ハルモニア Cafe Lumiere (No.0011)

寮美千子/軽い掲示板
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寮美千子  『父は空 母は大地』がメッセージ広告に! 2002年06月22日(土)02時33分32秒 http://ryomichico.net

はちみつで有名な山田養蜂場が、6月17日より、全国の新聞にメッセージ広告を打っています。この広告に、拙著『父は空 母は大地』(パロル舎1995)が採用されました。新聞の全面広告でなんと全文掲載です! わたし自身、びっくりしました。

6月19日は朝日新聞朝刊に、20日は読売新聞朝刊に掲載されました。これから、各地の地方紙にも掲載される予定です。掲載予定は、下記にあります。

明日の掲載は、次の通り。見てね!
中国新聞/河北新報/新潟日報/山陽新聞/熊本日日新聞/秋田魁新報/徳島新聞/大分合同新聞/高知新聞/岩手日報/北日本新聞/山梨日日新聞/福井新聞/佐賀新聞

『父は空 母は大地』は、150年前のアメリカ先住民のシアトル首長のスピーチを元にしてつくった絵本。大地と人間の根源的なかかわりをシンプルな言葉で語っています。ひとりでも多くの人に読んでもらいたい。こんな形で多くの人に知ってもらえて、とてもうれしく思っています。メッセージ広告に採用してくださった山田養蜂場に深く感謝します。

『父は空 母は大地』の姉妹編ともいえる絵本『青いナムジル』を制作中。これは、モンゴルの大地に伝わる民話を元にした物語。馬への深い愛情と、男女の愛、そして、モンゴルの雄大な自然描いた壮大で心やさしい物語です。海を越えたアメリカの大地と、アジアの大地。同じモンゴロイドの自然観には、どこか深く通じるものがあると思えてなりません。篠崎正喜さんが『父は空 母は大地』をしのぐ力強い絵を描いてくださっています。わたし自身も、できあがるのをとても楽しみにしています。

http://ryomichico.net/map.html#fsme_ad

寮美千子  美しくて強靱なもの/地球は青かった 2002年06月22日(土)01時19分52秒 http://ryomichico.net
農民芸術概論綱要 へのコメント

▼美しくて強靱なもの
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ>宮澤賢治「農民芸術概論」より
新生カフェルナをはじめたとき、決意宣言のようにして書いた文章がありました。
「美しくて強靱なもの/新生Cafe Lunatiqueでしたいこと」
そこで引用したのが宮澤賢治の「農民芸術概論」でした。
ほんとうに、何度でも読み返したくなり、
その度に決意を新たにさせられる、美しい言葉です。

▼はじめて地球を宇宙から見た人
はじめての人工衛星「スプートニク1号」が打ち上げられたのが1957年。
わたしが2歳の時。
妹が生まれるので日赤病院に入院していた母を見舞いに行って
「赤ちゃんが生まれたら、人工衛星に乗せてあげようね」といったそうです。

はじめての有人宇宙船「ボストーク1号」が
人類初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンを乗せて飛んだのは1961年。
わたしは6歳で幼稚園に通っていた。
「地球は青かった」という言葉が、くっきりと心に刻まれました。

そのユーリ・ガガーリンが、ユーリの名前の由来のひとつ。
下北沢のなじみの飲み屋「ネバーネバー・ランド」のオーナーに息子の名前もユーリ。
そして、宮澤賢治の詩に出てくる「ユリア」という名前。
そんなことも、ユーリがユーリになった理由です。
それは、わたしにとって「少年」とイコールのイメージ。

でも『ノスタルギガンテス』の主人公の少年だけは、ユーリと名づけられなかった。
あまりにも過酷な運命を背負わせてしまったので、
かわいそうで、とても実在の友人の子どもの名前をつけられなかったためです。
ユーリを、あんなつらい目に遭わせたくなかったからね。

じゃあ、こんどは「てつや」でいくか!
うんと過酷な目にあわせてやるかな。なあんてね。

いとてつ  農民芸術概論綱要 2002年06月21日(金)03時01分18秒
Re:リーディング体験の成長(?)記 アップ へのコメント

寮さん、中野でのワークショップは私も
大変楽しませていただきました。
それにも増して、たんぽぽの家での
ワークショップは実りの多いものだったようですね。
うらやましいです。

さて、
寮さんのレビューの中に宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」が
出てきました。数年前に池澤夏樹がみすず書房の
書評誌で宮沢賢治について書いていて、
「農民芸術概論綱要」の

  まづもろともに
  かがやく宇宙の微塵となりて
  無方の空にちらばらう

を引用していました。それまで「農民芸術概論綱要」を
知らなかったんですが、これをきっかけに読みました。
で、上記の部分が好きで、自分の差出メールにつける
シグネチャのひとつとして使っています。
まるで電波天文・赤外天文向きのフレーズで、
宮沢賢治の科学への眼差しに驚きます。100年前の
「ほしがうたっている」 といってもいいですね。


リトさま、私も寮ファン初心者でまだ読んでない作品が
たくさんあります。
しかし、これまでのところ読んだ作品の中での好みは
「星兎」がトップで、2番が「ノスタルギガンテス」です。
「ノスタルギガンテス」は昨年の中野のワークショップの後で
買おうかどうか迷っているときに鳥海さんに
「『小惑星美術館』よりちょっと辛口だけど、そこがいい。」
と推薦されたのでした。
(ありがとうございました>鳥海さま)



「ノスタルギガンテス」は、違うのですが、寮作品の
主人公の多くはなぜ、「ユーリ」なのでしょう。
ドイツ語では「7月」で、英語のJulyはジュリアス・シーザーが
自分の名前を月の名前として付けさせたのが語源、とも
聞きますから、良くある名前なのでしょうか。
でも、「ユーリ」という名前で私がまず思い浮かべるのは、
萩尾望都の名作「トーマの心臓」です。
何か関係があるでしょうか?



