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寮美千子
追悼サイード/転がり落ちる世界を支えるために
2003年09月27日(土)14時08分16秒
9月25日、エドワード・サイードがニューヨークの病院で亡くなった。白血病だったという。2001年9月11日の貿易センタービル自爆テロから丸2年。サイードは精力的に言論活動を続けてきたが、そんな病身を押してのことだったと、はじめて知った。
しかし、時代は一向に明るくならない。アメリカ政府は力に任せて横暴の限りを尽くし、イラクを崩壊させ「正義」の名のもとに、戦争はまだ続いている。
その「戦争中」のイラクに、日本政府は年内に自衛隊を派遣すると決めたという報道があった。アメリカ政府の強い要望に応えるためだという。50人〜100人規模の舞台を「比較的安全な」北部の都市に駐屯させるという話だ。
あの混乱のイラクに、それだけの人数を送ったとして、焼け石に水ではないか。それは実効性の問題ではなく、単に「はい、アメリカさまのいうことをきいて、日本はイラクに派兵しました」という証明のための派兵ではないか。ジャイアンに跪くスネオではないか。そんなポーズを見せるために「命」を賭けさせられる自衛隊の人々は、たまったものではない。
だいたい、ひとんちをめちゃめちゃに壊しておいて「直すのに人手と金がいるから、出せ」とは何事! しかも、イラク攻撃の大義は「大量破壊兵器を見つけること」だった。そして、そんなものはどこにもなかった。そういえば、ビンラディンを追いかけてアフガニスタンをぼこぼこに爆撃したのもアメリカだったけれど、ビンラディンはどこにいるのだろう。アフガニスタンとイラクに残されたのは、混乱と貧困、そして人々を遺伝子から傷つけつづける劣化ウラン弾の粉塵だ。
日本はそんなアメリカのイラク攻撃を支援したわけだから「後始末に協力せよ」といわれても文句もいえない。腰巾着のようにゴマスリをやってきたツケが回ってきたわけだ。そうやって、どんどん「暴力国家」アメリカのいうなりになっていく情けない国が日本だ。
政府・自民党内には「財政負担を少しでも減らすには、自衛隊の派遣しかない」という声もあるという。それではまるで「きつい年貢が払えないから、娘をさしだす」のと変わりがないではないか。人間の命が、そんなふうにお金に換算されていいはずがない。
サイードは死んでしまった。世界は坂道を転がり続けている。この世界を支えられる巨人が、どこかにいるわけではない。ひとりひとりが足を踏ん張るしかないのだ。
11月に総選挙があるという。わたしたちはそこで、意思表示ができる。ひとりひとりの足の踏ん張りで、日本を、世界を支えることができるのだ。イラク攻撃を支持した候補者に票をいれることは、転がり落ちる世界を加速させるだけだということを忘れてはいけない。
忘れてはいけない。イラクに派遣された自衛隊員は、イラクの人々に殺されるかもしれない。それだけではなく、怯えきって限界に来ているアメリカ兵に誤射されるかもしれない。そして、自衛隊員が、殺人者になることだってあるかもしれないのだ。
忘れてはいけない。ひとりひとりが、選挙を通じて、それを食い止めることができるのだということを。
寮美千子
付属池田小殺傷事件/わたしはなぜ考え続けたいと思うのか?
2003年09月27日(土)01時54分38秒
▽あのさ へのコメント
いい子じゃないのよ。
正直いって、わたしは判決の日の報道を見て、殺された子の遺族より、宅間被告によりシンパシーを感じてしまいました。勿論、わたしは、包丁持って子どもを殺しに行ったりはしないでしょう。けれど、宅間被告の心のなかにある憎悪と孤独が、自分に重なるように思えてならなかった。他人事とは思えなかった。どんな卑劣なことが書いてあったとしても、たった3枚のメモを読ませない「裁判所」や「国家」というものにも怒りを感じ、大きな疑問を抱かざるをえなかった。
それが「考え続けたい」ことの出発点です。わたしは、宅間被告が殺した子どもたちと同じ「国立大学の付属小学校の子」として育ったのに、気分はむしろ宅間被告なのです。
信介さんのいうように、だれも、他人にはなれない。わたしは、あなたの気持ちをすべて理解することはできないし、あなたも、わたしの気持ちをすべて理解することはできない。だからといって「理解しようと努力すること」がすべてムダなのか、といったら、そんなことはない。
世間には、とてもつらい目ににあった人がいる。極悪非道なことをした人もいる。どんなにつらい目にあったからといって「わたしの気持ちは誰にもわからない」といって、一緒に考えようとする人の気持ちを封印するのは、弱者ファシズムです。「殺人者の気持ちはわからない」と切り捨てるのも、別の意味のファシズムです。
理解したいという欲求がある。そこからしか、はじまらない。完全に理解できないことを知っていて、なおも考え続けようとする。そのことが大切だと、わたしは思います。まじ。
本多信介
あのさ
2003年09月27日(土)00時32分47秒
▽付属池田小児童殺傷事件/彼はなぜそこまで絶望しなければならなかったのか? へのコメント
考えられるんか、、なんだか外野から、しか考えられないんだろ
で、いいのか?、子供を殺された人間、殺したした人間の気持ちが
考えられるんか?なんでそういい子ぶってんじゃよ、
おれには、そういう事を考えること自体が信じられない。
寮美千子
付属池田小児童殺傷事件/彼はなぜそこまで絶望しなければならなかったのか?
2003年09月27日(土)00時07分56秒
▽私たちに責任はないのか・・・ へのコメント
大阪の付属池田小児童殺傷事件で大阪地裁から死刑判決を受けた宅間守被告は、きょう、控訴を取り下げ、死刑が確定した。
ニュースでこのことを知って、わたしは、深い闇に吸いこまれるような脱力感を感じた。
宅間被告が悪くないなどというつもりは毛頭ない。幼い子どもをあんなふうに殺すなんて、言葉につくせないほどひどいことだ。
けれど、彼はどうしてそんなことをしなければならなかったのか。彼を追いつめたものはなんだったのか。
残忍なやり方で子どもたちを殺した宅間被告は、しかし、潔いほどに自分の命乞いをしようとはしなかった。公判で「死ぬことにはまったくびびっていません」と述べ、死刑判決が出ても、控訴しようとしなかった。それを、無理に控訴したのは弁護団だった。けれども、宅間被告は自らその控訴を取り下げた。
そして、死刑の確定。宅間被告は弁護団に接見で「6カ月以内に死刑が執行されなかったら、国を相手に早期執行を求める訴訟を起こす」と話したという。つまり「はやいとこ殺っちまってくれ!」といっているのだ。
地裁での死刑宣告。それに控訴もしないで死を選び、さらには死刑の早期執行を望む。彼は、そんなにまで深くこの世界に絶望し、この世界から立ち去りたいと願っている。
それはつまり、自殺だ。それも、誰にも黙ってひっそりを世を去る自殺ではない。「わたしを殺したのはおまえらだ」と我々を指さしながら、復讐を遂げようとしているとしか思えない。それはきっと「おまえらの子どもを殺すようなおれを生みだしたのは、おまえら自身だ」という表現でもあるのだと、わたしは感じる。
「死刑まで、死の恐怖を感じてほしい」というのが、遺族の宅間被告に対する言葉だった。そういいたくなる親の気持ちは、理解できる。理解できるが、しかし、それはとても悲しいことだ。(どう悲しいことなのか、それについては、いずれ詳述したい)
遺族のそんな願いをあざわらうがごとく、宅間被告はいった。「死ぬことにはまったくびびっていません」と。
「せめて、死の恐怖を感じてほしい」という遺族の最後の願いは宅間被告によって完全に拒否された。あたかも、遺族の心に、最後まで安らぎを与えようとしない復讐の行為のごとくに。
しかし、その復讐の代償は大きい。それは、自分の命だ。
ひとつしかない自分の命を「地裁による死刑判決」であっさりと投げだすほど、彼は死にたがっている。この世から逃走したがっている。それほどまでに「生きている」ということに深く絶望している。おそらくは、その絶望こそが、彼に子どもたちを殺させたのだろう。
その絶望がなんだったのか、明らかにされていない。だれも、宅間被告の心に手が届いていない。そして彼は、そのまま逝ってしまおうとしている。いや「殺されよう」としている。
kiyomiさんが、以前ここに書いてくれたことが、胸にしみる。
「わたしたちに責任はないのか……」
宅間被告を追いつめ、そのように絶望させたものはなんだったのか。それについて、きちんと考えていかなければ、何も解決されない。同じような事件が、また起こるかもしれない。宅間被告に殺された子どもたちも、浮かばれない。わたしは、少しずつでも、その絶望について考えてきたい。
本多信介
好きなこと
2003年09月26日(金)22時04分52秒
▽もう2つ へのコメント
ここでは寮のリーディングと門坂。
えらそーー、、そうみんな主張?(漢字いいんだっけ)しようぜ、。
自分の子供が殺されたら、おれは犯人の一族全部殺すさ、、
人間を分かろうよ、きれいごと?ばっかじゃないさ。
本多信介
もう2つ
2003年09月26日(金)21時54分28秒
あのさー、みんな良い子じゃだめなんだよーー、
自分でホントにそう感じてるのかーー
自分の言葉でしゃべれよ、、ってことさ、
おれは、宮沢くんとかモーツアルトとか、アリスとかも
好きじゃないんんだけど、、
本多信介
もうひとつ
2003年09月23日(火)00時30分51秒
▽岡本くんの へのコメント
おれはゴジラの映画が嫌いだったんだけど
近所にその音楽担当の人がいて、みんな知ってるよね
かれが、小学校の校歌までつくってしまったんで、おれは
非常に不愉快だったんだよな、、
本多信介
岡本くんの
2003年09月22日(月)23時59分00秒
太陽のとうだっけ?
