ハルモニア Cafe Lunatique (No.0009)

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寮美千子  必要悪としての「所有」 2002年05月05日(日)15時50分23秒 http://ryomichico.net
杞憂ニハアラズ。 へのコメント


ドロンコ氏発言より
個人の所有なり財産まですべて放棄することにこそ未来がある――などとおっしゃりたいのだとすれば、「ちょっと待っていただけませんか?」と言うしかありません。
「所有」について、以前から会話がすれ違っているような気がしてなりません。お互いに願うものはそう違わないのに「言葉」の罠にかかって、すれ違っているみたいです。「所有の概念について」わたしの考えを少し述べようと思います。

▼必要悪としての「法律」
以前、清水さんの「法律は必要悪」とのお話を伺って、目から鱗の思いがしました。
「すべての人に徳があって、自己制御できれば、法律はいらない。それができないから、必要悪として、人間は法律をつくらざるを得なかったのだ」という論旨だったとわたしは理解してました。(間違っていたら、また教えてください)。「所有」という概念についても、同じことがいえるのでは、と思うのです。

▼必要悪としての「所有」
「所有」ということを考えるにあたり「本来、空も大地は誰のものでもない。そこに生きるすべての生き物が、それを享受できるはずのものである」ということを前提としなければならないのではないか、と思います。

「ほかの生き物にもシンパシーを持って心やさしく生きよう!」というようなヤワな話ではありません。「大地は人間だけのものではない」という考えは、実は人間が人間として健康に生きていくために、ぜひとも必要な考え方なのです。というのも、人間は人間だけで生きているわけではない。生態系の中でしか、生きていけない存在です。都市生活では、それが見えなくなってしまっているから、人はそれを実感できなくなくなってしまった。例えば、里山で暮らしていた人々や、またアイヌのように森に依存して森の一部として生活をしていた人々は、それをいやというほど知っていました。「自然から過剰に奪いすぎれば、必ずしっぺ返しがくる」そのことを身をもって知っていました。そこで「掟」をつくり、それを文化として育てていくことで、山や森が、いつまでも豊かであるように制御してきたのです。

しかし、人間はさまざまな生産のテクノロジーを発展させてきました。生産の拡大を目指し、それを実現してきました。自然の生産力に縛られるのではなく、人間の力で土地から無限に何かを生みだしていく。一見、それが可能なようにさえ見える発展ぶりでした。

しかし、どんなに生産技術が発展し、経済が発展し、輸送手段が発達しても、地球規模の大きな目で見れば、やはり人間は生態系という物質循環のなかでしか生きられない存在なのです。目先ではなんとかなるように見えても、結局の所、地球規模で物質がきちんと循環するシステムにのっからないかぎり、そこには未来がない。

地球の懐の深さゆえ、人間はいままで思うがままにその領土を広げてきました。しかしここにきて、いよいよ地球も、そのような傍若無人な人間の行動の「ツケ」をのみこめなくなってきました。限界が近づいてきたのです。大気中の二酸化炭素の増大は、とうとう地球温暖化を現実のものにしてきました。異常気象がさまざまな大災害を巻き起こし、当然のことながら、作物にも大きな影響を与えます。そればかりか、人類は地球に毒さえばらまいてきたのです。その「毒」が循環し、濃縮され、また人間のところへ戻ってくる。ダイオキシンも、プルトニウムも、そういった「毒性物質」です。プルトニウムなど、その毒性に最初から気づいていて、それを完全に制御する技術を発見しないまま「技術の進歩でいつか解決できるさ」と、見切り発車してしまったのです。無責任としかいいようがない。

火の粉が自分に降りかかる。そこまできて、人間もようやく事の重大さに気づいたかのように見えました。が、そうでもない。アメリカは京都議定書をぶっとばすし、戦争を仕掛けて、ミサイルの不良在庫を処分して軍需産業の活性化を図ろうとする。みんな「目先」のエゴイズムに踊らされている。その目先のエゴイズムが、結局は人類全体を破局へと追いつめるものであるのは明白なのに、なお目先にこだわる。

▼巨大なエゴイストになる
わたしは、人類はもっと「巨大なエゴイスト」にならなくてはいけないと思う。つまり「目先のエゴイスト」みたいなちゃちなものじゃなくて、ずっと遠くまで見通したエゴイストになるべきだと思うのです。人が人として心地よく生きていける環境。それをこの地上に温存していくためには「地球生態系」への理解が必須です。それは同時に、人間以外の生き物の多様性を確保する世界をつくっていくことに他ならない。そういう「大欲」をもたなくちゃいけない。「小欲」に踊らされて「大欲」を忘れちゃいけない。その意味において、人はもっと「貪欲」になるべきだと、わたしは思います。

その路線で考えると、もちろん戦争なんて言語道断だし、南北の経済格差もなんとかしなければならない。むずかしい問題は山積みで、そこで現実への対処として「たったいまどうするか」という課題として、政治や経済の問題が浮上してくるのだと思う。

▼「必要悪」だから「必要」
ようやく「所有」の話に戻ります。だから、本来この地球は誰のものでもない。この地上にあるものすべても、誰のものでもない。この地上にあるものすべては、この地上に属するものすべての共有財産であるはずです。そう考えるのが、実際「人間」のため、引いては「わたし」のためである。風が吹けば桶屋がもうかる式の長い長い因果関係だけれど、これはホラやマグレじゃなくて、厳然たる事実なのです。

しかし、人間が社会をつくって回していく上で、どうしても「所有」の概念が必要だった。だから、所有の概念を発明し、貨幣を発明した。それは実は「必要悪」だったのではないか。しかし「必要」なのです。

「必要」だから「所有の概念をすべて放棄しろ」とは言えない。けれど「所有している」ということが、本来どういうことであるか、それをもう一度考え直すべき時がきたのではないか。

▼「天からの預かりもの」
「天からの預かりもの」という概念があります。本来、自分の物じゃないけれど、便宜上預かっている。だから、大切に扱わなくてはならない。「子どもは天からの預かりもの」とか「世間さまからの預かりもの」という言い方もあります。自分の子どもとはいえ、自分の所有物ではない。天から、世間から預かって育てているだけ。大切に育てて、やがて世間にお返しする。なるべく、世間のみんなに役にたつような立派な人にして。そこまでできなくても、せめて世間さまに迷惑をかけない人間に育てたい。

土地も、家屋も、財産も、実は「世間からの預かりもの」「天からの預かりもの」と認識する。たまたま、自分が所有しているけれど、それは預かっているのだからそこに責任も生じる。しっかりと管理しなければらないし、機会があれば、それをみんなのために利用するべきだ。

バブル期に、日本の企業が泰西名画を莫大な金額で購入して非難されました。それは「名画」という人類共有の財産を、そのような自覚なしに投機目的で買ったからです。

個人美術館、というものがあります。名画を所有している大金持ちが、それを個人のために蔵に秘匿するのではなく、人類共有の財産として、みんなに公開する。人類共有の財産を個人の物として所有する者は、それを「人類」から預かっているのだから、その財産を正しく使う義務が生じる。その義務を全うすること。それが「個人美術館」というものではないか、と思うのです。

何も、そんなご大層な名画に限りません。みんなが所有している猫の額ほどの庭だって、鉛筆の一本だって、実は世界から預かっているもの。あたらおろそかにしていいものではないはずです。

そういったことを、法律として明文化するのではなく、また強制するのではなく、すべての人が自発的にそう思い「文化」として共有できれば、とわたしは願うのです。

▼「所有」という言葉の意味するもの
「所有の概念からの離脱」と勇崎さんが発言したとき、その「所有」という言葉は、法律的な、あるいは経済活動のなかで使用される「所有」に限られたわけではないと、わたしは解釈しました。経済活動のすべてから「所有」を取り払って原始共産制を復活させよう、などということではないと思うのです。わたしたちが「所有」していると思っているそのことの本質はなんなのか。ほんとうは土地も世界も、誰のものでもない。地球上のすべてのものの共有財産であるのだ。そういうイメージをきちんと持った上で、さて「所有」をどう扱っていこうか、ということだと思うのです。

▼車輪の両輪
「そんなの理想論だよ。絵に描いた餅だ」と言われてしまいそうです。しかし、このような文化を育てる意志なくしては、やっぱり世界はよくならないと思う。どんなにちゃんとした法律が張り巡らされても、そこにちゃんとした「精神」が宿らなくて、ただ「法律だから守る」では、それは人をしあわせにしない。

「文化」や「物の考え方」を育てるのは、実に大変なことです。地道な努力なしには育たない。せっかく育てたものも、ただ一度の破壊ですっかり壊れてしまい、また一から小石を積み重ねるような努力をしなければならない。一朝一夕にできるものじゃない。長い長い時間と努力とが必要です。

だからといって、そのような「文化」が無益であるか、といったら違う。陳腐な言い方になるけれど「豊かな心」なくして、やっぱり人はしあわせには生きられないと思う。そして、遠くを見通し、何がいいか、何が悪いか、それをきちんと見分けられなくては、人類社会は破滅へと向かわざるを得ないと思う。

しかしまた、では「心」の問題だけを考えていればいいのか、といえば、それもまた違う。直面している目先の問題に、ひとつひとつ、きちんと対処していかなければならない。それが「有事法制」の問題であり「改憲」の問題だと思うのです。

わたしたちがどこへ向かうのかという遠い眼差しを持つこと。地球生態系規模で物事を考え、遠い未来まで考慮することと、目先の直面している事実に立ち向かうこと。このふたつは、車輪の両輪だと思います。どちらが欠けても車はちゃんと走れない。目先の問題を解決するのに、その指針となるべきは、遠い未来を見通した眼差しだし、遠い未来をしあわせに導くのは、目先のひとつひとつの現実に対する、きちんとした対応だからです。

▼芸術の効用
わたしはある意味「芸術家」として生きています。そこで、「芸術」について、ちょっと話したいと思います。

この切迫したご時世に「芸術」なんていう、屁の突っ張りにもならないことを話題にして、あれやこれや議論をするなんてオタクである、もっと話すべき大事なことがあるんじゃないか、という考え方が世の中にあります。

