人に問題があって、それでバカ男に惹かれちゃうんだけれどね。だから、その本人の内面を描くことに重点を置いたんですが。

福島 女の子が「濃密な恋をした」って語るでしょう。ああいう濃密な恋って、相手がフツーの人じゃ、できないんですよ。相手がデタラメな奴だから、濃密にならざるを得ない。濃密って、そういうことかもしれない。

――納得です。相手がまっとうだと、まっとうな恋になるものね。
 結局、女の子はそのバカ男と自分の意志で別れるわけだけれど、やっぱり恋する気持ちが消えたわけじゃない。最後の、泣きながら地下街を歩くシーン、すごくよかった。

福島 あれ、撮影が大変だった。いろいろあって、一回しか撮れないってわかってたから、地上で何回もリハーサルして、思いっきりテンションあげて「さあ、行くぞ」って、まるで桶狭間の戦いに出陣するみたいな気分で行きました。

――その緊張感、こっちにもびんびん伝わってくるいい映像でした。

▼解決のない結末

――いいなって思ったのは、この物語、解決がないでしょう。安易な答えが与えられていない。

福島 いろいろあって、その結果、主人公や登場人物が何かを得たり、成長する。そういう形の方が、商業映画としては、わかりやすい座りのいいものができたと思うんです。でも、そういうことはしたくなかった。だって、人はそんなに簡単に成長できない。じわじわじわじわ成長して、すごく時間が経って、ぐっと後ろに引いてみると、ああ、成長したなってわかる程度しか、成長できない。

――それを描こうとしたら、大河ドラマになっちゃいますよね。

福島 限られた時間を切り取って映像にする場合、そんなに飛躍的な成長っていうのが最後にくるのは、嘘になる。ほんの少し変わったかもしれない、なにか目に見えないくらいの成長があるかもしれない。それを描くことしかできないと思うんですよ。

――わたしも、そう思うんです。簡単に成長させたり、悟らせたりしたら、嘘になる。そんなご都合主義的な嘘は、書きたくない。
 でも、そういうのを期待して読む読者は多いと思うんです。最後に救いがないと、そんな読者はがっかりする。
 それでもやっぱり、誠実に描こうとしたら、安易な解決は与えられない。
 『PRISM』は、その意味においても、誠実な映画だと思いました。
 ホモの青年は、結局フツーの女の子といっしょになる。それは、自分の望んだ理想のすがたではないかもしれない。でも、ま、いいか。それで生きていける。
 映写技師は、複数と関係を結びながらも、誰もちゃんと愛せない。愛したことがないという。「もしできるなら、やり直してみたい気もするけど、やっぱり同じ人生になると思うんだ」と告白する。
 正しい解決もなければ、成長もできない。でも、なにか生命力みたいなものの側に足場を持って、しぶとく生きている人。そんな力を感じました。

福島 ぼくはね、星座を読むみたいに、ぼくの映画を見てくれたらなって思うんです。ひとつの軸になる物語があって、それが解決されて終わるのではない。映画のなかに、いろんなことが、星みたいに散りばめられている。昔の人が、星をつなげて、そこに自分で物語を付与したように、みんな自分でそこに物語を読みとってほしい。そう思っています。

――だから、映画をひとつだけの物語に収斂させてしまうような結末が用意されていないんですね。

▼映画でしか語れないこと

――ノベライズはしないんですか。

福島 ぼくがしようとは思いません。誰か、ぼくの映画を見て触発された人が、小説にしたいというなら、それは歓迎だけど。最近思うんですが、やっぱり映画でしか言えないことがあると思う。映画だけの手法があると思う。
 たとえば、小説や物語だったら、起承転結、の結の部分だけが異様に短かったりしたら、バランス悪くてだめってことあるでしょう。でも、映画はそうじゃないんじゃないか。結が短くてもいいんじゃないか。映画の一瞬一瞬で訴えていけばいいんじゃないか、と思うんです。

――落語だって、オチなんて、どうでもいい。その過程を楽しめれば、それでいいってこと、ありますよね。

福島 ええ。ぼくのやりたいことには、やっぱり映画という形が、いちばんふさわしいと思う。だから、もっと映画を作りたいですね。

――期待しています。次の作品は?

福島 三本くらい並行して考えているんですが「痛い恋愛ロード・ムーヴィー」かな。

――それすてき。楽しみ。はやく見たいな。がんばってください。


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■日本詩人クラブ2月例会「二十一世紀に現代詩の未来はあるか/詩と文明の危機をめぐって」報告

Mon, 11 Feb 2002 17:38:51

▼百人の詩人、一堂に会す!

日本詩人クラブの2002年2月の例会に、一色真理氏が出演というので、出かけた。テーマは「二十一世紀に現代詩の未来はあるか/詩と文明の危機をめぐって」。911のテロ事件とも深く関わる話題なので、これは聞き逃せない。

会場は神楽坂の赤城神社のすぐ隣にある教育会館。会館の名前が「神楽坂エミール」というのが渋い。エミールって、あのケストナーのエミールか。なるほど。

遅れていったのだが、扉を開けて驚いた。ぎっしりの人だ。百人は軽く超えていた。用意した椅子に座りきれず、後ろの壁ぎわにも椅子をびっしりと並べ、その椅子も満杯。名前を書いて会場費の五百円を支払おうとすると「あ、会員の方じゃないんですか」といわれた。ここに集まっているほとんどの人が、日本詩人クラブの会員らしい。すると、目の前にいるのは、全部詩人? こんなにたくさんの詩人をいっぺんに見たのは、生まれてはじめてだ。日常で詩人という人種に会うことはほとんどないのに、いったい、詩人たちは普段はどこに潜んでいるのだろう? 最後列に座ったので、後ろ姿しか見えなかったが、みんな詩人らしい風情を醸しだしている、と思うのはわたしの思い込みか。あながちそうでもないだろう。一見地味な、それでいてどこか派手な雰囲気を漂わせた人々だ。この人々が、すべて詩集を出したりしているのだろうか? 本屋さんでそんなにたくさんの詩集が並んでいるのは、見たことがない。それらの言葉は世界のどこを徘徊しているのだろう。見えない空間で飛び交う詩集の頁をイメージして、わたしは頭がくらくらした。

会場ではちょうどディスカッションのはじまるところ。司会の石原武氏が、パネラーの一色真理氏、中村不二夫氏の紹介をはじめたばかりのところだった。とても丁寧な紹介、というか、微細に渡る紹介に続いて、石原氏本人の自己紹介、きょうのディスカッションの意図についての説明がある。熱がこもる。話は、やはり911のテロ事件に及び、今日の世界情勢、アメリカ主導の資本主義一色に塗りつぶされた世界への問題提起などが、縷々と語られた。司会というより、このまま大演説に突入か、という勢いだ。

石原武氏の正確な年齢は知らないが、1955年生まれのわたしよりはかなり上の、マルクス主義の洗礼を受けた世代、らしい。当時、文学は社会改革の夢と強く結びついていた、ということは、わたしも歴史としては知っていた。しかし、どうも釈然としない、というか、実感できなかったのだが、石原氏を見ていて、ああ、なるほどそういうことだったのか、と腑に落ちるような気がした。社会の在り方に対する疑問、自分の生き方に対する疑問が、そのまま政治や社会思想に直結し、それを表現する手段のひとつが文学であった、という時代があったのだ。石原氏は、その時代の空気をいまも濃厚にまとっていらした。

しかし、さすが老練な司会者。そのまま大演説に突入することなく、自ら「これでは司会ではなくなってしまいますので、この辺でマイクを一色さんと中村さんにお渡ししましょう」ということになった。ここにお二人の発言の要旨を再録する。(注:走り書きのメモを元にしているので、「わたしにはそう聴こえた」ということで、発言者の趣旨に沿っていないかもしれません)

▼一色真理氏 発言要旨「詩人は後ろ向きか横向きであるべき」

国家とはなにか? といった大枠からの話ではなく、ぼく自分自身の体験に従って話を進めたい。

例えば100人の人がいたとして、そのうちの99人が同じ一つの方向を向いている時、1人だけ別の方向を見ている。その1人の眼差しを語るのは、詩人の役割ではないか。ぼくはそう考えています。

