「物語の作法」課題提出板 (0027)


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五十嵐 舞 作品2A/俳句『万華鏡』 2003年08月06日(水)13時37分46秒


 紫陽花の 涙がキラリ こぼれ落ち
 舞い落ちる 花の衣を まとう河
 乱れ舞う 紅葉の風が 満ちてゆく
 綿帽子 空へ大地へ 夢運ぶ
 宵の月 いってしまった君 今いづこ
 雛菊よ 可憐な君に 一目惚れ
 彼岸花 赤く切ない 君の味
 天の川 私の心 垂れ流し
 飛行機雲 まるで私の 恋模様
 召し上がれ 貴方への愛 詰まってます
 待っててね 浴衣を着るの 駄目よ見ちゃ!
 日傘からひらりと見える黒い髪
 浴衣からうなじが見える どうしよう?
 鮮やかに 私を糧に 薔薇よ咲け!
 蝉時雨 窓越しから降り注ぐ
 水芭蕉 後光みたいな君の鎧
 シャボン玉 想いとともに飛んで行け
 七色に 光る雫は恋心
 渡り鳥 来年ここで会いましょう
 渡り鳥 旅立った君を重ねつつ
 霧雨に濡れた額に 口づけを
 簾越し 吹き抜ける風 青々と
 ナツアカネ 私の指に さあとまれ
 ねぇ貴方 私が見えて 朧月
 お面つけ 先祖と一緒に 盆踊り  
 いつのまに 花火となったの? ねぇタマちゃん


横田裕子 作品2 ポラロイドカメラ 2003年08月05日(火)15時46分32秒

写真の整理をした。パステルカラーのペンでけばけばしい程に落書きを入れたそれは、ついこの間まで持ち歩いていたポラロイドカメラで撮ったもの。いつしか面倒になって使わなくなってしまった。
ただ、とにかく気に留めた被写体があるとカメラを構えた。
人であったりモノであったり。
カメラがポラロイドだったのは、その場で四角い枠に収まった被写体を見たかったから。現像に出している時間を待てなかったから。
そんな私の我侭が、その場限りの思い出と共に床に散らばっている。
出会った先で携帯番号を交換したついでに撮っては満足したり笑い転げていた時間たち。
写真の中で、私と映っている相手は同性もいれば異性もいる。
しかし、今現在確実に連絡を取り合っている相手は殆どいない。
彼ら、彼女らはどうしているだろうか。
幾度となく思っては携帯を手に取り、何かに心を縛られたような気分に駆られて番号を押す前に手が止まる。
思い出を作りたくてシャッターを押し続けた私は、過ぎ去った空間に置き去りにされている。そしてその空間を通り過ぎていった彼らはそれぞれの行く道を彼らなりに、きっと歩いている。そんな彼らに後ろから声を掛けることは歩いてゆくのを邪魔しているのと変わらないと思った。
そして残ったのは彼らと出会う前から関わってきた者たちだった。
ごく身近な距離の中の。
増やそうと思っても増やせないものはある。

インスタントな恋、インスタントな友情なんて結局思い出にもならなかった。

古内旭 課題10/瓜屋さん短歌の選評 2003年07月10日(木)05時16分58秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答

【1】 誰にでも 好きになる権利 あるなどと 思わないでね 鏡をみてね

【2】 発酵を してたつもりが いつのまに ただの汚物だ 腐ってるだけ

【3】 胃が痛い 正露丸飲め 違うから 胃腸でないし 薬じゃ治らん


笑いに転化しているところが、とてもいいと思います。
「鏡をみてね」とか「ただの汚物だ」とか「薬じゃ治らん」とかいった魅力的な言葉が、ちゃんと入っています。

言いたいことを、ただストレートに言うのでは芸が無い。文芸に昇華させる力が欲しい。
そうした意味で、上3つの短歌は嫌味な言い回しや冗談ともとれる語句が、微妙なバランスで文芸(の方向)を成り立たせていると思います。
また、個人的にも気に入った作品です。

滝 夏海 課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と感想 2003年07月09日(水)23時35分45秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答

 技術面では荒い部分が多く目立ってしまいますが、それ以上に見ているモノが面白い。意表をつくようでいて、なんとなく納得させてしまう勢いが瓜屋さんの短歌の言葉にはあると思います。迷いましたが、次の3句を選びました。


・飛び込みたい 人が詰まった 電車の中 飛び散る私を 見せてやりたい

 ああ、なんて迷惑な人なんだろう。と吹き出してしまいました。後ろ向きな行動のはずなのに妙に前向きに見えるところが好きです。


・フツウの子 制服着ると 強くなる 鎧みたいね 何を守るの

 「制服を着る生活」から少し離れたから言える歌なんじゃないでしょうか。この歌の「ね」は話しかけるようでいいと思いました。


・人が見る 私とあたしが見るあたし どっちがホント どっちニセモノ

 5・7・5で切ってしまったのが、勿体ない。予想外の角度から見た言葉が多い作品の中、真っ正面から投げられていたので余計に印象に残りました。私自身は「私」も「あたし」も全部自分の一部でしかないと思ってます。

島本 和規 課題10/瓜屋さんの短歌の感想と批評 2003年07月09日(水)22時36分43秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答

「いつだって 君がくれるの キスじゃない 憐れみに似た 人工呼吸」
 くちづけを人工呼吸のようだと感じていても、いつまでもそれを受け続けているという女性の姿が浮かんだのですが、それがとても痛々しい。
「憐れみに似た人工呼吸」という表現が、愛のないキスなんていうと安っぽくなりますが、そういうキスの比喩としてばっちりはまっていて言葉としても印象的でおもしろいと思いました。

「なんでもね もってけばいい もうすでに だいじなものは ここにないから」
 喪失感がただよう雰囲気に惹かれました。漢字を使わないでひらがな表記をすることが、この短歌の持つ「どうにでもしてくれ」という感じを膨らましているように思いました。「もうすでに」という表現が少し引っ掛かる気はしますが、好きな短歌です。

「キスマーク つけられるのは かんべんよ もう吸わないで 線香たくぞ」
 この短歌は蚊のことを指しながらも、蚊にはさらに男という意味が被せられているようで、浮かんでくる景色が滑稽でおもしろかったです。
 男は愛を持ってちゅーちゅーしてるだろうに、それでも女は線香でもたいて追っ払いたいと感じるくらいうっとうしく思っているという、強い女と尽くす男の関係が情けなく浮かんでおもしろいなーとおもいました。






東條慎生 課題10/瓜屋さんの短歌について 2003年07月09日(水)20時33分27秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答

1 誰にでも 好きになる権利 あるなどと 思わないでね 鏡をみてね

2 ああムカデ 気持ち悪いわ よく見ると 君の瞳の つけまつげ

3 赤い糸 つながれてたら ウザイよね 繋ぎたいのは ピンク素麺


全体的に、重苦しさを感じる作品だと思います。<わたし>を殻のように捉えていて、それが重苦しく、またそこから抜け出したいという欲求を感じます。しかし、その殻こそが比重を増していて、そのせいでさらに殻が重くなっていく息苦しさ。私の無化を願うのは、私が重荷であるからです。
<幸せ>なる言葉が繰り返し出てきていて、それがほとんど同じ文脈で使われているのは興味深いことです。それは他人との比較であり、また、<幸せ>が自分にはないという観察だと思われます。なにか、幸せを放り投げているにもかかわらず、幸せを陰に欲しているのではないかと思わされます。主役と脇役という考え方もまたこれと類する表現ではないでしょうか。

