高橋喜治
地震と津波
2004年12月28日(火)02時14分58秒
▽未来のオペラに向けて へのコメント
高橋喜治
未来のオペラに向けて
2004年12月27日(月)07時06分16秒
▽スマトラ沖地震と津波 へのコメント
寮美千子 スマトラ沖地震と津波 2004年12月27日(月)01時55分00秒
高橋喜治
絶望と希望の間で(続)
2004年12月23日(木)07時13分28秒
▽絶望と希望の間で へのコメント
高橋喜治(haruan)
絶望と希望の間で
2004年12月23日(木)02時46分28秒
http://homepage3.nifty.com/haruan/
▽Universal Justis 人類共通普遍の正義はあるか? へのコメント
勇崎
イオマンテ絵本/絵のチェック完了 の報告、何度も何度も読み返していたい。
2004年12月22日(水)00時51分33秒
▽イオマンテ絵本/絵のチェック完了 へのコメント
寮美千子
イオマンテ絵本/絵のチェック完了
2004年12月22日(水)00時29分33秒
▽イオマンテ絵本/絵のコピー届く! へのコメント
寮美千子
NHKでアイヌ語講座を!
2004年12月22日(水)00時07分36秒
▽赤穂浪士と新撰組と自衛隊へのコメント へのコメント
他に取り上げるべきテーマはないのだろうか。例えば、アイヌ民族と日本の関係史を、アイヌの伝承者はもとより歴史学者・考古学者・言語学者・民俗学者・民族音楽学者・作家・作曲家などが手を取り合いプロジェクトチームを結成して大河ドラマ化するなどといった発想は持てないのだろうか。>高橋喜治氏まったく、おっしゃる通りだと思います。きっといつか、そんなオペラを実現しましょう!
寮美千子
映画「北の零年」への疑問
2004年12月21日(火)23時41分48秒
▽Universal Justis 人類共通普遍の正義はあるか? へのコメント
明治維新という国家の激変によって、故郷を追われ、北海道移住を命じられた淡路・稲田家の武士とその家族たち。豊穣温暖な美しい島から、未知の国・北海道へ船旅半月。そこには想像を遥かに超える苦難の数々が待ち受けていた。もちろん、その「原野」は、だれもいない土地だったわけではありません。そこにはアイヌの人々がいました。狩猟を中心としたアイヌの人々にとって、原野は無用な土地ではなく、それだけの広さがあってはじめて狩猟生活が成り立つ「豊かな森」であったはずです。つまりそこは彼らにとっては「沃野」だった。耕され、田や畑になっていない土地はすべて「原野」と見なす人々とは、まったく違う価値観のなかで生きていたはずです。
構想十年。北海道の大自然を舞台に、原野開拓に挑む人々の愛と闘いの歳月を描く壮大な感動ドラマが遂に始動。早くも大きな話題を日本映画界に投じている。
この作品は、北海道の原野に赴いた稲田家主従が、武士という過去の身分を捨て、未曾有の困難を克服して開拓に取り組み、雄々しく未来を切り開いて行く波乱に満ちた物語。知られざる北海道開拓史に新たなスポットを当てながら、真摯な日本女性像とその周囲の人々をスクリーンに描き出す群像ドラマでもある。
酷寒の荒地にまみえ、決して屈することなく開墾の日々を生きる志乃と多恵母子。やがて札幌へと赴いて行方知れずとなる夫の英明。残された二人を陰ながら見守り助ける会津藩残党・アシリカとアイヌ老人・モノクテ。つまり、アイヌは北の大地で生きる知恵を授ける賢者、という位置を占めているようです。さらに、映画の紹介文の中には、このような言葉も見られます。
そして移住して初めて迎えた冬。想像を絶する厳しい自然条件の中、小松原家の生活を陰から支えたのは、アイヌを友とし、北海道の原野をさすらう謎の男。彼は北海道の地で生きていく術を伝授していきます。
稲田の者はこの北の地に捨てられたのです・・・「捨てられた」って、稲田の武士には、そりゃそうかもしれないけれど、そこに棲んでいたアイヌの人々から見たら、ずいぶん失礼な言い方。「我らだけのための新しい国」といわれても、もともとそこはアイヌの大地なのに……。
我らだけの国を作る、我らだけのための新しい国だ。
寮美千子
Universal Justis 人類共通普遍の正義はあるか?