うちの前にあったら爆撃っす、すまん、
怒れよ、それがやさしさ、
寮美千子
頭痛の種はどこにある?
2003年09月20日(土)20時25分09秒
みなさまにご心配をおかけした寮美千子の頭痛。
どうにも頭が痛いので、昨日、とうとう観念して病院に行って来ました。
脳みそを輪切りにしたCTスキャン(これが高くついた!)の結果、異常なし。
よかった! しかし、異常はなくても頭は痛い。
症状を詳しく話した診断の結果は「混合性頭痛」。
これは、時々ひどく頭が痛くなって光なんかがずきずきしちゃう「偏頭痛」と、
じわっと頭が痛い「緊張性頭痛」が混じったもの。
つまり、いつも少し痛くて、ときどきすごく痛くなるという馬鹿げた頭痛野郎です。
対処方法は「痛み止め」。
子どもの頃から頭痛持ちだったから、まあしょうがないなあと思うけれど、
最近、どうもすっきりしないのが困る。季候が悪いのか。
いや、更年期障害か。かもね。
もっと規則正しい生活を心がけねばと反省しました。
反省!(でも、サル並み)
というわけで、みなさま、ご心配おかけしました。だいじょうぶです。
寮美千子
大長老いわく「花を生けた主人は風」
2003年09月20日(土)20時11分16秒
▽太郎さんと数右衛門さん へのコメント
素直に感じるものごとを作為なく、正面からとらえている。
写真を撮ることで、それでなんとかしようとする気(欲望・他意)がない。
つまり写真を目的化していない。by 勇崎さん
さすが勇崎さん。思わず「人生もそうかも」と思ってしまいました。「なんのために生きるか」とか「人生の目的」なんて、ない。「素直に感じるものごとを作為なく、正面からとらえ」て生きること。目的化されない人生そのもの。その境地に至った人は、きっと会っていてすがすがしいだろうなあ。
奈良にある、障碍者の共同生活施設「たんぽぽの家」を訪れたとき感じたすがすがしさは、それかもしれない、と思い至りました。利用者さんたちが、わたしに、限りない力を与えてくれるように感じたのは、そこに目的化されていない人生そのものがあったからかもしれない。
「人生の目的」なんて考えはじめる前の子どものまぶしさも、きっとそこにある。
あ、それって岡本太郎その人かもしれない。
でも、岡本太郎の絵と造形には「なんとかしようという」意欲が満ち満ちている。その屈折した意欲もまた「芸術」を作りだす原動力だったのでしょう。
でも、わたしはやっぱり岡本太郎の写真のほうがすき。あの素直さが好き。それもまた、ものすごく気持ちのいい風の吹き抜ける芸術。
などとつらつら思いつつ、がんじがらめの目的意識からまだまだ逃れられない、なまぐさいわたくしではありました。
この件について、大長老こと馬渕公介氏が、秀逸のエッセイを書かれました。「路上に関する十二章 路上で天の立華を観悦する」はこちら。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8863/rojo/rojo_index.html
勇崎
太郎さんと数右衛門さん
2003年09月19日(金)21時10分08秒
▽飛弾野数右衛門と岡本太郎の写真 へのコメント
太郎さんと数右衛門さんに共通することは、好きだー!と叫んだかどうかわかりませんが(太郎さんは「おい見ろよ。すごいじゃないか!いいねえ〜」と言って撮ったようです)、そう素直に感じるものごとを作為なく、正面からとらえていることでしょうか。
そしてなによりも、写真を撮ることで、それでなんとかしようとする気(欲望・他意)がない。つまり写真を目的化していないことかも知れませんね。
だから、写真がモノ欲しそうな顔をしていない。写真が賤しくないんですね。
最近は「癒し」と称した「賤しい」写真が巷に氾濫してますから・・・賤しい癒しにご用心。
あ、それは僕のことだったりして。
silica
4Dシアター(9月12日)
2003年09月19日(金)07時01分34秒
▼時の破片:17 Jun. 2003 国立天文台「4次元デジタル宇宙」見学 へのコメント
寮さんの絵本のお話を聞いて、今からもう「心がときめいて」います。
寮さんが用意してくださった星の遊園地の乗り物に、すでに頭の中では勝手に乗り込んでいます。でも、誰もおこらないからいいなあ!
国立天文台公開の4Dシアターは2回目の抽選にめでたく当たり、拝見してまいりました。(400名以上申し込み中の150名に入れました。2回目で当たったというかたは少なくありませんでした。)
次回は国立天文台特別公開日10月25日(土)10:00〜18:00で、この日は事前申し込みの必要なしで見せてくださるそうです。
黒メガネをかけると縦3面のスクリーンには奥行きのある宇宙空間が広がりました。地球からどんどん広がって神様のような目でひとまわり小さい宇宙を外側から眺める感覚、宇宙のかけらのひとつとなって漂い、他のかけらとすれちがいながらまさに内部にいるというような内側からの体験などが自在にできます。(操作は解説のかたがいたします。)
最新の天文情報が組み込まれた映像を具体的にイメージできることで、専門家の方々により深い洞察を促すことができること、一般の鑑賞者にもリアルな映像で宇宙をより親しみやすいものに感じてもらうこと、両方に活用していけたら、ということでした。
今回のプログラムでは、「太陽系」「月の形成」「銀河系」「恒星の世界」「宇宙の大規模構造」の世界へ飛び込ませていただきました。迫ってくる感じ、手で掴めそうな感じを体験できますので、大変おもしろいです。
20〜30分ほどでしたが、「ああ、おもしろかった。」という思いとともに、この試みはそんなに新しいもの・・・?という気もいたしました。アイマックスシアターやディズニーランドでメガネをかけて見た3Dシアターなどを思い出しますと、宇宙を題材にしたこのような立体映像は今まで可能であったのだろうと思います。地球から外側の宇宙へと広がって、またもとの場所にもどっていくというようなシミュレーションもテレビ映像では、すでに見ています。立体ではなかったというだけです。
最新の宇宙情報をインプットしただけで、すぐに映像化されるプログラムが入っているとか、解説者が手動で自由に時間をとめながら話ができるとか、そのあたりが研究分野では画期的であったのかしら、と思いました。今までどうしてなかったんだろう、という思いは少し残りましたが、「体感」できる感覚はまちがいなくワクワクと楽しいものですので、
一般としては科学館などのアトラクションになっていくといいな、と願っています。
そして、寮さんのお話を見て、「あっ!こんなふうな星の遊園地こそ、4Dシアターにならないかしら。」と本気で思ったのでした。プラネタリウムのドームに生かせたら、それは素晴らしいですが、まずは前方に映る大型映像としても科学館で体験できたら素敵だなあと思いました。
寮さんがおっしゃるとおり、想像力を刺激してくださるような内容と演出の魅力が発展の鍵だと思います。
寮美千子
熊から星へ/3歳児の心に仕掛ける時限花火
2003年09月19日(金)01時11分16秒
3歳児向けの、本物の天文写真を使用した物語「ほしのメリーゴーランド」は、今年、フレーベル館のキンダーブック1の7月号に、見開き5画面で掲載されました。これが評判がよかった! 5画面しかないのに、お話への入りこみかたがすごくて「はくちょうの わたがしやさん」のところでは、こどもたちは7色の網状星雲の写真に口をちかづけて、舐めんばかり。「どんな味がするんだろう」「きらきら味だよ」と、まるでおとぎ話のような光景を展開してくれたとのこと。編集者から報告をうけて、気をよくしています。おかあさんたちにも評判よかったんだって。
このフル・ヴァージョン11画面+1頁を来年の7月号にしたいとリクエストいただき、頭を切り換えて、きょうは、星空の遊園地で遊んできました。「土星の滑り台」「白鳥の綿菓子屋さん」にくわえ「ほうき星のジェットコースター」「星すくい」「ぐるぐる銀河」などがアトラクションとして追加され、おみやげには、星の花園に咲く薔薇と、星の夜店の光の指輪を互いに交換。さらにラスト近くでは、いっしょに遊んでいた木馬を、馬頭星雲のおかあさんがよびにくるというもりだくさんの趣向。三日月の舟でおうちにもどるひなちゃんです。絵は、今年の7月号と同じ鯰江光二氏。彼の絵が、またよかったのです。星空にぴったり。
天体写真がうまく借りられるといいんだけれど。雑誌ヴァージョンのソフトカヴァーではあるけれど、一冊になるのが楽しみです。3歳児の心に仕掛ける時限花火。いつの日か、天体写真を見たときに、どうしようもない心のときめきを感じてほしいと願っています。