芸術が芸術という塀のなかの安全圏のなかにだけ特権的に留まり、そこで仲間内だけで楽しんでいるだけだったら、そういわれても仕方ないかもしれない。けれど、一見世情に関係ない、と見える個人的な心の問題ですら、実はやっぱり、人間という存在の深いところに根ざした問題であり、語るべき価値のあることだと、わたしは思っています。

例えば、一色真理さんの主催している「夢の解放区」という夢を語るフォーラム。夢なんて現実じゃないし、なんの価値もない、といってしまえば、それまでです。しかし、夢というものは、いまこの世界を生きるわたしたちの心をどこか反映するものであり、ひとりひとりの個別な人生と深く関わったものであることは確か。そういったものを語ることが、無意味であるわけがありません。人生は、結局は個別なものでしかない。その個別を掘り下げて掘り下げる。人類共通の深い根源に触れる、というところまでいけばしめたものだけれど、そこまでいかなくても、やはり個別な体験は個別なままに、意味があり尊重されるべきであると思うのです。そのような数量に変換不可能な個別の「心に向ける眼差し」を、現実社会のなかの「効率」みたいなものに換算して「無意味」と位置づけては、わたしたちはほんとうの豊かさから遠ざかってしまうと思うのです。一色さんは、かつてここカフェルナに、このような文章を書かれました。
現代詩が活力を失っているとすれば、詩人たちが自分本来の「持ち前」を失っている、……いや、自ら抑圧してしまっているためではないか。では、どうやって「持ち前」を取り戻せばよいか。ぼくはそれは、自分の無意識のメッセージに耳を傾けることで可能になると思う。「夢の解放区」は、ぼくにとって、そうした自分の「持ち前」を回復するための装置である。また、夢は全く役に立たない、混沌としたもの。つまり、すべてが前向きを強いられているストレス社会の中で、後ろを向いた癒しの装置でもある。夢を見つめ直し、そこから自分の「持ち前」を取り戻していくことが、すなわち文明の危機の中で、現代詩に元気をもたらす一つの方法ではないかと、今ぼくは考えている。
一色さんからお伺いした夢の中で、印象深いものがあります。バスに乗って、みんな前を向いて座っているのに、一色さんひとりが、なぜか後ろ向きだか横向きに座っているという夢。911のテロ事件直後、詩人たちがみんな政治について熱く語ろうとしているときに、一色さんは「こういう時だからこそ」と、ごく個人的な「夢」について、いつものように淡々と語り続けることをやめようとはしませんでした。その姿勢に、わたしはより強い「政治的」な姿勢を感じました。もちろん、政治について語るのは大切だし、不可欠です。しかし、だからといって、それ以外の、一見役に立たない、実効性のない「夢」や「芸術」について語ることが封印されたなら、それはある意味の言論統制といっしょです。「非常時だから、芸術のことなんか語るやつは不謹慎だ、非国民だ」といっているのと同じではないか、と思うのです。

▼車輪の両輪を、両輪とも大切にしたい
車輪の両輪、と例えましたが、そうだと思うのです。政治に関心を持ち、積極的に考えたり発言することは大切なことです。いまの日本の状況では、差し迫って必要なことであるといえるでしょう。だからといって、それ以外の、たとえば芸術のことなどを語ることを不真面目であるといってはいけない。それもまた、世界を成熟させるために、必要で大切なことだと思います。

その車輪の両輪を、ゆっくりでも少しずつ考えていきたい。どこか深いところでゆるやかに関連づけながら、考えを深めていきたいと思っています。この掲示板も、またそのようなものでありたい、という希望を持っています。

ドロンコ  杞憂ニハアラズ。 2002年05月05日(日)02時55分24秒
昨日のこと、それに関連して へのコメント

昨日の集会のこと、すかさず報告すべきところでしたが、案の定、清水先生に
先を越されてしまいましたね。

ぼくは、あまり自分が出る幕もないだろうと思い、集会後の交流会には出ずに
帰ってきたのですが、

>主催者側が例年150人位なのに今年は増えて喜んでいたので、「皆さんは
>日本社会のマイノリティです」と釘をさしておきました。

とのこと、実にもっともだと思います。

さて、実はぼくは遅刻してしまい、会場に着いた時にはせっかくの清水先生の
お話が1/3ほどは終ってしまっていたところでしたが、講演は実に論旨が明快で、
特別集中講議とでも言いたくなるような、中身の濃いものでした。――ただし、
聞けば聞くほど、現在、政府が国会に上程している有事関連法案は「容易ならざる
もの」であることがわかるのですが、そのあまりに多岐にわたる問題点を1時間ほどで
述べるというのは至難のワザであるに違いなく、この場を借りて、清水先生には
改めて「ご苦労様でした!」と申し上げておきたいと思います。

――ということで、要旨をさらに要約などしようとしても仕方がないだろうと
思われますので、みなさんにはまず、「週間金曜日」の4/26号(最新号=ぼくは
昨日の会場で帰りがけに求めました)に、広島大の岡本篤尚助教授が書いている
記事を読んでみてもらえたらと思います(清水先生の講演と論旨はほぼ同じです)。

この記事の中で岡本氏は、一連の有事関連法案は、「憲法改正手続きによらず、
(……)憲法の核心部分の『実質的な改廃』を行なうものであり、『法的クーデター』
といわざるを得ない」と述べていますが、法案の条文を冷静に読めば、見えてくる
のはまさにそういうことなんだなと、ぼくも納得しました。

それで、その『実質的な改廃』によって、どんなことが起きるようになるのか、
これも岡本氏の記事から、そのほんの一部だけを紹介しましょう。

「あなたが、もしガソリンスタンドの経営者で、自衛隊や米軍が使用するので
ガソリンやディーゼル油などを保管しておくようにと知事に命じられたのに
保管しておかなかった場合、あなたには六カ月以下の懲役か三〇万円以下の
罰金が科せられることになる。」

――そんな事態、つまり、「自分は日本が軍事行動を行なうことには賛成
できないから」と異義をとなえることも許されず、たちまち違法とみなされて
しまうような“戦争国家”、“戦時国家”的社会が、今まさに、ぼくたち
の目の前に突き付けられているのだと考えるしかなさそうなのです。

ほんの数カ月、あるいは何年か前だったなら、こんなことを言っても、
「それは杞憂(考えすぎ)にすぎないよ」「まさかそんなことは!」と笑う
こともできたでしょう。しかし、今は、もうそうは言っていられなくなった
ようです。

そして、結局のところぼくが思うのは、もし、これらの法案が成立して
しまったら(連立とはいえ、与党が国会で絶対多数を握っている現状では、
その可能性はかなり高いと考えねばなりません)、武力によらずに国際的な
紛争の解決をはかるという理念も努力も圧殺され、市民としての自由も
民主主義も、この国では確実に息の根を止められてしまうのだな……それは、
大人たちは何とか「やり過ごせる」としても、これから「美しい未来」へと
歩み出さなければならないはずの子どもたちにとっては、どれほど暗く残酷な
ことになるのだろう?ということです。


#そろそろ、勇崎さんの「所有放棄(否定?)論」についてもお答えしようか
と思っていたところですが、これはしばらくお預けにするしかなさそうです。ただ、
一点だけ申し上げるならば、ぼくは、<まず最初に>(わざわざぼくの「結論」
であると断わって)「『所有』という概念は……大いなる“躓きの石”だ」と思う、
と述べました。それが、勇崎さんの論によれば、ぼくはまるで絶対的に所有(の
正しさ?)を主張する人間でもあるかのような話になってしまっています。これは、
誤読というのも愚かではないかと申し上げねばなりませんし、松永洋介氏も、
きっと同じような誤読をしたのではないか?と、ぼくは思っています。
 勇崎さんの意図が、領土問題に代表されるような強硬な国家主権の主張は
アナクロニズム化しつつある――ということを指摘することにあるのだとすれば、
ぼくは、それには何ら反対するつもりはありません。しかし、くり返しになりますが、
個人の所有なり財産まですべて放棄することにこそ未来がある――などとおっしゃり
たいのだとすれば、「ちょっと待っていただけませんか?」と言うしかありません。
 また、ぼくが上述のように「『所有』という概念は……大いなる“躓きの石”
だ」と述べたのは、まさに(勇崎さんのおっしゃるような)「社会理論」を
ぼくがナイーブに信じたりはできないからこそであって、それを逆にお取りに
なるのはどうしてなのかも、まるで合点が行きません。

 ともあれ、混乱した議論でみなさんを引き回すような趣味は、ぼくには
ありません。この問題については、星野道夫の『ノーザンライツ』(新潮文庫)の
中の一文、「アラスカはいったい誰のもの」を読み直すことから出直すことに
してはどうでしょうか?
(もちろん、ぼくは、彼が述べていることには共感しこそすれ、何ら反対など
するものではありません。)


清水雅彦  昨日のこと、それに関連して 2002年05月04日(土)20時22分56秒
池澤夏樹さんの発言のことなど。 へのコメント

GW後半の初日(私には今年はGWなんて関係ないですが)、しかもすごく天気のいい中で、昨日の集会には約220名の方が集まって下さいました。昨日のことは朝日新聞の神奈川版、神奈川新聞で報じられています。

そして昨日は初めてドロンコさんにお会いすることができました。お忙しい中、ありがとうございました。この掲示板を見て、他にも来られた方はいらっしゃるのでしょうか(別に名乗りあげて欲しいと言うことではありません。この掲示板への書き込みがどの程度効果あるのかは知りたいですが)。

それにしても、集会後の交流会で、主催者側が例年150人位なのに今年は増えて喜んでいたので、「皆さんは日本社会のマイノリティです」と釘をさしておきました。このGWに憲法のことも考えないで遊んでいる人が圧倒的多数派でしょう(もちろん、遊ぶなという意味ではなくて、私も遊びは大好きです)。与えられた祝日法でたった4日連休になるくらいで喜んでいるとは(労働者が78年以降最低有給休暇5週間を勝ち取ったスウェーデンのような国もあるのに)。

しかも、時間ができても政治のことは考えない。フランスでは反ルペンのデモが繰り広げられる位ですが、戦犯をまつる靖国参拝をする人物が首相で、外国人(その他もそうですが)差別主義者が東京都知事で、かなりの支持を集めるという「幸せな国」が日本です。これこそ本当に日本人は平和ボケ・お気楽状態です。

