寮美千子ホームページ ハルモニア Cafe Lunatique (No.0042)

寮美千子の掲示板

リンク
掲示板のご案内Cafe宣言  ⇒最新の記事  ⇒このログの目次スレッド別  ⇒次のログ  ⇒検索 

高橋喜治  地震と津波 2004年12月28日(火)02時14分58秒
未来のオペラに向けて へのコメント

>阪神淡路の256倍.....
昨日の朝の地震のエネルギーの規模についての情報です。こうした数字は時とともに訂正されることがよくありますが、やはりそうでした。でももうここには書きません。・・・・・

http://www.kahoku.co.jp/news/2004/12/2004122701001344.htm

高橋喜治  未来のオペラに向けて 2004年12月27日(月)07時06分16秒
スマトラ沖地震と津波 へのコメント

とにかくびっくりです。阪神淡路の256倍とか。地球がひっくりかえそうな数字です。今年はやたらと地震に見舞われる年でしたが、ついにここまで来たかという気もします。地震のメカニズムは東海地震と同じ典型的な「海溝型地震」で、インド・オーストラリア大陸がのるプレートと、スマトラ島などがのるユーラシアプレートがせめぎ合って起きたのだそうです。心配ですね。
こんな時になんなのですが、この寮さんの地震の記事が契機で、ガンガサガルの天の河の話とイオマンテ〜めぐるいのちの贈り物第12稿を一気に読みました。もっと早く知っていたらよかった。
「イオマンテ」については、後日(自分のHP上でも)書きますが、未来の「オペラ」に向けて、この場でアイヌや他の様々な神話などの理解を深めて行けたらいいなあ、などと、ふと感じています。
取り急ぎ、被災地の方々に心からのお見舞い申し上げます。

寮美千子  スマトラ沖地震と津波 2004年12月27日(月)01時55分00秒

被害の大きさに驚いています。
震源地はスマトラ。被害は広範囲にわたっている模様。
詳しいことはまだわかりません。

3月に訪れたガンジスの河口の島ガンガサガル。
食堂の店主のリシュケシュは、その家族は、
寺院のお坊さんたちは、大丈夫だろうかと心配になりました。

ガンジス河口は、ほぼ関東平野に匹敵するほどの大きな三角洲になっています。
どこまでも平らな地形。
以前も、津波で大きな被害が出たと聞きました。
実際、10メートルもの大波が来れば、逃げるところもなく、
島全体が水を被るような地形です。

さっそく国際電話をしてみましたが、電話自体がつながりません。
電話回線そのものに、何か故障があるようです。
リシュケシュたちの無事を、心から祈ります。

このような大きな自然の変動の前に、人類はまだ無力です。
人と人とが、国と国とが、いがみあっている場合ではありません。
ほんとうの意味での「人道復興支援」はなんなのか?
政府には、改めて考えてほしいと思います。

報道も、アジア全域にわたるこのような災害となると、
把握しきれないかもしれません。
全貌がわかるのは、まだ先でしょう。
恐らくは、日本の報道には最後まで載らない被害が、
津々浦々で起こっているのでしょう。

バングラディシュにも被害があったという報道が一部でありました。
ならば、ガンガサガルにもあったかもしれない。
けれど、それはきっと日本のメディアには載らない。
ネットで調べても、わからないかもしれない。

わたしたちは、実はアジアという足許のことも、
よく知らないのかもしれません。
報道は、西欧諸国の情報偏重。
そのようなことも、見直すべき大切なことのひとつだと感じます。

被害に遭われた方々に、心からお見舞い申しあげます。
そして、みんなの無事を心から祈っています。


高橋喜治  絶望と希望の間で(続) 2004年12月23日(木)07時13分28秒
絶望と希望の間で へのコメント

(自衛隊は)行ってしまったことが誤りだったが、今はともかく、取り返しのつかない事態になる前に一刻も早く帰らないと、と思う。
一見別問題に思われるかもしれないが、北朝鮮への経済制裁も危険極まりない話である。拉致被害者の家族の方に感情的になるなと言ってもそれは無理だが、経済制裁によってダメージを負うのは一般の貧しい人たちであることも視野にいれなければならない。弱いものからバタバタと倒れて行く悲惨な光景をイメージ出来ないと。戦争にいいことは一つとしてない。「怒りや憎しみから行動してはならない。愛によって行動すべきである」(宣正寺の掲示板から)

高橋喜治(haruan)  絶望と希望の間で 2004年12月23日(木)02時46分28秒 http://homepage3.nifty.com/haruan/
Universal Justis 人類共通普遍の正義はあるか? へのコメント

>「人命」と「人権」を大切にする。それが人類共通普遍の正義となるのはいつの日でしょうか。二十一世紀初頭を振り返って「そんな 野蛮な時代もあったよねえ。いまじゃ、とても信じられないけれど」という時代が、一刻も早くやってくることを願うばかりです。

本当にそう思います。
自衛隊は高度な人命救助隊へ。兵器を買うお金は全部医療や福祉へ回して、医療費は誰でも無料にすべきです。

勇崎  イオマンテ絵本/絵のチェック完了 の報告、何度も何度も読み返していたい。 2004年12月22日(水)00時51分33秒
イオマンテ絵本/絵のチェック完了 へのコメント

いいな。いいな。
うれしい。うれしい。
楽しみ。楽しみ。楽しみ。楽しみ。

寮美千子  イオマンテ絵本/絵のチェック完了 2004年12月22日(水)00時29分33秒
イオマンテ絵本/絵のコピー届く! へのコメント

原画がほぼできあがっていた絵本『イオマンテ―めぐるいのちの贈り物―』。きょう、帯広百年記念館からの回答があり、直しが入りました。膨大な資料を参考にして描いていただいたのですが、それでも、細かいところはやはり専門家が見なければわからない。

例えば、家の向き。集落を描くとき、画家さんはなるべくいろんな角度で見せたいとわざわざ工夫をしてくださったのですが、これが却って仇に。実は、アイヌの集落では、家はみんな同じ方向を向いているのです。神さまの国があるとされている方角(土地によって東であったり、川上であったりする)に、神を迎え入れ、神を送るための窓があるから、屋根の向きも同じ向きになる。

配置もそうです。家と、トイレと、祭壇と、熊の檻の位置関係が決まっている。囲炉裏の縁の木の組み方も決まっています。神窓側の方が端っこまで通してある。神窓の下は神さまの通り道なので何も置かない。などなど。そのようなところをチェックしたら、半分以上のページに直しが入ってしまいました。

それでも、小林敏也氏は少しも嫌がらずに「出版前にわかってよかった」と気持ちよく応じてくださいました。絵として楽しいだけではなく、また単に「アイヌ風」なだけではなくて、民俗学的にもなるべく間違いのない純正なものに仕上げようと頑張ってくださっています。

博物館の学芸員の方は、ほんとうに強い味方です。けれど、ちょっとさみしい。もしも、アイヌ文化が当たり前のようにいまに生きていたら、学芸員ではなく、アイヌの古老に直接聞くことができたはずです。

トンコリというアイヌの楽器を制作している塘路の諏訪さんという方。アイヌのおじさまですが、この諏訪さんにしても、楽器の製作法は、アイヌではなく和人の研究者から教わったといいます。そこまで、壊滅的に文化が破壊されてしまった。

この絵本が、子どもたちにとって、アイヌ文化を理解するための第一歩になれば、という気持ちでいっぱいです。取材の時にお話を聞かせてくださったアイヌの古老の方々をはじめとして、画家さん、学芸員の方、そして、意見や感想を述べてくれたたくさんの人々。みんなの力を得て、少しずつパワーアップしながら、本ができていきます。乞う、ご期待!

http://ryomichico.net/bbs/review0009.html#review20041212022702

寮美千子  NHKでアイヌ語講座を! 2004年12月22日(水)00時07分36秒
赤穂浪士と新撰組と自衛隊へのコメント へのコメント

他に取り上げるべきテーマはないのだろうか。例えば、アイヌ民族と日本の関係史を、アイヌの伝承者はもとより歴史学者・考古学者・言語学者・民俗学者・民族音楽学者・作家・作曲家などが手を取り合いプロジェクトチームを結成して大河ドラマ化するなどといった発想は持てないのだろうか。>高橋喜治氏
まったく、おっしゃる通りだと思います。きっといつか、そんなオペラを実現しましょう!

