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川口 寛  戦争とラジオスターレストラン 2003年03月25日(火)01時42分40秒
無力感にさいなまれた日々 へのコメント

戦争、とうとう始まってしまいました。
それに対応する日本政府の言動を見ていると、本当に無力感に囚われます。
小泉首相の国民の反戦感情を逆撫でするかのような言動は確信犯的なところがあります。
かつて日本軍がアジアに侵略した時、強制労働に狩り出したり、搾取したりしましたが、とりわけ評判が悪かったのが「愚民政策」でした。「奴隷にされるのならまだよい、しかし、私たちを愚かだという前提で接する政策には我慢ならない。」(ここでの愚民政策の意味は辞書的な意味とは少し違います)それは名前を変えさせられたり、人間としての尊厳を傷つけるものでした。最近の小泉首相の言動は大衆を愚民のように扱っています。いわく「世論は間違うこともある。」また、防衛大学校での卒業式の訓辞で「人ごとと思うな。」と言ったそうですが、これは政治的発言であって国を守る誇りを持とうとする一人一人の青年に対して餞として贈る言葉として適切なのかどうか。「組織」の長として「国益」を得るために「国」をうまく操縦するから、お前達個々の何もしらないものは黙っていろ、どうもそういった発想のようです。そこには知っている者と知らない者の差が歴然としてあり、その前では名前を抹殺されてしまう。
どうしてそうなってしまうのか。一ヶ月前ぐらいの毎日新聞のコラムでヒトラーと東條英機とブッシュを並べて論じていましたが、そこでは東條も独裁者としての位置づけでした。彼は決してヒトラー型ではなく、官僚的秀才だったと言われています。別に東條の肩を持つわけではありませんが、彼は東京裁判でも一言の言い訳もせず、天皇を救うことだけを訴え、潔く死んでゆきました。その態度は裁判に携わった弁護士だか検事だかを驚嘆させています。その後、歴史は東條を独裁者として闇に葬り、戦争の責任を全て彼にかぶせ、戦後の享楽的物質的生活がスタートするのです。また、原爆投下については寮先生もご指摘のとおり、無辜の市民を犠牲にするものですが、アメリカの論理は「戦争を早く終わらせるには仕方がなかった」(本日の毎日新聞)そしてその論理に日本人は、「戦争をしたのが全て悪いのだからしょうがない」と従うことになります。また、これも一ヶ月前の毎日新聞のコラムに「ケネディ大統領はオズワルドに殺されたことになっているが、これは99パーセント間違いないそうである。」とありました。少しでもこの事件について本を読んだことのある人なら、それがどんなに荒唐無稽な説であるかわかるはずですが、このコラムニストは幸福にもそれを鵜呑みにして信じることができるらしい。
何かが隠蔽され、何かが考えられことを避けられてオブラートに包まれ、何かに真正面から向き合っていない。それは、あの精神的に高度なイスラム文明を簡単に悪と割り切ってしまうものと似た何か。享楽的で、刹那的で、経済のことしか頭にないようにさせられてしまっている本当の「愚民政策」。愚民政策に走る小泉首相を産みだしているのは、われわれでもあるような気がしてならない。私たちは過去の歴史を本当に精算しているのだろうか。何かに向き合いたくない気持ちが、小泉首相をしてアメリカを支持させてしまう背景にあるような気がする。
ブッシュ大統領のバックには、何度も規制しようとしてできなかった銃社会が恐らくあるだろう。また巨大な軍産複合体は15年おきに戦争という特需を求めてうめき声を上げる。千と千尋の「顔なし」のように。ブッシュは「顔なし」の仮面に過ぎないのかもしれない。
千と千尋がアカデミー賞を受賞したらしい。アメリカの良心の部分はまだ生きているのかもしれない。ディズニーのものと較べること自体がバカバカしいと思っていたが。
かつて「もののけ姫」の海外でどのような評価を受けているかが気になり、サイトを飛び回って調べたことがあった。「千と千尋」もだけど「もののけ姫」は日本のアニミステックな宗教感覚を高度に表現したものだと思ったからだ。意外だったことは、「度重なる暴力シーン」がたいてい指摘され、成人指定を受けたことだった。その中の一つにこんなものがあった。(一番極端な例ですが)

−キリスト教保守派「家族にとって見るのにふさわしいかどうか」によれば、Princess Mononokeは「とても暴力的で、多くの誤った宗教的およびアニミズム的要素を含み、日本の神話を理解するのに役立つかもしれないが、誤った宗教的答を人々に与えてしまうかもしれない」ということで、「しっかりとした信仰を持つものにとっては、Princess Mononokeは日本の神話を理解するのに役立つかもしれない。しかし、(真の信仰を)探しているものにとっては、誤った宗教的答を与えてしまう。血なまぐさい暴力、売春の許容、虚偽やたくらみに満ちたこの作品を、モラルある人々が子供向けの映画と見るかどうかは疑わしい。Princess Mononokeは悪魔のような映画である。この作品はSpritism(精霊を信じる宗教)が恐怖と、殺戮と、憎しみに満ちた社会を作り出す事を示している」としています。

イラクに対するブッシュ大統領の言説に似ていると思いませんか?それにしても、「もののけ姫」が暴力的ならほとんどのアメリカのドラマや映画は暴力的でないのだろうか。宮崎駿もしつこくそのことばかりを聞かれるので嫌気がさしたと書いていました。「ともに生きる」というテーマについて評価していたものは、ごく僅かでした。 キリスト教保守派はブッシュのバックでもある新保守派とも思想的にも似ているのでしょう。そういえば新保守派の一人の発言を新聞で読みました。「未来戦略なんだか」というブッシュの側近のプロジェクトチームの「未来」という言葉には、なんと厚顔無恥な、おぞましい響きがこめられていることか。この戦争の本質は、やはり宗教戦争だと思う。更にいえば日本人は、宗教からも逃げていると思う。イスラムであれ、キリスト教であれ、仏教であれ、知った上で批判することさえ、できないではないか。

ブッシュを生みだしている社会を変えないと、また同じような戦争は仕掛けられることだろう。どうすればよいのだろうか。
 例えば「ラジオスターレストラン」、それは千と千尋と同じようにアメリカ人にもわかる言葉で書かれてある。それはユングのいうように、人類共通の集合的無意識に働きかける言葉=イメージであるからだ。。今この時機に読んでいたのは偶然だったけど、そこにはこの戦争に対しても驚くほど明瞭なメッセージと問いかけと願いが込められてると思う。
やはり、この掲示板の諸氏のように詩を書いたり、物語を創作したり、音楽を作ったり、論評したり、また実際に行動したり、ヒューズのように意志を表明したりすることが、遠いようで近い、社会を変える実際の地道な力になるのでしょうね。
ラジオスターレストラン、とか、英訳されないかなあ。
 案外、日本以上に評価されるのではないでしょうか。

勇崎  無力感にさいなまれた日々 2003年03月24日(月)01時10分36秒
イラク攻撃/日本の報道はアメリカの大本営発表も同然 へのコメント

結局、戦争がはじまりました。
僕はものすごい無力感におそわれていましたが、
その感覚の要因が何なのかを、ようやく自覚するようになりました。
一方、ブッシュ批判、フセイン批判、日本批判。どの状況も、ヤクザの抗争を批判することにも似た、人間としてしてはいけない、あまりにもあたりまえのこと過ぎて、言葉もありませんでした。

無力感の要因は以下の通りです。

1)日本がとるべき立場として、憲法第9条(国際紛争の解決の方法として武力を使うことを放棄する)がほとんど語られなかったこと。
●これからおこりうるテロの恐怖やアメリカをめぐる北朝鮮のことが中心で、日本人の命根性の汚さだけが露呈。
●以前この板で、911からアフガン侵攻へ論議と及んだとき、“Show the flag”が問題になりました。この時期、僕は「日本が示すべき旗は、憲法第9条ではないか」といった趣旨で投稿したことを記憶しています。これほど独自性があって明確な根拠とポジションを示せる旗はないからです。今回の日本の対応もそうあるべきと真っ先に感じたのですが、政界はもちろんのこと、マスメディアに登場する人たちからほとんど、この提議がなされなかったことが、まず無力感を鬱積させていく第一歩だったような気がします。

2)市民全員が報道機関にいるといえるだけの、リアルタイムなスピードと膨大な情報量のなかで心をパニックにさせられた、かつてない経験。
●国連の安保理議事の中継などリアルタイムに進行状況に“参加”させられながら、なにもできない焦燥感と無力感。
●湾岸戦争にはじまり、911にも同様のことはありましたが、あの中継は“結果”報告として受けとめたように思います。ところが、今回はあの国連の円卓を同時間に僕(たち市民)も共有し、囲んで“参加”していた。こういった、かつてない経験と、事態の進行の詳細を知りながら何も出来ないでいで、僕においては、日常の仕事(僕という日常)をこなさねばならず、心の中に憂鬱とパニックとが交錯して燻りつづけたのだと思います。それが無力感に、さらに拍車をかけた。

