ハルモニア Cafe Lunatique (No.0000)

寮美千子の掲示板

リンク
掲示板のご案内Cafe宣言  ⇒最新の記事  ⇒このログの目次スレッド別  ⇒次のログ  ⇒検索 

寮美千子  在米日本人による ワシントン・ポスト紙への全面意見広告 2001年10月06日(土)01時12分54秒 http://ryomichico.net

▼America, we are with you.
そう書かれた全面広告がアメリカのワシントン・ポスト紙に掲載されたのは9月26日のことだった。
朝日新聞は、それをこのように伝えている。(一部引用)

【米国同時多発テロ 】
>「在米日本人が新聞広告で米国民に追悼と連帯のメッセージ」

>同時多発テロの衝撃と苦闘する米国民に対して、
>米国在住の日本人がお見舞いと連帯のメッセージを送る、大型新聞広告が26日、
>ワシントン・ポスト紙に掲載された。
>「事件当初の日本政府の反応の鈍さや、ひとごととして受け止めがちな、
>日本の空気に対するもどかしさの表れ」(呼びかけ人)だという。

http://www.asahi.com/national/ny/others/K2001092700028.html


アメリカの大新聞に意見広告を出すといえば、きくちゆみ氏が代表をしている「グローバル・ピース・キャンペーン」が、ニューヨーク・タイムズ紙に米海兵隊の退役軍人の反戦を訴える手紙を掲載しようというプロジェクトが進行中。9月18日に早くもサイトを立ち上げて募金開始、10月5日現在、すでに1900万円余りを集め、広告掲載に必要な目標額の1250万円をはるかに突破している。広告掲載は10月9日のジョン・レノンの誕生日の予定。11万ドルが、すでにニューヨークタイムスの広告を扱う代理店に振り込まれたとのことだ。わたしは、実はこの募金活動には、いろいろな意味で疑問もあるのだが、ともかくも、すばやい対応と実行力には舌を巻く。

グローバル・ピース・キャンペーンhttp://www.peace2001.org/


きくちゆみという知人がそのような活動をしていることもあって、ワシントン・ポスト紙には、どんな広告が掲載され、費用はどれくらいかかったのか、気になって調べてみた。まとめ役は、日商岩井のワシントン支店長ということで、ワシントン日本商工会へメールで問い合わせてみたところ、すぐに返事が戻ってきた。

通常7〜8万ドルの広告掲載料が、チャリティーということで、2万ドルに。文面、レイアウトも自前で行ったため、250万円ほどですべての経費が賄われたとのことだ。

ニューヨークタイムスがいくら高いとはいえ、1250万円はやはり高すぎるのではないか? グローバル・ピース・キャンペーンはアメリカの広告代理店にボラれているのではないか? などと心配な気持ちにもなるが、それはさておき、ワシントン・ポストの意見広告の内容である。

▼広告掲載文(全文/530名の有志の名前は省略)
America,
we are with you
in our dedication to democracy,
freedom, and human dignity.

Many of those who perished from the heartless acts of terrorists on
September 11, 2001, were our American friends;
some were our fellow Japanese.

We are deeply saddened and angered. We regard the cowardly acts of
the terrorists as personal attacks on what we ourselves cherish dearly:
democracy, freedom, peace, and human dignity.

The suddenness of September 11 reminded many Americans of Pearl Harbor.
We have lived with the memory of that Sunday morning for 60 long years.
Today we feel a deepening unity and solidarity with America ----
we share your pain, sorrow, and anger.

We join in helping the families of victims and urge our community
to volunteer in various ways.

We are all with you.

(ここに賛同者の個人名 530人)

JAPANESE RESIDENTS, FORMER RESIDENTS, AND FRIENDS OF THE U.S.A.
WP926 JAPAN P.O. Box 65324 Washington, D.C. 20035 202-746-451


朝日新聞ではわからなかったが、これはワシントン在住の日本人がアメリカ人から白い目で見られないために「わたしたちはアメリカの味方です! いっしょに頑張ります!」と表明する必死の声に他ならなかったのだ。さらに、この広告に関わった、もと溜池にあった某商社の「かんべえ」さんが、この意見広告に関する経緯や反響を、そのHPに掲載している。

かんべえさんのサイト「溜池通信」
「かんべえの不規則発言」(9月27日、28日分に言及あり)
http://member.nifty.ne.jp/kanbei/diary/sep01.htm

ワシントン・ポスト紙に掲載された意見広告(PDFファイル)
http://member.nifty.ne.jp/kanbei/diary/wpad.pdf


かんべえ氏の日記には、こんな一節があった。

>掲載は小泉首相がブッシュ首相を訪問して自衛隊による米軍の後方支援などを約束した翌日で、
>タイミングもよく、パールハーバーを攻撃したかつての敵国日本が
>今や米国と価値観を共有するもっとも信頼できる同盟国になったことを
>アメリカ人に改めて認識させることのできる全面広告であり、
>パブリック・リレイションズであったと思います。

朝日新聞が報道していた「追悼と連帯のメッセージ」の「連帯」とは、このような意味だったのかと、改めて知った次第だ。こんな記述もあった。

>とはいうものの、であります。
>こういう意見広告にお金を出そうとか、まったく同感だ、という日本人は、
>おそらくかなりの少数派なのだろうと思う。
>毎日、溜池通信にアクセスするような人はともかく、
>電車の中で夕刊紙読んでるようなおじさんとか、
>保育園に子供を迎えに来ているようなおかあさんを捕まえて、
>「日本は対米協力すべきでしょうか?」と聞いたら、
>きっと拍子抜けするような返事がかえって来るのでしょうな。

夕刊紙を読んでいるおじさんは、そういうメディアを選んで読んでいるのだから、バカにされても仕方ないかとも思うが、それと、保育園に我が子を迎えにいくおかあさんを同列に並べて、ひとからげに「よく考えていない人々」扱いしているのは、ひどいなあと思う。が、それはこの際、語らないことにしよう。


要するに、この全面広告を見てわたしが知ったのは「企業戦士」としてアメリカという前線で戦う「エリート」たちとその家族の意識だ。我々が、前線で頑張っている。偏見にもめげずにアメリカ人と同等の立場を築いたのに「反戦」だの「報復不支持」などいってほしくない。そんなことをいったら、せっかく築いてきた我々の地位と信用をなくしてしまう。我々「企業戦士」というエリートたちが、命を削って日本を守り、繁栄させているのに! という悲痛なまでの叫びに似た声だった。

そして、その裏に「我々の恩恵にあずかって豊かな国となった日本でぬくぬくと暮らしている人々に、反戦だの報復不支持などといってほしくない」という正直な声だった。そして、その人々が諸手をあげて「よかった。そうして欲しかったんだ!」というアメリカへの追随の態度を見せたのが、小泉首相だったということだ。


そうか。世界はそうなっているんだと、ワシントン・ポスト紙の一件で、しみじみ肌で感じた。先頭を切って日本の経済活動を担っているエリート企業戦士(まさしく戦士だ)たちの、それが偽らざる本音だろう。そして、かんべえ氏はいう。

>ちょっと意地悪な想像ですが、昨日のような意見広告を、
>ニューヨーク在住の日本人がNew York Timesに掲載することは可能か、
>ということを考えてみました。たぶん難しいでしょうね。

>問題は意見の集約ができるかどうか。
>なにしろNY在住の日本人というと、坂本龍一さんのように「報復行動に反対」という人も
>いるわけなので、America, we are with you.というところでまとまらないだろう。

芸術家である坂本龍一氏は、芸術家であるがゆえに、経済戦争のただなかで戦う必要がない。アメリカの顔色をうかがい、ひたすら経済活性化へ向けて走る必要がない。経済と政治に関わる人々ばかりが住むワシントンと、雑多な職種の人々が住むニューヨークとでは、おなじ在米日本人でも意識が違う。そういうことのようにも見えた。