鳥海  Re:リーディング体験の成長(?)記 アップ 2002年06月20日(木)20時03分50秒 http://6004.teacup.com/michio/bbs

▼逃れられない聴覚イメージ
当方は、一度も寮さんのリーディングを聴いたことがなかったけれど、
なぜか、作品を読んでいると、
「こんな風に聴こえる」という確固とした聴覚イメージが生起されるのでした。
無謀にも、自身がまったく聴いたことのないまま、
寮さんを大阪にお招きしてリーディングライブを催すことになったのですが、
あの時、障害当事者の方が会場に足を運んでくださいました。
申込みいただいた時の電話で、
彼はゆっくりゆっくり語ってくれました。

「僕も語りをしています。
 作家の方のプロのパフォーマンスを実際に見て、
 自分の語りに生かしていきたいのです。」

後年になって、たんぽぽの家のスタッフさんにそのことを伝えると、
その方の名前を言い当てるほど、よくご存知でいらっしゃいました。
あの時に、彼が来てくれた時点で、
寮さんとたんぽぽの家さんとは繋がっていたのですね。

国語の時間に学校の先生が教科書を
「国会の答弁みたいに」読むのとは、まったく違った次元の言葉。
それは、生命の根源に触れるような言霊。
寮さんのリーディングを聴いている時はもちろん、
作品を読んでいる時ですら、
それを感じて、心が震えてしまうことがあるのです。


▼寮美千子さん、ありがとうございました。
リーディング・ワークショップのレポートを拝読しました。
ありがとうございました&おつかれさまでした。

ワークショップが始まる前に会場に横たわるいささかの緊張感。
ところが、寮さんが語り始めると、
その緊張感がたちまち払拭され、
その場の者が寮美千子ワールドに魅了されてしまう。
そして、「自分も声に出してみたい」と、自然に思えてしまうことの不思議。
寮さんが参加者一人一人に向き合ってくださったこと、
つまりは、寮さんの言葉が参加者一人一人の心に届いたことによって、
豊かな関係を築くことができたのだろうと思われます。

メンバーさんが車椅子に座ったまま、空を仰ぐように頭をもたげ、
眼を閉じて、寮さんの言葉に聴き入っている姿が印象的でした。

ケアされる者と、ケアする者が一緒に詩や童話などに触れ、
共にその言葉に心を共鳴させ、互いの心の動きを表現し合うことで、
両者の関係における対等性というものが、
具現化されるのだろうとも思いました。

たんぽぽの家の森口さんのお人柄と
的確なコーディネート力が一連のワークショップの遂行に際しての重要なファクターでした。
そして、何よりも、参加者の皆さんの魅力が、
ご一緒した時空に豊かな彩りを添えてくださいました。
ありがとうございました。

リト  了解であります! 2002年06月20日(木)10時47分58秒 http://rito.2.hotspace.jp/
地理音痴の興奮 へのコメント

自己紹介!好きな作家は…すいません(やってしまった)。いや『おおきくなったらなんになる』でもう好きな作家になったのです(苦しい言い訳)。でも『小惑星美術館』ツボ直撃ですよ。うん!(なにが「うん!」だか)

滞在日程おきまりでしたらご連絡ください。勇崎御大はたぶんほとんど身動きとれないと思いますので、私の豪華なキズつき愛車で行きたいところ、網羅できると思います。

東川2日間終わったら〜帯広圏(近隣の町が安東さんのいらっしゃる幕別町、伊福部昭音楽碑のある音更町)へ。そこから東へ白糠−厚岸。そして大逆流して札幌圏へ(個人的には千歳をご案内したいです)。

というわけで私は明日から音更〜白糠の1人旅に行くのです。Kさんとも当然お会いしてきます。22日の夕方以降は白糠ですので、お気軽に携帯までどうぞ!

寮美千子  リーディング体験の成長(?)記 アップ 2002年06月20日(木)01時49分14秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:ポエトリー・リーディングから広がってきた世界/語る側から聴く側へ へのコメント

1999年にはじめてポエトリー・リーディングのステージに立って以来、十回以上も、いろいろな音楽家の方々とコラボレーションさせてもらいました。そして今年は、なんと朗読ワークショップの講師まで! 怖いもの知らずの寮美千子とはいえ、よくまあ、こんな大胆なことをしてきたものだと、我ながら驚きます。支えてくださったみなさんには、感謝のしようもありません。

先日の奈良の「たんぽぽの家」での、ハンディキャップのある人々とのワークショップは、わたしにとってまったく「未知との遭遇」的体験。新たに世界に目が開かれるような気がしました。

その奈良体験の報告も兼ね、リーディングを始めてから今日までの流れをまとめてみました。読んでみてください。

寮美千子  地理音痴の興奮 2002年06月20日(木)01時38分54秒 http://ryomichico.net
札幌で会いましょう! へのコメント

▼浦島さま
「Q太郎」だなんて呼んじゃってごめんね。でも、すっごくキュートだと思うのです。釣り竿背負って亀の背に乗っているオバQを思い浮かべちゃう。それって、浦島さんのキャラにピッタリじゃない?! 子どもの頃にいじめられた記憶を払拭するためにも? 胸を張ってQ太郎を名乗ろう?! なんて、無理はいいません、わたしは。

ところで、わたしは地理音痴。東川っていうのは、札幌のご近所だと思っていたら、なんと旭川のそばなんですね。ああ、札幌は遠い! こんどの北海道行き、二風谷も行きたいし、安東ウメ子さんいる幕別も行きたいし、金子恵さんの住む白糠も行きたいし、伊福部昭ゆかりの厚岸にも行きたいし、もちろん浦島さんのいる帯広も行きたい! で、地図を見ると、これがみんなてんでんバラバラに離れているわけで、途方に暮れています。で、どの時点で札幌にいけるかわからないけれど、努力します!


