HARMONIA：隕石標本／寮美千子の発表原稿

■水木しげるインタビュー人間としてのしあわせは、もう限界かな？ ――紙芝居・貸本・漫画を駈けぬけた激動の半世紀／『ぱろる⑪子どもとマンガ』1999年12月

インタビュアー・寮美千子

　調布のアトリエにおじゃますると、水木さんは開口一番、こうおっしゃった。
「これから、なんかもっといいことがあるような気がするの。いつもいつも、明日には、もっといいことがあるような気がしてならんの」。なぜですか？　とお伺いすると、「根拠なんかないんですよ」と、その大柄な体をゆっくりと揺すりながら、おおらかな笑い声をあげられた。
　わたしはいきなり、やわらかな輝きに包まれてしまった。「子どもの頃から、なぜかそんな気がしてしょうがなかったんですよ」とおっしゃる水木さん。この人は、そばにいるだけで、人をしあわせにする不思議な力がある。人間は、こんなふうに生きられるのだと、それを知っただけでも、わたしには驚きであり、大きな喜びだった。「ゲゲゲの鬼太郎」などの妖怪マンガが、ただ恐いだけではなく、ユーモラスであたたかいのは、そして、だからこそ、これだけ人々に愛されてきたのは、きっとここが源泉だったのだ。

■角がすり減るまで使い回した紙芝居

寮　きょうは、少年漫画誌の前駆的存在である、紙芝居と貸本の世界について、お話を伺いにきたのですが。
水木　紙芝居のことを知っている人は、もうそんなにいないでしょう。知っている人は、人間国宝にしたらいいくらい。ここにいるけどね（笑）。
寮　先生がお描きになった紙芝居は、ひとつも残っていないんですか？
水木　ないですね。紙芝居はね、描いて、それを渡してしまうわけです。
寮　ということは、印刷するのではなくて、原画をそのまま使う？
水木　もちろん。
寮　その原画が、どこかの物置に眠っていたりしたら、すごいお宝ですよね。
水木　その心配はいらないんです。というのも、紙芝居というのは、何度も何度も使うものですから。この町でやって、次はあの町でって。すると、角がとれて、丸くなってくる。その頃には、絵もはっきり見えなくなってくる。絵を保護するために、ニスを塗ってあるんだけれど、それを何度も何度も塗り返して使って、とうとう椅子の切れ端みたいになって、それでやっと墓場にいくわけです。だから、なんにも残っていない。
寮　すべてが使い捨てのいまの時代から考えると、まるで別世界の出来事のようですね。
水木　紙芝居は、物のない時代の、貧乏人の集まる世界でしたから。
寮　どんなシステムだったんですか。
水木　ぼくは、関西の方にいましたから、神戸に「絵元」っていうのがあったんです。絵元が絵描きに依頼するわけです。それを京都に貸したり、大阪に貸したりして、貸し賃を取る。最初に上演するところが、いちばん高いお金を払う。
寮　物語も新しいし、新品で絵もきれいだから？
水木　そういうわけです。絵描きは、原作を考え、絵を描き、言葉もつける。優秀でない奴は、ほかに原作者がいましたが、水木さんの場合は、ひとりで全部やっていました。十枚で、ひと組です。
寮　それが、一回分？
水木　そう。一回の上演の分。十枚ひと組で一巻。それが十巻から三十巻ぐらい続くわけですよ。
寮　「この続きは、また明日」って。
水木　だから「引き」と称している最後の絵が、次を見たくてたまらなくなるように描いてなきゃだめなんです。

