寮美千子ホームページ ハルモニア Cafe Lumiere (No.0053)

寮美千子/軽い話題の掲示板

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なんくる  この方だったのですか。 2005年04月27日(水)23時43分12秒
さよなら、町田「たべものや」/本日で閉店 へのコメント

昨年5月、初めてエコナプキンというものを知りました。
be good cafe というイベントでインディアンティピーの中で
おんなたちが車座になり(乳飲み子もいました)、世間話しながら、
エコナプキンを手縫いしました。とってもいい感じでした。
(そのイベントの時、私はフリー参加のステージで、詩を読みました。
工藤なおこさんの「いるかの手紙」と茨木のりこさんの「自分の感受性くらい」を。)
その拠点の方のお名前をはじめて知ることができました。
魔法のナプキン、ぜひ入手したいです。
私たちの地域でエコナプキン作り講座をして、普及させたいねって、おはなし会のメンバーと、言い続けているんです。いつか、やります。

寮美千子  さよなら、町田「たべものや」/本日で閉店 2005年04月27日(水)15時07分48秒

友人の角張光子氏のお店、町田の「たべものや」。
無農薬の有機野菜の食事を出すレストランとして、
布製衛生ナプキンの普及拠点として、町の情報発信基地として機能してきましたが、
きょうが最後の営業日。
丸14年と1日の歴史を閉じることになりました。
ごくろうさま!

光子さんには『魔法のナプキン』などの著書もあり、
レストランは閉じても、その他の活動は継続するとのこと。
今年後半には、拠点を町田からもっと田舎に移して、
あらたな形を模索するとのことです。
もう、候補地もあがっていて、地図で見せてもらいました。
川沿いの過疎地です。
空き家になった農家を借りて、新生活を始めたい、とのことでした。

町の小さなレストランから、地球を見つめ、世界に発信してきた光子さん。
長い間、お疲れさま。
50歳を過ぎて、新たな出発をする光子さんの勇気、すばらしいと思います。
新しい門出、おめでとう!

松永洋介  門坂画伯の大阪での個展、開催中!本日より三日間在廊 2005年04月27日(水)07時15分04秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/~ysk/
門坂流画伯 大阪・丸亀・東京で個展を連続開催! へのコメント

この四月から五月、大阪・丸亀・東京と続く、門坂流画伯の連続個展。
大阪・淀屋橋のギャラリー・プチフォルムでの版画展がただいま開催中です。
エングレーヴィングが約三十点出品されます。大阪では実に久しぶりの個展となります。

本日27日から29日までの三日間は、画伯の在廊日です。
関西方面のかた、ぜひ足をお運びください。

☆『門坂流版画展』
ギャラリープチフォルム
2005年4月20日〜5月10日(5月1〜5日:休廊)
大阪市中央区道修町3−5−1 明治生命道修町ビル1 電話06-6231-2302
在廊日 4月27日(水)・28日(木)・29日(金)

http://kadosaka.com/

アラタ  命と向き合うということ 2005年04月26日(火)20時51分20秒
人はみな無数の命を生きている へのコメント

私のコメントにご返事いただき感激しました。ありがとうございます。
くだんの記事に「命と真正面から向き合うことで代えがたい尊さを心と体から実感」というタイトルが付けられていましたね。(新聞社のほうでつけたのでしょうか)

幼い日に 都内のわりに 庭のあった我が家では ニワトリを飼っており、なんかの折にそのトリを絞めて「ご馳走」にしたことがありました。
その絞める場面はものすごく印象に残っているのに 食べられなかったという記憶がないので 案外ケロっとして食べてしまったのでしょう。

あと 随分トシをとってから 知り合いのおばあさんのお葬式で まるで生きているようなオバアサンの額にそっと触れたときに 体温がなくて 「ああ 人が死ぬということは なんてあっけないことか。生死の境のなんと 懸隔のないことか。」と感じました。

とりとめもないなかで 申し上げたかったのは「死」を身近にすることは 何歳になっても それなりに教えられることがあったということです。

「死」は それ自体残酷であることにかわりはないが、「死」から引き離されてしまうと「生きる」重みが薄れてしまい、それはまた別な意味で残酷なことである。「死」を避けて、「生」を学ぶことはできない。ということなのでしょうか。。。

寮美千子  強くて明るい敏子さんの魂の光 2005年04月25日(月)16時56分58秒
「ほら、見て。生きているのよ。」 へのコメント

「太陽の塔を”世界遺産”なんていうのはよくないわ。
 ”遺産”っていうのは、死んでしまったものに使う言葉でしょ。
 だって、死んでなんかいないもの。 
 ほら、見て。生きているのよ。」
鳥海さんが書いてくださった敏子さんのこの言葉を読んだとき、思わず落涙してしまいました。
敏子さんは死んでいない。生きている。ずっとずっと生きていく。
そう強く感じました。
敏子さんの魂の強さを、明るさを、いまになってますます感じています。