さて、北海道以外に在住のみなさま、わたしが上に挙げた地名の位置関係、地図を見ないでわかりますか? わかったあなたを、わたしは尊敬します。

▼リトさま
というわけで、地理音痴のわたしに、よろしくご指導のほどお願い申しあげます。自己紹介の好きな作家に「寮美千子」と挙げていたのに、まだ『小惑星美術館』読んでなかったなんてことは、絶対に責めませんから。(ホント!)

▼Eliさま
>それは1992年7月号の「MOE」 タイトルは「恐竜の夏」前編
>そうして挿絵はなんと日置由美子さんだった!
>私は寮・日置コンビに10年前にも出会っていたのですね。

おお、もう10年も前になってしまったのですね。それなのに短編集も出さないわたしは怠け者です。がんばるからね、Eliちゃん!(空約束?)


そういえば寮・日置コンビの『楽園の鳥』の売り込みもさぼっています。某新潮社の某編集者に断られて、がっくりきたまま放置してありましたが、一昨日、バンコクからこんなメールをいただきました。
"楽園の鳥"を読ませていただきました。始めて寮美千子さんを知ったのは、インタ−ネットで"ドムアン空港"を検索していて、偶然この作品に出会いました。

私は43歳になる男ですが、アジア旅と格闘技好きとがエスカレ−トした男です。作品を読んでいて、主人公の女性のキャラが自分に重なり何度も胸の奥が痛くなりました。以前、私はムエタイの選手でした。試合でも死を覚悟で何度もタイで試合しました。...でも反面、他人には誰にも見せない、自分のなかにある"弱さ"が有りました。

ミチカの"弱さ"が好きです。

私の心の中は、この作品のイントロの部分のような「..風景が歪みはじめ、ここ数年間、私は強い夢の中に棲んでいる。」状態です。

...スミマセン、一人で勝手なことばかり言って。

"楽園の鳥"はいつ本として出版されるんですか? 寮さんのますますの活躍をお祈りさせていただきます。
勇気づけられた! 待っててくれる人がいるんだ! がんばろう! わたしのディープな物語は、ディープな心の人にきっと響くんだ!!!(興奮)

Eli  10年前。そして再会 2002年06月20日(木)01時01分42秒 http://boat.zero.ad.jp/cross-road/

こんばんは。
またまた久しぶりの書き込みです。。。
目まぐるしく動き回りそれを掲示板にフィードバックしてくださる寮さんの
怒涛の活動を咀嚼するだけでお腹いっぱいでした(笑)

で、今日はちょっと個人的に感動したので・・・

実は私は、こちらのHPにおじゃましたときに
「たしか数年前に雑誌『MOE』に連載されていた寮さんの短編があった。
それは夏休みに少年がおじいさんの家にいって恐竜を発掘する話だった」
という記憶があり、
でも、本にはなっていなさそうだし、、、
機会があったら尋ねてみよう、と思いながらそのままにしていました。
さきほど、ふと思いついて本棚を発掘(^^;;)してみると。

あったんですねえ〜〜雑誌が!
それは1992年7月号の「MOE」
タイトルは「恐竜の夏」前編
そうして挿絵はなんと日置由美子さんだった!
私は寮・日置コンビに10年前にも出会っていたのですね。
どうりで、「楽園の鳥」の挿絵を拝見したときに何だかひどく懐かしい感じがしたわけです。

それは違う特集めあてに雑誌を買ったわけですが、読んだときに「あ、寮さんだ♪」とうれしい気分になったことは覚えています^^

しかし、この短編の少年も「ユーリ」だったんですね。当時の私はそれに気づいていた・・・はず、なんですが、
記憶には残ってませんでした。ううーむ・・・
さらにさらに、当時びんぼーだった私は後編を立ち読みですませたのでした。。。ああっばかばか〜〜!
(でも、「きっとそのうち本になる」と思っていたんだもの・・・)

寮さんはこれを覚えてますか?ってもちろんですよねえ。。。
短編集、出してくださいよぅ!お・ね・が・い♪♪(うーん、ユーリの短編集の構想どっかで読んだような・・・P〜舎さん、お願いしますよーう!!)

リト  『小惑星美術館』読了! 2002年06月20日(木)00時32分43秒 http://rito.2.hotspace.jp/

いや〜!おもしろかった!感動しました!