重苦しいタイプの作品は私はあまり好きではありません。<思春期>的オウノウ(懊悩)が投げ出されているようです。私にのめり込んでいく悲劇、とでもいったものが。
しかし、自分をごろっと投げ出す心意気が素敵で、重苦しいものが背後にあるように思うのですが、むしろ軽快に書いていると思います。その軽快さを私は面白いと思います。前でも、横でも、進んでいける力強さがあると思うのです。
そして、<腐っているだけ>のは何なのか。私自身なのか、それとも私が人を見るときの目なのか。


それぞれの短歌について

1 ぐさっとくる一言です。鏡がないと自分が見えない。しかし、鏡を見てしまうと権利を投げ出してしまいかねない危ういところにいる人間もまたいるでしょう。その人はそのようにして自らを恋愛に賭けているのであり、その意味では純真な人間ではあるのかも知れません。しかし、恋愛とは忘我の状態であると規定しても、それは都合が良すぎるというものです。我を忘れることでしか恋愛が成立しないのであれば、それは恋愛ではなく、コミュニケーションの脅迫です。
お前は鏡を見たのか? しかし、そう問うときには自らの自己観察をも疑問に付されているはずです。鏡という武器は諸刃の剣ですから。

2 上のとならんで、厳しい観察から来る女性の鋭い毒舌を感じました。女性の会話にはこのような鋭い批判が埋め込まれていて、聞きながら自分も影で何を言われているのかと、びくびくと震えてしまう時があるものです。ここでも、身も蓋もない毒舌がすがすがしいほどです。ゴキブリとか、飼い犬とか、ムカデとか、キッツイですね。

3 ピンク素麺でいったい、何を繋ぎたいのか。そもそもなぜピンク素麺。何なんだピンク素麺。ピンクのラーメンでも良いじゃないか。でも、麺って切れるぞ。とか思いました。笑った。意味不明で。絶対赤い糸よりウザイんだと思うんですよ、ピンク素麺って。まあ、<赤い糸>に込められている絆だとか、運命だとか、重苦しさが嫌だって言うのは分かるような気がします。ただ、ピンク素麺はわかりません。むしろ揖保の糸を。ラーメンズは好きですよ。

室橋あや 課題10/瓜屋香織さんの短歌批評。 2003年07月09日(水)16時52分04秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答


フツウの子 制服着ると 強くなる 鎧みたいね 何を守るの

飼い犬に 手を噛まれた気したけれど 飼ってないもの 友達なのに

人が見る 私とあたしが見るあたし どっちがホント どっちニセモノ


私が好きだったのは虫取りあみの方ですが、
これは皮肉がたくさん詰め込まれていて、うまいなぁと思うものと、
気持ちが強すぎて短歌というより単なる悪口になってしまっているものもあり、
全体的には楽しく読めました。
短歌というと恋愛か、という私の勝手な先入観を見事に打ち破ってくれて、その男らしさに惚れました。普段の生活では言うのもはばかられるようなことを気持ちよく吐き出していて、ぜひこれからも瓜屋さんには短歌を作り続けて欲しいと思いました。

圓山絵美奈 共感できる短歌 2003年07月09日(水)11時49分39秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答

飛び込みたい 人が詰まった 電車の中 飛び散る私を見せてやりたい

これは好きです。人が電車に飛び込みたいって思う時は、
自分が嫌いで、自分を消してしまいたいとかそういう弱気でマイナス
な感情のときが多いと思うんです。でもこの短歌はすごく強気で、
電車にひかれて死んでも、後悔じゃなく「やったー」と思って
そうでいいなあと。

別にいい 誰だっていい そばにいて撫でてくれたら なついてあげる

なんかネコっぽいなあと思いました。いついなくなってしまうか分からない
あぶなっかさと、撫でてくれる人が上の立場だと思ってても、
実は下の立場なんですよね。一見プライドがないように見えるけど
実はプライドが高いかんじがします。

この人は ここまでやると限界と 神様みてて 手加減してよ

神様はその人が乗り越えられる試練しかあたえてないって昔誰かに
聞いたことがあって、それを思い出しました。

瓜屋さんの短歌、根本的にある考え方に私はすごく共感できます。
私も普段友達にはおしゃべりできない「本当のこと」
ってすごく考えているし、瓜屋さんもそれを吐き出すように
作品を作っているのかなと思いました。

ちなみに今新潟に帰ってきているので明日の授業にはでれません。
すごく残念です。



杉井武作 課題10/たのむからやぶかせてくれよ! 2003年07月09日(水)08時38分51秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答

>電車内 オヤジの皮を かぶってさ 股をひろげて エロ本読みたい

豪快でいいじゃないですか。女の子もこういうこと思ったりするのかな。電車の中で股広げてエロ本読んでるオヤジも見たことないけど。俺はたまにやります。爽快。

>タバコすう 君のくちびる 乳を吸う 赤子のようで おもりの気分

これサイコー!乳って・・・。「タバコすう 君のくちびる 乳を吸う」ってリズムが良いです。けだるそうにタバコふかしてる瓜屋さんの乳を男が吸ってるっていう映像が浮かんできてインパクト大。

>嫌だった 仲間はずれは 痛かった だからつけたよ 道化の仮面

ストレート。かつ共感を呼ぶ人が多そうです。

>小悪魔の スカートの下 網タイツ はいているのは やぶかせるため

いつでもやぶきます^−^


菊池佳奈子 課題10/瓜屋さんの短歌の選歌と批評 2003年07月08日(火)22時45分14秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答

まず、全体通して思うのは、イタイなぁってこと。
人間の弱い部分とか、繊細な人の感覚や些細な思考言動にすごく敏感に鋭くついていて。
凄いなって思います。
以外と鋭く突くのは難しいことだから。
切実な言葉が胸にきます。
もうひとつ。恋愛のことや女子高生(なのでしょうか?)等に関しての短歌について。
やっぱり鋭いのですが、いまいち印象に残りません。
切実な言葉の方が印象強いからなのか、よくわかりませんが。

*可哀相 一番嫌な 言葉なの だから見せない ホントウのこと
前半部分はすごく印象的だし、鋭い。
うまく言葉を選んでいると思います。
ただ後半部分がうまく伝わってこない。
“ホントウ”の部分をカタカナにした意味もよく伝わってきません。
後半部分を少し手を加えたらもっと良い短歌になるのではないのでしょうか。

*世界はさ 僕なんかには 無関心 なのに僕は 責め立てられる
これは曖昧にすごく伝わりますよね。
曖昧だから、伝わる人には伝わるけれど、伝わらない人には伝わらないかもしれない。
表現するってことはそんなこととの軋轢にあるのかもしれないですが
そこをもう少し考えて作ったらもっとすばらしい短歌になるのでは。

*誰かをね 物差しにして はかってる 幸せだとか 不幸だとか
すごく分かり易く、同時に凄く鋭い。
日常に誰かを物差しにして自分の幸不幸を図ってる。
そんなの皆してることだと思うんです。
だからこの短歌は凄く。
嗚呼そうだなって。
心に響きました。

瓜屋さんの短歌を見ていると
これから創っていかれるであろう作品がとても楽しみです。
頑張って下さい。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/1583/

越智美帆子 本音って本当はこんなに残酷 2003年07月08日(火)22時28分17秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答

飛び込みたい 人が詰まった 電車の中 飛び散る私を 見せてやりたい
集まって 強い気になる あいつらは 部屋の片隅 潜むゴキブリ
もっと降れ 傘ささないよ 酸性雨 汚いあたし 溶かしていいよ