それにしても、お独りで旅立っていった敏子さんのことを思うと、胸が痛みます。
どうしたら、独居者の事故をいち早く発見することができるか?
その提案を、カフェルミ掲示板でしてみました。読んでみてください。

cafe0043.html#cafe20050425164942

鳥海  「ほら、見て。生きているのよ。」 2005年04月25日(月)01時35分51秒 http://www.age.ne.jp/x/toriumi/

寮さん、お久しぶりです。
奈良滞在中はお会いできずに残念でした。
門坂さんの個展会期中に是非ともお会いできれば嬉しいです。
少し久しぶりにこちらにお邪魔します。

「太陽の讃歌 故岡本敏子氏に捧ぐ」を拝読しました。
あわただしい日常生活の中に訃報が舞い込んできてから、
心のどこかを意図的に麻痺させるようにして、
ひたすらあわただしく暮らしてきました。
最期の姿を想像して、どうにもやりきれない思いでいました。

けれど、今、寮さんによる言葉に触れて、
敏子さんという身体の存在が不在に転じた事実を
一篇の物語を読むようにして理解することができました。
敏子さんが独りで生きることも、独りで死に逝くことも、
タローと敏子さんとの愛の表現方法のひとつであって、
それほどまでに愛に満ちていたのだとも。
太郎と敏子さんの愛のかたちは、
敏子さんによる小説「奇跡」のモチーフとなっていますね。

自身の中で分断されていた哀しみの回路が繋がったようで、
おかげで哀しくてしかたありません。
でも、寮さん、ありがとう。
いつもあなたの言葉が、
哀しいときは哀しんでいいといってくれる。
そして、自身の存在と有形無形の無数の生命の存在とをつなげてくれる。
昨夏に吹田にお招きしたときの敏子さんの言葉から。

「太陽の塔を”世界遺産”なんていうのはよくないわ。
 ”遺産”っていうのは、死んでしまったものに使う言葉でしょ。
 だって、死んでなんかいないもの。 
 ほら、見て。生きているのよ。」

寮美千子  人はみな無数の命を生きている 2005年04月24日(日)03時34分02秒
セブン・・で注文しました へのコメント

人はみな、自分一人の命を生きているのではない。命を支えるために犠牲になった無数の命を生きているのだから。それを頭だけではなく、心と体で理解したとき、きっと人は自ら命を絶つことも、人を殺すことも、できなくなるのではないか。 by 寮美千子 公明新聞掲載エッセイより
▼アラタさま
公明新聞のエッセイへのご感想、ありがとうございます。
大切なことを、いっぱい書いてくださったなって感じています。

魚市場の映像は、よくテレビに出るのに、食肉市場の映像は映りません。
そこで何が起こっているのか、見えない、見せない。
だから、あたかもなかったことにされてしまう。

魚市場にはお魚の匂いがいっぱいなのに、臭いの苦情は来ない。
屠畜場は、それとわからぬほどの匂いでも、臭いと苦情がくるそうです。

そんな差別の根源はどこにあるのか。
文化や歴史を含めた、根深い理由があります。
けれど、わたしたちの命の根源を見つめれば、
差別の愚かさが、くっきりと浮き彫りになってきます。

中学生の娘さんに『イオマンテ―めぐるいのちの贈り物―』の絵本を買って下さったとのこと。
ありがとう。伝わるといいなあ。

娘さんに、ぜひおすすめしたい本があるのですが、
きょうはもう遅いので、またの機会に書きますね。では!

寮美千子  月にかかる虹の輪 2005年04月24日(日)03時14分25秒
わたしも見つめていました。 へのコメント

>わたしも見つめていました by なっつさん

月や星のすてきなところは、遠く離れていても、同じものを見られること。
期せずして、大好きな人と同じ時におなじ星を見あげていたと知るのは、
胸がきゅんとなるほど、うれしいことですよね。

鹿児島では、昨日の夜は月にまあるい虹がかかったようです。
虹の輪なかで飛ぶ小鳥のような木星が、見えたかもしれませんね。
http://373news.com/2000picup/2005/04/picup_20050423_11.htm

同じ南日本新聞の記事に、鯨は浜に打ち上げられた記事が載っていました。
なんと、雄と雌の2頭が、2頭とも死んで打ち上げられたのだそうです。
普段は、この海域に来ない種類の鯨だとか。
どうして群れからはぐれてしまったんだろう。
どうして2頭いっしょに命を失ったんだろう。なんだか、切ない話ですね。
http://373news.com/2000picup/2005/04/picup_20050423_4.htm

亡くなった鯨たちも、自由に海を泳ぎながら、満天の星空を見あげたのでしょうか。

なっつ  わたしも見つめていました。 2005年04月23日(土)23時27分08秒 http://nattsu358.exblog.jp
月と木星 へのコメント