こんないい本はもっともっと売れるべきです。読書感想文必ず書きます!次は『ラジオスターレストラン』を読みます。

浦島久  札幌で会いましょう! 2002年06月16日(日)21時09分42秒 http://www.joyworld.com

 全国の寮美千子ファンのみなさん初めまして。北海道・帯広の浦島久です。寮さんからはQ太郎というニックネームをもらいましたが、子供の頃から「太郎」と呼ばれいじめられた経験からか、今のところはまったく使っていません。
 私のおやじ(浦島甲一、昨年4月に他界)は長年に渡り帯広・十勝を中心に風景写真を撮ってきました。実は、そのおやじの作品がCD-ROM「野の精霊〜十勝野」(金羊社)として世に出る切っ掛けを作ってくれたのが寮さんでした。東京からのプロデュサーと一緒にやって来た寮さんが、おやじのほんの数枚の写真を見て「これいける!」。この一言で全てが決まりました。世の中はこんなものなのですね。
 7月26日(金)から8月7日(水)の日程で札幌の富士フォトサロンで遺作写真展「十勝野メモリーズ」を開催することになりました。寮さんも東川町での仕事が入り、それに合わせて札幌での個展を見に来てくれるとの連絡が入りました。おやじもきっと喜ぶことでしょう。会場では寮さんの2つの詩「精霊の宿る樹」「夜明け」をパネルにして、作品と一緒に飾らせてもらう予定です。ぜひ、みなさんも見にきてください。
 ところで私の本業は英会話学校「ジョイ・イングリッシュ・アカデミー」の経営です。今年で25周年を迎えました。現在、NHKラジオ「英語リスニング入門」のテキストで「英会話のお決まり表現」というコラムを担当しています。また、4月には13冊目の英会話本「英会話お決まり表現160」(マクミラン)を出版しました。どちらにも私の顔写真が載っていますので、お近くの書店でチェックしてみてください。もちろん経済的に余裕のある方には、買い求めて頂けるとさらに嬉しいです。
 では、寮さん札幌で!

寮美千子  やったやったやった! 夏の北海道だ! 2002年06月16日(日)00時18分36秒 http://ryomichico.net
寮美千子さん:第18回東川町国際写真フェスティバルにゲスト招聘決まる! へのコメント

▼silicaさま
silicaさんの投稿を読んで「し、しまったあ!」と慌てたわたし。伊福部玲さんの作陶展、わたしもお知らせをいただいて、よおし絶対に行くぞお!と張り切っていたのですが、なんだかんだとバタバタしているうちに「遊星たちの消息」に書き込みそびれてしまい、そのままうっかり日程を失念、行きそびれてしまったことに、たったいま気づいたのでした。ああ、惜しいことをした! こんどはぜひ! だってわたしは、高校生の頃は陶芸をやっていたのです。どうしても興味あるのです。

▼東川町国際写真フェスティバル
さて、その伊福部玲さんの従兄弟にあたる勇崎哲史さんから、うれしくも北海道東川町での第18回東川町国際写真フェスティバルにゲストパネラーとしてお招きいただきました。感謝感激、ありがたきしあわあせです。写真に関してはド素人なわなしですが、精一杯やらせていただきたいと思います。同じくゲストパネラーの大竹昭子さんは、顔見知り。以前、目白でいっしょにお月見なんかしたこともありました。彼女も、自分で写真を撮って本を出しているよねえ。小説も書くし。才女であります。

わたしも、実は写真が大好きでいっぱいとってます。勇崎さん、こんど見てね! 

このフェスティバルに行くと、ドロンコ氏も早くから名のりをあげていました。いっしょに行けるね! みんなで行こう! そして、温泉で語り合おう! 

▼会いたい人々
北海道といえば、先日訪れたときのあのすばらしい日々を思い出さずにはいられません。リトさん! 金子恵さん! ぜひまた、お会いしたいです。そして、ただいま調査中の「熊送りの儀礼」やアイヌ文化についての理解を深めたいと思っています。まだ訪れたことのない二風谷も訪れたい。行きたいところがいっぱいです。

▼浦島甲遺作写真展「十勝野メモリーズ」
ちょうどその頃、札幌の富士フォトサロンでは、先日聴いた「遠音」のCDジャケットの写真を撮った浦島甲一さんの遺作写真展「十勝野メモリーズ」が開かれています。ここも、ぜひ見たい! 写真&北海道、というキーワードが続く寮美千子でした。なんだか、また超盛りだくさんの北海道になりそう! みなさん、よろしくね。

▼追伸
ほんとは南の島の海も好きです。勇崎さんみたいにね。

planets0001.html#planets20020615200507

勇崎哲史  寮美千子さん:第18回東川町国際写真フェスティバルにゲスト招聘決まる! 2002年06月15日(土)20時22分43秒

先ほど、今年の第18回東川町国際写真フェスティバルのご案内を「遊星たちの消息」に投稿しました。
な、な、な、な、なんと、とととととと、寮美千子さんがゲストパネラーとしてフォーラムに、とととととと登場します。
そのプログラムは7月28日(日)午後1時45分から5時30分までの約4時間に及ぶ総勢20人入り乱れてのギャラリー・トーク「受賞作家フォーラム2002・光の楽園」です。
メイン会期でのおすすめは、
27日(土)昼からの授賞式後の「祝う集い」。ここで振る舞われる手作り料理が涙モノ。
同日の「写真の星座2002」元ヒカシューの井上誠氏・山下康氏のオリジナル・オマージュ曲によるスライドショー。リトラリアくんあらずとも涙モノ。
28日(日)午前の「アンデパンダン展合評会」、午後の寮さんが登場する「受賞作家フォーラム」
そしてなによりも、夜の温泉での語らいでしょう。(東川町には旭岳温泉、天人峡温泉のふたつの温泉地区があり、今年の宿泊は天人峡温泉地区となっております。
詳しくは下記URLを今すぐクリック!

planets0001.html#planets20020615200507

勇崎哲史  こちらでは北海道神宮祭 2002年06月15日(土)18時47分43秒
もうひとりの伊福部さんー伊福部 玲 様との出会いー へのコメント

silicaさま

こちらでは北海道神宮祭(旧・札幌神社祭)の正日を迎えています。
さきほど事務所の近くを山車が通り抜け、あの「日本狂詩曲」にも奏でられている祭囃子が、風に乗って耳に届いてきました。札幌では、四国・高知県の「よさこい祭り」を模した「よさこいソーランまつり」というのが台頭し、開催時期の隣接した北海道神宮祭は全く盛り上がらず、衰退しております。

