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寮美千子  きみは『ファイト・クラブ』を見たか?/あらすじ 2001年10月13日(土)04時40分36秒 http://ryomichico.net


『ファイト・クラブ』という映画を見た。以前にも見て、相当にショックを受けた映画だ。『ブレードランナー』系列の作品(わたしの中での位置づけ)では、ブレラン以来の凄い映画だと思っていた。WOWOWで再放送があったので、テロ事件を念頭にもう一度見直して、さらに強い衝撃を受けてしまった。


以下、『ファイト・クラブ』という映画のストーリーの概要を紹介する。内容をすっかり明かしてしまうので、これから映画を見る人は、読まない方が楽しめるということを警告しておく。


映画は、いきなり銃を口に突っ込まれた主人公ジャックのアップからはじまる。巨大な硝子窓から見えるのは、高層ビル群。主人公自身も、そんなビルのきらめきを一望する高層階にいるらしい。がらんと暗い空き部屋のような場所。なぜ、そんなところで銃を口にくわえさせられているのか。回想から、映画ははじまる。

主人公のジャックはヤング・エグゼクティブ。自動車会社で事故車の調査をしている。飛行機でアメリカ中を飛び回るジャックの悩みは不眠症。医者に相談したが「もっと運動をしろ」と相手にされない。「こんなに苦しんでいるのに!」と叫ぶジャックに、医者は言う。「ガン患者の会ににでも出てみろ! おまえの悩みなんか、つまんないもんだってすぐにわかるさ」といわれ、試しに「睾丸を失った男たちの会」に顔を出すジャック。そこでは、つらさと悩みを生にぶつけあう患者たちがいた。そこで、存分に泣いて普段の暮らしでは得られないカタルシスを得たジャックは、ようやく快適な睡眠を得る。

以来、ジャックはシリアスな問題を抱えた人々(癌、アル中、脳疾患、血液疾患、etc.)の互助組織の中毒となり、会から会へと、毎日のように渡り歩く。そして、同じように様々な会を渡り歩く一人の女性マーラの存在に気づく。彼女も自分が「偽患者」であることに気づいているはず。そう感じたジャックは、もう以前のようなカタルシスを得られない。

苛立つジャックはマーラに近づき、取り引きをする。偽患者だということを秘密にするから、同じ会で顔を会わさないですむように、棲み分けをしよう、というのだ。


以上が、物語の導入部。これだけで、充分にシニカルだ。コンドミニアムをいくら趣味の高級北欧家具でコーディネイトしてみても、心の満足は得られない。お金は充分にあるけれど、生きている実感のしないヤング・エグゼクティブが、生きている手応えを得られたのは、死にかけている人々や、人生のドン底にいる人々の集いに出るときだけ。事故調査のために旅から旅への暮らしでは、すべてが「一回分」。機内食の一回分の塩と胡椒、ホテルの一回分のシャンプーと石鹸、飛行機で隣り合うのは、その時だけ言葉を交わす一回分の友人。

ある日、ジャックが飛行機での出張から戻ってみると、コンドミニアムの自分の部屋から火が噴きだし、自慢の北欧家具が焼けこげて路上に散乱している。留守中に彼の部屋でガス漏れがあり、ガス爆発したのだという。心の支えだったブランド家具を失い、茫然自失のジャックは、ポケットに飛行機で知り合ったばかりの一回分の友人タイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)の名刺を見つけ、公衆電話から電話をする。

家を失ったジャックはタイラーのところへ転がりこむ。そしてはじまる、ジャックとタイラーの奇妙な同居生活。そこに絡む謎の女マーラ。といふうに物語は物語らしく微妙な三角関係になっていくのだが、この映画の本分はそこにはない。

タイラーは放置された廃屋を勝手に占拠して暮らす自由人。仕事は高級石鹸の製造販売だという。そのタイラーは、ジャックに突然「おれを殴れ」という。なぜかわからないままに、うながされて一発殴るジャック。それをきかっけに、本気の殴り合いになり、ふたりはへとへとになるまで殴り合う。他意はない。意味もない。ヴァーチャルな世界で、リアルな肉体を実感するためのだけの殴り合い。ジャックはその行為に、いままでにないカタルシスを感じる。癌患者の互助組織などふっとぶようなカタルシスだ。ジャックはしあわせを感じ、ふたりは殴り合うために殴り合うようになる。


ただ殴り合う。ふたりの間ではじめたこの行為は、すぐに仲間を得る。殴り合い、という原始的な行為は、男たちに生きている実感を与えた。それが、一介の喫茶店のボーイであろうと、ヤング・エグゼクティブだろうと。男たちは、地位も名誉も関係なく、肉体だけのリアルな世界でぶつかりあい、共感し、連帯する。空き地の草バスケットボール程度だった男だけの密やかな楽しみ「ファイト・クラブ」は、みるみるうちに成長し、やがて、全米を覆う巨大地下組織となる。それは、資本主義社会の歯車としてすり減るだけの暮らしを強いられている男たちが、野性を取り戻す場所だ。


ファイト・クラブの喧嘩風景を見て思った。これはまるで、博多の山笠だ。男たちが、男であることを取り戻す祝祭の時間と空間。現実社会にいかに取り込まれ、そこで退屈な役割を割り当てられようが、祭りの場では、男は目一杯、命を燃やすことができる。この社会が抑圧してしまったものを、存分に発揮することができ、発揮すればするほど周囲からも尊敬を集める。祭りというものは、ある意味、そのように機能してきたのではないだろうか。社会のガス抜きの弁として、プロ野球以上に有効な、そしてプロ野球が及ばないほどエレガントな手段だったのだと思う。


しかし、そのアナーキーは祭りの時間が、日常を浸食したら、どうなるか? 山笠とて、いくら長いといってもたかが半月。限られた時間の中で、特別に許された時間だからこそ、祝福されている。その時間あってこそ、日常が日常として堅固に存在することができ、機能もする。バランスが保たれている。


しかし、映画のなかでファイト・クラブという祝祭空間は、いつのまにか日常へと浸出してゆく。殴り合いという「リアル」な世界で自信を取り戻した男たちは、現実社会という「ヴァーチャル」な世界でも、その振る舞いを少しずつ変えてゆく。そして、ついには現実の社会生活を捨て、ファイト・クラブという、見えない組織へ人生のすべての時間を捧げる男たちが出現する。


一体、どちらが「リアル」でどちらが「ヴァーチャル」なのか。肉体というもっともリアルだったはずのものが、「ファイト・クラブ」という名前を持ち、組織として自己増殖していくことで、いつのまにかヴァーチャルな存在に転じてゆく。男たちは、命を捧げることさえ厭わないテロ集団と化していくのだ。


しかし、単なる祭りの熱狂が現実社会を浸食した、という意味だけではないことが映画の中で綿密に語られていく。こんな具合にだ。


「ファイト・クラブ」の資金源のひとつは高級石鹸。石鹸の質は、使う油脂の質で決定する。人間の肌に近ければ近いほど、肌に優しい。つまり、人間の脂肪で作るのがいちばんだ。というわけで、特製高級石鹸は、人間の脂肪から作られる。脂肪は、整形外科から非合法に手に入れる。痩身法のひとつ「脂肪吸引」によって腹部や臀部から吸引され、廃棄された脂肪なのだ。高級石鹸は、材料名を伏せられたまま、高級デパートで大評判を呼ぶ。タイラーはいう。「自分の尻の脂肪を、高い金で買い戻してるってわけさ」


ジャックが勤める大手自動車会社は、自動車の欠陥を故意に隠している。リコールしてかかる費用と、事故が起きたときに支払う補償金を比べ、補償金の方が安いと踏むと、欠陥を隠して売り続けるのだ。その内部事情を知っているジャックは、それを脅迫材料として会社から金を巻き上げる。平然と欠陥を隠す上司を見て、ジャックは思う。「この男が疑問にも思わずにやってきたこと、それが悪を生んできた」


