寮美千子ホームページ ハルモニア Cafe Lunatique (No.0027)

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MOKUMOKU  四半世紀前の悪ふざけ 2003年12月04日(木)07時48分23秒
四半世紀前の下北沢モデルガン事件と死体遊技 へのコメント

寮さんも悪ふざけがお好きのようですね。その「死体ゲーム」についてはどこかできいたことありますよ。わたしも、若いころからイタズラ、悪ふざけがメシの次くらいに好きだったし、今でも大好きですよ。

今となっては四半世紀よりもっと前だけど、わたしは渡米してからもよく悪ふざけをやって遊んでた。たとえば、学会に真っ赤な地の前後に大きなひまわりのプリントのあるズボンを穿いて出席する。じぶんの発表の順番がやってくると、立ち上がって、わざとのそのそ赤ズボンを脱いで、臨席の友人に渡す。赤ズボンの下にはふつうのズボンを穿いている。手にはいくつも指輪をはめ、手には路上で買った派手なガラス球の飾りをつけていたりする。そんなことして、日本から来た学者さんの反応をみたりして楽しんでいた。たいていの学者さんは、対応に窮してしまうのでした。ある日、お昼の時間にカフェテリアで隣に座った東大から来られた先生が、ヘンな奴の隣に座っちゃったが、食事中一言も口をきかないのもなんだと思われたのか、「装飾品にはかなりお金をお使いになるのですか」と苦心して言われたので、わたしは「しめた!」とすっかり嬉しくなりましたよ。


DORONKO  お詫びです。 2003年12月02日(火)14時57分23秒
ナチュラル・ディスタンスの狂い/二者択一ではない思想へ へのコメント

 このように括弧付きで、あたかも引用のように書かれると、まるでわたしが
 そう書いたかのような誤解を生む可能性がありますが、わたしはそのような
 書き方はしていません。                   by寮さん

これはおっしゃる通りです。引用符の使い方があまり適切ではなく、軽率だったと
言われても仕方がありません。寮さんの意図や書き方について、どうか誤解しないで
いただければと思います!

遅ればせながら、ぼくは、「ユリイカ」の論で、寮さんがとても大事な問題提起を
していると思っています。それは、「ユリイカ」の特集を読んでもらえばわかること
だから、別にぼくがここで言わなくてもいいだろうと思っていたのです。そして、
「晩年、彼(=星野道夫)が神話的世界へと軸足を急速に移動した」(丸カッコの
部分を除いて、これは寮さんの書き込みそのままの引用です)という寮さんの指摘も、
ほぼ(というのは、ぼくはこの点に一番関係がありそうな『森と氷河と鯨』を読んで
いませんので)当たっているんじゃないかなと思っています。
……じゃあ、何がいけないんだ?と言われると困ってしまうのですが、晩年の星野道夫が
ワタリガラスの伝説に強く魅かれ、それに没頭するようになっていったのはまぎれも
ない事実だとしても、ぼくは、それは彼がかなり意識的・自覚的に取り組んでいた
ことであって、いったんその世界に入ってしまったら、もう戻ってこれない――という
ようなことではなかったんじゃないか、あの事故で命を失うようなことがなければ、
やがて彼自身でその「旅」を振り返って、あの魅力あるやわらかな言葉で、ぼくたちに
また新たな物語を聞かせてくれたに違いない、と思っているわけです。

この点も、寮さんと、ほとんど違いはないみたいだけど――。
でも、寮さんの方が彼の死を惜しむ気持が強くて、ぼくには「生きている
星野道夫」のイメージの方が強いということかな?と。
やっぱりぼくは、相当にノーテンキなんだろうか、と思ってしまいますね――。

とにかくみんな、「ユリイカ」12月号を買って読みましょう!
これはぜひ、手元に置いて読み返す価値のある一冊です!

寮美千子  ナチュラル・ディスタンスの狂い/二者択一ではない思想へ 2003年12月02日(火)00時15分45秒
批判の自由は当然あってしかるべきだと思います。 へのコメント

▼ナチュラル・ディスタンスの狂い

熊は人と自然な距離感を保っていると、アイヌの猟師である姉崎さんから話を聞いたことがあります。どちらかといえば、熊は人間に遠慮しながら暮らしていると。その距離感が狂うことの要因は、もっぱら人間側の事情にあるとのことでした。熊とて、できれば人間のいる場所には出てきたくない。それがわざわざやってくるのは、林業のために広葉樹林を伐採されてしまい、食料の少ない針葉樹の森になってしまったり、開発によって彼らの生活区域である森を奪われたりすることで、熊が食糧不足に陥っているからだと姉崎さんは語りました。また、心ないハイカーや登山者が残飯などを捨てたりすることで、熊がその味を覚え、容易に食料を得られるからと、人を襲うということもあるそうです。

しかし、他人という訳の分からない人々と組んで熊の撮影の仕事をするのなら、そのようなナチュラル・ディスタンスの狂いがあるかもしれないことを、視野に入れる必要もあるはずです。そして、たとえナチュラル・ディスタンスの狂いがないと確信できる場所であったとしても、二千分の一の確率でも熊に襲われる可能性があったなら、銃とはいわないまでも、護身用の斧や鉈を用意することは大切な心構えではないでしょうか。

熊と素手で向き合いたい。そうすることによって対等な関係を結びたい。命をやりとりするぎりぎりの関係性を持ちたい。という考え方は、わかります。そこに銃が入ってくれば、互いの力の均衡が破れる。それもわかる。だから、銃を持たない。それもわかる。けれど、それはイコール素手なのか。熊との対等な関係を維持したまま、もっと現実的に対処する方法はないのか。それが、斧や鉈という第三の選択だったのではないか。「銃を持つか持たないか」「熊を信用するかしないか」という二者択一ではない方法があったのではないか。

星野道夫の事故について、それ以前に同じ地を訪れたテレビ局の心ないクルーが、よい映像をとるために熊に餌付けをしたという話を聞いたことがあります。それはそれで、ほんとうにひどい話です。どんなに責めても責め足りないくらいの話です。しかし、わたしはユリイカではあえてそのことに触れませんでした。不確かな情報を元に見知らぬ他人を責めることはできない。そして、そんなひどい人間がいたとしても、いなかったとしても、星野道夫本人が万が一を想定して護身用の斧や鉈を用意していれば、あの事故は防げたかもしれない。その可能性がほんのわずかでもある限り、やはりそのことが何よりも残念でならなかったからです。

星野道夫がいま生きていて、わたしたちにどれだけのものを手渡してくれたかを思えば、その死を悼まないではいられない。彼を直接知っている人も知らない人も、いまもなお、どれだけ大きな傷を抱えているかを思えば、やっぱりなにがなんでも生きていてほしかった。荒ぶる熊からも、心ない馬鹿な人間からも、自分で自分の命を守ってほしかった。そう思わずにはいられません。

▼二者択一を超えて

星野道夫の死の衝撃が深いだけに、その話題に触れると、あたかもわたしがそのことだけに焦点を当てているように思われてしまいますが、決してそうではありません。それ以外の多くの話題にも触れ、またクィーンシャーロット島のトーテムポールを崩れるに任せていいのか、という疑問をきかっけに「目に見えるもの」「目に見えないもの」のどちらかを選ぶという二者択一の思想ではなく、それを融合し止揚することが必要だったのではないか、と提言しているのです。

さて、ドロンコ氏はわたしのユリイカの文章を精読していない、ということを前提として、このような発言をしています。
その上で、敢えて言いますが、彼を死に至らしめたカムチャッカでの事故についての寮さんの考えと、そのネタになっている門崎さんのご指摘には、ぼくも、ほぼ同感です。ただ、この一事だけで(ただしそれは、まさしく「致命的な」一事でしたが)「星野道夫の思考や行動には科学的な態度が決定的に欠けていた」かのように断定するとすれば、それはちょっと性急すぎるのではないか?と、ぼくは思ったわけです。by ドロンコ氏
ここでお断りしておきますが、「星野道夫の思考や行動には科学的な態度が決定的に欠けていた」という表現はユリイカのわたしの文章のどこにもありません。このように括弧付きで、あたかも引用のように書かれると、まるでわたしがそう書いたかのような誤解を生む可能性がありますが、わたしはそのような書き方はしていません。

また、ユリイカを読まず、ドロンコ氏の文章だけを読んだ掲示板読者諸氏は、わたしが星野道夫の事故死を取りあげて、その一事により星野道夫の非科学性をあげつらっているかのように思われるかもしれませんが、ユリイカ本文を読んでいただければ、まったくそのようなことではないということをおわかりいただけると思います。ドロンコ氏のように、精読しないで反論する人に、このような丁寧な反論をする必要はないのですが、誤解を招く投稿をそのままに見過ごせば、わたしの人格が誤解されかねないので、あえて説明することにします。

確かに、以下のような文章があります。
「心=神話的視点」の車輪に重きを置き、「現実=科学的視点」をおろそかにしてしまったのではないか。
しかし、文脈のなかで理解してもらえばわかるように「科学的態度が決定的に欠けていた」という一方的な意味ではありません。なんども語ったように「目に見えるもの」「目に見えないもの」のどちらかを選ぶという二者択一の思想ではなく、それを融合し止揚することについて語ろうとするための言葉でした。その微妙な部分を表現したいがために、五〇枚という紙数を費やす必要があったわけです。

