ハルモニア Review Lunatique/意見

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■はじめての介護

Tue, 20 May 2003 02:11:11

15日、マダガスカルに帰るマミさんを見送ってほっとしたのも束の間、16日には実家の父が膀胱腫瘍で手術をしました。1981年の発病以来、父にとってはもう20数回目の手術です。といっても開腹せずに内視鏡を使ってポリープだけを切除する内視鏡手術なので、回復も早く、20数回も手術することが可能だったのです。いつものことだし、手術当日はお見舞いに行っても眠っているばかりなので、翌日お見舞いになどと暢気にしていたところが……。

なんと、15日の深夜、母から緊急電話。麻酔のさめかけた父が、錯乱状態になったとのこと。夜が明けるのを待って、始発で千葉へ向かいました。

朝7時、病院に駆けつけてみると、父の意識は、すっかりはっきりしていました。昨夜の混乱は、麻酔の影響だったようです。わたしは、ひと安心。それから、17日、18日と、病気を抱えた母にかわって、父の介護をすることになりました。ところが、安心したのも束の間、別の問題が襲ってきました。

異変は、医師がやってきて、導尿管と点滴を抜いたところからはじまりました。まだ、膀胱がちゃんと機能していなかったのです。父は5分ごとに尿意を催し、しかも排尿に強い痛みと困難が伴います。そのたびに苦しむ父を見かねて、もう一度導尿管を入れてもらえないだろうかと掛け合いましたが、土曜日で医師が手薄だったこともあったのか、却下されてしまいました。

昨晩の強い睡眠薬のせいか、激しい下痢が追い打ちをかけます。父は、横になってほっと息を付く間もなく、尿意や便意で起きあがらなくてはなりません。しかも、排尿に伴う強い痛みで大変苦しみます。尿は尿瓶で対応、便はトイレまで行くのですが、どちらも間に合わないこともあります。かわいそうなのは、父。娘の前で失禁するなんて、ひどいショックに違いありません。わたしもショック。しかし、事態が事態だけに、茫然とする間もなく、互いに対応に追われます。

他人の介護をした経験は少しはありますが、実の父の下の世話をしたのは、わたしも生まれて初めて。父の方も、頭がはっきりしているだけに、気の毒です。ああ、これが親が老いるということなのだなと実感しました。

疲労したせいか、父は、徐々に熱も上がり、とうとう40度近くに。医師もやって来ず、解熱剤も処方してもらえず、40度近くになってやっと氷枕をもらったという状態です。父の体力温存のために、いっそ紙オムツをあてた方がいいだろうということになりました。しかし、その紙オムツも病院からは支給してもらえず、売店も休みなので、片道15分もかかる薬局まで買い出しにいかなければなりませんでした。幸い、相棒が一緒にいてくれたので、買い出しを頼み、わたしは父の介護を。やっと紙オムツが届いて、嫌がる父を説き伏せて、紙オムツをあてさせてもらいました。

それでも、父はやはり嫌がって起きあがってしたがります。抵抗があるのは当然です。父の気持ちも痛いほどわかる。しかし、その度に起きあがっていたら、父の体力は消耗するばかりです。とても見ていられません。嫌がる父を「どうかそこで、そのまましてちょうだい。30分ごとにわたしがオムツをかえてあげるから。お願い」と拝み倒して、寝たまましてもらいました。

夜10時を過ぎて、ようやくオムツにも慣れてもらい、熱も38度代に下がりました。あとは看護婦さんが面倒を見てくださるということなので、おまかせして、わたしと相棒は、実家に戻って一休みすることにしました。

翌16日。朝、病院に行くと、父は相変わらずの頻尿。5分おきに尿意を催します。ところが、深夜は人手がなく、オムツ交換も一回だけしかなかった模様。汚物にまみれた父は、茫然としていました。オムツを換えましょうというと「このままでいい」と投げやりなことをいいます。自分が、そのような状態になったことが、きっとよほどショックだったのでしょう。無理にオムツをかえて、着替えもして、さっぱりしてもらうと、すぐに顔色まで違ってきたのには驚きました。きれいにしてあげるって、すごく大切なことなんだなあと実感。

しかし、頻尿はまだ収まりません。そのたびにつらそうで、ほんとうにかわいそう。医師に訴えるために、昨日から尿をした時間をメモしておきました。尿は5分おきです。回診にやってきた医師にそのメモを見せると、もう一度導尿管を入れ、点滴もしましょうということになりました。高熱があり、腎盂炎の疑いもあるとのことで、その処置もしてくれるそうです。

導尿管を入れて、頻繁な尿意から解放された父は、ようやくぐっすりと眠ることができました。熱もありましたが、38度台で落ち着いてくれています。抗生剤の点滴が効いたのか、夕刻にあがった熱も、9時過ぎには37度台にさがり、わたしも実家に帰って一休みすることができました。

そして、きょう。母と病院に行くと、なんと父は新聞が読めるほどに回復していました。父は今年75才。もう若くはありません。それでも、手術後、日一日と回復していきます。人間の生命力はすごいものだと、改めて思いました。

まだ導尿管と点滴ははずれませんが、どうやらひと安心です。導尿管は、膀胱が回復するまであと数日はつける予定。となれば、オムツの世話もないし、介護は母にバトンタッチして、家に戻ってきました。

とはいっても、その母も肺繊維症という難病を抱える身。母にだけ任せて置くわけにもいきません。導尿管をはずしたら、また忙しい介護が必要になるかもしれません。目先の急ぎの仕事を早く終わらせて、介護に復帰しなければなりません。

いつかは来ると思っていた親の介護。どさくさのなかで、父親の下の世話をするという大きな壁を、一気に乗り越えてしまいました。やってしまえば、どうということはないけれど、なんかショック。父もショックだったに違いありません。けれど、こんな形で、普段の親不孝を少しでも埋め合わせできたかと思うと、不思議な満足感もあります。そんなふうに思わせてくれたパパに感謝。なんていったら、パパに悪いね。

これっぽっちの介護で「介護介護」と騒ぐのは、実際に日々介護をしている人から見たら、笑ってしまうようなことだろうけれど「はじめての介護」は、わたしにとって、人生の新しい局面を迎えたような気分。入学や卒業や結婚のような、人生の節目のように感じました。心新たに頑張りたい、という気持ちです。

■プラネタリウム/天文教育普及研究会での発表 レジュメ

Thu, 01 May 2003 00:11:08

2003年4月27日、新宿国立科学博物館分館で行われた天文普及研究会の「プラネタリウムの役割と使命を考える」に出席。「作家のみたプラネタリウム」を発表しました。そのレジュメを掲載します。

内容:
第1部 講演「内外からみたプラネタリウム」
 1)日本におけるプラネタリウム  若宮崇令(日本プラネタリウム協会 会長)
 2)海外におけるプラネタリウム  伊東昌市(杉並区立科学館)
 3)作家のみたプラネタリウム   寮 美千子
 4)音楽家のみたプラネタリウム  あがた森魚
〜休憩〜
サンシャインプラネタリウム存続を願う会からの報告  水野孝雄(東京学芸大学教授)
第2部 ディスカッション「プラネタリウムの役割と使命を考える」
 若宮崇令、伊東昌市、寮 美千子、あがた森魚、
 林 衛(元雑誌「科学」編集部)、大平貴之(メガスター製作者)
 進行:高橋真理子(山梨県立科学館)

▼わたしのプラネタリウム番組制作体験

池袋サンシャイン・プラネタリウム 音楽の夕べ
山梨県立科学館・プラネタリウム ラジオスター・レストランへようこそ

部外者による制作チーム編成
手探り状態での制作

原作・脚本 寮美千子
音楽    本多信介
音響    野川和夫
イラスト  小林敏也
声の出演  青木菜な 竹本英史 中田穣治
演出    奥木晋(五藤光学)
      高橋真理子(山梨県立科学館)

▼音に関して

まず、スピーカーの位置を確認するための図面探しからはじまった
音響デザインの野川さんのおかげで、思わぬ体感的音演出が!
聴覚が研ぎ澄まされる暗い空間で聴く音の面白さ

本多信介のギターでオリジナル音楽を
内容を理解してもらった上でのプロのミュージシャンによる制作

プロの声優たちによる演技
いわゆる「アニメ声」でない声優の起用

いままでの番組制作では「音」に関して
その可能性をぎりぎりまで追求してこなかったのではないか?

▼映像に関して

原書の挿画を担当してくれた小林敏也さんイラスト 
スクラッチという技法がプラネタリウム空間に適していた

借り物の写真とコンピュータグラフィック映像
とても効果的に使えた

▼各館のソフト互換性について

せっかく作った作品が、一館上映だけではいかにも惜しい
高橋真理子さんの「オーロラ・ストーリー」しかり

ソフトの相互交換上映を目指してはどうか
ex 年に一作品、各館でそれぞれオリジナル作品をつくり、それを交換する
互いに刺激になり、切磋琢磨していける可能性が
他館に負けない作品づくりを目指すようになるのでは

▼イラストの品質維持について

「ラジオスター・レストラン」関しては概ね成功
しかし、信介氏から映像面への文句が出た
今回、音がその新たな可能性を追求したほどには、
映像はそれを追求しなかったのではないか? という指摘

プラネタリウム、としてはずいぶん頑張った
しかし、「電動紙芝居」感が拭えない面もあった

それでも小林敏也氏のイラストは質を維持するのに大変大きな役割を担った

しかし、他の作品では、目を覆わんばかりの質の低いイラストが使用されていることも
高品質のアニメを見慣れている目には、おどろくばかりのものが登場
せっかくすばらしい内容なのに、そこでがっかりしてしまう
なぜ、そんなことに?

映像の可能性を追求するために、プロのアニメスタジオに依頼してはどうか
「千と千尋の神隠し」のスタジオジブリ
「パトレイバー」「攻殻機動隊」のプロダクションI.G.

一枚絵であれば、経費もそうかからないはず
お金の問題だけではないところで、可能性の追求が行われていないのでは
人手がない? ツテやコネがない? 癒着?

▼特殊な空間としての新たな可能性の追求

プラネタリウムをひとつの空間としてとらえたとき
一度「科学啓蒙」という枠組みを外して
その可能性を極限まで追求してもいいのでは?

アニメ作家に委嘱
いっそスタジオ・ジブリに、あの空間と装置を見せて
「千と千尋の神隠し」のプラネタリウム版をつくってもらう
アニメ作家なら、あの空間をどうやって使おうとするか、実験してもらったらどうか

・現代美術 現代音楽の発表の場に
・コンサート・ホールとして
・詩のオープン・マイク
・市民参加型利用の開発 ex.「わたしの星座」投影会

異ジャンル交流が可能な文化サロン化する

▼科学に立ち返る

以上のようなさまざまな実験的試みの後
それらの要素をいかに「科学啓蒙」に合体させるかを再検討
新しい表現の発見につながるのでは?

▼年齢別・対象別のプログラム

幼稚園児と天文マニア 同じ番組では満足できない
万人向けだけを考えると、虻蜂とらずに

本の世界では、小説は大人のものだけれど、
いい絵本は三歳から百歳まで楽しめる、という

マニア向けの番組を幼稚園児が楽しんだり理解したりすることは無理だが、
子ども向けの番組であっても、質が高ければ大人も楽しめるはず

「ほしがうたっている」
「ほしのメリーゴーランド」紹介

美しい天文写真は、それだけでインパクトがある
プラネタリウムですべてを理解して帰る必要はない
「ファンタジア」のように音楽と映像だけで楽しむ方法も
その映像に関する解説を印刷物として持ち帰ることができれば啓蒙にもなる

▼生解説について

生解説コンテストを!
幻の「名解説」を互いに聴くことで、刺激になり切磋琢磨を!
そこからスターが生まれる可能性も
そのスターの解説聴きたさに旅行にいくぐらいになればいい

▼星座解説

ギリシャ神話だけではなく、日本や東洋の星の神話を!
西洋標準が当然、というように毒されているのでは?

