ハルモニア Cafe Lunatique (No.0019)

寮美千子の掲示板

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寮美千子  『一万年の旅路』でわたしも考えた 2003年02月16日(日)04時45分39秒 http://ryomichico.net
山田養蜂場の全面広告で考えた へのコメント

山田養蜂場の朝日新聞全面の意見広告に『一万年の旅路』というアメリカ先住民関連の本が紹介された。昨年6月、同じ広告に『父は空 母は大地』も紹介されている。気にならないわけがない。で、この本について調べているうちに、いろいろと思うところがあった。

この本は「トンデモ本」ではないか、という風評がある。「トンデモ本」とは、簡単にいうととんでもない説を論拠なく事実といいくるめる本、というような意味だ。『一万年の旅路』が本物か偽物か、それはわからない。これから本を取り寄せて、調べるところだ。だから、これは真贋論争ではない。

ただ、もしも「トンデモ本」の場合、黙殺するわけにはいかない。『父は空 母は大地』が掲載された同じ場所に掲載されたとなれば、なおさらだ。意見広告の対談を読んで、どうもすっきりと腑に落ちない部分があったので、これははっきりさせなければと思ったわけだ。

旧石器捏造事件の折り「神の手」などといって持ちあげ「考古学ブーム」を煽ったジャーナリズムがあった。それを単に黙殺して、異を唱えなかったアカデミズムの人々は、結局は捏造に加担したに等しいことになる。旧石器捏造事件によって、旧石器時代に関するここ20年の成果が疑わしいものになってしまった。そして、その発見を「真実」として、その上に組みあげた理論も根底から崩されてしまったわけだ。捏造は、捏造されたそのものだけの問題に留まらない。真実を覆いかくし、そこにあったはずの文化を貶めることになってしまう。

だから、ある想像や仮説を「真実」と語るときには、確かな客観的証拠と慎重さが必要だ。それを欠いた場合、それは文化的な暴力にすらなりうるのだ。

どんな想像をしてもいいし、仮説を立てても構わない。そこを足がかりにして、真実に一歩一歩近づいていけばいいのだから。しかし、仮説や想像を、安易に真実だと断定することは、戒められなければならない。

そして、それが仮説ではなくて創作であるのなら、はっきりとそういうべきである。創作だからと行って、価値がなくなるわけではないのだ。

というわけで「ファンタジーの復権」読んでみてください。

review0006.html#review20030216041104

松永洋介  山田養蜂場の全面広告で考えた 2003年02月14日(金)18時15分03秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/

きのう(2月13日)の朝日新聞朝刊に、山田養蜂場の全面広告が出ていました。山田養蜂場の社長と星川淳の対談形式。

その広告で大きく紹介されている本が『一万年の旅路』(ポーラ・アンダーウッド著、星川淳訳、翔泳社、1998)。
ぼくはこれは科学的根拠のない“トンデモ本”だと思う。こんな本が、『父は空 母は大地』を全文掲載したのと同じ枠で紹介されるとは……。チーフ・シアトルの言葉がかわいそう。

つまり山田養蜂場の主張としては「父は空 母は大地」と「一万年の旅路」は同じカテゴリーというわけだ。

自分がうっかり感動した、いい気持ちになったからといって、なんでもかんでもひとに紹介すれば世の中よくなるわけじゃない。いいことしてるつもりで、せっかくの機会(お金)をつかって、トンデモ本の普及なんて。(対談の内容もあやしい)

社会のありように違和感をおぼえている人によびかけ、まともな方向へ動かしたいと思うなら、
ファンタジーをノンフィクションと偽って宣伝してはいけない。
論理的検証を無視して神話を事実と言いくるめてはいけない。
根拠のあやしい、なんか希望のあるふうなことをペラペラとしゃべって思考を停止し昇華させ、変革への意志を曲げさせてはいけない。
……と思う。

山田養蜂場のひとは、この広告シリーズで、いったい何をしたいのだろうか。

辻井 豊  そうでした… 2003年02月14日(金)15時18分57秒
SETI@home/わたしのいいたかったこと へのコメント

先のコメント、的を外してしまいました。

メディアのとらえ方と言えば、同じNHKがやってた「変革の世紀」。
ネットが主題の一つでしたが、2chについては、触れなかったですね。
正負両面で、“2ちゃんねる”は、教材満載だと思うのですが。

あと、ブラックバスを巡る外来魚問題なんかも、メディアの伝え方は、不十分かと。
この問題について、興味がおありの方は、“2ちゃんねる”の“昆虫、野生生物”板の
“ブラックバス問題 その3”スレッドまでどうぞ。リンクを貼っておきます。

今回もはずしたかな?



あ、あと、お引越しされたのですね。無事完了、おめでとうございます。




http://science.2ch.net/test/read.cgi/wild/1042450225/l50

寮美千子  SETI@home/わたしのいいたかったこと 2003年02月14日(金)02時09分17秒 http://ryomichico.net
解析ネタだと、こんなのもありますが…… へのコメント

▼辻井さま
お久しぶり。
解析ネタだとSETI@homeなんていうのも身近で楽しい企画ですが、わたしがいいたかったのは、ちょっと違うこと。解析と称する「garbage in, garbage out」のばかばかしさ。そして、「garbage in, garbage out」とそうでないモノを峻別する目を養おう!ということです。

「地球シミュレータ」なんて大仰な名前をつけて、いかにも夢があるように煽って煽って莫大な予算を使う。その是非を問いたかったのでした。

「地球シミュレータ」と「GRAPE」がどう違うのか、全然わからない人がほとんどだと思います。その予算の桁が違うことも知らない。それはそれで仕方ない。だからこそ、報道機関やマスコミがきちんと伝えなくてはいけない。なのに天下の?NHKが、素人の弱みにつけいって、笛や太鼓でばんばん派手なこといって、誤解を招くようなことをすることが頭に来る。NHKは、公共事業の大型予算獲得のための宣伝屋さんなのだろうか? 公共放送を自称しているからには、そのへん、もっとちゃんとしてほしいと思うのです。

「奇跡の詩人」のこともそうだけれどね。

SETI@homeは、すてきな楽しい企画だと思います。

辻井 豊  解析ネタだと、こんなのもありますが…… 2003年02月09日(日)16時09分48秒
ETVスペシャル「地球シミュレータ」への違和感表明 へのコメント

 コンピュータを使った解析ネタだと、“白血病解析プロジェクト”と言うのも、あります。ネット経由で、たくさんのパソコンを接続して計算します。この方法を利用しているものは、他にもありそうです。2chが、からんでいますので、テレビとかで取り上げることは無いでしょう。地味だし……

 シャトルや、地球シミュレータ、現場の技術者の方達は応援してあげたいです。巨大技術は、小回りが効かないのですね。旗振り役が問題かと……

 そう言えば、IBMが、単機で地球シミュレータを凌駕するマシンを開発する、とか言ってたような。地球シミュレータの発想そのものが、ドッグイヤーのコンピュータ業界では、はやくも旧式化してしまうのでしょうか?IBMは、開発したマシンを販売するつもりはないでしょうが、確実に、市販機にスピオフしてくるでしょうね。商売人やし。

