▲2003年08月の時の破片へ


■29 Jul 2003 おひさま大賞選考会


「おひさま大賞」の選考会。選考会の前の昼食会で、小学館社長の相賀昌宏氏と同席したら、みんなで高尾山のビアホールへ行く会に誘われた。

「おひさま大賞」応募作は、相変わらず低調。わたしが唯一気に入った「みおのセーター」(苅田澄子・文)という作品は、編集長が賛成しただけで、他の審査員の評価はえられなかった。セーターに頭を突っ込んで、出口がわからなくなる子どもの気持ちを、触感を中心に実に鮮やかに描き、身近なものが変身した楽しい空想世界へ誘うすばらしい作品なのに、残念だ。逆に、色が濁っていて、季節感をあまりにも無視しているので少しも感情移入出来なかった作品を、他の審査員が高く評価して大賞に。毎回のことだが、わたしはみんなとかなりズレている。

■27 Jul 2003 古典落語の音表現


相模原市立博物館で「古典落語の音表現」という講演があるので、きのうに引き続き自転車で出かける。講師は山下充康氏。われわれがいかに普段から音に鈍感かについての話だった。古典落語の話はほとんどなかったのがちょっと残念。こんど、古典落語のCDを聞いてみようと思った。

■26 Jul 2003 宇宙科学研究所公開


宇宙科学研究所の一般公開日。統合前の、最後の一般公開だ。相棒といっしょに自転車で行く。平林久教授をいつもの部屋に訪ねると、部屋がない! びっくりして探すと、新館に移転していた。以前よりずっと広い大きな部屋で、活気もある。先生もお元気そうで、楽しく過ごさせてもらった。

■24 Jul 2003 アップルパイ再考


鈴木出版に渡してあった「すてきなすてきなアップルパイ」について再考する。画家は、最初は「自然をきちんと描ける人」がいいと思ったが、やはりむずかしい。描けても、そこにイメージの広がりがなければ意味がなくなってしまう。作品を読んで、あるテンションの高さをもってイメージしてくれる人でないと、その広がりは生まれてこないだろう。だとしたら、いっそファンタジー路線でもいいのかもしれない。エリサ・クレヴェンのような作風なら最高だ。

などなど考えているうちに書き直したくなったので、新しいヴァージョンをつくって編集者に送った。わたしに描けたらいいのになあ。

■22 Jul 2003 おひさま大賞予備審査


小学館「おひさま大賞」文章部門の予備審査をする。これは大賞に推したい、と思う作が一作あった。うれしい。

毎年公募しているが、応募作品の水準は少しも上がらない。最終選考に残った人々に、継続的にアドヴァイスできるような場があれば、ぐっと伸びるだろうと思う。もったいない。

■21 Jul 2003 書棚購入


鬱である。部屋が片づかないからだ。本棚があれば片づくかもしれないと思い詰め、あちこち下調べをしていたのだが、とうとうきょう思い切って大正堂本店に買いに行った。門坂家方式を採用して、この際、廊下にも置くことにした。廊下には奥行き16センチの薄い書棚。いままで本を置かなかった6畳にも、奥行き30センチの書棚を置く。全部で6本。間口の合計はなんと4メートル80。どれも上置きをつけて天井まで目一杯使う。書棚では定評のある小島工芸のものを選んだ。全部で16万円と大出費。これで片づかなかったら、もう絶望するしかない。書棚は31日に届く予定。

■20 Jul 2003 プラネNPO@川崎市青少年科学館


科学ジャーナリストの林衛氏が、閉鎖するというサンシャイン・プラネタリウムを民間で運営する組織を立ちあげようと立候補した。そのための意見交換会が開かれた。若宮氏のご好意で、会場は川崎市青少年科学館。岡本太郎美術館のすぐ隣だ。

サンシャインは、プラネタリウム機器会社が引き継ぐのではないか、との情報もあり、早急にNPOにすべきかどうか、して目算はあるのか、などの意見が交わされた。参加者は次の通り。(敬称略)