ところで、NHKの語学講座には、英語、フランス語、イタリア語、ロシア語、ドイツ語、スペイン語、アラビア語、中国語、韓国語、日本語(外国人向け)があります。ラインナップを見てわかるとおり、西欧偏重。アジアの言葉は中国語と韓国語と日本語。日本にたくさん来ているフィリピンの人々の言葉タガログ語や、タイ語はありません。

そして、なによりアイヌ語講座がない。

日本という国の領土のなかで話されていた言葉を、もし仮に「日本語」と呼ぶなら、アイヌ語は立派に日本語です。しかも、方言ではなく、文法も根底から違う別の言語なのです。大和の文化を持つ和人が、それを奪い、事実上、絶滅させてしまったのです。いま、日本には、アイヌ語を母語として日常会話に使う人はいません。

言葉が奪われること。それは文化が奪われることです。いまかろうじて生き残っているアイヌ語を絶やさないためにも、テレビというマスメディアが、アイヌ語講座を開かなければならない。せめてもの罪滅ぼしのひとつとして、絶対にやらなければならないことだと思います。

アイヌ語講座が開かれれば、そこから、アイヌの文化、アイヌの世界観も広がっていくことでしょう。そして、日本が「単一民族」ではないことを、多くの人が知るでしょう。異なった民族が、いかに共存共栄していくか、という根本問題についても、考える機会が増えるでしょう。

NHKにぜひアイヌ語講座を! こんなところでいってないで、新聞か何かに投書しなくちゃなあ。

http://homepage3.nifty.com/haruan/

寮美千子  映画「北の零年」への疑問 2004年12月21日(火)23時41分48秒
Universal Justis 人類共通普遍の正義はあるか? へのコメント

「北の零年」という映画が公開されています。北海道開拓のロマンを描く映画だとのこと。「開拓のロマン」って?? 映画のサイトから内容の一部を紹介します。
明治維新という国家の激変によって、故郷を追われ、北海道移住を命じられた淡路・稲田家の武士とその家族たち。豊穣温暖な美しい島から、未知の国・北海道へ船旅半月。そこには想像を遥かに超える苦難の数々が待ち受けていた。

構想十年。北海道の大自然を舞台に、原野開拓に挑む人々の愛と闘いの歳月を描く壮大な感動ドラマが遂に始動。早くも大きな話題を日本映画界に投じている。

この作品は、北海道の原野に赴いた稲田家主従が、武士という過去の身分を捨て、未曾有の困難を克服して開拓に取り組み、雄々しく未来を切り開いて行く波乱に満ちた物語。知られざる北海道開拓史に新たなスポットを当てながら、真摯な日本女性像とその周囲の人々をスクリーンに描き出す群像ドラマでもある。
もちろん、その「原野」は、だれもいない土地だったわけではありません。そこにはアイヌの人々がいました。狩猟を中心としたアイヌの人々にとって、原野は無用な土地ではなく、それだけの広さがあってはじめて狩猟生活が成り立つ「豊かな森」であったはずです。つまりそこは彼らにとっては「沃野」だった。耕され、田や畑になっていない土地はすべて「原野」と見なす人々とは、まったく違う価値観のなかで生きていたはずです。

映画の中で、アイヌの人々はどうのように描かれているのか、気になりました。次のような紹介文の中に、その扱いが読みとれます。
酷寒の荒地にまみえ、決して屈することなく開墾の日々を生きる志乃と多恵母子。やがて札幌へと赴いて行方知れずとなる夫の英明。残された二人を陰ながら見守り助ける会津藩残党・アシリカとアイヌ老人・モノクテ。

そして移住して初めて迎えた冬。想像を絶する厳しい自然条件の中、小松原家の生活を陰から支えたのは、アイヌを友とし、北海道の原野をさすらう謎の男。彼は北海道の地で生きていく術を伝授していきます。
つまり、アイヌは北の大地で生きる知恵を授ける賢者、という位置を占めているようです。さらに、映画の紹介文の中には、このような言葉も見られます。
稲田の者はこの北の地に捨てられたのです・・・
我らだけの国を作る、我らだけのための新しい国だ。
「捨てられた」って、稲田の武士には、そりゃそうかもしれないけれど、そこに棲んでいたアイヌの人々から見たら、ずいぶん失礼な言い方。「我らだけのための新しい国」といわれても、もともとそこはアイヌの大地なのに……。

開拓の苦労話。雄々しい挑戦。それに胸打たれる人は多いかもしれません。けれど、その美談の影で、自分たちの土地を奪われ、そのライフスタイルを奪われ、言葉まで奪われた人々はいたことは、どうなるのか? アメリカの西部大開拓を美談にしてしまった白人たちと、なんら変わらない感性がそこに見られるように思えてなりません。

けれど、ここで描かれている武士たちも、また「弱者」だったのです。弱者ゆえ、故郷を追われ、北の大地へやってきた。確かに同情に値するところもある。

しかし、その弱者たちが生活の基盤をつくると、明治政府はそれにのっかってどんどん人間を送りこんできて、北海道を占領した。鮭漁をして生きていたアイヌに、鮭を捕ることを禁じ、森の仕掛け矢を禁じた。そうやって、生活の基盤を根こそぎ奪っていったのです。弱者を使役して、さらなる弱者を支配する卑劣な構図が、そこにはあります。

なぜいま、こんな映画が制作されたのか? 先住民の存在を考慮しないで、開拓をひたすら「美談」にするような映画が。もうひとつの視点、アイヌの側からの視点で「開拓史」を描こうという発想はなかったのか。せめて「ダンス・ウィズ・ウルブス」くらいの配慮が欲しい。と、わたしは思うのです。

実際の映画をまだ見ていないので、なんともいえませんが、映画の宣伝だけを見れば、どう考えても侵略者である和人を美化した映画のように思えてなりません。いまどき、こんなことでいいのかーっ!とわたしはいいたい。

イラクに赴いているアメリカ軍兵士の殆どは、収入の低い弱者。弱者ゆえに、軍隊に入らざるを得ない、というところがあるようです。結局、死ぬのはその弱者たちなのです。弱者を使役して、さらなる弱者を支配するという、同じ構図が、そこにもあるように思えてなりません。

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=3958

寮美千子  Universal Justis 人類共通普遍の正義はあるか? 2004年12月21日(火)22時42分46秒
赤穂浪士と新撰組と自衛隊へのコメント へのコメント

実は、わたしも大河ドラマは苦手で、見ていません。チャンネルを回していたら偶々やっていて、どんなものかなあ、とちょっとだけ覗いてみたことがありました。内部紛争があり仲間のひとりを暗殺するシーンだったので、ぎょっとしてチャンネルを替えてしまいました。「赤穂浪士」も、ちらりと見ると「ああ、なんでこんなことのために、みんな命を落とさなければならないんだろう」と胸が痛くなって、やっぱりチャンネルを替えました。

きっと「ちらっと見る」から、残酷だなあと感じたりするのでしょう。物語を最初から追いかけて、その気持ちを共有すれば、感情移入もできるかもしれない。彼らが、命をかけて何かを守ろうとしていることを、すばらしいと感じられるのかもしれない。

でも……と思うのです。物語はどちらか一方の視点から描かれる。そこに感情移入するから納得もするし、ガンバレと声援も送れるけれど、では、もう一方の視点はどうか。そちらの視点から見れば、物語はまったく別のものになるのではないか。そして、その別の視点を最初から追いかけていけば、やっぱりそちらに肩入れしたくなるのではないか。

「大いなるもの」や「大切なこと」に殉じることは、いつでも美しく見えます。りりしく見えます。けれども、その「大いなるもの」や「大切なこと」がそれぞれの立場で違う。違うから戦いが起きる。

そのような「立場の違い」を乗り越えて、すべての人が共有できる共通普遍の「大いなるもの」「大切なこと」はないのか Universal Justis はないのか?

わたしはあると思うのです。まず「人命」を大切にすること。そして「人権」。ひとりひとりが自分の生をまっとうできること、その人がその人であることを互いに尊重できること。それが何よりも大切だと思う。それこそが、共通普遍の正義となるべきものだと思う。

ある報道によると、今回のアメリカ軍のイラク侵攻でのアメリカ軍側の死者は千人を超えたとのこと。大変な数です。けれども、イラク人の死者は少ない見積もりで約1万5千人、最大では10万人以上となっているとのこと。あまりにもひどい。ブッシュのいうところの「正義」を実現するために、こんな犠牲が出ていいのか? それでも「正義」と呼べるのだろうか? 人を殺すところに、正義はありません。

それでも、アメリカ国民の半分はブッシュを支持した。それでも、小泉首相は自衛隊のイラク派遣を続行するという。自衛隊員は命の危険に晒されている。基本的人権が無視されている。大変な問題だと思うけれど、既成事実にされてしまい、大きく取りあげられないまま、師走の日々はせわしなく過ぎていきます。

そういえば、戦前の週刊誌のマイクロフィルムを国会図書館で調べたときのこと、戦争が近づくに連れて、週刊誌の誌上は「皇族」や「スポーツ選手」や「映画スター」たちのゴシップ的な記事で埋まっていきました。いまと実によく似ています。もしかしたら、わたしたちはいま、新たな「戦前」を生きているのかもしれない。そんな不安が背中に走ります。

そういえば、日本が太平洋戦争に突入したのは「経済制裁」で追いつめられたことが大きな原因でした。その日本が、いま、北朝鮮に対して「経済制裁」をすると脅しをかけている。乱暴なやり方です。もっと平和な方法で対話を進め、解決に導くことこそが「政治」であり、政治家の腕の見せ所ではないでしょうか。

「人命」と「人権」を大切にする。それが人類共通普遍の正義となるのはいつの日でしょうか。二十一世紀初頭を振り返って「そんな野蛮な時代もあったよねえ。いまじゃ、とても信じられないけれど」という時代が、一刻も早くやってくることを願うばかりです。

haruan(高橋喜治)  赤穂浪士と新撰組と自衛隊へのコメント 2004年12月21日(火)07時42分28秒 http://homepage3.nifty.com/haruan/