911のテロ事件についてですが、昨年十二月に、アメリカ政府が発表したビンラディンのビデオについて、大変興味深いことがありました。ビンラディンは、さして長くないこのビデオのなかで、二回に渡って「夢」について語っている。翻訳されている資料から、その部分を引用します。
(夢の話 1)
彼(アブ・アル・ハッサン・アル)は1年前に私に『夢の中で、米国人を相手にサッカーをしていた。我々のチームが競技場に現れると、みんなパイロットだった』と語った。彼は『これはサッカーの試合なのか、パイロットの試合なのか』と言った。彼は、ラジオで聞くまで、作戦のことはなにも知らなかった。彼が言うには、試合は続き、我々のチームが相手を負かした。それはよい前兆だった。

(夢の話 2)
我々はカンダハルにある同志の護衛のキャンプにいた。この同志は、グループの多数派に属していた。彼が近づいてきて、私にこう語った。夢の中で米国の高いビルが見えた。そして、村長が彼らに空手を教えていた。その時点で、私は心配になった。もしみんなが夢に見るようになったら、秘密がばれてしまうのではないか。だから、私は話題を取りやめた。私は彼に、もし夢を見てもだれにも語ってはならない、といった。

このような発言からぼくが感じたことは、911は、物質文明のネットワークとしてのグローバリズムに対する、夢の文化に代表されるような、精神文化の夢のネットワークからの反乱だったのではないか、ということです。

グローバリズムは、効率性を追及した、前向きのもの。それに対して、夢のネットワークは、簡単には現実の役に立たない、効率性に関係ない後ろ向きのもの、と言い換えることができるかもしれません。

詩とは、性急な効率性を意図して、前向きに書かれるものではないのではないか。この効率一点張りの世界のなかで、せめて詩人は最後の最後まで、後ろや横を向いて生きるべきじゃないか。ぼくはそう思っています。

ぼくはよく、バスやタクシーに乗っている夢を見るのですが、バスだと、みんなの座席が前を向いているのに、ぼくの席だけがなぜか後ろ向きになっている。タクシーでは、横向きの座席なのです。ああ、ぼくの夢は、ぼくのことをよく言い当てているなあと思います。

(一色さんの語られる「夢」と、シュルレアリスムの関係は? という質問に)
シュルレアリスト、というのは、自分の生き方そのもので、現実にアンガージュマンした人々だと思っています。ぼくは、社会や政治に関連したことを直接書くことで、社会に参加した、何か発言した、と錯覚したくない。書く内容(アイテム)ではなく、自分自身の生き方として、社会に問いかけていきたい。そう思っています。

(しかし、読み手が手にするのは一冊の詩集、一遍の詩。書き手の生き方そのものまでは見えてこないが、という質問に)(これは、わたしがコトをより明らかにしようと思ってワザとした)

生き方が、書き方に反映される。反映されなければ、それは詩ではない、とぼくは考えます。ですから、そのような心配は必要ないのではないでしょうか。質問した人も、わかっててしているのかもしれませんが。

▼中村不二夫 発言要旨 「自我拡張ではなく自己客体化を求める」

わたしは、今の時代に対しては絶望もしていなければ、楽観もしていない。こうでなくてはいけない、という主義主張も強く持たない。「積極的な日和見」という姿勢をあえてとっています。ああではないか、こうではないかと、さまざまな角度から複眼的に物を見ること。そこから見えてくるものがあるのではないか、と思っているからです。

資本主義は、すでに末期的な状態にあるのではないでしょうか。911がなくても、この問題は早晩我々に突きつけられた問題だと思います。

資本主義の問題点は、それが過剰な生産と消費に支えられなければならないということ。、そして、それを支えているのは、一人一人の肥大した欲望なのです。この過剰な生産と消費の悪循環を断ち切るには、どうしたらいいか? 

『「捨てる!」技術』(宝島社2000)という本が大流行しましたが、この意味するところは何なのか? もっともっと物を買うために物を捨てなければならない、といった、行きつくところまで行った現象なのか。それとも、物質というものへの幻想を捨てた、精神の成熟の現われなのか?

日本は今まで、資本主義の先輩としてアメリカに見倣ってきました。しかし、いま、見倣うべき相手を変える時がきているのではないか?

近代への懐疑、は必然として「自我」の問題に結びつかざるをえない。わたしたちはもっと「自我の客体化」を必要としているのではないか。

現在の詩は、自我拡張のオンパレード状態。わたしをわかって、わたしを知ってと、これでもか、これでもかと迫ってくる。そういう詩がほとんどです。正直言って、辟易してしまう。読み手に迷惑をかけるような詩が多い。

もっとひっそりと、あなたの許に訪れましたよ、というような、なるべき読み手に迷惑をかけないような詩を書きたい。自分の主観により、自分を客体化する、そんな詩を書いてみたい。そんな気持ちで、わたしは最新の詩集をつくりました。

わたし自身としては、もうひとつ「紹介者」という仕事に重きを置いています。キリストも、自身では言葉を残していない。使徒パウロがその言葉を広めていった。ソシュールも自身では本を書いていない。学生が残した講義録によって、その仕事が我々の手に渡ったわけです。また、宮沢賢治や萩原朔太郎も、すぐれた紹介者なくしては、今日のように流布することはなかった。どこにすばらしいものが眠っているのか、わからない。わたしは、紹介者として、ありとあらゆるものに目を注いで、全体を俯瞰し、よいと思う作品を紹介していきたい。よく「どうしてこんな誰も知らないような作家の作品を翻訳するんですか」と聞かれることがありますが、例えそれがメジャーな作家ではなくとも、よい作品を掘り起こして紹介していきたい。そう思っています。

▼「国家とは?」

一色さん、中村さんの基調発言が終了し、討議にはいることとなった。司会者が提案したのは「わたしたちはいま、大変な現実にさらされています。では、現実とは何か? わたしたちは現実に日本という国にすんでいるが、それをどう捕らえているのか? あなたにとっての国家とは何か? それについて話しあいたいと思います」ということ。やはり、流れがどうしてもそっち向きになる。当然のことではあるが「社会とわたくしとの関係」「よりよき社会の実現にはどうしたらいいのか」という、石原氏の世代が正面から取り組んだ政治の問題は、まだまだ答えがでていないのだなあ、それをいまもずっと考え続けていらっしゃるのだなあと、強く感じた。

次の予定が入っていたので、わたしはここで途中退場させてもらった。詩人ならば、だれでもわかっているような初歩的なことをわざわざ質問し、流れを撹乱し、司会者にたしなめられ、挙げ句に途中退場という、掟破りで迷惑千万なわたしではありました。ここに深くお詫びします。

▼巨大な流れのとしての時代のなかでの「詩人」という存在

一色真理氏の、詩人と時代とのスタンスについての意見、わたしはとても興味深く聞かせてもらった。時代の大きな流れとは無関係に、というか、左右されず、詩人が詩人としての眼差しを失わないこと。これは、とても大切なことだと思う。

わたしは以前、空襲ですべて焼けてしまった祖父の書いた文章を探すため、国立国会図書館で、昭和初期から昭和二十年までの「サンデー毎日」「週刊朝日」のマイクロフィルムをすべて閲覧したことがある。勿論、内容をすべて読んだわけではなく、ただただ頁をめくり続けたのだが、その大量の文書を流し見することで、実に面白いことがわかった。

大正リベラリズムの余韻がある昭和初期、雑誌にはある意味、自由の気風がみなぎっていた。当時、科学記事が当たり前のように大衆誌に載っていたことも面白い。二十世紀、新しい科学技術への期待、というのも勿論あったが、それだけではない。科学という方法論で、世界を理解しよう、捕らえよう、世界がどのようにできていて、人間はどのような存在であるのかを考えたい。人間とは? 世界とは? そんな根源的な疑問を、真摯に追及しようとする姿勢があった。例えば、祖父寮佐吉の書いた記事に、樹木が地球生態系にどのように寄与しているか、という科学解説記事があった。「詩はわたしのような愚か者がつくるが、神のみぞ樹木をつくりたもう」という有名な詩の引用からはじまるこの記事は、樹木がいかに生物の生活を支える根本の存在かを熱く語っている。

そのような風潮が怪しくなるのは、戦争の足音が近づいてからだ。科学記事はめっきり少なくなり、かわりに皇室やスポーツ選手のゴシップが誌面を埋めるようになる。科学記事があったとしても、いわゆるトンデモ記事。京都大学教授だの東京大学教授だの権威ある人々が集まって座談会を開き「米は日本からアジアの各地に広がっていった」などという、非科学的な、日本中心主義の見解が平然と載るようになる。

