ハルモニア Cafe Lunatique (No.0029)

寮美千子の掲示板

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Michelle Endo  Physical and mental hadicap 2004年01月01日(木)17時23分56秒
「東京に軍靴の音が聞こえてきそうだ・・・」 へのコメント

Kiyomi-san,
I am very impressed for your encourage and to read your statements. But, I am very disappointed to know the reality How those innocent people are mistreated and How strongly they are harrassed and controled by some Authorities(?). It could be a violation of some kind of law. I am talking about human's rights especially for handicapped people. They should not be discriminated by anybody.

The first of all, proper understanding of such handcaped people is extremely important to us. The most of Normal(?) people may not interest to anything about What the handicap means. For example,
* Do you know Why Handicapped people are here?
* Do you know They have certain rights and good reasons for their lives?
* Do you know what their family should do for the handicapped children?
Since, handicaped people can not describe so well themselves properly, We must have a good effort. We must make a good approach with proper knowledge. Then, We may communicate with them with faith, trust and Love. You must get good trust from them. It may take some time to understand them. We need much study and must learn a lot from them. Then, We must have some people who are well qualified and who has proper knowledge and skills: How to guide, How to educate, and How to treat those people. You may need to study Psychology too. So, it seems like we must have some sort of team work.

I am sorry I only have a very little experience to deal with handicapped children. According to my own little experience, they are very intelligent inside and are extremely sensitive to other people. I really sensed it. But, I am not really familiar for the details of this issue. However, Please let me tell you my personal opinions what I have about handicaped people. The following my message may help your mind to understand handicapped children. If you already known this, please disregard it. My interest is What the fundamental is, What the truth is, What the secret is. It is very important for us to study the issue properly from the basic. Then do some research.

*********************************************************************
Sometimes a soul come into the person life who is coming this "Earth School" with a physical and or mental handicap. Well, it could be not easy to understand by us. But, this is a free will choice made by the soul specially when there is a "powerful purpose" or when there are "serious/intense lessons" to be learned. The decision made, the soul then looks for the appropriate family to join with. They seek a family that would benefit from the earthly hardships of having a handicapped member join their family. The particular soul knows that each family member can have the opportunity for personal growth, depending on how they choose to interact with the handicapped family member. There are others, such as autistic and Downs Symdrome children, who are highly evolved souls. They come to Earth School in Handicapped bodies for much greater purpose. There are hundreads of examples, some well recorded, of special children who despite overwhelming physical hapdicaps still astound their families and others with their profound knowledge of life.

As you see, it is truly necessary to have unconditional Love and Care from family side to communicate and cherish such handicaped children. It is easy to give up without doing any effort. It is surely greater challenge for normal people and also it requires great effort for both Handicapped children and their family. If handicapped children is in your family, your family is chosen for the special purpose to learn something very important in you life. If you ignore and or gave up to take care of such children, such mis-conduct will be recorded in your personal life log. You will realize it sometime later in your life. It is a very serious matter, indeed.

Michelle,
P.S. my message is long. But,it is for your better understanding.


kiyomi  「東京に軍靴の音が聞こえてきそうだ・・・」 2004年01月01日(木)06時56分24秒
▼時の破片:25 Dec. 2003 七生養護学校「性教育」処分問題/ノイの命日 へのコメント

あけまして おめでとうございます
Michelleさんの書き込みに期待いたします。こんな時代だからこそ、多くの方々の意見を伺いたいし、戦争を体験した方の生の声をUSAから届けていただけることを大変貴重だと感じています。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、私は寮さんが「時の破片」にて書いて下さった都立七生養護学校に勤務する者です。私が機関銃のように語った内容を的確に捉え、我が養護学校の深淵な部分をご理解いただき心から感謝しています。
補足は不要・・・とも思ったのですが、自身の言葉も綴るべきか・・・と思い直しパソコンに向かっています。
書き込みでご覧になった通り、現在も日々私の勤務する都立七生養護学校及び全都の小・中学校の「性教育」に関して、思想と宗教の絡んだ弾圧が形をどんどん変えながら襲ってきている状況です。障害児の性教育と言った時、「障害児」と「性」という二重の理解が必要で、その難しさが問題を周囲に正しく認識させるのを阻んでいように感じています。そう言った意味で幾つか以下のような補足をさせていただきます。

1.簡単な経緯と大きな流れ
2.「過激」とされる教材についての補足
3.性教育に取り組むことになった経緯と「虐待」の捉え方の補足
4.最後に・活動の進展

【1.簡単な経緯と大きな流れ】
●ことは、7月の都議会の質問に我が校の実践があげられたことに始まります。バッシングを推進している3人の都議(古賀氏・土屋氏・田代氏)が性教育の研究団体の出版物「セクシャリティ」に掲載された学校や教員を次々とねらい打ちしてきたその延長上にあった出来事です。
論旨は「小学部低学年に性器の名称の入った『からだうた』を歌わせているが行き過ぎた性教育ではないか」と言うことでした。それに対して横山教育長初め、石原氏の「過激・異常」「口に出すのも憚られる」等のことばが産経新聞に載り、一人歩きするようになりました。彼らは一度も授業を見たことがないのに・・・理解できませんでした。
その2日後、突然3人の都議が都教委と産経の記者を連れて「視察」と称して乗り込んできました。そして、人形の衣服を膝までずり下げ性器をむき出しの形で床に並べて写真を撮りました。私たちは、人形をそんな風に使ったことがなかったので驚愕し、その感覚を疑うしかありませんでした。

その後、都教委が34人の指導主事を送り込み、教員への事情聴取が始まりました。調査・監査は学校運営と服務にも及び、七生が終わると全都の養護学校の調査へと拡大されました。
結果の報告は、あまりにも理解しがたいものでした。性教育に関して「不適切」と連呼しながら何がどう不適切なのか、未だに明確な回答は返ってきていません。
また小学部では、今まで1年間に3回〜10回あった「性教育」の学習が、ほとんどできなくなり6年間にたった2回のみに制限されるようになりました。例えば初経の始まりそうな児童には「日常生活」という枠の中で、個別で養護教諭が対応する等、一斉授業は禁止されています。

●石原氏都政の下、都立の学校や病院等その管理・運営の強制・圧力のすさまじさは尋常ではなく、都立大学長のかつて例をみない反旗の翻し方等、新聞で報道された通りです。ある都立の大学教授がいった言葉「この東京に軍靴の音が聞こえてきそうだ・・・。」私も、この7月以降起こった出来事は単独で起きているのではなく、様々な布石を結んで一つの潮流になっていると実感するようになりました。性教育バッシング、ジェンダーフリーバッシングを押し進める人達は、日の丸・君が代を強制する人達とほぼ同じような人であり、そこに「純潔教育」を掲げる宗教団体の思想が絡んでるように思います。そして、北朝鮮の問題に真摯に向き合い、国民の信頼を勝ち取ろうとする人々と連動しているように思えてなりません。更に言えば、新自由主義・新保守主義と言われる思想を共有する人々が、自衛隊をついにイラクに派遣したのではないでしょうか。今世界中でこの「力での支配」が支持され(または甘んじて受け入れることも含めて)肯定されています。そして、教育現場にまで「政治」が介入しようとしている。いえ、もう介入しています。

●私たちの学校七生養護学校の「性教育」は、その流れと全く逆の方向を目指すものでした。「力では人は変えられない」これは、私たち教員が子ども達に向き合って痛切に思うことです。

【2.「過激」とされる教材についての補足】
障害を持つ子どもたちは、具体的なものがないとなかなか理解できません。
今回没収になった「ペニス付きタイツ」も、低学年児童の排泄指導のために改良して作ったものでした。普通の子ども達のように、簡単に排尿・排便指導ができない子ども達もたくさんいるのです。レストランのトイレに行っても全裸にならないとうんちができなかったり、便座への過敏反応から便座にうんちんぐスタイルで座ったり、開け放さないと怖くて用を足せなかったり・・・。お尻を丸出しにして排尿したり・・・。小さいうちは許されますが、大きくなって同じ事をすると変質者扱いされてしまいます。

思春期の身体の変化は、子ども達に不安を与えます。初経や精通は大きな出来事です。障害をもつ子ども達が「お姉さん・お兄さん」になることを期待しながら、自分の身体の変化を心地よく受け入れられる準備は、非常に大切なのです。「箱ペニス」はそんな目的のために作られました。箱についたペニスの先から、白い液が出るように工夫されています。こう書くとどきっとするかもしれませんが、人の成長は「科学的に」理解され、伝えられなくてはなりません。自分の身体のことを科学的に知ることは、「自分を大切にする」第一歩です。自分を大事にできてこそ、人を大事にできるのです。そして何より、変化・成長は自然なことであり、楽しみなことであることを授業全体の「空気」として伝えていくことが必要だと感じています。これも、教材だけ見ると「過激」なのかもしれません。しかし、教材というものは子どもと教員とのやりとりの中で存在するものであって、そのものだけ見て判断されるものではないと思うのです。