赤穂浪士も新撰組も苦手だ。しかもNHKの大河ドラマにはうんざりしている。よく飽きもせず同じようなテーマと半ば硬直化した日本人像を押し付けるような制作をし続けていると思う。だからあまり観る気もしない。他に取り上げるべきテーマはないのだろうか。例えば、アイヌ民族と日本の関係史を、アイヌの伝承者はもとより歴史学者・考古学者・言語学者・民俗学者・民族音楽学者・作家・作曲家などが手を取り合いプロジェクトチームを結成して大河ドラマ化するなどといった発想は持てないのだろうか。とは言え赤穂浪士や新撰組などのようなテロリズムや暴力的表現がメディアから一掃されるべきであるとは決して言わない。もっと視野を縦にも横にも広げてこの日本を見つめ直すことが必要なのだと言いたい。
根本的に今の自衛隊の存在意義自体に反対だが、それよりも尚、今は、犠牲者が出る前に一刻も早く帰って来て欲しい、と思う。

寮美千子  赤穂浪士と新撰組と自衛隊 2004年12月21日(火)02時36分33秒

年の瀬となると、毎年「赤穂浪士」のテレビドラマが作られる。
今年は、NHKの大河ドラマの影響で「新撰組」にもスポットが当たった。
チャンバラ映画はいつもやっているし、赤穂浪士も毎年のことだから、
別段不思議に思わなかったけれど、よく考えると、すごい。

「赤穂浪士」たちは市井に紛れ、決起の時を狙っていた。
いわば、市井に紛れたテロ集団だ。
彼らは何のための戦ったのか? たったひとりの殿さまのためだ。

「新撰組」は明治維新という革命軍に最後まで抵抗した旧勢力のゲリラ軍団。
ということはつまり、いまイラクで自爆している人々と、立場はそう変わらない。

「赤穂浪士」や「新撰組」に熱くなる日本人は、
結構、イスラムの人々に似ているかもしれない、という見方もできるかもしれない。

日本にだって「赤穂浪士」や「新撰組」がいたのだ。
しかも、わたしたちは、いまでも彼らにシンパシーを持っている。
アラブ系のテロリストやイラクのゲリラの気持ちがわからないはずがない。
だから肩入れせよと言うつもりは全然ないけれど、
言葉も気持ちも通じない交流不能な人々と思いこむのは絶対に間違っている。

自分の国に、よその国の人々が武器を持って乗りこんできたら、
いったいどんな気持ちだろう。
「悪者をやっつけるから」と家を壊され、家族を殺されたら、
人々は、どんなに外国から来た兵士たちを憎むだろう。
新撰組のように戦う人は、市民の英雄になるだろう。

「さあ、仲良くしましょう」といって、武器を携えていく人はいない。
武器を持っていかなければならないのなら、自衛隊は戻ってくるべきだ。
いや、それ以前に、武器を持って海外に出かけている自衛隊は憲法違反だ。

信じられないような改憲案が提出され、引っこめられた。
そうやって、提出したり引っこめたりしているうちに、
人々はだんだん「慣れて」しまうのかもしれない。
そうやって、少しずつ戦争のほうに近づいているのかもしれない。

自衛隊が武器を持って海外に行くなんて、1970年代だったら、
とんでもない騒ぎになっていただろう。とても許されなかっただろう。
それが、いつのまにか「そういうものだ」というふうに慣らされてしまった。

わたしは、慣れたくないと思う。
「憲法が実態にあっていない」というのは、
つまり「憲法を無視してきた」ということ。
憲法なんてその程度のものだということになったら、
いったい何が歯止めになるのだろう。最後の砦になるのだろう。

もう、みんなあきらめムードだけれど、あえて言おう。
自衛隊のイラク派遣は憲法違反だ。
自衛隊の人は早く帰ってきて、家族とお正月を過ごしてほしい。

寮美千子  わたしに関する評判あれこれ 2004年12月19日(日)19時42分55秒
『楽園の鳥』余談 寮美千子と舞城王太郎 へのコメント

▼φ本さま
舞城王太郎と寮美千子! すごい! そんな共通項があったとは、本人も知りませんでした。きっと舞城王太郎も知らないでしょう。あの過剰で饒舌な文体ゆえ、一歩も近づこうとは思っていませんでしたが、φちゃんにそう言われたら、読んでみたくなりました、舞城王太郎。ところで、いま、わたしが気になっているのは泉鏡花。いいです。

『星兎』
志摩汰さんという、声優さん志望の若者が『星兎』を朗読して、ネットに音声をアップしています。じんときちゃいました。

『楽園の鳥―カルカッタ幻想曲―』
小太郎さんというバリバリの読書系の方が、ニフティ「冒険小説&ハードボイルドフォーラム」『楽園の鳥』を冒険小説として好意的に紹介してくださいました。冒険小説と読んでくれたところ、うれしい。「愚かなる旅の行方を読んで見極めてほしい」とのこと。みなさま、ぜひ見極めてください。

▼キーワードは「愚か」かも?!
そういえば、公明新聞の書評でも「意味もなく暴力をふるう相手に執着しつづける愚かさには呆れるしかない」っていわれていたなあ。「しかし、その愚かさ、危うさこそが、読者をひきつけ、この大著のページを繰らせ続けてしまうのである」とも。

主人公の愚かさにうんざりするか、はらはらするか。受け手によって180度違うようです。琴線と逆鱗は紙一重ってことか?!

▼アマゾンの謎
アマゾンの読者レビューは載ったレビューが出たり引っ込んだり。謎の動きを見せています。問い合せたら、システムの不調だとのこと。酷評も絶賛も消えちゃって残念。

▼K美術館の愛
酷評といえば『楽園の鳥』11月19日の日誌で「つまらない小説だった。肩透かしを喰った気分」「書き過ぎの野心的な失敗作」と酷評したK美術館の館長さん。愛の反対は無関心。だとすれば酷評もひとつの愛です。「酷評もありがたい」とメールしたら、11月25日の日誌で「器が大きい人」とほめてくださいました。光栄であります。12月17日の日誌でも、大学の辞任問題に触れてくださり、ますます愛を感じているわたしです。

φ本  『楽園の鳥』余談 寮美千子と舞城王太郎 2004年12月19日(日)12時28分22秒 http://asoberu.jp

寮さん、みなさん、こんにちは。
まいどどうも、φ本です。
別に重い話じゃないんですが、長くなったので、こちらに書きます。

と、いうわけで、『楽園の鳥』を読んだ後、ずーっともやもやしてることがありまして。
それはなにかといますと、寮美千子と舞城王太郎って、似てるんちゃう?という疑問というか自問。

家族や恋人への狂おしい思い、ドメスティック・バイオレンス、現実と幻想のブレンド具合、
カテゴライズできない内容、ゆえに賛否両論な評価、茫漠とした孤独感、絶望と希望の方向性。

あたりが、なんか俺の頭の中でオーバーラップするんですよ。
あと、舞城王太郎が多用する多彩な擬音、たとえば、

しきりし はんしとさん しとか(剃刀で女性のふくらはぎの毛を剃る音)
せかりきんす せかりきんす (墨をする音)
―『山ん中の獅見朋成雄』(講談社)より引用

とか、小説の舞台がほとんど福井県(と調布)というあたり、
宮澤賢治が好きなのかなぁ意識してるのかなあと想像してみたり。
文圧の高さと読みやすさを両立させてるのも、共通してるかも。
表現の形はぜんっぜん違うけど。

そうそう、舞城王太郎といえば、講談社のメフィスト賞受賞がデビューのきっかけで、
メフィストといえば、『楽園の鳥』をてがけた編集者・宇山日出臣氏が育てたノベルスシリーズ。
ということについてネットで検索してたら、東雅夫氏のブログにこんなことが、

やっぱ通底するものがあったんですね。
でも、寮さんと舞城王太郎が似てるというよりは、俺と宇山氏の好みが似てるってことか(笑)?

さらに、余談ですが、『楽園の鳥』読了直後に、なぜか突然、舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる』が読みたくなって読んだんです。
買ってからずーっとほったらかしにしてたのに、次はこれだ!と。
その中の中篇「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」に出てきたんですよ、ユニコーンが。
で、中学2年生の少年の頭に開いてる穴に、角をつっこんでたんですよ。
もちろん、寮美千子の作品中のユニコーンはそんなことしませんが(笑)、『楽園の鳥』の重要なキイワードの一つです。

ま、単なる偶然ですが、こじつければ必然、というシチュエーションは『楽園の鳥』第3部の見せ場の一つだったので、
物語が現実に流出してくるような感覚が味わえて、非常にラッキーでした。
本を長く読んでると、まれにこういう僥倖にめぐりあえるんですよね。

以上、余談でした。

寮美千子  イオマンテ絵本/絵のコピー届く! 2004年12月17日(金)00時27分00秒
はやく絵本が出版されないかなあ へのコメント

本日は和光大学表現文化学科「物語の作法」の今年最後の授業。勢い余って、イオマンテとアイヌ文化に関する講義をしました。神話や昔話を読んだだけではその文化を理解したことにならない、ということ。そこにあったはずの日常を思い起こさなければならない、ということ。「神話」と「日常」という、ある意味矛盾もする世界観を結びつける結節点としての「儀礼」。そのすべてを合わせてアイヌ文化である、といった話です。

来年1月13日(木)の授業を終えると、今年度の「物語の作法」の授業はすべて終了。先日、辞表を提出して受理されたので、その日がわたしの最終講義となります。学生諸君に「何をやりたい?」と聞いたら「一人一人が発言できる授業がいい」「なぜ創作を志したか、ということをみんなに聞いてみたい」「20年後のわたし、というタイトルで語りあいたい」ということに。うーん、誰一人として「寮先生の話を心ゆくまで話を聞きたい」「寮先生に質問をしたい」という学生がいなかったなあ……。これも、わたしの不徳の致すところか。ま、学生たちが自分のことを語りたい表現意欲に溢れているので、よしとするか。これにて、4年間にわたる非常勤講師生活も終わりです。