寮さん、こんばんは。
あの晩の月、そして隣に輝く星、とてもとても印象的で
夜中ごみを捨てにいったとき、わたしもじっと見つめてしまいました。
あれは木星だったんですね。金星好きなので金星と思っていたけれど。。。。
岡本敏子さんの大ファンでした。彼女の文章を読むたび、胸が熱くなるんです。
もちろん太郎さんの作品からも、青山へ行くたび、たくさんのパワーをいただいた。
彼がいなかったら、わたしは渡仏もソルボンヌもいかなかったと思うくらい
青年期に彼らからたくさんの影響を受けたように思います。
敏子さんが逝かれたこと、今この掲示板訪れるまで知りませんでした。
この前の月といい、思わずコメントしてしまいました。

寮美千子  りんごと銀河と望遠鏡/歯科広報・佐用郡「8020だより」に寄稿 2005年04月23日(土)16時33分02秒

西はりま天文台のある兵庫県佐用郡の歯科広報便りにエッセイを寄稿しました。
「8020だより」と名づけられたこの広報、
「80歳まで、自分の歯を20本持っていよう!」という意味だそうです。
いま、わたしの歯は何本あるかしら? 2本は差し歯になっちゃったなあ。
(そのうち一本は、10年ほど前にぶん殴られて折れた)

エッセイのタイトルは「元気な歯で宇宙をかじろう―りんごと銀河と望遠鏡―」。
以下で読めます。

http://www.kouiki.sayo.hyogo.jp/kouiki/8020dayori/8020_22/item/01.htm

寮美千子  興福寺/八部衆立像と釈迦十大弟子像 2005年04月23日(土)16時28分34秒
興福寺国宝展−鎌倉復興期のみほとけたち− へのコメント

▼AE111さま

いらっしゃい。AE111さんは天文ファン。月と木星の接近はごらんになりましたか?
掲示板では、情報発信するだけではなく、なるべく会話のラリーを楽しみましょうね。

興福寺の阿修羅像は、心惹かれる仏像のひとつ。
中学校の美術の教科書で見て以来、ずっと恋しています。
もちろん、本物も見ました。
あの緊張感、アドレッセンス中葉の不安定な危うい感じ。すばらしい。

阿修羅像は八部衆立像のうちの一体ですが、この八部衆がまた面白い。
テレビの人気アニメの何とかマンみたいな感じ。
それぞれが超能力があって、武装して衆生を助けに来る。
人間っていうのは、昔からこういうキャラが好きだったんだなあ、
脳みそにぴったりはまっちゃうんだなあと、改めて思うのでした。

興福寺には釈迦十大弟子像もあり、これもほんとうにすばらしいものです。
わずかな体の表現なのに、それぞれの性格や人格が的確に表現され、
生々しく迫ってきます。
記憶の中で、そのイメージはどんどん拡大され、
「説教第一」の弟子像など、大きく腕を振り上げているように思うけれど、
実際見てみれば、ほんのわずか腕を上げているに過ぎないのです。
それでも、腕を振り上げて力説しているように感じられる。すごいことです。
わたしは、釈迦の息子の像が好き。
釈迦という大人物の息子であることの重圧に耐え、
そのことでかえって肩身が狭そうに必死にがんばっている姿に胸打たれます。

薬師寺に、現代の作家が制作した釈迦十大弟子像がありますが、
わたしにはどれもこれも同じように見え、十大弟子のキャラよりも、
作家自身が表面に出ているように感じられてなりませんでした。
「彫像を制作する」ということの意味が、当時といまと、
まるで違ってしまったのかもしれません。
興福寺の彫像を造った人々は、芸術家ではなく、仏師だったのですからね。

▼AE111さんからの質問

>なぜ自由に物事を考えられるのか
>寮美千子さんが考えている文学におけるイメージのはたらき

という質問にまだお答えしていませんでしたね。
ちょっと漠然としすぎていて、すぐにお答えできませんでした。
また後日、お答えしましょう。

AE111  興福寺国宝展−鎌倉復興期のみほとけたち− 2005年04月23日(土)06時56分16秒 http://blog.drecom.jp/ae111/

 いつも楽しくホームページを見ています。
 今回、ネッツ山口では山口県立美術館で公開されている「興福寺国宝展−鎌倉復興期のみほとけたち−」について書き込んでいます。寮さんは先月、奈良に行かれたそうですが、興福寺は行かれましたか?
 また何かあれば書き込みをします。

寮美千子  月と木星 2005年04月23日(土)03時18分34秒
Sick of good by へのコメント

夜更け、深夜もやっている古本屋さんへと歩いていたら、
じんわりと円く滲んだ虹色の雲のなかに、十三夜の月が光っていました。
その脇の闇の中、月からすぐ手が届きそうなところに、
くっきりと光るひとつの星。木星でした。
まるで、向きあってじっと見つめあっているよう。

