ハルモニア Cafe Lunatique (No.0037)

寮美千子の掲示板

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DORONKO  驚きと失望。 2004年06月09日(水)20時27分08秒 http://8410.teacup.com/fauve/bbs
▼時の破片:4 Jun. 2004 和光大学非常勤講師懇談会/イオマンテ絵本をめぐる反応 へのコメント

寮さんが草稿を書き上げた「イオマンテ」をテーマとする絵本についての、
アイヌ文化論が専門であるという**さんの反応ですが、

>わたしは、アイヌの神話や伝承を絵本にするということ自体、
>反対だからです。

との言葉には、正直、驚いてしまいました。

**さんは続けて「アイヌ文化というものは、その歴史を学び、理解して、
その上でなければ理解できないものです」ともおっしゃったようで、たしかに、
ごく一般の日本人の「アイヌ理解」などというものは昔も今もないに等しく、
アイヌの人々についてのイメージは、まるで「誤解の山」に埋もれている
ようなものだとしても、「物語る」こと自体を禁じるかのような**さんの
姿勢には、ぼくは賛成することはできません。

そもそもアイヌの文化は、ぼくの貧困な知識でさえ、文字に頼ることもなく
「ユカラ」のような叙事詩を生み出したという点で、“口承の文化”である
という性格を強く帯びていることは否定のしようもないと思うのですが、
もし「物語る」こと自体を禁じることをよしとするというのであれば、
それは、“口承の文化”であるアイヌの文化の根を絶つことにしかならない
だろうとぼくは思います。それは、正しいか正しくないかといったレベル
ではなく、ほとんど犯罪に等しいことではないのでしょうか?

もちろん、ぼくは**さんと直接話したわけでもないので、以上はあくまでも
感違いである可能性も大だと思うのですが、この“物語ることの否定”とも
取れる言い方には、どうしても疑問が残るし、失望せずにはいられません。

ちなみに、もちろん寮さんはアイヌの血統の持ち主でもなく、その文化の中で
育ったわけでもないわけですが、現代のアイヌ民族を代表する一人でもあると
いってよい萱野茂さんのような方だって、「物語る」ことへの情熱は持ち続けて
いて、小中学生でも読めるような物語集のような本を出されていたと思うの
ですが、もし**さんのような姿勢を徹底するなら、萱野さんのような活動
さえもすべていけないということにならざるをえません。――いったい、
そんなことを主張するような権利が、神ならざる人間にあるのかどうか、
ぼくは疑問に思わずにはいられません。

ごく常識的に考えるなら、**さんは、「学問と物語は別物だと思う。自分が
しているのは学問なので、自分には物語のことはわからない」と、それだけを
言えば十分だったのではないでしょうか?それだけのことならば、ぼくにも
理解できなくはないけれど、でも、「アイヌの神話や伝承を絵本にするという
こと自体、反対だ」というのは、いくら何でも言い過ぎというものでしょう。

ともかく、**さんの反応は、ぼくには理解しがたいものなので、「どうして
そうなってしまうのだろう?」ということに、いずれ答が見えればいいのだが、
と思います。

(以上のことと、寮さんの草稿そのものへの評価は、また別問題です。ぼくは、
まだ草稿をよく読んではいませんので、これはまた別の機会に、と思っています。)

注)**は、寮美千子の一方的な都合【わたしが鬱になる理由】によって、実名を削除させていただきました。22 Jul. 2004

勇崎  その営みの意味と素晴らしさ 2004年06月07日(月)04時12分38秒
**学部アイヌ文化・アイヌ語の某専門家と某写真家の会話 へのコメント

某写真家> “その営みの意味と素晴らしさ”について、僕自身の意見を述べておくべきでした。人間は他のいのちを食さなければ生きていけません。その人間のサガを、イオマンテはひとつの摂理として提示するだけではなく、他のいのちに感謝することを儀式化した完璧ともいえる営みだといえます。例えば、僕らが口にする肉は、誰かが屠殺してくれたものです。野菜や果物だって、悲鳴をあげたり血をだしたりしないだけで、人間が食すことによって、そのいのちは奪われています(ということで、ある種の菜食主義者を僕は信用していません)。大和民族は屠殺を見えない場所に追い込み、そうすることによって、屠殺を不浄なものとし、それを担う人は差別される立場に追いやってきた歴史があります。なぜ、差別されなければいけなかったのでしょう。アイヌ民族は屠殺を不浄なものとせず、イオマンテによって、むしろ神聖化し、行為者に対し尊敬の念を抱かせてもいます。だから屠殺行為者は被差別者にはならなかった。イオマンテを嫌いだというアイヌの子に、そのような営みをつづけてきたアイヌ民族を、僕はうらやましいよ、だから嫌いにならずに自らの民族の営みを愛して欲しい、とお話ししたいと思うけど、アイヌ文化・アイヌ語の**学部某専門家さん、いかがでしょう。

注)**は、寮美千子の一方的な都合【わたしが鬱になる理由】によって、実名を削除させていただきました。22 Jul. 2004

勇崎  **学部アイヌ文化・アイヌ語の某専門家と某写真家の会話 2004年06月07日(月)03時31分49秒
▼時の破片:4 Jun. 2004 和光大学非常勤講師懇談会/イオマンテ絵本をめぐる反応 へのコメント

**学部某専門家> わたしは、アイヌの神話や伝承を絵本にするということ自体、反対だからです。アイヌ文化というものは、その歴史を学び、理解して、その上でなければ理解できないものです。物語にしてもそうです。物語の部分のみ切り取って、子どもにもわかりやすい絵本にすると、こぼれ落ちでしまうものも膨大だし、誤解も招きやすい。これは、困った問題だと思っています。

某写真家> 困った問題というのは、あなたのような考え方を持っておられる人がいることではないでしょうか。

**学部某専門家> しかし、アイヌの子どものなかにも、イオマンテの儀式を見て、ああいうのは嫌だという感情を抱いた者がいることを、ご存じですか。それを、どう思われますか。

某写真家> それはおかしいですね。その子となぜ嫌いなのか、あなたは話し合うべきではないでしょうか。脈々と引き継がれた民族の営みです。それを愛せずして、その営みの意味と素晴らしさを伝えずして、その子の存在の尊厳にも関わる問題をあなたは無自覚にも踏みにじっていらっしゃることにお気づきになりませんか。その営みの意味と素晴らしさを伝えるには、この絵本は大いに役立つと読者としての僕は自信を持っていえます。
ところで、人間関係学部って、ディスコミュニケーションの仕方を教えておられる学部なのですか?

注)**は、寮美千子の一方的な都合【わたしが鬱になる理由】によって、実名を削除させていただきました。22 Jul. 2004

silica  なぜ、始めから閉ざすのでしょう。 2004年06月06日(日)10時41分14秒
▼時の破片:4 Jun. 2004 和光大学非常勤講師懇談会/イオマンテ絵本をめぐる反応 へのコメント

>寮 イオマンテを題材にした絵本を制作中なのですが(と概要を説明)。少しでも誤解や間違
>いのないものにしたいと思って、いろいろな方々にお目通しいただいて、ご意見をいただいて
>います。よろしかったら、ご専門の**先生にも見ていただきたいのですが。
>研究者 申し訳ありませんが、お断りしたいと存じます。というのは、わたしは、アイヌの神話
>や伝承を絵本にするということ自体、反対だからです。アイヌ文化というものは、その歴史を
>学び、理解して、その上でなければ理解できないものです。物語にしてもそうです。物語の部
>分のみ切り取って、子どもにもわかりやすい絵本にすると、こぼれ落ちでしまうものも膨大だ
>し、誤解も招きやすい。これは、困った問題だと思っています。

寮さんは、アイヌの研究をされている**先生というひとりの人の感性には、心を込めて書いた作品がどう映るだろう、と信頼と親愛の気持ちを持ってお申し出になられたことと思います。
でも、始めから「作品は見ない。」「関わらない。」となぜ閉ざしてしまうのでしょう。

私が寮さんと**先生のやりとりから素直に感じたことは、「**先生は、絵本そのものが苦手でいらっしゃるのかな。」というセンスです。もしかしたら「詩」そのものも今ひとつてれくさかったり、ムズムズしたりなさるのかもしれません。その入口で先生ご自身がつっかえるので、絵本の感想はできない、とおっしゃるのかもしれません。始めから、いい作品ですねと言ってあげられないであろうものは気持ちをそいでしまうだけだから、コメントしないでおきましょう、という配慮なのかもしれません。
それでも、そんな先生に映る率直な感想を聴くことができたら、と寮さんはやっぱり思われたと思うのです。