授業の後「先生、甘いもの、お好きですか。わたし、昨日初めてケーキを焼いたんです。食べてください」と持ってきてくれた学生がいました。うれしかった。そして、ケーキはお世辞ではなく、おいしかったです。粒々のチョコレートのたっぷり入ったチョコレートケーキでした。お昼にいただきました。

家に戻ると、画家の小林敏也氏からの郵便物が届きました。絵本『イオマンテ』の絵の原稿のコピーでした。ほぼできあがっていたのです! すばらしい! 本当にすばらしい絵で、早くみなさんにお見せしたい。『おおかみのこがはしってきて』と同じB5版ですが、もっと大きくしたいような密度です。アイヌの風俗も細かく織り込んであり、人の顔も表情もすばらしい。熊の子におっぱいをあげるお母さんは、口の周りに入墨もあり、眉も太く濃いアイヌ民族の特徴ある顔です。そして、その顔が何ともいえずにやさしくおおらかなのです。まるで、聖母マリアか観音さまのよう。子どもから青年になった主人公のたくましさ、美しさには、思わず恋に落ちそうになりました。

宮沢賢治の絵本で大きな成果を上げてきた小林敏也氏ですが、この作品も、小林氏の作品として後世に残る傑作になること、間違いなしと感じました。ああ、早く見せたい!

絵は、これから博物館の学芸員の方の細かいチェックを受け、細部を詰め、更なる完成を目指します。みなさん、ご期待ください。

大長老  言葉の予防接種 2004年12月16日(木)12時57分18秒
話はかわりますが へのコメント

↓補足しますと、これは思春期の少年少女に、あたしが月2ぐらいで面と向かって発している
言葉の予防接種なのです。

授業中のことですが、若い人の顔を見てるとこれに類する言葉をつい口にしてる自分に
気づきましてね、
「おれはなんで死にまつわる話を、しばしば、授業とは関係なく話しているのか」
と、考え出したんです。

その結果、ああそうか、これは彼らに対して言葉の予防接種をしているのか。
そう最近気付いたんです。





大長老  話はかわりますが 2004年12月16日(木)02時25分22秒

あたしの年末のアジテーションでございます。
「死を語るな、見つめるな」
というのがあたしの主張。

そのまえにまず死体だろうと。
最低限、死体の五つ六つを見つめてから
死について考えよー。
身近な動物の死ぬところも含めてもいいからさ。
それがあたしの主張です。

ペリー  そろそろ 2004年12月16日(木)00時45分01秒
イオマンテ絵本/物語と現実と儀礼という3つの次元 へのコメント

煮詰まったようですね。
寮さんと私との相違は、人間に都合の良い物語と感じたか、すさまじ
いまでに美しい心の物語と感じたかにあるように思いました。

私の思い上がった失礼な書き込みをご寛恕くださったことに感謝しま
す。
作品の成功を心から祈念しております。
有り難うございました。

勇崎  はやく絵本が出版されないかなあ 2004年12月15日(水)23時54分21秒
▼Review Lunatique:イオマンテ―めぐるいのちの贈り物―/第12稿 へのコメント

イオマンテ、イオイオ完成、ぼくはその日をマンテいた。

あの文章に、どんな絵が描かれるのだろう。
絵本は、言葉と絵が共鳴しあいながら、
いっしょになって出来上がるのだから、
文章だけのときとは違ったなにかを感じさせてくれるのだろう。

僕は寮さんの作品の多くに仕組まれる、
光や色彩を語るときのレトリックがとても好きだ。
「イオマンテ」においても、
北海道で生まれ暮らす僕だが、寮さんはどうして
北海道の光と色彩を、こんなにも的確に表現できるのだろう、
と感心してしまう。

そのような意味で、
前の稿の▼1では
「おおきなからだのふちが、きらきらきんいろにひかった。」
としてあったのを、
第12稿の▼2〜3では
「おおきなからだのふちが、きらきらひかった。」
と「きんいろ」を、どうして削除してしまったのだろう。
僕は北海道に暮らしていても、
本物のクマは動物園や熊牧場でしか見たことはないが、
野生のクマを撮った写真のなかに、
たくさんの「きんいろにひかった」クマを見ている。

「おおきなからだのふちが、きらきらきんいろにひかった。」
という、この冒頭のイメージが、
第12稿の▼20〜21での
「雲のふちが金色にかがやいていた。」以降のイメージ
とつながのだから…。

なにかの力がはたらいて、
光と色彩のレトリックにストイックしたのか。
それとも、「(きんいろに)ひかった。」きんいろは、
絵が表現するので、言葉は一歩さがっておいたのだろうか。

さてさて、僕は半年も前に、「その営みの意味と素晴らしさ 」と題して
この板に投稿したことの繰り返しになるが、
イオマンテという儀式によって、
屠殺を不浄なものにしなかったアイヌ民族は素晴らしい。
屠殺にかかわる被差別者もいない。

誰かが屠殺してくれた肉。
断末魔の声も血も出さぬ米や野菜たち。
他のいのちの死を実感せずに、
それを見えぬものにしてしまってから、
今日までの人間は、
なにか大切なことを忘れ、見失ってしまったように思う。

他のいのちの死を実感せず、
それを遠ざけて、見えぬものにしてしまってから、
いのちに込められた尊厳が、
どれだけ見失われてきたことだろうか。

そんな忘却の時代に、
いま「イオマンテ」が出版され、
その意味を考えさせようとするのは、素晴らしい。
屠殺を残酷だという、教養主義的な見識なんて、
クソくらえ。
教養主義者はクソを食え。

イオマンテの屠殺を知ることで、
こどもたちが、いのちを軽視することになんて見識は、
教養主義の弊害以外のなにものでもないと感じる。

何百万、何千万といる生物の種の中で、
同種を殺して食する種は、極めて希なこと。
犬肉を喰う犬、猿肉を喰う猿がいないように、
種の本能に従えば、人肉を喰う人はいない。

人肉を喰う人がいたとすれば、
それは種の本能を見失わされた人間なのだろう。
人間が種の本能を見失わないために、

はやく絵本「イオマンテ」が出版されないかなあ。

寮美千子  イオマンテ絵本/物語と現実と儀礼という3つの次元 2004年12月15日(水)21時39分15秒
昔話 へのコメント

▼物語と現実と儀礼という3つの次元

ペリーさんから、このような疑問が提出されました。
物語が生活の中に生きていた社会において、物語は共有される世界観であり、リアルだったのだと思うのです。

ですからファンタジーとリアルという分節を物語の世界に持ち込むのは、物語を外部から見た近代的発想を持ち込むことであって、これは物語、昔話の真実を歪曲することにつながりはしないでしょうか。
アイヌ神話において熊とは、「カムイ」という霊的な存在であり、「毛皮と肉と骨」というお土産を持って人間のもとを訪れる、ということになっています。文化人類学者の天野移山氏は「熊の哲学」という論文のなかで、このように述べています。
アイヌのこうした思考方法を遠くから眺めてみると、アイヌは熊がカムイと肉や骨に分離できるという、都合のいい物語を作って、自分たちの都合のいいように狩りをして、その肉や骨を手に入れてきたのではないだろうか、という疑問がわいてくる。私たち、現代人の醒めた目で、この現象を眺めみるならば、そうした考えが出てくるのは当然のことかもしれない。
これは、わたしが最初にアイヌ神話に触れたときに感じた疑問と、そのまま重なります。天野氏は、さらにこのように記しています。
どうして、アイヌでは人間と神であるカムイが近しい存在であるのか。カムイが、彼らの国で人間の姿をして人間のように暮らしているからと言って、それは物語や神話の中の出来事にすぎないのではないか。アイヌやサハリンの熊送りをする民族は、そのことを口実にして、熊を野蛮に狩り続けてきただけではないのか。

この問いに、熊を日常的にみることも語ることも、狩ることも、食べることもない現代の私たちがすっきりとした回答を与えるのは難しくなってしまっている。さらに理解を難しくしているのは、アイヌの世界では、物語の次元と現実の次元、さらに儀礼の次元が相互に貫入を起こしているからだ。
わたしは「物語のレベル」と「現実のレベル」と二分しましたが、天野氏はさらに「儀礼のレベル」を設定し、それが相互に貫入を起こしていると指摘しています。

▼子熊殺害に関する現実としての心の痛み

神話という物語は、確かにアイヌの人々にとってリアルなものだったと思います。それも彼らの心のひとつの「現実」です。ではしかし、熊を「カムイ」と毛皮や肉という「肉体」に分離できるからといって、彼らは熊の殺害に心の痛みを感じなかっただろうか、という疑問があります。

わたしは、そのことを疑問に思い、何人ものアイヌの人に尋ねて歩きました。すると、みんながみんな、子熊の殺害に関しては「涙が出る」「悲しい」「つらくなる」というのです。ことに、子熊を育てた家の者にとっては心底つらいことで、子熊に自分の乳をあげたこともある母親(人間)は「火のカムイの面倒を見るから」といって、炉端から離れず、子熊を殺害する場面には決して居合わせないとのことでした。