そう。テロ行為は、そのように歪んだ社会それ自体が招いたものなのだ。テロ集団と化したファイト・クラブは、街に出てテロ行為を行う。しかし、それは人命を犠牲にしない「愉快犯」的なテロだ。彼らは、社会の矛盾を突いて、人々にそれを突きつける。その矛先は、大企業だけとは限らなかった。現実に押し流され、いつしか夢を忘れて、フリーターとしてテキトーな日々を送っている若者にも向けられる。「資本の奴隷になるな」「鎖を解き放ち、自由な心を持て」「本来の自分を取り戻せ!」。それがファイト・クラブのメッセージだった。タイラーは、ファイト・クラブを創った英雄として、人々の尊敬を集める伝説の人物となる。


しかし、現実はそれを笑って受けとめるほど寛容ではなかった。警察が出動し、クラブ員の一人を射殺する。はじめての死者。それを契機に、ファイト・クラブは急速に変質する。しかし、ジャックは蚊帳の外。なにが進行しているのか、わからない。事実を探ろうとするジャックは、残された航空券の半券を頼りに、タイラーの足跡をたどる。そして、真実を知って愕然とする。計画とは、クレジット会社の入っている高層ビルを爆破すること。それも、ひとつではない。同時に11カ所で。なぜ、クレジット会社のビルなのか? 再会したタイラーはいう。「みんなの借金を帳消しにして、金融の混乱を招き、みんなを自由にするため」「思えば、大した成果だ。目の前で金融界が崩れ落ち、経済的平等が訪れる」。そしてまた、こうもいうのだ。「だれも殺したりしない、みんなを自由にするだけだ」と。


隠された真実は、そればかりではなかった。タイラーの正体は……。


それだけは我慢して黙っておくことにしよう。しかし、タイラーの興味深い台詞だけは、やはりここで伝えたい。タイラーはジャックにこういうのだ。「おまえが、おれを創りだしたのだ」と。何も知らない、テロ事件とは関わりのないジャックが、地上最大のテロリスト、タイラーを創ったとは、どういうことか?


ラストシーン、高層ビルが次々と崩落してゆく。どこかで見たことがある、衝撃的な映像。しかし、そこには失われる命はない。警察にも、ビル管理会社にも、ありとあらゆる場所に、ファイト・クラブの会員がいて、その時間、爆破されるすべてのビルを計画的に無人にしていたからだ。ジャックは、ようやく再会したマーラにいう。

「ぼくを信じろ。これからは、すべてはうまくいく」
Trust me. Everything gonna be fine.

浜野 智  現地からの情報 2001年10月12日(金)21時15分00秒

パキスタンにある「日・パ旅行社」のホームページに、現地からのリポートが掲載されています。
緊急レポートの筆者である「オバハン」の友人だという某MLのメンバーに教わりました。
ご参考に、どうぞ。

http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/obahan.htm

松永洋介  勝手に検討タイム 2001年10月11日(木)08時39分12秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/

φ本さんこんにちは。掲示板はうまく動いていますか。ご迷惑をおかけします。

φ本さんの質問について、ぼくなりに検討してみました。

▼1.問題提起は効果があった

今回テロリストが提示してみせた問題について「多くのアメリカ国民は、気づく間もなく半ば我を忘れて報復支持を唱え(……)まったく自覚できそうにない」ということですが、割合でなく絶対数としてみれば、かなりの人に伝わったことになりませんか。アメリカ国民の十分の一でも2700万人です。
広告宣伝の世界ではとにかく質より量だという話を聞きます。流せば流すほど効いて、逆効果というものはないのだと。全世界のテレビやラジオの放送時間、新聞雑誌の紙面、ネットのトラフィックで計算すれば、今回の行為は、宣伝という面で、驚くべきコスト・パフォーマンスをみせたはずです。

そして、今回の惨事から“自分のいまの生活”の背景をあらためて見直してしまった人は、たくさんいると思います。スリーマイルやチェルノブイリの事故よりも、阪神淡路大震災よりも、地下鉄サリン事件よりも、東海村の臨界事故よりも、多いと思うのです。
いろいろ問題はあるけど、まあまあ安全で快適な生活――アフガニスタンの生活からみれば天国のような――が、いかに危険で脆いものか、という「衝撃的な事実」の衝撃的な提示があったからです。
ぼくなんかは、あんぐり口をあけたまま、画面で起きている事態を凝視してしまいました。「あ、こうなんだ……」とか思って。テロリストによる“事実の提示”を、わりと素直にうけとめたと思います。善悪は別です。
事件以前から“決死の覚悟の数人が旅客機を奪って高層ビルに突入すれば、とてもたいへんなことになる”という事実をリアルに認識していた人は、どれくらいいたでしょう。

アメリカが破壊され危機に陥ったことはいままで何度もありました。でもそれはたいていの場合、コロンブスを筆頭に、にぎやかに攻めてくる武装集団や、核兵器や化学兵器で武装したテロリストや、大地震や巨大隕石なんかの天災や、宇宙人の侵略とか、そういうおおげさなものによって、でした。“カッターナイフによるハイジャック”という、重大犯罪としてはわりかしポピュラーかつショボい方法で、ここまで巨大なダメージを与えた例はありませんでした。
事件が起きてからずっと“犯行声明”が出なかったのは、今回テロの目的が、金銭的利益でもいわゆる政治的アピールでもなく、「あなたがたの経済や軍事力は、このように脆いのだよ」という“事実の提示”だったからではないでしょうか。

今回の凶器は、便利な交通機関や、現代社会を象徴する建物でした。今後は、スーパーに並んだ商品や、水道や、自動車や、その他さまざまな都市のシステムが、これまでとは違った見え方をするのではないでしょうか。(自動車は、日本では毎年1万人以上殺しています。)
原子力発電所は、ここへきて“六千人の命を奪ってしまった世界貿易センタービル”よりも危険な存在になっています。旅客機の突入から守るために対空ミサイルを備えれば、それは安全の保証ではなく、原発の危険性を浮き彫りにするばかりでしょう。

▼2.「効果があがれば過程はどうでもええんかい!」

ぼくの理解では、アメリカに代表される“20世紀的な方法”というのは、まさに「目先の効果があがれば過程もその後もどうでもいい」というものです。大量消費と永遠の拡大を前提とした経済然り、廃棄物に困る原発然り。
今回のテロリストの行為にこのツッコミが入るのだとすれば、それはテロリストの手法が、アメリカを代表とする“われわれ”の手法のパロディだからです。とても「合理的」かつ非人道的。(カギカッコがついているのは、本質的・長期的には合理的でないからです。)
結果が出せれば既視感なんかあっても平気。マイクロソフトがアップルのOSのインタフェースをパクッたからといって、パクリ側が圧倒的に普及してしまえば、そういう指摘は無意味です。NHKのアニメをパクッた映画でも、宣伝しまくってヒットさせれば勝ち。それがマーケティングとかなんとかの「王道」ではありませんか。

▼3.理解を求めて得られなければどういう行動に出るか

ひもじいのと寒いのとで、もうどうにもならん、という窮状を訴えても話を聞いてもらえなかった人が、なんか派手なことをやらかすのは、自然のなりゆきだと思います。
――タリバーンはバーミヤンの石仏も破壊してみせました。
 「非常に残念なことと思います。ただ、3年も続くものすごい干ばつなんですね。昨年9月に現地を訪れたときも、干ばつを逃れてきて、テントもなくて座り込んでいる人がたくさんいた。石仏を壊したとき、あんなに急に国際社会が何とかしようと言い出すなら、生きている人間が悲惨な状況にあるときに、もう少し何かしてくれてもいいのにと思った。その点では私、タリバーンに賛同することもありますよ」
無関心が生んだアフガンの悲劇 緒方貞子さん語る」(asahi.com)
アメリカは、使わなくてもいい原爆を2発も無差別攻撃に使用して、もうずいぶん時間がたつのに、スミソニアンでの展示を阻止したりなんかして、いまだに自分たちが何をしたのか認めようとさえしないじゃありませんか。これから急いで環境負荷を低下させる方向へ向かわなければならないのは明らかなのに、京都議定書の精神を無視してるじゃありませんか。話の通じる相手だと思いますか
……と言われたら、どう反論しますか。

アメリカは、「テロ行為をやめてください」とテロ組織に言ったけど、聞いてもらえなかった以上、なんか派手なことをやるしかないね。とかいって軍隊を出動させていますが、しかしそもそもわれわれは、食うにも住むところにも困ってないにもかかわらず、切羽詰まった最貧困地域のテロ組織と同じパターンで行動してていいんでしょうか。