自分が掴める範囲、理解の届く範囲からのみ自分も発信していく、というのはとても誠実な態度だと私も思います。年を重ねるほど、できることに限界があるのだから範囲を広げる必要はないという考えにもなっていくかもしれません。
でも、何かをやろうとしている人がせっかく助言を求めてきたら、その気持ちを受け取ってあげたうえで、やっぱり私はこう思っています、というごく簡単な対応はできないものかと素朴な疑問を持ちます。
その場では、そのようにお別れしても、寮さんと言葉を交わされたことで、**先生が後から寮さんのサイトをながめたり、サイト内にある「イオマンテ」の原稿にひととおり目を通されてくださっていたらといいなと願っています。

注)**は、寮美千子の一方的な都合【わたしが鬱になる理由】によって、実名を削除させていただきました。22 Jul. 2004

勇崎  さらに豊かな世界へ 2004年05月29日(土)00時28分42秒
▼Review Lunatique:絵本原稿/イオマンテ めぐるいのちの贈りもの へのコメント

イオマンテの出版決定おめでとうございます。
以前に読ませていただいた初めの頃の稿から、さらに豊かな世界へひろげられたように感じ入りました。
特に、ラストの赤毛の熊は、初期の稿では、悪玉のままでしたが、最終稿?では、いのちあるすべての存在が救われるように、大幅に加筆されたのは、流石と、感動いたしました。
入念なレトリックもぎりぎりのところまで削ぎ落とされ、心の動きの描写なども、読者に理解できるよう丁寧かつシンプルにされ、きっと、ずいぶんと推敲されたのだなあと思いました。日常的言葉づかいだけだったなかに敬語を持ち込まれ、アイヌの人たちが何を大切にされているのかが、よくわかるようになっていました。
いずれにしても、初期の稿以降にも、アイヌの人たちの声に耳を傾かれ、その固有の価値観や心情を、注意深く感じ取られ、この言葉の世界に還元されていくことに努めておられたのだなあ、と感心いたしました。

イオマンテへの感想も遅くなってしまいましたが、「ガンガー物語」について、公開時に一度拝読し、もう一度読ませていただいてから感想をと思っていたのですが、イラク人質事件で、すっかりぶっとんでしまったようです。
まだ一度しか読んでいませんし、しかも相当に月日もたってしまいました。もう一度通読してから感想をお伝えしたいと思いますが、インドの人たちの創り出した神話のスケールの大きさとそれを自らに受容するイマジネーションの豊かさが、彼らの信仰の背景にあったのだ、ということを気づかせていただきました。

吉木克実  「人道的支援は誤り」という意見が多数派 2004年05月26日(水)14時27分54秒

報道によれば、北朝鮮に対し人道的支援を行うことに反対だというのが、
(現時点では)日本人の意見としては多数派のようだ。
北朝鮮はひどい国だからというのが大方の理由のようだ。
だがちょっと待ってほしい。
これは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってやつでしょう。
ついこの間、曾我さんはじめ拉致被害者の皆さんが「一時帰国」したときに、
「彼らは洗脳されているから」と、説得に躍起になったのは、
彼らが日本人だったからだろうし、
在日の民団関係者が拉致被害者だったらこうはならなかっただろう。

それはともかく、「ひどい国」の「国」とは何だろう?
擬似的に一つの人格を持つのだろうか?
そしてそれは金正日のそれだというのだろうか。
その日の糧もなく細々と命を燃やす人々がいると報道されたこともある。
それは本当なのか?
もし本当ならばその人々をどうすればいいのだ?
為政者の陰で苦しむのはいつも社会の末端者。
彼らは人として数えられることはないのだろうか?
彼らに備蓄米から少し、あるいは医薬品を少し分け与えることは間違いなのだろうか。

「ギブミーチョコレート!」
こう叫んで駐留米軍のジープのあとを追いかけた子供たちは、
今いったいいくつになったのだろう。
あのとき、救援のミルクを飲んで生をつないだ子供たちは?

わたしは人道的支援は誤りだとする意見には到底納得できない。
経済制裁と人道的支援はまったく別のものだ。
弱者からまず切り捨てるこのような方法をもしわが日本国が国家の決定として用いるなら、
それはまさに国家の堕落だ。いや、凋落か?
そのような国になぜ忠誠を誓えるというのだ?

 私は、どの国の人々にも、胸を張って「私は日本人です」と言い切りたい。
どうか、人道的支援が「人道的見地から」なされますように。
日本の人々が心をこめて物資を送り出せますように。

目玉おやじ  そう、本当にどっちが幸せか他人には想像する以外ないよね 2004年05月26日(水)03時15分31秒
拉致被害者を強制的に日本の留めたのは「拉致」行為 へのコメント

特に日本人である僕らには想像するしかできないのではないか? これまで在日朝鮮人の引揚げ者の子供だと思わされてきた人たちの思いは。

> 地村さんの息子さんが「おかあさんのところへ帰りなさい、といわれ、嫌だといったけれど、聞き入れられず、命令されて来た」と語って

これは一つの可能性として、彼(か)の国における教育では「日本はとてもヒドイ国である」と教えられていて、日本に行くなんて到底考えられない、という気持ちもあったかも知れない。
でも、住み慣れた土地や学校を離れたくない、仲の良い友達達と離れ離れになりたくない、そういった気持ちの方が本当だろう。向うに恋人や大事な人が居るかも知れないし。
いや、でも、胸に光る金日成バッジが示すように、祖国北朝鮮を裏切りたくないという気持ちも有るんだろうな、今はまだ。

「私たちが首相と同じジュースを飲んでも良いの?」という質問が出てくることを考えると、体制の違いは相当なもので、これからの1ヶ月ぐらいは良くも悪くもカルチャーショックの嵐でしょうね。
総てを理解した後でなら、「(日本に行くのは)嫌だ」とは思わなくなるかも知れないし、それでもやっぱり残りたかったと思うかも知れない。

避けられない問題は「二つの選択のうち、双方共を選ぶことは不可能である」という事実だろう。現時点ではどっちか片方を選ぶしかない。
「日本にも朝鮮にも住みたい」ということが可能な世の中になれば丸く収まるのにね。

寮美千子  拉致被害者を強制的に日本の留めたのは「拉致」行為 2004年05月24日(月)12時46分43秒
チャールズ・ジェンキンス軍曹について。 へのコメント

このことと曽我ひとみさんの立場に対する理解、深い同情、拉致に対する怒りとは全く別の次元の話です。
「一時帰国」した曽我ひとみさんを殆ど強制的に日本国内に留めたことは誤りだったのではないでしょうか。by 征木高司さん
征木高司さんのおっしゃるとおりです。曽我ひとみさんがあまりに気の毒なので、つい目が曇ってしまいました。拉致被害者を強制的に日本の留めたのは「逆拉致」だったと、わたしも思います。今回も、地村さんの息子さんが「おかあさんのところへ帰りなさい、といわれ、嫌だといったけれど、聞き入れられず、命令されて来た」と語っていると、新聞にありました。国家が個人の行動をそのように強制すること自体、間違っています。

北朝鮮で生まれ育った子どもたちを、強制的に移住させるのは「拉致」同然の行為です。国家の間で翻弄される彼らを、その苦悩から解き放つには北朝鮮と自由に行き来できる良き関係を築く以外にありません。

だいたい、日本がアジアの隣国と自由に行き来できる良き関係を築いてこられなかったこと自体が、拉致事件の元にあるのです。アメリカが作った世界の枠組みに迎合してきただけで、独自でアジア諸国との良き関係を生みだそうとしてこなかったツケが、この拉致事件なのではないでしょうか。

ジェンキンス氏が脱走兵であり、いまのアメリカの法律で罰せられることは致し方ないということもなるほどと思いました。けれども、わたしはアメリカの法よりも、もっと大きな「法」があると思います。それは、人が人を殺してはいけない、ということだと考えています。これは、いまの世界では認められていません。アメリカも認めていません。アメリカは「正義」という名目さえ確保すれば、どれだけ人を殺してもいいと思っているようです。イラクでそれを実践しています。

「人が人を殺してはいけない」これを共通理解にすることができれば、少なくとも国家規模の戦争はなくなるはずです。

兵隊になるということは「人殺しになれ」と命じられていることです。それはいやだといって逃げだした人のことを裁くのは、おかしいとわたしは思っています。

つまり、寮美千子の考えは軍隊も戦争も否定するということで、だから、軍隊から逃げだすことは是としたい。だからといって、ジェンキンス氏のことだけをいうのはアンフェアでしょう。感傷的になりすぎているともいえます。いまのアメリカがそんな理屈を通すわけがない、非現実的である、といわれれば、その通りです。