この3首を選びました。全体的にどれもこれも好きで、選ぶにのにかなり迷いました。奥野さんの短歌のイメージがピンクのお花だとしたら、瓜屋さんの短歌はパープルピンクのマニキュアというところでしょうか。女の子や男の子の、絶対に口には出せない本音がずきりと書かれていて、何度もぞくぞくさせられました。毒舌で、でも小悪魔的要素を含んでいて。
飛び込みたい〜では、「飛び散る私を 見せてやりたい」とすごいことを言っています。私には駅のホームで待つ人々の方をにっこりと振り返り、滑り込んでくる電車に飛び込む女の子のイメージが思い浮かびました。どんっとすごい音がして、女の子の肉片とか血とか服の破片とかが疲れた顔して待っていた人々に降り注ぐ。駅構内は阿鼻叫喚の嵐。なのに、当の本人はしてやったりという顔で、それを俯瞰してるのです。なんかかわいいですよね。「人が詰まった」と窮屈でがんじがらめなもの(世間一般)に「飛び散る私」と自由で解放的な自分を対させているところが、すごくおもしろいと思います。
集まって〜では、本当は弱いのに集まることでその弱さを隠している、昔から大衆に多いタイプの人間をチクリと風刺しています。ゴキブリはもれなく人類から嫌われる生物。「あいつら」をゴキブリに例えることで、どんなにその精神が醜いかを表しているセンスに脱帽です。
もっと降れ〜では、汚い自分を酸性雨で溶かすという隠喩的な願望が詠まれています。しかし、「溶かしていいよ」というふうに、溶かされたいという思いは許可する形になっています。「溶かされたい」とせずに「溶かしていいよ」としたところに、かわいさとセンスを感じます。酸性雨に溶かされた女の子はどうなるのでしょうか。汚い部分だけ溶けて、また次の日からは楽しく生きてゆくのでしょうか。それとも、原形をとどめないくらいにどろどろに溶けて、それでやっと安心するのでしょうか。



奥野美和 課題10/伝えたいと思うことの大切さ   内側の熱を感じました 2003年07月08日(火)03時22分35秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答

1、汗ばんだ 手をつなぐのは 嫌だから 腕を組みます ごめんなさい。
2、いつだって 君がくれるの キスじゃない 憐れみに似た 人工呼吸
3、別にいい 誰だっていい そばにいて 撫でてくれたら なついてあげる

評論代表・司会をやらせて頂く奥野です。わたしも短歌がとても好きで、瓜屋さんの作品を評論させてもらえて、とてもうれしく思います。まず、すごいなあ、と思うのは多作なところです。こんなにたくさん書けるのは、すばらしいです。きっと瓜屋さんのなかに見て欲しい「ほんとう」が詰まっていたのだと思います。歌いたいという気持ちが伝わります。こころの内側から生まれる熱が伝わります。

わたしが選んだこの3首は、個人的に一通り読んだ時にひっかかったものです。正直、流されてしまうものが多く、読んだ時の印象が薄い作品が続くこともありました。でも、それは再び見つめなおして練りなおし、盛りつけていくことが出来ると思います。

1は最後の「ごめんなさい」を、どうにか変えられないかな、と思いました。
「ごめんなさい。」と、ぶつっと切れてしまう点と字足らずが気になったのです。

汗ばんだ 手をつなぐのは 嫌だから こっそり腕をのばして組むの
汗ばんだ 手をつなぐのは 嫌だから腕を組むって知ってるのかな
汗ばんだ手を知られたくないままに玄関たどりついてしまった

「汗ばんでいるけどつないでいいかな、手」  ちゃんと目を見て言ったらいいよ
汗ばんだ手でごめんって言うきみをひっぱりぎゅっと抱きしめてみた
(はなれすぎ!わたしの妄想!)
??????
皆さんはどう思いますか?なんだか、考えているうちに瓜屋さんの書いたものが
いちばん良いような気もしてきますが……。

2と3は、本当にばんざーいで良いと思います。「憐れみに似た 人工呼吸」「撫でてくれたら なついてあげる」という言葉が頭に残ります。素直にまっすぐ気取らずに書けていて、良いです。わたしもこんな歌が書けるように頑張らねば、と思う歌でした。これからも、おたがいがんばりましょう。わたしも瓜屋さんを見習って書きたいと思います。うれしいライバルです!!

そして。外島さんも短歌を書いているそうですね!今回の授業は、もちろん瓜屋さんの作品を全面的に取り上げるのですが、みなさんに短歌の楽しさ(まだまだわたしも修行中。永遠に修行中……)を知ってもらえたら、とわたしのすきな短歌をみなさんにも読んで頂けたら、と思っております。たのしい授業になるように頑張るので、みなさん授業に参加してくださいね!わたしも、とっても楽しみです。よろしくお願い致します。

外島理香 課題10/瓜屋さんの痛快な短歌 2003年07月07日(月)23時02分21秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答

1.飼い犬に 手を噛まれた気したけれど 飼ってないもの 友達なのに

2.ガムみたい 君にかまれる たびあたし あたしのあじを うしなってゆく

3.タバコすう 君のくちびる 乳を吸う 赤子のようで おもりの気分

すごーーく悩みましたが、この三句にします!

瓜屋さんの短歌は、全体的に「友達には言えない本当のこと」をズバッと言ってしまっているのに、嫌味なく痛快なものが多いと思いました。私はこのあいだ自分の詩を合評してもらった時に、先生に短歌を書いてみたらとアドバイスしていただいて、ひそかに短歌を作る日々ですが、どうもイマイチなんですね。短歌は形式がしっかりしている分、比喩的な言葉をたくさん知らないと詩よりももっと世界が広がらない気がして、そういった言葉をあまり知らない私は、素っ気無いものしか作れてないのです。正直いって瓜屋さんの詩は比喩的な言葉は少ないけど、日常的な言葉のみでさっぱりと痛快/爽快な世界を作っていて、それはすごいなと思いました。言いたいことをこんなに嫌味なく伝えられることはなかなか難しいですから。その表現方法をつかんでいるということはいえると思います。
瓜屋さんの短歌を読んで、短歌ってこういうさっぱりした言葉を表す形式にも成りうるのか〜と新発見をした気分になりました。今まで、けっこう短歌といえばもっと比喩的で季語なんかも入れるようなイメージがあったから。

さて、私が上の三句を選んだ理由は、こんな気持ちになったことある!と共感できる短歌だからです。

1は、友達を「飼い犬」に例えちゃうのはすごいけど(笑)、確かに友達が自分になついてくれているとか、その友達に対して持っていた期待を裏切られて、手を噛まれたような気持ちになるということは、よく理解できるし、うまい表現だと思いました。

2は、「ガム」っていう甘いものが恋を連想させ、君にかまれるというところが、ベットの上のことか(笑)、恋愛の主導権が彼に握られていることか、とかいろいろ連想できるけれど、恋愛中に自分が相手に飲み込まれていく感じが出ていると思いました。

3は、「タバコ」って大人の男の人も吸う人はもちろん吸うし、中・高校生だって吸っていたりする。対象年齢が曖昧でも、「大人」を連想させる「タバコ」。「タバコ」を吸って=大人ぶっていても、「赤子」のような男の人というのは、なんか今までの経験上分かるな〜と・・・(笑)。そういう人と付き合っていると「おもりの気分」かも(笑)。