林衛 科学ジャーナリスト
若宮崇令 川崎市青少年科学館館長
水野 学芸大学教授 サンシャイン・プラネタリウム存続を願う会代表 
大平貴之 メガスター制作者
戎崎 理化学研究所教授 ユニバース制作者
小野夏子 板橋科学館プラネタリウム解説員
遠藤 (元)サンシャイン・プラネタリウム解説員
古田 科学ジャーナリスト
野川和夫 サウンド・デザイナー
松永洋介
寮美千子

■19 Jul 2003 ユニバース・アイヌ・六本木ヒルズ


▼ユニバース@科学技術館
午後三時半より、ユニバースの公演を見る。これは、先日国立天文台で発表された「4次元デジタル宇宙」の元となったサイエンス・ショーのシステムだ。眼鏡をかけ、三次元映像で宇宙を旅しながら、さまざまな科学解説をきける。きょうのナヴィゲーターは理化学研究所の戎崎氏。さすが七年間もやっているというだけあって、テンポのいい、人を惹きつける解説ぶりだ。

結局のところ、いかに人の心をつかむかは、ソフト次第。ハードは勿論重要だが、ハードだけではいつか飽きられる。ハードを追求しながら、同時に「解説芸」というソフトを磨き充実させてきた戎崎氏らの努力はすばらしい。

「4次元デジタル宇宙」を見そびれた人も、ここに行けばほぼそれと変わらない体験が可能だ。もっともっと多くの人が見るべきだと感じた。

▼イヨマンテ公演@紀尾井ホール
ユニバース終了後、タクシーで紀尾井ホールにかけつける。「日本音楽のかたち16 アイヌの儀式と音楽――熊送りの祭礼」の公演を見るためだ。

紀尾井邦楽スペシャルの一つとして企画されたこのコンサート。アイヌ音楽が「邦楽」と認められるようになたことに、時代の流れを感じる。

司会は音楽学者の徳丸吉彦氏。ゲストにアイヌ文化振興・研究推進機構の理事長である谷本一之氏と、平取アイヌ文化保存会の貝沢耕一氏も出演。実際にイオマンテを演じたのは、平取アイヌ文化保存会の方々だった。

萱野茂氏もゲスト出演する予定だったが、残念なことに体調を崩されて欠席。本人はどうしても行きたいといったけれど、まわりの若い衆が「お願いだからおとなしくしてください。これからも、もっともっと長生きして、みんなに伝えてもらわなければならないことがあるんだから」と押し止めたとのこと。ほんとうに大事にしてこれからもずっとがんばってほしいと思う。

民族音楽を研究なさっている徳丸吉彦氏とは、実は四半世紀ほど前にお目にかかっていたことを、会場で思い出した。氏がお茶の水女子大にいらっしゃたころ、ヤマハの仕事でお目にかかったのだ。PR誌に「管楽器の歴史」を書いていただいた。研究室にお伺いして名乗ると、いきなり「寮金吉さんのご関係の方ですか」と聞かれて驚いたことを覚えている。「金吉は、祖父の弟です」というと、徳丸氏は書棚から一冊の本をとって見せてくれた。チャールズ・モリスの「記号と言語と行動」という、なんだかむずかしそうな本だった。その訳者が寮金吉だったのだ。大叔父がそんな本を訳しているということを、わたしはその時はじめて知った。「アカデミックなお家のご出身なんですね」といわれて、ますます仰天してしまい、必死で否定した。

四半世紀を経て「アイヌ」をいうキーワードを通じて、こうしてお目にかかることを不思議に思い、また何か運命のようなものも感じる。わたしはあの頃からバロックやルネッサンス音楽の取材もしていたし、日本人が西洋音楽、わけても古楽を日本ですることについても、いろいろと思うところがあった。乾燥した大気のなか、石造りの教会や城で演奏されるリコーダーの音色は、湿気の多い日本とはずいぶんと違う。それでもあえて古楽を志すには、どんな理由が? などと考えていたのだ。