寮美千子
飛弾野数右衛門と岡本太郎の写真
2003年09月19日(金)01時07分19秒
▽飛弾野数右衛門と東川町「ぼくの日記帳は、カメラだった。」 へのコメント
▼勇崎さま
ご案内、ありがとう。飛弾野数右衛門氏の写真、昨年、東川でも見せていただきましたが、ほんとうに「日記帳」のように心の向いたものにすなおにシャッターをおろしていて、じつになごむ、快い写真でした。いかにも「芸術」を目指しているという、うっとうしい気負いがないのがよかった。写真は、写された相手だけじゃなく、写した人の心も映すものなのですね。
岡本太郎の写真も、ある意味同じような匂いを感じました。写真は彼の美術作品に比べると、ずっと気負いがない。けれど、そこにやっぱり「岡本太郎」の眼差しがあるから面白い。彼が「すてきだ」「おもしろい」「おどろきだ」と思ったすべてが、そのまますなおに印画紙に定着されているように思われました。その驚きや喜びがそのまま伝わってくる。展覧会を見て、岡本太郎の写真、とても好きになりました。
▼鳥海さま
「太陽の塔のある風景」 実に興味深く読ませていただきました。いろいろと頭の中を思いがかけめぐり、オーバーフローしてしまって、レスも書けないままでした。すいません。「太陽の塔」は、単に造形として語られるだけではなくて、すでにランドマークとして長年機能し、人の心のなにかを与え続けてきたということを含めて考えなければならないのだなあと、改めて感じました。「太陽の塔」を見てほっとする長距離トラックの運転手さんの話、それから「太陽の塔」を嫌がって泣く子どもの話。その多面性が面白い。そして、それだけ強く作用している、ということは、とても確かなことなのだなと知りました。確かにあいつは「強い」よね。強いってのが、イコールよいこととは限らないとは思うけれど、でも、それがすでに及ぼしてきた作用なしには語れないよなあ。うむ。わたしの頭はまだ、オーバーフローしっぱなしです。岡本太郎、恐るべし。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00728/
勇崎
飛弾野数右衛門と東川町「ぼくの日記帳は、カメラだった。」
2003年09月18日(木)23時57分56秒
一昨年、東川町在住アマチュア写真家・飛弾野数右衛門氏が第17回東川賞特別賞を受賞されました。地元ととしては、17年目にして初めての受賞。しかも87歳(現在89歳)での受賞ということで、喜びもひとしおでした。
その年末には季刊誌「自然と文化」(<財>日本ナショナルトラスト刊)が大々的な特集を組み【 飛弾野数右衛門と東川町「ぼくの日記帳は、カメラだった。」】が発刊されました。
そしてそ の全内容がWeb(日本財団)で公開されていることを数日前に知りましたので、みなさんにお知らせするしだいです。(URLは文末に記しておきます)
この特集は、約200点に及ぶ飛弾野作品と東川賞審査会委員の長野重一氏(写真家:代表委員)、筑紫哲也氏(ジャーナリスト)、平木収氏(写真評論家)、山岸享子氏(写真キュレーター)、岡部あおみ氏(美術評論家)、佐藤時啓氏(写真家)による座談会「ぼくの日記帳は、カメラだった。」。そして、評伝「ある写真家の誕生について [飛弾野数右衛門と東川町]」の3部で大きく構成されています(全85頁)。
評伝は、はずかしながら僕の手によるものです。400字詰原稿用紙25〜30枚程度との依頼でしたが、初稿は書き上げた時は倍以上の60枚にもなっていました。メイン業務の合間を縫いながら、20日間で10稿まで推敲を重ね、41枚までに改稿できたところで推敲も、もう限界。版元にご迷惑をかけました。
是非、手にして傍に置いていてもらいたい。そんな感じなのですが、よろしければ、まずはWebでご堪能下さい。表紙が拡大してみれます。表紙デザインはグラフィックデザイナーの杉浦康平氏です(杉浦氏も東川賞審査会委員です)。
このWebでの白黒写真版の再現は残念ながら、本誌に比べると相当に劣ります。もし、お気に召されたら、Webを通じ、<財>日本ナショナルトラストにご購読(¥1000)をお申し込み下さい。
杉浦氏デザインの本の手触り感が、なんともいい感じです。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00728/
寮美千子
「のうさぎのフルー」復刊?!に関して
2003年09月18日(木)03時37分14秒
一昨日の番田の神代神楽の帰り、自転車で家の前まで戻ってきたわたしは、すっかりライダーズハイになり、もっと走りたくなってしまったのでした。「もう疲れたよ」と嫌がる田中彰氏を強引に誘い、家の前を素通りして、そのまま東林間のグリム書房へ。
行きたかった理由はふたつ。ひとつは、田中彰氏が首謀者の10月11日の「ヒバクシャ――世界の終わりに」町田上映会の宣伝。もうひとつは、昨年12月に童話館から「復刊」された「野うさぎのフルー」の1930代年出版のフランス版の原典を見たかったことでした。
実はこの作品、1964年に福音館から「のうさぎのフルー」として出版され、長らく絶版になっていたもの。童話館からの再版は、ファンが待ちに待ったものでした。ところが、出版されてみると、福音館版と全然違うレイアウト。どうなっているのか? という問題提起を、成田順子さんという主婦の方が絵本学会でなさったのでした。
http://www.d6.dion.ne.jp/~grimm/froux.htm
で、見にいって驚いた。まさか、ここまでとは思わなかった。この問題には言及するつもりはなかったけれど、言わざるを得ない、という気持ちにさせられました。ということで、この問題がグリム書房さんのBBSで紛糾しています。わたしも書き込んだので、わたしが書いた分だけ、ここに再録させてもらいます。
http://www1.ezbbs.net/07/grimm/703.百聞は一見にしかず! 「のうさぎのフルー」を見て
名前:寮美千子 ?? 日付:9月16日(火) 16時47分
きのう、グリム書房さんで「のうさぎのフルー」のフランス版、アメリカ版、福音館版、童話館版の4冊を見て、驚きました。成田さんの論文はすでに読ませていただいて「童話館版の改変は問題があるなあ」と思ってはいたものの、まさかここまで!とは予想以上。やっぱり、現物を見ないとわからないものだと痛感しました。はっきりいって「無神経」といっていいほどのレイアウト。フランス版の細かい配慮が台無しです。ページ上部にあった頭の切れた屋根の家を、ページのなかほどに持ってきて、そのままぷつんと頭が切れたままにしておくところなど、いったいどういう神経があったらこんなことができるのか、理解に苦しみました。これは、原作への冒涜ではないか、とすら思うほどです。
逆に、福音館版は、原作に忠実で、文字が波のように踊るところや、十字架の形に文字を配しているところなど、日本語でもそのままにレイアウトするよう工夫されていました。細かい配慮が行き届いていて、作品に対する深い愛情が感じられました。
すでにこの福音館版というすばらしい成果があるのに、なぜそれを台無しにするようなことを後からしたのか? 翻訳などでは、一般に、後発のものが、前にあるものより出来がいいといわれます。すでにある成果を生かし、さらにその上に新たな成果を積みあげる、ということが可能だからです。しかし「のうさぎのフルー」の場合、少なくともレイアウトに関してはまったく逆。すでによきものがあるのに、なぜ、こんなことをしなければならなかったのか。編集者側のほんとうの意図をきいてみたいものだと思いました。
成田さんの論文は、細部にわたりきちんと言及されていると現物を見て改めて感心しました。立派な問題提起だと思います。この4冊を並べて見れば、きっとだれでも成田さんの主張に納得できるでしょう。「見ればわかる」世界です。機会のある方には、ぜひご覧になっていただきたいと思いました。
わたしも、成田さん同様、福音館版のレイアウトでの再刊を強く希望します。絵本において「絵のレイアウト」は、そのままひとつのメッセージであり「言葉」です。表現そのものです。文字による言葉同様、大切にされるべきであると考えます。
(ああ、作家なのに、こんなこと書いて、童話館からはぜったいに仕事こないだろうなあ)
715.書誌情報がきちんとしていれば、どんな本造りをしてもいいのか?
