先ほどの投稿よりも、伊福部昭の言葉を少しだけ正確に思い出しましたので8たいした違いはないけど)、まず、下に訂正します。
「音楽に国境はない、などといって、音楽には人類共通の美観があるように思われていますが、私はそれは間違いだと思っています。民族、民族それぞれに固有の価値観や美観があり、その民族の特殊性を通過して、人類の普遍性に到達しなければならない。そのように(通過し)到達しえたものだけを私は芸術だと思っております」。(伊福部昭・談)
松永洋介さま>
「ゴジラ対太陽の塔」再生計画の大論文、大長老どの同様、僕も未来に希望を抱きながら拝読いたしました。大長老どのと並んで座って、パチパチパチと大拍手していたいのですが、僕の場合は批判をいただいた当事者でもありますので、そうばかりはしていれません。なるべく手短にとも思いますが、成り行きにまかせ、以下反論めいたことも含めてレスしたく思います。
まず、今回の件について、僕のことは後述させていただくとして、「ヤノベケンジ氏はこのように考えていたのでは」という想像ではなく、僕はこう感じている、というかたちで彼への弁明ともいえる反論を試みたく思います。
僕は昨夏、吹田のシンポジウムでヤノベ氏とはじめてお会いし(それ限りですが)、たいへん真面目な人だなあ、と好感をいだきました。その好感を、現在も後退させてはいません。
彼の文章は確かに正確ではありませんが、美術家は基本的には言葉の人ではないので、言葉は不適切であっても、評価は美術家としての本筋である、その作品をもって行いたい、という基本姿勢を僕は持っています。
ご指摘の企画趣旨についてですが、あのBBSは、内輪のシークレットということではじめたようなので、その前提が略されているだけだと僕は認識しています。
つまり企画趣旨の一行目に「太陽の塔乗っ取り計画」と書いていますが、既にどこかで提示されているその計画が前提としてある(僕はその計画の趣旨を吹田で聞いています。が、一字一句正確には記憶していませんので、不正確な記述をここに書くことは控えます。僕のそのとき感じたことを、僕の認識を誤解するだろうことを前提に大雑把にいえば、“乗っ取り”とは、太陽の塔で“遊ぶ”ということです)、と僕は思っています。
次に、アトムはさて置き、縄文、ゴジラ、太陽の塔を結びつけるもの(ことがら)は、松永氏が求めているような論理ではなく、極めて主観的な軸によるものと僕は感じています。
縄文、ゴジラ、太陽の塔を結びつけるとすれば、これらは岡本太郎のいう「べらぼー」なものであり(縄文とゴジラを岡本太郎は「べらぼー」と言ったかどうかは、全く定かではありませんが)、そのような結びつきだろうと僕は感じていました。
また、岡本太郎のいう「べらぼー」なもの、とは、伊福部昭がいうところの日本人固有の美観としての「拉鬼体(らっきてい:鬼拉体ともいう)」にも通じると僕は感じています。拉鬼とは「鬼をも拉(ひし)ぐ」の意ですが、これは藤原定家の「和歌十体(わかじゅってい)」(定家は、和歌を10のタイプに分類して、優れた和歌の成立法を研究。日本人による日本最古の国文学書といわれていますが、ネイティブ日本を探求する芸術論なのではと、僕はかねてから考えております)のなかの一体(いってい)です。
「和歌十体」についての詳しい解説は、国文学のかたに投稿していただくとして(あるいは興味があればご自身で調べていただくとして)、伊福部昭が20数年前に札幌市民会館大ホールで行った講演(伊福部昭の札幌での講演は戦後ではこの一回だけ:1000人近く入るホールなのに聴衆は100人程度という、思い出すと札幌の恥、札幌の大バカヤロー!なのであります)で語ったことを当時最前列で聞いて、心の奥深く刷り込まれた僕の記憶を紐解きながら、「拉鬼体」について述べてみたいと思います。