▼4.時間も命も資源も金も搾取、搾取、搾取

言うまでもないことだと思っていたのですが、アメリカやわが国などにみられる快適な生活は、もちろん、貧しい国々の人々からの搾取の上に成り立っています。
テロとか報復攻撃みたいな大規模な時間の強奪から、自転車を盗まれて普段20分で帰れるところが40分かかったよ、おれの20分返せ! 新しい自転車買うために何時間働かないかんと思ってるねん、その分の時間も返せ! とかいった時間の窃盗レベルまで、もっとこまかい時間のちょろまかしとかも含めて、そういうのがまかりとおらない世界が、俺にとっては「平和」なんです。
誰かから何かを搾取している(そのような社会システムを築き上げてきた)から、われわれの現状があるのです。
毎日の水の確保からはじまり、食べるものにも困っている、寒さをしのぐ屋根もなく、今日明日を生きのびるために何をしたらよいかで精一杯、という人々から、ほとんどあらゆるものを奪い取って、われわれの生活はあります。ようするに、世界はぜんぜん平和じゃないし、軍事力や経済力やその他の暴力で不満を抹殺しているのはわれわれで、それを見ないことにしたときにのみ、平和が感じられます。
そんな世界は平和じゃありません。
そのことを力いっぱい命がけで暴力的に暴露しちゃったのが今回のテロの意味だとぼくは思います。善悪は別です。

φ本  勝手に質問タイム 2001年10月11日(木)02時39分40秒 http://homepage1.nifty.com/FAIMOTO/index.html

寮さん、みなさん、まいどどうも。松山のφ本です。

いろいろな考え方・シミュレーションがあるうちのひとつとして、お読みいただければと思い書きました。
「テロ攻撃は何に対する抗議だったのか?」という寮さんの発言に対するレスポンスです。というか、質問タイムって感じです。時間があれば、読んでレスをお願いしたいです。時間がなければ、保留扱いってことで。無理言ってすみません。

で、最初の質問なんですが、今回のテロの目的が、松枝到氏の言われるように、

>「そこに問題があるということを、より多くの人に気づかせることじゃないのかな」

ということだとして、寮さんは「その効果は絶大だった」と書かれていますが、そうなんですか? 俺はそうは思えないのですが。
なぜなら、多くのアメリカ国民は、気づく間もなく半ば我を忘れて報復支持を唱え、数千人の人がわけわからんうちに亡くなり、ついに報復がはじまり、問題に気づくどころかまったく自覚できそうにない気がするからです。それって目的からすれば、逆効果なのではないでしょうか? 

それから、

>つまり、首謀者は、最大級に優秀な広告プランナーだったといえるだろう。

ということですが、それはクライアントがテロリストだからじゃないですか?

もし俺がクライアントなら、そのプランナーに「効果があがれば過程はどうでもええんかい!」とつっこむし、「なんか妙な既視感があるんやけど、なんかトマス・ハリスが飛行船でビルにつっこむ小説書いてなかったけ? お前、それパクリちゃうん?」と、付け加えたかもしれません。
つまり、首謀者はテロリストとしては優秀ですが、広告プランナーに例えると優秀な感じがしないんです。なんか違うって気がしてならないです。考え方の違いって、こういうことでしょうか。

それから、最初の質問とかぶりますが、

>「アメリカがしてきたこと」を、わたしたちはアメリカに「かなり小規模に」お返しして、そ>の痛みをわかってもらおうとしている、

とはどうしても俺は思えないです。
わかってもうらおうとしてる人が、いきなり数千人無差別に殺すか? という疑問が頭ん中でぐるぐるぐるぐるしてます。そういう理解の求め方もありなのか? なしなのか? なしに決まってるやん! 

最後に、

>「経済力と軍事力で動く世界の枠組み」に異を唱えるための行動が、あのような凄惨なテロ攻>撃だったことを許していいなどとは微塵も思っていない。しかし、そのようにして異が唱えら>れたからには「ほんとうの平和」のために、わたしたちが新しく、どんな世界をつくっていっ>たらいいのか、考えなければならないと思っている。

ということについては、まったく同感です。

俺の希望は、時間を奪い合わない世界です。
他人の時間を奪うために自分の時間を費やすなんて、すっげー無駄無意味。自分で自分の限られた時間を奪ってるのと一緒やろ? と、多くの人が思ってる世界。
そんな大したこっちゃないです。そう思えばいいだけの話で。あとは、時間を奪うことの具体例を考えれば、色々思いついて、じゃあ、それはやめとこうよって話にならないですかね? 
テロとか報復攻撃みたいな大規模な時間の強奪から、自転車を盗まれて普段20分で帰れるところが40分かかったよ、おれの20分返せ! 新しい自転車買うために何時間働かないかんと思ってるねん、その分の時間も返せ! とかいった時間の窃盗レベルまで、もっとこまかい時間のちょろまかしとかも含めて、そういうのがまかりとおらない世界が、俺にとっては「平和」なんです。

というわけで、もし、寮さんに時間があったら、質問に応えていただければうれしいです。
ではまた。


寮美千子  日本はテロ攻撃の標的となるだろうか? 2001年10月10日(水)22時42分38秒 http://ryomichico.net

▼米軍の払い下げの迷彩服を着ていたビンラディン氏

ビンラディン氏のビデオ声明で、氏が着ていた迷彩服は米軍の払い下げ品、腕時計もアメリカのスポーツ時計のタイメックスだったと報道された。>朝日新聞 そうか、やはりそこまで計算済みだったのかと、改めて驚いた。昨日、ビンラディン氏は優秀な広告プランナーであると書いたが、ビンラディン氏を見ていると、まったくそんな小道具に至るまで、さりげなく見えて実はある配慮のもとで慎重に選ばれた品なのではないか、という気がしてくる。

アメリカ軍の迷彩服にタイメックス。そこに、どんな意味が隠されて、ではなく表現されていたのか。まず、思いつくのがソ連によるアフガニスタン侵攻のことだ。その時、ビンラディン氏はアフガニスタン側に立って戦い「敵の敵は味方」とアメリカと手を組み、アメリカの支援を受けていた。その時に、アメリカから大量の武器がアフガニスタンに流入している。アメリカは今回の報復攻撃で、自らが贈った武器を自ら壊しているということになる。その図式のばかばかしさ。そのばかばかしさを、声高に語るでなく、さりげなく映像に紛れ込ませたのではないか。反米のテロ組織の主催者が、アフガニスタン侵攻の時にアメリカから贈られた迷彩服と時計を身につけて声明を発表するという皮肉。「リメンバー・アフガン侵攻」と、ビンラディン氏はそこで無言で訴えているように思える。もし、そうであったとしたら、服装に至るまで、ビンラディン氏は広告スタイリスト顔負けの演出を行っていたということになるだろう。

▼ビデオの背景と服装に込められたメッセージ

第一、砂漠の岩の前というロケーションそのものが、ひとつの意志表示だったように思う。その映像で示していたものは「莫大な資本力も、それによってつくられた超高層ビルも、砂漠に生きる男たちの意志の前には、無力だ」ということではないだろうか。どんな大軍隊も、ハイテクも、高層ビルをつくる技術力も、人間の強い意志の前には無力だと主張したかったのではないか。人間の身体の「外側」に構築された富も力も「内側」に築かれた心の王国の前には無力であるというメッセージだ。

ハイジャックした民間機でビルに激突して乗客もろとも自爆するという過激な行為もまた、そのようなメッセージを強く発している。武器らしい武器など必要ない。身体の外側にあった武器はカッターナイフ一本のみ。彼らのほんとうの武器は、身体の内側、つまり心の中に築かれた王国を信じる強い意志だった。そしてそれは、「金と力」=「経済力と軍事力」さえあれば、世界を思うままにコントロールできるという、いまある世界の枠組みへの抗議行動だったのだ。

というように、仮に読み解いたとしよう。もちろん、ここまでが仮定であるのだから、仮定の上に積み重ねるさらなる仮定は当てにならない。しかし、シミュレーションして起こりうる可能性を考えてみるということにおいて、少しは役に立つかもしれない。可能性を想定しておけば、対処もまた想定できるからだ。

▼ビンラディン氏が口にした「日本」とは

ビンラディン氏のビデオ声明のなかで、わたしがショックだったのは「ジャパン」という言葉が出てきたことだった。アラビア語から英語へ、そして日本語へと同時通訳され、くっきりと聴こえる日本語の向こうに、通訳の英語と、そしてビンラディン氏の生の声が重なって聴こえた時、なにをいっているんだかさっぱりわからないビンラディン氏の言葉の中で、ひとつだけくっきりと聴こえてきたもの。それは「ジャパン」という言葉だった。(以下ビンラディン氏声明より引用)

>(原爆を投下された)日本をはじめ、世界中で何十万人が殺されても、
>米国はこれを犯罪とは呼ばない。
>(98年に米国大使館連続爆破のあった)ナイロビとダルエスサラームで
>米国人が殺されると、アフガニスタンなどに爆弾を落とす。

ここに込められたメッセージは何か? 改めていいかえる必要もないが、あえてやさしくいいかえると、こういうことになるだろう。

アメリカは、原爆投下をはじめとして、世界各地で大量虐殺を行ってきた。それがテロ行為と変わらぬ重大な犯罪だという意識をひとつも持っていない。逆に、アメリカ人がテロで殺されると、報復と称して、一般市民をも巻き込んだ他国への爆撃を平然と行う。こんなことが許されるだろうか?