3)ブッシュ演説にもたらされた48時間の“時限爆弾”と超スピード制圧で、僕たちにはもう止められない、という絶望を醸成。
●演説では、爆撃開始まで48時間の猶予という、時限爆弾のようなものを抱えて、地獄図を想像して震えながら世界の人たちは2日間を過ごさせられ、さらに開始後の2日間で、配備済みの3000発の超精密“大量破壊兵器”で空爆。最短では2週間で制圧する。このスピードへの無力感。

4)アメリカ軍は新しいタイプの戦争で、戦史を塗り替えるようなことを豪語しているが、構造はまったく旧態然。
●ブッシュがいう制圧者からの“解放”や“民主化”と“近隣諸国への波及”は、日本が満州にはじまり、韓国、中国、そして東南アジアに行ってきた“西欧の植民地支配からの解放”と“大東亜共栄圏の建設”と同じ構造。侵攻するためのいいがかりのつけかたも同型。日本は国際連盟を脱退したが、ブッシュは国際連合を無視する。あまりにも似ていることの憂鬱。
●新しい、といえるのは、かつては何年もかかったことを最短では2週間で行うかも知れないということ。たとえばベトナム戦争においては、デモ行動などによって、兵士を反戦側にしていくことも出来たが、2週間でほとんどの武力を遂行されてしまっては、そのいとまもない。

5)このままでは、未来のこどもたちに、戦争を止められなかったことについて、なにも言い訳もできない。
●未来の孫や曾孫に、おじいちゃんやおばあちゃんたちはデモ行動をとって抗議したけれど、戦争は止められなかった、と言っても、犠牲になった(なる)人は救えないし、空しい。
●このことが最大の憂鬱の要因であったことを、今日、ようやく自覚することになる。

● ● ●

無力感から脱却するために、自覚し始めたこと。僕がすべきこと。それは、これまでの経緯、いま、そしてこれから起こることを、しっかりと歴史の事実としてみとどけ、未来のこどもたちに伝える。そこに全霊を傾けたい。と思いはじめています。

寮美千子  イラク攻撃/日本の報道はアメリカの大本営発表も同然 2003年03月21日(金)13時37分02秒 http://ryomichico.net
マスコミの虚妄について、など。 へのコメント


NHKはホワイトハウスのご用放送になってしまったのか、と開戦を告げる放送を聞きながら思った。チューナーからは、NHKの衛星放送のニュースが流れていた。テレビを見るのがうっとうしく、それでも気になるので音だけ流していたのだ。視覚にごまかされずに耳に届いてくる言葉は、あまりにもアホであきれかえるようなことばかりだった。

「アメリカ軍は、CIAの情報に基づいて、サダム・フセイン直撃を狙ってバグダッド市内をピンポイント爆撃しました。爆撃されたのは、軍事施設ではなく、フセインのいた一般家屋の模様」

NHKは、アメリカのニュースをそのまま無批判に垂れ流す。そこになんの論評も加えない。論評が加えられたとしても、ずっと後になるだろう。アメリカのニュースのほとんどは、ホワイトハウス直系の大本営発表だ。それをそのまま放送する日本のNHKは、つまりアメリカの大本営発表を放送しているということになる。

ニュースは、その内容ばかりでなく、量も問われる。よりたくさん流した情報が、より流布して「真実」と受けとられがちだ。アメリカが大量の情報を流し、それをそのまま日本の放送局が無批判に流せば、そのようなものの見方が優勢になるのが道理だ。

コマーシャルと同じ原理が働いている。いや、戦争は実際コマーシャル戦争でもある。イラク側の情報も、またコマーシャルである可能性が強いだろう。けれど、物量が違う。アメリカは、厚いペンキのように情報をまいて、アメリカ一色にべったりと塗りつぶそうとしている。

いま、テレビにかじりつている人も多いことと思う。聞く側は、アメリカのペンキに塗りつぶされてはいけない。いつでも「これはアメリカの大本営発表である」ことを忘れずにいかねればならない。

では、何が真実なのか? わたしたち一般人には、どこに真実があるのか、なかなかわからない。大事なのは、自分がそのような状況に置かれているという認識だ。そして、外側から垂れ流されてくる情報にまどわされないで、自分の心の底にある真実の声に耳を傾けること。それを規範に行動することではないだろうか。常に、そこに照らし合わせながら、世界を見つめることではないだろうか。人を殺していいなんてことが、あるはずがない。


アメリカは、フセインをピンポイント攻撃したという。ビンラディンをつかまえると大騒ぎしてアフガニスタン中に爆弾を撒き散らしたアメリカは、いまだその行方さえつかんでいないのに、いったいどうやってフセインをピンポイントで攻撃しようというのだろう。アホをいうのもいい加減にしてほしい。

不良在庫爆弾3000発を期末一斉処分しようとしたけれど、あんまり国際世論が厳しいので、ちょっと方針変更してみた、その言い訳だろうか。あるいはまた、民家を誤爆したことを後でとやかくいわれないように、いまのうちに言い訳を用意したのか。

「危険な大量殺戮兵器を持った危険な国家」と、アメリカはイラクを名指しするけれど、それはいまのアメリカではないか。その言葉、そのままのしつけてきみに返してあげるよと、わたしはブッシュに言いたい。

テロの脅威を封じ込めるなんていっているが、余計テロに怯える状況を生みだすだけだ。

アメリカの言っていることのアホなところを、いちいちつついていたら、人生の時間がいくらあっても足りない。実際、アメリカは「荒らし」と同じだ。バカなことをいうので、それに反論し批判しようとしていると、批判をまたずに、それを上回るさらにバカなことをいう。そうやってとてもかなわない物量で、次々とバカを繰り出してくるから、対応するこちらはへとへとになって、とてもまともな議論に行きつかない。

「荒らし」への最良の対処は「無視」である。世界中が無視してアメリカを支持しなければ、さすがのアメリカも何とかせざるを得ないだろう。アメリカとて、アメリカ一国で成立しているわけではない。さまざまな意味で他国に依存して成立しているのだから、村八分にされてはかなわないはずだ。

アメリカを支持してはいけない。わたしはそう思う。日本が、まずアメリカからそっぽを向けば「あの日本がそっぽを向いた」と、国際世論は、ますますアメリカのイラク攻撃を非難するようになるだろう。日本こそが、勇気を持って発言するべきだ。


深夜、国会で答弁する小泉首相の声が流れてきた。いつもの答弁とは違う、声色。低く響く大きな声だった。「非常時」を印象づけ、そのまま突っ走ろうとしているのが、その声に現われている。

イラク攻撃のアメリカ支援などという重大なことは、国会決議を通過させずに決めていいものではないと、わたしは思う。組織の暴走を食い止めるためには、常にそのようなチェック機構が働くことが大切だ。国会議員たちは、何をしているのだろう。


湾岸戦争のアメリカ軍死者の24%は、味方の誤爆によるもの、ないし事故だったという。今回のイラク攻撃のアメリカ軍側の最初の死者も、事故だという。ならば、派遣したブッシュがその兵士を殺したも同然だ。なんてバカな戦争だろう。人殺しは平和をもたらさない。圧倒的な軍事力による制圧は、平和ではなく単なる圧政だ。恐怖政治だ。

ひとりひとりの声が、どこまで届くかわからない。けれども、あきらめて、あるいはあきれて黙りこんでしまえば、それまでだ。どんな小さな声でも、聞いた人の心に届く。そして、それが波紋となって広がっていく可能性がある。そのことを信じよう。

一色真理  HPに反戦メッセージ掲示 2003年03月21日(金)12時19分19秒 http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/

一色真理です。お久しぶりです。

昨日から、私とつれあいの岡島弘子の共同ホームページ
「詩・夢・水平線」のトップページに反戦メッセージを掲示し、
そこから直接、岡島の反戦詩(として書かれた訳じゃないけど)
「一人分の平和」のページに直接ジャンプして読んでいただける
ようにしました。
もともとサイトに以前から掲示していた詩なんですけどね。

勇崎  48時間の“時限爆弾” 2003年03月19日(水)23時25分49秒

あと10時間もすると、地球のある場所で、
3000発もの大量破壊兵器による空爆とともに、
戦争という狂気がはじまろうとしています。

全世界の人々が、心のなかに48時間の“時限爆弾”を抱え、
多くの友人たちと同じように、僕も、
沈みゆく日本の夜のしじまのなかで、
ただただ震えています。

自身が殺されることの怖さよりも、
自身が人を殺してしまうことのほうが恐ろしいことだ、
という感情を、哺乳類ヒト科の生物が深化させない限り、
幾世代、幾世紀をへても、戦争という狂気は終わらないように思います。

寮美千子  イラク攻撃/戦争の狂騒に巻きこまれないために 2003年03月19日(水)05時27分14秒 http://ryomichico.net
ソルトレークのヒューズ へのコメント

2002年のソルトレークのシティーの冬季五輪で舞ったフィギュアスケートのサラ・ヒューズ選手。この時期に、この選手のことを知らせてくれた川口寛氏に、まず感謝を述べたいと思います。アメリカはブッシュ一色ではない。声なき声の市井の人々のなかだけではなく、金メダリストという国威を背負ったような表舞台に立つ人でさえ、このようなはっきりとした意思表示ができる。そのことを知って、救われた気持ちになります。アメリカはひどい。けれども、アメリカのすべてが死んだわけじゃない。サラ・ヒューズの記事が見つかりました。こちらです。
http://www.mainichi.co.jp/entertainments/sports/02sl/sl-news/figure/0224-2.html