名前:寮美千子 ?? 日付:9月18日(木) 2時28分
>この本の問題点ははきちんとした書誌情報を本にのせなかったことに尽きると思います。
sachiさんはこのようにおっしゃいますが、ほんとうにそうお考えでしょうか。書誌情報さえきちんとしていれば、ほんとうにどんな本になってもいいのでしょうか? あまりにも目に余る愚劣なレイアウトに対しては、いかに書誌情報がはっきりしていようが、異議を申し立てるべきであると、わたしは思います。書誌情報が掲載されていないことが、今回の問題に拍車をかけていることは確実ですが、では、それが解消されればいいというようなレベルの問題ではないと思います。
>編集方針うんぬんというのは実は、編集権というものもあり、
>この編集ではダメだから、新しく作り直してとはいえないところがあるのです。
一体、いつだれがどこで「いえないところがある」のでしょうか。愚劣な編集に対して「ひどいから直してほしい」という権利は、だれにでもあります。たとえ法的に、直さなければならない義務が編集側にないとしても。
「訳者、編集者、作家……」というのが、sachiさんのお書きになった投稿のタイトルでした。ここに、大切なものが抜け落ちています。「読者」です。
> 私は今回の「フルー」の絵の並べ替えが
>良い方向に編集されているとは思っていません。
>けれども、本を作る現場にいる人間としてはなんらかの理由があったのだろうなと
>想像して書いたわけです
ここでも読者不在です。「事情を知らない素人は黙っていなさい」と誤解されても仕方ないような言葉です。
読者は、黙って受け取るだけの存在であるべきでしょうか? そんなことはありません。そこに読者があってこそ、本は存在しうるものです。「だから、作家も編集者も読者におもねろ」というつもりは毛頭ありません。しかし、今回のように、読者が、すでに完成度が極めて高い形で出版がなされている作品の「復刊」を心待ちにしていた場合、それを裏切るような形での出版に対して異議を申し立てるのは、あまりにも当然のことと思います。そして、本作りに関わった人々は、それを深く受けとめてほしいと思います。
sachiさんは、「のうさぎのフルー」のフランス版、福音館版、そして今回出版された童話館の「野うさぎのフルー」を「ほんとうに」ご覧になってのご意見なのでしょうか。ご覧になってなお、石井桃子さんが「訳者といいながらも編集者としての感覚の優れている大先輩、そこのところで、力を尽くされた」とお感じなのでしょうか。
わたしにはとてもそうは思えませんでした。石井桃子さんが大先輩であればあるほど、この童話館版の「野うさぎのフルー」は、石井さんのコントロールを離れたところで制作されたのではないか、という疑念を抱かざるをえせんでした。
というのは、それほどにレイアウトがひどかったからです。
sachiさんが現役の編集者としてご活躍であり、童話館版の「野うさぎのフルー」を「良い方向に編集されているとは思っていない」にもかかわらず、これだけのひどい改変を「作る現場にいる人間のなんらかの理由」があるならよしとなさるのであれば、はっきりいって、わたしはそのような編集者というものに強い失望を感じます。
sachiさんには、そのようなおつもりはなく、単に「編集には制作側の事情もあるのですよ」ということを親切に教えてくださっただけなのかもしれませんが。
編集者は、作品の生殺与奪を握る強い存在です。強い力を持つ者だからこそ、謙虚に人々の声に耳を傾けてほしいと切望しています。作家の声もですが、読者の声も、重箱の隅をつつくようなものだと一蹴せず、きちんと現物にあたって自分の眼で確かめてほしいと感じます。現物に当たれば、成田さんの問題提起が、決して重箱の隅をつつくようなものではなく、絵本という存在の根幹に関わる大切な問題であることは一目瞭然だと思います。「問題は書誌情報未掲載に尽きる」というようなことではないと思います。
ちなみに、石井桃子さんは、1907年生まれ。2002年12月に出た新版の「野うさぎのフルー」の新訳が出版されたのは、石井桃子先生95歳の時です。90歳を越えてなお、新訳を出版なさる意欲はすばらしいものだと敬服します。であるからこそなおさらに、この作品が、ほんとうにいい形で読者に届くことを強く望みます。
そして、グリム書房のご主人が、この「神の手の編集者」問題に関して、9月17日の日記で鋭い意見を述べています。必見!
http://www.d6.dion.ne.jp/~grimm/2003.koushin.9gatsu.htm
他人の本のことに頭突っこんでいないで、ちゃんと自分の仕事しろよ! という声が外からばかりでなく、わたしの頭の中からも響いてきます。わたしもそう思います。んでも、あんまりだったからさあ、黙っていられなかったの。許して。(誰に許してもらいたいんだ?!)
寮美千子
番田の神代神楽
2003年09月17日(水)00時28分13秒
このところ、イオマンテ絵本の原稿制作にとりつかれていたわたし。頭痛もちょっと軽くなったし「ああ、細部に宿る魔物から離れたい!」と願うわたしの前に、昨日の朝、タブロイド判の新聞が投げこまれました。相模原市の市報です。表紙に大きく載ったきらびやかな若武者の写真に目を奪われました。「市指定無形民俗文化財 番田の神代神楽」とありますよくみれば「9月15日には、亀ヶ池八幡宮で」と。「何? きょうじゃないの!」
というわけで、昨日15日、相模線の上溝駅と番田駅のなかほどにある亀ヶ池八幡宮に行ってきました。おつきあいくださったのは、町田の翻訳家・田中彰氏。地図を見て、迷いながらも自転車で行きました。片道約8キロ程度。
「変だな」と思って地図を見たら、そこは、道保池自然公園。道を一本間違えたのでした。街道に沿って小さな流れがあり、一面に葦が茂っています。あまりきれいなので「ちょっと寄っていこうよ」と田中氏。
中にはいると、渡り板がわたしてあって、そこを歩けます。「あれ、ぼく、来たことある。前は電車で来たからわからなかったけれど、ここだよ」と田中氏。「この奥に、ナウシカの『腐海』みたいな場所があるんだ」
というので、行ってみると……。さして歩かないうちに、風景はがらりと変わり、まるで別世界。なだれおちるような緑に囲まれた谷底に、湧水の泉がありました。その一面に茂ったやわらかそうな草。渡り板のうえから手を伸ばしてみて、葉っぱを一枚だけ失敬して試してみたら、なんとクレソン。上を見れば、樹木の梢にまあるく切り取られたような青空。そこから射した光が、クレソンの葉にあたって、みずみずしい緑に輝いています。夢のよう。しかし、その夢はヤブ蚊に破られたのでした。
そんな寄り道をして、たどりついた亀ヶ池八幡宮。境内では少年剣士たちが、御前試合をしていました。ああ、剣道ってりりしくていいな、とはじめて心の底から思った。単なるスポーツではなくて、奉納っていうのがいい。相模原でも、このあたりは歴史が古く、古い街並みと共に、こんな風習も残っているのです。
持参のお弁当は自家製のパン、ピクルス、スモークチキンのサンドイッチ。境内では、小さな舞台がしつられられて、少年少女によってお囃子が奏でられ、獅子舞やおかめひょっとこの踊りが絶え間なく行われています。その音色が途切れたら、いよいよ神代神楽。新しく作られたらしい立派なお神楽の舞台のまえに、ござが敷かれ、みんながそこにすわって見物です。わたしも田中氏と正面に陣取りました。
お神楽は、本来20も演目があるもの。今回は3つだけが上演されました。最初に女性の舞。後の二つは、ヤマトタケルが天皇から「クマソ征伐」を命じられる場面と、女装したヤマトタケルが、クマソタケルを酒席で刺す場面です。
なぜ、相模原でクマソ征伐? 幕間に突撃取材にいくと、着物をたたんでいたおばあさんが、いろいろ教えてくださいました。このおばあさんは、神楽の伝統を受け継いできた亀山家の方。こんなお話をしてくださいました。
この神楽は九州より伝わったんですよ。主人がよく知っていたのですが、5年ほどまえに亡くなって、よくわからなくなってしまいました。もっといろいろ聞いておけばよかったと思うのですが、後の祭りです。主人のお父さんは、主人より詳しかったんですよ。いまでも、家には由来が書かれたこんな分厚い古文書が2冊、あるんです。わたしには読めなくて。学者さんでも読めば、わかるんでしょうけどねえ。残念ながら、息子は継いでくれず、後継者に困っています。
この神楽のもとになった九州の方で、神楽の伝統が途絶えてしまったからと、何年か前にわざわざ九州から何人も人がいらして、市役所の会議室でお教えしたことがありました。その時は、古くなった衣裳もたくさんおかししたんです。あちらで、新しくつくるための参考にしてただくために。
もう、昔のように神楽を継ぐ家系などこだわりませんから、だれでも若い方で、やってみたいという方がいらしたら、喜んでお教えしたいと思っているんですよ。
ゴザにすわってみているうちに、みるみる日が暮れていきました。みんな、ゆるゆるビールなど飲みながら、楽しく見ています。きっと昔は、20もある演目を、一日中かけてやって、みんなお花見のように飲み食いしながら、楽しく過ごしたのでしょう。
神楽、といっても、どこか博多にわかを思わせる滑稽な動きも多く、ことに「お付きの人」はおかめやひょっとこのような顔つきで、動作も面白いのです。そのお付きの人の背中がまあるく曲がっている。演出かと思ってよくみれば、そうではなく、それはあの舞台裏で着物を畳んでいたおばあさんでした。若い演者がいなくなって、ほとんどの役を老人たちが演じていました。ちょっと、胸が詰まりました。
午後3時に始まったお神楽が6時に終わると、それから地元の演芸大会です。各部落から2組ずつ代表が出て、歌や踊りやお琴の演奏を披露します。プログラムの一番最初は「フラダンス」でしたが、自転車ということもあり、後ろ髪引かれる思いで後にしました。
剣道も、踊りも舞も、「地元」と密接に結びついていたよき時代、「芸術」もまた、日常と切り離されたものではなく、溶け合うように存在していたでしょう。「朝廷」は、このような「芸能」をも制して、その勢力を拡大していったのかもしれません。人間と芸術の関わり。さまざまなことを感じました。なんだか、夢の里へいったような一日でした。番田の神代神楽、いつまでの続くことを願ってやみません。
大長老
ご養生を
2003年09月15日(月)02時43分04秒
▽本日も、細部に宿る魔物とさらなる死闘! へのコメント
>「少し鬱なくらいが、モノを書くのにちょうどいい」
人は変わりますよ。無常です。
更年期をすぎたら変わりましたね、あたし。
「少しソウなくらいが、モノを書くのにちょうどいい」ようになりました。
寮美千子
本日も、細部に宿る魔物とさらなる死闘!
