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大野徹人  さらにお返事です 2004年08月21日(土)21時51分29秒
無根拠ではありません。 へのコメント

どうもこの掲示板で違う方向で議論が進めつつあるようですのでこの件についての私の書き込みはできるだけ最後にしたいと思います。
どうぞ皆様ご自由に議論をお続けください。

DORONKO様

お返事ありがとうございます。

最初は「何の根拠もない推測でしかありませんでした」と書いてらっしゃいましたが、今回は「根拠はあります」とお書きになっておられて驚きました。急に違うことを言われても困ります。ご自分でおかしいとお思いになりませんか。
文章を読んでSさんうんぬんについては書いてらっしゃいますが、私を論評されたことについての根拠にあたるものは何も見当たりません。

〜〜〜
大野さんの既知のことではなかったでしょうが、たしかにぼくの身に起こった
ことであって、後になって考え出した言いわけなどではありません。
それを「関係ないこと」とおっしゃるのは、どうかと思います。
〜〜〜

私について論評・批評されるのでしたら、あくまで私が何を言ったかに基づいて意見を表明するのが当然のことではないでしょうか。
阿部謹也氏の本に何が書いてあるのかは、私にはまったく関係ありません。阿部謹也氏の本を読んで感化されたので「無理はないかなあ」というのは弁明にしか私には聞こえませんでした。

DORONKOさんと寮さんがお知り合いなのは知ってますので、寮さんから私について何かお聞きになった上で私を論評されているのかと思いましたが、以下の文章からするとそうでもないようです。

〜〜〜
そもそも、ぼくはあなたの名前をはじめ、あなたについて詳しいことは何も
知りませんでしたので、あなたが「人を決め付けて」とおっしゃることさえ、
いささか奇異に感じるほどです。
〜〜〜

「詳しいことを何も知」らない人間(つまり私)を、根拠もなく好き勝手掲示板で論評できる感覚を私は信じられないことを一言述べておきます。
その人がどういう人なのか、どういう考えなのかよく知らないで、こうである、と勝手に論評することは「決めつけ」以外の何物でもないのではないでしょうか。

〜〜〜
大野さんについては、そのSさんについて、「あまりに肩を持ちすぎている」と、あの時は感じたのです。
〜〜〜

そう思われるのは一つの感想として聞きますのでその是非については議論の余地があるでしょう。

今回の件についての私の意見をまとめますと、学会の中にいようといまいと、一対一の個人的な談話の内容を無断で掲示板に要約して紹介して論評するのはマナー違反である、ということです。
仮にSさんが学会の人間であろうとなかろうと、個人的な会話の中で行った発言を勝手にウェブで公表することはよくないことだと私は思います。
特に内容が攻撃的な内容、デリケートなものでしたらなおさらです。
なぜなら本人があとになってそれを見て「私はそんなこと言っていない」「不正確である」「勝手に人の発言を公表した」と不愉快に思う可能性が高いからです。
ただし、講演会・シンポジウムなど、公開された場で述べられた発言や、公表された論文や著書で述べられた見解について批評・批判するのは大いに結構です。
その両者はまったく違います。
研究者は社会的責任があるので、個人的な会話の内容を無断で公表されても我慢すべきであるという考えには賛同できません。

私は、DORONKOさんがお書きになったように、学会が一般社会に優位であるなどとは考えていませんし、学会の人間だから特別扱いすべきだとは一言も言ってません。
逆に、仮にもしもの話、研究者が、研究者じゃない人との会話の内容を、自分で勝手に要約してその内容を勝手に論文等で発表したらそれもマナー違反です。そういう場合は本人の了解を得るのがマナーだと思います。

〜〜〜
上述のように、ぼくはあなたを名指しで非難するような書き方をしたことは
ありません。また、最初から根拠を明示するような書き方こそしません
でしたが、上述のように、まったく根拠がなかったわけではありません。
〜〜〜

名指しされてなくても日記への投稿について寮さんに意見したのは私ですから、名指しでなくても私について書いてあることは明らかです。ですのでここに書き込んだのです。

〜〜〜
阿部謹也さんの所説については、ぼくもすべての点について賛同しているわけではありません。
〜〜〜

わざわざ「参考」として引用されているので、少なくとも引用されている部分については基本的には賛成されているのだと私は思っていましたが私の勘違いでしょうか。ですので、反論を述べたまでです。
私が阿部謹也氏にわざわざ手紙を書くかどうかは別の話です。
ともあれ、このことは本題とは関係ないのでこれ以上のお返事は結構です。

ただ、ご自分でわざわざ引用されておいて、それに反論があると、急に「すべての点について賛同しているわけではない」などとお答えにならないことは変だと思いますが。
そのことだけは申し上げておきます。

以上です。

silica  Re.こくわ 2004年08月21日(土)11時56分47秒
こくわ へのコメント

ペリーさん、お返事をありがとうございました。

ペリーさんが「こくわ」という言葉を気にかけておられるご様子とペリーさんに迎えられてベランダでにこにこ成長している「さるなし」がひとつの情景としてあらわれました。人と植物もこんなふうに交流を持つことができるのですね。
不思議でほほえましいお話でした。


ペリー  こくわ 2004年08月21日(土)04時29分45秒
私の「寮さん作 イオマンテ」の感想です。 へのコメント

silica さん、こんにちわ。私は主夫です。
こちらの感想は感想で変わらないのですが、
silica さんの読み方の方が良いなあと思いました。

「こくわ」の情報、有り難うございます。
「さるなし」だったんですね。
ずっと欲しかったのをこの春入手して
ベランダで育てています。
「さるなし」に国内で改良品種まであるとは驚きでした。

ちなみに、中国種の「さるなし」をフルーツとして
オーストラリアで改良したのが「キーウィ」ですね。

silica  私の「寮さん作 イオマンテ」の感想です。 2004年08月20日(金)17時33分03秒

こんにちは。40代の主婦です。中学生の子供がいます。
アイヌの「イオマンテ」の儀式は、どういうことをするものであるかを初めて知った時にはたしかにショックでした。それを行う人たちはどんなふうに気持ちの折り合いをつけるのかなと思ったものです。ですから、寮さんが作品にしてくださった「イオマンテ」を読んだ時にはああ、こんなふうに気持ちの昇華を持っていくことができたら、いのちを思う心を罪悪感や貶めが台無しにすることはないのではないかしらと私は思いました。

アイヌの男の子が子熊をおくる場面。男の子は目をとじないで子熊の旅立ちを見送っています。皮がはがされて、肉がつるされている場面でまわりはうたったり、おどったり、わらいごえのおおさわぎ。その情景の中であたまがぼうっとなっている男の子がいます。肉のオハウを食べながら、ぼうっとしたなかで、今あの子熊を食べていること、子熊のかあさんの肉を食べた時のことも思い浮かべていること、そしていのちを食べて自分が今まで生きてきたことを心の内側から実感するように涙をながしながら肉を口にしている場面。男の子は、悲しい気持ちもその肉を食べて自分が生きることもすべて受けとめている自分がいるような、ひとまわり大きな感覚に包まれたように思います。心が扉を開けて成長するという時はそのような感覚を持つのではないでしょうか。今死んだ熊もいずれ死ぬ自分も宇宙の中の大きなめぐりの中のいて、そのほんの束の間、同じ時間に生きた熊と自分ということを謙虚に神聖な気持ちで受けとめている男の子がいると思います。
 私は寮さんが今まで書かれた作品を読んできていますので、人や動物の体の大事な水分のひとつである「血」の比喩は寮さんの心象風景としてごく自然なものに思えます。
寮さんの作品はいつでも形ある命としてのめぐり、見えない魂も人がそれを思う時にはいつでも存在し生きていると信じられる心の世界を感じさせてくれます。寮さんの「イオマンテ」はアイヌの方々の儀式が神聖なものであることを伝え、心のありかたは私たちひとりひとりに自分のものがたりを持つことの大事さを伝えてくださっているように私には感じられました。

P.S.「こくわ」に注目させてくださったおかげで、私はこの植物を知ることができました。ありがとうございます。↓

http://www.dewa.or.jp/~asuhina/OLDkueru/Zakki-old/k-zakki-1007.html

ペリー  はじめまして「イオマンテ」の感想です 2004年08月20日(金)01時50分36秒

寮さん、みなさん、始めまして。
趣味で尺八を吹いています。四十路男、かみさんと中二の娘あり。
口承文学やアイヌについてはほとんど知りません。

検索していて「イオマンテ」に出会いました。四半世紀前に岩波文庫
の「アイヌ神謡集」を読んだ記憶が鮮烈だったので興味を持って拝読
いたしました。

わたしが「アイヌ神謡集」から受けた印象は古い記憶ですからあいま
いです。
アイヌの人たちは、動物に対する真摯な敬愛の思いと、その動物を殺
して食べなければ生きていけないという現実とのつらい矛盾に堪える。
堪えるその中でカムイの声を聞き、カムイを発見した。
ここに、自分の心に嘘をつかない、けしてごまかさないアイヌの人々
の心の強さと純粋を感じ、美しい心として記憶にとどめていました。

上のような先入観を持って寮さんの「イオマンテ」を読んだのですか
ら、私は良い読者ではありません。
また、今サイト上に「イオマンテ」を見つけられなかったので本文を
確認しないで書いていることをお断りさせていただきます。

さて「イオマンテ」です。
心の通じあった小熊は少年にとって、人間の友だち以上の親友だろう
と感じ、はらはらしながら読みすすみました。
しかし、その肉が美味いことで、たったいま目の前で小熊が殺された
ショックを忘れ、自分達はいつも生き物を食べているのだなどと一般
化した思考を巡らす余裕のある少年は、心が弱く残虐に感じられ、共
感することが困難になりました。