ニューヨークの911テロの直後に行われたこのオリンピックは、まるでアメリカのプロパガンダのために開かれたような大会でした。アメリカの被害者意識をあおり、愛国心をいやがうえにも高めようとするやり方に、わたしは違和感を禁じ得なかった。目を向けることすら苦痛だったので、リアルタイムでサラ・ヒューズのことを知りませんでした。

スケートリンクで星条旗を手渡された彼女は、一瞬それを背中にまとい、そして思い直してそれをはずしたといいます。その旗をフィナーレで振ることもなかったと。彼女も感じていたのかもしれない。異常なまでに盛りあがる愛国心。その不気味さを。

誰もが、彼女が星条旗を高らかにふりかざして滑ることを要求しているとき、みんなの目前で「ノー」の意思表示をすることは、たいへんな勇気が要ることだったと思います。普段から、いつもいつもきちんと自分を見据え、自分自身の立ち位置をはっきりと確認している人でないかぎり、その雰囲気に呑まれて、うっかり星条旗をふりかざしてしまうと思う。そして、喝采を受けるでしょう。

しかし、彼女はそうしなかった。彼女が、ちゃんと「自分自身」を持っていたからでしょう。911のテロ犠牲者へ捧げられたプログラムを滑り始めたとき、「You never walk alone(一人では歩いていけない)」という曲が流れ、彼女の肉声が流されたといいます。
「この地球は人々が共存できるほど広いものだと信じています」 そう語った彼女は、世界が国境で区切られるべきものではないとうことを、心で感じていたに違いありません。

しっかりと自分を持っていれば、状況に流されず、巻き込まれもしない。ほんとうに大切なことをきちんと抱いて歩いていける。サラ・ヒューズは、わたしたちにそれを教えてくれたと思います。

翻って、我が国の首相はどうでしょうか。「安保理の雰囲気で、日本の出方を決める」と公言し、主体性のないこと甚だしい。しかも「世論に従うと間違うこともある」と、世論を否定。それなら、日本は一体なにによって方向性を決めるというのだろう。あちこちの顔色をうかがい、最終的にはアメリカにへつらうばかり。どこにも「自分」がない。

日本は、世界で唯一、原爆の犠牲になった国です。そして、アメリカは世界で唯一、その原爆を使用した国。大量殺人兵器のなかで、もっともおそろしいものを使った国です。そのことを、あまりにもきれいさっぱり忘れて、日本はまた、殺人を犯そうとしているアメリカに加担しようというのでしょうか。

わたしは「戦争反対」とはいわない。「殺人反対」といおうと思います。武力戦争は、殺人行為です。それが、正義であるはずがない。

きのうの朝日新聞の夕刊に、ブッシュ大統領の顔写真がアップで載っていました。マヌケな顔をしていた。そうか、現代の悪魔というのは、こんなマヌケな顔をしているのだと、情けなくなった。アメリカでも日本でも、過半数の国民が戦争に反対している。いまこの瞬間の数字はわからないけれど、かなりの数の人が反戦を唱えていたことは事実です。ブッシュ一人が悪い訳じゃない。じゃあ、何がいけないのか。国民の代表であるはずの人が国民の声を無視する、どのようなシステムが「民主主義」にはあるのだろう。つまり、それはもう「民主主義」とは呼べないということです。

組織というものが、個人より優先する。個人のために組織があるのではなく、組織を守るために個人がある社会。それが、いまの社会です。いったい「国益」とはなんなのか。国益は、はたして一人一人のしあわせを保障するのか。イラクの次にアメリカが狙うのは北朝鮮でしょう。そうなれば、北朝鮮のターゲットになるのは、お隣の日本にいる在日米軍です。爆弾を抱えているような状態で、どこが安全保障でしょうか。ほんとうの安全保障とは、そんなところにはないことを、わたしたちは知らなければならない。守ってもらっているなんて、嘘です。守ってもらっているという幻想を、押しつけられているだけではないでしょうか。「俺たちがいなければ、おまえはすぐにやられちまうよ」というアメリカの脅しに屈しているのではないでしょうか。わたしたちにとっても脅威は、北朝鮮じゃない。アメリカなのです。

アメリカが、いままた無益な殺戮に走ろうとしている。それを止められそうにないことに、みんなが歯痒い思いをし、焦燥感と無力感を感じている。いままでにないほど、世界は反戦運動で盛りあがっています。いままで、地球のどこかでアメリカ軍がばしばし人を殺していても、対岸の火事としか思わなかった人々が、いまは反戦の声をあげる。世界は、確かに少しずつ変わっている。その世界が注視するなかで、アメリカが殺戮を実行したとき、世界はどんな声をあげるだろう。声がうねりとなって、無益な殺戮を止めることを、世界の有り様を変えることを祈らずにはいられません。

だいだいアメリカがさんざんいってきた「時間切れ」だの「もう待てない」だの「我慢できない」だのの言葉は、愚か者の言葉です。愚か者が焦ってわめいている。賢人は何事にも落ち着いて対処して、ゆっくりと遠くまで見通します。世界の行方は、いま、愚か者の手に委ねられようとしている。外交とは、粘り強い話し合いであるべきなのに。

アメリカの殺戮開始を目前にして、いま、世界は浮き足だっています。心配で、何かせずにはいられないという人もたくさんいるでしょう。メールをもらったり、電話をもらったりします。反戦の声をあげるのは、大切なことです。でも、わたしはいいたい。愚か者のじたばたに巻きこまれて、わたしたちまでじたばたする愚か者になってはいけない。不安の虜になってはいけない。落ち着いて、自分にできることを淡々とすればいい。そして、ほんとうにどうしたらいいのか、その考えをゆっくりでいいから、一歩一歩深めればいい。それしかないのだから。

あわてふためき、不安にかられ、浮き足だったとき、人は判断を誤ります。サラ・ヒューズは、大きなうねりに呑みこまれなかった。いうべきことはきちんといい、追悼の意を述べ、けれども星条旗を振りかざすことはしなかった。サラは、そのときわずか16才でした。わたしたちに、できないわけはありません。この狂騒に巻きこまれないように、落ち着いて、いうべきことをいっていきましょう。自分を、毎日を大切に生きながら。

「この地球は人々が共存できるほど広いものだと信じています」――サラ・ヒューズ

川口 寛  ソルトレークのヒューズ 2003年03月17日(月)00時11分53秒

はじめまして。
川口寛と申します。
山口県で中学の教師をしております。

イラク問題、本当に考えさせられます。
最近、思い出すことがあります。それは、ソルトレーク五輪をテレビ観戦していた時のこと。思えば、あの頃からアメリカは少しずつおかしくなっていったような気がします。ショートトラックの審判やフィギィアの採点疑惑や、いろいろなこどかありました。そんな中で偶然にもフィギィアスケートのエキシビションを見たのですが、その時の光景が忘れられません。それは16歳の少女の示した躊躇いの表情でした。次の日、毎日新聞のスポーツ欄に、そのことについて記事が載っていました。その記事を本当はみなさんにも読んで頂きたいのですが、あいにくありません。そこで、その記事を読んで書いた、学校の文芸誌の編集後記の拙文を読んで頂けたらと思います。
 2001年は、歴史的な年であったと、後世の史家は必ずや記述するに違いない。誰の記憶にも刻まれているNYのテロ。あの映像を見た者は皆、映画だと思ったろう。アナウンサーは叫んだ。「これは現実です。」と。
バーチャルリアリティ。夢を現実化させることに、欧米を中心とする世界観は技術の全てを結集してきた。そこでは古さよりも新しさ、未開よりも文明、弱さよりも強さ、地方よりは国際化、魂よりも科学、死よりも生、が尊ばれた。夢が実現されれば、人類共通の幸せに貢献できるのだと。夢は壊された。そして今、現実を見つめる。
 映像は問いかける。われわれは何を心の中で、願ってきたのかと。それは本当に共通の夢だったのか?祈りだったのか?それは実は偽装された自我の欲望ではなかったか、と。そして、わたしの善はあなたの悪ですか?と。
 現実とは、なんだろう。ブラウン管に映し出された三原色の光の束?脚本のないドラマや映画?それともデジタル信号の0と1との組み合わせ?瓦礫の山にある粒子?細胞の集まり?新聞の論調?イデオロギー?政治?経済?国?
科学という名の下に切り刻まれ、分析され、流通する概念。集団や社会という名の下に結集し、束ねられ、共通の分母で括られる人達。そして裁断される。「善か悪か」。そしてまた、新しい「悪?夢」を夢見ようとする。
 アナウンサーが「現実」と叫んだ時、生の中の死、そこに人々がかつて生き、とりまく家族や友人がいて、不条理にもその生命の輪が無惨に断ち切られた事実を「嘘ではない現実」と呼んだのに違いない。だとすればそれは、「悲しみ」という感情に裏打ちされている。何ものにも代えられない、切り刻み括ることのできない感情。
 ソルトレーク五輪でのフィギィアスケート、エキシビションで、金メダルに輝いたヒューズは、鎮魂の花束を氷上に置き、アメリカを誇りに思うと自らの肉声のテープを流し、静かに滑り出した。それは華々しさと無縁の抑制された演技だった。勝利の驕りはどこにもなく、祈るように無心に滑っていた。そして滑り終わった後、観客席から星条旗が渡された。誰もがウィニングランが始まるものと思った。彼女は一瞬とまどい、肩にかけはしたものの、すぐに外し、黙って姿を消した。彼女は心で何かにそっと触れた。まだあどけない16歳の少女の示した躊躇から静かな決断にいたる心の軌跡は、人間的な叡智のありかたについて、大統領のいう「正義」よりも、どんなに多くの真実と美しさを照らしだし、共に生きる希望を与えてくれただろう。
網の目が大きすぎても、小さすぎても、すくえないものがある。それはかけがえのない個人の裡に、魂の形として、その時、その場所で、ひそやかに息づいている。だからこそ、この小誌「すぎざき」のうちにも、ささやかに生きている普遍性を持った生命の表現を、見ようとすれば見ることができると、私達は希望を持って信じることができる。
 そして、今日、毎日新聞に高樹のぶ子氏の「時代の風」に「アメリカの情報の限界」と題された文が載っていました。私見によれば、最近の新聞紙上のイラク問題関係では、出色のものです。氏は最近、北朝鮮問題で、歯に衣きせず論評し、一部週刊誌からバッシングをうけていました。そのせいなのか、どうなのか、連載はこれが最後であるとのこと。残念です。
寮先生にしろ、ヒューズにしろ、高樹氏にしろ、女性は本当に本質を射る視線で戦争と平和を捉えていると感じるのは、僕だけでしょうか。

