Review Lunatique／寮美千子の意見

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■戦争の記憶／母・寮八重子の回想

Fri, 06 Jan 2006 03:31:56

▼空襲の日のこと

鎮目（現・山梨県笛吹市春日居町鎮目）の家は、終戦の年の七月六日に空襲で焼けてしまったの。七夕の前の日だから、よく覚えている。

その日、すごい夕立があった。まるで滝のような雨。厚い雲があって、爆撃機からは何も見えなかったんでしょう。めくら滅法、爆弾を投下していったのね。家も、畑も、おかまいなしに焼夷弾が落ちてきた。

鎮目の家にも、三つか四つ、焼夷弾が落ちたの。小さな火が一面にめらめら燃えていた。わたしは十六歳だったけれど、妹の通子はまだ六歳で、その妹に急いで防空頭巾をかぶせて、外へ出たの。どしゃぶりなのに、焼夷弾の火は消えない。家の防空壕はまだ堀りかけで、できていなかったから、妹を抱いて、隣の家の防空壕まで必死に走ったの。その防空壕に、妹を放り投げるように入れて、わたしも頭から飛びこんだら、その瞬間、すぐ後ろで凄い音がして、爆弾が落ちた。一息ついて、外に出てみたら、もう一面が火の海で、小さな火がちょろちょろちょろちょろ、一面に燃えている。焼夷弾だったのね。

その火の向こうで、みんながわたしを呼んでいたの。「やえこー、はやくこーい」って。お父さんの声だった。見ると、槇子姉さんも弟の善直さんもいた。でも、火がすごくて、なかなかそこまで行けない。家がぼうぼう燃えていた。昔は茅葺きの屋根だったから、燃えるのが早いの。それに、ちょうど麦の収穫をしたところで、その麦藁も積んであったから、それもぼうぼう燃えている。その火をかいくぐって、やっと家のそばまでいったら、おシメばあさんがね、燃えているの。おばあさん、座りこんでいて、その背中がカチカチ山みたいにぼうぼう燃えている。「おばあさん、なにしてるのっ！」っていっても、腰が抜けていて立てないの。おばさんを抱えて、鯉を飼っていた池に連れていってね、池の中に立たせて、じゃぶじゃぶと水をかけたの。でも、水をかけてもかけても消えないの。焼夷弾の火は、水をかけても消えるもんじゃないのよ。ほんとうに怖ろしかった。槇子姉さんも、焼夷弾の火を踏んづけてしまって、靴に穴があいてしまっていたわ。

その時、お父さんはね、収穫した小麦を詰めた俵を必死で運んでいた。火事場の馬鹿力っていうけれど、ほんとうね。お父さんは、あの重い俵を片手で一俵ずつ、一度に二俵、ぐんぐん運んだの。結局、それが、焼け出されてからの食料になったの。

それから、お父さんは牛を一頭、連れ出し、荷車も外に運んだ。荷車は、よそのお宅から借りているものだったから、お父さんも必死だったのね。それが、不思議なのよ。カボチャ畑のなかの、棚の間の細いところ、細いところを通して運び出したんだけれど、棚も荷車も、どこも壊れていない。どうしてここから運び出せたのかしらって、まるで神業だって、あとから見て、みんなでびっくりしたわ。

結局、家は全焼。一体だれが、どうして、こんな大きな穴を掘ったの？っていうくらい大きな穴があいていた。壁もみんなすっとんでしまっていた。村の中で丸焼けになったのは、鎮目の家と、平岡さんの家の二軒だった。

でも、それよりひどい目にあったお家もあった。海軍さんって知ってるでしょう。日露戦争の時に軍艦の艦長さんをしていた人のお家。そのお隣の家にも落ちて、直撃でその家の子が死んでしまったの。まだ、小学生だった。とても勉強熱心な子でね、勉強の明かりが漏れたんじゃないかっていう人もいたわ。でも、あの日はひどい夕立だったしねえ。運が悪かったのかもしれない。かわいそうにねえ。

おシメばあさんは大火傷をしたけれど、幸いみんな命はあった。おじいさん、おばあさん、それから子どもが七人に、おシメばあさん。一家十人が焼けだされてしまったの。

あんな田舎がねえ。石和みたいなところを爆撃しても、民家と畑があるだけなのにねえ。空襲の後で見たら、田圃も畑も山も、幅の広い道路みたいに、ずーっと燃えて茶色なの。ともかく、何があろうがなかろうが、無差別にどんどん焼夷弾を落としていったのね。不発弾も落ちていて「ああ、これがそうなのか」って思った。

▼焼けだされてお寺暮らし

それから十日もたたないうちに、お父さんに召集令状が来たの。焼けだされて、住むところもなくて、途方に暮れているところに、召集令状。でも、行かないわけにはいかない。みんなで、石和の駅まで見送りに行ったの。お母さんも、子どもが七人もいて乳飲み子までいるし、おばあさんは大火傷だし、どんなに心細かったか。

残された家族は、お寺に仮住まいさせてもらった。でも、なにもないの。鍋ひとつ茶碗ひとつない。着るものもない。同級生の友だちがね、お鍋とお茶碗を持ってきてくれたときには、ほんとうにありがたかったねえ。

おシメばあさんの背中の火傷がひどくて、かわいそうだった。みんなでキュウリをすって一生懸命湿布してあげたけれど、痛がってねえ。結局、一年ぐらいで、おばあさんは衰弱して亡くなってしまった。八十七歳だった。それでも長生きだけど、火傷がなければ、もっともっと長生きできた元気なおばあさんだったのにねえ。

おシメばあさんは、字が読めない人だったの。けれど、とても記憶力がよくて、行動力もあった。昔なのに、よくひとりで、東京の娘のところに遊びにいっていた。いまでいえば、それこそひとりでニューヨークに行くようなものよ。そして、講談を聞いてくるの。一度聞くと、すっかり覚えてしまう。田舎に戻ってきて、炬燵にあたりながら、わたしたちにそれを話してくれるの。身振り手振りを交えてね。あのころはテレビもないから、それがもう楽しみで楽しみでねえ。そういう元気なおばあさんだったから、火傷さえなければ、もっともっと生きられただろうにねえ。

食べ物は、おじいさんが持ちだしてくれた小麦があったら助かった。粉屋さんで挽いてもらって、フスマまで全部食べたわ。農家だったから、野菜もあったしね。おなかいっぱいというわけにはいかなかったけれど、なんとかなった。

そうしているうちに、都会から買出しにくる人がやってきて、野菜と着物を交換してくれたの。だから、着るものも、少しずつ手に入った。生地が配給になったときは、帯の芯を切り抜いて、それを芯に足袋を手縫いしたりしたわ。ミシンも焼けてしまったから、みんな手縫い。それはもう、いろんなものを作った。ちゃんと習ったわけでもないのにいろいろ工夫してね。妹の通子が入学の時には、草履から草履袋から、みんなつくってあげて、お隣の人に「焼けだされたのに、こざっぱりしているねえ」ってほめられたりしたわ。それでも、暮らしはやっぱり大変だったわねえ。

Ｂ２９も、何度もやってきた。もう、音を聞くだけで怖くてね。芋畑のまんなかで、怖くて怖くて、はいつくばったこともある。溝のなかに突っ伏したこともあったわ。その時、水がごうごう耳の脇を流れていったこと、いまでもよく覚えている。

▼終戦

八月十五日は、勤労動員で山へ畑仕事に行って、戻ってきて、学校で玉音放送を聞いたの。ザアザア雑音がはいって、何をいっているのか、その時は、わからなかった。その後、アナウンサーの話で、ああ、負けたんだって、わかった。

「やっぱり負けたのか」って思った。負けるんじゃないかって、思っていたの。あの海軍さんが「日本は負ける」って、いっていたから。海軍さんていうのは、日露戦争で軍艦の艦長さんをしていた鎮目さんていうおじさんのこと。五月二十五日の海軍記念日には、いつも東郷元帥がつけるような金ぴかのモールのついた軍服を着て、学校に演説に来るような人だった。その海軍さんが「日本は負ける」っていうんだから、そうかもしれないって感じていた。その上、原子爆弾が落ちたという話が伝わってきた。広島には、この先十年、草木一本生えないって。だから、負けたと聞いた時には「やっぱり」って。

その夜、もう負けたんだからって、電気を覆っていた黒い布をはずしたの。そうしたら、パーッと明るくなって「ああ、いいなあ。明るくていいなあ」って心底思った。その夜は、ほんとうにうれしかった。

▼父の帰還

戦争が終わっても、お父さんはすぐには戻ってこなかった。十月になって、やっともどっていらした。もう腰が立たないくらいやせ衰えて、髭ぼうぼうで、三ヶ月でこんなになってしまうのかっていう変わり様だった。

お父さんは、熊本にいっていたですって。そこで、毎日タコ壺を掘って、飛行機が来るとみんなで潜っていたそうです。同じ部隊の人には、戦死した人もいたというから、生きて戻れただけでも幸運だった。その熊本から、長崎のキノコ雲が見えたんですって。

お父さんが戻ってから、焼けた家を建て直して戻れるまで、まだまだ時間がかかった。ほんとうに大変な時代だった。戦争は、ほんとうに嫌。いまも、世界のいろんなところで、同じ目に遭っている人がいると思うと、気の毒でならない。戦争は、いけないねえ。【２００５年８月１５日　戦後６０年の終戦記念日に母・寮八重子語る】

寮八重子／昭和四年生まれ。山梨県の石和で生まれ育つ。戦後、東京の酒問屋に勤務。そこに税務調査に来た寮甦三郎と結婚。女の子を二人もうける。長女が寮美千子。

■第33回泉鏡花文学賞　受賞スピーチ原稿＠金沢市文化ホール　2005年11月22日

Tue, 29 Nov 2005 14:04:18

その鳥には脚がない。
だからいつも羽ばたいていなければならない。
眠るのも空の上。
ほかの鳥たちが翼をたたみ、樹木に抱かれて眠る時、
その鳥は風に翼を広げ、風のなかで眠る。
　　　　　　　　―テネシー・ウィリアムズ著「地獄のオルフェ」より

▼
寮美千子です。このたび『楽園の鳥―カルカッタ幻想曲―』で第３３回泉鏡花文学賞をいただきました。五木寛之先生、泉名月先生、村松友視先生、金井美恵子先生、村田喜代子先生、そして、泉鏡花文学賞を守り、大切に育てていらした金沢のみなさま、ほんとうに、ありがとうございました。

この作品は、昨年１０月に発売以来丸一年、啼かず飛ばず、一部読者には激烈な反応をいただいたものの、文芸批評の俎上に載ることもなく、脚ばかりではなく、翼もない絶滅危惧種では、と危ぶまれていた矢先の受賞でした。おかげさまで、楽園の鳥は崖っぷちから大空へと羽ばたくことが出来ました。何とお礼を申し上げていいか、わかりません。

実は、明日はわたしの５０歳の誕生日です。４０代最後の日、人生の折返し地点で、このような大きな賞を頂き、大いに励まされました。明日は、金沢文芸館オープンの日でもあります。このような節目の時に受賞者として金沢に居あわせることのしあわせをかみしめております。お礼の気持ちを込め『楽園の鳥』の装丁に使わせていただいた門坂流画伯の版画３点を、金沢文芸館に寄贈させていただきました。みなさま、ぜひ足をお運びになってご覧になってください。

７年前、真冬の金沢に来ました。その時、ボランティア・ガイドの「まいどさん」のご案内で、石川近代文学館で泉鏡花文学賞のお部屋を拝見し、くらくらいたしました。少女時代に夢中になって読んだ先生方をはじめ、「泉鏡花」の冠にふさわしい方々の肖像のお写真が、ずらりと並んでいました。いつの日かわたしも、と夢のように思いましたが、今生では叶うはずがない、と思っておりました。

歴代の受賞者の方々と違い、わたしはほとんど無名です。１９８６年、毎日童話新人賞を受賞し、３１歳で童話作家としてデビュー以来、合計２７冊の単行本を上梓してまいりました。小説も４冊ありますが、すべて１１歳の少年を主人公としたため、自動的に「子どもの本」に分類され、みなさまのお目にとまる機会も少なかったかと思います。そこで、自己紹介をかねて、今までの仕事について、お話しさせていただきます。

「毎日童話新人賞」をいただく前は音楽関係のコピーライターをしていました。十年間、クライアントのために書き続け、いつしか自分自身のために書くことを忘れ果ててしまいました。自分のために書きたい、と思ったときに、まず浮かんだのが「童話」でした。というのも、宮澤賢治に大きな影響を受けていたからです。

賢治の童話は「子どものため」というより、わたしにとって、複雑な世界を因数分解して得られた、単純で美しい数式のように思われました。わたしもこのようなものを書きたいと、不遜にも思ったのです。

