▲2003年07月の時の破片へ


■29 Jun 2003 プラネタリウム名物解説員・村松修氏の生解説



東急文化会館も明日で閉館。メガスターIIのふたつのプログラムを見て、その後、取材ということで、五島プラネタリウムの名物解説員だった村松さんの生解説を聞く。前日、朝日新聞の「ひと」欄にも名物解説員として掲載された村松さんの生解説は、いまや伝説にすらなっている。いったいどんなものだろうかと期待した。

村松さんの解説はさすがだった。流暢で、やさしく語りかけられるように話が進んでいく。科学解説も、しっかり織りこまれているし、なにより、いままでよく識別できなかった星座が、村松さんの説明を受けながら見ると、はっきりとその形が見えて頭に入ってくる。ぐるっと南半球までいって、銀河鉄道のジョバンニと同じ旅をすることができた。

村松さんの解説は、いままでの「生解説」のありかたの、ひとつの到達点だろう。すばらしいと思う。しかし、可能性はまだまだある。まったく別のスタイルの解説があってもいい。ポエトリー・リーディングを取りいれたアート・パフォーマンスのような解説もあってもいいかもしれない。


番組として流されたふたつのプログラム。ひとつは五藤光学制作の「星の記憶」。もうひとつはJ-WAVE制作の「スローライフ・ギャラリー」。悪いけれど、ふたつとも感心しなかった。「星の記憶」は、渋谷の歴史を星と関連づけて描いたもの。関連といっても、星の距離「何光年」を、単純に渋谷の歴史と対応させているだけ。「スローライフ・ギャラリー」にいたっては、女性ヴォーカルをつなぎあわせて、その間に「父は空 母は大地」を読むだけだった。音楽と言葉に何の関連もない。このような作品が、プラネタリウム番組のありうべき到達点であるはずがない。

メガスターのような美しい星空を手に入れたからには、ほんとうに深い「癒し」を得られるプログラムをつくることもできるだろう。子どもの頃、星を見て宇宙の果てを思うような、そんな哲学的な心を呼び覚ますこともできるだろう。セント・ギガでの7年間の蓄積を生かせるのは、プラネタリウムという場かもしれないと、ふと思った。

■27 Jun 2003 印刷会社と宮沢賢治


チラシ残りの5千部完成。オフセットはさすがにきれいだ。松永が渋谷に担いでいってくれる。感謝。

納品にやってきた印刷会社の人が、宮沢賢治のファンだという。わたしの作品を読みたいと「ラジオスターレストラン」を借りていってくれた。不思議なめぐりあわせだ。

■26 Jun 2003 器用という陥穽


和光大学「物語の作法」。古内旭くんの長編小説「るりえの帰還」を合評。200枚をこえるという力作だ。それだけのものを書くエネルギーがまずすごい。古内くんは、実は社会人として仕事をしながら、大学にも通っている勤労青年だ。もともと理科系の大学に行っていたのだが、どうしても文学をやりたくて、受験しなおして和光大学に入学したという。そのパワーも並みではない。すらっと細い美男子で、少しも脂ぎったところがないのに、どこにそんなパワーが潜んでいるのだろう。

作品は、バランスの悪さや穴はあるけれど、最後まで読ませる力がある。しかし、さまざまなもののパッチワークであることも否めない。未消化のまま継ぎあわされている。器用で、それができてしまうところが陥穽になっている節もある。「ほんとうは何を書きたいのか」自分で自分としっかり対話し、表現したいものにふさわしい様式を見つけることができたら、いい物書きになるだろう。

■25 Jun 2003 映画「ヒバクシャ――世界の終わりに」


シネカノンで「ヒバクシャ――世界の終わりに」の試写会。ヒバクシャという被害者は、実は原爆の被害者に留まらない。開発したアメリカ本土でも、アメリカ人自身が被曝している。米軍に劣化ウラン弾をばらまかれたイラクでも多くの子どもが白血病を発症。また、チェルノブイリの原発事故では、国境を越えて多くの人が被曝している。事故から10年後の1996年より、北海道、東北、日本海沿岸地区で、乳ガン死亡率が数倍になっているという統計が映画の中で示されて、改めて背筋が寒くなった。