実際に経済を動かしていくのは「ワシントン日本商工会」のような人々だ。芸術家ではない。経済人の意識が変わっていかなければ、つまりは「中景」の言葉を持つ人々の意識が変わっていかなければ、実際世界を動かしていくことはむずかしいのだと、ワシントン・ポスト紙関連の記事を読んでつくづく感じた。


坂本龍一氏は、朝日新聞に寄稿した文章をこう結んでいる。

>事件から最初の3日間、どこからも歌が聞こえてこなかった。
>唯一聞こえてきたのはワシントンで議員たちが合唱した「ゴッド・ブレス・アメリカ」だけだった。
>そして生存の可能性が少なくなった72時間を過ぎたころ、街に歌が聞こえ出した。
>ダウンタウンのユニオンスクエアで若者たちが「イエスタデイ」を歌っているのを聞いて、
>なぜかほんの少し心が緩んだ。しかし、ぼくの中で大きな葛藤(かっとう)が渦巻いていた。
>歌は諦(あきら)めとともにやってきたからだ。その経過をぼくは注視していた。
>断じて音楽は人を「癒(いや)す」ためだけにあるなどと思わない。
>同時に、傷ついた者を前にして、音楽は何もできないのかという疑問がぼくを苦しめる。

わたしも、創作を生業とする者として、何ができるのだろうかと、胸に問い続けている。

http://www.asahi.com/national/ny/news/010922sakamoto.html
http://www.sitesakamoto.com/WTC911/20010922-j.html

松永洋介  お詫びとお願い:ネットスケープ4で投稿できない不具合 2001年10月06日(土)00時54分04秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/

掲示板の設計はわかりやすく使いやすく、と考えてつくったつもりだったのですが、思わぬ失敗がありました。
ネットスケープの4.x(4.5とか4.7とか)では、投稿の際に入力フォームが崩れてしまい、最悪「本文」の入力欄が表示されない、というものです(マック版、ウィンドウズ版とも)。
ネットスケープ4.xをご利用のかたにはご迷惑をおかけしました。投稿を断念なさったかたもいらっしゃるかと思います。

原因は不明です。というか、ネットスケープ4.xのスタイルシート部分のバグ(プログラム・ミス)のせいなのですが、どうしたら回避できるか、試行錯誤しています。
とりあえずの対策としては、ネットスケープ4.xをご利用のかたで、投稿なさたい場合には、
1.スタイルシートを無効にする(メニューの[編集]→[設定]→[詳細]で「スタイルシートを有効にする」のチェックをはずす)
2.投稿には他のブラウザを使う(ネットスケープ6やインターネット・エクスプローラでは問題ないようなので)
……という2つの方法があります。消極的かつ利用者の負担となる方法ではありますが、不具合は近いうちに直しますので、しばらくの間よろしくお願いいたします。

勇崎哲史  エコノミーからエコロジーへ 2001年10月06日(土)00時45分01秒 http://www.zpi.ne.jp/

この掲示板は、新たな書き込みによって、何十件か前の過去ログを自動的に押し出して消滅させることがないようなので、まるで下痢のよう、といわれるそしりを知りながらも、3連続投稿します。
寮さんがおっしゃられる、企業がとりこむエコ(エコロジー)は、僕にはいまだにエコ(エコノミー:経済)のシステムのなかに組み込まれているように思います。赤ずきんちゃんはダマされないように注意深く、あらねばなりません。しかし、それは次のシステムへの過渡的な現象、胎動であると僕も感じています。
ところで、もう来年で20年になってしまいますが、僕はかつて「HELP!NETWORK」という“運動(ムーブメント)のようなもの”を興しました。当時、エコロジーとコニュニケーションを結びつけるムーブメントといっていました。そして、巨大化する「地球サイズ」なメディアと、それと遙かにかけ離れてしまった「人間サイズ」なメディアの谷間を結びつけるメディアとしての「ともだちサイズ」を提唱し、多様な価値観(=文化)を喜び合えること、それをHELP!NETWORKが担いたいと伝えました。当時、僕は挫折しましたが、鳥海さんや寮さんのBBSには、僕が求めていた「地球サイズ」と「人間サイズ」を結びつける「ともだちサイズ」なメディア・センスを感じます。
これからも、なかよししてね。

勇崎哲史  人間を幸せにする次のシステムを求めて 2001年10月06日(土)00時02分17秒 http://www.zpi.ne.jp/

またまた、寮さんへ
寮さんの投稿に触発され、書き込んでいる間に、次の投稿をされていました。これまた共感。
「宗教」にこそ人間の幸せをつくるシステムがあると思われた時代が長くありました。そして次に「政治」が人間を幸せにすると考えられた時代もありました。18世紀の産業革命以降は、「経済」こそが人間を幸せにするとの方向を、描き続けています。しかし、どのシステムも人間を決して幸せにはしなかった。次のシステムは、本当のシステムはなにか、を僕たちは模索し、提示しなければならない。子供たちの子供たちの子供たちの幸せに結ばれてゆくために。その想いと行動、考えつづけてみたいと思います。

勇崎哲史  旗は平和憲法のもとにある 2001年10月05日(金)23時33分06秒 http://www.zpi.ne.jp/

寮さんへ
素晴らしい論考と示唆、ありがとう。
このまま新聞などのメディアに掲載できたらいいのに、と歯ぎしりしています。
寮さんが以前、憲法第九条、そしてひきつづき前文を堂々と投稿された、その態度にすっかり惚れていました。
僕の自己紹介のところで、書き忘れてしまったのですが、僕が食べるための生業はプランナー、企画計画立案者、という仕事です(90年代に入ってからは写真のキュレーター的な仕事が多くなりましたが)。プランにはコンセプト(本来、妊娠、懐妊するの意ではありますが、ここでは理念)が必要で、プランの確かさ、その永続性はコンセプトのレベル如何、といえます。
国家の理念(コンセプト)を問われれば、それは憲法にしるされているのであり、つまりは、憲法こそ国家理念をしるしたものです。プランナーとして常々感じていることは、なぜ政治家たちは、憲法をコンセプトとして国家のヴィジョンを描かないのだろう、という疑問です。日本の野党がよくないのは、コンセプトという概念に立たず、いまだに対立概念としての主義主張(イデオロギー)のレベルに憲法の条文を置いていることです。
Show the flagを寮さんのご指摘の意でとらえるなら、他国に準じ、派兵的な方向へ陥るのではなく、世界にひとつしかない平和憲法のもとに立ち返り、他国にはできない解決への方向性をShow the flagすることが僕たち日本人の道なのだと思います。
さて、平和憲法のもとにある僕たちだからでき、世界の人たちから受け容れられるShow the flagとその行動、考えつづけてみたいと思います。

浜野 智  いろいろな意見 2001年10月05日(金)23時20分13秒

ここでは、はじめましてですね。
青空文庫読書新聞「ちへいせん」編集人の浜野です。

サイードやソンタグのものも含まれていますが、下記に今回のテロに関する意見がいくつも掲載されています。
いま一番必要なのは、自分自身で考えることでしょう。そうして、感情に押し流されることなく意見を交わし合い、互いに考えを深めていくことでしょう。そのための手がかりになる意見がここにあるはずです。

http://www.ne.jp/asahi/suigyu/suigyu21/tayorie.html

寮美千子  「報復しないのが真の勇気/坂本龍一」を読んで思うこと 2001年10月05日(金)23時09分03秒 http://ryomichico.net


ニューヨーク在住の坂本龍一氏が「報復しないのが真の勇気」という一文を朝日新聞に寄稿している。(一部引用)

>もし日本の首相が憲法に基づいて戦争反対を表明し、
>平和的解決のための何らかの仲介的役割を引き受ければ、
>世界に対して大きなメッセージを発し、日本の存在を大きく示すことができたはずだ。
>その絶好の機会を逸してしまったが、まだ遅くはない。
>これは日本のためだけではなく、21世紀の国際社会への大きな貢献となるはずだ。


日本は世界で唯一の被爆国だ。逆に言えば、アメリカは世界で唯一、戦争で原爆を使った国だ。そのアメリカと、被爆国である日本は、いまや友好状態にある。

今回のテロに対して「自爆死するような狂信者たちとは、話しあう余地がない」という声がある。しかし、この日本もまた、天皇を奉って「神風」として自爆死する精神を有していた国だ。「自爆死=話し合いの余地のない狂った人々」という図式が成り立たないことを、身をもって示してきたのが日本だったのではないだろうか? そんな日本だからこそ、あげられる声があったはずではないだろうか?