繰り返しますが、ユリイカを読んでいたければわかるように、わたしは星野道夫の死ということだけを問題にし、それによって彼の行動のすべてを判断しているわけではありません。そして、その死については、鉈を持っていなかったということで星野道夫その人を責めているのではなく、むしろ、その事実から目を覆い、彼の物語を「美しい神話」のなかにだけ回収しようとする人々に対して「それでいいのでしょうか」と異議を唱えているのです。それでは、ほんとうに「供養」にならないのではないか。いま、わたしたちが星野道夫から現在形で語りかけてもらえなくなったその原因を直視すべきではないか。そこから学び、未来に生かすべきではないか。そうしなければ、あの死は無駄になる。そういいたいのです。

敬愛する人間のすべてを肯定したいという気持ちは、きっとだれにでもあるものでしょう。けれど、一歩間違うと、それが正しい方向を見失う原因になってしまうこともある。そこに、実像ではなく虚像ができあがってしまう。それでは、本当にその人を愛したことにならない。すばらしいところは、すばらしいといい、間違いは間違いと認めること。そうすることが、その人を生身の人間として、ほんとうに愛することになるのではないか。そして、そのように愛したからといって、その人間の深い神話的側面が少しも損なわれるわけではないのです。

星野道夫の死について、そして晩年、彼が神話的世界へと軸足を急速に移動したことについて言及したため、わたしがあたかも、完全なる星野道夫像をぶち壊そうとしているように感じる読者もいるかもしれません。そのために、むっとする人も多いと思います。自分が大切に思う人のことを、少しでも悪くいう人がいたら、その文脈にかかわらず(ほんとは悪くいっているわけじゃないのに)不愉快に感じてしまうのは人情です。そして、不愉快さ故に、本来の文脈を読みとることさえ心が拒絶してしまうこともあるでしょう。その心情は、とてもよく理解できます。わたし自身にも、往々にしてそのような面があると感じています。そして、一旦マイナスの感情を抱いてしまうと、相手の真意を理解することはむずかしい。

それを避けるために、細心の注意を払おうとしましたが、ユリイカのわたしの文章では、まだその配慮が足りなかったように感じています。これは、単にわたしの性急さと文章力のなさのせいでしょう。情けなくも繰り返しますが、わたしは星野道夫を貶めようとしているわけでは毛頭ありません。ユリイカのなかでも書いたように、彼の神話的側面を傷つけるつもりはないのです。そして、わたしが何をいっても、彼の神話的側面は傷つけられるような軟弱なものではないのです。わたしの文章は、星野道夫が遺してくれたものを、よりよく継承していくためにはどうしたらいいか、それについて自分なりに一生懸命考えた結果の言葉です。一見否定的に見える言葉の表面にとらわれず、真意をくみ取っていただければと思います。

次の機会には、彼が遺してくれた神話的側面、そのすばらしさについても、もっと語りたいと思います。ちなみに、わたしがもっとも好きな彼のエッセイは『アラスカ風のような物語』に収められたエッセイ「あるムースの死」です。(星野道夫著作集2 二四〇〜二四二頁)

▼ドロンコ氏へ

自分の印象や気分を述べるのは自由ですが、わたしの文章への誤解を招くような書き方はやめてください。気分や印象を書きたいなら、わたしの文章を引き合いに出さずに、ご自分の意見としてお書きください。
批判というものが批判の名に値するものであるためには、十分に慎重で周到でもなければならないだろうとは思いますが――。by ドロンコ氏
ありがたいこのお言葉、熨斗つけて返してさしあげます。

▼ユリイカ12月号はこちらで入手可

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791701135/harmonia-22

おむすびの祈り  リン・スクーラーの「ブルーベア」を是非読んでください。 2003年12月01日(月)20時31分27秒
死者の遺してくれたものをより大きく育てるために必要なこと へのコメント

ユリイカ拝読させて頂きました。
寮さんは星野道夫の死について学ばなければいけないと思われているのでしたら
リン・スクーラーの「ブルーベア」のカムチャッカでの事故の部分を是非読んでください。
寮さんの意見を全て否定するつもりは有りませんが(今この本は自分の手元にないので記憶違いが有るかもしれませんが)
あの事故はドキュメント番組を制作するスタッフの心無い行為が引き金になっているようです。(番組で良いシーンを撮ろうと野生の熊に餌は絶対与えてはならないのに与えてしまった事)
以前CWニコルさんの著書でもドキュメント番組の制作時の危うさについて怒りの言葉を読んだ記憶があります。

寮さんが言いたかった事はこれが全てだとは思っていませんが
この部分とても気になったので投稿します。

おむすびの祈り


DORONKO  批判の自由は当然あってしかるべきだと思います。 2003年12月01日(月)01時45分29秒
死者の遺してくれたものをより大きく育てるために必要なこと へのコメント

最初におコトワリしたように、ぼくは誰の文章も精読はしていませんし、
すぐにじっくり読むということもできかねる状況なので、「言った」
「言わない」というようなやり取りはできませんし、したくもありません。
だから、寮さんには「単なる『印象論』のように」感じられた――という
のはもっともなことです。

ただし、ぼくは、星野道夫に対する「指摘や批判は、タブーである」などとは
まったく思っていません。それは、誤解してほしくはありません。もちろん、
およそ批判というものが批判の名に値するものであるためには、十分に慎重で
周到でもなければならないだろうとは思いますが――。

その上で、敢えて言いますが、彼を死に至らしめたカムチャッカでの事故に
ついての寮さんの考えと、そのネタになっている門崎さんのご指摘には、
ぼくも、ほぼ同感です。ただ、この一事だけで(ただしそれは、まさしく
「致命的な」一事でしたが)「星野道夫の思考や行動には科学的な態度が
決定的に欠けていた」かのように断定するとすれば、それはちょっと性急
すぎるのではないか?と、ぼくは思ったわけです。根拠を示せと言われると
困ってしまうのですが――。

ともかく、他の論者の文章や対話も読んでみたいし、今はこれ以上のことは
言える状況ではありません。どうかご理解のほどを。


寮美千子  死者の遺してくれたものをより大きく育てるために必要なこと 2003年11月30日(日)21時04分03秒

星野道夫は、たしかに「ロマンに生きた」と形容してよい人だとは思うけれど、だからといって、彼が「科学」というヒトの営みを軽視したりしたことは、最後までなかったに違いないとぼくは思っています。by Cafe Lumiere ドロンコ氏投稿より
わたしがユリイカ12月号に寄稿した「神話になった少年」に対して、このような反応が戻ってきました。ドロンコ氏は「彼が「科学」というヒトの営みを軽視したりしたことは、最後までなかった」ことについての具体的な論拠を述べていません。ですから、一体何を指してそういっているのか、わたしにはわかりません。そのため、単なる「印象論」のように感じられてしまいました。

いずれにしても、ユリイカに書いた文章に対して、どこからかこのような反応がくるだろうことは、予測していました。一般に日本では、死者に対して、その人がしてきたことを批判したり、間違いや欠けていた部分を指摘したりすることに、強い拒否反応があります。近年亡くなった人であればなおさらその拒否反応は強く、さらにその人が「善人」であるとみんなが思っている人に対する指摘や批判は、タブーであるとさえいっていいかもしれません。

しかしながら、完全なる人間はいないわけで、であれば、死者が完全なる人間であったはずもありません。どこかに失敗があったり、欠点があったり、誤謬があったりすることもある。時に、その誤謬が、その人を死に導く要因だった可能性もあります。

そんな時、死者を美化するあまり、また死者の尊厳を傷つけたくないあまり、その誤謬から目を背け、なかったことにして、その人の優れた部分のみ語ろうとすることは、世間にはよくあることです。そして、それが死者を悼む心ある方法であると思われている節もあります。

けれども、ほんとうにそうだろうかと、わたしは思うのです。その人の間違いや欠けていたこと、誤謬を指摘するのは、死者の尊厳を傷つけることにならない。むしろ、その人が遺してくれた善きものを、さらによい形で継承し、大切に育てていくためには、その人の間違いや誤謬などをきちんと検証し、それを正し、補完していくことが必要不可欠だと思うのです。それでこそ、死者が遺してくれたものを、わたしたちは確かな形で守り、受け継いでいくことができると思うのです。それこそが、死者への最大の手向けであると、わたしは思っています。

間違いや誤謬を指摘したからといって、その人間を否定したことにもならないし、その人の仕事を否定したことにもならない。その人がわたしたちに与えてくれた神話的イメージを否定することにもならない。ユリイカにもそこのところはきちんと書きましたが「熊に食べられて大地に還っていった」という神話的イメージは、なんら損なわれることはない。わたし自身も、星野道夫の死を、そのように受けとめたい。