↓「白血病解析プロジェクト」


http://p-q.hp.infoseek.co.jp/

寮美千子  ETVスペシャル「地球シミュレータ」への違和感表明 2003年02月09日(日)06時15分04秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:地球シミュレータ/GRAPE/スペース・シャトル へのコメント

昨日2月8日に放映されたETVスペシャル「地球シミュレータ」。期待して見たんだけれど、すごく納得のいかない番組でした。どうして納得がいかなかったか、よくよく考えてみると、今回のスペース・シャトルの事故と同じ構図が見えてくるような気がしてきた。読んでみてください。

寮美千子  新々生カフェルナ誕生! 2003年02月08日(土)15時53分49秒 http://ryomichico.net

引っ越しました。
いよいよ ryomichico.net の始動です。

実は、以前より調子が悪かったリンククラブのサーバー、最近とみに調子が悪く、呼び出しがひどく重いばかりでなく、過去ログがばりばり壊れてしまう。わたしの書いたものばかりでなく、みんなに書いてもらった大切な言葉も消えてしまうようになりました。「遊星たちの消息」も一部壊れていて、過去の記録も消えてしまいました。

これはひどい! ということで、とうとう引っ越すことにしました。リンククラブを解約しようとしたら、なんと、1年契約で12月に更新だったので、来年の1月まで解約できない! なんてこった! しかし、背に腹は代えられない。ログが消えるリスクをおかすよりは、と新しいプロバイダーと契約しました。

呼び出しも軽くなって、みなさんにもより快適な状態で使っていただけると思います。これからも、よろしくお願いします。

http://ryomichico.net

silica  女性宇宙飛行士ローレル・クラークさんの話 2003年02月05日(水)11時29分52秒
宇宙飛行士たちの死は「平和の礎」にはならないのだろうか? へのコメント

亡くなった7人の宇宙飛行士の方々は、ほぼ私と同世代です。それぞれのかたの思いが報道で伝わるたびに
胸がつまります。 心から、ご冥福をお祈りしたいと思います。

きのうネットで毎日新聞の記事を見つけました。
初飛行だった女性宇宙飛行士ローレル・クラークさん(41)が、31日におばのべティさんあてに送ったメールの中で宇宙から見た富士山のことを伝えていたそうです。

「素晴らしい地球の上から、ハロー。・・・・・・・言葉にならないような光景に出会いました。喜望峰の砂丘、高い山々を割って流れる川。ここからだと富士山は、小さなでこぼこのようにみえますが、はっきりと地球のランドマークだと分かります。・・・・・・・何年もの間、私と私の冒険を支えてくれた多くの皆さんに、どうもありがとう。
みんなに愛をこめて。ローレル」

ローレルさんは、80年代に日本に駐在して、富士山に登ったこともあるそうなんですね。この記事を読んだとき、忙しいスケジュールの中で、宇宙から見たひとつひとつの世界の国々、私達が住んでいるほんとに小さな日本にも愛しいという眼を向けてくれて心からありがとう、と思いました。
8歳の一人息子さんが、なぜお母さんが16日間もいないのかよく理解できないから、たくさんの写真をおみやげにとっていらしたとも聞きます。人間は、このきれいな星を宇宙の中にずっと輝かせておくためにいるはずだ、とお母さんは思っていたに違いありません。
どうか、クラークさんの息子さんが戦争に巻き込まれるような世の中にはしないで、と祈らずにはいられません。

クラークさんの記事は、毎日新聞サイトの検索で「クラークさん」とキーワードを入れると出てきます。

また、クラークさんが見たかもしれない富士山の写真がここの「飛行11日目」のところにありました。

http://jem.tksc.nasda.go.jp/shuttle/sts107/photo.html









寮美千子  大統領を宇宙飛行士に! 2003年02月04日(火)14時49分04秒 http://ryomichico.net
宇宙飛行士たちの死は「平和の礎」にはならないのだろうか? へのコメント

四国新聞の「一日一言」の欄は、いつも歯切れが良く核心を突いていてイカしている。
昨日に引き続き、話題はきょうも「コロンビア号」。
きのう、わたしがくだくだと書いたことを、ほんの一言で表現していて、さすが。
賛同の拍手を送りたい。四国新聞、エライ!(以下一部引用)
米国からのメールによると人々はコロンビア号の悲劇を9・11テロに続くアメリカの試練ととらえ、再び結束を呼び掛ける動きが出ているという。飛行士たちはそれを望んだだろうか。
(中略)
宇宙に出た飛行士はみな、「かけがえのない地球」を感得するという。大統領たちこそ宇宙船に乗せるべきだろう。
わたしもほんとうにそう思う。

http://www.shikoku-np.co.jp/news/column/200302/20030204000072.htm

寮美千子  宇宙飛行士たちの死は「平和の礎」にはならないのだろうか? 2003年02月03日(月)19時29分36秒 http://ryomichico.net
でも、前に進みたい へのコメント

▼シャトル事故とイラク攻撃の関係
スペースシャトルの事故映像を見て、最初に思ったのは搭乗員の安否。そして、この事故のアメリカ世論に対する影響でした。ブッシュがイラク攻撃を始めようとしているいま、果たして世論はどちらに傾くのか。それが気がかりでなりませんでした。

スペースシャトルの空中分解。その衝撃と深い痛み。それは、人々に、命の大切さを、そして、人の命を奪う戦争のばかばかしさを教えてはくれないだろうか。軍事費に多大な支出をして、宇宙開発費を削減してきたブッシュ大統領に非難の声があがらないだろうか。そうやって、世論がイラク攻撃を非難するようになればいいのに。そんな希望を抱く反面、その正反対のことになることも恐れていました。

残念なことに、結果は、恐れていた通りのことになってしまったのです。

アメリカの世論調査で、イラク攻撃支持率が、事故後9ポイント上がって、66パーセントになったという報道を聞いて、わたしは心底がっかりしてしまいました。

この後に及んで、アメリカの世論は、まだ人の命を奪うことを容認するのか。やるせない気持でいっぱいです。911の後でさえ、アフガニスタン攻撃を可としたアメリカ世論でした。宇宙飛行士の死は「平和の礎」にはならないのかもしれない。

▼イスラエル人初の宇宙飛行士
今回は、イスラエル人として初めての宇宙飛行士が搭乗していました。イラン・ラモン氏は、イスラエル空軍の大佐。1981年、パイロットとしてイラクが建設中だった原子力発電所を破壊した作戦に参加した経歴を持つ、イラク空爆の「英雄」だったといいます。

イラクでは、ラモン氏の死を「天罰だ」とする一方で、「悪いのはブッシュ大統領だ。宇宙飛行士に罪はない」という声もあがったそうです。
※朝日新聞 http://www.asahi.com/special/space/TKY200302020137.html