あと、良い意味でも悪い意味でもなく、いくつか浜崎あゆみやチャラや椎名林檎の歌詞を連想させるような言葉があって、J-pop的な言葉使いだな〜と感じる時がありました。詳しくは授業でお話したいと思います!では、これからも痛快/爽快な短歌を書き続けてくださいね〜!☆

五十嵐 舞 課題10/瓜屋さんの短歌の感想 2003年07月07日(月)13時37分55秒
▼課題と連絡:課題10/瓜屋香織さんの短歌の選歌と批評 への応答


 ● 階段を 見上げてみると ミニスカート 押さえるオンナ 自意識過剰
 
 ● 飛び込みたい 人が詰まった 電車の中 飛び散る私を 見せてやりたい

 ● フツウの子 制服着ると 強くなる 鎧みたいね 何を守るの


 この三首がとても気に入りました。私が心の中で思っていたことをズバっと表現していてとても共感をもったものを選んでみました。最初のものは、そうなんですよね、ミニスカートを穿いていれば皆みるのかっていうわけではなく、やはり例外はいらしゃっるので・・・(毒舌を吐きます。)あと、ミニを穿く時点でその覚悟は出来て当たり前でしょう。(恥ずかしいなら、穿くなって思うのは私だけ・・・まだ見れる人はいい・・・時々最悪なのがいるのよね、同性から見ても。)2つ目は、ここまでイカナイにしろ追い詰められてこういう心境にはなるな〜〜とおもってしまったのです。まあ、やっぱこうなると嫌でも人の記憶に残るし、記事にも載かもしれないしね。最後のものは、これは着ていた頃のことを思い出し、一種の鎧なんですよね、制服って。ある程度それを着ていれば学校や社会が目をつむったり、保護してくれるから、まあ、免罪符屋お守りに近いのかもしれない。それだし、これを着ていると外の世界では仲間意識が強くなる作用があるんですよね。私は馬鹿馬鹿しくって群れたりしなかったし、特定のグループをとくにはつくらなかったから、第三者的感覚で見れるのかもしれない。これ以外にも結構ツボにはまった作品あったのですが、最終的にこの三首に決めました。これからも、どしどし作品を作られることを期待しています。頑張って下さい。それでは、授業で!!

越智美帆子 作品2/父 2003年07月05日(土)12時00分00秒

 写真の中の少女は、たっぷりとストロベリーのグロスを塗った唇に、黒い煙草をけだるそうに加えている。細すぎるその体は、まだ彼女の年齢が幼いことを示している。それなのに年齢に不釣り合いな黒いキャミソールワンピースは、彼女のためにあつらえられたようだ。細く未完成な体が、どんな成熟した女性よりもエロティックに見える。彼女は床にぺたんと座り込み、煙草を口で弄んでいる。爪に塗られた毒々しいピンクが、そこから何かに蝕まれているようだ。この写真のタイトルは『娘』。そして、モデルは当時13歳だった私だ。撮ったのは今は亡き実父だった。彼はこの写真を筆頭に、私が13歳から17歳までの5年間に約500枚の作品を世に発表した。そのどれもが『娘』というタイトルで、被写体は全て私だ。
 ここにもう一枚の写真がある。真っ白いワンピースを着て、勢いつけたブランコを長い髪を揺らしながら漕いでいる少女が晴天の空の下で笑っている。まるで髪の毛が天使の羽のように見える。これは父が撮った最後の写真で、彼はこの写真を撮った後、拳銃で自分の頭をぶち抜いて死んだ。私が17歳のときだった。その日、皮肉にも私は当時の付き合っていた彼氏と初めてセックスして、父の訃報を知ったのは彼の腕の中でだった。鬼才、死す。ワイドショーで、そのテロップと共に父の写真がテレビに写し出された。
 私の成長過程を記した父の作品勢は、私が成長するにつれてエロティックな雰囲気が清潔感へと変わっていった。女としての娘に幼さに感じながらも、娘が性的に関心を持つようになることを、父は拒んだのだ。カメラ越しにいくら拒んでも、実際の私は止めるすべなく成長していった。そして父は拒むゆえ、自らの時間を止めることで私の成長をどこまでも拒んだのだった。
 こうやってレンズ越しに私を侵し続けた父は、仕事以外で私に接することはなかった。父子家庭だったのに、だ。私はいつも家政婦と一緒に食事をとり、今度はいつ父に会えるかを心待ちにしていた。
 あれは夏のとても暑い日だったと思う。私は父に手を繋がれて山あいを歩いていた記憶がある。頭に被った麦わら帽子の中が汗ばんでいった。蝉時雨と陽炎だけの世界に父と私は取り残されていた。父はどこを目指して歩いていたのだろう。お父さん、どこへ行くの?私は父に聞いた。父は私のほうを見て何かを言ったのだが、それは蝉の音でかき消された。じっとりと汗ばんだ私の手と父の手が暑さのせいで溶けてくっついてしまったと思った私は、何故か安心した。
 作品の中で、海の中で沈んでゆく私を撮ったものがある。私が一番気に入っているものだ。写真の右下に小さく私が沈んでゆき、左上には太陽光が水面に揺らめいている影が映っている。この写真は私の心情を表していると思った。ひたすら光に逆らった方向へ沈んでゆく私。特に思春期に何かがあったわけではないが、いつも私は自分が光とは遠ざかっていっているような気がしていた。ゆっくりと沈んでゆき、仕舞いにはどこへ辿り着くのだろうと、えも言われぬ不安があった。
 その不安要素は、父の死だったのだろう。彼はフラストレーションを芸術に置き換えることで成功した人だ。しかしその欲求不満が絶望という形で露呈したことに気付いた彼は、頭を拳銃で打ち抜いた。あの日、父は珍しく家にいた。友達に家に泊まりにいくという私を快く見送ってくれた。いってらっしゃい、気をつけてね。彼の無精髭と銀縁眼鏡が頭に蘇る。父は知っていたのだろう。私が彼氏の家に行くことを。そしてセックスすることを。
 私は20歳になった。近々、父の没後3周年記念の個展が開かれる。私はそのままにしてある父の部屋に、久しぶりに入った。ドアを開けた瞬間に埃が舞う。はめ殺しの天窓から光が降り注ぐ。
「あ」
私は声を上げた。ここはあの海の中の写真と同じだ。天から降る光。その光が微かにしか届かないところにいる私。ずっと父はここでこの光を見上げていたのだろうか。彼は、私が沈んでゆく先にずっといた。私は部屋の奥にあるカメラを手に取り、レンズを覗いた。父はここから私を見ていた。自分の目から見た私を、レンズを通して世間に暴露した。お父さん。私は呟いた。お父さん。私はもう一度呟いた。どうしたの、と背後から父の声がしたような気がした。振り向いても、そこには誰もいない。私は父のカメラをセットすると、自分を撮った。お父さん、元気?私はもう20歳になったよ。私はレンズを自分に向けただひたすらシャッターを切り続けた。

圓山絵美奈 課題9/るりえの帰還 2003年07月01日(火)14時43分33秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