イオマンテはカムイの信仰、美しく飾られた矢、酒と踊り、美食、大
人の言葉によって、心の痛みを麻痺させる装置として機能する。その
結果、大人になった少年は熊に矢を放つとき、何の思いも躊躇も無い。
これは現代日本の姿を映しているという意味でリアルな物語でした。
そして、長年抱き続けて疑わなかったアイヌの美しいイメージが、極
端に美化した間違ったものだと思い知らされました。

しかし、寮さんがこの物語を現代日本のカリカチュアとして書かれた
ようには思えません。
ただ、寮さんがイオマンテの祭りに何を感じたのか、遼さんにとって
イオマンテとは何なのか、何に感動し、何を伝えたかったのか? わ
たしには読み取ることができませんでした。
ですからわたしにとって「イオマンテ」は素直な心が押し殺され、思
いが伴わない常識的な説教にとってかわられる恐ろしい物語に終わっ
ています。

細部を少し。
血に染められたような赤い雲。
リアルな映像として思い浮かべることが出来なかったので、レトリッ
クが見えてしまい、気になりました。

「こくわ」。
秋に実るなら桑ではなさそうですし、何なのか気になって一時、物語
から気持ちが離れてしまいました。

たしか、最期に一度だけでてきた「魂」という言葉と、命はめぐって
いるといったフレーズ。
物語とのつながりが読めなかったので唐突に感じました。命は人間に
奪われ、帰ってきたのはカムイだと思って読んでいたのです。

以上です。わたしの読み方は変かもしれませんが、参考にならないと
も限らないと思い、書かせていただきました。

辻井 豊  う〜ん、頭が整理できない。。。 2004年08月18日(水)22時32分41秒
覚悟の問題 へのコメント

 勇崎様、ぶしつけな質問にもかかわらず、お答えいただき、ありがとうございます。
 ただ、こちらの質問の仕方が悪かったことと、わたし自身、整理ができていなかったこともあり、ここで、わたし自身の考えを、わたし自身に整理させて下さい。

 まず、2の質問なのですが。この質問は、研究対象である「口承文化」に対する研究者のスタンスが、論文や著作に現れているのではないかと思ったからなのです。ですから、それを読めば、勇崎様が良い印象を持たなかった研究者の、別の側面が、そこから読み取れるではないかと。論文といえども、例えば、フィル―ドワークに重きを置く学問ならば、そこには研究者の、研究対象への思いが表れていることもあると思うのです。

 次に、1,3と末尾の一文について。「口承文化」には、批判者の存在が影響することもあり、それが織り込まれていることも、あるのではないかと思ったのです。例えば、先代の方が良かったというような批判が、伝承者に対して、明に暗に伝わる場合もあったのではないかと。そのような批判を、伝承者が技量(?)に昇華させたり、あるいは昇華できずに技量(?)が萎縮したり。このような場合だけなら、まだしも、伝承者が神格化されるような場合は、凶作や災害の責を問われて伝承者自身が人身御供にされ、そしてそれが、また伝承に織り込まれて行くようなことも、あったのではないでしょうか。

 それから、わらべ歌や、昔し話について。これらは、今、ここで取り上げられている「口承文化」とは言えないのかもしれませんが。この二つは、印刷技術の発達や学問の普及、識字率の向上によって、しだいに多様性(地方色)を失っていったと、何かで読んだ記憶があります。文字に移した者の意図とは離れて一人歩きし、このような形で、「口承文化」が変容してゆくこともあると思います。

 なんとも、またまた、わけがわからないことを書いてしまいました。それというのも、わたしは、「口承文化」の実物(わらべ歌や昔し話を別にして)に触れたこともありませんし、研究者の書かれた文献を読んだこともありません。どなたか、初心者に読みこなせるような、よい文献を、2,3紹介していただけませんでしょうか。

DORONKO  無根拠ではありません。 2004年08月18日(水)10時40分13秒
追伸 へのコメント

大野さんにお答えします。

>無根拠に人を決め付けて掲示板で批判したり断罪するようなことはよくない
>ことを理解して真剣に反省してほしいのです。

大野さんを納得させるほどに厳密ではなかったとは思っていますが、決して
根拠なく書き込みをしたつもりはありません。
そもそも、ぼくはあなたの名前をはじめ、あなたについて詳しいことは何も
知りませんでしたので、あなたが「人を決め付けて」とおっしゃることさえ、
いささか奇異に感じるほどです。
ぼくの根拠とは、そもそもの発端となった、研究者のSさん(とお呼びして
おくことにしましょう)の寮さんへの対応の仕方にはぼくは賛成できません
し、そんな彼女の態度には強い不審の念を持っているということが、まず
あります。そして、大野さんについては、そのSさんについて、「あまりに
肩を持ちすぎている」と、あの時は感じたのです。
しかし、大野さんが自らここに書き込まれて、ぼくの受け止め方にも問題が
あったなと思ったので、その旨を述べ、謝罪させていただきました。

>関係ないことを持ち出して弁明するようなことはしてほしくありません。

大野さんの既知のことではなかったでしょうが、たしかにぼくの身に起こった
ことであって、後になって考え出した言いわけなどではありません。
それを「関係ないこと」とおっしゃるのは、どうかと思います。

>たとえば私が「○○氏は詐欺師であると思われてならない」という推測に
>基づく文章を書いてどこかに発表したとしましょう。

上述のように、ぼくはあなたを名指しで非難するような書き方をしたことは
ありません。また、最初から根拠を明示するような書き方こそしません
でしたが、上述のように、まったく根拠がなかったわけではありません。

>根拠もないのにどうやって「推測」できるのでしょうか。

「根拠」というより「手がかり」と言い直してみてはどうでしょうか?
上述のように、「手がかり」は十分にあったと、ぼくは思っています。
ただ、その「手がかり」は、精査に耐えるほどにしっかりしたものでは
なかったようだと、後になって気付きました。
そのことを含めて謝罪させていただいたということを、どうかご理解下さい。

阿部謹也さんの所説については、ぼくもすべての点について賛同している
わけではありません。そして、その詳細は、ここの主催者である寮さんが
深くコミットすべきこととも思えませんので、これ以上ここで論じるのは
やめておきたいと思います。ぼくは阿部さんのおっしゃっていることすべてに
責任を持てるような立場ではありませんので、もし彼の考えに異論があって、
どうしてもおっしゃりたいのであれば、ご本人に手紙を出すなり、いくら
でも方法はあるだろうと思います。
くり返しになりますが、どうか、この点については、これ以上ここで
ふれるのはやめていただきたいと思います。

勇崎  覚悟の問題 2004年08月18日(水)03時09分15秒
突然割り込んで、申し訳ありません。 へのコメント

 すぐには眠れぬままに夜を過ごしていました。
 辻井さまには、さっそくの螺旋上の穏やかな気流、ありがとうございます。
 まず、いただいた最初の問いへのレスですが、この掲示板の過去ログには、この種の議論は登場しなかったと記憶します。さらに過去ログの詳しくは松永くん、寮さんに委ねたく思いますので、よろしくお願いします。次に3点(以下の記述にはご質問の主旨を要約させていただきます)並びに末尾のご提議ですが、

>1.神歌を口承する際、伝える側と受け継ぐ側との間で、どのようなやり取りがなさたのか。

僕には確かめようにはありませんが、おそらく勉強会?のようなものはなく、せいぜい初めて司を担う彼女の母や親族(かつてのコミュニティの成員は全員が親族だったともいえる)が、心配して教授したかもしれません。しかし、一方、外部の僕が見る限り、全て本番一発で継承されてきたように思われますし、伝承とは別のある種の通過儀礼のようなものを経て、司としての自覚と結束が形成されるようです。そして、司たちは司としてキャリアとともに、役割をステップ・アップさせていきます。その過程のなかで、「門前の小僧習わぬお経を読む」かたちで、それぞれが身につけていかれたのではと推察します。それが形骸化されることなく数百年も継承されていったのは、その地域固有の血液(今風にいえば遺伝子)の為せる業のように思います。血液が、どのようなメカニズムで業を為せるのかは、未だに解明されていないと思うので、この論はここまでとさせて下さい。ただ追記しておきたいことは、この神事が存在したことで、その地域でなどの普通の女性も、神に近い存在に変わることができたということであり、女性たちは司たることの苦行をしいられながらも、その役割を担える幸福に悦楽を覚えたのだと思います。そして、それはこの地域に限らず、琉球弧や古代の日本列島のいたるところに、かつては在った悦楽の幸福だと言えます。

>2.録音を持ち帰った研究者が、その録音などを参考に書かれた論文の内容はご存知ですか。どこに行けば、その論文を読むことができるのでしょうか。

脈々と口述筆記や速記により綴られた論文は今も存在するでしょうが、エジソンの鑞管の発明以降、それを入手できた研究者による口承文化の文章化は、99%録音技術の産物と僕は認識しています。

>3.口承文化が変化してゆくことについて、その変化は、どのようなものならば許容できて、どのようなものなら許容できないのか。

これはすでに記述させていただいたことですが、「祈りと願いの本質」が変わらぬ限り、許容されるべきと思っています。では、「祈りと願いの本質」が変わらぬ、とは何を基準に見極められるのか、ということになるでしょう。つまりは、何を祈り、何を願っているのかを考えてみることだと思います。僕にはどうみても、子孫(人間という存在)の存続を祈り、その「幸福」を願っているようにしか思えません。そして、学問しいては表現という行為の総体が目指すべきは、人間の「幸福」なのだと思います。それが「不幸」を研究したり、表現するものであったとしても、幸福を知るために、相対化させてみせているに過ぎないと思います。