▼ホロコーストの犠牲者二世
ラモン氏は、第二次世界大戦のナチスによるユダヤ人虐殺の生き残りの二世でもありました。祖父を強制収容所で亡くし、祖母と母もアウシュビッツからの帰還者。ラモン氏は、今回の搭乗に際し、強制収容所で亡くなった14歳の子どもが鉛筆で描いた「月の風景」という絵を持っていったそうです。

ラモン氏は「戦争」の加害者であると同時に、被害者でもあったわけです。

▼宇宙でのラモン氏の言葉
そのラモン氏が、シャトル搭乗中にイスラエル首相とした会話がテレビで流れました。「何が見えますか?」との首相の問いに、ラモン氏は「国境のない美しい地球が見えます」と答えていました。それ以外のシーンでも、ラモン氏は「国境のない地球」と繰り返し語っていました。

ラモン氏は、ユダヤ人の手紙も持参、それを読んだ搭乗員のデビッド・ブラウン氏が「私が最も心を動かされたのは、ユダヤ人大虐殺の生存者が、死んだ7歳の娘の話をする手紙なんだ。こんなに美しい惑星で、そんなひどいことが起きたとは信じられない」と地上にメールを打ったという記事もあります。
※毎日新聞http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200302/02/20030203k0000m040058002c.html

AP通信によると、ラモン氏は1月29日、地上との交信で「地球はあまりに平和的で、か弱く見える。イスラエルも含めて、みんなでこれを守り続けていかねばならない」と語っていたといいます。
※朝日新聞http://www.asahi.com/people/update/0202/001.html

ラモン氏考えるところの「平和を守る」とは、何だったんだろう?

▼「宇宙」という思索の場
ラモン氏というたったひとりの人間の中で、被害者と加害者が、戦争と平和が、錯綜し矛盾して存在していた。宇宙は、それについて、深く考える場所であったかもしれません。言葉もないほど美しい地球の姿は、それらの矛盾を乗り越えて、ひとつの明確な答えを彼に与えたかもしれない。

それを聞くことができなくなってしまったのは、とても残念です。

日本人宇宙飛行士だった毛利さんがいっていたことを思い出します。宇宙では、国境はほんとうに意味がなくなるということ。足許にたったひとつの国境のない地球を見ながら、互いが協力していかないと生きていけない宇宙という環境。その環境のもたらす「地球市民」という新たな意識。

「宇宙」というのは、そのような場であるはずなのに……。今回の事故が起きたとき「テロの可能性はほぼないとのことです」という報道が何回も何回も流されることが、ほんとうに悲しかった。二十一世紀にもなって、人間はまだそんなことをしているのだろうかと、情けなくなりました。

今回の事故が「アメリカ国民の結束を強め、イラク攻撃を推進する」という方向ではなく、逆の方向にいくことを、人間の命の大切さと国境というものの無意味さに気づくきっかけになってくれれば、と強く願っています。

それが、命をかけて人類の夢を遂行しようとした宇宙飛行士たちの勇気に報いることになるのだと、わたしは思っています。宇宙からも、戦争の火は見えるといいます。空に散った彼らに、そんなものを見せてはいけないと思う。そのことに、アメリカは気づいてほしい。


戦争をするよりは、宇宙開発に膨大なお金を注ぐ方がずっとましだ。それ以前にするべきこと、例えば石油と原子力に頼らない小規模発電のクリーン・エネルギー開発、などもあるけれど。というのが、わたしの気持です。

七名の宇宙飛行士のご冥福を祈ります。

http://www.shikoku-np.co.jp/news/column/200302/20030203000063.htm

稗田隆雄  でも、前に進みたい 2003年02月03日(月)00時25分18秒
スペースシャトル 空中分解か? へのコメント

おひさしぶりです。

スペースシャトルの事故の報道を昨日の夜からNASAの発表まで見ていました。
空中分解している様を見て、おそらく乗員は助からないのではないか思いました。
事故は常におこることですからしかたのないことですけれども、とても残念です。
ロケット事故にかぎらず誰かが事故で亡くなることは、残念でなりません。その先にあったかもしれない時間と可能性にどうしても気持が迷い込んでしまいます。

この事故を受けて世論がどう反応していくか気がかりです。無反応かもしれないし、今後の宇宙開発に影を落すかもしれない。少なくともISSの今後の建設運用には多大の影響が出てしまう。
NASAのひともいってましたが、それでも前に進む、という言葉は心に刻みたい。進まなければ「風景」だって変わらないですから。

寮美千子  スペースシャトル 空中分解か? 2003年02月02日(日)00時46分43秒 http://ryomichico.net

TVから衝撃的な映像が流れてきた。
スペースシャトル「コロンビア号」が大気圏突入の際、炎上。
いくつもの破片になって燃えながら墜ちている。
真っ青な空を、流星のように光りながら翔てゆくいくつもの破片。
飛行機雲のように白く引かれたその軌跡が、何本もの白い平行線になる。
美しすぎる。
あまりに美しすぎて、胸が痛む。


寮美千子  庶民はほんとうに被害者だろうか 2003年01月31日(金)01時03分53秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:癒されて昇華されたくない/イラク攻撃反対意見広告に感じた違和感とその代案の提案 へのコメント

戦争映画、というものがある。大進撃をカッチョよく描くものもあるけれど、悲惨な戦争の実体や、罪のない庶民が苦しむ姿を描いて「戦争は悪い!」と訴えるような映画。わたしは、ああいう映画を見るとどうしても違和感を感じないではいられない。

結局、その戦争を止められなかったのは、その人々だったのではないか。国全体で戦争へ突っ走る雰囲気をつくってしまったことに、実はそのひとりひとりが加担していたのではないか。彼らはほんとうに「罪のない被害者」なのか。「ささやかなしあわせを大切に生きる罪のない庶民」なのだろうか。

戦前だから、とか、言論の自由がなかった、とか、いろいろ言い訳はあるだろう。しかし、いざというとき、だれも兵隊に行きたがらないでみんなで逃げていたら、あんな戦争は起こっただろうか。

極論かもしれない。けれど「被害者」の顔をした庶民のひとりひとりが、実は戦争を招いた張本人だったということに気づかなくてはいけないと思う。

わたしは、アメリカのイラク攻撃に断固反対だ。それに追随する小泉首相を、心底情けなく思う。ところが、そのイラクで「わたしたちは断固戦うわ! フセインのためなら命もいとわない」と女学生が拳を振りあげているのを見ると、やっぱり複雑な気持になる。侵略されるのなら戦わざるを得ない、ということだろうけれど、それでもやはり、戦争を肯定する発言には違和感を覚える。