2004年12月21日(火)22時42分46秒
▽赤穂浪士と新撰組と自衛隊へのコメント へのコメント
haruan(高橋喜治) 赤穂浪士と新撰組と自衛隊へのコメント 2004年12月21日(火)07時42分28秒 http://homepage3.nifty.com/haruan/
寮美千子 赤穂浪士と新撰組と自衛隊 2004年12月21日(火)02時36分33秒
寮美千子
わたしに関する評判あれこれ
2004年12月19日(日)19時42分55秒
▽『楽園の鳥』余談 寮美千子と舞城王太郎 へのコメント
φ本 『楽園の鳥』余談 寮美千子と舞城王太郎 2004年12月19日(日)12時28分22秒 http://asoberu.jp
寮美千子
イオマンテ絵本/絵のコピー届く!
2004年12月17日(金)00時27分00秒
▽はやく絵本が出版されないかなあ へのコメント
大長老
言葉の予防接種
2004年12月16日(木)12時57分18秒
▽話はかわりますが へのコメント
大長老 話はかわりますが 2004年12月16日(木)02時25分22秒
ペリー
そろそろ
2004年12月16日(木)00時45分01秒
▽イオマンテ絵本/物語と現実と儀礼という3つの次元 へのコメント
勇崎
はやく絵本が出版されないかなあ
2004年12月15日(水)23時54分21秒
▼Review Lunatique:イオマンテ―めぐるいのちの贈り物―/第12稿 へのコメント
寮美千子
イオマンテ絵本/物語と現実と儀礼という3つの次元
2004年12月15日(水)21時39分15秒
▽昔話 へのコメント
物語が生活の中に生きていた社会において、物語は共有される世界観であり、リアルだったのだと思うのです。アイヌ神話において熊とは、「カムイ」という霊的な存在であり、「毛皮と肉と骨」というお土産を持って人間のもとを訪れる、ということになっています。文化人類学者の天野移山氏は「熊の哲学」という論文のなかで、このように述べています。
ですからファンタジーとリアルという分節を物語の世界に持ち込むのは、物語を外部から見た近代的発想を持ち込むことであって、これは物語、昔話の真実を歪曲することにつながりはしないでしょうか。
アイヌのこうした思考方法を遠くから眺めてみると、アイヌは熊がカムイと肉や骨に分離できるという、都合のいい物語を作って、自分たちの都合のいいように狩りをして、その肉や骨を手に入れてきたのではないだろうか、という疑問がわいてくる。私たち、現代人の醒めた目で、この現象を眺めみるならば、そうした考えが出てくるのは当然のことかもしれない。これは、わたしが最初にアイヌ神話に触れたときに感じた疑問と、そのまま重なります。天野氏は、さらにこのように記しています。
どうして、アイヌでは人間と神であるカムイが近しい存在であるのか。カムイが、彼らの国で人間の姿をして人間のように暮らしているからと言って、それは物語や神話の中の出来事にすぎないのではないか。アイヌやサハリンの熊送りをする民族は、そのことを口実にして、熊を野蛮に狩り続けてきただけではないのか。わたしは「物語のレベル」と「現実のレベル」と二分しましたが、天野氏はさらに「儀礼のレベル」を設定し、それが相互に貫入を起こしていると指摘しています。
この問いに、熊を日常的にみることも語ることも、狩ることも、食べることもない現代の私たちがすっきりとした回答を与えるのは難しくなってしまっている。さらに理解を難しくしているのは、アイヌの世界では、物語の次元と現実の次元、さらに儀礼の次元が相互に貫入を起こしているからだ。
この儀礼で重要なことは、熊を殺して肉を食す喜びを得ることだけではない。アイヌの人々が数年かけて育ててきた小熊は、我が子のようなものであり、また人間でありカムイであるからだ。小熊の世話をした家族にとっては、熊の死は家族の死であり、その肉を食すことは、人食と同様の嫌悪感をもたらすものである。つまり、イオマンテという行為は、いくつかの重層的な意味を持っているということです。現実レベルでは子熊を殺害してその肉を食べる。神話レベルでは、カムイを儀礼によりカムイの国へ送る。そして、食べるという行為のなかにも、肉を得て祭りをする喜びと、家族同然の子熊を食べる悲しみとが同居しているのです。まさに、天野氏が看破しているように、さまざまな次元の出来事が「相互に貫入」しているのが、イオマンテなのです。