いま、木星はぐるりと月の上にまわって、
ちょっぴり月を見下ろしています。
まるで、月に戯れる小鳥のように。

ああ、あれは……。
勇崎さんの言葉を読んでいて、いま、思い当たりました。
あの月は、もう一つの世界へいった太陽の姿。太郎さんの姿。
だから、あんなに美しい虹色のなかにいる。
そして、明るく輝く星は、もちろん敏子さん。
じっと見つめあい、そして小鳥のように楽しげ月の周りをめぐっている。

亡くなった人が星になるなんて、使い古された常套句。
そう思ってもなお、こんな日に星を見ると、そう思ってしまうのです。
そう思いたくなる。そう思うことで、心が涙で洗われて、慰められる。

来世も、死後の世界も信じないわたしだけれど、
敏子さんのことを思うと、どうしても思ってしまう。
いま、彼方で、太郎さんと再会しているだろうと。
敏子さんはきっと、喜び勇んで会いに行ったんだと。

そして、「死」というつらく悲しい地上の別れを、
そんなふうに明るい光で満たしてくれる敏子さんという人を、
ほんとうにすごい人だと思うのです。
その明るさは、純粋な愛の放つ光だと。

明日の晩も、木星は月に戯れ、明後日の満月の夜の九時頃には、
ほんとうに満月に触れそうになる木星が見えるはず。

勇崎さん。空を見てね。

http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2005/200503/0326/index-j.shtml

勇崎  Sick of good by 2005年04月23日(土)01時10分38秒
写真たくさん撮っていると へのコメント

Sick of ○○、というのは慣用句で、
「○○は、もうたくさん(もういらない)」と訳すらしい。
写真家ロバート・フランクさんの作品に、
「Sick of good by」というのがあって、
札幌での回顧展のとき、英語の堪能なかたに、
慣用句としての訳を教えてもらったんだけど、
「さよならの病気」という直訳の方が、
当時の日本の若い人たちに共感を受けるのではと思い、
僕は直訳で掲出してしまいました。
でも、僕はまちがっていたことに、
今日気づきました。
フランクさんも、写真をたくさん撮ってしまって、
Sick of good by
という気持ちになられたんだなあ、
という機微が、
今日、わかりました。
僕ははずかしい。

勇崎  写真たくさん撮っていると 2005年04月23日(土)00時41分00秒
オマージュ へのコメント

写真たくさん撮っていると、たくさんの出会いがあって楽しくて幸せなんだけど、
その分、訃報によってたくさんの別れを強いられるので、つらいんですよね。
敏子さんもNAOKOも僕の写真のなかでは、ずっと笑っていて、だからなおつらいんですよね。

勇崎  男と女は相い対するのではなく、太郎さんと敏子さんのように相い待っているのだ。高田さんも早川さんも、僕も、きっとあなたも待っているなのだ。 2005年04月23日(土)00時31分36秒
ラシエット朗読会レポート へのコメント

そうなんですよね。
高田渡さん。
僕が山之口貘の詩を最初に知ったのは、
彼の歌からです。
五つの赤い風船とのカップリングLPで、
はるか彼方の昔のことですね。

そういえば、早川義夫さんが、朝日新聞で、
高田渡さんへの追悼を書かれていましたね。
とても共感しました。

なんだか寂しいですね。

寮さんのお祖父様、相対性理論のご本書かれたのですか!?
「この理論が発表された当時は、
[相対]性理論ではなく
[相待]性理論と訳された。
この訳の方が、この理論を理解しやすい」
と、ある本で、湯川秀樹氏が語っておられましたが、
お祖父様は、どのように訳されたのでしょうね。

宮古島、3年以上行ってない。
行きたいなあ。
あの多良間島の「二人の踊り子」の一人、NAOKOは2年前、
30代の若さで、逝ってしまったというのも、ショックだった。
みんな元気にしてるかなあ。
お墓参りしたいなあ。

アラタ  セブン・・で注文しました 2005年04月22日(金)12時22分05秒
新刊『イオマンテ―めぐるいのちの贈り物―』2月20日発行! へのコメント

公明新聞の文化欄にすばらしい寄稿をされていましたね!感動して読みました。「人はみな、自分一人の命を生きているのではない。」という一節は深く納得できました。たまたま私の職場の隣が品川の「食肉市場」という名前の屠殺場だというめぐりあわせも不思議です。現在の食肉を人間が得る現場は、牛の姿もほとんど見えず、鳴き声も聞こえません。まるで工場のように、はいっていった命が加工されてでてくるのです。わずかにカラスの群れとかすかな臭いだけがその重たい事実を気づかせてくれています。
さっそく中学3年の次女に贈ろうと思い購入しました。中学校での人間関係などでつらい思いを抱えているようで、でも私はうまくフォローできなくてという状況にあり、この本はそんななかで私のかわりにきっと娘に元気を与えてもらえそうな気がしたからです。
お忙しいでしょうが、お体に気をつけてがんばってください。ありがとうございました。