アメリカのしたがっている「報復」のほんとうの目的は別のところにあり、「報復」したい国民感情を都合のいい「言い訳」に使っているという見方がある。軍需産業、石油産業を活性化させることが、終局の目的。どちらが勝とうが負けようが、結局のところ軍需・石油産業が儲かるという仕掛けだ。「テロ」も「報復」も、そのためのダシにされているのではないか? ビンラディン氏は、実はアメリカとつながっているのではないか? という風評さえある。

(参考資料)アメリカを助けるオサマ・ビンラディン>田中宇
http://tanakanews.com/b0927egypt.htm


「経済」がすべてを決めるような世界。NATO諸国も日本も、アメリカの報復に追随するばかりで、正面切って異を唱えることはない。もちろん、それも恐らくは「経済力」のなせる技だろう。「経済」は、人間をしあわせにするためにあるシステムではなくなろうとしている。人間を奴隷にして、かしずかせる怪物になろうとしている。このような強固な原理に対して、人間は、どんなふうに立ち向かえるのだろう?


いままでの「経済」の言うなりになって、この道をまっしぐらに進むことが、人間にとってしあわせなこととは、わたしにはどうしても思えないのだ。限りない経済成長など、ありえない。地球は有限なのだから。経済優先政策のために、京都議定書をけっ飛ばしたアメリカ。その先に待っているのは、汚染された地球だ。自分だけ助かろうとして、結局「宇宙船地球号」という名の船を、丸ごと沈ませてしまうようなものだ。


「エコ」であることが、企業の売りになったことなど、バブル期にはなかった。けれども、子どものアトピーやアレルギーに悩む若い母親たちが激増するいま、多くの人の目が「エコ」に向いている。そして、企業は「エコ」であることを宣伝に使うことさえ可能になった。いや、一歩進んで「反エコ」では企業が人々にそっぽを向かれるようになってきた。これは「世論」か勝ち得てきたものだ。


怒濤のごとく流れていく「経済原理」による社会。しかし、その流れを変えることは不可能ではないかもしれない、とわたしは思う。実際に「エコ」が社会の共通概念となってきたように「非暴力」の思想が、結局はわたしたちすべてを救う道なのだという認識が高まれば「世界の世論」がアメリカを許さなくなる日がくるかもしれない。


そして、世論を動かす口火を切れる、もっとも優位な?立場にいるのが「被爆国」ではあるが「報復をしなかった」日本、「神風特攻隊がいた」けれども「話のわかる」日本であると、わたしは思う。

寮美千子  Show the flag! の旗は何の旗? 2001年10月05日(金)22時25分36秒 http://ryomichico.net

▼「日の丸を見せてほしい」

「Show the flag!」 アメリカもずいぶんな言い方をするものだと、その時、思った。9月18日、アーミテージ米国務副長官が柳井俊二駐米大使と会談をしたというニュースが流れたときのことだ。その日の毎日新聞の記事には、こうに書かれている。(一部抜粋)

>アーミテージ米国務副長官が柳井俊二駐米大使を通じて日本政府に自衛隊による
>後方支援の検討を打診していたことが17日、分かった。
>米関係筋によると、副長官は15日、
>「ショー・ザ・フラッグ(日本の旗を見せてほしい)」と柳井氏に伝え、
>日本政府に米軍支援の検討を打診した。>毎日新聞

テレビも一斉にこれを報道「日の丸を見せてほしい」という言葉が、巷に氾濫した。

▼Show the flag! は英語の慣用句

ところが、きょうになってこんな記事が朝日新聞に載った。

「『旗』は自衛隊派遣ではなかった」 米駐日大使が講演(一部引用)

>「『ショー・ザ・フラッグ(旗を見せろ)』と言った時、
>自衛隊の派遣までは考えていなかったと思う」。
>米国のベーカー駐日大使は5日、東京都内の日本記者クラブで講演し、
>テロ対策特別措置法案のとりまとめに影響を与えたとされる
>米国務省高官の発言について釈明した。

>大使はこの言葉について、「古い英語の表現」としたうえで、
>「『旗色を鮮明にしろ』『立場を表明しろ』という意味だ」と解説。
>「米国は日本が何をすべきか指示はしない。日本自身が決めてほしい。
>米国は日本が意味のある結論を出してくれることを信じている」と述べ、
>日本の支援策は自主的な判断によるものだとの見方を強調した。>朝日新聞

▼Show the flag =主張を鮮明にする

さっそく家にある辞書を引いてみた。>研究社リーダーズ英和辞典

Show the flag
1 外国の港(など)を公式訪問する。
2 (武力・実力を背景に)要求をつきつける。
3 主張を鮮明にする。

この辞書的用法から見ると「外国の港を公式訪問しろ」といっているのではないし、「日本も武力を背景に要求をつきつけなさい」といっているわけでもない。やはり慣用句的に「主張を明らかにしてほしい」という意味と受け取るのが妥当だと思われる。

▼誤訳か、意図的誤謬か?

アメリカは、もちろん報復支持をしてほしいと思っただろうけれど、なにも「日の丸を見せろ」とえげつないことをいったわけではないらしい。しかし、日本のマスコミはこれを一斉に「日の丸を見せてほしい」と訳し、報道。これは、単に誤訳という問題ではないのではないか。「日の丸を見せてほしい」という刺激的な誤訳を採用したということに、恣意的なものがあったのではないだろうか。

わたしは、正直英語が苦手だから、この辞書的用法を知らなかった。けれど、わたしの家にもある小さな辞書でさえ載っている用法だ。英語の得意な人々が気づかないはずはなかった思う。しかし、きょうのこの記事を見るまで 「Show the flag =日の丸を見せてほしい」 の誤訳を指摘する文章をweb上でも見たことがない。気づかなかったのだろうか? それとも、怒濤のような世間の流れに「やっぱりそういわれたんだろうなあ」という気分で、あえて指摘する気持ちもなくしていたのだろうか。

▼第二次世界大戦前と同じ状況?

昭和初期から第二次世界大戦までの「週刊朝日」「サンデー毎日」の記事を、ほとんどすべて、国会図書館のマイクロフィルムで閲覧したことがあった。そのときのマスコミ報道の偏り、でたらめさに、わたしはほんとうに驚いてしまった。けれども、もし、自分がその波のなかにいたら、それが「当然」のことなのだと思いこんでいたかもしれない。

いま、テレビでも新聞でも、報復支持を前提としての報道がなされているように思われてならない。アメリカへの協力をどこまでするか「自衛隊派遣は当然として」どこまでやるか。その前に、報復そのものに異議を唱える、そのことをもっと語らなければならないのではないだろうか。しかし、実際は違う。

Show the flag の意図的とも思われる誤訳も、そんな流れにのった報道だったように思えてならない。この流れを当然のこととして受けとめるのではなく「ほんとうに大切なこと」を芯にすえて、物事を見ていきたいと願っている。

マスコミと違う次元での情報が自由に流通するインターネットは、危うさを抱える反面、調べる気なら、かなりのところまで、個人で情報を得られる新しいメディアだ。戦前のような一色に塗りつぶされた情報に溺れてしまわないためにも、インターネットをどう使っていくか「普通の人々」が試行錯誤を重ねるべきときだと思う。

きつね  自己紹介!! 2001年10月05日(金)08時24分58秒

こんにちは!!
私は和光大学山のきつね(♀)です♪
カフェルナにも、和光の寮さんの授業にも出没します。(「物語の作法」の掲示板のほうに人間のほうがいます。)
「星兎」のうさぎの引力に吸い寄せられて寮さんに出会ったうちの一匹です。
「星の王子様」のキツネと同一人物だという説ありき。(>パルステラさん)
ここのメンバーの中ではおそらく一番の若輩者ですが、どうぞよろしく。
(こんなんでいいのかしら・・・)
あ、ちなみに、パルステラさんの絵のファンの一人でもあります!