物語が生活の中に生きていた社会において、物語は共有される世界観であり、リアルだったのだと思うのです。というペリーさんのご指摘は、ある意味では当たっています。しかし、では、その社会は神話的な世界観だけで完結していたか、といえば、それはまた違うのです。そのように物事をあまりに単純化して見ることは、むしろ正しい異文化理解の妨げになってしまうでしょう。
>いのちと魂との、おおきなめぐりペリーさんのおっしゃるこの疑問も、ごもっともだと思います。神話世界では、命に重きは置かれない。カムイは何度でも肉体を得て、カムイの国と人間の国とを往復できる不死の存在です。
これは現代日本人の常識的な発想への橋渡しということでしょうか。
何故これが、肉と毛皮をカムイが運んでくれる物語の締めくくりにくるのか、
つながりが良く分かりません。
ペリー
昔話
2004年12月15日(水)17時53分04秒
▽イオマンテ絵本/アイヌの昔話の形式からの借用 へのコメント
寮美千子
イオマンテ絵本/アイヌの昔話の形式からの借用
2004年12月15日(水)14時25分57秒
▽感想文 へのコメント
>と、ひとりの老人がいいながら、静かに息をひきとりました。ここの部分ですが、実は、最後に「と、ひとりの老人がいいながら、静かに息をひきとりました。」という形式は、アイヌのウェペケレ(昔話)という形式から借用しています。物語を物語として聞いていると、最後の最後に「だから〜するものですよ」という教訓になり、おや?と思っていると「と、ひとりの老人がいいながら、静かに息をひきとりました。」とすとんと終わってしまうのです。萱野茂著『カムイユカラと昔話』のなかの昔話も、ほとんどこの形式です。
「わたし」が「老人」だとわかるまでに6行待たなければなりませんが、子供に読み聞かせるとすると、「こどもたちよ」あたりで、「わたしってだれなの?」と聞かることにはならないでしょうか。私は子供ではありませんが、状況が見えなくてとまどいました。>ペリーさん
ペリー
感想文
2004年12月15日(水)10時24分41秒
▽イオマンテ絵本/作者の意図と逆の読みに関する考察 へのコメント
寮美千子
イオマンテ絵本/作者の意図と逆の読みに関する考察
2004年12月14日(火)21時23分22秒
▽はじめまして「イオマンテ」の感想です へのコメント
アイヌの人たちは、動物に対する真摯な敬愛の思いと、その動物を殺して食べなければ生きていけないという現実とのつらい矛盾に堪える。堪えるその中でカムイの声を聞き、カムイを発見した。ここに、自分の心に嘘をつかない、けしてごまかさないアイヌの人々の心の強さと純粋を感じ、美しい心として記憶にとどめていました。これに関しては、実はわたしと同じです。わたし自身も、それを表現したいと願ってきました。ところが「イオマンテ」の原稿を読んで、ペリーさんは、まったく逆のことを感じられたのです。引用します。
さて「イオマンテ」です。心の通じあった小熊は少年にとって、人間の友だち以上の親友だろうと感じ、はらはらしながら読みすすみました。しかし、その肉が美味いことで、たったいま目の前で小熊が殺されたショックを忘れ、自分達はいつも生き物を食べているのだなどと一般化した思考を巡らす余裕のある少年は、心が弱く残虐に感じられ、共感することが困難になりました。確かに、兄弟同然に暮らし、かわいがっていた子熊の肉を「おいしい、おいしい」と食べるなど、いまの日本の常識から考えれば、とんでもない残忍なことに映るでしょう。「自分達はいつも生き物を食べているのだなどと一般化した思考」に貶めることで、個人的な感情をなかったことにして、殺害と肉食とを正当化する、というように受け取れば、ずいぶんひどい話に聞こえます。