寮美千子  ラシエット朗読会レポート 2005年04月22日(金)00時14分57秒
▼遊星たちの消息:ラシエット ポエトリー・リーディング No.10 へのコメント

行ってみたら、20人ほども集って、いままでにない盛況ぶりのラシエットの朗読会。
岩井さん、小高さん、久遠さんという朗読三大スターも勢揃い。
小宮山さんもお母さんと娘さん二人でいらしてくださり、
ソプラノの歌姫・山本嬢もかけつけ、初めての方もたくさん。
そして、あの作曲家の高橋喜治氏も後半かけつけ、ほんとうに賑やかな会になりました。

久遠さんが、高田渡氏の追悼詩を朗読。
吉祥寺の飲み屋、伊勢屋を舞台にした詩でした。
高田渡氏は、わたしも泊まったことのある白糠のホテルで倒れられたんですね。
わたしは、岡本敏子氏の追悼詩を朗読しました。
期せずして、二つの追悼詩が読まれた朗読会になりました。
ご冥福をお祈りします。

わたしはさらに、高橋喜治氏の曲に詞をつけた「花の子供」「海の子供」
その曲の録音CDをバックに朗読。
その上、ソプラノの山本嬢が、高橋氏の生ピアノ演奏をバックに、
初見で歌ってくださいました。

これが好評!
「わたしも歌いたい!」と楽譜を求められ、お向かいのコンビニでコピーして配布。
次回5月19日の朗読会では、誰かが歌ってくれることになりそうです。

楽譜をお配りした方の中には、地元のアマチュア合唱団の指導者の方も。
高橋喜治氏の合唱曲が、わたしの地元・相模大野で歌われる日も近いかも知れません。
いっそ、わたしもその合唱団に入るか?!

ハルコさんは、娘さんのひなちゃんを主人公にした自作の童話を読んで新機軸。
始めてきた方の朗読では、13歳の少女の詩を読まれた、
宮古島ご出身の大里さんが、とても印象的でした。
大里さんは、近く宮古島に民宿を開かれるそうです。行ってみたい!

終演後は、高田渡氏と岡本敏子氏の想い出を語りありました。
寮美千子は風邪なのに張り切りすぎて、声がちょっと出なくなってしまいました。
反省。

それにしても、実りの多い会でした。感謝!

寮美千子  本日午後7時より、ラシエットで詩の朗読会 2005年04月21日(木)01時01分35秒
▼遊星たちの消息:ラシエット ポエトリー・リーディング No.10 へのコメント

毎月恒例、ラシエット主催のオープンマイクの朗読会も、今回でいよいよ第10回。
継続は力なり。
風邪がようやくよくなってきた寮美千子も行こうと思っています。
声が出ないかもしれないけれど。
みなさまも、ぜひ!

寮美千子  宮沢賢治と相対性理論の関連に関する論文を発表 2005年04月17日(日)15時19分01秒

祖父・寮佐吉の翻訳した物理学書が、宮沢賢治が残した本の蔵書目録(和書)にあった唯一の物理学書だと知ったのは、2003年の2月のこと。中京大学の大学院の黒田恵美子氏からの問い合わせで、はじめて知りました。

アインシュタインは大正11年に来日。相対性理論関連の本を翻訳発表していた祖父は、その頃住んでいた名古屋の講演会で、アインシュタインに会っています。

賢治とアインシュタインを結びつけた接点に、祖父の翻訳書が関わっていたのでは? という推論から、当時の相対性理論の本をいろいろと調べてみました。すると、大正11年だけでも24点もの相対性理論本が出版されていたことがわかりました。しかも、世の中は相対性理論一色で塗りつぶされるほどの大ブーム。

その中には、純粋に物理学的な見地から書かれた本から、哲学・宗教とのかかわりのなかで書かれたもの、超能力といった観点から書かれたものさえありました。賢治は、いったいどこから「四次元幻想」の着想を得たのか?

そんなことを調べて、論文を書きました。和光大学表現学部の2004年の紀要で発表しました。

【宮澤賢治「四次元幻想」の源泉を探る書誌的考察】
A bibliography study for source of MIYAZAWA Kenji "Four-dimensional fantasy"


今年はアインシュタインが相対性理論を発表してからちょうど100年の区切りの年。この年に、宮沢賢治の「四次元幻想」の源泉を求める論文を発表できたことをうれしく思っています。

紀要は、和光大学構内で無料で配布しています。また、論文の全文を以下に掲載しました。ご覧になってください。

http://ryomichico.net/sakichi/kenji-4d-fantasy.html

寮美千子  花びら銀河 2005年04月16日(土)00時42分43秒

一昨日、お医者さんへ行くために雨に濡れた広場を歩いていると、石畳のいちめんに、桜の花びらが散っていました。しっとりと湿った暗い石畳に映えて、それはまるで、花びらでできた銀河。花びらを踏みながら歩くわたしは、星の海を漕ぐ一艘の小舟のような気分でした。