【3.性教育に取り組むことになった経緯と「虐待」の捉え方の補足】
障害をもった子ども達は、それだけで人生に大きな不利益を被ります。社会が障害者に無理解であれば、社会的な「虐待」を受け続けて生きなくてはなりません。また、障害をもつと、日常的に人から誉められたり認められたりする機会が極端に少なく、自分に自信をもったり生き生きと生活するのが難しくなります。
更に私たちの養護学校は、七生福祉園―障害をもち尚かつ親と暮らせない子ども達の施設―からくる子どもが半数を占めている学校なのです。耳を覆いたくなるような虐待等過酷な生育歴を抱えていることが少なくありません。しかし、「虐待」とはそうした直接的なものばかりでないと思うのです。彼らは愛情の基盤となる「親」の愛がすぐ手に入る所にはいないのです。そして、それは精神的、恒常的な虐待に他なりません。
こういった「闇」を抱える子ども達は、人との関係をうまく結べず、他害や自傷、ひとの嫌がることをとことん繰り返し愛情を試したり、関心を引こうとします。また、少々のことでパニックを起こしたり対話が暴力であったりと衝動的であることが多いのです。更に思春期を迎えたりすると、いよいよ問題行動が激しくなり止めに入った教員が殴られ救急車で運ばれる・・・ということも記憶に新しいところです。

問題行動を一つずつ注意や指導しても、根本的なことは何一つ解決しない・・・そんな無力感にさいなまれる日々が続いたある日、高等部の生徒の性的な接触が明らかになり、大問題となりました。
手繰っていくと、高校生にとどまらず下は小学生まで芋蔓式に名前があがり、教員は学校内に性的な問題行動が広がっている事実を突きつけられました。

何故そんなことをせざるを得ないのか・・・学校をあげて研究する中で学び取ったのは、
問題行動に蓋をするように、怒ったりなだめたりすかしたりしても意味はない。重要なのは深いところで傷ついている子ども達を受け止め、社会や人間に不信を募らせ孤独でいる彼らに自信をもたせること。つまりは子ども達の「自己肯定感」を育てること。それは性教育の時間のみで培えるわけではなく、その機会が(自己を肯定できる機会)生活のあちこちにちりばめられ、学校全体がゆったりと笑いのある安心感のある空間でなくてはならないことも実践しながら学んでいきました。

このように、七生の性教育は、「性=生」教育であり非常に広範囲な意味づけをしてきました。しかし、今は狭義の「性教育」に限定させられ、内容も前述のように制限されています。

【4.最後に・活動の進展】
七生の性教育は「心とからだの学習」と呼び、子ども達が自分の身体と心の主人公になれるよう、自己肯定感を育てていける『環境作り』を大切にしてきました。それはつまりは私達教員の人権意識をどう育てていくのか・・・ということでもありました。その中で「人は変われる!」しかし「力では変われない」と言うことも実感してきました。

また、この性教育の問題に関して少しずつですが、運動が広がり理解者も増えてきていることをお伝えして文章を締めさせていただくことにいたします。
七生養護学校のある日野市では、七生の性教育を評価し都教委のやり方に疑問をもつ声が広がっています。12月13日には「七生養護学校の教育を支える日野市民の会」が立ち上がり、第1回の学習会に200人近い方が参加して下さいました。我が校の性教育を評価して下さっている学芸大教授の話、保護者の訴え、教員の現状報告等、熱気のある学習会となりました。日本テレビや読売等の取材もあり、マスコミの関心の高さも伺えました。12月15日には保護者が約7000筆の署名を都庁に届け、各報道社の質問を受けるプレス発表も行いました。私自身もできる限り色々な所に要請があれば出向き、この現状を説明に行くつもりでいます。目の前にいる子ども達に私たちがとても必要だと思っている「授業」をすることができないのが、本当に不可解です。

12月22日には、「人権救済の申し立て」を弁護士会に提出しました。弁護士の方々は手弁当でほとんどボランティア状態です。皆さん人権問題に造形が深く、この問題に関して激しい怒りをもっていらっしゃいました。そんな姿に励まされつつ、襟を正してもいます。
長々と駄文におつきあい下さり、ありがとうございました。

あっそれから、七生の子ども達は一人一人は重いものを抱えていますが、明るくてエネルギッシュです。どうぞ誤解なきように!!
少しでも知っていただけたこと、心から感謝します。

MOKUMOKU  訂正 2004年01月01日(木)06時28分51秒
Case for Israel へのコメント

(誤)ノーマ・チョムスキー → (正)ノーム・チョムスキー
(誤)ほら吹きMOKUMOKU → (正)MOKUMOKU(掲示板のウインドウに記憶されていたのを訂正するのを忘れた)

ついでに、アイデンティティーの問題が出ましたが、わたしは日本生まれ、日本育ちで精神的には日本人、国籍はアメリカ人です。どこの国の国体に対しても愛国心というのもをもっていません。文化的には、やや一面的だけど丸谷才一の言う「新古今」への理解度が日本文化への理解度というようなところがあります。

年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山

ついでにもうひとつ、サイードはクリスチャンです。サイード一家はおそらくアラブ社会で最初のプロテスタントであろうと考えられています。キリストがもし今生きていたら、アラブゲリラに参加しているだろうと言ったのはジェリー・ルービンですね。「キリシトの歩みたまひし道をわれも歩まん」

ほら吹きMOKUMOKU  Case for Israel 2004年01月01日(木)05時53分19秒
2004年を迎えて/身内意識を地球規模に拡大するためには へのコメント

ここにしばしば登場するエドワード・サイードについては、かれの比較文学論は広く受け入れられていますが、パレスチナ人としての政治主張はそれほど受け入れられているとはいいがたい。アメリカでははっきり少数派です。とくに9・11以後は、テロリズムを支援しているという印象をもたれていました。CNNのポーラ・ザーンという美人アナウンサーの単独インタビューで、あなたが支援しているアラブ人がこんなことをしでかしたのだと言わんばかりで、ポーラはサイードを終始見下すような態度でのぞんでいました。それでも、かれは質問のすべてに誠実に答えていたのだが、見ているこっちはムカムカしてきて、なんでエドワードはこんなインタビューを引き受けてしまったのだろう、断ってしまえばよかったのにと思ったものです。以前フランスでパレスチナを支援し、パレスチナに地をなんども訪れていたジャン・ジュネが、「アラブの最良の友」と皮肉られていたのを思い出します。

さて、昨年夏、アラン・ダーショヴィッツの”Case for Israel”という本が出版され、それが売れている。ダーショヴィッツによると、出版の目的は、いまイスラエルの政策は世界の非難を受け、罪状が突きつけられており、とくにアメリカ全土の大学キャンパスではその傾向が強い、しかし感情的なイスラエル非難はあやまった思い込みからきているのがほとんどだからそれを正すということなのです。ダーショヴィッツは書物の中で、大嫌いなサイードとノーマ・チョムスキーを攻撃している。それも、たんにサイードやチョムスキーの主張が一般に間違っているというのではなく、二人の政治的な主張を逐一引用し、それにイスラエル建国以前からの数多くの文献をあげて反証しています。ダーショヴィッツの主張には同意できないが、わたしは反対派の主張を毛嫌いすることなく、聞いたり読んだりするほうなので、この本を読んだのだが、先日日本にいったとき”Case for Israel”を持参したら息子のとりあげられたので、ニューヨークに戻ってまた買いなおしました。
ところで、ご存知かもしれませんが、アラン・ダーショヴィッツは28歳でハーバード・ロースクールの教授になった大秀才であり、フォン・ビューロー事件の裁判などを通じてその人権派としての理論・実行力は世界中で高く評価されています。アメリカでの知名度はサイードよりはるかに上です。この本を読むと、「ニューヨーク・タイムスは公正な主張をする新聞だが、イスラエル・パレスチナ問題になると、まったくダメでイスラエル一辺倒になる」とサイードが生前わたしの息子の言っていたのを思い出します。”Case for Israel”は日本語訳が出ないのではないかと思っています。出版しても日本では売れないかもしれない。アメリカにおられるMichelle Endoさんなんかはどう考えられるのでしょう。

寮美千子  2004年を迎えて/身内意識を地球規模に拡大するためには 2004年01月01日(木)00時09分02秒

日本ではいま「オレオレ詐欺」がはやっています。日本の犯罪事情に疎いかもしれないミシェルのために説明すると「オレオレ、いま事故起こしちゃって大変なんだ。すぐにお金がいるんだけれど、15万円用意してくれない?」といって、お金をだましとる詐欺のこと。「オレオレ」といわれたほうは、勝手に息子か孫と思って、お金を出してしまうのです。