思えば、その延長線上に「オリジナル」勇崎哲史さんいうところの「持ち前」の思想が浮上してきたのかもしれない。あの頃から、わたしは少しずついまへと至る道を歩きはじめていたのかもしれない。

そういえば「ジャパネスク」に目覚めて弓道やお琴を習ったり、陶芸をしたりしたのは、高校生の時だった。みんながロックを聞いているとき、わたしはそっちに目がいって「六段の調べ」を弾いたり、日本民芸館や五島美術館で陶芸作品を見たりしていたのだ。

などと思い出に浸っているうちに、幕が開いた。

実は、このコンサート、どうしてもピンとこなくて、とうとうチケットを買わずじまいで来て、当日券で入ったのだった。それも、当日券は売り切れで、招待席のキャンセル待ちをしてようやく滑りこんだのだ。

というのも、舞台の上でイオマンテの儀式を演じるというのが、納得がいかなかった。確かに、消えかけた伝統、しないよりはしたほうがいいに決まっている。みんなに知ってもらうことも大切だ。けれど、これは本来「熊の魂を送る」ための儀礼だ。命を奪う熊なくして、舞台でそれをなぞることに、違和感を感じてしまうのは仕方ない。阿寒湖で見た「観光ショーとしてのアイヌ舞踊」に似てしまいはしないか。だったら、先日アイヌ料理店レラチセでしたような「熊肉が手に入りました。みんなで分け合って食べましょう。その時に、形ばかりだけれどイオマンテの儀式をしましょう」というほうが、ずっと気持ちにぴったりくる。そんなふうに思っていた。

しかし、舞台を見て、そんな危惧はふっとんだ。それは、一生懸命に自分たちの伝統を守り復活させようとしている平取の人々の心意気が伝わってきたからだ。そして、そこに「みんなで楽しむ」「わかちあう」といった素朴な心のありようが、まざまざと感じられたからだ。

殺される熊はいなかった。そのかわり、熊の皮を被って熊を演じる人がいた。いよいよというところは、民族映像文化研究所の姫田忠義氏が撮った記録映像が流された。(ただし、子熊に矢が打ちこまれるところ、丸太で首を絞められるところは、映されず、直接に「死」を思わせるものは丁寧に排除されていた)

観客全員にムックリが配られ、その演奏講習もはさまれ、全体に演者と観客とが一体になったいい会だった。

はやく「イオマンテ」の絵本を制作せねばと思った。また「ワタリガラス」が北方民族の民話のなかで、共通して重要な位置を占めているという谷本氏の話を聞いて、アイヌにおけるカラス伝説を調べてみようとも思った。

▼アン・フォンテーヌ@六本木ヒルズ
きょうは大回転である。紀尾井ホールでの公演終了後、六本木ヒルズに駈けつける。わたしの大好きなフランスのブラウスの店「アン・フォンテーヌ」でバーゲンをやっていると、ギャラリー・イヴの山元千秋さんに教えてもらったからだ。ここの真っ白な木綿のブラウスは、とても上等。フェミニンなところも気に入っている。実は、わたしはフェミニン好みなのだ。六本木ヒルズにつくと、まっすぐに「アン・フォンテーヌ」にいった。(といっても、係員に道を尋ねないとわからなかった) 運よく、気に入った一着を見つけることができた。布も上質で、肌触りもとてもいい。いいものを見つけられた時は、ほんとうにうれしい。一万四千円のところ、バーゲンなので半額で買えたのもラッキー。(元の値段が高すぎる?)