■千五百巻は超えていた水木紙芝居作品

寮　テレビの連ドラのようですね。つまらないと視聴率がさがっちゃう。
水木　そうなると、「売人」と称する紙芝居のおじさんも、絵元も、もちろん絵描きも、みんなが食えなくなっちゃう。だから、子どもに「絶対に次を見なきゃ」って思わせるような「引き」を、ほんとうにしっかりさせなきゃならなかった。必死です。それで、毎日「引き」ばかり考えていました。
寮　毎日？
水木　というのも、毎日一巻描きますから。
寮　毎日一巻、十枚分！物語の展開を考えて、絵も描いて、色までつけてですか？
水木　そうです。
寮　それは、たいへんだ。重労働ですね。
水木　いちばん忙しい時には、月に二十巻から三十巻、仕上げていました。忙しいのなんのって。
寮　結局、どれくらいお描きになったんですか？
水木　年間三百巻くらい描いている暮らしが、昭和二十年代の半ば過ぎから五年くらい続きましたからねえ、千五百巻は超えているでしょうかねえ。
寮　すごい仕事量ですねえ。それも、毎日毎日「引き」を考えて。水木先生は、もともと才能がおありだと思うんですが、その上に、それだけの鍛錬を積まれたというのは、相当な底力になられたでしょうねえ。
水木　毎日だから、ネタも尽きる。そうなると、もう苦し紛れです。とりあえず「引き」をつくるために、できることは何でもしてしまう。重要な登場人物を、いきなり殺してしまったりする。しかし、それじゃあ、その先が続かない。どうやって再登場させるか。苦し紛れで「目玉の親父」が生まれた。そんなふうにして、すべては苦し紛れのなかから、いろんなものが生まれてきたんです。
寮　それが蓄積されて、後年、生きてくるわけですねえ。そうなると、もう余人の及ぶところではありませんね。簡単に真似できるようなものじゃない。
水木　そうやって、紙芝居が全盛を極めた時代があったんですが、やがて壊滅期がやってきたんです。紙芝居そのものが消滅してしまった。
寮　紙芝居にとってかわるものが出現したのですか？

■紙芝居から貸本へ

水木　そうです。それが「貸本」でした。みんながお金がない時代は、わずかなお金を握りしめて、紙芝居を見にくるわけです。でも、ちょっとお金の余裕がでてくると、こんどは、貸本屋に行くようになった。本を借りて、面白い箇所は何度でも読み返すことができるし、いつでも、どこでも、自分だけで楽しめる。楽しみを自分で所有できるようになったわけですから。
寮　わたしは、紙芝居を体験した世代ではないんですが、紙芝居にはパフォーマンスとしての面白さがあるのではないかと思うんです。劇場のように、みんなでその時間と場を共有できるという感覚は、貸本では味わえないですよね。
水木　そういうことなんですが、結局勝てなかったんですね。
寮　共有の場、から個へ。経済的な豊かさが、別の豊かさを奪ったような感じもしますね。
水木　紙芝居業界が壊滅した時には、業界の中から餓死者も出ました。
寮　信じられない！
水木　紙芝居の絵描きというものは、もともと貧乏なもので、しかも絵を描くしか能がなくて、融通も利かない。時代の動きについていけなくて、それっきりですよ。
寮　水木さんは、どう切り抜けられたんですか？
水木　これはもう、東京に行くしかないと。で、昭和三十二年に東京へ越しました。というのは、貸本の版元は、東京にしかありませんでしたから。
寮　沈みかかった船から、逃げだす勇気がおありだったんですね。
水木　しかし、東京にも紙芝居の絵描きがたくさんいた。その人たちが、貸本業界に殺到するわけですから、生き残りをかけた競争は烈しかったです。十人に一人、採用されるかされないか。水木さんは、ある人に兎月書房というところを紹介してもらったんですが、紹介してくれたその人自身は、やむなく餓死してしまうんです。水木さんは、幸い一発でパスして、それからずっと描いていましたよ。「ロケットマン」とかね。今から考えると、打率よかったね。美術学校は何回も滑ったけれど、ああいうところは、どこでも一発合格です。今から考えれば、実力あったのかなあ。
寮　漫画ではなくて、いわゆるアカデミックな絵画の方面に進みたいというご希望も、お持ちだったんですか。