星座の神話は、ほんとうに「親しみやすい」のか?
それは誤解では?
荒唐無稽 理不尽な物語

古代人の感性に近づくことは容易ではない
「古代的心情」は「宇宙の彼方」より遠い

安易に「導入」に使うことへの疑問
「神話」を侮らずに真剣に対峙してほしい

▼科学と神話

なぜ、プラネタリウムで神話が語られるのか?
名古屋市立科学館の服部完治氏の見解に同感

「プラネタリウムというところは、考えてみれば不思議な場所である。ここでは人工の星空を媒介として、最新の天文学の理論が解説されるとともに、ギリシア時代の神々の物語もあわせて語られる。

なぜ「科学的な知識」を求める人が、同時にそのような非科学的な「理不尽な作り話」をも求めるのか。この一見不可解な「二面性」が存在するという事実は、プラネタリウムの意義を議論していく上での重要なファクターではないだろうか」by 服部氏

「神話的真実」と「科学的真実」
「心理的認識」と「科学的認識」
「心の納得」 と「頭での理解」
「太陽が昇る」と「地球が回転して太陽が昇るように見える」
どちらも対等に正しい認識なのである。
この二面性を同時に持つことのできる空間が「プラネタリウム」

科学テクノロジーが制御不能な巨大怪物となって暴走する今日
必要とされているのは深い叡智

こうすれば原子爆弾を作れるという事実
その事実を主観的に認識してどう扱うか、は心の領域

その心の領域について深い叡智を与えてくれるのが
神話的真実、そしてそこから導き出される哲学

プラネタリウムは最先端科学と、人類が培ってきた叡智を結びつけることが可能な場所二面性の統合
祝福されし聖なる全球 見えざる半球が隠されている
上半球:天空=宇宙 下半球:大地=わたくし
このふたつが統合されてまったき「宇宙イデア」となるべき存在
現在は下半球が忘れられ、その残滓である星座図が天空に投影されている

プラネタリウムを単に「理科教育の拠点」と考えたり、
また「さまざまな可能性のある特殊な形状のイベント空間」と考えるだけではなく、「神話的真実」と「科学的認識」を結びつけることのできる
聖なる空間であると位置づけること
そこから発想すると、プラネタリウムは
未来へとさらに大きく寄与できるのではないか

「科学的認識」を「神話的真実」に結びつけるもの
「頭での理解」を「心での深い納得」に結びつけるもの
それが「物語」であり「詩」「音楽」「芸術」ではないか

人がそれぞれ本来心の奥に持っている神性に光をあて、
世界の在り方に対して深い納得を得るための「物語=神話」を提供すること。

附記★科学とオカルト

星占いの巨大人口
人はなぜ「星占い」に惹かれるか
「星座解説」が「星占い」に横滑りしてしまわないために
「星占い」に迷妄することと「神話的世界観」を得ることの違い
「星占い」に迷妄しない心を育てるための素地となる科学的思考と認識
「星占い」好きの人々を、科学に呼びこむには?

■他者への想像力を持とう/T中学の生徒への手紙

Wed, 30 Apr 2003 19:25:55

4月20日、小田急線新宿行きに乗ったところ、電車の中におそろいのジャージ姿の女子中学生がたくさん乗っていました。ジャージには「T中学」という学校名。この子たちがうるさいうるさい。行儀も目を覆わんばかりの悪さ。相模大野から新百合ヶ丘まで我慢したけれど、それでも静かにならないので、こういいました。
「きみたち、おしゃべりするのはいいけれど、もう少し静かにしてくれないかな。ここは公共の場なんだから」
静かにはっきりと語りかけると、向かいの3人は急にしゅんとなって、すっかりおとなしくなって声も出しません。小さくなって、なんだかかわいそうなくらい。近くの子がまだうるさくしていると、その中の一人の子がいいました。
「静かにしたほうがいいよ。しかられたし」
いわれた子は、きょとんとして「なんで?」という様子。
「公共のどうたらこうたらだってさ」
その「どうたらこうたら」に込められた悪意にカチン。何だ、反省したんじゃなくて「しかられたから」静かにしていただけなのか。そこで、わたし。
「どうたらこうたらじゃないの。公共の場だから、静かにしなさいといったんです。公共の場っていう言葉、よく覚えておきなさいね」
そして、まだ騒いでいた子たちには、おなじことをいいました。
「きみたち、おしゃべりするのはいいけれど、もう少し静かにしてくれないかな。ここは公共の場なんだから」
というわけで、わたしの前にいた子たちは、やっとおとなしくなりました。いわれればおとなしくする素直な子たちなのかもしれないと思ったのも束の間、彼女たちは登戸で降りるときにホームから窓ガラス越しにわたしの頭のあたりをごつんと殴り、笑いながら去っていったのでした。

調べてみると、T中学はスポーツの名門。「強ければいい」の姿勢でこんな傍若無人な態度を容認されたんじゃ、たまりません。T中学校に抗議のメールを出しました。すると、校長、教頭、担当教諭から謝罪があり、生徒たちからも反省文が寄せられました。その反省文に対しての、わたしの返事の手紙です。「怖いオバサンに叱られたら静かにする」じゃなくて、ちゃんとわかってほしくて書きました。伝わるといいんだけどなあ。
T中学校 バスケット部のみなさんへ
そして T中学校のみんなへ

先日、小田急線の電車の中でうるさくしている生徒諸君に注意をし、注意を受けた生徒さんから硝子越しに頭をたたかれた寮美千子です。作家を職業にしています。電車の件で学校に苦情を申しあげたところ、バスケット部のみなさんから、反省文のお手紙をいただきました。ありがとう。言葉は言葉だから、それだけでは本当の気持ちはわかりませんが、それでもこうやって書いてくれたこと、よかったと思っています。反省文がほんとうの気持ちから書かれたものなら、なおうれしいです。

ところで、みなさんの電車のなかでの行動と、こんどのアメリカのイラク攻撃とが関係があるといったら、みなさんはどう思われるでしょうか。なにをばかなことを、と思われるかもしれません。けれど、これは同じひとつのことといってもいいくらいのことなのです。そのことについて、みなさんにお話ししたいと思います。

アメリカは「正義」のためにイラクを攻撃しなければならなかったといっています。しかし、わたしは、一般市民を爆撃して殺すようなことが「正義」とは、とても思えません。いかなる理由でも人殺しにはひとかけらの正義もありません。なんとしてでも、軍事力を使わないでどこまでも話し合うこと。わかりあう努力をすること。それがほんとうの「外交」だと思います。

イラクの人々は、アメリカの爆撃で家を失い、家族を失いました。お父さんやお母さんをなくした子どももいるでしょう。子どもをなくした親もいるでしょう。兄弟をなくした人、仲よしの友だちを失った人もいるでしょう。自分の手足をなくした人もたくさんいるはずです。もしも、それが自分のことだったらと思ってみて、こわくならない人はいないでしょう。

アメリカの人々は、そんな人の気持ちを、本気で考えたことがあるでしょうか。遠い、見知らぬ国の、見知らぬ人々の話だと思っていたのではないでしょうか。「自分たちとは関係のない」「自分たちからは見えない」遠い国の出来事だから、その人たちが死んでも傷ついても、自分は大して痛くも痒くもない。どこかにそんな気持ちがあったのではないでしょうか。

アメリカは強い豊かな国です。アメリカの豊かな暮らしの中にだけにいたら、遠いイラクのことなど、とても実感できないかもしれません。家を壊され、砂漠を食べるものもなく逃げまどう人々の気持ちなど、わからないかもしれません。わたしたち日本人だって、ほんとうはわからないかもしれません。

だから、平気。だから、痛くも痒くもない。そんな気持ちが、世界に戦争を起こすひとつの原因ではないかと、わたしは思っています。

言い換えれば、それは「他人への想像力のなさ」です。この世界に、自分とは違う人々がいる。自分とは違う世界に生き、そこにもその人の生活や人生がある。そのひとつひとつが、自分の人生と同じように、この世界にひとつしかない、一度きりの人生であるということ。そのことに想像力を持てない人だけが、平気で戦争を起こせると思うのです。

実は、それは電車のなかでも同じことです。そこにいるのは、自分たちだけじゃない。そのことを思う気持ちがないというのは「他人への想像力のなさ」にほかなりません。

たかが電車のなかのことじゃないか、と思う人もいると思います。しかし、これは大切なことです。同じ電車に乗っている、隣の人のことさえ思いやれない人が、遠い異国の人のことを思いやることができるでしょうか。日常の暮らしの小さな積み重ね。自分だけが、自分の仲間だけがこの世界にいるのではないと知ること。それは、とてもとても大切なことです。その小さな思いが積み重なっていって、はじめて世界平和がやってくるのです。

ですから、電車の中でまわりの人のことを思って行動する、ということは、ちっぽけなことではありません。大きくいえば、世界平和への第一歩を歩んでいる、ということなのです。胸を張って、誇りを持ってできる行動なのです。

みなさんには、どうか、そんな気持ちで、電車の中で過ごしてほしいと思います。

さて、アメリカが、あんなひどい攻撃をできた理由の一つに、アメリカが強かったから、ということがあります。実際、アメリカは強い軍事力を持ち、強い経済力を持っています。だから、自分の好きに行動することができます。「強ければいい」それが、いまの大人たちがつくってきた世界のルールのようです。

しかし、ほんとうにそれでいいのでしょうか。きょう、学校で一番足の速かった人が、明日には事故や病気で足を失ってしまうかもしれません。わたしたちは誰でも、そんな壊れやしすい存在です。弱い人に住みやすい世界は、強い人にも住みやすい世界です。しかし、強い人だけがしあわせな世界は、弱い人には不幸な世界です。そして人は、いつでも強い側にいられるとは限らない存在です。さて、いまのように「強ければいい」という世界で、ほんとうにいいのでしょうか。みなさんに、よく考えてもらいたいと思います。これからの世界をつくっていくのは、みなさんなのですから。

T中学は、スポーツの強い学校だと聞いています。スポーツの成績さえよければ、それでいいということは、アメリカがやっていることと同じだということです。それでもいいという人もいるかもしれません。しかし、わたしはそれではいけない、と思います。それでは、人間として情けないし、悲しい。「強ければいい」「何をしても許される」「だから強くなる」そんな気持ちでは、世界から戦争はなくならないでしょう。

それだけではありません。この地球の環境も、破壊されてしまうかもしれません。地球には、たくさんの生き物がいて、それぞれが支えあって生きています。それなにの、人間が人間の便利だけを考えて自分勝手に突き進んできた結果が、いまの環境汚染なのです。

戦争、環境問題。こんな大きなことも、元はといえば「他の者への想像力のなさ」が原因です。自分のすぐそばにいる、見知らぬ人への思いやりを持つことは、結局は、そんな大きなことにまでつながっているのです。そのことを、みなさんにわかってほしいと思います。そして、戦争も差別もない、きれいな環境の地球を望むのなら、まず自分の足許、日常生活から、他人への思いやりを持つことから始めなければならないのです。