その後、六本木ヒルズを散策。通路が直角ではなく、妙な角度で曲がっていたりして、わざと迷うようなつくりになっている。きっと、街歩きの楽しさを再現したかったのだろう。しかし、さほど楽しくない。建築物にまっとうなディテールがないのだ。のっぺりとした壁や階段。きっと、安くあげたのだろう。古い戦前のビルにあるようなディテールがあれば、これでももっと楽しかったかもしれない。

迷うのは楽しいことだけれど、自分の位置を把握できないのは、こんな高層ビルでは危険だ。もしもの時どうなるかと思うと、背筋が寒くなる。

このディテールがないという情報量の貧しさは、けれど逆に人々を惹きつける要素になっているのかもしれない。いまの都会人の脳は、天然自然のディテールを受けとり、そこに意味を読みとるような訓練がなされていない。予め選別され、合目的的につくられたわかりやすいゲームソフトのようなものしか受け取れなくなっている。そのような人々にとっては、このようなディテールがない建築は、むしろ過ごしやすい空間なのかもしれない。そして、脳はさらに貧しくなるのだ。やれやれ。

■17 Jul 2003 「おひさま大賞」イラスト部門


小学館の「おひさま大賞」の予備審査を自宅でする。例年のことだが、部屋いっぱいにイラストを広げて、大変なことになる。

「おひさま大賞」は、文章だけでも応募できるし、文章とイラストのセットでも応募できる。与えられる賞に区別はない。しかし、物語をつくる力と、絵を描く能力は別のものだ。いくら絵がうまくても、物語を作る力のない人はいる。絵が上手なのに、物語がなってなくて落とさざるを得ないこともたびたびなので、区別して審査した方がいいと何度も提言している。編集部に話すと、来年はそうしたいとのこと。

正式の審査会は29日。

■14 Jul 2003 いざなぎ流 御幣切りと踊り


和光大学イメージ文化学科山本ひろ子研究室主催のイベント「いざなぎ流太夫小屋掛け」に参加した。ナレーターの青木菜なさんもいっしょに参加した。

▼小松和彦の著作で知った「いざなぎ流」
「いざなぎ流」とは、四国高知県香美郡物部村に伝わる民間神道。山深いこの村には、国家神道とは別の、土着の神道が脈々と受け継がれてきたという。わたしがいざなぎ流のことを知ったのは1988年のこと。小松和彦氏の著書『日本の呪い』(光文社)によってだった。当時、小松氏は、気鋭の研究者として民俗学の世界にめきめきと頭角を現してきたところだった。わたしはその著作をきっかけに陰陽道やいざなぎ流を知った。「見えない大学」で開催された小松氏の講演も聴きにいったことがあった。

▼いざなぎ流舞踊と御幣切りの講座
そのいざなぎ流との再会だった。イベントの内容は二つ。いざなぎ流舞踊と、御幣切りだ。今回は、その両方を体験することができた。

舞踊は、太鼓の音に合わせて踊るもの。リズムはこんな感じだ。(ン)は休み。
テンツクテン(ン)テンツクテン(ン)テンツクテンテン テンツクテン (3回)
テケテンテンテンテン(ン)テンテン (2回)
単純なリズムに合わせてぐるぐる回りながら舞っていると、ふしぎなトランス感覚にはいっていく。

御幣切りは面白かった。四つ折にした半紙を、型紙を見ながらカッターで切り、出来上がりを竹の軸にさすと、そのとたんに重力に従ってはらはらと崩れ落ち、独特の立体の飾りになる。そのとたんに、なにがしかの命が宿ったように思えるから不思議だ。きょうはオンタツ(雄の龍)、メンタツ(雌の龍)、高田王子、天神祓幣、小玉公神の五種を手習いしたが、実際には何百という切り方があるという。

御幣は、祭文を唱えなければ「ただの紙」だとはいわれたものの、顔もあり風にひらひらとなびく御幣には魂が宿るように感じられ、扱いもおろそかにできない気分になった。

その「祭文」も実にたくさんの種類があり、また家々によって唱えるべき祭文やその手はずも違うので、一流の太夫(お祓いなどのできる神主や巫女のような存在)になるためには、十年以上の修行が必要だという。

▼若き見習い太夫佐竹美保さん
今回は、長老である中山太夫さんと、そのお弟子でここ二年ほど修行をしている佐竹美保さんという二十代の若き見習い太夫がいらしてくださった。佐竹さんは日頃、村役場に務めるOL。物部村に生まれ育ったが、いざなぎ流のことは何も知らなかったという。それが、ある時友人に誘われてその祭りに参加し、後継者不足に悩む中山太夫から「踊りの練習だけでもしに来ないか」と誘われたとのこと。いわば、スカウトされたわけだ。そのうちに興味を抱き、本格的に勉強することにしたという。