「オレオレ」という相手の声を、息子や孫と聞き間違えるということはつまり、いつもは頻繁に連絡を取っていないという証拠。疎遠なのです。疎遠なのに、遠く離れたところにいる息子や孫だと思うと、気が動転して、助けたい一心でお金を出してしまう。

それほどまでの気持ちになるのは、きっと彼らが血を分けた家族や親族だからでしょう。人は「身内」にやさしい。身内が困っていれば、なんとかして助けたいと思う。利益があれば、できればそれを身内に誘導したいと思う。身内を傷つける人は、許し難い敵になる。「オレオレ詐欺」は、そんな人間の意識をうまく使った詐欺なのです。

では、どこまでが身内か? 家族、親族という血を分けた人々を身内と思う。時には同窓生、というのも身内になる。会社などで、どこどこの学閥が強い、なんていうのは、そういう意識でしょう。日本では、その会社自体が一つの家族のようでもあります。それがさらに拡大されると「県人会」なんていうものもある。飲み屋で話していて同じ県の出身だということになると、とたんに話が弾むということにもなる。

外国を旅していると、日本人ならみんないい人に見えてくるから不思議。そして、たいがいの場合、旅をしている日本人は助けあおうとします。

さらには「アジア」という概念もある。日露戦争の後、インドは日本に熱狂的な支持を送りました。欧米相手に戦ってはじめて勝利を得たアジアの代表としての支持だったのです。

その時「白色人種:有色人種」という概念も持ち出されました。はじめて白人に打ち勝った有色人種。この「白:有色」という分け方自体、白色人種中心のおかしな考え方だと思う。赤や黒や黄色など、さまざまな肌の色の一概念としての白があるわけで、無色:有色、という分け方はおかしい。第一肌の色はグラデーション、境界線を引くのはむずかしい。けれど、それはまた別の話。

ともかく、人は「身内」を規定するさまざまな概念を持っている。人種という概念、民族という概念、宗教という概念、男と女という概念もあります。人は様々な概念を持ち、そのどこかに自分をアイディンティファイさせようとする。そして、その「何か」に属していることが、どうもかなり心地よいらしい。きっと、自分が自分であることを強く保証してくれるように感じるのでしょう。

さまざまなレベルで、人は身内にやさしい。それは、身内が自分を守ってくれるはず、という幻想とセットになってくれるかもしれません。自分が身内にやさしくするように、身内も自分にやさしくしてくれるはずだと信じたいのかもしれない。

MOKUMKU氏が、パレスチナを支持すると表明すると、長年親しくしていたユダヤ人の友人から、事実上の絶交を申し渡されたとのこと。ユダヤ人の彼らにとっては、ゲイであることに理解を示してくれる友人よりも「ユダヤ人」という民族幻想に自己をアイディンティファイしたかったのかもしれません。それって、ちょっとさみしいよね。せっかく理解しあえる友だちだったのに。

結局のところ、この「身内意識」が戦いの元になる。

なかには、自分をどこにアイディンティファイしたらいいのか、わからない人々もいる。西洋人なのか東洋人なのか、アメリカ人なのか日本人なのか、わからない。男なのか女なのか、という、一般には自明とされていることでさえ、ほんとうは自分をどちらにアイディンティファイしていいのかわからないということもあります。

そういう、どこにも完全には属していない人のほうが、世界の姿がクリアに見えるということもあります。アラブ風のサイードという苗字を持ち、エドワードという英国風の名前を持った思想家エドワード・サイードは、二つの文化に属しながら、そのどちらにも完全には属していなかった。その独自の立場が、彼の思想を育むひとつの足場になったともいえるでしょう。

どこにも属さないことでコスモポリタンになる。それは、ある意味怖いことです。「オレオレ」といっても、助けてくれる人がどこにいるのか、よくわからない。自分一人で立っているような、そんな孤独を感じるかもしれません。

しかし、逆にいえば、それは世界のあらゆる人々にシンパシーを持つことでもある。家族でも、国家でも、民族でもなく「人類」という大きな枠組みに自分をアイディンティファイすることです。さらには「生き物」というところに、自分をアイディンティファイすることもできるかもしれない。

そうなったとき、命ある一木一草にいたるまで、シンパシーを感じて、世界が光に満ちて見えるかもしれない。ましてや、人が人を殺すことなど、許せるはずがない。

人々が、そのように大きなものに自己をアイディンティファイできるようになるためには、どうしたらいいのだろう。「想像力」が、一つの大きな鍵であることは間違いないと思うのです。

アメリカは、冷戦時代ソ連や共産主義を「敵」にすることで、権力を維持してきた。ソ連と共産主義が崩壊したいま、テロリストという存在や、イラク、北朝鮮を「敵」にすることで、アメリカは世界に脅しをかけて、自分のいいなりにさせようとしている。「オレオレ。オレに味方しないと、おまえたち、あの敵にやられちまうぞ」という脅しです。これも一種の「オレオレ詐欺」みたいなものかもしれない。アメリカは、いつも「敵」を必要として、その対立のなかで政治を動かそうとしてきました。

けれども、それはほんとうに「敵」なのでしょうか。武力・暴力でしか制圧できない、言葉も心も通じない相手なのでしょうか。

こうなったらいっそのこと「悪い宇宙人」に攻めこんできてもらったほうがいい。そうすれば、人類はひとつにはなれるでしょう。人間同士、殺しあいをしなければならない世界をつくるくらいなら、アメリカは茶番でいいから「悪い宇宙人」でもでっちあげて、お金でもなんでも集めればいいんだ、とさえ思います。

身内意識を地球規模に拡大する。それが21世紀の人類の大きな課題だとわたしは思います。どうしたらそれができるんだろう? 「想像力を鍛える」「心に想像力の翼を持つ」というということは、微々たる力にしかならないけれど、力になれるはずだと確信しています。来たるべき年に、幸多かりしことを!

Michelle Endo  Thank you very much, Michico-san. And How do you do everybody. 2003年12月31日(水)19時02分38秒
ようこそ ミシェル! へのコメント

Hello, Everybody.
Thank you very much Michico-san. I really appreciate for your wonderful introduction about me. I am very happy to be welcomed by Michico-san and hopefully by other people too.

I believe that Michico's website is very important "Window" or "Gateway" to the world. I am very happy joinning your discussion circle from little bit different point of view and as a person living in USA. However, main purpose of this Website should be focused to the issue for Japan and Japanese people. I can join to your discussion with my personal opinions and my life experience in Japan and U.S.A. I hope I can contribute myself something good for your mind.

Please do not feel any fear to say and or discuss the issue. Everybody's personal point of view is the most important asset. We should know many other peoples opinions and their different point of view. Japan and Japanese people has tons of potentials and powerful energy which can effect (good effect) everybody in this world.

I truly love Michico and other people's very straight forward opinions about the issue. It is truly wonderful and very important to anybody who reads the KEIJI-BAN.

Michelle,
P.S. You can send me e-mail. Your personal question and or discussion is also welcomed. You can reach me by my e-mail address.

寮美千子  ようこそ ミシェル! 2003年12月31日(水)16時21分41秒
Japanese people need to stand up with your own feet. へのコメント

ミシェル! カフェルミへようこそ。大歓迎です。

ミシェルは、わたしがなかよくしているご近所のおばあちゃまのご親類の方で、先日の来日の折にお目にかかってお友だちになりました。みなさん、よろしく。

このおばあちゃまは、現在80歳。生まれたのはアメリカ。かなり裕福な日系一世の移民の子として生を受けたのでした。しかし、日本で教育を受けさせたいという両親の希望で、3歳で兄たちといっしょに帰国。日本の祖父母の元で育ちました。アメリカと日本の間を往復する暮らしのなか、日米開戦。両親は財産を没収され収容所へ。子どもたちは、両親のいるアメリカへ戻ることができなくなり、日本で暮らすことになりました。一番上のお兄さんは戦争へ。アメリカでは、従兄弟たちが従軍、血を分けた親類同士で戦わなくてはならないという悲劇に巻きこまれました。そして、お兄さんの戦死。おばあちゃまの家には、いまでも若かりしころの軍服姿のお兄さんの写真が飾られています。

このおばあちゃまの話をきくと「国家」とはなんだろう? 国家と個人の関係は? 国家はなんのためにあるのだろう? と考えざるをえません。

ミシェルは日本で生まれ育ち、高校卒業後にアメリカに渡り、アメリカ国籍を取ってアメリカに永住。というわけで、日本語もわかります。この掲示板もいつも見ていてくれます。ただ、ミシェルのパソコンはウェブの日本語を読むことはできても、書くことができないとのこと。というわけで、英語での投稿になりました。ミシェルへの掲示板でのお返事は、日本語で大丈夫です。

日本とアメリカ、両国のことを知り、そのふたつに足をかけているミシェル。独自の視点からの意見は、わたしが気づかないことを気づかせてくれるでしょう。ミシェルの等身大の生活者としての位置からの発言は、とても実感的でわかりやすい。むずかしい時代、いろいろいっしょに考えていきましょう。これからも、よろしくね。

勇崎  Great ! Michelle 2003年12月31日(水)06時18分50秒
Japanese people need to stand up with your own feet. へのコメント

Great ! Michelle.
But the world is the worst.

