▼America, we are with you.
そう書かれた全面広告がアメリカのワシントン・ポスト紙に掲載されたのは9月26日のことだった。
朝日新聞は、それをこのように伝えている。(一部引用)
【米国同時多発テロ 】
>「在米日本人が新聞広告で米国民に追悼と連帯のメッセージ」
>同時多発テロの衝撃と苦闘する米国民に対して、
>米国在住の日本人がお見舞いと連帯のメッセージを送る、大型新聞広告が26日、
>ワシントン・ポスト紙に掲載された。
>「事件当初の日本政府の反応の鈍さや、ひとごととして受け止めがちな、
>日本の空気に対するもどかしさの表れ」(呼びかけ人)だという。
http://www.asahi.com/national/ny/others/K2001092700028.html
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アメリカの大新聞に意見広告を出すといえば、きくちゆみ氏が代表をしている「グローバル・ピース・キャンペーン」が、ニューヨーク・タイムズ紙に米海兵隊の退役軍人の反戦を訴える手紙を掲載しようというプロジェクトが進行中。9月18日に早くもサイトを立ち上げて募金開始、10月5日現在、すでに1900万円余りを集め、広告掲載に必要な目標額の1250万円をはるかに突破している。広告掲載は10月9日のジョン・レノンの誕生日の予定。11万ドルが、すでにニューヨークタイムスの広告を扱う代理店に振り込まれたとのことだ。わたしは、実はこの募金活動には、いろいろな意味で疑問もあるのだが、ともかくも、すばやい対応と実行力には舌を巻く。
グローバル・ピース・キャンペーンhttp://www.peace2001.org/
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きくちゆみという知人がそのような活動をしていることもあって、ワシントン・ポスト紙には、どんな広告が掲載され、費用はどれくらいかかったのか、気になって調べてみた。まとめ役は、日商岩井のワシントン支店長ということで、ワシントン日本商工会へメールで問い合わせてみたところ、すぐに返事が戻ってきた。
通常7〜8万ドルの広告掲載料が、チャリティーということで、2万ドルに。文面、レイアウトも自前で行ったため、250万円ほどですべての経費が賄われたとのことだ。
ニューヨークタイムスがいくら高いとはいえ、1250万円はやはり高すぎるのではないか? グローバル・ピース・キャンペーンはアメリカの広告代理店にボラれているのではないか? などと心配な気持ちにもなるが、それはさておき、ワシントン・ポストの意見広告の内容である。
▼広告掲載文(全文/530名の有志の名前は省略)
America,
we are with you
in our dedication to democracy,
freedom, and human dignity.
Many of those who perished from the heartless acts of terrorists on
September 11, 2001, were our American friends;
some were our fellow Japanese.
We are deeply saddened and angered. We regard the cowardly acts of
the terrorists as personal attacks on what we ourselves cherish dearly:
democracy, freedom, peace, and human dignity.
The suddenness of September 11 reminded many Americans of Pearl Harbor.
We have lived with the memory of that Sunday morning for 60 long years.
Today we feel a deepening unity and solidarity with America ----
we share your pain, sorrow, and anger.
We join in helping the families of victims and urge our community
to volunteer in various ways.
We are all with you.
(ここに賛同者の個人名 530人)
JAPANESE RESIDENTS, FORMER RESIDENTS, AND FRIENDS OF THE U.S.A.