▼ビンラディン氏は金持ちのボランティア?テロリスト

余談になるがSF作家野尻抱介氏の掲示板で、ビンラディン氏をこのように表現した人がいた。言い得て妙だと思ったので、引用する。(以下引用。下線は寮美千子による)

小林伸光 この戦争から何を実感できるか 2001年10月08日
>こんな事を言うとテロリストの思うつぼですが、
>60年も遡らなくても、つい最近に湾岸戦争やコソボでも起きた事だし、
>パレスチナではずっと戦争もテロも続いていて、
>それに誰も気が付いてくれないから
金持ちのボランティア・テロリストがニューヨークで再現しただけでしょう。

確かにビンラディン氏はサウジアラビアの大金持ち。資本主義社会の枠組みにきっちりとはまっていれば、なんの苦労もなく、むしろ親米側として、うまく立ち回ることもできたはずだ。そのような安楽な暮らしを捨てて立ちあがったのは、なぜか? それは「心の王国」を「物質の王国」より上位に置いたからではないかと思う。

ビンラディン氏の経歴 http://www.zakzak.co.jp/top/3t2001091305.html

▼ビンラディン氏の対日感情は?

さて、話を戻そう。ビンラディン氏が「日本」を意識に入れていることは明らかだ。一体、どのような文脈で「日本」は語られているのか? 少ない言葉のなかから、わたしなりに推理してみると、こうなった。ビンラディン氏は、ヒロシマとナガサキへの原爆投下を「巨大なテロ行為」として認識している。その意味において、アメリカのミサイル投下場と化しているアフガニスタンの人々と同じ痛みを、日本は持っているであろうというシンパシーがあると感じられる。しかし、日本は戦後、ずっとアメリカにすりよって暮らしてきた。そして、いまや日本の首相は「アメリカの報復軍事攻撃を強く支持する」と表明している。

もともと「敵」だった国ならいざ知らず、同じ痛みを持つはずの国が、その痛みをなかったことにして、敵の提灯持ちになる。「誇り高き砂漠の男」から見たら、それは許すまじき卑劣な行為に映るかもしれない。「リメンバー・ヒロシマ!」と、ビンラディン氏は、あの声明のなかで、訴えたのかもしれない。砂漠というロケーションや、米軍の迷彩服という服装が、そのままメッセージのひとつになっていたように、わずかに触れた「日本」という言葉は、そこまでの意味を含んでいたのではないか、という気がする。

だとしたら、である。日本はビンラディン氏の敵か味方か? もちろん、現時点では敵だ。それも、元々の敵というより、本来味方であり、力を合わせてアメリカの金と力にまかせた暴力に抗議しなければならない者が、敵にへつらって敵になっている。というように、彼らの側からは見えるだろう。そのように、味方でなければならないはずの者が敵に回ったとき、人の憎悪というものは、より拡大されるのではないかと、わたしは恐れる。つまり、テロ攻撃の次なる矛先が日本に向くことを恐れている。実際、厚生労働省は、大規模テロ攻撃があったときにどう対処するかの手引きを出したばかりだ。

10月5日厚生労働省「米国の同時多発テロ」を契機とする国内におけるテロ事件発生に関する対応について」

▼対日テロの可能性を考える

いま、米国は戒厳令下だ。テロに対するチェックもきびしい。いま、アメリカでテロを行うのは、あまりにもむずかしい。けれども、国際テロの洗礼をうけていない日本は、いくらテロ対策をしているといっても、アメリカに比べたら、幼子の腕をひねるように簡単かもしれない。

さて、ビンラディン氏なら、いったいどこを、なにを狙うだろう。ビンラディン氏が「日本」という言葉を発したことを手がかりに考えてみた。ニューヨークの世界貿易センタービルを破壊することで、テロ組織は「経済力」の象徴を破壊した。そしてワシントンのペンタゴンを破壊することで「軍事力」の象徴を破壊した。

日本には、世界貿易センタービルに匹敵するような経済力の象徴はない。また、アメリカの基地はあるものの、それを壊してもペンタゴンを破壊したような衝撃は走らないだろう。あれだけの、目立つ、そして宣伝効果絶大のテロ行為を企画する人間の考えることだ。もし、次に行動に出るとしたら、世界の誰もが「ああ、あれが!」と知っているようなもの。そして、破壊することに、強い象徴的価値のあるものではないだろうか?

▼ねらわれるのは、どこか?

フジヤマ、などではない。国会でも皇居でもないだろう。ビンラディン氏の言葉を忠実になぞって考えてみれば、次のような結論を導きださざるを得ない。それは「ヒロシマ」だ。世界が覚えている名前。アメリカが金と力にまかせて開発した新兵器を人体実験した場所。アメリカの大虐殺の記憶の地。「リメンバー・ヒロシマ」アメリカが世界で何をしてきたかを人々に喚起させるための、そして日本がいまそのアメリカを支持していることに対しての抗議の意味を込めて「リメンバー・ヒロシマ」というのではないか? ニューヨークやワシントンのような派手な破壊である必要はない。誰もが知っている「ヒロシマ」という名前が、世界を駆けめぐる。それだけで充分に意義があるのだ。彼らにとっては。

という推論は、あんまりデタラメかもしれない。けれども、あまりにも鮮やかなビンラディン氏の方法を見ていると、そんなこともあるかもしれないと思えてくる。みんなが必死でアメリカ軍の施設やアメリカ大使館を警備しているとき、まったくマークしていなかった、しかも「世界中のだれもが知っている象徴的な場所」で事件が起きる。ありそうなシナリオだ。

そして、わたしが言いたいのは、ビンラディン氏の声明に、あのような形で「日本」が登場した以上、ビンラディン氏の視野には確実に「日本」が入っているということだ。日本がテロ攻撃の目標とされても、おかしくない状況にあるということだ。そして、そんな状況をつくったのは「アメリカの報復攻撃を強く支持する」という小泉首相の、そして日本政府の意志表示にある。小泉政権は、そんな形で、日本国民をテロの脅威にさらしているといえるだろう。

▼日本の選択で、世界は変わる

「日本の国民を守れ!」という話ではない。アメリカひとり勝ちの世界、経済と軍事力がすべてを牛耳る世界の中で、ほんとうの平和を求めるために、いま日本が何をしたらいいのか。西欧諸国が、そして国連さえ右へならえで、アメリカの軍事報復を支持するいま、唯一の被爆国である日本こそが、唯一の原爆投下国であるアメリカをたしなめる発言をしなければならないのでないか。日本には、戦争の永久放棄をうたう憲法第九条もある。率先して、和平の道を探ることで、新しい時代の地球をつくっていくオピニオン・リーダーになれるはずだ。それこそが、遠いが確実な平和への道だ。いまからでも遅くない。日本がそのような道をとることを、強く願っている。

寮美千子  鎌仲ひとみ「続エンデの遺言」 2001年10月10日(水)17時35分38秒 http://ryomichico.net

知人の映像作家 鎌仲ひとみさんが、2年前に制作した「エンデの遺言」に引き続き「続エンデの遺言」を制作、NHKのBS1で、10月19日と20日の二夜にわたって放映されます。童話作家ミヒャエル・エンデの遺した言葉を手がかりに、資本主義社会の根本である「通過」について根本から考え直すという、まさにタイムリーな企画です。詳しくは「遊星たちの消息」をごらんください。

坂本龍一 地域通貨の希望 10/19
坂本龍一 銀行の未来   10/20

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寮美千子  カフェルミ&ルナ探検隊/旧白洲邸訪問 2001年10月10日(水)16時31分40秒 http://ryomichico.net

白洲正子が白洲次郎と過ごした旧白洲邸「武相荘(ぶあいそう)」が明日公開されます。
場所は和光大学のある鶴川。
というわけで、以前からいちど訪れてみたかった白洲正子邸、
10月12日金曜日の和光大学での授業終了後、訪れてみたいと思っています。
この探検隊に参加する! という方は、寮美千子までメールを!