しかし、その一方で、現実的な視点も忘れてはいけない。熊の研究をし、熊との共存を目指す学者が、熊による死亡事故について子細な検討を加えています。熊が人を殺せば、殺した熊はまた人を襲います。ですから、虱潰しに探されて「駆除」されます。つまり、人間に殺されるわけです。「熊と人、どちらが死ぬか」というぎりぎりの選択ではなく、熊も人も命を落とすことになる。実に悲しい出来事です。そんなことが起こらないようにするためにはどうしたらいいのか。その予防のための心構え、知識が必要になってくる。

星野道夫の事故は、その意味において「防げるはずの事故だったのではないか」と、『ヒグマ』のなかで門崎允昭氏は語っています。門崎氏は、本の論旨と同じことを「北海ぽすと」1996年10月号のインタビューで語っているので、その部分を再録します。
門崎●それはそうですが、羆との共生には人身の保安が前提です。それが実現しない熊との共生は説得性を欠く空論になります。ところで、8月(1996年)にカムチャツカで動物カメラマンの星野道夫さんが無防備のまま、ヒグマに食い殺されたという事件がありましたが、これは起こるべくして起こった事故だと私は考えています。現場のクリル湖には私も1993年に熊の調査で行ったことがありますが、あそこはカムチャッカの南部で最も熊の多い所で、とても無防備で入る地域ではありません。
福田●星野さんは、無防備でも動物と分かり合えるという信念を持っていたようですが、私も大いに共鳴するものがあります。
門崎●そういう考え方は己本意の解釈で、熊には全く通用しませんよ。熊の棲場に入る時には、やはり相応の防備(自衛)は絶対に必要です。
福田●防備はしても、防具は持たないくらいの気持ちでいるほうが、本当の意味で野生動物と接することができるような気がするのですが…。
門崎●それはあまい考え方だと思います。人を襲うクマの存在率は二千分の一以下ですが、そういう熊に出合うかどうかは確率論の問題です。ただ野生はそんなに甘くない。星野さんも〃餌が豊富な熊は人を襲わない〃という熊観を信奉していたあまり、不幸な結果を招いてしまったと思いますよ。もし〃鉈(なた)〃で もあれば助かった可能性が高いし、その熊も殺さずに済んだと思います。人間は自分のエゴイズムで野生に多大の迷惑をかけているという現実を絶対に忘れてはいけません。
ほんとうに熊とのよき関係を結ぶためには、門崎氏のような科学的姿勢が必要だとわたしは思います。星野道夫を襲った熊は、その後「駆除」されました。事故を回避できれば、襲った熊も殺されずにすんだかもしれません。

星野道夫は「銃を持たずに山にはいること」について、何度も書いています。読めば、その気持ちもとてもよく理解できる。共感もできる。しかし、いざというとき「銃」でなくても熊を反撃できる可能性について、星野道夫は書いていない。「銃を持つか否か」の二者択一になってしまっている。そこが問題であったとわたしは感じています。

このようなことを認めるのは、つらいことです。けれど、このつらさを引き受けて、間違いを正さない限り、起きなくても済んだはずの熊との事故はまた起きる。事故を教訓として、熊とよりよき関係をつくっていくことこそ、死者へのはなむけであると、わたしは思います。

そして、このような「客観的事実(=科学的側面)」があったとしても「主観的事実」(=神話的側面)は損なわれない。星野道夫が、熊に食べられるという形でその命を失い、もう一つの世界へと旅立っていったことは、神話的解釈を呼び起こさずにはいられないことです。

ユリイカでも書きましたが、このふたつを共存させる心の強靱さを、わたしたちは持たなければならないと思います。それは、とてもむずかしいことだけれど、そのふたつとふたつとも「事実」として受け入れることが、世界をより豊かなものにしていくのだと確信します。科学的な観察に基づく現実だけでは、心が貧しくなる。だからといって、神話的現実だけを見ようとすると事実を無視することになり、平衡を失うことになる。時に、危険な領域に足を踏み込むことにもなりかねません。
「科学」の鬼子のようなテクノロジー(近代の物質優位の思考とその産物)があまりにもに蔓延し、「自然」も変容され、「人間」自体までが破綻しそうになっているという「勢力地図」のようなものを考えてみれば、彼に深い危機の意識や焦燥があったことは容易に想像できるし、それが、一見、「反科学」とも見えるような言説となったということは十分にありうるだろうと思うけれど。by Cafe Lumiere ドロンコ氏投稿より 
確かに、そういった側面もあるかもしれません。「目に見えるもの」に重きを置きすぎているこの社会に平衡を取り戻そうとするあまり、軸足が性急に「目に見えないもの」に寄りすぎ、それを語る言葉が「半科学」に見えるようになったということもあるかとも思います。

しかし、ユリイカにも書いたように「目に見えるもの」「目に見えないもの」を二項対立として捉えている限り、問題は解決に向かわないとわたしは感じています。晩年の星野道夫には、そのような二項対立的思考があったように思えてなりません。生きながらえていけば、彼はそこを抜けて「目に見えるもの」「目に見えないもの」をひとつにまとめあげていったかもしれない。「目に見えないもの」を深く感じるとば口に立った星野道夫が、その後どこへ向かって歩んでいったのか、その姿を見られなかったことは、悔やんでも悔みきれない残念なことです。

そして、そのように残念なことになった一因に、熊に関する科学的態度の欠如があったかもしれないと思うのです。また、ユリイカには書きませんでしたが、アラスカに挑む彼の態度のなかに「それはあまりに危険だ」「こんなことしていたら、いつか死んじゃうよ」と思うことが多々ありました。それも、ぎりぎりのところで選択されたものではなく、事前に回避できる危険をわざと選択しているように感じられることがありました。それをひとつひとつあげつらうようなことはしたくなかったので、あえてユリイカ誌上では触れませんでしたが、そのように危険を自ら選ぼうとする星野道夫という人の生き方に「客観的事実」よりも「自分のなかの物語」を何よりも優先する匂いがつきまとうことも事実です。「自分のなかの物語」を生かしながらも「客観的事実」をきちんと受けとめる道も、ほんとうはあったはずです。自分のなかの物語を成就させるためには、まず自分が生きていることが先決であることを思えば、客観的事実をきちんと受けとめ、危険を避けることがどうしても必要です。しかし、それをしようとしない性急さを、わたしは彼の行動に感じてしまう。そこにも、物事を二項対立として捉えようとする星野道夫を感じてしまうのでした。

彼がわたしたちに手渡してくれた「目に見えないものを大切にする心」を大事にしていくためにも、それを現実に反映していく智慧が必要だと思います。星野道夫を美しい神話のなかにだけ回収してしまってはいけない。星野道夫とその仕事を愛するがゆえに、そうしなければと強く思うのです。

しかし、その気持ちは簡単には通じなかったようです。きっと、わたしの書き方にも問題があったのかもしれません。星野道夫とその仕事を愛する人々から反感を買わず、きちんと通じるように語るにはどうしたらいいか。今後の課題にしたいと思います。

寮美千子  四半世紀前の下北沢モデルガン事件と死体遊技 2003年11月30日(日)20時45分09秒
ちょいと所要で日本という国に行ってまいりました へのコメント

もう4半世紀ほどまえのことになりますが、下北沢の友人が、酔っぱらって、交番の前で買ったばかりのモデルガンの拳銃を抜き、西部警察よろしく両手で構えて警官に向けたことがありました。若い新米警官がとっさに銃を抜きましたが、「ダーン」とぶっ放す前に、ベテラン警官がモデルガンと見抜いて彼をふんづかまえてくれたので、事なきを得ました。

その後、彼は北沢警察に連れて行かれ「悪ふざけはいけない」とこっとりと油を絞られたものの、罪には問われなくてすんだとのこと。モデルガンは勿論押収されましたが「書類も何にもなかったから、きっと警官の家の子の玩具になったにちがいない」などと、本人は悔しがっていました。

MOKUMOKUさんくらい品位があれば、ブラックジョークですんで、つかまったりしなかったかなあ。

もし、いま、座間の米軍キャンプの入り口で同じことをしたら、即座に撃ち殺されるでしょう。交番でもそうかも。昔は、平和だったなあ、下北沢も、日本も。

因みにそのころわたしは、町の中で突然死体になったつもりで路上に転がり、同行している友人が「現場検証」みたいにチョークでその輪郭を描く、という遊びに凝っていました。そうやって、いくつ死体を出現させたか、死体に順番に番号をふったりしていました。現代美術のパファーマンスまがいの「死体ゲーム」だったけれど、わたしたちは純粋に遊びでやっていた。渋谷の歩行者天国でやったり、世田谷の住宅地のまっただ中でやったり、いろいろだったけれど、件の下北沢の交番のすぐ脇でもやりました。しかられなかったのは、風貌が上品だからではなく、単に警官に見つからなかったからでした。

勇崎  言葉に託されたほんとうの想い 2003年11月27日(木)01時56分26秒
「宇宙船地球号」のオリジンは? へのコメント

松永洋介くん 丁寧に調べてくれてありがとう。
僕がオリジンだと思っていたのはバックミンスター・フラーの『宇宙船地球号操縦マニュアル』だった。当時この発想を知ったとき、目の前がパッと天空の彼方までひらけて、僕だってがんばれると勇気づけられ、ものすごくうれしかったことを思い出します。
調べていただけて、『宇宙船地球号』という言葉に託されたオリジナルな想いへの僕の記憶はそんなにズレてはいなかったこともわかり、安心しました。