WP926 JAPAN P.O. Box 65324 Washington, D.C. 20035 202-746-451
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朝日新聞ではわからなかったが、これはワシントン在住の日本人がアメリカ人から白い目で見られないために「わたしたちはアメリカの味方です! いっしょに頑張ります!」と表明する必死の声に他ならなかったのだ。さらに、この広告に関わった、もと溜池にあった某商社の「かんべえ」さんが、この意見広告に関する経緯や反響を、そのHPに掲載している。
かんべえさんのサイト「溜池通信」
「かんべえの不規則発言」(9月27日、28日分に言及あり)
http://member.nifty.ne.jp/kanbei/diary/sep01.htm
ワシントン・ポスト紙に掲載された意見広告(PDFファイル)
http://member.nifty.ne.jp/kanbei/diary/wpad.pdf
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かんべえ氏の日記には、こんな一節があった。
>掲載は小泉首相がブッシュ首相を訪問して自衛隊による米軍の後方支援などを約束した翌日で、
>タイミングもよく、パールハーバーを攻撃したかつての敵国日本が
>今や米国と価値観を共有するもっとも信頼できる同盟国になったことを
>アメリカ人に改めて認識させることのできる全面広告であり、
>パブリック・リレイションズであったと思います。
朝日新聞が報道していた「追悼と連帯のメッセージ」の「連帯」とは、このような意味だったのかと、改めて知った次第だ。こんな記述もあった。
>とはいうものの、であります。
>こういう意見広告にお金を出そうとか、まったく同感だ、という日本人は、
>おそらくかなりの少数派なのだろうと思う。
>毎日、溜池通信にアクセスするような人はともかく、
>電車の中で夕刊紙読んでるようなおじさんとか、
>保育園に子供を迎えに来ているようなおかあさんを捕まえて、
>「日本は対米協力すべきでしょうか?」と聞いたら、
>きっと拍子抜けするような返事がかえって来るのでしょうな。
夕刊紙を読んでいるおじさんは、そういうメディアを選んで読んでいるのだから、バカにされても仕方ないかとも思うが、それと、保育園に我が子を迎えにいくおかあさんを同列に並べて、ひとからげに「よく考えていない人々」扱いしているのは、ひどいなあと思う。が、それはこの際、語らないことにしよう。
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要するに、この全面広告を見てわたしが知ったのは「企業戦士」としてアメリカという前線で戦う「エリート」たちとその家族の意識だ。我々が、前線で頑張っている。偏見にもめげずにアメリカ人と同等の立場を築いたのに「反戦」だの「報復不支持」などいってほしくない。そんなことをいったら、せっかく築いてきた我々の地位と信用をなくしてしまう。我々「企業戦士」というエリートたちが、命を削って日本を守り、繁栄させているのに! という悲痛なまでの叫びに似た声だった。
そして、その裏に「我々の恩恵にあずかって豊かな国となった日本でぬくぬくと暮らしている人々に、反戦だの報復不支持などといってほしくない」という正直な声だった。そして、その人々が諸手をあげて「よかった。そうして欲しかったんだ!」というアメリカへの追随の態度を見せたのが、小泉首相だったということだ。
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そうか。世界はそうなっているんだと、ワシントン・ポスト紙の一件で、しみじみ肌で感じた。先頭を切って日本の経済活動を担っているエリート企業戦士(まさしく戦士だ)たちの、それが偽らざる本音だろう。そして、かんべえ氏はいう。
>ちょっと意地悪な想像ですが、昨日のような意見広告を、
>ニューヨーク在住の日本人がNew York Timesに掲載することは可能か、
>ということを考えてみました。たぶん難しいでしょうね。
>問題は意見の集約ができるかどうか。
>なにしろNY在住の日本人というと、坂本龍一さんのように「報復行動に反対」という人も
>いるわけなので、America, we are with you.というところでまとまらないだろう。
芸術家である坂本龍一氏は、芸術家であるがゆえに、経済戦争のただなかで戦う必要がない。アメリカの顔色をうかがい、ひたすら経済活性化へ向けて走る必要がない。経済と政治に関わる人々ばかりが住むワシントンと、雑多な職種の人々が住むニューヨークとでは、おなじ在米日本人でも意識が違う。そういうことのようにも見えた。
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実際に経済を動かしていくのは「ワシントン日本商工会」のような人々だ。芸術家ではない。経済人の意識が変わっていかなければ、つまりは「中景」の言葉を持つ人々の意識が変わっていかなければ、実際世界を動かしていくことはむずかしいのだと、ワシントン・ポスト紙関連の記事を読んでつくづく感じた。
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坂本龍一氏は、朝日新聞に寄稿した文章をこう結んでいる。
>事件から最初の3日間、どこからも歌が聞こえてこなかった。
>唯一聞こえてきたのはワシントンで議員たちが合唱した「ゴッド・ブレス・アメリカ」だけだった。
>そして生存の可能性が少なくなった72時間を過ぎたころ、街に歌が聞こえ出した。
>ダウンタウンのユニオンスクエアで若者たちが「イエスタデイ」を歌っているのを聞いて、
>なぜかほんの少し心が緩んだ。しかし、ぼくの中で大きな葛藤(かっとう)が渦巻いていた。
>歌は諦(あきら)めとともにやってきたからだ。その経過をぼくは注視していた。
>断じて音楽は人を「癒(いや)す」ためだけにあるなどと思わない。
>同時に、傷ついた者を前にして、音楽は何もできないのかという疑問がぼくを苦しめる。
わたしも、創作を生業とする者として、何ができるのだろうかと、胸に問い続けている。
http://www.asahi.com/national/ny/news/010922sakamoto.html
http://www.sitesakamoto.com/WTC911/20010922-j.html