集合は、小田急線鶴川駅正式改札口(臨時改札ではない!)午後1時30分。

鶴川駅は、新宿より急行で新百合ヶ丘に。各停に乗り換えて2駅。
新宿から

小田急線 新宿発12時50分 急行片瀬江ノ島行で新百合ヶ丘へ
新百合ヶ丘から各停本厚木行で2駅 13時25分着
運賃330円
旧白洲邸入場料1000円(小学生以下入場不可)

旧白洲邸詳しくはこちら。

http://www.buaiso.com/etc/010920.html

寮美千子  テロ攻撃は何に対する抗議だったのか? 2001年10月10日(水)04時24分07秒 http://ryomichico.net

アメリカの報復攻撃に対して、ビンラディン氏が、ビデオで声明を述べている。その映像を見た。背景は砂漠らしき場所の岩。その前にあぐらをかいてゆったりとすわった姿で、声を荒げるでなく、しかし熱のこもった演説をするビンラディン氏の姿は、わたしにとっては、ある種の新鮮な衝撃だった。あぐらをかいたビンラディン氏のそばには、何人もの同志たちが同じようにあぐらをかいて座り、静かに水など飲んでいる。それはどこか、アラビアンナイトの世界、わたしたちの知らない砂漠の国の、とてもエキゾチックな風景のように見えたのだ。

世界をゆるがすテロ行為の司令部(と推測される場所と人)が、SF映画に出てくるようなコンピュータだらけの密室や、大仰で権威的な執務室や記者会見場ではなく、単なる砂漠の岩の前、という前近代的な風景にあることを、ビデオは嫌というほど強くわたしたちに印象づける。

印象が強いといえば、9月11日のアメリカにおけるテロ攻撃も勿論そうだった。ニューヨークの世界貿易センタービルの崩壊といい、鉄壁と思われていたワシントンのペンタゴンへの攻撃といい、あれほど印象の強いテロ攻撃を、わたしは他に知らない。

まず、一機目が国際貿易センタービルに突っ込み、何事かとテレビカメラが向けられ、それを世界中に同時中継しているその時をねらいすましたように、二機目がもう片方のビルに激突した。世界中に電波で流されたリアルタイムの衝撃は、計り知れない。いままでの「テロ」という概念を覆し、安全で揺るがないと思っていた西欧諸国の足許は、実は水面に発泡スチロールの板を並べたようなものだったということを暴露した。最小限のコストで最大限の効果を上げるように周到に準備されたテロ行為だ。

もしも、ビンラディン氏が今回のテロ攻撃の首謀者だとしたら、その目的はなんだろうか? 和光大学へ行った折、アフガニスタンにも何度も足を運んでいる美術史の松枝到氏に素朴な疑問をぶつけてみた。まだ、テロが勃発して間もない頃のことだ。松枝氏は、こう答えてくれた。

「そこに問題があるということを、より多くの人に気づかせることじゃないのかな」

そうだとしたら、今回のテロ攻撃の効果は絶大だったといえるだろう。あの、世界貿易センタービルが砂の城のようにもろく崩れさる映像には、首謀者が期待した以上の効果があったかもしれない。飛行機がぶつかる瞬間の映像と、ビル崩落の映像をのせた電波は、首謀者が一銭も払わなくても世界中を駆けめぐり、繰り返し放映され、人々に忘れがたい印象を与え、考えるきっかけを提供した。「人々に強い印象を与えるために、最小限のコストで最大限の効果をあげる」という意味において、首謀者はどんな大企業もなしえなかった広告効果をあげた。つまり、首謀者は、最大級に優秀な広告プランナーだったといえるだろう。

その首謀者がビンラディン氏であるのかどうか、アメリカははっきりした証拠を握ったというものの、それがどんな証拠なのか、その情報はいまひとつはっきりしない。その説明はいまのところ以下のように口頭でなされただけだという。<毎日新聞

1 事件の2日前に義母に「大きなニュースがあるだろう。しばらく連絡が取れなくなる」といったことを盗聴したこと。
2 事件発生直前にアルカイダのメンバーが訓練施設から一斉に姿を消したこと。
3 ハイジャック犯のひとりが、アルカイダの幹部から資金提供を受けていた。
4 実行犯のふたりが、クアラルンプールでアルカイダの幹部と接触していたところをビデオ撮影されていた。
動かぬ証拠というには、それを説明する文書ひとつ披露されていないことが不思議だ。

これが、一国に攻め入るに足る充分な「動かぬ証拠」といえるだろうか? という疑問はおいておき、とりあえず、ビンラディン氏のことだ。

ビンラディン氏は報復後に行われた声明の中で、9月11日のアメリカにおける連続テロを、自身の所業とははっきりとはいわなかったものの「イスラムの神」がこれを祝福していると語っている。これはテロを賞賛する発言であり、事実上の犯行声明とも受け取れる。

このビデオはアメリカの報復攻撃以前に撮影されていたという。報復は夜間にされたのに、間をおかず発表されたビデオの映像が昼の映像だったからだ。つまり、報復があったら、どう対処するか、どう世界にアピールするか、ビンラディン氏は、予め考え、用意していたということに他ならない。そして、映像はまたもや世界を駆けめぐった。それが、あの、砂漠の岩の前であぐらをかいて座る姿だ。

アメリカの大統領には、専属のスタイリストやアドバイザーがいて、どんな服を着て、どんな口調で、どんな姿勢でしゃべれば効果的か、示唆しているという。そのアメリカ大統領の影が薄れるほど、ビンラディン氏の映像は「広告的効果」を持っていたと、わたしは感じている。

そのなかでビンラディン氏はいう。

>巨大なビルが破壊され、米国は恐怖におののいている。
>米国民が味わっている恐怖は、これまで我々が味わってきたものと同じだ。
(中略)
>米国民よ、私は神に誓う。
>パレスチナに平和が訪れない限り、
>異教徒の軍隊がムハンマドの地から出ていかない限り、米国に平和は訪れない。

たかだかビデオ一本。それだけで、ビンラディン氏は、アメリカを恐怖に突き落とし、飛行機に乗ることを恐れた人々が飛行機を利用しなくなったことで、航空会社は絶大な損害を被り、廃業する会社まででてきた。次の標的がどこなのか、あらゆる恐ろしい可能性を考えて原発やダムは厳戒態勢。人々は枕を高くして眠れない。

確かに、今回のテロ攻撃は綿密に計画されたもので、その裏に莫大な資金が投入されていることは事実だろう。しかし、今回のテロのほんとうに恐ろしいところは、そのような莫大な資金がなくとも、飛行機のチケットを買うお金と、カッターナイフ、そして数人の命知らずの男がいれば、一気に六千人もの命を奪い、アメリカを混乱に陥れるようなテロ行為が「理論的には」可能だということを、突きつけたことだろう。

つまり、ビンラディン氏は、アメリカ、そして西欧諸国が築いてきた「資本主義社会」の枠組み、つまり「金と力=経済力と軍事力を握った者が世界をコントロールできる」という世界の枠組みに対して「ノー」と強い否定を申し立てた、ということなのだと、わたしは感じている。

ビンラディン氏がつきつけていることは、こういうことだ。経済力と軍事力があれば、世界は思いのまま、自分たちは安全に快適な暮らしができると思ったら大間違いだ。きみたちが信じていた金も力も、当てにならない。「経済力でも軍事力でもないもの」が世界を脅かすことが可能なのだ。

