ハルモニア Cafe Lunatique (No.0014)

寮美千子の掲示板

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勇崎哲史  新しいメディアの胎動 2002年07月07日(日)22時52分56秒
痛快! 2ちゃんねる湘南ゴミ拾いオフ へのコメント

「2ちゃんねる湘南ゴミ拾いオフ」
最上級に面白いですねえ。

新しいメディアの時代を感じます。
こういう事態に対面したとき、古いメディアの規範に当てはめてみてもしようがない。
インターネットの可能性を明快に痛感しました。

もし、四半世紀前にインターネットが今のような状況だったら、
僕も似たようなことをプランしたかもしれませんね。
でも、このような発想は、はやり時代に敏感な20〜30歳代のみなさんにしかできません。

ところで、僕はこれから、東川〜韓国〜那覇、という感じで、本番突入していきます。
ということで、6週間は、この場に現れないので、みなさん、しばしごきげんよう!

韓国、那覇の件は、近々「遊星たちの消息」に投稿し、投稿後はカフェルミの方にその旨お伝えしたく思います。

寮美千子  青いナムジル 改訂第3稿アップ! 2002年07月07日(日)22時39分16秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:青いナムジル/3稿 へのコメント

現在制作中の絵本『青いナムジル』の原稿、改訂版をレビューにアップしました。
篠崎正喜氏による表紙の絵もすでに完成間近(中身はこれから)
先日、見せてもらいましが、実にすばらしい。
みなさんにお見せできる日が楽しみです。

先日アップした、アイヌ民話の再話とともに、お楽しみください。
フォークロアづいている寮美千子でした。
はやくイオマンテにかかりたい!

ストロベリー  7回の裏の裏の裏/タイムリーツーベース 2002年07月07日(日)21時55分19秒

 2ちゃんねるに対する私の意見は概ね言い付くしましたので、これまでのまとめや言い残しを簡単に述べておきます。

<2ちゃんねるの「正しさ」の根本否定はできない>
「2ちゃんねる」に通信ログの任意提出要請、拒否される
 http://www.asahi.com/tech/asahinews/K2001122200058.html
 2ちゃんねるの方針からすれば、たとえ犯罪絡みであろうとアクセスログ開示を拒否するのは当然。
 良く言えば信念の人。悪く言えば紋切り型。


<2ちゃんねる被害の可能性>
 もし1人の人間が100人の「被害者」を装って特定の企業を叩いたら?
 もしそのことを経営者が知らずにいたら?
 もし告発の中身が事実無根であったら?
 もし経営に大打撃を被ったら?
 もし投稿者を特定できないとしたら?
 もし管理側も責任を追及されないとしたら?


<被害の抑止⇔自由の保持/必要悪としての法律>

 (省略)


<谷澤バッシングの疑問点>
 問題のスレッドは、真偽はともかく具体的理由のある批判が殆どで、私がこれまで見て来た悪質スレッドとは趣が違う。
 疑問を感じたのは「精神病院に通っている」という暴露もしくはでっち上げ。これは真偽にかかわらず名誉毀損に当たるのでは。それとも「情緒不安定な人が医療に携っている」という告発に当たるだろうか。
 いずれにしても谷澤氏はその投稿のみの削除を要求したわけではないので、今回の話とは論点がずれる。


<2ちゃんねる発祥と思われる言葉>
 ヴァカ、ワラ、イタイ、タルイ、キモイ、厨房、基地外、氏ね etc.
 これらは悪質スレッドに特に多く見られ、使用頻度の高さと知性品性は概ね反比例する。
 もちろん使うのは勝手である。この程度なら可愛げがある。しかし――

 マンセー

 これはまずい。いくらなんでもまずい。
 元々は「万歳」に当たるハングル語で、2ちゃんねるでは何かを盲信する人を「○○マンセー」と揶揄(または自虐)するのに使われる。韓国・朝鮮人蔑視に根ざした“はやり言葉”であることは明らかだ。

 以前私の掲示板で、常連A氏が不用意にもこの言葉を使った。常連B氏の友人で、たまたまそれを見た在日韓国人C氏が、「あれは俺達韓国人への当て付けか!?」とすごい剣幕でB氏に電話を掛けて来たそうである。C氏は気が小さく、普段は怒鳴ることなど全くできない人だという。

 これはまずい。いくらなんでもまずいです、寮さん。

寮美千子  初心者が語る 超初心者向き2ちゃんねるの楽しみ方案内 2002年07月07日(日)17時12分01秒 http://ryomichico.net
痛快! 2ちゃんねる湘南ゴミ拾いオフ へのコメント

http://tv.2ch.net/nhk/
【本スレ】異議あり!Nスペ「奇跡の詩人」Part71
871 名前:名無しさんといっしょ :02/07/07 14:56 ID:???
(人を)叩く時に「自分たちが『正義』だ」という感じになっていて
そこがよそから見ると「カルト」っぽい。
『正義』で語り始めたら、そこはもう2ちゃんではないように思える。
2002年七夕。Web上で、2ちゃんねるの湘南ゴミ拾いオフ&27時間テレビに関する情報が飛び交っている。わたしは、もともと、テレビ局が主催する「24時間テレビ」みたいなものが好きじゃなかった。どうしようもなく胡散臭さを感じてしまう。そんな「気分」を、2ちゃんねらーたちは、口先で文句いうだけじゃなくて「清掃ボランティア」を逆手にとって表明したということのようだ。ある種のブラック・ユーモア。でも、ここまでくると、これはひとつのホワイト・ユーモアと呼べる物かもしれない。黒魔術に対する白魔術みたいなもの。同じ魔術でも使いようでいいものにも悪いものにもなるように、皮肉も使いようで社会へのまっとうな違和感表明になりうる。「正義」だと主張せず、盲信もせずに「正義」を遂行する。閉じない、開かれた正義のひとつのあり方だなあと思う。

フジテレビは、硬直しないで2ちゃんねるのことを報道すれば「勝てた」?のに。予め決まったボランティア番組としての枠組みをはずせない組織としての硬直を、2ちゃんねるに揶揄されているのだから。テレビが「報道機関である」性質を忘れないで対応すれば、2ちゃんねるをさらに逆手に取ることもできた。生放送だからこそできた報道があったはずだ。

「おや。ここにはゴミひとつありませんね。2ちゃんねらーが昨日から『ゴミを拾ってゴミ拾い妨害』に出た模様です。ゴミ拾いはいいんだけど、うーん(複雑な表情)。仕方ない。我々は移動します。生放送中にゴミのある場所に行きつけるかどうかわかりませんが、がんばります」ってやればよかった。そのドタバタの移動風景を実況したら、みんなはテレビにかじりついたはず。

さて、そんなわけで、今回の騒動の楽しみ方、読み方案内です。わたしも、いつもこんなことしてるわけじゃないけれど、物珍しいので、みなさんにご案内します。(自分ひとりで面白がっていられないわたし)>仕事せーよ、寮美千子!

http://natto.2ch.net/test/read.cgi/off/1025961718/
【2chネラー】湘南ゴミ拾いオフ【参上】22袋目
1 :拾いまくる名無しさん :02/07/06 22:21 ID:24ClmDrO
>【マスコットAA】
┃     ∧ ∧美化だゴルァ
┃    ∨.(゜Д゜)           偽善はイヤ!
┃    ⊂| 2 |Uw   でも、嫌がらせでならできちゃう!
┃      |c h|/ハ\       湘南ゴミ拾いオフ
┃      U U\__/  http://members.tripod.co.jp/fuji27/
http://members.tripod.co.jp/fuji27/rep3.html
レポートその3
579 名前:拾いまくる名無しさん :02/07/06 (土) 10:31 ID:pT/kDmSv
黙々とゴミ拾いしている2ちゃんねら−(俺もその一人だが)を見てると、
きっかけは不純だけど、捨てたもんじゃないな、とオモタ。
★一体どっちが正義なのか。思わず考え込まされてしまう、その不思議な構図が面白い。なんでも鵜呑みにしないで、考えることに意味があるんだよなー。

http://members.tripod.co.jp/fuji27/image/37.jpg
>「とても綺麗になった砂浜」
★2ちゃんねらーが清掃した後の砂浜風景。笑っちゃうくらいにきれい。これで、どうやって「感動のゴミ拾いボランティア」をしたんだろうなあ、フジテレビは。

http://slashdot.jp/comments.pl?sid=31883&cid=120246
フジの応援ページ、あれは検閲してから載せてるみたいな気がします...
http://www.fujitv.co.jp/jp/27h/read_main.html ?
※1文字目を縦読みしてみよう
とうとう始まりましたね、この番組が始ま
るのをとても楽しみにしていました
ことしは一体どんなドラマが生まれるのでしょう
にほん中が感動に包まれたらいいですよね
あめが降ってきたので外の人が心配ですが、
やっぱり海を綺麗にしようという企画は凄すぎ
ますねーー!!出来れば私も湘南まで行け
ればよかったのですが、残園ながら仕事がどたん
ばで入ってしまって職場でTVを付けて応援します
かいしゃのみんなと楽しませて貰います
(中略)
こういう書き込みを見つけたら改行をことごとく潰しているみたいですね。
★アイデアはよかったけれど「死ね」とか「バカ」はイケマセン。自粛しましょう。