ところで、口承文化と対極にある文字の発明は人間に文明をもたらしました。古代文明の発祥地はことごとく文字の発祥地です。そして、その文明の延長線上に連なる今日の幸福感は、富という名の物質やそれと交換可能な貨幣の蓄積にいきついたようにも思われます。その蓄積への追求がいきついた最大の過ちは、例えば「戦争」という行為です。そのようなことから、今日において、それが本当に人間を幸福にしたのか、という問いへの疑問は、このBBSに通われる方々にとって、ほとんど誰もが「NO!」であるとの認識に立っておられると思います。そこで、言葉の記号化、つまり文字を伴わなかった「口承文化」が、今、なおさらのこと注目されているのだと、僕は感じます。つまり、文明の発祥にはなんの役にも立たなかった「口承文化」のなかで語られていることの本質にこそ、人間を幸福する何かが秘められているのではないか、という期待と仮説に基づく今日的な追求です。

>(末尾)共感、あるいは感動というものによって口承文化が伝わってゆくとするならば、そこには、正の共感、感動だけでなく、負のものもあるような気がする。

根本的に人間とは、愚かで悲しい存在だと思います。ですから、当然、いつも「負」を背負うのだと、決めてかかってもいいと思います。おやじギャグ風に語れば、背に「負」を、胸に旨の「正」を抱えながら、人間は存在し続けるのだと思います。問題は、「正」の側に歩もうとするのか、「負」の側に後ずさりして存在するのかです。人間の歴史を俯瞰すれば、いつもその揺り返しをくり返している。人間はなかなか賢くなれない。賢くなれないからこそ、永遠に学問や表現に向かおうとする意味や動機が成り立つのだと思います。

人間は本質的に愚かであると認識した時、それを「正」に向かわせるのは、愚かさを自覚し、「人間として生きること」の「覚悟」の問題なのだと、僕は思います。その「覚悟」にしか、普遍につながる感動と共感は築いていけないのでは、と考えます。

辻井 豊  突然割り込んで、申し訳ありません。 2004年08月18日(水)01時00分59秒
口承文化と表現者 へのコメント

 勇崎様のお話で、2,3確認したいことがあります。他の皆様は、もうご存知かもしれませんし、この掲示板の過去ログにあるのでしたら、それをお教え下さる形でもよいので、よろしくお願いします。

1.神歌を口承する際、伝える側と受け継ぐ側との間で、どのようなやり取りがなされるでしょうか。録音の再生時になされたやり取りと同じものが、第三者が存在しない形で、なされるのでしょうか。

2.録音を持ち帰った研究者が、その録音などを参考に書かれた論文の内容はご存知ですか。どこに行けば、その論文を読むことができるのでしょうか。

3.口承文化が変化してゆくことについて、その変化は、どのようなものならば許容できて、どのようなものなら許容できないと思われますか。


 わたしは、共感、あるいは感動というものによって口承文化が伝わってゆくとするならば、そこには、正の共感、感動だけでなく、負のものもあるような気がするのです。


勇崎  口承文化と表現者 2004年08月17日(火)23時58分57秒
「生きられる文化」に憧れつつ。 へのコメント

今回のスレッドに終止符を打ちたい寮さんには申し訳ないと思いますが、大野氏の提議が、一色氏やDORONKO氏らのレスを通じ、ネット上の単なるモラルの問題を超えた提議へと変容し、昇華していったように感じるので、終わらせるのはもったいない。もう少しだけ話し合う猶予をいただきたいと思います。

なかでも、「口承文化」と現代を生きる「表現」者との問題については、議論を避けたり、半端にしたりすることなく、大野氏やいまだここに投稿されたことのない方々にも、是非とも参加いただき、ある程度つき詰めておけないものかと希望します。
ということで、上記を前提に、僕自身の体験などをお伝えしながら、まず私見を述べておきたいと思います。僕自身の体験といえば、この板に馴染みのある方々は、ああまた昔の沖縄のことか、と思われるでしょう。そう、その通りです。

僕が体験した「口承文化」の現場は、もう30年以上も昔の沖縄・宮古島北部(大神島〜狩俣〜島尻)で継承されていた「祖神祭(ウヤガン)」と呼ばれる神事でのことです。この地域では、女性が年令を重ねると、神事での役割を担うようになります。役割によって呼称は変わりますが、彼女らを総称して司(ツカサ)と呼びます。当時、狩俣では司たちの山ごもりの期間は非公開でしたが、里に降りてからの神事は公開されていました。それらは、口承にて伝承された神歌(ニーリ)で進行されます。そこに、テープレコーダーを携えた民俗学者、アマチュア民俗学者が幾人も集まり、録音します。つまりは、口承文化の記録です。その記録は司たちも容認していましたし、記念写真でも撮るように、彼女たちも記録に残したいという欲望を持っていたようにも思えました。

神事を終え、役割を果たしたた司が素顔にもどってくつろぎます。年令を重ね過ぎたために現役を引退した古老たちも、後輩の司たちをねぎらいにやってきます。そこで、ある学者はテープレコーダーでおもむろに取出し、ついさっき録音した神歌を再生します。すると、古老は「あ、ここを間違がえた。これはこう言んだ」と叱るように指摘します。学者は、それを目敏くメモし、その傍らでは、間違えたと指摘された若い司が悲しい表情を浮かべ、気持ちを萎縮させているのは、僕の目には(ほんとは「誰の目にも」と書きたいけど)明らかです。きっと学者は、そのメモをもとに、論文でも仕上げられ、発表され学術的評価を得たでしょう。僕は僕で、カメラで覗き込んでいるのですから、その学者とは五十歩百歩の位置にいることは、自覚しています。

このような現場を目撃した僕は、若かったこともあり、相当に憤ってしまいました。まずは、自らの学問のために、若い司の心がキズついてもシタリ顔でいられる学者の態度。次には、間違いだと指摘する古老が、どれだけ正しいのか、という疑問。数百年前の宮古・狩俣村落の古語が、数百年後まで生き延びるはずがありません(古老が、現役だった時代にだって、同様の間違いがあったであろうし、当時は学者も来なかったし、テープレコーダーもなかっただけのこと)。それは本当に間違いなのだろうか。僕は、若い司は決して間違っていないと思いました。祖神祭(ウヤガン)の根幹にある、祖先への感謝と子孫の幸福を祈り、願う心は彼女のなかで全くブレてはいない。だから間違ってなんかいない。ファインダーで覗きつづけて彼女らに感動と共感を抱いてしまった僕には、そう思えてならないのです。

このようなことが原因ではないでしょうが、10数年後に訪れた狩俣では、司を担いたいという女性たちが激減し、数百年継続した祖神祭(ウヤガン)は中断され、現在も中断のままとのことです。島尻でもその後、中断されたままですが、むしろ原因は、祖神祭(ウヤガン)という神事が役割を担う時代が終焉しただけのことかも知れません。ただし、大神島では21世紀の現在もすべてが非公開で継続していますが、島の女性たちの平均年令は80歳にも及ぶため、かつてのまま継続されているのかは、危ぶまれています。

ここで提起したいのは、一色氏が提起されたこととは別の側面としての、「口承」の持つ不確かさです。子供の時によく遊んだ(いまではテレビのバラエティ番組のなかに登場する)「伝言ゲーム」でも明らかなように、口頭による伝言の連係ほど、いいかげんなものはありません。「口承文化」は「伝言ゲーム」とは異なるでしょうが、同様のリスクがないとは、否定できないでしょう。では、そのようなリスクがありながらも、宮古島北部では数百年も祖神祭(ウヤガン)が継承され、リアリティを持って生きつづけたのか。それは神歌(ニーリ)のなかに口承の不確かさを超えた何かが存在するからであり、その何かこそ、僕が若い司に魅了された、この地域固有の血液に秘められ記憶された「祈りと願いの本質」なのだと感じます。その本質が変質しない限り、口承は無限に変容しようが、永遠なのだと思います。ですから、口承で大切なのは、その一字一句の問題ではなく(多くの学者はその一字一句にこだわることを学問だと考えておられるように感じさせられることがままあります)、そこに秘められた「本質」を口承で伝承してきたことではないでしょうか。

こういった見地に立ったとき、僕には寮作品の「イオマンテ」は、「本質」を伝承する側に連なるものであると、強く信じられるのです。それを自分の目で全く確かめ、見極めようとともせず、自らの論だけを紋切的に言いはねる某学者の態度を、僕は30年来、許容できないだけなのです。

ある側からすれば門外漢である寮美千子に何故それがなしうるのか。それは彼女が優れた表現者であり、卓越した表現者特有の直感に秀でているからなのだと思います。古代において卓越した表現者の多くが担った役割は霊媒(メディア)であり、寮美千子が古代に生を授かったとすれば、それ系の語り部を担ったように思います。優れた学者たちを見ると、彼ら・彼女らたちは優れて表現者でもあることに気づかされます。

ところで僕にとってのDORONKO氏は愛すべき男です。古代であれば彼は自ら心を置く霊媒(メディア)に殉教するような奴です。ですから、追求はもうやめにして、どうかDORONKOにご加護を。

議論は巡り巡って、それを消費に終わらせないためにも、できうれば螺旋状の上昇気流に乗せたいものです。

大野徹人  追伸 2004年08月17日(火)21時06分22秒

誤解のないように申し上げますが私は決して、DORONKOさんに「さらなる謝罪」を求めているわけではありません。
同じ「お詫び」を2度3度言われて別に何かが変わるわけではありません。