そして、いままで「経済力と軍事力」で他国に介入し、そこを戦地と化して、多くの人命を奪ってきた「アメリカがしてきたこと」を、わたしたちはアメリカに「かなり小規模に」お返しして、その痛みをわかってもらおうとしている、ということなのだろう。

わたしはテロを支持する者ではない。テロはひどいことだと思う。しかし、正義の名をかたるいかなる戦争も、またテロと変わらずに許せない行為だと思っている。

「経済力と軍事力で動く世界の枠組み」に異を唱えるための行動が、あのような凄惨なテロ攻撃だったことを許していいなどとは微塵も思っていない。しかし、そのようにして異が唱えられたからには「ほんとうの平和」のために、わたしたちが新しく、どんな世界をつくっていったらいいのか、考えなければならないと思っている。

「経済力と軍事力で動く世界の枠組み」それは、二十世紀にわたしたちが営々として積みあげてきたものだ。経済成長なしにはやっていけないそのシステムが、地球の環境を破壊し、とんでもない破綻を招くことを、わたしたちはもう気づいている。このやり方一本槍では、だめなのだ。

しかし、アメリカはまだその方法論を捨てようとしない。京都議定書のサインも蹴飛ばし、アラスカの大自然を破壊して石油開発を進めようとしている。

そして、今回もまたアメリカは「経済力と軍事力で動く世界の枠組み」に異を唱えられたのに、それを無視して「経済力と軍事力」で対応している。大量の兵士が艦隊や戦闘機とともに送り込まれ、一億円ミサイルが湯水のように使われている。アメリカは、すでにこの「不朽の自由」計画に、どれくらいのお金をつぎこんだのだろう? そして、そのコスト・パフォーマンスは? ニューズウィーク誌が、揶揄するようにこう書いたという。「一億円のミサイルを使って、十ドルのテントを壊してどうするのだ?」と。アフガニスタンは、アメリカが爆撃する以前から、すでに瓦礫の山だという。「壊すものはもう、人の命しか残っていない」といわれるほどに。この、圧倒的な不釣り合いは、一体何なのだろう?

結局、アメリカが勝とうが負けようが、ブッシュ大統領が利益代表を務めているアメリカの石油資本と軍需産業は儲かる、ということだろうか? アフガニスタンは、使わないで積んであった不良在庫のミサイルの処分場として利用されているということだろうか?

ブッシュ大統領の支持率は、今回のテロ事件で、一気に90パーセントを超えたという。湾岸戦争のときのパパ・ブッシュ元大統領の支持率を抜いて、歴代の大統領のなかでいちばんの支持率だという。大統領選で、ゴアと僅差を争い、いつまでも当選が決まらなかったあのブッシュが、である。高支持率を後ろ盾に、軍隊を出動して、不良在庫のミサイルを使い、さらに石油資本と軍需産業の喝采を浴びる。今回のテロ事件で、いちばん株をあげたのは(得をしたのは)実際、アメリカではブッシュ大統領だろう。

ただでさえ不毛なアフガニスタンの、すでに瓦礫と化した街を攻撃しても、テロ組織を壊滅することはできない。それは確かなことだ。たとえ今回、ビンラディン氏を死に追いやったとしても、それで組織壊滅とはいかないだろう。組織が壊滅しても、大きな不満が鬱積する限り、また新たなテロ組織が登場するだろう。

わたしは、今回の戦いは「宗教の戦い」ではないのではないか、と思っている。金と武器という、人間の「外側」にあるものがすべてを律する世界の枠組みに対して、心という人間の「内側」にあるものに立脚した世界を主張し、その重要性を訴える戦いなのではないか。アラビア半島に生まれ育った彼らにとって「イスラム原理教」が「心の世界」を代表する世界だった、ということではないかと感じている。

アメリカは大艦隊を出動させ、最先端の戦闘機を飛ばし、物量作戦でアフガニスタンに襲いかかっている。なんでそんなにものものしくするの? と首を傾げたくなるような、金と力を注いだ大パフォーマンス。大げさにすればするだけ、わたしには、お金ばっかりかけて効果の薄い下手な広告に見えて仕方ない。二十世紀的な、古くさい方法論にしか見えない。

カッターナイフという武器だけで、資本主義を象徴するふたつのビルを破壊し、誰もが鉄壁だと思っていたペンタゴンのビルを壊し、さらにはたった一本のビデオテープで、世界の人々を震撼させたビンラディン氏のやり方は、異常にコスト・パフォーマンスのいい広告だ。そして、その方法論自体が「金と力」の世界へのアンチテーゼを示しているという、象徴的な方法だ。そんなにも鮮やかな新しい方法=二十一世紀的方法が、岩と砂の砂漠からやってくるなど、誰が想像しただろうか?

しかし「金と力の暴力」を否定するために「暴力」を使ったところに、テロリストたちの自己矛盾が生じている。その矛盾は、見過ごされるものではない。だからといって、それを否定するために「暴力」を使うことが、許されるわけがない。ビンラディン氏の暴力を「テロ」と呼んで否定するならば、アメリカの数々の戦争行為もまた、テロと変わらない暴力に違いない。

わたしは、アメリカは即刻、軍事による報復行動を中止するべきだと思う。強大な軍事力を経済力をふりかざして他国に介入するのもやめるべきだと思う。日本がアメリカの報復行動を支持することも、やめるべきだと思う。暴力によって暴力は解決できない。他者と異文化への敬意なくして平和はありえない。

しかしながら、アメリカが否定しているのは、テロ行為ではない。暴力でもない。アメリカが否定しているのは「金と力がモノをいう世界の枠組み」が否定されることを、否定しているのだ。そのアメリカに、いかに「暴力はいけない」といっても通用するわけがない。アメリカのいう「自由」とは「金と力があればなんでもコントロールできる自由」だ。それを「不朽の自由」と呼んではばからない。いつまでも、それが通用すると夢見ていたいのだろう。

アメリカ人のすべてが、自由をそのように考えているとわたしが考えているわけではないということは、いうまでもないけれど、いっておこう。アメリカには、もっとすばらしい意味での自由があったと、わたしは感じてきた。その自由は、どこへ押しつぶされてしまったのだろう。

「金と力があればなんでもコントロールできるという世界の枠組み」を、考え直すべき時が到来したのだと思う。もちろん、考えも変革も、ゆっくりとしか進まない。革命のように、一発逆転できるようなものは、ほんとうの本物ではないだろう。「金と力」の世界は、わたしたちに物質的な豊かさをもたらしたが、ほんとうの心の豊かさをもたらしたわけではなかった。むしろ、物質で満たされれば満たされるだけ、心が渇くような世界だった。物質を手に入れるために、心と身体の心地よさを犠牲にするような社会だった。そんな物質社会に棲んで、何か違うと感じている人は多い。環境汚染が進めば進むだけ、心が渇けば渇くだけ、人々はもっと気づいてくるだろう。この枠組みでは、人間はほんとうにしあわせにはなれないと。

その小さな違和感のひとつひとつを積み重ね、よりよき豊かさを求める心をつないで、いつか、世界が進もうとしている方向を、少しだけでも変えることはできないだろうか。そんなことはありえない、と人々はいうかもしれない。

しかし、そんなことはありえない、と思うことが、いくつも起こった二十世紀だった。ソ連はなくなり、ベルリンの壁も消えた。さらに遡れば、人類には天動説から地動説へとコペルニクス的転回をしてきた歴史がある。いまだって、だれもが空を見あげれば、自分が動いていると思うより、太陽や月が動いていると思う方が、実感的だろう。それでも、人々は地動説を信じる。それは、自己中心ではない眼差しを勝ち得たからだ。ここから、ここを見るのではなく、遠くからここを見たらどう見えるのか、その視点を得たからだ。遠い視線を得たからに他ならない。

中国やインドネシアなど、わずかの国を除いて、いま世界中がアメリカの軍事報復を支持しているように見える。けれども「強く支持」している国の中にも、支持しない人々もたくさんいるはずだ。目先の利益や平和ではなく、真の平和としあわせを考えたとき、心の眼は遠くに焦点を結ばなければならない。そんな遠い焦点距離を持つ人々が少しでも増え、世界の枠組みが穏やかに変わっていくことを、願わないではいられない。そのためにわたしたちは、わたしは、何をしたらいいのだろう?