http://www.fujitv.co.jp/jp/27h/read_main.html
フジテレビ「27時間テレビ」へ寄せられたメッセージのなかに、2ちゃんねらーが紛れ込んで遊んでいます。わかる人にはわかるように書かれている。悪ふざけだけど、面白い、こういう形で権力を揶揄する方法もあるのか。
根田覚 さん(60以上・男) 2002/07/07 09:27:07
感動した!
*初めて投稿します。60の手習いでこの春から一念発起してパソコンを始めた超初心者です。この間御社のHPにはじめてアクセスして「1万人のごみ拾い」を知りました。
私は江ノ島に住んでいるが、若いもんが昨日から熱心にごみ拾いをしている姿をみて感動した!
若者が嫌いだったが、正直すまんかった。
もっと多くの方が参加されると良いですね。
★これは、いわゆる「ネタ」。わざとのヤラセ投稿みたいなもの。名前の「根田」はネタのこと。「若いもんが昨日から熱心に」は、もちろん2ちゃんねるの湘南ゴミ拾いオフを示している。
MONA さん(20代・女) 2002/07/07 09:17:01
BANKERSがんばって
長崎のBANKERS ハモネプがんばってくださいね。(中略)
長崎に帰る前に、とってもきれいになった江ノ島を
ぜひぜひ見てきてください。
ボランティアの方々もがんばってますね。
雨に濡れて風邪引かなかったかとっても心配です。
ほかのプロジェクトの方々もがんがってください。
★MONAは2ちゃんねるのマスコットの猫の名。「ほかのプロジェクト」はもちろん……。
ココナナツ さん(20代・女) 2002/07/07 06:41:02
意義あるイベント!
ライフセーバーの方々が早朝から
ゴミ拾いをされていて大変感動しました!
一般の方が参加できる企画としては最も
意義あるイベントだと思います。
スタッフの皆さんも不眠不休で大変でしょうが
最後までがんがってください!
★「がんがって」が2ちゃんねる用語。
さくら さん(10代・女) 2002/07/07 06:31:27
キレイになりましたね★★
すごーい湘南(ノο゜)ノキレイ★だったぁぁ!!
ゴミ拾いしてくれた方々のオカゲですねぇぇ♪
短時間であんなにキレイになるなんて〜。
さっすがフジテレビ♪♪これからも応援しまぁぁす^-^
一緒にラジオ体操しちゃった★
★「さくら」という名もアヤシイ。

他にも、2ちゃんねるのマスコット「ギコネコ」を反対から書いた「コネコギ」さんなどなど、相手の掲示板に乗りこんで遊んでいる模様。悪質な書き込みはほとんどなくて、わかる人にわかるジョークがちりばめられているところが、ちゃんと抑制がきいている。というか、悪質な書き込みはハネられるから、通るように工夫されている。愉快です。


『2ちゃんねる宣言―挑発するメディア』 井上トシユキ/著(文芸春秋2001)
という本がある。この本について坂村健は朝日新聞の書評でこんなことを述べている。(一部抜粋)
談論風発ルール無用の匿名空間
本書はその2ちゃんねるのレポート。読み進めるうち、これは一種のネットワークゲームのような気がしてきた。ルール無用の討論(闘論?)というゲーム。
うーん、坂村さん、それは違うよ、ってわたしは思う。これはゲームなんかではない。これは、新しい現実、仮想空間のなかのリアリティではないだろうか。最低限必要なルールはきちんを存在し、そこから自律的なルールが生まれようとしている。それこそが、民主主義のあるべき姿ではないだろうか。わたしはむしろ、アマゾンの無名子のカスタマー・レビューに共感する。
実は西村博之は民主主義の人だ。だからこそ、彼は「民主主義を守ろう」なんてウザいことは言わない。

寮美千子  痛快! 2ちゃんねる湘南ゴミ拾いオフ 2002年07月07日(日)14時53分53秒 http://ryomichico.net


WebニュースSlashdot Japanによると、Web上の巨大掲示板2ちゃんねるが「湘南ゴミ拾いオフ」を昨日から今朝の早朝にかけて徹夜で実施したとのこと。 なんで?

それはフジテレビの27時間テレビで企画された「夏の湘南 1万人のごみ拾い」 の妨害のため。番組が始まる前にごみを全部拾ってしまおう!!!ということで、 目的は「W杯でアジアの地位を貶めた韓国への抗議」と 「その韓国を擁護しつづけ、視聴者の抗議を嘲笑した不治テレビへの抗議」 等?だそうです。2ちゃんねらーいわく「偽善はイヤ!でも、嫌がらせでならできちゃう!」 うん、わかるわかる。

江ノ島の西浜には、約100人の2ちゃんねらー有志が集まって、ゴミをほとんど拾いきったとか。フジテレビが生中継した7月7日午前6時には、ほとんどゴミはなく、形だけでも拾っている映像を撮ってお茶を濁したということです。 番組中では2ちゃんねるには全く触れられず、ゴミを拾ったのは当日作業予定だったライフセーバーのお手柄ということになっていたそうです。

2ちゃんねるのゴミ拾いオフまとめページのカウンターは、なんと32万も回っている。わたしはどちらかというと、というか断然、2ちゃんねらーに同感です。


2ちゃんねるは巨大掲示板として、事実上ある種の力を持っているけれど、それはテレビ局や大企業や政府が持っている権力とは異質なもの。ばらばらな個人が誰にも強制されず自己判断で集まってきている。いわば世論。その世論が「よいこと」をわざわざ「反権力」という形でしちゃうというユーモアといったらいいか、ひねりの利いた風刺は、文明開化以降、絶えてみられなかったものかも。

「権力反対!」とばかりに、声を大にして眉間にしわ寄せてする市民運動もいいけれど、それだけじゃ広がりがない。いままでの市民運動は、どこか「閉じて」しまう感じがして、息苦しかった。「声をあげなかったら、おまえはダメ人間だ!」みたいな脅迫的なところもあった。それに比べると2ちゃんねるの風通しのよさはすごい。閉じたサークルや固定した運動体ではなく、その時その時で、勝手に参集しては散っていく個人の集合。外と内との境界線が引かれていない。どこまでも「開かれて」いる。

ベーシックな市民運動に加えて、こんな自由な運動が力になっていったら、日本の民主主義はもっと成熟する可能性があるかもしれない、と感じた。


もちろん、2ちゃんねる万歳(マンセー)なばかりではない。誹謗中傷をする「醜い心」とどう対峙していくか、という問題もある。けれども、それを規制するために「権力」に頼っては、自己決定権を他者に明け渡すことになる。つまり「自由」を自ら放棄するということだ。「醜い心」に対峙するのは「美しい心」しかない。多数の目を通過させてまっとうな「世論」を形成していくこと。それぞれが、まともなものとそうでないものを見分ける目を持つこと。それしかない。

それには、もちろん時間がかかる。なぜなら、経験から少しずつ学んで、それを蓄積していかなければならないからだ。ひとりひとりが賢くなること。その総体としての市民が賢くなること。それは「文化」を育て継承していくことに他ならない。

「文化」も「平和」も、壊すのは一瞬。けれど、それを築くためには長い長い時間がかかる。完成というものもなくて、いつも努力して維持し続けなければならない。一瞬たりとも怠らず、エネルギーを注ぎ込み続けなければ、維持できないものなのだ。栓の抜けた風呂桶に水を注ぐように。

その大変さの前に「だから、だれか賢い人にすべてを委ねようよ」と、封建主義を望む声があがったりする。いっそ風呂桶に栓をしてもらおうという発想だ。けれど、一旦他者に自己決定権を委ねると、取り返しがつかない。賢いはずの領主が暴君に豹変しても、二代目の愚かな息子が権力を継いでも、市民はどうすることもできなくなる。栓をされた風呂桶の水は腐り、市民は逃げ場がない。

というわけで、2ちゃんねるにも低劣な掲示板は多々あるが、そのような低劣な人々とは、きちんと戦うか、無視しなければいけないのだ。義務教育の学校とは違うのだから、いじめにあうなら近寄らないという選択もある。友だちは自分で選びましょう。


漂流物大好き人間としては、漂流物が海岸からすっかり消えちゃうのがさみしいけれど(エゴ)、海岸きれいになるからいいか。

2ちゃんねるのゴミ拾いオフまとめページはこちら。

http://members.tripod.co.jp/fuji27/index.html

寮美千子  聞き書きアイヌ民話 レビューにアップ! 2002年07月07日(日)03時30分08秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:アイヌ民話/クマの物語 へのコメント

4月に帯広に行ったときに、幕別の安東ウメ子さんと、白糠の金子恵さんから聞かせてもらったアイヌの昔話を、レビューにアップしました。ウメ子さんから聞いたときは、ほんとうにおばあちゃんに話してもらっているみたいで、至福の時間でした。

