寮美千子
おかえりなさい
2004年08月09日(月)01時17分11秒
▽疑問 へのコメント
大野徹人 疑問 2004年08月08日(日)03時14分42秒
勇崎
もうひとり、遅ればせながら…。
2004年08月05日(木)01時40分11秒
▽「糾弾ではなく対話を」という考え方 へのコメント
寮美千子
「糾弾ではなく対話を」という考え方
2004年07月30日(金)16時24分52秒
▽遅ればせながら…。 へのコメント
DORONKO
遅ればせながら…。
2004年07月30日(金)14時10分53秒
▼時の破片:23 Jul. 2004 わたしが鬱になる理由 へのコメント
寮美千子 新潟豪雨【楽市楽座】特設サイト 2004年07月29日(木)16時09分49秒
【復興への、中期、長期的なサポートが必要です!】という趣旨で開かれたこのサイト。NPO地域たすけあいネットワークで、三条市の地域通貨「らて」を担当していらっしゃる加藤寛明氏からの発信です。この情報は、地域通貨まちだ大福帳のいまいけいこさんからいただきました。
初めのうちは、メディアなどにも露出し、ボランティアもたくさん入ってくれていますが、だんだんメディアに出なくなり、水が引いてもう一件落着したと思われるようになります。ボランティアセンターも数週間もすると閉鎖してしまいます。実はそれからが大変なのではないかと思ったのですが、それ以降の中期、長期的なサポートというのがないことを心配しました。
寮美千子
ヴォイス149編入力済!
2004年07月25日(日)00時15分03秒
▽どっきり。 へのコメント
silica
どっきり。
2004年07月24日(土)03時05分40秒
▼時の破片:23 Jul. 2004 わたしが鬱になる理由 へのコメント
寮美千子 遺言その1 2004年07月23日(金)19時45分17秒
寮美千子 青山ブックセンター再建署名チェーンメールに関する提言 2004年07月23日(金)16時48分59秒
・今回の署名に関する情報をどこかのホームページに掲載してほしい。署名の送り先をここでみなさんに公開したくてもできない歯がゆさ。しかしネットで「デマ」が広がることを防ぐためには、わたしたちは普段からこのようなことに気を付けなければなりません。
・掲載するホームぺージは、なるべく信頼性の高いホームぺージにしてほしい。例えば、どなたか発起人の方の所属する会社や大学のホームページか、そこにぶらさがった発起人個人のホームページ内など。緊急の場合であれば、発起人の関係者ホームページの掲示板でも構いません。
・発起人および責任者のお名前を明記し、集った署名及びアドレスは、今回の青山ブックセンターの再建に関して以外、使用しないことを明言してほしい。
・ホームページないし掲示板に書き込みをする人は「伝聞」「転送」ではなく、発起人ないし責任者本人である必要があります。
責任ある形で、署名を集めるとすれば、以上のことは最低条件と思われます。わたしも、署名に協力したいし、自分のHPでもぜひ紹介したいと思うのですが、今回のように「転送」という形で伝わってきた情報は、信頼性が低く、発起人の方々のお名前が虚偽であった場合、その方々にご迷惑をおかけすることにもなり、紹介したくてもできません。
ホームページ無しの「転送」という形式は、それがどんなに善意のものであっても、構造的には「デマ」と変わりのない不確実な情報になってしまいます。せっかくの善意を、そのようなものにしてしまうのは、大変残念に思います。ぜひとも、ホームページにご掲載いただきたく、ここにお願い申しあげます。
寮美千子
安東ウメ子さんのムックリは百万の音色を奏でた
2004年07月22日(木)21時11分08秒
▽訃報 アイヌ文化の巨星・安東ウメ子さん逝く へのコメント
