ハルモニア Cafe Lunatique (No.0024)

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寮美千子  「100万人のキャンドルナイト」と「千人針」 2003年06月25日(水)00時31分09秒
直感で思ったイメージですが… へのコメント

▼演じる事で安心してしまっている大勢の人々のこと
「演出された善」のシナリオに則って「演じさせられている」という雰囲気なのかも。
また、演じる事で安心してしまっている大勢の人々のことも気になるのかも。
いや、全く外しているかも知れない。by  目玉おやじさん
いや、外してないと思います。わたしは、例えば「湘南ゴミ拾いオフ」なんかにはいたく共感してしまう。これは、昨年7月、フジテレビがチャリティー番組「27時間テレビ」のなかで、海岸のゴミ清掃ボランティアを呼びかけたところ、その「胡散臭さ」に反応した2ちゃんねらーたちが「それなら、番組が始まるまえに海岸をすっかりきれいにしちゃおうぜ!」と「嫌がらせ」として先回りして海岸清掃をしてしまったという事件?でした。

これは一種の「偽悪的」な行為。つまり「悪い子ぶりっこ」です。「いたずら」をして本人が楽しみ、アハハと笑って、結果として「海岸清掃」という「善きこと」をなしてしまう。そのパラドクスがなかなかのユーモアだと思って共感しました。

わたしはきっと「良い子ぶりっこ」が嫌いなんだろうなあ。どうしても性に合わないのかもしれない。

▼良い子/悪い子
「悪い子ぶりっこ」も「良い子ぶりっこ」もどっちも「ぶりっこ」であるということにおいて同じだけれど、自分をどちらにアイデンティファイしたいかといえば、圧倒的に前者。「良い子」であれば、そこからさき「演じる事で安心」してしまう陥穽が待ち受けているけれど、「悪い子」の場合、世間はそれを歓迎しない。安心して自分の居場所も確保できない。常に自分であること、そのように振る舞う理由を確認しなければならない。つまり「自分自身」を引き受けなければならない。それが爽快なのかもしれません。

わたしのなかの「悪い子」のイメージは「自分の欲望を素直に認め、自分の規範によって行動する人」。その欲望を引き受けることで、何が起こるか、起こらないかを考え、自分でその結果を引き受けるつもりで行動をする。そういう人です。

わたしのなかの「良い子」のイメージは「自分の欲望ではなく、社会の規範に合わせて行動する人」。自分自身の欲望はさておき、社会が「善」と認めたものを基準として行動する。そうすれば、社会から非難されることはない。いつも「良い子」でいられる。

▼与えられた「善の規範」を疑うこと
しかし、その「善」は、はたしてほんとうに「善」なのか? 自分の中にきちんと基準をもっていないと「ただの迎合」になってしまう危険があります。もしも社会が歪んでいたら、その歪んだ善を善としてしまう。例えば「天皇陛下万歳」「欲しがりません勝つまでは」を絶対善とする戦前の社会に属していたら、それを無批判に「善」と認めてしまうような危うさを感じるのです。

「でも、これは天皇陛下万歳じゃなくて、ほんとにいいことなんだから、いいじゃないか」という意見もあるかもしれません。しかし、それは違う、とわたしは思うのです。

▼グリムさんの考察
これを書いているうちにグリムさんから投稿がありました。読んで、なるほど、と納得しました。これこそが、わたしがすぐ上で書いた「与えられた善の規範を疑う」姿勢です。そうやって疑ってみると、いろいろをアヤシイことが浮かびあがってくる。善きことをしているつもりで、結果的に「電力会社」のプロパガンダに乗っかっていることになりやしないか。言葉でいくら「原発反対」といってみても、全体として「やっぱりデンキほしい」という方向に流れやしないか。そういう可能性を考えてみることは、とても大切なことだと思います。そこから、ひとりひとりがほんとうに大切なことに向かって歩き始めることができる。

▼もし、ほんとうに「善きこと」ならいいのか?
疑ってみたからこそ、見えてきたカラクリ。こうやって世界を一つ一つ検証して、自分で選び取っていくことがなにより大切だと、わたしは思っています。

では、もしもそれがほんとうに「善」だったとき、たとえば、今回のキャンペーンに、どこから見ても疑わしさがないようなとき、それは「ステキなこと」になりうるのか?

書いていて思ったけれど、この設問自体に無理がある。だって「ほんとうに善」なんていうたったひとつの「善」なんかあるわけないんだから。

でもまあ、ここで思考実験として「おおよそ善いこと」だと仮定します。もしそうなら、今回のような大規模キャンペーンはステキなことなのか?

わたしはそれでもダメだと思う。問題は、それが善か悪かという内容以前に、システムです。「これは善」と「みんながいっしょに認めて心を一つにして行動する」というシステム自体が、危うさを抱えていると思う。これはそのまま「排除の思想」につながりかねない。そして、その「善」が、何かの都合ですげかえられたとき、そのまま「これは善」といって全員が無批判にその方向にシフトしかねない。なぜなら、それが「善」であるかどうか、自分の心に照らし合わせて判断することを普段からネグっている人々は、たやすく自己判断を放棄してしまうから。そして、世間やお上が「善」ということに、そのままのっかってしまいがちだから。

▼「100万人のキャンドルナイト」と「千人針」の類似性
ぐずぐずいっていますが、つまり、最初に「善」があって、そこに向かって「みんなが心を一つにして向かう」のではなくて、ひとりひとりが自分の欲望をきちんと意識した上で、自分の頭で考え、自己決定して行動する。その結果の集積が、結果として「善」になっていけばいい。そんな世界であってほしいと願っているのです。

実際、世界はなかなかそうはいかない。自己決定した結果が「悪」に向かうこともある。けれど、自分の欲望を認識した上で「悪」と自覚して悪をなすなら、まだわかりやすい。対処もできる。その「悪」を「悪」を名指しして戦うこともできる。むしろ問題なのは、自分は「善なる者」だと思いこんでいる人々です。自分自身の真の欲望に気づかず、気づこうともせず、善をなしていると思いこんで結果として悪をなしてしまうような「大衆」です。社会全体がそのような無批判な大衆によって暴走するとき、自分の頭で考え、自分の言葉で語る人々は、必ずや弾圧される運命にあります。

「100万人のキャンドルナイト」に、きっとそのような匂いを感じたので、わたしは「気に入らない」と感じたのではないか。と自己分析してみました。「100万人のキャンドルナイト」の背後に「千人針」と同質の何かを、同じ匂いを、どうしても感じてしまう寮美千子です。悪い子だからね。

グリム  幾度もの挑戦の果て 2003年06月24日(火)23時21分35秒
100万人のキャンドルナイト へのコメント

寮さん、こちらへの書き込み初めてですが、お手柔らかにね♪
何回か書き込んでの送信も、その度にエラー・・・(涙)

ご教示ありがとうございました。半角が原因だったのですね。
おかげで、すっかり気持ちが萎えてしまったような・・・。

「100万人のキャンドルナイト」はテレビのニュースで知りました。もっとも事前に忌野清志郎無料ライヴっていう情報だけはチェックしてましたが、よもやこれだったとは。

>寮美千子のこの気分について仮説
などという大それた考察など書きようがありませんが、私の違和感(嫌悪感)を覚えた気持ちについてちょっとコメントさせて頂きます。

最初に、気になったのは東電ですね。必要悪として一部で社会的容認を受けていた原発が一連のシステム欠陥とも言える不祥事で稼動休止に追い込まれてから、目に余る再稼動容認キャンペーンを展開しているのは周知のことですよね。まるで、恫喝とも思える電力不足のPRは不愉快な思いで目にしてました。
今回のキャンドルナイト・イベントもその一環かと思ってました。(今も思ってますけど)

キャンドル・ナイトで、各地の観光スポット照明を消してみたりしながら、暗闇へのそれぞれの思いを馳せてみればみるほど、夜の光の利便性を認識させられてしまいそうです。
しかもそのイベントが予め仕掛けられた全国規模のものであるならば、なおさらセットされた安心の中の暗闇を一時だけ共有した(地球温暖化阻止に積極参加した)喜びに浸れるのかもしれませんが、その瞬間の電気消費力を示すワザとらしい電気予報を見ると、その構図がなんとなく目に浮かんできます。
そういうことが、結果的に東電のキャンペーンに組み込まれてしまったような危うさとイベントに対する嫌悪感を生じさせた気がします(自分にとってはですけど)。
キヨシローが「原発なんか、いらねぇー!ベイビー・・・」なんていくら歌っても、この時期の節電キャンペーンでは説得力はありません。