ファンには幻のともいえる、この伊福部昭自身によるの講演によれば、日本文化の特質は「幽玄」(定家の「和歌十体」のなかのひとつに「幽玄体」がある)だと思われているが、それは大きな間違い。「渋い」とか「わび・さび」などという心境なんて誰でも簡単に到達できるシロモノだし、「幽玄」に似た文化や心境は日本以外の国にもある。「拉鬼」の世界とは、例えば「鯉のぼり」の世界だ。大きな魚が大空を大海にみたてて泳がせる、という美観は日本人しかもっていなかった。また、一茶の「古池や蛙飛び込む水の音」を「幽玄体」で解釈すれば「静中動あり」という程度のことしか意味されないが、この句を「拉鬼体」として解釈すれば、「あの小さな蛙さえ、勇気を持って混沌とした大海(池は蛙にとっては海ほど広い)に飛び込む(のに、それにひきかえ私は、、、)」という小さな命にも大きな意思があるを詠ったことになる。云々。
この話に当時僕はすっかり感動してしまい、定家の「和歌十体」を調べてみましたが、定家も「拉鬼体こそ最も到達し難い境地である」と述べていました。
ここで伊福部が語った「拉鬼体」は、岡本太郎にいわせれば、「べらぼー」なもの、と極めて近い意味だといえますしし、岡本太郎も伊福部と同じように「幽玄」についての懐疑を語ってもいます(どの著作だったかな??僕が鳥海さんみたいに優秀だったら、すぐに出典名と正確な記述を、頭の抽出から引用できるのですが、、、)。
さて、ここから僕自身についての弁明に入りたいと思います。弁明といっても僕は言い訳をしようとしているつもりではないことだけは、どうか理解してやってください。
まず、松永くん、否、松永氏の指摘-----
>>>>たとえば勇崎さんは、ヤノベさんのいう「私達の世代の持つ独特な」の部分をとばして読んでいるようだ。勇崎さんは、自分が考えていたのと同じ名前の企画と出会って、そこに自分の見たかったものをうっかり発見しているだけではないだろうか。(自分の嗅覚はもっと大事にしたほうがいいと思う。)<<<
ごもっともでございます。
僕のような年齢になると、こんなふうに(厳しくかつ心温かく見守りように)叱ってくれる人がだんだんいなくなります。松永氏は、まもなく溺れる人であろう僕に、救助の浮き輪を投げてくれた。あるいはJR中央線のとある駅のホームで線路方向に転びそうになっている初老の僕を抱きかかえてくれようとした勇気ある青年・松永氏には感謝、感謝、感謝であります。これからもこの厳しくも優しいスタンスでよろしくネ。
さて、それが「自分の見たかったもの」だったのか? といえば、そこは昭和の気骨(え?)、そんなことでもなかったとは内心思ってもいます。
手抜きをして、まず鳥海さんちに僕が以前投稿したものをコピーしてみます。(鳥海さんちに過去ログコピーしにいったら、ちょっと道草くっちゃて、1件新規投稿してきちゃいました)
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「太陽の塔VSゴジラ」のラインに繋げるとしたら 投稿者:勇崎哲史 投稿日: 2月 6日(水)01時32分30秒
(前略)
4月頃を目処に、「サイバーフォーラム・ゴジラ対太陽の塔」という、僕主宰のBBSを立ち上げる計画でいたのですが、鳥海さんから、同じネームのBBSを既にヤノベケンジさんが立ち上げている、と教えていただきました。
僕の考えていたのは、ゴジラのテーマを作曲した「伊福部昭」と太陽の塔をつくった「岡本太郎」。日本の両端にある「北方少数民族(伊福部的テーマ)」と「沖縄(太郎的テーマ)」。この4つの言葉をキーとしたBBSでした。
コンセプトとしては、言葉と表出のされかたは異にしながらも、伊福部昭と岡本太郎の思想?には極めて共通性があり、異質性も含めて、また、二人をクロスさせながらも、北方少数民族と沖縄を対極として持ち込むことでフォーラムとしての奥行きをもたらしたい。そういったことを語り合うことで、本来の日本人、というものを探求していきたいと考えていました。ちょっとディープ過ぎて、投稿は少ないだろうことは予測しての開設ですが、昨年5月にネーミングしてたのですが、仕事やらなにやらに追われて、多少暇になる冬から初春にかけて具体化することにしていました。
ヤノベさんちを訪問してみましたが、モティーフの立て方は多少違いながらも、究極の目的は全くと言っていいほど同じで、とてもうれしくなりました。
(後略)