おもしろかったです。皆さんも言っていましたが、
ぐんぐん読んでしまう不思議な魅力を持っていると思います。
すごく書きなれているんだなあという印象を受けました。
ただどうしてもるりえ達が小学生というのに違和感を
感じます。せめて中学生くらいの設定にするのはどうでしょうか?
それと小学生時代の話はすごくよかったのですが、
その分それ以降の後半がちょっと弱いというか、起きてる出来事は
すごい事だったりするのに、なにかひっかかるかんじがします。
たぶん小学生時代はすごく詳しく長く書いているのに、
後半はページがないから短くまとめちゃえというかんじと言うか・・。
前半が強い分、後半がどうしても弱く感じるんです。
あとは、はっとさせられる仕掛けみたいなものがうまいと
思いました。「違うんだ」「そういうことだったのか」
みたいな事がよくあってうまくできてるなあと。
ただその分ぶつっと文章がきれているというか、文章のつなぎを
うまくできたらもっといいんじゃないかなあと思いました。

瓜屋香織 作品2A/短歌「虫取りあみでつかまえられてた女の子」 2003年07月01日(火)13時54分42秒

見ないでね 気づかないでね スカートを はかないと決めた 女の子の色気


階段を 見上げてみると ミニスカート 押さえるオンナ 自意識過剰

電車内 オヤジの皮を かぶってさ 股をひろげて エロ本読みたい

ああムカデ 気持ち悪いわ よく見ると 君の瞳の つけまつげ

隠そうと するのはわかる わかるけど 皺より目立つ どぎつい口紅


フツウの子 制服着ると 強くなる 鎧みたいね 何を守るの

集まって 強い気になる あいつらは 部屋の片隅 潜むゴキブリ

可哀相 一番嫌な 言葉なの だから見せない ホントウのこと

嫌だった 仲間はずれは 痛かった だからつけたよ 道化の仮面

見栄なんて いつかは腐る ものだよね ほんとに大事は 腐らないから

羨んだり 見下したり ばっかして 自分の位置を 確かめてるの

止まってる 別れたときに 友情も しょうがないの かなしくなるね

飼い犬に 手を噛まれた気したけれど 飼ってないもの 友達なのに

サビシイの つらいばっかで このままさ 変わらないなら いってもいいかな

紫陽花や 椿の花や 沈丁花 咲き乱れたら 終わる気になる


もっと降れ 傘ささないよ 酸性雨 汚いあたし 溶かしていいよ

女の子 ちょっとの刺激 好きなのよ ぎりぎり間際 与えて欲しい

花火の日 浴衣着たのよ でもあなた あたしを見ない うなじをみてる

好きよスキ 綺麗言葉に姿変え 理由にしてた 独占欲を

しょっぱい 海みたいだと 笑うから どんどんなみだ とまらなくなる

汗ばんだ 手をつなぐのは 嫌だから 腕を組みます ごめんなさい。

タバコすう 君のくちびる 乳を吸う 赤子のようで おもりの気分

制服に ネクタイするのは くちびるを 逃さないよう ひっぱるためよ

放課後が 一番燃える 教室 沈む夕日も あんたも僕も

赤い糸 つながれてたら ウザイよね 繋ぎたいのは ピンク素麺

小悪魔の スカートの下 網タイツ はいているのは やぶかせるため

お姫様 なりたくないの人魚姫 見間違えたら 露出狂


キスマーク つけられるのは かんべんよ もう吸わないで 線香たくぞ


人が見る 私とあたしが見るあたし どっちがホント どっちニセモノ




寮美千子 「長編の書き方」に関する質問求む! 2003年06月29日(日)13時48分28秒
東條慎生 来週の合評について への応答

先回、長い小説の構成などの技術的側面をできたらいいな、と思っていました。
小説の長さとネタとは、どういう具合にしてきまるのか、プロットの組み立て方について、
登場人物の配置、どこでどう展開すれば読者を引きつけることが出来るのか、
などのことをいろいろと、先生に話を聞けたらいいなとは思っていたのですが、本人から
自分は小説の構成とかを考えてやったことはないので、そのような話は私も分からない、
ということなので方針を転換することにしました。by 東條くん
ちょっと補足をさせてください。東條くんへのメールにも書きましたが、長編のプロット作成など、山勘に頼って無意識でやってきてしまったため、自分の中の方法論について自覚がない、というのが本音です。例えば、無意識に日本語をしゃべっている人に、文法を語れといっても、むずかしい、ということと同じです。けれども、こうやって何作も書いてきたからには、そこにはきっと「文法」が内在するはずです。具体的に一つ一つ見つめていくと、長編の文法とか方法論といった何かの法則を発見できるかもしれません。(あくまでも寮美千子の長編作法、ですが)

そこで、みなさんに「具体的な質問」をお願いしたいと思います。頭をひねって考えてみます。自分の中の無自覚な部分を自覚するいい機会だと感じています。

次回の授業は、東條くんに進行をお任せしようと思っているので、東條くんの予定通り「るりえの帰還」に関して進めてください。その文脈の中で、応用可能な「長編の書き方」についてお話できるチャンスがあれば、してみたいと思います。

とりあえずは、東條くんから、こんな質問があがってきているので、考えてみたいと思います。ほかにも、質問があったら掲示板でお願いします。

1 小説の長さとネタとは、どういう具合にしてきまるのか
2 プロットの組み立て方について
3 登場人物の配置
4 どこでどう展開すれば読者を引きつけることが出来るのか

東條慎生 来週の合評について 2003年06月28日(土)16時38分54秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

先回、長い小説の構成などの技術的側面をできたらいいな、と思っていました。
小説の長さとネタとは、どういう具合にしてきまるのか、プロットの組み立て方について、
登場人物の配置、どこでどう展開すれば読者を引きつけることが出来るのか、
などのことをいろいろと、先生に話を聞けたらいいなとは思っていたのですが、本人から
自分は小説の構成とかを考えてやったことはないので、そのような話は私も分からない、
ということなので方針を転換することにしました。
なにぶん、方法論やマニュアルのようにはならないことでもありますので、次回の授業では、
引き続き、「るりえの帰還」を扱いつつ、先回配布したレジュメの後半部分の、構成について
出た意見を元にして、合評第二部という形にしたいと思います。
先回「るりえの帰還」のテーマや、作者の仕掛けなどについてかなり理解が深まったと思うので、
それを前提にして「るりえの帰還」の構成案を出して頂きたいと思います。
前半部分を主にする場合であるとか、SF的テーマを主にする場合であるとか、折衷を試みる
場合であるとか、何でも構いません。
場面転換の多さ、回想という形式の不自然さ、長篇としてはネタが不釣り合いであるとか、
いくつかの提案が出ていますが、さらに具体的に作品に即して建設的な議論が出来れば、
と思います。

合評第二部ということで、「るりえの帰還」を扱うのがメインになりますので、先回出席しなかった人や、
感想を出さなかった人も積極的に参加して欲しいと思います。引き続き感想の投稿を募集したいと思います。
明確なヴィジョンが浮かばないかも知れませんが、まあ、もう一回「るりえの帰還」を扱う、と考えてもらって構いません。

寮美千子 「るりえの帰還」合評報告/「ぼくのつもり、わたしのつもり」からの脱却 2003年06月27日(金)13時17分47秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

昨日27日は、古内くんの作品「るりえの帰還」を合評しました。

▼作者が仕掛けた罠が機能しなかった理由
全員が「興味を持って最後まで読めた」「面白かった」とのこと。「授業に出るつもりはなかったけれど、作品が面白くてぐいぐい引っ張られ、3時間ぐらいで最後まで読んでしまった。ぜひみんなの合評をききたいと思ってきた」という人までいたのは、すごい。作品の力です。