最初に書いたのは「ぼくだあれ」という作品でした。暑さのあまり記憶喪失になってしまった迷子の子象の物語です。ヘビがきて子象の長い鼻を見て「きみはヘビだよ」といい、チョウチョがきてぱたぱたする耳を見て「あなたはチョウチョよ」といいます。いろいろな生き物がきて、みな勝手なことをいっていきます。子象はそのたびに「そうかもしれない」と思いながらも、なぜかひどく哀しくなるのでした。やがて日が暮れ、草原の空が赤く染まった頃、地平線の彼方から、何かが砂煙を上げて駈けてきました。チョウチョのようにバタバタ翻る耳、高く掲げられた長い鼻。子象は、そのとたん、自分が誰だったかを思い出し、「おかあさーん」と叫んで立ちあがると、一目散に駈けていきました、というお話です。

賞に応募すると最終選考に残りましたが、入賞はしませんでした。次に書いた作品も同じ結果でした。このまま、万年佳作ではと心配になったわたしは、賞の研究をし、あたかも受験勉強でもするように、傾向と対策を立てました。その結果「元気で、楽しく、ナンセンスで、明るいお話」が求められていると分析、それに沿って書くと、これが図星で「毎日童話新人賞」の最優秀賞を得て、童話作家としてデビューすることができました。しかし、これがすぐに、自分の首を絞めることになりました。

というのも、賞さえもらえば、好きな作品を書けると思っていたのに、そうではなかったからです。むしろ「賞をとったような作品を」と求められ、自分が書きたいものを書くと「あなたらしくない」と却下されてしまったのです。泉鏡花先生は、「藝術は予が最良の仕事也」という談話で、こうおっしゃっています。

私は希望と言つたが、それは決して讀む方の人に對して相談をかける意味ではない。寧ろ自分に對する要求である。若し向うの人の心を察して書かなければならぬことになると、自分の作りたい物を作るといふよりか、人の作りたい物を作るといふことになつて主客轉倒、そんな樂しい、嬉しい、懷しいは力も品もないものだ。
　　　―『鏡花全集　卷二十八』p.721　談話「藝術は予が最良の仕事也」明治四十二年五月

他者のための言葉、ではなく、自分のための言葉、を探して童話を書きはじめたのに、安易に世間にすり寄ったわたしが愚かでした。それからは「作品」としての矜持を保ちながらも、いかにそれを「商品」として通用させるか、ということに心を砕きました。

しかし、書きたいものを書くと、必ずといっていいほど編集者とぶつかりました。だれも、記憶喪失の子象の話など、求めていないのです。幼年童話という範疇では、わたしの思うことは実現できないのではないか、自分の伝えたいことを伝えるのには、もっと言葉数を費やす必要があるのでは、と思ったのです。

実はわたしは、子どもの頃から、登場人物の多い物語が苦手で、三人以上になると、もう名前を覚えられないという致命的欠陥がありました。ですから、自分が長い物語や小説を書くようになるとは、夢にも思いませんでした。が、書かざるをえなくなったのです。そのためか、わたしの小説はすべて一人称です。

最初に書きはじめたのが『ノスタルギガンテス』という作品でした。

だけど、ぼく、そんなつもりじゃなかった。こんなことになるなんて思ってもみなかった。ぼくのせいだろうか。そうかもしれない。最初のひと滴を落とすのが神だとしたら、そして、そのひと滴から宇宙が生まれるのだとしたら、ぼくはきっとその神だ。……たとえぼくが、そんなつもりじゃなかったとしても。そう望まなかったとしても。

そう語る主人公は十一歳の少年。これは「名付ける」ということに関する物語であり、物語の進行に奉仕するための言葉ではなく、少年のひりひりするような感覚そのものの羅列により、それを記述しようとしたものです。

ところが、主人公の少年の心の痛みがあまりにダイレクトに自分に響いてきて、書いている途中で苦しくなってしまいました。そこで、息抜きに、もっと単純な、わかりやすい、物語らしい物語を書いてみたくなりました。そして書いたのが『小惑星美術館』というＳＦファンタジーです。

この物語が生まれたきっかけは、１９８２年に遡ります。長野県の野辺山に４５メートルの巨大パラボラアンテナが誕生しました。宇宙からやってくる電波を観測するためのものでした。緑の八ケ岳を背景にそそりたつまっ白な電波望遠鏡を見て、そうまでして宇宙の果てのことを知りたがる人間とは、なんと不思議な生き物だろうかと思いました。その一週間後、深夜、電車に揺られていると、緞帳が降りてくるように、一枚の風景が頭蓋骨の中に見えてきました。漆黒の宇宙空間に、無数のアンモナイトの化石が、遠い太陽の光を受け、音もなく浮かんでいる、という光景でした。それはあまりにも鮮烈で、何日しても、わたしの脳裏から去りませんでした。わたしは、なぜそこにそんなものがあるのかという物語を探しださずにはいられませんでした。「小惑星美術館」へたどりつくための「地図」としての物語を書きたいと思ったのです。そして、誰もがそこへ行けるようにすることで、わたし自身が「小惑星美術館」から解放されたい、と願ったのです。

まるで、頭の変な人のようですが、それが、その時のわたしにとっての「物語」でした。物語は三次元の映像プラス時間の塊として、頭の中に存在しました。その四次元的存在のひとつひとつを言葉に置き換えていくことが、わたしにとっての「創作」です。映像の言葉への翻訳であり、すでにそこにあるものを、なるべく精確に描く、いわば模写、あるいは写経のようなものです。「キャラクターが勝手に動き出す」ということはまったくなく、最初に頭の中に存在したそのままが最終形です。

『小惑星美術館』は、主人公が十一歳の少年であったため、毎日中学生新聞に連載されるという幸運を得ました。挿し絵も、宮澤賢治の絵本をたくさん描かれている小林敏也先生にお願いすることができ、毎朝、新聞が届くのが、大きな楽しみになりました。

ところが、連載が終了していざ出版という段になって、大変苦労しました。いわゆる「児童文学」らしくない、ということで、いくつもの出版社から断られてしまいました。子どもでも読めるようなやさしい言葉で書こう、と努力しましたが、「子どものため」に書いたわけではないので、そう言われても仕方ないことでした。ようやく出版を承諾してくれたところからは「子どもが親しみの持てるように、主人公の少年をユーリではなく、タロウとかヒロシにしてほしい」とか「タイトルは『百八十日間の遠足』に」などと言われました。それでは、作品の匂いや手触りがすっかり変わってしまいます。嫌なら出版はできないといわれ、ゲラまで出ていたので、試しに「嫌だ」といってみたら、出版が取りやめになってしまいました。いくら新聞連載されても、単行本にならなければ、その作品はこの世の中に存在しないも同然です。このまま埋もれてしまうのか、と思った矢先、挿し画の小林敏也先生がパロル舎を紹介してくださり、出版が決まりました。当時、パロル舎は、社長も含め二人しかいない小さな出版社で、『小惑星美術館』の出版は、大きな冒険だったと思います。

本が出てしばらく後に、衛星デジタル音楽放送という聞き慣れない会社から、詩を書いてほしいという依頼がありました。「セント・ギガ」という、潮の満ち引きと、太陽と月の運行に従って音楽と自然音のみを流す放送局を開局するので、開局セレモニーのための詩を書いてほしい、というのです。そんな重大なことをなぜわたしに？と思ったところ、ブレーンのおひとりである沢木耕太郎先生が『小惑星美術館』を読んで大変気に入ってくださり、わたしを推薦してくださったとのこと。書店に並ぶ本のなかから、沢木先生がご自分で『小惑星美術館』を見つけ、買ってくださったのだと知りました。沢木先生とは、全く面識がなかったので、あの時、妥協して『百八十日間の遠足』にしなくてよかったと、つくづく思いました。

「セント・ギガ」は「I'm here.」「I'm glad you're there.」「わたしはここにいます」「あなたがそこにいてよかった」という言葉をステーション・コールにしていました。『小惑星美術館』という本で「わたしはここにいます」と表明したら、「あなたがそこにいてよかった」と世界が肯定してくれたように感じ、たいへん感動しました。

これをきっかけに、わたしは「セント・ギガ」が倒産するまでの七年間、毎月４～５編の詩を制作するようになりました。すべて「耳から聞いて心に届くための言葉」です。いつか、この詩を再び活字に戻し、詩集としてまとめたいと思っています。

次に書いたのは『ラジオスターレストラン』です。食べるということは、それまで自分ではなかったものが、自分になるということです。ついさっきまでリンゴだったものが、食べたとたんに「わたし」になる。そのことが、わたしは子どもの頃から、不思議でなりませんでした。その物質のめぐりをどこまでもたどっていったらどうなるのか。

「思いだした。ラグ！　思いだしたよ！」
　ぼくは恐竜だった、魚だったこともある、そうだ、蝉のはねだったこともあるんだ。いいや、小さな石ころだった、それが砕けた砂だった。そうだ、水だった。河を流れる水。巨きな海のひと滴、湧きたつ雲。あたたかい雨。ぼくは、吸いあげられてやわらかい緑の草になった……。
　ぼくがひとかけらの流れ星になってこの惑星にやってきてから長い長い時間、ぼくは、惑星の上のあらゆるものたちだった。
　そう思うと、ぼくのなかの骨が、血が、心臓が、脳が、ぼくをつくっているありとあらゆる物質が、まるでいっぺんに、かつて自分だったものたちのことを夢見だしたんだ。
　ぼくは、いっぺんに恐竜で、魚で、蝉で、石で、砂で、水で、風で、草で、無数のものだった。ぼくの心は、その数えきれない一瞬であふれかえった。

『ラジオスターレストラン』には電波天文学によって明らかにされた宇宙の物質の大循環が描かれています。物質の記憶を遡れば、わたしたちはみな星の欠片であるということを、少年が「食べる」ことで思い出します。

この後、プライベートの人生が大混乱をきたして、心が壊れてしまったため、長いこと物語を書きませんでしたが、六年後、『星兎』という作品を上梓しました。突然地上に現れた等身大の兎が、少年と出会い、別れたという、ただそれだけの物語です。この兎も、「ぼくだあれ」の子象同様「記憶喪失」で、自分がなぜそこにいるのか、何者なのか、わかりません。

「ほんとうにわからないんだ。きみだって覚えてないだろう。この地上に来る前に、どこにいたのか。きみだって知らないはずだ。この地上を去ったら、どこへいくのか。ぼくにわかっていることはひとつだけ。誰もがいつかは、この地上を去らなければいけないっていうこと」

兎は、名前を聞かれて、こういいます。

「どうして名前なんかいるの？　『うさぎ』って呼んで、ぼく以外のうさぎが返事をすると思う？　ぼく、なにもいらないんだ。例え名前だって、持たなくてすむものは、いらない。家だっていらないし、記憶だとか、過去だとか、そんなものだってなくたっていいって思っているのさ。実際、ないんだけどさ。だからって、やせ我慢しているわけじゃないんだ。これはこれで、さっぱりしていていいよ。いくところもないし、帰るところもない。でも、どこへでも好きなところへいけて、好きなところへ帰れる。ぼくは、誰のものでもない。ぼくは、ぼくのものなんだから」

『楽園の鳥』以前に、わたしが書きあげた小説はこの四作のみでした。そのすべてが本になりました。発行部数は一万部を超えたものもありましたが、「子どもの本」としては、常に異端の存在であり、かといって大人のための文学にも、入れてもらえませんでした。そんな中にも、作品の本質を理解し、強く支持してくれる読者の方がいたことは、大きな心の支えになりました。きょうも、遠方からここに駈けつけてくださった方が何人もいます。みな、我がことのようにこの受賞を喜んでくれています。ありがとう。

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わたしは、このほかにも、絵本の仕事をしてきました。幼年童話以外にも、天文学と、先住民文化を題材とした絵本を作ってきました。

『ほしがうたっている』は野辺山の電波天文台十周年記念に天文台から依頼されて制作したもの。『遠くをみたい』は、昨年、兵庫県の西はりま天文台にできた世界最大の公開望遠鏡「なゆた」の誕生を記念して制作したものです。

『父は空　母は大地』は百五十年前のアメリカ先住民の首長のスピーチ。『青いナムジル』はモンゴルの馬頭琴伝説。その後、足下の文化にも目を向けたいと、アイヌ文化に取材し『おおかみのこがはしってきて』『イオマンテ―めぐるいのちの贈り物―』の二冊を制作しました。『イオマンテ』は、今年の小学館児童出版文化賞の最終候補作に入りましたが、エンターテイメント系の青春小説に破れ、賞はいただけませんでした。

ゴーギャンの作品名にもあるように「わたしはどこからきて、どこへ行くのか」というのは、永遠の課題です。天文学は、彼方を見つめることでそれを見つけようとしました。先住民文化に学ぶということは、人類が培ってきた心の宇宙に、それを見つけようとするものです。