電車の中の、小さな出来事がきっかけで、みなさんにお話しする機会が持てたことを、わたしはうれしく思っています。ボン、とわたしの後ろの硝子窓をたたいてくれた生徒さんに「ありがとう」といいたいくらいです。みなさん、どうか、これをきっかけに、いろいろなことを考えてみてください。

これから大人になっていくみんなが、そんなことを真剣に考えてくれたなら「強ければいい」といういまの世界を「やさしいことが大切」という世界に変えることができかもしれません。それは、これからを生きていくみなさんにかかっています。

相手を傷つけずに、正々堂々と戦うことのできるスポーツはすばらしいものだと思います。バスケットの試合、がんばってください。

■「まんてん」は赤点! 誤った日蝕観測方法を放映したNHKに抗議する

Thu, 03 Apr 2003 12:36:02


NHKの朝の連続ドラマ「まんてん」がこの3月で終了した。宇宙飛行士になるという夢を追う女の子が主人公とあって期待した作品だったけれど、はじめの一週間で見なくなっていた。つまらなかったからだ。しかし、最終回がどうなったのか、やっぱり気になる。最終回までの一週間分の放送をまとめてするというので、ビデオにとって見てみた。

がっかりした。いや、がっかりを通り越してびっくりした。デタラメなのである。どこがといって、どこから話したらいいのかわからないくらいあちこちデタラメなのだ。細部から大枠までデタラメだから手のつけようがない。

宇宙空間でバイザーなしに太陽を眺めているとか、日蝕を見ているはずなのに横から太陽光が光っているとか、だいたいが宇宙ステーションから天気予報という枠組み自体がナンセンスだとか、まんてんの手柄となる宇宙から発見した気象の動きなんて地上でわからないはずがないとか、宇宙ステーションを舞台に起こるさまざまなデタラメは、この際、思い切って瑣事と考えて大目に見よう。

しかし、いくらなんでもあの日蝕シーンはひどい。路地にばらばらとあふれだす人々が手に手に持っているのは、下敷き。それも、青や黄色の透明下敷きまで混じっている。普通のサングラスをかけている人もいる。ひどいのは、額に手をかざし、裸眼で直視している人がいっぱいいたことだ。

皆既日蝕の瞬間は、確かに裸眼で見ることが可能だ。しかし、その前後は絶対に裸眼でみることはできない。危険だ。下敷きや普通のサングラスなども、目を傷めるし、まして黄色や青の透明下敷きが役に立つわけがない。日蝕観測でもっとも戒められるべきことは、太陽を裸眼で見ること。そして、充分でない減光器具で見ることだ。

マダガスカルの日蝕の時も、政府はこのことを宣伝するのにやっきになり、町中に決して裸眼で見てはいけないということを一目でわかるように描いたポスターを貼った。テレビでは、各種日蝕ソングが絶え間なく流れ、そのすべてが、まっとうな減光グラスの使用をうながすものだった。

2009年の日蝕を前にして「まんてん」のような危険な観測の方法のイメージが、人々の心に刷りこまれることは、許せないことだ。NHKに強く抗議したい。


しかし、NHKはどうなってしまったんだろう。「奇跡の詩人」のでたらめぶりもひどかったが、いくら落ち目の朝の連続ドラマとはいえ、ここまで「科学考証」を無視したつくりはひどい。いや、これは「科学考証」以前の「常識」の問題だ。放送に至るまでには、何人もの目を通過するはずだろうに、どうして誰一人として「青や黄色の透明下敷き」や、裸眼をチェックすることができなかったのだろう。NHKドラマ部は、科学音痴の巣窟なのか。いや、これは科学の問題じゃない。くどいようだけれど、声を大にしていいたい。これは「常識」の問題で、それがわからなかった制作者は「非常識」だということだ。

番組では、「宇宙監修」として宇宙飛行士の毛利衛氏が名を連ねていたが、あれはお飾りだったんだろうか。そんな番組の監修に名前だけ使われてしまった毛利氏にも気の毒ではあるが、しかし、名を貸したからには、やはり最低限度のチェックをする務めがあると思う。

テレビの影響力は驚くほど大きい。テレビがきちんとした番組づくりをしていけば、それだけである程度日本人の「教養」や「民度」はあがるんじゃないか、と思われるほど大きい。そして、テレビがバカをやれば、世間もバカになる。その絶大な影響力を自覚して、テレビにはもっときちんとした番組作りをしてほしい。


もうひとつ、気になったのは「エコロジー的発言の連発」だ。宇宙から地球を見た、その感動を伝えたい。それはわかる。けれど、それが単なる「お題目」になってしまってはいけない。科学的事実を無視しまくっての「宇宙からの感動の言葉」なんて、もってのほかだ。「宇宙=エコ」と簡単に結びつけて、どこかで聞いたような言葉を連発したシナリオライターの仕事はひどかった。言葉面だけをとらえれば、わたしも同じ事をいっているから、もしかしたらわたしの作品もこのように無惨なのかもしれないと、見ていて背筋が寒くなるほどだった。

「日蝕」の名誉のためにいっておくが、ほんとうの日蝕はあんなものではない。わずかに欠けはじめた太陽からはじまって、空気の揺らぎ、鳥や動物のざわめき、地平線から走ってくる夜、ひんやりと冷たくなる大気、そして皆既の筆舌につくしがたい美しさ、さらには太陽が戻ってきたときの安堵と喜び。古代人でなくとも、太陽に神を感じる神聖な瞬間だ。一回の番組の枠が15分しかなかったとしても、その感動の片鱗は伝えることができるはずだ。シナリオライターが皆既日蝕を体験していなかったなんていうのは言い訳にはならない。その感動を語る言葉は、探せばいくらでもあり、皆既を体験した人を捜してインタビューすることは、いまの日本では少しもむずかしいことではない。番組にはシナリオライターがきちんと資料収集した形跡が見られない。シナリオライターの怠慢である。

しかし、ひとりシナリオライターに責任を帰すだけでは、話はすまない。それを看過した制作側も問題だ。

そして、そのような個々の問題だけではなく、ここにはもっと大きな問題が横たわっていること気づかなければならない。「宇宙=エコ」のイメージがお題目になってしまうことが当然という風潮こそが、実は大きな問題なのだ。エコを希求する人々が、検証なしにまるでブランドのようにしてそれを賞賛するとき、それは「反エコ」の温床になりかねないことを、みんなが気づかなければならない。

何度も引用するけれど、勇崎哲史氏の名言「癒されて昇華されたくない」がそれを端的に示している。なんとなくエコな気分のものに触れることで、「何とかしなければ」という不安と焦燥がきれいに昇華されてしまい、それ以上の力を発揮できなくなることの恐ろしさだ。せっかく感じた不安や焦燥を心にホールドせずに昇華させられてしまうことで、ガス抜きされ、無力化されてしまう。物事の根源をきちんと自分の目で見つめ、考えようとする力を奪われてしまう。

ほんとうに大切なのは、そこなのだ。物事の根源をきちんと自分の目で見つめ、考えようとする力を養うことだ。そのスキルを磨くために、人は不安や焦燥を自分の心に抱えくすぶらせながら、常に見つめ考え続けなければならないのだ。

「宇宙=エコ」、だからステキね! などというレベルで「まんてん」が制作者や視聴者から合格点をもらっているのだとしたら、それは「自分の目で見て考えることの放棄」がおそろしいほど進行していることの証明に他ならない。イメージ的なものをふわふわと表現するだけで、人々がついてくる社会なら、それはイメージで容易に煽動されて平気で戦争につっぱしりかねない危険な社会であるというのと同じだ。

宇宙科学の象徴的存在である毛利衛氏がかかわった番組が、かくも無惨であるということに、暗澹たるものを覚えずにはいられない。「まんてん」は、わたしのような者の仕事に追い風を与えてくれるものかもしれないと期待したが、むしろその逆のような気すらした。残念だ。「まんてん」の最後の一週間はひどかった。あまりにもお行儀のいい優等生のような言葉の連発。感動の押し売り。これで、人々が「宇宙」という深遠で神秘に満ちたものに嫌悪を抱いて愛想をつかすことがないように祈るばかりである。

■マダガスカルがやってきた/パソコンがあっても洗濯機はない?!

Sun, 16 Mar 2003 22:37:16

わが家に居候中のマダガスカルの青年マミさん。日常のなかで、何かと日本とマダガスカルの違いを語り合うことになる。お陰で、わが家には小さなマダガスカルが空間移動してきたような気分。居ながらにして海外旅行だ。

そんなわけで、マミさんと話していると、マダガスカルと日本との大きな違いに驚くことが多々ある。そのひとつが、家庭内の電気製品事情だ。

マミさんの家には洗濯機がないという。冷蔵庫もなく、ガスもきていない。料理は炭をおこして煮炊きをする。ガスがないからお湯のシャワーも出なくて、水を浴びるだけ。そんな状況なのに、驚くべきことに、マミさんの家にはコンピュータがあるというのだ。メールとネットを通じて頼みこみ、今回の居候も可能になったわけで、実際コンピュータはマミさんにとってすごい働きをしているわけだ。とはいえ、炭で煮炊きしているのになぜコンピュータ? 不思議に思って、家にあるものとないものを聞いてみた。
【マミさんちにあるもの】
パソコン(ハードディスクとキーボードは各2台ずつ フランス語仕様と日本語仕様)
音楽用キーボード(MIDI接続可能なもの)
テレビ(2台 両方ともモノクロ)
ラジカセ
ヘアドライヤー
水道

【マミさんちにないもの】
洗濯機
掃除機
冷蔵庫
トースター
炊飯器
扇風機
エアコン
ビデオデッキ
電気剃刀

自転車
ガス
洗濯機も掃除機も冷蔵庫も炊飯器もないのに、テレビとコンピュータがある。異常に思えるけれど、どうもこれは、アンタナナリボではそう変わったことではないらしい。マミさんのおおざっぱな観察によると、アンタナナリボでの家庭へのテレビとラジカセの普及率は80パーセント。女性はヘアスタイルを気にするからヘアドライヤーの普及率はかなり高いけれど、電気剃刀のある家はほとんどない。若者の間では、パソコンは圧倒的人気で、いまではマミさんの友だちの3人に1人は持っているという。市場には安い中古品も大量に出回りだしたそうだ。

つまり、人力で何とかなるものは、電気に頼らずに徹底的に人力を使う。しかし、人力ではどうにもならないものは、贅沢品でもがんばって入手する、ということらしい。

その贅沢品の主なものが「情報」に関わるものだということは、面白い。テレビもラジオも情報をゲットするもの。もちろんパソコンもそうだ。キーボードやラジカセがあるのは、音楽好きという民族性のせいかもしれない。そういうものを「家事の省力化」より優先しているところがとても興味深い。

なぜだろうか、と考えてみた。経済的余裕がないので、人力でできることは人力でしようということが大きいかもしれない。テレビもパソコンも、人力でなんとかなるものではない。製品を買わなくてはどうしようもない。

しかし、逆に考えると、家事をするだけの時間的余裕が、アンタナナリボの生活にはあるということではないだろうか。また、そのような暮らしをすることが可能な環境が、まだ壊れていないということを示しているのかもしれない。実際、手で洗濯をしたり、毎日買い物に行ったりする時間的余裕がなければ、人はパソコンより洗濯機や冷蔵庫を優先するしかないだろう。買い物も、郊外型の巨大店舗に車で買い出しにいかなければならないようだと、冷蔵庫も車も必需品になる。アンタナナリボには市場もスーパーマーケットもあるが、頭に乗せて売りに来る行商の人から野菜や魚を買うことが多いそうだ。毎日、必要な分だけ買うので、冷蔵庫も必要ないという。