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ここでの僕の過ちは、モティーフは全く違うなあ、と思いながら「多少違う」程度と、ごまかしたことです。僕は「ゴジラ対太陽の塔」とネーミングしながらも、モティーフはあくまでも「伊福部昭」と「岡本太郎」という人間であって、「ゴジラ」や「太陽の塔」ではない。
僕が自分をごまかした、その自分はどこからくるのか。
それは、入口が違っても出口が共通であれば、入口には拘らない、という前提の人生を僕が過ごしているからでしょう。前提とは、僕自身の「運動論」〜「運動は不純なほど活性化する」という原理観?を僕が持っているということです。60年代〜70年代を経て得た感慨は、「運動家は自らの運動を純化したがり、純化すればするほど運動は先細りになる」という達観?でありました。だから、運動は不純なほど活性化する。
問題は出口(到達点)であり、入口(動機:モティーフ)は多様なほどよい。(みなさん既にお気づきのように、別に寮系&鳥海系のBBSのことを言っているわけではありませんが)
太陽の塔は岡本太郎によるものですが、伊福部昭がゴジラ自体を創ったわけではありません。しかし、その音響的な設計〜例えば:テーマ曲等ばかりではなく、ゴジラの鳴き声をコントラバスよりも低音域のコントラファゴットの弦を縦に振動させてつくった(弦楽器の一般的な奏法では弦を横に振動させて音を出す)など〜を行い、鑑賞者にとってはゴジラを音響的にアイデンティファイさせる重要な役割を担っています。
映画館をでて、シーンを思い出すと、ドシラ、ドシラ、と4拍子と5拍子が交互に交わされる、あの独特の(というよりは日本人固有の)リズムが身体に記憶されていて、無意識にドシラ、ドシラ、という歩調で歩いている自分に気づくのは、僕だけではないでしょう。
それでは、なぜヤノベ氏と出口は共通していると思ったのか。
それは、僕が伊福部昭と岡本太郎に感動しまくっている理由?その決定的動機こそ、まずお話ししなければなりません。
100年以上前の「文明開化」とは、「日本人が日本人であることを一旦止め、西洋人になる道を歩むことを選択したこと」と僕は勝手に定義づけています。(注:子供の頃、学校で文明開化は100年前、とならったので、この歳になっても文明開化といえば100年前、と思っている愚かな僕)
そして「日本人は、そのまま行きっ放しで、日本人に帰ることを忘れてしまった」。
本来の日本人(つまり日本人としてのネイティブ)とは、なんだったのか。
その探求の対象として、2年前までの僕には伊福部昭しかいなかった。
2年前、たまたま写真集「岡本太郎の沖縄」を手にし、大きな衝撃を受け、岡本太郎の本を読みまくり、伊福部昭と岡本太郎の共通性をあまりにも強く感じすぎて、感動しまくりました。(もちろんたくさん違うところもあります。)
岡本太郎、伊福部昭という二人に、僕は本来の日本人モデルとは、こういうことではないか、を強烈に感じるのです。
この二人のことを探求すると、僕が知りたいと思っている(というよりは、僕自身がそうなりたいと思っている)本来の(ネイティブな)日本人の姿の理解に到達することができるのではないか。
岡本太郎と伊福部昭は、美術家と音楽家という美にかかわる生き方を選んでおられます。したがって、それは当然、日本人固有の美観を探求することにもなる思う。(美意識というよりは美観、とした方が正確なように感じます。ヤノベ氏は言葉の人ではないので、彼の言う美意識とは美観のことだと僕は受け止めています。)
そのようなことから、「本来の(ネイティブな)日本人の姿の理解に到達すること」という僕の求める目的と「時代を超えた日本人の中に流れる美意識の遺伝子を発見する壮大な計画」というヤノベ氏の出口には大筋において共通点を認めたわけです。
(勇崎哲史氏の依頼により部分削除)
松永氏へのこれ以上のレスは、
この投稿でさらに言葉を連ねることではなく、
ここから先は、
実行あるのみ!
でしょう!
(やはり、長いレスになってしまい、これ以上推敲しようとすると、寮さんちに泊まりがけ、にもなりかねないので、この辺で投降(投稿)します。いたらぬ点、ミスタイプなどありましたら、よろしく。
おやすみなさい)