安東ウメ子さんは、7月9日に吉祥寺でオキさんというトンコリ奏者とコラボレでコンサート。詳しくは「遊星たちの消息」を。

planets0002.html#planets20020707032836

ストロベリー  結果として密かに説明できないものか 2002年07月05日(金)23時10分22秒
とても残念です。 へのコメント

ストロベリーさんは「2ちゃんねるには一旦閉鎖してもらえないか」とおっしゃいます。しかし、現実の問題として、それをどのような手段で達成しようというのでしょうか?ネットを利用する人間の「市場原理」ならば、それは「すでにある」ものです。――それ以上の手段が必要だというのであれば、それは、掲示板を規制するような新たな法律の制定を求めるというようなことになるしかないでしょう。

 なぜ私が「密かに」という言葉をわざわざ加えたかを考えていただけませんか。
「一時閉鎖」を外圧(権力)によるものと解釈されると非常に困るのです。
 もしそうであったら「密かに」などと言いません。「国は2ちゃんねるの閉鎖を命じる“べき”だ」とはっきり言います。
 そういうことではないのです。

 うまい説明が思い浮かばないのでさしあたりそのことだけお伝えします。

 ところで、「結果として」棲み分けが実現したならDORONKOさんはどう思われますか。
 現状と比べてどちらが望ましいとお考えでしょうか。

DORONKO  とても残念です。 2002年07月05日(金)11時25分15秒
財閥解体・棲み分けへ/過ぎた自由 へのコメント

細かいことは言いませんし、言いたくもないのですが、

どうやらストロベリーさんは、ぼくが「軽蔑せずにはいられない」と

書いた「権力者」と、実質的に同じことを主張されているとしか

思えません。ぼくは注意を促したつもりでしたが、どうやら、

それはまったくご理解いただけなかったようですね。

大変に残念です。

ストロベリーさんは「2ちゃんねるには一旦閉鎖してもらえないか」と

おっしゃいます。しかし、現実の問題として、それをどのような手段で

達成しようというのでしょうか?ネットを利用する人間の「市場原理」

ならば、それは「すでにある」ものです。――それ以上の手段が

必要だというのであれば、それは、掲示板を規制するような

新たな法律の制定を求めるというようなことになるしかないでしょう。

それは、まさしく「権力者」の発想に他ならない――少なくとも、

「権力者」にとって極めて「都合のよい」発想であることは

疑いありません。

くり返すようですが、ばくは、そのご趣旨にはまったく賛成できません。

悪しからず。




ストロベリー  財閥解体・棲み分けへ/過ぎた自由 2002年07月04日(木)23時16分35秒
ウーン、困りましたね? へのコメント

 まず、DORONKOさんに返答します。今回のコメントには特に反論はありません。

 2ちゃんねるが歴史をいい方向に、しかも急速に変化させることに貢献する(している)可能性は強いでしょう。10年後、20年後と、2ちゃんねるの評価が上がっている可能性も強いでしょう。
 2ちゃんねるの管理者は、さしずめユーザーからクソミソに言われながらも結局は社会に絶大なる影響を与え続けるビル・ゲイツのような存在、と言っては誉めすぎかも知れませんが、並々ならぬスケールの持ち主であるのは間違いないと思います。

 DORONKOさんの投稿を読んで、この掲示板での、いつだったかの原発論争を思い出しました。
 原子力を封印せよという意見と、うまい利用方法を模索せよという意見がありました。しかし後者は「現段階での実用には反対」との断り付き。第3の選択を付け加えるなら、「使いながら模索せよ」でしょうか。
 原発と2ちゃんねるを同列に論じるのはちと乱暴ですが(2ちゃんねるの方が社会に貢献している)、方法論としては重なる面があるように思います。

1.2ちゃんねる(のようなもの)は封印せよ
2.一旦閉鎖してシステムを練り直して再出発せよ
3.運営しつつシステムを模索せよ

 大企業が苦境にあえぎ、小回りの利く中小・零細企業が脚光を浴びる昨今、2ちゃんねるのような巨大な世界の繁栄はなんとも奇妙に映ります。企業との違いは「組織」ではないという点でしょうか(運営組織は別にして)。
 巨大であればあるほど、よくも悪くも影響力は強い。だから好きな人はとことん好きだし、嫌う人はとことん嫌う。(私の周辺には汚物に触れるかのように「にちゃんねる」と発音する人が多い。これは明かに偏ってますが。)

 当面は3になるでしょう。2ちゃんねる被害に歯止めが掛からなかった場合は2になる可能性もあると思いますが。インターネットがある限り1はないでしょうね。


 ひとつ私が期待するのは「棲み分け」です。今現在も類似サイトはあるようですが、「2ちゃんねるが一番」という評判が更に2ちゃんねるを独走させるという悪循環もしくは好循環、企業でいえば事実上の「独占」を生み出しているのが現状です。
 私が密かに願っているのは、棲み分け実現のために、2ちゃんねるには一旦閉鎖してもらえないかということです。あくまで「一旦」です。そうして多くの人が2ちゃんねるスタイルのサイトの運営方法を模索し、多様性を増すことで、ネット被害というものを減らして行けるのではないでしょうか。そして2ちゃんねるの管理者もまた、ネット被害について一層真摯に取り組むようになるとも思います。
 棲み分けることで情報が分散するというデメリットも確実にあるでしょう。しかし今の独走状態が健全とも思えないのです。

 世界初の統一規格パソコン、なつかしのMSXの創始者である西和彦氏が「1ch.tv」なるサイトを主催しています。
 http://www.1ch.tv/
「安心して使うことができるコミュニティスペースを目指しています」と謳っているあたり、2ちゃんねるとの差別化を狙っているのは明らかです。その割にはずいぶんなすさみようですが……恐らく管理が追い付かないのでしょう。「西和彦」という板があるのには笑えました。
 今年の3月に有料化されるはずでしたが、まだ無料のままのようです。
 うまく行くかどうかはともかく、試みとしてはおおいに興味を持っています。似たようなことをして失敗した前例もあるようですが。(「有料では石も減るけど玉も減る」という誰かの指摘には唸らされました。)

 私の言うような棲み分けが実現すれば、2ちゃんねるは存続したとしても衰退はするでしょう。そして今の2ちゃんねるに匹敵する影響力を持つサイトは二度と現れないでしょう。
 しかし2ちゃんねるはネット社会のあり方に一石を投じた巨大サイトとして伝説となる、それで充分ではないかと思います。それが2ちゃんねるの「挫折」とは私は思いません。
 なんだか「新生カフェルナ宣言」に書かれていることと似て来ましたね。


 次は寮さんへの返答です。特に反論は……あります。

 寮さんは必要悪としての法律は一応肯定されてますね。少なくとも、今すぐ全ての法律を撤廃せよとは思っていない。つまり「過ぎた自由は国を滅ぼす」という一見危険な思想に同意している。
 では2ちゃんねるによって一度は獲得した自由がもし「過ぎた自由」であったとしたらどうでしょう。それをひとまず手放すという選択も、寮さんの考えとは決して矛盾しないと思うのですが、いかがでしょう。

 その自由が「過ぎた自由」であるかについては、<心情>を抜きに語れるだけの材料がまだないのでパスします。

DORONKO  ウーン、困りましたね? 2002年07月04日(木)03時42分53秒
トホホ/2ちゃんねるとの馴れ初め/革命反対 へのコメント

ストロベリーさんのおっしゃることは、ほぼわかるように思います。

やはり、当事者として「巻き込まれて」みないとわからないこと
というのはあるだろうな、と思います。

ただ、ぼくは、依って立つ理念への疑問というレベルの議論ではなく、
実際上ぼくたちにはどんな対処の仕方があるのか、という視点から
考えてみたいと思うのですね。

で、今ここで丁寧にお答えすることもできかねるので、大ざっぱな
印象だけで述べさせてもらいますが、そもそも、ぼくたちの誰で
あろうと、あの「2ちゃんねる」のような「場」を完全にコントロール
したりすることができるものだろうか?ということから考えて
みなければならないと、ぼくは思うんですね。――まあ、答は
簡単で、「そんなこと、できるわけがない」ということで、大方の
見解はほぼ一致するだろうと思いますけど。

とすると、次に来るのは、「完全なんて望めない」「問題が多い」
ものならば、じゃあ、なくして(潰して)しまうのがいいのか?ということ
だろうと思います。――これの答も、ぼくは、「それは無茶だろう?」
だと思うのですけど。潰してしまうことは、一見簡単なことのようにも
思えるでしょうが、それは錯覚で、実は大変な副作用がある(そちらの
マイナス面の方が多分大きい!)ということを見落としているだけでは
ないかと思うのです。

――このことは、ネット上の掲示板のことだけを考えていると、ちょっと
わかりにくいかも知れません。けれど、(この国には、そうした慣習は
あまりなかったかとは思いますが)現実のカフェや広場でぼくたちが
交わす話というものを考えてみて下さい。冷静にチェックすれば、
ぼくたちはそこで、随分と失礼なことやキワドイことも言ったり
することがあるだろうと思います。そして、この国に、ある絶対的な
権力を持つ人間が出現して、どうも、ぼくたちのような下賤な者たちが
話すことが気に入らないからといって、それでは「場」そのものを
なくしてしまえばよい――などと考えたとしたらどうでしょうか?
カフェを閉鎖させるだけでは安心も満足もできないので、広場まで
「潰せ」などと言い出したとしたら?