けれど、それでもやはりいいたい。小泉首相がさまざまなスタンドプレーをして人気取りをし、アメリカにかくのごとく尻尾を振っているのなら、せめてジェンキンス氏の自由を確保するくらいのスタンドプレーをして見せてほしい。それくらいの「政治的手腕」を見せてくれ。ブッシュ大統領とそんなになかよしなら、ジェンキンス氏の自由を約束してもらえるくらいなかよしなのだと見せつけてほしい。アメリカに尻尾ばっかり振ってるなよ、たまにはこっちの言い分も通せよ、とわたしは言いたいのでした。

やっぱり、感傷的にすぎるかなあ。
感情的な報道と感傷的な意見がこの国を誤らせてきた事をどうかお忘れなく。by 征木高司さん
はい、よく考えてみます。

征木高司  チャールズ・ジェンキンス軍曹について。 2004年05月24日(月)09時48分45秒
小泉首相はアメリカと交渉してジェンキンス氏の自由を保証すべきだ へのコメント

チャールズ・ジェンキンス軍曹は脱走兵であり、しかも利敵活動をしてきた国外逃亡中の犯罪者です。
決して「元」脱走兵ではありません。アメリカ合衆国と陸軍にとって現役の重犯罪者です。
しかもアメリカは現在イラクで大量の死者を出す「戦争」をしていることは厳然たる事実です。
軍には何よりも優先すべき軍規/軍律があります。
戦争捕虜ですらないイラク人虐待が明るみに出た今、軍律がゆるみ厭戦気分が漂う現在、
アメリカ政府と合衆国陸軍はジェンキンス軍曹に対して温情的な措置をとれる余裕/可能性はありません。
そのことはチャールズ・ジェンキンス軍曹自身が一番よく判っているはずです。

この件に口を挟む権利は日本政府にも日本人にも全くありません。

寮さんの意見は「内政干渉」そのものの感傷的で誤ったものと云わざるを得ません。

外国の軍法会議に口を挟んだり「交渉」したりする事は不可能です。


このことと曽我ひとみさんの立場に対する理解、深い同情、拉致に対する怒りとは全く別の次元の話です。
「一時帰国」した曽我ひとみさんを殆ど強制的に日本国内に留めたことは誤りだったのではないでしょうか。
日本国政府は特に曽我ひとみさんに関して重大な責任があることはハッキリしています。
しかし、不可能なことは不可能なのです。

感情的な報道と感傷的な意見がこの国を誤らせてきた事をどうかお忘れなく。





寮美千子  小泉首相はアメリカと交渉してジェンキンス氏の自由を保証すべきだ 2004年05月23日(日)01時43分42秒

北朝鮮に拉致されていた蓮池夫妻、地村夫妻の子どもたちが日本へやってきた。
そう、戻ってきたのではなく、彼らはやってきたのだ。
彼らにとっては、日本は故郷ではなく、異国。
北朝鮮には、友だちもいただろうし、恋人だっていたかもしれない。
つらい別れがなかったはずがない。
彼らは、彼らのほんとうの意志とは関係ないところで、
人生を勝手に決定されてしまっている。
気の毒だ。
どうしてそんなことになってしまうのか?
それは「国」と「政治」のせい。
一日も早く国交を正常化させ、人々が自由に行き来できるようにしてほしい。
彼らが苦しまず、自分の意志で自分が生きていく場所を決定できるようにしてほしい。
会いたい人に、いつでも会えるような状態にしてほしい。

それにしても、曽我ひとみさんのことを思うと胸が痛い。
曽我さんの夫のジェンキンス氏は、元脱走兵であるために、
日本に来れば米軍の軍法会議で裁かれる可能性があるという。
そのために来日を拒否したとのこと。
ジェンキンス氏にとっても、娘さんたちにとっても、なんというつらい選択だろう。
家族に会えなかった曽我ひとみさんのことを思うと、ほんとうに気の毒でたまらない。

国は本来、人間を守るためにあるのに、その国に家族が引き裂かれる。
「国境」というヴァーチャルな境界線にはばまれ、人生が翻弄される。
そんなことがあっていいはずがない。

わたしは小泉首相にいいたい。
ジェンキンスさんの問題は、ずっと以前からわかっていたはずだ。
今回、こんな結果になるだろう事も、容易に予想ができた。
なぜ、今回北朝鮮に行く前に、この問題をどうにかしなかったのか。
小泉首相はアメリカと交渉して、ジェンキンス氏の自由を、保証すべきだった。

「同盟国」アメリカにあれだけ尻尾を振っている日本の首相だ。
アメリカのイラク政策も徹底的に支援している日本だ。
それくらい、約束させることはできたはずだ。
日本国民の、これだけの関心事なのだから。
ジェンキンス氏が無事来日することができれば、
アメリカを強力に支援する小泉首相の株が上がる。
アメリカだって、小泉首相から真剣に交渉されれば飲むだろう。
小泉首相は、果たしてそういったネゴシエーションを一度でもしたのだろうか。
しようという努力をしたのだろうか。

拉致問題は、蓮池夫妻、地村夫妻、そして曽我さんの問題だけではない。
曽我さんのことだけに力を割くわけにはいかないこともわかる。
けれど、これだけの国民の関心事であるジェンキンス氏の件について、
アメリカとそのようなネゴシエーションもできない政治家など、あまりに情けない。
スタンドプレーひとつできないで、ただただアメリカに尻尾を振っているなんて、
いいかげんにしろと、わたしはいいたい。

拉致被害者家族の乗るバスをパパラッチのごとく追いかけるテレビにも、
いいかげんにしろと、わたしはいいたい。
どのチャンネルを回しても、同じ映像ばかり。
日本のマスコミは、マスコミとしてのほんとうの役割を果たしていない。
ただのネタ、覗き趣味ではないか。
拉致被害者家族を追いかけ回すマスコミなんて、みんなでボイコットしよう!

「国」とは何か。
わたしたちは、ほんとうにどんな「国」を望み、どんな政府を望んでいるのか。
そのことについて、みんなが真剣に考えなくてはならないと思う。

寮美千子  明日22日 中本ムツ子さん東京で講演! 2004年05月21日(金)14時05分13秒
絵本「イオマンテ めぐるいのちの贈りもの」助成金を得て出版決定! へのコメント

絵本「イオマンテ」で取材させていただいた中本ムツ子さんの講演会があります。
4時から東京駅そばのアイヌ文化交流センターです。
東京で中本さんの声が聞けるなんて! みなさまも、ぜひ!
ドロンコも、来いよ。

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DORONKO  ヤッタね!! 2004年05月20日(木)13時30分17秒
絵本「イオマンテ めぐるいのちの贈りもの」助成金を得て出版決定! へのコメント

北海道ヨジレ旅?に同行させてもらった者として、私メにも
ヨロコビにたへません!

ただ、この話、こちらじゃなくって「ルミ」の方に書いた方が
よいのじゃないでしょうか?

寮美千子  絵本「イオマンテ めぐるいのちの贈りもの」助成金を得て出版決定! 2004年05月19日(水)12時32分20秒
▼Review Lunatique:絵本原稿/イオマンテ めぐるいのちの贈りもの へのコメント

絵本「イオマンテ めぐるいのちの贈りもの」が、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構の2004年度出版助成の審査を通過。出版の直接経費に関する助成金が得られることになりました。組版・印刷・製本に関わる経費は、ここから出してもらえます。もちろん、原稿制作のための資料費・取材費なんかはゼロ(つまり自腹)だけど。

というわけで、絵本の出版が、正式決定しました。今秋、出版予定。絵は「おおかみのこがはしってきて」の時と同じ、小林敏也氏です。すでに、制作に入っています。

この絵本は、十勝場所と環境ラボラトリーの人たちと協力してつくっている絵本。帯広百年記念館の学芸員の方や、帯広ウタリ協会の方々にもお世話になっています。

絵本の原稿制作にあたっては、ほんとうにいろんな人にお世話になりました。北海道に行って、実際にみなさんにお話を聞かせていただいたことも、作品のなかにダイレクトに反映されています。中本ムツ子さん、姉崎等さん、安東ウメ子さんなどのフチやエカシの体験談は大きかった。百年記念館の学芸員の内田祐一さんからも、たくさんの貴重なお話、お伺いしました。そして、みなさんに会えるようにアレンジしてくださった早来の山田雄司さん、金子恵さんにも大感謝。山田さんを紹介してくださった札幌の勇崎哲史さんにも足を向けられない。東京で、いろんな形で応援してくれた大野徹人さん、これからもよろしく。などなど、お世話になった人はキリがありません。みなさん、ありがとう。いい本を作ります!