ただ、日本の大学の問題を論ずる本を読んだので、とかそういう弁明を書いてらっしゃるので、何が問題なのか分かってらっしゃらないと思ったのです。

何度も言いますが「さらなる謝罪」は結構です。しかし、無根拠に人を決め付けて掲示板で批判したり断罪するようなことはよくないことを理解して真剣に反省してほしいのです。関係ないことを持ち出して弁明するようなことはしてほしくありません。
ただそれだけです。

それからDORONKOさんが寮さんの調査をお手伝いをなさったり、アイヌ文化に興味を持たれていることは大いに結構なことだと思っています。
しかしそれとこれとは別問題です。いくらすばらしいことなさっている方でも容認できないことは容認できませんのでこちらはこちらで話し合う必要があると思って書き込んでいます。

大野徹人  お待たせしました 2004年08月17日(火)20時33分33秒

ここしばらく行事や所用で遠出したりしていましたのでお返事が遅れました。お詫びします。

◆寮さんにあてたメールについて
先日私は寮さんにメールしましたが、それは掲示板の内容について「抗議」したものでは決してありません。掲示板でのやりとりについての私の感想を書いて個人的に寮さんに送っただけです。私のメールをよくお読みください。

◆「推測」とは?
寮さん:
大野氏のことを、こうだと決めつけるのではなく、「ぼくにはそう思えてならない」と、推測であり、独断であることをきちんと断っています。

最初から予測していたことですが、「決め付け」ではなく、「推測」であるという反論をいただきました。
「そう思えてならない」というような書き方は断定ではないかもしれませんが、たとえ断定してなくてもそれはほとんど断定したのと同じ意味を持つと私は考えます。

たとえば私が「○○氏は詐欺師であると思われてならない」という推測に基づく文章を書いてどこかに発表したとしましょう。
しかし○○氏が詐欺を行ったという事実はないことが明らかになった場合、私は○○氏に謝罪し記事を訂正する義務があります。
そういう時「いや、詐欺師である”と思われてならない”と書いただけであって決め付けてはいない」「あくまで推測である」などという弁明が成り立つでしょうか。
断定してなくても、事実に反すること、失礼なことを書いていいわけありません。もし間違いであることが明らかになった場合は訂正謝罪する必要があります。

あくまで推測だから聞き流せるということではないと思います。あくまで推測であって断定してなかったのでいいじゃないか、という弁護はおかしいのではないでしょうか。

私は「批判されたこと」について心外に思ったわけでは決してありません。批判は大いに結構です。
しかし、批判する以上は何らかの根拠がないことには批判は成り立ちません。
私は「学会」に属する人間であると勝手に決め付けられて(属してはないものの学会の人とそれなりの関わりは持っていますが)、その前提のもとに、「学会」の方が「一般社会」の方がより優位であるであるという「思考の習慣が強固に出来上がってしまっている」人間であると勝手に決め付けられていることについて心外に思ったのです。

どうしてこのようなことをお書きになると思って根拠をお聞きしたら、本を読んで感化されたので、勇み足だった、何も根拠はありませんとのことでした。
根拠もないのにどうやって「推測」できるのでしょうか。
「推測」というものは、ある程度の根拠があって、それをもと「こうじゃないだろうか」と予想することです。まったく根拠もないのでは「推測」でさえありません。
何の根拠もない決め付けは思いつきでしかありません。そのことを分かってらっしゃるのでしょうか。

◆「無理もないなあ」とは?
それから私がおかしいと思ったのは最初の私の書き込みに対するDORONKOさんの返答です。
DORONKOさんの書き込みでは、日本の大学批判する本を2冊挙げて、
「この2冊を読んでしまうと、「感化」されてしまうのも無理はないかなあ……という気が、今でもするぐらいです」
と述べてらっしゃいます。「無理はないかなあ」とはどういう意味でしょうか?
事実無根の心外なことを書いておいて本のせいにして弁明されているのでしょうか。

ですので私は「名前を挙げてらっしゃる書籍を読まれたことと、私についてのDORONKOさんのご批判がどういう関係なのか理解できません」と真意をお聞きしました。
アカデミズム批判の本うんぬんはここでのやりとりにまったく関係ないはずです。
しかし、ご自分の「勇み足」を、本を読んだことを理由に「無理はないかなあ」などと正当化されているように感じられたので、この方は「お詫び」を一言書いているものの、何が問題なのか本当に分かってらっしゃらないのではないかと思ったのです。

◆日本の大学について
〜〜〜
ぼくは、たしかに「どうやら、日本の大学はうまく行っていないらしい」と
書きましたが、だからといって、日本の大学なんて、どこもかしこも全部だめ
なのだ、とか、日本にはまともな学者なんて一人もいない……などというバカげた
ことは、ひと言もいっていません。
〜〜〜

はい。私はDORONKOさんがそのようにおっしゃっているとはどこにも書いてませんのでご安心ください。

ただし、細かいことをここで議論しようとは思いませんが、日本のアカデミズムについてDORONKOさんはどのようなイメージを持ってらっしゃるのか疑問を持ちましたのでもう少し突っ込んで書きましょう。

西洋史研究者・阿部謹也氏の、日本の大学が「世界的に見ても特異な構造」を持っている、という見解について私は大いに疑問を持っていることは述べておきます。
本当に日本は「特異」なのでしょうか?世界に数多くの国があり、それぞれの国に大学があります。
その全部、もしくは大部分を知り日本と比較した上で、日本は「特異」であるという結論を出したのでしたらまだ分かります。しかし、日本は「特異」であると言いたがる知識人の多くは、外国、特に西洋の一部の国を基準に、日本は特殊だ、とか、おかしい、というような根拠の薄弱な議論を展開することが多く、賛同できないことが多いです。世界的に「特異」なのかどうかきちんとした手続きを経ずに印象で論じるのは説得力がないですし、それこそ「非学問的」です。

「個人が個人として行動していない」のは日本の学界だけではなく、日本以外の国の学会にも多かれ少なかれあります。もしかしたら日本以上にそういう傾向を持つ国があるかもしれません。
日本の大学にも「個人として」行動し、組織の中で戦ってらっしゃる方が多数いらっしゃいますし、個人の独創性を発揮してすばらしい業績を出してらっしゃる方も多数いらっしゃいます。

〜〜〜
ただ、ぼくが「うまく行っていないらしい」と書いたのは、個々の研究者の問題
というよりは、組織とか運営の面、重要な意思決定がなされる場合の透明性が
不足していることが多いようだ(先に示した2冊を読むと、そう考えることは
決して不自然ではないと思います)……といった、いわば、大学という組織の
社会学的側面のことです。
〜〜〜

そういう問題があろうことは私も想像できますし、私が多少なりとも今まで見聞きしてきた経験からそのことを実感できます。
しかし、大学だけでなく学会などの組織の中にはそのような問題が多かれ少なかれあると思います。そしてそれは「外国ではこうだから」ではなく、外国ではどうであるかに関係なく、日本社会に存在する問題の一つのとして考え、解決する必要があると私は思います。

いずれにせよ、私は大学という組織の一員ではありませんし、仮に大学に属している人間だったとしても、「組織」の問題は組織の問題であって、私という個人を根拠もなく批判されたこととは関係ないはずです。

◆全般的な感想・意見
私がどうして今回あえて厳しい書き方をしているのかというと、この件についての今までの掲示板でのやりとりを見ていると人をあまりにも安直に批判しているからです。
寮さんが絵本についてのアドバイスを求めて断ったという「とある方」について、DORONKOさんは「正しいか正しくないかといったレベルではなく、ほとんど犯罪に等しい」と断罪してらっしゃいます。
またほかの「人間としての度量」のある人を探した方がいいとまで書かれています。人の「人間としての度量」をうんぬん言えるほどご自分はすばらしい人格をお持ちなのでしょうか。
DORONKOさんはどこまでその方のことを知って、何を根拠にこのような批判をされるのでしょうか。
(断定してないから問題ないということにはなりません。)

他人を批判する場合はきちんとした根拠をもとに責任をもって発言してほしいと思うのです。「推測」で気軽に人を批判して抗議されても一言弁明して謝ればすむ、ぐらいの軽い気持ちで人を批判されているのだろうかと私は思ってしまいました。

以上です。
もしかしたら私の思い違い・勘違いもあるかもしれませんが、反論・疑問があれば精一杯お答えしますので遠慮なくご意見をお聞かせください。

口承の文化を文字にすることの意味、その「デメリット」についてや、一色真理さんの書き込みについては日を改めてコメントいたします。

DORONKO  「生きられる文化」に憧れつつ。 2004年08月17日(火)12時39分44秒
『おおかみ ピイ トントン!』と『おおかみのこがはしってきて』 へのコメント

大野さんからご提起いただいた“アイヌ文化の「口承性」”についてですが、
一色さんと寮さんのご意見で、問題点がよりクリアーになったと同時に、
ぼくの手にはおえないほどに大きくなってしまったようにも思う……という
のが正直なところです。

そもそも、ぼくが考えていたことはかなり単純なことで、「物語る」という
行為を禁じるということに何か積極的な意義があるのだろうか?そんなものは
ないのではないか?というようなことでした。