アインシュタインの相対性理論の啓蒙書やマックス・プランクの量子力学の本を翻訳していた祖父は、原爆の可能性についてかなり早い時期に気づき、雑誌にも載せていた。しかし、恐らくはそれが原因で雑誌から完全に干されることとなった。アメリカの国力と戦力について現地からかなり情報を得ていた祖父は、戦争反対を唱え、日本は負けるという記事を書いて各新聞社に寄稿した。コピー機のなかった時代、祖父の書いた原稿を、五人の子どもが筆写したという話を、わたしは父から直接聞いている。子どもの字で届いた原稿の信憑性が疑われたのかもしれないが、ついにどこも取り上げてはくれなかったという。

そんな時期、詩人たちは「戦意高揚」の詩を書く。それが、大衆誌を華々しく飾る。え、こんな人が、臆面もなくこんなことを書いたの? とわたしはマイクロフィルムを前に絶句した。知識としてはそんなことがあったと知ってはいても、それを肌で感じる機会は少ない。しかし、図書館のマイクロフィルム閲覧室で、一頁、また一頁と立ち上がってくる生の言葉の前に、わたしは時代の大きな流れの持つ恐ろしさをひしひしと感じないではいられなかった。

時代にコミットするということ。その時代に「善きこと」と信じられていることに荷担するということ。それは体制側であれ、反体制側であれ、そういう形で大きな時代のうねりに呑みこまれていく、ということから逃れられないことなのもしれない。

そんな折、詩人が詩人として、自己の内面を、たったひとり、確固として紡ぐこと。それは、とりもなおさず、巨大な流れへの、実に大きな抵抗であると思う。一色真理氏のしようとしていること。それはそういうことではないか、とわたしは思った。

もちろん、だからといって時代に直接コミットする言葉を否定するつもりはない。わたし自身も、911をテーマにした言葉を発信している。二者択一ではない、と思うのだ。どちらの方法論も有効なところもあれば、弱点もあるだろう。けれども、一色真理氏のようなスタンスを忘れない詩人が存在すること、そのようなスタンスを失わないこと、それは、実に大切な、世界にとって必要不可欠なことだと思う。

詩人と名乗る覚悟がないため、わたしは自分のことを「詩人」とアイデンティファイしたことはないが、あの会場では「詩人」という存在が当然としてあるように語られ、また「詩人はどうあるべきか」という語られ方をしていた。会場を埋め尽くした百人を超える詩人たちは「詩を書く」「詩人である」ということをどう受けとめているのだろう。見えない百冊以上の詩集の幻影とともに、そのイメージはわたしをくらくらさせた。わたしが退場した後、活発が議論が交わされたことと思う。それを聞くことができなかったことを、とても残念に思っている。

■ヒマラヤの山中に煌々と輝く電灯の話

Mon, 04 Feb 2002 06:35:12

1993年のこと、ヒマラヤのアンナプルナ内院をトレッキングした時のことだ。アンナプルナ山系を源流とするモディ川最上流の村チョムロンまで来たとき、わが目を疑った。山中に煌々と灯る電灯。それまで、どの村にも電気はきていなかったのに、どうしてここに? 道案内のシェルパが「あれは、ハヤシという日本人がつくった電気だ」というので、わたしはさらに驚いてしまった。

その時に、まず思ったのは、どうしてこんな山奥に電気を灯さなければならないのか?ということだった。そんなことをするボランティアの日本人のことを、正直いって「おせっかい」だと思ったのだ。確かに不便だったが、夜の闇が、ほんとうの深い闇になる山の暮らしを、その時、わたしは好きになりつつあった。

しかし、よくよく話を聞いてみて、わたしは自分の間違いに気づいた。電気があるから、山の木を伐って燃料にしなくてすむ。そのために、自然破壊がとまった。それまでは、里から高い灯油も買わなければならなかったし、それを運ぶための労力も一方ならぬものがあったけれど、その必要もなくなったので、さほど現金収入の必要がなくなった。その分、生活に余裕が生まれた。灯油を買うために無理な仕事をしないでもすむようになった。つまりは、いいことづくめだ。

ある程度はエネルギーの自給自足ができるようになったおかげで、自然破壊も止まり、エネルギーを他者に依存しないでやっていける体制が、村に整った。自立した暮らしができるようになったわけだ。

そのせいもあってか、チョムロンの景色は、他の村とはまるで違った。スイスの別荘地のような、落ち着いたたたずまい。豊かさの度合いが、他の村とは格段に違うらしい。

そのエネルギーの供給源は、川。アンアプルナを源流とするモディ川の水で、水車を回して小規模な発電を行っている。これなら、生態系にも深刻な影響を与えることもない。

現在の電気漬けの都市生活では、それくらいの小規模発電の電力では、とてもすべてをまかなうことはできないかもしれない。しかし、そういうスタイルをすべての人が取り入れることで、少なくとも「足りない」と言われている電力の(それもウソらしいけど)ある部分はまかなうことができるのではないか。原発のような大規模発電にばかり巨大投資していないで、そのような小規模発電の研究開発に投資したり、助成金をだして普及させることで、どれだけいい結果が得られるかしれない。

そのような投資は、丼勘定、などというわけにいかなくて、原発からみたら、まるで駄菓子屋さん規模の商売にしかならないのかもしれない。だから、企業も政府も、力を入れようとしないのだろう。しかし、それでいいのか?

チョムロンの発電装置は、トレッキングにやってきた日本人・林克之さんが、すっかりネパール贔屓になり、独力で始めた事業だという。ネパールの雨期は日本で働いて稼ぎ、そのお金でネパールの地元で入手できる資材を購入、自ら敷設して少しずつ発電量を増やしていったという。アメリカのアーティスト、故アンディ・ウォホールも、このプロジェクトに賛同してカンパを寄せたという話もある。

しかし、このような事業を個人任せの美談に終わらせてはいけないと、わたしは思うのだ。小規模なクリーン発電の開発。こういうことこそ、社会や企業が総力をあげてするべきことではないだろうか。いままで原発につぎ込んだお金をそこに使っていたら、どんなにか違う社会になっていただろう。目先の利益でなく、真の利益を目指して動く社会や企業。そういう体質をつくるのは、どうしていったらいいのだろう。

■明治学院大学 「三蔵2」復刊記念朗読会 朗読原稿

Sun, 27 Jan 2002 16:29:06

▼都市の記憶
▼だからイルカは微笑みながら泳ぐ
▼911
▼Je voudrais crever/ボリス・ヴィアンに捧げる
▼未来のための呪文




■都市の記憶

百年後の廃虚に
いま
棲んでいる

千年後の砂漠に
いま
生きている

無数の窓が 
鏡になって
青空を反射している
だれも 見あげない

区切られた四角い空を
すべる昼の月
よぎる鳥の群れ

大理石の壁のなかで
アンモナイトは 夢見ている
時の彼方を

エレベーター・ホールに
ときおり響く 波の音
だれもが 空耳だと思っている

一万年後に ふたたび海となる地に
いま
都市がある

百万年後に だれが
それを
記憶しているだろう


■だからイルカは微笑みながら泳ぐ

海が 抱きしめてくれるから
わたしを
わたしの愛する者たちを
やわらかなその腕で
どこまでも抱きしめてくれるから
もう 何もいらない
愛する者たちを 抱きしめる腕さえ
わたしは捨てた
だから
自由に泳ぐだけ
ここには 確かに
哀しみよりも より多くの歓びが満ちている

この海の青さは
きっと空より 深い
あなたがたが目指す 遠い空よりも

陸のうえの兄弟たちよ
どうして そんなに哀しい顔をする
愛する者を抱きしめる その腕で
もっと 多くをつかもうとし
いつも 何かをつくりつづけて
どこまでも 走ろうとするのは
きっと いつも何かが足りないからだ
何を探しているのだろう
いつになったら 足りるのだろう
どこまでいったら 安らぐのだろう

いつも何かを求めて
なお さみしげな二本足の兄弟よ
できることなら
戻っておいで
ここに戻っておいで

この海の青さは
きっと空より 深い
あなたがたが焦がれる あの空よりも


■911

アナウンサーはいった。
「これは映画ではありません。現実の映像です」
「これは映画ではありません。現実の映像です」

夢のように 美しい夢のように
夢のように 忌まわしい夢のように
夢のように 荘厳な夢のように

飛行機は衝突し、ビルに吸い込まれ、爆発し
飛行機は衝突し、ビルに吸い込まれ、爆発し
飛行機は衝突し、ビルに吸い込まれ、爆発する
繰り返し、繰り返し、繰り返し……
飛行機は衝突し、ビルに吸い込まれ、爆発する