http://www2.asahi.com/international/kougeki/K2001100801230.html

松永洋介  修正してみました:ネットスケープ4で投稿できない不具合 2001年10月10日(水)03時43分10秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/

技術面の不備からご迷惑をおかけしております。
ネットスケープ4.xでは入力フォームが崩れてしまって投稿ができない問題の解決のために、投稿画面用のスタイルシートを書いてみました。

テストした環境は以下のとおりです。
▼ウィンドウズ98セカンド・エディションで
 インターネット・エクスプローラー5.5と
 ネットスケープ・コミュニケーター4.78。
▼マックOS8.6で
 インターネット・エクスプローラー4.5と
 インターネット・エクスプローラー5と
 ネットスケープ・コミュニケーター4.7と
 ネットスケープ6.1。

今回の修正で、とりあえず「ネットスケープで投稿できない」という問題はクリアしたつもりです。いかがでしょうか。
まだ入力フォームが崩れるというケースがあれば、お手数ですが松永宛のメールでお知らせください。

φ本さんご報告の「divタグ(セット)が要求される」、という障碍は、うちの環境では再現できず、原因不明です。ぼくでは見当もつきません。
何が原因なのか、あるいは対処方法についてアイディアをお持ちのかたはいらっしゃいませんか。

φ本  エラー 2001年10月09日(火)01時14分49秒 http://homepage1.nifty.com/FAIMOTO/index.html

まいどどうも、松山のφ本です。

インターネットエクスプローラーを使ってるのですが、投稿しようとしたら、エラーが出ます。
どうやら、div〜/divというタグを文中に入れろってことらしいです。
最初の書き込みはそんなエラー出なかったんですが、とりあえず、文頭・文末にタグをいれれば、エラーはほれこのとおり、解消されました。タグを入れないと、永久にアップされないようですね(^_^;)。なぜ? おれだけ?

ではでは。



silica   イボンヌ・リドリーさんたちは・・・? 2001年10月08日(月)15時36分02秒

こんにちは。昨日から、緊迫した情勢になってきて、ニュースから目が離せないでいます。
私は、ついおとといまで、「解放」が注目されていた英国人記者リドリーさんやNGOの8人の拘束メンバーについての記事があっという間になくなってしまったことに驚いています。暗黙のうちに目の前のことから、触れないものとして追いやられてしまったのでしょうか。
リドリーさんのように今、この危険な時期に足を踏み入れたことは無謀だったのかもしれません。でも、何日か前の新聞をもう一度眺めてみますとパレスチナ自治政府職員だった元夫との間にデイジーちゃんという9才の娘(ああ、娘と同じ!)がおり、難民の取材のために入国した、ということですが、自分に与えられた使命のようにその場所へかかわったのだと思います。
「解放する」とタリバン側が告げてきた矢先に攻撃をするというのは、どういうことなのだろう・・・?イギリスすら、このことには、触れません。デイジーちゃんは、ブレア首相に「お母さんを返してください」と嘆願する手紙を書いていたそうです。(NGOの家族の人たちだって、ブッシュ大統領に解放されるまで報復攻撃をしないでほしいと嘆願していたそうです。)
新聞に報道され注目されていたはずのことなのに、アメリカは無視したの? あるいは、すでに時遅しの知らせが内々には伝えられていて、攻撃に踏み切ったの?
疑問ばかりが押し寄せてきます・・・。

心で見なくちゃかんじんなことは目には見えない・・・

でも、見えたような気がしたら、目に見える形での確信(手応え)をどうしても求めてしまう・・・
ちょっとこの場にふさわしくなかったかもしれませんが、アメリカが心の奥底で本当に願う気持ちがどこにあるのかよくわからなくなっています。
なお、拘束されていた方々の情報を私が見逃しているのかもしれません。新しいことを知っていらっしゃる方がおられましたら、教えてください。

寮美千子  ビンラーディン氏声明の要旨/産経新聞 2001年10月08日(月)07時20分33秒 http://ryomichico.net

8日、産経新聞のサイトで、ビンラディン氏の録画ヴィデオによる声明の要旨が発表されました。(以下引用)

▼ビンラーディン氏声明の要旨

 一、米国が今、味わっているものは、われわれが味わってきたのと同じものにすぎない。われわれイスラムの民は八十年以上も屈辱を味わってきた。

 一、神は米国を破壊するため、先頭に立つイスラム教徒の集団を祝福した。

 一、米国はテロと戦っていると、世界にうそをついてきた。日本で数十万人が(米国によって)殺害されたが、これは世界的な犯罪ではない(と彼らは言う)。

 一、ナイロビとダルエスサラームで十人以上(の米国人)が殺害されたとき、アフガニスタンなどが爆撃され、不信心者の頭目である米国とその同盟国の背後には偽善があった。

 一、すべてのイスラム教徒はその宗教を守るために立ち上がらなければならない。マホメット(ムハンマド)の半島から悪を一掃するため、信仰の風が吹き、変化の風が吹いている。

 一、平和がパレスチナに訪れ、不信心者のすべての軍がムハンマドの土地を去るまで、米国は平和に暮らせないであろうことを、私は神に誓う。


http://www.sankei.co.jp/html/1008side094.html

寮美千子  考えるツールとして有用なメールマガジン 2001年10月08日(月)07時03分14秒 http://ryomichico.net

小説家の池澤夏樹氏が、今回のテロ事件について、MLで意見発表をしています。
また、以前から中東問題などの詳しいレポートを発表していた田中宇氏のMLも明解で有用です。
配信の申し込みは、下記HPより。

池澤夏樹「新世紀へようこそ」
http://www.impala.co.jp

田中宇「田中宇の国際ニュース解説」
http://tanakanews.com/

寮美千子  ネット上の反戦サイト 2001年10月08日(月)06時12分41秒 http://ryomichico.net

既成のメディアには載りにくい反戦活動や発言をまとめたサイトをいくつか見つけました。ちょっと肌に合わないなあと感じるところもあるけれど、それぞれの形で真摯に考えているサイトではあると思います。

反戦ネットワーク http://flag.blackened.net/apfj/anti_war/

antiwarサイト http://antiwar.jca.apc.org/

反戦平和アクション http://peaceact.jca.apc.org/

レイバーネットジャパン反戦サイトhttp://www.labornetjp.org/antiwar2001

なかでも「反戦ネットワーク」の資料サイトは、反戦発言に関する多くの資料を掲載していて有効です。

寮美千子  明らかな報道の偏り 2001年10月08日(月)05時45分18秒 http://ryomichico.net

下記のタリバンのザイーフ大使の発言。NHKのサイトをインフォメーションしたのは、新聞各紙のサイトに、詳しい情報が掲載されていなかったためです。

また、朝日新聞は「アフガン攻撃をめぐるブッシュ米大統領の演説全文」は掲載していますが、ザイーフ大使の発言全文も、ビンラディン氏のヴィデオ・メッセージの全文も掲載はありません。

ザイーフ大使発言も、ビンラディン発言も、すでにテレビで放送されたものです。なぜ、各新聞社はきちんと報道しないのだろう? なぜ、アメリカ寄りの報道は詳しく、アフガニスタン寄りの報道は簡略化されているのだろう? 新聞報道の偏向を感じないわけにはいきません。

アメリカの声に耳を傾けるだけではなく、アメリカが黙殺してきた声を聴くこと。それがいま、これからの世界を考えるために大切な素材だと思うのですが……。(以上現時点)

寮美千子  アメリカは力に任せ、このような手段を選んだ/タリバンのザイーフ大使 2001年10月08日(月)05時05分42秒 http://ryomichico.net

NHKニュースによると、パキスタンに駐在するタリバンのザイーフ大使が、日本時間の8日未明、記者団に対してこう発言したそうです。

>アメリカによる今回の攻撃はテロ行為だ。
>我々はこの問題を解決するために最前を尽くしてきたが、
>アメリカは力に任せ、このような手段を選んだ。
>主権国家に対して行われたこの攻撃を、我々は強く非難する。

>もしアフガニスタンの市民が犠牲になれば、全責任はアメリカにある。
>我々は最後の血の1滴まで戦う。

http://www.nhk.or.jp/news/tokusetsu/tero/index.html

寮美千子  アメリカに抗議する 2001年10月08日(月)04時34分02秒 http://ryomichico.net

10月8 日の米英軍のアフガン攻撃開始に、寮美千子は強く抗議します。

>戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。
>平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。
>このことにこそ、平和の道徳的優越性がある。(丸山真男)