しかし、その内容となると、様々な疑問点が噴出。「小学生がどうしてこんなに大人びているのか」「『たこ焼きは、とてもいい』など、小学生の主人公が、村上春樹の小説の作中人物のようなしゃべり方をするのがおかしい」「理想の少女として描かれているるりえ。しかし、こんな女の子は現実にはいない。リアリティがない」「小学校時代が圧倒的に詳しく描写されているのに、結末に至るその後の15年間の描写はかけ足。バランスが悪い」「伊高博士の『〜じゃよ』といった話し方がヘン。漫画みたい」「象を集める話があるが、それがどのように世界に影響を与え、結末に結びついているのかわからない」「象がもらわれていったふたつの動物園の園長が、両方とも伊高博士の息子だというのは、余りにご都合主義」「秘密の鍵を隠したのが建築中の家の基礎。15年後に、その基礎をハンマーで叩いて壊して取り出すというのは、無理がある」などといった意見がでました。

このような疑問点は、作者が知らず知らずに陥ってしまった穴なのではないかと予測しましたが、実は作者が「意識して仕掛けたもの」だったと知って驚きました。

最初に図書館の地下迷宮に迷いこんだとき「異世界への穴」に落ちこんだのは、実はるりえではなく主人公蓮田と余暮の方だった(これは作中でも最後に明かされます)。 それゆえ、この「事件」以降、世界は変質し「おかしなことが当たり前の世界になる」「おかしな事が起こっても、主人公と余暮は、それを当たり前と思ってしまう」のだそうです。

というわけで、伊高博士は「あまりにも典型的な漫画みたいなしゃべりかた」だし、二人の息子が動物園の園長というご都合主義も「そんなご都合主義がまかりとおる不思議な世界である」ということを強調したくて敢えてそうした、とのこと。

また、小学生が村上春樹の小説の作中人物のようなしゃべり方をするのは「軽いギャグ」「ユーモア」「笑わせたかった」とのことでした。

確かに思いっきり笑わせてもらいましたが、しかしそれは、作品世界を味わいながら享受する笑いではなく、せっかく浸っている作品世界から引きずりだされてしまうたちの笑いでした。「ご都合主義」にしても、そこにつまづいてしまって、作品に浸れなくなってしまいます。つまり、白けてしまうのです。

これでは、いくら作者が意図したこととはいえ、成功しているとはいえません。

なぜ、そのようなことが起きるのか? それはひとえに、その仕掛けが「ひとりよがり」になっているからに他なりません。つまり、自分だけが楽しんで、読者という第三者を置き去りにしてしまっている。奥野美和さんいうところの「わたしのつもり」です。作者の企みが、他者に理解されない形でしか提示されていないということです。「他者性のなさ」といいかえてもいい。

仕掛けを作るのはいい。けれど、そこにまんまと獲物がかかるようにするためには、獲物の習性や心理をよく知らなければなりません。。魚を獲るための罠を、路上に仕掛けてもしょうがないわけです。「でも、ぼくはこの道、よく歩くし」というのでは、ダメだということです。

「伝わらない」「仕掛けが機能しない」ことの一番の原因は「客観性の欠如」「客体化の未徹底」であるといえるでしょう。自分自身の考えを客観視することも、また想定される読者を客観視することもできていない。せっかくの「仕掛け」も、主観の中でしか組み立てられていなければ、その仕掛けにかかる「他者」はいません。

「るりえの帰還」に関するみんなの疑問は、すべてここから発しているといっても過言ではありません。しかし、それでもなお「読ませる力」があったことは、驚嘆すべきことです。それだけの「読ませる力」が、古内くんの文章そのものにあったということでしょう。大枠ではパースペクティブが狂っていても、細部は実に魅力的だった。これは、たいへん大きな意義を持っています。

そのような文章を書ける古内くんが「他者」を意識し「自己」を客体化して、大枠としても矛盾やつまずきのない作品を書けるようになれば、ほんとうに魅力的なすばらしい作品になることと思います。

▼作品改稿の方向性

改稿に当たって、おおまかに二つの方向性が考えられると思います。

ひとつは、前半の「小学校時代」への追憶。この部分がこれだけ肥大してしまったのは、作者がそこに強い興味を抱いているからにほかなりません。であれば、この部分に思いっきり焦点を当ててみたら。なぜそんなにもその時代に惹かれるのか。そこに惹かれ続ける自分自身が、今生きている世界にどうしても感じてしまう違和感、を軸に、もっと「文学」として話を展開してもいいかもしれません。古内くんの作品の魅力である「細部」にさらに磨きをかける方法です。

もうひとつは「物語」「エンターティメント」としての完成度を高める方向です。ひとりよがりな仕掛けを見直し、きちんと読者に伝わる仕掛けをつくっていく。矛盾を解消して、読者がつまづかずに、作品世界に浸ったまま、最後まで読めるようにする。「物語の展開」を楽しめるようにするために、全体のバランスもきちんと整える。

この方法は、ある種の公式に乗っ取ってやれば、そんなにむずかしいことではありません。しかし、そのような「仕掛け」「仕組み」を考えることを作者本人が本心楽しめないと、いかにも「どこかにありそうな、よくできた物語」になりがちです。しかし「商品」にしたいのなら、その方が手っ取り早い世の中であるともいえるでしょう。

「文芸作品」完成度を目指すなら前者、娯楽読み物という「商品」としての完成度を目指すなら後者という選択があるわけです。

しかし、これはあくまでのわかりやすい二分法であり、現実には、このふたつの間に無限の選択が存在しているわけです。

それを選ぶのもまた、古内くん自身です。「シリアスでありながらも、ユーモアをいれたい」「文芸でありながらも、エンターティメントでありたい」というのが、古内くんの目論見であるように思われました。

「虻蜂取らず」ではなく、そのダブルの効果を得られるような作品であれば、ほんとうに魅力的であると思います。たいへんむずかしい試みではありますが、挑戦のしがいもあるでしょう。古内くん自身の資質を存分に生かすには、どのような表現があるか。まだまだいろいろな挑戦があってもいいかもしれません。がんばってください。

杉井武作 課題9/るりえの帰還感想 2003年06月26日(木)04時03分10秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

とても面白かったです。
必然性のないディティールが多く書き込まれているのが好みの分かれるところだと思いますが、僕はそれがこの作品の一番の魅力だと思うのです。
語り手の視点が「普段誰もが感じていることだけど、改めて描かれるとはっとする」というものであるところに魅力と才能を感じます。誰もが書けるものではありません。作者が楽しみながら書いているように見えますし、読んでいるほうも楽しい。古内さん的な「日々のかけら」であり、冷めているけど確実に現実への愛着が伝わってくる、氷の中で燃える炎のような魅力を感じます。
しかし、物語の全体の世界観は、むしろ現実に縛られすぎているような気がしました。
構成はとてもよくできていると思うのですが、長いものを読むのを僕が苦手なためか、あまりストーリーの展開自体に魅力は感じませんでした。作品になるレベルに物語を構築する能力はとてもあると思いますが、既成の話から外れていない、ミーハー的B級っぽさが、悪い意味で出てしまっているように感じます。
神話や魔術的なものを使っていますが、「好きなもの」をそのまま使用するよりも、振り返ってどこが好きなのかを発見して、古内さんにしかない世界観へと昇華させてみてはどうでしょうか。
古内さんの文体には人を引き込ませる力があると思います。この力強いリアリティーのなかに、すごく非現実的な世界観をぽんと投げ入れれば、一段と光るのではないかと思います。
セリフのしらじらしさなどは、意図的ならばすごくいいセンスをしていると思います。こういう意味でのB級っぽさは、読者がユーモアととれるようにすれば光ると思います。
世界観も文体も、B級といってしまえば聞こえが悪いですが、「現実やありきたりのものをどこか冷めた目で客観視しつつもそれを楽しんでいる」というのが、古内さんの小説の味であるような気がします。その能力をよく見つめて、古内さんにしかない世界へとジャンプできたらいいような気がします。