2003年09月14日(日)23時41分47秒
▽寮美千子、3日間熊と格闘! へのコメント
うー、頭、痛い。
「少し鬱なくらいが、モノを書くのにちょうどいい」とは大長老のお言葉。
先週末より、ずっと頭痛に悩まされているので、ほいほい買い物にもでられず、
家の片づけもできず、やっと創作に向かえました。
ちょっと元気がないくらいが、ちょうどいいのかも。
いつものことではあるけれど、細部に宿る魔物にとりつかれています。
この魔物、結構魅力的なのが、困る。なかなか、離れられません。
明日は、なんとか一旦離れたいわたしです。
寮美千子
寮美千子、3日間熊と格闘!
2003年09月13日(土)20時27分50秒
きのうまでの3日間、構想中の絵本「イオマンテ めぐるいのちの贈り物」と格闘していました。ほんとうにこれは、格闘技だ、と感じました。
原稿は昨日ほぼ完成。きょうは、細部に宿る神々と格闘していました。(半日は頭痛で寝込んでいたけど) 神と格闘しているつもりで、いつのまにか悪魔に魅入られていたりするから、怖い。削らなくてもいい言葉を削ったり、反対によけいなものを付け加えたり。時間をおいて、冷静にみなおすしかないと感じています。
近々、アップして、みなさんのご意見もいただきたいと思っています。もうすぐリトも東京にくるし、きびしく批評してくれ!
寮美千子
『アイヌときどき日本人』
2003年09月12日(金)02時16分12秒
▽はじめまして。偶然見つけました。 へのコメント
>『アイヌときどき日本人』の出版に関して、
>財団の助成金はいっさいいただいておりません。by 宇井さん
すいません。わたしの単なる勘違いでした。ほかの本の記憶と、うっかりまじってしまったようです。失礼しました。訂正しておきました。
「撮らせてもらっている、ということをいつも忘れない」「撮っていいよ、といわれているときにも、どこまでやっていいのか、いつもそれを感じながら、雰囲気を読みながら撮っている。ああ、ここは神聖で、いまシャッターを切ってはいけない、と思うときは、許可があっても撮らない」という宇井さんの謙虚な姿勢、感心しました。それでいて「和人だからと卑屈になってはいけない」というところも、胸がすきました。でも、そんなことより何より、ほんとうにすなおに、まっすぐに、はだかの心ではいっていったからこそ撮れた写真なんだなと感じました。宇井さん、という人でなければできない仕事だったのだろうと、お話をお伺いして確信しました。
ただ、タイトルにはちょっと違和感を感じてしまったのでした。というか、最初から意味がわかりづらかった。以前からこの本のことは知ってはいたのですが、こちらの理解力が足りないせいか、タイトルの意味がいまひとつわかりにくくて、ちゃんと手に取ってみるチャンスがありませんでした。あの日、講義でたくさんの写真を見せてもらい、撮られた人々の素直な表情にすうっとはいっていくことができました。こんな写真を撮れるなんてすごいなあと思いました。宇井さんのあの素直な写真を、タイトルは表現しきっていなくて残念だなあと、感じてしまったのでした。
でも、よく考えてみると、この「わからなさ」は、実は現実の混乱を見事にいいあてているのかもしれませんね。「アイヌ」という民族や文化の呼称と「日本人」という「国」に属した呼び方。これは同じジャンルのものじゃない。それが並列されているところに、意味があるのかもしれません。
これからも、どしどしすてきな写真を撮ってください。
うい
はじめまして。偶然見つけました。
2003年09月11日(木)19時48分12秒
▽夏のアイヌ文化講座、明日で最終回 へのコメント
つたない講師をしたういです。
講座を最後まで聞いていただきありがとうございました。
色々なご意見参考になります。
ところで、ちょっと違うところがあったので、訂正してください。
『アイヌときどき日本人』の出版に関して、財団の助成金はいっさいいただいておりません。
どちらで誤った情報を聞かれたのでしょうか?
寮美千子
池田小事件判決に思う/人の死を強く願えば魂が深く傷つく
2003年09月04日(木)01時55分31秒
▽死刑を望む気持ちを見届けること へのコメント
望ちゃん、勇崎さん、kiyomiさん、おむすびの祈りさん。池田小学校事件と死刑についてのレス、ありがとう。みんなの投稿を読んで、そうだそうだと思い、じいんときました。
この問題、あまりにもたくさんの論じる点があり、人の生き方そのものに関わる深い問題なので、すぐにレスが書けませんでした。すいません。どのテーマも、ゆっくり語りたいものばかり。気の済むまで語っていたら、一冊の本になってしまいそうな勢いです。それはいますぐは無理なので、短い言葉だけれど、わたしの気持ち、記したいと思います。語るべきたくさんの言葉は、わたし自身が、仕事のなかで、少しずつ誠意を持って語っていきたいと思います。
▼望ちゃん
ほんとうにありがとう。石ころだらけの河原から、小石をひとつひとつ拾いあげ、じっと掌の中で見つめて選びとったような、そんな言葉たち。ざらざらっと無造作に机の上に撒かれただけで、その美しさに息を飲むような小さな石たち。それが望ちゃんの言葉だと思いました。じいんとして、思わず涙がこみあげてきました。
>生きているためのまっくろなささえ
>復讐を遂げないためにはなにが必要でしょうか
望ちゃんの切実な言葉は、深く胸を打ちます。簡単に「答え」に飛びつこうとしない辛抱強さ。自分と他者を辛抱強く見つめようとする目に感動します。
>必要なのは発散じゃなくて、物事の流れの行きつく先を、辛抱強く見守りながら、
>自分の立場からそれに「関わってくる」ことを、捨てない、
>ということではないかと思います。
>それが、毎日生きてる私に、できる最低限のことではと思います。
誰かに深く傷つけられ、傷つけた人を恨み憎み、その憎しみに振り回され、その刃が自分自身に向き、落ち込み、世界が怖くなり、だからこそまた相手を恨む。人間は、そんなふうに自分を痛めつけ、壊していくことがある生き物です。でも、その苦しみを舐めた果てに希望を見つけられたとすれば、その希望はその人だけではなく、すべての人の勇気になります。
望ちゃんの言葉に、そんな強さを感じるわたしです。ありがとう。これからも、いっしょにいろいろ考えていこうね。ゆっくりと。
▼勇崎さま
宅間被告の自殺願望。わたしも感じました。彼は、絶望している。この社会に、そして自分自身に対して、徹底的に。彼は、社会に復讐をし、自分を抹殺しようとした。その視点から見れば、彼の言葉は理路整然としています。矛盾点などない。宅間被告は、いわば「ひとり自爆テロリスト」ではないかとさえ感じます。
彼がなぜそんなにも社会に絶望したのか。自分自身に絶望しなければならなかったのか。「地裁」での死刑宣告を受け容れ、控訴しないという意思表示をするほどに絶望しているのはなぜか。そのことについて、いろいろと考えました。それは、kiyomiさんが語ってくれた言葉にも通底していきます。「私たちに責任はないのか……」
>人は精神が正常に働くなかで殺人といったような犯罪を犯すだろうか?