イオマンテはカムイの信仰、美しく飾られた矢、酒と踊り、美食、大人の言葉によって、心の痛みを麻痺させる装置として機能する。その結果、大人になった少年は熊に矢を放つとき、何の思いも躊躇も無い。これは現代日本の姿を映しているという意味でリアルな物語でした。そして、長年抱き続けて疑わなかったアイヌの美しいイメージが、極端に美化した間違ったものだと思い知らされました。作品中のイオマンテを、ペリーさんは「心の痛みを麻痺させる装置」としての「祭り」として受け取られました。ディスコの大音響の中で酔って踊り狂うような、そんな祭りのイメージを持たれたのかもしれないと思いました。
わたしにとって「イオマンテ」は素直な心が押し殺され、思いが伴わない常識的な説教にとってかわられる恐ろしい物語に終わっています。これでは、わたしが表現しようとしたことと正反対のことになってしまいます。それでは、この絵本を作る甲斐がありません。アイヌ文化への理解を深めたいと思ってつくったのに、むしろ誤解を助長するものになってしまう。
じいさんが「せっかく書いて東京へ持って帰っても、何をいってるのかわからないんじゃつまらないだろうから。これはなあ」といって、粗末な日本語で語るのを聞くと、どこの部分を説明するのかわかりませんけれども、子供が養育されているところ、それから、養育していた女が、とある日帰ってこなかったこと、それから、しばらくして、こわい入れ墨をしたおばあさんが戸口へ現われて、何を持って来たかと思ったら、今まで自分を養っていた女の生首を「これみやげ」と出したんです。そいで、その子供が、「わぁー」と泣く。そしたら、「なんだ、まだ本当の子供だなあ」と笑って、よちよち、大きな鍋を炉へかけて、その生首をグダグダ煮たというのです。そしてしばらくすると、鍋から生首を取り上げて、「食べろー」と出したので、子供が、なおびっくりして、「わーわー」と泣いたら、「何だまだ頑是ない子供でしかなかったのか。では大きくなったら。仇討ちに来い」といって出て行ったあと、子供が泣いて、泣いて、泣きながら、とうとう神がかりする。こういう思想は、我々の方では思いもよらないことですが、アイヌの方では、泣いて、泣いて、泣きながら幼な子が神がかりして、とうとう自分の過去がひとりでにわかってくるような話になります。ペリーさんは「私は、この話の残虐のなかに深い真実が見えるようで魅了されるのです」と記し、さらに次のように述べています。
アイヌの人が人間の命を動物の命と同等に扱わなければならなかった現実の切迫。その現実のなかで、アイヌの人が人間の命と同等に扱った動物の命への敬意。特に、さんざん泣いた末に神がかりするくだりにリアリティを感じます。さて、ここでまず明らかにしたいのは、金田一京助が採集したこの物語は、イオマンテとは全然関係ない、ということです。これはユカラの語り口のひとつで、ここから、子どもがどうしてここへやってきたのかの長い長い奇想天外な物語がはじまります。子どもを養っていたのは、実は本当の母親ではなく、子どもの両親を殺した敵の一族であるということもわかってきます。つまり、これはイオマンテの話でないだけではなく「アイヌの人が人間の命を動物の命と同等に扱わなければならなかった現実の切迫。その現実のなかで、アイヌの人が人間の命と同等に扱った動物の命への敬意」とは、少しも関係のない物語の一部なのです。
口承だからこそ、つまり言質をとられる心配が無かったからこそ大胆に伝えることができた残酷さのなかに潜む強靭なリアリティが、「イオマンテ絵本」では温かく、深刻でないものに薄められ、砂糖にくるまれている。▼熊を殺された子どもの苦悩の表現について
もし、このようにリアリティが変質した作品を、口承文学を文字化したと主張するならば、それは明らかに間違いです。
「イオマンテ絵本」においては、小熊が殺されるより以前にペリーさんの違和感は「さんざん泣くこともなく、解決されてしまう」「熊やエカシなど、人の助けを得て解決されてしまう」ことに集約されると思います。ここに、物足りなさを感じ「残酷さのなかに潜む強靭なリアリティが、深刻でないものに薄められ、砂糖にくるまれている」と感じられた要因になっているのだと感じました。
>「さあ、とってくれ。おまえのものだ」
すでに小熊の声が聞こえ、小熊の殺戮を小熊が正当化してくれる。
>ぼろぼろ、なみだがこぼれてきた。
さんざん泣くこともなく、エカシにはげまされて、つまり人の助けを得て解決されてしまう。