今、ちょっとだけ心配しているのが「プラネタリウム」。これをも東電キャンペーンに組み込まれやしないかと・・・ね。

目玉おやじ  直感で思ったイメージですが… 2003年06月24日(火)20時48分35秒
100万人のキャンドルナイト へのコメント

「演出された善」のシナリオに則って「演じさせられている」という雰囲気なのかも。
また、演じる事で安心してしまっている大勢の人々のことも気になるのかも。
いや、全く外しているかも知れない。

silica  寮さんの行動力はすごい〜! 2003年06月24日(火)16時29分26秒
J-Wave Presents "Slow Life Gallery " for Megastar II へのコメント

あの番組、谷川俊太郎さんの承諾をとるひまがなかったから、「父は空 母は大地」のことばになった、というのは
びっくりでした。「翻訳者」の存在についてとても考えさせられました。

詩人の寮さんの場合は、翻訳がただの通訳ではないですから、言葉の材料はシアトルさんのものであっても
寮さん自身の中で新たに言霊を吹き込んだもの。だから、寮さんの言葉です。
やっぱり、ご招待券ぐらい、送ってほしかったです。(かわりにぶつぶつ)

それから先の寮さんがすごい!自分で動くところから、物事は動く、のお手本みたい!
学生さん、こっちの掲示板見てますか〜?!と声をかけたい気持ちです。

こんな人生の先輩にめぐりあうことも本当はまれなことなのだと、おばさんは伝えたいです。





寮美千子  100万人のキャンドルナイト 2003年06月24日(火)05時29分05秒

6月22日の夏至の夜、午後8時から10時まで、2時間だけ電気やエアコンを消そうというキャンペーンがあった。
環境省『CO2削減・百万人の環』キャンペーン
http://www.wanokurashi.ne.jp/campaign/index.html
【デンキを消して静かな夜を。CO2削減、百万人の環。】
夏至の夜を、いつもと違う夜に。
エアコンやテレビ、照明器具。
デンキをちょっとだけ消して、静かで豊かなヨルを楽しんでみませんか。
ほんの小さなことですが、みんなで取り組めば地球温暖化を防止できるかも。

「100万人のキャンドルナイト」
http://www.candle-night.org/
私たちは[100万人のキャンドルナイト]を呼びかけます。
2003年の夏至の日、6月22日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいに電気をけしましょう。
ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。
それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見するプロセスであると私たちは考えます。
一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、電気を消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。
2003年、6月22日、夏至の日。よる8時から10時。
でんきをけして、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイト。
主旨はいい。わかる。しかし、なんだろう、この「気に入らない感」は? みんなで同じ時間にいっせいに同じことをしようというファッショな匂いが嫌なのか? 「癒されて昇華」されちゃいそうなヌルイところが嫌なのか? きょう、朝日新聞に全面広告の出ていた「ピースボート」もとてもよく似た匂いがする。つまり、わたしはなぜかピースボートも気持ち悪いのだ。

わたしのこの気分は何だろう? どこからこの直感的嫌悪がやってくるのだろう? 「100万人のキャンドルナイト」のサイトなど、とてもきれいにできているのに、日本全国にじわじわと「善意の輪」が広がっていくのをアニメで見せられると、それがどんなによくできた美しいものでも、やっぱり気持ち悪くなってしまう。ここに何か、わたしの資質があるようにも思う。

むしろ、冬至ならもっと共感できただろうか。暗く長い夜にデンキを消して蝋燭の火を見つめるというのは、とてもいいようにも思う。蝋燭でのパーティも楽しい。暖炉はないけど、小さな火を囲む冬の夜。でも、それも「みんなで」「参加表明をして」「地図にマッピング」っていうのは、やっぱり嫌だ。呼びかけるのはいいけど、それを集計するのが気に入らないのかな? みんながみんな、バラバラに勝手にやるなら、ずっとすっきりするだろうか?

うーむ。わからない。わたしは自分のこの気分についてよく考えてみたいと思います。誰か、寮美千子のこの気分について仮説があれば教えてください。

寮美千子  メガスターII 朗読作品『父は空 母は大地』ポスター 2003年06月24日(火)01時20分41秒
J-Wave Presents "Slow Life Gallery " for Megastar II へのコメント

東急文化会館と、5階の三省堂書店に張ってもらうポスター、急いでつくりました。
松永洋介のデザインです。
篠崎正喜氏のイラスト、やっぱり強くて美しい。
力があります。
ポスターにしてみて、改めてそれを感じました。
シアトルの言葉を伝える大きな原動力になります。
さすがです。
ポスターはこちら、見てみてください。

http://ryomichico.net/toy/megastar2_slg.jpg

寮美千子  J-Wave Presents "Slow Life Gallery " for Megastar II 2003年06月24日(火)00時49分02秒
メガスターIIで『父は空 母は大地』が! へのコメント

渋谷東急文化会館で上映中のメガスターII。『父は空 母は大地』が朗読されているプログラムは、J-Wave制作のSlow Life Galleryです。以下がそのサイトだけれど、残念ながら『父は空 母は大地』の情報は掲載されていません。担当者、掲載するっていってたのになあ。
http://www.j-wave.co.jp/topics/0306_slowlife.htm

この番組は「アンコール上映」だそうで、『父は空 母は大地』も、アンコールなのかと思ってよくよく事情を聞いたところ、昨年夏上映した時には、谷川俊太郎氏の「二十億光年の孤独」が朗読されたそうです。そういえば、そんなインフォメーション、聞いた覚えがあります。今回は、急に上映決定のため「谷川氏に了承を得る時間がなかった」及び「谷川氏に新しく書き下ろしてもらう時間もなかった」ため、急遽『父は空 母は大地』に差し替えになったとのことでした。

事情はともかく、たくさんの人にシアトル首長の言葉に触れてもらえるのはうれしい。この際、インターネットで全文公開しようかとも考えているところです。

とりあえず、メガスターIIを見た人には、あの言葉の出典がなんであるか知ってもらうために、急遽チラシを制作し、会場入り口でほかのチラシといっしょに配ってもらうことにしたらどうかと版元とJ-WAVEに交渉しました。

J-WAVEサイドはもちろんOK。しかし、版元は忙しくて「チラシをつくる暇がない」とのことなので、こちらでつくることにしました。相棒松永に頼んでレイアウトしてもらい、明日、町田の印刷所で2000部、簡易印刷にかけます。

明日から最終日までのメガスターIIの入場者数は、正味6800名。残りの5000部は、やはり近所の印刷所でオフセット印刷にかけます。

そして渋谷に自力で運ぶ。東急文化会館の三省堂書店には、本を置いてもらうように手配しました。書店ポップ用のチラシもカラーで制作しました。

これだけ自作を営業する作家もいないだろうなあ(涙)。本を売りたいっていうのももちろんあるけれど、やっぱりみんなに知ってほしい。星を好きな人々の心に、ちゃんとシアトル首長の言葉を届けたい。他の人がやってくれないなら、やっぱり自分でやるしかない。というわけで、相棒共々がんばっています。

それもこれも、silicaさんが知らせてくれなかったら、何の手も打てなかったわけで、ほんとうに心から感謝です。ありがとう!

寮美千子  メガスターIIで『父は空 母は大地』が! 2003年06月20日(金)00時25分39秒
メガスターII 投影会 へのコメント

>そして、何よりもあいだに流れた言葉・・・! これはこれは・・・あれでしょう?!
>(みなさん、ごめんなさい。ネタばれできません。)

silicaさんのこの情報、確かでした!!