Michelle Endo  Japanese people need to stand up with your own feet. 2003年12月30日(火)20時26分02秒
2003 年の瀬に響くファシズムの足音 へのコメント

My Name is Michelle Endo. A friend of Ms.Michico Ryo. I am living in Los Angeles, California U.S.A. More detailed information about me may come to you later, if necessary. This is kind of Urgent message from me. So, please understand. The following statements are all my own opinions. Some statements may not be true. It is necessary to understand them just as my opinions.
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As we all knows, the world situations and people mind are changing so rapidly, I may say "too fast" to everybody in the world. The situation of many countries in this world is also changing so rapidly by either International and or some sort of country's domestic incident, violence, disease, or anything really bad. Understanding and Constant Communications with other countries and people are extremely important. We do have significant difference in our opinions and understanding. As you see some discussions in UN, thay never reach any good conclusion. They can discuss any issue forever, if they could. Mean while, more people will be killed. It is impossible to reach such a good conclusion what many people might be expecting. Because, basically UN representatives from each countries are telling to the world from only their convenience and their situation. We must live with all other people who has different point of view and opinions. It is truly a big problem. When everybody were just describing and pushing only their rights and or problems. We have no solutions. Who can come up with such a perfect solution Whatsoever exist to sastisfy everybody's rights and or problems? Do you understand what really missing from the people's mind at this point? Don't you get it?

Anyway, Our Spaceship "Earth" is getting very sick due to the people who is only thinking of themselves. Some people who were ignoring other countries and people who needs the people's help are very selfish. As we already experienced many many years in the past. When some kind of bad problem were arisen even at some small country in the world, the particular problem could be end up and could be affect everybody on the Earth. We already have so many examples in the past. In many cases, We only can do too little too late. You know why?

I will recommend Japanese people who has tons of good potentials in your mind to explore yourself to the world much more than before. Japanese people are still not truly open minded yet. They still do not communicate well with other countries and people yet. US is not for your babysitter. I think especially Japanese people might not have proper Understanding what Japan's real situation is. I think some limited Japanese Government people only knows what the truth is. I believe that this is the time to educate all of Japanese people what the truth is. Japanese People should know who should protect your people and country. You babysitter (USA) can do only certain and few things. But, they are also not guaranteed. Who knows what really happens When things has happened. Because, it is the highest order that USA should protect USA.

Michelle,


寮美千子  2003 年の瀬に響くファシズムの足音 2003年12月30日(火)18時48分57秒

知らないうちに、平和の基準線がどんどん後退している。いや、軍国主義へと前進しているといった方がいいのだろうか。その姿は、太平洋戦争前の「いつかきた道」を思い出させる。対戦車砲などの武器を持った自衛隊を海外に派遣するなど、10年前、20年前なら、人々はとても許しはしなかっただろう。街はデモの渦で埋まり、騒然とした年の瀬を迎えたに違いない。けれど、いまはそんなことはない。「しょうがない」「止められない」というあきらめ感が反対派の人々を支配している。先の衆議院選挙で国民はいまの政府を支持するという結果が出たのだから、仕方ないが、そんな結果が出たということも、世間全体がそちらの方向に向かっていることを示しているだろう。

世界情勢ばかりではない。日常生活にも、ファシズムの足音が響きだしていることが怖い。東京都立七生養護学校での性教育問題に関する職員大量処分問題もそのひとつだ。自由な気風で知られていた和光大学の入り口には、舗道を三分の二もふさぐ形で「和光大学」と彫られた巨大な庭石が置かれた。これでは、車椅子も通行できない。「名前」という権威が、一人一人という個人を圧迫しているというのに、そのことを何とも思わない風潮が学内にはある。

「このままでは徴兵制まで突っ走るよね」という友だちもいる。そうかもしれないという悪い予感がする。アメリカのイラク攻撃を支持すれば、復興支援協力金を出さなければならなくなる。人的援助を求められれば、応じるのが筋だから行かなければならない。戦闘状態の場所への派遣には武器を持たなければならない。武器を持って行けば、戦闘になる可能性は否定できない。事実上の戦争に巻きこまれる。しかも、相手は「国」ではないから、戦争状態に終止符を打つことはできない。アメリカが撤退するまで、永遠にゲリラ戦が続くばかりだ。そうやって、イラクがベトナム戦争同様に泥沼化したとき、それまで「参戦」していた日本は、いったい何をきかっけに撤退することができるのか。アメリカから更なる協力要請をされて、事実上の軍隊としてさらに大きな部隊が出動しなければならない立場に追い込まれるかもしれない。事実と憲法の食い違いが著しくなれば、憲法第九条改正の声もあがるだろう。そうやって、少しずつ、少しずつ基準線が変わり、気がつくと徴兵制が当然の世界になっている。それに反対する人は「非国民」と呼ばれる時代が、再びやってくるかもしれない。

イラク派兵は、軍国主義へとまっしぐらに続いた道の入り口なのだ。

強くなるファシズムの風を感じながら、なんとか食い止めなくては、と思う。人々は、いつになったら気づくのだろう。戦争を招くような行為をすれば、結局その犠牲になるのは自分たちなのだということを。敵は外にいるわけではない。わたしたちの心のなかにいるのだ。わたしたちが被害者になるとき、そんな事態を招いた加害者もまたわたしたち自身なのだと。

寮美千子  思考の破片/組織はいつも安きに流れようとする河だ 2003年12月30日(火)17時07分43秒

「人々のために奉仕する組織」であるはずなのに、組織が大きくなると、いつもまにか立場が逆転して「組織のために奉仕する人々」という図式になっていく。国家のために命を失うなんていう馬鹿げたことがあっていいはずがないのに、人々は反抗もせずに黙々と戦場へと赴く。

組織はいつも安きに流れようとする河だ。この河のなかで、人々が「正しい位置」を確保し続けるためには、河を遡る鮭のように、常に泳ぎ続けなければならない。一瞬でも力を抜けば、水に押し流されてあっとうまに下流に連れ去られてしまう。そこから、元の位置に戻るためには、いままで以上に力をこめて泳がなければならない。時にそれは「非現実的」なことにさえ思われてくる。

何もしなければ、押し流され続けるばかりだ。その先に待っているのは、国と国の戦いのために、人間同士が互いに命を奪いあう無惨な光景。それどころか、原爆や水爆によって、一瞬にすべてが失われることさえ容易に起きる。そして、それを決定するのはいつだって安全な司令塔にいる「指導者」。そのような指導者を選ぶのは、ボタンひとつで殺される運命にある市井の人々。

ひとりひとりが泳ぎ続ける努力をしなければ、わたしたちはまた二十世紀の無惨を繰り返さなければならないだろう。

寮美千子  自衛隊よ、武器を捨て、イラクではなくイランへ! 2003年12月28日(日)15時06分24秒


12月26日、イラン南東部ケルマン州で起きた巨大地震。崩れた煉瓦の家の下敷きになった人々は、いまも救出を待っている状態だ。

イラク派兵の準備をしている自衛隊よ、武器と装甲車を、シャベルとブルドーザーに変えてイランへ! イラクの人々も確かに援助を必要としているかもしれないけれど、いま、一刻を争う状態で援助を必要としているのはイランの人々なのだから。

「そんなこと、すぐに対応できない。非現実的」というのなら、非現実的な現実が間違っているのだ。それに「緊急援助の必要があるので、イラクではなくイランへ行く」といったら、国際世論はダメだとはいわないだろう。アメリカは文句をいうかもしれないけれど。


日本政府は、イラク無償協力に1650億円、自衛隊派遣377億円 を決定している。
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200312200133.html

それにひきかえ、日本政府がイランの地震に対して決定した緊急無償資金は約8300万円。テント、発電機、毛布など約2500万円相当の緊急援助物資の供与を含めても、援助総額は約1億800万円。
http://www.asahi.com/politics/update/1228/003.html

イラクへ2000億円以上の援助を予定しているのに、イランへは2億円以下。つまり、2000倍!!の差がある。

どうせ近くまで行くんだし、派遣の費用はすでに計上されているんだから、いますぐイランへ行けばいいのに!