現代に近いところにいる人々だから、そのような感受性を持っているのでは、とも思い、さらに調べたところ、古いアイヌ絵や、それを元にした博物館のジオラマにも、女たちが泣きながら子熊の殺害を見送るシーンがあるとのことでした。

中本ムツ子さんにそのお話をすると「そりゃあ、悲しくないわけがないでしょう。つらいのは当たり前でしょう」と、笑われてしまいました。そして「子熊が送られることは悲しくてならなかったけれど、決まっていることだから仕方ないと子ども心に思いました」とお話ししてくださいました。そこには、共同体の掟を天の定めや運命のように甘受する、といった姿勢を感じました。

「イオマンテが近づいてくると、大人たちがいっぱい集まってきて、お酒をかもしたり、イナウを削ったり、それはそれは賑やかで、心が浮き立つような気持ちがしたけれど、その一方で、イオマンテの日が来れば、子熊は殺されてしまうのだと思うと、つらくてならなかった」とおっしゃっていた中本さんの言葉が、いまでも強く印象に残っています。

先日亡くなられた安東ウメ子さんと、幕別の図書館で古いイオマンテの映像を見た時、安東さんは、これから殺される子熊がころころと転がりながら遊び回っているシーンを見て「めんこいねえ。ほんとにめんこいねえ」と、にこにこしながらおっしゃっていました。それは、幼い子どもの仕草を見て微笑むのと、なんら変わらない微笑みでした。その安東さんにも、子熊の殺害についてお伺いすると、実にやさしい表情で「それは悲しいさ」とおっしゃっていたのが忘れられません。

天野氏も、この点についてこのように記述しています。
この儀礼で重要なことは、熊を殺して肉を食す喜びを得ることだけではない。アイヌの人々が数年かけて育ててきた小熊は、我が子のようなものであり、また人間でありカムイであるからだ。小熊の世話をした家族にとっては、熊の死は家族の死であり、その肉を食すことは、人食と同様の嫌悪感をもたらすものである。
つまり、イオマンテという行為は、いくつかの重層的な意味を持っているということです。現実レベルでは子熊を殺害してその肉を食べる。神話レベルでは、カムイを儀礼によりカムイの国へ送る。そして、食べるという行為のなかにも、肉を得て祭りをする喜びと、家族同然の子熊を食べる悲しみとが同居しているのです。まさに、天野氏が看破しているように、さまざまな次元の出来事が「相互に貫入」しているのが、イオマンテなのです。
物語が生活の中に生きていた社会において、物語は共有される世界観であり、リアルだったのだと思うのです。
というペリーさんのご指摘は、ある意味では当たっています。しかし、では、その社会は神話的な世界観だけで完結していたか、といえば、それはまた違うのです。そのように物事をあまりに単純化して見ることは、むしろ正しい異文化理解の妨げになってしまうでしょう。

▼神話と現実とが相互貫入した全体像としてのアイヌ文化

わたしたち現代人は、アイヌ文化というと、神話という物語の部分だけを受け取ることになりがちです。なぜなら、わたしたちはその実際の暮らしを知らないし、そこに流れている日常の気分というものがわかりません。神話だけを読むと、イオマンテなども「人間にとって虫のいい話」に見える部分もでてきてしまうのです。

しかし、天野氏がいってるように、神話は神話として独立して存在していたものではありませんでした。そこには、実際に起こっている事実という現実があり、また共同体の儀礼があり、さらに神話があり、それが相互に貫入し、その全体としてアイヌの文化なのです。神話のみを切り取ってしまうと、その全体像というのはなかなか見えません。

実際に狩猟生活をしていない今日、アイヌ民族でさえ、その文化の全体像を丸ごと受け取るのはむずかしくなってきました。アイヌの生活の基盤となっていた森を奪われ、そのライフスタイルそのものを奪われた現在、かつて暮らしと共にあった形でのアイヌ文化は、いまは存在しないといっても過言ではありません。

だからこそ、なおさらに、そこで「実際にどんなことが起こっていたか」を知ることが大切になってきます。イオマンテという儀礼は、アイヌ文化を体現する、実に複雑で複合した儀礼です。さまざまな面からの読みとりが可能です。子熊を失う悲しみもあれば、得た肉を共同体で分け合って食べる喜びもあります。カムイをカムイの国に丁重にお送りするという大切な儀礼でもあります。

日々の暮らしがあったアイヌ文化の中では、日々の暮らしの実際について語る必要はありませんでした。なぜなら、それはすでにそこにあり、人々はその中にいたからです。改めて言葉にする必要もないくらい、共有されている事実でした。そこで語られるのはだから「物語」です。神話や昔話です。

その習慣がいまに引き継がれ、神話といえば、神話だけを語るスタイルが一般です。しかし、そこに日々の暮らしという現実なしには、実はその神話は機能しないのです。

その「神話(仮にファンタジーと呼ぶ)」部分を「子熊のカムイ」に語らせ、「現実(仮にリアルと呼ぶ)」部分を「アイヌの男の子」に語らせることで、そこで進行していることの全体像を多面的に語ろうとしたのが、今回の絵本『イオマンテ』の試みでした。

▼イニシエーションの必要性

子どもという存在は、そのままでは共同体の文化を十分には理解していない未熟な存在です。共同体の世界観を学び、心身共に成長することによって、子どもは共同体に参入していくのです。だからこそ、イニシエーションなどの重大な儀式も設定されているわけです。

そのような、完全に文化に染まりきっていない無垢な、あるいは野蛮な、あるいは自然状態にある子どもの心を通してイオマンテをみることで、読者が主人公の子どもと同じ立ち位置でその儀礼を理解していける、という方法を、絵本『イオマンテ』では採ろうと試みました。

そのようにして共同体の文化に参入した子どもは、やがて若者になり、より文化的な存在となります。その結果として、若者は躊躇なく熊に矢を射るのです。

▼子熊のカムイとの再会をどう設定するか

わたしは最初、このシーンは、若者が、あの子熊がウェンカムイになったと勘違いして矢を射るのではなく、あのキムンカムイが善きキムンカムイのまま戻ってきたとわかったうえで、矢を射らせようと思いました。飢饉になったコタンに、自らの肉を捧げるために、キムンカムイが熊の姿をして、毛皮と肉とを背負ってやってきたことにしようと考えたのです。若者と熊とは、言葉にならない言葉で語り合いながら、お互い了解の上で矢が放たれる。

しかし、そこまで正面切って神話世界に軸足を置いて物語を進めると、最初に湧いた疑問「人間に都合がよすぎる話」に見えてしまうことを否めません。それを、物語として昇華することは、わたしには手に余ることでした。力不足です。

そこで、ウェンカムイを登場させるという手段で、その問題を解決しようとしました。ある意味、逃げを打ったともいえます。果たしてこれでよかったのか。自問する部分もありますが、いまの時点では、やはりこの結末がふさわしいと考えています。

▼総合的な世界観から見た「いのち」のイメージ

アイヌの神話世界では、カムイは霊的な存在。命ある肉体とは別のものです。
>いのちと魂との、おおきなめぐり
これは現代日本人の常識的な発想への橋渡しということでしょうか。
何故これが、肉と毛皮をカムイが運んでくれる物語の締めくくりにくるのか、
つながりが良く分かりません。
ペリーさんのおっしゃるこの疑問も、ごもっともだと思います。神話世界では、命に重きは置かれない。カムイは何度でも肉体を得て、カムイの国と人間の国とを往復できる不死の存在です。

ただ、繰り返し語ってきたように「神話的側面」だけの理屈によって、アイヌ文化を理解しようとすると、無理が生じます。そこからは、生活実感が抜け落ちてしまうからです。「物語の次元と現実の次元、さらに儀礼の次元が相互に貫入を起こしている>天野氏」というアイヌ文化にとって、「いのちと魂との、おおきなめぐり」という総合的な命のイメージは、決して違和感のあるものではないと思います。むしろ、相互貫入した全体像から見ると、しっくり来る感性だと思います。決して「現代日本人の常識的な発想への橋渡し」のために取って付けたものではありません。ここにこそ、アイヌ文化のあるエッセンスがあるといっても過言ではないと自負しています。

ペリー  昔話 2004年12月15日(水)17時53分04秒
イオマンテ絵本/アイヌの昔話の形式からの借用 へのコメント


寮さん、こんにちは。

語り手が交代するスタイルは、この物語のなかで一番好きなところで
す。
しかしそのために ▼52〜53 以降三人称の後半部分が、前半の魅力に
比べて物足りなく感じます。その流れで終結にいたるので、驚きを感
じるじるより不整合な印象が残るのかも知れません。
この三人称の語り口への転換もウェペケレのスタイルなのでしょうか?