まあ、ぼくたちはそんな権力者を軽蔑せずにはいられないことは
間違いないと思いますし、とても「気分」だけの問題で済むような
ものではなく、都市の生活などというものが根底から崩壊してしまう
のも確実だろうと、ぼくは思います。

で、「2ちゃんねる」のようなネット上の掲示板についても、
基本的な事情は、ほぼ同じじゃないかと、ぼくは思うのですけど?

また、歴史的な前後関係に関していえば、ぼくたちが「封建的な
価値観」に復帰することなどは、(よいか悪いかの問題ではなく)
到底不可能でしょう。むしろ、ぼくたちが直面するオソレがあるのは、
ぼくたちがいかなる「意見」を持つこともなくなってしまうような
「極端に管理化された社会」という未来です。それは、昔の人間たちには
およそ想像もつかなかったような代物だろうと思います。
(現に住民の基本情報を一括管理するシステムが動き出そうとしています。)

――ぼくは、そんなものは、断じてゴメン蒙りたいと思っていますが。

*匿名性の問題や、ストロベリーさんが経験されたような「騙り」の
 問題については、また別途、考えさせていただこうと思います。

勇崎哲史  にいちゃん、ねる。 2002年07月04日(木)03時03分38秒
ドロンコ氏=寅さん説 へのコメント

ほんとのコメントは明後日くらいにします。
妹のさくら、、よ、、、も、も、も、、もう、、、眠いから、
2ちゃんねる。

寮美千子  ドロンコ氏=寅さん説 2002年07月04日(木)02時12分53秒 http://ryomichico.net
DORONKO論 へのコメント

ドロンコ氏=寅さん説、笑えました。
愛を感じました。
わたしは、マドンナになりたいなんて、そんな高望みはしないけれど、
できればとらやのおばちゃんより、さくらのほうがいいなあ。
それも、高望み?
ねえ、おにいちゃんは、どう思う?>さくら

他の配役は?
追々明らかになるのが楽しみです。

DORONKO  「2ちゃんねる」を擁護するぼくの理由。 2002年07月04日(木)02時12分15秒
元発言にリンクを!/2ちゃんねる裁判 へのコメント

寮さんのレビュー、拝読しました。すごいエネルギーですねえ!

でも、本当に「2ちゃんねる」って、少なくともあれを立ち上げ、
運営している人間の思いは、決して生半可なものじゃないと思います。
で、寮さんも述べているように、今度の東京地裁の判決というのは、
ちょっと弾圧チックな臭いがあると、ぼくも思うんですね。

ところでぼくは、リンクに導かれて「最低、これぐらいは」と思える
あたりを読んでみただけで、「すばらしい調査能力」と言われると、
「いったい誰のこと?」という気がしてしまいましたが――。

――ちょっと脇道にそれてしまいましたが、日木流奈君問題のついての
「2ちゃんねる」の情報は実に大したもので、以下の書き込みを
見つけたときには、ぼくも、「そうそう!ぼくもそれが変だな?と
思ったんだ!」と思いました。

>番組でルナ母が「締め切り」のために、ルナ君をせかす場面がありました。
>はて?普通、このような書籍には厳密な締め切りは存在しないはず・・・
>つまり、このロケが行われた時に、すでに「5月7日」に本が出版されることが
>決まっていた訳ですね。だから「締め切り」があって、発売日を遅らせることは
>(なぜか)できない。

――実をいえばぼくは、あの番組を、たまたま生で?見たのですが、
そのときには半信半疑ながら、「まさかNHKが何の検証もせずに
あんな番組を流すはずはないだろう」と思っていたのです。
しかし、「2ちゃんねる」上の情報にざっと目を通してみた結果、
実際に起きたことは、その「まさか」以外の何物でもなかったんだな
と考えるに至りました。それがわかっただけでも、ぼくも「2ちゃんねる」
には恩義を感じるのですね。

ただ、正直な話、流奈君というのは本当にかわいい子で、
「この子のことは信じてあげたい」というような気がしたのも
事実なんですね。もちろん、超人のような能力というのは
マボロシでも、あの子の心はたしかに天使のようなものに
違いないと思います。だからこそ、流奈君の両親、とくに
お母さんには、しっかりと現実を受け入れることができるように
なってほしいと思わずにはいられません。

(以上はストロベリーさんのレスを読む以前に書いたものです。)


上記の引用は、以下のところで読めます。



http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/8349/

寮美千子  自由の犠牲者はいない 2002年07月04日(木)01時51分13秒 http://ryomichico.net
トホホ/2ちゃんねるとの馴れ初め/革命反対 へのコメント

「自由の犠牲者」などいません。
それは、醜い心を持つ人の犠牲者です。
すべての人が美しい心を持っていたら、
どんなに自由な世界であれ、そこに犠牲者は存在しません。
しかし、現実はそうではないから「必要悪」としての法律が存在します。
必要悪なのだから、最小限に留めるべきです。
法という名の権力を暴走させないために。

「自由の犠牲者」は存在しませんが、
「不自由の犠牲者」は、
心のありよういかんに関わらず、確実に存在します。

目先の保身のために「自由」を手放し、
自己決定権を他者に委ね、
自ら「不自由」を求めるほど、愚かしいことはありません。

勇崎哲史  DORONKO論 2002年07月04日(木)01時36分48秒
元発言にリンクを!/2ちゃんねる裁判 へのコメント

寮さま>
ありがたきご助言。今後、心します。(いつもヨッパラの後始末してくれてありがとう)

DORONKOさま>
久しぶりの投稿、うれしく拝読しました。
僕なりの感想だけど、ストロベリーさんのここ数回の投稿を鑑みるに、彼はその辺のこと、よくわかっておられる感性と認識の深い人物だと感じながら、僕はウォッチィングしております。(「DORONKOくん、それは釈迦に説法だよ」、とまではいわないけどね。でも、僕は甘いかなあ?数回のウォッチィングで感心するなんて、、、。)

そこで、かねがねある人物をウォッチィングし、常々投稿しようと秘かに思っていた「DORONKO論」。愛すべき男DORONKOとはなにものか?、をいまここに極私的仮説として明らかにしたいと思います。

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簡易論考「DORONKO論:関係性にみる“カフェルナ界の寅さん”としての面目とその行動パターン観察に基づく極私的仮説について」(本簡易論考の簡略称「DORONKO=寅さん説」)

<論旨>
実際、ナマDORONKO氏(注:固まり性質は生コンクリートとは全く違います)と会ってみると、とにかく気遣いの人なんだよね。つまり、いい人ってことさ。でも、優し過ぎて、先回りして気遣いをしすぎることもある。
先回りしすぎる親切、というか、その点あのフーテンの寅さんこと、車寅次郎氏にも、同様の行動パターンがあるね。
DORONKO氏と寮さんのここでのやり取りを観察していると、寅さんと妹のさくら、あるいは、虎屋のおばちゃん、はてまた映画毎に新装されるマドンナにおける関係性を彷彿とさせるねえ。
先回りしすぎる親切をさくらにたしなめられと、「旅に出らあ」といって、ぷいっと虎屋をあとにする。そして、ある日また、ふいっと舞い戻る。
というわけで、とにかく、DORONKO氏は可愛い。僕には愛すべき男なのです。(これはホメ殺しではないことを、ナマDORONKO氏を知っている人にはわかるはず)

<この仮説論考における今後の課題>
笠智衆が演じた寺の住職が「大長老」氏だったとしたら、今後の課題としては、さくらの夫のヒロシは誰か?、となりの印刷会社のタコ社長は?、おいちゃんは?、蛾次郎が演じる寺男は誰か?、など幾何級数的な探求の発展であります。
ぼくとしては、薄々あてはめておりますが、今後の課題が公開される日までは、各位様のご想像におまかせいたします。ま、これは永遠の課題、として公表はないと思うけどさ!

(あれ、投稿しようと思ったら、スロトベリーさんのレスがサンドイッチしてるね)

ストロベリー  トホホ/2ちゃんねるとの馴れ初め/革命反対 2002年07月04日(木)00時32分02秒
それほど妥当な判決でしょうか? へのコメント

 まずはお礼から。

>あ!でも、これに懲りずに、あなたはどうかこのカフェルナに愛想をつかしたりしないで下さい。いいですか?