考えてみると、その風景は戦前の日本に似ている。アンタナナリボはつまり、戦前の日本に、いきなりテレビやパソコンが普及してしまったような街なのかもしれない。

せわしない都会暮らしに疲れた日本人は思う。どこか田舎に住んで、のんびり暮らしたい。パソコンで仕事が出来れば、そうできるんだけどなあ。それに、インターネットさえつなげれば、どんな田舎にいても、世界中の情報を得られる、と。高度情報化されたスロー・ライフ。アンタナナリボは、ある意味、そんな夢の暮らしを実現している未来都市だ。もしかしたらそれは、アンタナナリボの人々が、自ら選び取ったライフ・スタイルなのかもしれない。

しかし、それは美しい夢物語で、実は欧米化に向かう過渡期にあるだけ、というのが実像かもしれない。洗濯機がなく、パソコンのあるアンタナナリボの暮らしは、これからどうなっていくのだろう。

インターネットは、商売をしたい人々にとっても大きな武器になる。かつて、宣教師が未開の地に行って開発の先兵になったように、インターネットが開発の先兵になるかもしれない。しかし、その逆もありうる。開発により激減しつつあるマダガスカルの森林。それを守ろうとする意識が、インターネットを通じて育っていくかもしれない。開発派と環境保護派は、インターネットのなかでその勢力をせめぎあうことになるだろう。

どちらが優勢になるか、それはまだわからない。インターネットは結局は道具だから、使う人間の意識次第だ。

しかし、それだけではないような気もする。インターネットといういままでにないコミュニケーションのシステムが、人の心に大きな影響を与えている。今回、マミさんが居候することを可能にしたのも、インターネットだ。ネットが、こんな形の草の根交流を可能にしたといえるだろう。このようなネットワークが広がることで、世界は確実に変質していくだろう。世界のどこかに大きな中心があるのではなく、ひとりひとりが中心なのだという意識が広まり、互いに密な連絡を取り合い、それが臨界点を越えたら、すべては一気に変わるかもしれない。今回のアメリカのイラク攻撃を支持するような政治家は、もう政治家でいられなくなるような世界がやってくるかもしれない。

これからの地球がどうなるのか、それは、アメリカなどの先進国ではなく、むしろそれ以外の国がどのような道を選ぶのかにかかっている。彼らが西欧諸国とまったく同じ道を歩もうとするのなら、地球環境は徹底的に破壊され、人類の存続は危ぶまれるだろう。パソコンは利用するけれど、洗濯機は使わない。そんな第三の選択がその危機を回避する鍵になるかもしれない。アンタナナリボがこれからどうなるか、とても気になる。帰国後のマミさんのマダガスカル報告に期待したい。

■マダガスカルがやってきた/日本語教室が戦争を失くす?!

Sun, 16 Mar 2003 01:18:18

マダガスカルから来た青年、マミさんがわが家に居候している。日本テレビの番組「笑ってコラえて!」に出演のための来日で、往復の航空券はテレビ局が出してくれたが、出演料は8万円。マミさんは、それで5月19日までしのがなければならない。というわけで、わが家に転がりこんできたというわけだ。

マミさんの職業は日本語の観光ガイド(といっても失業中)。せっかくの来日、この機会にぜひ自分の日本語を鍛えたいというマミさんのために、インターネットで短期速習できる日本語学校を探したがみつからなかった。参考までに調べた日本語学校の年間授業料は80万円。マダガスカルの中流サラリーマンの月収は日本円にして1万2千円から1万5千円程度だというから、マダガスカル人にとって、日本で日本語学校に通うなど、夢のまた夢だ。

「日本語」「学校」で検索していたものを、「日本語」「教室」で検索し直してみた。すると、驚くべきことに、大量の情報があがってきた。相模原市だけでも、何カ所もでボランティアによる日本語教室が開かれているのだ。隣の町田市で開かれている講座をいれれば、ほぼ毎日、どこかで日本語教室が開催されていることになる。料金も安い。一回50円、一ヶ月300円、というような額だ。これなら、マミさんの負担にもならない。どんなところだろうかと早速行ってみることにした。

翌日、わが家から徒歩10分の南文化センターで日本語教室に参加した。恐る恐るドアを開けてみると、すごい活気だ。4つほどのグループに分かれ、各グループがそれぞれ声を出して練習している。初級クラスがいちばん生徒数が多く6人ほど。あとは3〜4人の規模で、それぞれの進度に応じた勉強をしている。教えているのはボランティアの人々。市の主催する日本語教師養成講座を受けた人もいれば、そうではない人もいるという。年に一度市によって開かれる日本語教師養成講座は大変な人気で、30人の定員のところ、300人もの応募があって滅多に入れないので、先輩の教え方を見ながら独学で教え方を学ぶ人も多いそうだ。

マミさんは、基礎が出来ているのでいちばん上級のクラスに入った。この日の授業はエッセイを読むことで、ニュアンスに富んだ言い回しも数多くある。文章の意図を尋ねる小さな試験もあって、日本語の勉強というよりは、むしろ中学生の国語の試験、といった風情だった。

来ていたのは、韓国人、中国人、インドネシア人、フィリピン人、そしてアメリカ人。教師として来ていたボランティアのひとりに話をきいてみた。
ともかく、いろいろな国から、いろいろな年齢、職業の人がやってくるんです。夜の部は、全然雰囲気が違う。相模原市にある宇宙科学研究所から、若き宇宙科学者が何人も来たりして、面白いですよ。そういうエリートたちが、出稼ぎにやってきた人や難民の人々といっしょに机を並べて勉強してるんです。

一時は、ブラジルに移民した日系2世3世、中近東からきた人々など、ブルーカラーの労働者として出稼ぎに来た人が多かったけれど、日本が不況になって、がくっと減りました。いま多いのは韓国系の人。ITの仕事の関係で来日している人が多いようです。

英語は世界の共通語、なんていうイメージがあったけれど、ここにきて、英語だけじゃなんともならないなって思いました。フランス語スペイン語はもちろん、タガログ語など、その土地の言葉しか話さない人もいる。そんな人に教えるときは、ほんとうに大変です。身振り手振りで説明したり、タガログ語を話せる生徒に頼んで説明してもらったり。でも、あちらも必死ですから、いっしょうけんめい勉強してくれます。ちゃんとわかってもらえたときは、うれしいですね。

生徒は、来日した動機も様々。ここに来て、世界にはほんとうにいろんな人がいるんだとつくづく実感できました。肌で感じるんです。定住の苦労など、その人からでなければ見えない世界もいろいろと見えてくる。いままで自分が、いかに西欧諸国の視線で世界を見ていたかを思い知りました。
ボランティアもまた一色ではない。夫の海外赴任で海外生活をしたのがきっかけという人もあれば、学生時代に勉強した語学を生かしたいという人もいるが、主流はやはり主婦や定年退職した人々など、比較的時間が自由になる人々。生徒はみな、少しでも早く日本語を使えるようになりたいと思ってきているので、学校の生徒とは真剣さが違う。ひとつ言葉を覚えれば、それがうれしい。そんな気持がひしひしと伝わってくる。これなら、教える方も教えがいがあるだろう。それが、教室全体の熱気になっているのがよくわかった。

見ているうちに、わたしはじんときてしまった。こうやって草の根で交流している人々がいる。海外からの出稼ぎ労働者や難民と直接接することで、世界情勢を肌で感じている。遠い国々は、もう見知らぬどこかの土地ではなくなり、親しい人々の住む土地になる。その土地が戦場になることを望む人など、いるはずがない。平和で元気に暮らしてほしいと願うのが人の心だろう。

アメリカは、いましもイラクに攻撃を仕掛けようとしている。それに対して「何かしなくては」「何かいわなくては」という焦りを感じている人も多いだろう。心やさしい人ほど、その気持ちは強いはずだ。そんな人の気持ちにうまくヒットする企画が、いま、いくつも生まれている。新聞に、戦争反対を唱える意見広告を出すために3000円を払うという方法もあったし、戦争反対という人文字をつくろうと呼びかけ、全国から人を集めたというイベントもあった。

何かに突きうごかされ、切実な気持ちで参加する人の気持ちはよくわかる。けれども、そこで使われたお金と労力の行き先を思うと、わたしはどうしても、ある種の違和感を感じないわけにはいかない。その労力を、お金を、何かもっと有効なことに使えたはずではないか、という気持ちが先に立ってしまうのだ。新聞広告なら、結局お金が入るのは新聞社だ。人文字計画のために支払われた運賃は、JRや飛行機会社に行く。結局のところ、お金はわたしたちの社会のなかで循環しているに過ぎない。そうやって自分たちの社会を活性化することは、もちろん悪いことではないけれど、しかし、本来の趣旨を思えば、ほかにもいくらでもするべきことがあったようにも思われるのだ。

わたしたちが「ポケット・マネー」と思っている額で、実はほんとうにそれを必要としているところでは、とてもたくさんのことができるのだ。劣化ウラン弾で白血病に冒されたイラクの子どもたちには、満足な薬もないという。せっかく復興しようとしていたアフガニスタンも、先日のアメリカの爆撃により、再び瓦礫と化してしまった。せっかくの「善意」があるのだとしたら、それを雲散霧消させてしまわないようにしたい。しっかりと、ほんとうに届けたい人のところに届かせたい、と思うのだ。

日本語を教えるボランティアは、その点、ほんとうに必要な人に必要なことを届ける行為であると感じた。貨幣価値の違う後進国から来た人々にとっては、一回50円という料金もありがたいはずだ。こういった活動を通じて、お互いに理解を深め、草の根レベルで、人々がもっと理解しあうようになれば、世界の様子も変わって行くだろう。欧米中心だった心の中の世界地図も、塗り替えられていくだろう。つまり、それはとりもなおさず「世界平和」に貢献しているということだ。とても現実的なレベルで、確かに成果の上がることを実践していることに他ならない。

このような活動を、地道に続けている人々がいることに、わたしは心底感動してしまった。彼らは声高に叫ばないが、ほんとうに実のあることを、少しずつ積みあげているのだ。そこで取り払われるのは、国境ばかりではない。エリート研究者も、難民も、出稼ぎ労働者も、米軍の退役軍人も、同じひとつの地平にいる。そこで言葉を交わす。なんてすてきなことだろう。

この日本語教師のボランティアが大変な人気で、講習には定員の10倍もの人が集まるという。といっても、相模原市の日本語教師養成講座の定員は30名と聞いた。300名すべてを受け入れるシステムがつくれたら、この活動はもっと盛んになるだろう。そして、互いの交流がずっと密になるだろう。このような事業にこそ、市はお金を使ってほしい。

緊迫するイラク問題(というよりアメリカ問題)に、心を痛める人は多いと思う。戦争を食い止め、世界平和に貢献するにはいろいろな方法がある。日本語ボランティアをはじめとして、地味だけれど確実に貢献できる方法があることを、ぜひ心に留めてほしいと思う。わたしも、やってみようかな。