「これは映画ではありません。現実の映像です」
「これは映画ではありません。現実の映像です」
「これは現実ではありません。架空の映像です」
「これは現実ではありません。架空の映像です」
「これは映画ではありません。現実の映像です」
「これは映画ではありません。現実の映像です」
「これは現実の、架空の、現実の、架空の、
現実の、架空の、現実の、架空の、現実の、架空の現実です」

これは映画ではありません。現実です。


■Je voudrais crever/ボリス・ヴィアンに捧げる

ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
この花の森の奥の奥
千の迷路を抜けてたどりつく
有史以前から生きてきた巨きな樹の根本で
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
どこかで知っていたはずなのに
どうしても思い出せない
せつなすぎる花の香りに包まれ
香油を塗りたくられて 薄っぺらな永劫をまどろむ
エジプトの 哀れなミイラを思いながら
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
赤ん坊だったぼくの頬に
やわらかく触れた乳房の感触で
ぼくを執拗に撫でまわす春の風のなかで
まだ見えなかったぼくの目が 微かに感じていた
生まれる前にいた場所に満ち満ちていた
淡い光の渦巻くなかで
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
軽薄な歓びが
生きている不安を足早に追いこす前に
ぼくは くたばりたい
地球とぼくとが
苦痛にすっかり麻痺してしまう前に
完全なる満月に落ちる 都市と人の影が
月を 真空の闇に溺れさせてしまう前に
愚かなことばたちの群れが 
空を覆い尽くして
星々の名をすっかり明らかしてしまう前に
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
花々が季節を忘れ果ててしまう前に
風と波との区別のつかない一瞬の時間のなかで
四角く区切られた絶望を
まだ いとしいと感じられるうちに
透明な痛みを感じられるうちに
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
生け贄の山羊のように
頭のない首から 空高く太陽を噴きあげ
祝福の打ち上げ花火になって
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
開ききった瞳孔の奥で
真昼の星の輝きを網膜に感じながら
崩れ落ちる摩天楼に
逃げまどう人々の恐怖の叫び声を
遠い海のざわめきだと勘違いして
至福の微笑みを
この春の日にゆるやかに舟のように浮かべ
名前を呼びながら
失われた名前を
だれも聴きとることのできない 
かすれた声でつぶやきながら
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい

だから だれかぼくを屠殺してくれないか
ゆるやかに磨滅させるのではなく
絶望を降りつもらせるのではなく
この一瞬に
ぼくを 奪ってくれ
ぼくを 葬ってくれ
永遠に
永遠のなかに


■未来のための呪文

世界は 少しずつ美しくなる
世界は 少しずつ美しくなる
世界は 少しずつ美しくなる

何ものにも傷つけられることのない結晶が
恐ろしくゆっくりと育つように

何ものにも傷つけられることのない結晶が
恐ろしくゆっくりとしか育たないように

世界は 少しずつ美しくなる
世界は 少しずつ美しくなる
世界は 少しずつ美しくなる

                  Copyright by Ryo Michico

■声いろいろ人いろいろ 明治学院大学「三蔵2」復刊記念 朗読会報告

Sun, 27 Jan 2002 16:09:32

四方田犬彦氏の企画により、明治学院大学言語文化研究所主催の「三蔵2」復刊記念朗読会が、昨日1月26日、同大学のアートホールで開催されました。10名の詩人・歌人が次から次に出て、いったいどんなことになるのだろう? とちょっと心配もし、怖じ気づいたりもしたわたしでしたが、結果は、実にすばらしいものでした。

ともかく、誰も似ていない。書く言葉も、朗読の仕方も、誰も、誰にも似ていない。音楽もなく、ひたすら声だけで展開した朗読会であるにかかわらず、千差万別、百花繚乱、ちょっとオーバーフロー気味ではあったけれど、飽きるということのない朗読会でした。

(第一部)
トップバッターは、高見順賞を受賞した詩集『海曜日の女たち』の阿部日奈子さん。苦しい愛に打ちのめされそうな、生々しいまでの告白、に似た詩を、マイクなしでさらりと読む彼女の立ち姿の美しさに、まず驚かされるところから、会ははじまりました。

そして、中原中也賞受賞の蜂飼耳さん。朗読は受賞作『いまにもうるおっていく陣地』(紫陽社)から。座間在住の二十五歳の詩人は、天鵞絨のドレスの首と腰に鎖を巻きつけたスタイルで朗読。その服装とは裏腹な、子どものような明るい声が印象的でした。

石井辰彦氏の短歌は、寄せくる大波小波に翻弄されるよう。海の底から湧きあがる水死人の霊がそこに立ちのぼってくるような鬼気迫るものが。昨年暮れ、ニューヨークで朗読会を開き、多数詩人が朗読したなかで、石井辰彦氏が登場するやいなや、会場が水を打ったように静まりかえり、異様な緊張感に包まれた、というのもなるほど、と思わせられる迫力。憑き物に憑かれた、というか、何かが降臨した感覚。ゲイリー・シュナイダーが六時間連続朗読会を開いたといので、数年のうちにはぼくもやりたい、と、気炎をあげていらっしゃいました。

そして、小池昌代さん。昨年暮れにご出産なさったばかりの彼女の、ふんわりとした輝き。その輝きそのままの、端麗な、そしてやさしさと生命に溢れた朗読。「三蔵2」掲載の小枝の詩も、五歳の冬に山中の露天風呂でカモシカに出会った詩も、どちらも映像がくっきりと立ち上がり、すばらしかったです。カモシカの詩など、そこに流れていた清冽な空気まで吸ったような気がしました。

(第二部)
第二部のトップは、松井茂さん。コンピューターでプログラムした作品を、スピーカーから流し、正面では、フランス人形のような美少女がそれを手話で語るという、意表をついた趣向。デジタル音楽のようなその音に、会場の雰囲気は一転。あまりに強く会場を覆ったデジタルな雰囲気に、次に出番を控えたわたしは真っ青。ここから、どうやって「声」の世界に人々を連れ戻るか、戻れるのか、不安にさいなまれました。

そして、わたし。足は震えなかったけれど、原稿を持つ手が震えて困った。終わったときには、がっくりと膝の力が抜けるような気分。そのままそこへへたり込みたい、という感じでした。今回、はじめて音楽なしでの朗読。CDでもいいから、音楽を使おうかとも思ったのですが、みんなが素で読むのに、わたしだけ、というのも気が引け、素なら素で勝負だ! とばかりに出た舞台。素で読むことは、思ったよりずっと面白かった。機会があったら、またやってみたいと思いました。

さて、わたしが引っ込むと同時に客席から、なぜか裸足で踊りでてきたのは、田口犬男さん。控え室で「緊張する。朗読すると、胃が痛くなる。読んだ後に」といっていた彼。裸足で、飛び跳ねるようにして体中でリズムをとりながらの朗読。時々、原稿から片手を放してぶるぶると振っていたのは、手が震えて困ったからだと、後で聞きました。読んだ作品は、詩集『モー将軍』から。作品「トマスの一生」は、彼自身のキャラともあいまって、実に楽しく聞かせてもらいました。
詩集『モー将軍』の表紙の美少年。本の造りからして、誰が見ても本人かと思うのに、実はロシア系の美少女。これって、偽りあり、って感じだけれど、その人を喰った装丁も、また作者のキャラとして魅力です。

(第三部)
トップは肩からショールをかけ、長く緩やかなカーブを描く髪の美しいた田中槐さん。文芸誌「三蔵2」に発表なさった連作短歌の朗読でしたが、背後に生々しい家族のありようを感じさせる物語性の強い作品。大人の女性を感じさせるふくよかな田中さんの姿が、震える小さな少女のように見え、また年齢もわからない老婆のようにも見え、少女と老婆とが同じ一人の人の中に同時に存在しているような、そんな不思議な気分にさせられる朗読でした。

神戸から来た豊原清明も、中原中也賞受賞の詩人。直立の姿勢で、淡々と、しかし時折びっくりするほど、心を素直に吐露した(ざっばーん、とか)表現が魅力でした。詩、という方法論で世界との回路を持つ、詩でしか語れないものがある。それを強く感じさせてくれる朗読でした。

そして、真打ち四方田犬彦氏。放送禁止用語続出の過激な詩を平気で朗読。普段のお話しぶりと朗読との差がない自然体(注:ふだんは放送禁止用語連発はなさりません)での朗読が、また魅力でした。