―放出論的オカルトオラー―
るりえの器姦

 四谷さんは丁寧に持ち方から教えてくれたが、親指への負担も大きかったし、ちょっと力を抜くとイッてしまいそうだった。何とか持てるようになると、次はアレの入れ方だったが、四谷さんは僕の隣にくっついて、「いや、そうじゃなくて」とか「こうなんだってば」とか言いながらあれこれと教えてくれた。
「そう、下唇をね、こう奥の方に………、あ、噛んじゃだめ。………うん、そう……アッソコ違う!ア〜ア〜ダメダメェ!もぉ堪忍して〜」
 時々、四谷さんの膣が僕のアレに触れた。それで僕は妙にどきどきしてしまった。渡り廊下には僕たちの他に誰もいなかった。開け放した窓からはぬるい風が吹き込んできた。長い髪が揺れると、スルメの匂いが漂った。
 ようやく汐が吹くようになると、「スゴイ!スゴイ!」と四谷さんは大きな声でイッてくれた。四谷さんは蕾閉じると細い襞がなくなってただの線になってしまうが、僕はそれは可愛らしいと思っていた。


なんだかよくわからんです。

寮美千子 「るりえの帰還」プロファイリング 2003年06月26日(木)03時00分28秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

▼古内くんがすごく興味があるもの

小学校時代の気分
  森(不思議な森)
  鍵(異世界への鍵)
  勉強のできる子どもたち
  ピアノを弾くお嬢さん
  髪の長い 足のきれいな女の子
  修学旅行(「るりえをめぐる物語のあるひとつの到達点」は修学旅行の風呂場である)
  遠足
  動物園

▼古内くんがそこそこ興味があるもの

ホラー
  クトゥルー神話
  ネクロノミコン
  呪文
  魔術
  オカルトっぽいもの

異世界
  この世界と重なるもうひとつの世界
  あちら側の世界
  平行宇宙

▼古内くんが好きなもの

村上春樹の小説の人物の口調
  「うん、分かるよ。たこやきはとてもいい」
  「ああ、とてもね」

村上春樹的暗黒地下世界

スプラッター
  血みどろの事故場面(妙に力が入る)

むずかしい漢字
  屯する 冥い 黯黒 黯い

むずかしくて変わった名前
  余暮 

▼古内くんが実はあんまり興味のないこと

異世界への通路を入念に組み立てること
物語の細部を検討して整合性をつけること
(面倒になると、恐ろしく乱雑な方法で解決してしまう。例えば象の件)
フェティッシュの対象としてではなく、人間としての女の子

▼作品の全体像

細部はいいが、全体のパースが狂っている
「興味のあること」に大幅に紙幅を費やし、それ以外が異常に手薄

世界の穴から落ちたのは「自分たち」であるという逆転の発想は面白い
しかし、そのネタは、短編のものでしかない(まるで夢落ち)

▼古内くんの才能を世界につなげるには?

学校生活、にすごく興味があるのはなぜか?
学校時代の何を、かくも魅力的と感じているのか?
なぜ、舞台が学校なのか? を解明すれば、対策が立つかも

本当に書きたかったことは何か?

東條慎生 古内旭「るりえの帰還」合評レジュメ 2003年06月25日(水)23時03分10秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

とりあえずまとめてみました。感想の絶対数が少ないです。



★感想抜粋(適宜要約)
 伏線がうまい○青春小説なのだろうと思うが、1人の女の子めぐる恋愛関係の駆け引きがあると同時に何が影を落としているのか解らないが少し薄気味悪いホラー的なタッチを感じさせる○主人公にとって、るりえという存在がいる=認識される世界こそが彼にとっての現実の世界なのである(五十嵐)
 古内さんの作品の特色は、恋愛小説にノイズを持ち込み、それによって奇怪さを強調するところにある○われわれの世界は数多ある世界のうちの一つに過ぎず、気がつかないうちに平行世界に落ち込んだり、戻ったりしているのかも知れない○認識論的なホラー小説○硬い台詞は古内さん風のユーモア○「るりえの帰還」にはちょっとぼやけたところがある。(東條)
 るりえが好きな自分を、二人とも見ているような気がしました○よく女は男の外見よりも内面重視で、男は女の外見から好きになるといったことが言われているけどそれがよくわかる話(瓜屋)
 るりえがエロかった○笑ってしまい、シリアスに読み込むことができなかった○小学生の怖い話にしては恐怖の対象がリアルすぎるし、大人の読み物にしては若々しい衝動がある(室橋)
 設定自体は面白いが物語としていまいちぴんと来ない○リアルに感じさせる部分よりも、違和感(それも話の筋以外での)が目立ってしまうからではないか○クラリネットを吹くシーンがやたらとリアルで笑えました(滝)
 ホラータッチである、恋愛小説であるとは作品の全体的な感想として多い指摘です。また、女性からはるりえや女性の描き方について、興味深いとかエロいという感想もあります。よく指摘されるのは「笑い」のポイントです。小学生のはずなのに奇妙な言動をするところなどが笑いを誘うのだと思うのですが、それは批判点と表裏一体のようです。 

★批判が集中したのは、小学生の話であるということと、登場人物達の言動とズレについてです。また、回想の語り方にも疑問が表明されています。

 蓮田は今も昔も二十代の蓮田であるような等質感がある(東條)○小学生の場面で、会話や気持ちが小学生らしくなくて、少し違和感を覚えました(瓜屋)○頭のいい学校に通う生徒は、心まで大人っぽくなるものなのか?(瓜屋)○主人公達が年齢以上に大人び過ぎている(滝)○地の文が回想している蓮田と当時の蓮田が混ざっているように思える(滝)

★小学生の子供であるのに、言動が過度に大人びているということが特に疑問の集中する点となっています。子供らしい言動をしないことに何か理由があるのでしょうか。

★作品、作者への疑問点

 2ページの最後のほうの「僕はそんな空想をした。」という部分が分からない。あちらの世界でなぜか彼の周りでやたらと死人が出る展開にしたのは何故でしょうか。(五十嵐)
 世界を移動する時には移動する人の意識(歴史)は保たれていたはずなのに(蓮田と余暮)、最後の場面では、蓮田は時間が戻っている(歴史の消失)のは何故か。なぜ、これが小学生の話でなくてはならないのか。るりえが異世界に行ったのではなく、自分が異世界に来たのだと気づくが、蓮田だけがそれに気づくことができたのは何故か。なぜ、蓮田はここで回想しているのか。(東條)
 るりえは果たして、余暮と蓮田どっちが好きだったんだろう。(瓜屋)
 それと”ぞう”は結局何を支えていたのでしょうか。(室橋)

★小説の構成について
特に疑問が指摘されたのは、冒頭の空想部分が余計なのではないかと言うことです。全体の構成についても、るりえの描写が長い割には印象に残らない、というものや、同じことを問題にしているのだと思われる、小学生時代の話が長すぎて、後半の急展開が夢落ちみたいだ、という意見も出されました。場面転換が飛びすぎであるという指摘もあります。(滝さんのパート案)
 地の文と回想という形式の不整合についても意見がありました。
 語りの問題では、回想という形式についての提案がありました。
 