この統計は、厚生労働省のデータをもとにしたものだが、統計を取ったのは長年原爆症の治療に携わってきた一医師。統計を取ればすぐわかることも、厚生労働省からは発表されていない。もちろん、チェルノブイリ事故との直接の関連を証明することはできない。しかし、他の主だった原因が考えにくい、という事実も、重く受けとめるべきだ。

社会派ドキュメントにありがちな、声高なところがないのがいい。淡々と事実を追跡している。矛盾も矛盾もまま提出して、その善悪の判断は見た者に任せられる。頭ごなしの断罪の姿勢がないのがいい。だからこそ、素直に見られる。いわゆる「市民運動」などの閉鎖集団にからめとられることのない、開かれたドキュメントなのだ。鎌仲ひとみという監督の人間性が、この作品の開かれた匂いを実現しているのだと感じる。

上映後、ひとつ質問した。なぜ副題が「世界の終わりに」なのかと。
「ひとつには、わたしに『わたしのことを忘れないで』という手紙をくれて死んでいった、イラクの白血病の少女のことを思いました。少女にとっては、それが世界の終わりになってしまった。戦争でひとつの命が奪われるごとに、一つの世界が滅ぶ。そのことを言いたかった。
 こんなことをしていると、ほんとうに世界が終わってしまう、という警告の意味もありますが、逆の意味もあるんです。戦争のあるこんな世界を終わらせて、原子爆弾も原発もない新たな世界をはじめようではないか、という前向きの意味もこめられています」

「ヒバクシャ――世界の終わりに」は、自主上映してくれる人々を求めている。ひとりでも多くの人に、この映画を見てもらいたいと思う。

http://www.g-gendai.co.jp/hibakusha/

■24 Jun 2003 チラシ納入


朝一番で簡易印刷所に版下を渡し、11時には2千部完成。さっそく松永が渋谷に担いでいってくれて、納入してくれた。感謝。東急文化会館の三省堂書店では、「父は空 母は大地」をワゴンに平積みしてくれている。

■23 Jun 2003 メガスターII「父は空 母は大地」のチラシ制作


週明けなので、パロル舎に電話。東急文化会館のメガスターIIで「父は空 母は大地」が朗読されていることを知らせ、至急チラシを作って観客に配ってほしいと頼む。手がなくてできない、とのこと。連日満員なのに、残念だ。編集者の了解を得て、こちらでチラシを至急制作し、東急文化会館に持ち込むことにする。東急側の承諾も、こちらで得る。松永がチラシをデザイン。わたしは、すぐに印刷してくれる印刷所を探して奔走する。幸い、親切な印刷所がみつかり、まず簡易印刷で2千部、それからオフセットで5千部を制作することになる。A4モノクロで単価は5円。

宣伝という意味もあるけれど、それ以上に、一人でも多くの人にシアトル首長の言葉を伝えたい。そう思うと、馬鹿力が出てしまう。デザインの松永と対応してくれた印刷所に感謝。

■21 Jun 2003 大橋邦雄追悼コンサート@菅平


朝7時に小田急線祖師谷大蔵で青木マラカイ氏と待ち合わせ。氏の車に同乗させてもらい、菅平に向かう。きょうは、大橋邦雄追悼コンサートだ。

菅平は緑。スイスの別荘地を思わせるような美しい風景が広がる。会場であるゾンタックというプチホテルでは、初夏の光のなかで結婚式をあげていた。花嫁のドレスがまぶしい。大橋さんは、生前このホテルで働いていた。ジャズコンサートなども企画していた。

こんな緑のなかで、大橋さんはどうして自ら命を断ってしまったのだろう。大橋さんがひとりひっそりと息を引き取ったのは、ホテルの敷地にある、小さな吊り橋をこえたところにある山小屋だった。発見されたのは、それから一週間後の2000年5月15日だ。だから、命日の5月7日も、推定の日にちでしかない。どういう事情かわからないけれど、その死から一週間、誰も訪れる者がなかったことは事実だ。