寮美千子  イラク攻撃/「何とかしなくては!」と思っている人々へ 2003年03月16日(日)20時08分51秒 http://ryomichico.net

東京に住む29歳の主婦の方からメールをいただいた。もうすぐ名のってくれるかもしれないけれど、仮にEさんと呼ばせてもらおう。Eさんとわたしの本との出会いは『父は空 母は大地』だったそうだ。
8年ほど前、いつものようになにげなく立ち寄った書店で
『父は空 母は大地』をみつけ、本当になにげなく手にとりました。
表紙を開き、読みすすめるうちに、
そこ描かれた美しく心にしみわたってゆくひとつひとつの言葉と
鮮やかに思いの伝わってくる挿画に、どんどん吸い込まれていって。。
その場でふいに涙があふれて、はっと我に返った時の衝撃を覚えています。
それ以来、8年間、『父は空 母は大地』の絵本は、
私にとってずっとずっと宝物のような存在で、
今でも、いつでも手にとって読むことができるように、いつもそばに置いています。
ああ、心のきれいな、まっすぐな人なんだなと、その出だしを読んだだけで心打たれた。Eさんはいま、アメリカのイラク攻撃のことで、とても心を痛めている。何とかしなくては、という焦りにも似た気持ちを抱き、戦争反対の人文字や、ピースウォークなど、生まれてはじめて、反戦行動に参加したそうだ。

Eさんにような人は、いっぱいいると思う。そして、その人たちこそが、日本を根底からじわじわと変えていく力を持っているはずだと、わたしは確信している。庶民の一人一人が、きちんと意識し行動していけば、日本はきっと方向転換する。その人たちが、その心を現実に届かせることができたら、きっと世界は変わっていくのだと感じている。

だからこそ、そんな心ある人々の気持ちが、空回りしたり、うまくガス抜きされてしまったりするのを見るのが忍びない。勇崎哲史氏の名言「癒されて昇華されたくない」という意識が、いま、ほんとうに求められているのだと思う。

いま、世界には「何とかしなくては」と焦りを感じている人々の心を都合よく受けとめる器が、たくさん用意されている。「さあ、新聞に反戦の意見広告を出しましょう!」という企画では、三千円出せば新聞に名前も載って、参加したという満足感を味わうことができる。「戦争反対の署名を集めましょう」というチェーンメールも多い。友人に出せば、それもまた自分は何かしているという気持ちになれる。デモもそうだし、『地球交響曲』の上映会にいって感動するのも同じだ。

それを全否定するつもりはない。そこで新たな出会いが生まれ、考えるきっかけにもなるだろう。しかし、うっかりすると「いい気な自己満足」になりかねないという落とし穴が待っている。日本という社会の中でぐるぐるお金を循環させているだけで、ほんとうに必要な人に何も届かない、という落とし穴もある。せっかくやさしい心を持ち、焦りを感じている人々が、そんな落とし穴にストンストンとはまってしまうのを見るのが、わたしは残念でならないのだ。

わたしは、ほんとうはみんなもっと悩んだらいいと思う。インスタントな解決に飛びついたりしないで、じわじわと悩んで、ほんとうに自分が何をしたらいいか、何ができるのか、よーく考えたらいいと思う。

Eさんも「何かしなくては」という焦燥感から、人文字に参加したり、デモに行ったりしたという。
夫にも反対されて、ひとりで心細かったけれど、
たくさんの出逢いがあって、たくさんの思いに触れて‥
初めて平和記念公園に足を踏み入れ、そこで
さらに多くの人々の平和への祈りと誓いを目の当たりにして、
「今私にできることは何?」自分への問いが体中を駆け巡る思いでした。。

その後、先日3月8日には、日比谷公園から銀座までを歩く
WORLD PEACE NOW というピースウォークに参加しました。
たくさんの人が集まり、見ず知らず同志「平和を願う」ひとつの思いの中で
笑顔で手を振り励ましあううちに、胸が熱くなって、涙があふれました。
悩める心を行動に移したEさんの勇気はすばらしい。そこで、新たな出会いもあった。けれども、Eさんはそれでは簡単に「癒されて昇華」されなかった。そういう、頑固なところのあるEさんを、わたしはとてもステキだと思う。
広島での人文字参加、日比谷でのピースウォーク参加、
イラク攻撃反対の署名賛同、小泉総理へのメール‥
自分にできることを探し、選んで、行動する中で、それでも、
今私にできること、本当にするべきこと‥それが何かまだわからなくて、
日々のニュースに不安や怒りがつのり、気持ちのやり場がなくて。。
Eさんは、心にほんとうの誠実さを抱いている人なのだろう。本気で悩むこと。自分に何ができるのか、とことん考えること。ほんとうに世界に届き、世界を変えていく行為は、きっとそこからしか生まれない。

祭りのように「反戦」が盛りあがるのはいい。それが、世界を動かす波になってくれたらすばらしいことだ。けれど、それが単なる一過性のお祭りになってしまっては、いけない。そこで簡単に「癒されて昇華」されてしまってはいけない。

ほんとうに世界を変えていくためには、日常そのものからじわじわと変えていかないといけないのだと思う。いつもの暮らしそのもののなかから、ボディーブローのように世界変革をしていかなければならない。

そんなことを考えているときに「日本語ボランティア」の活動を見て感動した。草の根の国際理解。こんなことこそが、世界をじわじわと変えていく原動力になるのではないか、と感じた。
review0006.html#review20030316011818

もちろん「日本語ボランティア」だけが解決策というわけではない。川の清掃をしながらゴミ問題について考える会とか、昆虫の生息状況を定期的に調べて報告することで、学術調査の一端を担い、自然のことや環境について考える会、体の不自由な人やお年寄りを助けるボランティアなど、様々な活動がある。

大切なのは、そうやって日常のなかで、身近にある自然や他者なる者と触れあい、世界を知ることだ。自分だけを中心とした単眼ではなく、様々な人、様々な生き物の立場に立って世界を見ること。それを総合して、世界に対するほんとうの理解を深めること。そうやって得たことを、身近な人々や子どもたちに伝えること。そんなことのひとつひとつが「世界平和」への確実な一歩を進めるのだと、わたしは思う。

それは、革命のように一気に世界を変えることはできない。けれど、ほんとうにいい世界にしていくためには、それしかないんじゃないか、という気がしている。じわじわと広がった意識が、ある日臨界点を越えて共有されたとき、世界は一気に姿を変わるかもしれない。ベルリンの壁も消えた。米ソの冷戦構造なんていっているうちに、ソビエト連邦は自滅的に崩壊した。絶対に崩れないと思っていたものだって、小さな積み重ねの末に、ある日、コップの水が溢れるように、自然と劇的変化を迎えることがある。

考えてみれば、日本だってついこないだまで、天皇陛下万歳といって人々が喜んで死んでいく国だった。イラクも北朝鮮も、ずっとこのままだなんて考える方がおかしい。ゆっくり時間をかければ、ベルリンの壁が消えたように、37度線が消え、ソビエト連邦が崩壊したように、フセイン政権だって自滅するかもしれない。だいたいフセインは魔物じゃない。50年もしないうちに死んでしまう一介の人間でしかないことは絶対に確かなことだ。焦ることはない。

だから、ゆっくり、ゆっくり考え、ゆっくり対話したらいい。そうしなければいけないと思う。

Eさんは、いま、不安でならないという。
「戦争」が現実になれば、私自身も、愛する人も、家族も、
友人も、ついさっきすれ違った笑顔の親子も、
みんな、何の予告もなく命を落とすかもしれない。。