▼
以上が、わたしがしてきた仕事の概要ですが、いよいよここからどうやって『楽園の鳥』につながるかを、お話ししたいと思います。いくら宇宙を深く覗いてみても、文化の深層を学んでも、人間はそう簡単に悟れる生き物ではありません。他人から見たら、つまらないことにつまづき、捕らわれ、もがき苦しむ存在です。その問題を直視したいと思いました。

さて、『ノスタルギガンテス』の出版から７年後、評論家の四方田犬彦先生が、この作品を評論してくださいました。「児童文学」という枠組み以外で評価された、初の評論だったかと思います。その文章を読んだ公明新聞の記者の方が、わたしに新聞の連載小説を依頼してくださいました。それまで、三百枚弱の作品しか書いたことのない作家に、一年間の連載を任せるというのは、大英断だったと思います。インド旅行を題材とした書きかけの原稿が百枚ほどあり、それを元に『楽園の鳥』を書かせていただくことになりました。２００１年３月から１３ヶ月半の連載。毎日３枚の原稿を書くことは、実に楽しく、そしてうれしく、苦しいと感じたことは、一度もありませんでした。

ところが、その後、大きな試練が待っていました。無名作家の千二百枚もの大長編を、出版しようというところがなかったのです。行脚の末、ようやく出版してくださるという編集者に巡りあいましたが、「恋愛小説」の部分だけを抜き書きして、三分の一に縮める、いうのが条件だったので、断念しました。

そうやって版元が決まらないこと一年半、あきらめかけていたときに、講談社の宇山日出臣さんに出会いました。そして、短縮なしの出版が決まったのです。

宇山さんは、中井英夫先生の『虚無への供物』を文庫本にしたいがために、エリート商社マンの職をなげうち、講談社に入社なさったとのこと。『虚無への供物』が文庫になったその年に、中井英夫先生は、第二回泉鏡花文学賞をおとりになられました。その後、綾辻行人先生、京極夏彦先生など、多くの作家を発掘して世に送りだし、「新本格ミステリー」というジャンルを確立なさいました。その功績から、２００４年に「本格ミステリ大賞特別賞」を贈られた、ミステリー界の名伯楽です。数々のヒット作を出してきた宇山さんが、三十年にわたる編集者生活の最後の最後に、『楽園の鳥』を出したい、と望んでくださったからこそ、無名新人の千二百枚もの長編を、本にしていただくことができました。

さて、いよいよ本になるということで、最後の読み直しをしていたところ、突如、ラストシーンを書き足したくなりました。それまでも「ラストがあまりに残酷だ」といわれてきましたが、誰にいわれても「これでいい」と思ってきました。ところが、門坂画伯にいわれたとたん、電撃のように閃いたのでした。わたしはこの作品をすべて「映像」として見てきたのだと。だからカルカッタの雑踏で、いきなりバンッと暗転して終わりにしてもよかったのだと。しかし、読者は違います。ヒマラヤを登るように、言葉という階段を一歩一歩のぼって終章までたどりついたのです。その終わり方はひどすぎます。主人公の生き方にいかに救いがなくとも、せめて風景だけは、展望がほしい。主人公のミチカは、ヒマラヤ山中で、ガンジス川の源流に触れています。だとしたら、せめて最後は、ガンジスの河口を見せたい。川が海となる広々したところへ連れて行き、視線を彼方へと誘いたいと思いました。

わたしは、ガンジスの河口を見に行くことにしました。ガイドブックにも記載がなく、国防上の都合で正確な地図もないため、旧ソ連が作ったという地図を手に入れ、旅立ちました。ガンジス河口は、関東平野ほどもある巨大なデルタ地帯で、百を超える砂洲の島々があります。その土地を旅してきました。

一ヶ月間にわたる過酷な旅でしたが、行ってよかったと思っています。わたし自身の中でも、この旅をして、ようやく大きな旅が終わったのだという実感が得られました。

ただ、ショックだったのは、わたしが作中で殺してしまった人物のモデルとなった人が、わたしが書いたのとまったく同じ場所、同じ様子で亡くなっていたことでした。ガンガサガルへの旅は、アッシムの魂を弔う旅となりました。ダンという登場人物が語った言葉が、わたしの中に響きました。

きみが語る物語の中を、人は旅させられる。
きみが美しい夢を見ようとしなければ、人もそのようにしか生きられない。
ねえ、ミチカ、きみが世界だ。きみの心の反映が世界になるんだ。
新しい物語を書いてくれ。哀しい結末じゃない、希望に満ちた物語を。

物語は閉じていない。閉じていないから、世界とつながれるんだ。

この物語はあらゆる意味で開かれています。『楽園の鳥』は異国を遍歴する紀行小説であり、恋愛小説、冒険小説、グルメ小説、幻想小説、詩でもあり、共依存男女のドメスティック・バイオレンス小説であり、哲学小説ともいえますが、そのどれでもありません。そのすべてがひとつの大きな塊となった領域そのものが『楽園の鳥』です。因数分解される以前の混沌に満ちた世界そのものです。いままでのわたしの作品が、どこからもはみだしてしまうことで、どこにも属さないように、この物語もまた、ジャンルを特定できず、わたし自身にも名づけることのできない存在でした。名前は火であり光です。名前がなければ、存在は、闇に埋没してしまいます。「名づけ得ぬもの」に、「泉鏡花文学賞受賞作」という新しい名前を与えてくださり、この世に存在させてくださった先生方には、なんとお礼を申し上げていいか、わかりません。

審査の折りに、わたしが尊敬してやまない泉鏡花先生の娘さんであられる泉名月先生が強く推してくださったこと、五木寛之先生が、先ほどお話しくださいましたようなご縁で読んでくださり、高く評価してくださったことなど、すべて不思議な巡り合わせの結果としかいいようがありません。あらゆる見えない力に導かれて、きょうここに立つことができました。わたしは、偶然の一致を、必然ではなく単なる偶然としか思わず、神仏の加護とも思わない罰当たりな人間ですが、このように、蜘蛛の糸のようなかすかな糸に導かれ、この場に立てるようになったことは、例えようもなくありがたく、心の底から敬虔な気持ちになります。ここに導いてくれたすべてに対して、深い感謝を捧げたいと思います。

ひと口に幻想文学と申しますが、泉鏡花先生の幻想は、単なる逃避のためでも、ただただ楽しみを追求するためのものでもなく、時に幻想でしか表現できないほどの現実の残酷さ、美しさをお書きになられました。そこが、今日巷に溢れる幻想文学とは、一線を画していらっしゃいます。わたくしは、そのような鏡花先生の文学を深く尊敬しております。鏡花先生が、時代に流されず、独自の詩境を切りひらかれたように、わたくしも、己の信ずるところを信じ、我が内なる迷宮をどこまでも旅していきたいと存じております。その時「泉鏡花文学賞」という名は、深い闇に灯る揺るぎない星の光となって、わたしを導き、励ましてくれることでしょう。この新しき名に恥じないよう、精進したいと存じております。『楽園の鳥』の行方を、みなさま、どうか見守ってください。最後に、『楽園の鳥』からの引用を読ませていただきます。

わたしたちは帰依することができない。
それがどんなに巨きく、すばらしい物語でも、
予め与えられた物語には帰依できない。
地図は役に立たない。
わたし、という迷宮のなか、
手探りで新しい物語を探しだすしかない。

ご静聴、ありがとうございました。

※このスピーチは、パワーポイントによるスライド上映（松永洋介制作・操作）とともに行いました。スライドは、１９９８年に金沢を訪れた際に石川近代文学館の表札の前で「I shall return.」とポーズしている写真、ガンガサガルの風景、既刊の絵本や単行本の表紙、朗読した抜粋の文章の一部、などを素材として構成しました。

http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bungaku/kyouka/kyouka.htm

■イオマンテ　アイヌの儀礼に学ぶ知恵／公明新聞文化欄 2005年4月22日掲載

Wed, 27 Apr 2005 23:44:38

【移動しました⇒隕石標本／寮美千子の新聞雑誌等発表原稿】

■元気な歯で宇宙をかじろう―りんごと銀河と望遠鏡―／歯科広報・佐用郡「8020だより」22号掲載

Wed, 27 Apr 2005 22:51:16

【移動しました⇒隕石標本／寮美千子の新聞雑誌等発表原稿】

■アイヌ文化に命の尊さを学ぶ／産経新聞 2005年3月26日掲載

Thu, 31 Mar 2005 15:01:48

【移動しました⇒隕石標本／寮美千子の新聞雑誌等発表原稿】

■天災と人災／スマトラ沖地震と同規模の犠牲者を出した東京大空襲

Sun, 02 Jan 2005 03:35:43

昨年暮れの２６日、スマトラ沖地震があり、大津波の被害がインド洋沿岸からアフリカにまで及んだ。第一報では二千人といわれた死者が、現在では十二万人になるのではないかといわれている。昨年は、１０個もの台風の日本列島を直撃して異常気象といわれ、１０月２４日には新潟中越地震、さらに度重なる余震もあった。足許にある地球の動向に、底知れない不安を抱えたまま迎えた新年だ。

９１１以降の世界の混乱も一向に収まる気配がない。テロ撲滅の名のもとに、アメリカは恐ろしい数の人間を殺している。その数は、少なく見積もっても一万人、十万人を越えるという説もあるという。

今回の大津波は、間違いなく人類史上の最大自然災害だっただろう。過去にも大きな災害はあっただろうが、その頃はいまほど人口が多くなかったので、犠牲者の数もここまでにはのぼらなかったはずだ。

その最大の自然災害の犠牲者が十二万人。しかし、東京大空襲では、およそ三時間の爆撃で十万人の犠牲者が出たという。広島の原爆では十四万人が命を落とし、その後の影響で亡くなった人をいれると、二十五万人もの犠牲者が出たといわれる。人間とは、なんという大きな厄災をもたらす生き物だろう。人間にとって、いちばん恐ろしい敵は、人間だ。

このような不安な世情の中で起きた今回の自然災害。人心はさらに不安を感じている。「末法の世」「世界の終末」「人類の滅亡」などと言いだす人もいるだろう。また、そのような不安につけいって、勢力を拡大しようとするカルト的宗教もあるだろう。

確かに、不安要素の多い世の中だ。けれども、それを簡単に「世界の終末」に結びつけてはいけない。天災と人災は峻別しなければならない。天災には不可避な部分もあるだろう。しかし、人災を起こしているのは、他ならぬわたしたち人類なのだ。であれば、わたしたち自身がそれを防げる力を持っているはずではないか。

ひとりひとりが考え、行動することで、変えていくしかない。人類史上最悪の天災と同じ規模の犠牲者を、平然と出している戦争に対して、毅然として「ノー」といわなければならない。

その戦争を支持し、武器を持った自衛隊まで送りだしてしまった日本。それはまさしく人災を起こすことに寄与していることでしかない。武器は平和を生みださない。もしも、武器によってわずかの間の平安が得られたとしても、それは「平和」ではなく単なる抑圧に過ぎない。そのツケは必ず回ってくる。武器を使わずに平和を実現すること。それこそが「政治」の本当の役割ではないだろうか。

イラク戦争に使用している莫大な費用を、本当の意味の平和のために使ったら、どれだけのことができただろう。いまからでも遅くない。つまらない戦争をやめ、本格的な救援活動にお金とエネルギーを使って欲しいと思う。

■中学生諸君へ／本なんか読まなくたっていいよ

Fri, 31 Dec 2004 13:55:12

本なんか、読まなくったっていいよ。
本を読むより、すてきなことはいっぱいある。
おひさまの光をいっぱいに浴びていたほうが、いい。
友だちとおしゃべりした方が、ずっと楽しい。
おじいさんやおばあさん、近所のおじさんやおばさんと話したり、
お父さんやお母さんの背中を見ていたほうが、よっぽど勉強になる。
手伝うならば、なおさらいい。
世界は知らないことでいっぱいだから、
自分の皮膚で、自分の心で、精一杯感じないといけない。

けれど、自分は一人しかいない。
たった一人の自分は、世界の全部を体験することはできない。
だれだって、自分の人生しか生きられない。
けれども、本のなかには、いろんな人生がある。いろんな体験がある。
男の子だって女になれるし、女の子だって男になれる。
百歳の老人の気持ちにもなれるし、宇宙人にも兎にも花にもなれる。
遠い時代を生きていた人の心にさわることも、
まだ見ぬ未来に生きることもできる。
昔の人が何百年もかけて考えに考え、やっと得られた結論だって、
たった本一冊で手にすることができる。
一人しかいないきみが、無数のきみになる。
きみの心のなかに、無限の宇宙が広がる。

だから、本を読むことはすてき。本を読むことは、やめられない。
想像力の翼に乗って、どこまでも果てしなく行けるから。

でもね、忘れちゃいけない。
その無限の世界を感じることができるのは、
たった一人のきみが、そこにいるからだということを。
きみの心が、皮膚が、耳が、目が、鼻が、舌がそこにあるから、
きみ自身が感じることが、すべての想像力の芯に、しっかりとあるから、
だからこそきみは、本の中に広がる世界を、リアルに感じることができる。
だからこそ、宇宙の果てのさらに向こうへ飛べる
美しくてすこやかな心の翼を持てるのだ。