>王子!!
おかえりなさい!!
元気そうで安心しました。
闘って、ひとまわり大きくなった(えらそうかな・・・)王子に会える日を楽しみに。
ちなみに多分、私はきつねです☆




  自己紹介 2001年10月04日(木)18時17分34秒

遅ればせながら、新規開設おめでとうございます。
寮さんとプルステラさんの近所組で友人のイラストレータ
兼銅版画家です。
取りあえず自己紹介という事で、文章音痴なので書き込み
はほとんどしないのですが、寮さんの掲示板を読むのは日課
になってしまいました。

●κ王子へ
お帰りなさい。
厳しい環境にさらされて、人格まで急変するのではと心配し
ていたのですが、さすがカフェルナの洗礼を受けているだけ
あり、闘っているのを知り嬉しいです。

松永洋介  「遊星たちの消息」リニューアル 2001年10月04日(木)16時19分31秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/

寮美千子ホームページHARMONIAのエンジニア役の松永です。
このたびの掲示板群の増強にあわせて、HARMONIAのコンテンツのひとつである
遊星たちの消息/気になる人のイベント&作品
をリニューアルし、
遊星たちの消息/イベント告知掲示板
としてスタートさせました。

従来、旧Cafe Lunatiqueで宣伝していただいたイベント情報については、(そのままだと流れて消えちゃうので)こちらで「遊星たちの消息」に転載するという工程があったのですが、今後は直接「遊星たちの消息」に書き込んでいただくことになります。

試しに[⇒投稿する]をクリックしてみてください。
現れる入力フォームにしたがって項目を埋めていけば、イベント情報のできあがり、というわけです。
投稿内容の確認⇔修正のプロセスは、[投稿する]のボタンを押さないかぎり何度でもやり直せますので、書き込んだものがどのように表示されるのか、いろいろ試してみてください。不要の欄は空白にしておけば無視します。

投稿された情報のタイトル部分には、その情報自身のURLが埋め込まれていますから、ネット上のどこからでも一発で参照できます。
(例:planets0000.html#planets20011003022759

「遊星たちの消息」に掲載されたら、Cafeで「遊星たちの消息にいついつの○○の情報を書きました」と、URLも入れて宣伝してください。
お手数かけますが、よろしくお願いいたします。

(以前あった日付順のインデックスは、当面なくなります。そのうち復活させたいところです。)

silica  おじゃまいたします。自己紹介です。 2001年10月04日(木)03時00分20秒

こんにちは。ハンドルネームsilica(シリカ)です。
主婦で、小学生の娘がひとりいます。 世代は、寮さんよりも数年下になります。
私は、「楽園の鳥」の読者として、そちらの掲示板から、おじゃまいたしました。
silicaは、英訳すると私の名前の読み、漢字が含まれていた言葉であったことと、
ミチカさんと同じ韻をふむので、「あ、これはいいかも・・・」と選んだハンドル
ネームでした。今となっては、気恥ずかしい思いをしています・・・。

寮さんの作品との出会いは、娘のために購入していた絵本雑誌「おひさま」からだと
思っています。寮さんの小説とのご縁は、今年になってからですが、とても
大きい出会いでした。

私は、若い頃、少しだけ音楽にかかわる職業についていました。それで、
寮さんが、ヤマハピアノ開発のテレビ番組を紹介してくださった時には、
僭越ながら一番のりで感想を投稿してしまいました。(カフェ・ルミエール始動の日)
寮さんがすぐにご自分のピアノのお話を聞かせてくださったことを
とても嬉しく思っています。

専門職を持たない私は、ここの場所は、とても敷居が高いですが、
どうぞこれからも、いろいろと耳学問をさせてください。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

寮美千子  いらっしゃいませ 2001年10月04日(木)02時15分48秒 http://ryomichico.net

φちゃんだのκ王子だの、謎のギリシャ文字の人々が集う新生カフェルナ。
まさにCafe Lunatique と呼ぶにふさわしい雰囲気になってきました。

▼κ王子
おかえりっ! いそがしそうだね。
街でκ王子の勤める大手衣料品店をみかけるたびに、
ああ、王子はどうしているかしら、
こんなキビシイ実業社会でやっていけるのかしらんと、気がかりでした。
元気な声を聴かせてくれてありがとう。うれしい。
とうとう博多の山笠ツアーはできなかったね。
2009年の日蝕は、ぜったいに行こう! Cafe Lunatiqueのみんなでね。

▼φ本さま
昨年秋の大阪のリーディングの時は、お世話になりました。
あのとき、松山店開店準備で四国にいたφ本さん、
わざわざ大阪に戻ってきて、手伝ってくれたんだよね。
自由が丘のリーディングのときも、大阪から駈けつけてくれて、感激でした。
φ本さんとこのHPにも、おすすめで大きな字で載せてくれてありがとう!
行くからね、四国は松山道後温泉。爪研いで、待っとけよ!?
久しぶりに会えるのが、楽しみ!

▼井上真樹さま
賢治ゆかりの種山ヶ原で出会った少女が、いまは短歌を詠む大学生!
あの時は、板谷英紀先生もいたよね。
実はあの時、NHKのBSの取材もあったのです。
種山ヶ原で夜明かしキャンプをした朝、森本雅樹氏にわたしが短いインタビューを。
その映像はNHKのBSの特番「ETを探せ! ここまでわかった地球外文明」で流されました。
その番組で、わたしは解説委員の高柳雄一さんのアシスタントみたいな役回りでした。
種山ヶ原ときいて、忘れていたそんなことも、ふと思いだしました。
また来てね。

▼一色真理さま
思えば四半世紀前、誰にも見せないでひとりで詩を書いていたわたしは、
草思社に中途採用で入社、タイムレコーダーに「一色真理」の名前を見て、
「すごい会社に入ったものだ!」とぶったまげたのでした。
一色さんは「ユリイカ」「現代詩手帖」でもたびたび見かけた詩人。
わたしにとっては雲の上の人でした。
庶務課長の宮本皓司氏に連れられて社内挨拶まわりをしたとき
「こちら一色真理さん」と紹介されて、またぶったまげた。
かっこいい硬派の女性詩人と思っていたら、男の人だったんだもの!
草思社時代は、畏れ多くて言葉も交わせなかったけれど、
いまはこんなふうに声をかけていただけるようになって、ほんとうに光栄です。
これからも、よろしくお願いします。
11月に開かれる「夢の解放区展」わたしも出品します。
いま、策を練っているところ。

▼パルステラさま
高名なイラストレーターにしてCafe Lunatiqueのビジュアル情報屋さんとして、
いつもWEBから面白い映像を教えてくださるパルステラさま。
大学の卒業制作がそのまま出版されちゃったというすごい経歴の持ち主。
年齢はわたしとさして変わらないけれど、出だしの遅かったわたしに比べ、
ずっと長いキャリアをお持ちです。
Cafe Lunatique には、パルステラさんのファンもいっぱい。
もちろんわたしもファンで、彼女の銅版画は、まるでイコンのように我が家に飾ってあるのです。
あれ、他己紹介になっちゃった?! ごめん。
作品目録はこちら。http://www.geocities.co.jp/AnimeComic/4062/azuma.html

▼勇崎哲史さま
▼作品目録/廃墟に撒いた水晶へ  http://www.age.ne.jp/x/toriumi/ryo/cont.htm  
をつくってくださった鳥海なおみさんのご紹介で出会った勇崎さん。
先日、さいまたのドキュメンタリー映画の会で見せていただいた「光の絵日記」はすばらしかった。
写真集「大神島」(平凡社)は、わたしにはちょっと堅苦しくて、
正直いって苦手だったけれど、「光の絵日記」にはすっかり陶酔してしまいました。
あの時もいったけれど、こっちが先に本になればよかったなあと、思ってしまった。
平凡社がきっと、権威っぽいの、好きだったんだろうなあ。
「光の絵日記」ぜひ本にしてください! 