さて、伊福部玲の個展にご足労いただきありがとうございました。伊福部玲もたいへんよろこんでおりました。これからも気兼ねなく交流いただけることを願っています。

リトラリアくんの度重なる熱烈な書き込みなどで、みなさんすでにお気づきかと思いますので告白しますが、僕は伊福部家とは親戚関係にあります。伊福部昭は僕の父の妹と結婚しましたので、伊福部は叔父、玲は従姉、ということになります。幸か不幸か、僕には伊福部家の血は流れていませんので、身内びいきではなく、いち伊福部音楽愛好家として、伊福部昭を語れる立場にあると思っていますし、僕の得た情報については、なるべく多くの人たちと共有できるよう努めています。

僕が伊福部昭とはじめて対面したのは11歳の時でした。伊福部音楽のドレミ(イロハ?)もよく知らずでしたが、その人間の優しさ大きさに接し、以来、子供ながらに親しみと憧れを抱くようになりました。
伊福部については、なによりも第一にその音楽自体に触れていただきたいのですが、憧れを抱くものとしてはその人間像も知っていただきたい、とも思っております。伊福部昭の人間像や生き方は、木部与巴仁(きべ・よはに)氏の2冊の著作『伊福部昭・音楽家の誕生』『伊福部昭・タプカーラの彼方へ』から詳しく知ることができます。

この2冊の内容を簡単にお伝えすれば、前者は「伊福部昭という音楽家はどのようにして生まれたのか?」、後者は「伊福部音楽はどのようにして生まれたのか?」という感じで、著者は伊福部自身の言葉をたいへん注意深く丁寧に再録されることに努められ、記述の実証性を重視されるとともに、音楽に素人であるという立場から書かれているので、どなたにも読みやすい内容になっています。
いずれも電子本、オンデマンド本として手にすることができます。

なにやら、本の宣伝になってしまいましたが、silicaさま、おじいさま、おばあさま、おかあさま、ご家族のみなさんのご健康をお祈りしております。

木部与巴仁著『伊福部昭・音楽家の誕生』『伊福部昭・タプカーラの彼方へ』は下記URLへ。

http://www.voyager.co.jp/dotbook/books/

silica  もうひとりの伊福部さんー伊福部 玲 様との出会いー 2002年06月15日(土)10時47分34秒
セピア色の写真/光に満ちた米寿祝賀会 へのコメント

カフェ・ルナや寮さんのレビュー・ルナティークを拝見しているうちにお伝えしたくなってしまいました。
 実は、伊福部昭様と祖父のほんのささやかなご縁がわかったことから、勇崎様が伊福部様のお嬢さんである玲様を紹介してくださいました。ちょうど6月上旬まで、玲様の作品である「陶展」が開かれており、その最終日に玲様がいらっしゃるということで、母と訪ねました。

玲様が祖父を知ってくださっていた時期は当時3歳ぐらいでいらしたはずですが、そのご記憶力の鮮明さには、もう驚くばかり・・・家の間取り、路地の様子、次から次へと出てくるご近所の方々の名前・・・そして、祖父のことも覚えていてくださったのは、むしろ玲様のほうなのでした。すっかり、母の方が喜ばせていただいた形になってしまい、私も気さくにお話してくださる玲様にただただ感激してしまいました。 母は、玲様のお人柄とお顔の表情から、勇崎アイ様(お母様)の面影をだんだんに思い出したようでした。

玲様の作品は、素のもの、白、藍、緑、青、黒、淡い紫、深い色に赤を落としたもの・・・など(まだあったかもしれません)様々な色彩がありました。そのひとつひとつがもちろんまた違う味わいを持っているものです。 そして、お料理をのせて楽しめる器の形は心をほっとさせる円、ざっくり潔い切れ味をもった四角、葉の形、花の形の小皿、野の花の一輪挿しも歓迎してくれそうな壷、手にとっていつまでも眺めていたい小鉢・・・などダイナミックでシンプルなものと自然へ向けたこまやかな愛情そのままに伝えるものとがありました。そして、そのどれもが日常から離れない親しみを覚える器なのでした。(いえ、本当はそれだけで床の間に飾っておいても良いりっぱなものなのですが、たべものをのせていいよっ言ってくれるような器なのです。)

印象深かったのは、玲様の「ふくろう」の置物と手のひらの中におさまってしまう小さな「亀」でした。指の感触そのままに土を次から次へと力強くなすりつけたようなふくろうの羽(毛?)はお父様の音楽に通ずるものを感じました。縁起物としてお作りになったのですか・・・?と尋ねましたら、笑って「仕事場所に飛んでくるのですよ。」と教えてくださいました。玲様にとっては、お友達だったのです。そして、「亀」は左手だけしか使えなかった苦しい時期に箸置きとして制作してつらさを乗り越えたものだとおっしゃいました。ひっくりかえすと足もしっぽも形が刻まれているその亀を私は記念のお土産として求めて帰りました。(寮さんの亀さんのお話が頭の中をよぎりました。)

私たちのほかには個展のたびに玲様の器を増やしています、という熱心なファンの奥様もいらっしゃいました。「お人柄が好きだから、作品が好き」その奥様は全身でそう告げているようでした。
今思いますと、初めてお会いした方ではないようにおしゃべりしてしまったことに後から赤面する思いです。
でも、玲様はたしかに明るい光をお持ちのかたでいらっしゃいました。
素敵な時間を提供してくださった勇崎さん、この掲示板を存在させてくださっていた寮さん、
本当に本当にありがとうございました。

P.S. リト様のルナティークの投稿の文章に私も深く感動しています。

みなさま、私的なつたない報告で本当に失礼いたしました。
   

寮美千子  船上誕生パーティ 2002年06月14日(金)23時35分23秒 http://ryomichico.net
2009年7月22日 へのコメント

目玉おやじさん、久しぶり!
7月22日は、お誕生日なんだね。
2009年は、黒田さんたちといっしょに、船の上でお祝いしましょう!
天空に輝く真珠色のコロナの花を、プレゼントします。
(金環日蝕のエンゲージリングで話題のグレン横田くんの二番煎じ……だけど)
そのときわたしは……え? 歳はもう忘れてるさぁ。