絵本の原稿、レヴューに掲載しました。ご意見・ご感想・ご指摘など、どしどしお寄せください。この掲示板で、お待ちしています。よろしく。

松永洋介  おすすめのボランティア本 2004年05月16日(日)11時53分15秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/
オススメの本。 へのコメント

「ボランティア、いかにあるべきか?」という考察ですが、超おすすめの本があるのでご紹介します。
わざわざ海外へ出かけてボランティアをするというのは、どういうことか?

カルカッタにある、マザー・テレサのはじめた施設「マザー・ハウス」には、さまざまな人々が世界中からやってきてボランティアをしています。(高遠菜穂子さんもボランティアをしていたことがある)
そこでの過酷なボランティア体験と、さまざまな人々との出会いを経たうえで、ボランティアについての本質的な考察がなされています。世界のマザー・テレサをマザー・テレサたらしめたカルカッタの街の描写も、ちょっとよそには見あたらない重要なものです。

『マザー・テレサへの旅 ボランティアってだれのため?』寮美千子/文・写真、学研、1997

「小学校中学年から」とありますが、大人が読んでも違和感なく楽しめます。
ぼくは最初に読んだとき、あんまりすばらしいのでショックを受けました。
ここの掲示板を利用している人なら、一度読んでおいてもバチは当たらないと思います。
今夏刊行の『楽園の鳥』の副読本としてもおすすめです!

DORONKO  オススメの本。 2004年05月13日(木)19時15分06秒
一億総心のバランスが崩れている昨今 へのコメント

……探していた本がようやく出てきたので、ちょっとピンボケな話題かも
知れませんが、ちょっと書かせてもらいますね。高遠菜穂子さん3人の
行動に関して、「ボランティア、いかにあるべきか?」ということに
ついてです。

といっても、ぼく自身、多少の市民的活動の経験はあるものの、いわゆる、
巷でいわれているような「ボランティア」に従事したことはほとんど
ありませんし、専門家を気取って、大所高所から論じるようなことは、
ぼくにはまったく不可能です。

ですから、しばらく前に一読して、とても印象に残っていた本から、
ほんの少しだけ引用して、お茶をにごすだけにしておきたいのです。

まず、時は1994年だかというから今から10年も前で、場所はアフリカの
ルワンダでのことだそうですが、そこで「国境なき医師団」に属して
働いていた日本人の助産婦さんは、こう語ったそうです。(注釈なし
では誤解もされそうですが、あえてしません。)

「善意だけのボランティアでは成り立たないんです。目的意識が
はっきりしていなくてはいけないし、生活基盤を作れるぐらいの
金銭的保証も必要です」

一方、この当時は「元医者」で、医者をリタイアしていた著者の
永井明氏は、こんな風に述べてもいます。

「……だが、混乱している厳しい現場に素人はいらないし、かえって
邪魔になる。資金集めも含めてそのNGOの力量という冷徹な現実が
ある」

で、その上で、高遠さんたち3人のことを考えてみると、まず 高遠さんの
場合は、すでに現地での活動経験があって、そのへんの子どもたちから
とても慕われていたということからもわかるように、彼女は決して
ずぶの素人というわけではないし、むしろ、とても貴重な資質や能力を
持った人だと、ぼくの目には映りました。

次に、今井紀明君ですが、彼にもしっかりした活動の経験があるよう
ですし、TVでの語り方などを見ても、彼もまた、決して安易な動機から
イラクへと向かったのではないということは、認めないわけには
いかないでしょう。

また、郡山総一郎さんの場合も、週刊誌に写真と記事が載ったことも
あるわけで、フリーのフォトジャーナリストとして、一定レベル以上の
知識や力量を身につけた人であるということは、否定できないだろうと
ぼくは思います。

ですから、もし彼らに何が欠けていたのかということを論じるとすれば、
あの時点でのイラクの治安の状態等についての判断は、やはり甘かった
のではないかということはたしかですし、また、「組織的な活動」の
必要ということについての理解や認識が不足していたのではないかと
いうことは、やはり考えてみなければならないことでしょう。
(郡山さんの場合は、ボランティアの活動家というわけではないし、
単独での行動が基本ということもあるだろうと思いますが。)

ただ、それでもぼくは思うのですが、この国にはボランティアという
ことについてそれほど強力な伝統や組織があるとは考えにくいし、
とりわけ、組織については(テーマによってはかなりの実績を上げて
いるNGOやNPOもあるということはわかるのですが)、目的によっては
「ないものねだりにしかならない」という現実があることも、否定
できないのではないでしょうか?そもそもが、たとえ「組織的な活動」
を行なうにしても、それは別に「国」というものを頂点とする命令の
体系に必ず従わねばならない…などということもないはずです。

ですから、たとえ最初は自分一人でも、援助を必要とするような人たち
がいて、自分はそのために役に立てるということに自信があるなら、
まず始めてみる――ということは、それ自体としては決して否定すべき
ではなく、それどころか、欧米のメディアは大半がそうした論調だった
そうですが、彼ら3人は、とても立派な若者だと、素直に認めることが
どうしてできないのだろう?と、ぼくは思います。まあ、勇崎さんも
心配されているように、これだけの事件になってしまった後では、
あまりに「立派な」ということを強調しすぎたりするのは慎むべき
だろうとは思いますが。でも、あの3人のような若者たちを頭ごなしに
「けしからん!」などというのは、どう考えてみても、そう言いたがる
人たちの方が倒錯してるんじゃないの?とぼくは思います。

あ!――忘れないうちに書いておきますね。前にもここで薦めた
ことがあるのですが、永井氏の本のタイトルは『病む人、癒せぬ人』
です。朝日文庫で、まだ品切れにもなっていないようですから、
みなさん、ぜひ読んでみて下さい!

寮美千子  私生活を暴いたり叩いたりするのは人権侵害 2004年05月13日(木)16時09分19秒
見えるものも見ようとしなければ見えない へのコメント

▼私生活を叩く権利は誰にもない

>虐待していたアメリカ女性兵士は、
>(虐待写真に)一緒に笑って写っている男性を相手に
>妊娠5ヶ月ということがわかって本国に帰されたようです。 by そよかさん

そよかさま
一体、何の意図があって、この情報をここにお書きになったのでしょうか?
「軍隊の規律が乱れている」ことの証明でしょうか?
しかし、軍隊であろうが何であろうが、そんなことを規制する権利は、
誰にもないと思います。

わたしは、このことはまったくプライベートな問題だと思います。
確かに、彼女は虐待したその事実に関して激しく糾弾されるべきです。
しかし、だからといって、私生活まで干渉されるいわれはありません。
メディアでも、この情報を鬼の首をとったかのように流していますが、
わたしはそれは、一種の人権侵害だと感じています。

▼個人の問題と国の問題は土俵が違う

書こう書こうと思っていて、書けなかったことがあります。
国の問題と、個人の問題を、ごっちゃにして、
同じ土俵で語るのは、間違っているということです。

イラクの日本人拉致事件の時、被害者へのバッシングがありました。
被害者を真の国際親善の架け橋として称揚する意見もありました。
けれど、わたしは、この事件に関して語るとき、
どちらも違うのではないかと思っていました。
それは、この事件の本質とは関係ないからです。

ここで、問題にすべきは、日本がアメリカを支持し、
武器を持った自衛隊を派遣したがために、反感を買って、
日本人が拉致されたという事実です。その構造です。
拉致された人が誰で、どんな人かということは、問題の本質に関係ない。
それは違う土俵で語られるべき問題です。

例えば、イラクのレジスタンス側にもしもその力があれば、
なにも、イラクに滞在中の日本人を拉致しなくてもよかった。
海外旅行中の日本人や、日本にいる日本人を拉致してよかったはずです。
日本人なら、誰でもよかった。、
日本人を人質にして、犯行声明を出し、
自衛隊撤退の要求をつきつければ、それでよかったわけです。
つまり、拉致された人が何をしていたかとか、どんな人かなんて、関係がない。
そんな時、日本という国は、国民を本気で助ける気があるのか、という問題です。
それこそが、まず問われるべきことだったと思います。

それを問わずに、彼ら個人の行動の是非を問うのは、間違っています。
自己責任云々は、本来、レベルが違う話です。
土俵といいかえても、ステージが違うといってもいい。
国の責任問題と、同列で語るべきことじゃない。
別の次元で語られるべき問題です。