自衛隊よ、イランへ!

寮美千子  NHK-BS番組 サイード イラク戦争を語る 2003年12月27日(土)18時16分18秒

NHK-BSでサイードに関する番組が再放送された。これは、アメリカによるイラク戦争開戦前夜の2003年3月19日に、カイロのカイロ・アメリカン大学で行われたエドワード・サイードの講演と、ガザ在住の弁護士ラジ・スラーニとの対談とで構成された番組。ラジ・スラーニは、サイードの親友でもあるという。12月26日深夜のNHK-BSで再放送されたのだが、事前に気づかず、チャンネルを回したところ、サイードの顔が写っているので途中から見た。録画もとれなくて残念。

まず、サイードの眼差しに釘付けになった。時にお茶目な表情も見せる、なんという魅力的な瞳だろう。その心のまっすぐさが、瞳に現れているようだ。

講演はすばらしかった。わたしでも理解できるわかりやすいはっきりとした英語。暴力や武力は解決をもたらさないと力説。暴力は真のパワーではない Knowledge is the power! というサイードの声に、聴衆は総立ちになり拍手を惜しまなかった。

人は不思議な生き物だ。ヒトラーの演説にも興奮して立ちあがり、熱狂の支持を送るのに、その正反対のサイードの言葉に感動して、絶大な支持を寄せて拍手を送ることもある。わたしは、その少し前に見たばかりの「映像の世紀」に映るヒトラー崇拝者たちの熱狂を思い出しながら、不思議な気持ちでサイードに対して送られる賞賛の嵐を見ていた。

彼らは本質的に「違う思想を持った人々」なのか。それとも、人というのは、そのどちらにもなりうるのか。

人間という生き物は、決して固定された存在ではない。常に流動するものだ。それが「生きている」ということの本質なのだから。であるとすれば、ヒトラー支持者は生まれつきヒトラーを支持するようなファシストなのではない。ナチスと帝国主義に熱狂し、常に虎視眈々と自分たちの勢力拡大を願うばかりが、人類の永久不変の本質ではない。人はまた、サイードに熱狂の拍手を送れる存在にもなりうるのだ。

サイードが親友ラジに語ったアイディンティティ論が興味深かった。
あなたはガザに生まれ、ガザに育ち、今もガザにとどまって活動している。そういうあなたにしか見えないものがある。それに引き替え私はパレスチナに生まれ、カイロで育ち、アメリカに渡った。アメリカとアラブの両方の国籍も持っている。若いころは、自分はいったい何ものなのかと悩んだこともある。しかし今は違う。人間は重なり合って生きているのだ。だからアイデンティティーは与えられるものではなく、自分で見つけるもの、自分で選び取るものだ。私の選んだアイデンティティーにしか見えないものがあると思っている。だからあなたと話し合うことには大きな意味があり、楽しいいのだ
現在の世界状況を「文明の衝突」であると結論する人々がいる。それぞれの文明が本質的に持っている価値観の違いゆえの衝突は避けられらないので、武力によって平衡を保つべきだという意見だ。わたしは、その説に賛成できない。確かに、価値観の相違による齟齬は大きい。けれど、それは「永久不変」のものではないのだ。

サイードのアイディンティティ論は、それについて個人の実感から語りかけてくる。文明は混じりあい、互いに影響しあうもの。永久不変の確固とした境界線がひかれているわけではない。

アイディンティティは、時の流れによっても移ろう。「映像の世紀」で神風特攻隊の映像が流れ、特攻に出撃する兵士の手紙が流された。国家と天皇に命を捧げて死ねることの光栄を、その手紙は語っていた。アメリカ兵たちが「わからない」「理解不能だ」とつぶやく言葉がそれに重なる。「自分たちの常識では考えられない行動だ」と。

特攻隊の姿は、そのまま、ニューヨークのビルに突っ込み、いまも自爆テロを繰り返す中東の人々の姿に重なる。「理解を超える」とつぶやくアメリカ人は、いまのわたしたち日本人に重なる。日本も、ほんの最近まで、あの特攻の心情を理解する国だったのだ。人は変わる。そして「理解できない」ということは、ないのだ。

サイードに拍手する人々がいる。人は、そのようにもなれる存在だ。そしてもし、サイードのような考え方に拍手する人が一定数を超えたなら「流されやすい人々」は、そのまま非暴力へと立場を変えるだろう。世界が合意のもとに核兵器を破棄する日がくるかもしれない。そのような世界を到来させるためには、語り続けなければならない。サイードのように。

9月25日、サイードは逝った。死のわずか半年前の力強いその声、その姿に、胸打たれた。そして、サイードに惜しみない拍手を捧げる人々がいることに、希望を見た。

寮美千子  常楽我淨 2003年12月27日(土)16時55分49秒
大切なのは へのコメント

納得。

本多信介  大切なのは 2003年12月27日(土)14時29分39秒

「常楽我淨」

説明も理由もなし

ほら吹きMOKUMOKU  野口英世のこととか 2003年12月24日(水)20時06分04秒

野口英世は生前、わたしが現在住んでいるアパートのすぐ裏の通りに住んでいました。歩いて5分くらいで行けるマンハッタン・アベニュー100番(100 Manhattan Avenue)という住所には野口の住んでいた建物はなく、新しいビルになっています。野口は、時間があると、日本クラブで、「毛唐の女を女房にするなよ」と口走りながら、将棋を指していたそうです。

十数年前、ニュージャージーの病院の図書館の古文書を集めたコーナーで、黄熱病の論文集を見つけました。野口の格調高い英文にはじめて出会い、ある種の感動を覚えました。

学生のころ、教室員一同で猪苗代に一泊旅行に行ったことがありました。野口記念館で、英世の母シカが息子に宛てチビた鉛筆を舐め舐め書きの手紙を読みました。
「おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまげました。わたしもよろこんでおりまする。なかたのかんのんさまに。ねん(毎年)おこもり(夜籠)をいたしました。・・・・・・・・・ はやくきてくだされ。いしよ(一生)のたのみて。ありまする。きたむいてわおかみおります。みなみさむいておかんておりまする。ついたちにわ。しおたち(塩断)しておりまする。・・・・ねてもねむられません」

ある作家は、「母から子に宛てた手紙として、まさに名文中の名文」と評しています。じつは、野口シカさんの手紙のことを考えるたびに、いつも無学なわたしの養母が昔わたしに寄こした鉛筆書きの手紙のことを思い出すのです。シカさんの名文には遠く及ばないが、悪くないと思っているのです。
「こんどかへるとき、きんざんじみそといふものを買うてきてくだされ」

寮美千子  NHKスペシャル「映像の世紀」再放送中! 2003年12月23日(火)15時10分25秒

平成7年3月から平成8年2月にかけて放送された「NHKスペシャル 映像の世紀」<日米共同取材>が9夜連続でアンコール放送されています。20世紀の歴史は、大量破壊兵器の開発と殺戮に次ぐ殺戮の時代。戦争に明け暮れた人々の姿が、これでもか、これでもかと映しだされます。人々は、何故殺しあうのか、何のために殺しあうのか。20世紀の生々しい映像を見て、わたしたちはもう一度考えるべきだと思います。「国家」や「大義」の名のもとに、なぜ一般市民がこれほどまでにたやすく「殺人者」になりえたのか。その殺人者によって、まっさきに命を落とすのは、常に「名もない市民」です。そのひとりひとりに確かに名前があり、家族がいて、人生もあったはずなのに、いつのまにか「名もない市民」にされてしまうのは、なぜでしょう。わたしたちはそのようにして、一体何を守ろうとしているのでしょう。20世紀の人類の愚行を省みて、新たな時代のあり方を考えるいい機会です。ぜひ!