その山小屋を壊して、古民家の部材を使ったホールの建築の仮組みが始まったのは、大橋さんの死後わずか4ヶ月後のことだった。建築のきっかけは、地方紙の記事だったという。富山県五箇山でダム建設のために水没した2軒の民家を、石川県羽咋のゴルフクラブに移築。それが老朽化したため、再利用してくれる人にタダで提供するという記事を見て、ホテルのオーナーが申し込んだという。

2軒ではホール建築の部材が足りないので、オーナーは手を尽くして探し、新潟県から4軒分を入手。さらには、梁に使用する部材を、長野県須坂市中島の円長寺からもらい受けた。300年前のお寺の建造物の部材だそうだ。そうやって莫大なエネルギーが投入されて建てられたホールだった。

そのホールでの追悼コンサートだ。贅沢なホールだ。大橋さんが発見されたのは、ちょうど舞台の左端、ピアノが置かれている場所だったという。わたしは、えもいわれぬ気持ちになった。

会場は満員。豊住芳三郎氏のドラム・ソロ。そして、坂田明トリオの演奏があった。豊住芳三郎氏の、その一瞬毎に自分が出す音に驚き、楽しむ姿勢はすごい。彼は「慣れる」「飽きる」ということがない子どもの目をしている。それが、確かな技術に裏打ちされ、見る者、聞く者に伝わってくる。豊住さんは、機嫌がいい永遠の子どもだ。

それとは対照的な坂田トリオの、いかにも「仕事こなしてます」風情のタルそうな演奏も面白かった。演奏の合間も坂田さんのしゃべりも面白い。基本的に不機嫌なのだ。その不機嫌が、演奏によってまるで裏がえすようにくるっと「その気」になる瞬間がスリリングだ。

豊住さんのソロの後、追悼の詩を読ませてもらった。客席に、大橋さんが見えるような気がした。思い出すのは、ジャズの話をしていかにもうれしそうにしていたあの笑顔ばかり。こちらの世界に留まるように、その手を引っ張ることのできなかった自分がうらめしい。

■19 Jun 2003 舟越桂展/メガスターII



和光大学「物語の作法」。滝夏海さんのプロットを合評。パラレルワールドの地球。「癒しテーマパーク」として作られた宇宙ステーションが舞台の物語だ。時間軸の混乱、世界の構造の構築が不徹底などの不備を指摘する人が多かった。ほんとうは何を描きたいのか、それがいまひとつはっきりしないことも問題だ。「癒しテーマパーク」を否定したいのか肯定したいのかもいまひとつはっきりしない。本人的には「それでほんとうに癒されるのか?」と描きたいという。こうやって他者の目に晒すことで、学生は、何が伝わっていないのか、どこが不明瞭なのかがはっきりと自覚することができる。そうなれば、対処も可能だ。合評のあと、おどろくほど作品がよくなることも多い。「わたしのつもり」(わたしはそういうつもり)からの脱却が、伝わる言葉への第一歩だ。


午後、「物語の作法」の学生・杉作くんと松永といっしょに、渋谷へ。東急文化会館閉館イベントのメガスターIIの整理券をもらう。午後七時からあるメガスターの制作者である大平さんのトークショーの整理券だ。午後二時すぎだったが、最後の二枚だった。

時間つぶしも兼ねて、東京都現代美術館に「舟越桂展」を見に行く。見終わって、渋谷に戻ると、もう大平さんのトークショーの時間だった。ここでかかっているJ-WAVE制作のプログラム「スローライフ・ギャラリー」でわたしの『父は空 母は大地』が朗読されているという情報があり、入り口でそれを確かめると、後で連絡するとのこと。家に戻ると、留守番電話にJ-WAVEの担当者から「すいません、無断引用してしまいました」と平謝りの伝言が何本も入っていた。