お医者さんでもらった抗生物質を飲んだら、顔に発疹が出てしまいました。そこで、薬を変えてもらうために、きょうもまたお医者さんへ。花びら銀河は晴れた空の下、すっかり乾いてかろやかに風に舞い、桜の小枝はもうやわらかな緑を芽吹いています。

惜しむ間もないほど鮮やかに移り変わる季節。あと何回、桜を見られるんだろう。ふと、そんなことを思ってしまいました。

既にこの世から去っていった友たちは、もうこの桜を見ることができない。彼らのいないこの世界で、わたしはまだ、こうやって、美しい桜を見ている。生かされている。そのことを大切にして、もっともっとやりたいことをやらなければ、いい仕事をしなければ。そう感じました。

でも、その前に、体をすっかり治さなくてはね。ゴボゴボ。

セント・ギガのために書いてきた詩「Voice」に某社より反応がありました。まだどうなるかわからないけれど、出版できるといいなあ。みなさんに、美しい本にして手渡せる日が来ることを祈っています。応援してくださいね。

なんくる  どろんこさま 2005年04月14日(木)22時50分52秒
お大事に! へのコメント

そうですよね。何事もタイミングですよね。
まったく予期せぬ、絶妙のタイミングで、すてきなことは起こる、ってのを
私も何度も体験しています。
Tさんのことも、心にとめておいてみます。
どこかでお会いできることもあるのかも。と思います。

どろんこさんも大阪でお会いできたらよかったなぁ。
きっと、いつか。

DORONKO  お大事に! 2005年04月13日(水)11時47分08秒
下北沢&奈良 へのコメント

寮さん

あの奈良に、そんな道路を計画するとは……。
そんなことをしていたら、この国は、間違いなく破滅しますね――。
問題の根本は、まず「道路特定財源」を一刻も早くやめにして、
一般財源に組み入れさせるということだろうと思うけれど――。

>この話題はこれからカフェルナにね。

そうそう!
この話題はルナの方向きだよね!

とにかく、風邪、早くよくなりますように――。
イソジンでよくうがいをして、ぐっすり眠るのが一番かなあ、と。

なんくるさん

ぼくは大阪までは行けませんが、門坂さんと寮さんとで、大いに
盛り上がってくださいね!

なお、スライドショーの上映会をそちらで実現するまでには、まだ
しばらく時間がかかりそうですね。
もちろん、ぼくもできるだけの協力はしたいと思っていますが。

寮美千子  下北沢&奈良 2005年04月13日(水)01時00分07秒
下北沢から、始めよう!(in新宿) へのコメント

下北沢と奈良の共通点は? それは両方ともわたしが大好きな町だということ。そして、もうひとつ。大きな道路が通る計画があるということです。

下北沢は、いつまでもあの下北沢でいてほしい。わたしもそう思います。道路を造って、たくさんのものを超スピードで運んで、それで人の心や暮らしに余裕が出来るわけじゃない。人はどんどん忙しくなる。

古都奈良でも、世界遺産地域を南北に縦断する京奈和高速道路が計画されいます。遺跡を傷つけることのない非常に深いところにトンネルを通そう、という案だとか。しかし、遺物は地下水に浸されることによって守られているといいます。木簡など、トンネルによってもしも地下水脈の流れが変わったら、それだけで地中で朽ちてしまうのです。千三百年間、守られてきた歴史の遺物を、「効率」とか「経済性」という目先の利益のために、この一瞬で壊してしまっていいのでしょうか? 

そこまでして道路を造る必要があるのか? 誰の利益になるのか? やっぱり土建屋さんでしょうか? 下北沢にも奈良にも、道路よりもっと大切ですてきなものがあるはず。わたしはそう思います。ドロンコさん、応援してます! ところで、この話題はこれからカフェルナにね。では。

追伸:まだ風邪が治らなくて苦しんでおります。ゴホゴホ。

http://www3.ocn.ne.jp/~nsih2001/anatano.html

寮美千子  「印度第七官界彷徨」を「詩と思想3月号 特集:五感をひらく」に寄稿 2005年04月13日(水)00時36分24秒


お知らせが遅くなってしまいましたが、寮美千子は「詩と思想3月号 特集/五感をひらく」に「印度第七官界彷徨 リアルとヴァーチャルの高速度回転世界へようこそ」を寄稿しています。昨年3月に訪れたインドの旅を中心に書いています。『楽園の鳥』の副読本にも最適! よろしく!