>殺人などという行為は精神が異常な状態でなければ起こり得ないと思うのです。
その通りだと思います。そして、アフガニスタンやイラクの人々の頭上に平然と爆弾を落としているアメリカという国は、まさしく「異常」であると、わたしは考えます。それに追随する日本も。その異常が許され、アメリカが常に「勝者」である歪んだ社会。そこに存在する肥大した欲望。宅間被告もまた、その狂った構図の中にいたと感じるのです。
>「精神鑑定の結果○○病や知的障害があると判明したので、罪を軽減する」ことのほうが、
>逆に○○病の人たちや知的障害を持つ一般を反社会的な存在にしてしまい、
>差別や蔑視感をつくりだし、追い込んでしまうようにも思うのです。
>ですから、罪の前には、○○病だろうがなかろうが、等価である
>という前提に毅然と立ってみる、
>ということも社会的に研究されてもいいのではないでしょうか。
この問題も、語られるべき大きな問題だと思います。「情性欠如」との鑑定をした友人の精神科医ドクとも、このことについて語りあったことがあります。ドクも、同じ問題について考えていました。彼はいま、その問題に関する委員会の委員長もしています。また、ドクから「罪にならなかったという罪の意識」に苛まれる被告についての話も聞いたことがありました。わたしは、基本的に勇崎さんの意見に賛成です。その根拠についても、いつかゆっくりお話ししたいと思います。
▼kiyomiさま
kiyomiさんの投稿に、深く感謝します。実際に問題のある子どもたちと関わっているkiyomiさんだからこそいえる真実の言葉。わたしは、本当に深く深く感動しました。宅間被告の報道に関して完全に抜け落ちていたのは、まさしくこのことです。
>わたしたちに責任はないのか……
この視点がすっぽりと抜けている。宅間被告は、他者への共感能力のまったくない極悪の怪物のように扱われていました。確かに、彼のしたことは筆舌につくしがたいほどひどい。けれど、どうしてこの社会は、そんな人物を生んだのか。彼がその性格に問題を持っていたとしても、何らかの形で社会と、そして人と交流する機会があったら、ここまでの陰惨な事件にはならなかったのではないか。わたしたちに、ひとつも責任はないのか。そのことを、問わなければならないと思います。このことについても、いずれに機会にかゆっくりお話したいと思います。いつか、うちに泊まりがけで遊びにきてください。
▼おむすびの祈りさま
>人の魂が現世で終わらないとしたら
>死刑はやはり良くない事だと思います。
>魂は現世で起こした罪を現世で償うべきです。
>死はただ肉体が滅ぶだけ。
>そのうちその苦痛にゆがんだ魂は
>誰かの子供としてまた現世に戻ってくる。
ほんとうに、そうですね。終わりなき憎悪の連鎖。それが、人をしあわせにするわけがありません。
そして、もし人の魂が現世で終わるのだとしたら、やっぱり死刑はいけないと、わたしは思うのです。なぜなら、死は償いにならないからです。死刑=改悛でもありません。死刑は単なる死の強制です。何も解決しないまま、ぶつっと断ち切ることでしかありません。
「それがどのようなことを人の上に降りかからせたのか(罪を犯した者は)死ぬよりも前に知らなくてはならない」という望ちゃんの考え方を、わたしは支持します。死刑が、その人に改悛の気持ちを起こさせずに、ただ命をぷっつりと切ることにしかならないのだとしたら、そのどこが償いになるでしょうか。むしろ、悪しき意味での「救い」になってしまう可能性すらある。
罪を犯した者には、自分が何をしたかを知る機会を、ぎりぎりまで与えるべきであると、わたしは思います。そして、もしほんとうに改悛したならば、その時点で、もうその人の命を強制的に奪う理由はないと思うのです。償いきれないことをしたということを償うために、その人は苦しみながらぎりぎりまで生きるなければならない。それ以外に、どんな償いがあるというのでしょうか。
▼わたしの思い
判決の日の報道は、ほんとうに胸に痛いものでした。宅間被告に死を願う親の気持ちもわかります。わかるけれど、それが心に痛かった。「宅間には、死刑の日まで、死の恐怖を味わってほしい」と遺族の一人がいいました。そんなことを願わなければならないという状況自体が、あまりに恐ろしいことで、魂に痛かった。
人の死を願うなんて、死の恐怖を味わえだなんて、そんな心を抱き、言葉にすることが、言ったその人の魂を傷つけないはずがありません。しかも、その「死」は恐らく実行されるでしょう。彼女の望んだとおりに。けれど、それで心が晴れる人がいるだろうか。心なんか、晴れるはずがない。それは、深く、より深くその人の魂を傷つけるだけではないのか。誰一人として、救いはしないのではないか。
被告の死を、当然のように願う遺族たち。それを、あたかも「是」として報道するマスコミ。暗澹たる気持ちになりました。
テレビや新聞は、宅間被告を「悪」として、そこに独自に存在するもののごとくに描いていました。まるで、どこか遠い空から降ってきたエイリアンか何かのように。けれど、彼は確実に、いまのこの日本社会から生まれたのです。彼が人の心も持たない怪物なのだとしたら、そんな怪物を生んだのは、わたしたち自身です。彼は、わたしたち社会の一員です。彼を育てたのは、わたしたちです。その視点が、決定的に欠けていたように思います。
そのことについて、こんどゆっくり書きたいと思います。みんな、心からの言葉を、ありがとう。こうやって心の言葉を語る人々がいることは、わたしにとって大きな救いです。そして、このように語ってくれる友を持っていることは、わたしの誇りです。
おむすびの祈り
映画「氷海の伝説」に学ぶ。
2003年08月30日(土)09時15分10秒
▽人の命を奪わないという人権/大阪・池田小児童殺傷事件に思う へのコメント
人の魂が現世で終わらないとしたら
死刑はやはり良くない事だと思います。
魂は現世で起こした罪を現世で償うべきです。
死はただ肉体が滅ぶだけ。
そのうちその苦痛にゆがんだ魂は
誰かの子供としてまた現世に戻ってくる。
だから行き場を失った孤独で残虐な魂に対して
真の自己に目覚める事ができるよう
力添えをしてあげるべきだと思います。
今の死刑はただ罪を個人だけに背負わせて
臭いものに蓋をするだけの行為のように思えてなりません。
戦争でもそうだけど人殺しは人殺ししか生まないと思います。
「氷海の伝説」というイヌイットの映画を観ました。
主人公は同じ部族の若者に命を狙われ
兄は殺され自分も殺されそうになったところを
なんとか命からがら逃げ出します。
そして主人公は後に復讐に出ましたが
結局相手を殺しませんでした。そして涙ながらに
「人殺しはよくない」と相手を許します。
そうやって主人公は憎しみで人を殺しあうという鎖を断ち切りました。
起きてしまった出来事を受け入れ
犯罪を犯した人間と出来事を分けて考えるやりかた。
この部族の物語にこの問題を解決するヒントになるのではと思います。
http://www.alcine-terran.com/main/hyoukai.html
kiyomi
私たちに責任はないのか・・・
2003年08月30日(土)05時12分47秒
▽人の命を奪わないという人権/大阪・池田小児童殺傷事件に思う へのコメント
自分の命よりも大切なわが子を突然奪われた事実。最愛の宝物を喪っても尚、遺された人々は生きなくてはならない。生きる理由を探すのに、どれだけの時を費やせばいいのか・・・。費やせば探し当てられるのか・・・。
遺された者にとって愛する者の「喪い方」は、その後の人生を決定づける。それがどんなに苦しいものであっても、自分の人生に「yes」と言えたなら、遺された者は辛くてもそれを希望のエールに変える事ができるかもしれない。しかし・・・、今回の様な恐怖に満ちた体験の中で、幼き命が逃げまどいながら最期を迎えなければならなかった地獄絵は、想像すればするほど精神を保つことは難しい。ご両親、ごきょうだいに至ってはその哀しみの深さははかり知れず、ただ立ちすくむしかない。
しかし、しかし一方で、私はこの事件をどうしても、社会問題としか捉えられないでいる。宅間氏は、香山リカ氏がコメントするように「特異な人物」だと私も思う。「人生の早い時期に家族から見放された」過去も、彼が引き受けなくてはいけない罪の代償だったのかもしれない。
しかし・・・、彼の人生の中でたった一人でいい、彼に「やり直してみよう」と思う機会を与えられる人にどうして出会えなかったのか・・・。私たちは、日々「自分」への興味に駆り立てられ時間を失い、そう言う一人になり得ているのだろうか。そして家族が見放さざるを得ない状況になる前に、社会は何かできなかったのか。
私がこう思うのは、出会ってきた子ども達から声なく発せられた悲痛な叫びと、この事件が重なり合うからである。話が長くなりそうで恐縮だが、少々おつきあい願えればと思う。