アメリカがアフガニスタンを爆撃した。
わたしは、こんな世界に住んでいるのかと、心底悲しくなった。

暴力によって暴力を解決することはできない。
暴力を行使することは、暴力を容認することに他ならない。

アメリカはいう。
我々は世界の悪に立ち向かうのだ。アフガン国民は米国の友人である。
これは、抑圧されたアフガニスタン国民を救うための人道的な軍事行動だ。
爆弾とともに医薬品を投下している。
なんという詭弁。なんという偽善。
それに喜々として従うNATO諸国、そして日本。

相手は国家ではない。
テロ組織だ。
世界中に細胞のように散らばるテロ組織だ。
アフガニスタンという国家を攻撃することに、どんな正当な理由もない。
第一、アフガニスタンを叩いたところで、テロ組織を壊滅できるわけもない。
タリバンやアルカイダの基地を壊滅しても、彼らの武器を奪うことはできない。
彼らの武器は、彼らの誇りと命だ。
彼らは、戦闘機でアメリカを爆撃したわけではないのだ。

「我々アメリカは明確な要求を出したのに、タリバンはそれに応えなかった」
それが攻撃開始の正当な理由だとアメリカはいう。
イスラム世界からの「明確な要求」を無視し続けたアメリカが、そういうのだ。

なぜ、こんなことが起こったのか?
テロ事件の背景にあるものを見直さずして、どんな未来があるだろう?
背景を見直すことは、決してテロに屈することではない。

確かに、テロリストの訴え方は非道だった。許されるものではない。
しかし、少なくとも彼らには、原子力発電所に突っ込まないだけの理性はあったのだ。
民間航空機をハイジャックして高層ビルにぶつけるという、
ある意味でいつでも可能な方法を、いままで使わなかっただけの理性はあったのだ。
これ以上の悲劇を生まないために、アメリカがするべきことは、
なぜこんなことが起きたのか、自らを省み、世界の構造を見直すことだ。

いま、テレビの報道は、戦況を伝えるものばかり。
アメリカや日本からの抗議の声を伝えるものは、ひとつもない。

平和は営々とした努力の積み重ねの上にしか生まれない。
平和はそこにあるものではなく、一瞬一瞬つくっていくものだ。
一瞬一瞬「暴力」を選びとらないことによって。
それ以外に、どんな平和への道があるだろう?
真の平和への道が。

宇宙から、見えただろうか。
アフガニスタンを攻撃する光が。
ただ青く沈黙する美しい惑星のうえで、人間はなんと悲しいことをしているのだろう。

門坂流  そうです「私が埋めました」!! 2001年10月07日(日)18時24分57秒

もう時効かという思いがあたまをかすめたので、告白します。
もうかれこれ十五年くらい前に、最初JICC出版局から僕の画集を出す話があり、タイトルは、『コズミックダンス』に決まり、序文や各章ごと(3章にわける予定でした。)それを真木悠介氏にお願いしたのでした。
書いて下さった文章は、寮さんが云われるように、身にあまる珠玉のような美しい文章でした。そのコピーをもらって、紙層に大切に埋め込んでしまったのでした。
勿論その時は、いずれ出版されるのだから、わざわざ埋め込む必要はなかったのですが、真木氏の字体を保存しておきたいと云う感情から、このような所行に走ってしまった事を今では本当に良かったと思っています。
その後5年くらいのペンディングの後、JICC出版局からの出版が不可能になりました。その間僕は画集の為に描き続けていて、それを含めた作品をINAXでの初めての個展に出品し、それが縁で「ぎょうせい」から『風力の学派』として出版される事になったのでした。
全文掲載は一度には長くなり過ぎるので、最初は序文だけにします。
真木悠介さんには近々連絡したいと思っています。

       天と地と空と   真木悠介

勝つ事を知っている者は、富と権力と名誉を手に入れる。
敗れることを知っている者は、天と地と海を手に入れる。
イカム族の諺は、このようにいう。
敗れることを知るということは、敗れることを望むというような倒
錯した自虐ではない。ただ存在の豊穣のうちに深くしずかに在ると
いうことが、この束の間の文明の価値の序列の内にある人びとの目
に、敗者としてみえるだろうということを、意にかける必要はない
ということだけだ。それはひとつの呪縛から、自由であるという事
だ。
曜という字はかがやくと読むのだという。日の曜く日。月の曜く日。
火の曜く日。水の曜く日。木の曜く日。金の曜く日。土の曜く日。
ぼくたちの生きる宇宙の、曜き交わすものたちの充溢。
日が曜く。月が曜く。火が曜く。水が曜く。木が曜く。金が曜く。
土が曜く。
門坂流が十五年の歳月をかけてうつしだしてきた光景のひとつひと
つは<敗れる事を知る者>の手に入れる世界の豊穣を、解き放たれ
てある者の生きる世界の曜きを開示している。どこにもなくどこに
でもある風景たちである。
ただ存在の豊穣の曜きのうちに、深く静かに在るということ。

寮美千子  天と地と空と/真木悠介 未発表原稿発掘される! 門坂流氏語る「わたしが埋めました」 2001年10月07日(日)02時11分13秒 http://ryomichico.net

門坂流さんが、画集『風力の学派』を出版したとき、はじめに予定した出版社ではなく、他の出版社から出たりと、いろいろと紆余曲折があったそうです。その時、せっかく書いてもらったのに、出版社の都合でお蔵入りになってしまったという、真木悠介氏(見田宗介氏)の文章。門坂流作品に寄せて書いたすばらしい文章だったということですが、なくしてしまったとお伺いして、とても残念に思っていました。

ところが! きょう、発見されたのです。門坂流氏のアトリエから。

いいえ、これは偽発掘ではありません。実物を書類の束の底に埋めたのは確かに門坂流氏本人だけど、この文章を社会的に葬ったのは出版社。むしろ、門坂氏は、この貴重な資料をいままで保存し続けた功労者です。ありがとう、門坂さん。

まったくもって、すばらしい発見です。王妃の棺の中から発見された美しい遺物のように、遠い時間を超えて、読む者を陶然とさせる美しい文章。時が、さらにその美しさを研ぎ澄ましたのでは、と思わせられるような文章です。

門坂さんご自身も、いますぐにでも門坂流HPでご紹介したいところだとおっしゃっているのですが、著作権のあるものゆえ、ご本人の了解なしには公表できないのが残念とのことです。わたしはこっそり読ませてもらっちゃったのですが(ずるーい!という声が大合唱が聞こえてきそう。特に大阪方面から)もう、どうしても我慢できない。最初の二行だけ、リークしちゃおう! たったいまのこの世界情況にもフィットする深遠な言葉でそれははじまります。

「天と地と空と」   真木悠介

>勝つ事を知っている者は、富と権力と名誉を手に入れる。
>敗れることを知っている者は、天と地と海を手に入れる。

http://www.pci.co.jp/‾moriwaki/ryu/

寮美千子  中距離を語る言葉の発見 2001年10月06日(土)01時25分01秒 http://ryomichico.net

▼勇崎さま

>僕が求めていた「地球サイズ」と「人間サイズ」を結びつける「ともだちサイズ」
勇崎さんがそうおっしゃったのと、同じことを考え続けています。

人間サイズ=近視眼的=目先のことを語る言葉
地球サイズ=遠視眼的=遠方を語る言葉
友だちサイズ=自由焦点=中距離を語る言葉

芸術の言葉は「遠方を語る言葉」。
美しくはあるけれど、それだけでは心に撒かれた種に過ぎない。
現実の中で、それをたくましく育てていく手段を持たなければ、と思うのです。
Cafe Lunatiqueのはじまりに、いさましく宣言したわりには、
思ってるばっかりで、どうしたらいいか、よくわからないんだけれどね。

▼浜野さま

水牛通信のお知らせ、ありがとうございます。
ここはログが消えちゃわないので、これからもみんなに見てもらうことができるようになりました。
いろいろな意見、勉強になります。
そして、心の力になるなあと感じました。
これからも、よろしく。

▼門坂流さま きつねさま
自己紹介、ありがとう。
これからも、ずっとよろしく!

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