だからね、やっぱり
おひさまの光を浴びていたほうがいいって、わたしは思うんだけど、
それでも本を読むのは、やめられない。
無限に広がる世界が、わたしを誘うから。
「さあ、おいで。わたしを読んで」と。　　　Copyright by Ryo Michico

※この文章は、山口県下関市下関市立木屋川中学校の川口寛先生からのご依頼により、中学生のための読書のすすめ、というテーマで書いたものです。メールでご一報いただければ、学校などの非営利事業に限り自由にお使いいただいて構いません。ご利用の場合は、著者名を明記してください。

木屋川中学校でパネル展示されました。セーラー服姿がなつかしい！

■イオマンテ―めぐるいのちの贈り物―／第１２稿

Sun, 12 Dec 2004 02:27:02

※（　）内はアイヌ語の日本語訳。
　絵本ではルビとして表記します。漢字は総ルビ。
　数字はページ数。

▼１
わたしは、生まれたばかりの熊のカムイ（かみ）だ。

▼２～３
そこは、くらくてあたたかかった。
かあさんのにおいにつつまれて、
わたしはむちゅうで、ちちをのんでいた。
うとうとしかけたとき、とおくから、なにかきこえた。
だんだんちかくなる。
「なあに、かあさん？」
「あれは、セタ（いぬ）の声よ」
「セタ？　こわいもの？」
かあさんはだまったまま、じっとしていた。
そのとき、がさっと雪がくずれ、ちいさな穴がひとつ、あいた。
そこから、ひとすじの光が、棒のようにまっすぐのびてきた。
そのときわたしは、はじめてかあさんの顔をみた。
きんいろにかがやく、かあさんの顔。
「だいじょうぶ。ぼうやは、ここにいなさい」
かあさんはたちあがって、光へとまっすぐにあるいていった。
おおきなからだのふちが、きらきらひかった。

▼４～５
かあさんが、せのびをするようにして穴をのぞいたとたん、
びゅん、と音がした。
「あっ」
かあさんは、ゆっくりと両腕をひろげた。
そして、いきなり背中から、どう、とたおれた。
「しとめたぞ！」
雪のかべがいっきにくずれ、
わあっと光があふれかえった。
まばゆい、まばゆい、白、白、白。
あふれる、あふれる、赤、赤、赤。
かあさんの目からふきだす赤が、
まっ白な雪に、みるみるひろがっていった。
セタ（いぬ）がはげしくほえていた。
「めすの熊だ。子熊がいる」
おおきな手がのびてきた。
はじめて、人のにおいをかいだ。

▼６～７
ぼくは、アイヌ（にんげん）の男の子だ。

ろばたで木を彫っていたとうさんは、ふと手をとめ、耳をすました。
「雨だ」
ひげのおくに、ほほえみがひろがった。
「熊の子を洗う雨だ」
きょうは、さむさが一気にゆるんだ。雪が、やわらかい雨にかわったんだ。
「こんな雨がふるころには、熊の穴で、きっと子熊が生まれている」
「熊の穴って、あの山の？」
「ああ。おまえといっしょに、秋の終わりにみつけた、あのほら穴だ」
もえあがる炎のように赤や黄にそまった森の、
おおきなおおきな木のねもとに、そのほら穴はあった。
きっといまは、なにもかも白い雪のしただ。
とうさんは弓矢をとりだし、
とりかぶとの毒をていねいにぬった。
「この毒はつよい。
どんなおおきな熊でも、
息をするまもなくたおれるぞ」

▼８～９
あさになると、そこらがみんな星の粉をまいたようにひかり、
おそろしいほどの寒さがもどってきた。
なにもかもが、かちんかちんにこおりついている。
いつもは腰までもぐってしまう森の雪も、
骨のようにかたくしまり、もうどこまでも歩いていける。
「きょうは山へ、キムンカムイ（やまのかみさま）をおむかえにいくぞ」
と、とうさんがいった。狩りにいくんだ！
「ぼくも、つれてって！」
「だめだ、だめだ。きょうは、山で泊まりだ。
兎もとれないようなこどもなんぞ、足手まといにしかならん」
とうさんは、かんじきをはき、山の杖をつき、弓と矢を背に、
顔をかがやかせて、山へとはいっていった。
セタ（いぬ）が、うれしそうに、とびはねながらついていく。
まっ白な息をはきながら、
のしのし森へはいっていくとうさんたちを、
ぼくは足ぶみをしながら、みえなくなるまでみおくった。

▼10～11
その日、とうさんは、かえってこなかった。
そのまたつぎも、つぎの日も。
そとに出ると、こおりついた夜空に、三つ星がたかくひかっていた。
あれは天のいろりのおき。とうさんも、あの星をみているだろうか。

きょうも、とっぷり日がくれた。
それなのに、とうさんは、まだかえらない。
「だいじょうぶかな」
かあさんは、ろばたでシンタ（ゆりかご）をゆらしながら、うたうようにこたえた。
「だいじょうぶ。火のカムイ（かみさま）がまもってくださるから」
まきがぱちっとはねて、めらめら炎がたちあがった。
そのとたん、とおくからセタ（いぬ）の声がきこえてきた。
そとにとびだすと、月あかりにてらされて、きらきらとひかる道を、
とうさんたちが、えものをしょって、もどってくるところだった。
せなかが小山のようにもりあがり、
まるで天からおりてくる、りっぱな熊の行列のようだった。

▼12～13
「ほうら、キムンカムイ（やまのかみさま）からのいただきものだ」
いろりばたに、うやうやしくおいたのは、
たっぷりの肉と、みたこともないほどりっぱな毛皮。
それから、とうさんは、ふところをひらいて、
ちいさなけものをとりだした。
「子熊だ！」
ぼくよりもさきに、かあさんがすっと手をのばした。
「おお、よしよし。さむかったでしょう。こわかったでしょう」
かあさんは、子熊をしっかりだいて、おっぱいをふくませた。
子熊は、しがみつくようにしておちちをすった。
「赤ちゃんなんだね」
「ああ、まだ目があいたばかりだ。
けれども、りっぱなキムンカムイだ。
カムイの国からやっていらした、たいせつなお客さまだ」
ぼくは、こわごわ、子熊をのぞいた。
はじめて熊のにおいをかいだ。

その夜は、コタン（むら）のどの家もどの家も、
おなかいっぱいオハウ（にこみ）をたべた。
あぶらみいっぱいの、とろりとおいしい熊肉のオハウだ。
たべきれなかった肉は、ほそく切って火棚でいぶした。
からだが芯からあったまり、あさまでずっとほかほかしていた。

▼14～15
子熊はぐんぐんおおきくなって、じきにおちちをのまなくなった。
毛はふわふわで、目はくりくりだ。
かあさんは、ごちそうをつくって、
家のなかのだれよりさきに、いちばんおいしいところをあげる。
子熊はうれしそうに、はぐはぐいいながらたべる。
みているぼくまで、うれしくなる。

おなかがいっぱいになると、子熊はあそびたがる。
ぼくのあとばかりついてきて、まるで小さな妹のようだ。
いろりでちろちろ火がもえていると、
ふしぎそうなかおをして、つっとその手を出そうとする。
「あぶないよ」ととめるのは、にいさんのぼくのやくめだ。

ねむるときも、いつもいっしょだ。うでのなかで、ねいきをたてる。
ときどき、ちゅくちゅく音をたて、夢でおちちをすっている。
やっぱり、かあさんがこいしいんだろうか。

▼16～17
雪がとけ、草がみどりにもえるころ、
子熊はよほどおおきくなって、
そとであそぶようになった。

ぼくらは野原でかけっこをした。
ぼくがはしると、
子熊もどこまでもどこまでも、
ころがるようについてきた。

きのぼりだって、ずいぶんうまい。
けれども、おりるのはとってもへたで、
いつもあまえた声をだすから、
ぼくがおぶっておりてやった。
いちどはセタ（いぬ）においかけられて、
あわてて、こずえまでかけのぼったから、
さあ、たいへん。

子熊はこわくてわあわあなくし、
とてもたすけにいけないし、
とうとう、とうさんをよんできて、
おろしてもらったこともある。

▼18～19
それから、ぼくらはすもうもとった。
子熊はちいさくて、かんたんにころげる。
一度ころがし、二度ころがし、
三度めにころがすと、
子熊はいつもほんきになって、
牙をむいてかかってきた。
それでもあんまりちいさいから、
ころん、とかんたんにころばせるけど、
かわいそうだから、まけてやる。
すると子熊は、さもじまんそうに、
ふん、とはなをならすのだ。

▼20～21
夏に草木がのびるように、子熊もぐんぐんおおきくなった。
すもうをしても、もう、はんぶんはぼくのまけだ。
それでも子熊は爪もたてない。かんでも、必ずあまがみだ。

ある日、むちゅうで魚とりをしていたら、
いつのまにか、子熊がいなくなっていた。
青くなって、大声でよびながら川原をはしった。
ひとりで森へかえってしまったのだろうか。
太陽はもりあがった雲のむこう、
雲のふちが金色にかがやいていた。
そこからあふれた光が、
空いっぱいにひろがっている。
川は金の小舟をうかべたように、
まぶしくきらきらひかっていた。
息をきらせ、目をほそめてよくみると、
むこう岸の石ころだらけの川原に、
ぽつんと、ずぶぬれの子熊がいた。
すわりこんで、
ぼんやり空をみあげている。
ばしゃばしゃ水のなかをはしっていくと、
子熊はやっと気づいてふりむき、
ひと声おおきくないた。
なんだかせつない声だった。
ぼくにむかってまっしぐらにはしってきて、
ざぶんと水にとびこんだ。
けれど、流れがあんまりきゅうで、子熊は流されそうになる。
やっとの思いで子熊をだいて、ようやく岸にもどったときには、
空はもう、こわいほどまっ赤にもえていた。
子熊はふるえながらぼくにしがみつき、空をみあげた。

空にむくむくのびる雲は、まるでおおきな熊のかたち。
夕焼けで、血のように赤くそまっていた。

▼22～23
「だから、つなをつけろといっただろう」
しかられるかとおもったけれど、
ひとこと、そういわれただけだった。
とうさんは、子熊のあたまをぐりぐりなでて、
「そうか、そうか。もうひとりで川をわたれるのか」
と、目をほそめた。
「どうだ。すもうはまだ、子熊がまけてばかりか」
「はんぶんは、ぼくのまけだよ」
そういうと、とうさんはおおきくうなずいた。
「そうか。子熊もずいぶんおおきくなった。力もよほど強くなった。
そろそろ、家をつくってさしあげなければいけないな」

とうさんがつくったのは、丸太で組んだおりだった。
子熊は、昼も夜も、そこでくらすことになった。
夜になると、チセ（いえ）にいれてくれと、かなしげな声でないた。
その声がせつなくて、ぼくは耳をふさいだ。

▼24～25
秋になった。
森は赤や黄にそまり、どんぐりやくるみで、ぎっしりとうなるほど。
やまぶどうやこくわのあまい香りが、もうどこにでもただよっていた。
川は、さけでいっぱいになって、うるうる銀色にもりあがる。
人も熊もきつねもとりも、みんな、かがやく光のなかだ。
ああ、ここに子熊がいればと、ぼくはなんべんおもっただろう。
子熊のために、ぼくは、いちばんあまいこくわをつみ、
高くはねるさけをとった。

子熊はますます大きくなり、
毛は金色にかがやいて、
爪も牙もよほどりっぱになった。
それでも、しぐさはまるでこどもで、
ぼくがそばにいくだけで、さもうれしそうにのどをならす。
丸太のあいだから手をいれると、ぐいぐいはなをおしつけてきて、
いつまでも、森と川のにおいをかいでいる。

▼26～27
風に雪のにおいがするとおもったら、白いものがふってきて、
それから三日ふりつづき、あたりはすっかりまっ白になった。
冬のはじまりだった。

ある日、けだものがほえるような声がして、
おどろいてみにいくと、
子熊がおりのなかであばれていた。
ふりしきる雪に、しきりにほえかかっている。
「どうしたの。なにがあったの？」
いくらなだめても、子熊はいっこうおさまらない。
そばへよるのもこわいくらいだ。
すると、とうさんがやってきていった。
「心配するな。
そろそろ、カムイの国にかえりたくなったんだ」
「カムイの国って？」
「この子のかあさんがいるところさ」

ああ、かあさんにあいたいんだ。
だから、こんなにほえるんだ。
「おぼえているかい。この子が来た日のことを」
どっしりとした肉のかたまり、りっぱな毛皮。
そしてとうさんは、ふところから子熊をだした。
やっと目があいたばかりの、ちいさな子熊を。
「この子のかあさんはね、
たくさんの肉をせおい、毛皮の服をきて、
カムイの国から、わたしたちのところに
あそびにきてくださった。
そして、この子をわたしたちにあずけ、
カムイの国へかえっていかれた。
いまごろはカムイの国で、この子がくるのを、
いまかいまかと、まっておられるだろう」
とうさんは、ぼくの肩にそっと手をおいた。
「だから、この子を送ってさしあげよう。カムイの国へ」