以上、出演者は次の通り。
四方田犬彦、阿部日奈子、小池昌代、石井辰彦、松井茂、田口犬男、田中槐、豊原清明、寮美千子

閉会後の打ち上げは目黒の天狗で。文学話に盛りあがり、寮美千子は酔って言いたい放題、さすがに飲み過ぎたと反省のきょうです。松井茂さん以外は、ともかく「声」のみ。むしろ、それだけに「声」と「語り」の向こうにそれぞれ生身の人間が透ける、エキサイティングな催しでした。これから「詩の朗読」が、当たり前の文化として根付いていったらいいなあ、例えば飲み屋でだれかがすっと立ちあがって詩を読み始めるようなことが、奇矯と受け取られないような、そんな時がくればいいのに、心から感じさせられました。

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■「限られた視点しかないわたし」という存在に気づくこと

Wed, 12 Dec 2001 23:12:45

きょう、わたしの連載小説が載っている公明新聞を見ていたら、
グレン横田氏とドロンコ氏がCafe Lumiereで言及していた映画
「よみがえれカレーズ」についての記事がありました。
(「北斗七星」という「天声人語」みたいな欄)

「9.11を境に世界は変わった」といわれるけれど、そうだろうか?
アフガニスタンの記録映画「よみがえれカレーズ」を見ると、
アフガニスタンの人々はそう思ってはいないのではないか、と感じる。
内戦に次ぐ内戦。22年間以上も戦火にさらされてきた人々には、
アメリカのテロ事件も多くの事件のひとつに過ぎないのではないか。
「9.11を境に」と感じる我々は、
アフガニスタンの戦火をニューヨークのテロ事件ほどには身近に感じてこなかった。
我々もまた、世界全体の中の一部からしか物を見ていない、
と気づかされた3カ月ではなかったか。

といった主旨の記事でした。
あのテロ事件の映像をリアルタイムで見たとき、大きな衝撃に襲われた。
そして、その次に驚いたのは、わたしはアフガニスタンだろうと、サラエボだろうと、
戦いが起こったとき、こんなふうには感じてこなかった、
という事実に気づいたことでした。
「わたしは、実はアメリカ人だったのだ!」と気づいた驚き。
先住民の文化を学ぼうとし、絵本までつくっているわたしですら、
こうだということに、足が震えるような思いがしました。

それからきょうまで、虚しく馬鹿げた殺戮がいまも続いています。
そのことに、すっかりがっかりして、言葉も少なくなってしまいました。

先日、和光大学で開催された「同時テロとアフガン『戦争』を考える集い」でも、
松枝到氏が「この2〜3週間、テレビも新聞も見ない。
見る気力さえ失ってしまう」とおっしゃっていました。
その無力感を、わたしも感じないではいられません。

そんななかでも、少しずつモノを考えようとしています。
「死刑」について、そして「人権」について
近いうちに考えをまとめてみたいと思います。
原発の問題と「発展」の必要性についても。

■そこに流れる宇宙があった――門坂流との邂逅

Tue, 11 Dec 2001 18:47:40

■東逸子経由で知った未知の画家

 門坂流の版画に出会ったのは、二十世紀も後わずかという日のことだった。青山のギャラリーMAYAという画廊に、東逸子の版画を見に行ったときのことだ。一目で見渡せてしまうほどの広さの画廊の右半分には東逸子の、左半分には門坂流の作品が展示されていた。展覧会は、芸大出身のふたりの「二人展」だったのだ。
 東逸子の版画は、太陽フレアなど、天体をテーマとしたものを中心に展示されていた。燃えさかる太陽の縁から躍りでる紅蓮の炎。その炎が、目を凝らせしてよく見れば、妖精のような形象をしている。擬人化された天体の現象。それでいて、少しも矮小化されていない。地球をいくつも飲みこむような途方もなく巨大な炎の渦が、その途方もない巨大さのまま感じられる。繊細さと信じられないようなスケール感が重なり合って存在するその作品は、まさに東逸子の宇宙だった。
 東逸子の銅版画のファンであるわたしはたっぷりと満足し、ほんとうのことを言えばそこで踵を返してもよかったのだが、やはり敬愛する東逸子という作家があえて二人展を開くのだから何か意味があるのだろうと、もう一人の未知の作家の作品も見ることにした。

■門坂流との遭遇

 門坂流は、すでのイラストの世界で長いこと活躍している作家だったが、わたしはそれまで寡聞にして知らなかった。今思えば、絵を見たことはあるものの、名前とは結びつかなかったのだ。展覧会の会場に行った時点では、門坂流とむすびつく絵は、個展の案内状に印刷された絵を見ただけだった。二分割された葉書の片側に印刷された砂漠。ひどく繊細な線で描かれた風紋。砂と小石の他には何もない。
 どういう人だろうか、と思った。その絵から想像されるのは、背の高い細面の神経質そうな青年。すらりと長い指を持ち、物静かに語る人。東逸子の絵のイメージに引っ張られ、わたしは美少年の面影を勝手にそこに重ねていたかもしれない。
 わたしは中央の東逸子描く太陽の絵の前から、そのすぐ脇に展示された門坂流の絵の前に移った。

■一瞬にして門坂流世界へ

 その時感じた不思議な感情を、どう表現したらいいだろう。繊細な線。線がつくる無数の渦。そのなかに立ちあがる形象。水であったり、雲であったり、荒涼とした雪渓であったりするその絵を次から次へと見ていって、水晶の結晶を描いた銅版画の前に立ったとき、その名づけられない感情は、名づけられないまま決定的なものになった。
 それは、突然落ちた恋に似ているかもしれない。崖からふいに突き落とされるようにして落ちていく恋に。最初の一目ですでに決定的な何かを感じている。けれども、それが何だかわからない。わからないままに、心惹かれてしまう。いや、言葉にしようとしてできないことはない。けれど、言葉をいくつ足しても、心に湧きあがる名づけえぬ強い感情には遠く及ばない。
 やがて、少しずつ知っていくのだ。自分がなぜそんなにも惹かれたのかを。そして、自分の直感が驚くほど深いところまで到達していたことを知り、再び驚きを感じるのだ。
 いつかこんなことがあった、と思った。十五の夏、宮沢賢治の『春と修羅』の序を読んだ時、感じたものによく似ている。言葉の意味をすべて理解していたわけではない。それなのに、雷に打たれたように心を打たれた。途方もなく美しいものがそこにあると感じた。その深い意味を少しずつ知るのは、ずっと時が経ってからだ。
 門坂流の絵との出会いは、まさにそんなものだった。言葉にできない。わたしの理解を超えている。

■線描から広がる無限の生命感

 けれども、あえて言葉にすれば、こんなふうにいえるかもしれない。
 その繊細にして緻密な線の緊張感に惹かれた。その線が渦巻いて出現させるたぎるような、それでいて無機質な、不思議な生命感に惹かれた。躍動感溢れる生命のざわめきを感じさせながらも、どこまでも静謐で透明な世界がそこにあったのだ。
 線と線が交叉しない、という不思議な手法で、その絵は描かれていた。交叉しない線は、必然として無数の渦となり、流れになる。その渦と流れのなかに、形象が立ちあがってくる。樹木が、岩が、輪郭という境界線なしに立ちあがってくるのだ。
 その不思議さは、水晶の絵を見たときに決定的になった。渦巻き流れるような線で、水や雲を描くのならわかる。それは、自然の曲線を持ったものだから。樹木も、風化した石もそうだ。
 ところが、水晶は違う。きっかりとした直線。はっきりと神の意志のように引かれた結晶の稜線。門坂流の絵の中では、そんな直線が、そこにまっすぐな線を描くことなく、流れる曲線だけで、はっきりと直線として描かれているのだ。
 そして、それこそが、わたしがいままでずっと、水晶の結晶に見てきたものだった。石や砂や結晶に感じてきた生命が、そこにあった。ヒマラヤの山で見た一片の雲母、崩れる氷河に感じたものが、そこに絵という言葉になってあった。
 しかし、いくらそんなことを言ってみても、やはり及ばないのだ。わたしが感じた強い感情には。わたしはただ、驚きを胸にその絵を眺めるばかりだった。