はじめて見たメガスターIIには驚いた。アリゾナの大地に立って、降るような星を見ているのかと思うほどだった。双眼鏡で見ると、天の川が小さな星の集まりに見える。球状星団なども見える。本物の降るような星空を見るのと同じような感激がある。美しいことは、それだけですばらしい。

制作者の大平貴之氏のトークショーもよかった。ただただ美しい星空をつくりたいという素直な情熱が伝わってきた。1万個弱の星から、410万個の星へ。大企業ができなかった飛躍的進歩を、熱意ある青年がたった一人でしてしまう。7畳間にクリーンルームをつくって、コンピュータ制御のレーザーで恒星原板に微細な穴を穿つ。現代の技術は、それを可能にした。メガスターの誕生は、大企業の疲弊と、一人の熱意ができることのすごさを浮き彫りにしている。みんなが「働かされる」のではなく、喜びに満ちて働く世界であればいいのに。どうすれば、それを実現できるのだろう。


家に戻って、玄関を入る前に思わず空を見上げた。あの降るような星空が見えないかと。見えるはずがないことがわかっていても、そうしたくなるほど、メガスターの印象は強い。部屋に戻ってからも、何度もフラッシュバックのように、あの星空が脳裏に浮かんだ。

■18 Jun 2003 「楽園の鳥」脱稿


一昨年から昨年にかけて公明新聞に連載していた小説「楽園の鳥」の改稿を終えて、ようやく編集者に送る。千枚ある原稿を七百五十枚くらいに縮めてほしいといわれ、確かに削るところはばっさりと削ったのだが、それ以上に書き足してしまったので、結局千三百枚になってしまった。できあがってみると、三部作として出版した方がいいと思われるようなものになっていた。

野蛮な天使 (楽園の鳥I)
月迷宮   (楽園の鳥II)
永劫の水  (楽園の鳥III)

第1部は、ミチカが消えた恋人ディオンを追いかけて旅立ち、カルカッタにたどり着いて、最初の夜を迎えるまで。ディオンとの出会いから失踪までの回想が軸になる。第2部は、カルカッタにスタックされたミチカ。行き交う旅人の人生模様やカルカッタの風物を軸に、動くに動けないミチカの焦燥が描かれる。ディオンがバンコクの宿にはいないことを知らされ、途方に暮れるところで終わる。第3部は、新しい恋人アーロンとヒマラヤへ向かうミチカ。果たして救いはあるのか? ヒマラヤからカルカッタへと戻ったミチカを待ち受けていたものは?

このような大長編になってしまった作品を、果たして出版社が受け入れてくれるのかどうか? 出版にこぎつけるまで、ここからが新たな戦いだ。行商のオバサンになったつもりでがんばろう。

■17 Jun 2003 国立天文台「4次元デジタル宇宙」見学


三鷹の国立天文台で、理研の戎崎さんの研究チームに混じって「4次元デジタル宇宙」のデモンストレーションを見せてもらう。関係者に女性が一人もいないことに驚いた。どうしてでしょう? と質問すると「コンピュータは心を壊す。壊すまでのめりこんで仕事をしてしまう。女性は、そのへんバランス感覚があって、危険を察知して関わらないのでは」という仮説も出た。そうかもしれない。

「4次元デジタル宇宙」は星の位置データを入れて、さまざまなスケールで自在に宇宙空間を行き来できる立体シュミレータ。どの位置から、どんなスケールで宇宙を見渡すかは、インスタラクターが手許のゲーム用のコントローラー一つで操作できる。説明しながら、大宇宙旅行ができるというものだ。立体で見えるので、実に楽しい。アトラクションとしても最高だ。また、月の生成やブラックホールに吸い込まれるガスの動きなどをムービーとして立体で見ることもできる。

面白い。文句無しに面白いけれど、ヘタをすると「あれはすごかったよ」というだけのもの際物になってしまう危険がある。当たり前のことだけれど、そこで何が語られるか、何を考えさせられるか、というナヴィゲーションが重要だ。案内役の人の語り口が、リピーターを呼ぶことになるだろう。