▼28～29
ぼくは知っている。
送るということを。
川でさけをとるときに
やなぎの木でつくった
きれいな棒でたたくんだ。
すると、さけは死ぬ。
送られて、カムイの国へもどる。

子熊を送るのも、おなじことだ。

▼30～31
イオマンテがきまると、
家のなかがきゅうにいそがしくなった。

とうさんたちは、
山へ木を切りにいった。
かえってくると、
みんなでイナウ（ごへい）づくりだ。
木にマキリ（こがたな）をすべらせると、
するすると、はなびらのような
けずりかけができて、
みるみるきれいなイナウになる。
「カムイたちは、
イナウがとてもおすきなんだ。
イナウはカムイへの
大切なおみやげなんだよ」

かあさんたちは、
ひえやあわで、お酒をかもした。
いく日かすると、シントコ（ほかい）から
いいにおいがしてきた。
フチ（おばあさん）たちがやってきて、
うたいながらお酒をこした。

とうさんたちは、
イナウや花矢をつくるのにいそがしく、
かあさんたちは、
ごちそうのしたくで、てんてこまいだった。
みんなみんな、イオマンテのしたくでおおわらわだ。

いつも人があつまって、にぎやかだった。
心がうきうき、うきたつようだ。
けれども、ぼくはくるしかった。その日がくるのが、こわかった。

▼32～33
その日、空はきいんと青くはれ、
雪は、いたいほど白かった。

チセ（いえ）の壁には、花ござがかざられ、
子熊へささげるおだんごや
木の実や宝物でいっぱいだ。
とうさんは、あたらしい冠をかぶり、
刺繍の着物に陣羽織。
なんだか、ずいぶんりっぱにみえる。
やがて、エカシ（ちょうろう）がやってきて、
火のカムイにお酒をささげ、カムイノミ（いのりのぎしき）がはじまった。
火はめらめらともえあがり、
お酒の滴が、炎のなかでじゅっという。
エカシの声がひくくひびき、
祈りのことばが、つぎからつぎにささげられた。
そして、とうとう子熊が、おりからだされるときがきた。

▼34～35
子熊の首につながつけられ、おりの丸太がはずされた。
やっとおりからでられた子熊は、ぼくをみて、うれしそうにかけてきた。
けれども、ぴんとつながはり、ぼくのところへこられない。
子熊はおこってたちあがる。
その子熊のはなさきで、笹の葉のたばを、ばさばさゆらす人がいる。
子熊を遊ばせるんだというけれど、
まるで、わざとおこらせているみたいだ。
子熊はつなでひかれていって、ひろばの杭につながれた。
さんざん笹であそばされ、子熊はいよいよたけりくるう。
体がぶるぶるふるえてる。
「なんておどりのうまい子熊だ」
「もうすぐカムイの国にかえれるので、
あんなによろこんでいらっしゃるよ」
「さあ、カムイにうたとおどりを楽しんでいただきましょう」
まるで旅立つ子熊をはげますように、
みんなぐるぐる輪になって、うたっておどって、手拍子をとる。

▼36～37
やがて、子熊に花矢が射られる。
きれいなもようのついた飾り矢だ。
みんな、さきをあらそって矢をひろう。
ぼくは一歩もうごけない。
心の臓がどきどきして、
ただただ目をみひらいていた。
うたと手拍子がごうごうひびく。
子熊がその手で、射かけられた花矢をはらった。
それが、まっしぐらに足もとにとんできた。
（さあ、とってくれ。おまえのものだ）
どこからか、ふいにそんな声がして、
ぼくははっと気づき、
いそいで花矢をひろいあげた。
子熊をみると、ぼくをまっすぐみつめている。
そのままがくっと足をおり、
子熊はじっとうずくまってしまった。

すると、エカシがしとめ矢を、
鋭くとがった矢をつがえ、きりりと弓をひきしぼる。
ひょう、と矢がいられた。
子熊は短くさけび、はねるように雪にたおれた。
ぐさりと胸にささった矢の、
矢羽根がふるふるふるえている。
「いまこそ、カムイが旅立ちます。
さあ、がんばって、がんばって」
かあさんたちがなきながら、
さけぶようにうたっている。
とうさんたちはかけよって、
子熊の首を丸太にはさみ、馬のりになってしめつける。
ぼくは、花矢をにぎりしめた。
もうすぐだよ。すぐに帰れるからね。
ぼくは、ぜったいに目をとじない。
おまえが旅立つのをみおくるんだ。

▼38～39
わたしは、ちいさな熊のカムイだ。

気がつくと、わたしは
自分の耳と耳のあいだにすわっていた。
美しい花矢が、空のはてへとかけてゆく。
あれは、天へのしらせの矢。
かあさんは、
もうすぐわたしが帰るというしらせを、
うけとっただろうか。

▼40～41
まっ青な空から、ばらばらと
くるみやだんごがふってきた。
人々はみな声をあげ、
たのしげにそれをひろっている。
こんな雪のまっただなかで、
アイヌの国は、
なんとゆたかなところだろう。

おや、つなひきがはじまった。
あちらは男、こちらは女。
がんばれ、がんばれ。
どちらも、がんばれ。
わたしもおもわず、つなをひく。
おやおや、こんどはすもうだぞ。
弓くらべも、はじまった。
わたしは、ゆかいでたまらない。

首になわをつけた男が、
あばれるわたしの
まねをしている。
女やこどもはにげまどい、
大の男もかるがると
雪のなかへと、なげとばされる。
みんなはどっとわらいだす。
わたしも腹のそこからわらう。

やあやあ、うたがはじまった。
たのしいおどりもはじまった。
わたしもうたい、
わたしもおどる。

ああ、アイヌ（にんげん）の国は、
なんとたのしいところだろう。

▼42～43
ぼくは、アイヌ（にんげん）の男の子だ。

子熊の毛皮ははがされて、肉は枝につるされた。
つなひきをしたり、うたったり、みんなはそれはおおさわぎ。
なにもかもが夢のようで、うれしいんだか、かなしいんだか、
ぼくは、あたまがぼうっとなった。

▼44～45
子熊のカムイを、チセ（いえ）にまねいて、
きれいにかざって、ごちそうだ。
だんごにくるみにいなきびごはん、魚や煮物、
お酒もたっぷりふるまわれる。
のんで、うたって、おどって、たべて。
チセは、わらいごえでいっぱいだ。

それから、肉のオハウ（にこみ）がでてきた。
あぶらみばかりの、
とろりとおいしい、あつあつのオハウだ。
おいしい、おいしいとぼくはたべ、
それからふいに思いだした。

これは、あの子熊の肉。
ついさっきまで、子熊だった肉。
ぼくは、子熊をたべている。

ああ、あのときもそうだった。
子熊がここにきた夜に、
おなかいっぱいオハウをたべた。
あれは子熊のかあさんの肉。
ぼくは、子熊のかあさんをたべたんだ。

それだけじゃない、みんなみんな、
魚も、鹿も、きびやくるみも、
ぼくは、いのちをたべている。
みんなのいのちをたべている。
ぼろぼろ、なみだがこぼれてきた。

「なくんじゃない。
子熊のカムイがかなしまれるぞ」
エカシが、ぼくをはげました。
「さあ、たのしく送ってさしあげよう」

▼46～47
わたしは、ちいさな熊のカムイだ。

夜ふけになると、ユカラ（うたものがたり）がはじまった。
ろばたをたたいて拍子をとって、
手に汗にぎる、だいぼうけん、
さあ、どうなるか、どうなるか、
さあ、いまこそとおもったとたん、
エカシはぷつりと、やめてしまった。
「このつづきは、またこんど。
ふたたびコタン（むら）に、いらしたおりに
ゆっくりおきかせいたしましょう」
ああ、きっともどってこよう。
かならずここに、もどってこよう。
わたしは、かたく心にきめた。

いよいよ別れのときがきた。
たかだかとイナウがかざられ、
わたしは、闇へとあゆみだす。

▼48～49
星々が、おそろしいほどきらめいていた。
美しい花矢が、山のいただきめがけてかけてゆく。
ながれ星のように光の粉をまきながら、深い闇を切りさいてゆく。
空にひしめく魔物はしりぞき、銀色の道があらわれる。
カムイの国へとつづく道だ。

アイヌ（にんげん）のくれた酒のひと滴は、カムイ（かみ）の国では六樽の酒だ。
山のようなみやげをせおい、わたしは銀の道をゆく。
カムイの国がちかづくと、そこらはとてもまぶしくひかり、
そのむこうから、かあさんのやさしい声がした。

▼50～51
ぼくは、アイヌ（にんげん）の男の子だ。

夜が明けると、野にも、
たかくかかげられた子熊の頭にも、
うっすらと雪がふりつもっていた。
「ゆうべ、あんなに晴れてたのにね」
そういうと、エカシはとおい山をみつめ、
大きくひとつ息をした。
「キムンカムイが、ご自分の足跡を消すために
雪をおふらしになったんだ。
ふしぎなもんだ。
それがどんなに晴れた夜だろうと、
キムンカムイをお送りしたあとは、
かならず夜明けに雪がふる。
さらさらと流れるようなこな雪が」
しんとつめたい風のなかに、光の粉が舞っていた。

「熊の子を洗う雨」がふったのは、
それからまもなくのことだった。

▼52～53
いちめんの白が緑にかわり、はげしい夏の光がみちて、
実りの秋には赤や黄になり、またいちめんの白になる。
いくつもの季節がとぶようにすぎていった。

こどもはすっかりいい若者になり、狩りの腕はコタン（むら）でいちばん。
ユカラもコタンのだれよりうまく、みんながそれをききたがる。

▼54～55
ある年のこと、太陽は雲のむこうで白くかすんでいるばかり、
秋になっても、木の実は実らず、畑のひえも実がはいらない。
鹿は森から消えてしまい、さけもすこしものぼってこない。
赤毛のあばれ熊が山からおりてきて、夜な夜なコタンをおそった。
あのウェンカムイ（わるいかみ）をやっつけてくれと、若者はみんなにたのまれた。

その夜、若者は夢をみた。
こどものころにいっしょにくらした、あの子熊の夢だ。
子熊はひとり、夕ぐれの川原で、ぼんやり空をながめていた。
雲のふちを金色に輝かせた光が、空いっぱいにひろがっていた。
子熊は、こちらをふりむくと、泣くようなわらうような顔をしたのだ。
めざめると、若者はおもった。
ああ、あの子熊がウェンカムイになったのだ。
子熊よ、あんなにやさしくしたのに、なぜそんなものになったのだ。
若者は、首からかけたひもをちぎってなげた。
ひものさきには、あの日の花矢がついていた。

▼56～57
若者が川原にいくと、そこには小山のようにおおきな熊がいた。
とおいあの日のように、すわりこんで、ぼんやり空をながめていた。
若者がそっとちかづくと、熊は気づいてこちらをふりむき、
にわかに両腕をおおきくひろげ、ぐわっとたちあがった。
太陽を背にして、顔もなにもかもまっくろだ。
毛皮のふちだけが、きらきらと金色に輝いている。
若者はあわてず矢をつがえ、熊にむかってひょうとはなった。
熊は両手でその矢をおしいただくようにして、
それから、ばったり前にたおれた。

▼58～59
近づいて顔をつかみあげると、
血のりでまっ赤にそまっていた。
手も足も胸も血まみれだ。
たった一本の矢で
こんなに血まみれなはずはないと、
若者がふしぎにおもってみれば、
川原に点々と、血のあとがある。
おどろいて、そのあとを追うと、
川のなかで赤毛の熊が死んでいた。

熊は、若者をたすけるために、
カムイの国からやってきたのだ。
いのちがけでウェンカムイ（わるいかみ）をたおし、
ここで若者をまっていたのだ。
カムイの国からかついできた、
肉と毛皮を手わたすために。

「わるかった、わたしがわるかった。
おまえが、ウェンカムイに
なるはずがないのに」
若者は、声をころしてないた。
そして、小枝で石をたたき、
低い声でユカラをうたいはじめた。
あの日、途中で終わったユカラのつづきを。

▼60～61
若者は、キムイカムイの肉と毛皮を持ちかえり、
酒とイナウをささげて、ていねいに送った。

その夜のことだ。夢にキムンカムイがあらわれた。
「若者よ。どうか、あの赤毛の熊も送ってやってくれ。
このごろ、山にはたべものがなく、
強い熊なら生きていけるが、弱い者はどうしようもない。
あれは、愚かな峰じりの熊。しかたなしに山をおりたのだ。
強いからではない。弱いからウェンカムイになったのだ。
どうか、ゆるしてやってくれ。
ただ一本のイナウでいい。まつってやってほしい。
そうすれば、あれもカムイのすそに名をつらねられる。
心をいれかえ、おまえの守り神になるだろう。
わたしも、おまえが死ぬまで、おまえを守りつづけよう」