――もちろん、一色さんのご指摘にもあるように、歴史的には、国家が言論を
統制したり、支配下にある他の民族に、その本来の言語の使用を禁じて自分たち
の言語の使用を強制するというようなことが至るところで行なわれてきたわけで
(アイヌ語も、近年に至るまで、そのような「禁じられた言語」の一つに他なら
なかったはずです)、現代の価値観からすると「積極的」であるかどうかは
ともかく、「物語る」ことを禁じることにも「意義」を見い出した人間たちが
いたことは明らかですから、このぼくの考えは極めて不十分なものでしか
ありませんが、ぼく自身の気持としては、今でも、何も変えたいとは思いません。
つまり、「物語る」ということを禁じるなんて、支配者や権力者にはとても
都合のいいことであることでありうるのかも知れないけれども、ぼくたち普通に
生きている人間にとって、何もいいことはないのじゃないか?というのが、ぼくの
基本的なスタンスです。
(ぼくは、この問題の発端になった、寮さんに対する<仮にこうお呼びしておこう
と思いますが>Sさんの反応から、以上のような考えを抱いたわけです。その
「Sさんの反応」というのも、あくまでも寮さんが伝えるかぎりでのことですから、
どこまで事実なのかと言われれば、ぼくには答えようがありませんが、ぼくは
寮さんの説明は十分に信じられると思っています。)

そこで問題は、「物語る」という行為と文化の「口承性」との関係はどうなのか
ということになると思いますが、たしかに「物語る」ことは書くことによっても
可能だし、現代ではその方が一般的なようでさえあるけれども、その“本来の姿”
なり“原初的なスタイル”は、やはり、生身の聴き手を前にして「語る」という
ことにあったのではないかとぼくは思っています(だからといって、「本来」でも
「原初的」でもない「書き言葉による物語」が、一般にそれだけ価値が低いなどと
考えているわけではありません)。

そして、アイヌの文化について考えてみると、とりわけ、その「口承性」には
学ぶべきものが多いのではないか?と、ぼくは考える……というよりも、大いに
願望も込めて<想像している>のです。

「口承」ということを広辞苑で引くと、単に「口づてに伝承すること」としか
ありませんが、ぼく的には「語り伝える」行為すべてを指すと考えてもよいと
思いますので、これはもちろんアイヌの文化だけの独占物であるはずもなく、
あらゆる文化の日々のイトナミの中には、必ず「口承性」を見い出すことが
できることでしょう。――しかし、アイヌの文化においては、「語り伝える」
ということがとりわけ重要で、その内容も大変に豊かなので、それをただ消えて
行くにまかせるなどということは何とか防ぐべきではないか――と、ぼくも
思っているわけです。ただし、ぼくはとくにユカラに親しんでいるわけでもなく、
実際にどれだけのことを知っているのかといえば、実に心もとないかぎりで、
だからこそ、寮さんの仕事に期待している――ということでもあるのですが。

広辞苑にも、「口承文学」という項目には、「文字の使用が始まって以降も
民間の文学として存続。広くは民俗的なことわざ・唱えごとの類をも含めるが、
主として神話・伝説・説話・昔話・民話あるいは語り物などを指していう」
とあって、これらはまさに「文字による文学」「書かれた文学」にとっての
ルーツに他ならないとぼくは思いますし、くり返しになりますが、アイヌの
人たちの伝承や世界観には、学ぶべきことがとても多いようだ――と、ぼくは
感じています。

最後に、どうしても触れておかねばならないのは、「語り伝える」ことと、
それを文字化・文章化することの関係とはどのようなもので、そこには
どんな問題があるのか、ということでしょう。――結論から言ってしまえば、
言語や文学の研究者でもなく、(仕事でインタビューをまとめたりはしますが)
聞書きのプロでもないぼくには、この大きな問題について、正面から答え
られるほどの知識も経験もありません。しかし、この両者の関係は、(過去の
イキサツやら歴史上の出来事はともかく)一方を称揚し、一方を蔑めばよい
というようなものではなく、今後、ぼくたちが、さまざまな文化を「自分の
もの」として発展させてゆくには、そのどちらもが欠かせないということは
疑いようがないと思っています。

ですから、アイヌの文化についても、本来は「文字を持たない文化」だった
とはいえ、現在、それを文字化することがいけないなどというのは、およそ
ナンセンスなことだと、ぼくは考えています。もちろん、アイヌの言葉を
日本語に置き換えれば、それは本来の「語られた物語」とまったく同じもの
というわけには行きません。その違いには十分に注意すべきでしょうが、
だからといって「語られた(る)物語」以外には一切認めないなどというのは、
あまりにも偏狭な考えだというしかないでしょう。もし、そんな主張を
貫くのであれば、翻訳などという仕事も、すべてナンセンスだということに
なってしまうわけですから――。

ともかく、「できごととしての文化」を、ある客観的な「対象物」として
分類できるという考えは、もしかすると大きな錯覚にすぎないのじゃないか?と、
ぼくは思うのです。そうではなくて、その中で、あるいはそれと交わりながら、
それをいかに生きることができるかということにこそ、文化というものの
本質があるのじゃないか――とぼくは感じています。

願わくば、アイヌの文化も、ぼくたちにとって、そのようなものになって
くれたらいいのに――というのは、決して冗談ではないつもりです。

(アイヌの人たちの世界観や価値観には、近代の日本を貫いてきた価値観とは
明らかに異質のものがあると思います。ですから、アイヌの人たちのことを
知れば知るほど、日本人の価値観を見つめ直す必要も出てくるということは、
きっと避けられないことでしょう。それは当然のことだというのが、ぼくの
スタンスです。)

寮美千子  『おおかみ ピイ トントン!』と『おおかみのこがはしってきて』 2004年08月14日(土)01時18分07秒
メモの続き へのコメント

▼一色さま
建設的なご意見、ありがとうございます。口承文芸を文字にすることのメリットとデメリット。確かに、口承文芸の実体験の希薄な者は、文字にするメリットは容易に想像できても、そのデメリットとなると、なかなかリアルに想像できないものですよね。デメリットとは具体的に何なのか、実体験のある方々や、研究者の方に、ぜひお伺いしたいなと、わたしも思っています。

▼図書館できいたユカラ
そこできょうは、わたし自身の体験を書いてみたいと思います。『おおかみのこがはしってきて』の取材をしているとき、帯広の図書館で藤村久和先生にお目にかかったことがありました。藤村先生は『アイヌ、神々と生きる人々』(小学館ライブラリー)などのご著書もあるアイヌ文化の専門家。その時に絵本のお話しをすると「文字にするのもいいことだけれど、口承の楽しさは、やっぱり口承でないと伝わらない、ということもぜひ知っておいてほしいと思います。本で研究するだけではなく、機会があったらできるだけ生のユカラを聞いてください」といわれました。そして、藤村先生はその場で、鉛筆で机を叩きながら、ユカラの一節を歌ってくださったのです。

その声の調子、拍子を取る鉛筆のリズム、それはなんともいえないやさしさと楽しさを湛えたものでした。その時に、ああ、このパフォーマンスの楽しさは、絵本ではなかなか伝えられないなあと思いました。

しかも、この語りは、コンサートホールや公民館でされるのではなく、ほんとうは家の中でするものです。こういうものを、自分のお祖父さんやお祖母さんから、火の燃える炉端で聞いたら、どんなにか楽しいでしょう。お祭りのときに、ユカラの上手な村人から聞いたら、どんなに心躍ることでしょう。

絵本では、そんな生活と一体の楽しさを伝えるのは、とても無理です。

▼絵本の中に楽しさを再現するには
その時、わたしは思いました。だったらせめて、声にしたときに楽しい本にしたい。絵本は、お母さんやお父さんが子どもに読んで聞かせてあげることができる媒体です。リズム感があって、わくわくするような言葉であれば、親も子も楽しい時間を過ごすことができるかもしれない。

『おおかみのこがはしってきて』は、本来はアイヌの早口言葉のようなものでした。だから、ほんとうは早口言葉に置き換えた方がいいのだけれど、その言葉にある文化的背景まで伝えたいとしたら、単に早口言葉にするだけでは伝わらないものもあります。幸いなことに絵本には絵があります。言葉ではなくて「絵」で伝えられるものもたくさんあるのです。絵本として完成度の高いものにして、親子で楽しめたらどんなにいいでしょう。

そこで考えたのが、父と子の対話という形で物語が進む方法です。これなら、お父さんやお母さんが読んであげてもいいし、慣れてきたら、お父さんのパートはお父さんが、子どものパートは子どもが声にして楽しむことができます。

早口言葉、という元の形からは離れるけれど、そこにアイヌの風習や北海道の風景、北の大地の生き物たちの絵も入り、文化に対する理解も進み、朗読しても楽しい。そんな本を作りたい、と思って作った本でした。

結局の所、アイヌに元々伝わる早口言葉とは、ずいぶん違ったものかもしれません。けれど、それがその時にできる精一杯のものでした。

▼専門家の助言が不可欠
奥の深いアイヌ文化。一朝一夕に理解できるものではありません。都市生活者の自然回帰への憧れを勝手に投影して、間違ったものを作ったりしたら、もってのほかです。わたしは、自己流で勉強はしているものの、正直言ってアイヌ文化に造詣が深くない。普通の人よりはずっとよく知っているけれど、十分理解が深いとはいえない。だから、間違ったものを作る可能性もあります。

だからこそ、専門家や、アイヌ民族の方々の助言が欲しいのです。様々な方々からご意見を伺ってきました。その助言なしには、絵本の制作は不可能だったともいえるでしょう。

▼素人がアイヌの絵本を作るのは間違いか?
アイヌ文化を深く知りもしないで、絵本を作ろうという魂胆が間違っている、という意見もあるかもしれません。それも一理あると思います。