この本には、わたしが草思社時代、写真部にいらした写真家・浦野俊之氏が「五感都市・東京を撮る」を発表しています。すごくセンスのいい、それでいて気取っていない写真。浦野さんて、個人ではこんな写真を撮る方だったんだと、再認識しました。写真集にして見たいくらいです。

http://www5.vc-net.ne.jp/~doyobi/

DORONKO  下北沢から、始めよう!(in新宿) 2005年04月11日(月)18時57分53秒
▼遊星たちの消息:アースデイ・トーク“僕たちの下北沢を救え!!” へのコメント

明後日13日(水)、新宿のロフトプラスワンでのイベントです。

下北沢が好きだという人、あの街には縁があるという人、日本の「街づくり」
とか都市計画って、おかしいんじゃないの?と思っている人、そもそも、今
下北沢で何が起きているのかを知りたいという人……この日は、とにかく
全員集合しちゃいましょう!!

Save the下北沢の運動、たしかにシンドイことも多いのですが、ぼくたち
メンバーは、決して嫌々やっているわけじゃありません。マジメに、でも
楽しくやっているわけで……この感覚がわからないと、日本の未来は明るく
ならないだろうな、とぼくは思います。といっても、もちろん「明るさ」を
強要するつもりなんかなくて、要するに、みんながそれぞれに互いを支え
合いながら、しっかり自分を肯定できる人間になってほしいものだと。

これは、そんな「明日」のための、またとないイベントになることでしょう。

#問題の全体像については、以下のブログに詳しく紹介されています。

http://d.hatena.ne.jp/solar/

なんくる  行きます! 2005年04月10日(日)22時10分22秒
門坂流画伯 大阪・丸亀・東京で個展を連続開催! へのコメント

行きます、行きます!
門坂さんの作品にも、寮さんにも、会いに行きます!
今からわくわくしてきました。

寮美千子  寮美千子作詞・高橋喜治作曲「雪の子供」 4月24日初演! 2005年04月09日(土)22時53分48秒
▼遊星たちの消息:Bouquet de Tons 16th/室内楽コンサート〜春の風、春の光〜 へのコメント

作曲家・高橋喜治氏の依頼により書き下ろした詞「雪の子供」が、室内楽アンサンブルとなって初演されることになりました。演奏は「Bouquet de Tons」。このグループの委嘱曲として発表されます。4月24日、すみだトリフォニー小ホールにて、午後2時開演。みなさま、ぜひ!

なお、この曲は合唱曲として編曲される予定。“花の子供” “海の子供” “雪の子供”に加え、これから生まれる(はずの)“山の子供”を合わせて「子供4部作」になるという壮大な計画が! 早く実現するといいなあ。

寮美千子  門坂流画伯 大阪・丸亀・東京で個展を連続開催! 2005年04月09日(土)22時02分50秒

門坂流氏の個展が、各地で開催されます。とりあえず、まとめてここでご紹介。

わたしは、5月7日午後6時半より、丸亀の「あーとらんどギャラリー」の企画展講座で、門坂氏にインタビューを行う予定。その前に大阪のプチフォルムを訪ねるつもりです。関西方面の方、日程を合わせてプチオフ会を開きましょう!

☆『門坂流版画展』
ギャラリープチフォルム
2005年4月20日〜5月10日(5月1〜5日:休廊)
〒541-0045大阪市中央区道修町3-5-1明治生命道修町ビル1 06-6231-2302
在廊日 4月27日(水)・28日(木)・29日(金)

☆『門坂流版画展』
あーとらんどギャラリー
2005年5月7日 〜5月29日
〒763-0022香川県丸亀市浜町4番地 087-724-0927
在廊日 5月7日(土)・8日(日)・9日(月)

☆『門坂流展2005 〜新作と未発表ドローイング』
不忍画廊
2005年5月18日(水)〜28日(土)
〒103-0028中央区八重洲1ー5ー3不二ビル1F 03-3271-3810
出来るだけ毎日在廊するつもりです

http://kadosaka.com/contents/info.html

寮美千子  さくら満開@首都圏 2005年04月09日(土)18時24分05秒

▼わたし@風邪ひき
ただいま。寮美千子です。4月1日の朝には神奈川に戻ってきたのですが、それから毎日なぜか用事があって出歩いていて、とうとう疲れでダウン。3日前に高熱を出して寝込んでしまいました。

「ここ5年くらい熱なんか出さなかったのになあ」と、奈良に単身赴任中の相棒に嘆くと「そんなことないよ。何度も熱出したよ」とのこと。そういわれれば、水枕を何度も取り替えてもらったこと、思い出しました。つまり、ここ5年間、熱を出さなかったんじゃなくて、熱を出して心細い思いをしたことがなかったってことか。(のろけ) 久しぶりにひとりで熱を出すと、さすがにつらかったです。

幸い、熱も下がったし、快方に向かっています。普通の風邪だったようです。でもまだ微熱が出て本調子じゃない。気がつけば、外はすっかり春の陽気。桜が満開だというのに、残念!