寮さん、必ずしも調子がよくない中、コメントありがとうございました。松永さん、私の情報をまとめていただきありがとうございました。松永さんが、内輪で話している社会構想をまとめたいと考えられており、このHPの主催者・寮さんの課題でもありますが、それはまだまだですよ。まだ議論の質が不十分だと思いますし、議論に加わる人が少なすぎます。この有事法制の議論もそうです。このHPの閲覧者がどの位いらっしゃるかはわかりませんが、それにしてもなんで日本人は軽い話と同時に政治・社会問題の話がフツーにできないのかと思います。先進国でも日本人くらい政治意識の低い国民はいないのではないのでしょうか。この掲示板における質と量の充実化も課題になるのではないのでしょうか。主催者・閲覧者の意識の問題だと思います。

ドロンコ  池澤夏樹さんの発言のことなど。 2002年05月02日(木)14時08分57秒
「共犯者」「殴る側」になるのか否か へのコメント

明日の集会、とくに行こうとも考えてはいなかったのですが、別に用事が
あるわけでもなし、横浜ならぼくのところからそう遠いともいえないという
こともあるので、お邪魔しようかな?と思えてきました。

とにかく、昨今の国会の動きは、まったく「目も当てられない」と、
ぼくも思っている一人ではあります。「有事」にしろ「個人情報保護」
にしろ、ぼくは法案の条文さえまともにチェックしてはいません。
しかし、ニュースでその骨子を見ただけでも、「これは話にもならない!」
と思いました。――後者については、たまたま“朝ナマ”でその起案者
らしい藤井?某という官僚が出てきて説明しているところを見ましたが、
彼はしきりに「マスコミの立場にも配慮している…」などと言っていた
けれども、そもそも彼には<何が原則(であるべき)なのか>についての
感覚が、完全にと言ってよいほど欠落していると感じました。そして、
その欠落は、法案の構成=組み立てにも如実にあらわれていると思いました。
そして、官僚たちのあのような愚かしさを、政府与党の政治家たちもまるで
チェックすることができないという二重の愚かしさ。これは茶番というしか
ないのではないか?――そんな感じさえしたのでした。

が、現実は「茶番だ!」と非難することで済むようなことではないわけ
ですよね。たとえ微力でも、やはり声を上げねばな、と思っています。

ちなみに、これらの問題については、メールマガジン「新世紀へようこそ」
における池澤夏樹さんの発言が、とても参考になると思います。以下で
読めますので、一人でも多くの人に、まず目を通してみてほしいとぼくは
思っています。さあ、どうぞ!

http://www.impala.jp/century/index.html


……そういえば、昨日のニュースで、国連のアナン事務総長がパレスチナ
への国際査察団の派遣中止を決めたというのがあって、ぼくはこれにも、
すっかり驚き呆れました!いったい何の権利があって、彼は自分にそんなこと
ができると考えたのでしょう?恐らく、とりわけアメリカという野蛮な国家の
先導のもとに、世界はまさに、無法状態へと突入しつつあるかのようです。
そんな事態に何の異義もとなえないような政府を、われわれはこれ以上
持ち続けるべきではないでしょう。――そのことを、やがて行なわれる
国政選挙においてはっきりと示すこと、それが、(差し当たって、この国
から離脱して生きることなどはできないのであるならば)「まともな国の
国民」であろうとする者の、最低の義務だろうとぼくは思っています。


松永洋介  問題法案/清水さん情報 2002年05月01日(水)02時46分07秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/
「共犯者」「殴る側」になるのか否か へのコメント

最近、気になる話が多くて困ります。
住民基本台帳ネットワークとか、個人情報保護法案とか、どうもあぶなくてしょうがない。
問題法案をつぶすのは、シビアなモグラ叩き。気を抜くと(抜かなくても)あれよという間に通っちゃったりして。
いったい国会は立法の“主戦場”なんでしょうか。どこでものごとが決定されているのか、どうもよくわからない。


▼清水さん関連情報
このところ、いろいろご案内いただいたのでまとめてみました。

清水さんの和光での授業
「現代社会と憲法」毎週水曜4限(14:40〜16:10) D203教室(変更の可能性あり)
(⇒情報源:Cafe Lumiereの投稿

清水さん講演のイベント
2002憲法を考える5.3集会 グローバリゼーションと人権 ―憲法の「国際貢献」―
日時:5月3日(金)13:00(受付12:30)
場所:かながわ県民センターホール(横浜駅西口・三越裏)
内容:講演「平和憲法の現状と可能性〜『アフガン戦争』・有事法制・改憲論から考える」清水雅彦(和光大学講師)
   報告「アフガンでのNPO活動(仮)」熊岡路矢(日本国際ボランティアセンター代表)
     「国会での憲法調査会の論議の現状」上田恵子(衆議院議員秘書)
主催:かながわ憲法フォーラム 協賛:平和運動センター
連絡先:県高等学校教育会館内 045−231−2479
資料代:500円
(⇒情報源:2002年の憲法記念日(5月3日)の催し物

清水さんの論考がウェブで読める
ハリウッド映画を読む〜映画・政治の暴力(戦争)と法(憲法)(「和光大学表現学部・人間関係学部紀要別冊 エスキス2002」掲載)
有事法制・改憲論を考える 〜その分析と問題点〜(「月刊マスコミ市民」2002年4月号掲載)
(⇒市民と憲法研究者をむすぶ憲法問題Web

「マスコミ市民」掲載の文章を読んで、ぼくらがふだん内輪で話している社会構想も、誰でもが読めるようなかたちでまとめたほうがいいかなあ、という思いを強くしました。
近い将来、政策談義掲示板を設置する動きが出るかも?

寮美千子  憲法と地球生態系 2002年04月30日(火)23時58分42秒 http://ryomichico.net
「共犯者」「殴る側」になるのか否か へのコメント

うううぐ(うめき声)。過日は「マスコミ市民」と「エスキス」をお送りいただき、ありがとうございました。さっそく面白く読ませていただきました。感想を、と思いながら、忙しさに紛れてお礼さえいいそこねてしまいました。無礼な人物とは、このわたくしでありました。清水さん、ごめんなさい。うぐぐ(悔恨の涙)。

▼エスキス
そんなわけで、簡単ですが感想を述べさせてもらいます。「エスキス」の映画に関する論評、実に興味深く読ませていただきました。映画は「エンターティンメント」の名の下に、かなりいい加減な設定が許される業界ですが、しかしほんとうにそれでいいのか? アメリカの「善い人」が外国の「悪い奴ら」をやっつける勧善懲悪の設定。しかし、よく見ればそれは、他国の主権を無視して、他国で傍若無人にふるまい、武力をもってしてやっつけてしまうというような、とんでもないストーリーだったりするのですね。それが「大衆娯楽」として、疑問の声もあがらず容認されてしまう。それらがもてはやされることで、暗黙裡に「アメリカは正しいから外国の悪い奴らをやっつけてもいい。やっつけることが正義だ」につながっていく。恐るべきことだと思いました。政治を動かすのは、政治だけではない。そんな大衆文化のありかたが、結局は大きな流れをつくっていくのだと、改めて実感しました。

わたしは、童話や絵本を通じて「こども」とつながる仕事をしていますが、そんななかでも、やっぱりよく考えなくちゃいけないなあと、つくづく思いました。ジェンダーの問題など、つい忘れがち。当然のようにして男の子と女の子に役割をふってしまいがちな自分がいることを反省しなくては、と思います。

▼マスコミ市民
こちらは「有事法制・改憲論を考える」というちょっと固い話題。有事法がどのような流れのなかでいま浮上してきたのか、それを一望できるとても親切な論文でした。改憲論も、一口に改憲といってもいろいろな立場、考えの人がいることを一覧できて、勉強になります。そして、この部分に、もっとも心打たれました。

しかし、改憲論の前に今一度考えるべきことがある。九条に関しては、戦争違法化の歴史のなか、自衛戦争を容認する国連憲章の先をいく平和憲法の歴史的意義を再確認し、単に戦争のない状態だけでなく、構造的暴力の解消をも目指す積極的平和主義を考えることが先ではないか。

清水さんにお目にかかってから、自分がどれだけ「憲法」について無知であるかを再確認しました。もっともっと憲法について勉強したい。そう思っています。


例えば、地球生態系、という観点から見れば、いまの人類はデタラメをしています。長い目で見れば、こんなことをしていてタダですむわけがない。結局は、己で己の首を絞めるような真似をしているとといわざるをえません。このままでは、人類が生存する地球生態系もろとも、衰弱死してしまう可能性さえあります。その観点から見れば、何をしていいか、何をしてはいけないか、驚くほど明確です。

その、あまりにも明白な事実を、なぜ日常生活に反映できないのか? 反映するためにどうしたらいいのか? 人間社会を動かしている経済と政治。そこに反映させなければ、やはり無理なのかもしれない。

地球生態系と憲法。そのふたつを、自分の中でどう結びつけて考えていったらいいのか、途方に暮れながらも、なんとかしなくてはと思っています。

清水雅彦  「共犯者」「殴る側」になるのか否か 2002年04月30日(火)20時31分09秒
戦前への逆流 へのコメント

私もマスコミ市民の論考で「戦前の警察国家化」と限定付きではありますが、「戦前」という表現をしています。しかし、必ずしも戦前回帰ではないのですよね。似てはいますが。戦前とは異なり、新たな支配関係の下で、新たな技術を活用しながら、新たな敵を押さえつけるために支配層も体制固めを行おうとしています。

また、もう一つ論点をあげれば、有事立法の反対を言う場合、確かに国民と国家との関係でいえば、「戦争に巻き込まれたくない」といえばそうではありますが、もう一方で国民を現在の南北支配・弱者を収奪する側の「共犯者」「殴る側」に仕立て上げる側面もあります。今の私たちの生活がどのように成り立っているかも考え、後者の視点も持ち合わせないと、南の民衆からすれば北の人間のエゴと取られかねません。