▼敵にも味方にも人権はある

虐待をした米国女性兵士の妊娠のことや、その相手が誰かなんてことを云々するのは、
イラクの日本人拉致被害者をバッシングするのと同じセンスです。
相手が敵?であろうと誰であろうと、その人権はきちんと認めなくてはいけない。
それを認めなかったからこそ、今回の米軍による虐待事件も起きたのではないでしょうか。
虐待をした米軍女性兵士のこと、坊主憎けりゃ袈裟まで憎し式に、
私生活まで暴いて叩いたりしてはいけなません。
虐待のその事実にのみに、きちんとフォーカスすべきだと思います。

今後、他者のプライバシーに関する書き込みは、ご遠慮ください。

吉木克実  日本国憲法第9条の理念 2004年05月13日(木)11時05分51秒
見える虐殺/見えない虐殺 へのコメント

寮さんの書き込みから少し長いけど引用させてください。

>つまり、戦争というものは、それがどんなに正義であるという大義があっても、もと
>もと人間としての尊厳を損なうものなのです。人間を、人間ではなくしてしまうもの
>なのです。どんなに規律正しい軍隊であろうと、高尚な精神論を叩き込まれていよう
>と、人を殺し、人に殺される可能性があるというそれ自体が、すでに人間の尊厳を損
>なっている。人を、人でないものにしている。

それを根源として認識し、

>人間をそのような状態に追い込まないように最大限の努力をすることこそが、ほんと
>うの「政治」なのではないでしょうか。あらゆる方法を使って「武力」を行使するこ
>とを回避する。それこそが、政治がするべきことだと、わたしは思います。



ここで「政治」を「われわれ日本国民(のありかた)」と読み替えれば9条の理念そのものではないでしょうか?

綺麗ごとなんかじゃない。
ごく当たり前のことじゃないですか。
軍事力はもしかしたら必要なのかもしれない。
それは百歩譲りましょう。
だけど、紛争を解決するまさに手段としていとも安易に武力を用いることのかげに、
僕は人のあり方を見てとることができない。
寂しい、悲しいことだ。



そよか  見えるものも見ようとしなければ見えない 2004年05月13日(木)09時31分33秒 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/4328/
見える虐殺/見えない虐殺 へのコメント

 おはようございます。
1年前の画像類ですが.....
「Pictures of Destruction and Civilian Victims of the Anglo-American Aggression in Iraq 」
http://www.robert-fisk.com/iraqwarvictims_page1.htm#top

こちらをご紹介します。
「浅井久仁臣の国際情勢ジャーナル・『私の視点』 」
http://www.asaikuniomi.com/

 いよいよ「加害者日本人に懸賞金」がつけられるようになってしまいました。

虐待していたアメリカ女性兵士は、(虐待写真に)一緒に笑って写っている男性を相手に
妊娠5ヶ月ということがわかって本国に帰されたようです。
彼女自身はトレーラーハウスで育だち学業優秀で大学資金免除してもらって
勉強するために軍に入隊したようです。

アルカイーダに殺害されたお気の毒なアメリカ人については、
ご両親はアメリカ政府批判をしています。
アルカイダに拘束される直前までアメリカ軍が拘束して両親にも審問しているようです。
家族が不法拘束を理由に米連邦裁判所に提訴して釈放直後アルカイーダに拘束というなんとも
複雑(不可解?)な流れがあるようです。
http://www.asyura2.com/0403/war54/msg/1357.html

寮美千子  見える虐殺/見えない虐殺 2004年05月13日(木)02時12分00秒

▼憎しみの連鎖
イラク国内で武装グループに誘拐され人質となっていた米民間人が、イラク人虐待事件「報復」を理由に首を切り落とされて惨殺される事件がありました。

憎しみの連鎖による悲劇は、とどまるところを知らない勢いで広がっています。胸が痛まずにはいられません。憎しみの連鎖を、わたしたちはどうしたら断ち切ることができるのでしょう。

▼報道されなかったアメリカによる虐殺シーン
ホワイトハウスのマクレラン報道官は11日、「映像は自由の敵たちの本性を示している。無実の男女、子どもの生命を何とも思っていない」と批判したとのことです。

確かに、ひとりの人間が「虐殺」される場面がネットとテレビで流れた衝撃の大きさは、はかりしれないものがあります。

しかし、では、ネットでもテレビでも流れなかった虐殺シーンはどうなのか。ファルージャで米軍に惨殺された千人近くの人々の映像を、もしもメディアがのべつ流したとしたら、世論は一体どうなっていたでしょうか。

「(虐殺の)映像は自由の敵たちの本性を示している。無実の男女、子どもの生命を何とも思っていない」というマクレラン報道官の言葉は、そのまま米軍に向けられるものになるでしょう。

わたしたちは巧妙に操られている。見えないところで行われる虐殺は「正しい戦争」の名が冠せられるだけです。一人一人の死が、虐殺されたアメリカ人の死と同じ残酷さであるのに、それが見えない。

そのことに世界が気がつかない限り、憎しみの連鎖は断ち切れないのだと、わたしは感じています。

▼意識的な残酷と、無自覚な残酷
イラク国内で武装グループによる米民間人虐殺事件は、報道されることを前提としていました。つまり、自分たちが何をやっているのか、わかっていてやっていた。

しかし、米軍によるアブグレイブ刑務所でのイラク人虐待は、そうではなかった。まさか報道されるとは誰も思っていなかったようです。「暴行の間、全員がずっと笑っていた。女も男も何人かが、終始、鼻歌を歌っていた」という被害者の証言からも、それは推察できます。虐殺に加担した兵士たちは、人間の尊厳を傷つけるとんでもないことをしているという自覚もなかったのではないでしょうか。

残忍なことを、残忍と知っていて行うのは、ひどいことです。許されないことです。しかし、残忍なことを、残忍だとも思わずに行うのは、もっとひどい。

イラクの武装グループが残忍な報復行動に出た理由のひとつは、アメリカ軍がそのように自覚無しに残忍な行為を続けている、そのことへの警告であり、抗議であったはずです。

意識的な残酷と、無自覚な残酷。どちらも許されるものではありません。しかし、憎しみに連鎖を解くひとつの鍵は、人々が、自分が何をしているのか、それをまず正しく知ることからはじまるのではないかと、わたしは思います。

▼戦争という極限状態
ブッシュ大統領は、米軍によるイラク人虐待事件について「開戦以来イラクで従軍した約20万人の実態を反映するものではない」といっています。

イラク人を虐待したアメリカ兵はひどかった。けれど、戦争という非日常に投げ込まれ、自らの命の危機にさらされているなかで、正気でいられる人がどれくらいいるでしょうか。人間としての尊厳と品位を失わないでいられる人が、どれほどいるでしょうか。

人を殺すことを命じられ、人から殺されるかもしれない状況で、「敵」を一個の尊厳ある人間として見られる人など、いるわけがありません。「敵」が人間に見えたら、簡単に殺すことなんてできない。

つまり、戦争というものは、それがどんなに正義であるという大義があっても、もともと人間としての尊厳を損なうものなのです。人間を、人間ではなくしてしまうものなのです。どんなに規律正しい軍隊であろうと、高尚な精神論を叩き込まれていようと、人を殺し、人に殺される可能性があるというそれ自体が、すでに人間の尊厳を損なっている。人を、人でないものにしている。

人間をそのような状態に追い込まないように最大限の努力をすることこそが、ほんとうの「政治」なのではないでしょうか。あらゆる方法を使って「武力」を行使することを回避する。それこそが、政治がするべきことだと、わたしは思います。

▼イラクからの自衛隊の撤退を!
日本の自衛隊は人を殺せる武器を持ってサマワに駐屯しています。自衛のためとはいえ、それは人を殺す可能性があるということです。もちろん、殺される可能性もある。彼らは、人間の尊厳を損なわれた、人権を無視された状態にある。

憎しみの連鎖を断ち切るためにも、自衛隊のイラクからの撤退を望みます。

勇崎  一億総心のバランスが崩れている昨今 2004年05月10日(月)01時26分59秒
「イラクで人質になった方々への敬意表明と激励のアピール」 へのコメント

てるてるサマ>
お教えいただきありがとうございます。
昨日、署名参加しました。

ただ心配なのが、このような動きで、今度は持ち上げられすぎて、
3人に新たなプレッシャーにならないだろうか、という危惧です。
かといって利権利害には超敏感でいのちや人間への尊厳には全く鈍感な某政府と、
その永田町の常識になびく某国民と一部マスコミに拮抗するには、
このような手段しかないのかも知れませんが、、、。

3人は自然体でイラクに入国し、自然体で活動し、自然体で帰国し、
帰国後も自然体で過ごしたかったはずです。
このように一億総心のバランスが崩れている状態はいつまでつづくのでしょう。