そんなことを考えてしまう‥と、よき理解者である弟に話したら、
「気持ちを切り替えるように」と諭されました。
確かに、気持ちを切り替えることは必要だろう。不安に押しつぶされて日常を送れなくなってしまっては元も子もない。けれど「気持を切り替える」というのは、現実を見ないようにする、忘れる、ということではない。いくら見ないふりをしても、襲いかかる不安からは、きっと逃れられない。

では、どうしたらいいか。繰り返しになるけれど、日常のなかで地道に「自分ができること」をやっていくこと、それしかない。このくそったれな世界を変えていくために、自分がわずかでも貢献してるのだと確信すること。確信できるような何事かをしっかりと持つことだ。そして、そんな小さな積み重ねが、きっといつか臨界点を越えて、世界を変えると信じる心の強さを持つこと、かもしれない。

「人が人を殺してはいけないだ」たったそれだけのことを、わたしたちは、いつになったら世界の共通理解にできるだろう。いかなる理由においても、殺人は許されない。全力を持って避けられなければならない。この認識が臨界点を超えることを、願ってやまない。
追伸:ドロンコ氏も「イラク問題」というか、「傍若無人なガキ大将アメリカとそれにへつらう茶坊主日本の問題」について、いろいろと書き込んでくれた。掲示板、というのも、小さな場ではあるけれど、やはり確実に世界に、人々に、働きかけ、語りかける機能を持っている。そこに書き込むことも、ささやかながら「自分にできること」のひとつだ。この問題に関する投稿を歓迎します。

DORONKO  少々の補足。 2003年03月16日(日)14時56分04秒
マスコミの虚妄について、など。 へのコメント

ぼくはまだ武力攻撃を回避できる可能性があると思っていますが、
アメリカが対イラク攻撃に踏み切る危険は、いよいよ増大している
ことも認めざるをえないようです。
そんな中で、「もし」対イラク攻撃を回避できるとすれば、
どんなカタチがありうるかを考えると、以下のニュースには
注目しておきたいと思います(出所はasahi.comです)。

先月下旬に、元ロシア首相のプリマコフ氏がプーチン大統領の
特使としてイラクを訪れ、フセイン大統領に以下のような内容の
プーチン大統領からの親書を渡した、というのです。
(1)大量破壊兵器の廃棄
(2)民主政権樹立のため1年間の猶予期間(を設ける)
(3)フセイン大統領を拘束しない保証を与える
――このせっかくの提案も、イラク側が受け入れるに至らなかった
ため、プリマコフ氏は「戦争のいかなる根拠もないにもかかわらず、
開戦は避けられないだろう」と述べたと、ロシア公共テレビが13日
に報じたそうです。

で、チェチェン問題とかでは、ぼくは到底プーチンのやったことを
支持などできませんけど、この対イラク攻撃問題に関しては、
「外交的努力」というのはまさにこのようなことであって、
「やるじゃん、プーチン!」と思わされます。

で、ここから先は、まったくのぼく個人の希望にすぎませんが、
プリマコフ氏のように、これで諦めてしまうのではなく、上記の
ような提案を、立場が非常に苦しくなってきたイギリスのブレアも
抱き込んで、独仏露英の4カ国の共同でフセインにぶつけるぐらいの
ことをしなきゃ、どうにもならないと思うのですよ。
(先の書き込みでは、インタビュー時の話しぶりはとても紳士的に
見えましたので、「フセイン氏」と書きましたが、今回は、他の
面々とのバランスからも敬称略にします。)
――できれば、そこに日本も加わって、5カ国で、「何とかブッシュを
説得するからさ?」というぐらいのことは、言ってもらいたいものです。
なお、これは、国連での協議とは別個に、少なくとも途中までは、
あくまでも「水面下」で、「秘密裏に」やるべきことでしょうけれども……。

こうしたぼくの考え(妄想?)には、「それは内政干渉を認めろと
いうことじゃないの?」という反論も出るかと予想されます。それに
対しては、ぼくは、「少なくとも、国際協調の姿勢が根底にあるならば、
許される内政干渉もありうると考えるべきだ」と答えておきたいと
思います。現代の世界では、「内政不干渉」という思想は、決して
永遠普遍の真理ではありえないというのがぼくの考えです。
(そもそも、他国の政治に関してのいかなる干渉も認めないなどという
ことになったなら、「外交」ということ自体を否定することになる
ということに、ぼくたちはもっと敏感であるべきでしょう。)

また、そもそものフセイン政権の評価についてですが、彼が、
対イラン戦争やクウェート侵攻の責任を取らず、いまだにイラクの
最高権力者として君臨しているという事態は、やはり異様だと、
ぼくは考えます。池澤さんの『イラクの小さな橋を渡って』を読むと、
イラクという国は、北朝鮮などとは随分違うようだ、ということは
よくわかるのですけれども――。

DORONKO  マスコミの虚妄について、など。 2003年03月14日(金)16時39分18秒
客観的数字から報道のペテンを見抜こう へのコメント

昨日(本日早朝)、たまたまTVで「CBSドキュメント」を見ました。途中から
だったのですが、その中身は、何と、“渦中の人”イラクのフセイン大統領への、
アメリカ人ニュースキャスターの直接インタビューです。このキャスターに
よれば、インタビューは先月末頃に行なわれたものだそうですけれども。

で、結論を言ってしまいますと、このキャスターの姿勢は、まったくお話にも
なりません。ひたすら“サダム・フセイン”に対する敵意を煽ろうとする
ばかりで、“事実”を見据えようなどという姿勢は、カケラほどもないとしか
思えませんでした。――対するフセイン氏の方は、総じてとても冷静な印象で、
「自分はアメリカを攻撃しようとしたことなどまったくないし、イスラム教の
教えに従うなら9・11のようなテロを支持することはできない。実際に、イラクは
アルカイダやビン・ラディンを支援してなどいない」と、明確に断言していました
(ぼくは、それをただちに100%信じるべきだとまで言うつもりはありませんが、
彼の語り方はかなりフランクで、ことさらな作為は感じられませんでした)。

――ぼくがとりわけひどいと思ったのは、フセイン大統領が「あなたはわれわれ
がアメリカに対する脅威だと言うが、それはアメリカの政府の見解にすぎない
のではないか?それとも、すべてのアメリカの市民が、そう考えているという
のですか?」と反問したのに対して、このキャスターが、「私は、それがすべての
アメリカ市民の考えであると、自信をもって断言できます」などと答えたことです
(深夜のことでもあり、そのようなやり取りがあったというだけで、一字一句
このままというのではありませんが)。……あれはもう、単なる愛国心の発露などと
いうレベルに収まるものではありません。このキャスターの“ふるまい”は、
まさしくショーヴィニズムchauvinism(=狂信的・排外的愛国主義)というべきもの
だとしか、ぼくには思えませんでした。そして、“ショーヴィニズムに魂を売り渡した
ジャーナリスト”などというものは、形容矛盾の最たるものであって、もはや
ジャーナリストなどと呼ぶに値いしないのは明らかです。

ここで、このキャスターの名前を明かしましょう。彼は、ダン・ラザー。ご存じの方
も 少なくないでしょうが、あの「CBSドキュメント」の“顔”といってもよい人物で、
以前ならおそらく「良識派のジャーナリスト」ということで通ったに違いない
ベテランのキャスターです。――その彼が、今や、カメラの前でゴリゴリの
ショーヴィニストを演じて恥じる様子もないのです。これでぼくは、今、アメリカ
という国が、どれほどトンデモナイことになっているのか、そして、アメリカの
マスコミがいかに堕落して、その“お先棒かつぎ”をしているのかということを、
イヤというほど思い知らされました(日本版の女性キャスターによれば、アメリカでは、
あれだけひどかったダン・ラザーに対してさえ、なおイラクに対して「宥和的すぎる」
といった非難があったそうですから、アキレタものです!)。

かつては、アメリカといえば「ジャーナリズムの先進国」であって、“批判精神豊か
で極めて有能な記者たちがゴマンといる国”といったイメージを持つことができた
時代もあったものですが、もはや、そんなイメージは、まったくの幻影でしか
なくなったのだということを、率直に認めるべきなのかも知れません。

一方で、アメリカには、アメリカがなぜ泥沼のようなベトナム戦争へとのめり込んで
行ったのかを徹底的に検証した『ベスト&ブライテスト』を書いたD・ハルバースタム
のような偉大なジャーナリストもいるのですが、彼がこの古典的な名著で明らかにした
数々の教訓も、今のアメリカではまったく顧みられていないのだろうかと思うと、
暗胆たる気持になります。

ただ、昨日は少し明るいニュースもありましたね。ニューヨークの市議会が、国連を
無視してまでアメリカがイラクに対して武力行使することには反対するとの決議を
採択したというのです(決議は賛成31:反対17だそうで、“強硬派”も、そこそこに
いるわけですが)。世論調査では、イラク攻撃を支持するという“おバカなアメリカ人”
の方が未だに多数派であるようですが、あの国には冷静な頭脳を持った人たちも
決して少なくはないのだなと再認識させられました。