松永くんがリンクを張っておいてくれたアマゾンで『宇宙船地球号操縦マニュアル』をクリックしたら、目次のなかに、とても懐かしい“シナジー”という言葉が出ていました。“シナジー”とは“シンセサイズド・エナジー”のことで、直訳すれば“同調された(シンセサイズド)エネルギー”のことです。「小さなエネルギーが同調し合ったとき、もうひとつの(オールターナティヴ)新しく大きなエネルギーになる」というようなことを意味しています。これは新しいネットワーキング型の市民運動の根拠となる概念でした。
1982年に起案し、翌年、僕がはじめた“HELP!NETWORK”という活動は、この“シナジー”理論からの着想でした。僕たちの小さなつぶやきを384種類もの小さなバッチに託して、発信したのでした。

ただ、言葉(概念)も30年も経ると『宇宙船地球号』と同様に陳腐化され、“シナジー”はどこかのメーカーの商品名に使われてしまっているようです。
僕は以前、10数年前に書いた『60年代の遺言』という論考を、必要があってどこかのBBSに投稿した記憶があります。
そこでは、60年代に生まれた“オールターナティヴ”“ネットワーキング”などの想いと概念が80年代に商業主義などによって陳腐化されていった経緯を語りました。その後、90年代を過ぎて、“シナジー”までレイプされましったね。

概念としての言葉が多くの人たちにとって近いところに顕れると、言葉に託されたほんとうの想いは、反比例して遠ざかっていく。
こういうことを嘆くのは、僕も歳をとったことを物語る証しかも知れませんね。

松永洋介  「宇宙船地球号」のオリジンは? 2003年11月25日(火)02時41分29秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/~ysk/
オリジンに帰ろう へのコメント

「宇宙船地球号」の提唱者としていちばん有名なのは、バックミンスター・フラーだと思います。
新訳版『宇宙船地球号操縦マニュアル』(バックミンスター・フラー/著、芹沢高志/訳、ちくま学芸文庫、2000年)の訳者あとがきによると、
アメリカの国連大使、アドライ・スティーブンソンが、一九六五年七月のジュネーブ、国連経済社会理事会で、われわれはみんな、小さな宇宙船に乗った乗客だと講演し、これが広く共感を呼んだと言われるが、本書の著者、バックミンスター・フラーは、すでに一九五一年から、宇宙船地球号という表現を使っていたという。
ということです。(元本『Operating Manual for Spaceship Earth』は1969年刊行)

ウェブで検索をかけると、
「宇宙船地球号」(Spaceship Earth)という考え方を最初に提出したのは、アメリカの経済学者ケネス・E・ボールディング博士である。1966年「未来のための資源協会」での講演で、博士はたとえ話で経済の2つの型を説明した。1つは「カウボーイ経済」で、アメリカ西部開拓時代のように資源の枯渇など全く心配する必要のなかった経済。もう1つは「宇宙飛行士経済」だ。
宇宙船の中の物はすべて有限で、水も空気も食料も、特別な工夫をしない限り、いつかなくなる。人間が出す炭酸ガスや排泄物は宇宙船内部を汚染する。これからは廃棄物を生産過程に還元するようなシステムを開発し、生態系を破壊しないことが大切になってくる宇宙飛行士経済の時代だ、というのである。
「宇宙船地球号」って何?/宇宙船地球号の会
とか、
『宇宙船地球号』というネーミングは、1968年、雑誌『サイエンス』にギャレット・ハーディンが発表した論文「共有地の悲劇」(邦訳『地球に生きる倫理―宇宙船ビーグル号の旅から』佑学社)が先行し、ケネス・ボールディングや『宇宙船「地球号」操縦マニュアル』(1969年刊)を著わしたバックミンスター・フラーなどが使ったところから来ているものと思われる。
沙漠は農業の最適地/アジア国際通信 No.226-2 (2001/06/26)
という記述もあり、最初に言い出した人が誰かというのは定かでありません。

ともかく「際限ない発展を前提した考え(とそれを具現化した社会システム)のままでは、早晩まずいことになる」という認識を示した言葉なのは確かだと思います。
1960年代後半には複数の人が公の場所で使っていたということになります(ぼくはもっと新しい言葉かと思っていました)。1961年のガガーリンの飛行以来、宇宙船というものが知られ、人工衛星からの写真もよく目にするようになったりして、“地球”という視点が一般化した時期だったのかな、と思います。ちなみに『パワーズ・オブ・テン』が最初に制作されたのは1968年です。

一方、元の投稿にある“人類がその気になれば、地球生態系から切り離されたところで永続的に機能する生命維持環境が構築可能である”という漠然とした幻想は、ひろく行き渡っていると思います。このことについても考えたいところです。
ぼくは、人間のスケール認識の偏りを具現化する(距離や時間を縮める)テクノロジーの発展と、正しい認識を補う学問(地球生態学とか)の発展とが不均衡になっているところに問題が生じているのではないか、などと思っているのですが。

勇崎  コニカミノルタと岡本太郎美術館に期待 2003年11月19日(水)23時19分10秒
川崎の青少年科学館でメガスターII投影中です へのコメント

プラネタリウムメーカーでもあるカメラ社のミノルタがコニカと合併しましたが、コニカは写真界の中でも文化への認識の深い優れた企業すので、プラネタリウム状況にとっては「吉」とでるのではないか、と感じています。
ところで、岡本太郎美術館の土方巽展は、必ず観ようと思っています。美術館が身体表現の世界を扱うという発想と、それをどのように美術館しているのか、かつてのゴジラ展よりも、ものすごく興味が湧いてきます。
立案された学芸員は太郎美術館の楠本さんのようです。彼女はとても若いのですが、このような発想をもっておられるとは。老人力邁進の僕としては、なんだか、うれしくなってきます。

MOKUMOKU  ちょいと所要で日本という国に行ってまいりました 2003年11月17日(月)16時27分29秒

秋庭太郎『考證 永井荷風』には、昭和十一年九月頃の或る晩のこととして荷風が年少の友人小田呉郎を連れて隅田公園を散歩した際、風呂敷の結び目から古着の女物の派手な襦袢のはしを、わざと眼につくようにチラチラさせながら、巡査の立っている交番の前を何べんも往ったり来たりしたという事が出てくる。前もって荷風は小田に、「もし自分が不審訊問を受け、勾留されて三日たっても帰れなかったら、これを持って迎えにきてくれ」と、戸籍謄本か何かの入った封筒を渡してあったという。しかし、いくら交番の前を派手な女の襦袢の風呂敷を手に下げて、ぶらぶらしても巡査は何の興味も示さず、不審訊問どころか、声一つかけてくれなかった由。(安岡章太郎「私の墨東奇譚」)

一週間前、ニューヨークに帰る前の日浅草に行き、墨田公園をぶらぶらして言問橋のたもとにある言問交番の前を行ったり来たりして交番の写真を何枚か撮った。荷風が昭和初期にやったことと同じことをやってみたのである。交番の中にいた年配の巡査は、怪しむ様子もなく、わたしを見てにっこりした。荷風もわたしも風貌が上品すぎたのである。

松永洋介  川崎の青少年科学館でメガスターII投影中です 2003年11月14日(金)23時37分09秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/~ysk/
プラネタリウム/メガスターII 三昧 へのコメント

於:川崎市青少年科学館プラネタリウム
(小田急線「向ヶ丘遊園」駅より徒歩15分/JR南武線・小田急線「登戸」駅からも)
ここはメガスターIIの製作者である大平さんが子供のころから通って星に親しんだ、歴史あるプラネタリウムです。11月の土日祝日に公開されています。
⇒公開日情報および番組情報
残る投影日は15日(土)、16日(日)、22日(土)、23日(日)、24日(月・祝)
それぞれ朝9:30からその日の分の観覧券の販売と整理券の配布があります。

双眼鏡の貸出しもあるそうですが、持ってる人は自分の使い慣れたのを持っていくとよいでしょう。
⇒メガスターニュース/メガスターII公開で双眼鏡を貸出


遅い時間の整理券をゲットしたときも、待ち時間をどうやって過ごすかという心配は無用です。
科学館の展示もあるし、同じ生田緑地には岡本太郎美術館も日本民家園もあります。ただ散策してても気持ちいいし、枡形山に登ってもいいし。(ちょっと寒いかな?)
いま岡本太郎美術館でやってる企画展は肉体のシュルレアリスム 舞踏家 土方巽「抄」展。あ、元藤あき子さんが亡くなったので、実施予定だったワークショップが追悼会になってる……。

イオ  全く同感ですが・・・ 2003年11月10日(月)23時12分40秒 http://ww2.ctt.ne.jp/~barrios/
▼Review Lunatique:傷つけるな・殺すな/長崎の少年による幼児殺害事件と自衛隊のイラク派遣 へのコメント