ところで、先に3月にお会いした方にはマスコミ市民を送付しましたが、お返しにご自身の論文を送っていただいた方もいらっしゃる一方で、残念ながら無反応の方が多かったですね。専門外のテーマでしょうからコメントをいただきたいと要求する気はありませんし、お忙しいのもわかるのですが、最低限の「受け取った」位のメールもいただけないと残念ではあります。どんなに地位や肩書が立派でも、私はこういう基本的なところで、「このような方々は、悪気はなくてもいい加減、傲慢、礼儀知らずのどれなんだろう」と思ってしまいます。もちろん、どのような対応をとられるかはその人の勝手ですが、少なくとも年の差は抜きにして考えれば、対等な個人として自分が扱われていないとは思います。

それはさておき、この有事立法のおかげでさらに仕事が増え、ここで今後議論があってもどの程度コメントができるかわからない状況になってきました。この調子だと今後もカフェ・ルナでそれほど議論がなさそうな感じですが、あらかじめ予防線を張っておきます。

最後に、カフェ・ルミでも紹介した5月3日の神奈川での集会、関心のある方は是非来てください。終了後、飲み会もあります。来られない方も、是非3日は憲法のことを1日じっくり考えてください。

勇崎哲史  戦前への逆流 2002年04月27日(土)02時11分03秒
有事法制について へのコメント

  
清水さま>
たいせつなことがらについてのアテンション、ありがとうございます。
小泉首相になってから、どさくさにまぎれてとんでもないことが法案化されている状況、震えるほど怖いことです。
法制化の段取りよろしく、法案にうるさい社民党への事前叩き、真喜子劇場、首相のタレント化、スキャンダル各種各様、、、。
それらを猫だましにして、国民の眼と耳に、賑やかにも騒々しい状況のスキを縫い、この国を戦前へと逆流させる、戦時体制可能ないくつもの法案。
これは、“持ち前”的にも、なんとしてもくい止めなければなりません。

清水雅彦  有事法制について 2002年04月23日(火)12時52分43秒

勇崎さんのご要望に応えて有事立法論についてちょっと書きます(今、大変忙しくてちょっとしか書けません。ごめんなさい)。

これから審議されようとしている有事立法がもし通ってしまったらどうなるか。「テロ」や不審船問題に対処するのは警察や海上保安庁であって、自衛隊ではありません(現に、今回の法案ではその問題は扱われていません)。この有事立法のねらいは、アメリカが勝手に認定する「周辺事態」、朝鮮への攻撃などに際して、日本も国民総出で後方支援しますよ、というものです。有事に際しては、自衛隊だけがかかわる問題ではなく、自治体・民間人の建設・運輸・港湾・医療・通信関係者なども動員されてしまいます。皆さん普通の国民も戦争に強制的に駆り出すためのものなのです。

とりあえず、有事立法に関する私の問題意識としては、3月14日にお会いした方には直接送付したマスコミ市民4月号の拙稿「有事法制・改憲論を考える」を読んでみてください(「市民と憲法研究者をむすぶ憲法問題web」,http://www.jca.apc.org/‾kenpoweb/にも転載してあります。そこには20日の街頭宣伝でも配った研究者有志の声明文も掲載してあります)。今日のところはこんなところですみません。


清水雅彦  遅ればせながらのコメント 2002年04月17日(水)23時33分48秒
社会史観からの脱構築 へのコメント

ご無沙汰しておりました。忙しかったのと、二、三思うところもあり、投稿を控えておりました。勇崎さんの投稿から大分時間が経ってしまいましたが、本当にまたお会いしたいですね。

それはともかく、残念ながら結局、勇崎さんは私が書いた社会主義・共産主義「思想」と実際の社会主義・共産主義「国家」は分けて考えるべきだとの指摘を理解していただけなかったようです。だから、マルクスの思想はダメだとの短絡的結論になってしまうのだと思います。この点で、共通の認識に立てないと議論がかみ合いませんので、これ以上、この議論を続けるのは難しいかと思います。

「敗者側からの史観」の必要性は理解できます。敗者というわけでもありませんが、英雄ではなく民衆の視点からの井上清や網野善彦らの取り組みは貴重なものです。しかし、「敗者側からの史観」が「所有概念からの離脱」に結びつくとの議論は強引だし、説得力がないと思います。そもそもここで言う「社会史観」が何で、なぜそこからの脱構築をしなくてはならないのかもよく理解することができませんでした。


勇崎哲史  伊福部昭を語るオン・デマンド本&電子本でるぞ! 2002年04月15日(月)01時05分54秒

  
みなさん、おばんです。(おばんです=北海道地方に伝わる「こんばんわ」の意)
『楽園の鳥』の完結、そして完結記念のリーディングのご成功、おめでとうございます。寮さんの坂田明氏とのコラボレーションによるリーディング。カフェ・ルミの方を読ませていただきました。感動と歓喜に溢れた、素晴らしいときを過ごされたご様子、なんとも羨ましい限りです。
僕は、ちょうどリーディング・イベントがはじまるのとほぼ同じ時間から、北の国・札幌において、しょぼい暗室作業に入り、足かけ2日、今、隠微な作業を終え、ほっと一息しているところです。

さて、今宵は、あの“一日早く知れば一日早く立派になれる”系の情報をお伝えします。
(実は、夕刻の気分転換時に、鳥海系BBSにもほぼ同内容で投稿しました)

2月の末頃から、このカフェ・ルナでも話題となった作曲家・伊福部昭について語られた本が、4月18日〜21日開催「東京国際ブックフェア/デジタルパブリッシング」 (東京ビッグサイト) に出展する「ボイジャー」社から、オン・デマンド本&電子本としてデビューします。

著者は、木部与巴仁(きべ・よはに)氏。

木部氏は美術家・横尾忠則を1年間密着取材し「横尾忠則 365日の伝説」(1995年:新潮社)を出版。その2年後の1997年に同じく新潮社から「伊福部昭・音楽家の誕生」を出版。これは、伊福部の戦前編。そして5年の歳月を経て、その戦後編ともいえる「伊福部昭・タプカーラの彼方へ」がボイジャー社からデジタル出版されることになりました。これらはいずれも20年以上もかけて伊福部の生の言葉を聞き、それを出来うる限り忠実に、注意深く再録しながら、著者自身の伊福部体験やひたむきな敬愛の想いを綴ることで伊福部の人間像を浮き彫りにし、文化観、芸術観、歴史観、音楽観、映画観などとして紡でいくという極めて秀逸な著作です。

しかも、伊福部昭自身の言葉というのは、凄いことを、わかりやすく語るんですよね。

今回の木部・伊福部オン・デマンド本&電子本は「伊福部昭・タプカーラの彼方へ」だけではなく、極めて入手が困難となった前作の「伊福部昭・音楽家の誕生」も並行してデジタル刊行されることになりました。この2冊は視点を変えて執筆されているので、どちらを先に読まれても不都合はありません。是非とも2作とも購読して欲しいなあ、と思いますし、2冊とも購読されるのであれば、まず戦前編の「伊福部昭・音楽家の誕生」を先にというのが順当かな、とは思いますが、、、。

詳しいことは、下記URLをご参照下さい。

キベグラフィー(木部与巴仁氏HP)
http://www.kibegraphy.com/

オンラインの「週刊ドットブック」(『伊福部昭・タプカーラの彼方へ』を紹介)
http://www.zdnet.co.jp/macwire/0204/12/dc_dotbook_4.html

DiVO:ディーボ(4月18日から2冊の木部・伊福部本を販売する発売元)
http://www.voyager.co.jp/dotbook/books/index.html

ボイジャー(木部・伊福部本の版元)
http://www.voyager.co.jp/

伊福部昭映画音楽と純粋音楽(伊福部昭に関わる最新情報をこまめに更新)
http://vvv.geocities.co.jp/Hollywood/2147/index.html

ちなみに、
伊福部昭に関する僕の過去の主な投稿は
勇崎哲史 伊福部昭VS岡本太郎[敬称略:五十音順] 2002年03月01日(金)02時25分37秒
▽「ゴジラ対太陽の塔」再生計画 へのコメント
cafe0007.html#cafe20020301022537

ところで、
「遊星たちの消息」のほうに、5月19日、都内で開催される「伊福部昭米寿記念演奏会」の情報を投稿しましたが、
planets0001.html#planets20020319003523
planets0001.html#planets20020319002023

いやはや、
このコンサートの日以降、カフェ・ルナ周辺でも伊福部旋風がおこるかも、、、。
“一日早く知れば一日早く立派になれる”、木部与巴仁著「伊福部昭・音楽家の誕生」(戦前編)と「伊福部昭・タプカーラの彼方へ」(戦後編)に是非とも触れてみて下さい。

さてはて、
ここだけの話ですが、「伊福部昭・タプカーラの彼方へ」の表紙に使われている伊福部氏の近影は、どうやら photo by Tetsushi Yuzaki @1997、ということらしいのです。
伊福部氏のピアノの鍵盤(鍵盤表面は象牙)。中音域のキーを中心に、作曲家自身の汗に焼けて、淡い褐色に変色していました。はじめて、そのキーをみたとき、涙腺にキーんとくる感動を覚えました。

浜野 智  うーん 2002年04月14日(日)08時49分54秒 http://www.ne.jp/asahi/gaku/gaku99/
幻のオールドNo.7 へのコメント

「オールドNo.7」ですか。
そんなこと言ったって、関係者しか知りませんよ。勇崎さんはなにゆえにご存知なのかしら。
幻になった同人誌ですね。ジャック・ダニエルズが好きで、でもみんな貧乏だから飲めない。
それで、名前だけいただいてしまった。
結果として仲間外れになった征木高司がシットして、けちをつけること、つけること。

で、19年後の96年、「インターネットならただではないか」と『楽GAKU』をオープン。
ただし、昔のメンバーでパソコン持っているのが1人もいないこともあって、
顔ぶれは変わりましたが。

ま、この話はこれでおしまいといたしましょう。

http://www.ne.jp/asahi/gaku/gaku99/

勇崎哲史  浜野智さま>私信:岩永正敏氏との出会い直し  2002年04月13日(土)01時28分00秒
ローリング・ココナツ・レビュー へのコメント

浜野智さま>
僕のネットとメールが別々のソフトなので、お名前のところをクリックしてもメールをお送りすることができません。ということで、以下は、本来メールとすべき、ほとんど私信です。