「戦争はいけない」「人が人を殺してはいけない」それさえ徹底したら、世界の紛争の解決方法は、戦争ではなくなるはずなのに。それは夢物語だろうか。

戦争反対の声をあげるには、どうしたらいいのだろう。戦争のない世界をつくるために、何をしたらいいのだろう。

心ある市民4592人が力を合わせ「イラク攻撃加担に反対する」という意見広告を新聞に発表した。

それを見ても、わたしはやはり違和感を覚えてしまった。気持はわかる。でもなにか違うのだ。そのことについて書いてみた。読んでみてください。

DORONKO  もう少しお待ちを。 2003年01月27日(月)10時38分07秒
言葉の純粋性ではなく、造型としての自立性を求めているのです へのコメント


>DORONKOさんご本人は、ヤノベ作品に興味をお持ちとのことですが、
>どんなところに興味がおありですか? by寮さん

今は、ゆっくり返事を書くだけの時間がありませんので、もうちょっと
待ってください。

なお、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、河野義行さん、現在、
長野県の公安委員?になってらっしゃいます。田中知事の推薦で、
あの、昨年の知事選の勝利の後のことですので、議会でも承認された
わけです。これって、本当にすごいことだなあと思っています。


寮美千子  ネット・リテラシーってなんだ? 2003年01月27日(月)02時48分20秒 http://ryomichico.net

ネット・リテラシーに関して、基本的なことを書きました。とても簡単なことで、これさえ押さえておけばたいがいのことは大丈夫、ということ。ぜひ読んでみてください。

■ネット・リテラシー/メールによる正しい講演依頼の方法
■ネット・リテラシー/匿名性と信憑性

寮美千子  言葉の純粋性ではなく、造型としての自立性を求めているのです 2003年01月24日(金)16時12分46秒 http://ryomichico.net
▼時の破片:19 Jan. 2003 EXPOSE2002 ヤノベケンジ×磯崎新 へのコメント

by DORONKO Cafe Lumiere

が、ともあれ、このヤノベケンジ論は、実にオモロイですな!
本人まで登場しちゃうわけだし!

で、少なくともぼく自身は

>受け手はやはり、そこに「核への漠然とした恐怖」と、その延長線上に
>ある「反核思想」を読みとり、そこに感応しているのではないか。

ということはない、そんなことは関係なく、ヤノベ氏の作品に
興味があるといえるけれど、そうじゃない人も結構いるのかも
しれないね。

寮さんには、言葉の、言葉としての純粋さを侵蝕されたくないという
気持があるんじゃないか?という気がするのだけれど。

ぜーんぜん。むしろ、美術作品に美術(造型=色や形)としての純粋性を求めているわけで、それを言葉で側面から補強しようとすることに「?」を感じているのです。

説明がなきゃ面白くない作品は、わたしには面白くない。そして、ヤノベ作品は、わたしには面白くなかった、ということです。

それは「読めばわかる」ように書いてあると自負しています。よく読んでくれや。


ヤノベ作品に関する評論や報道などをみていると「面白さ」が多分に「コンセプト」に偏重していることを感じないではいられない。現代という時代は、ブツをブツとして裸眼で見て、自分自身の目と心で評価する力が失われている時代ではないか。自己の感性による評価の前に、評論家やメディアによる紹介記事による「予断」によって、見る目を自ら歪めてはいないか。

これはヤノベ作品に関してだけいえることではなくて「現代美術」一般にいえることだと思います。そして、それこそを人々は「現代美術」と呼んでいるのかもしれない。美術史、時代の流れ、コンセプト、という文脈のなかでしか語ることのできない「現代美術」とは何か? ということについて、わたしはずっと考えてきました。『ノスタルギガンテス』で描きたかったことのひとつも、それです。


ところで、DORONKOさんご本人は、ヤノベ作品に興味をお持ちとのことですが、どんなところに興味がおありですか? コンセプトと関係なく興味があるそうですが、ヤノベ作品のどこがどう面白いのですか。感動は「説明不可能」なものかもしれないけれど、あえてご自分の心と向き合ってくださって、ほんとうのところをお聞かせいただけるとうれしい。

佐治晴夫氏がいつも言っています。いろんな角度から眺めること、それを総合することで、人は真実に近づける。そこにあるものの本当の姿に近づくことができると。同じモノを見て、面白くないというわたしがいて、面白いという他者がいる。これはぜひ、DORONKOさんの意見を聞きたい。近いうちに、わたしの意見も書きます。よろしくね。

寮美千子  河野義行氏「排除の思想を超えよう」 2003年01月13日(月)03時31分19秒 http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:松本サリン事件と和歌山毒カレー事件/基本的人権を侵害されない社会をつくるために へのコメント

1月11日付け朝日新聞「わたしの視点」に、河野義行氏が「オウムと社会 排除の思想を超えよう」と題された意見を寄せている。河野氏自身がオウム真理教の松本サリン事件の被害者であるのに、その恩讐を乗り越え、アレフ(元オウム真理教)を排除しようとする地域住民や地方自治体へ異議申し立てをしていることに、深い感銘を受けた。

誰よりも「排除の思想」の恐ろしさが身にしみている河野氏だからこそ、このように心にしみる言葉になったのだろう。とはいえ、同じような立場に立ったとき、河野氏のように行動し発言できる人がどれだけいるだろうか。排除される側から抜け出したとたん、自分を排除していた大衆の側に回り、迎合して、こんどは自らが排除する加害者の立場に立つ人も多いのではないだろうか。

社会から排除される側を擁護するような言葉を吐くことは、とても勇気の要ることだ。河野氏が、その勇気を持って発言したことは、すばらしいことだと思う。オウム真理教に傷つけられた河野氏が語るからこそ、それは単なるキレイゴトではなく、基本的人権を侵害されない社会をつくるためにほんとうに必要なことだと痛切に感じられる。相手がアレフであろうと誰であろうと、他者を無意味に排除してはいけないのだ。それは、巡り巡って自分自身を排除する行為に他ならない。

レビューを書きました。読んでみてください。

寮美千子  怒! こんなスパムが! 2003年01月11日(土)03時15分55秒 http://ryomichico.net

怒! こんなスパムが来ました。はじめは宛先間違いだろうと思ったのですが、最近有名なスパムだそうです。ひどいなあ。せっかくのインターネットをいう道具を、こんなふうに使う人がいるって事にがっかりしてしまいます。

それがどんなにいい可能性を秘めた物であれ、道具は道具。使い方次第でなんとでもなってしまうというのがこの世の真実。けれども「法律で規制」なんてお上に頼る前に、まず自分が見分ける目を持つこと。そして、心の尊厳を育てるような文化をつくっていくことだよな。地道に。

じゃあ、みなさん、こんなの来ても驚かないようにね。くれぐれも、あわてて「アドレス違いです」なんてお返事を出さないように。返事を出すと、さらに面倒なことに巻き込まれる可能性があります。以下スパム引用します。一部伏せ字。
最終和解案

 先日発送致しました債権譲渡通知書はすでにご覧頂いている事と存じ上げます。
 同通知書でも詳細致しました通り、弊社はインターネット・コンテンツ事業者様
より、利用料金等の回収を委託されている者です。
 弊社よりの再三にわたる督促にも返答無き状態に付き弊社顧問法律事務所とも協
議の結果、以下の通り最終和解案(債務減額処置)を決定致しましたので御報告致
します。

 =======最終和解案=======
【入金期限】平成15年1月20日(月)
【振込口座】東京三菱銀行 難波支店
      普通口座 063498x
      ナ×ムラ カ×ル