若者は、美しいイナウをつくり、赤毛の熊をまつった。

すると、森には鹿がもどってきて、川にはさけがのぼってきた。
それからというもの、コタン（むら）は二度と飢えることがなかった。

やがて若者は、心の美しい女を妻にし、こどもにもめぐまれた。
山にいけば、いつも必要なだけのえものがとれ、
これといってほしいものもなく、たべたいものもないというほど、
なにもかもがみちたり、しあわせにくらしたということだ。

▼62～63
その若者が、わたしなのだ。
だから、こどもたちよ、よくおぼえておくんだ。
ひと粒のあわもひえも、ひと切れの魚も肉も、みんないのち。
わたしたちは、いのちをたべている。
いのちと魂との、おおきなめぐりのなかにいる。
すべては、めぐるいのちのめぐみ。
すべては、めぐるいのちのめぐみ。

と、ひとりの老人がいいながら、静かに息をひきとりました。

▼64
文中のカタカナ表記はアイヌ語、そのルビは日本語訳です。
【用語解説】
カムイ　神。人間以外のすべてのものに対して精神的な働きを見、それを擬人化したもの。
キムンカムイ　直訳すると「山の神さま」。熊を指す。
オハウ　肉や魚、野菜などをいれて煮込んだお汁。
イナウ　木を削り、その削りかけをつけてつくった御幣。カムイノミの大切な道具のひとつで、人間の言葉や思いを神に伝える仲立ちをする。
シントコ　行器。食物を運んだり貯蔵するのに使う脚つきの器。漆塗りのものが本州の和人からもたらされた。

※旧原稿（２００３年１０月ヴァージョン）は以下にあります。

http://ryomichico.net/wako/pttp3/iomante.html

■野沢尚氏・鷺沢萠氏の自殺に思う

Wed, 30 Jun 2004 18:18:56

▼野沢尚氏の自殺
２００４年６月２８日、作家の訃報が飛び込んできてショックを受けた。

【野沢尚氏自殺：事務所で首つり　脚本家・作家として活躍】
　野沢さんは名古屋市生まれで、日大芸術学部卒。８５年にテレビドラマ「殺して、あなた」などで脚本家としてデビューした。その後、映画「その男、凶暴につき」「マリリンに逢いたい」「不夜城」、テレビドラマ「恋人よ」「青い鳥」「眠れる森」など多くのヒット作の脚本を手掛けた。０１年のドラマ「反乱のボヤージュ」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。小説ではテレビ報道の舞台裏をえぐった「破線のマリス」で９７年に江戸川乱歩賞を受賞し、ミステリー作家としてもデビュー。長編サスペンス「深紅」で吉川英治文学新人賞を受賞した。他の小説作品に「リミット」「恋愛時代」（島清恋愛文学賞）などがある。
　昨年１２月にＮＨＫが放送したテレビ放送開始５０年記念ドラマ「川、いつか海へ」（全６話）の脚本を倉本聰さん、三谷幸喜さんとともに執筆。今年４月にテレビ朝日で放送された、テレビ報道の内幕を描いたドラマ「砦なき者」（原作、脚本も）を手がけ、ＮＨＫが「大河ドラマスペシャル版」として制作中の「坂の上の雲」の脚本を執筆していた。
　◇演出家の鶴橋康夫さん「野沢は一つの文化」
　野沢は一つの文化だ。最近ではドラマ「砦なき者」を一緒にやって、朝まで一緒に飲んだ。次は７月７日の七夕に会う約束をしていた。彼は何を言いたくて、こんな行動を取ったのか。彼とは２０年の付き合いで、さきおととい（２５日）も電話で次の仕事をどうするか話し合っていた。肉親のようでもあり、あんなに愛すべきやつはいない。死んだという現実が受け止めきれない。
毎日新聞　2004年6月28日　20時26分

野沢尚氏は、１９６０年、名古屋市生まれ。旺盛な作家活動を続け、いくつもの賞を受賞、家族は夫人と中学生の男児、小学生の女児がいるという。

野沢尚氏の脚本によるテレビドラマ「青い鳥」「眠れる森」は、わたしも見ていた。気になる脚本家だった。仕事も成功、これからさらに脂がのる、という時期になぜ？　兆候らしき兆候もなかたっと、周囲の人はいう。

▼鷺沢萠氏の自殺
二ヶ月半前、作家の鷺沢萠氏が自殺した。首吊りだった。この自殺にも、わたしは大きなショックを受けてしまった。昨年、彼女の朗読を間近で聞いたばかり、その元気な姿を見たばかりだったので、なぜ？という思いが心を堂々めぐりしてやまなかった。

彼女もまた、仕事は順調。周囲の人はその気配すら気づかなかったという。作家自らのホームページには、死の２日前まで、いつもと何ら変わらぬ明るい雰囲気の日記が掲載されていた。
【鷺沢萠公式サイト Office Meimei】

鷺沢萠のファンサイトの掲示板には、突然の訃報にとまどう読者たちの声が、多数寄せられた。不意打ちのように訪れた訃報、それが自殺だったということ。読者たちは混乱し、動揺していた。語り合うことで何とかしたいという必死の思いが、ひしひしと伝わる掲示板だった。
【鷺沢萠ファンサイト　サギサワドウ】

鷺沢萠氏と近しかったカメラマンも、不意打ちのような死に、やるせない思いを吐露している。
【鷺沢萠ｂｙ横木安良夫】

▼逃げだすなら「死」以外の行く先を！
「なぜ？」「どうして？」という声が近しい人々からもあがっている。二人とも、仕事は順調、周囲に兆候も見せない。

その心のなかに何が起ったのか？　「真面目すぎてプレッシャーに負けた」「几帳面すぎる完全主義者だったので、わずかの躓きで心が破綻した」「内面に問題を抱えていたのに、それを表現しない（できない）性質で、行き詰まって発作的に自殺してしまった」などなど、多くの憶測が乱れ飛んでいる。結局のところ、本人しかわからない。いや、本人すらわからないかもしれない。

もしかしたら、ほんのひと言、声をかけてあげる人がいたら、回避できた自殺かもしれない、と思う。それだけに、その「魔の一瞬」を回避できなかったことが痛ましくてならない。その一瞬に捕らえられ、自ら命を断ってしまえば、その命は二度と戻らない。新しい作品も生まれないし、おいしいものも食べられない。人生、苦しみもあるが、生きながらえてこそ楽しみもやってくる。

逃げるなら、倉本聡のように、北海道へでもトンズラすればよかった。仕掛かりの仕事など投げだして、不義理をして、逃げだせばよかったのに。それぐらいの図太さがあれば。

そうやって逃げだしても、人生挽回の余地はいくらでもある。ＮＨＫの大河ドラマの脚本を投げだして逃げたという倉本聰も、２００３年１２月に放送されたテレビ放送開始５０周年記念のスペシャルドラマ「川、いつか海へ」の執筆陣の一人に選ばれている。

このドラマを書いたのは倉本聰、三谷幸喜、そして野沢尚。「日本を代表する三人の脚本家」によるリレードラマ、という触れ込みだった。野沢尚の作品は、二作あり、わたしはそのうち「第５話」しか見ていないが、いい作品だった。はっきりいって、倉本聰よりずっとよかった。野沢尚氏の早逝が惜しまれる。

▼「魔の瞬間」を回避するには？
文士は、自殺してはいけない。一人一人の読者が、自分の人生を、青春を重ねながら作品を読んでいる。そのことを重く受けとめて「生」を引き受けなければならない。

でも、そんな精神論を語っても仕方ない。おそらく、自殺した二人は、そんなことはよくわかっていたはずだ。

これは「心の問題」であると同時に、どこか、もっと機械的な、脳内のケミカルな問題でもあるような気がする。ウツにより、ふっと襲いかかる死の衝動。それを回避するには、どうしたらいいのか？　後ろから声をかければ、それだけで止められたかもしれないその死。「個」を大切にする都会の構造が、そのまま「個」を孤独に追いやる。

それはきっと、作家という特殊な職業の者ばかりでなく、都市に住むあらゆる人に襲いかかる可能性のある「魔の瞬間」ではないだろうか。人生論的な見地からだけではなく、心のメカニズムの問題として、心の医療の観点からも充分な考察がなされなければならないように思う。

そして、そんな「魔の瞬間」が襲ってきたとしても、世界がもっと呼吸のしやすい場所で、もっと生きる力に満ちていたら、その瞬間を回避することもできたのではないかと思う。底の方から、人に生きる力を与えることができたのではないかと。

鷺沢萠氏は、９１１のテロ事件当時に、自らのホームページで、積極的に発言をしていたという。その後、世界情勢は悪化の一途だ。そんなことも「魔の瞬間」を回避できなかったことの遠因のひとつになったのかもしれない。

そんなさまざまなことを思いながらも、やはり思う。文士は自殺してはいけない、と。それは、人々からどれだけ生きる力を削ぐことになるか。読者はけなげに、こんな言葉を記して、作家の自殺という出来事に立ち向かおうとしている。

私はあなたが亡くなったことになんか意味は見出さないよ。
あなたがいたことには代えようのない大きな意味があったのだけど。

野沢尚氏と鷺沢萠氏のご冥福をお祈りするが、一体どういうつもりだ！ともいいたい。

あの健康に満ちた鷺沢萠氏が、あの穏健な微笑みをたたえた野沢尚氏が、ほんの一瞬で「生きていない」状態になってしまうなんて、なんて惜しいことだろう。仕事なんかしなくてもいいから、もっともっと生きていてほしかった。心の底から、そう思う。たとえ新しい作品が発表されなくても、生きているというだけで、人々は励まされ続けるのに。

■セント・ギガ　番組＆自然音素材テープ　入札速報

Wed, 23 Jun 2004 22:41:13

▼番組テープは入札中止
旧セント・ギガの以下のテープが、本日、（株）ワイヤービーの破産管財人によって、入札にかけられた。

入札日時：平成１６年６月２３日　午後１時～午後４時３０分
場所：破産管財人事務所
　　　弁護士法人法律事務所リエゾン
　　　（株）ワイヤービー破産管財人　弁護士　中村芳彦
　　　電話　03-3264-9882
入札資格：なし
入札物件：
~~（１）番組　　　　　　１５８８本~~
（２）自然音素材　　　　２４１本

番組テープは、ヴォイスだけではなく、様々な著作権が絡まっているので、競売にかけるのは不適当という破産管財人の判断によって、本日の競売対象から、急遽、はずされることになった。結局、競売にかけられたのは（２）の自然音素材だけとなった。

さまざまな思いの詰まったテープの行方が気がかりでならない。わたしは「音の潮流」の制作者の一人である山脇氏とともに、入札会場に様子を見に行った。会場には、WINJの役員の池田拓人氏や、破産管財人の中村芳彦弁護士も在席。彼らに質問をぶつけてみた。以下は、そこで得た情報を元に書いたものである。

▼番組テープ流転の経緯
旧セント・ギガによって制作された番組テープ「音の潮流」は、昨年１０月、（株）ワイヤービーから放送局を引き継いだWINJ（ワールド・インディペンデント・ネットワークス・ジャパン株式会社）が、所有権もはっきりさせないまま、どさくさのうちに引き継いだという。

このため、テープの所有権が誰なのかはいまひとつはっきりせず、破産管財人の中村弁護士いわく「いわばグレーゾーン」。破産管財人としては、（株）ワイヤービーの資産とみなせるものは競売にかけなければならず、今回、WINJとの話し合いにより、これを（株）ワイヤービーの資産とみなし、競売にかけることとなったそうだ。

しかし、WINJはこの番組テープを使って、現在も放送中。一日の半分以上が、このリピートテープを使っての放送だ。それを競売にかけてしまうということは、もしも赤の他人が競り落としたら、WINJには、かけるテープがなくなってしまうということを意味している。

現在、放送に使用中のテープを競売にかける、というのは、かなり不思議な状況だ。

実は、WINJは、昨年６月に（株）ワイヤービーから放送局を引き継ぐときに「まったく新しい編成にする」と宣言。世界各地の都市をテーマにした新しい音楽番組と、有名アーティストの選曲による「アーティスト・セレクション」を制作すると発表したが、実際にはわずか数本の「アーティスト・セレクション」が制作されたのみだった。放送の大半を、現在も「音の潮流」に頼っているのが現状だ。

「音の潮流」以外、豊富な番組コンテンツを持っていないWINJにとっては、「音の潮流」の落札は死活問題ではないかと、推測される（寮美千子の個人的憶測）。

▼「音の潮流」の著作権問題
セント・ギガが「音の潮流」を制作していたのは、１９９１年から１９９７年にかけて。いちばん新しいものでも、すでに７年前、古いものにいたっては、１３年前に制作されたものだ。そんな古い番組が、一日の大半オンエアされているなんて、現代の七不思議に数えてもいい。