僕に残したローリング・ココナツ・レビューの衝撃が、5年後にインデペンデント・キャンペーンHELP!NETWORKという活動(メッセージ:With A Little HELP! From My Friends:友だちにちょっと手伝ってもらって)を生み出しました。ここでおわかりのように僕はビートルズ100%だったんですよね。この自主キャンペーンは1年間の期間を区切って行ったのですが、エコロジーとコミュニケーションの融合をめざしたものでした。当時それなりに話題になり、市民運動のありかたを変えていくことに少しは貢献しました。

取材してくれたある女性の記者さんに「発想の出発点にローリング・ココナツ・レビューというベネフィット・コンサートで体験したことからの影響がある」ことを伝えたら、岩永氏を知っていると言われ、彼女にあらためて紹介いただくというかたちで、出会い直しをしたのです。なぜなら、一介のボランティアの僕は中心人物である貴兄や岩永氏のことはしっかり記憶していますが、逆の場合は憶えているはずがないからです。

確かに貴兄らはのたうちまわるほどたいへんだったんだと思います。しかし、とても大きな影響を僕(たち)に与えていたことをお忘れなく。ちなみに、僕のインデペンデント・キャンペーン第1弾も300万円の赤字で期間を終了し、第2弾は行えませんでした。これは一人の責任においてはじめたことなので、赤字は全額僕個人でかぶりました。

HELP!NETWORKという活動はどういうことだったのかについて、いずれこの板に書かせてもらおうかな、と思っています。

勇崎哲史  幻のオールドNo.7 2002年04月12日(金)22時54分36秒
ローリング・ココナツ・レビュー へのコメント

  
がああああんんんん!!!
あの幻のオールドNo.7の浜野サトルさんだったんですかああ!
下のほうが漢字で書かれていたので、気づきませんでした。
あの当時の4000万円というと、今で言えば1億円以上という感じですよね。
浜野さん、岩永氏らは世紀のイベントの中心人物。僕のように田舎からノコノコ出てきた末端の一介のボランティアには、眩しすぎて、畏れ多くて近くにも寄れなかったですね。僕は札幌からビデオの生テープ5本(5時間分:とはいっても当時は1本1万円しました)をビデオチームへのカンパに抱えて参加して、それなりにハードだったけど、主宰側はほんとうにたいへんでしたよね。
あの時の宇井さんの話は、具体的なことは忘れてしまったけど、僕にとって環境を考える出発点になりましたね。こういう恩恵というのは、浜野さんらの大犠牲の上にあったことは常々肝に銘じております。
岩永氏とは友人を介してその6年後に出会い直しをして、以来僕にとってthe King of 親友sです。
興さんは僕にとってthe King of 恩師s。
あの時のライブテープは興さんのところにあるはずですが、ミュージシャンの肖像権やら著作権やらで、上映などは困難なのでしょうね。ビデオチームからするとなんのための記録だったのか、と思うこともあります。ある椿事のために2日目は全く撮影が出来ませんでしたが、25年たった今、そろそろ封印を切らせてもらってもいいのではと思いますね。そうとう劣化してるかもしれないので、デジタル化しといたほうがいいかも知れません。

ココナッツもさることながら、パイド・パイパー・ハウスを渋谷などと間違えたり(ホントは青山の骨董通りの角のところ)してますねえ。
いつかお会いできるといいですね。

浜野 智  ローリング・ココナツ・レビュー 2002年04月12日(金)21時49分08秒
『輸入レコード商売往来』 へのコメント

標題のイベントの「代表」が私でした。「ココナツ」と書きます。妙に、このあたりにこだわるんですねえ。
そうですか、勇崎さんは興さんの身内でしたか。みんな、近いところに巣くっていたってことかな。
25周年の集まりには欠席しましたが、25年ぶりにやったわけではありません。21年目に久しぶりにミーティングをしたのが、「ドルフィン・プロジェクト・ジャパン」復活の第一歩だったと思います。
ただ、率直に言えば、私には懐かしむ気持ちは全くないのです。たった3日間のイベントで、赤字4000万円。個人で負担したのは300万円程度だったとはいえ、生活は全くのめちゃくちゃになりましたから。
そのあたりのリアリティーが、どうもメンバー相互の間で違っているようですな。

ちなみに、その当時、宇井純さんがココナツに肩入れしていることに非常にいらいらしていたのが、つまりはなんであんなロックイベントに力を入れるんだと思っていたのが、寮さんの高校の先輩の館野公一氏であります。宇井さんとは反公害関係の活動で親しかったらしい。

勇崎哲史  『輸入レコード商売往来』 2002年04月12日(金)01時54分06秒
ローリング・ココナッツ・レビュー  へのコメント

   
さきほどの続きですが、ローリング・ココナッツ・レビューにかかわる経緯と顛末は、岩永正敏・著『輸入レコード商売往来』晶文社・就職しないで生きるにはシリーズNo.4, 1982年刊、に書かれています。刊行時からけっこうロングセラーしてたので、ちょっと調べれば、みなさんの身近なところにこの本はあると思います。日本ではじめての大規模なベネフィット・コンサートとは、どんなことだったのか? 興味がありましたら、読みやすい本なので、是非ご一読下さい。著者の岩永氏は当時、渋谷で「パイド・パイパー・ハウス」という輸入レコード店を経営していました。

僕は、このコンサートの時にはじめて「エコロジー」とか「ボランティア」とか、「ノン・プロフィット(NPO)」とかいった言葉とその概念を知ったのですが、ライブとライブの幕間毎に宇井純氏(当時・東大助手、現在沖縄の大学で教授)が登場し語られた環境問題についてのお話しは、とても貴重でした。

その時の人たちが25年ぶりに一堂に会している、ということなのですね。遙かノスタルジア、とだけもいえない、歓喜な体験でしたね。

勇崎哲史  ローリング・ココナッツ・レビュー  2002年04月12日(金)01時17分33秒
ヤノベ氏をめぐって。 へのコメント

  
DORONKOさま>

DORONKOさまWROTE
>……んー、いろいろあったけれど、結局、これで決まりじゃないかなー
>と、ぼくも思うんですね。

と、僕も思います。
そろそろ、次にいきましょう。どこかに還りましょう。

ところで、いまさっき、鳥海さんちの投稿したんだけど、それをそのままここにコピーペーストします。

25年前の一昨日までの3日間、晴海で「The Seas Must Live! ローリング・ココナッツ・レビュー(註1)」という、日本ではじめての大規模なベネフィット・コンサート(★註2)があったんだよね。僕は当時、ビデオの記録班に手弁当(ボランティア)参加して前後含めて1週間ゴロ寝しながら滞在し、かかわりました。

その時のスタッフが今、都内のどこかで呑み会しています。
それぞれの四半世紀。
長いようで、短いなあ。

★註1:ローリング・ココナッツ・レビュー
1977年4月8日から三日間にわたり東京・晴海ドームで開催。日本からは泉谷しげる、イルカ、上田正樹、岡林信康、久保田麻琴、豊田勇造、中川五郎、南佳孝、細野晴臣、アメリカ&カナダからは、エリック・アンダーソン、ボブ・イングラム、ポール・ウィンター、オデッタ、J・D・サウザー、スタッフ、ジョン・セバスチャン、ジャクスン・ブラウン、リッチー・ヘヴンスら総勢百人以上が出演。コンサートの他に中島興(ビデオアーティスト:僕の恩師)らの呼び掛けで環境についてのアート展やパネル展が併催された。

★註2:ベネフィット・コンサート
出演者がノーギャラの、寄付活動を目的とした、いわゆる慈善コンサートのこと。

DORONKO  ヤノベ氏をめぐって。 2002年04月09日(火)15時11分03秒
「叱る&誉める」の両面作戦 へのコメント


>「それじゃあ、ダメだぞ」っていうより、「あれってすてきね」って
>いったほうが、世の中よくなりやすいんじゃないかって思うのです。

                         ―by 寮さん―

……んー、いろいろあったけれど、結局、これで決まりじゃないかなー
と、ぼくも思うんですね。早い話、ぼくは売れないコピーライター
とゆーものをやっていて、巷でみかけるもので、「随分ツマラネー
コピーだな!」と思うものも結構あるのだけれど、そんなことは、
ごく仲間内で何かのついでに話すことがあるくらいで、いくら
「あれはダメです」などとヨソ様のコピーにケチをつけたりしたって、
仕事はもらえません。やっぱり、自分で少しでもマシなものを書いて
みせる、それでクライアント(お客さん)にも納得してもらう――
ということの積み重ねでしか仕事は続きませんし、その延長線上でしか
「いいもの」なんて生み出せないような気がするんですね。才能も、
何かをまかされたりするチャンスも、それほど平等にということには
なりようがないということはあると思うけれど。

――ここで、松永洋介氏のヤノベ氏論(3/30付)に戻ると、どうも
「批判したい」という気持だけが先に立って、しかもそれを無理に
押さえているような調子が濃厚で、正直なところ、読んでいてちょっと
辛くなりました。別にぼくは批判することはいけないなどと言いたい
のではありません。それはそれでどんどんやればいいのです。
けれど、それは何のためにかということが読む者にもよくわかるように
すべきですし、ということは、充分に説得力のある「対案」を用意する
こと、自分の批判の帰結がどんな事態をもたらすのかについての
しっかりした見通しというものが必要だろうと思います。
――誤解のないように言っておけば、もちろん松永氏がそれをしていない
というのではなく、彼はそもそもの書き込みに「再生計画」と名付けた
ように、「ゴジラ展」でのワークショップを本当に面白いものに
することに、大きな期待をかけていた(いる?)ということは、ぼく
にもよくわかります。ただ、松永氏の論は、時に微に入り細に入り
すぎ、かと思うと一般論的なトーンが急に強まったりという感じで、
予備知識のない人間には、なかなかフォローすることは難しいという面
があることは否定できないと思います。で、これは決してウラミやら
揚げ足を取ろうとして言うのではないのですが、松永氏のような論は、
それ専門の、自分のサイトで展開するべきものではないのかな?という
感じが、ぼくにはしています。たとえば「松永が斬る!」とかの
サイトをオープンすれば、それなりにファンや読者は集まるだろうと
思うんですよね。