「病気を治す祈祷などあるけれど、近代医療との矛盾を感じたりはしないか」「佐竹さん自身は、ほんとうに信じているのですか」という質問をぶつけてみた。

「いざなぎ流は、万物に神を見て敬い、祀る思想。草木一本にもそこに命を感じ、神を見る。いざなぎ流など全然知らなかったわたしだけれど、自然に囲まれて育ったせいか、その思想は難なく受けいれることができた。医者で直る病気もあるけれど、医者では治らない病気もあると感じている。そんな病気に、いざなぎ流はやはり効果があると思う」とのことだった。

いざなぎ流には「すそ」(呪詛の訛りか?)と呼ばれる「ケガレ」を祓う儀式がある。そのような儀式を通じて、村落共同体に属し守られているという心の安定を得る、という「癒し」の効果も高いだろうと推察される。「心の深い納得」なしには、直らない病がきっとあるのだ。

佐竹さんは、趣味でハーブや薬草の研究もしているという。そんなお店を開くのが夢だそうだ。企業と共同開発した「ご当地カレー」のシリーズのひとつ「柚カレー」も、彼女の薬膳レシピによるもので、もうすぐ発売だという。宴会で試作品を食べさせてもらったが、爽やかでおいしく、まさに「薬膳」という感じだった。

薬草を使いこなし、アロマテラピーにもたけ、いざなぎ流をよくする佐竹さんは、新しい時代の新しい形の「善き魔女」になっていくのだろうと思う。

▼長老中山太夫の笑顔
忘れられないのが、長老である中山太夫の笑顔だ。本で読んだいざなぎ流は、おどろおどろしい「呪いの神道」であった。というか、わたしはそのように印象してしまった。

しかし、実際に太夫にお目にかかって相対してみると、まるで違ったので驚いた。万物への敬意を抱き、屈託ない純な気持ちを抱いた素朴な人柄。中山太夫のそばにいるだけで、心がふわっとほどけていくようだった。大自然の懐でこそ育まれる人格だろうか。

弟子である佐竹さんにお伺いしても、太夫は声一つ荒らげたことがないという。いつもやさしく、辛抱強く相対してくれるそうだ。

山本ひろ子氏も語っていたが、いざなぎ流は、万物のひとつひとつを、実に丁寧にお祀りするきめ細やかな繊細な宗教だそうだ。

中山太夫は別格、実際には、呪い合戦などおどろおどろしい側面もある、との噂話もあるが、そのような暗黒面ばかりでなく「白魔法」とも呼べる明るい、人を和ませる側面があることも忘れてはならないと思った。中山太夫にお目にかかれて、ほんとうによかったと思う。感謝。

▼余談:吉祥大和舞といざなぎ流舞踊
青木菜なさんは、先日公演のあった坂東遥氏が家元である日本舞踊のお弟子でもある。きょうのいさなぎ流の舞は、坂東氏が新たに考案した吉祥大和舞に通じるところがあるそうだ。大地と交感して祈る舞は、どこか似てくるのかもしれない。

■13 Jul 2003 東逸子氏アトリエを初訪問


はじめて東逸子さんのアトリエへ行く。東さんに教えてもらった近道を通って自転車でいったら、正味13分しかかからなかった。信号待ちがあっても15分で行けるだろう。車も少ない住宅地のなかの裏道なので、とても走りやすいのもうれしい。走っていたら、猫が道を渡っていくのが見えた。

お土産に自家製ヨーグルトとフランスの薔薇の花のジャムを持参。逸子さん、昨晩テレビでブルガリアの「花の谷」を見たばかりという。長寿の国のヨーグルトと薔薇に感心していたら、ヨーグルトと薔薇の花のジャムが届くなんて不思議、と喜んでもらえた。