 DORONKOさん、どうもありがとうございます。
 私が愛想をつかされる理由はあっても、私が愛想をつかす理由は何もありません。とりあえず今回は恥を忍んでノコノコと出て参りました。こんなばつの悪い心境で掲示板に参加するのは初めてです。トホホ……。


 さて、裁判情報読みました。問題となったスレッドを見たところ、当の病院に関する記述にさして問題があるとも思えないし、削除依頼のやり方も疑問。確かにこの判決には問題ありと考えざるを得ません。これを2ちゃんねる批判に結び付けるのは明らかに軽率だったと反省しています。

 しかし、「表現の自由を守るのにご執心な一方で、人の名誉を守ることには無関心」という私の見解は、この判決だけを受けてのものではありません。この判決があってもなくても、私は同じことを書いていたでしょう。

 寮さんのレビューを読む前に書き上げていたDORONKOさんへの返事を交えて、2ちゃんねるに対する私の見解および印象を述べようと思います。序盤はDORONKOさんへの返事という体裁を取ってはいますが、掲示板をご覧になっている皆さんに向けての投稿としてお読みいただきたいと思います。

>でも、ぼくが見たかぎりでは、「2ちゃんねる」は、それほどケシカランものだとは、ぼくには思えませんでした。

 そうお考えの方も当然おられると思います。むしろそれが多数派かも知れません。
 私の場合、2ちゃんねるとの出会いが悪かった上に、幸か不幸か2ちゃんねるの悪い面ばかりを立て続けに目の当たりにしていた経緯があるのです。私の抱く悪印象が、2ちゃんねる全体を見渡すと実は偏っているということは承知しているのです。

 印象というのは所詮個人的なものです。前回の私の投稿をご覧になればおわかりかと思いますが、2ちゃんねるの功績については私も素直に評価してるつもりです。タイトルからして「功罪」ですから。
 しかし、心情的に2ちゃんねるの「功」より「罪」の方に目が行く傾向はありますし、それはそれで大事なことではないかとも思っています。心情<だけ>でものを言うのはもちろんまずいのですが。

>しかし、上記の「ガイド」に示されている姿勢から判断するかぎり、ぼくは、
>この管理者が誹謗や中傷を奨励するような人間ではないということは明らかだろうと思います。

 私も彼が中傷を「奨励」しているとは思っておりません。奨励はしないけれども、無頓着であるというのが私の意見です。

 ある化粧品メーカーの社長などは、2ちゃんねるに「不倫している」などと書かれ、文書で削除要請したところ拒否されて訴訟を起こしたそうです。詳しい経緯を知っているわけではないので一概に判断は下せませんが、一体どんなメリットを見込んで削除しないのか理解に苦しみます。

 そう言えば、
「他のサイトへのリンクは置くな、先頭の"h"を抜け」
「個人を標的にする際名前(ハンドル名)は書くな、伏せ字にせよ」といった規程もあったと記憶しています。
 前者はアクセス解析によって2ちゃんねるでネタにされていることを当人に知られないための方策でしょうか。さしずめ「中傷は本人にばれないようにやりましょう」といったところ。
 伏せ字にしても、中傷の対象は明白でも、それによって罪が軽くなるという錯覚を投稿者に与えているだけとしか思えません。


 さて、以下は私個人の2ちゃんねる体験です。これを2ちゃんねる全体の評価に直結させる気は毛頭ありませんが、ご参考までにお話します。

 私が2ちゃんねるを知ったのは、何者かが私の名(正確にはメールアドレス)を騙って投稿し、それを見た人から心当たりのないメールが立て続けに2〜3通届いたのがきっかけでした。投稿者の身元を割り出すことはできませんから、その件はそれっきりです。実害はなかったものの、なんとも気味の悪い出来事であり、出会いでした。

 その後2ちゃんねるに、私の悪口を書くためのスレッドが、私の知っているだけでも3回立ちました(知らせてくれたのは私の知人です)。当時私は掲示板荒らしとしょっちゅうやり合っていましたから、それを恨みに感じてのものでしょう。
 悪口の内容は他愛ないもので(擁護もありました)、削除要請もしませんでしたが。
 しかしそのスレッドには、私のネット仲間の女性が「結構かわいい」などと書かれていたりして、その女性に何か危害が及びやしないか気が気ではありませんでした。
 また、同じスレッドでこき下ろされた人の中には、それを苦にして掲示板への書き込みをやめてしまった人もいます。
 オフ会の時は、掲示板では「ここに集合」と書いておいて、実は別の場所に集合することで危険を回避したこともあります。(その後2ちゃんねるに「それらしい集団がなかった」と書かれていた時は溜飲が下がりました。)

 他にも、「○○掲示板はなぜタルイのか!?」と題した、ある大手掲示板を腐すためのスレッドが数年にわたって立ち続け、そこでも私はもちろん、たくさんの人達が中傷を浴びました。
 当時からすれば、「2ちゃんねる=卑怯者のるつぼ」という印象を持つなと言われても無理な話で、私は2ちゃんねるを「人がどこまで下品になれるかの一大実験場」と評してはばかりませんでした。

 ついでに言えば、私の文章が無断で転載されたのも1度や2度ではありませんが、どういうわけか削除対象とはなっていません。削除要請をしなかったということもありますが、2ちゃんねるには「削除屋」なるボランティアが何人もいるそうですから、これら全て削除屋の目に入っていなかったとは考えにくいかと思います。(先ほど過去ログを調べてみたら、やはりそのまま残っていました。)

 私の知人の中には、悪口スレッドを立てられた上に名を騙られたのに削除要請に応じてもらえなかったという人や、中傷のダメージで医者通いを始めた人もいます。もっとひどいのになると、イベントで付け回されて、どんな服を着てどのブースで何をしているかなどを<実況>された人までいると聞きます。これはもうストーカー行為ですね。

 以上、全て私個人の見聞です。2ちゃんねるを評価する材料としては偏っていると言わざるを得ませんが、私が「悪印象」を持つ由縁、そして2ちゃんねるの「罪」の部分に目くじらを立てる由縁についてはご理解いただけるのではないでしょうか。
 2ちゃんねるが、そうした悪質なスレッドばかりでないことを知ったのは、ずっと後のことです。


 さて、改めて2ちゃんねるの是非を論じたいと思います。

 自由は尊い。当たり前のことです。自由は正しい。当たり前のことです。
 とことん自由な2ちゃんねるが、いい意味での影響力を持つのも当たり前のことです。賞賛の声が上がるのも当たり前のことです。自由な場を賞賛するのは簡単なんです。誰だって自由がほしいし、それは正しい欲求なのだから。

 けれども自由は諸刃の剣です。高潔な人間はどこまでも高潔に振舞う代わりに、醜悪な人間はどこまでも醜悪に振舞います。
 2ちゃんねるでの不当な中傷に傷付いた無数の人達は、言わば「自由の犠牲者」です。いくら管理者が「全責任を負います」と風呂敷を広げたところで、人の傷は癒せません。狂った人生は取り戻せません。

 インターネットはフェアなメディア――本当にそうでしょうか。

 ある会社の悪口が2ちゃんねるに書き込まれたとします。それが原因で会社が倒産したとします。経営者が一家離散したとします。経営者はその書き込みを知らなかったとします。もしその「悪口」が事実無根だったらどうでしょう。

 心身を病んでいる人がいたとします。はけ口として闘病記をネット上に日々書き綴ったとします。2ちゃんねるで笑いの種にされたとします。その中傷に押し潰されて病状が悪化したとしたらどうでしょう。(これは実例が山ほどあるそうです。くだんのカウンセラー氏もそれを嫌というほど目の当たりにしていたからこそあえて極端な言葉でネット撤退を勧めるのでしょう。)
「反駁するエネルギーのない人はネットで発言すべきでない」という見方もあるでしょう。しかしその人にとってネット上に自分の言葉を発信することが大きな救いになっていたとしたら、「自由」の名の下に切り捨ててしまうことが本当に正しいのでしょうか。

 2ちゃんねるの案内文に、こんな言葉を見付けました。

 <無視出来ないあなたも厨房です>

 つまり管理者は、中傷を受けた被害者に泣き寝入りしろと言っているのです。
 強姦された女性に「そういうこともある。忘れなさい」と諭すのと一体どこが違うというのでしょう。
 上記の言葉は荒らし対策としてのものなので、大きな苦痛を伴う中傷まで想定して言っているわけではないのかも知れません。しかし私は「言葉による攻撃なんて、どうってことないよ」という管理者の見くびりを、どうしても感じ取ってしまうのです。


 自由は尊いのです。2ちゃんねるの理念は正しいのです。
 しかしその「正しい理念」を安直になぞる運営に、私は不信感を抱かずにはいられません。

 封建社会を盲目的に嫌う人がいます。「人は平等であり自由あるべきだ。」ごもっともです。
 ではなぜ世界各地に封建制度が存在したのでしょう。一部のエゴイストの蛮行。それもあるでしょう。でもそれだけではないはずです。
 ありていに言えば、「民衆は愚か」だったからです。平等の権利、平等の自由を全ての人に与えては、それぞれが手前勝手に振舞って社会が立ち行かなかった。だから<必要悪>として一部の優れた(とみなされた)人が権力を握り、民衆を導いた。つまり「自由」は国を滅ぼす、そういう時代だったわけです。
 だから民衆が賢くなるにつれて、封建制度は崩れて行きました。ですから「昔が間違っており今が正しい」などと一概には言えないと思うのです。人の歴史がそんな薄っぺらなものとは思いません。民衆が生きるために封建制度は必要なものだった。私はそう思います。

 今の日本は、戦前とは比較にならないほど自由です。しかしそれでも様々な制約ゆえに、強者弱者が存在します。
 そこへ2ちゃんねるです。これまでの弱者が強力な武器を得ました。世の不正が次々と暴かれ、自由の尊さが実証されています。しかしその一方では、自由の犠牲者として苦痛を強いられ、時には人生を狂わされる人も後を絶ちません。