ここで、ぼくが今たまたま読んでいる本に出てきたフレーズを紹介
しましょう。

「僕もまた、おそらくは手塚治虫と同様の、外国コンプレックス、
 アメリカ・コンプレックス、そして西部劇コンプレックスの
 日本人。それがいいか悪いか、そんなことはわからないが、
 しかし手塚治虫のそこから出発したダイナミックな進路を
 見るにつけ、それでもいいのだと僕は思ってしまうのである。」
    (石上三登志著『手塚治虫の奇妙な世界』学陽文庫、36p)

――このフレーズの、「手塚治虫」を「ヤノベケンジ」に、そして
「外国」「アメリカ」「西部劇」を、「鉄腕アトム」「ゴジラ」
「万博」「岡本太郎」「太陽の塔」etc.に置き換えてみて下さい。
どうでしょう?――もちろんぼくは、ヤノベケンジ氏が、あの巨匠
手塚治虫と「同格なのだ」などということが言いたいのではあり
ませんし、ぼく自身がこのフレーズを語る主体にふさわしい人間
だとも思いません。しかし、このフレーズ、このレトリックは
強力で魅力があり、ぼくは「これは使える!」と思いました。
ぼくはヤノベ氏よりひと回りほど上の世代の人間ですが、そんな
ぼくにも、ヤノベ氏の仕事は、同時代を生きる者として十分に共感
できるものですし、今回の「ゴジラ展」のワークショップのプラン
ニングには、かなり甘さがあったことはたしかだと思います(その
主たる理由は、本来造形作家であった彼には、映像表現の独自性が
よくわかっていなかった、それを多少ナメていたということだろう
と思います)が、ヤノベ氏のこれまでの仕事にまがりなりにも接して
みて(その多くは印刷物で見ただけですが)、「それでもいいのだと
僕は思ってしまう」というのが、ぼくのスタンスです。――もちろん
ヤノベ氏には、いずれまた映像作品にチャレンジしてもらいたいもの
だと期待しています。
――ちなみに、石上氏の上記の本、とても面白い本です。みなさん
も、ぜひご一読あるように!

さて、都内で開催されている2つの会場での「ヤノベ展」で彼の作品の
一端には触れたものの、個々の作品に即して具体的に論じることが
できるほど、ぼくはヤノベ氏の作品と親しい関係は持ちえていません。
しかし、立ち読みしたカタログの写真(の記憶)などを頼りに、
彼の歩みをイメージしてみると、ぼくは彼に、「変わり続けること」
のひたむきさ・誠実さを感じます。一方でぼくは、ある一つのスタイルを
守り、それを深く掘り下げるような作品にも魅力を感じるということも
ありますが(その場合は、そのスタイルも、「掘り下げる力」も傑出
したものでなければならないということが絶対の条件になるでしょう)、
ヤノベ氏における「変化」は、大いなる才能であり美質であると、ぼくは
受け止めています。もちろん、「変わり続けること」が強迫観念の
ようになってしまっているつまらないアーチストも、世の中にはたくさん
いることでしょう。しかし、ヤノベ氏はそうではないと、ぼくは感じ
ました。彼の作品の変化・変遷は、もっとはるかに素直で、いわば「内発的」
なものであると、ぼくは感じています。

その上で、ごく大雑把な言い方をするなら、初期の彼の作品では、
「稚拙さ」や「荒々しさ」(さえも?)が魅力でもあった(アトム
スーツなどは、その典型でしょう。モノ自体としては、非常に見栄えの
よいものというわけにはいきませんが、それでも「やってしまう」
「遊んでしまう」面白さに、ぼくは救いを感じます)のに対して、最近
の作品では、洗練の度合いが高まり、「わかりやすく」なってきている
ようにも感じられます。それは、ヤノベ氏がたしかに成長し、脱皮
し続けているアカシであると同時に、作品のインパクトは弱まってきて
いる、彼は新たな転機を迎えている、と見ていいのかも知れません。
――しかしそれは、作品制作の条件によっても大きく変わりうることです。
願わくばヤノベ氏には、あのイチローのような欠点の見つけにくい「いい人」
には断じてなることなく、いつまでも問題児、ヤンチャ坊主のままでいて
いただきたいものだと思います。岡本太郎が、まさにそうであったように――。

最後に、松永洋介氏の論で、非常に気になり、これだけはやめてほしい
と思った点がもう一つありましたので、記しておきます。
松永氏が「科博のSさん」について憤慨しているのは、ぼくも飲み会で
一緒にさせてもらったことでもあり、よくわかります。しかし、S氏は
実際に相当の裁量権を持つ管理職のお役人であるのに対して、ヤノベ氏は、
たとえ相当に知名度があるにせよ、所詮“一介のアーチスト”にすぎません。
そして、たとえ偶然が彼に何らかの権益をもたらすようなことがあると
しても、それは、強固な組織に支えられた人間のそれと比較できる
ようなものではありえないと、ぼくは思っています。――ですから、
S氏とヤノベ氏を同列に論じたりするのは、あまりにも不当であり、
耐えがたいものだと、ぼくは感じずにはいられません。しがない
クリエイターのハシクレとして、自分がそんな目に遭ったとしたら、
とてもたまったものじゃない、ヤメテクレ!と言わずにはいられません。
(松永氏は「分けて書いた」つもりでしょうが、読む者には同列に
論じているようにしか読むことができません。)

もっと論じておくべきことがありそうですが、ひとまずここまでに
しておきます。


寮美千子  「叱る&誉める」の両面作戦 2002年04月09日(火)10時22分05秒 http://ryomichico.net
僕は感謝していない へのコメント

>しかし、あのBBSは、そのような自覚のもとに開設されたのではなく、
>また現在は逆に、その意味を知って牡蠣のように蓋を閉ざした状態にあると
>僕は感じております。

結局のところ、勇崎さんの印象と、わたしの印象、同じものかも知れません。

しかし、だからこそ「感謝」してるのです。「公開」がいかにすばらしいもので、本来みんなに感謝されることなのか、伝えたかったのです。「それじゃあ、ダメだぞ」っていうより、「あれってすてきね」っていったほうが、世の中よくなりやすいんじゃないかって思うのです。ダメなことが周知されることも大切だけど、イイことが流布されることも大事。その両面作戦なら、なお強い。これからも、「叱る&誉める」の両面作戦?で行こう!

「悪貨は良貨を駆逐する」とはいうけれど「すてきなことは、ダメなことを駆逐する」ということにはならないだろうか? しかし、すてきなことが、みんなにとって「気持ちいいこと」であれば、やっぱりすてきなことに人の心は傾くと思うのです。

ネットでの公開討論は、確かに面倒くさいこともあります。でも、結局は風通しがよくて、さまざまな意見を聞くことができ、最後には主催者側も「ネットでも公開討論しました」と錦の御旗にもできるはず。住民や納税者といった参加する立場の者だけでなく、ネットでの公開討論は、主催者側にも「すてきな」「気持ちのいいこと」のはずだと思うのです。近視眼的な観点じゃなくて、長い目で見れば。それをみんなに知ってほしいなあと思うわたくしでした。

勇崎哲史  僕は感謝していない 2002年04月09日(火)00時29分34秒
密室からガラス張りへ/ネットの公開討論の可能性 へのコメント

ハハハハ(笑いではなく、くしゃみ一歩手前状態の擬態語)。、、、、ハあくしょん。
松永くんへのレス「よくわからない」は、酔った勢いで、クリックしたものです。
お漏らし投稿、後悔しきり、というタイプのものです。
あの投稿のように、他者に自らの意見をのっけるのではなく、「僕は感謝していない」と書くべきでした。
寮さんが述べられていることは、その通りだと思います。僕も大賛成。
しかし、あのBBSは、そのような自覚のもとに開設されたのではなく、また現在は逆に、その意味を知って牡蠣のように蓋を閉ざした状態にあると僕は感じております。
感じ方は人それぞれかと思うのですが、僕は、寮さんや松永くんのように好意的には受け止められない。あの事件以来、心がいびつに皮肉れた状態なのかも知れませんね。
心が醜い可愛そうな僕。あああーーー(絶望ではなく、あくび一歩手前状態の擬態語)。、、、んん。
19日の帯広は慰めてもらおーっと。

寮美千子  密室からガラス張りへ/ネットの公開討論の可能性 2002年04月08日(月)21時43分46秒 http://ryomichico.net
よくわからない へのコメント

勇崎氏が、こう書かれていました。
松永さま>
おはようございます。
なぜ、ヤノベ氏に感謝されるのか、ぼくにはよくわかりません。
なにか、歳にも似ず、へりくだっておられないでしょうか。
松永氏がヤノベ氏に感謝したのは、松永氏自身も書いているように「ネットでの公開討論」という形式をヤノベ氏がとったことへの感謝ではないかと、わたしは理解しました。以下、松永氏の文より引用。
ぼくがいちばんおそれていたのは「公開の場所でワークショップの打合せなんかすると、うるさいやつがやってきていろいろ口を出されたりするから、そういうリスクは避けるようにしよう」という考えが人の頭に浮かんだり、そういう考えが実行に移されることだった。
今回の、掲示板でのワークショップの内容の打合せというのは、とてもすばらしい試みだったと思う。
政治も何もかもそうだけれど、公開するといろいろとうるさいことになるからと、密室でコトが進む。それが、私的なことならしょうがないけれど、公共のことまで、そのようなことになってしまうのは、とても残念です。その結果、おぞましい建物が建ったり、無意味なイベントができたりして、損害を被るのはその建物を毎日眺めなくちゃいけない住民や納税者。もっと住民や納税者の意見を聞いてくれればいいのに!と思うようなことがよくあります。ネットでの公開討論は、住民や納税者の直接参加が可能な新しい方法論。それを試みてくれたヤノベ氏のこと、わたしも偉い!と思います。公開討論の場を提供してくれたヤノベ氏に、わたしも感謝!です。

勇崎哲史  青いナムジルについて、はなはだおせっかいでせんえつですが、、、(資料集) 2002年04月06日(土)01時59分05秒
▼Review Lunatique:青いナムジル/草稿 へのコメント