確かに、わたしはアイヌ文化に関しては素人です。しかし、絵本作りに関してはプロを自負しています。学者さんよりも、ずっと「伝わりやすい形」にしていく能力を持っています。つまり、絵本作りに関しては、わたしの方が学者さんや口承文芸の実体験のある方々より専門家だということです。ある素材があるとしたら、それをどんな形にしたらよりよく伝わるか、より多くの人に見てもらえるか。その技術を持っている絵本職人です。

▼同じ素材を使った2冊の絵本
アイヌ民族の方が、財団の出版助成を受けて、絵本を作られたことがありました。 知里幸恵のユカラ絵本『おおかみ ピイ トントン!』(2003年3月出版 知里森舎)です。アイヌ語からの逐語訳的な日本語訳、カタカナとローマ字でのアイヌ語表記もついての、日本語アイヌ語対訳版です。題材は、わたしが使ったのと同じものです。

『おおかみ ピイ トントン!』では、アイヌ語を全文掲載することによって、より原典に近いものを伝えようとしています。熱い心が伝わってくる一冊です。

一方、わたしがつくった『おおかみのこがはしってきて』では、日本語で読む言葉のリズム感や絵本としての楽しさを重視しました。アイヌ語も、いきなり全文を掲載しても、耳から聴いたこともない人々にとっては敷居が高すぎると思い、あえて、主要な単語にだけ、アイヌ語のルビをふることにしました。

そのどちらが正しいというのではありません。どちらも、別の役割を果たしているのだと思います。

▼小さな失敗の招く大きな損失
ただ、ひとつ残念だったのは、『おおかみ ピイ トントン!』が、横書きの絵本でありながら、右開きの本だったことです。つまり、横書きなのに縦書きの開き方なので、とても読みづらくなってしまっています。人の目は、文字を追っていく方向に物語が流れていくのが自然なので、反対開きだと、読んでいてとても不自然です。

せっかく内容は充実していても、これでは絵本としては成立しません。企画の段階で、あるいは印刷前に、誰か一人でいいから、専門家の目を通していれば、こんな間違いはしないですんだはずだと思うと、とても残念です。

もちろん、反対のこともあるでしょう。アイヌ民話を絵本にするときに、アイヌ民族の方や専門の研究者の目を通していれば、防げたかもしれない間違いを、絵本作家が犯してしまうこともあるでしょう。そんなことになれば、アイヌ文化に関する誤解を招くことになり、大きな問題です。

▼互いに協力しあっていい本づくりを目指す
つまり、お互いがお互いにとって、自分にない力を持っている専門家だということです。それを、お互いが利用しあう体制をとっていかないと、もったいない。ほんとうの意味でのいい本づくりができない。

わたしには、よい絵本を作る力がある。みんなの心に伝わるものを作る能力がある。けれど、アイヌ文化への理解は薄い。それを、補ってほしい。反対に、絵本の素人の方が、アイヌ民話を絵本にしたいというとき、ひと声かけてくだされば、わたしも協力を惜しみません。そうやって、互いが互いの力を出しあって、よりいい物を作っていけたらいいと思うのです。

『おおかみ ピイ トントン!』と『おおかみのこがはしってきて』のように、同じ題材でまったく違う取り組みの絵本が出てくることは、すばらしいことだと思うのです。いろんな本が、たくさん、たくさん出ればいい。ひとつの絵本だけが定番になるのではなく、より多くのヴァージョンが出ることで、偏りが平均化され、本来の姿がより伝わりやすくなるでしょう。

まず、一冊の絵本が出る。それがすべてを言い切っていないとしたら(もちろん、すべてを言い切ることなんかできないのですから)、次の本がそれを補う形のものを出せばいい。そうやって、どんどん本が出ていくことで、情報が増え、その内容自体もどんどん洗練されていくはずだと思うのです。

口承文芸を活字にすると、メリットと相殺にできないデメリットも、最終的にはあるかとは思います。しかし、その一方で、捨てがたいメリットがあることも確かだと思うのです。

「赤ずきんちゃん」をみんなが知っているように、日本の子どもの誰もが、アイヌの英雄の物語を当たり前のように知っている日が来ることを、わたしは夢見ています。そうなれば、アイヌ文化というものはもっともっと身近になり、理解も進むと思うのです。

▼日本語のユカラ?
口承ということで、もうひとつ考えていることがあります。これも邪道といえば邪道ですが、ユカラを文字化するのではなく、語りのまんまに日本語にできないだろうかということです。つまり、ユカラに日本語の歌詞?をつけたらどうだろうかという目論見です。

英語の歌を日本語で歌うこともあるのだから、やろうと思えばできるかもしれません。もちろん、アイヌ語としての音の響きはなくなってしまいます。ですから、例えば最初に日本語歌詞で歌って、そのすぐあとにアイヌ語で同じフレーズを歌う。そんな風にしたら、パフォーマンスとして、みんなが耳で聴いても楽しめるかもしれないと思います。

これは、いつか試みてみたいことのひとつです。もし自分に、そんなふうにして歌える物語がひとつあったら、どんなに楽しいでしょう。

などなど、夢は広がります。しかし、問題点もまだまだ山積みだと思います。深い知識のある方々からのご指摘を、お待ちしています。

追伸:武田泰淳『森と湖の祭り』は、わたしが二十歳ごろ、一生懸命に読んだ本でした。ああ、それなのに!メモリーの少ないわたしの脳みそは、その内容をすっかり忘れ果てていました。一色さんにいわれて「そうだ!そうだった……かもしれない」とあやふやに思い出した程度。我ながら情けなくなります。残念ながら絶版のようなので、こんど図書館で借りて読み直してみます。

口承文芸と「文化的侵略」や「権力」との関係の問題に関しては、また考えてみたいと思います。

【知里森舎 連絡先】
〒059-0465 登別市登別本町2-36-1
電話&ファクス 0143-83-3677
『おおかみ ピイ トントン!』定価1500円(税込み)
在庫があれば、送ってもらえます。

一色真理  メモの続き 2004年08月13日(金)12時33分36秒 http://homepage3.nifty.com/suiheisen/
ご参考になるかも へのコメント

昨日のメモの続きです。

まず、「反対性」とあるのはもちろん「反体制」の変換ミスです。
ごめんなさい。

8月9日の大野さんのドロンコさんへの反論を注意深く読んでみました。
第一のポイントは、絵本にすることと、口承文芸を文字にすることとは
別の問題であるということが述べられていると思います。
そして第二に、大野さん自身は絵本にすることには反対ではないが、
口承の文化を文字なり絵なり映像なりにより紹介することには
デメリットがあるというのが大野さんの主張であるように思います。
けれどもそのデメリットがどのようなものであるかは
残念ながら提示されていません。

多分、そのデメリットはアイヌ口承文化をしっかり研究しないと
分からないものだということが言外に含まれているのではないかと思います。

しかし、そうだとすると、この問題はぼくらには全く意見を言うことすら
許されないということになってしまいます。
ここは非常に気になる点です。

この大野さんの論理はそのまま逆転させることができます。
つまり、
口承文化を文字文化として紹介することは、その文化にある種の変容を
もたらすには違いないが、そのデメリットを補ってあまりあるメリットを
持っている、と言い直すことが可能です。
このメリットは作家や詩人、あらゆるアーティスト、
そしてそれらの作品を享受しようとする人たちの多くが
体験的に知っているメリットです。
今まで知らなかった文化に接することによる、ぼくらの文化の変容、拡大。
また、知られざる文化遺産の普及化、普遍化ということです。

このメリットはあまりにも明らかだとぼくには思われるけれど
デメリットの方は具体的に分からない。
だから、そこははっきりこうだと教えていただかないと、
この議論は少しも生産的にならないのだと思います。

ところで、ぼくは古事記云々の問題と、ロシアのアネクドート、
そして反体制詩の問題を、持ち出しました。
これらはもしかしたらアイヌ口承文化の問題とは関係ないかもしれないけれど、
少なくとも「口承文化」と「文字文化」の間に横たわる問題を含むという点で、
「類似性」を持つと考えられます。
また、アイヌ文化と違って、ぼくにも論じられるので、
その類似性をてこに何か考えられるのではないかとも思います。

このぼくの持ち出した二つの問題は、
口承されたものを文字化することを通して、
政治的な支配・被支配の問題が発生したと考えてよいと思います。
古事記や日本書紀が成立する過程は、大和朝廷の権力が人々の
内面の自由を奪っていった過程そのものです。
口承であった時代には、人々の自由な想像力に任されていた神話が
体制を確立するための手段として固定化されていったからです。
またロシアのアネクドートや反体制詩は口から口へと伝えられている限りは
内面の「自由」そのものを象徴していた。
それが文字に書き留められたのは秘密警察の一件書類の中でしかありえず、
書き留められたとたん、それはその言葉を発した人々を
収容所か死刑台に送るための権力の手段に変容してしまいました。
けれど、多くのそうした口承文化は書き留められることなく
人々の口から口へと流通し続け、それがついには
ソビエト体制を内部から突き崩し、ロシアに自由をもたらしたのだと
ぼくは考えています。

このこととアイヌ口承文化とは一見関係ないように思われますが、
やはり口承文化を文字文化に置き換える行為には
常に「政治的」な要素がまとわりついてくる、
ということは一つ言えるのではないか・・・・。
だから、そのことを意識した上で、口承文化を文字化するのでないと
アーティストは知らず知らずアイヌ文化に対する「和人」の文化的侵略に手を貸す
ことになるのかもしれない。

・・・と、とりあえず今日はここまで考えてみました。

さて、最後に一つ紹介したいのは、作家の武田泰淳の「森と湖と祭」
という長編小説です。
これはアイヌの文化に関心を持ち、なんとかしてそれを絵にしようと苦闘する
若き日本人の女性画家(寮さんに似ている)と
アイヌ文化は純粋にそのままで守るべきだと主張する
日本人の男性アイヌ学者との葛藤の物語です。
多分、武田の全集か何かを図書館で借りてこないと読めないかもしれませんが
(ぼくはたまたま初版本を昔、古書店で安く入手して読みました)
この問題について多くの示唆を含んでいると思います。

長文で失礼しました。

一色真理  ご参考になるかも 2004年08月12日(木)22時41分38秒 http://homepage3.nifty.com/suiheisen/
ひとまず。 へのコメント

一色真理です。こんにちは。

ドロンコさんと大野さんのお互いに言葉尻をとらえての論争は
寮さんのおっしゃるように、これ以上続けてもあまり生産的ではないと
ぼくも思います。

ぼくはアイヌの文化のことは全然素人ですけれど、
口承文芸を文章化、あるいは絵本化することで
文化の根を絶つというのは、
たとえば日本に文字が輸入される以前に口承されていた伝説や神話が
大和朝廷により「古事記」や「日本書紀」「風土記」に編纂されたことで
政治的な変容をこうむったということと
どこかでシンクロする話なのではないかなあと
想像しているんですが、どうなんでしょ?