■水晶の一枚

 結局、わたしはその水晶の版画を手に入れることにした。見ず知らずの、はじめて見た作家の作品を買うなどというのは、生まれてはじめてのことだった。
 買いたいと申し出ると、画廊の店主がわたしを作家に紹介してくれた。画廊の片隅で、やけに機嫌よく酒を飲んでいる、ドボルザークにそっくりのおじさんが門坂流だった。背も高くないし、長い指もしていない。ましてや、東逸子の絵の中に生きる美少年の面影もなかった。出自は肉屋だったというドボルザークと通じる庶民的風貌。わたしの想像はことごとく裏切られた。(後で、門坂流の青年時代の写真を見せられ、その美少年ぶりに驚くことになるのだが、それはずっと先の話だ)
 けれど、その人を見て、わたしは心の底からうれしくなってしまった。なぜか、心の深いところから、笑みが繰り返し繰り返し湧きあがってくるような幸福感に満たされた。
 この緊張感に満ちた、それでいて、人に無用の緊張を強いない、繊細にして大胆な絵は、この人から生まれてきたのだ。なるほどと腑に落ち、この人を見た現在となっては、この人以外にこんな絵を描く人は絶対にいないだろうとも確信された。
 画廊での短い邂逅ではあったが、門坂流は実に魅力的な人間だった。

■アトリエ訪問

 その直感が間違いではなかったことを、わたしは直ぐに知ることになる。わたしが主催するインターネットの掲示板に、門坂流の版画を見たことを書くと、すぐに反応があった。なんと、以前から掲示板に書き込んでくださっていた評論家の浜野智が、門坂流とは二十年来の知己であるというのだ。話はトントン拍子に進み、南林間のタイ料理屋「イーサン食堂」で忘年会も兼ねた飲み会を開催することになった。そこには、ギャラリーMAYAの展覧会を見て門坂流ファンとなった者も駈けつけ、自称無口の門坂流もかなり饒舌になり、実に楽しい宴会となった。
 そこからさらに話がまとまり、展覧会で新たにファンになった人々十人ほどとともに、門坂流のアトリエを訪問させていただくことになった。二十代の若い人がほとんどであったが、目の前で無造作に広げられる版画の一点一点に誰もが驚嘆の声を上げた。最初は、だれもが自分の手が届くものではないだろうと思っていたのだが、その値段を聞いて、見る目が一変した。どれを持ち帰ろうかという真剣な眼差しになったのだ。自分自身の就職祝いに買いたいのだが、代金ははじめての給料の時でいいか、という青年もいれば、アルバイトして月々支払うから、分割にしてほしいという若い女性もいた。人気が一作品に集中することなく、それぞれが、いかにもその人に似合った一枚を選ぶところがまた、興味深かった。深い満足とともに、みんなが作品を持ち帰り「うちには門坂さんの・・があるから、見たくなったらいつでも来てね」というのが、わたしたちの挨拶がわりの言葉になった。

■流星群

 以来、門坂流との交流が続いている。先日のしし座流星群の夜は、町田の国際版画美術館そばの高台の空き地に七名が集合、深夜から朝の七時まで、寝袋にくるまって空を見続けた。
 流星群のやってくる十二時過ぎから、空は雲の海になってしまった。頭上の雲が流れても流れても、次から次に雲がやってくる。そんな空だった。雲と雲の隙間からわずかに見える空にも星が流れていた。もし、雲がなければどれだけの星が流れているだろう。そう思いながら、誰もが空から目を離せなかった。
 午前四時過ぎ、地平線の彼方まで埋め尽くしていた雲が、嘘のようにふうっと消えた。空に溶けるように消えていったのだ。まさかの晴天が広がった。星が流れていた。ひとつ、数え終わる前にまたひとつ。
 携帯電話が鳴った。
「星が流れているわよ!」
 東逸子からの電話だった。さほど離れていないところに住んでいる東逸子もまた、父君とともに、自宅の庭から流星群を見ていたのだ。
「こっちも見えてるよ」
 そういう声に、流星を見て思わず飛びだすみんなの歓声が重なる。
 ああ、なんという贅沢な時間を過ごしているのだろう。なんというしあわせなひと時。離れていても、同じ空を見上げ、流れる星に心打たれている。広い宇宙の中、すぐそこに東逸子がいて、ここに門坂流がいて、わたしがいて、みんながいる。
 人は流れ星。一瞬の光芒を放ちながら地上での短い一生を終える。その一瞬のなかで、こうやって巡りあい、語りあい、絵を描き、詩を創り、笑いあう。これから、どれだけの時を共に過ごし、どれだけの物をこの地上に思い出として残していけるだろう。流れ星が流れた後に、微かに残る光の粉のような、そんな軌跡を残して。
 いっしょに仕事がしたい。東逸子と、門坂流と、いつかともに何かをつくることはできないだろうか。そんな切なる思いを胸に、朝焼けの空に星が流れるまで、ずっと空を見ていた。みんなといっしょに、ずっと。

http://www.pci.co.jp/~moriwaki/ryu/

■物語の力――文学は世界に何ができるか?/レジュメ

Sat, 08 Dec 2001 23:12:46

國學院大學児童文学会講演 レジュメ   8 Dec.2001
物語の力――文学は世界に何ができるか?

▼神話とは? 
世界理解のひとつの方法
太陽と月、季節の巡りの不思議を納得するための物語
起源への興味

▼民話とは?
衝撃的出来事を心に収めるための手段としての物語
柳田国男の「人殺しの石」について

▼『小惑星美術館』1990
「横浜こども科学館」の展示企画と広報活動
電波天文台を取材
ある日、降ってきた強烈なイメージ
イメージから逃れたいために物語を探る

▼「科学」という物語
世界を納得するためのひとつの方法
美しい数式
しかし、リアリティを伴って「心の納得」を得るのはむずかしい

▼『ラジオスターレストラン』1991
宇宙の物質循環の物語
環境問題→発言しなければ、という切羽詰まった思い
「個」としての芸術に埋没し淫していてはいけないのでは?

▼心の納得を得る手段としての汎用性
アーティストは現代のシャーマンである。――「神話の力」ジョセフ・キャンベル
それぞれが本来心の奥に持っている神性に光をあてる
世界の在り方に対して深い納得を得るための「物語=神話」を提供する

▼科学的世界観と神話的世界観
矛盾しつつも共存できるほど、人の心は広く深い。
共存させることで、より豊かになれるのでは?
※資料1『月天子』宮澤賢治 エンデと月

▼「物語」への回帰
先住民文化への興味
モンゴル「馬頭琴伝説」の再話
簡単に「恋に落ち」ることのできる不思議
※資料2『青いナムジル』

▼「同時多発テロ」と「報復戦争」
ふたつの物語の衝突
物質中心主義の物語:精神中心主義の物語
グローバリズム:ネイティブ
※資料3『銀河鉄道の夜』ブルカニロ博士の手紙

▼「物語」は世界に何ができるか?
試みとしてのパフォーマンス「AFTER911」
ひとりの人間の口から飛びだすふたつの対立する物語、という矛盾
「物語はひとつではない」という認識の提示
そこから、どうするか?

▼物語の復権
「心の納得」としての物語の復権
近代世界はほんとうに人をしあわせにしたか?
先住民の文化の再評価
回帰からの新しい出発

▼物語は「わたし」に何ができるか?
宇宙の広がりのなかに回収されない「個」の煩悶
ちっぽけなことに一喜一憂する日常
「わたしの物語」の必要→
「楽園の鳥」2001〜2002 「夢見る水の王国」未発表
※資料4『旅をする木』星野道夫

▼結び1
「個」のわたしと「宇宙」とを結ぶメタ物語
「近代世界」と「先住民の価値観」を結ぶメタ物語

▼結び2 学生諸君へ
学生=社会という海(物語)に投身(帰依)しようとしている存在
中途半端なレベルの物語(会社・国家)は常に中途半端である
どうせ帰依するなら、せめて「地球」「宇宙」レベルの物語に
そして、自分自身の物語を生きるべき=人権
※資料5『タイタンの妖女』カート・ヴォネガット
宇宙の物語=極私的物語→普遍的物語
根源的物語への回帰

■英訳/おおきくなったら なんになる? 

Sat, 01 Dec 2001 11:57:58

What do you wanna be when you grow up?

Copyright by RY0 Michico
Translated by RY0 Michico
Special thanks to TANAKA Akira
Original Illustration HATA Kohsiroh

Dandelion,dandelion!
What do you wanna be when you grow up?

      Well,well ...... I wannna be a lion!
      A very gentle lion who has a beautiful golden mane.

A lion!
That's a great idea!

But ...... this field is a little bit small for a great lion, isn't it?

      Yes, you are right.
      So I prefer being a dandelion.
      I'm very happy being myself.

Fish, fish, tiny fish!
What do you wanna be when you grow up?

      Well ...... I wannna be a whale!
      A very huge whale who swims aronud seven seas.

A whale!
That sounds nice!

But ...... this stream is a little bit narrow for a great whale, isn't it?