■14 Jun 2003 梅シロップ


見事にヨーグルトが固まっている。瓶のなかで、ヨーグルト菌が、一生懸命生命活動をしていたのかと思うと「よくやった!」といいたくなる。小さな体でがんばるその姿が、かわいい。パンもそうだけれど、微生物の力を借りると、なんだか感謝の気持ちも一段と深くなる。

気をよくし、勢いにのって梅シロップを漬ける。安売りしていたので、一箱買ってしまったのだ。計ってみたら、8キロもあった。夏じゅう中楽しめそうだ。

【梅シロップの作り方】
梅 1キロ
グラニュー糖 1キロ(氷砂糖・蜂蜜ならなお可)
ホワイトリカー カップ1

消毒した瓶にいれる。
傷をつけずに丸のままのほうがいいが、急ぐ場合は切ってもいい。
梅が浮いてくるので、酸化しないように消毒したガーゼを表面に置くといい。
糖分がとけたらできあがり。
水か炭酸で薄めて飲む。

■13 Jun 2003 カスピ海ヨーグルト初挑戦


フジッコから取り寄せた「カスピ海ヨーグルト」に初挑戦してみる。理科実験並みの体制で衛生管理。さあ、どうなるか。

■12 Jun 2003 世界の枠組みを疑わないということの恐さ


和光大学で「物語の作法」の授業。きょうは、高橋阿里紗さんの物語小説のためのプロットを合評した。物語の舞台は近未来の日本。アメリカの属国となった日本は秘密裏に独立を画策し、密かに軍備を進める。軍事学校が作られ、孤児たちは政府に養育してもらうかわりに、軍に入ることを義務づけられる。そのような義務のない者も、志願して軍に入ることができる。しかし、その軍事学校は、実はアメリカの目をくらませるためのおとりに過ぎない。アメリカに軍事学校を攻撃させ、政府はその裏をかいて別の軍隊でアメリカを攻撃する。そんな世界での青春物語だ。高橋さんは、ラストシーン、爆撃され死にゆく登場人物が、本当に好きだった相手と最後に携帯メールによって心を通わせる、というシーンを夢のなかで見て、そのシーン書きたさに物語を構築したという。

軍事的緊張のなかでの青春像。悲劇性は高まる。そうでなければ、悲劇も緊張も作りだせないのが、いまの世界なのかもしれない。アニメ化もされた漫画「最終兵器彼女」も、どこともわからない相手と戦争をしていて、その戦争の中で引き裂かれる人間模様を軸にしている。アニメ「ほしのこえ」も同じような設定だ。

そのなかに「悲劇への憧れ」「定められた過酷な運命、という図式への憧れ」を感じないではいられない。そのような事態を「かっこいい」「すてき」と思う感性がそこにある。

物語の中では、戦争そのものが問われることはない。戦争に翻弄される人間の個人的悲劇を描きながら、結局は戦争に加担している登場人物が裁かれることも、そこに疑問が投げかけられることもない。「庶民」はつねに被害者で、単に悲劇を生きざるを得ない存在としてのみ描かれる。

「大枠への疑問」が登場しないことに、わたしはある種の危惧を感じる。世界が戦争に走ることの責任は、庶民にはまるでないというがごとくの認識。庶民は常にかわいそうな被害者であり、加害者は「戦争のある世界」や「政府」といった漠然としたものであるという設定。しかも、そのような抑圧を、ある意味待望しているがごとき匂い。

被害者である庶民も、結局はその戦争を止められなかった「加害者」であるのだ。そして、いま、わたしたちはイラクに武装自衛隊を派遣することで、まさしく「加害者」になろうとしている。