目的は二つ。以前、松永に届けてもらったヨーグルトの瓶の回収と、先日入手した『グリム幻想』にサインをいただくこと。普段、サインにはほとんど興味のないわたしだが、この本は別格。そう思わせる力が、工芸品のように美しいこの本にはある。

訳者の古井由吉氏には、先日既にサインをいただいていた。逸子さんは、その対向ページにさらさらと美しい字でサイン。そして、翼のある卵を描き、さらには真っ黒い地の全面に星を散らしてくれた。そこに、一つの宇宙が出現したような、広がりと奥行きのあるページになって感激。

制作の裏話も聞かせてもらった。試し刷りの雁皮紙。充分にインクが浸みなかったのが、却って効果を出して、振り向いた赤頭巾の顔が不気味な陰影を帯びて見える。面白いと思ったので、その顔の部分だけをカットに使ったということ。本来なら台紙の方に接着されるべき雁皮紙が、版の方に貼りついていしまったので、はがしてあえてシワを寄せ、もう一度新しい台紙にプレス。それも、結局はカットとして使用したそうだ。「遊び心」が満載なのだ。

「仕事だか遊びだか、わからないでしょう。自分でも、仕事だか遊びだか、わからなくなっちゃうの。あの頃は、他の仕事を全部断って、こればっかり1年半もやっていた」と逸子さん。その境地こそが、理想の芸術家の姿だ。本気で一生を遊び倒し、しかもその境地でしかできないすばらしい作品を残すことができたら、どんなにいいだろう。

サインをもらって、そんな話を聞いて、すっかりうれしくなって戻ってきたら、ヨーグルトの空き瓶を忘れてきてしまった。逸子さんには迷惑かもしれないけれど、また行く口実ができてしまった。

■10 Jul 2003 本音の言葉


前期最後の「物語の作法」。瓜屋香織さんの短歌を合評した。「恋の歌」を三首、という課題を出したところ、瓜屋さんが面白いものを書いてきた。「いいじゃない。もっと書いてごらん」といったら、いきなり四十六首も詠んできた。聞けば、一晩で作歌したという。短歌は読んだことも、詠んだこともないという彼女の作品は、既成概念に毒ざれずに、本音をそのままダイレクトに出して、斬新だ。タイトルの「ひとりぼっちで目隠ししてお食事」というセンスも、すごいの一言だ。

瓜屋さんはさらに、新たに詠んだ二十九首も提出。どれも、訴求力が強い言葉が並んでいる。この合評をするために、普段が休みがちな学生もわざわざ授業に出てくるほどの人気だった。

瓜屋さんは、今風のギャル、といった風貌。茶髪でおしゃれな女の子だ。「普段はいえないほんとうのことを言葉にしたい」というのが「物語の作法」受講の動機だという。短歌という定型を得て、いままで形をなさなかった彼女の本音がみるみる形になっていった。自分に向いた表現を見つけること。それがむずかしい。瓜屋さんは、それを発見することができたのかもしれない。

「どっきり短歌」といってもいいような直截な彼女の短歌。そのパワーを削ぐことなく表現を洗練させることができたら、若者の強い共感を得られる作品になっていくことだろう。

■ 8 Jul 2003 吉祥大和舞


坂東遥氏の吉祥大和舞公演「黎明」に招待され、日本橋劇場へ行く。吉祥大和舞は、坂東流家元の坂東遥氏が創作した新しい舞。古事記を思わせる日蝕をめぐる神々と精霊の物語を舞踊にしたのが、今回の作品だった。

大衆演劇にも通じる物語のわかりやすさと、日本舞踊を基礎とした高度な踊りの技術が一体となった不思議な舞台だった。この「わかりやすさ」は、わたしには過剰に思えたが、無邪気に楽しむ観客も多かったようだ。わたし個人の趣味としては、お神楽の舞台のような、演劇性はあっても過剰に説明的ではなく、踊りそのものをより前面に押し出した抽象的作品を望みたい。しかし、もしかしたら、この親切路線が、大衆演劇のように人々の心を引きつけていくのかもしれない。