【入金額】 ¥31,500円
     (内訳)
 コンテンツ利用料 ¥31,500
 遅延損害金    ¥1,500
 督促費用     ¥10,000
 減免額     ▲¥11,500
――――――――――――――――――――
 合計      ¥31,500
====================
今回、入金無き場合は弊社関連会社の調査機関より調査致しまして回収専門員が貴方様
の御自宅、勤務先等に直接お伺いする事になります。又その場合調査費用として別途金
10万円がお客様の負担とされ今回の減免額も無効と成ります。
すでに入金がお済の方は弊社との行き違いと御了承下さい。

寮美千子  鎌仲ひとみ『ヒバクシャ――世界の終わりに』 2003年01月08日(水)22時49分38秒 http://ryomichico.net


昨年クリスマスに14年間いっしょに暮らした猫のノイが亡くなりました。喪に服しながら、旅立っていった人々のことをひとつ、またひとつと心に思い起こすお正月となりました。桶谷さん、横井さん、渋谷さん、大橋さん、マラカイ夫人のやすこさん、須藤真理子さん、そしてメイとノイ。なつかしい人々の顔がひとつ、またひとつと浮かんできます。

一方で、大きな病を乗り越えて生還し、さらなる未来に向かって生きる友もいました。生体肝移植をしたKくんもがんばっています。癌から生還した友もひとりではありません。

去っていった人々のことを思っても、また生還した人々を思っても、ほんとうに命はひとつ、かけがえがないと感じます。その大切なそれぞれの命を傷つけ奪う巨大な力を憎まずにはいられません。一体、どうしたらこの世界から戦争がなくなるのだろう。


ノイが亡くなろうとしていたクリスマスの日、朝日新聞の夕刊に映像作家の鎌仲ひとみさんのことが載っていました。亡くなった須藤真理子さんの闘病の日々をNHKの特集番組で撮影なさった方で、わたしは真理子さんの追悼の会ではじめて鎌仲さんにお目にかかりました。

ドキュメントのなかには、往々にして不躾で無神経なものがあります。撮る側のエゴばかりが丸見えのそんなドキュメントは、見ていて腹立たしくさえあるものですが、鎌仲さんがお撮りになったなったものには、そのような要素が驚くほどありません。誠実な鎌仲さんの視点が感じられます。撮られている側が、彼女を信用し自然体でいることが伝わってくる画面でした。

彼女が今回制作しているのは、アメリカが投下した劣化ウラン弾によって被爆したイラクの子どもたちをはじめ、世界各国の被爆者の姿を追った映画『ヒバクシャ――世界の終わりに』。製作費は賛同者からの寄付で賄っているとのこと。HPはこちら。電話でも問い合わせを受けつけているそうです。グループ現代 03-3341-2863

http://www.g-gendai.co.jp/hibakusya/index.html


鎌仲さんの出発点は、1922年に撮られたドキュメント映画『極北のナヌーク』だそうです。いまでも、ドキュメント志望の学生には、まずその映像を見せるとのこと。残念ながら、わたしはまだ見たことがないので、探して見てみたいと思います。

星野道夫は、極寒の地シュシュマレフの写真を見て、アラスカ行きを決意。それが、彼が写真を撮るようになったきっかけだといいます。「写真を撮りたいけど、何を撮ろうか」というヤワな写真家志望者とは大分違う出発点。鎌仲さんの出発点も、どこか星野道夫との共通項があったのかもしれません。

星野道夫とドキュメント映画『極北のナヌーク』については、鳥海さんがそのサイトで詳しく書かれています。ぜひご参照ください。

・星野道夫はいかにして立ち止まったか
http://www.age.ne.jp/x/toriumi/hoshino/000808_m.htm

・鎌仲ひとみさんのインタビュー記事もWeb上にあります。
http://junkotanaka.infoseek.livedoor.com/inter-004-01.html
・作品紹介はこちら。
http://junkotanaka.infoseek.livedoor.com/inter-004-sakuhin.html


超新星爆発で砕け散った星は、その爆発の勢いで宇宙の塵を圧迫し、それがきっかけで新たな星が生まれるといいます。自らがジャーナリストだった須藤真理子さんの追悼の会で、鎌仲さんに出会ったということは、まさにそのようなことだと感じています。その時はもう地上にいなかった真理子さんが鎌仲さんに出会わせてくれた。その思いを大切にして、応援していきたいと思っています。

征木高司  新春のことほぎ 2003年01月01日(水)12時07分10秒

皆々様 そして寮さま。

あけまして おめでとうございます。

DORONKO  この年の終りのために。 2002年12月31日(火)16時40分16秒
ノイが死んだ 戦争はいけないと思った へのコメント

夏目漱石のデビュー作も『猫』です。

天下国家を論じないからと言って彼を非難する
人間は(今は)いないと思うけれど。

大長老  甘えの不思議 2002年12月31日(火)12時50分33秒
哀しむことができない哀しみ へのコメント

本来なら甘ったれの甘え下手に育ってしまうような猫が、
瀕死の状態のとき、
飼い主との幸運な出会いによって、命拾いし、
甘ったれの甘え上手に育っていったのだろう。

そしてその甘ったれで甘え上手のところが、
甘ったれの甘え下手に育ってしまっていた飼い主を、
癒したのではないか…そんなふうに見えるのだが。

想像だが、ノイはずーっと子供でありつづけたのだろう。
が、ある日、自分の幼少期にそっくりのボロボロの子猫に出会った。

一瞬とまどったけれど、その子猫に甘えられているうちにこう思った。

おとな・・?
おとなかー。

そして最後に、おとなになろうとして、おとなになって、旅立っていった・・・

どうだろうか。合掌。

寮美千子  悲しみと涙の源はどこに? 2002年12月29日(日)23時20分21秒 http://ryomichico.net
無題 へのコメント


幼いときに相次いで両親をなくした友人が、こんなことをいっていた。
「母親や父親をなくして嘆き悲しんでいる友を見ても、俺は少しも同情できないんだ。だって、大人になるまで両親が生きていてくれれば充分じゃないかと思ってしまう。親をなくした悲しさに共感できない。俺は心根の冷たい人間なのかもしれないな」

だとしたら、わたしもきっと冷たい人間だ。親を失って嘆き悲しんで身も世もない、という風情の人(特に男)には同情できないし、さして共感もできない。森新一の「おふくろさん」という歌。あれもよくわからない。あのように強く激しく「母」を思う気持ちを、残念ながらわたしはすんなりと理解できない。もしもわたしの父か母が亡くなっても、わたしは身も世もないほど悲しまないのではないか、と感じている。