▼目玉おやじさま
一昨年、北里大学病院に入院したときは、励ましに来てくれて、ほんとにうれしかった。
十二歳の少年少女だったころからの友だちと、こんなふうにつきあえるのが、
とってもうれしいわたしです。
初期不良のアイマック君には手こずったけれど、いまも動いてくれています。
これからも、よろしくね。

▼大長老さま
自己紹介がまだだけれど、いずれしてくれるでしょう、と思って待っています。
先にバラしちゃうと、大長老とは、作家馬渕公介氏のこと。
実はそんなに年でもないくせに「大長老」を気取って?! 「老人の門」なんていう
すごーい「ほのおかし」エッセイ書いています。
「ほのおかし」のはずが最近「激おかし」になりつつあるのは、なぜ?
恋でもしてる?!
行け! そのまま地球の裏まで! われらが大長老! かっちょいい!

馬渕公介氏のHPはこちら。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8863/index.html?

κ王子  自己紹介☆ 2001年10月04日(木)00時09分47秒

こんばんは☆
新しいCafeLuna開設おめでとうございます☆

本当にご無沙汰してたので(ごめんなさーい) 初めましてって
言わしてもらったほうがいいのかな?

  κ王子です☆  初めての人も多いよね。。。。

自分で王子とはいつも恐れ多いと思うんですけど、これは2年前に
寮さんから直々にトルコのκドキアで命名してもらったものなので
使用させてください。。
寮さんにはそのトルコ旅行以来良くしてもらってますが、初めて会ったのは
4年前(大学3年生のとき)。僕がお手伝いしてた玉川大学の天文台ででした。
佐治晴夫先生の下での出会いでした。
寮さんは覚えてなかったけど(笑)一応寮歴は4年です!!いつもいつも僕は
我侭だから一方的に寮さんをはじめとした皆様の文章にここCafeLunaで
慰めてもらったり励ましてもらったりしてるだけの甘えん坊でもあります。
   それについてもごめんなさい                         ☆

ほんと皆さんに連絡できなくて心苦しかっったんですけど、この9月から
東京に帰ってきて、今は久我山で一人暮らししてます。(池の上のそばですよー)
りょうさん、松永さん、流さん、親父さん(目玉)、ドロンコさん、ちえちゃん、
たきちゃん、うさぎちゃん、木下さん連絡できてなくてほんとごめんなさい。
言い訳したくないけど ほんと時間を作るのがまだまだ下手で…
今日も上に書いたように甘えて慰めてもらおうと思って久々に覗いてみたら
なんか大変なことになってて、寮さんの<美しくて強靭なもの>を読んだら
いてもたっても居られなくなってついに書き込みをしてしまいました。

                 ☆

僕は寮さんの言うコスモス持ててるか自信はないけど、少なくともまだまだ
社会の中に身を置くのが苦しい(時たま逃げたくもなるし)。でも絶対何か
変えたくて、ただそれだけを思って仕事をしてる感があります。変に自分を
変えることなく卑屈にならずに存在というか価値観を会社(社会)全体に認めさせる!
みたいな感じで戦ってた気がするけど、その戦いみたいな意識が強すぎて
自分の心奥底の声が聴こえにくくなってたんだろうな。結局それは
漠然と思い描いてたκ王子の『中距離を語る言葉』なんだって思います。
そう思えたらなんかまた少し頑張れそう。。。

相変わらず支離滅裂で意味不明だけど、要は社会に揉まれながらも何とか
やってますよって報告ですね(笑)。こんな感じでこれからもしばらくは中途半端にしか
書き込みできないかもしれないけど、ほんとにこれからもよろしくお願い致します。

今日はこの辺で…                            κ王子☆

PS:流さんの絵が飾ってある王子ワールドに是非遊びに来て下さい。
あと (株)夢の中の昼間の星 まで是非メールも!!

φ本  あらためまして自己紹介 2001年10月03日(水)23時05分09秒 http://homepage1.nifty.com/FAIMOTO/index.html

寮さん、みなさん、まいど(^_^)/ 松山のφ本です。
カフェ・ルナティーク、新装開店おめでとうございます&おつかれさまです。

寮さんのいちばん最初の書き込みにレスしようと思ったんですが、その前に自己紹介ですね。

愛媛県は松山市のヴィレッジ・ヴァンガード ラフォーレ松山店ちゅう本屋で働いてます。
7月までは大阪の同系列の支店で働いてました。
寮さんの本に出会ったのも、大阪にいたころです。
たぶん、まだ、前の勤め先にいたころ。
よく通ってた本屋で『ノスタルギガンテス』(パロル舎)をジャケ買いしたのがきっかけでした。

その後、自分がその本を売ることになろうとは。
しかも、著者自身にお会いすることになろうとは。
ここで、こんなふうに自己紹介することになろうとは。
考えてなかったなあ。

えーと、ちなみに、ハンドル名「φ本」は「ふぁいもと」と読みます。
たまに、φという字はどうやって入力したらいいのかと聞かれますが、
「ふぁい」で変換されるはず。
由来は、本名が「中本」だから。おお、自己紹介っぽい(笑)。

というわけで、今後ともよろしうに。



井上真樹  はじめておじゃまいたします。 2001年10月03日(水)19時12分53秒 http://www.geocities.co.jp/Bookend/2801/bog.html

開設おめでとうございます。
以前も数回お邪魔させていただきました。
井上真樹(いのうえまき)と申します。
現在、東京工科大学メディア学部3年生です。
寮さんの作品との出会いは本当に偶然で、
でもそれは運命的なものを感じさせてくれたものです。
1994年、種山が原の「すたぁうぉっちんぐ」に、
寮さんは森本雅樹さんとご一緒にいらしてましたよね。
私は父の仕事の関係で、初回から毎年参加しておりました。
その時、寮さんの「小惑星美術館」をクイズに答えてプレゼントしていただき、
「サインしてくださ〜い」などと、図々しいことを頼み、
写真なんかも一緒に撮っていただきました。はい。
東京に出て大学に通い、あれからずいぶん時間もたちましたが、
またも偶然というか運命的に寮さんのお名前に再会し、
こちらに伺いました。
加藤千恵ちゃんの処女短歌集「ハッピーアイスクリーム」で
寮さんのお名前を見て、
「あ、知ってる!!」と、急いで検索したのを忘れません。

今、メディアにおけるジェンダーの研究に取り組んでいます。
特に報道関連の問題にとても興味があり、
社会調査演習という講義があるので、
そこで今回は報道に関する調査をしていこうと思っています。
同時多発テロ、私も少なからず多くのことを考えさせられました。

☆☆☆☆☆
これからも皆様のお邪魔にならないよう、
こっそりと覗くことが多いとは思うのですが、
よろしかったらお見知りおきくださいませませ。
☆☆☆☆☆
井上真樹

一色真理  自己紹介 2001年10月03日(水)14時28分56秒 http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/

新生カフェ・ルナの誕生、おめでとうございます。改めて、自己紹介させていただ
きます。一色真理です。名前はかわいい女性のようでも(実名です)、50代なかば
の男性です。名前の読み方は適当でよいのですが、本人は「いっしき・まこと」を
通称としています(実名の読み方は違うのだけど省略)。よろしくお願いいたしま
す。