それと、「外交問題評議会」というアメリカの有力シンクタンクが、アメリカが
イラクへの武力行使に踏み切った場合、戦後の安定と復興のためには米国の分だけで
年に200億ドル以上の巨額の負担が数年間にわたって必要になる――と発表したこと
にも注意しておくべきでしょう。識者によれば、アメリカの国家財政は、クリントン
大統領の時代とは一転して、すでに“火の車”といってもよいような状態らしく、
新規に国債を増発することも困難で、公務員の年金基金から巨額の借り入れを行う
という窮余の策を弄している有様だとのことです。となると、イラクを攻撃する
戦費に加えての、この「復興のコスト」を、子ブッシュはどうやってまかなおう
というのでしょうか?――国連で、唯一、早々と「米英支持」の態度表明などを
してしまった日本に、そのツケが回ってくることは、もう、ほとんど「既定の
事実」と言うべきことなのでしょうか?自国の財政さえ、破綻の危機に直面して
久しく、未だに出口が見えないというのに……。これほどアホな政府を、ぼくは、
ちっとも支持したくなどありませんけれども――。

さて、昨日は、先日たまたま書店で目に入ったので買い求めた池澤夏樹さんの
『イラクの小さな橋を渡って』も読み終えました。この、ささやかなと言って
よいだろうルポルタージュの中で、池澤さんはニューヨーク・タイムズのある
連載記事について、次のように書いています。「……テロというものを徹底して
被害者の立場から、殺された一人ずつの視点から見るという姿勢は大事だ。
しかし同じ新聞がアフガニスタンのことは抽象的な数字でしか伝えない。
アメリカ軍が放つミサイルの射程はどこまでも伸びるのに、メディアの視線は
戦場に届かない。行けば見られるはずの弾着の現場を見ないまま、身内の不幸
ばかりを強調するメディアは信用できない」(76p)と。これは、まったく
同感だというしかありません。

池澤さんはまた、この「戦争」の実態について、こうも述べています。「アメリカ
とイギリスが勝手に設定した飛行禁止区域」というものについてですが、「イラク
の国土の半分以上を占めるこの地域内の目標に対して米英は1991年以来頻繁に
爆撃とミサイル攻撃を行ってきた。1999年までの数字だが、六千回の出撃を
くりかえして四百五十の施設を破壊したという。<中略>アメリカの高官は、
もう壊すべき軍事施設がない。奴等の屋外便所まで壊してしまった、と言って
いる。つまり戦争はとっくの昔に始まっていたのだし、それもまったく一方的な
戦争なのだ」

……最近、洋介君も紹介してくれている『アホでマヌケなアメリカ白人』などの
ような、“反米的”な論調の本の売行きがよくなっているという書店員の話なども、
昨日はTVが紹介していました。ブッシュ政権の非道ぶりを見ていると、それも
当然かなとも思うのですが、それでもぼくは、いたずらに感情的な反発には
走りたくないと思います。その点、この池澤さんのルポは、やはりお薦めしたい
一冊です。池澤さんが述べていることに格別な目新しさはないかも知れませんが、
おだやかなまなざしをした人々の姿をとらえた本橋成一さんの写真と合わせて
読むことで、多少でも「現実」に近づけるだろうとぼくは思いました。


勇崎  若気のいたり<寮さんち編 2003年03月07日(金)00時58分02秒

4月にこんなことすることになりました。
30人も入ればいっぱいの会場です。
下記URLをご参照下さい。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/maruba/

寮美千子  ラジオスターレストランへようこそ 2003年03月04日(火)02時39分41秒 http://ryomichico.net
ちょっと、一言 へのコメント

>「ラジオスターレストラン・・」だって金払って見るじゃもんじゃないよ

わたしはそんなことないと思います。あれはよい作品だった。金払って見てもいい。
自信持っていえる。

でも、もっといろんな可能性があることは確か。
それを追求できたらいいのになあ。
例えば、宮崎駿とか、押井守とか、アニメの人なんかに好きに使ってもらったら、
いったいどんな映像ができるだろう。
音だって、もっといろいろ面白いことできそうだし。
人気の映画にたくさん人が入るみたいに、
いっぱい人が来るプログラムだってあっていい。
いろんなこと、やれたらいいよね。

本多信介  そういう事か 2003年03月01日(土)01時38分17秒
プラネタリウムグランプリ へのコメント

議題について発言するようになってんのか

だったら投稿画面に履歴が見えるようにしてくれよ

洋介くん、

本多信介  ちょっと、一言 2003年03月01日(土)01時34分11秒
ありがとうございます へのコメント

なんてたって、つまらないからじゃないの?

「ラジオスターレストラン・・」だって金払って見るじゃもんじゃないよ、
ま、制作者の一人としても悲しいけどな、、ずーーいぶん前にサンディエゴって
アメリカの田舎町のプラネタリウムで見た気球に乗って旅する3Dはディズニーよりも
おもしろかった、、。コンテンツ、ちゃんとしたコンテンツ作ってんの?できるわけ
ないじゃん、、でいいのかよ、、あんなりっぱなスクリーンに貧しい映像、、、
悲しいよなーー、帰りたくなるぜーー、、そりゃつぶれるよ。

ほんで寄生虫のような、業界団体もつぶれれば、わかるかもな
内部で、改革ありそうもないぜ、、ホントに必要なんだったっら残るかも。

いとてつ  ありがとうございます 2003年02月27日(木)02時13分36秒
赤字でこそ、教育 へのコメント

寮さん、勇崎さん、プラネタリウムについてまじめに取り上げて議論していただき、ありがとうございます。寮さんが書いていらっしゃる、業界の構造の問題はたしかにあると思います。でも、さすがにプラネタリウム投影機が10年でだめになるはずはないので、サンシャイン側が挙げている閉館理由もちょっと疑問です。
MARIKOさんも書いていらっしゃいましたが、プラネ業界も「変わらなきゃ」と思っている人たちは結構います。私も時折、そういう場に顔を出して議論に参加させていただくことがあります。そういう人たちと話しているといろいろな提案が出てきてとても楽しいです。しかし、現在の状況は、そこでいろいろ考えて変えていこうとする前に、プラネタリウムそのものがドミノ倒しのようになくなってしまうのではないか、という状況です。
実際、3年前に閉館した渋谷の五島プラネには年間12万人以上の人が入っていました。五島プラネがなくなった後、その分サンシャインの入場者が増えたかというと、3万人ぐらいしか増えませんでした。残りの人たちはよそへ行ったのか、それともプラネを見る機会を失ってしまったのか。たぶん、単純に見る人が減ったのではないでしょうか。関係者に聞いたところによると、サンシャインプラネは現在年間約23万人の人が入っていて、これは、23区内にある他のプラネタリウムの入場者数を全部合わせたよりも多いのだそうです。もし、そうであれば、東京都23区でプラネタリウムを体験する人が半分以下になる、ということかもしれません。これはなんとか防がなくては、と思います。

じつは、先週金曜日、「サンシャインプラネタリウム存続を願う会」が豊島区議会に出した陳情書に関する、区議会文教委員会の審議があり、傍聴に行ってきました。議会関係の傍聴は初めてでしたが、国会中継なんかに比べてよほど身近な話題が話し合われており(他には、図書館窓口業務の民間委託の是非など)、こういうところで物事が決められていくのか、という実感がわき、大変興味深い経験でした。松永さんが書いていらっしゃる政治への参加をちょっと味わった気がしました。(スケールはだいぶ違いますが)
文教委員会では陳情は採択されました(詳細は末尾のリンク参照)。文教委員会の区議の皆さんにプラネタリウムの重要性を認めていただけたことは大きな一歩ですが、寮さんも書かれていたように、単にこれは区から「やめないで」とサンシャイン側に「要請(お願い)」するだけのことですから、実際、プラネタリウムを存続させるためにはまだいろいろとしていかなければいけないことがあると思います。署名集めもそういった今後の活動の材料として、さらに盛り上がればと思っています。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。

http://homepage2.nifty.com/‾tomoko/ssp/

勇崎  コメントしたくない 2003年02月24日(月)00時42分53秒
客観的数字から報道のペテンを見抜こう へのコメント

イラクに関する米英と日本の対応は狂気としかいえず、
コメントもしたくない気持ちにさせられてしまいます。
日本人としての僕たちは、どうしたらいいんでしょう。
いまこそ、鬼畜○○プラス○、と60年ぶりに叫んだりして、、、

勇崎  赤字でこそ、教育 2003年02月24日(月)00時33分09秒
プラネタリウムグランプリ へのコメント

教育というのは、常に赤字の上に成立します。
どこにお金を持ちだしじゃない公立学校(教育)がありますか。
(私立だって、国などから補助金を得て成立しています。)
だからこそ、学習する側は、学習を未来にプロジェクトする意味をいつか見いだす。
そこに先行投資することを「教育」といいます。
文化施設が儲からない、採算がとれないからといって閉館するけど、
ほんとは赤字であたりまえ。

某国の首相さんへ>
「米百俵」の意味は、こういった状況に対するメッセージなんで、
どれだけ教育に赤字を出せるか、というのが国力や地域力で、
赤字が大きいほど自慢する位になって欲しいんだけどね。
「米百俵」の意味が、「いたみに耐えて、よく頑張った」ではね。
「感動した〜〜」と絶叫されても、
「いたみに耐えて頑張った」結果が、貴乃花みたいに、
2年近くも休場して、結局引退コースなら、
「いたみに耐えて頑張」りたくないよ。