きょう、メガスターII@東急文化会館に行ったので、係りの人に「実は、わたしの本からの引用ではないかと思うのですが」と聞いたところ、家に戻ってから、J-WAVEの方から電話がありました。「J-WAVE スローライフ・ギャラリー」で流されている詩は、わたしが編訳した『父は空 母は大地』(パロル舎1995)からの引用であるとのこと。無断引用すいません、という連絡でした。

「アンコール上映」ってあるから、きっと前からずっと無断引用していたんだろなあ。クレジットも入れてもらえないし。それは困るけれど、でも、いろんな形でシアトル首長のあの言葉が、みんなに伝わるのは、とてもすてきなことだと思います。

silicaさんが教えてくれなかったら、永遠にわからなかったかもしれないメガスターとわたしの本の接点。わかって、とてもうれしいです。やっぱり、プラネタリウムにご縁があるのかもしれないなあ、なんて思ってしまいました。silicaさん、ありがとう。みなさんも、機会があったら見てみてください。6月30日までです。わたしも見たい!

http://www.megastar-net.com/news/news030525.html

寮美千子  渋谷にアリゾナの空が出現!/メガスターII@東急文化会館 2003年06月20日(金)00時04分04秒
メガスターIIお披露目興行/国立天文台の最新システム試験公開 へのコメント

▼大平貴之トークショー
本日、メガスターII@渋谷東急文化会館 大平貴之トークショー&メガスター、いってきました。大平さんの新刊『プラネタリウムを作りました。7畳間で生まれた410万個の星』(エクスナレッジ2003)一冊つきで2500円。無料投影会は朝から並ばないと整理券が手に入らないけれど、2500円ともなると、さすがに和光大学で午前中の授業を終えてからいっても間に合って、幸運なことに最後の2枚を手に入れることができました。

▼渋谷に出現したアリゾナの星空
すばらしい。いままでのプラネタリウムの常識を覆す美しさです。アリゾナで見た星空そのものでした。すごい。

わたしは、実を言うといままでのプラネタリウムの星の投影には、あんまり魅力を感じてこなかった。白い光のシミのように見えてしまって、どうしてもしらけてしまうのです。

ところが、メガスターは違った。「投影している光」に感じられない。本当に星それ自身が光っているように感じられるのです。ピントや出力など、さまざまな問題をクリアしてできた、限りなく本物に近い星空です。それも、アリゾナの砂漠や、マダガスカルの海岸、ヒマラヤ山中でみたようなとびっきりの星空。

▼純粋に美しい星空
大平さんも、メガスターをつくる動機となったのは、高校生の時にハレー彗星を見に行ったオーストラリアの星空のすばらしさだったそうです。

従来のプラネタリウムが1万個弱、メガスターは410万個と「星の数の多さ」ばかりに焦点があたりがちだけれど、星の光の美しさも、メガスターの大いなる特徴に思えました。

ともかくすばらしい。美しい。きれい。アリゾナの星空を見て心を打たれない人がいないように、メガスターを見て、心を動かされない人はいないでしょう。「美しい」ということは、何にも増して強い力になるものだと思います。そんなにも美しい星空なら、人はきっとまた見たくなる。

実際、今回も150で満席の会場のうち、半数以上がリピーターであったのには驚きました。つまり「また見たくなった」人々だったのです。

これが意味するところは、つまり、メガスターは「いっぺん見たらいいや」というこけ脅かしのアトラクションではないということです。もっともっと本質的な美に迫ったものだということです。

そして、そのように「ほんとうに美しいもの」は人の心を引きつけ、飽きさせず、そこに存在し続けることができるのだと思います。その意味において、メガスターは、プラネタリウムの起死回生に必ずしや一役買う装置であると確信しました。

相模大野に戻って、マンションの廊下から、思わず空を見上げました。よもや、あんな星空が見えやしないかと、心のどこかにそんな期待をもって空を見上げてしまったのでした。もちろん、相模大野でそんな空が見えるわけがない。そうだとわかっていても、思わず見上げたくなってしまうような、そんな気持ちにさせられるメガスター体験でした。

▼はじめてのオーロラ体験
さらには、大平さんは、トークショーのなかで、その星空にコンピュータでつくったオーロラの映像を重ねて見せてくださいました。この映像がまたとびきり美しかった。空に舞う光のカーテン。ほんとうに3Dな気分です。(そうじゃないけど)解説なしに、いつまでもいつまでも見ていたい。美しい音楽と共に見たいと、そう思わされました。

▼たったひとりの反乱から協力者の氾濫へ
また、長身ハンサムなのに、気さくであたたかい大平さんのお人柄がまた好感が持てました。板橋科学館の小野夏子さんをはじめ、大平さんがホームページを通じて募ったというボランティアの人々をステージに呼んで紹介。ほんとうに美しい星空を愛する人々が、まっすぐな気持ちで集ってきているんだなあと、爽やかに思いました。そのみんなの間にながれるあったかいものもたくさん感じました。

いままで、プラネタリウムはある種の「特権」として、一部の企業だけが握ってきたものでした。それを、たったひとりで、しかも従来の機種を大幅に上回る性能で作ってしまった大平さんの仕事は、まさしく革命。コペルニクス的転換です。

一部独占企業に依存せず、民間の力でさまざまなことができる可能性を示してくれていると感じました。

科学ジャーナリストの林衛さんもいらしていて、サンシャイン・プラネタリウムをみんなの力でNPO化できないだろうかという話にもなりました。できればいいね。みんなが力を合わせて何かできたら、本当にいいと思いました。

勇崎さん。プラネタリウムも「光画」です。サンシャインを根城に、いっしょに何かやりませんか!

寮美千子  4次元デジタル宇宙@国立天文台 2003年06月18日(水)02時37分41秒
サンシャインプラネタリウム閉館後について へのコメント

▼蝉芸宗匠 水野さま

ご報告ありがとうございます。「サンシャイン・プラネタリウムの存続を願う会」の活動、ご苦労さまです。ご自分の時間を割いて、こうやって活動をしてくださって、ほんとうに感謝です。何もしないで手をこまねいていたら、きっとこれだけの結果は引きだせなかったと思います。ありがとうございます。

▼4次元デジタル宇宙

きょう、国立天文台三鷹に「4次元デジタル宇宙」の投影会に行ってきました。理化学研究所の戎崎氏ご一行さまに紛れこませていただいて、鑑賞してきました。

すごい。これは面白い。将来的には、プラネタリウムのドームに投影できるようにしたいとのこと。となれば、プラネタリウムの起死回生の一発、ということにもなるかもしれません。

ただ、同時にいろいろ思いました。戎崎氏もおっしゃっていましたが、やっぱり「解説者」が鍵ではないかと感じます。どんなにすごい映像でも、それだけでは遊園地のアトラクションと大差ない。「すごいや」ですまされれば、それでおしまい。立体映像それ自体が物珍しくなくなれば「飽きちゃった」とリピーターもいなくなるかも。

目先の面白さがあるだけに、その運用が大切であると思いました。見学レポート、あとで載せます。

http://yso.mtk.nao.ac.jp/%7E4d2u/4D2U/publicity.html

水野 孝雄  サンシャインプラネタリウム閉館後について 2003年06月16日(月)11時24分50秒

 寮さんから前回に紹介があった「蝉芸」が伝統芸となるまでには紆余曲折がありました。
大の男達に小の男が抗っても仕方がなく、また教育者には肩書きは関係ないと悟った結果の
芸でした。それはさておき、すでにご存知のようにサンシャインプラネタリウムは6月1日
に閉館されましたが、今後についての報告をします。
 前回の投稿で、サンシャインシティの社長と会長が、”反響が大きく、存続に寄せる思い
が熱いことがわかったので、プラネタリウムを生かした施設活用を模索している”という趣
旨の報告をしました。その内容確認のため、5月30日にシティの専務と会談し、次のような
方向がわかりました。
 ・告知をしているので、いちど閉館をして、当社の直営事業をやめる。
 ・この夏休みについては、ドームの椅子(移動可能)をはずして水族館の展示に使用する。
 ・その後もドームは残し、それを利用したいと言っているところがいくつかあるので、ド
  ームをどう使うかを皆さんの希望、区長さんの申し出、当社の採算性を考えて検討中で
  ある。
 ・具体的には、存続を希望していることを考慮して、テナント(公に募集する訳ではない)
  を申し出る企業と交渉をする(している)。その際に地元との関係を考え、今までの学習
  投影を引き継いでもらう(無料とし、内容的にも)条件をつける(つけている)。
 ・来年度以降の学習投影のことも考慮して、長期の貸し出しを考えている。
 ・夏休みの間に方向性を出したい。
 以上の他に、読売新聞記者の情報によると、6月1日以降も1日1回は投影機に電源を入
れて使える状態に保つとのことです。
 我々の「存続を願う会」としては、テナントが入る場合でも、これまでと同様のプラネタ
リウム運営が保証されるかを見定め、新たな取り決めを結べるように区とシティに働きかけ
ていくつもりです。                            以上。

DORONKO  整理券――。 2003年06月15日(日)11時50分30秒
メガスターII 投影会 へのコメント

昨日、都内に出る用事がありましたので、帰りに「万が一」を
願って渋谷に寄ってみました。
すると、……silicaさんがお書きになっているように、
あそこは大変な状態になっていました。
ぼくは夕方5時を回ったころに着いて、「何とか6時からの回でも――」
と思っていたのですが、係の人に聞いたら、最終上映の分まで、
整理券は、すべて出てしまっていると言われ、スゴスゴと帰って
くるしかありませんでした。
整理券は、(毎日そうなのかは確認しそこねましたが)朝の9時から
配るとのことでした。
ぼくのところからだと、そこまでする気には、ちょっと
なれそうもなく――。