           来年、皆既日食の南極で誕生日を迎えられたらうれしい寮美千子より

寮美千子  遠TONE音コンサート「はるにれの木の下で」レポート 2002年06月14日(金)22時16分06秒 http://ryomichico.net

昨日(2002年6月13日)、新大久保の東京グローブ座で、北海道出身のグループ「遠音(とおね)」のコンサートを聴いた。誘ってくださったのは、山梨県立科学館の高橋真理子さん。真理子さんは、いま科学館のプラネタリウムで上映中の「森の声 大地の記憶 星の時間」をプロデュース。その音楽をお願いしたのが「遠音」という琴と尺八とギターの3人のグループだったという。

実は、わたしは「遠音」とひょんなところでつながっている。「遠音」は北海道の出身。「北海道」を音楽づくりのキーワードにしている。その「遠音」を強く支援しているのが、帯広で英語塾を経営していらっしゃる浦島久氏。アイヌ民話を元に絵本を作ろうというプロジェクトの際に、わたしは浦島氏と巡りあい「遠音」の音楽をご紹介いただいた。わたしはその後、浦島久氏のお父上である浦島甲一氏のCD−ROM写真集「野の精霊」のために詩を書くことになったが、「遠音」のCDジャケットに使われた写真は、浦島甲一氏の写真「はるにれの木」だったのだ。

さて、そんなご縁から「遠音」のCDは聴くことがあっても、生演奏を聴くのははじめてのことだった。CDを聴いた印象は、いわゆる「癒し系」の穏やかな心地よい音楽だった。生演奏はどんなものになるのだろうと、心躍らせてのコンサートだった。

「はるにれの木の下で」と題されたコンサートの第一部は「故郷の記憶」。「♪うさぎ追いしかの山♪」ではじまる「ふるさと」から演奏がはじまった。そして「五木の子守歌」。誰でが知っているなつかしい童謡からはじまり「遠音」のオリジナル曲に移っていく。ゆったりと流れるような美しい旋律。間に入るトークは、彼らが「北海道」をメインテーマに作曲と演奏をしていること、故郷北海道の自然のすばらしさを繰り返し語るものだった。東京の梅雨のうっとうしさの話題から北海道のからっとした初夏をなつかしむトークの後には「夏の雨」と題された曲が演奏された。いままでとは、うってかわった強烈なリズムに彩られたこの曲は、いかにも北海道のすかっとした雨の風景をあらわしていて、心の中にも強い通り雨が降ったようで、聴いた後の爽快感はなんともいえなかった。

第2部は「はるにれの木の下で」というタイトル。森山京の童話集『おはなしぽっちり』から、春夏秋冬ひとつづつ、短い童話を、女優中井貴恵さんが朗読し、「遠音」の音楽とコラボレするという形式だった。森山京さんの、なにげない日常をさりげなく描いた珠玉の短編童話。寮美千子ワールドとは大きく違う、おだやかな世界にしばし漂う。

そして、アンコール。中井貴恵さんが、以前雑誌に書かれたという「わたしの人生を変えた一曲」というエッセイを読んでくださった。ふたりの子どもを育てた北海道での6年間の生活が描かれ、それはそれは美しいきらめきに満ちたものだった。両腕に幼い子どもをふたり抱くようにしてかけずりまわり、やっと寝かしつけて一日が終わるその時、ひとりで見上げた満天の星。北海道ならではのそのきらめきと、「遠音」の音楽を重ねあわせて紡いだ言葉。子どもたちはもう、腕に抱くこともできないほど大きくなり、二度と戻らないあの時間を懐かしむ。そんな言葉たちに、わたしは思わず、若かった父と母を重い、父の背におぶってあるいたれんげの道を思った。そしで、この腕に自分の子どもを抱けないできてしまった人生を残念に思ったりもしたのだ。音楽と言葉の二重奏による、宝石のように美しい時間をもらったと感謝している。

北海道というキーワードで展開しているなら、わたしがアイヌの童話を元にしてつくった絵本『おおかみのこがはしってきて』を中井貴恵さんと朗読パフォーマンスしてもらえたらいいのになあ! って思ってしまいました。きっと似合うと思う。

さそってくださった高橋真理子さん、ありがとう。真理子さん、グレン横田さん、松永青年、そして当日券で入って、偶然!隣の席だったいとてつさん。ともにすばらしい時間を過ごせたことを、心から感謝します。

目玉おやじ  ★おめでとう、ニッポン♪ 2002年06月14日(金)18時30分16秒

そう言えば、決勝リーグ進出、おめでとう御座います。
韓国は今夜決まるのですね。早く会社から帰ってテレビ見ようかな…

突然、場違いなW杯話題で失礼しました。まいっかぁ〜、許してぇ〜。

目玉おやじ  2009年7月22日 2002年06月14日(金)17時43分49秒
1963年7月21日/2009年7月22日 へのコメント

>えっ? 2009年7月22日にみんながいくつになってるかって? きゃあ! やめて〜!