実は、わたしと両親の間の心の齟齬は、根深いものがある。子どもだったわたしを、恐らく両親は理解していなかった。理解しにくい子どもだったから仕方ないとは思う。いまさら恨みに思うわけではない。彼らは彼らなりに深く愛したのだ。それはよくわかっている。けれど、わたしをわからずに、自分たちが「愛」だと思うものを一方的に押しつけてきたので、わたしは息が苦しくなってしまった。彼らが見ているのがわたしではなく「理想の子ども」という彼らの幻影だと知れば知るほどに、ほんとうのわたし自身を否定されたように感じ、自分に自信を失っていった。わたしは、自分を無価値なダメ人間だと思うようになった。深いところにその思いは巣くい、いまでも拭いきれない。いまさら両親のせいにするつもりはさらさらないが、やはり事実として、それが大きな影を落としていることは確かだと思う。両親がいてその両親に精神的に深く苦しめられるより、いっそいないほうが心は健やかだったかもしれないとさえ思うことさえある。

そんな心の内を訴えても、件の友人にはわかってもらえなかった。「両親が揃っているのに、何をそんなにさみしがる必要があるんのだ?」という。幼くして両親を失った彼には「親のいる苦痛」は、理解しようもなかったのかもしれない。

一口に親といっても、さまざまだ。一括りにできない。人格も性格も違えば、子どもと結ぶ関係性も違う。親をなくして、深く深く悲しむことのできる人は、親とどのような心の関係を結んできたのだろう? 正しく愛される事への深い感謝が、悲しみになるのだろうか。それとも「母」なる記号に涙するのか。わたしは、そのことを知りたい。


15年を共に過ごした猫のノイの死は、心底堪えた。いくらでも泣けてしまう。泣きすぎて頭がぼんやりしてしまうほどだ。たかが猫一匹の死をそんなに悲しんで、親の死を嘆かないなんて、人非人だといわれてしまうかもしれない。そうかもしれない。

近所にやはり猫を飼っているおばあさんがいるのだが、その人も「夫が亡くなるより猫が亡くなる方が悲しい」といっていた。

思うに、もしかしたら人は、自分より小さな者、幼い者、保護すべき者を失ったとき、深く深く悲しむのではないだろうか。そんな気がしてならない。親子でいえば「親」よりも、むしろ「子」を失ったときのほうがつらいのではないか。猫という存在は、飼い主にとっていつまでも「わが子」なのだ。何歳になっても、保護すべき幼子なのだ。

死ぬのが子どもではなく、自分のほうだたっとしても、やはりつらいかもしれない。残されたこの子はしあわせに育つだろうかと思ったとき、きっと子どもが不憫でならないだろう。

けれど、残された方の子どもは、案外けろっとして、たくましく生きたりするのかもしれない。生きのびていくためには、実はそのようなたくましさが必要なのかもしれない。死に行く親としては、一抹のさみしさはあるだろうけれど、むしろそのようにたくましく育ってほしいと心の底で願うかもしれない。

自分のことを忘れないでほしいと強く願いながら、けれど忘れても構わないからたくましく明るく育ってほしいと願いながら死んでゆく親のことを考えると、わたしはやっぱり涙が出てしまう。拉致されて行方不明になった子どもの安否を気づかう親心を思うときも、そのつらさを思って涙してしまいそうになる。
小説や、テレビ番組では、簡単に落涙してしまいます。
虚構の物語に。わたしとは、遠い人たちの話に。by 辻井さん
悲しみや涙は、ほんとうにどこからやってくるのだろう? 不思議だね。


わたしの両親はいまや年老いて、ふたりとも死に至る病を得ている。それでも、小康状態でふたりで健気に生活している。彼らが、かつては若くて不完全な人間だったことを、いまのわたしは理解できるようになった。だからといって、心に刻印された傷がきれいに消えるわけではないが、それはもう、いまの彼らとは関係のないことだ。父も母も、少しでも元気で、毎日を気持ちよく長生きしてほしいと心から思っている。

たき  哀しむことができない哀しみ 2002年12月29日(日)09時34分44秒

その哀しみを見つけてしまったとき、
自分の姿がどこにも見当たらないことに気がつく。
記憶の中に。風景の中に。周りの人の中に。

お互いのことなどほとんど分かり合っていない、
自分の苦を相手に伝えることもなく、
その感情を深く交わらせることもできない。
それでも、一緒にいると嬉しい、ということ。

孤独の向こう側にあるものを探している人に、
『星兎』を読んで欲しいと思う。
ノーテンキで不器用でとことん孤独な
あいつをやっぱり愛しんでしまう、
まだ地球を蹴っ飛ばしていないうさぎを、
一回りして肯定している一人として。

大長老  同苦 2002年12月29日(日)03時23分37秒
無題 へのコメント

人の不幸に同苦をなかなか持ちにくい自分に気付いたときから、
深い孤立感を長く長く抱くようになり、それがまた不用意な同調の性癖ともなって現われ、
それもまた自己嫌悪を生むことになったりもする。



その同苦を持ち得ない孤立感についてのべるとき、こころを込めて「孤独」という
言葉をわたしはつかいます。

山田風太郎、小泉八雲の中に同種のそれを感じ取るわたしです。

辻井君の感情に、賛意はもちがたいですが、おお君もか、と深い共感を込めて、一言。



辻井 豊  無題 2002年12月29日(日)00時49分57秒
ノイが死んだ 戦争はいけないと思った へのコメント

 わたしが6歳のとき、母が死にました。
 わたしは、泣きませんでした。悲しみも感じませんでした。
 数年前、祖母が亡くなったときも、泣きませんでした。
 最後の対面のとき、わたしの弟は、泣きそうになったと、あとで話してくれました。
 母が闘病生活を続けていたため、祖母と一緒に過ごす時間が多く、思い出もたくさんあります。でも、わたしは、悲しみが湧きませんでした。

 小説や、テレビ番組では、簡単に落涙してしまいます。
 虚構の物語に。わたしとは、遠い人たちの話に。

 大長老様、
 コメント、読ませていただきました。しばらく反芻させて下さい。

本多信介  なにはともあれ 2002年12月28日(土)01時57分36秒
ノイが死んだ 戦争はいけないと思った へのコメント

悲しみのあとには嬉しい時がくるのさ、、

一番は北朝鮮に居る人たちかな、、

そのつぎは、、だーれだ??

寮美千子  ノイが死んだ 戦争はいけないと思った 2002年12月27日(金)12時40分41秒 http://ryomichico.net

猫のノイがかかっていた獣医師が、あまりに無造作に抗生物質を投与し、強い注射を打ち、ノイが吐きまくって衰弱するのを見て、わたしはその獣医師から離れる決心をした。家庭で介護するためには、そのための専門の道具もリンゲル液も必要だ。一般人の手にはいるものではない。わたしは八方手を尽くし、それらをかきあつめた。かかりつけの内科医、歯科医、その子が獣医学校に在学中に何度かあっただけでいまは八丈島にいるという獣医師、そして緊急時には友人が「バーベキュー・パーティの仲間に獣医さんがいる」と話していたのを思いだし、逢ったこともないその人にまで連絡をして助けを乞うた。

「たかが猫一匹のために馬鹿げている」と思われるだろうと頭の隅の方で思いながらも、わたしは必死だった。そしてわたし自身も、アメリカがイラクに攻め入ろうとし、拉致問題は完全解決せず、世界のどこかで子どもが飢えているのに、「たかが猫一匹のために」なんという贅沢なことをしているのだろうと感じ、それでもノイのために必死になることをやめられなかった。