■『別れの小草』の持ち主探しから見えてきたメディア論

Fri, 21 Feb 2003 17:23:12

▼『別れの小草』の持ち主探しの経緯
掲示板、カフェルミで紹介した『別れの小草』の持ち主探し、思わぬスピーディな展開で、持ち主が見つかりました。喜ばしい限りです。でも、ちょっと立ち止まって考えてみると、実はここにメディアというもののある問題が見えてきました。本題に入る前に、まず今回の経過をまとめると、次の通り。

2月7日  グリム書房店主の剱重豊さんが、グリム書房サイトの日誌
      『別れの小草』発見の概要をアップ。持ち主を捜していると告知。
2月10日 『別れの小草』の書影と持ち主探しに関する情報の詳細
      グリム書房サイトにアップされる。
2月11日 寮美千子、掲示板カフェルミにグリム書房の『別れの小草』持ち主探しの件アップ。
2月17日 寮美千子、各新聞社、週刊誌、テレビ局にメールとファクスで情報を流す。
2月18日 東京新聞から寮美千子宅へ問い合せの電話。さっそくグリム書房につなぐ。
      東京新聞の記者、閉店後のグリム書房を訪れて取材。
2月19日 東京新聞夕刊にこの件驚くほど大きく掲載される。
      さっそくテレビ朝日「スーパーモーニング」のディレクターから
      取材申込があり、夕刻取材。
      寮美千子、野次馬で見に行く。
2月20日 テレビ朝日「スーパーモーニング」で5分間を割いて放映。
      放映中に持ち主の娘さんから電話があり、持ち主探し一件落着

『別れの小草』持ち主がこんなにも早く見つかったのは、なんといってもテレビの威力。そして、テレビを動かした広報活動の成果でした。自画自賛だけれど、事実だと思う。ニュースリリースを流すノウハウは、昨年の「アイヌの歌と語り」のイベント主催の時に試行錯誤して得たものです。今回は、その成果を生かすことができました。

まず、一社が食いついてきてくれた。それを見たテレビ局が連鎖的に食いついてきてテレビ放送、持ち主が見つかる、という経緯になったわけです。実はほかからも取材要請があったのですが、一歩違いでテレビ朝日が取材、余りにもスピーディに持ち主が見つかったため、よそでは扱われないことになりました。

▼意外だった『別れの小草』の真相
新聞社やテレビ局がこの情報に食いついてきたのは、この寄せ書き帖が「帰還運動で北朝鮮に渡った人のために書かれたもの」という憶測があったから。寄せ書き帖は2冊あり、一冊は高校卒業の時のもので、もう一冊が「朝鮮へ渡る時のもの」でした。グリム書房の剱重さんは、高校卒業の方が時代的に古いと判断、高校卒業後朝鮮に渡ったならば、昭和34年以降の「北の楽土」への帰還運動での渡航だろうと推測したわけです。

しかし、実際に名乗り出たご本人の家族の話は、まったく別のものでした。朝鮮に渡ったのは戦争中、持ち主が14歳の中学生だった頃のこと。お父さんのお仕事の関係で一家で朝鮮に移り住み、終戦後に引き上げていらしたとのこと。高校を卒業したのは、帰国して後のことでした。

「帰還運動で北朝鮮に渡った日本人妻への寄せ書きではないか」との憶測から、新聞はこの話に飛びついてきたわけです。さらに、それに飛びついてきたテレビでは、いかにもという感じで「北朝鮮に渡った日本人妻」という「あったかもしれない悲劇」」を盛りあげる演出をしました。胸がいっぱいになる感じの音楽を裏に流して寄せ書き帖の一節を朗読したりして、なるほど、こうやってお話を盛りあげちゃうんだなあと、ある意味笑っちゃうような劇的な報道でした。出演者も「これはぜひ追跡調査しましょう」と真剣に話していた。

しかし、実際はそうじゃなかった。全く別の物語だったわけです。となると、なんだか膝から力が抜けちゃうような、あれだけ盛りあげた気分をどこへ持っていったらいいのかわからず、照れ笑いするしかないような結末になってしまったわけです。

でも、持ち主は見つかったし、とても喜んでいるし、結果としてよかった。グリム書房の剱重さんも、肩の荷が下りてよかった。よかったよかった。ではあります。

▼情報は誇張されたか?
しかし、もう一歩深めて考えてみると、今回の広報活動には様々な問題が見え隠れしていたようにも思われます。

ひとつは、情報の確実性の問題。今回、わたしはグリム書房が『別れの小草』の持ち主探しをしていますよ、という情報を各メディアに流しました。断定はしなかったけれど「北朝鮮に渡った人のための寄せ書き帖であるらしい」と書いた。情報発信元のグリム書房の連絡先として、メールアドレス、URL、住所と電話番号も送りました。

憶測を事実と誇大宣伝したわけではなく、憶測を憶測として流したわけであり、情報受信者が情報発信元にきちんと確認できる手段も明記したという点では、間違ってはいなかった。わたしの情報は「デマ」や「ガセ」ではなかったといえます。責任の取れるまっとうな方法ではありました。

しかし、結果的にはテレビで「北朝鮮に渡った悲劇の日本人妻への、渡航前の寄せ書き帖」扱いされてしまうことになった。憶測は、どこで誇張されたのか?

実をいうと、よく見れば「帰還運動で北朝鮮に渡った日本人妻」ではなく「家族と渡った子ども」ではないか、と予測できる部分がありました。わたしが見たのは、グリム書房のサイトに掲載された書影だけでしたが、どうも「百合ちゃん」という姉妹がいるのではないかと思われる節がありました。だからカフェルミでの紹介の中で「家族と北朝鮮に渡る」と書いたわけです。剱重さんの「日本人妻説」とはちょっと感じが違うなあと、なんかもっと若い感じがするけれど、夫婦だけじゃなくて一族で渡ったのかなあ、なんて思っていました。全部を詳細に読めば、ある程度は予測できたのかもしれない。しかし、わたしはそれを確かめないで発信してしまいました。

新聞社はそこのところは慎重になって「一九五九年に始まった北朝鮮への帰還運動当時、渡航前に友人に書いてもらった寄せ書きとみられるサイン帳」と明記してあります。あるけれど、やっぱりフォーカスされているのは「北朝鮮へ渡った女性」というところでした。

テレビはその話をさらにセンセーショナルに盛りあげるために「北朝鮮に渡った悲劇の日本人妻」を強く印象づけるような報道をしました。そこで、かなりの誇張があったことは事実だと感じます。

テレビというのは、このようにして「いまセンセーショナルである」「時代が求めている」というところを軸にして、話を誇張してしまうメディアだということの一端をかいま見たように感じました。

▼わたし自身の思いこみ
そのようなテレビの誇張された報道にも疑問は感じます。しかし、その種をまいた自分自身のことも反省せずにはいられませんでした。いくら「憶測であることを明記した」とはいえ、わたしも、「北朝鮮に渡った女性」説に一部疑問を抱きながらも、結局自分の眼で詳細の検討をせず、どこかで「北朝鮮に渡った女性」を強くイメージしていた。だからこそ、世間に知らせなければというような使命感に燃えてしまった。

剱重さんにしても、同じだと思うのです。「北朝鮮に渡った日本人妻」という憶測をしたということの裏には、いま、北朝鮮がクローズアップされているということがあったと思うのです。

つまり、世の中がそのような方向に動いていたので、つい判断をフラットにできなくなっていたということがあった。2冊ある寄せ書き帖のうち、どちらが先か。フラットな判断であれば、どっちが先でもおかしくないと考えるべき。そこから推理をしていくべきなのに、そうじゃなかった。

それを伝え聞いたわたしも、世情に流された、ある意味「曇った」というか、バイアスのかかった目で見たために、憶測に偏りが生まれてしまった。その偏りが、新聞、テレビ、と伝言ゲームされていくうちに、どんどん拡大してしまった。

つまり、発信者として責任ある情報を送ったとはいえ、やっぱり「世情」に流された物の見方しかしていなかったのではないか、というわたし自身への反省があります。そして、そのような偏りは、伝言ゲームのように伝わっていくうちに、世間がより好むようにと脚色され誇張されるものだという事実を目の当たりにし、怖いなあと感じました。

▼情報発信者としての責任と、受信者としての見分ける目
インターネット時代は、誰もが情報の発信者になりうる時代です。ひとりひとりが、きちんと発信情報に責任を持たないと、それが流れ流れていくうちに、とんでもないデマになりうる可能性もある。情報発信者は、そのことを肝に銘じて、責任ある情報発信をしなければいけないと、つくづく感じました。

そして、それは同時に、情報受信者として、情報の真偽を見抜く目が問われる時代だということです。世情に流されずに、フラットな目で物を見る客観的な姿勢が強く問われる。

▼マスメディアの影響力の大きさ
もうひとつ、感じたのは、メディアの影響力の大きさです。ネットより新聞、新聞よりテレビと、情報伝達力や影響力は幾何級数的に大きくなる。そのことを、今回は肌で感じました。

ということはつまり、インターネットの普及は、いままでのマスメディア一色の世界に風穴を開ける可能性はあるけれど、そうはいってもやっぱりテレビの影響力は絶大であるということです。(当たり前か) 振り返れば、わたし自身も、今回の一連の北朝鮮関連の報道によって、うっかりバイアスがかかってしまっていた。そのように、テレビは世間を牛耳る存在であるということを忘れてはいけない。そして、自分がそれに流されている可能性を疑わなければいけない。物を見る時の自分の立ち位置が偏っていないことを、いつもいつも確認することが大切だ、ということです。

▼テレビに洗脳されるわたしたち
テレビでは、連日、ブッシュ大統領とフセイン大統領が、まるで同じ力を持ったライバルのように報道されている。反戦運動の高まりも報道される一方で、こうした偏った報道が是正される気配はない。世界の明日がどうなるかの決め手は、実はアメリカが握っているのに、イラクが査察にどれだけ協力的かということがすべてを決めるように語られる。

こういった報道に騙されてはいけない。あまたある情報の中で、どれが正しい情報なのか、自分で見抜くのはむずかしい。だからこそ、テレビから垂れ流しにされる大量の情報にさらされて、自分が実は「洗脳」されているのではないかと、いつもいつも疑う姿勢を持ち続けなければいけないと思います。

■『一万年の旅路』/心の現実に正当なる位置を与えよう ファンタジーの復権について

Sun, 16 Feb 2003 04:11:04


『一万年の旅路』(ポーラ・アンダーウッド著、星川淳訳、翔泳社1998)という本が、山田養蜂場の意見広告として2月13日の朝日新聞に全面で掲載された。これは、北米インディアン・イロコイ族に伝わる一万年の記憶の口承史。古くは、ベーリング海峡を歩いて渡った記憶から、近年はアメリカ合衆国建国当時のことまでが口承されているという。驚くべきことに、人類最初の「出アフリカ」の記憶まで含まれているという話だ。

「子どもたちの子どもたちの子どもたちのために」と題されたこの意見広告は、環境問題や教育問題に関連した様々な活動や人や書籍などを紹介するもので、何を扱うかは、社長である山田英生氏の一存によって決定されるという。わたしが編訳した『父は空 母は大地』も、昨年6月、山田英生氏のお眼鏡にかなって、この広告として全文掲載される光栄に浴した。

題材が同じ「インディアン」であるということもあって、わたしは『一万年の旅路』に興味を抱かないわけにはいかなかった。

しかし、広告の全文を読んで、いくつもの疑問符が浮上せざるをえなかった。これは、いわゆる「トンデモ本」の一種ではないか。「事実」「本当のこと」と偽った「創作物」つまり、フィクションをノンフィクションと偽った偽書ではないか、という疑問だ。