ところで、広島県選出の某国会議員の発言には、みなさんもあきれたことと思いますが、
そのなかに、救出費用が数十億円、という言葉がありました。
その議員に実際に試算し、費用明細を提示してもらうと面白いことになると思うのです。
おそらく、国民が唖然とするような、支出項目内容とその単価が知らされることになり、
3人に対して牙を向けていた輩も、その牙にナイフやピストルも加え、
政府や役所に向けることになるでしょう。

てるてる  「イラクで人質になった方々への敬意表明と激励のアピール」 2004年05月06日(木)20時22分03秒 http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/lunacontents.html

既に御存知かもしれませんが、
「イラクで人質になった方々への敬意表明と激励のアピール」
というサイトが立ち上がっており、賛同署名が集められております。


http://ac-net.org/honor/

寮美千子  松崎さんの思い出 by 中村茂樹さん/彼はバックミラーを見ながら走ってくれた 2004年05月05日(水)23時26分46秒
悲しいお知らせ ネバーの松崎さん逝ってしまいました。 へのコメント

松崎さんの訃報をお知らせしてくれた中村茂樹さんから、松崎さんの思い出を綴ったメール、いただきました。きのう、代々幡斎場のお通夜でほんとうに久しぶりに会いました。髪に白いものが混ざって、すっかり立派になっていたけれど、すぐにわかりました。あのやさしい物腰、礼儀正しいところは少しも変わっていなかった。ご本人からの了解をいただいたので、中村茂樹さんのメール、ここに転載させていただきます。
 いい人でした。愛想笑いは、あまり見たこと無く ガキ大将のように ゲラゲラ笑
う人懐っこい人で、Jazzとタバコとお酒とコーヒー、そして人とまじわる事を仕事と
し、動植物をこよなく愛していた様に思います。
時たま、上目ずかいで相手の心を伺う様に間を取りながら人と接していたように感じ
ました。

 初めて会った時は、バイクで指を壊し、CanCanの仕事も重なり、僕は和光大学を卒
業したものの、何をするでもなく、友人の紹介で男としては未熟な青年期に松崎さん
は接してくれました。
 初対面でコーヒーの入れ方、熱燗の温め方、下北沢での仕入れ先のお店を忙しい
中、案内してもらい
ポテチのよそい方、2〜3日に1度 肉屋で鶏の砂肝を買って隣の屋根に「チャ
チャ」と言う猫と友達にごちそうする様に。 ガスレンジのオーブンの使い方、ココ
アの入れ方など きめ細かに教えてもらいました。

 お客さんは、大人の方が多く、砂漠のオアシスを訪れる旅人ように 深夜に階段を
ギシギシ踏みながら松崎さんに会うが為に訪れました。
 松崎さんは普段カウンターの隅に座り、ウィスキーとか茶色酒をストレートかロッ
クでタバコを くゆらせながら、Wes mongomeryの 「A Day Lafe」なんかを聞きなが
ら、階段を上って来る友を待っていた。
 暇も多かったので、良くダーツゲームで深夜ファイトしました。

 ある晩、いきなりツーリングに行こうと言うことで、2台のバイクは西に向かい
ヘッドライトが闇の山間を照らし、1台は何かに向かって、もう1台は彼のテールラン
プと後姿を追い春先の山道をつるんで走り、明け方富士五湖
近くの富士山の見える山間で止まると、松崎さんは、ここで、生まれ、しばらく こ
こで育った。と言うような話をしてくれました。近くで、昔の500円札の富士山は
 ここからの景色だと教えてくれました。
 それまで、彼のテールランプが見えていたけど、この後しばらくテールランプが見
えない位、彼は一時早く走った。それまで、彼がバックミラーを見ながら走ってくれ
たことを 今、解る様な気がします。

 冬の寒い時に一人で北に何日かバイクを走らせた事もあった。
留守をまかされ、ヘルメットをかぶったままのライダースーツの松崎さんがNeverの
扉を開けると何かホットした。
 
 よく店の事を案じていたのか、電話もくれました。
売り上げより、バイト代の方が掛かってしまうときもありましたが、金庫からバイト
代を取り鍵を掛けて帰るよう
気遣ってもらったり、  取材のお供で神戸に連れて行ってもらい戻った日がクリス
マスイヴだったので近所の肉屋さんで「がらんでん」と言うおいしそうな鳥料理たべ
てみたいって言ったら、売り上げ少ない時に「安い方買ってきて一緒に食べよう」な
んて言う、       2人のイヴも……,

たくさん想いで、いっぱいあります。松崎さんのおかげで沢山の人に会えて、いろ
んな話が聞けました。

 最後に松崎さんと すれちがったのは、暑い夏の日、ヒグラシが鳴く頃、めずらし
く車のクーラーを入れ井の頭道りの環七手前で信号待ちをしてたら、小さめのPick
upで窓に肘を掛け、ランニング姿で肩は汗とホコリに汚れながらも、今日の仕事を終
えた植木屋の棟梁が、お父さんが家に帰る姿で彼の肩が夕陽にひかって、荷台には今
日刈ってきた枝や葉っぱが、いっぱい積まれていた、そんな松崎さんの姿でした。
 
僕は今とても悲しい。
 
 
 寮さん、掲示板お借り出来ましたこと感謝に絶えません。
そして、ありがとう ございます。
                                      
        
PS: 今年は暖冬で庭のスイレンが2つ咲きました。
今は、かみさんと7歳の長女、5歳の長男のお父さんです。
                                      
        
 寮さん、ありがとう………
                                      
          中村茂樹

大長老  不可思議 2004年05月05日(水)03時20分16秒
故松崎博氏 お通夜・告別式 へのコメント

28日に浜野氏と信介つながりの打ち合わせをしてて、
そりゃー、松崎に向いてる仕事だ、と、
ふいに松崎氏の名前がでたのだった。

なぜ不思議かというと、浜野氏は松崎と面識がなく、
あたしは、ネバランには3回しか行かず、望ちゃん越しにその日、松崎を一回見ただけなのに、
そんな話になり、二人でそーだーなー、と、あいつ向きの仕事だなー、と、
うなづきあったのだから。
合掌。
そういえばあたしが手術した年なんだよねー。

征木高司  松崎博の新たな「領域」への赴任を祝福する。 2004年05月02日(日)09時23分16秒
故松崎博氏 お通夜・告別式 へのコメント

「戦友」の名前に「故」が付いている事につよい衝撃と遺された者としてあらたな哀しみを覚えました・・・

合掌そして敬礼。

寮美千子  故松崎博氏 お通夜・告別式 2004年05月01日(土)04時20分39秒
追悼 松崎博氏 へのコメント

下北沢ネバーネバーランド店主・松崎博氏が、4月30日午前9時過ぎ、入院先の病院でお亡くなりになりました。松崎氏は1949年生まれの54歳。お通夜・告別式は、以下の通りです。

場所 :代々幡斎場
    東京都渋谷区西原2-42-1
    03(3466)1006
最寄駅:京王線「幡ヶ谷」駅・徒歩6分
    小田急線「代々木上原」駅・徒歩15分

お通夜:5月4日 午後6時〜7時
告別式:5月5日 午前11時〜12時

渋谷則夫氏を見送った代々幡斎場で、松崎博氏を見送ることになってしまいました。伊藤精介氏もウインピーも、一足先に天国。いまごろ天国じゃあ、松崎さんを囲んで歓迎の宴かなあ。信介さんもいっているけど、まるでネバーネバーランドが天国へ引っ越しちゃったみたいだね。わたしたちは、もうちょっとこっちで飲ませてもらいます。いずれ、そちらへ。その時は、よろしく。

http://www.katsuyamasousai.com/kasoba/yoyohata_map.html

寮美千子  追悼 松崎博氏 2004年05月01日(土)03時11分25秒
悲しいお知らせ ネバーの松崎さん逝ってしまいました。 へのコメント

なかむらくん、お久しぶり。寮美千子です。首からニューヨークの地下鉄のカートン、ぶらさげていた中村くんですよね。星の核融合の話をしたら「ぼく、アンチ・ニュークリアだから」っていってたしげきくんだよね。よく覚えています。お知らせありがとう。

今朝、友人から電話があり、松崎さんの訃報、受け取りました。一昨年の十二月、ネバーネバーランドでのクリスマス・パーティの時に、声が出なくなったという松崎さん。風邪がいつまでも治らず、声も涸れてしまったと思っていたら、喉頭癌だったそうです。

わたしが知ったのは、昨年の夏頃。すでに闘病生活に入っていて、電話で話したり、癌にきくというプロポリスをお家まで持っていったりしたけれど、とうとう会うことは叶いませんでした。療養中の沖縄から、電話をかけてきてくれたこともありました。