      Yes, you are right.
      So I prefer being a tiny fish.
      I'm very happy, I love my life.

Crayons, crayons, colourfull crayons!
What do you wanna be when you grow up?

      We wanna be a rainbow forest with big crayon trees.

      Then I will paint space green like a field
      in which anyone can ran to the end of the world.

      Then I will paint space blue like a sea
      in which anyone can swin forever.

Well then I will grow up to be a very big girl
to ran to the end of the world
with a lion who has a beautiful golden mane.

Well then I will grow up to be a very big boy
to swim around seven seas forever
with a strong huge whale.

What do you wanna be when you grow up?


■19世紀鉱物図鑑の銅版画と門坂流の水晶

Sat, 01 Dec 2001 02:43:46


とうとう12月に突入。
12月1日は、新宿の文壇バー「風花」で、午後6時より作家の古井由吉氏と奥泉光氏の朗読会があります。二宮のアフガニスタン映画と重なってしまって残念。二宮にはドロンコ氏、新宿にはたき坊とわたしで、手分けして(?)出かけることにしました。


古井由吉氏とは、谷中のリーディングでごいっしょさせていただいて、はじめてお話しさせていただきました。文壇の重鎮であり、芥川賞の選考委員長である方とは思えない気さくさでお話しくださって、その楽しかったこと。あれだけ緻密で繊細な文章をお書きになりながら、このお人柄。絵画の世界でいえば、まるで門坂画伯のよう?


門坂画伯といえば、11月30日、つまりきのうは和光大学の授業の日。終わってから同じく和光大学非常勤の関根秀樹氏と連れだって、門坂流邸襲撃に出かけました。襲撃の目的は、門坂画伯に、19世紀前半にドイツ、イギリスなどで出版された銅板画の鉱物図鑑を見せること。なんていいながら、実は、わたしが見たかったというのが、一番の目的。


この鉱物図鑑に関しては、いずれ詳しいレビューを書きたいと思うのですが、きょうはさわりだけ。ともかく、すごい。特にイギリスの物は、大英帝国華やかなりし時代、大金持ちが、収集した鉱物標本を自慢するために、実に詳細で正確な手彩色の銅版画を制作し、それに解説をつけて出版したもの。鉱物の輝きを出すために、光っている部分にはニカワ状のものが塗られ、またその質感を出すために、必要なところには銀粉や金粉がまぶされていました。花崗岩など、なかできらきら光る石英を表現するため、点々とキラキラ状の樹脂が塗られているという有様。オパール状の輝きを呈する石や、屈折により虹が浮かんで見えるものには、きちんと小さな虹色が描かれているのです。恐らくは、ラピスラズリなど、高価な絵の具をふんだんに使っているらしく、その色彩の美しいことといったらありません。辰砂の赤も、孔雀石の緑も、目を奪われるばかりでした。

ともかく、その観察の正確さ鋭さ、そして、それを正確に表現しようという意欲には、驚くばかり。じっと見入っているうちに、すっかり「鉱物あたり」してしまい、帰宅したころには割れんばかりの頭痛で倒れてしまいました。


とはいえ、図鑑の絵は、正確な説明のための絵。芸術作品とはまた違います。結晶の稜線はきっかりと直線で描かれています。ところが、門坂画伯の水晶や蛍石には、線で描かれた稜線がない。それでいて、そこに稜線があるとはっきりと認識されるように描かれているのです。流れる動きの線のなかに立ちのぼってくる結晶。流動する物と、きっかりと直線で屹立するものが、せめぎあい融合しながら、同時に底に存在する独特な描写の美しさです。恐ろしく精確かつ厳密な結晶の描写というすぐれた図鑑の絵を見て、門坂流の恐ろしいまでの独自性と力量を、改めて痛感させられました。


さて、明日は古井由吉氏。何を痛感させられてしまうだろう。二日続きの大頭痛か?!

■寮美千子「さうすウェーブ」に登場!

Wed, 28 Nov 2001 13:36:05


海浜清掃から地球環境とゴミ問題を考える催しを企画している友だち、小島あずささん。彼女とは、実は、先日打ち上げでいった下北沢のネバーネバーランドの古い飲み友だちでした。そのあずささんのことを検索してたどりついたのが「さうすウェーブ」という環境問題を考えるウェブサイト。月に一度、インタビュー記事がのるネット・マガジンをしていて、そこに彼女のインタビュー記事があったのです。よく見れば、別方面のお友だちの高橋ユリカさんも! ユリカさんは、終末ケアと河川問題を追いかけているノンフィクシュン・ライター。わたしって、つくづくカッコいい女友だちを持っているなあと、自分で感心。


ところが、そのインタビュー記事、日付がなかった。「昨年は」なんて文中にあっても、いつのことだかわからない。とてもしっかりした記事なので、もったいないと思って「日付を載せて!」とメールを出しました。すると、すぐに対応してくださったのです。なんと、それがきかっけで、わたし自身がインタビューしてもらうことに!


いままで、インタビューといえば「童話作家」「ファンタジー作家」としてされたものばかり。創作という側面からのアプローチでした。それはそれで、わたしの一面を示す物ではあるけれど、どこか座り心地が悪いようなところもあった。なんでだろう? と思っていたのですが、今回のインタビューで氷解しました。わたしの創作の根源には、かなりの度合い「人類、このままでいいのか?」というような大それた気持ちがあることを、自分で再確認。それが、創作の大きな動機のひとつになっているようです。今回のインタビューは、その面をクローズアップしてくださいました。かなり過激な発言もありますが、本心です。


さらに、11月17日の渋谷でのホロニック・プラチナムズとのリーディング・パフォーマンス「AFTER911」のルポや、「夢の解放区展」への出品作品の写真も! と盛りだくさん。様々な側面を、取材していただき、いままでにない総合的な紹介記事となりました。


「AFTER911」のリーディング原稿も、そのまま掲載。わたしのサイトにとも思ったのですが、なるべく多くの方に読んでもらいたいので「さうすウェーブ」に載せていただきました。会場に来られなかった方、ぜひご一読を! 「ミニルポ」からリンクしてます。


インタビュー記事としては「さうすウェーブ」と「幻想文学58号」の記事を合わせると、ほぼまるごとの寮美千子が俯瞰できるかもしれません。ともかくも、このように取材していただいたことに感謝感謝。感謝ばっかりしてないで、きちんと作品を書いてお返ししていかねばと、ひしひしと感じている今日この頃。このインタビューをきっかけに、以前から懸案だったアイヌの熊送りの絵本と、モンゴルの馬頭琴伝説の絵本の取材にとりかかりました。

http://www.southwave.co.jp/swave/6_env/ryo/ryo01.htm

■愛玩物としての装丁と実用の装丁

Fri, 16 Nov 2001 02:16:14

谷川俊太郎『詩ってなんだろう』(筑摩書房2001)
斎藤孝『声に出して読みたい日本語』(草思社2001)

最近広告を見て気になったこの2冊。かなり、買う気満々で本屋で手に取ったのだが、結局買わなかったのは、内容のせいではない。問題は装丁。

前者の装丁は泣く子も黙る平野甲賀。ところが、この本は箱入り。しかもハードカヴァーではなく、質感のあるざらざらした紙のソフトカヴァー。汚れないようにパラフィン紙なんかかけてある。昔の本の風情を出したかったんだろうか? 実に趣味的な装丁だ。

この本は、小さな子どもにも読めるような内容。「わらべうた/もじがなくても/いろはうた/したもじりうた」などなど、ひとつずつ詩の実例をあげ「詩とは何であるか」をわかりやすい言葉で解説している。現代詩が自己満足の蛸壺状態に陥っている今日、このような広い視野での解釈はとても大切だ。大人は勿論、子どもにも読んでほしい。そして、書かれた詩を声に出して読み、できれば覚えてしまうまで読むことで、詩の言葉は、柔らかい心に深く入り込んでくるはずだ。

ところが、この本は、そのように作られていない。持てば汚れる。痛む。第一、箱入りだ。中を開くと、なぜか見返しの紙が表二枚、裏二枚、という不可解な贅沢ぶり。そして、奥付けの後にまっ白い紙が数枚くっついている。

それだけ余裕があるなら、レイアウトをもっとゆったりとって読みやすくしてほしかったと愚痴をいいたい。見開きで充分収まるはずの詩が、左ページの途中からはじまって、ページをめくってその裏側にあたる右ページの途中で終わっていたりする。つまり、短い詩なのに、一目で見渡せないようになっている。