「第1集 20世紀の幕開け」         12月22日(月)午後11:00〜0:14
「第2集 大量殺戮の完成」          12月23日(火)午後11:00〜0:14
「第3集 それはマンハッタンから始まった 」 12月24日(水)午後11:00〜0:14
「第4集 ヒトラーの野望」          12月25日(木)午後11:00〜0:14
「第5集 世界は地獄を見た」         12月26日(金)午後11:00〜0:14
「第6集 独立の旗の下に」          12月27日(土)午後9:55〜11:09
「第7集 勝者の世界分割」          12月27日(土)午後11:20〜0:34
「第8集 恐怖の中の平和」          12月28日(日)午後10:40〜11:54
「第9集 ベトナムの衝撃 〜アメリカ社会が揺らぎ始めた〜」
                      12月29日(月)午後10:40〜11:54
「第10集 民族の悲劇 果てしなく」     12月30日(火)午後10:40〜11:54
「第11集 JAPAN 世界が見た明治・大正・昭和」
                      12月31日(水)午前0:00〜1:14 (30日深夜)

http://www.nhk.or.jp/special/rerun.html

寮美千子  かもめ氏投稿 削除とアクセス禁止の理由 2003年12月20日(土)23時29分36秒
投稿削除のお知らせ へのコメント

以前、かもめというハンドルネームの方から、NHK番組「奇跡の詩人」に関するわたしの意見への批判が投稿され、即刻削除しました。それまでのネット上の「『奇跡の詩人』論争」を見ていて、かもめさんの言動にあきれはて、削除理由を書くに値しない相手であると判断しての結果でした。しかし、その件で、いまさらよその掲示板にまでご迷惑をおかけしているので、あえて、削除とアクセス禁止の理由を述べさせていただきます。

かもめさんの「『奇跡の詩人』論争」は、作家・小林泰三氏とのやりとりのなかで、すでに決着がついていると思います。ところが、かもめさんは飽きもせずに同じ質問をわたしにしてこられたので、返答する必要を感じませんでした。小林氏のように、あそこまでていねいにお話ししてもわからないのであれば、かもめさんと話しても時間の無駄、人生の無駄遣いと感じたからです。かもめさんは、小林さんに話しても歯が立たないので、新たに相手にしてくれる親切な人を求めているのであろうと解釈しました。わたしは、かもめさんにそのように親切をするつもりは毛頭なかったので、即座に削除、退去していただきました。論争とは、互いの言葉に耳を傾け、きちんと対応してこそ論じあうことができるのですが、かもめさんとは、それは無理だと判断しました。

以上のような事情により、この掲示板では、かもめさんに対し、削除、アクセス禁止処分をとらせていただきました。今後も、かもめさんとは論を交えるつもりはありません。というか、かもめさんがいまの態度のままであれば、論を交えることは不可能です。あまりにも非論理的・感情的であり「議論」以前の問題になってしまうからです。ご迷惑をおかけした方がた、お騒がせして申しわけありませんでした。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/kamome.html

寮美千子  平和物語 補遺 2003年12月20日(土)21時56分23秒
平和物語 へのコメント


ところで、書き忘れていたことがありました。宇宙人が地球にやってきたもう一つの理由。それは「おいブッシュ大統領、おまえんちには、大量破壊兵器があるだろう」ということでした。ブッシュ大統領は「確かにありますけど、ご心配なく。あれは、単に地球人を攻撃するためのもの。宇宙人を攻撃するつもりはありません。だいたい、わたしたちは惑星間攻撃ミサイルを持っていません」と答えました。

しかし、宇宙人は納得しません。「おまえたちは、宇宙ミサイルの開発をしていただろう。あれはどういうことか。惑星間ミサイル開発の第一歩だったんじゃないか。実際に持っていなくても、持とうとしただけで、きみは充分に危険だということだ。そして、きみに従う地球人も、すべて同罪だ」


以上はフィクションですが、以下は新聞報道です。
「(イラクが実際に大量破壊兵器を持っていたか、単に可能性だけだったかは)どんな違いがあるというんだい? もしサダム(フセイン)が大量破壊兵器を手に入れようとしていたなら、つまり彼は危険だったということだ」ブッシュ大統領が16日、米ABCテレビとの会見で、イラク開戦の理由となった大量破壊兵器がまだ見つかっていないことを指摘されて。(ABCホームページから) by  12月19日付朝日新聞
いまさらだけれど「大義」が、単なるいちゃもんでしかなかったことは明白。もし「そう思ったかもしれない」なんていう理由で罰されるとしたら、世界中のだれもが、罪人になるでしょう。ブッシュ大統領のいっていることは、まるで理屈が通らない。それでも、ブッシュが大統領でいられるのは、どうしてなのだろうか。


地球の平和のために、宇宙人に介入してもらう必要はない。宇宙人の監視と支配のもとの平和なんて、平和なんかじゃないし、だれもそんなものはほしくない。まあ、一部の欲得がらみの地球人なら、もみ手で宇宙人にすりよるかもしれないけれど。

イラクの人々も同じ気持ちではないでしょうか。いくら「復興に協力」などといっても、実際は監視され支配されているように感じているのかもしれない。エイリアンに等しいアメリカ人や外国人の監視や支配に屈してたまるか、という気持ちが、テロ攻撃を起こさせている原因ではないか、とわたしには思えてなりません。ともかく、アメリカ人や外国人がそこにいるのが、彼らの気に入らないのではないか。もちろん、いま、手を引けばイラクは混沌とするだろうけれど、手を引かない混沌よりましではないでしょうか。そして、いまのような形ではない援助の仕方が模索されてもいいのではないでしょうか。


「掃討作戦」という言葉が、最近頻繁に使われます。おそろしい言葉だと思う。「残っている敵などをすっかり撃ち払うこと」と辞書にはあります。なんだか、殺してほうきで掃きあつめて捨てるような語感があります。相手は、人間なのに。

人間なら話し合いが可能なはず。けれども、アメリカは話し合おうとはしていない。「アメリカ、気に入らないぜ!」という人々は、単に「掃討作戦」で皆殺しにしてしまえばいい、といった匂いがします。


ともかく、これだけ理屈が通らないことが、世界で、日本で、まかり通っている。「結局は弱肉強食の世界。強い者の思い通り」です。しかし、それでいいのか? いいわけがない。経済成長なしではやっていけないアメリカ、武器など大量の消費がなければ倒れてしまうアメリカ。その経済システムが変わらない限り、環境破壊も止まらないし、世界から虐げられた人々もいなくならない。

日本政府には「同盟国だから」なんていう目先の話ではなくて、ちゃんと未来をみてほしい。少なくとも百年先の地球環境問題まで見据えて、いまの行動を律してほしいと心から思います。イラク派兵、反対。臆病者といわれてもいい。いまからでも、引き返す勇気を持とう! それがほんとうの勇気なのだから。

しかし、どのようにしたらイラク派兵が止められるのでしょうか。選挙で国民が「OK」を出したからには、もう手の打ちようがないのでしょうか。こんな結果を出した日本という国に、心底がっかりしてしまうなあ。

勇崎  君、人殺めることなかれ 2003年12月20日(土)00時34分31秒
憲法第9条/戦争の放棄 へのコメント

先日の新聞で、自民党北海道選出で代議士をすでに引退し、元・郵政大臣が「イラク派遣は憲法違反であり、自衛隊法にも全く反している」と、自民党内部で書簡や文書を通じて反対の意志を表明し告発しつづけている、という記事を読みました。この自民党北海道の長老は、防衛畑を歩んできた人でもあり、いわばタカ派の一人です。

この長老の告発で注目すべきことは、戦争状態のところに自衛隊が出向くことはそもそも違憲であり、そこに自衛隊員が武器を持って赴き、人を殺してしまった時、戦争であれば国家間の問題として、当事者個人は殺人罪には問われないが、イラクの現状を「戦争ではない」として、そこに派遣するなら、もし攻撃を受け、正当防衛であろうがなかろうが、人を殺してしまった時、その自衛官は殺人罪あるいは業務上致死罪容疑者として、国内の裁判を受けなければならないことを首相は認識しているのか、と政府の矛盾を突いているところです。

寮さんも常々、人に殺されることより、人を殺してしまうことの恐さを語られていますが、この板で911をめぐって当時、僕も同様のことを投稿したことがありました。過去ログを追いかけて、追いかけて、ようやく自分の投稿をログの地層から掘り出して見つけました(下記URL)。
その際に引用させてもらった「加害者意識」という原稿は、かつてPKO派遣決定に対して抗議を込めて書いたコラムですから、相当に古い原稿です。しかし、問うべき本質はなんら変質していないと思います。いまこそ、あの頃のような活発な話し合いをしてみたいです。

与謝野晶子がうたう「君、死に給うことなかれ」の美しさに心をふるわされ、惑わされてはいけない。

「君、人殺(あや)めることなかれ」。

http://ryomichico.net/bbs/cafe0002.html#cafe20011018003136

勇崎  戦争へ向かう大義の構造 2003年12月18日(木)21時35分29秒
平和物語 へのコメント

寮さんのふたつのお話し、
複雑な事態をとても丁寧にわかりやすく語られ、
興味深く拝読しました。

そういえば、かつて、
西側の植民地化という脅威からアジア同胞を守り、
東アジアに大共栄圏を築くという大義で、日本は軍隊をアジア各地に派遣し、
世界大戦に向かいました。