あるいはソビエト政権下で口承でしか伝えられなかった
反対性的なアネクドート(政治的小咄)や
反体制的(実は芸術至上主義的なものが殆どだった)詩が
ソ連の崩壊後、文章化されてぼくらの目に触れるようになったわけですが、
これとも関係しているかもしれない。
(ぼくは一応ロシア現代詩専攻だったので、こっちは素人とはいえないけど)

とりあえずまだ論理を展開できないんだけれど
話を進めるために、この2点メモとして書かせていただきました。
また後でじっくり考えてみたいと思います。

DORONKO  ひとまず。 2004年08月10日(火)04時42分08秒
DORONKO様 へのコメント

>大野さん

ぼくにも誤解があったと思いますが、大野さんも、かなり誤解しているのでは
ないでしょうか?

ぼくは、たしかに「どうやら、日本の大学はうまく行っていないらしい」と
書きましたが、だからといって、日本の大学なんて、どこもかしこも全部だめ
なのだ、とか、日本にはまともな学者なんて一人もいない……などというバカげた
ことは、ひと言もいっていません。しかも、このカッコつきの言葉も、「頭の中に
刷り込まれていたよう」だと述べているわけで、これはつまり、ぼくの普段の
考えそのものではない――ということです。

日本の大学にも、とても優秀で尊敬に値するような先生もたくさんいらっしゃる
ということは、ぼくにとっても極めて当然のことです。この点は、どうか誤解
しないでいただきたいと思います。

ただ、ぼくが「うまく行っていないらしい」と書いたのは、個々の研究者の問題
というよりは、組織とか運営の面、重要な意思決定がなされる場合の透明性が
不足していることが多いようだ(先に示した2冊を読むと、そう考えることは
決して不自然ではないと思います)……といった、いわば、大学という組織の
社会学的側面のことです。
また、別に読んでいただく必要はないと思いますが、阿部謹也さんにしても中村
修二さんにしても、「アメリカやヨーロッパの「とある」国と比べて、ここが
違うからけしからん、みたいな批判」をしているわけではありませんし、もちろん
ぼくも、そんなことを述べたつもりはまったくありません。これらの点について
あまりに拡大解釈されるようですと、ぼくとしても非常に心外です。

“アイヌ文化の「口承性」なるものについての認識”というご指摘は、とても
有意義なものだと思います。ただ、大事な問題だと思いますので、今、慌てて
お答えするのではなく、(目下、かなり多忙ですので)後日、改めてお答えする
ようにしたいと思います。どうか、もう数日程度お待ちいただきたいと思います。

寮美千子  ほんとうの理解を育てるために友好的に語り合いましょう 2004年08月10日(火)04時01分13秒
掲示板の問題は掲示板でお願いします へのコメント

大野氏はドロンコ氏の発言について「批判を受けた」という印象をお持ちでお怒りのようです。しかし、ドロンコ氏は、大野氏を批判しているわけではありません。よく読んでみてください。このように書いています。

 >思えてなりません
 >……と言わんとしているように、ぼくには思えてしまうのですが――。

大野氏のことを、こうだと決めつけるのではなく、「ぼくにはそう思えてならない」と、推測であり、独断であることをきちんと断っています。

確かに、人を「批判」するという行為には責任が伴うでしょう。しかし、ドロンコ氏はなにも、大野氏のことを一方的に批判したり侮辱しているわけではありません。推測であることを断った上で「ぼくはこうかも知れないと思うよ」といって、へこんでいるわたしを励まそうとしているだけです。

励まそうとして、憶測で行きすぎた言い方があったかもしれません。しかし、大野くんが「心外」に思うような必要はありません。そのうえ、ドロンコ氏は謝罪の言葉も述べています。このうえ批判をし、さらなる謝罪を求めて、何になるのでしょう。そこから何が生まれるでしょう。

先ほども述べたように、アイヌ文化に興味も示さない人々が大半というなかで、興味を持って語ろうとしているその姿勢をこそ、評価してはもらえないでしょうか。そして、興味を持つ人々の心の芽を摘むのではなく、より伸ばすように誘導してはいただけないでしょうか。そのほうが、ずっと建設的だと思うのです。

先住民文化交流プログラムのこと、お聞かせいただいたほうが、どれだけアイヌ文化理解につながるかしれません。みんなも知りたいことだと思います。興味を抱く人々に、少しずつ語りかけていく。そこから、ほんとうの理解が育っていくのだと思います。重ねて、よろしくお願い申しあげます。

寮美千子  掲示板の問題は掲示板でお願いします 2004年08月10日(火)03時40分34秒
明るい面に光を当てて建設的な会話をしていきましょう! へのコメント

大野徹人氏は、在野のアイヌ研究家。その知識は深く広範で、今回のイオマンテ絵本に関しても、十勝地方独特の言葉や風習について、様々な示唆をしていただきました。絵本制作にも、積極的に賛同してくださっています。

専門家の知識は、わたしのような浅学な者にとっては、大変貴重なものです。気づかずに出版すれば、わたしの思いこみや間違いが、そのまま流布してしまいます。それを防ぐためにも、専門家の助言は欠かせません。大野氏の助言に、深く感謝しています。

大野くんから、再び抗議のメールをもらいました。掲示板上の問題は、掲示板で話し合ってほしいとお願いしました。

掲示板での言葉の行き違いなどを、個人メールでやりとりすると、事態は余計紛糾し、迷路に入ってしまいます。「裏で何が語られているのかわからない」という疑心暗鬼にまで発展して、余計に混迷の度合いを深めてしまうこともあります。

それを防ぐためにも、わたしは掲示板という日の当たる場所で、公明正大に語り合うべきだと思っています。みなさんにもお願いです。掲示板の話題は、個人メールではなく、掲示板で! よろしくお願いします。

寮美千子  明るい面に光を当てて建設的な会話をしていきましょう! 2004年08月10日(火)01時15分01秒
DORONKO様 へのコメント

>論理的に考えず、気分で人を批判する癖は、
>それこそ多くの日本人の思考様式に見られる悪い傾向だと感じます

おっしゃる通りだと思います。しかし、ドロンコ氏はその非論理性に思い至り、反省の言葉を述べ、大野氏にきちんと「お詫び」しています。それに追い打ちをかけるような責め方は、あまりにも非友好的だと思います。この件は、わたしも実名を消したし、ドロンコ氏も謝罪をしました。これで落着させていただけないでしょうか。

>口承の文化を文字で伝えようとした時点で
>それはもうすでに「口承」ではなくなってしまうからです。
>あえて言うならば、ある意味その文化はその時点で「変容」してしまい、
>別のものになってしまいます。

その通りだと思います。そんなことでも、一般の人間はなかなか思い至るものではありません。大野くんからの指摘によって、なるほど、と膝を打つ人がたくさんいるでしょう。わたしも、大野くんの指摘を読んで、それでも文字にする意味を自らに問いながら仕事をしていきたいと、改めて思いました。

ドロンコ氏は、わたしが北海道で姉崎等氏、中本ムツ子氏、安東ウメ子氏にイオマンテに関する取材をさせていただいた折りにも、同行してくれた友人です。アイヌ文化の専門家ではありませんが、これをきっかけに興味を抱いてくださり、ウメ子さんのコンサートの折りには、運転手も買ってでて、無償で働いてくれました。実際、あのコンサートはドロンコ氏の働きなしには、成立しませんでした。タクシーですべてをまかなえるほど、わたしたちは裕福ではなかったからです。そんなふうに、いろんな形で協力してくれています。

確かに、生かじりで物を言うのはいけないことかもしれません。しかし、興味を持って近づいてきた人のことを、間違ったことをいったからといって、厳しく詰問するばかりでは、せっかく興味を抱いた人を、遠ざけてしまうことにもなります。

アイヌ文化に関して、大野くんは、わたしよりも、ドロンコ氏よりも、ずっと多くの知識を持っています。おそらく、この掲示板に集うだれよりも、深い知識を持っていると思います。アイヌ文化の理解に関して、大野くんが大人なら、わたしたちはみな子どもも同然です。大野くんは、自分が先生の立場にあるのだということを、どうかわかってください。そして、わたしたちの発言に、もし間違いや事実誤認があったら、諭すようにやさしく教えてください。そうやって、みんなのなかに、一歩一歩理解が深まっていくと思います。