 自由を理想とすることに異論はないのです。私だって自由がほしい。けれども、その弊害をどうするかがなおざりままに、開かれた場所をドカンと作ってしまう乱暴なやり方を支持する気にはなれません。

 社会が劇的に変わることを「革命」と言います。格好いい言葉です。その格好よさが私は怖い。浮かれる民衆はもっと怖い。
 よい変化であれ悪い変化であれ、急激な変化には必ず何らかのひずみが伴います。たとえば国の産業構造が変われば、廃れ行く産業の従事者が路頭に迷うことになります(公的援助など対策はあるにせよ)。
 革命とは言わば劇薬です。劇薬には副作用があります。だから本来、革命などない方がいいのです。徐々に変えることができるなら、それに越したことはないのです。

 2ちゃんねるの誕生は、言わば革命です。大きな可能性を持ったサイトであることは間違いないでしょう。
 しかし本当に「革命」である必要があったのでしょうか。ひずみ(犠牲者)を最小限に留めつつ、ゆるゆると制約を取り払って行く道はなかったのでしょうか。
 方法論の違いと言ってしまえばそれまででしょう。「自由の犠牲者」もいれば「不自由の犠牲者」もいる。両方を一遍になくすのは不可能なのだから、まず自由を確保し、弊害にはその都度対処しよう、そういう考えもあながち否定はできません。
 しかし「弊害」の方をあまりに続けざまに目の当たりにした私には、「まず自由」という手順を支持する気にはとてもなれません。この考えには、多分に<論理>でなく<心情>が影響しているのは否定できないにせよです。


「民衆が愚かだから制約が必要」といういわゆる「愚民観」は、現代においては民主主義に反する発想として軽蔑されています。しかしこうして2ちゃんねるで「自由」の弊害を見るにつけ、残念なことではあるけれど、2ちゃんねるの「自由」はまだまだ人の手に余るシロモノなのではないかと思ってしまうのです。それは私自身が「愚民」のレッテルを甘受せねばならないということでもあるのですが。

 いわれのない中傷によって人生を狂わされた人、名誉を傷付けられた人、苦痛を強いられた人がどれだけいるか。それを想像すると、はらわたの煮え繰り返る思いがします。
 そうした被害に対し、2ちゃんねる側が真摯に目を向けているのか、そこが私には疑問なのです。

 2ちゃんねるの誕生は、自由を愛する若者の勇み足。私にはそう思えてなりません。
 革命反対。


 ところで、皆さんに質問させて下さい。2ちゃんねるのこの規程。

>公人ではない一般人の誹謗中傷、プライバシー暴露は禁止します。

 裏を返せば公人への中傷やプライバシー暴露は禁止していないんですね。
 なぜこんな規程がまかり通ってしまうのでしょうか。どなたか理由をご存知でしたら教えていただけませんか。

寮美千子  元発言にリンクを!/2ちゃんねる裁判 2002年07月03日(水)15時10分32秒 http://ryomichico.net
寮美千子女史の蛮勇に拍手! へのコメント


さすが勇崎さん。大昔の原宿の飲み会に関する発言。「ゆるゆる話しましょう!」を標榜するカフェルミの面目躍如です。しかし、、、、さすがのわたしも詳しく思い出せないほど遠い昔のこと。こういうときは、必ず元発言を引用したり、リンクしてから書いてください。でないと、みんななんのことだかわかりません。それから、タイトルは後で検索してわかるように親切に書いてください。たとえば「原宿飲み会に関する弁明」とか。でないと、せっかくの目次があるのに、後で機能しません。清水さんの元発言は、こちら。
清水雅彦  飲み屋で出た社会構想論?
清水雅彦  石原発言の補足もまた後でします


2ちゃんねるの裁判の件。ストロベリーさんがせっかく俎上に載せてくださったので、わたしもコメントしようと思っていたのですが、ドロンコ氏がすばらしい調査能力を発揮してレポートしてくれました。わたしも、少し補足したいと思います。わたし自身の掲示板運営の姿勢にも深く関わることなので、ぜひお読みください。

review0004.html#review20020703150321

DORONKO  それほど妥当な判決でしょうか? 2002年07月03日(水)03時52分59秒
2ちゃんねるの功罪 へのコメント

ストロベリーさん

すでに寮さんのお叱りも出てしまったし、ご本人も反省の弁を述べている
わけだから、「いまさら」とも思うのですが、このほどのあなたの発言
には、ぼくもかなり疑問を持ちました。

まずお断りしておくと、ぼくは、今度の日木流奈君の問題で初めて
「2ちゃんねる」を見てみただけで、トータルな「2ちゃんねる」が
どんなものなのか、よく知っているわけではありません。

でも、ぼくが見たかぎりでは、「2ちゃんねる」は、それほどケシカラン
ものだとは、ぼくには思えませんでした。――正直、あそこを覗けば
すべての真実がわかるなどとも思いませんが、おおよその印象としては
「オヌシ、できるな!」といったところで、スレッドを追いかけて
読んでいる内に、ぼくは思わず笑ってしまいましたけどね。

で、ストロベリーさんは、

>ここの管理者は表現の自由を守るのにご執心な一方で、人の名誉を
>守ることにはどういうわけか無関心のように

とお書きになっていますが、「2ちゃんねるガイド」というものを
読んでみると、そこには

>すべては利用する皆さんの良識にかかっています。

>他人に迷惑をかけるのはやめようということです。
>必要以上の馴れ合いは慎しむとか、暴言や第三者を不快にする書き込みは
>しないとか、悪質な削除要請や自己中心的な発言はひかえるとか

>公人ではない一般人の誹謗中傷、プライバシー暴露は禁止します。
>固定ハンドルさんを叩く行為も、最悪板以外の場所では禁止してますです。

……といったことも、ちゃんと書いてあるのです。その上で、
この運営者は、必要以上に「管理者面」をしようとしない、
とても質のよい運営者ではないかと、ぼくは感じています。

しかし、にもかかわらず、ストロベリーさんのご指摘にあるように、
このほど東京地裁は「2ちゃんねるの管理者」に損害賠償を命じる
判決を下したわけですが、ぼくは、この判決、それほど立派なもの
とも妥当なものだとも思いません。

――これについても詳しいことはわかりませんが、朝日の記事に
「病院側の通知書が届き、記載の存在を知った昨年6月の段階で…」
とあるので、管理者は、問題の書き込みがあることは認識していた
のでしょう。それでも削除しなかったのは、ちょっと不注意だった
のか、あるいは、その書き込みが「全体としてはそれほどひどいもの
ではない」と判断したのかも知れません。しかし、上記の「ガイド」に
示されている姿勢から判断するかぎり、ぼくは、この管理者が
誹謗や中傷を奨励するような人間ではないということは明らか
だろうと思います。

――もう一つわからないのは、この訴訟を起こした獣医師は
「2ちゃんねる」の管理人に「通知書」を送ったのはたしかなので
しょうが、それはたった一度だけだったのか、それとも何度も
通知し、電話もするなどして再三削除を要求したにもかかわらず、
管理者は頑として応じなかったのか?ということです。

もし、たった一通の通知書が届いただけだったとしたら、それで
「400万円の支払い」を命じるというのは、いかがなもの
でしょうか?裁判長の言葉らしい「問題がある記載の存在を知った
段階で管理人には削除義務が発生する」というのも、どこまで
正しいなどと言えるのでしょうか?

ここで、ちょっと視点を変えてみなければならないと思うのですが、
最近、この国では医療事故が後を断ちません。この裁判の原告に
なったのは獣医師であるわけですが、もしこの医師が動物虐待に
近いようなことを実際にやっていたのだとすれば、それは「相手は
どうせ動物なのだから」と言って済ませるようなことではないはず
です。もちろん、これはあくまでも「もしも」の話ですが。

その上で、さらに問題だと思うのは、別に「2ちゃんねる」に
限らず、ネット上の掲示板というものは、学校の教科書などとは
違って、「アクセスしない自由」「読まない自由」というものの
上にこそ成り立っているものだということです。
判決は、「2ちゃんねる」には「1日約80万件の書き込みがある」
などと述べているようですが、だからといって、問題の書き込みを
実際にどれぐらいの人間が読んだのか、読んだとしても、どの程度に
信じたのかは、おそらく不明のままではないかと思います。

どうなのでしょう?こうした傍証から考えても、この判決は、一見
「良識」を振りかざしているようなフリをしながら、実は相当に
拙劣な判決なのではないでしょうか?何というのか、「心根が卑しい」
ように、ぼくにはどうしても思えてしまうのです。

あ!でも、これに懲りずに、あなたはどうかこのカフェルナに愛想を
つかしたりしないで下さい。いいですか?