終結部についてのご解説は良く分かりました。

さて、物語(神話)とは何だったかのかと考えるのですが…。
物語が生活の中に生きていた社会において、物語は共有される世界観
であり、リアルだったのだと思うのです。
現代の私たちが政治や経済のシステム、あるいは歴史記述をリアルと
して受け入れているのと同じく、彼らは物語のリアルな世界に暮らし
ていた。
ですからファンタジーとリアルという分節を物語の世界に持ち込むの
は、物語を外部から見た近代的発想を持ち込むことであって、これは
物語、昔話の真実を歪曲することにつながりはしないでしょうか。

寮美千子  イオマンテ絵本/アイヌの昔話の形式からの借用 2004年12月15日(水)14時25分57秒
感想文 へのコメント

ペリーさま、さっそくのお返事と長文のご感想、ありがとうございます。
なるほど、そのような読まれ方があるんだなあと、大変参考になりました。

▼ウェペケレ(昔話)のスタイル

この物語の形式について、解説させていただきます。
>と、ひとりの老人がいいながら、静かに息をひきとりました。

「わたし」が「老人」だとわかるまでに6行待たなければなりませんが、子供に読み聞かせるとすると、「こどもたちよ」あたりで、「わたしってだれなの?」と聞かることにはならないでしょうか。私は子供ではありませんが、状況が見えなくてとまどいました。>ペリーさん
ここの部分ですが、実は、最後に「と、ひとりの老人がいいながら、静かに息をひきとりました。」という形式は、アイヌのウェペケレ(昔話)という形式から借用しています。物語を物語として聞いていると、最後の最後に「だから〜するものですよ」という教訓になり、おや?と思っていると「と、ひとりの老人がいいながら、静かに息をひきとりました。」とすとんと終わってしまうのです。萱野茂著『カムイユカと昔話』のなかの昔話も、ほとんどこの形式です。

物語という枠組みの中に隔離され、こちらの世界に影響を及ぼさないと思って安心して聞いていると、いきなり、物語の中に埋め込まれた教訓がこちらに向けられる。しかも、それは老人がいまわの際にぜひとも子孫に伝えたくて語りかけていた言葉だとわかる。架空の物語という枠組みはここで突然崩れ、現実のこととしてぐっと読者に迫ってくるのです。ファンタジーがリアルへと流入する、という構造を、アイヌの昔話は持っています。

はじめて読んだときは、わたしもショックを受けました。物語だと思って安心して読んでいたら、最後になって、があっとこちらに迫ってくる。死にゆく人の語る言葉、というのも驚きでした。けれども、そのショックが、新鮮な印象をわたしにもたらしもしたのです。そして、いくつもいくつもそのような形式の物語を読んでいるうちに、物語とは娯楽であると同時に「切実に語り伝えたいこと」なのだということが了解されてきたのです。エンターティメントと真実の言葉とが、ここでは合致しているのです。

『イオマンテ』は、アイヌの文化に関する物語です。そこに流れるものを、わたしなりに伝えようとしたものです。そこで、アイヌに伝わる昔話の香りを生かしたいと思い、敢えてこのような形で物語を終わらせることにしました。

ペリーさんは、最後に教訓を語っている人物が誰であるか、最後の行にくるまで読者がわからない、ということを心配なさっています。「え、それ、誰が言っているの?」と不思議に思いながら聞き、最後に「ああ、そうだったのか。そういうことか」と腑に落ちる。物語にはそういう楽しみ方もあると、わたしは思っています。

▼語り手が交替する

絵本『イオマンテ』では「わたしはちいさな熊のカムイだ」「ぼくはアイヌの男の子だ」と、語り手が交替します。これも、アイヌの昔話によく見られる形式。語り手が替わることで、ひとつの事件を別の側面から追うことが出来ます。語り手が替わると、時間も前に巻き戻ったりして、時としては同じことが別の視点で同じように繰り返されることもあります。

一見退屈にも思えるこの形式ですが「語り」ということを思うと、繰り返しは有効です。同じ事件の経緯を繰り返し聞くことで、その情景を心にしっかり刻みつけ、いよいよこれから起こる物語の山場を楽しむ素地をつくるのです。

もちろん、別の側面から語れば、わからなかったことがわかる、謎解きができる、という楽しさもあります。

ここでは、アイヌの男の子と熊のカムイ、二人を語り手にしています。「現実に起こっていることと、神話レベルで起こっていること」をそれぞれに語らせることで、別次元で起こっていることを対比させようという目論見があり、この形式を使いました。これについては、この物語の肝でもあるので、また別の機会にお話ししたいと思います。

ペリー  感想文 2004年12月15日(水)10時24分41秒
イオマンテ絵本/作者の意図と逆の読みに関する考察 へのコメント

無責任かもしれませんが、今第12稿を読んだ感想を書きます。
前の書き込みとの矛盾があるかも知れません。



>ああ、あのときもそうだった。
>子熊がここにきた夜に、
>おなかいっぱいオハウをたべた。
>あれは子熊のかあさんの肉。
>ぼくは、子熊のかあさんをたべたんだ。

>それだけじゃない、みんなみんな、
>魚も、鹿も、きびやくるみも、
>ぼくは、いのちをたべている。
>みんなのいのちをたべている。
>ぼろぼろ、なみだがこぼれてきた。

違和感を感じた理由の大きなものは、
「ぼろぼろ、なみだがこぼれてきた。」
ではなくて、その前の引用部分、これが「ぼく」の言葉として聞こえ
なかったからのようです。突然作者が生の顔を出して説教を始めたよ
うな印象を受けました。説教されるのは好きではありません。それで、
「ぼろぼろ、なみだがこぼれてきた。」
が私の心にまっすぐ入ってこない。



「さあ、たいへん」ですが、これはどうでしょうか?
私は「どんぐりころころどんぶりこ」と歌が聞こえてきて困りました。
子供に読み聞かせている時に歌い出す子がいるかどうかは分かりませ
んが。



>その若者が、わたしなのだ。
>だから、こどもたちよ、よくおぼえておくんだ。
>ひと粒のあわもひえも、ひと切れの魚も肉も、みんないのち。
>わたしたちは、いのちをたべている。
>いのちと魂との、おおきなめぐりのなかにいる。
>すべては、めぐるいのちのめぐみ。
>すべては、めぐるいのちのめぐみ。

>と、ひとりの老人がいいながら、静かに息をひきとりました。

「わたし」が「老人」だとわかるまでに6行待たなければなりません
が、子供に読み聞かせるとすると、「こどもたちよ」あたりで、「わ
たしってだれなの?」と聞かることにはならないでしょうか。
私は子供ではありませんが、状況が見えなくてとまどいました。
絵が付けば分かるのでしょうが、読み聞かせているときに子供は絵を
見ていないかもしれません。

>いのちと魂との、おおきなめぐり

これは現代日本人の常識的な発想への橋渡しということでしょうか。
何故これが、肉と毛皮をカムイが運んでくれる物語の締めくくりにく
るのか、つながりが良く分かりません。



私だけかもしれませんが、細かい描写がなされている部分は読めば読
むほど情景が映像を結ばなくなって混乱してきます。
たとえば冒頭の部分。
「雪のかべがいっきにくずれ、(た時にはじめて)
わあっと光があふれかえった。」のだから、
(大きな体の)「かあさんはたちあがって、光へとまっすぐにあるい
ていった」時にはまだ壁は崩れていない。すると、巣穴には熊が歩い
て通れるような大きな長いトンネルがあったのだろうか? しかし
「がさっと雪がくずれ、ちいさな穴が」あくのだからトンネルなどは
はないのかもしれない。がしかし…?

「まっ白な息をはきながら、
のしのし森へはいっていくとうさんたち」、このとうさんたちは、セ
タととおさんのことだろう、しかし、「熊の行列」のようにして帰っ
てきたのだから、書かれてはいないが、何人かの大人たちが「ぼく」
の家に集まってから出かけたのかもしれない、すると…、などなど。

読解力がないばかりに細部にケチをつけるいやなおやじなのかもしれ
ませんが、前を読み直したり先をチェックしたりと忙しく、かつ私に
は難解です。



「光」やひかりに類する表現ですが、一意的に読み取りにくかったか
らかもしれません、ややレトリックが立ち過ぎるように感じました。



ご発言のディスコのくだりと、ニーチェの説でしょうかディオニソス
と日本ないしアイヌの祭りとのつながりについては、そういうことも
あろうかとは思いますが良く分かりませんでした。
また、何度も読み返しましたが物語の中から「神聖なるもの」を見出
すことはできませんでした。そもそも神の物語であるという先入観が
邪魔をしているのかもしれません。



文化は生きている人間によってはじめて伝えられるものです。
それならば、文化を伝えようとする物語も切れば血が吹き出すような
生きた物語であって欲しいと思います。
人間同士、たとえば夫婦の関係も誤解のうえになりたっているような
ものです。誤読を避けるために気をつかう必要はなったく無いという
のが私の考えです。

寮美千子  イオマンテ絵本/作者の意図と逆の読みに関する考察 2004年12月14日(火)21時23分22秒
はじめまして「イオマンテ」の感想です へのコメント

▼「イオマンテ」に「享楽」を読みとるということ

絵本「イオマンテ」に関する、ペリーさんの読み方は、わたしにとってある種の驚きでした。というのも、わたしの意図とまったく逆の取り方をなさっていらっしゃったからです。なぜ、そのような受け取り方をされたのだろうかと、ずっと考えてきました。