初めてお便りします。
自己紹介の方はホームページに記載してありますので省略させて頂きます。
傷つけるな・・・の意見には私も全く同感です。
アフガンや今回のイラクに関しても何の証拠も示さないまま武力行使
(人殺し)をしたアメリカに加担するなんて同じ日本人としてやりきれない気持ちでいっぱい
です。そういう政治家を選んだ日本国民にも勿論責任がある訳で一人でも多くの人に理解して頂きたいとは思いますがただ非常に残念なことに大多数の人達は、
自分の身近なことにだけしか関心がなく他人事としか受け取っていません。私は大いに関係が
あると思いますが・・・この大きな原因は戦後の家庭内や学校教育にあると思います。
現在の日本人の多くに欠如しているのは相手の立場になって物事を考えると言うことだと
思います。それに北朝鮮、イラク(過去に行われていた)など独裁国家に対する経済制裁ですが
絶対に行うべきではありません。何故なら独裁者そのものには何の影響もなくいつも何の関係もない最貧層の人々を苦しめるだけだからです。北朝鮮、イラクの立場になってものを言えば
アメリカという脅威に対しての防衛を考えてのことだと思います。何しろ戦争大好き国家ですから。

勇崎  オリジンに帰ろう 2003年11月09日(日)00時06分04秒
太陽からの風/わたしはガイア へのコメント

宇宙船地球号という言葉は30年くらい前に創られた概念だったと記憶します。
「それまで無尽蔵にあると思われていた地球の資源は有限であること(いまではあたりまえの認識ですが)。環境の汚染は一国とか一地域とかの問題ではなく、地球上の生命は運命共同体であるという認識に立つこと(これもいまではあたりまえ)。つまりは地球というのは“宇宙船”のようなものであり、その乗組員の一員であるという自覚をもって生きよう」。
そのようなことから、Bさんはもちろんのこと、Aさんの感慨ともちょっと違うのが、最初にこの言葉が創られたときの意味だったと思います。言葉のオリジンにたちかえり、言葉を創出した人の想いを尊重するなら、決して曖昧なものでありません。
ただし、僕の記憶にも絶対の自信があるわけではないので、興味をお持ちの方がおられたら、是非ともオリジンを調べて下さり、この板に投稿していただけると、うれしいな。

寮美千子  太陽からの風/わたしはガイア 2003年11月01日(土)05時20分43秒

太陽から吹いてくる激しい風に、宇宙に浮かぶ小舟が翻弄されています。

野尻さんの掲示板に、以前、こんな投稿がありました。
(前略)「宇宙船地球号」というのは、かなり曖昧で危険な言葉だと思うのです。AさんとBさんとが、「ああ、地球は“宇宙船地球号”なんだよなあ」と同じ言葉を用いて感慨を表現し、意気投合したかのように見えても、ひょっとしたら、Aさんは「かけがえのない人類の唯一の居場所である」と思っていて、Bさんは「いまはこれ一機しかない大切なものだが、宇宙船なんだから、そのうち人類はこれと同等、あるいは、これを超えるものを当然創り出したり探し出したりすることができるようになるだろう」と思っているのかもしれない。(中略) 私自身はBさんのほうで、人類が宇宙であたりまえに生きてゆけるようになったら、べつに地球がぶち壊れても差し支えはないと思っています。人類発祥の地という記念碑的価値は遠い未来にも残るでしょうから、そのうち太陽に呑み込まれるまでは、“宇宙遺産”に指定して大切に保存するに越したことはないでしょうね。(中略)Aさん的な考えかたを、私は“地球ナショナリスト”だと思うのです。nation が globe になっただけのグローバリストとでも言いますか。(後略)

これを書いた人は「SF評論家」だそうです。また、このAさんの考え方を、この掲示板では蔑称として「ガイアさん」といっているようです。失礼な!

インドに行く前に、どうしても言及して置きたかったのでこんな時間に書いていますが、わたしはAさんです。ある意味Bさんでもありますが、この人のように「地球がぶち壊れてもいい」とは思いません。

というか、その前提が問題です。「人類が宇宙であたりまえに生きてゆけるようになったら」っていうけれど、そのためにどれくらいの時間が必要だろう? そして、その時間を生き延びるためには、やはり地球環境を大切にするしかない。宇宙に行く前に、地球もろとものたれ死んでしまう可能性の方がずっと強い。

だいたいが、人類は人類のみで生きているわけではない。人間は、膨大な種に支えられた生態系として存在できる生き物です。地球全体がひとつの生命であるという根本的認識を持たずして、宇宙に広がっていけるだろうか? 人類の生みだしたテクノロジーがすべてを解決する、というのは今生では妄想です。

もっちきちんと書きたいけれど、時間がありません。わたしは「環境」とか「ボランティア」の名のもとに、人々の善意を消費して、ほんとうに大切なことから目を逸らすようなこともいけないことだと思います。「ガイアさん」と蔑視したくなる気持ちもわかるけれど、地球環境保全なしに宇宙開発もありえないことを、宇宙オタクたちは知るべきだと思います。

インドに行って、間違って死んじゃうといえなくなるから、急いで書きました。でも、生きて戻ってくるつもりです。では。

寮美千子  選挙に行こう! 転がり落ちそうな世界を支えるために 2003年10月30日(木)20時21分02秒
追悼サイード/転がり落ちる世界を支えるために へのコメント

日本は、1945年の敗戦以来、戦争で人を殺していません。戦争で兵士が殺されてもいません。半世紀以上、殺さず、殺されない政治をしてきたのは、すばらしいことだと思います。憲法第九条の賜物です。

そのすばらしいことが、いま破られようとしています。自衛隊のイラク派遣。イラクは、事実上の戦闘状態。米軍が配備されているところなら、赤十字の病院さえ狙われています。それだけ、人々の恨みは深い。

ブッシュ大統領は、小泉政権の支援を高く評価すると発言しました。けれど、それは同時に「アメリカを支援する日本」を、反アメリカ国家や、テロリストたちに強く印象づけたことでもありました。

自衛隊がイラクに行けば、何が起こるか? 殺されるかもしれない。殺されることを恐れて、殺してしまうかもしれない。戦後初めて、日本人兵士(自衛隊員は、派遣されれば事実上兵士です)が、戦争で殺し、殺されるのです。そんなことを許していいわけがない、とわたしは思います。

衆議院選挙が目前に迫っています。投票日は11月9日。その日に行けない人は、不在者投票を。わたしはもう投票をすませました。とても簡単です。

選挙制度がある以上「わたしたち」がこの国の行方を握っているのです。ここでさぼって、ダメな国に住むことになっても、それは「わたしたち」の責任でしかない。そのことを、みんなちゃんと考えよう! 忘れてはいけない。すべてはひとりひとりの手の中にある。転がり落ちそうな世界を支えるの、落ちるままにするのも、すべてはわたしたちだということを!

寮美千子  加害者と被害者の二元論を越えて 2003年10月19日(日)01時47分43秒
私たちが守らないもの、みつけないもの。 へのコメント

▼望ちゃん
すばらしい投稿を載せてくれたのに、ながらくお返事しなくてすいません。望ちゃんの投稿は、とても意味が深くて、ひとつひとつの言葉が選ばれていて、すうっと心の奥に届きます。あんまり深いところに降りてくるものだから、それがなんだろうかと、もう自分の心の問題のように感じ、わかりやすい簡単な返答がすぐに出てこなくなる。望ちゃんの言葉を、いろんなふうに反芻し、自分自身に投げかけながら、いろいろと考え、味わっていました。それで、すぐにお返事できませんでした。望ちゃんの言葉が、Cafe Lunatiqueのトップにながいことあるのを見るのも、実は、わたしはどこかうれしい気持ちなのです。

わたしは、宅間被告のことで、加害者に関する問題ばかりフォーカスしてしまいましたが、被害者をどう救済するか、それも忘れてはならない大きな問題だと思います。死んでしまえば、直接の被害者の救済はどのようにしても不可能で、大切な家族を奪われた人もまた、被害者になってしまう。現実的に救済不可能なダメージを受けた人々を、社会がどう支えていくか、とても大切な問題だと思います。

死、だけではなく、もっとさまざまな犯罪があるでしょう。お金や財産を奪うことも、いろいろな形で人の心や体を傷つけることも、みんな犯罪です。交通事故のように、そうするつもりがなくても結果的に犯罪になってしまうこともある。

犯罪者は正しく罰せられるべきだと思います。でも、どれが「正しく」なのか、それは意見が分かれるところでしょう。遺族は加害者に「死んでほしい」と思ったりする。わたしは、死をもって償えることなどないと思っています。人が人の命を奪うことは、どんな場合でもいけないと思うからです。そして、そう規定しない限り、世界から「戦争」をなくすことはできないと思うからです。

では、どのような犯罪にどのような罰がふさわしいのか。それは、それぞれ考えていかなければならないことだと思います。

けれど、例え相手にどんな罰が与えられたとしても、被害者が被った「傷」は、それと引き替えに癒されるわけではない。被害を受ける前の状態に、完全に回復することはできない。例え、それが電車の中のスリみたいな犯罪だったとしても、その時受けたショックは、帳消しにはできません。