現物を見ないで印象判断するわけにはいかないので、早速図書館に借りにいったがなく、他館よりの取り寄せを待つことになった。仕方ないので、同じポーラ・アンダーウッド著による『小さな国の大いなる知恵』という本を借りてきた。『一万年の旅路』と同じく、星川淳の翻訳だ。

この本は、アメリカ合衆国建国当時の部族の記憶に関して書かれたものだった。建国当時の大統領たちは、幼い頃からイロコイ族と交流を持ち「ねばり強く話し合いで解決する民主的方法」を学んだという。それも、偶然ではなく、イロコイ族の人々が、白人社会の中のコレという見込みのある子どもに目をつけ、密かに教師となる人物を派遣して、日常生活の様々な場面で、その子どもにイロコイ族の哲学を吹き込んだのだそうだ。つまり、民主主義の「半分」は、歴史の表舞台から抹殺されてきた先住民の知恵からなっているという説だ。

この口承史のなかに登場する子どもは、ベンジャミン・フランクリン、ジョージ・ワシントン、トマス・ジェファーソンをはじめとして、合衆国建国当時の歴史に大きな足跡を残した錚々たる人々だ。その正当性を裏づけるように、先住民と白人の混血である著者とフランクリンとが親戚関係であることを示した系図や、著名人と先住民が交流を持ったことを証明する文書や碑文がふんだんに差し挟まれる。

細かい点について、いちいちあげつらう気になれないが、一言でいえば、これは一人のマイノリティとして生きてきた女性が、そのルサンチマンを解消すべく作りあげた「妄想の産物」ではないかと感じた。そのなかに、幾分かは実際の口承もあるかもしれないが、口承された物語と、実際にあった歴史的事実の断片を巧みに組み合わせ、ひとつの妄想的歴史世界を構築したのではないか、という印象だ。普段なら書店に並んでいても、ぱらぱらとめくって「論外」として手に取らないタイプの本だ。

もし、これが妄想による産物だとすると、という仮定でここから話を進めるけれど、口承された物語が「事実と符合する」ということは、何ら驚きに値しない。なぜなら、現代科学や歴史の断片として記録されたものを核にして構成しているわけだから、符合しないわけがない。

本人が「捏造」を意識していたかどうかはわからない。むしろ、本人はその物語に飲み込まれていたのではないか。何度も何度も自分の心に語りかけるうちに、それは、紛れもない「事実」として彼女の心に投影したのではないか。だからこそ、語りかけは力強く、他者をも説得できる力を持っていたのではないか。

少数民族として多数派のなかで生きることは、この世界では困難なことだ。その痛み。土地も文化も強制的に奪われた強い痛みを抱いている人間にとって「実はいまある権力の元となったのは、わたしたちの思想と文化だった」「わたしたちこそが、アメリカ大統領たちを教育した教師だった」と思うことは、大いなる癒しになる。実はそのような逆転の発想に癒しを求めるのは「単なる権力志向の裏返し」でしかなかったとしても、だ。

そのような癒しを心から求めていたとしたら、彼女にとって物語は絶対に「事実」でなくてはならない。事実であってほしいという願いが、ついには妄想の域に達して、事実であると刻みこまれてしまったのではないだろうか。物語と現実の境が曖昧になる人がいるということは、そう珍しいことではない。

訪れる大いなる癒し。心の解放。「アメリカの民主主義」をつくったのは「わたし」なのだという感覚。世界を逆転させ、もっとも虐げられていたものが、もっともすばらしいものをつくって世界の頂点に立ったのだと思える快感。恐ろしく深い痛みを抱いた者だけがつくりうる大いなる幻影。傷が深ければ深いだけ、痛みが強ければ強いだけ、その幻影は大いなる救いとなり、巨大な力を持つ。幻影を妄想した本人を飲みこむばかりでなく、世界になにがしかの違和感を感じ、自らをマイノリティに位置づける人々の共感を呼び、巻きこんでいく。「ポーラは、嘘をつくような人には思えない」「すばらしい人だ」という印象の中で。

そう、ポーラはきっといい人だっただろう。大いなる幻影の中に人を包みこみ、癒す、地母神のような包容力があったかもしれない。かのマザー・テレサのように。ポーラ来日印象記や、訳者の言葉を見ると、確かにそのような印象を抱いた人が多かったようだ。


訳者の星川淳でさえ、ポーラの「口承詩」の正当性を、最初は疑ったという。しかし、本人にあって話を聞くうちに、こう思ったという。
ポーラの人柄に親しみ、彼女の活動や、それを支える人の輪を知るにつれて、贋物にはないまっとうさを感じとることができた。思春期からいろいろアブナイ思想や集団を見てきた私の眼は、ただの節穴ではない。

疑っても疑っても、一人の人間が創作できる限度を超えていると認めざるをえず、やがて作品としての真偽に興味がなくなった。それより、語られている学びが拭い難く心に沁み込んでくるのだ。
http://www.hotwired.co.jp/ecowire/hoshikawa/010306/textonly.html
HotWired Japan 星川淳の「屋久島インナーネット・ワーク」より
星川淳自身「職業的かつ健全な懐疑は保ちつつ」と文中で述べているわりには、なぜかそのようには見えない文章である。「一人の人間が創作できる限度を超えていると認めざるをえず」というのは、星川自身の想像力の限界を示しているだけであって、星川の想像力を超えた人物の存在を否定する客観的な理由にはならない。「私の眼は、ただの節穴ではない」というのも、星川の主観でしかない。星川がこの文章のなかで挙げている「真実である証拠」とは、実に星川の主観以外の何ものでもないのだ。

星川は、しかしここで重要な「告白」をしている。「やがて作品としての真偽に興味がなくなった。それより、語られている学びが拭い難く心に沁み込んでくるのだ」というくだりだ。星川自身が、真贋論争をギブアップした証拠だ、などというケチなことをいうつもりは毛頭ない。ここで、星川はとても大切なことをいっている。このことは、また後で語ろう。

確かに、星川はとてもいいことをいってはいるのだが、しかし、ここに続く星川のこのような文章を見ると、これはもう「イッテイル」としか思えない気分になってくる。
 それにポーラの伝承自体が、かならずしも一語一句正確に語り継ぐという意味の「口承」ではなかったらしい。幼年期から特殊な訓練を積んだうえで、本格的な歴史伝承に入ると、言葉を超えて以心伝心、先祖代々の体験をテレパシーのように追体験しながら言葉に置き換えていくという。つまり、〈歩く民〉の非物理的なデータバンクがあって、そこへアクセスすれば蓄積された経験や知恵はいつでも取り出せるわけで、インナーネット・ワーカーとしては注目に値する。現在、南米最南端からアフリカ大地溝帯へモンゴロイドの旅路を逆にたどる「グレートジャーニー」敢行中の関野吉晴(敬称略)が、ベーリング海峡横断に先立つTV録画の中で〈歩く民〉によるベーリンジア越えのくだりを歌ってほしいと頼んだとき、ポーラは「原語で吟唱する伝統的口承者ではない」と断わりながらも、即座に情景を思い浮かべてほぼ正確に英語の一節を暗誦した。
HotWired Japan 星川淳の「屋久島インナーネット・ワーク」より
ここまでくれば『一万年の旅路』の真贋論争には、もうケリがついたも同然に思えてくる。しかし、実物を見ていないわけだから、結論は出せない。それは、また別の機会に譲ることにしよう。(まだ真贋論争をする必要があれば、の話だが)


わたしがこの問題を通じていいたいことは、もっと別のことなのだ。『一万年の旅路』についての個別な真贋論争をふっかけたいわけではない。もっと、普遍的な問題だ。

いいたいことは、ふたつある。ひとつは「ファンタジーと事実とを混同してはいけない」ということだ。いいかえれば「フィクションとノンフィクションを峻別しなければいけない」ということになる。

白人がアメリカ大陸に入植した初期の頃、先住民との交流があったことは、想像に難くない。植生も動物の生態も地形もよくわからない土地で、白人が先住民からの助けを受けたということもあるだろう。人と人が出会えば、必ずそこに交わりはある。一方が支配者になり、もう一方の文化を壊滅状態にしたとしても、被支配者となった人々の文化が、支配者の文化に片鱗も影響を与えなかったというのは、ありえないことだろう。痕跡であろうと、それは存在するに違いないと考えた方が自然だ。

合衆国建国期の大統領たちが、先住民からなにがしかの影響を受けたということも、あったかもしれない。そして、先住民から影響を受けたという歴史が、圧倒的な力をもって政治的経済的支配を行った白人文明に陰に追いやられ、過小評価されてきたどころか、記述もされず抹殺されたという可能性もある。

しかし、いくらそれを回復したいからといって、物語を捏造してはいけない。事実として確認されないことを事実と偽ってはいけない。

「弱者は、過剰なほどの反撃をして、はじめて強者と対等になれる」という考え方がある。一部のフェミニズムも、過剰に男性を攻撃することで、ようやく釣り合いがとれると主張する。しかし、それは暴力をもって暴力を制するといった方法であり、暴力それ自体を撲滅することにはならない。世界の構造それ自体に根本的変革を加えることにはならないのだ。

大切なのは、フラットになること。過剰に攻撃して相手を貶めるのではなく、真の意味で平等になるためにどうしたらいいかを、じっくりと考えることではないだろうか。まさにイロコイ族の文化が教えるように。

虐げられた先住民の文化と歴史を回復するのは、実際むずかしいことだ。文字という伝達手段を持たなかった彼らに受け継がれてきた「形にならない文化」があったことだろう。形にしなかったからこそ守り通されてきた、文字文化とは別種の大切なものがあったかもしれない。形にならなかったから、消えてしまったかもしれない。形に残るものの方が残るのは、当然のことだ。

「形にならなかった文化」を回復しようとするとき、わたしたちはゆっくりと、きちんとした形で少しずつ真実を発掘し、残していくしかない。根気のいる仕事だ。すぐ目に見えるようなはかばかしい成果はあがりにくいかもしれない。けれども、嘘偽りなく、そうやって少しずつ確かめられたことこそを、客観的事実として認定すべきだ。

「実は、わたしたちは一万年の歴史を口承していました」というのが、客観的事実なら大発見である。しかし、さまざまなことを鑑み、また口承というものの本来の性質を思うと、疑問を差し挟まざるを得ない。このような「一発逆転」の発想は、スカッと胸がすくだろうし、いっぺんにすべてを解決できるような幻想を与えるけれど、へたをすれば、ほんとうにそこにあったはずの伝承されてきた文化を殺し、塗り替えてしまうことになりかねない。それは先住民文化の復活に一見寄与するように見えて、かえって破壊することであることを、わたしたちは知らなければならない。

先住民文化を大切にしたいなら、このような一発逆転の発想を戒め、地道に誠実に、現実の中に破片となって散らばっている先住民文化を追い求めるしかない。時にそれが、痕跡でしかなかったとしても、根気よく調べ続けるしかない。

『一万年の旅路』が真に「口承史」として伝えられてきたものなら、まず大切なのは文字化にあたり、なるべく忠実にその伝承を書き写すことだ。現実との対応など、二の次の話である。口承史は口承史としてきちんと記述されるべきである。できれば原語で。それこそが、伝承された文化を守ることであり、先住民の文化に敬意を払うことになる。