ドロンコ氏だって、勇崎氏だって、わたしだって、みんな、アイヌ文化に心を寄せ、大切にしたいと思う者です。投稿を読んでもらえば、その気持ちは伝わると思います。知識が中途半端だから、間違いもあるでしょう。思い違いもあるでしょう。でも、大切にしたいという気持ちは変わりません。間違いを間違いだと正されることに、感謝の念を抱くような仲間だと、わたしは確信しています。アイヌ文化に深い造詣を持つ大野くんは、力強い味方だと思っています。アイヌ文化を大切にしたいと思うみんなの気持ちを育てるような方向で、お力を貸してはいただけないでしょうか。よろしくお願いします。

付記:大野くんの、言葉に厳格であることは、アカデミズムに於いて大変重要なことだと思います。けれど、掲示板はおしゃべりの場でもあります。時には不正確な言い方や、誤解を招く言い方をすることもあるでしょう。しかし、そのひとつひとつに引っかかっていては、会話は成立しません。どうか、その底にある気持ちを汲み取ってください。アイヌ文化に興味すら抱いたことのない人々が大多数のこの社会で、興味を持っているというそのことが、すでに大切なことだと思います。その興味をみんなで大きく育てていくことが大事なことではないでしょうか。素人ばかりの迷妄を、正しい方向に導くのは、知識のある人にしかできません。その知識のある人、というのが、大野くんであるということ、どうか、お心にとめてください。厳しく非難するのではなく、教えてくださるという形であれば、みんなももっともっと心を開いて、楽しく気持ちよく勉強できると思います。

大野徹人  DORONKO様 2004年08月09日(月)21時25分11秒
勇み足だったようです。 へのコメント

お返事ありがとうございます。しかしおっしゃることがどうもよく分かりません。
名前を挙げてらっしゃる書籍を読まれたことと、私についてのDORONKOさんのご批判がどういう関係なのか理解できません。

私はプロの研究者ではありませんが、日本のアカデミズムに関わりを持っていることを否定しませんし、さまざまな研究者の方を知っています。中には本当に心から尊敬できるような人が多数います。
ですので、ひとくくりに「これだから日本の学者はだめだ」みたいな批判をする方の意見には賛同できないことが多いです。日本の大学で教えている方の中には寮さんのような方もいらっしゃいますし、そうではない方もいらっしゃいます。

第一、「日本」のアカデミズムがだめかどうかは、さまざまな国と比較検討した上で結論を出すべき問題です。単にアメリカやヨーロッパの「とある」国と比べて、ここが違うからけしからん、みたいな批判は安易だと思います。

そして今後、私に限らず人を批判する以上は確かな根拠をもとに発言するようにしてくださるようお願いします。
根拠もないのに、人を安易に批判するのは非常に失礼です。
論理的に考えず、気分で人を批判する癖は、それこそ多くの日本人の思考様式に見られる悪い傾向だと感じます(世界的に見てどうなのかはよく分かりませんが)。

それからもう一つ前のDORONKOさんの投稿で気になった点について私の意見を書きます。

〜〜〜
そもそもアイヌの文化は、ぼくの貧困な知識でさえ、文字に頼ることもなく
「ユカラ」のような叙事詩を生み出したという点で、“口承の文化”である
という性格を強く帯びていることは否定のしようもないと思うのですが、
もし「物語る」こと自体を禁じることをよしとするというのであれば、
それは、“口承の文化”であるアイヌの文化の根を絶つことにしかならない
だろうとぼくは思います。それは、正しいか正しくないかといったレベル
ではなく、ほとんど犯罪に等しいことではないのでしょうか?
〜〜〜

まず、アイヌ文化が「口承の文化」であるかどうかと、それを絵本で紹介することの是非は全然違う話です。口承であろうと口承でなかろうと、そのことは絵本で紹介することの是非とは関係ないのではないでしょうか。

また、DORONKOさんは、アイヌ文化の「口承性」なるものについてどのような認識を持ってらっしゃるのでしょうか。
もしアイヌ文化が「“口承の文化”であるという性格を強く帯びている」のでしたら、それを文字で紹介することにはある意味「無理」があることにお気づきでしょうか。
なぜなら、口承の文化を文字で伝えようとした時点でそれはもうすでに「口承」ではなくなってしまうからです。
あえて言うならば、ある意味その文化はその時点で「変容」してしまい、別のものになってしまいます。
そのことの"デメリット"をどのように考えてらっしゃいますか。

私個人はアイヌ文化を「絵本」にすることに反対する意見は持っていませんし、寮さんの試みについては賛同しています。しかしアイヌ文化を絵本で紹介するという行為にはいろいろ考えるべき問題があると思っています。
(言うまでもなくこれは絵本だけの問題ではなく文字だけの書籍や漫画、映画、芸術作品などすべての表現手段についても言えることです。)

寮美千子  美浜原発で蒸気漏れ事故 2004年08月09日(月)21時11分16秒

福井県美浜町の美浜原発で、蒸気漏れの事故があり、死者4名、重軽傷7名を出したとの報道がありました。
http://www.asahi.com/national/update/0809/012.html

蒸気は、産業革命以来、人間が扱ってきたもの。その取り回しさえきちんとできずにこんな事故が起きるのに、原子力発電という巨大技術の集積を、ひとつの事故もなく運営し続けることは、ほぼ不可能ではないか、と思います。

いつ、破壊的な事故が起こらないとも限らない危うい「安全」の上に、わたしたちの生活があるのかと思うと、ほんとうに恐ろしい。

昨日、茨城県の勝田(ひたちなか市)に行ってきましたが、ホールに置いてあるチラシのなかに 原子力広報「あす」vol.121 2004 summer がさりげなく混じっていました。社団法人茨城原子力協議会が季刊で出している広報誌です。

それを開くと「原子力防災コラム」があり、次のようなことが書かれていました。
【原子力防災コラム】
このコーナーでは、万が一原子力災害が起きた時の心得について紹介します。今回は「避難する場合はどうしたらよいか」です。

もし、コンクリート屋内退避または非難の指示が出たときは、コンクリート屋内退避所、または避難のための集合場所などを確認し、落ち着いて行動してください。

・電気器具のコンセントを抜き、ガスの元栓などを閉めましょう。
・隣近所に声をかけ、助け合いながら避難しましょう。
・窓やドアの鍵をかけましょう。
・持ち物は最小限にし、貴重品は忘れないようにしましょう。
・自家用車は使わないようにしましょう。コンクリート屋内退避所や非難のための集合場所には徒歩で行きましょう。

確認すること
1. どこの区域の人が対象で、その区域の全員か一部か。
2. どの退避所へ行くのか、いつどこへ集まって、どこへ避難するのか。

(イラスト)注:人物の絵
帽子 ゴーグル 防塵マスク(または濡れタオル) ゴム手袋 フードつきレインコート 長ズボン 長靴
なんという生々しさ! このような注意書きが、日常のなかにあるということ。これが原子力発電というものの姿なのだと知り、背筋が寒くなりました。原発の近くに住む人でなければ、このことはきっと実感としてわからない。

それに、もし事故が起きたら、こんな対処ではなんともならん、ということも恐ろしい。「怖いねえ」と相棒と話していた矢先の今回の事故でした。茨城の原発でも、大事故が起きれば首都圏はすべて汚染圏内になります。対岸の火事ではない。

勝田には、合唱団のコンサートでいったのですが、あのすばらしい合唱をしてくれた人々が、毎日こんな恐ろしいものと背中合わせで生きているのだと思うと、胸が痛みました。

事故の言い訳は、これからいろいろ出てくるでしょう。でも、わたしたち人間は、テクノロジーを完璧に使いこなすことはできない生き物なのだということを、しっかり自覚してほしい。万が一の時、大惨事が予測される原発のようなものは、最初から放棄してほしいと切に願います。

燃料電池や、小規模な太陽発電や風力・水力発電の開発と振興など、出来ることはまだまだあります。まず、そこから真剣に手を付けて欲しいと思わずにはいられません。

事故で命を失った方のご冥福をお祈りします。

大野徹人  お返事感謝 2004年08月09日(月)20時22分00秒
おかえりなさい へのコメント

寮さんへ

お返事ありがとうございます。
私の言わんとしたことはおおむね伝わっていると感じています。
そして寮さんが日記にお書きになった経緯の説明の文章はおおむねそのとおりだと思います。特に問題があるようには思えません。
ですからDORONKOさんが私について誤解している部分は決して寮さんの責任ではありません。
あくまで私はDORONKOさんによる私についての一方的な決め付けについて抗議しています。

DORONKO  勇み足だったようです。 2004年08月09日(月)17時20分41秒
疑問 へのコメント

>大野さん

先般のぼくのカキコは、どうやら勇み足だったのかな、という気がしています。
というのも、あの頃、たまたまぼくは日本の大学について警鐘を鳴らしている
かのような本を2冊(とくにそうした視点で探したわけではなく、たまたま読んだ
本の中身がそうだっただけですが)続けて読んだところでしたので、「どうやら、
日本の大学はうまく行っていないらしい」といった考えが、頭の中に刷り込まれて
いたようなのです。

一冊は、先般のカキコの中でもふれましたが、日本における西欧中世史研究の
第一人者といってよいに違いない阿部謹也さんの『日本社会で生きるということ』
で、もう一冊はというと、青色発光ダイオードの発明者である中村修二さんの半生
の自伝のような『怒りのブレイクスルー』(2001、集英社)です。この2冊を
読んでしまうと、「感化」されてしまうのも無理はないかなあ……という気が、
今でもするぐらいです。

ただ、おっしゃるように、大野さんのお立場については、何の根拠もない推測
でしかありませんでしたので、これは本当にお詫びしなければと感じています。

どうか、ご海容いただければ幸いです。

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