加害者へどのような罰を与えようとも、被害者を完全に救うことは出来ない。これは、冷徹な事実だと思います。一旦受けた傷をなかったことにもできない。傷と痛みを抱えた人生を生きることを余儀なくされる。

つまり、加害者への罰だけを問題にしていても、被害者は救われない、ということです。最近、やっと被害者の心理的サポートをする体制も整ってきたようです。けれども、もっともっといろんな形で、被害者が支えられなければならないでしょう。

しかし、どんなサポートを受けたとしても、その人生をどう受けとめ、その先どう生きてゆくかは、最終的にその人の手中にあることも事実です。だからサポートは必要ない、という話ではありません。被害者が充分なサポートが受けられる社会体制を整えることは急務です。しかし、どんなサポートがあったとしても、心の傷は消えない。ある意味ハンディキャップです。何かの時にふいに思い出して、恐ろしさに身を震わせることもあるでしょう。感情をコントロールできなくなるかもしれない。すべてが無意味に感じられるような、感情の砂漠を経験するかもしれない。それは、心に、そういうハンディキャップがあるということです。虐待された子どもは、なかなかその影響から逃れられない。アダルト・チルドレンになり、自分の子どもに同じような虐待をしたり、家庭内暴力で妻を殴ったりしてしまうことも多いと聞きます。

ハンディキャップは、しかし、心だけではありません。生まれつき重い病気を持って生まれた子どももいる。手足が不自由だったり、目や耳が不自由なこともある。治療しても治らないのであれば、そのハンディキャップとともに生きていかなければならない。それで、いじける人もいるけれど、それを受け入れることで、健常者よりずっと心が強くなったり、弱い者へのやさしい気持ちを持ったり、前向きになって心が輝く人もいる。どうなるかは、その人にかかっている。そして、その人だけじゃなくて、その人を支える周りの人にもかかっていると思うのです。

望ちゃん。望ちゃんが、深く深くものを考えるようになったのは、望ちゃんの生まれつきの性質もあるでしょうが、人生の中で受けた痛みが、望ちゃんの人格をより深くしたようにも感じられます。だから、死刑問題を考えるときも、望ちゃんの視点には、ちゃんと被害者の生の心が入ってくるんですね。だれでも、傷なんてないほうがいいけれど、それでも自分が痛みを知っているからこそ、人にやさしくなれる人を、わたしはたくさん知っています。望ちゃんも、そうやってやさしくなり、強くなれた人のひとりのように感じます。

心に傷を受けたら、それが挫折でも失恋でも離婚でも失敗でも、それから理不尽な事故や犯罪でも、それを心の深みとやさしさに変え、輝きに変えていけたら、人生はもっともっとすばらしいものになると思います。口でそういうのは簡単だけど、本人にはとってもむずかしい。そんな時、はげましてくれたり、ただ黙ってそばにいてくれる友だちがいることも、大きな助けです。いや、それなくしては、人はやっていけないんじゃないかとさえ、わたしは思っている。

わたしがへこんだ時、望ちゃんがかけてくれる言葉が、大きな励ましになったことが、何度も何度もありました。わたしは、あと丸2年とちょっとで半世紀も生きたことになるのに、それでも自分のなかの傷に振り回されて、いまだに右往左往している人生です。それでもやっていけるのは、友だちの小さなはげましに支えられているからだと感じます。

望ちゃんがわたしの力になってくれたように、わたしも望ちゃんの小さな支えになれたらいいなあと願っています。
被害者に対してなされるべきことと、
加害者に対してなされるべきこと。
その問題意識がそれぞれで足を引っ張り合っていては、だめだと思います。
でもそれが、どちらかだけ考えればいいい、
という方向へ行くのもだめだと思います。
ほんとうに、そうだと思います。そして、それはどこまで考えても、尽きる問題ではないように思います。

そして「加害者」も、もちろんその人自身の持って生まれた性質もありますが、歪んだ社会によって魂を歪ませられてしまったということもあるのかもしれません。彼らもまた、気の毒な被害者でもあるのかもしれないのです。だとしても、罪は罪、もちろん、その人自身がきちんとどこまでも背負っていかなければならないものではあります。そのことも視野に入れながら、被害者と加害者の単なる二元論ではないところで、じっくりを考えていかなければならないと思っています。

MOKUMOKU  ▽ニューヨークにそのような大学が存在することは、救いです 2003年10月17日(金)14時42分56秒
不良中年万歳!/血液学とわたしの過激なおじさんのこと へのコメント

わたしの住んでるUpper Westsideというのは、コロンビア大学のあたりで、いささかスノビッシュだが、中収入のユダヤ系社会です。わたしの友人たちも、同僚もほとんどユダヤ系です。しかし、ユダヤ人でありながら、イスラエルのパレスチナ政策には反対という、いわゆるジョン・ガンサーの非ユダヤ的ユダヤ人ですね。
こういうのは、単にコロンビアだけでなくニューヨークの特徴ですね。たとえば、ワールド・トレードセンター爆破の犯人を弁護しているのはほとんど全部ユダヤ系の弁護士です。この弁護士たちは、バカなアメリカ人に揶揄されてるけど、「じぶんたちがやらなければ、だれが彼らを弁護するのか」と言っています。わたしは、人権という「言葉」は日本にはあるが、人権というコンセプトは日本にはないと思っています。アメリカは、ベトナム戦争当時の「世界の敵」になってしまいましたね。わたしは法的には、アメリカ人です。

寮美千子  不良中年万歳!/血液学とわたしの過激なおじさんのこと 2003年10月17日(金)13時36分17秒
自己紹介 へのコメント

▼MOKUMOKUさま
さっそくの自己紹介、ありがとございました。免疫化学、というのは、日常生活しているとなかなかなじみの薄いジャンルですが、実際には癌やエイズや肝炎やアレルギーなどの治療にも役立つ、医学の重要な基礎研究のジャンルですね。そこから見えてくる「人間」という生き物の姿、きっと興味が尽きないものがあると思います。
サイードは以前はハンサムで背が高く、子どもの学校の父母会のミーティングなんかにいくと、担任の先生がサイードの著書「オリエンタリズム」を持ってきて彼にサインを求めているのを見るといささか羨ましくなりました。(わたしの書くものなんか一般のひとは読まないもんね)。
わたしの大叔父の寮隆吉は、神戸大学血液学研究室の教授で、一般向けの血液学の著作もあります。もらったのですが、やっぱり普通の人はあんまり読まないような本ではありました。この大叔父は、神戸大学HPに実名で過激にラジカルなエッセイを掲載しています。どうせ出すなら、こっちの方がずっと人に読まれる本になるかもしれないかも? しかし、この叔父さんの過激さたるや、何だろう? この叔父にしてこのわたしあり、か? わたしは、この叔父さんに生まれてから一度も会ったことがないのですが、こういうエッセイを見ると「やっぱり血ってあるのかも」などと、血液学とは何の関係もないけど、思ってしまいました。

MOKUMOKUさんも、いっそエッセイ集をお出しになったらいいのでは。免疫学から見た人間像とか、海外から見た日本人像、みんなきっと興味があると思います。ほんとに。

サイード氏といいMOKUMOKU氏という、過激な不良中年が教授をしているコロンビア大学は、きっと自由な空気の溢れるよき大学だと思います。「お山の大将」の米国の振る舞いが、結局は世界の行方を握る今日、ニューヨークにそのような大学が存在することは、救いですどうか、過激な不良中年のまま、どこまでもがんばってください。

▼歓迎ブッシュ大統領ご一行さま
きょうは、ブッシュ大統領が来日。「ブッシュさんいらっしゃい」と歓迎の辞を述べた四国新聞のコラムがいかしていました。(以下抜粋)
四国新聞10月17日付け一日一言
大統領の来日直前に米高官がわざわざ「日本はATM(現金自動預払機)ではない」と発言したのは世界中がそう見ているからだろう。「おととい来やがれ」は英語で「ドロップ・デッド」というらしい。ブッシュさんいらっしゃい。
一地方紙である四国新聞ですが、がんばっている。こんなエッセイを、インターネットで読めるようになったこともよかったと思っています。

MOKUMOKU  自己紹介 2003年10月17日(金)04時43分04秒
遠いやさしさ 近いやさしさ へのコメント

▽どんなジャンルをご専門になさっていらっしゃるんだろう?