それが可能なのは、当時、それだけのクオリティのある番組を作ったから。このめまぐるしい世の中で、１０年たっても古びない番組を制作したということも、ほとんど奇跡に近い。いま思っても、夢のような放送局だったのだと思う。

その「文化遺産」である「音の潮流」が、放送され続けていることそれ自体は、実はわたしにとってもうれしいことだ。いまでも、わたしの作品を放送を介して聞くことができるし、多くの人に聞いてもらうこともできる。

その反面、ヴォイス（詩）の著作権がまったく無視された状態で放送され続けていることは、やはり遺憾に感じないではいられない。著作物使用料を支払ってほしい、ということ以前に、まず、著作権の存在を認めてほしい。

▼入札日前日に「入札条件」がようやくファクスされる
入札者が「テープを購入すれば、そのままＣＤや放送に使える」と誤解しては困るので、入札予定者にその旨、通達してほしいということは、以前より破産管財人に申し立てていた。しかし、一昨日きた入札案内のファクスには、その件は一言も触れられていなかった。

昨日、破産管財人の弁護士事務所に問い合せると「入札申込書に入札条件、という項目を作って、そこで述べる」とのこと。

しかし、入札の瞬間まで、入札者がそれを知らされないというのはおかしい。著作権問題があるとわかって入札するのと、知らずに「買えば使える」と思って入札するのでは、価格設定もちがってくるはずだ。いや、それ以前に「それなら買わない」という人もでてくるかもしれない。

けれど、その判断を入札に来たその場でせよ、というのは、あまりに不親切だ。考える時間が必要だし、場合によっては代理人が来ているかもしれない。会場の代理人には、判断できないことかもしれない。

そのことを、管財人に理解してもらうため、多大な労力を払わなければならなかった。管財人に「入札前日の２２日中に、入札予定者全員に、この入札条件を知らせてほしい」と申しいれ、日本文藝家協会にも連絡。さらに、ヴォイスの著作者にも、わかるかぎり連絡を取って、入札があることを知らせた。ヴォイス著作者のなかには、「音の潮流」の放送がいまも継続していることすら知らない者もいた。

結局、管財人の理解を得ることができ、入札条件は、昨日２２日中に、事前にファクスで入札予定者に知らされた。

▼番組テープ入札中止の理由
しかし、きょう、蓋を開けてみると「著作権者」は、ヴォイスの作者に限らないのではないか、という意見が出てきた。サウンド・デザイナーと呼ばれた人々も、自分の「作品」として提供していたという。元制作者である山脇氏の見解だ。「番組を作ってカンパケにして、売って終わり」というのではなかったというのだ。

反対意見も出た。そうではなくて、まるごと売ったつもりだったという見解もあるという。中村弁護士の発言だったが、では、だれがそのような見解を述べているのかは、具体的には明かしてくれなかった。

議論中、別のヴォイス作者からの電話が管財人の事務所に入った。「入札と聞いたが、わたしも著作者のひとりである。誰の手に渡ったかを知らせて欲しい」という電話だったという。

入札会場からは「テープを買う」ということが何を意味するか、という質問があった。「テープを買う＝放送やＣＤの音源としての利用権もいっしょに買う、ということなのか否か」という質問だ。

破産管財人の見解は「テープに著作権を主張している者がいるので、その著作権使用に関しては、テープ購入者と著作権所有者とが直接交渉をすることが条件である」であった。

質問者は「では、これは単なる中古テープじゃないですか。値段なんかつきませんよ」と。ちょっと憤慨の口調でいっていた。

そんなこともあり、結局、破産管財人は「番組テープの権利関係がはっきりしない。ここにいる寮美千子のほかにも、権利を主張する人もいて、今後、それが問題を広げることにもなりかねないので、番組テープの競売はしない」という判断をくだした。

▼番組テープの今後の行方
では、売られなかった番組テープはどうなるのか？　現在WINJが、放送用に使用していることは前述した。つまり、所有権はないが、事実上占有している、という状態だ。管財人の話によると、今後、WINJに、適正価格で買い取ってもらい、正式に所有権を移転してもらうよう話をするということだった。

WINJは、番組テープが赤の他人に落札されるという危機を免れたわけだ。

しかし、わかるようでかわらないのだが、これはつまり、単に競争者が一人もいなくなったということではないか。WINJの言い値で売却可能になったということだろうか？

管財人に「では、適正価格とは？」と質問したが、「１円とか５００円というのは困る」という意見しか聞けなかった。WINJは、一体いくらで１５８８本分の番組コンテンツを買うことになるのだろう？

実際に、有料放送局の番組として放送されている、ということを考慮にいれて、放送業界の適正価格できちんと売買してほしいと思う。

▼今後の著作権問題
しかしながら、このような形で売却されたからといって、その著作権問題がなくなるわけではない。今後はWINJと著作者が、直接交渉をしなければならない、という結論となった。

この件については、入札会場にいたWINJの役員である池田拓人氏に、直接お話を伺うことができた。「WINJとしても、放送移管当初から、この問題があることは認識してた。今回の競売が終わって、所有権問題がはっきりしたところで、この問題について対処したいと思う」とのご返答をいただいた。

▼自然音源テープのみ入札
以上のような事情で、結局、自然音源テープだけが、入札されることになった。しかし、現物見本として入札会場にあったテープを聞いてみると、単なる自然音ではない。編集され、音楽とミックスされたものもある。一本一本のテープに、編集責任者の名前が明記されているから、使用するにあたっては、この編集者の許諾が必要だが、現時点では、その連絡先の名簿はない。これもまた、権利関係のはっきりしないテープではある事に変わりない。

入札結果は、来週にならないと公表できないとのことだ。

▼WINJの行方？
それにしても、セント・ギガ倒産後のことは、合点がいかない。現在、この放送局を運営しているWINJにしても、昨年１０月にこの放送局を引き継いだのに、いまだに新規会員の募集がない。この局は「有料放送ラジオ」であり、会員になってデコーダーを入手しないかぎり、聞くことができない。コマーシャルも入っていないので、会員の会費しか収入はないはずなのに、なぜ、会員募集をしないのか。

現存の会員は、すべて（株）ワイヤービーの時代に契約（再契約）した者ばかりだ。一年契約なので、その有効期限もあと３ヶ月で切れる。となると、会員がゼロの有料ラジオということになってしまう。そんなものが成立するわけがない。WINJの目的は、一体、何なのだろうか？

WINJは、会員がゼロになるのを待っているということだろうか？　なんのために？　有料放送ではなく、一般放送に切り替えるつもりなのか？　それとも、会員をゼロにして、どこかへ転売するつもりなのか？　新しい番組制作もゼロというわけではないが、遅々として進んでいない。WINJは、一体どこへいくつもりなのだろう？

▼セント・ギガという遺伝子
大きな夢と理想を抱いて出発したセント・ギガ。それはすでに「終わって」しまっていて、ここにあるのはその残滓でしかないのかもしれない。そうであっても、それがどこへ行くのかを見届けたい。

まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空に散らばら

宮沢賢治はそういったが、セント・ギガという遺伝子は、関わったすべての人の中に生きて、無方の空に散らばっていったのかもしれない。

けれど、それを束ねる焦点＝扇の要、を失ったとき、それぞれのなんと非力なことだろう。亡くなった横井宏氏と桶谷裕治氏、二人の強さ、すばらしさを改めて感じる。この世界が、あの二人を失ったことは、ほんとうに大きな打撃で哀しみだと痛感する。

■一流選手の素質を遺伝子レベルで解析？！　人間の自己家畜化の危険性

Sat, 19 Jun 2004 03:49:59

金メダリストの卵を発掘するため、一流選手の素質を遺伝子レベルで明らかにしようという試みに着手、という、あまりにもクレージーなプロジェクトが進んでいる。気絶しそうにすごいので、記事を転載する。「インテリジェンスの業界レポート」より。

【スポーツ能力との関連性が考えられる遺伝子多型は100種類以上】
国立スポーツ科学センター（東京・北区）は金メダリストの卵を発掘するため、文部科学省や日本オリンピック委員会（JOC）にも協力を求めて、一流選手の素質を遺伝子レベルで明らかにしようという試みに着手している。この計画の柱は、（1）運動能力とかかわりの深い遺伝子配列（遺伝子多型という）の発見、および（2）日本人金メダリストの遺伝子データベースの構築――の2つだ。

スポーツ選手の能力と関係ありそうな遺伝子多型は、血圧の調節に関係する酵素（ACE）の遺伝子など、世界で100種類以上見つかっている。各国で研究が進められているが、「確実に能力の高低に直結する」との結果が出た遺伝子はまだない。国立スポーツ科学センターは各国の研究を詳しく調べるとともに、日本人のトップ・アスリートに特有の遺伝子多型を絞り込む。特に重視しているのが、マラソン選手らの持久力を左右する配列だ。これを突き止められたら、高地環境を再現できる低酸素ルームなどを使って検証する。

また、遺伝子データベースの構築には、日本人の金メダリストを数多く輩出した1964年の東京オリンピックの金メダリストらを中心に、OB・OGや現役選手の有志に協力を要請する。「金の卵」発掘に遺伝子分析を導入することには倫理面などの批判もあるが、同センターが競技団体などに対してアンケートを実施したところ、「導入すべきだ」との意見が、全体の7割を超えたという。

【年収30億円の超一流選手に育てたいという親心も】
卓球の天才少女、福原愛選手は家庭の全面的な協力体制が知られるなど、英才教育によるスポーツ選手育成はよくある話だが、一流選手の遺伝子データベースができるとなれば、遺伝子操作による「超一流選手」を出生前の段階で作製することも可能になるかもしれない。実際、東京農業大学の河野友宏教授が、先ごろ英科学誌「ネイチャー」に発表した研究では、メスの遺伝子を操作することによってオスを必要としないマウス「かぐや」が生まれて話題を呼んだが、この研究の目的は家畜の品種改良だった。

河野教授のグループは「ヒトへの応用は考えていないし、許されない」としている。だが、一流スポーツ選手の収入がうなぎのぼりに上昇し、サッカーのベッカム選手の昨年の年収はCM出演料などを含めて2240万ユーロ（約30億円）といわれるなか、スポーツ選手としての成功をわが子に託そうという親心から、遺伝子操作を望む向きも出てきたとしても不思議ではない。金メダル獲得に向けての競争は、ますます早期化かつ激化しそうだ。

つまり、これは人間の自己家畜化だ。

犬などの品種改良が、驚くべき速さで進行することはよく知られている。だからこそ、掌に乗るような小さな犬から、人間の体重を上回る巨大な犬まで、さまざまな犬が生まれたのだ。

このように、意図的に遺伝子を選んでいけば、驚くべき速さで「特化した人間」が生まれてくる。人は犬よりは、世代交代に時間がかかるので、その進度も少しはゆるやかになるが、結果としては同じ事だ。

一見「優生思想」にも思えるが、それ以上に「専用の家畜作り」に似ている。品種改良により、お乳のよく出るホルスタインや、足の速いサラブレッドをつくるのと何ら変わらない思想だ。

わたしたちは、ほんとうにそのようなことを望んでいるのか？

このような馬鹿げた事が、平然と行われているのもどうかしているし、それを厳しく糾弾しない報道もどうかしている。

多様性の大切さが唱えられ、障碍者の人権がクローズアップされる一方で、このような優生思想や自己家畜化思想が力を得ている。自由の声の向こう側で、軍国化が進む事にも似ている。世間の「常識」というものの基準線が、どんどんあきれた方向へ変わっているように思う。

こんな記事を見過ごしてはいけない。文部科学省や日本オリンピック委員会には、このような馬鹿げた要請は断固として拒否してほしいと思う。

■佐世保小６同級生殺害事件／完璧な表現と内実の空疎

Sat, 12 Jun 2004 01:59:10

▼加害者少女の詩の言葉
２００４年６月１日、長崎県佐世保で、小学校６年生の女の子による同級生殺人事件があった。そのことが気になって仕方ない。加害者少女は、自分のＨＰに詩や日記を発表していたという。そのいくつかを読む機会があった。なかには、金子みすゞの詩の一節「みんなちがって、みんないい」そのままの表現もある。一部抜粋してみる。

【2004/02/02　詩＠嘆きの賛美歌　より抜粋】
聞いて欲しい、人間の生活が豊かになるのはいいが
私たち、生き物･自然に迷惑をかけないで、
この地球に住んでいるのは、人間だけではないのだから。

虫も
魚も
動物も
木､花も
たった一つだけのかけがえのない、
「命」をもっているのだから･････

【2004/02/04　詩＠夕暮れの影　より抜粋】　
すべてはこの時代のごく平凡で日常的だが、
とても楽しい
だけれど、今、この時、この時間、貧しくて、苦しんでいる人間がいる。
この時間で色々な状況の人はいるだろう。
戦争をしている人々、殺され息を引き取った人々、もがき苦しんでいる人々、
これがいつもの時間、日常かもしれない。
皆がこのつながっている「地球」にいる。
忘れないで欲しい。
今この時間「苦しみ」の呪縛を解き放てない人々を