口承の物語と現実とを「安易に」対応させたりしてはいけない。現実との対応は、注意深く慎重に行わなければならない。現実に物語を合致させるための捏造などあったとしたら、もってのほかだ。それは、伝承された文化への冒涜に他ならない。

また、それを紹介するにあたり、先住民の文化に真に敬意を払いたいのであれば、紹介者の過剰な思い込みを投影してはいけない。「先住民文化はこうであってほしい」という自分の願望に一致した文献だからといって、客観的な検証なしに、それを真実と受けとめてはいけない。それもまた、先住民文化を壊し、汚すことになってしまう。


もうひとつ、わたしがいいたいことがある。それは、客観的事実と主観的事実はちがうものであるということだ。これでは言葉が足りない。こう言い替えたらどうだろう。外界に存在する事実と、個人の心の中にある事実は違うということ。つまり、外界にどんな事実が存在しようと、その人個人が、深い心の納得を得られて、精神の落ちつきを感じられるのなら、それはそれでひとつの心の事実として認められるべき価値がある、ということだ。

例を挙げよう。うちの猫のノイが死んだ。ノイと呼ばれた生命体は、もうこの世界のどこにも存在しない。再び、その生身の姿を見たり、抱いたりすることはできない。これが客観的な事実だ。この事実は厳しい。とても耐えられない。

しかし、こう考えてみる。ノイは、もうひとつの世界に生まれた。あるいは、生命の源へ帰っていった。そこには、すでに亡くなった多くの者がいる。一足先に逝ったお兄さん猫のメイもいるだろう。わたしの祖父や祖母たちもいる。親しかった友人もいる。ノイは、その人々の歓迎を受け、しあわせにそこで暮らしている。いつの日か、わたしが行くのを待っている。

それは、ファンタジーだ。想像の産物だ。しかし、そう思うことで、わたしは安らぐ。それが「事実」である必要など、実はないのだ。「魂の実在の証拠」も必要ない。そう思えるだけでいい。ファンタジーで構いはしない。現実とは明らかに違う、そのようなファンタジーを抱ける心という不思議な存在に対して、畏敬の念を抱けばいい。「想像力」という、宇宙の果てさえ超えて無辺の彼方へいくことのできる翼を、わたしたちは持っている。それで充分ではないか。

もしも、そのファンタジーを他者と共有できれば、より心強い。人々が「神話」をつくり、それを共有してきたのは、そのためではないだろうか。それは、共有されたことによって「わたしたちの心の真実」となる。それが現実と反していたとしても、構いはしないのだ。人という生き物は、そのようにして深い心の納得を得るものである。それによって、しあわせになれるものである。それだけで充分ではないか。


勿論、神話が現実とシンクロすることはある。現実世界で生きている人間が生みだした物語なのだから、現実から影響を受けないはずはない。現実(外界の現実)と幻想(心の現実)とは、常に相互に干渉しあって存在するものだ。

だから、それらがシンクロしたからといって、何も大騒ぎする必要はない。それは、充分に予測される範囲のことだ。そして、幻想が現実に反するからといって、それを無闇に貶める必要もない。現実に反した幻想を抱くことで、人が心の深い納得を共有でき、しあわせに生きられるのだとしたら、それは充分に価値のある幻想だったということになる。敬意を払われるべき大切なものだといえる。

つまり、神話や伝承をあくまでも「現実」と対応させ、それに合致したかしないかで、その価値を高めたり貶めたりするのは、幻想(心の現実)というものを、あまりに軽視した方法論だということだ。つまりそれは、心の現実より、外界の現実の方を上とみなし、自らが心の現実を一段下のものとして貶めているということに他ならない。

心の現実としての神話や伝承など、共同幻想だけが、価値があるのではない。たったひとりが夢見たものであっても、それがその人を癒し、明日を生きる力を与えてくれるものなら、それはすでに充分に価値あるものなのだ。

そのような夢想や幻想が、客観的な現実と合致しなければならないということはない。ファンタジーに、もっと大きな価値を与えようではないか。ファンタジーがファンタジーのままで、充分に価値があると認めようではないか。現実と合致しようがしまいが、心の現実として人に力を与えてくれるものがあるのなら、それを享受しようではないか。それが民族や部族の共有の神話であろうとも、たったひとりの人間の夢見た幻影であろうともだ。そのファンタジーが、夢見た人ひとりを救っただけでも量りしれない価値がある。それがもし他者をも救ったとしたら、なおさらすばらしい。そのようなファンタジーすべてを、わたしたちは本来「芸術」と呼んできたのではないだろうか。

そして、客観的現実と主観的現実、そのどちらがより価値があるか、などと優劣をつけるような馬鹿げたことはやめよう。どちらも価値があるのだ。ある場面では、客観的現実を優先しなければならない。いくら、自分には翼があると夢想しても、だからといって、崖からはばたいてはいけない。墜落死してしまう。けれど、だから自分には翼はないと悲観する必要もない。心の現実のなかでは、人は宇宙の果てや時間を超えて、どこまでもはばたくことができる。そのふたつながらに、自らの現実として受けとめればいいのだ。しっかりと峻別しつつ。矛盾するふたつの現実(客観と主観)を共存させられないほど、わたしたちの心は狭くない。わたしたちの心は、もっと深く広いはずだ。宇宙の深みよりもさらに。


ようやく、星川淳の言葉に戻れる。「やがて作品としての真偽に興味がなくなった。それより、語られている学びが拭い難く心に沁み込んでくるのだ」と彼自らが語っているように、その真偽など、実はどうでもいいのだ。それが、星川淳という人間の心を震わせる力を持ったファンタジーであったというだけで『一万年の旅路』には意味がある。ファンタジーなら、ファンタジーとして受け取ればいい。フィクションでいい。イリュージョンで構わない。それを「現実」「真実」などと無理矢理いいくるめる必要など、まったくないのだ。現実だといいくるめようとしたとたん、せっかくのファンタジーは翼を失って墜落し、先住民の文化は陳腐な嘘に貶められてしまう。


多くの人は、いまだに「現実」に膝を屈している。「想像力=ファンタジー」に正当な地位を与えていない。だから、幻想や物語を「事実である」といいくるめたがる。人は、こんなことが、ことのほか好きなようだ。
  • これは長い間秘密にされ、特別な一族にだけ伝えられてきた歴史の真実
  • それをいま公開するにあたっては、必然がある
  • その必然とは、人類の存亡に関わる重要なものである
    (人類は危機に面している。いまこそ、古の知恵の封印を解くべき時だ、など)
  • 伝承された真実とは、それまで知られていた伝承や時間スケールを遥かに超える、想像を絶した壮大なものである
  • 驚くべきことに、地質学、人類学などの現代科学によって近年実証された最も新しい事実と符合する
    (古代の人は真実を知っていた! 科学技術を超えた特殊な力ですでに世界を理解していたのだ!)
  • ほとんど文献的歴史を有さない歴史的弱者が、実はとんでもない真実を伝承してきた、という逆転の発想
  • 社会的にもっとも弱い立場の者が、実は世界を動かす中枢をコントロールしてきたという逆転の発想
  • このすばらしい知恵を伝えた人々と同じ力(科学技術を超える力)を、実はわれわれも隠し持っている。それは、いま眠っているだけだ。扱い方を思い出せば、われわれもまたその知恵を使うことができるようになる。
確かに、面白い。なぜだろう? なぜ、人はこのようなアヤシイ物語に心惹かれるようにできているのだろう。

しかし、面白くはあっても、これは陳腐だ。表層的な面白さだ。これに比べたら、現実と幻想、矛盾するふたつの概念を心というひとつの器に入れ、それを互いに反射させあいながら、どこまでも心を深め、宇宙の果てに思いを巡らせることができる人間という存在そのもののほうが、どれだけ深いロマンに満ちているだろう。アヤシイ物語のように、いちいち「現実」と対応させることでしか興奮できない心の在りようなど、浅薄でちゃちなロマンでしかないといえるだろう。(エンターティメントとして楽しむのは自由だけれど)


『一万年の旅路』には、このようなトンデモ系の軽薄ロマンの上に、さらに血縁幻想が投影されている。それが、人々の心を強くとらえるらしい。
『一万年の旅路』は本国アメリカでの出版数をはるかに上まわる2万部近くまで版を重ね、同じモンゴロイドの血を分ける思い入れも手伝ってか、読者からも予想以上の手応えがある。
HotWired Japan 星川淳の「屋久島インナーネット・ワーク」より
人間とは不思議なもので、血が繋がっているとかいないとか、文化を伝承しているとかいないとか、出身地が近いとか、そのような「仲間意識」にとても敏感だ。わたし自身も、わたしが生まれる10年も前に亡くなった祖父の著作を集めたりしているが、「血のつながり」という幻想は、人を熱くするものがあるらしい。それは、DNAに刻印されたものなのだろうか、それとも、文化的な刷り込みなのだろうか。

血縁幻想を一概には否定するつもりはないけれど、行きすぎるとそれが「選民幻想」につながることは明白だ。もし、それが自動的にわたしたちのなかにセットされた天賦のものであるとしたら、民族と民族、人と人が争わない世界をつくるために、わたしたちはその扱いに充分に慎重かつ敏感にならなければいけない。

同胞を大切にするのもいい、祖先を敬い、その遠い足跡にロマンを見るのもいい。しかし、それを過剰に評価することは、いまある差別社会の裏返しの差別でしかない。白人中心の歴史を塗り替えるために、誇張したり、捏造さえ持ちだすような過剰な反撃をしてはいけない。地道に真実を探求しつづけ、声高にではなく、低い声でもいいから、しっかりと語りつづけ、問いつづけようではないか。それこそが、先住民文化の、ほんとうの復権の道ではないだろうか。


ファンタジーを語ることは、罪ではない。それを事実だと偽ることが罪になる。事実だと偽るために捏造することはさらなる罪だ。

ファンタジーの力をもっと信用しよう。ファンタジーは、現実の現実ではないけれど、心の現実たりうるのだ。物語だとわかっていても、人は心を震わせる。物語から勇気をもらうこともあれば、物語によって人生を変えられることもある。それならば、物語によって世界を変えられる可能性だってあるのではないか。そのことを、もっと信じよう。

自分の心のファンタジーを「心の現実」だとして尊重し、敬意を払うことができれば、他者の「心の現実」も尊重できるはずだ。「現実の現実」と「心の現実」の間に優劣がないように、「わたしの心の現実」と「あなたの心の現実」の間にも、優劣も正否もない。人が何を信じようが、心に何を描こうが「他者を傷つけないかぎり」それは許容されなければならない。ある心の現実に於いて「だれが正当なる継承者であるか」などということも関係ない。民族の数だけ、宗教の数だけ、人の心の数だけ、それぞれの「心の現実」があってしかるべきだ。そして、それは互いに尊重されるべきだ。その共通理解こそが、いま必要とされているのではないだろうか。

世界を少しずつ美しい場所にするために現実を変革したいという志を持った人々が、ちゃちなロマンや安易な癒しに足を掬われ、裏返しの権力志向の罠に陥らないことを、強く願う。

■地球シミュレータ/GRAPE/スペース・シャトル

Sun, 09 Feb 2003 06:09:29


2月8日、NHK教育テレビのETVスペシャルで「”地球シミュレータ”で未来環境を予測」という番組がありました。予告で出ていた台風の雲の動きのシミュレーションは余りに鮮やかで魅力的だったので、すごいことができるようになったものだと感動し、番組を見てみました。

ところが……。見ているうちにだんだん不愉快になってきた。癇に触ったのは、スーパーコンピュータを「スパコン」と呼ぶその耳障りな声ばかりではありませんでした。どうも、なにかがおかしい。研究者が「最終的には100年後の地球を予測できるものにしたい」なんていっている。そんなことができるのだろうか?