ウメ子さんのムックリの音色の、なんと複雑で微妙なことだろう。その音色はまさに「豊穣」と呼んでいい豊かさをたたえていた。音が小さいのも、またいい。耳元で語りかけるようなその小さな音の中に、さまざまな人生の経験や、いっぱいの愛情が詰まっているような音なのだ。いつまでも聴いていたい。いつまで聴いても飽きない。そんな音色だった。そういえば、あの時の録音があったはずだと家の中をひっくり返して、録音テープを見つけました。ウメ子さんのムックリの、なんという微妙な音色。共演してくださった若きメノコ金子恵さんの、張りのある音色。たった二人の人間が奏でているとは信じられないような、オーケストラを聞いているような多彩な音色でした。これが、金子恵さんと安東ウメ子さんが共演した、唯一の録音になってしまいました。もっともっと、共演してほしかった。
恵さんのムックリの音色が、そこに重なる。それは張りのある、力強く若々しい音色だった。その若さの感覚がまたいい。人生経験豊かなフチ(媼)と、若きメノコ(娘)の語らい。フチは溢れるような深い愛情でメノコを包み、メノコはその若々しい力でフチの命を勇気づける。そんな音に、わたしはすっかり感動してしまった。
DORONKO
小さな思い出。
2004年07月18日(日)14時26分59秒
▽訃報 アイヌ文化の巨星・安東ウメ子さん逝く へのコメント
グレン横田
お会いできてよかった
2004年07月16日(金)22時15分15秒
▽訃報 アイヌ文化の巨星・安東ウメ子さん逝く へのコメント
古澤 廣
小説「楽園の鳥」出版を知りました。
2004年07月16日(金)17時02分33秒
▼時の破片:8 Jun. 2004 「楽園の鳥」入稿/連載と単行本化の経緯 へのコメント
寮美千子 訃報 アイヌ文化の巨星・安東ウメ子さん逝く 2004年07月15日(木)19時50分02秒
松永洋介 わが自衛隊の晴舞台を見届けよう! 2004年07月13日(火)03時58分00秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/
総合火力演習の会場では、陸自のサイトのビデオ映像にあるように、適宜アナウンスが行われています。これから誰が何をするか、いまどういう状況の見立てか、という親切な解説があるわけです。そういう、ぜんぜんわかんない状況で人が死んだり、人が死んだり、人が死んだり、いろいろあるわけです。そういう状況を作ってはイカン。
でも、「山の反対側から、迫撃砲による援護射撃を行います」とか聞こえた後にババババッと着弾があっても、それが何なのかを理解するのはすごく難しかった。言葉ではわかっても、実感として結びつかない。
戦争映画なら何台もカメラがあって、敵の主観もあるけど、戦場では、カメラもマイクも自分の主観に固定だし、解説なんかないし、ましてや敵がどこから何をしてくるかはわからない。目の前ではっきりと、ものすごい事態が展開していても、それが何なのか理解できる状況は、まず現出しないんじゃないか。
映画『突入せよ!「あさま山荘」事件』で、いかんともしがたい現場の混乱が半ばコメディのように描かれていたけれど、戦争の現場も、きっとあれと似たようなものだと思う。
寮美千子
投票終了! 風、変わるか?
2004年07月11日(日)23時26分29秒
▽ミニ「マイ・ブーム」。 へのコメント
DORONKO
ミニ「マイ・ブーム」。
2004年07月11日(日)10時20分40秒
http://8410.teacup.com/fauve/bbs
▽政見放送 明日6日夜11時より へのコメント
DORONKO
フォローに感謝!
2004年07月06日(火)13時20分29秒
▽政見放送 明日6日夜11時より へのコメント
寮美千子
政見放送 明日6日夜11時より
2004年07月06日(火)00時04分20秒
▽「みどりの会議」の政見放送。 へのコメント
おむすびの祈り
感じたこと
2004年07月03日(土)06時59分20秒
▽文士よ、自殺するな! へのコメント
DORONKO
「みどりの会議」の政見放送。
2004年07月01日(木)12時15分47秒
▽コイヘルペスと参議院選挙 へのコメント
寮美千子
文士よ、自殺するな!