私は障害をもち、尚かつ両親と暮らせないたくさんの施設の子ども達と出会ってきた。その多くは過酷な生育歴をもち、愛情の基盤がない中で問題を抱えつつ懸命に生きている。A君は幼い頃から母の暴力を受け、無理心中の果てに障害をもった子である。母はA君を捨て、行方不明となった。彼はその日から天涯孤独で、施設を転々とすることになる。彼はすべての会話を「暴力」に訴え大きくなっていく。中学生になった頃には、大人でもおさえきれないほどの腕力をもち、破壊と暴力を重ねていく。どの施設でも匙を投げ、措置替えを繰り返した。そんな時彼は私たちの学校へ転入してきたのだった。校内に大きな野太い声が響き渡り、時に喧嘩を止めに入った教員が骨折したり、脳しんとうで救急車で運ばれたりすることもあった。それでも、静かにそしてしっかり向き合いながら接する担任達を少しずつ信頼するようになり、暴力はめっきり減っていった。抑えようもなく、怒って椅子を投げたり叫ぶことがたまにあっても、投げた椅子が人に当たらないように止めに走ったり、叫ぶ内容に教員への敬語が混じっていたり・・・と、変化を実感する、他学部の私たちは嬉しくて笑いを押し殺していたのを忘れない。
そして更に高等部になり、彼が大好きな教員が担任になった。彼は授業や行事にも、不安定になりながらではあるが、その信頼できる担任を支えに参加できるようになっていった。照れくさくて「お願い」ができない彼だが「俺○○に謝りたいんだけど・・・、おまえ(大好きな担任)もついてきたいだろう?!」とこんな笑ってしまう様なサポートサインが担任に素直に発せられるようになったのも、大きな変化だった。担任は、一緒に遊ぼうと言われれば老体に鞭打ちながら、彼が満足いくまで共にこどものように遊び回った。暴力に頼らない人との関わり方を、一つ一つ暖かく笑いいっぱいの中で彼に伝えてもいった。
勿論、全てが良くなったわけではない。金銭のトラブルもあった・・・暴力事件もあった。しかし担任は、いつもじっくり話を聞き感情的に怒ることはなかった。勿論事の是非に関して話はするが、その言葉の中にはいつも暖かさがあり、自分で解決を探せるまで、何時間でも付き合ってきた。彼は確実に変わってきた。
しかし、それは信頼できる人の支え合ってこそなのである。施設内ではそうはいかなかった。「これが最後」と言われた事件から、数ヶ月たったある日・・・別の「問題(といわれる)」を引き起こし、精神科の病院施設に薬の調整のために入院させられてしまったのである。担任は「何故入院の必要があるのか」と理解できないでいる。
我が身を振り返りつつ、こういうことは、この社会に多々見られる現象なのではないだろうかと胃の痛む思いでこの話を聞く。周囲の人間の対応がほんのちょっと変われば、安心させられ幾らでもいい状況を引き出せるのに、何か問題を抱えた人に緊張を与える対応をしておきながら、その罪に気づいていない・・・。そして、全てが病むその人の責任になり、病院に入れたり薬に解決を求めたりする。本当に社会に・・・私たちに・・・責任はないのか。
精神障害・・・と言えば、「べてるの家」を思い出す。「病む人」を一人にしてはいけない。繋がっていけるのだと言うことを証明してくれる力強い存在である。
池田小学校の事件に関して、誰かの文へのコメント・・・と言うわけでもなく、以前から感じていたことをとりとめなく綴らせていただきました。
勇崎
三大怪獣・南海の決闘
2003年08月30日(土)01時59分44秒
▽おいおい へのコメント
ふ〜む。やっぱ、難解だったかなん。
僕って、難解の血統に生まれたからかもね。
三大怪獣は、ゴジラ・ミニラ・エビラだったかなあ。
クモンガもいたし、カマギラスもいたから、わかんない。
ここは、リトくんか松永青年に聞くしかないね。
本多信介
おいおい
2003年08月29日(金)23時14分08秒
▽自殺願望とその自己実現としての殺人〜大阪・池田小児童殺傷事件 へのコメント
簡単に話せよ
本多信介
あのさー
2003年08月29日(金)22時54分43秒
▽自殺願望とその自己実現としての殺人〜大阪・池田小児童殺傷事件 へのコメント
昔、仕官(だっけ)かなわないやつとかが
そいつの屋敷前で切腹したのに似てるような、
仲代達也がいればなー、
あの当事者もうそぶいてはいるけどけっこうまいってるんじゃないのかな
細胞あるんだもんな、
勇崎
自殺願望とその自己実現としての殺人〜大阪・池田小児童殺傷事件
2003年08月29日(金)22時32分57秒
http://www.zpi.ne.jp/
▽人の命を奪わないという人権/大阪・池田小児童殺傷事件に思う へのコメント
死刑制度の是非を問われている寮さんの投稿へのコメントには全くなっていないのですが、大阪・池田小児童殺傷事件から考えさせられることがあります。
それは、宅間被告には自殺願望があり、その願望の実現方法として、大量殺人→死刑→自殺願望の達成、という構造を描きながら、この事件が起こったのではないだろうか、と推理することからはじまります。
宅間被告にとって自殺願望の元凶は、社会(他者)であり、一人寂しく惨めに自害するよりは、上記の構造で自己実現するほうが、自分を地に落とした社会への復讐もでき、一石二鳥であり、そのための行為が劇画的、映画的、舞台的であればあるほど、自殺の惨めさ(元凶に負けたことを認めてしまうこと)も払拭できると考えたのでは、と想像してしまいます。
宅間被告に反省の心も弁もなく、「幼稚園だったら、もっと多くのこどもたちを殺せた(罪を犯せた)のに」といった後悔?を口にするのも、僕の想像を裏付けるものです。
問題は、このように考え行動してしまう人間を、どうして現代はつくりだしてしまったのか、ということです。現代にいたるここ百年の間で、人間が、日本人が、選択してきた道筋になんらかの過ちがあり、ここにいたる病巣をつくり出してきたのではないか? それは、いったいなんなのか?
以前、寮さんの投稿で、電車内の子供達を叱ったことから綴られ、イマジネーションの欠如や、いびつ(歪)なイマジネーションが、戦争を起こしてしまうことにまでつながる、と言及されたことがありました。死刑制度の是非論も活発に行われるべきですが、寮さんの以前の投稿に通底する“なにか?”をこの事件からも探求できればと思うのです。
● ● ● ● ●
もうひとつ、全く別のレベルのことですが、犯罪者の精神鑑定とその情状、ということにも僕は素朴な疑問を抱き続けています。人は精神が正常に働くなかで殺人といったような犯罪を犯すだろうか? 殺人などという行為は精神が異常な状態でなければ起こり得ないと思うのです。
精神が正常(シリアス)に働いたからこそ、止むに止まれず犯してしまった罪の方にこそ、僕は同情(情状)に傾いてしまいます。
犯罪者のなかには、逮捕後、精神異常を演じることで罪の軽減を図る者もいます。そのことで、事件の真相がますます判らなくなってしまいます。真相が判らないと、その犯罪をうみだした社会の病巣を見つけることが阻まれるだけではなく、被害者側の怒りを増長し、残された人々の心をさらにキズつけてしまうことにもなってしまいます。
一方、「精神鑑定の結果○○病や知的障害があると判明したので、罪を軽減する」ことのほうが、逆に○○病の人たちや知的障害を持つ一般を反社会的な存在にしてしまい、差別や蔑視感をつくりだし、追い込んでしまうようにも思うのです。ですから、罪の前には、○○病だろうがなかろうが、等価であるという前提に毅然と立ってみる、ということも社会的に研究されてもいいのではないでしょうか。
そして、大切なのは、○○病など精神的弱者である彼らを社会(人間たち)が温かく包み込み、そのような存在は社会(人間たちの集団)に当然存在するものとして、見守りあいながら共存することだと思うのですが、いかがでしょう?
● ● ● ● ●
異なるレベルのふたつの提起をいっぺんにしてしまい、まずかったかな、と思いますが、この事件をめぐって、いろいろな方々のお考えやご意見を、この板への投稿を通じて、お聞かせいただければ幸いです。
本多信介
あのさー
2003年08月29日(金)22時04分55秒
▽スケープゴートとしての万景峰号 へのコメント
あの頃の日本人も今の日本人も変わってないさ
もっと民度は落ちてるとは思うけど、
いつだって、おれたちは兵士という殺人者になれるさ
アメリカの若者のように、北朝鮮のマスゲームは
日本のいたる所で見られるだろ、形を変えて
ま、北の女の子達はけっして美女ではないわな、
彼女達も金なんとかーってやつの政権が交代した時に
犯罪者になるんかな、戦争画家だなんて、言うなよな、
望
死刑を望む気持ちを見届けること
2003年08月29日(金)02時43分40秒
http://www.h4.dion.ne.jp/~eulalie/top.htm
▽人の命を奪わないという人権/大阪・池田小児童殺傷事件に思う へのコメント
こんばんは。望です。(自己紹介は、していなかったでしたっけ?)