戦争による悲劇を描くのであれば、もう一歩進んで、戦争というその大前提の枠組みの是非までをも考えさせてくれるような物語がほしいと、わたしは進言した。

■11 Jun 2003 千絵ちゃんの門出を祝う会


「1969日光林間学校/どの子がわたでしょうクイズ」正解賞品の手作りパンを届けに自転車で東林間のグリム書房へ。ご主人ともっと話したかったけれど、宴会があるので急いで戻る。戻ってくるともう4時半だった。大車輪で宴会準備(部屋の片付けと掃除も含む)をするも、間に合わない。結局、準備が整わないうちに開始時間の7時になってしまった。

ぞくぞく参加者が到着。千絵ちゃん、千絵ちゃんのお母さん、千絵ちゃんのお姉さんの千尋さん、千絵ちゃんの恋人の平くん、たきちゃん、望ちゃん、門坂さん、ドロンコさん、そして相棒とわたしで総勢10名の大宴会だ。

千絵ちゃんは、とても繊細な感受性を持っている。それなのに、危なげがなく安心して見ていられるのは、どうしてだろうと思っていた。千絵ちゃん一家のおおらかな姿を見て、なるほどと納得。我が道を行く千絵ちゃんが、ゆるぎなく千絵ちゃんでいられることの背景には、ご家族による深い肯定があったのだと感心した。カナダでの一年。千絵ちゃんにしかできないやり方で、きっと多くのものを得てくるだろう。いってらっしゃい!

千絵ちゃんたちが帰った後、ご近所組が残って大討論会になる。わたしは激昂してちゃぶ台をひっくり返した。(ちょっと誇張) 平和主義者がちゃぶ台をひっくり返しては矛盾甚だしいが、わたしは「太陽政策」を強く支持する。朝の4時半にお開きになる。

【きょうのメニュー】
ガーリックトースト(パセリ&チリ風味)
生春巻きの前菜
牛肉のタタキ
パン3種(ライ麦&キャラウェイ/トウモロコシ&オレンジピール/フランスパン)
マダガスカル風スパイシーチキン
カラフルなポテトサラダ(ジャガイモ、皮付きサツマイモ、空豆、パプリカ)
フレッシュサラダ(レタス、トマト、キューリ、セロリ、貝割れ、パプリカ)
蝶々のパスタ(ポルチーニクリーム和え)
グレープフルーツのゼリー(カンパリ&アップルバレル風味)

■10 Jun 2003 宴会準備の一日


千絵ちゃんが、カナダに1年半のワーキング・ホリディに行くので、明日、我がキップル・ハウスで送別会をすることになった。我が家でしようと提案したのはわたし。飲み屋に行くと無用の緊張をしてしまうので疲れる、ということもあるけれど、いままで何もしてあげられなかった千絵ちゃんのために、せめて料理でもして送りだしてあげたいと思ったからだ。仕事もあるが、これはやっぱりはずせない。

とは思ったものの、「楽園の鳥」はまだ終わらない。終わるはずだったのに、思ったより時間がかかってしまった。しかも、気がつくと参加者は総勢10人。一日ではとても用意しきれないので、今日から準備にかかることにした。

まず、八百屋やスーパーに買い出し。「辛いお酢」と「生春巻きの皮」を買いに行ったフィリピン食材店では、小学校2年生のユキシゲ君が店番をして、レジまで打っていたので感心した。家に戻って料理。一日中これにかかっているのに、深夜になっても思うように予定が進まない。うーん。いつものことだが、仕事にせよ、宴会料理にせよ、わたしの見通しは甘すぎる。宴の後には、料理しきれない材料が山積み、なんてこともしばしばだ。がんばろう。

明日は大学でガンダムの作者・富野由悠季氏の講演がある。富野氏とは以前、西はりま天文台でごいっしょしたことがあった。行きたい。わたしは無理だから、相棒に行ってもらうか。見通しの甘さの上に、あれもしたい、これも見たいと欲が深いから、なおさら泥沼な人生である。

■ 6 Jun 2003 本多信介ライブ/断腸の思いの欠席


きょうは、渋谷BYGで本多信介氏のライブ。死ぬほど行きたかったが、我慢して「楽園の鳥」の推敲を進めた。ごめん、信介さん。早く自由の身になって、どこまででもオッカケするから、許して。