松崎さんは、今年二月まで元気で、ドライブに行ったり、散歩をしたりしていたそうです。二月に梅見に行って風邪をひき、それをきっかけに急に具合が悪くなって入院。3月に2回、緊急の手術をしたけれど回復せず、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

会いたかった。とても会いたかった。きっと、みんなもそうだと思います。最期の二カ月は面会謝絶状態でした。それが病状悪化のためなのか、それとも放射線療法などで免疫が落ちているため、他人との接触を制限しているのか、病院に確かめても、守秘義務があって正確な情報は伝えてもらえませんでした。ご家族は奥さま一人。看病にいらっしゃっていたため連絡がつかず、詳しいことは何もわからない状態でした。

きっと治療のための面会謝絶だ、よくなったらまた会える、そう思っていました。わたしのわがままで会いに行って、風邪の菌などうつしてはいけないと我慢しました。会いたくても会えなかったのは、さみしかった。このまま会えなくなるとは思いませんでした。いや、そんなふうには思いたくなかった。

松崎さんが会いたがっていた古い友だちの居所も探しだして、連絡したりもしていました。

面会のできない松崎さんのために、松岡裕典氏が、ミニ雑誌をつくって届けることを提案しました。お店で飲んで、松崎さんに世間話をするみたいに、松崎さんに話したいこと、伝えたいことを言葉や写真にしようよ、という提案でした。

心中複雑な思い(松崎は、自分が参加できないのが悔しくて地団駄踏むんじゃないか、とか)があり逡巡しましたが、わたしも参加しました。ガンガサガルの海にいったことを、写真と文章で記事にしてもらいました。

次の号は「緑」というテーマにしようと連絡があり、そのための写真を焼いて、昨日スキャンしたところでした。コルカタの植物園にある、世界一のバニヤン樹の話をしようと思った。でも、伝えられないうちに、松崎さんは旅立ってしまいました。

夜になって、松崎さんがお家に戻られ、お焼香を受け付けているとのことで、会いに行きました。会いたくて会いたくて会いたかった松崎さんに、やっと会えた。

松崎さんは、いままで見たこともないほどきりっとした精悍な顔をして、まるで武士のようでした。立派でした。痩せたことが、病み衰えたのではなく、きりっと引き締まったように見えました。すべての贅肉が落ちて、彼のなかにあるほんとうに美しい部分が、貌になって現われたのかもしれない。

でも、わたしにはよくわからなかった。それが松崎さんで、もうそこには命がないのだということが、どうしても了解できなかった。だから、涙も出なかった。ただただ、不可解な、納得できない気持ちでした。

松崎のいない下北沢なんて、考えられない。

わたしはまだまだ、松崎さんの死を、現実として受け止めることができないのかもしれません。

下北沢のネバーネバーランド。そこはきっと特別の場所だった。店主とお客、という関係だけではない、別のものが、確かに流れていました。それは、松崎さんだからこそつくることのできた、独特の重力と熱とに満ちた、やさしい空間でした。人と人とがつながりあうゆるやかな家族でした。松崎さん、ありがとう。つらいとき、苦しいとき、ネバーランドがあって、そこに松崎さんがいることで、知り合いの誰かがいることで、わたしはどれだけ救われたかしれない。ほんとにありがとう。

世界が滅びても、ゴキブリが滅びても、絶対に死にそうもない顔をしていたあなたが、そんなに急いで逝ってしまうなんて、考えもしなかった。一体どういうつもりなの!と、わたしは朝からずっと怒っていました。どうしたらいいかわからなくて、猛烈に仕事をしたりしていた。頑固なジジイと身勝手なババアになって、いっしょにお茶を飲もうと思っていた。きっとそうなると思っていた。そうしようと思っていたのに。

松崎さん。見たこともないほど立派な顔になって、遠い旅路へと旅立っていった松崎さん。ずっと前に約束したように、ペルセウス座流星群の日には、流れ星を数えようね。そして、数えた星の数を自慢しあおう。これからも、ずっとずっと。そこからは、星がたくさん見えますか。バカ。バカバカバカバカ、松崎のバカー、あばれてやるう! もどってこーい。バカバカー。

http://www.nudi.co.jp/never/zine/05/01.html

なかむら しげき  悲しいお知らせ ネバーの松崎さん逝ってしまいました。 2004年05月01日(土)01時30分11秒

20年くらい前に下北沢のネバーネバーランドでバイトしてました。多分あの時の寮さんだと思いメール打ちました。もし、人、間違えだったら大変申し訳なく、深くお詫び申しあげます。4月30日、午前中、下北沢ネバーネバーランドのマスター松崎さんが、天に昇り、星になりました。5月4日(お通夜)5日(告別式)代々木八幡で場所は未確認です。

寮美千子  また聞こえてきたドミノの倒れる音 2004年04月27日(火)01時38分40秒
ドミノの倒れる音の下 へのコメント


望ちゃん、事故のことでなぐさめ、そしてはげましてくれてありがとう。

土曜日に自転車を届けに来てくれた事故の相手と、つくづく「お互い命があってよかった。これを機に学んで、後の人生に生かしましょう」と話しました。妙にクソ真面目っぽいですが、マジです。これくらいのことで、これから先、一生、気をつけていけるのだとしたら、安いものです。これからは、交差点でより注意するし、自転車に乗るときは必ずヘルメットを着用します。望ちゃんも、みなさんも、ぜひヘルメットを!


昨日25日、衆議院補欠選挙が実施されました。結果は、3選挙区のすべてで自民党の勝利。しかも、投票率はいずれも過去最低。埼玉8区は35.22%、広島5区は55.52%、鹿児島5区は54.92%でした。

自分の考えを、だれもが国政に「直接」反映させることのできる唯一の機会である選挙。それを放棄した人々が、半数近くもいたとは、がっくり。イラク問題がこれだけ取りざたされているいまだというのに……。

>ドミノの倒れる音の下で、
>浸透して行く静かな力が、
>あるのを、
>見つけられたなら。
>そのために話し合いましょう。   by 望ちゃん

ほんとうに、そう思います。めげずに、地道に語り合っていきましょう。そして、きちんと届く言葉を探していこうと思います。

寮美千子  関心の強さは愛の変形/根源へ遡る想像力を! 2004年04月25日(日)18時22分40秒
勇崎さま へのコメント

▼人質被害者への強い関心
>二つの某大手掲示板に悪意とともに彼ら三人の現住所の貼り付けがあり、
>膨大な悪質手紙が届いているようです。 by そよかさん

これを読んだとき、まず思ったのは、みんなすごい情熱があるなあ。ということでした。わざわざ手紙を書いて出すなんて、情熱以外のなにものでもない。それはつまり、多くの日本人が、人質となった三人に、強い関心を持っていたということに他なりません。

▼バッシングは、歪んだ愛の表現?
マザー・テレサのいうように「愛の反対は無関心」というのであれば、少なくとも中傷の手紙を送った彼らは、無関心ではなかったということです。

しかし、だからといって「関心を持つこと=愛」という図式は成り立たない。ここが残念なところであり、むずかしいところです。関心の持ち方次第で、それは「愛」にも「憎しみ」にもなる。あるいは「愛」という名の束縛になる。歪んだ愛は、相手を苦しめ、愛する本人の魂も傷つけます。

親が、自分の子を愛しているつもりで甘やかしたり、束縛して苦しめたりするのは、よくあることです。愛の表現の仕方が間違っていたり、想像力の欠如で相手をほんとうに思いやることができなくて、相手を苦しめてしまう。

わたしは、中傷の手紙を送った人々や、バッシングしている人を見ると、そのような想像力の欠如を感じます。強い関心がある。それは、ある意味「愛」の一種だといっていいかもしれない。けれど、その関心が、きちんと相手に向いていない。非常に狭い範囲で完結してしまっている。

▼想像力の欠如
この「想像力の欠如」が、実はさまざまな問題を起こしているように感じます。

直接の弊害は「人質になった人々への思いやりのなさ」、つまり「相手の気持ちになれない」ということです。それは、直接的に被害者を傷つけてしまう。

第二の弊害。それは、人質事件の当事者である被害者を叩くだけで「日本人が政治的な目的で拘束されるようになった事態」の真の原因を究明しようとしないことです。原因究明がおろそかになれば、この事件は根本解決しない。再び人質になる人がでてくるかもしれない。それどころか、アメリカを支援し続けている日本は、テロの対象になるかもしれません。