まあ、平日なら、多少は違うかな?と期待するしかありません。

silica  メガスターII 投影会 2003年06月14日(土)22時23分41秒
みんな渋谷に行こう! へのコメント

渋谷の東急文化会館そのものが6月末で営業終了となるのだそうですね。そのファイナルキャンペーンの「meets」、
最後の”温かみ”ある出会いを演出したいという企画の目玉が大平さんのメガスターII上映会のようです。本日家族で出かけました。
30分ほどの番組が2本用意されており、それぞれに整理券が必要です。そして、一度に2本分の整理券をいただくことはできないのです。(たてまえは、1日にひとり1番組なのでしょうか〜)
ふたりいれば、異なる番組をそれぞれ2枚分ずつもらえばよいのですが、ひとりでいらしたかたは、ちょっと不便・・・
頭を使わないといけないかもしれません。混雑していなければ、もちろんその時間に行って入ることはできますが、
今のところは整理券が必要な状態です。

私は、お金をかけなくてもいい番組を作る、という路線では、「meets〜星ノ記憶〜」は良かったと思いました。プラネタリウム番組のひとつの試みをしていたと思います。と、同時に私は真理子さんの館では、もしかしたらとっくにやっていたのかも、と思ったりもしました。
ここは渋谷ですので、渋谷のことを話します。でも、それぞれのプラネタリウムの場所で星とその土地の記憶をつなげることは住んでいる人には親しみ、外部の人には旅のようなおもしろさが感じられることと思います。私はこういう感じも好きだなあと思いました。

そして、もうひとつは解説なしの音楽番組と香り付きのプログラム。南半球の星が映しだされました。メガスターの星はたくさん! 星の明るさもそれぞれです。あんなにかわいい投影機でこんなにりっぱに星が見えるなんて・・・と驚きます。本当に星のよく見える場所へ行ったら、すぐには星座が探せないそうですが、その感覚がよくわかりました。私は情けないことに南十字星(座)はどこ〜という具合でした。お恥ずかしいことに30分にらめっこしていても確信がもてなかったです〜。ましてや反対向きの北半球の星座はゆとりなしでした(汗)。音楽を聴きながらクイズのように自分で探すという楽しみを提供してくださっていました。ですから、南半球の星座をちらっと事前に頭に入れておくほうが喜びは大きいかもしれません。

そして、何よりもあいだに流れた言葉・・・! これはこれは・・・あれでしょう?!
(みなさん、ごめんなさい。ネタばれできません。)

ああ、寮さんの仕事はすばらしいな。



松永洋介  今夜『ファイト・クラブ』が地上波TV初登場 2003年06月14日(土)17時11分49秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/

きょう土曜の夜9時から11時24分まで、テレビで
映画『ファイト・クラブ』が放映されます。
フジテレビ系列「ゴールデンシアター」。ぜひ見てください。

この作品については、いまのカフェルナがオープンして間もなく、こんな紹介がありました。
寮美千子  タイラー・ダーデンはビンラーディンか?/映画『ファイト・クラブ』 2001年10月13日(土)04時41分19秒
寮美千子  きみは『ファイト・クラブ』を見たか?/あらすじ 2001年10月13日(土)04時40分36秒


『ファイト・クラブ』では、すごい迫力で「暴力」が描写されています。
うっかりすると、具体的な暴力シーンにびっくりしてしまって、
作品の骨格をなす「暴力の告発」を見逃してしまいそうなほどです。

この映画の解題として、ぼくはこの文章が、ほかのどれよりもぴったり来ました。
見る前に読むか、見たあとに読むかは難しいところですが、
とにかく今夜の映画は見てみてください。

ぼくは公開当時、知合いに「おもしろいから見た方がいいよ」と言われて、半信半疑で
最終日に映画館で見て、感動で口があんぐり開いてしまいました。とにかく見てください!

なお、この文章が書かれた当時の世界情勢は、
ホロニック・プラチナムズ+寮美千子コンサート『AFTER911』原稿全文 2001年11月17日 渋谷/ツインズよしはし
にまとめられているようなようすでした。小説『ファイト・クラブ』からの引用もあるので、こっちも読んでみてください。

DORONKO  みんな渋谷に行こう! 2003年06月14日(土)11時14分36秒
メガスターIIお披露目興行/国立天文台の最新システム試験公開 へのコメント

HPを見てみたけど、この旧五島プラネでのフェアウェルイベント、
すごいよね!
何だか、4月の研究会で話されたことに、もう回答が出始めたという
感じがします。
プラネタリウムは決して“滅びゆくもの”なんかじゃなくて、
まだまだこれからという大きな可能性を秘めたメディアなのだと
いうことが、着実に明らかにされつつあるように思えます。

それにしても、あの新宿・大久保での研究会、何という絶妙な
タイミングで開かれたのだろう――という気がします。
これだけ現実が急に動き始めると、いよいよ焦点がしぼりにくく
なってしまっただろうなと思うのです。あの時期に、今後を
考える上でのベースになるような話を聞けたことは、本当に
幸いでした。

寮さん、そして真理子さん、
やはりあなた方にはフシギなパワーがあるのだなあ!と
あらためて思うボクです。


大長老  お手数おかけしました。 2003年06月12日(木)01時25分05秒

パルステラさん。
>私自身、伝説や童話などを原作とした児童書に携わる事がよくありますが、ある時期、
>子供達ではなく、編集者や親が「勘違い」をして、恐さの部分を抜き、漂白した砂糖菓
>子のようなテキストばかりが横行する傾向があったのに対し、絵で猛反発したことがあります。
>恐いものはありのままに恐く、暗い森はとことん暗く恐ろしく、「鬼」や「ドラゴン」は
どこまでも恐さを武器とするからこそ、それを乗り越える光の要素が際立ってくるのだと。
>読み手を馬鹿にしてはいけない。特に子供達は、大人が思うよりも恐さには勇敢で、
>立ち向かうだけの好奇心も充分に備わっていますよと。


↑手が痛くなっても私、拍手しつづけます。
そうだ。そのとーりです。



寮美千子  エラー原因判明 2003年06月11日(水)14時20分37秒
エラーの内容をお知らせください へのコメント

大長老さんのエラーの原因がわかりました。

引用のパーレン > が半角なのが原因です。
全角のパーレン > をご使用ください。

カフェはタグを使えるプログラムにしてあるため、タグと混同する記号は使えません。
詳しくは下記「掲示板の使い方」に書いてあります。
http://ryomichico.net/bbs.html

お手数ですが、掲示板の使い方をお読みになったうえでご投稿ください。
よろしくね。

松永洋介  メガスターIIお披露目興行/国立天文台の最新システム試験公開 2003年06月11日(水)06時25分42秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/
NYのプラネ番組の一部(下の書き込みの補足) へのコメント


先日の研究会「プラネタリウムの役割と使命を考える」にもいらしていた
大平貴之さんの手作りスーパー・プラネタリウム「メガスター」。
このたび、改良版の「メガスターII」が完成し、一般公開されます。
MEGASTAR-II初公開のお知らせ
期間は6月13日から30日まで。場所は、渋谷東急文化会館の旧五島プラネタリウム。
プログラムは、大平さん協力のもと五藤光学が制作した「星の記憶」と、
J‐WAVEの企画による「スローライフギャラリー」の二本立てだそうです。
投影スケジュール
ドーム投影、しかも超高精細となると、テレビの紹介番組とかで見ても、無意味です。
とにかく現場に行って実際に体験しなければ、どんなものかはわからない。
混むかなあ。混むだろうなあ。平日の早い時間を狙って行くか。

最近、大平さんは『プラネタリウムを作りました。』という本を出しました。これも読みたい。


メガスターとは別に、研究会のときに国立天文台の縣さんが説明してくださった
開発中のシステム(プラネタリウムではない、天文学データの立体可視化システム)の
試験公開日が6月13日に設定されています。
4次元デジタル宇宙プロジェクト 6月13日の一般公開について
この日はすごい混雑が予想されるので、じっくり見たい人は
来月以降の公開日(申し込み制)を狙ったほうがいいそうです。


いとてつさま
ヘイデン・プラネタリウムのムービー、見ました。オリオン大星雲の立体構造が
直観的に理解できるし、スペクタクルとして眺めても、きれいで迫力がある。
ドームで体験したら、これはすごいだろうなと思います。
しかも、信介さんがカフェルミで紹介してくれている記事を読むと、
この夏の「バーチャル・ユニバース」では、これを発展させてインタラクティブにした
生解説番組になってるんですね。
“すごいムービー”ができたところで立ち止まらないで、解説員が操れるシステムへと
進んだのは、すばらしいと思います。

国立天文台のめざすシステムは、どんなものなのかな?