「楽園の鳥」新聞連載作品は400字詰めで1000枚弱。編集者に750枚くらいに直してほしいといわれ、省略できるところはできるだけばっさりと省略した。さらに、書き足したいところを存分に書き足して、できあがってみたら、1300枚になっていた。前編・中編・後編の三巻本という勢いだ。きっと、編集者にあきれられるだろう。

1300枚は長い。昨日、全部打ちだした。文字校するだけで大変な時間がかかる。しかも、読んでいるとまた直したくなる。ともかく、これでもう一度最後までいって、打ち出して、編集者に送ろう。ああ、早く終わらせたい。次にやりたいことが、いくつも控えているのだ。

■ 5 Jun 2003 観察は愛だ/ETVスペシャル「あなたと話したい」



和光大学で授業。今日の合評の対象は外島理香さんの詩17編だった。彼女は、既に100編以上の詩を書いているという。ふっと心に何かが浮かんで来たときに書くそうだ。

よく見れば、いい言葉もある。光る言い回しもある。言葉遊びから喚起されるイメージもあるし、形式にも技巧が見られる。けれども、なぜかこちらに訴えてこない。とりつく島がない、といってもいいくらいだ。それが謎だった。どうしてそうなってしまうのだろうと、ずっと考えていた。

ふっと浮かんだその表層を描いているだけだからかもしれない。「浅いところで渦を巻いている」と批評した学生がいたが、確かにそうだ。その渦がどこからくるのか、どうしてくるのか。それを自分で深く見つめる前に、すでに気の利いた言葉を引っ張ってきて、それを当てはめてしまっている。きっと、それがいけないのだ。本人に聞くと、確かにそんな書き方をしてきたという。

話は飛ぶが、わたしは最近、「愛する」というのは、もしかしたら「よく見る」ということではないだろうかと思いはじめた。誰かを愛するということは、その人をよく見つめること。本人さえ気づいていないその人の深い願いに気づくほどに、きちんと見つめることではないだろうか。五月十七日に放映されたNHKのETVスペシャル「あなたと話したい」を見て、その思いをさらに強くした。

この番組は、体が動かず言葉も発する事ができない重度の障碍を持つ人と、どうやってコミュニケーションをとるか、ということを追いかけたドキュメントだった。コミュニケーションをとるために第一になされることは、障碍者を長い時間をかけてじっくりと見つめること。繰り返し働きかけ、相手のわずかな反応を見逃さずに捕らえる。喉をひゅーっと鳴らす、指を微かに動かす、まばたきをする。微かな動作のなかに相手のリアクションを発見し、それをきっかけに会話を試みる。すると、障碍者の方も、自分のわずかな動作が相手に伝わったことを感じて、そのリアクションを、さらによく伝わる形に拡大しようと努力する。そんなことを繰り返していくうちに、より円滑なコミュニケーションが可能になる。やがて、障碍者は特定の人にだけわかる方法ではなく、その方法を相手が理解すれば、だれとでもできる自分の意思表示方法を獲得していくのだ。

「自分の気持ちが伝わる」と知った時の障碍者のうれしそうな表情が忘れられない。ああ、人はやっぱり人に理解されたいのだ。理解されたという、それだけで、そんなにもうれしいものなのだと知り、胸が熱くなった。

相手をよく見て、理解する。それが「愛する」ということだとすれば、自分を愛する時は、自分自身をよく見つめなければならない。よく見ないでその表層だけを捕らえて安易に言葉にしてしまうという行為は、自分をきちんと愛していないことに他ならない。気の利いた表層の言葉のなかに、自分自身を閉じこめてしまうことだ。いわば、自分自身に対するFC(ファシリテイティッド・コミュニケーション/NHK番組「奇跡の詩人」参照のこと)ともいえるだろう。

「急いで言葉にしなくていい。気の利いた言葉も必要ない。どうすればもっとうまく書けるか、という以前に、自分がほんとうは何を表現したいのか、どうして表現したいと思ったのか、あなたの心をよく観察してあげてほしい」