たかが猫、されど猫。いや、わたしにとってノイは猫でさえなかった。ノイはノイだった。個別認識できる独自の存在。「猫」という概念で括れない存在。ノイという人格。

ノイが死んだ。わたしの腕のなかで。溢れる痛み。

そして、思ったのだ。たかが猫一匹、しかもまっとうな死に方だ。15歳という猫ならかなりな高齢で、病気という致し方ない原因で、わたしの腕のなかで看取ったのだから。こんなにもまっとうでありきたりの死なのに、それがこんなに悲しくつらい。戦争で夫を、妻を、子どもを、親を、なくした人の嘆きはどれほどのものか。拉致で子どもをさらわれ、消息もわからないまま何十年を過ごした人々の心の痛みはいかほどだろうか。

だから、戦争はいけない、とわたしは涙のなかで思った。まっとうな死でさえ、こんなにつらいのだ。国家による戦争だろうが、交通戦争という事故だろうが、犯罪による死だろうが、理不尽な死はすべていけない。どんな理由でも許されていいものではない。

自己正当化のための詭弁のようにも聞こえるかもしれない。ペットなんかにかまけていないで、もっともっと社会性のあることを人はするべきだという声もあるかもしれない。けれど、わたしは思う。人は身近な人や生き物や事と深く交流し、大切にすることで痛みを知る。そこからでしか、ありうべき世界の像は描けないのではないか。自分の痛みを痛みとして引き受けてこそ、他者の痛みを知り、そこから世界のあるべき姿を描くことができるようになるのではないか。

ただ、そこにはもうひとつ想像力という心の翼が必要だ。痛みを知るのは必要条件で、十分条件ではない。自分が痛みを受けるのが嫌だからと平気で他者を虐殺するような思考ではいけない。憎しみによる復讐も、結局は痛みの解消にはならず、ただ世界に痛みの総量を増やすことにしかならないと知るべきだ。他者の痛みを自己の痛みと思えるような想像力を鍛えなければならない。文学や芸術は、その想像力を鍛えることの一助になるのかもしれない。

ノイが死んだ。戦争はいけないと思った。拉致もいけないと思った。思想や国家の枠などはずして、離ればなれの家族は会うべきだ。いますぐに。そのために、国家はできるだけのことをするべきだ。そう、わたしは思った。

本多信介  足りかったのは 2002年12月19日(木)23時26分19秒
字足らず へのコメント

大長老に「い」

とおれたちが疲労困憊でソファーに倒れ込んだってことなんだけど

失礼しました、あの時の老夫妻は80を越えてたはずで

気品っつうかー、神々しかった、もちろん席をゆずりあって座ったんだか

彼らがどっかに去ったか、おれたちが去ったか覚えてないけどな、

ま、こんな長文もいいか、、@@

本多信介  字足らず 2002年12月19日(木)23時11分10秒
あのさー へのコメント

まずは「・・・」って参照できるようにできないの?

これじゃ、ワープロで書いてコピーするしかないじゃん

こんな掲示板は掲示板じゃないぞーー@@

えーー、忘れたーー、、、


また、内容の確認かよーー


最低だぜー

本多信介  あのさー 2002年12月19日(木)22時25分54秒
いげん へのコメント

威厳って? 大長老のことだよ、

ごめん、、「か」を入れるの忘れた、、、@@

「威厳」ってどういう意味かって、自分を知ってるやつにしかないさ


おれが見た「威厳」ある態度、、、、は、おれが思うっす

ま、、30年まえの大阪の飛行場でだった、おれたち(バンド)はちょっと売れてて
朝の一番で東京に帰らなきゃーって状態で、深夜の番組に出たんだか飲んでたか覚えて
ないけど、、それはー勢いがあったでしょう、、で、おれたちは当然のように待合ロビー
のソファーに座り込んださー、っとその時に遠慮がちにおれ達に席を譲ってくれた老夫妻
がいたんだよーー「どうぞーー」って、あの老夫妻の立ち振る舞いは、今もおれの憧れ
じゃーー、あんな風になりたいぜーー

大長老  いげん 2002年12月14日(土)02時33分24秒
簡単 へのコメント

こんばんは。これから冬眠にはいります。最後の一言です。

おれ、自分のあたまのうえの蠅を追うのでせいいっぱいです。
家賃払って、税金払って、ガス、水道、電気払って、年金払うの精一杯です。

おれ、威厳ないです。
これからも威厳のある人間になろうなんて断固思ってないです。

どこかで書いてあるよーな他人の言葉をずらずら自分の言葉のよーにして書くつもりもないです。

おれ、威厳ある人間が嫌いです。
それほど甘くもないし、穏やかに生きてきてないもんで。
人間世界に威厳もてなんていったら、おもわせぶりなハリボテ人間が増えるだですよ。

金ジョンイルに威厳あるの?
アメリカのトシちゃん・ブッシュに威厳あるの、ブレアは、
チユウゴクの何とかさんは?
フセインは、そしてそのフセインにせめこまれた隣国の上層部に威厳あるの?

威厳なんてくそくらえだ。
冷静にふつうに…家賃、自分で払いましょうや。

国民や外交に威厳なんて期待するなよ−。
冷静に普通に技術的につめていけばいいだけじゃ。
きれいごと、大言壮語はいらないよ。
わが身見つめてそうおもっちゃ。カネかせいでる己こそが己の実相だぜぃ。

あまいぞー。きれいごとだぞー。敬具。


本多信介  簡単 2002年12月10日(火)22時33分46秒
威厳ある外交はどこから生まれるか? へのコメント

はさー威厳ある国民からさー

辻井 豊  威厳ある外交はどこから生まれるか? 2002年12月10日(火)14時37分16秒
ブッシュって「荒らし」 へのコメント

アメリカは批判するけど、中国の軍事行動は批判しない(殆ど伝えない)マスコミ。
NGOの地雷除去は評価するけど、自衛隊の地雷除去は評価しない(殆ど伝えない)マスコミ。
(対人地雷の生産って、中国が多くないの?、小火器も安いらしいし)

正しく評価してあげることが、私達の政府の自信につながると思います。
厳しく叱って、精一杯ほめる(ほめる叱るの基準は人それぞれですが)。

それができなきゃ、私達がアホってことです。

威厳ある外交は、そこから生まれると思います。

寮美千子  ブッシュって「荒らし」 2002年12月10日(火)02時20分21秒 http://ryomichico.net
ブッシュって武器商人 へのコメント

「荒らし」っていうのは、「掲示板荒らし」の荒らしのこと。
対話する振りをして乗り込んできて、
「人権」や「正義」を振りかざし、ぶんぶん振り回して、大仰なことをいい、
その実、対話などする気はまったくなく、
ほんとうに言いたいことはまったく別なところにある。
それは、例えば武器をもっと売りたいとか、世界の実権を握り続けたいとかいうこと。
だから、いくら正攻法で「きみの正義の考え方は間違っている」
「ほんとうの平和は、それでは訪れないよ」といっても馬耳東風。
真の目的のために援用できることなら、
どんなめちゃくちゃなことでも「正義」にしてしまうし、
誰を悪者にしてもいいと思っている。

一般に、荒らしとは話ができない。話をしようとするのが無理。
「荒らしは無視するに限る」が、掲示板の掟。

しかし、現実のこの世界でアメリカを無視することはできない。
本音で話さず、正義や平和という内実のない建前でしか語らないアメリカという国と、
一体どうやって話したらいいのだろう。
彼らの本音を引き出すには、どうしたらいいのだろう?