寮さんとは四半世紀前、草思社で同僚でした。年齢はかなり違うものの、二人とも
途中入社ですから、入社した年代は実はそれほど違っていません。当時も今も変わ
っていないのは、詩を書いていることと、草思社(厳密には現在は分社化したため、
草思社クリエイティブ)でヤマハの広告宣伝の担当をしていること。ヤマハピアノ
のPR誌「ピアノの本」(これも創刊四半世紀以上たった)の編集長をしています。
そして、電脳ワールドでは、寮さんもメンバーになっていただいているメーリング
リスト「夢の解放区」を主宰。これはその朝、見た夢をその日の内に書き込んで、
みんなで読み合い、感想を述べ合う……という、いわば共同夢日記みたいなもので
す。夢は想像力の源泉。仲間には、「千と千尋の神隠し」の主題歌の作詞で知られ
る覚和歌子さんをはじめ、作家・詩人・映像作家・音楽家・イラストレーター・舞
踏家など、アーティストの方から、主婦・学生まで、夢の愛好家が多数参加されて
います。夢日記をつけている、あるいはこれからつけてみようという方は、ぜひご
参加くださいね。あと、もう一つの仕事としては「詩と思想」という土曜美術社か
ら出ている詩の月刊商業誌の編集委員と、詩人をめざして勉強中の方々の「詩と思
想研究会」の講師を務めています。

それでは、また。

パルステラ  寮さんのピアノ 2001年10月03日(水)02時33分15秒

寮さんの、程よく時代を経た今のピアノ、オブジェ(?)に飾られていて、
私は今の「風情」がとても良いと思いますよ。

このような楽器は、その人と共に時を奏でてくれるもの。
寮さんの呼吸と暮らして来たと、ピアノが言っていたような気がします。

どうか、今のピアノと末永くおつき合いなさいませ。

左脳を主に使う仕事の人が、無心に右脳を使う喜びを知る事は、
大変に素晴らしい事ですね。
アインシュタインしかり、シュヴァイツァーしかり。

*いつか、ショパンを聴かせてね。
(ここには、軽すぎる話題でしたらすみません。)

大長老  まずは開設祝い 2001年10月03日(水)02時30分01秒 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8863/rojin/rojin_index.html

今回のテロの事件については
東京大空襲から生還した者の視点でながめてます。
とにかくまず自分がいきることだねえ。
バランスをとりつつ。

目玉おやじ  自己紹介を忘れてました 2001年10月03日(水)02時18分17秒

先程は挨拶をしただけで、全く自己紹介を記入してませんでした。ごめんなさい。

中学校の3年間、寮美千子さんと同じクラスで青春の第1段階を一緒に過ごした友人です。
(うちの附属中は、あの頃クラス換えが存在しませんでした)
そして、同じ高校に上がり、3年F組の時だけ同じクラスでした。
大学になって、全く音信が途絶え、久々にお手紙をもらったら「結婚しました」という
写真付きのパーティ招待状でした。まだ僕は大学生でしたからビックリでした。

その後、たまにクラス会でお会いするだけでしたが、1998年の暮れに、同じ会社から
Appleに転職した友人の関係で、寮さんにiMacを安く入手して、彼女のネット生活の
きっかけを築いた「影の応援者」でもあります。根っからのWin人間なので、セットアップ
には苦労しました。結局だめで、寮さんのご友人のMac教の信者の方にお願いしたような
気がします。

その後、カフェルナを中心とした「寮さんの人脈」関連でいろいろな方々とお友達に
なれたり、「ヘマトンマ事件」に関係したりと、何かと寮さんとお付き合いさせて頂き、
僕の人生のうちで、いくつもある局面の中の一つが、興味深いものとなっています。

ホームページはテスト中なので、いずれ紹介させて頂きます。じゃまた。

寮美千子  わたしのピアノ 2001年10月03日(水)02時04分27秒 http://ryomichico.net

小さい頃、家にはピアノがなかった。ピアノの形に似た、黒塗りの電気オルガンがあるだけだった。きっとそれは、若かった父と母が、無理をしてわたしに買ってくれた物だと思う。幼稚園から「カワイの音楽教室」に通っていたわたしは、そのオルガンで課題曲を練習した。練習しているより、勝手に旋律をつくり、勝手な和音をつけて弾くのが好きな子どもだった。そうしていると、三十分でも、一時間でも、飽きずに弾いていたのだ。

「カワイの音楽教室」を卒業すると、友だちはピアノの個人レッスンに通いだした。わたしも、親にせがんで通わせてもらったけれど、すぐに挫折を味わう。家では弾けた曲が、先生のピアノでは弾けない。オルガンに比べると鍵盤が重すぎて、指が思うように動かなかったのだ。結局、バイエルの百番ぐらいで、わたしはレッスンをやめてしまった。

紙の鍵盤で練習してレッスンに通うような子がいた時代だ。オルガンがあるだけでも、贅沢だったのだから、レッスンをやめたのは、本当はわたしの根性なしのせいだろう。

それでも、ピアノが好きだった。学校のピアノに触りたくてたまらなかった。けれども、学校のピアノは、ピアノのレッスンに通う子たちが独占していて、触らせてはもらえなかった。華麗な早弾きを競いあうその子たちを、わたしはうらやましげに見ているしかなかった。

だから、大人になったとき、わたしがいちばん欲しかったものはピアノだ。ピアノを買うためには、ピアノを置ける部屋が必要だったから、道は果てしなく遠く思えた。草思社でぽつりとそんな話をしたら、木村博江さんという大先輩がこういってくれた。
「それなら、貸しピアノ屋さんで練習すればいいじゃない」
ピアノを置けない音大生などのために、ピアノを時間いくらで貸してくれる場所があるという。小さな防音室がずらっと並んでいて、そこで練習するのだ。探してみると、それは以外とそばにあった。当時借りていたアパートのそばの、井の頭線の池の上の駅の裏手にあったのだ。

会社が早く引けた時には、わたしはそこで練習するようになった。バイエルなんか面倒だから、いきなり弾きたかったショパンに挑戦した。シューマンの「トロイメライ」や、ドビュッシーの「月の光」にも挑戦した。楽譜を見ながらでは、指が追いつかない。面倒なので、片端から暗譜することにした。驚いたことに、子どもの頃、あんなに苦手だった暗譜が、すらすらできるようになっている自分がいた。楽譜ではなく、音楽そのものを覚えるのだ。繰り返し弾いていると、考えないでも、指が動くようになった。いわゆる「右脳」の使い方を知ったのかもしれない。

25歳でがっしりしたマンションに移り住んだとき、少しお金に余裕ができたら、すぐにピアノを買おうと思った。新品には手が届かない。中古でもいい。そしてついに、わたしはわたしだけのピアノを手に入れた。とても古いピアノだった。調律をまめにしなければならず、かえってお金がかかるような代物だったけれど、わたしはその音色がとても気に入った。

そして、そのピアノはさらに古くなって、ここにある。コンピュータのキーボードを叩き飽きたとき、わたしはそのまま椅子をずらしてピアノの前に座る。

あれから、たいしてうまくなっていない。一時ほど熱心に練習もしないから、だんだんに忘れてゆく暗譜した曲を、ぱらぱらと弾くばかりだ。さして広くもない居間に、ピアノは場所塞ぎだけれど、わたしはやっぱりこのピアノが好きだ。いつか、余裕ができたら、新しいピアノを手に入れたいと思うけれど、それまで、このピアノとゆっくりとつきあいたい。

パルステラ  おじゃまします。どうぞよろしく。 2001年10月03日(水)01時41分04秒

こんばんは。
私は、前Cafe Lunatiqueへ時々顔を出しておりました、
絵描きで、寮さんとは「御近所さん」かつ友人のひとりです。

寮さんの、HPおよび掲示板での可能性について、大いに賛同致します。

満月の日、新生Cafe Lunatiqueのスタートを祝して
銀色の乾杯を致しましょう。

目玉おやじ  こちらには初めてお邪魔しております 2001年10月03日(水)01時36分36秒

ニュー掲示板、開店おめでとうございます。

どうも、旧カフェルナでは時々、気まぐれで登場していました「目玉(の)おやじ」こと
目玉おやじです。
今年の春に、生まれて初めて「昼間の星」をκ王子の天文台で見せて頂き、感激して、
目玉おやじの天文夜話なんかを投稿したのは良いんだけど、第2回がまだだという、
不届き物です。

よろしくね。

そう言えば、王子はどうしたのかな?元気にしている?もう関東地方に帰っている?