勇崎哲史  酒の効用 2002年07月02日(火)03時29分55秒
寮美千子女史の蛮勇に拍手! へのコメント

前項の追伸のようなものです。
企画書を書いている時の僕は、実はものすごい集中状態になります。
そんな僕だけを見る人は、僕のことをきっと嫌いになるでしょう。
(実は、詩人・山之口貘も、詩作中に抱きついてきた目に入れても痛くない愛娘を投げ飛ばして、振り返りもせず黙々と机に向かっていたそうなので、僕もちょっと安心したのです)
お酒を呑んだ僕は、急にダメ男に変貌します。
その変貌ぶりを非難する人もいますが、だからこそ親しみを抱いてくださる人々もいます。そこで僕は救われるのです。(この救われる感覚は、断じて「実益」などではなりません)

下記投稿に誤植がありました。

誤:B氏は(中略)、精神も物質の質素な男です。
正:B氏は(中略)、精神も物質も質素な男です。

勇崎哲史  寮美千子女史の蛮勇に拍手! 2002年07月02日(火)03時01分44秒

----線以下は、カフェ・ルミに投稿しようと思って書いたのですが、極度に重たくなったので、カフェ・ルナへの投稿としました。
カフェ・ルミ「 寮美千子  奈緒ちゃん応援団 ゲリラ戦展開中 2002年07月02日(火)00時36分18秒」
lumi0012.html#lumi20020702003618
へのレスです。
--------------------------------------

たとえ火の中、水の中。機を見れば、蛮勇もいとわぬ寮さんの愛と勇気と友情に感謝感激しています。
感激の前方に感謝なる言葉を記していますが、寮さんが「奇跡の詩人」の対極として紹介された映画「奈緒ちゃん」の監督・伊勢真一は僕の親友です。だから、モーレツ感謝しちゃうのです。

僕もこの機に乗じて、ひとつ書き記しておきたいことがあります。江戸の敵を東京で、みたいな類で、投稿することにまだ躊躇はあるのですが、僕も蛮勇?します。
この板ではなく、カフェ・ルナの方のことです。カフェ・ルナに書くと角が立つかも知れないけど、カフェ・ルミであれば、和らげると思っての蛮勇?です。

2ヶ月前、僕が上京した折りに、みなさんが集まって下さって、呑みながら、とても楽しい会をしていただきました。「この機」、というのは、みなさんに紹介したく、その場に親友の伊勢真一にも来てもらい、寮さんはじめ、その場におられたみなさんと伊勢とが、はじめて出会った時のことだったからです。

その会に参加して下さったA氏より、カフェ・ルナに次のような投稿がありました。

「そういう意味で、あの勇崎さんを囲んでの3月の飲み会はなーと思います。あそこでの議論は全否定しませんが、あれだけ(私の感覚だと)お金をかけて飲んで議論をして、どの程度実益があったのか。先に書いた、人から物をもらったときの対応の仕方の問題と考えあわせれば、なんだ結局社会でそれなりに地位・肩書のある人たちとは傲慢で自己満足になってしまうのか、と思ってしまいます。あの場で言ったとおり、自分たちがプチブルだということの自覚が足りない。うさぎ党の話に戻せば、飲んだ場で議論した社会構想論て、一体どの程度の理論なんでしょう(また大分挑発してしまいましたね。でも実は私はこの掲示板からの引き際を考えつつ書いています)。 」
(上記全文は下記URLへ↓)
cafe0010.html#cafe20020506095521

「あの飲み会が高いという感覚を持たれていて安心しました。ただ、飲み屋での社会構想論ですが、まだ引っかかることがあります。私たち研究者は、もちろん議論は酒のない場所でやるのですが、確かに酒の場での議論の意味もわかります。でも、酒の場って参加者に優劣が出ることにお気づきですか? 酒が飲めない・嫌いな人は来なかったり、その場を楽しめなかったり、弱い人は思考能力が徐々に低下してきちんとした話ができなくなる。私はお酒が大好きで、弱い方ではないと思いますが、一方で体質上色々な人がいることに配慮すべきだと思います。酒の場は、結局酒が強い人が優位に立ってしまう場なのです。だから、本当に真面目な議論は酒の場はふさわしくありません。」
(上記全文は下記URLへ↓)
cafe0010.html#cafe20020508223933

寮さんは、この投稿が僕への非難に繋がらないようにとの配慮から、あの呑み会の割り勘金額が高かったのは、僕ではなく僕の友人B氏が会場を設定したからというレスをして下さいました。

僕が「この機」に乗じて伝えたいのは、その友人B氏の名誉のための弁明です。
B氏は僕の大親友です。伊勢と僕とを(運命的に)出会わせ、巡り合わせたのもB氏です。

1)あの店になった理由
・急な集まりで、実際に待ち合わせ場所に全員が集まるまで、何人の会合になるのか、わからない状態でした。
・人数が見え始めてから、あの近辺で、ちゃんと話し合える場のあるのは、あの店しかありませんでした。(周囲の客に迷惑もかけず、周囲の客からも迷惑を被らなかったはずです)

2)本当にプチブルの行く高価な店だったのか
・僕たち以外の客を憶えておられるでしょうか。サラリーマン風と女性客だけでした。
・店主は八丈島出身で、スペシャル・メニューは八丈島の山海の旬や有名希少銘柄の焼酎や冷酒です。もし高価だったとすれば、僕たちは、そのメニューの存在がうれしくて、それらを随分とオーダーしたように思います。

3)友人B氏について
・B氏は仕事は派手だけど(某国際博覧会関係など)、精神も物質の質素な男です。
・B氏はA氏よりも、ずっとずっとエコロジカルに生きている男です。
・B氏は、僕たちがしっかりと話し合える場所として、急遽電話をしまくり、モア・ベターな選択をしてくれました。

4)A氏への僕の反論
1. まず、上記3記述。
2. 酒の席について(>はA氏Wrote。→は僕の反論。)

>私たち研究者は、もちろん議論は酒のない場所でやるのですが、
→研究者に限らず、あの場に参加していた人たちもみな酒のない場所でも議論します。A氏が記述されている「なんだ結局社会でそれなりに地位・肩書のある人たちとは傲慢で自己満足になってしまうのか、と思ってしまいます」と「私たち研究者は、もちろん」に僕は自己矛盾を感じます。

>確かに酒の場での議論の意味もわかります。でも、酒の場って参加者に優劣が出ることにお気づきですか? 酒が飲めない・嫌いな人は来なかったり、その場を楽しめなかったり、弱い人は思考能力が徐々に低下してきちんとした話ができなくなる。私はお酒が大好きで、弱い方ではないと思いますが、一方で体質上色々な人がいることに配慮すべきだと思います。酒の場は、結局酒が強い人が優位に立ってしまう場なのです。だから、本当に真面目な議論は酒の場はふさわしくありません。
→イ)シラフでは寡黙だった人が、お酒が入ると、雄弁に語り始める場合もあります。ですから、シラフの場にだってA氏のいうような「優劣が出」ます。
→ロ)議論や会話上の発言に優劣などありません。聞く耳にも優劣があってはいけません。
→ハ)「体質上」お酒に問題がある人は呑み会には集まりませんし、そのような人を誰も無理にはさそいません。
→ニ)酒を呑まないと、正直に、テレずに真面目に語れない場合だってあります。

3. 酒と実益について
>あれだけ(私の感覚だと)お金をかけて飲んで議論をして、どの程度実益があったのか
→僕(たち)は、「実益」など求めていません。あまり、悲しませないで下さい。

A氏へ>
僕への反論を是非ともレスして下さい。

ストロベリー  悪乗りしすぎました 2002年07月02日(火)02時15分16秒
悪意は何も生みださない へのコメント

寮さんをからかうつもりも傷付けるつもりも全くありませんでした。
逆境も逆手に取って粋にがんばり抜きたい、そんな気持ちを込めてのほんの冗談のつもりだったのです。
粋どころか無粋の極み。まったくお恥かしい限りです。

深く深くお詫びします。本当に申し訳ありませんでした。

寮美千子  悪意は何も生みださない 2002年07月02日(火)01時33分24秒 http://ryomichico.net
2ちゃんねるの功罪 へのコメント

私も2ちゃんねるという場所には好印象を持っていません。ここで受けた中傷でボロボロになって精神科医の世話になる人も多く、「インターネットはキチガイの巣窟だからやめなさい」とアドバイスするカウンセラーまでいるそうです。>ストロベリーさん
故なき中傷や侮蔑の言葉は、人の心を深く傷つけます。例えば、次のような言葉も、ただの悪ふざけではすまされない、侮蔑の言葉です。わたしは深く傷つきました。
それでNHKが寮さんを訴えてくれれば、「奇跡の詩人」問題が更に脚光を浴びて万々歳ではありませんか。作品の宣伝にもなるし。敗訴したら控訴、上告と騒ぎを広げて世間をどんどん味方に付けましょう。
 敗訴後の涙の記者会見の練習もお忘れなく。リーディング・パフォーマンスならぬブーイング・パフォーマンスとか。
この掲示板では、いままでもさまざまな言葉が飛び交いましたが、このような悪質なからかいの言葉は、見たことがありません。ここから一体、何が生まれるというのでしょう?