吉祥大和舞は、新しい舞踊。まだまだ変化していくだろう。伊勢神宮や出雲大社、鹿島神宮でも奉納舞を踊ったという。どんな方向に進化するのか、今後が楽しみだ。

■ 7 Jul 2003 西山美なコ個展@ギャラリー・イヴ


ギャラリー・イヴで展覧会のオープニング・パーティ。今回は「西山美なコ個展」。西山作品に、石井辰彦氏の短歌を集録したイヴ叢書「百花殘る。と、聞きもし、見もし……」も出版され、その出版記念パーティも兼ねていた。

西山作品は、菓子職人に作らせた薔薇やティアラを象った砂糖菓子と、それが自然に融け、蟻が群がっていく様子を写した写真。いかにも少女風の甘さのなかに、諧謔が潜んでいる。それが嫌みでなく気持ちよくみられるところが技というか、人柄だろうか。

石井辰彦氏は、ACC(アジアン・カルチュラル・カウンシル)でニューヨーク留学中、チェルスモアのアパートで、同じくACCで留学中の西山氏と隣り同士だったという。わたしも、時期は違うが、同じ奨学金で同じアパートに滞在したことがある。石井氏は、西山氏と作品を往復させながら、本という形にまとめあげていったそうだ。装丁も作品の一部となるほどすばらしい。ウェルメイドな気持ちのいい冊子になっている。

そのウェルメイドさを心地よく思い、好きだと感じ、感服しながらも、どこか「切実さ」に欠けることに、自分自身との齟齬を感じるわたしであった。

■ 5 Jul 2003 風花朗読会/「グリム幻想」



新宿「風花」の古井由吉氏の朗読会にいく。きょうのゲストは柄谷行人氏。柄谷氏は、若いころに書いたマクベスに関する批評を読んだ。「小林秀雄が、これを読んだときに、すごい評論家がでてきたものだ、と驚いた、という話を聞いた。自分では満足がいかず、振り返りたくなかったが、読み返してみるとまんざらでもないので、読むことにした」とのこと。単なる照れによる晦渋かもしれないが、他者の批評が自己評価をさほどに変えるものだろうか。


先日、古本で「グリム幻想 女たちの15の伝説」(画/東逸子 訳/古井由吉 パルコ出版 1984)を入手したので、持参してサインしてもらった。以下、古井氏談。
「よく、こんな古い本、見つけましたね。これは、東さんがどの作品を収録するかを選んだんですよ。広く流布しているグリムの後期の普及版のほうじゃなくて、初期系から選んでいる。それも、不条理なものや、残酷なものを彼女はわざわざ選んだんですね。資料が少なくて翻訳も大変でした」

はじめに画ありき、だったという。古井氏は、東逸子氏の銅版画を見ながら、翻訳をしたそうだ。言葉と絵とが絶妙の調和を保ち、質の高い絵本になっている。絵の力が、またすごい。これは、間違いなくほんとうに本らしい本の一冊だ。

■ 3 Jul 2003 芸術日常化計画1/メディアとしての七夕飾り


和光大学「物語の作法」。授業の後、みんなで七夕に笹飾りをつくった。

発端は、大学のそばのお宅で「七夕の笹、さしあげます」の札がかかっていたこと。先週頼んでおいたのを、授業前にいただきにいった。授業後、短冊に短歌・俳句・一行詩を書いて飾り、H棟通路に設置した。「芸術日常化計画1 メディアとしての七夕飾り 作品自主発表/物語の作法」という仰々しいポスターもいっしょに張り出した。

外部に発表するので、作品にダメ出しをして、書き直しをさせた。めったにそんなことはしないけれど、やってみると、少しの助言でみるみるよくなる。助言以上の成果をあげてくる。草の芽じゃないけれど、彼らには自分でぐんぐん伸びる力があるんだと実感した。

さっそく、道行く学生が読んでいた。同人誌を刷ったりするより、ずっと多くの人に読んでもらえるはずだ。楽しみである。

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