「garbage in, garbage out」という言葉があります。入力した情報がクズなら、どんな高度な分析を行っても、出てくる結果はクズになる、という意味。世論調査などでもよくある話で、結局のところ、設問自体に偏りや誘導があれば、答えも偏ったものにならざるをえない。

シミュレータにも同じことがいえます。シミュレータがどんなに高性能でも、そこに入れる情報が間違っていたら、計算結果には意味がなくなってしまう。

では「100年後の地球」の状態を計算するために、どんな情報を入力することが必要なのか? 莫大な数の予測不能な事項があります。二酸化炭素の排出量ひとつとっても、政治がらみ経済がらみの不確定要素が山ほどあって、とても予測なんかできない。

ということは「100年後の地球」の気象状況など、実際予測不可能だということです。しかし、画面に出てきた科学者は、あたかもそれができるような印象を与える言葉を吐いている。

もちろん、その科学者が「100年後の地球の気象を予測できる」と考えているわけではないでしょう。可能なのは、例えば「このままの割合で二酸化炭素が増えていくとしたらどうなるか?」というような「仮の計算」に過ぎない。

もちろん「仮の計算」をするのがシミュレーションの意味だから、それはそれでいいし、その計算結果によって、いまの石油依存体質の世界に警告を発することも可能だとは思います。しかし、その程度のことに過ぎない。

それを「100年後の地球の予測可能!」のような言い方をするのは、単におおげさという範囲を超えて、事実に反していることです。そのようなセンセーショナルな言い方をして、無責任な「夢」を振りまくことで、人々の気分は高揚するかもしれない。そのプロジェクトへの期待が高まり、予算もたくさんつくかもしれない。でも、それは嘘じゃないか。大衆をだましてはいないか。

わたしが番組を見て不愉快に思ったのは「地球シミュレータ」をセンセーショナルに扱おうとする態度が見え見えだったからです。事実を事実としてきちんと伝えるという報道の本分を忘れているし、人々を煽動しようとしている。NHKも、関わる科学者もまるでグルになってそうしようとしているように見えてしまいました。誠意や誠実さが感じられない。


なぜ、こんなにセンセーショナルな扱いをしなければならないのだろうか? そう思って調べてみると、このプロジェクトには膨大なお金がつぎこまれていることがわかりました。
開発費用は400億円、1年間の電気料金だけで10億円近いと言われています。
http://grape.astron.s.u-tokyo.ac.jp/pub/people/makino/press/2001-gbprize.html

番組中では「地球シミュレータ」が2002年にコンピュータ関係の先端技術に贈られる「ゴードン・ベル賞」を受賞したことに触れたけれど、実は東京大学の GRAPEというコンピュータによる天体シミュレート・システムも「ゴードン・ベル賞」を「何度も」受賞していることには一言も触れませんでした。

GRAPE-6システムが1999年に「ゴードン・ベル賞」を受賞したのは「価格性能比」が評価されてのことでした。というのも、もともとの GRAPEが開発されたきっかけは「必要な計算を、いかに安く早く大量にするか」ということだったからです。

「なんでも計算できる汎用コンピュータ」は、高くつく。天文学に出される国の予算は少ない。高額のコンピュータを大量に購入することなんてできない。だとしたら、汎用コンピュータではなく、天体シミュレートに必要な計算だけをするシンプルな専用コンピュータをつくったらどうだろう? という発想から生まれたのがGRAPEだったのです。

まだGRAPEが本格始動する前、その最初のアイデアをつくった天文学者近田義広氏が、新宿の飲み屋で目を輝かせながらこう話していたのが思い出されます。

「いままで、二千万円のコンピュータでやっていたことが、必要な計算だけができる専用コンピュータを自作したら、たった二万円でできたんだよ。いや、予算が少なくてすむ、っていう話じゃない。その二千万円で二万円のものを千個つくったらどうなると思う。それをつなげば、計算速度が一挙に千倍になる。いままでできなかった計算ができるようになるんだ!」

GRAPE-6システムの開発総費用は五億円。「地球シミュレータ」の80分の1、「地球シミュレータ」の年間の電気代の半分に過ぎません。


わたしがいいたいのは「安ければいい」ということではありません。天体シミュレーションは、遙か彼方の星の生成などをシミュレートするものですが、そこに入れるべき要素は意外と少ない。だから、専用計算機で計算が可能である。シミュレートしたものと、実際の観測とをつきあわせると、かなり正確なシミュレートができていることが実証されています。また、シミュレートと違った観測結果が出ているとしたら、ではそのようになった要素は何なのか、それを探り予測することで、さらに宇宙の構造を詳しく知ることになるのです。これはちゃんとした「科学」です。

そして、この「科学」は「宇宙はどのようにできているんだろう」「どのように振る舞うのだろう」といった、根源的な疑問に答えてくれるものです。

では「地球シミュレータ」はどうだろう? 不思議なことだけれど、遠い天体の動きを計算するよりも、気象を予測するために入力すべき要素の方が、驚くほど多い。計算は遙かに複雑です。しかも、入力すべきそのひとつひとつの値は、確かなものとはいいがたい。天体シミュレートなら、重力の働きを中心としてかなりシンプルに計算できるところが、気象の場合はそういかない。

その不確かな値を入れて出てくる結果とはなんなのだろう? まさに「garbage in, garbage out」になりはしないか? 気象予測を確実にしたいのなら、もっとたくさんの機能を持った気象衛星を打ち上げることの方が先決ではないか。観測の結果から学ぶことの方が、多くはないか。

気象衛星「ひまわり」はいま、耐用期限を三年もオーバーしていて、機能制限をして延命を計っている状況です。観測、という大根本を抜きにして、いくらシミュレートしても、それはまさに「机上の空論」になりはしないか、とわたしは感じます。


このような問題が見え隠れする「地球シミュレータ」を、NHKと科学者がほとんどグルになって、あれだけ扇情的なことをいうのは、どうしてだろう? その裏事情はわかりませんが「科学」が、まっとうな科学として扱われるのではなく、センセーショナルな「夢の実現装置」として扱われることに、違和感を感じないではいられません。


スペース・シャトルに関しても、同じようなことが言われています。つまり、あれは「夢」だったのではないか。宇宙開発には、アメリカの威信がかかっていた。しょぼいものではいけない。何か派手な、輝かしい未来を感じさせるようなものでなくてはいけない。ヨーロッパからやってきたフロンティアたちは、次なるフロンティアをもう水平方向に求められなくなって、垂直方向に求めた。宇宙開発は「科学」である前に、アメリカが人類のフロンティアの最前線であることを示すための「象徴」になってしまった。

そして、議会で予算を取るために耳触りのいい「夢」が語られた。

繰り返し使うスペース・シャトルは、ほんとうに「経済的」だったのか? むしろ、目的のために専門化させた使い捨てロケットのほうが、経済的だったのではないか。強固なカプセルを装備した使い捨てロケットならば、万が一の時もカプセルだけを切り離して脱出させ、人命を尊重できたのではないか。

しかし、そのような「旧式」のロケットでは、いかにも見栄えが悪い。人類の最先端をいくというはったりがきかない。宇宙を行ったり来たりして、宇宙ステーションの建設資材を運ぶシャトル。その方が、ずっと未来的だ。

人命や実効性よりも、そんな「夢」を優先させたために、スペース・シャトルはあのようなデザインになってしまったのではないか。離陸にも宇宙空間でも不要な翼をつけた理由は、実は「経済性」ではなくて「夢の象徴」のためだったのではないか。スペース・シャトルは、翼をつけていることで却ってリスクが高くなってしまった。そして、その「翼」が今回の事故の命取りになった。

単に整備不良とか、耐熱タイルの破損を甘く見ていた、というだけではなくて「汎用」という、その設計思想そのものに間違いがあったのではないか。そんな意見が、あちこちで見られます。
解説:シャトル事故、ついに破局に至った「スジ」の悪い設計

SF作家の野尻抱介氏の掲示板では、事故以前からカプセル搭載型ロケットをつくるべきであるということが話題になっていました。
http://njb.virtualave.net/nmain.html


毛利さんがはじめてスペース・シャトルに乗った1992年、わたしはプレス・サイトで打ち上げを見てNASAの取材をしました。その時に感じたことをまだきちんと書いていない。当時、岩波の「図書」から頼まれたのに、あの時は男に振られてボロボロになっていたので、とうとう書かなかった。いまさらながらに、反省します。

あの時、わたしが感じたのは「最先端科学」「巨大科学技術」の基地だと思っていったNASAが、はげしく宗教的な雰囲気だったことへの驚きでした。スペース・シャトルの格納庫はさながら大聖堂のようで、NASAから支給される写真も、スペース・シャトルの後ろから後光が射している写真でした。「人類の夢」を、NASAで働く一人一人が支えているという雰囲気が、施設の隅々にまで満ちていた。カフェテリアに貼られたポスターにまで、それを感じました。あの不思議な雰囲気。ああ、ここは科学の基地であるより先に、アメリカの象徴的存在なのだ。そう感じました。

科学がそのような何者かの象徴に利用されると、きっとおかしなことになる。オウム真理教のサティアンと大差ない、といったら言い過ぎでしょうか。言い過ぎでしょう。しかし、そのような匂いに、わたしたちは敏感でなくてはならないと思うのです。


「宇宙開発競争」などという言葉がありました。それはまさに、科学が、政治の手段に利用されてしまったことの証です。科学よりも政治を優先させたプロジェクトがいくつも行われました。

そして、宇宙開発はいまも「夢の象徴」になっている。でも、それはほんとうの「夢」だろうか。政治に利用されているだけではないか。

急ぐことはない。ゆっくりでいいから、着実に「宇宙とはなにか」を知っていくべきではないか。人類の生活圏を宇宙に拡げたいというなら、それもいい。でも、そんなに焦ることはない。人命を尊重した確実な方法で、じっくりとやっていったらいい。見かけの派手なところばかりではなく、着実な基礎研究にもっと予算をつけたらいいのに。わたしは、そう思うのです。


翻って、汎用である「地球シミュレータ」と、特化した「GRAPEシステム」を見るとき、わたしはどうしても、前者にスペース・シャトルの派手さを感じてしまう。「地球シミュレータ」に関する報道スタイルにも、多分に「科学」「報道」ではなく「宣伝」の匂いを感じてしまう。それが、ETVスペシャルを見たときに感じた違和感の原因でした。

「宣伝」にやすやすと乗ってはいけないし、第一、NHKが、そんなふうに「大本営発表」みたいになってほしくないと強く思います。

そして、目先では一体何の役に立つのだかわからないけれど、遙か宇宙の彼方を知り、宇宙がどんなところであるか、どうしてこうなったのか、そんなことをひとつひとつ明かして、心の深いところを満たしてくれる電波天文学と「GRAPE」のプロジェクトを、わたしは強く支持します。

人々が、鳴り物入りで誰かから強制的に見させられる「夢」ではなく、自分の心のほんとうに深いところから湧きでてくる「夢」を見ることができるようになれば、きっと世界はもっと美しいところになるだろうになあ。


GRAPE 東京大学理学部天文学教室 牧野淳一郎のホームページはこちら。

http://grape.astron.s.u-tokyo.ac.jp/pub/people/makino/

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