まず、ペリーさんのアイヌ観です。このように書かれています。
アイヌの人たちは、動物に対する真摯な敬愛の思いと、その動物を殺して食べなければ生きていけないという現実とのつらい矛盾に堪える。堪えるその中でカムイの声を聞き、カムイを発見した。ここに、自分の心に嘘をつかない、けしてごまかさないアイヌの人々の心の強さと純粋を感じ、美しい心として記憶にとどめていました。
これに関しては、実はわたしと同じです。わたし自身も、それを表現したいと願ってきました。ところが「イオマンテ」の原稿を読んで、ペリーさんは、まったく逆のことを感じられたのです。引用します。
さて「イオマンテ」です。心の通じあった小熊は少年にとって、人間の友だち以上の親友だろうと感じ、はらはらしながら読みすすみました。しかし、その肉が美味いことで、たったいま目の前で小熊が殺されたショックを忘れ、自分達はいつも生き物を食べているのだなどと一般化した思考を巡らす余裕のある少年は、心が弱く残虐に感じられ、共感することが困難になりました。
確かに、兄弟同然に暮らし、かわいがっていた子熊の肉を「おいしい、おいしい」と食べるなど、いまの日本の常識から考えれば、とんでもない残忍なことに映るでしょう。「自分達はいつも生き物を食べているのだなどと一般化した思考」に貶めることで、個人的な感情をなかったことにして、殺害と肉食とを正当化する、というように受け取れば、ずいぶんひどい話に聞こえます。
イオマンテはカムイの信仰、美しく飾られた矢、酒と踊り、美食、大人の言葉によって、心の痛みを麻痺させる装置として機能する。その結果、大人になった少年は熊に矢を放つとき、何の思いも躊躇も無い。これは現代日本の姿を映しているという意味でリアルな物語でした。そして、長年抱き続けて疑わなかったアイヌの美しいイメージが、極端に美化した間違ったものだと思い知らされました。
作品中のイオマンテを、ペリーさんは「心の痛みを麻痺させる装置」としての「祭り」として受け取られました。ディスコの大音響の中で酔って踊り狂うような、そんな祭りのイメージを持たれたのかもしれないと思いました。

祭りには確かにその側面があります。ある種のトランス状態というか、日常の感覚から脱して「忘我」の境地に至る。祭りがデュオニッソス的混沌といわれるゆえんです。日常のアポロン的な条理の世界から、混沌へと没入する。それによって心を解放する。それも祭りのひとつの効用です。

けれど、忘れてはいけないのは、古来の祭りには、そこに必ず「神との合一」なる瞬間が存在していたと言うことです。混沌と熱狂のなかに、神聖なるものが同居していた。

そこから「神聖」を抜き取って、混沌と熱狂と忘我だけを残した「享楽」が、現代の都市にあるディスコやクラブの姿なのかもしれません。

そこには確かに、日常を超える何かがある。日常を忘れさせてくれるものが。けれども、そこには古来の祭りにあった神聖なる一瞬がない。それゆえに、いくらそこに没入しても、最後に残るのは虚しさばかり。そういうことなのかもしれません。

作中のイオマンテの風景を、現代のディスコやパーティの乱痴気騒ぎと重ね合わせてみれば、ペリーさんのような見方もありうると思います。わたしは、物語の中に、ある種の「神聖なるもの」と込めたつもりでしたが、それはペリーさんには伝わらなかった。それが表現力不足のためか、読解力不足のためか、その両方であるのか。いずれにしても、ペリーさんのような読み方をする方が、ほかにもたくさんいるはずです。

▼なぜ作者の意図が伝わらないか

なぜ、伝わらなかったか? もう一度整理してみます。

1 作者の表現力が至らず、作者の思いが伝わっていない
2 読者の読解力が至らず、作者の思いを読みとれない
3 受け手によって、さまざまな読みとりが可能な作品である

作者の意図が伝わった読者もいたことを思いあわせれば、2か3の可能性が強い、という「推論」が成り立つわけです。3のなかには「文化の違いによる相互理解の不足による誤解」というものも含まれます。祭りに対するイメージの違いは、このためかもしれません。

しかし、以前も書きましたが、そのどれかと限定するのではなく、その複合形であることも考えられます。作者の表現力が至らず、読者も読みきれず、結果的にいまひとつ伝わりにくい、ということもありうるわけです。そして、ペリーさんの以下のような読みとなることもあるでしょう。
わたしにとって「イオマンテ」は素直な心が押し殺され、思いが伴わない常識的な説教にとってかわられる恐ろしい物語に終わっています。
これでは、わたしが表現しようとしたことと正反対のことになってしまいます。それでは、この絵本を作る甲斐がありません。アイヌ文化への理解を深めたいと思ってつくったのに、むしろ誤解を助長するものになってしまう。

「絵本にするのは反対です」とおっしゃる研究者の方がいました。その方も、このような危険性を思ってのことだと思います。

▼誤解の可能性のある作品の出版の是非

では、出版しない方がいいのか、という問題になります。

しかし、それを論じる前に、考えるべき事があります。誤解を招く表現があるとしたら、なるべく誤解を避けるような表現を探しだす努力をする。その努力なしに、一概に「出版はいけない」というのは、違うと思います。推敲の上、だれ一人誤解する者のいない明確な物語に昇華できれば、それにこしたことはありません。

しかし、それは事実上不可能です。それに、限りなく近づけようとすることはできても、絶対に誤読されない作品をつくるということはできません。人間は完璧ではない。表現する方も完璧ではないし、受け手も完璧ではない。誤解が生じる可能性は常に存在します。

「だから、絵本という形での出版はいけない」というところに、戻ってきます。確かに、絵本という限られたスペースで、アイヌ文化のすべてを、誤解なく伝えることは不可能です。第一、書き言葉になった時点で、それはもうアイヌ文化そのものではありません。

そのようなことをすべて含めても、わたしはやはり、絵本をつくっていこうと考えます。そして、絵本に限らず、様々な形で、アイヌ文化が人々に知られていったらいいと思っています。アイヌ文化は日本の文化です。日本という国には、朝廷を頂点とした大和の文化以外にも、さまざまな土着の文化があったのです。アイヌ文化は、そのひとつです。大和文化と簡単に融合することなく、大和から迫害され滅亡の危機に晒された文化です。それをいまここでとりあげ、光を当てることには大きな意味があると思います。

絵本一冊でアイヌ文化のすべてを語りきることなど、できるわけがありません。絵本一冊にこれだけ云々される要因のひとつは、アイヌ文化に触れる作品がそもそも少ないからということもあるでしょう。アイヌ文化を下敷きにした絵本が、それこそ赤ずきんや桃太郎ぐらいたくさんあれば、たった一冊の絵本だけですべてを語り尽くすことを要求されたりはしないと思うのです。星のように散らばるさまざまな絵本や文献のなかから、自ずとアイヌ文化の全体像が星座のように浮かびあがってくるはずです。

そうなるためにも、積極的に絵本などは出版されるべきだと、わたしは思っています。誤解を恐れ、戦々恐々として出版を控えていたら、一般の人が触れられるアイヌの物語はどんどん少なくなってしまいます。わたしの絵本に足りないところがあれば、それを凌ぐよい絵本がでてきてくれたらいい。その呼び水になればいい。そう思っています。

しかし、だからといって、それを言い訳にして推敲を放棄するわけではありません。だからこその原稿公開です。原稿を公開して、意図と反した読み方がなされれば、その理由を考え、作品を反芻し、よりよきものにしたいと思うのです。

▼芸術作品としての物語

実は、さらに一歩踏み込めば、ほんとうによき文学とは、作者の意図を超えたところに立ち上がってくるものかもしれません。思っていることを思っているままに伝えるのであれば、それは芸術ではなくて「正確な情報」です。芸術とは、それ以上のものです。

けれども、それはもっとレベルの高い問題であり、ここで語りはじめると、事態がさらにワヤになるので、やめましょう。ここでは絵本「イオマンテ」が、作者の意図を伝えていると同時に、誤解を招いているということをどう考えるか、ということに限定したいと思います。

▼アイヌ神話は人間に都合のいい考え方か?

さて、わたしは推敲を放棄したわけではありませんが、実際のところ、いまのわたしには、これ以上の作品にする力がありません。これで完璧だと思っているわけではありませんが、これは、いま、わたしにできる精一杯です。明日になれば、もっといい考えも浮かぶかもしれません。でも、いまはこれがぎりぎりです。

それにしても、ある人には伝わり、ある人には正反対の受け取り方をされてしまった。その要因はどこにあるのかを、わたしなりに深く考えてみました。そして、思い当たることがありました。

それは、わたしがはじめてイオマンテの儀式と、アイヌの神話について知ったときの驚きです。儀式とは、実際には熊の殺害であるということ。そして、その熊は「肉と毛皮を背負い、それを人間に与えるために、神の国からやってくる」という解釈。なんと人間に都合のいい解釈か、虫がよすぎると、愕然としました。それでは、世界はまるですべて人間のために存在しているようではないか。熊は熊の都合で生きている。何も、人間に肉や毛皮を手渡すために生きているのではない。それは、人間本位の勝手な解釈であると思ったのです。

ペリーさんの感じ方の一因も、ここにあるのかもしれません。「神話」という枠組みのなかでの、一見人間本位に見える思考方法への反発。まさに、わたしが最初に感じた反発の残滓が、実は作品の中に埋もれていたのかもしれません。

しかし、わたしはアイヌ文化とより触れあううちに、自分の最初の印象が間違っていたことを知りました。命や自然そのものに対する敬意、というものが、アイヌの人々の心に深く宿っていることを知ったのです。何よりも、アイヌの伝統を受け継ぐ人々に直接触れる機会があったことが大きかったと思います。活字にして連ねたら、一見人間だけ都合のいい解釈に見える神話も、そうではなくて、深い敬意に基づいたものであるとわかったのです。実際、アイヌのフチやエカシにお目にかかると、そのやさしさに驚きます。自然界に対する慈しみと感謝の気持ちが、ごく自然と心の底から湧いてくることに驚かされます。