寮美千子 連続テロ事件/アメリカによる報復 を考えるための資料 2001年10月03日(水)00時58分52秒 http://ryomichico.net

▼連続テロに対する報復戦争の国際法的な正当性は成り立たない/加藤尚武

哲学者であり、鳥取環境大学学長の加藤尚武氏による小論文。
京都大学の加藤尚武氏のホームページに掲載されています。

加藤尚武氏略歴
http://www.nhk.or.jp/ningenkoza/200007/tue.html

小論文「連続テロに対する報復戦争の国際法的な正当性は成り立たない」
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/terrorism.html

▼鳥取環境大学学長としての加藤尚武氏の言葉

「合理的な努力をして長い道を進もう」は、すばらしい宣言文です。感動しました。これからの Cafe Lunatique は、加藤尚武先生のこの言葉を指標にがんばりたいと思っています。ぜひ、ご一読を!

http://www.kankyo-u.ac.jp/guide/president/index.html

(一部抜粋)
>どんな小さな目標でもひとつ達成すると、問題解決のコツが分かってくる。
>最初の小さな課題に取り組むときに、悪びれないで、素直に全力を傾けよう。

>人間の幸福はどこに成り立つのかという問いに、ギリシャの哲学者アリストテレスは
>「自分の持ち前の力量を発揮することに幸福がなりたつ」と答えている。
>「自分の持ち前の力量を発揮すること」をできるかぎり長続きさせることが、
>一番大きな幸福になると、アリスト テレスは教えている。

▼サイードとチョムスキーの発言/浜野智氏より

青空文庫を主催していらっしゃる浜野智氏より、下記のサイトをご紹介いただきました。

テロ事件とアメリカの報復に関するエドワード・サイードの発言の日本語訳。サイードはパレスチナからアメリカへ亡命した知識人です。
http://nakayama.org/polylogos/chronique/

サイードの原文 Islam and the West are inadequate banners はこちらにあります。
http://www.guardian.co.uk/Archive/Article/0,4273,4258199,00.html

ノアム・チョムスキー「悪循環を避ける道 」が下記に。
チョムスキーは鳥に翼があるように、人間には言葉があると語る言語学者。
http://www.zmag.org/chomcalmint.htm

▼ニューヨーク テロ事件被害者(行方不明者)の家族から大統領への手紙

きくちゆみさんが発起人のグローバル・ピース・キャンペーンのHPに掲載されています。

http://www.peace2001.org/gpc/letters_from_victom.html
英語原文:http://attac.org/listen.htm

寮美千子 もう一度「自己紹介」のお願い 2001年10月02日(火)22時10分19秒 http://ryomichico.net

▼みなさま

「自己紹介」は堅くて書きにくそうなので「はじめまして」でもいいです。
常連には「はじめまして」は書きにくいか。
この際「おじゃまします」もいいことにするか。
じゃあ、それでいくことにしよう。

「自己紹介」「はじめまして」「おじゃまします」のどれか。
HPある人は、URLを忘れずに! よろしくね!

勇崎哲史 おじゃまします 2001年10月02日(火)20時36分29秒 http://www.zpi.ne.jp/

はじめまして。
僕は北海道札幌に生まれ、生まれたその場所に暮らすモノです。年齢は52歳。男。既婚一男一女有り。
沖縄の宮古群島一帯と写真についてはちょっと詳しいといわれています。でも話は偏っているかも。
寮さんと知り合って半年くらいかな。吹田にお住まいの鳥海なおみさんから紹介をいただいての出会いでした。寮さんとは2回しかお会いしていませんが、彼女がやることなすこということ、なぜか頷いてしまうわけです。
ということで、満月の夜、ときおり、おじゃまします。

寮美千子 自己紹介のお願い 2001年10月02日(火)17時48分19秒 http://ryomichico.net

旧 Cafe Lunatiqueでおなじみの方々も、新生Cafe Lunatiqueのために、
ぜひ簡単な自己紹介をお願いします。
後で検索しやすいように、タイトルの頭に必ず「自己紹介」と書き込んでください。
また、HPをお持ちの方は、必ずそのURLをご記入ください。
わたしは寮美千子、Cafe Lunatique の店主です。
経歴詳細は、HPをご参照ください。

http://ryomichico.net

寮美千子 美しくて強靱なもの/新生Cafe Lunatique でしたいこと 2001年10月02日(火)17時35分53秒 http://ryomichico.net

▼宮澤賢治の孤独

高村光太郎は、宮澤賢治を評してこのようにいった。

>内にコスモスを持つ者は世界の何処の辺遠に居ても常に一地方的の存在から脱する。
>内にコスモスを持たない者はどんな文化の中心に居ても
>常に一地方的の存在として存在する。
>岩手県花巻の詩人宮澤賢治は稀に見るこのコスモスの所持者であった。
>彼の謂う所のイーハトーヴは即ち彼の内の一宇宙を通してこの世界全般のことであった。

個の根源にさかのぼることで、世界の根源に触れ、宇宙と通底する。
そして、人々の心のいちばん深いところと通じようする。
世界を、より美しいものにするために。
宮澤賢治は、確かにそのような詩人であったと思う。

けれども、賢治は孤独だった。
時間も距離も遠く離れて散在する、内にコスモスを抱く者たちと
死後「作品」という名の亡霊の姿で交流することはできても、
生きている賢治は孤独だった。
そのことは、間違いないとわたしは思う。

自分の心のいちばん深いところにあるものを常に見据えて生きるには、
世間という名の日常はあまりに不向きな場所だ。
深いことも、むずかしいことも語らない。
語らないことで摩擦を避け、真実を避け、一見和気あいあいとやり過ごす日常。
それに慣れきってしまった人々の目に、耳に、
賢治の言葉はまるで見知らぬ惑星の人の言葉のように聞こえたことだろう。

「農民芸術概論」の冒頭で、賢治はこう述べている。

>……われらはいっしょにこれから何を論ずるか
(略)
>正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
>われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

そして、最後でこう述べる。

>……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ
>われらのすべての田園とすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に
>創りあげようではないか……
(略)
>まづもろともにかがやく宇宙のみじんとなりて無方の空にちらばろう

何という美しい言葉! 何という美しい理念! 何という美しい心!
わたしはそれに感動する。
畢竟それなのだ。究極のあり方がここに示されている。

けれども、わたしは同時に思う。
農民とともに、新しい世界を築こうと賢治がつくった「羅須地人協会」。
下根子桜の、父親の別荘であった、その美しき硝子箱のような家で、
ストーブの火を囲みながら、オルガンを傍らに置いた板の間のサロンで
賢治がこれを熱く語るとき、日焼けした農民たちは、どんな顔でそれを聞いただろうかと。

「まづもろともにかがやく宇宙のみじんとなりて無方の空にちらばろう!」

そう高らかに宣言されても、農民たちは何が何だかわからず、
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして、
笑うわけにも怒るわけにもいかず、困り果てていたのではないかと。