勇崎  そうだね 2003年02月24日(月)00時07分16秒
プラネタリウムグランプリ へのコメント

MARIKOさま>
賞は権威のためにつくるのはだいっきらいだけど、
戦略として賞を創設することは、極めて有効です。
だいっきらい、といいながら、
僕も東川賞とか、高校生の写真甲子園の金のモモンガ賞とかを、
19年とか、10年とか、していますが、
だいっきらい、を常に自制し、
抑制を利かせながら、有効化しているつもりです。
プラネタリウムグランプリについて、
お役にたてるのなら、いつでもお手伝いしますよ。

MARIKO  プラネタリウムグランプリ 2003年02月20日(木)04時14分05秒
「サンシャインプラネタリウム存続を願う会」に関する提案 へのコメント

寮さんの書き込みを見た、数人のプラネ関係仲間から「いたく共感する」というメールをもらいました。ほんとにおっしゃるとおり、と思います。ミッションが明確でなく、専門職員もおかない公共施設とそれに乗じてきたメーカー、という構図は否定できない。

一方、寮さんの言うような形でなんとかしようと思っている関係者も少なからずいて、そのような話は(私がプラネタリウム業界に頭をつっこんでいるのはたかだが6年ほどですが)出てきます。ちゃんと規格化しよう、と。メーカーの方もそう思っている方はいる。が、具現化はほんとうに難しい。でもいまだに手間はかかるけど、ある館で作った番組を他の館に移築するのは可能だし、実際に行われています。ちゃんと連携体制がつくられているか、というとできているとは言えませんが。勇崎さんのおっしゃるとおり、きちっとラインナップする必要もあるでしょうね。
それから、グランプリ形式にしたてていくのも私の周辺の人たちとよく話をすることで、ほんとに実現するといいなあ、と。その前段階になるようなイベントも画策中。プランニングを勇崎さんにお願いする、っていう魅力的な考えもありますね〜。

上記に関して、その「壁」について説明し始めると、とまらないくらいいろいろあります。でもこうなるといいのになあ、と思ってばかりで動かないと、一つの文化が失われる。「科学教育の危機!」と叫ぶよりも、多くの人を巻き込んで、そうなるようにちょっとずつ動かしていく、そして楽しい思いをするほうが先決か。

寮美千子  客観的数字から報道のペテンを見抜こう 2003年02月18日(火)00時24分22秒 http://ryomichico.net
イラク関連資料/ぼくたちはイラク攻撃を支援している へのコメント

松永青年の投稿を読んでから、テレビのニュースを見ると、なるほどわたしたちはマスコミのペテンに踊らされているなあと感じました。

どんな報道も「イラク対アメリカ」という図式。ブッシュ大統領とフセインが、まるで対等の存在であるかのように扱っている。報道は繰り返しいいます。「イラクの出方が明日の世界を決める」「イラクが査察にどこまで協力するかが、すべてを決定する」と。

しかし、それは違う。ほんとうは、イラクの出方じゃなくて、アメリカの出方が世界の明日を決めるのです。イラクがどうでようが、アメリカが引っ込めばおしまいです。脅威はイラクよりアメリカ。イラクの国内総生産の13倍の軍事費を使っているアメリカが、イラクという小国に、わざわざ地球半周も出ばっていって攻撃しようというのだから、恐ろしい限りです。「軍事力の脅威」といったら、そのほうがよっぽど恐ろしい。

それなのに、報道はイラクがそんな小国であることを忘れさせてしまう。いかにも凶悪な、野放しにしたらすぐにでも攻撃を仕掛けてきて、核爆弾や生物化学兵器をばんばん使いそうな国に仕立て上げている。

マスコミは「世界各地で、平和の声が高まっています」という報道をしながら、一方で、アメリカのイメージ戦略に乗って、イラクがアメリカに匹敵する強大な軍事大国であるかのような印象を与え続けています。

北朝鮮の洗脳放送もたいしたもんだけれど、日本の報道だって、それと大差ない偏った洗脳報道をしている、ということを、松永青年があげてくれた数字を見て痛感しました。どうかみんなも、松永青年があげてくれた数字をよく見て、自分の頭で考えてみてください。

勇崎  ふたつの情勢 2003年02月17日(月)21時50分54秒
「サンシャインプラネタリウム存続を願う会」に関する提案 へのコメント

イラク情勢>
憲法に立ち返れば、日本がとるべき態度は明快明確。

プラネタリム情勢>
豊島区立もしくは都立、国立、国際立のいずれかで存続請願。
プラネタリム関係者で、全国にほぼ共通する機材ラインナップ(あるいは館同志で貸し回しのきく機材をふくめたフォーマット)を設定し、オリジナル・プログラムの世界公募(国内限定でも可)、あるいはMARIKOさんのように国内(国際も可)でオリジナル・プログラムを制作した作品を対象としたグランプリ(年度賞あるいはビエンナーレ、トリエンナーレ形式)の設定などで話題をつくり、現在進行形のプラネタリムを市民・国民にアッピール。

松永洋介  イラク関連資料/ぼくたちはイラク攻撃を支援している 2003年02月16日(日)21時49分48秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/

イラク情勢が気になって、ちょっと調べてみました。

▼イラクはアメリカの好敵手か

アメリカの言い分の印象では、フセインのイラクは湾岸戦争に勝ち残った(?)強大凶悪な軍事国家にみえるのですが、そもそも、あんまり国力はないみたいです。
人口は2424万5千人で、これはアメリカの10分の1以下、わが国の5分の1。韓国と比べても、半分でしかありません。
恐れられている軍事力ですが、これも湾岸戦争の前後で半分以下になっています。(外務省のデータ
アメリカの軍事予算は、イラクの国内総生産の13倍にのぼる巨額なものです。イラクの軍事予算や国家予算じゃなくて、国内総生産ですよ。(アメリカの軍事予算3930億ドル(2003年度):イラクの国内総生産297億ドル(2002年)外務省のデータによる)
これでは、イラクがいくら軍備に力を入れたとしても、アメリカが軍事侵攻するとなれば、その差は歴然としています。
まさに赤子の手をひねるようなもの……というか、つまりは“虐殺”であって、“戦争”というロマンチックなものにはならない気がします。

今回、国連の査察チームが調べても、核兵器や生物兵器・化学兵器を保有しているという決定的証拠は出てきてないし、いま外国を侵略してるわけでもない。だから、アメリカがあくまでも「正義の戦争」と言うためには、フセインのイラクを“敵”として誇大宣伝する必要がある。
マスコミによく登場する「フセインVSブッシュ」という図式(⇒イメージ写真)は、両者が“ライバル”であるかのような印象を与えますが、これは要するに、アメリカの行為を正当化しようとするペテンです。

われわれは、まんまとペテンに乗せられています。イラクは恐るべき力を持った危険な軍事国家で、アメリカと対等な存在。フセイン大統領とブッシュ大統領は、実力伯仲のライバル。多くの人が漠然とそう感じていると思います。ぼくも、調べてみるまで、イラクがこんな小国だとは知りませんでした。
連日のマスコミ報道は、事実上すべてアメリカの宣伝戦略に荷担している。「フセインVSブッシュ」という幻影を見せつづけています。
こういうペテンの積み重ねが、世論を「攻撃賛成」に傾けるのだと思います。
軍事侵攻の口実をつくるプロパガンダについては『敵の顔』という本に、興味深い事例がたくさん出ています。
初めに敵ありき。武器の前にイメージがある。敵のイメージが邪悪であればあるほど虐殺は正当化される。古今東西の〈敵の顔〉を読み解くことから始まる、敵意の幻想に楔を打ち込む、戦争心理の図像学。
『敵の顔』(サム・キーン著、佐藤卓己・佐藤八寿子訳、柏書房、1994)
▼悪の独裁国家VS正義の民主国家?

アメリカはイラクを非難するけど、チョムスキーの本や最近話題の『アホでマヌケなアメリカ白人』、田中宇のコラムなんかを読んでいると、アメリカの方がさらに激しい「ならず者国家」に思えます。一方的に“問題”を定義し、暴力で“問題の解決”をはかり、自分に不都合なことは黙殺する。(ひどい)
ブッシュが当選したとされる2000年の大混乱選挙は、まともな民主国家とは思えない惨状だった。(次回は国連の選挙監視団が必要?)
国内の風通しもこれから悪くなっていくんじゃないだろうか。よその国を非難してる場合か?

▼大量破壊兵器の現状

イラクは今のところ核兵器を保有していないらしい。
アメリカは人類史上唯一の核爆弾使用国であり、世界一の核爆弾保有国である。そしていまなお、核実験禁止条約を反故にして開発を継続している。
12年前の湾岸戦争では劣化ウラン弾を使用して大量の放射性物質を撒き散らした。イラク国民はその放射能の被害に苦しんでいる。(中国新聞「がん急増 薬も不足 劣化ウラン弾、影響深刻 広島訪問のイラク人医師 アリ氏に聞く」)

イラクは以前、生物/化学兵器を保有していた。
アメリカは、イラクがいまも生物/化学兵器を隠し持っているんじゃないか、そしたらそれがアラブの方のテロリストの手にでも渡って(アメリカに対して)使われるんじゃないか、それはアメリカばかりでなく世界の人々の生命を脅かす危険なことだ、と主張している。
しかし、アメリカで9・11直後に起きた炭疽菌事件では、生物兵器が「実際に使用された」のである。その炭疽菌の出所は、ほかならぬアメリカ軍の研究施設だという指摘もある。(田中宇「炭疽菌と米軍」「炭疽菌とアメリカの報道」)
アメリカは、イラクの生物兵器の心配をする前に、国内に存在し使用された生物兵器の根絶を優先したほうがいいと思うんだけど。
そういえばここ一年ほど報道らしい報道もないけど、捜査はどうなってるの? アメリカ国民はこのことをどう思っているのだろう?