その日は、お誕生日なので、54歳になったばかり。
黒田さんの船上で誕生日ってのも、悪かないかもね…

いとてつ  生まれる10年前 2002年06月14日(金)03時58分18秒
1963年7月21日/2009年7月22日 へのコメント

寮さん、松永さん、本日はどうもありがとうございました。
たいへん楽しいお話ができてうれしかったです。
さらに、MARIKOさん、グレン横田さん、ありがとうございました。

1963年ですと、私は生まれるまでにあと10年、必要ですね。

私は1998年にカリブ海のアルーバ島というところで一度だけ、
皆既日食を見ました。素晴らしい日食でした。
勇崎さんが皆既日食時の気温の低下について書いていらっしゃいますが
私が見に行ったときにも、食分が増えていくにつれて肌寒いと
感じました。
このことだけは絶対に、写真やビデオ、そして最近はやりの
インターネット中継では体験できない事です。

来年、みんなで南極で寮さんのお誕生日会をするのはちょっと
難しそうですが、2009年にはぜひ皆さんと一緒に黒田さんの
船に載せていただき、観測に行けたらと思います。



寮美千子  1963年7月21日/2009年7月22日 2002年06月14日(金)02時07分46秒 http://ryomichico.net
皆既日食の想い出(白か黒か/昔の日蝕) へのコメント

1963年7月21日早朝、私はオホーツク海をのぞむ網走市内の小高い丘、天都山にいた。三歳上の兄と一緒だった。私は、北海道立余市高等学校の一年生。その日、学校では球技大会が行われていた。「日食を見に網走に行きたい」と申し出たのだが、地学を教えていた教頭先生は私の願いを聞き入れてはくれなかった。それじゃ勝手に行くしかないと、前日から学校を休んで、兄とともに急行列車で網走に向かった。

日食のような自然現象を前にすると、なぜかそれを写真に撮ろうとか、望遠鏡で細かく観察しようという気が起きない。ただ、その一部始終を自分の目で「見る」だけだ。そして皆既食が終わり再びダイヤモンドリングが現れると、思わずほっとして、太陽という存在のありがたさ、すばらしさにひたすら打たれてしまう。
                   『毛利衛、ふわっと宇宙へ』(朝日新聞社 1992)より
1992年9月12日、わたしはフロリダにあるケネディ宇宙センターのプレスサイトで、毛利衛氏が日本人としてはじめてクルーとなって乗りこんだスペースシャトル「エンデバー号」の打ち上げを見ていた。それから丸6年と2日後の1998年9月14日、筑波の宇宙開発事業団の一室で、わたしは毛利衛氏と言葉を交わした。福音館書店の『わたしが選んだ職業』という本のために、インタビューをしていたのだ。「なぜ、宇宙飛行士を志したか?」というわたしの質問に、毛利衛氏はまず、それまで携わっていた「地球の上に小さな太陽を作る」という核融合の研究の延長線上に、この仕事があったと述べ、もうひとつ、こう答えてくれた。
自分自身の興味としては、皆既日食の時、非常に感動したので、宇宙へ行って太陽を見たいということと、(宇宙から)地球を見たいということです。
冷静に「観た」のではなく、ただただ驚きを持って「見る」しかなかったという網走での皆既日食。その心の深いところを揺さぶる驚きの気持ちが、毛利衛氏を宇宙飛行士にしたのかもしれない。

「ぼく、南極の皆既日食を見たいなあ!」と電波天文学者の卵のいとてつさん。さっきまで、新大久保の台湾料理屋でいとてつさん・松永青年・わたしで飲んでいたのである。(わたしが飲んでいたのはウーロン茶だけ。ほんと)2003年11月23日、わたしの誕生日。南極で皆既日食が起こる。南極の氷のうえで、皆既日食を見られるとしたら、どんなにすばらしいだろう!

さて、ここで整理してみましょう。1963年7月21日。

きんさんぎんさん 71歳
森本雅樹おじさま 31歳
黒田さん 高校3年生
毛利さん 高校1年生
勇崎さん 中学生
わたし  小学2年生
松永青年 生まれるまで、あと8年待ち
いとてつ 生年不明のためわからず。どっちにしろ、まだ生まれてないな。

えっ? 2009年7月22日にみんながいくつになってるかって? きゃあ! やめて〜!

勇崎哲史  刻の共有・時の記憶 2002年06月13日(木)23時33分58秒
勇崎さんの見た日食 へのコメント

黒田さま
レスありがとうございます。
空間を超えてある時間を共有していて、それぞれの記憶が語り合える、というのは楽しいですね。
楽しいといえば、2009年7月のアイデアと計画。このうえなく楽しそうですね。
7年後のだから、約束できない、という常識的な言い方もあるけど、
7年後のだから、約束しちゃおう!という発想もありますね。
うーむ、そそられちゃって、迷っちゃうなあ。

黒田武彦  勇崎さんの見た日食 2002年06月13日(木)11時58分37秒
皆既日食の想い出(白か黒か/昔の日蝕) へのコメント

僕にとっても思い出の日食です。高校3年のときでした(歳を詮索するな!!!)
戦後、日本で見られる初めての皆既日食でしたが、皆既帯は網走の近傍のみ。
受験を控えた夏ですから、まだ親の目があって(もちろん金もありません)網
走にまでは出かけたくても出かけられない。ところがNHKが「黒い太陽が昇
る」というタイトルで日食の実況をすることがわかって、朝の3時半、テレビ
の前で待ちかまえるハズでした。
母親は起こしてくれたらしいのですが、結局起きたのは朝7時、腹は立つけど
誰にも怒ることができない何とも言えない気分を味わったのを覚えています。

2009年7月の日食時はもう定年になっていますから、ちょっとでっかいことを
考えています。2万トンの豪華客船を借り切って(現在のレンタル料は1泊2
日食事付で1340万円!)、ピアノ演奏やらギター、バイオリン演奏、マジ
ック、寮さんのリーディングやらちょっとした講演や余興をしながらトカラ列
島付近まで航行し、島に下船したい人と船上で観測したい人に分かれて日食を
見る、みなさんどうですか? 船は600人定員ですが500人までに抑えて
クルージングも思いっきり楽しむって企画です。本気で考えていますので、も
っと面白いアイデアがあればご教示くださいね。