今後も計算機の性能は向上し、データの蓄積も進んでいくことでしょう。
シアター型の天文施設(プラネタリウム)で、その成果を活用できるとしたら、
天文科学/天文教育/天文娯楽それぞれの目的に対して、どんなアプローチができるかなあ。
可能性は、そうとう広いように思います。

寮美千子  エラーの内容をお知らせください 2003年06月11日(水)05時37分35秒
この掲示板は へのコメント

リンククラブ使用中は、過去ログがたびたび消え失せるなど、エラーが多発。
サーバーとして信用できないので、独自ドメインのレンタルサーバーに切り替えました。

わたしはiMacを使っていますが、新アドレスになってからは、一度もエラーはありません。
そちらでは、どのようなエラーが起こってますか? 
原因究明をしたいと思いますので、詳しい情報をお寄せください。
Mac或いはWindows、どちらをご使用かもお聞かせいただければ幸いです。

ほかにも、書き込みエラーなど起こって困っていらっしゃる方、お知らせください。

大長老  目玉おやじよし。 2003年06月11日(水)05時11分33秒

目玉おやじさん。
いいねえー。足の爪ですか。
んでも、自分の匂いの確認作業ってさ、
小生の場合は、ウツ度の自己確認のバロメーターなんす。
ソウの時はそういうことしないです。ハイ。


大長老  この掲示板は 2003年06月11日(水)05時09分58秒

エラーが多すぎる。

目玉おやじ  臭いもの嗅ぎたさ 2003年06月11日(水)02時53分56秒
恐くて面白い へのコメント

>恐いもの見たさの心理

これに似ているけど、僕は「臭いもの嗅ぎたさ」の心理というものを敢えて挙げたい。
例えば、汚い話だが、足の爪を切っている時に、たまたま取れた足の爪の垢の、あの一種異様な匂いを嗅ぐ為に、ついつい手の爪でこそぎ取って、鼻先に運んでしまう。

これは一体全体、どのような心理なのだろう…
考えように依っては「犬などが自分のアイデンティティを確認する行為」に似ていなくもないような気もするが。

パルステラ  恐がる事はいいことだ 2003年06月09日(月)12時59分56秒
恐くて面白い へのコメント

>なぜ恐くて面白いことに人は惹かれるのか、人(僕)にはわからない。--勇崎さん

ここでの勇崎氏のコメントの主旨とは外れるかも知れませんが、
以前、自分を含め、人はなぜ恐い話を聞きたがり、恐いものを見たがるのかと
いう心理に強い興味を持った事があります。
そんな矢先、あるサイエンスチャンネルの「こころのサイエンス」をテーマに
した番組の中で、まさに恐いもの見たさの心理の根源について分析していました。

-----以下要約

太古の昔は人間の祖先は常に死と隣り合わせの生活をしていた。いつも危機感を
持っていたのだ。時代が下り、人間は大自然からその身を遠ざけ、生命の危機感を
さほど感じなくとも生きていけるようになった。やがて次第にその危機本能は、
脳の深い所にしまい込まれてしまった。
しかし、ありがたい事に、例えば我々が夢を見る事によって、脳の記憶の図書館
のデータを更新するようプログラムされているのと同じように、「危機感」もまた、
来たるべき実際の生命危機に備えて忘れ去らないようにプログラムされているという。
それは、恐いものを「疑似体験」することによって保たれている。
つまり、これが人の多くが持っている心理「恐いもの見たさ」なのである。
現代人は、時折恐い疑似体験をし、ぞくぞくと恐がりながら面白がる事によって、
訓練しているのだ。恐さの疑似体験は、惹かれるならばしたほうが、本来の生命恒常性の
為にはいいと言われている。
このように、自然から随分遠ざかった我々でも、まだ生命維持の本能は強く、それらの
消滅を防ぐために、さまざまなプログラムが知らず知らずのうちに働いているのである。
-----------

私たちが恐怖体験に惹かれる限り、その本能的心理がメディアを通じてさまざまに活用されて、
商売に結びついてくるのは「現象」として、ごく自然な事に思われます。(質の問題はともあれ。)

私には企画者の眼はないので、そこに顕われた社会的な数の結果には関心はありませんが、
生き物としての共通の本能に立ち返った時、人は本来、それらに接する事を避けないほうが
いいのではないかと以前から常々感じていました。
その理由は、番組を見るまでははっきりとは分かりませんでしたが。

私自身、伝説や童話などを原作とした児童書に携わる事がよくありますが、ある時期、
子供達ではなく、編集者や親が「勘違い」をして、恐さの部分を抜き、漂白した砂糖菓子の
ようなテキストばかりが横行する傾向があったのに対し、絵で猛反発したことがあります。
恐いものはありのままに恐く、暗い森はとことん暗く恐ろしく、「鬼」や「ドラゴン」は
どこまでも恐さを武器とするからこそ、それを乗り越える光の要素が際立ってくるのだと。
読み手を馬鹿にしてはいけない。特に子供達は、大人が思うよりも恐さには勇敢で、
立ち向かうだけの好奇心も充分に備わっていますよと。

メディア(映画、本も含めて)には、それを養う役割も責任も生じるでしょう。
闇や恐怖や毒を避ける事が「癒し」ではありません。それらとしっかり向き合った先にこそ、
真のやすらぎや心の安定が生まれてくるはずです。要は、そのバランスとリアリティとセンス。
「恐いもの見たさ」の根源を、まだしなやかな感性のうちに、擬似的にでも経験するのは、
科学的見地からも安易に避けるものではないと、上記の番組を見てから確信したのでした。


*こんな事を書くと、また寮さんに「PULSTELLA は仕事人間だから」なんて言われそうですね。
違うんです。本当は興味の対象が、たまたま結果として絵作業に繋がるというだけなんですよ。

勇崎  恐くて面白い 2003年06月08日(日)23時09分11秒
▼Review Lunatique:竹内博/「しあわせな子ども」としての怪獣王 へのコメント

恐くて面白いのは、ジェットコースターや怪獣映画。
なぜ恐くて面白いことに人は惹かれるのか、人(僕)にはわからない。
わからないけれど、恐くて面白いことに人が惹かれるなら、そういうものを作ってみようと、商業資本は考える。

シメシメとばかりに、商業資本は恐くて面白い箱を用意する。
箱しかみえないのが、ジェットコースターやお化け屋敷。
用意された箱に空気をつめようとしたのが、怪獣映画やディズニーランドのようなものなのか。
もちろん、空気のつまっていない怪獣映画やテーマパークもある。

優れた監督は、
商業資本が用意した怪獣映画という名の箱に、“メッセージ”という空気をつめようとする。
そのとき、怪獣映画は“メディア”になる。

その空気は「時代への・・・」、「人間としての・・・」、といったメッセージである場合が多い。

“メディア”を囲み、映画人が集う。
監督がみたそうとする空気に、優れた作曲家は、映画音楽という骨格をつくり、脚本家の描く物語に筋肉をあたえる。
人はこの空気と筋肉によって、カタルシスを覚える。

ここで、恐くて面白い怪獣映画に興味を抱く人が、いくつかに分岐されることになる。

ひとつは、箱しか見えない人。
やたら、カタログデータ的スペックに詳しい。
もうひとつは、箱と骨格にしか興味のない人。
たとえば伊福部怪獣映画音楽オタクの多くに、このパターンをみてしまう。
そして、もうひとつは、目耳を超えて、怪獣映画から空気や筋肉を感じとろうとする人。

この3つの人たちが、渾然一体に怪獣映画ファンとして括られる。
そこが見極められない限り、会話(Q&A)は、いつもバッド・チューニングに終わる。
このバッド・チューニングは、ある現代美術家の活躍で、岡本太郎美術館でのゴジラ展にも見受けられた。
無念である。

寮美千子  有事3法成立/ほんとうの安全保障とは? 2003年06月08日(日)03時15分58秒

有事3法成立が、ある意味あっけなく成立したことを、深く憂う寮美千子です。このような法律をつくることが、ほんとうにわたしたちの身の安全を守ることになるのか。「戦時体制」に対処する法律をつくる、ということで、却って国際的立場を悪くして、攻撃の対象になるのではないか。安全保障どころか、リスク増大であるのではないか。そんなことを心配しています。