▼石油のこと

イラクは、サウジアラビアに次ぐ世界第二位の石油埋蔵量を誇る国。
アメリカは、これはもうダントツで世界一の石油消費国である。(あきれた)
石油埋蔵量(上位5ヶ国)
財団法人中東協力センター「石油・天然ガスの生産量と埋蔵量」より(1998年末)
石油埋蔵量
サウジアラビア25%
イラク11%
アラブ首長国連邦9%
クウェート9%
イラン9%
世界の石油消費シェア(上位5ヶ国)と人口
新日本石油(株)のサイト新詳高等地図(帝国書院)より
石油消費量はE&E社の資料より(1998年)
石油消費シェア
(2001年)
人口
(1997年)
国民1人あたりの
石油消費量
アメリカ26.0%2億6790万人4029リットル
日本7.2%1億2564万人2379リットル
中国6.6%12億4374万人220リットル
ドイツ3.7%8207万人1871リットル
ロシア3.3%1億4711万人931リットル

ちなみに、全消費量を世界の全人口の60億で均等に割ると、1人当り692リットルとなります。アメリカの4029リットルという数字と比べてみてほしい。
日本はアメリカに次ぐ大量消費国で、一人当り2379リットルも使っています。調べてみてショックだった。深く反省すべき事態であると痛感しました。
(エネルギー問題については、世界のしくみの根幹にかかわることなので、今後も検討していきたいと思います。)

▼軍事侵攻に反対したい

最初に「イラク情勢」と書いたけど、この件については「アメリカ情勢」と言った方がよさそうな気がしてきました。
そして、われわれの選んだわが国の指導者たちは、どうもずるずるとアメリカを支援していくつもりらしい。これはいったいどういうことか。今般のアメリカ情勢では「攻撃反対」という意見はどう考えても正常だ。なんで反対しないんだ?
わが国はアメリカの同盟国だけど、イラクと同じアジアの一員で、平和主義の独立国家なんだから、正常な判断力を失った「ならず者国家」の価値観に迎合する必然はないはずだ。

参考・中国新聞によるインタビュー集より:
イラク査察再開、攻撃はテロ招くだけ 米核時代平和財団代表 クリーガー氏に聞く
イラク攻撃に走るブッシュ政権 広島市立大ファルーク教授に聞く

では現在、軍事侵攻支援というわが国の姿勢に不満をもつわれわれ(ぼく)はどうしたらよいか。
とりあえず、すぐ効く策はないと思う。
今日ここで反対を唱えてもいい。国会前でデモ行進をするのもいい。攻撃反対の意見広告を打つのもいい。でも、アメリカが軍事侵攻を実行すれば、わが国はそれに追随し、ぼくたちは自動的に、イラク攻撃を支援した国の国民になっちゃう。つまり、ぼくたちはイラク攻撃を支援したことになる。
もしかしたら今回は止められないかもしれない。それでも懲りずに言いつづけ、人の話を聞きつづけることは、将来の「戦争廃止」に近づくための合目的的な行動だと思う。

中期的にはどうしたらよいか。
森本おじさんがよく言っているけれど、ともかくわれわれが最も合法的、最も強力かつ簡単に、政治に影響力を行使する方法は、選挙だ。
ふだん戦争反対を表明してても、選挙のときにうっかり「いい人だから」とかいって、軍事侵攻に反対しない政党や人に投票したら、いざというとき何にもならんと思うのです。選挙でまともな判断力を行使するには、心にひっかかることを継続的に考えて、人と話をし、頭をはっきりさせておいたほうがいい。
(具体的には、次の選挙のとき、候補者にまず今回のイラク攻撃支援について賛成したのか反対したのか、その理由、反対したなら具体的に何をしたのかを問う。そして投票の是非を決定すべきだと思います。次の選挙はいつだろう?)
すぐにはどうにもならないからといって、思考を放棄して現状容認や現状無視に走ってはいけない。

社会変革は、辛抱から。自分の長期的利益をもたらすのは、自分と社会との齟齬を拾いあげ大切に育む繊細さと、しぶとく考えつづける体力、そして思考の技術だと思います。

寮美千子  「サンシャインプラネタリウム存続を願う会」に関する提案 2003年02月16日(日)20時34分54秒 http://ryomichico.net


カフェルミでいとてつ氏が「サンシャインプラネタリウム存続を願う会」の署名運動の情報を書き込んでくださいました


池袋のサンシャインプラネタリウム。実はわたしは夏の特別番組のシナリオ、書いたことがあるのです。音楽中心の番組だったけれど、宇宙のこと、詩にしました。思い出深いプラネタリウムです。なくなるのは、残念。とても残念です。

しかし、一民間企業に負担を押しつけていいのかなあ、という気もしちゃう。署名集めの「サンシャインプラネタリウム存続を願う会」のサイトを見たところ「会の活動」のところに、署名の趣旨としてこんなことが書かれていました。
・豊島区議会への陳情−サンシャインプラネタリウム存続の要請をサンシャインシティ側にしていただけるように
・存続のための署名活動−区民を中心にひろく一般より集める
・天文関連学会、および天文教育普及関連団体によびかけ、存続を願う声明を出していただく
わたしは、最初の「豊島区議会への陳情」というところで、おっと思った。区議会に補助金出せと陳情するのかと思ったから。でも、よく見たら違う。区議会からサンシャイン側に存続を要請するという趣旨。これは、かわいそう。サンシャインは、一民間企業でしかないんだよ。

しかし、よく考えてみたら、採算が合わなくてもなんとかやっていける公共団体しか運営できないプラネタリウムなんていうものそれ自体が、おかしい。それはつまり、プラネタリウムに関する公共機関の政策と、プラネタリウム会社の開発方針が間違っていたということではないか。

山梨科学館のプラネタリウム番組をつくって感じたのは、どうして各館でのソフトの互換性がないのか、ということでした。最新機器をどんどん開発して売りつけ、そこでしか上映できないソフトを制作して儲けを持続させる。それがプラネタリウム業界のやり方だったようです。公共機関は、それに逆らわず「教育目的だから」といって、公共予算をいっしょうけんめい取ってきた。しかし、それは本当に誰のためだったのか。誰のためになったのか。

旧式の機材でもいい。安く、多く供給できるプラネタリウム機材の開発をこそ、公共機関は求めるべきであったのではないか。そして、各館でソフトを共同制作して使い回すことで、一本のソフトにかけられるお金を多くし、プラネタリウム界全体では制作経費節減になる方法を模索すべきであったのではないか。一本のソフトにかけられるお金が多くなれば、質も向上するはずだし、例えば話題の映画と同じように、話題のプラネタリウム番組ができて、人がいっぱい集まったかもしれない。

公共機関は、そのような指導をしてこなかったみたいです。企業は、公共機関がいいなりになるから、いい気になって勝手なことをしてきた。その結果、ソフト互換性のないプラネタリウムが林立し、ソフト制作にお金がかけられないから、結局なかなか新しい魅力ある番組をつくることができず、ええい面倒だとばかり、外国から番組を買ったりする。

そのような公共機関と、利権にあぐらをかいてきたプラネタリウム業界が、いまの惨状を生みだしたのだと思うのです。プラネタリウム業界は、最新型の高価な機材を売りつけることばかり考えて、結局自分で自分の首を絞めることになってしまっている。このままいけば、プラネタリウムそのものが消滅するかもしれない。

わたしは、業界にきちんと考えてもらいたいと思います。そして、公共団体にも、考え方を変えてほしい。もっと横の連携をとれるようにしてほしい。せっかくの真理子さんがつくったプラネタリウム番組きっての名作「オーロラストーリー」も「ラジオスターレストランへようこそ」も、もう見られないというのは悲しいし、第一もったいない。

そのような公共機関と業界の怠慢のツケを「夢があるから」「教育のため」などといって、一民間企業に負担を押しつけるのはかわいそう、というのが、わたしの意見です。

サンシャインでも、客足は最盛期の半分に減り、年間20万人。投影機械の更新に莫大な経費がかかるため、運営が困難、というのが閉鎖の理由。結局、問題はそこなのか。
http://202.243.222.10/pub/topics/200302b.html

▼対策
それでも存続を望むなら、どうしたらいいか。
1 プラネタリウムの機材をつくっている会社に「安くやってやれ」と陳情する。
2 採算が合うような魅力的な番組の企画書や、新しい運営方法の提案書をつくって、こんな方法で存続できないか、と提案する。
といった、具体的な提案が必要だと思うのです。いとてつよ! きみ、やってみないか。

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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