昨年、ネット時代のひとつの写真展のつくりかたとして、僕も鳥海さん系BBSを使わせていただき、寮さんと同じように(寮さんは絵本)、アンケートのようなものを寄せていただいたことがありました。その時に4人の方が投稿下さり、少ないながらも、大いに参考にさせていただき、展覧を制作しました。(実はsilicaさんも寄せて下さいました)
そんなことから、青いナムジルについて、僕も奮って昨夜カフェルミの方に投稿しましたが、もっと多くの人たちからリアクションがあっていいのに、、、と思いました。なぜ、リアクションが少ないのだろう?と考えてみましたが、それは、批判や感想の動機となる情報が全く提示されていないことにも要因があるのでは、と感じました。
僕は仕事柄、調査行為や事典がわりに、ネット検索を頻繁に利用しているので、今回の寮作品草稿への感想を伝えるために、すぐに原典を探し、原典と相対化して感想をお伝えしました。
寮さんの今回の行為は、作家として、大胆にも裸になることを恐れずになさったことと感じます。
いってみれば、作家としての独創性を発揮しながらも、日本の文化を誤解させることなく、「花咲か爺さん」や「浦島太郎」などのお話しをモンゴルの子供たちが理解できるように新しく物語を創作するとすれば、今回の場合、その逆に、モンゴルで親しまれているお話しを日本に伝えるということかと思います。しかも、「ナムジル」の話も、現地では幾通りものストーリーがあるようです。また、馬頭琴創成伝説としては「ナムジル」よりも「スーホの白い馬」の方が日本では知られているいるようです。
そういった背景を知ると、我らが寮さんに、寮さんらしい仕事にして欲しいと思うわけです。
それで、はなはだおせっかいでせんえつなのですが、僕が検索した、相対化のための資料を、以下長々とコピーいたします。これらと相対化することで、寮ファンとして、寮さんらしさをどのように求めるのか、各位の感想をひきだすきっかけになれば幸いに思います。
なお、僕は、カフェルミにもその片鱗を書きましたが、「青いナムジル」は男女の美しいラブ・ロマンスではなく、この資料の末尾にコピーした内容のように、「モンゴルの人々と馬との関係は、単なる家畜とその飼い主ではなく、共に生きる仲間であるということ」、といったモンゴルの人々の“持ち前”が伝わる絵本であって欲しいと感じております。
以下が、参考資料です。
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モンゴルの民話
「フフーナムジル」

フフー・ナムジルという美しい青年が、東モンゴルの はずれに住んでいました。彼が兵役役に就いて西モンゴルのはずれに行ったとき ある1人の美しい王女様と 出会いました。お互いひと目見て、あっという間に恋に落ちました。2人は楽しく時を過ごしました

いよいよフフー・ナムジルの兵役が終わり故郷に帰るとき、彼を深く愛する王女様は彼にジョノン・ハルという翼をもつ空飛ぶ駿馬を贈りました。フフー・ナムジルはこのジョノン・ハルを駆って国の東はずれから 西のはずれに飛び、毎晩愛する王女様に会うことができました 。朝にはフフー・ナムジルはまた東のはずれに戻り、馬追いをしながら帰宅しました。この空飛ぶ魔法の馬のこと は3年の間誰にも気づかれませんでした。

ところがあるとき、このフフー・ナムジルを 好きになった近所の裕福な家の意地悪な娘がフフー・ナムジルの行動を不審に思って、夜彼のあとをつけました。 するとフフー・ナムジルはなんと翼の生えた馬に乗って飛んで行くではありませんか。きっと行く先は 王女様のところに違いないと思った娘はじっと隠れて見ていました。そして、フフー・ナムジルが愛する王女様との逢瀬から帰る途中でジョノン・ ハルの汗を乾かして休んでいるところ へ娘はそっと近づきジョノン・ハルの魔法の翼を切り取ってしまったのです。 死んでしまったジョノン・ハルを見てフフー・ナムジルは 悲しみに暮れました。フフー・ナムジルは 空飛ぶジョノン・ハルをいつでも思い出せるようにとジョノン・ハルの 頭に似せた木の彫刻を彫り、木の棹に括りつけ、ジョノン・ハル の皮を使って共鳴箱を張り、その柔らかな尻尾の毛をまとめて 樹脂を塗って弦として楽器を作りました。それを弾くことでジョノン・ハルのいななきや 駆ける様子をなつかしんだということです。これが後に馬頭琴となった楽器の始まりなのです。
http://www08.u-page.so-net.ne.jp/qd5/usami/minwa.html


モンゴルの民話
●馬頭琴にまつわる伝説です。主人公フフーナムジルとは一体何者?
▼民話TOP/フフー・ナムジル/ボルじいさん/老人ダランタイ/チミットの聞いた話

昔々、東の地方にフフー・ナムジルという素晴らしい美男子いた。彼はすばらしい歌の名手で、兵役にとられ、西の国境へ赴くことになった。そのことを知った軍の指揮官は、兵士としての仕事や訓練をやらせる代わりに、歌をうたわせた。

そんなある日、フフー・ナムジルは指揮官に頼みごとをした。「兵役に復してからこの3年、馬にも乗ってないし、外にも出ていません。こうした兵役生活も魅力的ですが、私にはつらいのです。数日で結構ですから、もう一度馬の世話をさせて下さい。」と。そして指揮官の答えは、「美しい歌声を楽しんでいる方が我々には良いが、どの道お前の兵役期間もきれてしまう。それほどまで望むのなら、今度だけ五日間、馬とともにいることを許可しよう。」そこでフフー・ナムジルは出発し、湖のほとりまでやってくると馬達に水を飲ませ、彼は岸辺に腰掛けて歌った。

すると、湖の中から緑色ので絹のデールを身にまとった、美しい女性が見事な黒い馬にまたがって現れた。そして、「両親があなたをお呼びしてくるようにと申しました?といい、彼は「でも、一体どこへ行くのですか?」と尋ねた。「私の後ろに乗って、目をつぶって下さい?と答えた。彼はいわれた通りに、目をつぶり馬に乗ると、二人はあっという間に娘のゲルについた。

娘の両親は彼を歓待し、歌をうたってくれるよう、うながした。しかし彼は、「残念ですが、今は時間がありません。私は馬番で、五日間だけ馬と一緒にいられる許しを指揮官からもらってきたのです。」すると両親は、「そのことなら心配ありません。馬の世話をさせに人をやりましょう。ですから気を楽になさって、私どものために甘美な歌をたくさんうたって下さいな。」と答えた。

そうして、フフー・ナムジルはここにとどまることにし、いつしか美しい娘と恋に落ちてしまった。そして、二人は結婚することになった。

「今は五日間しか時間が無いが、ひと月経てば、私は軍隊から出られる。そうしたらまた会いにこよう」「その時は、黒い馬に乗って会いに行くわ? と。そしてフフー・ナムジルが馬を追って軍に戻ると、指揮官達は、「お前は何という優れたやつなんだ。馬をここまでい立派に大きく太らせるとは。他の者なら、ひと月、いや一年はかかるだろう?と口々に褒め称え、「お前を軍隊から手放す訳にはいかん」などと言い出した。しかしフフー・ナムジルにとってはそんなことは願い下げで、「除隊の期限はもうすぐきます。ですからどうぞ行かせて下さい。隊長殿!!?と頼み込み、ようやく指揮官達もこれに同意した。

フフー・ナムジルは除隊するとすぐに、真っ直ぐ湖へと向かった。そして、約束していた通りに座って歌をうたうと、娘が黒い馬に乗って現れた。二人は両親の元へ行き、たいそう幸せに暮らしたが、実はフフー・ナムジルには故郷に残してきた両親と愛しい妻がおり、彼らに会いに帰らねばならなかった。娘が言った「特別な馬を差し上げましょう。それに乗れば、昼はご家族の元に帰り仕事をして、夜はここへ戻ってこられます。でも他の馬には乗ってはいけません。そして、ゲルにつく1キロくらい手前で止まり、馬を必ず休ませて下さい。?そうして、彼の旅のために、ほれぼれするような葦毛の馬を送ったそうだ。

フフー・ナムジルがこの新しい葦毛の馬に乗って故郷へ帰ると、家族の者達はその馬をたいそう珍しがった。彼の妻は、フフー・ナムジルが夜毎に出かけて、決してゲルに戻ってこないのでびっくりした。馬の群れを谷へ追いたてると、彼は贈り物の葦毛の馬に乗り西の国境まで飛ぶように走り、緑のデールの娘のゲルで眠った。夜が明けると、娘に言われた通りにゲルの1キロ手前で馬に息をつかせ、実家へとかけ戻り、馬の群れを連れ戻す時間に間に合わせるのである。こうした日々が、妻には理由が分からないままに3年続いた。

ある日のこと、少し遅れてしまったフフー・ナムジルは、1キロ手前で馬に息をつかせるのを忘れたまま、まっすぐに帰ってしまった。ちょうど夫を疑い始めていた妻が、突然!ゲルから出てきた。「わぁっ!!!!」すると妻の目の前には、翼ををもつ葦毛の馬が・・・。妻は気が動転する間もなく、ゲルからナイフを取ってきて、必死の形相で馬の翼を根元から切り落とした。その葦毛の馬はすぐに息絶えてしまった・・・
 フフー・ナムジルは多いに嘆き悲しんだ。三ヶ月の間眠ることも食べることもしなかった。そうこうしているうちに、馬の頭をかたどった琴を作り、それを奏でて、愛しい葦毛の馬の功績を称える歌をうたうのだった。
 これが、”モリン・トルゴトイ・ホール”(馬頭琴)の始まりであったとさ・・・・
http://www1.plala.or.jp/CHIMED/HTML/SOL/ALA/M_minwa_huhu.htm