失礼いたしました。わたしの専門はサイードと全然別で、医学系です。Hematologic immunolochemistry、血液学を主体にした免疫化学とでもいうのですか。

サイードは以前はハンサムで背が高く、子どもの学校の父母会のミーティングなんかにいくと、担任の先生がサイードの著書「オリエンタリズム」を持ってきて彼にサインを求めているのを見るといささか羨ましくなりました。(わたしの書くものなんか一般のひとは読まないもんね)。だけど、最近は弱ってきて、二まわりほど小さくなっていました。

2年くらい前だったか、サイードがウエスト・バンクでイスラエルの戦車に向かって投石したとかいう報道が入り、コロンビア大学の教授会で、エドワードを諮問にかけるかどうか問題になったらしい。そのとき、それについてどう思うかときかれたので、わたしが、「もっと病状が悪いときいてたが、投石できるくらい元気になったのならけっこうなことだ」と答えたら、「サイードといいMOKUMOKU先生といい、寝ころんびあ大学は不良老人の集まりか」と言われました。

寮美千子  拉致被害者の帰国から一年/彼らの24年間を空白にしないために 2003年10月16日(木)01時08分50秒

北朝鮮拉致被害者の帰国から一年。朝日新聞に、地村さん夫妻の手記が掲載されました。「国家」という枠組みに翻弄された「個」の苦悩がにじみでている言葉に、胸が詰まりました。そのなかで「24年間の空白」という言葉がどうしても気になりました。一部抜粋します。
▼24年間の「空白」の意味
 社会復帰を果たした今日、切実に感じる空白とは、ただ単純に24年間という長い年月の空白を意味するのではなく、その間における自分自身の社会的地位とか役割に関する空白を意味する。自分が今後日本社会においてどういう位置でどんな事ができるかといった解決しがたい問題である。同年代の人たちが今日に至るまで築き上げてきた人生経験とか社会経験、職場での地位とか役割というものは、到底取り戻すことができない。そこに24年の空白を実感するという意味である。
24年間、彼らが北朝鮮で暮らしたことに、意味がなかったはずがありません。実際、彼らはそこで結婚し、子どもをつくり、子育てをして暮らしてきたはずです。そこには確かに「生活」があったはずです。一日一日の積み重ね、一体それ以外の何を人生と呼べるのでしょうか。そのすべてが、あたかも「無意味」になってしまうのは、なぜか? 「空白」としてしか存在しなくなってしまうのは、なぜか?

わたしは、こう思います。彼らの24年間を、日本という国が、きちんと受けとめることができないからだと。「国家」という、ヴァーチャルな存在に翻弄された一個人の人生。であれば、国家がその人生を、しっかり受けとめなければならない。北朝鮮をよく知る拉致被害者たちです。言葉も出来れば、その文化にも精通している。二つの国の架け橋として、重要な仕事をしていける人々です。彼らの24年間が無駄にならないような環境を整えるべきだ。そのためには、相手がどんな体制であり、どんな指導者を戴いていようとも、きちんと国交を持って、互いに自由に行き来できる体制をつくることを先決とするべきだと。

「国がきっと助けてくれるから」と、子どもたちの許にすぐに戻りたいという自分の気持ちよりも、「国」の判断を優先した拉致被害者たち。けれど「国」なんか、大してあてにならなかったという悲しい現実が、一年を経てますます明らかになってきたのだと思います。もう、国の顔色なんか見るのはやめて、徹底して「個人」の気持ちを優先させたらどうか、とさえ思ってしまう。しかし、約束通り戻らなかった彼らは、北朝鮮に戻れば罪人扱いされるかもしれないし、二度と日本に戻れなくなるかもしれない。ほんとうに、気の毒です。

彼らの24年間を空白にしないためにも、北朝鮮と日本の間を、誰もが自由に行き来できる世界を、一刻も早く実現するべきだと思います。日本からの情報がもっとふんだんに流入すれば、国の体質も少しずつ変化していくでしょう。国家のための国民ではなく、国民のための国家になるべきだと、心から思います。

寮美千子  遠いやさしさ 近いやさしさ 2003年10月15日(水)22時59分45秒
追悼サイード へのコメント


遠くの人にやさしくするのと、近くの人にやさしくするの、どちらがよりむずかしいか、と思うことがあります。

例えば、遠くの友人に時々やさしい言葉をかけるのは、そんなにむずかしいことじゃない。むしろ、いつもそばにいる人のことを大切にすることのほうが、ずっとむずかしかったりします。

一方、そばにいない、目に見えない遠くの人のことをきちんと感じることはむずかしい。たとえば、いまだ戦火の絶えないイラクの人々の気持ちをリアルに感じるのはむずかしいし、開発のために昔ながらの暮らしができなくなっているアマゾンの先住民の気持ちになるのもむずかしい。そればかりではありません。報道にもならないようなところで、さまざまな人が、この世界の歪みを背負って、大変な暮らしをしているはずです。わたしたちの、いまの(ある意味)安楽な暮らしを支えるために、踏みつけにしている人々がたくさんいるけれど、そのことをいつも忘れずにいることはむずかしい。

サイードは、そんな人々のことを忘れない視点を持った文化人でした。そして、言論で戦い続けた。ペンは剣よりも強くはなく、お金にも負けてしまうような情けない世の中だけど、それでもあきらめずに、病気を抱えながらすばらしい言論活動を続けました。尊敬です。

そのサイードが、遠くの人ばかりでなく、近くの人にもやさしくできる人だったことを知って、さらに感動しました。偉い学者さんでも、近くの人に少しもやさしくできない人もいる。でも、サイードは違ったんですね。ほんとうにすばらしい方だったんですね。MOKUMOKUさん、ご投稿ありがとう。


ところで、この掲示板では、はじめてのかたに自己紹介をしていただいています。「わたしに対して」というより、この掲示板で語りあうすべての人のためにお願いしています。

というのは、わたしは、この掲示板を開かれた掲示板にしたいと願っているからです。いろんな人が、いろんな形で言葉を交わせるようにしたい。「この掲示板の仲間だけにしかわからないような書き方」をわたし自身が避けるのも、そのためです。せっかく政治のことや、これからの世界のありかたについて語るなら、それが広く共有される形でありたい、と思うからです。

言葉を交わしあうには、最低限の土台が必要です。どんな人が話しているのか、おおよそのことがわかるようにしたい。2ちゃんねるのように、匿名で語り合うという方法もあるけれど、この掲示板では、そうではなく、名前のある個人として語り合いたいと考えています。もちろん、実名を、とまではいいませんが、おおよそどんな人であるのかを知ったうえで言葉を交わしたいのです。

というわけで、MOKUMOKUさんも「さわさんやアキンさんがご存知」と自己紹介してくださいましたが、これでは、ちょっとわかりませんでした。文面から、ニューヨーク在住の、大学の先生で、20歳を越えるような大きな息子さんがいらっしゃることは、わかりました。どんなジャンルをご専門になさっていらっしゃるんだろう? ともかくも、文面そのものが自己紹介だったのだと受けとらせていただきます。


子どもたちが、グッゲンハイム美術館の大きな窓硝子を雪の日に割ってしまった話、思わず顔がほころんでしまいました。映画の一場面を見ているような気がしました。MOKUMOKUさんのお心のなかには、きっとそんな場面がいっぱいに詰まっているんでしょうね。いまは亡きサイードの記憶も、言葉に書きつけられたものだけではなく、きっとみんなの心のなかに、美しい断片として残っているのだろうなと思うと、胸がいっぱいになりました。

MOKUMOKU  追悼サイード 2003年10月08日(水)02時42分00秒

赤煉瓦でかもめくんがリンクしてたので来てみたらサイードのことが書いてあったので、書いておきます。わたしのことは、さわさんやアキンさんがご存知です。
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サイードとはわたしがパリからニューヨークに戻った直後、1975年の秋から30年近く家族ぐるみの付き合いだった。サイードもわたしもコロンビア大学にいたというだけでなく、彼の子どもたちとわたしの子どもたちは幼稚園から高校まで同級だったし、どちらも大学の教員アパートに住んでいて、歩いて5分くらいのところに住んでいたので、ほとんど毎日のように付き合いがあった。子どもたちの学校の父母会なんかでもいつもいっしょだった。そのころ一世を風靡した「オリエンタリズム」でサイードはコロンビアの看板教授であり、サイードがいるというだけで、コロンビアに入学を希望する学生が集まった。ユダヤ系がほとんどを占める教授会で、アラブ系のサイードが主任教授でいられるのもアメリカのいいところだと思っていた。わたしがいちばん感心したのは、「オリエンタリズム」でも一連のパレスチナ関連の政治評論でもなく、カミュの異邦人論だった。異邦人に出てくる人物はすべていきいきとした個性を持って登場するのだが、海岸で撃ち殺されるアラブ人だけは全く個性がない、「アラブ人はアラブ人」でしかないという指摘だった。(文化と帝国主義)。若い頃共産党員としてアルジェリアのアラブ人街で組織にあたっていたカミュでさえ、アラブ人を画くとこうなるという指摘は、サイードでなければできないアプローチであるとえらく感心したものである。
エドワード・サイードとその家族との係わり合いについては、いくら書いてもきりがないが、今東京にいるわたしの息子は、ほんとに困ったことがあると、わたしに相談せずエドワードに相談していた。コロンビア大の入試で、面接の時間に高校の講堂で居眠りして面接に間に合わなかったのを助けてもらったり、大学に入ってから麻薬中毒になって、わたしが見放したときもエドワードがいつも息子を家に呼んで話しをしたり、いっしょに音楽を聴いたりしてくれた。当時エドワードはPLOのスポークスマンをやってたので、テレビのナイトラインなんかによく出ていて、わたしの息子をワディアくんとともにテレビ局に連れて行ったりしてもくれた。エドワードには、わたしは借りがうんとあったのだ。サイードの息子のワディアくんは、息子の親友なのだが、エドワードが死んだ日、電話が通じなかったので、”Yo!” という短いメールを送ったら、すぐ”Yo, I love you”と返事が返ってきたと言ってた。幼稚園のころから、悪いことばかりしていて、あるニューヨークの雪の日、グッゲンハイム美術館の隣のペントハウスに住んでるやはり同級生の大金持ちのマドックス一家の屋上から、ワディアくんが雪の玉を投げたら、グッゲンハイムの大きな窓ガラスが割れて大騒ぎになったことなんかもまた思い出した。