■アカデミズムからはみだす型破りの才能

水木　あった。だけど、どこの美術学校も入れてくれないしね。どこの口頭試問でも「きみ、どこかよそへいけ」みたいなこと、言われてしまう。どこか、はみだしちゃうんだねえ。
寮　きっと、才能が大きすぎたんでしょう。型に、はめられないくらいに。
水木　風景画なんか、非常に上手なんですよ。少年時代に描いた水彩画が、境港の家の階段のところにかかっているけれど、今でも見るたびに、びっくりしますよ。階段からおっこちそうになるほど、うまくて（笑）。
寮　水木先生の漫画の背景の綴密さには、圧倒されることがあります。キャラクターやストーリーの面白さだけでは醸しだせない、絵でなくては語れない言葉に満ちている。
水木　いまでもね、油絵とか、日本画とかね。富士山描いたりして、そういうものだけが豪華で価値があって、漫画は違う、という、世間のその区別の仕方が腑に落ちないし、理解できないですね。
寮　しかし、美術学校の先生に見る目がなかったお陰で、わたしたちは「ゲゲゲの鬼太郎」に出会えたわけで、その点では、感謝しなくちゃいけませんね。見る目のなさに。
水木　（笑）そういうわけです。貸本業界に見る目がある人がいたということもね。で、貸本業界に入ったわけですが、これがまた、しばらくして壊滅してしまうわけです。
寮　激動の時代ですね。
水木　まったく。時代が、考えられないくらいのスピードで豊かさに突入していって「貸本」という形式を許さなくなった。借りて読むという形態では、飽きたらなくなってきたんです。貸本屋も、貸本の出版社も食えなくなって、絵描きもみんな、雑誌に流れていくようになりました。
寮　紙芝居業界についで、二度目の大壊滅を体験なさったんですね。
水木　ひとつの業界が、丸ごと消滅してしまうなんていうことは、滅多に起きることではありません。それを、二度もくぐり抜けてきたんだから、水木さんは、普通の人間じゃないですよ。
寮　その前に、戦争という大壊滅も生き延びてきていらっしゃる。
水木　そうです。三大壊滅を生き延びたなんて、貴重なもんですよ。

■貸本から少年マンガ雑誌へ

寮　貸本業界壊滅期は、どのようにして乗り越えていかれたんですか。
水木　昭和四十年でしたね。貸本屋でやっていた連中は、死ななくちゃいけない。水木さんも、いよいよ死ななくちゃいけないという時に、講談社がやってきた。
寮　渡りに船、っていうタイミングですね。
水木　けれど、水木さんは、その時に、その船に乗らなかった。
寮　えっ。どうして？
水木　今から考えると、そこが、水木さんの偉かったとこなんですよ（笑）。編集者がぼくに注文したのは、当時はやっていた宇宙物。でも、それは水木さんの描きたい物じゃない。描けば描けるだろうけれど、それじゃ、続かない。だいたい、みんな一発勝負に出て、二～三回連載して、評判がよくなかったら、それでアウトですよ。切られちゃう。水木さんは、警戒していたわけですよ。だって、貸本の業界から抜けて、雑誌に行くと、水木さんの抜けた穴はすぐに他の人で埋まってしまって、もうそこに戻ることはできない。といって、雑誌でちゃんと続けていけなければ、もう、どこにも行くところがなくなる。そういうことを知っていましたから、拒否しました。「自由にやらせてくれるんなら、描く」って言って、踏んばったんですよ。お金、なかったけれど、頑張った。それがよかった。しばらくしたら、またやってきた。「自由に描いてください」って。
寮　偉いなあ。そこで踏んばりがきくかきかないかが、人生の分かれ道ですね。
水木　マンガ家は、売れなければ廃業するしかない。出版界は冷酷なんですよね。まったく無法地帯みたいなもので、どんどん餓死させても平気な世界。
寮　物書きだって、ある意味では、これ以上、下請けに出すところのない、最底辺労働者っていうふうにも言えますからね。
水木　その頃、出版社に行くと、たいてい一人か二人、付いてきちゃうんですよ、食えないマンガ家が。使ってくれってね。姉夫婦の家の縁の下に住んでいるなんていう男もいた。その家が川べりにあって、雨で増水すると、床下浸水して寝るところがなくなる。きょうは雨だから、今晩だけ寝かしてくれ、板の間でも何でもいいからって。それで、ほんとうに板の間に何も敷かないで寝て、翌朝帰っていった。そんなこともありましたねえ。
寮　水木さんの少年雑誌デビュー作は「テレビくん」で、これで講談社児童まんが賞をお獲りになって、それからは、ひたすら快進撃。紙芝居・貸本時代の作品でもある「墓場の鬼太郎」もリメイクして雑誌掲載され、水木ワールド全開になられましたね。
水木　急に忙しくなってねえ。あの頃は、頑張りました。中には、原稿料によって絵の描きこみをかえる人もいました。一ページ百円なら人物だけで、二百円なら背景に柱を一本、五百円なら木の葉まで描くっていうふうにね。いろんなランクの原稿料があったけれど、水木さんは、そんなことはしなかった。そんなさもしいこと、できないですよ。仕事があれば、全力投球です。効率を求めてラクしていた連中は、結局消えていきました。ダメになる人は違うんだなあって思いましたね。しかし、週刊誌はエラかった（キツイ）。でも、エライからって一年ぐらいで放りだしたら、ダメだね。それを何年頑張るかで、その後が違ってくると思いますよ。
寮　活動の土台ができたんですねえ。
水木　それにしても、エラかったなあ。忙しい時は、ほとんど寝られませんでしたから。体が丈夫だからできたんです。そんなに忙しいのに、編集者に上手にのせられて、また描かされちゃう。だから、売れっ子のマンガ家の十人に一人くらいは、死んじゃうんじゃないですか。編集者に殺されるようなものです（笑）。
寮　売れなければ売れないで、餓死。売れたら売れたで、過労死への道が……。
水木　だから、健康でないと、できないですよ。一週間ぐらい飯食わなくても生きていけないとダメだし、また一週間くらい寝ないでも生きていけなければ、一流にはなれない。