【2004/02/05　詩＠不揃いな棒　より抜粋】
人も黒人もいたら白人も居る。
背が高い人もいたら低い人も居る。
太っている人もいたら痩せている人も居る。
差別はいらない。
すべて不揃いなのは
必然的なことで。
みんな違って、みんな良い。
それが個性なのだから。

小学校６年生にして、驚くべき言葉、驚くべき感性、と一瞬思う。けれど、どこか違和感を感じてしまう。ほんとうに心からそう感じて書いているのだろうか、と疑問を感じないではいられない。

「地球環境問題」「平和」「差別撤廃」「個性尊重」。少女のいっていることは、いま、世間で声高にいわれていることだ。もしかしたら少女には、いま、人々が何に興味を抱いているのかを敏感に感じ取る能力、そして、それを上手になぞって言葉にする表現能力があったのではないか。大人たちが叫んでいる言葉を、上手に拾ってきてアレンジする能力があったのではないか。内実が伴わなくても、心からの共感がなくとも、そのように外側だけをきれいになぞれる力が。そんな気がしてならない。

それは、作者が事件の加害者だと、わたしが予め知っている故の偏見だろうか。

▼内実が空疎な共感能力
もうひとつ、気になる詩があった。「親が死んでしまった少女」の気持ちを描いた詩だ。

【2004/02/18　詩＠許せない　より抜粋】
皆は親なんていなかったら良かった･････
なんて言うけど、不思議だ。
私なんて親が死んでもう、親なんて･････いないのに。

親を亡くした私の気持ちわかる？
親がいなくなったらこんなに･･････。
さみしい

親のいる人が羨ましい
家事とかの問題では無い。
心の事だ。
楽しかった時には戻れない。
親に怒られててもそれはそれで良かった。

あなたの親がいなくなったらわかることでしょう。
親に限った事ではないけれど、身内の人が死んでも
悲しいでしょう？
なのに皆はいなくなって欲しいと言った。
その皆の親がいるのがずるい。

*************************
ぉゎり～
あと、私に親はいますので（汗）
架空の中の詩なんで（汗）

この詩に対して、被害者と思われる子が、レスをしている。

遙☆彡 : うぅ・・・その詩と共感してんなぁ～共通点ありありだもぉん・・・（詳しくはうちのHPマデ）デュオはしってるョネ～＾＾

この詩とレスを読んで、正直いってわたしは、ぞっとしてしまった。母親を癌でなくした友だちのの気持ちになって、詩を書いてみる。一見、思いやりがありそうに見えて、その実、デリカシーがない。

たくみに表現された「親のない子の気持ち」。けれど、心の底から共感していたら、簡単に口にするのははばかられただろう。

加害者少女には、ただするすると器用に表現できてしまう能力があったのではないか。その能力を使って「わたしはあなたの気持ちがわかります」という、ある種あざといアピールをしようとしたのではないか。そんな気がしてならない。

けれど、これだって事件さえ起きなければ「友だちの気持ちになれる、心のやさしい子ども」と人の目には映ったかもしれない。

▼「いい子」から「悪い子」への激変？
こんな「いい子な詩」を書いていた少女の日記には、４月ごろから過激な罵倒の言葉が見られるようになる。事件直前に書かれたと推測される日記では、こんな言葉遣いになっている。

【2011/12/26　うぜーｸﾗｽ　】
つーか私のいるｸﾗｽうざったてー。

エロい事考えてご飯に鼻血垂らすわ、
下品な愚民や
失礼でマナーを守っていない奴や

喧嘩売ってきて買ったら「ごめん」とか言って謝るﾍﾀﾚや
高慢でジコマンなデブスや
カマトト女しったか男、

ごく一部は良いコなんだけど大半が汚れすぎ。
寝言言ってんのか？って感じ。
顔洗えよ。

マスコミは、これを「真面目なよい子が、何かをきっかけに荒れていった証拠」と紹介している。けれど、それは違うのではないか、とわたしは思う。

▼表現に伴う内実の空虚こそが問題では？
少女の日記の表現は、ネット上に溢れかえっている「ネット言葉」だ。少女は、それを単に真似てみたのではないか。ネットで流行している表現を、使ってみただけなのではないか。

つまり、少女の中の「マイブーム」が、環境問題や平和というアイテムから、暴力的なネット言葉へと移行した。「いい子の言葉」を内実抜きに上手になぞってみせたように、「悪い子の言葉」をなぞったのではないか。そんな気がしてならない。

問題は「いい子が」「悪い子に」変化したことではなく、もともと、表現に伴う内実が空虚だったのではないか、ということではないだろうか。

▼皮膚感覚なしに加速するヴァーチャル
その空虚な内実が、２月までは少なくとも方向として「よい子」を志向し、４月以降「悪い子」を志向した、という違いは確かにあったように感じる。そこに、ある心持ちの変化があったのかもしれない。

けれどそれは、心やさしいいい子が、何かをきっかけに怨念に満ちた悪い子になったのではなく、もともと空虚な心が、その空虚を埋めるための別のアイテムを見つけた、ということではないだろうか。

少女ははじめ、環境問題や個性尊重をうたう詩を書いた。少女は、世間の「流行」をめざとく捉え、服を着こなすように、それを上手に着こなしてみせたのではないか。そうやって、他者の気を引こうとしたのではないか。

それは、環境問題や個性尊重を「単なる流行」や「心の逃げ場」にしてしまう大人たちの胡散臭さを、実に忠実に鏡のように映しだしたものだったのではないか。

けれど、流行のその服は自分の気持ちにぴったりフィットせず、窮屈だった。次に少女が見つけたのが、「不良＆暴力」という別のアイテム。それもまた、世間の流行のひとつだ。もともと少女の中に満ちていた空虚に、このアイテムは驚くほどフィットした。少女の気持ちに似合いの服だったのかもしれない。

内実が空虚であればあるほど、実感が伴わなければ伴わないほど、つまり、ヴァーチャルであればあるほど、それは簡単に加速する。皮膚感覚なしに、突っ走ることができる。

そうやって、暴力がもたらす痛みの実感も、血の恐怖もないままに、少女は同級生殺しの凶行に突っ走ってしまったのではないか。

▼殺すほどの動機？
人は「殺すほどの何があったのか」を探そうと血眼になる。ネットでの言葉の応酬が原因ではないか、ともいわれている。

ネットでの言葉の応酬は、確かに人の気持ちを逆撫でし、気持ちを荒ませる。けれども、それが簡単に殺人に結びつくようなものであれば、ネット上での喧嘩が元になった殺人事件が、すでにいくつも起きていてもおかしくないはずだ。しかし、実際にはそのようなことはほとんどない。

ネット上で問題になっているのは、むしろ、自殺願望者の心中事件だ。「仲間探し」のほうが比重が大きく、「敵殺し」は実際にはほとんどない。

被害者と加害者の接点は、ネットだけではなかった。ネットと小学校という、ヴァーチャルとリアル、ふたつの接点を持っていた。小学校という空間は、逃げようとして逃げられない閉鎖空間だ。だからこそ、怨念が増幅した、ということは、あるかもしれない。つまり、リアルの閉塞感とヴァーチャルの感情加速の相乗作用によって、加害者の怨念が増幅され、殺人を決意する域にまで達したのかもしれない。

その可能性もあるかもしれないとは思うが、わたしはやはり、問題の本質はそこではないように感じるのだ。

▼空虚な内実
加害者は、確かに被害者に対して恨みの感情を抱いていただろう。けれども、それが殺人にいたるほどの大きな怨念ではなかったのではないか。むしろ「殺人」というハードルが、異様に低かったのではないだろうか。

「殺してやりたい」と思うことと「実際に殺す」ことには、大きなギャップがある。少女には、そのギャップがなかったのではないか。大きなジャンプもなく、ただつるつると日常の続きのように、殺人をしてしまったのではないだろうか。

実際に凶行に及んだとして、血が噴きだすのを見れば、人は衝撃を受け、うろたえるだろう。けれど、少女はうろたえた様子ではなく、いまも、血の光景を思い出して怯える、といったことはないように報道されている。

それは、少女の内実が、大きな空洞であることを示しているのではないだろうか。すべてを上手になぞることができる。けれど、どこにも自分のリアリティがない。表面だけをきらびやかに飾りたてた巨大な空虚のなかに、少女がひとりたたずんでいるのかと思うと、やりきれない。その状況を想像すると、身がすくむ。その巨大な空虚が、もう一人の少女の命を奪ったのかと思うと、痛ましくてならない。

▼空虚はどこから生まれたのか？
加害者少女は、なぜそんな大きな空虚を抱えてしまったのだろう。解明されるべきは、そこではないかと、わたしは思う。「みんな違って、みんな良い。それが個性なのだから」という美しい言葉と、「下品な愚民」「高慢でジコマンなデブス」という罵倒の言葉が、等価に口から飛びだしてしまう内実の空虚こそが、問題ではないだろうか。

加害者少女の両親が、少女に会いに行ったときのことが、次のように報道されている。

面会後、報道陣の質問に答えた山元弁護士によると、面会時間は約三十分間。父親は事件当日を含み三回目、母親は初の面会だった。親子は約一メートル離れていすに座って向かい合った。女児は両親の姿を見ると、驚いてこわばった表情になったという。
　「ちゃんと食べているか」「眠れるか」。父親が声をかけても、女児はうなずくか、「うん」と答えるだけ。左右を見たり、うつむいたりで、両親を見つめることはなかった。母親は終始嗚咽（おえつ）を漏らしながらハンカチを顔に当てていた。娘と会話できる状態ではなく、別れ際に「また来るからね」と言うのがやっと。
　父親は最後に「（被害者が）天国に行けるように、朝晩拝むんだよ。お父さんたちもしているから」と言うと、女児は黙ってうなずいた。【西日本新聞　2004/06/05 朝刊】

両親と少女とは触れあうこともなかったという。両親が少女を抱きしめることも、少女が抱きついていくことも。

母親は終始泣いていて、とうとう言葉らしい言葉をかけることもなかった。

大変な罪を犯し、それを一生背負わなくてはならなくなった１１歳の娘。それを抱きしめてやることもできない母親。それは、母親としては、あまりに哀しい姿だ。母親でなくして、いったいだれが、少女を抱きしめてやれるというのだろう。胸が痛い。

父親の「（被害者が）天国に行けるように、朝晩拝むんだよ」という言葉も、腑に落ちない。被害者の命を奪ったという、その重みを飛び越して「天国」もないものだろうと、理解に苦しむ。なんというリアリティに欠けた発言だろうか。

加害者の両親が平常心でいられないこともよくわかる。彼らを責めるつもりはない。ただ、目の前の事態にきちんと向き合えない母親の姿勢、リアリティのない父親の発言を見ると、もしかしたら、加害者少女の心の空虚は、少女に始まったことではないのかもしれないという気がしてくる。家族、がすでに、空虚を抱えていたのではないか。

少女が詩のなかで「いい子」を完璧に演じていたように、家族の一人一人が「普通の家族」を演じていたのではないだろうか。そして、少女の詩のように、それは外側から見ただけでは、完璧にいい家族そのものに見えたのではないか。つまり「家族」という表現をしていたのではないか。内側に抱える空虚に気づかないまま。

▼どうやって「リアル」を取り戻すのか？
佐世保のこの事件は、加害者少女の特異な個人的特質だけに起因するものなのだろうか。それとも、このような人間をつくってしまう病理を、社会自体が持っているということの現れなのだろうか。

おそらくは、その両方があるのだろうと思う。都市空間は、ヴァーチャルな空間だ。肉も魚もパックで売られ、米も野菜も冷蔵ケースからやってくる。命の重みは見えてこない。インターネットが、それをさらに加速する。親の世代が、すでにリアルを失っている。そのなかで育つ子どもたちが「リアル」を実感することは、至難の技だろう。

どうやって「リアル」を取り戻すのか。あまりにも茫洋として、むずかしい問題だと思う。

世間で騒がれているように、インターネットだけが悪いわけではない。ネットは両刃の剣、使い方次第だ。けれど、その使い方に、大人たちがまだ血迷っている。子どもは無防備に、そこに晒される。ネットの悪しき面を非難するばかりでなく、よき使い途を真剣に考え、取り組んでいかなければならない。

少女が抱えてしまった空虚がどこから来るのか、たったひとつの何かに原因を押しつけることはできないだろう。特効薬はない。ひとつひとつ、まっとうに取り組んでいかなければ、どうしようもないことなのだと感じている。

亡くなった少女の命は戻らない。家族の無念と痛みは計りしれないだろう。その痛みを無駄にしないためにも、子ども文化に関わる者の一人として、この問題についてきちんと考え続けていかなければならないのだと思っている。

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