これは「苦労して字を読め」というメッセージなのか。そうすることが、読書する力を鍛えるというつまらない誤解なのか。

わたしが装丁者だったら、と不遜にも考えてみた。絵本のような大判にしてもいいから、なるべくなら、見開き単位で詩を読ませたい。カヴァーは汚れないつるつるのハードカヴァーにして、何度も何度も繰り返し読むのに耐える実用性を重んじたい。たとえ、子どもがおやつを食べながら読んでもいいように。

大人用の装丁を考えるなら、お守りのように持ち歩いて、いつでもどこでも読めるようなハンディさがほしい。

「大事な詩集」として箱入りで本棚に鎮座ましますような装丁は、この本の本質と相反する。内容がいいだけに、この装丁は、あまりにも残念。

後者の本も、表紙が汚れやすい、という点において、同じ意味で内容と合っていない。「暗唱する」ことが目的なのだから、声に出して繰り返し読むに耐える装丁をしてほしかった。

しかし、どうしてこんなことになったのだろう? IT時代、本が駆逐されることに怯え、「本らしい本」に郷愁を感じているおじさまたちがつくったから、こんなことになってしまったのだろうか。「本らしい本」はそのような内容の本に与えればいい。そのような本が書かれることも、そして本らしい装丁が与えられることも、いまの時代、とても大切なことだと思う。しかし、かくも「実用」の意味を込めた本にこんな装丁を与えるのは、わたしは断固間違いだと思う。

当然のことだけれど、装丁家は、趣味じゃなくて。その本の本質や使われ方をちゃんと考えて、それにふさわしい意匠を与えることが仕事だと思う。生意気だが、苦言を呈したい。

ところで、先日丸亀の猪熊弦一郎美術館で会ったデザイナーの平野湟太郎の仕事がよかった。「おれがおれが」ではなくて、内容をいちばん魅力的に、わかりやすく見せるためのデザイン。黒子に徹しながら、結果的にそこに平野湟太郎独特の潔さが現れている。国立博物館法隆寺館のネームプレートも彼の仕事だという。切れ味のいいオーソドックスさが魅力。詩集を作るなら、ぜひ彼に装丁を頼みたいと思った。こういうタイプのデザイナーが増えてくれるといいんだけどなあ。

http://web.infoweb.ne.jp/MIMOCA/event3.html

■疑ぐり深い人になろう

Sat, 20 Oct 2001 01:11:25

ある掲示板でこんな記事の引用がありました。
------------------------------------------------------
>『子供達に知ってほしいこと』

メルマガの中にとても心に残るメッセージがありました。
ある先生が子供達に学級通信で流したお話だとか。私も娘にプリントしてやりました。

-------以下引用-----------
もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。
その村には・・・

 57人のアジア人
 21人のヨーロッパ人
 14人の南北アメリカ人
 8人のアフリカ人がいます

 52人が女性です
 48人が男性です 

 70人が有色人種で
 30人が白人
 70人がキリスト教以外の人で
 30人がキリスト教

 89人が異性愛者で
 11人が同性愛者

 6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍

 80人は標準以下の居住環境に住み
 70人は文字が読めません
 50人は栄養失調に苦しみ
 1人が瀕死の状態にあり
 1人はいま、生まれようとしています
 1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
 そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるが
ままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実
を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。
(以下略)
------------------------------------------------------
考えるきっかけとなる大変興味深い記事だと感じ、この記事を引用した人の心のやさしさもひしひしと伝わってきました。けれども、わたしは、どうしてもある違和感を拭えないのでした。「白人/有色人種」「キリスト教徒/キリスト教徒以外」という二項対立の図式も、腑に落ちないものではあったのですが、それ以前に、この数字の信頼性です。もともとこの記事を引用した人も、こんな釈明を載せていました。

>数の統計をきっちりと・・・ ということになったら変かもしれませんね。(略)
>でもね、私が子供達に知っておいて欲しいことは数のことではないのです。
>自分のまわりしか知らないことより、
>そういった状況が世の中にあるのだということを知って欲しいのです。

確かに、それは、とても大切なこと。ただ、このような物の見方を考えるきっかけとして採用するのだとしたら、もう一歩踏みこんで「自分で確かめる」という行為が必要不可欠だと思うのです。

正確に調べようがない統計を、正確な物のようにして流通させる。そして、それを鵜呑みにしてしまう人がたくさんいる。もし、悪意の人が恣意的な情報を流したとしても「疑ぐり深くない人々」は、きっと丸呑みしてしまうでしょう。その構造こそが、世界に恐ろしい結果を招く要因のひとつではないか、とわたしは思うのです。

そんな結果を招かないためにも「疑う気持ち」「自分で調べる態度」が大切だとわたしは考えます。

>もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
>全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。

ということであれば、信頼できる統計は、どこにあるか。それを調べて、それをもとに自分で計算してみる。子どもたちにとって、そして、この情報を流通させる大人にとっても、より大切なのは、そういう態度ではないでしょうか。

「これはいいことだから」といって、情報を流通させる。その気持ちはよくわかります。でも、多くの人がそれを無邪気にプリントし、コピーしている姿を見ていると、わたしは心配になってしまう。ほんとうに大切なのは、その内容ではなくて、その方法論ではないか。人々が、でたらめな情報や、恣意的な数字に惑わされないで、事実を見据える力をつけるために、どうしたらいいか。「これはいいことだから」といって、吟味なしに情報を流し、また受け取る人は、恣意的なデマや嘘も、吟味なしに信じてしまう可能性があるのではないでしょうか。子どもたちに上記のような情報を流すのだとしたら「じゃあ、みんなで調べてみよう!」「自分で調べてみよう!」という言葉や行動とセットでなければ、と思います。

悪意の、ではなく善意の問いかけを、世界に、そして自分に対して常に怠らないこと。それこそが、世界を少しずつ美しい場所に変えてゆく方法論だと思うのです。一発逆転なんていう劇的な形で世界はよくなりはしないのだから、たゆまずに問いかけることが大切だと思います。

■Je voudrais crever/ボリス・ヴィアンに捧げる

Fri, 19 Oct 2001 22:27:11

ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
この花の森の奥の奥
千の迷路を抜けてたどりつく
有史以前から生きてきた巨きな樹の根本で
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
どこかで知っていたはずなのに
どうしても思い出せない
せつなすぎる花の香りに包まれ
香油を塗りたくられて 薄っぺらな永劫をまどろむ
エジプトの 哀れなミイラを思いながら
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
赤ん坊だったぼくの頬に
やわらかく触れた乳房の感触で
ぼくを執拗に撫でまわす春の風のなかで
まだ見えなかったぼくの目が 微かに感じていた
生まれる前にいた場所に満ち満ちていた
淡い光の渦巻くなかで
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
軽薄な歓びが
生きている不安を足早に追いこす前に
ぼくは くたばりたい
地球とぼくとが
苦痛にすっかり麻痺してしまう前に
完全なる満月に落ちる 都市と人の影が
月を 真空の闇に溺れさせてしまう前に
愚かなことばたちの群れが 
空を覆い尽くして
星々の名をすっかり明らかしてしまう前に
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
花々が季節を忘れ果ててしまう前に
風と波との区別のつかない一瞬の時間のなかで
四角く区切られた絶望を
まだ いとしいと感じられるうちに
透明な痛みを感じられるうちに
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
生け贄の山羊のように
頭のない首から 空高く太陽を噴きあげ
祝福の打ち上げ花火になって
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい
開ききった瞳孔の奥で
真昼の星の輝きを網膜に感じながら
砂のように崩れ落ちる超高層ビルの
崩れゆく音と人々の叫び声を
遠い海のざわめきだと勘違いして
至福の微笑みを
この春の日にゆるやかに舟のように浮かべ
きみの名前を呼びながら
失われたきみの名前を
だれも聴きとることのできない 
かすれた声でつぶやきながら
ぼくは くたばりたい
いっそ くたばってしまいたい

だから だれかぼくを屠殺してくれないか
ゆるやかに磨滅させるのではなく
絶望を降りつもらせるのではなく
この一瞬に
ぼくを 奪ってくれ
ぼくを 葬ってくれ
永遠に
永遠のなかに

Oui Monsieur, Oui Madame,
Je voudrais crever.
Je voudrais crever tout de suite.
Je voudrais pas vivre.
Je voudrais pas vivre davantage.


http://www.komei.or.jp/komei_news/syousetu/back_no/181-200/syousetu_192.htm

■Review Lunatique開設前のCafe Lunatiqueでの発言インデックス

Mon, 15 Oct 2001 23:54:51

(日付逆順)

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