少なくとも、荒らしであるアメリカの横暴に、みんながへこへこして従ったりしないこと。
爆弾を落とすことに加担したりしないこと。
それを、みんなが声に出すことが大切じゃないか。

そう思っているけれど、腰抜けの日本をはじめ各国は、アメリカのいいなり。

それじゃ、あんまりじゃん、といって、国連(ここも信用ならないけれど)が乗り出した、らしい。アメリカに無闇に武力攻撃させないために「まあ、待て。おれたちが見てくるから」と査察団をイラクに送りこんだ。イラク側は、すなおにそれを受けたし、1万ページにも渡る報告書も提出した。これは「言うこと聞くから、攻め入らないでくれ」というデモンストレーションに、わたしには思える。

イラクが出した報告書に、英国はすでにイチャモンをつけている。イチャモンつけて、武力行使しようっていうんだろうか。
http://www.asahi.com/international/update/1209/011.html

そして、アメリカの腰巾着である日本は、対イラク戦になったとき、どうアメリカを「支援」するかを考えているという。

【対イラク武力行使】
開戦→崩壊→復興 米のシナリオにらみ政府の支援策着々
http://www.asahi.com/international/iraq/K2002120800259.html

情けない。
荒らし野郎ごときに手もみしてご機嫌を伺い、爆弾を落とす手伝いをしようなんて、なんたる恥ずかしいことだろう。

ブッシュさん。ともかく、もう爆弾を落とすのはやめようよ。
金がほしいんなら、別の方法で搾り取ればいいじゃないか。
あんまり役に立たない宇宙ステーションづくりに莫大つぎこんでもいいよ。
地球砂漠化を防ぐためと称して、各国からむしりとってもいいよ。
少なくとも、人殺しよりはましだから。
お山の大将をしていたいんなら、そうさせてあげるからさ、
人殺しだけはやめにしようよ。ね。

だれか、アメリカに本音を語らせることのできる人はいないかなあ。
本音で話せたら、簡単でいいのになあ。

本多信介  ブッシュって武器商人 2002年12月08日(日)22時03分05秒
おいおいアメリカ! へのコメント

まーなー、ブッシュって武器商人なんじゃよな、巨大なやつらとは戦えんかー?

殺されるぜー、おれはいいけど、根本はなんで武器が要るかじゃー。

それを使うやつがいかんのか?なんで使うの、メーカーには責任ないかもな?

直接な武器もあるけど、精神的な武器もあるしなー、ーーん、やっぱ、こころじゃー

どうしたらいいと思う?なにが正しいんじゃ、なにが平和じゃろなーー

悟りきった気持ちで過ごすのがええんかい? さっぱりわからんけどな

本多信介  おいおいアメリカ! 2002年12月06日(金)23時22分43秒

なんでイラクの査察って?てめーんちでそんなの持ってて、

なに考えてんだろね、、よーくわかんないけど

おー、、、、研究者の諸君、教えて、、

辻井 豊  コメントありがとうございます。 2002年12月01日(日)22時00分01秒
字足らず へのコメント

そうですね。
捏造云々より、

「フィリップ間違ってますよ」って、視聴者が注意してあげて。
「あ、そうでした。気をつけます」って、制作側が言ってくれる。

そんな関係になれたらいいかなと。
今は、どっちも大上段に構えてるような気がするんですよ。


それから、“テストページと思われるサイトが、外部から見放題で、アクセスして書き換えが可能な状態”ってのもちょっと変かと。
仮にも、“情報を商売道具してる企業ですから。指摘されたら、アクセス制限ぐらいして”欲しいです。
なにしろ、テストページのアドレスが、テレビ朝日のドメインそのものなんですから。
他のサイトや、メールから直接リンクされて、悪用される可能性もあります。
テストページを示して、“これが朝生の世論調査の結果だ”って。

これが個人情報の記載されたページだったら、問題になってるでしょう?

本多信介  字足らず 2002年12月01日(日)19時45分29秒 こめんとまん
あのさー へのコメント

もしかしてあの番組をまじめに見とったん??

本多信介  あのさー 2002年12月01日(日)19時43分31秒 こめんとまん
このページを見て下さい。 へのコメント

そんなことどうでもいいじゃん

辻井 豊  このページを見て下さい。 2002年11月30日(土)11時29分54秒

このページを見て下さい。
29日の、「朝まで生テレビ」に関する情報です。
信用されるかどうかは、見た方の判断におまかせします。
事実だとすれば、これは怖いことです。


http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2854/

寮美千子  矢川澄子『おにいちゃん――回想の澁澤龍彦』 2002年11月28日(木)02時02分03秒 http://ryomichico.net
ユリイカ10月臨時増刊号『矢川澄子・不滅の少女』を 読んで・・・遅ればせの反歌。 へのコメント

ユリイカ10月臨時増刊号『矢川澄子・不滅の少女』 残念ながら、入手しそびれています。既に読んだ人から聞いたところによると「生々しくてつらい」という感想もあるとのことでした。近所の書店をいくつか回ってみましたが、見つからないので、大きな書店にいったときに入手したいと思っています。

矢川さんはその著作『おにいちゃん――回想の澁澤龍彦』のなかでも、自らと澁澤のことを「少年少女」と呼んではばからなかった。

死の前年のことだったか、経堂のギャラリー・イヴで「不滅の少女」と題された展覧会がありました。ギャラリーの方からお誘いを受けていたけれど、たまたま仕事を抱えていたので、余裕がなくてお伺いすることができませんでした。

案内のハガキは宇野亞喜良さんの瀟洒なイラスト。いかにも宇野さんらしい軽みと清涼感のあるものでした。そこに「不滅の少女」というタイトル。なぜいま「少女」なのか。その時わたしは微かに腑に落ちないものを感じていました。どうしてことさらに「少女」と言い募らなければならないのか。「少女」というのは、しゃれた展覧会にとても都合のいい記号なのだろうか。そんなふうにさえ思っていたのです。

その少女という言葉の裏にひそむ深い淵のようなものを知ったのは、矢川さんの亡くなった後に知人からいただいて読んだ『おにいちゃん』という本でした。その生々しさ、過去への拘りの深さに、思わずたじろがずにはいられないような本でした。

「不滅の少女」とは何者だったのだろう。矢川さんは「不滅の少女」であろうとしたのだろうか。ユリイカの特集号を読めば、少しはそれが見えてくるのかもしれません。

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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