しかし、そんなことを指摘しても、何の役にもたたないかもしれない。というのも、アメリカのイラク攻撃の「大義」が単なる言い訳でしかなかったように、「有事3法」が国民の安全保障のための法律であるなどということは、単なる言い訳ではないかと思われる節があるからです。

本当の目的は「米国追従」ではないか。ならば「有事3法」が安全保障に役に立たないということを、いくら追求しても無意味。「本来の目的」は別にあるから、安全保障のことなんかいわれても、実際は痛くも痒くもない。ビンラディンが見つからなくても、イラクから大量破壊兵器が見つからなくても、全然平気なアメリカといっしょで、大義なんて、ほんとうな何の意味もないんじゃないか。と疑っています。うーむ。

そのような、政治を司る上層部の思惑があって動いている「有事3法」が、なぜかくもやすやすと成立したか。以前、わたしは、いまの国会は国民の意思を反映していなんじゃないか、と思っていました。これだけ多くの日本人がアメリカのイラク攻撃に反対しているのに、なぜ、日本政府はアメリカの茶坊主になってホイホイ着いていくのか、不思議でありました。

しかし、先日の都知事選を見て思いました。石原慎太郎が圧勝するなんて、みんなが「強い政府」を求めているんじゃないか。もしかしたら、いまの日本政府はちゃんと民意を反映しているんじゃないかと。

みんな、自分の現状を守りたい。どこかで、自分が特権的な生活をしていることを知っていて、だからこそそれを失いたくない。既得権を守りたい。いわば「生活保守主義」。みんながみんな、自分のことを中流の上ぐらいに思っている。そこそこいい暮らしをしていると思っている。だから、これが壊れたら困るよ、といわれると、はいそうですね、といってしまう。守ってあげるよ、といわれれば、はいお願いします、という。

でも、ほんとうはそうじゃないのに。忙しくて忙しくて、子どもともろくにコミュニケーションできないような暮らし。満員電車で通勤する過酷な状況。そんなものすべてを「当たり前」と思わされるほど、わたしたちは飼い慣らされている。ほんとうな「奴隷状態」なのに「いい暮らし」だと思わされているんじゃないか。

そして、大事なことは、わたしたちはたいがい、チェスを指す人じゃなくて、チェスの駒だということ。このまま戦争準備へと突っ走れば、戦う兵士は自衛隊だけじゃすまない。いつの日か「徴兵制」がやってくる。そして、それを拒否するような人々が罰せられるような世界が来るかもしれない。それなのに、みんななぜか、自分をチェスの駒ではなくて、チェスを指す人だと思っている。そして「兵士たち」というチェスの駒が自分を守ってくれると思っている。でも、その「兵士」が自分なのに。

徴兵制の世界が来るなんて、わたしの妄想だろうか。しかし、この方向性を見ていると、そこへ向かっているように思えてなりません。

だいたいが「国」とは何だろう。生まれてみたら、そこがたまたま日本国だった。日本国もずっと日本国であったわけじゃない。名前だって地域だって違った。日本とは、そういう政治的につくられた便宜的な組織です。

2月17日、この掲示板で勇崎さんがこのような発言をなさっていました。
イラク情勢:
憲法に立ち返れば、日本がとるべき態度は明快明確。
わたしはこの発言について、意見を述べよう述べようと思っていましたが、書くとなるとややこしくなるので、ずっと先延ばしにしていました。

わたしは、生まれた国がたまたま日本であったという理由で、日本国憲法を「鵜呑み」にするつもりはありません。もし、これが北朝鮮に生まれたなら、北朝鮮の政治体制をそのまま是とするか、といえば、それは違います。それと同じことで、日本に住んでいるから日本国憲法を遵守すべし、というのは、何だか違うと思う。

その憲法がほんとうによくて、すばらしいものであると思ったら、わたしはそれを守りたい。わたしは憲法第九条を、すばらしいものであり、よきものであると思う。だから、大切にしたい。それを簡単に踏みにじる政府が許せない。踏みにじりたいなら、まず憲法改正をしてくれないと困る。そして、勿論、憲法第九条を改正なんかしてもらったら絶対にイカンと思っています。

というように、結果的にみれば「憲法に立ち返れば、日本がとるべき態度は明快明確」なわけだけれど、でも、そこへぴょーんと話が飛んじゃ、いけないんじゃないかと思っています。まだろっこしいけれど、いつもいつも、国とは何か、憲法とは何か、それを検証しつつ、自分の本当の価値観と照らし合わせて、その是非を問わないといけないと思うのです。

というわけで「国」とは何か。これを考えはじめると、また眠れなくなっちゃう。後でゆっくり考えて、また書きたいと思います。とりあえずは、文化と国との関わりにおいて「愛国心」とはなんぞや、「伝統工芸」とはなんぞや、ということを考えました。レビューに書いたので見てください。

▼「わざの美」日本伝統工芸展/伝統工芸と愛国心 朝日新聞天声人語を批判する
review0007.html#review20030605012258

国滅びても芸術あり。国境を越えて文化あり。芸術は、国境を無化します。というか、ほんとうは最初から関係ない。「日本伝統工芸」の日本が、国としての「日本」を指していないことは明白です。

「光画文化研究所」の設立、おめでとうございます。こういう地道な活動こそが、ほんとうの平和を生みだすものだと、わたしは強く確信しています。それこそが「安全保障」ではないでしょうか。がんばってください。

勇崎  光画文化研究所について 2003年06月07日(土)16時39分32秒
「光画文化研究所」本日設立! おめでとう! へのコメント

この板での光画文化研究所についての概要公開をメールを通じて寮さんから秘かに求められていました。
まだ、事業展開や運営面などでの議論を積み残しており、全貌を公開できる段階ではありませんが、この板で名称だけが一人歩きし、過大な期待や幻想を抱かれても困りますので、多少長めですが、理念に関わる概要について投稿しておこうと思います。
設立総会を終え、特定非営利法人としての申請はこれからですが、認定されるかどうかはわかりません。
ということで、今後のみなさまのご支援、よろしくお願いします。

-----------------------------------------------------------------

愛称;コピ

CoPi:
Culture of Photo-Graphy Institute

特定非営利法人(申請準備中)
光画文化研究所

<1.光画とは?>
●写真・映画・ビデオ・コンピュータ画像など、光を用いて画像化する技術とそのメディアを統合する言葉として“光画(こうが)”と名付けました。 (プラネタリウムやランドサットなども勿論ですが、赤外線やX線、超音波などを用いて不可視なものを画像化する技術も“光画”の分野と考えています。)
●日本語で写真を意味する英語はPhotographyですが、これを直訳すれば“光(Photo)の絵(graphy)”となります。日本の写真史に詳しい人であれば、大正時代に刊行された写真雑誌「光画」のことを思い浮かべるでしょうが、ここでは上記ように、新しい意味を持った言葉(術語)として社会に提示するものです。

<2.光画文化研究所とは?>
●光画像による伝達とその芸術は、言葉の壁を乗り越えたコミュニケーションを可能にします。そして今日では、コンピュータ技術やデジタル化技術が成熟し、デジタルカメラやその画像を処理するパーソナル・コンピュータが学校や各家庭に広く普及しています。
●これまで画像処理は、ほんの一握りの人しか持ち得なかった“写真暗室”や特別な“業務用機器”でしか行うことができませんでしたが、パーソナル・コンピュータはそれら特殊な設備や空間、機器などに代わることが可能です。
●パーソナル・コンピュータの普及は、いわば“写真暗室や特別な業務用機器”が既に学校や各家庭に備わっていることと同義であり、画像処理のための社会的なインフラが整った環境にあるといえます。しかしながら、その状況が意識され、有効に活用される理念やノウハウは未成熟な段階にあります。
●写真や映像についての研究といえば、その多くは「どうすれば優れた写真や映像が撮れるのか?」などといった“表現手段としての写真”に限られがちです。このNPOは、そういった“表現の道具”としてだけではなく、光画を使って[文化][社会][環境]についての改善や方策を探求し、実現するために、光画を生活や学習のなかで活用する方法を開発し、事業化することを目指すものです。
●そして、事業化することで、次世代に新しい“いきがい”や“職場”を創出していきたいと考えます。
●具体的には、児童の学習や生涯学習、福祉、環境などの現場において、“光画”の新しい使い方を提示し、事業展開してゆきます。
●東川町(写真の町構想、東川賞、フォトフェスタ、写真甲子園など)や札幌市(企画展みんなの写真家シリーズ他、デジタル・アーカイブスなど)で創出したノウハウも、このNPOでも展開してゆきます。