Webというメディア自体に、罪があるわけではありません。2ちゃんねる掲示板にしてもそうです。そのメディアをどう使うか。それが何よりも大切な問題です。悪意の発言が生み出すのは、さらなる憎悪と徒労感だけ。何も生みだしません。ここカフェルナは、前向きな言葉で語り合う場にしていきたいと願っています。

ストロベリー  2ちゃんねるの功罪 2002年06月30日(日)22時56分08秒
2ちゃんねる勇者による「奇跡の詩人」新橋上映会について へのコメント

 ご返事ありがとうございます。舌を巻く人あり、くだを巻く人あり、バラエティーに富んだ掲示板のようですね。私は誰かにやり込められたら尻尾を巻いて逃げることでバリエーション拡大に寄与するつもりです。


 2ちゃんねるとはタイムリーな話題ですね。ご存知かと思いますが、つい先日管理者に損害賠償が命じられたばかりです。
 http://www.asahi.com/national/update/0626/023.html
 ここの管理者は表現の自由を守るのにご執心な一方で、人の名誉を守ることにはどういうわけか無関心のように見えます。それをいかに両立させるかで悩むのが管理者の役目であるはずなのに、「あれこれ言われるのはしょうがない」などと平気でのたまったりしている。

「石石石石」には同感で、私も2ちゃんねるという場所には好印象を持っていません。ここで受けた中傷でボロボロになって精神科医の世話になる人も多く、「インターネットはキチガイの巣窟だからやめなさい」とアドバイスするカウンセラーまでいるそうです。

 しかし匿名掲示板であることを盾に卑怯なまねをするゴミがはびこる一方で、匿名だからこそ世間的には公言し辛いような境遇にある人達が身の上相談や情報交換に活用している場所もあり、2ちゃんねるに救われている人も数多くいるようです。

 インターネットは弱者に武器を与えているのと同時に新たな弱者を生み出してもいる、つくづくそう思います。


 ビデオの件は納得しました。法を守れば常に善というわけでもなければ、法を侵すのが常に悪というわけでもない。それでも人はすべからく法の裁きを受けねばならない。厄介な話です。

 ところで、「卑怯ないい逃れ」と自ら認めてしまう方法をとるよりは、いっそ「違法を承知で自分の信条でもって呼び掛けるのだ」と表明してしまえばもっとカッコイイ気もします。
 それでNHKが寮さんを訴えてくれれば、「奇跡の詩人」問題が更に脚光を浴びて万々歳ではありませんか。作品の宣伝にもなるし。敗訴したら控訴、上告と騒ぎを広げて世間をどんどん味方に付けましょう。
 敗訴後の涙の記者会見の練習もお忘れなく。リーディング・パフォーマンスならぬブーイング・パフォーマンスとか。

寮美千子  2ちゃんねる勇者による「奇跡の詩人」新橋上映会について 2002年06月30日(日)20時02分06秒 http://ryomichico.net
はじめまして/著作権/赤でもススメ へのコメント

▼すごい! 明晰だ!
ストロベリーさまφ本さま、リンク・引用問題に関するご投稿ありがとう。勇崎さん、よっぱらい投稿でなごませてくれてありがとう。このようにいろいろな問題を多方面から深く考えていくことこそ、わたしがカフェルナでしたかったこと。みんなのおかげで機能しているなあと、深く感謝しています。ことに、ストロベリーさんの明晰なことには驚くばかり。舌を巻きました。

▼番組録画ビデオの公開について
追記1.5:番組録画ビデオは複製物
 著作権問題で私がむしろ懸念するのは、「○○を録画した人いませんか」「ホームビデオパーティーしませんか」といったくだりです。
 番組の録画ビデオ(=複製物)は、録画した本人とその家族や親しい友人しか観てはいけないはずですから、全世界に公開されている掲示板で呼び掛けるのは著作権法に抵触するのではないでしょうか。
ストロベリーさんの懸念はもっともだと思います。実はわたしが「ビデオ録った人いませんか。いたらメールを」とだけ書いて「見せてください」とか「ダビングしてね」との言葉は書かなかったのは、その点を配慮してのことでした。まあ、卑怯ないい逃れに過ぎないんだけどね。しかし、何かを検証しようというとき、これを無闇に著作権法違反として禁止するのは、やっぱりおかしいとわたしは思うのです。

▼2ちゃんねる有志による「奇跡の詩人」新橋上映会
実は、思うところあって、きのう、2ちゃんねるの有志運営による、NHKスペシャル「奇跡の詩人」新橋上映会にいってきました。これは、再放送を求める声を無視して放送をしないNHKに抗議して2ちゃんねるの有志が開いたビデオ上映会で、広く一般に呼びかけられています。あくまでも番組検証のための会であり、一切の金銭授受は、カンパも含めて拒否した形で行われた会でした。現場で、はじめて番組本編を見て強いショックを受けています。

このような上映会は2ちゃんねるの有志によってすでに何回か開かれ、5月28日の大阪での上映会ではNHKより上映は違反であるとの警告があったそうです。
http://members.tripod.co.jp/saihikarunogo/lunavideo.html
滝本太郎弁護士は 『日常生活を愛する人は?』日記5月29日のなかで、この件に触れ、以下の見解を述べています。以下無断引用。
上記上映会には、著作権法上も、なんら問題がないと思う。ネットで知り合った友人らが集まり、無料で録画を放映するものだからである。それは、検証もないままの中、また良かれ悪しかれ再放送がない中、検証のために見ると言う、まさに真面目な公益目的のものだった。
「奇跡の詩人」に対して、これだけの批判と不審の声があがっているに関わらず、NHKはまったく謝罪せず、釈明会見で放送内容は妥当であったと述べています。しかも、再放送の要請を無視しつづけ、再放送は決まっていません。これでは、事実上検証の機会が与えられないわけで、このまま放置されれば、人々の記憶から薄れ、その正否が問われないままに、うやむやに忘れ去られてしまうことになります。それを風化させずに考えていこうとした2ちゃんねるの人々に、深い感動を覚えました。

▼2ちゃんねるの「勇者」たち
正直いってアブナイ人々が主催しているのではと、行く前は怖い気持ちもしていたのですが、実際に行ってみると、実に真面目な、誠実な人ばかり。なかには多少アヤウイ感じの人もいましたが、その青年でさえ、彼らのゆるやかなコミュニティーと接触するうちに、さまざまなことを学び、いまではボランティア有志のひとりとして、大きな務めを果たしているようでした。多様な人々を寛容に受け容れ、閉じたコミュニティーではなく、いつでもだれもが参加可能な、そして抜けることも可能なゆるやかなコミュニティー。それは、望まれる民主主義社会の姿のひとつではないかとさえ思いました。彼らはエライ! 2ちゃんねる有志は、まさしく「勇士」であり「勇者」です。

そして、そのようなものを発生させたWebというメディアにわたしは大きな可能性を感じます。2ちゃんねるは、玉石混淆というよりは、むしろ石石石石ごく稀に玉なメディアですが、それであってもこのようにまっとうな世論が形成され、しかも力になって現実に働きかけることができることに、驚きを禁じ得ません。

昨日の上映会には、滝本太郎弁護士もかけつけ、勇者たちと言葉を交わしていました。飲み会で、だれかがうっかり「われわれは」と滝本さんに話すと、すかさず「われわれって誰だ!」とのチャチャが入りました。2ちゃんねる勇者は、あくまでもひとりひとりの自立した個人であり、集団ではないこと、集団としての意志は存在せず、個人の意志のつながりのなかで動いていることを感じました。ほんとうの「政治運動」とは、こうありたいものだと、わたしは思います。ほんと、彼らはエライよ。

▼あぶない「ドーマン法」
流奈くんは「ドーマン法」というリハビリ・プログラムをうけていますが、これは眠っているときも含めて24時間訓練する過酷なプログラムです。医学的にも疑問の多いこの療法に効き目があるかのごとく報道したこの番組は、同じように脳障害の子どもを抱えた人々に「もしかしたら効くのでは?」との幻想を与え、その道に走らせる危険があります。「ドーマン法」はその有効性が疑われるばかりでなく、事実上子どもへの虐待行為であるとの懸念もあります。NHKが正式に謝罪をし、この懸念を述べない限り、第二第三の被虐待児が生まれる可能性も否定できません。

そして、第一に流奈くん自身が虐待を受けている可能性を考えるべきです。家族という閉じられた空間で狂信されてる間違った方法。それを解くことができるのは、外部の客観的な視点だけです。それなのに、それを検証するのではなく、日木流奈家族の幻想に飲みこまれ、幻想を助長するのに一役買ったNHKの責任は重大です。

▼矛盾する個の利益と社会の利益
そんなわけで、わたしは昨日の「公開ビデオ上映会」には全面的に賛成です。著作者の著作権は守られるべきであるけれど、時として情報が共有されることが必要な場合もある。
引用を「禁止」することによって自由な論評を妨げてしまったとしたら、むしろ「禁止」することこそが非良心的であり、その禁を「破って」引用し論ずることの方が良心的ではないかとさえ思うのです。
というストロベリーさんの言葉は、まさしくこの場合を言い当てていると感心しました。

著作権という個人(特定の人々)の権利を保護することと、万人の利益のために自由な論評を保障するということ。矛盾する面もあるこのふたつのバランスをどうとっていくか。ケース・バイ・ケースでもあり、ひとつの決まりをすべてに適用することはできません。Webという新しいメディアのなかで、これからみんなが経験を積んでゆっくり考えていくべきことだと感じています。

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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