その反省にたって現在の日本国憲法が誕生し、
武力で平和は訪れないことを痛いほど体験した日本国民は、
もろ手をあげて、この憲法の理念を歓迎しました。

その60年後、
テロの脅威から自国や世界を守り、
中東に民主主義を築くという大義で、
日本は自衛隊を派遣します。

戦争へ向かう大義の構造というのは、
どこか共通しています。

約70年前のいかにも美談的大義に、国民が騙されたことを思い起こせば、
某首相が語る大義のうさん臭さに鈍感ではいられないと思います。

戦地にされた国の人々の日本への感情や、
オキナワ、ヒロシマ・ナガサキなどを思い起こしても、
武力によって大義を果たそうと実行された側の傷や遺恨は、
50年後も100年後も癒されるがことない、
ということを僕たちは知っているはずです。

武力の行使がもたらす、50年後、100年後に想像力を働かせれば、
20年、30年、50年とかかっても、武力以外の方法をねばり強く行うことの方が
問題を解決する力になることに気づいていいのでは・・・。

日本国憲法の、なかでも第9条は、
そんなことを伝えようとしているのではないかと、
寮さんの怒濤の連続書き込みにふれ、
ふと感じました。

MOKUMOKU  国の最高法規 2003年12月18日(木)17時11分49秒
憲法をちゃんと読んでみよう! へのコメント

通常他の法律・命令を以て変更することを許さない国の最高法規である憲法を、平気で政府が無視するなら、なぜ引ったくりや売春を、憲法より下位の法で裁くことができるのか。憲法を無視していいのなら、その下位にある法はすべて無視してもいいはずである。

寮美千子  憲法をちゃんと読んでみよう! 2003年12月18日(木)14時11分11秒
憲法前文 へのコメント

▼憲法を語ることは時代遅れか?
先日、共同通信の記者と話した時、その記者が「もう憲法云々といっても、説得力がないし、もっと日常の実感のなかから、例えば自衛隊の奥さんの声とか、子どもたちの声とか、そういうところから、イラク派遣に反対する声を集めて報道したいんです」といったので、びっくりしました。憲法について語ることは、すでに説得力のないことなのでしょうか。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という憲法第9条の言葉は、すでに有名無実なものになりはててしまったのでしょうか。現実味のない、理想の言葉でしかないのでしょうか。マスコミが、すでにその論調であること自体が、憲法を空洞化させる大きな要因の一つであると、わたしには思えてなりません。

▼不断の努力によつて護らなければ存在しないも同然
国民の権利及び義務を語る、憲法第3章のなかに、こんな一節があります。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」

法律も、憲法もそうだけれど、そこにあるだけでは、なんの役にも立たない。「不断の努力によつて、これを保持」しようとする人々がいなければ、絵に描いた餅でしかありません。憲法をちゃんと機能させるためには、まず、憲法を読んでみなくちゃいけない。そして、きちんと語り合うことが大切です。

▼編集という魔物
ところで「編集」というのは恐ろしい力を持っています。自分に都合のいいところだけを抜き書きして、自分を正当化したりすることができるからです。相手を攻撃することも。抜き書きすることで、本来の意味とはまったく逆のことになってしまうことすらあります。

小泉首相は、自衛隊のイラク派遣についての声明を出したとき、憲法の前文の一部を引用しました。一部引用、とはつまり「編集」をしたということ。以下が、引用された部分です。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
なるほど。ここだけを見れば、イラクでたくさんの人が困っているのに、日本が助けにいかなかったとすれば、それは腰抜けで、憲法の精神に反する、という意味にもとれそうです。

でも、小泉首相によって「自分の都合のいいように」「恣意的に」抜き書きをされたここだけが憲法ではありません。同じ前文のなかにも「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という大切な言葉があります。第9条では、戦争の永久放棄をうたっています。そういうこととセットで、上記の小泉首相が引用した部分があるわけで、対戦車砲を担いで外国に出かけることを、憲法がよしとしているわけではありません。

▼憲法を読もう! そして語ろう!
憲法には、小泉首相が引用しなかった部分にも、絶対に忘れてはいけない大切なことがたくさん書かれています。そのいくつかを、下に書き出してみました。けれども、これも「寮美千子による恣意的な編集」であることに変わりありません。憲法調査会のHPには、憲法全文が掲載されています。ぜひ読んでみて、自分で考えてみてください。なにしろ「不断の努力」なくしては、憲法はただのお飾りにすぎなくなってしまうのだから。

▼あの人はいまどこに……
それにしても、以前このHPで活躍していた憲法学者の先生は、いまどこで何をしているのかなあ。話が通じないんで、業を煮やしてどこかへ消えちゃったけれど、いまごろはどこかの護憲集会で気炎を上げているのかもしれません。正直いって、わたしはああいう集まりはちょっと怖いです。「なんだ、お前、そんなことも知らないのか」といつも脅かされているみたい。憲法を、そういう「専門の人たち」だけのものにしちゃいけない。そういう排他的な形で運動をしているから、一般の人がよけいに関わりにくくなって、憲法の精神が忘れ去られ「憲法を語るのは時代遅れ」「政治的な一部の人間が話題にすること」というふうになってしまうのだと思います。こういう時こそ、憲法学者の先生は、みんなに、わかることばでやさしく、きちんと、憲法について語るべきだと思います。そういう話を聞きたい。

憲法は、普通の人が、普通に読んで、普通に語らなければならない。みんなで「不断の努力」をしていかなかったら、わたしたちはどんどん、危ないところへと流されてしまいます。ほんとうに、こんなことをしていたら、いつテロの対象にされてもおかしくないし、戦争に巻きこまれてもおかしくない。武器を持って外国へ出かけていく自衛隊員が、人々を殺す可能性も、殺される可能性もあるのです。それを戦争と呼ばずして、なんと呼ぶのでしょう。「憲法の話は、いまさら説得力がない」なんていわないで、みんなでちゃんと考えよう!

わたしはほんとはこういう勉強っぽい、いい子チャンぽいことはキライなんだけれど、ちゃんとやるしかないもんなあ、こんな事態じゃ。芸術家が、どっぷりと退廃的芸術に浸っていても安心していられるような、そんな時代がくるといいのになあ。ま、そのためにも、がんばるしかないか。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/frame/guide4.htm

寮美千子  憲法前文 2003年12月18日(木)13時07分15秒
憲法第9条/戦争の放棄 へのコメント

日本国憲法

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/frame/guide4.htm

寮美千子  憲法第9条/戦争の放棄 2003年12月18日(木)13時05分15秒
憲法第12条/国民の権利及び義務 へのコメント

第2章 戦争の放棄

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/frame/guide4.htm

寮美千子  憲法第12条/国民の権利及び義務 2003年12月18日(木)13時02分33秒

第3章 国民の権利及び義務

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/frame/guide4.htm

寮美千子  平和物語 2003年12月17日(水)01時14分54秒
わたしには、わからない/テロと戦争の違いはどこに? へのコメント

昔々のことです。地球には、プッシュ大統領という、野蛮な大統領がいました。ブッシュ大統領は、イラクという砂漠の国に「おまえのところでは大量破壊兵器を隠し持っているんじゃないか」といちゃもんをつけました。そして、正直に吐けとイラクのフセイン大統領に迫りました。フセイン大統領は「持っていない」といいはりましたが、ブッシュ大統領は「おまえは大嘘つきだ。おまえのような奴はやっつけてやる」といって軍隊を送りこみました。軍隊は、たくさんの爆弾を落として、たくさんの人々を殺しました。小さな子どもも、死んだり傷ついたりしました。たくさんの軍隊を遠いイラクまで送ったので、たくさんの石油を使いました。ブッシュ大統領の親類は、石油売りの商人だったので、たいへん儲かりました。

その前にも、ブッシュ大統領は「ビンラディンというテロリストのボスを捕まえる」といって、アフガニスタンという貧しい国にたくさんの爆弾を落としました。そして、町を壊し、人を殺しましたが、テロリストのボスはまだつかまっていません。イラクのことがあったので、アフガニスタンのことは、みんなもう忘れてしまったような顔をしています。アフガニスタンの人々は、きょうも寒空に震えています。

さて、爆弾でボコボコにされたイラクでは、政府も何もなくなってしまいました。ブッシュ大統領は「町も壊れたし、直すのにお金や人手がかかるから、みんな、お金と人手をよこせ」と世界の国にいいました。イラク攻撃にまっさきに賛成した日本は、ひっこみがつかなくて、お金も人手も出すことにしました。危ないので、武器を持っていくことにしました。憲法なんて、どこ吹く風です。

そうやって集めたお金は、巡り巡って、みんなアメリカへ集るようになっていました。「復興」に使われるお金は、アメリカの企業に入るのです。ブッシュ大統領の親類には、たくさんの大工や道路工事人やなにかがいましたから、大変もうかりました。