<3.光画文化研究所が活動する種類と分野>
(1)文化、芸術の振興を図る活動
(2)社会教育の推進を図る活動
(3)子どもの健全育成を図る活動
(4)まちづくりの推進を図る活動
(5)福祉の増進を図る活動
(6)環境の保全を図る活動
(7)国際協力の活動
(8)前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関す
  る連絡、助言、援助の活動

<4.光画文化研究所が行う事業>
(1)特定非営利活動に係る事業
?光画にかかわるフェスティバル、展覧会、コンベンション、ワークショップ、スクーリングなどの企画・計画と開設、運営を行う。
?写真家、映像作家など、光画系作家のアーカイブス構築のノウハウと活用方法についての研究と開発を行う。
?光画図書館や光画文庫設立と運営を行う。
?学校教育、社会教育ならびに生涯学習、障害者学習のプログラムに光画像教育を導入するための研究とカリキュラム開発を行う。
?前1号のカリキュラムを実践できる指導者や学芸員を養成し、派遣や学芸行為の代行を行う。
?光画像による地域振興、環境保全、国際交流の調査、活動方法の研究と開発を行う。
?フォト・セラピーなど、医療や福祉の分野における活用の研究と開発を行う。
?社会的画像データベースづくりとデジタル・アーカイブス構築のノウハウと活用方法についての研究と開発を行う。
?光画系作家の地域滞在型活動(アーティスト・イン・レジデンス)の計画と実施、管理を行う。
(2)収益事業
?役務の提供
?物品の斡旋販売

<5.なぜNPOなのか?>
●光画文化研究所が目指す事業(サービス)は、民間企業でも(採算面で)、行政機関でも(ノウハウ面で)行えません。しかしながら、これからの市民が求める新しいサービスとして、時代的な要請を確信する事業だからです。
●出発点は勇崎個人の思い入れの強いところにありますが、NPO化することで、“後継者”を育成する要請も社会性を持つことになりますし、多くのボランタリィが寄せられることにもなります。そのような“継続性”と持続のための社会的支援が、より確かなものになると考えるからです。
(※上記の真相を換言すると以下の通りです。「日本の一地方都市で、写真関連の事業を行っても、それに特化したプロパー社員を雇用するだけの業務があるわけではありません。他都市に持ちかけても地元“業者”優先や中央志向の壁があり、地方の零細企業としてでは、東川町で行ってきたことなどを発展させることが出来ず、勇崎の“一代芸”に終わってしまいそうです。NPO化は、こういった壁やジレンマを解消する、ひとつの有効な選択肢なのではないか、と考えました。」)
●NPO化することで、手続きや情報公開、事務処理、納税などの煩雑さが発生します。しかしながら、そのような煩雑さがあったとしても“後継者”や“継続性”を得ることの方が大切と考えます。

<6.まとめにかえて>
●勇崎は「思考方法としての写真」という、日本では珍しく、写真に関する基礎理論のような発想と実践があります(参照:沖国大ブックレットNo.5「思考方法としての写真」1999年沖縄国際大学公開講座委員会刊:ISBN4-938984-11-3 C0072 ¥500E)。このNPOが展開しようとする事柄の多くは、この「思考方法としての写真」を事業化しようとするものです。
●多くの人たちは「NPO=ボランティア=無償行為」とお考えのようです。勇崎は、そのようには発想せず、前述のように、「市民に要請がありながら“民間企業でも、行政機関でも行えない新しいサービス”を行うのがNPOの役割」と考えています。採算性の低い新しいサービスには、人々のボランタリィを集積しなければ実現できない局面が多々あります。その時点時点でボランティアという存在も必要となりますが、無償行為ばかりではお金持ちで時間のある人にしか出来ないことになってしまいます。ですから、NPOが生産性とマネージメント能力を持つことで、そこに若い人たちの新しい“職場”を創出するとともに、未知の“いきがい”を創造したいと考えています。
(以上)

勇崎  報告会の報告めいたこと 2003年06月06日(金)00時38分16秒
光画文化研究所/本日4日 大阪で設立報告会 へのコメント

特定非営利法人光画文化研究所(申請準備中)に関心とご声援をお寄せいただきありがとうございます。
札幌での設立総会はたいへん盛り上がり、非常に有意義な時間でした。その活発な審議から問題点も浮き彫りされ、いくつかの修正を加えることになり、その検討に入ったところです。
詳細を明確に出来るのは7月中旬頃かと思います。
どうか、よろしくお願いします。

さて、吹田でのプライベート上映というのは、鳥海さんを通じて知り合った吹田在住の友人・Y氏を個人的に慰労するため、が目的でしたが、結果的にはクローズドの上映会のようなことになってしまいました。上映後にはY氏が描く吹田市の未来像について語り合うセッションになり、「個人的」ではなく、「会」になってしまったことが幸いしました。

先日結婚された、グレン氏も結婚パーティ名作写真帳を持参されました。撮影者は、ななななんと、寮さんでした。

寮美千子  行きたかった! ごめん、行かなくて。 2003年06月04日(水)23時46分50秒
赤阪友啓さんクィーンシャーロット島旅行案内スライド上映会 へのコメント

赤阪さんの上映会、行かなかったのは雨のせいではありませんでした。
滞っている「楽園の鳥」の仕上げ、佳境に入り中断したくなくて、泣く泣くあきらめました。
行くべきか、行かざるべきか、ハムレットの心境。
結局、自分の作品をとりました。

早く自由の身になって、存分に行きたいところに行けるようにしたい!

わたしの書き込みで、silicaさんが行ってくれたこと、うれしかったです。
ご報告ありがとう。赤阪さん、素敵な方でしょう。会いたかったなあ。

silica  赤阪友啓さんクィーンシャーロット島旅行案内スライド上映会 2003年06月04日(水)23時19分27秒
赤阪友啓スライド上映会/本日午後7時半より、東京杉並で! へのコメント

家から近い場所でしたので、夕方寮さんの掲示板を見てから出かけてみました。
東京での星野道夫さんの写真展、映画「WATARIDORI」などを5月に見ておりましたので、ふと誘われるものがありました。
お客さまは、女性の方々で、そのうちのおふたりは、今年のツァーに参加予定のかた、おひとりは、以前に赤阪さんのツァーにごいっしょされたかたのようでした。半分は私のようにとりあえず見に来ました、という方々だったでしょうか。

スライドは画面が大きいですし、光を感じさせてくれますので、美しい景色の中へ気持ちがすぐに入っていくことができました。山のように大きな青い流氷のかけらは、手にとると透明でプチプチと気泡の音が聞こえるそうです。なかなか溶けないこの氷で音も楽しみながらウイスキーをいただく・・・なんて素敵なのでしょう。

森の苔は日本でイメージする湿気を帯びたものではなく、厚みがあって、おふとんのようにフワフワだそうです。歩いてもふかふかのじゅうたんの上を歩くようだそう。ツァーの皆さんが思い思いに満足そうに寝っころがっている写真がありました。

星野さんの写真でも見かけたトーテムポールは一番上に死者の体をのせるお墓なのだそうで、この場所へ来ると独特の雰囲気に包まれるそうです。行こうと思っても必ずしもその場所へ行く条件が整うわけではなく、見学にも運が必要みたいです。そして、トーテムポールは博物館へ行っているものも多いということでした。

美しくておいしいウニ、川に群がるものすごい量の鮭、鮭を求めて下りてくる黒クマ、ドールシープの決闘(角の頭をぶつけて、鼻を上に向け、脳震とうを起こしたほうが負け)、クマよりこわい子育て中のヘラジカ、トドのハーレム、山と満月、模様のある雪の地面、氷河の溶けた谷、こぶこぶゴツゴツの大樹(もちろん、苔付き)その他アラスカのオーロラや山の上に光るヘールボップ彗星(この写真は、山が地球離れしていて赤阪さんのお気に入り)も見せてくださいました。他にも景色や植物、ツァーのプログラムなど、まだまだたくさんありました。

寮さんがいらしたら、赤阪さんからたくさんのお話をもっともっと引き出せて、その場にいらしたかたがより感激なさったことと思いますが、雨も降っちゃいましたし、遠かったし、ちょっと残念でありました。