勇崎哲史  皆既日食の想い出(白か黒か/昔の日蝕) 2002年06月13日(木)01時34分48秒
白か黒か/こんどの日蝕 へのコメント

僕が中学生の頃、北海道で夜明けとともにおこる皆既日食があった。(こらこら、過去のデータを遡って、僕の歳を詮索なんかするな)
中学の部活「科学クラブ」員の僕たちは顧問の先生といっしょに前日の午後から札幌の藻岩山の頂上に登り、世紀の夜明けに備えた。口径が15cm程のクラブお宝の手動南天赤道儀反射式望遠鏡と方角と水平を知るための磁石と水準器。カメラ、温度グラフ自動記録機。時報放送を受信するためのトランジスターラジオ。そして各自が手にするロウソクのススをつけたガラスの破片。これが僕たちのフル装備だった。
東方の空に闇が静かに開け、ほのかな色彩が浮かぶ。10秒置きに時報をつげるラジオ放送は安っぽい大声をあげている。僕たちは一睡もせずに、このときを待っていた。
見つめる地平は雲で覆われ、僕たちの期待は幻し、ラジオの時報は徒に皆既状態の刻を告げる。地平は僅かに暗くなり、太陽と月と地球の僕たちの立つ地点が、いま一直線に繋がれたことを知る。だが、それはやはり幻し。雪色の水が雲にしみ込むように、無情な地平は明るさを取り戻していく。手にしたガラス板は僕の指を汚し、失意へと導かれる。
僕たちは持ち込んだ装備を空しく片づけ始める。あるひとりが、突然「わあっー」と声を発した。それは、温度グラフ自動記録機。皆既状態の一瞬、温度は1度以上も急激にさがったことを記録器のペン先は逃さずに走らせていた。
その自動記録機に記録された一瞬の小さな谷間を、僕たちは顔を寄せ合って見つめた。うれしかった。涙がでてきた。出れば出るほど、うれしかった。うれしかった。

(ふと、こんなことを思い出してしまいました。みなさんありがとう。)

寮美千子  白か黒か/こんどの日蝕 2002年06月12日(水)21時56分30秒 http://ryomichico.net

いとてつさま、黒田さま、白石さま、わたしのつたない日蝕情報をフォローしてくださってありがとう。

あちこちのツアーに誘われて、引く手あまたなわたし? 12月の日蝕を黒田さんと見るか、白石くんと見るか、悩ましいところです。いまのところ、黒田さんと2回(インド・マダガスカル)、白石くんと1回(トルコ)見ているわたしです。最初にわたしを日蝕に誘ったパルステラさんとは、まだ一度もいっしょに見ていない?! みんな、同じところで観測だといいのになあ、そしたら、いっしょに見られるのに……。いずれにしても、絶対に行くぞ! こんどの日蝕!

横田くん、きみもおいでよ。大切な人に、天空に輝くダイヤモンドリングを贈ろう! みんなで祝ってあげるね!(おじゃま虫か?) でも、それは絶対、どんな高価なダイヤモンドよりきれいで、貴重な一瞬だよ! たきちゃんとたきちゃんのダーリン! 新婚旅行にいかがですか? ちえちゃんも行こうね。忙しいちえダーリンも強制連行しよう!?
(ホットな人々をたくさん呼んで、雲をけちらかそうという魂胆か?)

しらいし  今後、起きる皆既日蝕 2002年06月12日(水)21時16分05秒 http://www.ann.hi-ho.ne.jp/shiraishi/index.html
2002年12月4日 へのコメント

今年の12月以降に起きる皆既日蝕は、以下の通りです。

2003年11月23日 南極(皆既)
2005年 4月 8日 中南米(金環・皆既)
2006年 3月29日 アフリカ〜中央アジア(皆既)
2008年 8月 1日 グリーンランド〜ロシア〜中国(皆既)
2009年 7月22日 東南アジア〜トカラ列島(皆既)

今年の12月は、ニュージーランド在住の天文屋さんが「天文屋による天文屋のための
日蝕ツアー」を企画していて、天文屋としての意見を聞かれている関係上、私はそのツアー
に参加して、日蝕以外に南天の星々を楽しむことになりそうです。
(でも、寮さんとご一緒させてもらって、カッパドキア以来の「寮さんと楽しむ星空」って
いうのも捨て難いですね。)

黒田武彦  日食ツアー 2002年06月12日(水)18時11分36秒
2002年12月4日 へのコメント

寮さ〜ん
月刊「宇宙NOW」、お送りしているのに読んでもらってないのかな?
日食ツアー、もうお知らせしていますよ。この掲示板に参加の方々では
PULSTELLAさんが着々と参加に向けて準備中です。
出発は12月1日からの忙しい方コース(6日間)とパークス電波天文
台見学コース(8日間)を用意していて、恐らくどこよりも安くて内容
のあるツアーだと自負しています。今回は兵庫県立西はりま天文台公園
友の会を代表企画者として、明石市立天文科学館友の会、姫路科学館友
の会との初の共同企画、日本旅行の主催で実施します。
いずれも関空発ですが東京発の方はアデレードで落ち合う方法だと同料
金で設定できます。関空まで来られる場合は羽田、関空間の特別割引料
金が利用できます。6日間コースは22万円(全食事付)、8日間コー
スは26万円(最後の夕食を除く全食事付)、いずれも友の会会員料金
で、会員以外は1万円増し。年会費はたったの2000円で月刊誌もつ
くわけですから絶対会員がお得。あの森本おじさんも堂々の参加! 
ご興味のある方は旅行社からパンフをお送りいたしますから、ご連絡下
さい。
寮さん!そしてみなさんも一緒に行きませんか?

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