▼イシガキさま
「雪の子供」と同じ趣旨の詩を書かれたことがあるとのこと。あの、自分がどこまでも天に昇っていくような感覚は、もしかしたら、子どもの頃、誰もが一度は感じたことなのかもしれません。それを覚えているか、忘れてしまうか。何かに初めて触れたときのみずみずしい驚きの感覚を、できればいつまでも持っていたいと思うわたしです。だって世界は、どの一瞬だって新しい世界。ほんとうはどんな平凡な日常でも、まだ、誰も見たことのない一瞬なのですから。

いつか、機会があったら、イシガキさんの映像、ぜひ拝見させてくださいね。

ところで、この「雪の子供」が、室内楽の作品として完成したと、きょう、作曲家の高橋喜治氏から連絡がありました。4月24日に、すみだトリフォニー小ホールにて「Bouquet de tons」の委嘱曲として初演されます。うれしい! 詳細は後ほど。

▼なんくるさま
『おおかみのこがはしってきて』は、アイヌ民話シリーズの第一弾でした。その第2弾の『イオマンテ―めぐるいのちの贈り物―』も、つい先日上梓したばかりです。ぜひ、ご覧になってください。感想を聞かせてもらえたらうれしいです。

ところで、なんくるさんは大阪の方なんですね。わたしは、相棒が奈良で漆工芸の修行を始めたため、今年は度々、奈良に行くことになりそうです。今月末から大阪のギャラリーで門坂流氏(わたしの小説『楽園の鳥―カルカッタ幻想曲―』の装丁画の方)の個展があります。わたしも行くつもり。後で詳細書きますが、できたら、そこでお目にかかりましょう! わたしは、5月になってから行く予定です。よろしく!

▼左近充さま
「 底の抜けた鍋で星を掬う」なんて、なんてロマンチック! そのまま童話の世界ですね。左近充さんをモデルに、お話しが書けそうな気がしてきました。

▼ドロンコさま
お久しぶり。下北沢でのイベント、ちょうど奈良に行っていて行けませんでした。残念。勇崎哲史さんの「光の絵日記」は、ぜひ関西でも! そのときは、精一杯応援します。

寮美千子  りょうみちこ@奈良 2005年03月31日(木)16時15分53秒

行方不明同然?!だった寮美千子です。
実は、3月11日から、奈良に滞在中。

4日間連続でお水取りのお松明を見物したり、
その後、二月堂で繰り広げられた声明のめくるめく饗宴を満行になるまで聞いていたり、
京都に足をのばして伊藤若沖や河井寛次郎の展覧会を見たり、
毎日めまぐるしい日々を過ごしていました。
ゆっくりするつもりできたのに、奈良が面白すぎて、ゆっくりさせてくれないのです。
毎日、くたくたになるまで歩き回ってしまいました。

そんな奈良暮らしも今日でおしまい。
深夜バスで東京に戻ります。
竜宮城で月日を忘れて楽しんでいた浦島太郎の気分です。

竜宮城にいる間に、カフェルミに初めて訪れてくださった方もいらっしゃいました。
質問をくださった方も。
戻ったら、お返事を書きます。

ではまた! さあ、ラスト奈良散歩にでかけるか!

寮美千子  WINJ BSアナログ放送 本日終了 2005年03月31日(木)16時03分52秒

セント・ギガ制作の番組を放送していたWINJのアナログ放送(BS-5ch PCM)が、本日で終了になります。セント・ギガ開始以来使用してきたチャンネルが、今日で終わってしまうのは、感慨深いものがあります。

セント・ギガには、多くの詩作品を書いてきました。数えてみたら、500編を越えていました。まだ、紙メディアの活字としては出版していません。いずれ出版したいと思っています。すでにリライトと編集を終了。版元を探している段階です。しかし、詩の本の出版はむずかしい。ことに、わたしは活字の詩の世界ではほとんど発表してこなかったため、ほとんど不可能といってもいいかもしれません。でも、一縷の望みを託してがんばります。

そういえば、今年の初めにあった明治学院大学の言語文化研究所主催の現代詩の朗読会。以前、わたしも出演させていただいたことがあるのですが、今回の出演者の方々の詩集のほとんどが自費出版。かの四方田犬彦氏でさえ、友人と同人誌を出版して詩を発表なさっていました。詩集の商業出版が、いかにむずしいかを思い知らされました。

いざとなったら、わたしも自費で。そのためには稼がなくちゃいけないけれど、稼ぎになるような仕事、全然してないなあ。というか、出費のほうが多い仕事ばかり、選んでしてしまうわたしです。お金も好きだけれど、それよりも別のところにずっと興味があるから、仕方ないけど。

WINJは一ヶ月間お休み。放送が丸一ヶ月も休むなんて、前代未聞。5月からは、デジタル放送で復活するとのこと。わたしはデジタルの機材がないので、今のところ聞けません。これで、いよいよお別れになるのかもしれないなあと感じています。

天国のオケさんや横井さん、どうしているかなあ。オケさんたちに見せて恥ずかしくない仕事を、これからもしていきたいと思っています。

http://ryomichico.net/bbs/voice.html

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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