■たとえ餓死しようとも、マンガ以外は考えなかった

寮　いずれにしても、過酷な道ですねえ。それでも、マンガ一筋。
水木　もちろん。
寮　業界壊滅状態になった時には、餓死者が出ましたよね。本気で生き抜こうと思ったら、どんな仕事だってできたはずだと思うんですが……。水木先生は、そんな時でも、転職をお考えにはならなかったんですか。
水木　考えなかったなあ。その頃、結婚して、子どもも生まれて、それなのにひどい貧乏をしていた。それでも、他の商売をしようなんて、思いつきもしませんでしたね。だから、他人と違って、背骨が一本通っているんです。「柔道一直線」みたいに。
寮　「まんが一直線」
水木　そうそう。子どものころから、そういう子だった。一人でストーリー・マンガを描いたり、絵を描いたり、物語つくったり。それを仕事にして、紙芝居、貸本、少年マンガ誌と、需要があって、やがて水木さんのマンガの花が開くわけですが……。
寮　すばらしい大輸の花が咲きましたねえ。
水木　でも、そういう社会の動きと関係なく、ただもう、自分がそうしたいという、それだけの気持ちしかありませんでした。
寮　根っからの芸術家なんですねえ。それでいて、独りよがりにならずに「引き」を考えたりと、きちんとエンターテイメント路線ができちゃうところが、すごいなあ。しかも、譲れないところは決して譲らない。感動です。だからこそ、これだけのお仕事を成就させることができたんですねえ。その後、業界の壊滅に出会うこともなく、順調に進まれましたね。テレビの出現は、かえって雑誌の発行部数を伸ばす結果になったし……。
水木　あれは、最終兵器でしたね。
寮　いまや、コンピュータ・ゲームの時代ですが、それにしたって、水木先生の妖怪辞典は、すでにＣＤ－ＲＯＭ化されていますし、ゲームの世界にとっても、水木ワールドは、今後、いかように展開できる可能性を持った豊かな世界として、貴重な存在になっていますものね。

■精霊世界の宣伝マンとしての水木しげる

水木　生きているうちに、天国以上のところへ来てしまったようにも感じています。ただねえ、ちょっと忙しすぎるねえ。できれば、もうなんにもしたくないなあ。
寮　なんにもしなくて、何をなさるんですか？
水木　ほんとうに、なんにもしない。一週間とか、一ヶ月、頭をからっぽにしたいなあ。それか、南方に移住するとか。「おまえももうすぐ死ぬから、はやくこっちに引きあげて来い」って言われているんですよ。戦争中に世話になった南の島の人たちから。
寮　先生は、アリゾナのインディアンの居留地とか、ニューギニアの奥地とか、ずいぶんと冒険旅行もなさっていらっしゃいますよね。なんにもしないのと、冒険旅行と、ふたつにひとつって言われたら、どちらを選ばれますか？
水木　そりゃあ、やっぱり冒険かな。
寮　世界各地で、お祭りに参加なさったりして、その土地の精霊について、調査されたり、仮面や精霊の像もたくさん収集なさっていらっしゃいますね。「水木しげる精霊博物館」ができるくらい。
水木　調査とか収集っていうより、不思議なことに、自然とそういうことになってしまうのね。水木さんのところに、そういうものが集まってきてしまう。イースター島なんかにいっても、何もない、石の像しかないところかなって思っていたら、現地の人が、精霊の仮面を持ってきてしまう。
寮　精霊を吸いよせる磁力をお持ちなのかも……。
水木　人間は、自分ひとりで生きているんじゃなくて、背後霊とか守護霊とか、名前をつければ、そういうものになってしまうけれど、そういうものがいて、それらが、水木さんを動かしているのかなって、思うんです。イースター島のことなんかも、こっちの背後霊と、イースター島の背後霊が通信しあっているんじゃないかと思ってしまう。あんまり不思議だから。だから、精霊に導かれてかなんか知らんけれど、どうも使われているような気がするんですよ。精霊世界の宣伝マンとして。それで、猛烈にマンガを描かされて、働かされてね。いずれにしても、よく働く人でしたよ。遊ぶ時間がない。
寮　先生にとっては、仕事が究極の遊びでいらっしゃるんではないんですか。
水木　そんなこともないんだけれど。もう七十七歳になるから、もっとのんびりしてもいいと思っているんですけれどねえ。どうも、いろいろしたくなってしまう。させられているのかなあ。しあわせかって聞かれれば、すでにしあわせになっている。それで、もっとしあわせになりたいって思っているのは、神様とか天使の領域のしあわせを目指しているのかなあって。人間のしあわせは、もう限界かなって思います。
寮　水木先生なら、百歳くらいになられたら、地上でも天使の領域のしあわせに踏みこんでいらっしゃるような気がします。
水木　ひょっとしたら、生きるかも（笑）。でも、結局はねえ、しあわせって言葉があるからまずいのかな、と。草とか、虫とかね、ああいうものと人間とは同じですよ。それ以外のものを、神様はつくってないですよ。虫とか、草とか、木とか、猫は、しあわせなんて考えない。そうでしょう。