結局のところ、その深いやさしさを、わたしの物語は描ききっていなかったということでしょう。それゆえに「心が弱く残虐」といった印象を与えてしまったものと思います。

確かに、わたしはアイヌの古老たちから受けたその印象を、物語のエピソードとしては挿入しませんでした。しかし、物語の全体として、それを語ろうとしたのです。個別のエピソードではなく、山から子熊を連れてきて、大切に育て、やがて儀式で送る。その全体として、人々がいかに熊を丁重に扱い、大切に思っているか、そのイメージを全体として伝えようとしたのでした。つまり「イオマンテ」という儀式に至る一連の出来事そのものを、アイヌの思想として紹介したかったのです。

そうやって伝えようとしたことが伝わったかどうか。ある人には伝わり、ある人には伝わらなかった。もちろん、わたしの力不足も大きいと思います。宮澤賢治の「なめとこ山の熊」のほうが、ずっとずっと、熊に対する敬意が伝わる作品かもしれません。

▼金田一京助の採集したユカについて

さて、ペリーさんのご投稿「口承を文字化するデメリット」には、金田一京助氏の『ユーカラの人びと』から要約し、引用なさった部分があります。要約では誤解があるといけないので、原文を引用します。金田一京助が、アイヌの古老からアイヌ語で物語を聞き、それをノートに書き写したときのことです。(232頁より)
 じいさんが「せっかく書いて東京へ持って帰っても、何をいってるのかわからないんじゃつまらないだろうから。これはなあ」といって、粗末な日本語で語るのを聞くと、どこの部分を説明するのかわかりませんけれども、子供が養育されているところ、それから、養育していた女が、とある日帰ってこなかったこと、それから、しばらくして、こわい入れ墨をしたおばあさんが戸口へ現われて、何を持って来たかと思ったら、今まで自分を養っていた女の生首を「これみやげ」と出したんです。そいで、その子供が、「わぁー」と泣く。そしたら、「なんだ、まだ本当の子供だなあ」と笑って、よちよち、大きな鍋を炉へかけて、その生首をグダグダ煮たというのです。そしてしばらくすると、鍋から生首を取り上げて、「食べろー」と出したので、子供が、なおびっくりして、「わーわー」と泣いたら、「何だまだ頑是ない子供でしかなかったのか。では大きくなったら。仇討ちに来い」といって出て行ったあと、子供が泣いて、泣いて、泣きながら、とうとう神がかりする。こういう思想は、我々の方では思いもよらないことですが、アイヌの方では、泣いて、泣いて、泣きながら幼な子が神がかりして、とうとう自分の過去がひとりでにわかってくるような話になります。
ペリーさんは「私は、この話の残虐のなかに深い真実が見えるようで魅了されるのです」と記し、さらに次のように述べています。
アイヌの人が人間の命を動物の命と同等に扱わなければならなかった現実の切迫。その現実のなかで、アイヌの人が人間の命と同等に扱った動物の命への敬意。特に、さんざん泣いた末に神がかりするくだりにリアリティを感じます。
さて、ここでまず明らかにしたいのは、金田一京助が採集したこの物語は、イオマンテとは全然関係ない、ということです。これはユカの語り口のひとつで、ここから、子どもがどうしてここへやってきたのかの長い長い奇想天外な物語がはじまります。子どもを養っていたのは、実は本当の母親ではなく、子どもの両親を殺した敵の一族であるということもわかってきます。つまり、これはイオマンテの話でないだけではなく「アイヌの人が人間の命を動物の命と同等に扱わなければならなかった現実の切迫。その現実のなかで、アイヌの人が人間の命と同等に扱った動物の命への敬意」とは、少しも関係のない物語の一部なのです。

ですから、ペリーさんの次のような言葉は、直接には当てはまらないことになります。
口承だからこそ、つまり言質をとられる心配が無かったからこそ大胆に伝えることができた残酷さのなかに潜む強靭なリアリティが、「イオマンテ絵本」では温かく、深刻でないものに薄められ、砂糖にくるまれている。

もし、このようにリアリティが変質した作品を、口承文学を文字化したと主張するならば、それは明らかに間違いです。
▼熊を殺された子どもの苦悩の表現について

金田一京助の採集したユカの問題は切り離し、別の観点からペリーさんの違和感を再検討してみましょう。
「イオマンテ絵本」においては、小熊が殺されるより以前に
  >「さあ、とってくれ。おまえのものだ」
すでに小熊の声が聞こえ、小熊の殺戮を小熊が正当化してくれる。
  >ぼろぼろ、なみだがこぼれてきた。
さんざん泣くこともなく、エカシにはげまされて、つまり人の助けを得て解決されてしまう。
ペリーさんの違和感は「さんざん泣くこともなく、解決されてしまう」「熊やエカシなど、人の助けを得て解決されてしまう」ことに集約されると思います。ここに、物足りなさを感じ「残酷さのなかに潜む強靭なリアリティが、深刻でないものに薄められ、砂糖にくるまれている」と感じられた要因になっているのだと感じました。

ひとつの大きな示唆であると受けとめました。確かに、子どもは子熊の殺害に関して、大きなショックを受けているはずです。わたしたちの感覚からいえば、もっと苦しみ、泣き叫んで当然です。

では、子どもをさんざん泣かせれば、それが最高の苦悩の表現になるか、といえば、そうとは限りません。抑制された表現が、その苦悩をより鮮やかに表現することもあります。この作品では、後者を試みました。子どもは子熊と兄弟のように過ごした。その流れに読者が身を委ねていけば、それがいかに共同体の掟とはいえ、子熊が殺されることを平気でいられるわけがありません。子どもは、その痛みを感じています。抑制された表現ですが、わたしはそれを表現しようと試みました。むしろ、抑制をかけることで、その痛みを表現しようとしました。

しかし、それはペリーさんには通用しなかった。ペリーさんは、子どもが苦しんで苦しんで、七転八倒した後にいよいよ「神がかり」になるくらいでなければ、とても納得がいかないと感じられた。きっと、そのように感じられる人は多いと思います。残念だと思いますが、それが作品の力の限界であれば、いま、ここにある作品の限界はここまでという事実があるのみです。逆に、作者の意図を読みとってくれる読者もいます。それもまた、作品の力であると考えます。

▼近代的「個」の概念と、文化という「共同」幻想

もうひとつ、「人の助けを得て解決されてしまう」というところにも、ペリーさんは強く違和感を感じていらっしゃいます。安易に過ぎる、という印象を受けられたようです。

しかし、ではここで子どもを泣くだけ泣かせ、苦しみ抜かせた末に、ようやく自力で納得に到達する、というふうに物語を持って行くべきか。わたしは、そうは思いません。お砂糖にくるんで深刻さを薄めたいからではありません。そうしてしまうと、それは、極めて現代的な人間像になってしまうと思うからです。大きな文化の懐に抱かれた人間像ではなくなってしまう。

ペリーさんの解釈は、ある意味「自力」に重点が置かれているように感じます。それは、極めて現代的な「個」を中心に据えた思考のように感じます。

子どもは、もともとアイヌ文化を継承する社会の一員です。「個」の感情としてとても受けとめきれない大きな悲しみ、その不条理。それを受けとめてくれるのは、個を超え、人間を超越した「子熊」というカムイの声でなければなりません。あるいは「エカシ」という共同体の文化そのものを体現する者の尊い教えでなくてはなりません。子熊の声も、エカシの声も、単に物語を運ぶための「都合のいい話」ではありません。「個」では受けとめきれないからこそ、そこにより大きな、そして深い文化が必要になってくるのです。実は、イオマンテの儀式に至るすべてが、その文化の体現であるのです。その大きな枠組み、物語の構造こそが、子どもの苦しみと悲しみを受けとめるのです。

子どもはその時、共同体の文化に自覚的に参入します。幼い個という存在から、共同体の一部へと成長するのです。一種のイニシエーションです。それは、わたしたちが思っているような単なる「都合のいい解釈」や「癒しのためのご都合主義」ではありません。ぎりぎりどうしようもない問題を「神」を設定することでようやくクリアしてきた文化への、自らも痛みを感じながらの意識的な帰属なのです。

▼異なる文化の間での相互理解のむずかしさ

しかし、いくら作者がそう力説しても、そう見えない、そう感じられない、という人が出てくるのは仕方ありません。そして、それはペリーさんだけの感じ方ではなくて、恐らく、現代日本の多くの人の感じ方ではないかと思うのです。絵本が出版されれば、そのような声がたくさん聞こえてくるでしょう。そこには、表現力、読解力という問題以上に、帰属している文化の違い、というものが立ちはだかってくるように思われてなりません。

現代日本の文化とアイヌ文化。その溝を埋めようとしての絵本づくりです。であるからこそ、誤解が生じることもまた必然です。充分に注意深く、けれども無闇に怯えずに、できる限りのことをしていきたいと願っています。それが、互いの文化理解への第一歩であると信じるからです。

「現代日本の文化とアイヌ文化」及び「実際に起こることと、神話レベルでの物語」の差異について、「命を食べる」ということについて、「命と魂について」と、まだまだ論じたいことが多々ありますが、きょうはここまでにしたいと思います。

ペリーさんのご投稿は、以上のようなさまざまなことを、いま一度深く考える機会をくださいました。深く感謝しています。このような異なる意見のやりとりのなかで、互いに何かを深めていけることを、とてもすばらしいと感じています。ありがとう。

■一つ前のログ(No.0041)


管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
Powered by CGI_Board 0.70