わたしは、情熱をもって中傷メールを出した人々にいいたい。そこまで強い関心があるのなら、もう一歩進めて考えてみてほしいと。想像力の範囲を広げ、相手を思いやるばかりでなく、真の原因究明に目を向けてほしいと。

▼イラクの人々にまで想像力を広げてみる
その想像力をさらに広げたシミュレーションをしてみます。わたしたち日本人は、三人の人質の命の行方を固唾を飲んで見守った。生きて帰って、ほんとうによかったと思った人が大多数でしょう。三人の命。それが、それほどまでに気にかかった。

それだけの関心をもって、いま、イラクの人々を見ることができたら、どうなるでしょう?
イラクでは、米軍の攻撃で千人を超える死者がでているといいます。そのひとりひとりの人生に対して、もしも、中傷メールを送るくらいの関心を持って見たとすれば、それは到底、黙って見ていられるものではないはずです。

高遠菜穂子さんは、きっと、そのような想像力を持っていたのだろうと思います。イラクの人々のことを、わがことのように感じたから、黙ってみていられなかった。何かせずにはいられなかった。そういう強いシンパシーを持っていたからこそ、あのような行動に出ざるをえなかったのかもしれない。

命を失っているのは、イラクの市民ばかりではありません。米軍兵士も多数死んでいる。一体、なんのために? なぜ死ななければならないのか? そこにほんとうに「大義」などあるでしょうか。

▼「国」とは何か?
このことを根源に遡って考えていけば「なんのための戦争?」に行かざるをえない。そして、それをさらに遡れば、ドロンコ氏が語ろうとした「国とは何か?」の問題に踏み込まざるをえないと思います。国のために命を捧げるとは、いったいどういうことなのか? 命を捧げなければならない国とは、なんなのか? 

生まれたときからごく当然のこととして「日本人」であったという大部分の日本人にとって、「国」は、あたかも「空気」のようなものかもしれません。そこにあって当たり前。あえて、その存在意義など考えてみたこともない。

けれど、わたしたちはいまここで、考えなくてはいけないと思う。「国」とは何か?

>”なぜ民衆は先の大戦であんなにも力差あるアメリカに
>無謀な先制攻撃するのを止めなかったのだろう”という疑問 by そよかさん

わたしは、それ以前に、なぜ一般大衆は、結局は自分の命が脅かされるのに、戦争への道を選んだのだろう?と疑問を持ちました。「お国のため」といったとき、彼らは何をイメージしていたのか。

戦後、戦争の悲惨が語られるとき、一般市民はあたかも一方的な被害者だったように語られますが、実は戦争への道を選んだ張本人でもあったのです。どうしてそんなことになったのか、わたしたちはよく考えなくちゃいけない。

▼根源へ遡る想像力
根源へ、根源へとじっくり遡っていく想像力が、いま、なにより求められていると思います。人質事件の被害者に、強い関心を持った人々。わたしはそれは、ひとつの「愛」の形だと思う。みんな、彼らのことが、どうしても気にかかってしまったのだと思う。そして「お前ら、なんで捕まったんだ!」とイライラしたのだと思います。

そのイライラのほんとうの原因はなにか? 彼らをバッシングしてほんとうにすっきりするのか? するはずがない。ほんとうの原因を、みんながゆっくり、じっくり考えていくこと。それがいま、大切だと、わたしは思います。

  ドミノの倒れる音の下 2004年04月25日(日)03時09分26秒 http://www.h4.dion.ne.jp/‾eulalie/top.htm
辻井 豊 さま へのコメント

>そよか様

以下引用

>http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=26958&range=1
> 「烏合の衆」「付和雷同」「(思想・信条等からくる)私怨」という言葉が私の頭の中を駆け巡っていました。
> つくづく情けなく、この国の政治家、官僚、当事者のことを考えると悲しく辛い思いの毎日です。
> 主権者の一人として、「この政治家にしてこの国民あり」の一人ではいたくないものだとつくづく願います。


申し訳ないのですが、この発言の意図や主体がどこにあるのか、理解するのに
リンク先をたどり、さらにその前の発言へいくつか戻らなければなりませんでし
た。
そしてこの言葉自体が、そよかさんの掲示板の別の投稿へのレスという形で書か
れたものとお見受けします。

他の方へのお願いでもありますが、できればなるべく、コピーアンドペーストだ
けのやり取りでなく、簡単な流れや概要でかまいませんのでここへ来ているもの
にわかるだけの言葉を持ち寄っていただきたいです。
長い記事を読むこと自体は苦に思いませんし、
様々な趣旨の掲示板が存在するのがわかるのはありがたいことです。
ですができれば、読まれ、質問されるのを待つ姿勢ではなく、
たとえくり返しになっても、ご自身の意見or紹介理由をたった一行でも、ここの
ために書いていただければと、思います。訪問者である身で僭越ながら。


>帰国後、拉致された三人の「声」を家族が押さえつけている と見える方もいらっしゃるようです。
> なぜ家族がそのようになったのか...話し合っていこうと思っていますが、

 果たして家族は三人の声をおさえつけているのでしょうか。
(このことを議論したいのではないのですが)
 そういう情報はどこからやってきたのものなのか、よかったら教えてください。

 よく2ちゃんねるなどを見ていますと、ソース(情報元)はどこなのだーと問
われるものですが、
 議論を始めるときの立脚点は、たしかでないと、不安定になりますので……。


>怖いですね、権力が意図すれば善意の人を捻り潰すのなんていとも簡単なのだと
>いうことがはっきりとわかりました。
>長い間不思議だった”なぜ民衆は先の大戦であんなにも力差あるアメリカに無謀
>な先制攻撃するのを止めなかったのだろう”という疑問が今回の体験によって解
>明された気分です。
>私達は確実に同じ道を歩いている、歩かされている。

 さて、同じ道を歩きたくないなあ、と感じている人、行動している人、少なく
とも知っている人でもたくさんいるのです。
 そよかさんもそのおひとりですね。
 ひねりつぶされませんとも。
 ドミノ倒しが加速していても、そのように見えている部分の、「人の意見」と
いうものは実のところ人間丸ごとの表層でしかないような気がしています。
 この国民、こそ私です。
 ながされてバッシング。
 ただ、それを切り捨てても、自分と違う人としても、
 それはそのむやみな怒りを加熱させるだけのような気もします。

 そこへ届く言葉を、探さないといけません。

 私にとってそこへ届く言葉であったあの記事を、
 平らでこなれていてしっかりしていた今井さんの記事を、

 あるいはこんなことが起こるより前から連綿と続いてきていた彼らの行動を、
 見ることができるなら、
 ドミノの倒れる音の下で、
 浸透して行く静かな力が、
 あるのを、
 見つけられたなら。

 そのために話し合いましょう。


  たいそうびっくりされたことでしょう 2004年04月25日(日)02時35分10秒 http://www.h4.dion.ne.jp/‾eulalie/top.htm
自転車でもヘルメットを着用しよう! & 戦争反対! へのコメント

>寮さん

 命に関わることにならずによかったとこちらはまず安心しております。
 しばらくお大事になさってください。


>わたしも調書を取られました。調書には「わたしの落ち度は」という文言が、す
>でに印刷されていました。「落ち度はなかったと思います」と主張したものの
>「橋の手前で、一旦停止していれば、事故には遭わなかったはずでしょう」とい
>われ、反論できずに指で捺印してきました。わたしにも「自己責任」ありという
>わけです。

 警察のかたは言うことが固いのか法律上を歩いていらっしゃるのか
 そりゃ、理想というものですね、なんというか、こうしていればよかったのだし
 そのために法律でそう決められているのよー。という。
 が、しかし人間ははみ出す生き物なのでございましたー。

 自分の命に危険を感じて、これからヘルメット対策をとろうと素直に行動できる寮さんは
 えらいなあとおもいます。(若輩者がえらい、などとすみません)
 私だったら、「けっ」で危険行為まっしぐらでしょう。

 自分の命を考えることに自身への責任はあるし、それが他者を守ることへもつながって行くでしょう。
 が、「〜していたら事故に遭わなかったんだから」というより、
 今度からできることを示すことのほうが大事ですし、
 それも、危険を経験した人間がそこから展開することを信じるなら、
 わざわざ「私の落ち度は」という文面に捺印しなければならない強制は、
 なんだか人の手足を取り上げるようないやーな気持ちがします。

 法律というものはあくまでも線引きでしかないのだとしたら、法律の元で働く人間には、そこからはみ出る部分をフォローすることはできないんでしょうか、などと思います。

(私の頭には交通事故にあったときにみかんをたくさんくれた警察の人、とか100円拾ったらおはぎをおごってくれたお巡りさん、などしかリアルに浮かびません……が……)


 

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