しかし、イラクもアフガニスタンも大迷惑です。それだけではなく、たくさんのお金や人手を出さなければならない世界の国も、大迷惑。アメリカはほんとうにひどいと心のなかでは思っていましたが、そんなことをいうと「おまえも大量破壊兵器を持っているだろう」と攻め入られるといけないので、こわくて物もいえません。

それを見ていた宇宙人がいました。宇宙人は、こう思いました。「ブッシュ大統領はひどい。世界中の人が、ブッシュ大統領の悪政に苦しんでいる。たくさんの罪もない人々も殺されている。いまも、殺しあいがやまない。こんなひどいことを見過ごすわけにはいかない。地球人だけでは解決できないので、わたしが出ていって助けてあげよう」 心やさしい宇宙人は、まず、ブッシュ大統領を殺すのがいちばんだと思いました。そして、ブッシュ大統領のいそうなところを狙い撃ちしましたが、爆弾を落としたので、アメリカのたくさんの市民が巻き添えになって死にました。「正義のためには、犠牲も仕方ない」と、宇宙人は毅然としていいました。

ブッシュ大統領は、反撃して、宇宙船を攻撃しました。しかし、勝ち目がなさそうなので、ひとまず逃げることにしました。ブッシュ大統領は、とても上手に逃げましたので、なかなかつかまりません。そのために、宇宙人の爆撃はなかなかやまず、アメリカ全土が焼け野原になってしまいました。

しかし、とうとう勝利の日がやってきたのです。ブッシュ大統領は、小学校の地下室に潜伏しているところを見つかりました。宇宙人は、記者会見を開いていいました。「これは、アメリカ、いや、地球にとって記念すべき日です。もう、ブッシュ大統領の攻撃に怯える必要はない。アメリカ国民は、いや、地球人民はすべて、自由と平和を手にしたのです」

悪いブッシュ大統領を裁くための法廷が開かれました。地球人だけではちゃんとできないといけないので、手伝ってあげることにしました。スター・ウォーズに出て来るみたいないろんな格好の宇宙人がたくさんやってきて、どうしたらいいかを決めました。いちばんの罪は、平和のためにやってきた宇宙人を暗殺しようとしたことだといって怒る宇宙人もいました。結局、宇宙人が面接をして、いいと思う地球人だけを、裁判官にすることにしました。宇宙人は正義の味方なので、宇宙人の選んだ裁判官は、公平でよい裁判官なのです。ああ、立派な宇宙人がいてくれてよかった。

親切な宇宙人は、混乱している地球人だけでは平和再建はできないだろうからと、手を貸してくれることになりました。宇宙軍が、地球に駐屯してくれるというのです。町には、レーザー銃や中性子銃を持った軍服の宇宙人が、うろうろするようになりました。宇宙戦車も見回りをして、治安を維持してくれます。悪いやつがいると、すぐに攻撃してくれるので、市民は安心して暮らせるようになりました。時々、間違えて普通の人を攻撃することもありました。死ぬ人もいましたが、それも平和のための犠牲です。

しかし、だれもがおとなしくいうことをきいたわけではありません。「宇宙人のいいようにされてたまるか。出ていけ! 宇宙人!」といって、宇宙人を襲うゲリラたちもたくさん出てきました。「地球人よ、誇りを持とう!」 そのスローガンのもとに、多くの地球人が志願をして、ゲリラに加わりました。宇宙人は「平和を乱す奴は容赦しないぞ!」と、ゲリラの巣に、原子爆弾をぶちこみました。

そんな苦難の歴史を乗り越えて、地球に平和が戻りました。また、恐ろしい戦争がおこらないようにと、親切な宇宙人は、いまでも地球を見張ってくれています。宇宙人、ありがとう。あなたがたのおかげで、地球に平和が戻りました!

というような話で、いいわけがないと、わたしは思います。

寮美千子  わたしには、わからない/テロと戦争の違いはどこに? 2003年12月17日(水)00時22分48秒

「フセインつかまる」の報道を見て、二十世紀の野蛮を見ている気がした。遠い遠い昔の、部族間闘争を見ているような気がした。
砂漠の国の大統領が、地下室に潜伏していて、みすぼらしい姿で捕えられた。ワシントンの大酋長が、潜伏していた大統領を裁判にかけるという。

わたしには、わからない。
どうして、フセイン大統領を「パパ・ブッシュ元大統領暗殺未遂」で裁判にかけることができるのか? 

わたしには、わからない。
ブッシュ大統領が、フセイン大統領を暗殺しようとして未遂に終わったことはなぜ罪に問われないのか? フセインを狙い撃ちするといって、民家に爆弾を落として一般市民を殺しまくったというのに。

わたしには、わからない。
「裁判官」とは誰なのか? 裁く権力は、どうやってだれが与えるのか。結局は、力の強い者が「正義」なのか。それはただの、野蛮ではないのか。

わたしには、わからない。
フセイン大統領は、一体いつから「元大統領」になったのか。イラクは国家として降伏声明も何も出していないのに、どうしてマスコミは、当然のことのようにフセイン大統領を「元大統領」と呼ぶのか。

わたしには、わからない。
そもそも国家とはなんなのか。

わたしには、わからない。
イラクを攻撃したのは、大量破壊兵器を保持している疑惑があったからだというけれど、当のアメリカこそが、疑惑どころか明らかに、世界でいちばんたくさんの大量破壊兵器を保持しているではないか。

わたしには、わからない。
大量破壊兵器を持っているイラクへの攻撃に大義があるなら、大量破壊兵器を持っているアメリカへのテロ攻撃にも大義はあるはずだ。それなのに、なぜテロだけがいけなくて、戦争はオッケーなのか。

わたしには、わからない。
テロと戦争の違いはどこに? 戦争をよしとするなら、テロもよしとするしかないし、テロがいけないというなら、戦争もすべきではないのではないか。

わたしには、わからない。
日本の国会で、首相ともあろう人が、矛盾だらけ詭弁だらけのでたらめの答弁をしてまかり通っているのが。

わたしには、わからない。
対戦車砲を持って外国にいくことが、どうして違憲ではないのか。

わたしには、わからない。
こんな政府を支持する人々が、なぜかくも多くいるのか。

わたしには、わからない。
「殺すなかれ」ただ、それだけのことを、どうして人類は共通の信条にできないのか。

わたしには、わからない。
それは、わたしが政治音痴な野蛮人だからだろうか。では、政治とは何か。昔ながらの、権力と利益の奪いあいのことでしかないのか。

わたしは、おもう。
そろそろ人類は、人々をしあわせにするための手段として「政治」をするべきではないのか。二十一世紀、人類はいまだ蛮族のままだ。そろそろみんなで「人間」になろう。

寮美千子  サービス精神の行方 2003年12月15日(月)23時32分25秒
3だけです へのコメント

MOKUMOKU氏、すなおに反省するところ、かわいいじゃん、と思いました。なるほど。「話を面白くしよう」というサービス精神の行き過ぎだったんですね。それとも、サービスの方向の勘違い? 行き過ぎは制御できるけれど、方向音痴を直すのはむずかしいからなあ。どっちだろう? いずれにしても、どうか、おてやわらかに。

それから、コンテンツに『19世紀フランス文学におけるオリエンタリズム』と『ドイツ古典哲学の本質』と知的好奇心を刺激する『MOKUMOKU先生のおもしろ血液学エッセイ』のあるMOKUMOKUさんの個人HP、期待しています。いままでのMOKUMOKUさんのニューヨーク・エッセイを集めただけでも価値あると思うんだけどな。他人の掲示板で流しちゃうのはもったいない。

勇崎氏が怒りのあまり、板が更新されたからといって、自分の投稿を再投稿なさいましたが、重複するので削除しました。勇崎氏が再投稿したものは、こちらです。まだ読んでない方は、クリックしてご覧ください。

http://ryomichico.net/bbs/cafe0028.html#cafe20031215215831

MOKUMOKU  3だけです 2003年12月15日(月)22時27分04秒
理解に苦しみます へのコメント

もちろん、3の そうではなくて『19世紀フランス文学におけるオリエンタリズム』の件だけが冗談です。寮さんを不快にさせて申し訳ありません。

講談社での話しを面白くするために、わたしには意中のテーマがあったということにしただけで、大仰なタイトルならなんでもよかったのです。「19世紀フランス文学」以外にも「ドイツ古典哲学の本質」とかいくつか考えました。

>「わたしの19世紀フランス文学をみくびっておられるようです」という投稿は、あまりに悪質な冗談。全然笑えません。こういうのは、ユーモアとは呼ばない。最低です。

猛反省しています。

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