(『星兎』で寮さんの作品に触れ、その後も『楽園の鳥』や詩に惹かれ、時々忘
れたころに出没しているものです。)
私は以前、寮さんへのメールの中に、
>傷付けた人は、自分が何をしたのか、それがどのようなことを人の上に降り
> かからせたのか、死ぬよりも前に知らなくてはならないし、償いもできずに可能
> 性を閉じられてしまうのはあんまりだと思います。
と書きました。
今は、上記の文脈の上での、犯罪を犯した人の生きる「可能性」について、あん
まりだと同情する心は私にはほとんど無くなりました。
(それはそれで考え無しな状態なので、のちのち水を撒いてやわらかくしたいと
は思います)
でも、「それがどのようなことを人の上に降りかからせたのか、死ぬよりも前に
知らなくてはならない」と思う感情は、変わりません。
それが、本当の意味での復讐、知らしめるということだと思います。
死が償いになるということにはどうしても、納得できません。
命が生まれてくること、生きてきたこと、そこにあることそれだけが、どれだけ
の重さなのか。そのありようをケガス生き方をした人であったとしても、たぶん
私は生きているということをどんな理由の上であっても終わりに「する」という
ブツ切れ感を、容認することができないのです。
同時に、憎しみをあらかじめ持つなとも言えない自分がいます。
たとえそれが被害者でなく、死刑をつい望んでしまう傍観者であっても、起こっ
てくる感情にただ鍋ブタを抑えつけてなかったことにして、死刑を望むのは悪い
ことなのだという感じを抱かせても、意味がないなと思うのです。
死刑を望むのは、たとえば私だったら、清算や決着をつけたいと願う、そのため
の強い願望です。もはや断たれてしまった誰かの命や様々な可能性に対する、手っ
取り早い取り返しをしたい。
でも誰かの命を誰かの命で取り返しをつけてしまったらいけないような気がしま
す。
だから私は、死刑というものに完全に賛成をすることができません。
完全に反対をすることも、できないけれど。
死刑をなぜ望むのか、復讐の気持ちがどこから生まれどこへ行きつくのか、見届
けないうちに、それをヨシとすることもナシとすることも、だめ。と、意固地な
私は考えます。それは被害者だけが考えなきゃならないことではないな、と思い
ます。傍観者は、傍観者にならず、観る人にならなきゃなりません。
観ることで受け入れ、知ることでそこに立ちつづけ、踏ん張って、被害者も加害
者も抱えられる胸や頭を持たなきゃ、人の在る社会じゃないです。
どんなに抑えても、踏みにじられたものが、それを理解する時に沸きあがるエネ
ルギーを、殺すことはできません。それは、生きているためのまっくろなささえ
です。
けれどそれは諸刃の剣で、それが、なにかに対して(自分自身に対してであって
も)振るわれることだけは、とめなければいけないと、深く思います。
復讐を遂げないためにはなにが必要でしょうか。
それを以前私は、他人の言葉を引き(加害者と被害者を)「喧嘩させてあげる場
所を作る」ことだと書きました。この言葉はかなり尊大だったなと今は思います。
いまも場所を作る、間(ま)を作る、という感じは、変わらないです。
その場所の感じは、以前も書いたように、対立や、それを煽る空気であってほし
くないです。(たとえば以前のテレビや新聞に見られた死刑を望む人の激しい言
葉ばかりを意図的に裁断するということ)
自らの消化し切れない怒りを発散するために、代理戦争をしてもそれは思い遣り
じゃありませんよね。
必要なのは発散じゃなくて、物事の流れの行きつく先を、辛抱強く見守りながら、
自分の立場からそれに「関わってくる」ことを、捨てない、ということではない
かと思います。それが、毎日生きてる私に、できる最低限のことではと思います。
たとえば自分の立っている場所はどこなのかを、言葉にすることだけでも、それ
は大事なことのように思うので、今回、具体的に何をするかの実践は書けません
でしたが、自分の考えをここに書いてみました。
いつだってともすると無関心であることを装うことが、自分をぶち壊しにされな
いための生きるやりかただった私の、間違って習得した癖を、壊していけたなら
と強く望みます。
うまくまとめられたかどうか自信ありませんが。
拙文、ご容赦下さい。
寮美千子
夏のアイヌ文化講座、明日で最終回
2003年08月28日(木)15時09分02秒
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昨日のアイヌ文化講座は、写真家の宇井眞紀子さん。今回、東京会場で開かれる講座の中で、唯一「研究者ではない和人」としてアイヌと関わってきた人。わたしも「研究者ではない和人」としてアイヌ文化に関わっているので、興味深くお話をお伺いしました。宇井さんは
『アイヌときどき日本人』(社会評論社2001)という写真集を出版なさっています。この写真集は、首都圏に住むアイヌ民族の人々を撮ったもの。首都圏には五千人ものアイヌの方々が住んでいるといわれています。
実は、このタイトル、わたしははじめよくわからなかった。宇井さん自身のことをいっているのかと思いました。アイヌの人々とおつきあいし、気持ちの上ではすっかりアイヌであるという意味かと思ったのです。ところが、全然違った。これは「撮られている側」のことを示したタイトル。宇井さんが親しくおつきあいしているアイヌのおばあさんから「わたしは自分を日本人だと思ったこと、一度もないよ」とクレームをつけられたこもあったそうです。逆に「日本人として育ったから、むしろ日本人ときどきアイヌ、っていう気分だ」という人もいたとのこと。
タイトルが、撮影者自身のスタンスを示す一人称ではなく、撮影された側の人々をある意味客観視して「名づけた」ものであることに、わたしはどうしても微かな違和感を覚えてしまいます。そうではなくて、これがアイヌの「代弁者」としてあえてつけたタイトルだとしても、やはり違和感を覚えてしまう。
それはきっと、わたしがほとんど「一人称」でしか小説を書かないことと関係しているかもしれません。わたしはあなたになれないし、わたしは世界を俯瞰する神の視点も持てない。わたしは、わたしから見た世界についてしか語れない。どこか、そんなふうに感じているのかもしれません。
どんな視点で語ろうと「和人として、和人が抑圧した異文化に関わる」ことに、むずかしさ、微妙さがあることは確か。しかし、それに捕らわれすぎて不自由になりすぎても、お互いにとって不幸です。「写真が暴力だと自覚して撮影している」一方で「和人だからと卑屈にならないでアイヌ文化に関わりたい」という宇井さんのスタンス、共鳴しました。
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きょうの講座は「イオマンテの考古学」。夏のアイヌ講座も、いよいよ明日で最終回です。全回出席なるか? ラジオ体操みたいに、ごほうびくれたらいいのになあ。なんてね。でも、いっぱい勉強できたから、それだけでもおみやげいっぱいもらった気分です。帯広の百年記念館の内田さんに久しぶりにお目にかかれたのもうれしかった。アイヌ文化交流センターの方にも、とても親切にしていただいたし、気持ちよく出席できたこと、感謝です。
寮美千子
人の命を奪わないという人権/大阪・池田小児童殺傷事件に思う
2003年08月28日(木)02時19分48秒
2001年6月に起こった大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件の判決が、明日出ます。この事件があったとき、知人である京都の精神科医から電話をもらいました。わたしもこの事件の報道を見て、深い衝撃を受けていたので、事件について友人と言葉を交わすことができたことは、正直いって救いでした。自分ではどうしようもない動揺を、友人に受け止めてもらえたように感じたのです。その知人が、被告の精神鑑定をすることになったと聞いて、様々な思いにかられました。
明日の判決にあたり、友人は各テレビ局、新聞社からすでに取材を受けたそうです。朝日新聞の特集記事にも、鑑定医としての言葉が掲載されていました。子どもの頃からのさまざまな妄想癖があったという被告と向き合って、友人は、一鑑定医としてではなく、個人として、一体どのような感慨を得たのだろうかと、思わず考えてしまいます。
宅間被告の罪は、万死に値する重大な罪だと思います。しかし、死をもってしてもそれは到底償いきれるものではありません。彼を死刑にして、それで胸のつかえがすっかり降りるという遺族は、恐らく一人もいないでしょう。被告が死刑になれば償いになる、ということではないと思います。
「死刑」は、国家の名において、殺人を合法化することです。わたしは死刑に反対します。人の命を奪うことができるのは、天のみであると思います。人間はどんな立場の人であろうとも、その者の命を奪うという形で他者を裁く権利はない。「正義」の名のもとに殺人が認められれば、それは「戦争という名の正義」を認めることと同じことになります。世界から戦争をなくすためには、国家という組織の名のもとでの「死刑」をなくさなければならないと考えています。
死刑制度がある日本では、鑑定医が「責任能力あり」と鑑定することが、事実上、死刑の宣告と同じ意味を持つ、という事態が出現しています。鑑定医は裁くわけではない。けれど、結果として裁いたも同然のこととなる。鑑定医の苦悩やいかに、と思わざるをえません。自分の判断が、人の命を奪う結果になる。そんな過酷なことがあっていいのでしょうか。
求めて殺人者になりたいという人など、ほとんどいないでしょう。人の命を奪いたくない。そう思うのは自然なことだと思います。その気持ちを尊重すること。それも、ひとつの人権ではないでしょうか。イラクに派遣される自衛隊の人々も、自分の命を奪われる可能性があるということで、人権が無視されているだけではありません。他者の命を奪う可能性があるということもでもまた、人権が無視されていると思うのです。万が一、人を殺してしまったとしたら、それがいくら正義の名のもとでも、心に傷がつかないはずがありません。人は、心のどこかにその重荷を背負って一生を生きなければなりません。
わたしには、幼い命を奪った宅間被告を擁護する気持ちは一切ありません。宅間被告には極刑を求めるべきだと思っています。けれども、「極刑=死刑」であるという今の日本の制度は、間違っていると思います。
自分が怒りや嫉妬から解放されないダメ人間であり、人を許すことを知らない狭量な人間であるだけに、一層「死刑はいけない」と思うのです。
管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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