★また、中心的な人物であるるりえですが、登場回数は多いものの、どこかフェティッシュな視線が語り手にあり、そのせいか彼女の性格が割合ぼやけていると感じます。彼女よりは四谷さんの方が性格は出ているように思えるのです。これは瓜屋さんの質問にもある、るりえの内面の不透明さに繋がることだと思います。

滝 夏海 課題9/「るりえの帰還」の批評 2003年06月25日(水)18時23分53秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

設定自体は面白いが物語としていまいちぴんと来ない、というのが一番初めに読んだ時の感想でした。それはリアルに感じさせる部分よりも、違和感(それも話の筋以外での)が目立ってしまうからではないかと思います。

まずみんなが書いているように、主人公達が年齢以上に大人び過ぎている点。
彼らが大人びている、ということをもし使う必要があるのならば、もっと彼ら以外の登場人物を出してきて際だたせなければなりません。彼らの中の誰かが大人びている、のならばその人物以外は年相応の(と読み手が思う)考え方や言葉遣いになるでしょう。

他に言葉遣いについて言うなら、地の文が回想している蓮田と当時の蓮田が混ざっているように思えるのですが。混ぜるなら混ぜるで、言葉遣いの違いをはっきりさせて書かないと年齢差が消えてしまうし、そうでなければ徹底的に回想の形を取った方がすっきりします。

回想の仕方も気になります。
この話の2/3は回想シーンで、しかもそのほとんどが小学校時代です。その後にざーっと残りの年数を埋めるような話が入り、走るようにして今の話が入り、締めが来ます。その所為でしょうか、私だけかもしれませんが夢落ちの物語を読んだような気になってしまいました。

そして何より気になったのが、話の流れと場面転換でした。
空想 → 今 → 小学校時代 → その後 → 今、となっていますが始めが飛びすぎです。いっそのこと流れを作らずにきっぱりと2〜3のパートに分けてしまってもいいのでは。


最後に付け足しですが、クラリネットを吹くシーンがやたらとリアルで笑えました。
そうなんだよ親指痛いんだよねぇ、と。

室橋あや 課題9/るりえの帰還批評。 2003年06月25日(水)16時10分57秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

るりえがエロかったです。
水泳のシーンとか、真っ白な太股とか、アンバランスな可愛さとか、読んでいて思わず苦笑いをしてしまいました。しかも頭が良くて可愛いとはそういうことだ〜みたいな文があったと思うんですが、これは本当にツボに入りました。しかし女の子から見たらるりえは嫌な女になっていたに違い在りません。余暮君の気障っぷりにも笑ってしまい、正直に言うとシリアスに読み込むことができませんでした。
ホラーなのか小学生の怖い話にしては恐怖の対象がリアルすぎるし、大人の読み物にしては若々しい衝動があるように思ったのですが、対象年齢は何歳くらいなんでしょう?
異世界と現実世界(なのか?)にはいくつか時間のゆがみがあるみたいなんですが、るりえのセリフで余暮と蓮田が似ていると言っているところがあって、これは線路に置いた石と同じで二人は元は同じ存在で次元を越えて出会ったのかと考えたりもしました。
それと”ぞう”は結局何を支えていたのでしょうか。具体的な変化がよく分からなかったので・・。
全体の流れとしては、最初の蓮田の想像はあまり必要ない気がします。それよりもオチに向けてすっきり進んで行ったほうが読みやすいんじゃないかと思いました。るりえとのシーンが長いことで、るりえの存在が際だっているのかと思いきや、途中に通り過ぎていく女の子達とのエピソードの方が短くまとまっていて悲劇的で感情移入しやすく、顔もなんとなく想像することができたので、そちらの方が私は印象に残りました。

個人的に、友達にするなら「姫」で、
結婚するなら「るりえ」がいいです。
やっぱり姫の方がとても楽しく読めたかなと・・・・

瓜屋香織 課題9/るりえの帰還を読んで 2003年06月25日(水)15時01分32秒
古内旭 作品1B「るりえの帰還」 への応答

最初、作品を読むときに枚数が多くて大変そうだなと、正直思ったのですが、読み進めているうちにとまらなくなって一気に読んでしまいました。
内容では、小学生の場面で、会話や気持ちが小学生らしくなくて、少し違和感を覚えました。
小学生なら、もっと無邪気でガキな気がしました。余暮にしても、蓮田にしても、るりえにしても小学生なのに、どこか大人びているように、私には感じられました。
そのくらいの子の好きっていう気持ちって、気になるとか、この気持ちは好きってことなのか本人すら気付いていないような幼いもののような気が私にはするのです。だから違和感を感じたのです。頭のいい学校に通う生徒は、心まで大人っぽくなるものなのか?と思いました。
あと、個人的に疑問だったのは、るりえは果たして、余暮と蓮田どっちが好きだったんだろうということです。最終的には、蓮田はるりえのいる世界に戻ってきて、余暮は戻ってこれないわけだから、るりえは、余暮を選べないですよね?そこらへんはどうなんだろうとおもったのです。るりえが好きだ好きだと言っている割には、るりえの事を考えているわけではなく、るりえが好きな自分を、二人とも見ているような気がしました。まあ、恋愛なんてそんなものなのかもしれないけれど。よく女は男の外見よりも内面重視で、男は女の外見から好きになるといったことが言われているけどそれがよくわかる話だなあ、と思いました。

圓山絵美奈 作品13A/詩 2003年06月24日(火)17時04分18秒



その答えは君しか知らないんだよ
まわりの人にもらえるものはヒントぐらいなのだから

圓山絵美奈 作品12A/詩 2003年06月24日(火)17時02分30秒

初めて傷つく事を知った日 
それから自分をずっと守ってきた

痛いものが見えたら遠回りして
ずっと同じ景色を見ていた

それでよかった
それが「私」だった

ただそんな時君に出会って
君が受けている大きな傷を知ったあの日

私は君を守りたかった

私は飛び込まなければならない
そこで受けた傷がなければ
大切な君を守れない
君がきずかせてくれたチャンスだ

そう思えばあんなに怖かったものも
どこか誇れるように思えるから

圓山絵美奈 作品11A/詩 2003年06月24日(火)16時57分16秒

私はウサギだ
カメにはけしてなることのできないウサギだ
走る事と止まる事しかできない

でも最近は止まる事を恐れている
別にカメに負けることが怖いわけではない
立ち止まって再び走り出す 
その時はきっと今より2倍の力を必要とするから

それが怖いのだ

足をケガしたって 自慢の長い耳が聞こえなくたって走る
カメのように器用に歩けないのだ

人生という道を走り
死というゴールを走っている 

圓山絵美奈 作品10A/詩 2003年06月24日(火)16時48分18秒

いらない過去なんてないって知ってる

どんなに辛いものでも

もし過去を頭が忘れてしまったら
そういうシステムになったら
私は「それ」を何度も繰り返すだろう

少しくらい重い荷物を抱えていたほうがいいんだ

圓山絵美奈 作品9A/詩 2003年06月24日(火)16時41分23秒

頭がよくて 顔もよくて 口がうまいやつ
欲しいものはたいてい手に入れて
私をポケットに入れられちゃうくらいに思ってる
絶対ふりむきたくないのに
甘い笑顔と甘い言葉でおびきよせる
その他大勢にはなりたくないの
だからわざと蹴っ飛ばす
素直になれないわけじゃないの
あいつのポケットに入りたくないだけ

きずいたら私 計算だらけでかわいくない女

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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