わたしのところに電話があったのは25日の午後である。死んだのは朝6時半と言ってた。花を置いてきた。今年、わたしはニューヨーク郊外に墓地を買ったら、そこが日当たりがよく見晴らしもいいので、同じコロンビア仲間の地震学者のクリスが気に入ってわたしのすぐそばにやはり一区画買った。つい数日前、サイードにも墓地を買わせて、死後は三人で夜な夜な化けてでてイタズラしてやろうと言い合っていたばかりだった。パレスチナ人のサイードとユダヤ人のクリスと日本人のわたしが死後仲良く悪ふざけするのも、神様の意思だと思った。しかし、死なれると、胸ふたがり涙あふれて止まずである。

寮美千子  投稿削除のお知らせ 2003年10月07日(火)20時23分40秒

「かもめ」というハンドルネームの方から、わたしがNHKの番組「奇跡の詩人」に関して書いた文章を「赤煉瓦掲示板」において批判したので、「異論反論があるなら、ここでもよし、赤煉瓦掲示板でもかまいません。あなたの言葉を待っています。」というご投稿をいただきましたが、削除しました。

「かもめ」さんによる、寮美千子に関する批判文の掲載された赤煉瓦掲示板はこちら。
http://tcup7128.at.infoseek.co.jp/akarenga/bbs

「かもめ」さんと論を交えるつもりはありません。今後「かもめ」さんから書き込みがあった場合は削除します。

  私たちが守らないもの、みつけないもの。 2003年09月29日(月)01時53分04秒 http://www.h4.dion.ne.jp/~eulalie/top.htm
付属池田小殺傷事件/わたしはなぜ考え続けたいと思うのか? へのコメント

私は、宅間被告の死刑確定のニュースが流れたとき、やはり、という思いと、残
念だという気持ちがありました。もう半分は、これ以上つらい裁判が続かなくて
いいんだなという安堵が、ありました。これら、すべて、傍観者の私、感情移入
の産物では、ありますものの。

遂に宅間被告本人の言葉や態度から、したことを悔いる感情が現れることはなく、
死にたいことと私たちの普段の意識とは「かけはなれた動機」しか語られること
はなかったことが、このことを半分はよそごとと捉える私にも、遠くのほうで、
残念に思われました。

彼は、周りの人たちに「よくわからない人間」のまま死んでいく。
死にたいままに死んでいく人を、止めることができない。
死にたいために人殺しをした人を、本当に死なせてあげてしまうこと。

彼が起こした事件とこの死刑が、どれだけの人に何を投げかけ、残し、人の行動
の核となっていくのでしょうか。私には、それは、なんだったのでしょうか。


私は中学生のころは、偏った正義感で、どこか遠くで自殺する人のニュースを見
ると、それを止められないことに無力感を覚える人間でした。
自分の無力感を打ち破るために人殺しをした人のニュースを見ては、そういう方
法を選んだ人間に怒りを覚えるような、人間でした。

犯罪者に共感するあなたの気持ちもわからなくはないがと、言われたことがあり、
自分が実際他者から恐怖を感じることをされる以前は、自分を犯罪者に共感する
ような人間なんだと思っていました。

自分が踏み潰される側に立ってみて、犯罪は犯罪、と切り捨てたとき、自分は絶
対に殺す側にはならない、とはじめて思った、命を大事に思う気持ちの実感の薄
い子供であったと思います。

罪は罪で、暴力は暴力で、それは決して代弁されない、と思った時、
自分が犯罪に共感していたわけでないことに気がつきました。
人間から切り離された犯罪行為そのものに共感していたのではなくて、
その人間にかかった圧力、
行き場のない、時代や社会という漠然としたものがしわ寄せしたさらに漠然とし
た、誰かが責任を負ってくれるわけでもなく、今だつかみかねているのに、
年若い人、特に子供に、そして感じやすい人に、うつしとられている、
私たちの守らない見つけないもののありさまみたいなもの。

そういうものを感じてしまい、見てしまい、伝えられない。
自分はそういう子供であったのだと思います。

そして世間で報道されるニュースの中のいくつかは、
そうしたものの圧力にひとつの、起因を持つものと、感じたのでした。

結果として殺人にいたるかいたらないかという差は、私にはよくわからないけれ
ど、責任という点においてそれは「した」本人に還元されるよりないと思うけれ
ど、事件によって自分に浮かび上がった問題意識は、自分の中に生かしつづけて
いかなければならない、それが、自分の立場だと思います。


それからそのおそろしい行為において、事件の当事者として、被害者とその遺族
は守られなくてはならないと思います。
だから加害者の死刑への批判がその文脈において被害者を傷つけるようであって
はいけないと思います。
(そうした観点での死刑批判への批判は、あるけれど、それは死刑批判とは本質
的にはまた別の、問題だとは思います。)

うまくより分けられないのが、今の社会であり報道であり認識であるけれど。少
しずつ変わっていかれればいいと思います。苦心して苦労して、言葉を選ぶこと
はできるはずだと思います。(言葉を選ぶということは、安易なイメージを運ぶ
ことを拒否することにつながると思います。)


人は傷つけられたとき、本当に当たり前に話されている言葉ですら生死にかかわ
るときがあります。ヒステリーという言葉にまつわるイメージが代弁するように、
私にとって傷つく以前は、傷ついた人の一般的イメージは「過敏で感情的」とい
うものでしたけれど、それは「敏感に過ぎる」のでなく、皮膚を一枚はがれてし
まって治りたくても治らない状態なのだと後になって知りました。
それは想像以上に長い年月その人の上に続くのだということも。

そういう、他人事にしている事実を淡々とした事実としてでも、知っていく必要
が、本当にあると思います。成人した人間なら誰でも知っているというくらいに、
基本的に知っていることが、必要だと思うのは、一度人の手と手のつながった網
の中から落っこちてしまった間の抜けた私の、自分の感情からの希求ではありま
すが。


被害者に対してなされるべきことと、
加害者に対してなされるべきこと。

その問題意識がそれぞれで足を引っ張り合っていては、だめだと思います。
でもそれが、どちらかだけ考えればいいい、という方向へ行くのもだめだと思い
ます。

どちらのほうを深く考えるにしても、相手という存在はこの世から消えてなくな
りません。それが私の実感です。

被害に遭った方には、相手の存在というものを意識から追い出す必要が、回復す
るためにあると思う。生きていくために、そのことを考えないで行くことが、ど
こか必要になってくると思います。
だから、事件を、加害者と被害者に、社会が、突き返しつづけることは、はやく
なくなればいいと思います。
当事者以外が、自分の立場にかかわってくるものを、ちょっとずつでも背負えた
ら、だれも、ひとりにしないで。


下手をすれば理想論に転がる、そういうことを、ずっと考えています。
長いことずっと。


今回かなりとっ散らかってしまいましたが……。


吉木克実  あちちっ!! 2003年09月27日(土)15時22分45秒
追悼サイード/転がり落ちる世界を支えるために へのコメント

あいかわらず、熱いねえ・・・
寮のいうとおりだと思うよ。僕は。

サイード氏は、パレスチナ人だったよね。
そういえば、パレスチナ関連で、
好むと好まざるとに関わらず、
標的以外の人間以外も犠牲になることから、
ミサイル攻撃を拒否するイスラエル軍人(予備役だったかな?)が出てきたとか。
そりゃそうだろう、一人か、多くても数人のパレスチナ人を殺すのに、
街中でミサイルぶっ放してるんだからね。
国会議事堂ならまだしも、渋谷の109にミサイルぶち込んでるみたいなもんだもん。
ま、それについちゃ人の集まる場所での自爆テロも同列だがね。

で、話はイラク。
イラクも、次第にパレスチナの状況に似てくるんじゃないのかなあ・・・
だとすれば、自衛隊はどこかで必ず、ゲリラ戦への対応を強いられるでしょ。
近代戦には対応できても、果たしてゲリラ戦に、自衛隊が対応できるか・・・?
対応するとなると、自衛隊の位置づけをかなりいじらんといけなくなるでしょ。
専門の戦闘集団としてね。
周りにいる人間が、丸腰のイラク人なのか、武器を隠し持った敵意のイラク人なのか、
選別しなきゃならんわけで・・・
ここで、「紛争を解決する手段として」武力を行使しているのではないか?
という論争は必至となるでしょう。
というか、そうならざるを得ない状況は必ず発生するでしょう。

こうなると、やっぱし信介さんの言うとおり、
文化なんてもんはとうの昔に形骸化してて、解決したけりゃみんなして一斉に滅ぶのが、

「正解」ってことになるのかなあ・・・

あ〜やだやだ!!

虫酸が走るぜいっ!!

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