学生にそう語りかけながら、自分でも、なるほどそうなのか、と改めて思った。書くこと。それは、深く自分を愛することなのかもしれない。深く深く、他者に通底するところまで掘りさげていこうとすることなのかもしれない。


大学の帰り道、鶴見川の川面を飛ぶカワセミを見た。境川でも見たし、詩人の岡島弘子さんは野川で見たとのこと。いいぞ、カワセミ、がんばれ。

■ 4 Jun 2003 赤阪友啓氏スライド上映会/涙の欠席


きょうは大阪の写真家・赤阪友啓氏のスライド上映会。とても行きたかった。しかし、断腸の思いで断念。「楽園の鳥」の改稿が、大詰めを迎えているからだ。中断すると、作品の流れがつかみにくくなる。1300枚もの原稿になると、読み通すのだけでも骨だ。まともに読めば、読むだけでも3日はかかる。一気に読み通さなければ、わからないこともある。切りのいいところで出かけようと思っていたが、中断してはダメになると思って、上映会はあきらめた。

「やるときはやらないとダメだぞ。お客が来たら、逃げ出してホテルにこもっても仕上げるつもりじゃなくちゃ」と、以前、大長老にもいわれた。肝に銘じたい。

■ 1 Jun 2003 「星野道夫の宇宙」展



昨晩は都賀の実家に泊まった。退院した父と母と相棒とわたしで、焼肉屋で昼食をとった。朝抜きのお昼からいきなり焼肉というのは、すごい。退院したばかりとは思えない元気だ。一時はどうなることかと思ったが、なんとか回復してくれてほんとうによかった。

▼「星野道夫の宇宙」
総武線快速でまっすぐ横浜に行き、高島屋で開催中の「星野道夫の宇宙」展を見た。日曜日で、最終日前日ということもあって、すごい混雑だ。カリブーの群れか、はたまたアラスカの川を遡上する鮭の群れか、というほどのすさまじい人出だった。星野作品とゆっくりむきあうことができなかったのは、ちょっと残念。しかし、それでも、「やっぱり星野さんの写真は、写真集じゃなくて大きな写真で見なくちゃ!」と思わせる迫力がある。映画館で見る映画と家のビデオで見る映画ぐらいの差はあるだろう。

入り口の、川を渡るカリブーの写真は、透過光。飛び散る無数の滴がまるで銀河の星々のようだ。そのなかを渡るカリブー。なにに突き動かされ、どうのようにして、カリブーはこんな旅を続けてきたのだろう。その命のまばゆいきらめきに、一瞬、気が遠くなるほどだ。カリブーに、銀河に浮かぶ命の星地球の姿が重なった。

大きく引き伸ばされた星野道夫の写真を見ていると、いつだって命をいとおしむその眼差しを感じて、涙ぐんでしまう。このすべての光景を、星野道夫はファインダー越しだけではなく、生の瞳で見ていた。その瞬間が刻みつけられたのは、フィルムだけではなく、星野道夫の網膜と心にもしっかりと刻みつけられたはずだ。その記憶を抱えて、星野道夫はどこへ旅立っていったのだろうか。

アラスカは、いまだ手つかずの大地。過酷な土地だったからこそ、人類の文明に汚染されることなく遺されてきたのかもしれない。これを大切にできなければ、人類は間違った生き物としかいえない。そうならないためにも、しなければならないことがいっぱいある。


家に戻ると、偶然、テレビでシシュマレフの番組があった。テレビ朝日の「素敵な宇宙船地球号/島が沈む!〜極北の村 シシュマレフ〜」という番組だ。
http://www.tv-asahi.co.jp/earth/midokoro/2003/20030601/index.html

星野道夫がアラスカを訪れるきかっけになったのが、この極北の小さな島シシュマレフ。この番組を見て、いろいろなことを考えさせられた。自動車会社が、環境問題を高らかにうたう矛盾。この件についてはレビューに書いたので、そちらを参照してほしい。

review0007.html#review20030603025636

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