馬頭琴ってどんなの
細い馬のしっぽの毛を束ねてできた二本の弦がはられた擦弦楽器。馬の毛を張った弓で弾く。
なんともいえない味わいがあり、日本人にはなじみやすい音色を奏でる。
広大なゴビ砂漠にそよ風がふいていたある日のこと、ある牧民がゲルの外で何か音がしているのに気づき、外にでてみた。すると、風に吹かれて馬のしっぽがかすれあい、音がしていたのだった。「風さえこのように音を奏でる。人が奏でたらどんな音になるだろう」その牧民はそう思って楽器をつくることにした。作って弾いてみたらなんということだろう。母らくだが目から大粒の涙をぼろぼろこぼし、それまで乳を与えるのをいやがった子らくだに乳をのませているではないか。まことにふしぎな音色をかもす。それが今に伝わる「馬頭琴」だ。
馬頭琴に関する伝説というと、日本では「スーホの白い馬」がメジャーで、ややマニアックなところで「フフー・ナムジル」の伝説が知られている。上の伝承は、恐い王様も、美しい女性もでてこないから、物語性は二つの伝説に比べて少ないものの、いかにも遊牧の生活から生まれた雰囲気が伝わってくる。
http://www5a.biglobe.ne.jp/‾batokin/batokin.htm


「スーホの白い馬」
馬頭琴の成り立ちの話として多くの日本の人々に愛されている「スーホの白い馬」(大塚勇三:再話 福音館書店)(教科書 光村図書)には、本当に深い思いをそれぞれの方が抱いていることでしょう。
この物語が生まれたのは、中国内モンゴル自治区旧チャハル地方と言われています。現在はシリンゴロ地方と呼ばれ、草原のとても美しい遊牧の盛んなところです。
シリンゴロ地方出身のリポーがこの物語を初めて知ったのは8才程の頃だったそうです。この時リポーはまだ「馬頭琴」を手にして居ませんでした。10才の時おじいさんの手作りの馬頭琴で手ほどきを受けたのが出会いだったそうです。
そんなリポーが内モンゴルで馬頭琴演奏家として成功し、日本へ来て一番驚いたことは「スーホの白い馬」を本当に多くの人が知っていてまた愛していると言うことでした。
http://www.c-5.ne.jp/ripo/story.html


モンゴル民話 「スーホの白い馬」 あらすじ 試聴 mp3 475KB
                            
昔、モンゴルの草原にスーホという羊飼いの少年がいました。     
あるとき、彼は小さな白い馬に出会います。スーホはその馬が大好きで、いつでもどこでも一緒でした。         
ある日スーホのもとに知らせが届きます。「町で競馬を行う。優勝者は王様の娘と結婚できる。」
スーホは白い馬とともに競馬に参加、幾多の強豪を倒し優勝したのです。
ところが、王様は白い馬を取り上げたばかりか、スーホをたたきのめして追い出してしまいました。
一方、白い馬は王様の隙を見て脱出に成功。しかし王様の家来に矢を射かけられ、スーホのもとにたどり着いたとき、息絶えたのでした。
嘆き悲しむスーホ。
しかしあるとき夢の中に白い馬が現れ、「そんなに悲しまないで…   それよりも、ぼくの体を使って、楽器を作ってください。そうすればぼくはいつもあなたのそばにいられます。」
スーホは楽器を作り上げました。これが馬頭琴です。
スーホの作った馬頭琴はモンゴルの平原中に広まりました。人々はうれしいとき、悲しいとき、この馬頭琴を弾いて歌い、明日に希望をつなぐのです。
http://www1.ttcn.ne.jp/‾yoshiharu-e/suho%20no%20siroiuma.htm


『スーホーの白い馬』にまつわるお話し
 小学校2年生の国語の教科書で取り上げられている「スーホーの白い馬」。原作はモンゴルの昔話です。
ある夜、スーホーという少年が寝ていると、ゲルの外から怪我をした馬の苦しそうな声が聞こえてきました。少年は手当をしてやり、数日後、馬は元気になります。そしてそれ以来、少年と白い馬はとても仲良く暮らすのですが、ある日ハ一ンが現われて「競馬をやろう。そして勝った者を自分の娘のむこにしてやろう」というのです。スーホーはこのレースに参加し、見事に優勝します。ところが、ハ一ンはこの貧しい少年と自分の娘を結婚させるのはいやだと思い、少年から馬を取り上げたうえ、追っぱらってしまいました。少年は毎日毎日馬のことを思い、案じます。
 そんなある晩、ゲルの外で馬の声が聞こえました。少年が飛び出ると、ハ一ンの家来に追われて傷だらけになった白い馬がいたのです。「わたしは死んでしまいますが、ずっとあなたのそばにいられるように、わたしの骨や毛を便って楽器を作ってください。」そう言い残して馬は死にます。少年は馬の遺言通りに楽器を作り、その楽器が今の馬頭琴だというお話です。
 ベトナム戦争時、モンゴルはベトナムに馬を数百頭送りました。そのなかの一頭がベトナムで行方不明になりましたが、数年後、持ち主のところに疲れ切って帰って来て、そのまま力尽きたというニュースがありました。
 モンゴルの人々と馬との関係は、単なる家畜とその飼い主ではなく、共に生きる仲間であるということがわかっていただけるでしょう。
http://www.embassy-avenue.jp/mongolia/cultu-j.htm

勇崎哲史  社会史観からの脱構築 2002年04月05日(金)01時52分01秒
二、三思うこと へのコメント

いや〜、たいへんごぶさたしておりました。
納品締切地獄の3月年度末が過ぎ、ようやくゆとりが出来たところです。

清水さま>
お元気ですか。
原宿でのミーティングのつづき、またどこかで実現したいですね。
清水さんが投稿された[ 二、三思うこと 2002年03月20日(水)20時50分49秒]のなかに、

「例えば、所有論について勇崎さんを批判したのに、反論がないからといって不満に思うようなものではありません(勇崎さんに催促しているわけではありません)」
という記述があり、気になっていました。

清水さんが投稿された[勇崎氏の所有論について 2002年03月12日(火)10時00分12秒)]へのレスポンスことかと思いますが、僕はその後の[イマジネーション〜国際立公園という発想 2002年03月19日(火)05時44分35秒]で清水さま、ドロンコさま、パルステラさまら各位にレスしたつもりでおりました。
そもそも正しい答えなんかみつかりっこない提起でしたので、反論というよりは、各位の多様な受け止めに感謝をお伝えし、僕はイマジネーションの問題へと提起を移行させていきました。
もし、反論型のレスを求めれられているのであれば、と思い、ここに改めてレスすることにします。

【レスポンス:反論型】

清水さま、ドロンコさまは、どちらかというと「社会史観」の立場から、僕の誇大妄想を突いてこられたと思います。
僕はその既存の「社会史観」から探求するという構造にこそ疑問をいだいています。
この最初の提起となった投稿[続“持ち前”探検隊:“所有”をめぐって 2002年03月08日(金)00時56分40秒▽未来のための呪文 [voice] へのコメント]に引用した僕のコラムの前半では、古代からひとっとびに18世紀?20世紀の歴史を俯瞰する記述、つまり大雑把な史観となっています。

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 人間は古代から、“所有”をめぐって、絶え間なく争いごとを繰り返してきた。
 18世紀以降、大きな船と航海技術、強力な武器を持つ国々の欲望は、領土を海の外に拡大し、競い合って植民地や“新天地”を所有した。猟をする以外、殺戮のための武器を知らず、“人間が土地を所有する”などという概念や欲望を持たぬ民族は隅に追いやられ、ついには“少数”民族にされてしまった。
 20世紀になると、世界は自由主義圏と共産主義圏に二分される。国内の土地を、前者は民間や行政区が、後者は国が一括所有するという国家システムである。だが、どちらも“人間が土地を所有する”という点においては同じである。だから、争いごとは終わらない。
 近年、共産圏の国々が次々と崩壊した。権力の集中は人間や社会を腐敗へと導く。崩壊現象は、権力が集中しやすい共産主義体制からはじまったに過ぎない。20世紀型の自由主義体制もやがては破綻するだろう。世界はもうひとつ別のシステムを模索しはじめている。
(後略)
cafe0007.html#cafe20020308005640
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そして最後に、アイヌなどの世界の少数民族から学ぶべきだ、と結んでいます。

歴史は、“勝者(≒マジョリティ)”側によって記述され、“敗者(≒マイノリティ)”側から見た歴史は無視されてきました。そういった歴史の上に史観が築かれてきました。
確かにマルクスは唯物史観という、上述の歴史とは違うところから、歴史観を構築しました(僕は高校の時の倫理社会の教科書でしかマルクスを学んでいませんが)。それはきっと新しかったし可能性はあった。しかし、腐敗する人間の心まで読みとれなかったから、このシステムは100年も持たなかった。
僕が伝えたいことは、そのマルクスも含めて、これまでの「社会史観」の構造にとらわれては、未来が開けないのではないか、という提起なのです。

つまり、史観の構造改革、あるいは、これまで確かなものと思われてきた史観からの脱構築の道筋として、歴史に記述されなかった“敗者”側からもうひとつの「史観」を築いてみること。そこから次の新しい社会システムが構築できるのではないか、ということを僕はこのコラムで提起しています。そしてそのキーワードを“所有の概念からの離脱”としてみたのです。それは、「社会史観」というものが「獲得の歴史」=“所有概念確立史観”を重要な核のなかのひとつにしているように直感するからです。

確かに、所有の概念が確立していなかった原始共産主義に人間が還ることは、全くリアリティがありません。原始共産主義への回帰といったメッセージは、もう何度もくりかえされてきた。でも誰も帰ろうとはしなかった。掛け声だけ。
僕は、そういった意味からも、原始共産主義からはじまるようなこれまでの「社会史観」から考えては、「もうひとつ別のシステム」は創造されない、と認識します。
また、清水さんがおっしゃるように、少数民族の思想から学ぶ機会の環境に恵まれていないのは、北海道に暮らす僕だって五十歩百歩です。そのようなことから、学習機会に恵まれない場合の第2の方法として、「イマジネーション」の問題を、各位へのレスとして提起させてもらったしだいです[イマジネーション〜国際立公園という発想 2002年03月19日(火)05時44分35秒]。
cafe0008.html#cafe20020319054435

どうでしょう。少しは反論になっているでしょうか。

勇崎哲史  よくわからない 2002年04月04日(木)06時19分44秒
メカゴジラ対エキスポタワー へのコメント

松永さま>
おはようございます。
なぜ、ヤノベ氏に感謝されるのか、ぼくにはよくわかりません。
なにか、歳にも似ず、へりくだっておられないでしょうか。

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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