■想像を超える「死後の世界」

寮　水木先生は「死後の世界」を、どうイメージしていらっしゃいますか。
水木　生まれて、気がついてみたら、ここにいた、式ですよ。死も同じだと思うんです。
寮　肉体を離れ、魂として転生する？
水木　魂とか、それはまだ、人間の考え方の範囲のものです。もっと及びもつかない、何か別のものになっているような気がします。生まれた時と同じように、気がついたらね。
寮　はあ。
水木　宇宙は考えられないほど不思議な世界。人間の脳の大きさは決まっているから、宇宙のすべてについてはわからない。百倍か千倍の脳があったら、それが何か、わかるかもしれない。死後の世界についても。でも、いまのわたしたちには、想像もつかない別の次元のことだと思います。とはいえ、死んでしまったらそれっきりってことはないですよ。
寮　確信している？
水木　ええ。それっきりってことは、ないです。
寮　じゃあ、楽しみですねえ。一体どんなものになるのか。きょうは、どうもありがとうございました。

　水木さんは自分のことを「水木さん」と呼ぶ。七十歳を少し過ぎた頃から、「もう翁になったので」そう呼ぶことにしたのだという。「水木しげる」の人生を客観視し、ゆうゆうと楽しみながら語っている、この人物は誰だろう？　それはもう「水木しげる」という個を超えた、なにか大きな存在のようにも感じられた。
　そして、この人が超のつく一流になったのは、偶然とか、幸運という、そんなちゃちなことではないと強く感じていた。彼は、なるべくしてそうなったのだ。戦争で片腕を失っても、家族を抱え餓死寸前まで追いつめられても、徹底して楽天的だった水木さん。根っからの芸術家。それでいて家計のことを考えてアパートを建てる側面もあれば、しっかりと人を引きつけるエンターテイメント性も発揮できる。普通なら相容れないあらゆる矛盾したものを「水木しげる」という大きな器で、やすやすと包みこんで、ただにこやかに笑っている。だからこそ、できた仕事だと、そう思わざるをえない。
　世間から突出する人間は、その何かを突出させるために、何かを犠牲にしたり、切り捨てたりしていることが多いけれど、水木さんを見ていると、そういう感じがしない。どーんと器が大きくて、だから突出するというより、その大きさで、いまここにある「目に見える世界」を、さらに大きな「目に見えない世界」で包んでしまうような、そんな感じだ。その大きな世界から、鬼太郎やねずみ男たちが、わたしたちに語りかけてくるのかもしれない。会えてよかった。そして、会わせてくれたすべて（背後霊も含めて？）に、深く感謝したい。

〈構成／寮美千子〉

隕石標本／寮美千子の発表原稿

■水木しげるインタビュー 人間としてのしあわせは、もう限界かな？ ――紙芝居・貸本・漫画を駈けぬけた激動の半世紀／『ぱろる⑪子どもとマンガ』1999年12月