私が見た赤阪さんの写真は、雪や氷、霊的な樹でもどこかぽかぽかと親しみやすいのでした。
「だいじょうぶ、こわくないよ〜。」と私には聞こえたような気がいたします。

1時間ほどでしたが、足代だけで心のトリップができて、楽しかったです。
本日は、子供も学校の旅行へ出かけているのでした。

寮美千子  赤阪友啓スライド上映会/本日午後7時半より、東京杉並で! 2003年06月04日(水)14時29分27秒

「光の絵日記」満員御礼とのこと。すばらしい。さすが勇崎さんです。東京でも、ぜひ「光の絵日記」上映会と「光画文化研究所」の設立説明会を開いてください。

大坂のカフェで勇崎さんの上映会がある本日4日、東京では赤阪友啓氏のスライド上映会があります。「赤阪友啓といくカナダ・クイーンシャーロット島の旅」の説明会ではありますが、スライド鑑賞のみも歓迎とのこと。

赤阪さんの写真はすばらしいと、鳥海さんやうちの相棒から常々聞いています。彼の写真とコラボレをしたこともあるわたしですが、自分は観客を向いて朗読していたので、わたしの背後に上映されていたスライドは、ほとんど見られませんでした。残念。できれば、きょう、見に行きたいと思っています。以下、旅行主催者のサイトからの転載です。
▼赤阪友啓と行くカナダ・クイーンシャーロット島の旅 by木風舎

南東アラスカに近いカナダ太平洋岸の大きな島・クイーンシャーロット島。今は誰も住んでいない南島では、文字通りの大自然の中、フロートハウスをベースに、エンジン付きのゴムボート(ゾディアック)やシーカヤックを足にして、苔むした森のトレッキングや、クジラ、トドなど海洋哺乳類ウォッチングに出かけます。また人の住む北島では、先住民たちの文化にも触れます。特別な体力は必要ありません。

ご案内するのは、ここを舞台に活躍する自然写真家・赤阪友啓。彼のとっておきの場所と、長年培ってきた地元の人間関係で、普通では体験できない旅になると思います。星野道夫氏が著した『森へ』の世界へ、ご案内します。

*企画 :ネイチュアリングスクール木風舎
*旅行主催 :(株)アトラストレック(国土交通大臣登録旅行業務第1167号)
*協力 :Be-Nature School

費用=438,000円(成田からの往復、現地交通費、全宿泊費、
一部を除く全食事、全アクティビティー費用、ガイド&ドライバー費用などを含みます)

日程=8月9日〜17日

また6月4日(水)19:30〜 スライド上映&説明会を、木風舎にて行います。
写真家・赤阪友啓のスライドを観るだけでも、ぜひいらしてください。
お待ちしています。

お問い合わせは、木風舎(もくふうしゃ)
〒166-0004 東京都杉並区阿佐谷南3-45-4
03-3398-2666
mokufu@mokufusha.com

http://www.mokufusha.com/
尚、このツアーはすでに満員でキャンセル待ちだそうです。みんな満員御礼ですごいなあ!

鳥海  ごめんなさい 2003年06月04日(水)02時08分12秒 http://6004.teacup.com/michio/bbs
光画文化研究所/本日4日 大阪で設立報告会 へのコメント

4日のプライベートな上映会「光の絵日記」、
小さなカフェで行うこともあって、
すでに立ち見が出るであろう数の参加者となりました。
かつて国語の教員をやっていたマスターが1人で店を切り盛りされているので、
座るのも、飲むのも、少人数にしか対応できない店になっています。
勇崎さんがかねてから吹田のまちづくりの活動をサポートしてくださっていた関係から、
吹田在住・在勤の勇崎さんの友人知人を中心にして観賞することになりそうです。

勇崎哲史さんによる写真作品「光の絵日記」シリーズは、
1970年代の沖縄の暮らしにまなざしを向けたものであり、
愛知万博のオフィシャルブックにも、
門坂流さんの版画作品と並んで納められています。
現在の日本を生きる者にとって、両名の作品が驚きであるように、
海外の者にとっても、100年後の人間にとっても、
それらは驚きであり続け、人間の営みの神秘に迫り続けるのだろうと思います。

個人的には、改めて勇崎さんをお招きし上映会&研究会を開催できればと思っています。
その時には、またこちらでご案内させていただきたく願います。
この度はどうぞご了承願います。

鳥海  痴呆高齢者-自閉症児-障害児(者)-奈緒ちゃん-遠藤さん-アフリカ-東川町 2003年06月04日(水)01時46分55秒 http://6004.teacup.com/michio/bbs
「光画文化研究所」本日設立! おめでとう! へのコメント

  勇崎さん、「光画文化研究所」の設立、おめでとうございます!
  とてもワクワクしています。
  福祉などの場で写真を用いることは局地的に行われていますが、
  それらの実践知を整理し、体系的に学ぶ機会があるなら、実践に拡散力が伴います。
  福祉現場での実践例を思いつくまま、まとめてみました。
  (当方の掲示板で既出の文章を加除訂正して)

▼痴呆高齢者を対象とする回想法
写真等を用いて昔の記憶を引き出しながら現在の認識と統合させるもの。
写真のみならず、昔の生活道具なども有効であり、
博物館学の学芸員と痴呆ケアに関わる者による協働もみられるようになってきた。

▼自閉症児による写真表現
自閉症児がカメラを持って撮影をすることによって、
他者との関係に変容をもたらしたとする研究報告がみられる。

▼障害児(者)を対象とするスライドショー
モンゴルやアラスカをフィールドとされる赤阪友啓さんも、
聴覚障害者や重複障害児を対象とするスライドショーを行っている。
上映会終了後にモンゴル料理の調理実習を取り入れるなど、
障害児の体験型学習の効果を高める取り組みに写真が用いられている。
この場に居合わせたこともあったし、
赤阪さんが子どもたちの反応を興奮して語ってくれたこともあった。
この時、赤阪さんは、「いのち」という言葉を多用していた。
彼の活動が支持されるような福祉現場にしていきたいと思った。

▼ドキュメンタリー映画「奈緒ちゃん」・「ぴぐれっと」・「えんとこ」
知的障害者をとりまく家族や、
家族会が中心となって運営する作業所の20年間をカメラに納め、
また、全身性重度障害者の遠藤さんとホームヘルパーとの関わりを
ドキュメンタリーフィルムに納めたもの。
静止画と動画という違いはあるものの、
撮影という手法が、ケアされる者やケアする者の傍らで透明なまなざしと化し、
繰り返される営みに静かに励ましを与え続けている。
ちなみに、伊勢監督と勇崎さんとは大親友で、
先月も一緒に沖縄にプロモーションに行かれていた。
http://www2.odn.ne.jp/ise-film/Contents/tsubuyaki/2003_05_2.html

▼医療の臨床の場で/いのちと死を伝える教育の場で
「いのち」や「死」を教えることはとても難しい。
医師にして写真家の井上冬彦さんは、
アフリカのサバンナで棲息する野性動物の「いのち」をカメラで捉え、
医療の臨床の場のみならず、医療・看護教育の場で写真を用いて、
自らの内に宿る「いのち」に鼓動を鳴らし、
また、「いのち」のかけがえのなさに対する気づきを
促すような取り組みをされている。
今月中には新しい写文集が発刊されるらしい。
とても待ち遠しい。
http://www.age.ne.jp/x/toriumi/hoshino/sahara.htm

  ▼東川町のコミュニティを形成する方法として
  地域住民の主体性を形成することなくしては、
  社会福祉制度が社会を効率的に管理するための方法になる危険性があり、
  地域のまちづくりの視点が欠かせない。
  東川町国際写真フェスティバルを継続する中で、
  町民自身が東川町に関心を持ち、町を誇りに思っている。
  また、昨年の東川賞受賞者の飛騨野氏は、
  東川町で暮らす家族・友人・子どもを70年間も撮り続け、
  保育園で不定期にスライド上映会を催していたという。
  「僕はいつも君のことをみていたよ。」
  というメッセージは、東川町の子どもの心に何を植え付けただろう。



寮美千子  光画文化研究所/本日4日 大阪で設立報告会 2003年06月04日(水)01時26分13秒
熱い応援ありがとう へのコメント

すでに各方面から熱い声援が集っているNPO「光画文化研究所」。明日4日の晩、大阪の某図書館で設立報告会が開催されるというタレコミ?がありました。その後、吹田の某カフェで勇崎哲史氏の「光の絵日記 2003Ver.」のプライベート上映会が催されるという情報も。これって、誰でも入れるのかな? それともプライベートだから入場制限がある? わたしはぜひ、一人でも多くの人に「光の絵日記」を見てほしいと思っています。「光画文化研究所」のことも知ってほしい。情報公開OKなら、ぜひ告知お願いします。

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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