そして賢治は嘆く。

>草地の黄金をすぎてくるもの
>ことなくひとのかたちのもの
>けらをまとひおれを見るその農夫
>ほんたうにおれが見えるのか
>まばゆい気圏の海のそこに

>(まことのことばはここになく
>修羅のなみだはつちにふる)
                  <ちくま文庫「宮沢賢治全集1」p29

身の回りにいる人々と言葉の通じないことに深く傷ついた賢治は
遠き幻影に、永遠普遍の存在に語りかける。

>ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
>わたくしはずいぶんしばらくぶりで
>きみたちの巨きなまっ白いすあしを見た
>どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
>白亜系の頁岩の古い海岸にもとめただろう
                 <ちくま文庫「宮沢賢治全集1」p97

そして、哀しい透明な決意のように、賢治はこういうのだ。

>なんべんさびしくないと云ったところで
>またさびしくなるのはきまっている
>けれどもここはこれでいいのだ
>すべてさびしさと悲傷とを焚いて
>ひとは透明な軌道をすすむ

これは、ずいぶん痛ましい決意だ。けれども、羅須地人協会で「まづもろともにかがやく宇宙のみじんとなりて無方の空にちらばろう!」という賢治の言葉を、目をぱちくりさせながら聞いていた農民たちのことを思うと、どこか滑稽な行き違いを感じて、なんともいえない気持ちになる。

農民たちが、賢治の言葉を宇宙人の言葉のように聞いたことを、責めることはできない。無理からぬことだ。賢治は、根源に到達した。けれども、それを日常の言葉でゆっくりと伝えることができなかった。いや、伝えようと「童話」という形式をとり、一心に語りかけたけれど、賢治の生きているうちに、その言葉を受け取った者は、恵まれたごく少数だった。

賢治は、宇宙の根源にさかのぼり、そこから言葉を発することで、人々の心に撒く種を準備した。賢治の死後、その種は広く撒かれた。けれども、賢治はその種を育てる方法までは、示唆してくれなかった。賢治自身「羅須地人協会」をはじめ、さまざまな活動でそれを試しながら「通じない言葉」に深い挫折を味わってきたのだ。

▼内なる銀河の種を、現実にどう根づかせるか?

2001年。インターネットの普及は爆発的ともいえる。わたしたちは新しい通信手段を手にした。マスメディアによって一方的に送られる情報ではなく、自らも発信者となれる、双方向通信を手にしたのだ。

各地に孤独に散らばっていた「内にコスモスの萌芽を持つ人々」は、そのコスモス故に、世間という日常から疎外感を感じないではいられなかった。賢治の言葉は、そんな人々を勇気づけてくれた。そんな人々の心に種を撒いた。

孤独に散在していた人々は「インターネット」というメディアを手にすることで、急速にお互いの存在をしり、通信しあうようになった。時間も距離も超えて、語り合うことが可能になったのだ。

それは、すばらしい成果だと、わたしは思う。Cafe Lunatique は、ある意味、そのような人々が言葉を交わす幻の王国として存在することができたと確信する。

しかし、賢治に「銀河の種」を撒かれた人々は、それをどうやって育て、どうやって世間という日常に移植したらいいのか、踏み迷っている。踏み迷った者同志が「わかるよね。わかるよね」そう言い合うことは、大きな励ましになる。それは、ただそれだけで大きな意味のある出来事だったことは確かだ。実際、Cafe Lunatique のみんなの言葉に、わたしはどれだけ勇気づけられただろう。

しかし、それだけでは「賢治の孤独」を共有する集団にしかなれない、という現実がもう一方にある。「孤独な賢治の集合体」にならないために、銀河の種を持っていることを確認しあうだけの集団にならないために、Cafe Lunatique で何ができるだろう? わたしは、ずっとそれを考えてきた。

「宇宙の根源を見つめること」それは「遠くを見ること」だ。世間という名の日常は「近くを見ること」から成り立っている。わたしたち人類の歴史は、そのほとんどが近視の歴史だった。目先のことを考え、目先の対処をすることで、時代が、歴史が、動いてきた。

>正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くこと

賢治はそう語り「遠くを見ること」を教えてくれたが、それを現実のなかで育てる方法は教えてくれなかった。それは、賢治自身も挫折してきたことなのだ。

だから、わたしたちが探していかなければならない。
「遠くを見る眼差し」を「近くを見ている世間」にどう生かしていくか?
「根源にある単純な真実」を「表層にある複雑な世界」でどう機能させていくか?

この人間社会の奇妙キテレツに複雑なことを思うと、わたしは途方に暮れる。
しかし、複雑に絡みあった「自然界」「生物界」が、複雑に見えて、
実は美しい論理に貫かれていることをしるとき、わたしは光を感じる。

この複雑精妙な美しい生態系は、長い長い時間をかけてつくられた。
自然それ自身が試行錯誤を重ね、失敗も積み重ねた末に生まれた美しさだ。そして、強靭さだ。

自然が考えてきたほどの時間を、わたしたち人間は持たない。なぜなら、自然が創りだしてきた「力」をはるかに凌ぐ力を、わたしたち人間は、わずかな時の内に生み出し、行使してきたからだ。その速度で、わたしたちは熟慮してその力を制御する方法を得なければ、この人間社会は生物世界も巻きこんで、もろともに破滅せざるを得ないだろう。

しかし、ここには特効薬もなにもない。いっぺんで正しい結論に到達する方法はないのだと、わたしは思う。自然が、いっぺんでこの世界を創りあげたのではないように。

▼「中距離を語る言葉」の発見のために

「遠くを見る眼差し」を「近く」に生かすために、どうしたらいいのか。革命のように、それを成し遂げることなど、きっとできない。だれか、すばらしい指導者や、神なる者や、優れた知性をもつ宇宙人が、わたしたちを導くこともない。それは、単に方向が違うだけで「ファシズム」と変わらぬシステムだから、その方法は有効ではないのだ。

だとしたら、わたしたちに何ができるのか? 簡単で、むずかしいこと。むずかしいけれど、簡単なこと。それは、わたしたちひとりひとりが、きちんと考えていくことだ。考えるために、互いに誠実に語り合っていくことでしか、それは実現できないのだと、わたしは思う。「遠くを語る言葉」だけではなく、わたしたちは「中距離を語る言葉」を発見しなければならない。それを「近くしか見ていない」日常に取り込んでいかなければならない。そうすることで、ここを彼方へと、表層を根源へと近づけていかなければならない。そして、それをひとりひとりの心に積み上げ、次の世代へと手渡していくことこそが「文化」ではないかと、わたしは思う。

▼新生 Cafe Lunatique の願うこと

「芸術」の言葉は、遠くを語る言葉だ。それは美しくはあるけれど、ひと粒の種にすぎない。「中距離を語る言葉」を手にして、その種を現実に根づかせ、育てたい。彼方をここへと一歩一歩近づけたい。かっこよくなくていい。立派でなくともいい。日常の実感のなかからこぼれる言葉を、人々に語り、投げかけることで、一歩ずつ、遠くへと、根源へと近づいて行きたい。

それが、Cafe Lunatiqueを主催する、わたしの願いです。掲示板が、議論に最適のメディアではないことは承知しています。しかし、せっかく得た双方向の対話の場。「語り合うことのできる方法」を模索していこうではありませんか。滅びた生物のように、試行錯誤のひとつとしてここは滅びる運命にあるものかもしれません。だからといって、最初からそうだと決めつけることは、だれにもできないのです。例え滅びたとしても、それは試行錯誤のひとつとして「より美しき世界」をつくるための礎になるでしょう。試行錯誤のうえに育った精妙で美しい生物世界のように、美しく強靭な世界を創るために、Cafe Lunatique は貢献できるものと、わたしは信じて疑いません。

いま、満月がのぼろうとしています。
新生 Cafe Lunatique を、ここに始動させたいと思います。
よろしくお願いします。

管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
Powered by CGI_Board 0.70