2004年06月30日(水)18時47分00秒
▼Review Lunatique:野沢尚氏・鷺沢萠氏の自殺に思う へのコメント
寮美千子
失われた世界の手触り
2004年06月26日(土)01時59分26秒
▽実感がないという実感 へのコメント
自分の立場がなくてまずすっとなにかに同化するいま、そういう「いい子」って、たくさんいそうな気がする。佐世保の少女の場合、その「自分のなさ」が、そのまま自己への、そして他者へのデリカシーのなさになっていったのかもしれない。
それがいわゆる「いい子」を演じると言われることだと思います。
「人の感情の発露の仕方」をトレースしてみることで、
せめて何かの手触りに触れようとする、そういう変な努力
寮美千子 コイヘルペスと参議院選挙 2004年06月25日(金)17時57分38秒
望
実感がないという実感
2004年06月22日(火)03時03分08秒
http://www.h4.dion.ne.jp/‾eulalie/top.htm
▼Review Lunatique:佐世保小6同級生殺害事件/完璧な表現と内実の空疎 へのコメント
silica
愛情の中にいるという感覚を持てないこと
2004年06月19日(土)16時48分28秒
▽佐世保小6同級生殺害事件/精神科医の感想 へのコメント
寮美千子
佐世保小6同級生殺害事件/精神科医の感想
2004年06月19日(土)03時08分31秒
▽佐世保小6同級生殺害事件/達者な文章 へのコメント
私も今度の佐世保の事件は、理解の範疇を大幅に飛び越えています。その後、週刊誌を含め断片的な情報(間違ったものも含まれているでしょう)をみているのですが、さっぱりわかりません。私も含め精神科医のある部分(全体のどれくらいを占めるかは?)は、近年の少年の事件は、「××症候群およびその周辺」という理解で、まあわかったつもりになっていました。ただ神戸のA少年が、前記の精神科医達によって「××症候群」ではないかと囁かれていました。ところが、どうも間違っていました。確実な情報から、A少年は××症候群ではない、のです。正直、このことを知って、私は近年の少年犯罪をみる視点がぐらついたのでした。そして今回の佐世保の事件です。だからさっぱりわかりません。彼は、犯罪者の精神鑑定も多く引き受けているベテラン精神科医。彼にして「さっぱりわからない」という状態だ。加害者の少女に対して精神鑑定は、鑑定をするというよりも、一体何が起ったのか、手探りで探るようなことになるのかもしれない。
寮美千子
佐世保小6同級生殺害事件/達者な文章
2004年06月16日(水)01時23分36秒
▼Review Lunatique:佐世保小6同級生殺害事件/完璧な表現と内実の空疎 へのコメント
例の加害者の女の子の文章やサカキバラの文章は、確かに「達者」なんですけど、全然胸を打たないですよねー。なるほど、と思った。わたしも、佐世保の同級生殺害事件の加害者が書いた文章に関して、似たような感想を抱いた。ワル達者な文章、というか、妙に口当たりがいい。それなのに、少しも心に響かない。
漫画家の友達や、アシスタントの子たちと話をするんだけど、ああいう「一見達者」な文章って、漫画家になった人や、アシスタントの子たちが一度は通る道に必ずある文章なんです。
ある種のオタクの子たちが好んで書く文章、と言ってもいいかな。
(中略)
自分の方がうまいのに、どうして「てにをは」が間違っている文章なのに、牛が出産するとき難産で、お父さんが血だらけになって子牛を取り上げた、というような作文のほうが点が高いの?? 悔しい!! と、いつも世を恨んでいました。
いつも世の中をうらみながら生きるって、不幸ですよね。多分、あの子たちも同じようなことを思いながら生きていたのかも。
(後略)
それは、曽我くんという、ふだんはちょっとひょうきんな男の子が書いたものでした。当時はまだ、薪や石炭をくべてお風呂を焚く家も多くて、曽我くんの家では、彼が風呂焚き当番。作文は、そのことを書いたものでした。「ふろたき」という題で、火のおこしかたの工夫や、めらめらと燃えている炎が面白くて見とれちゃう、なんてことが等身大で書いてある、しみじみとした作文でした。いま思えば、不思議と老成したような作文だったかもしれない。いつもはおどけたりふざけたりばかりしている曽我くんが、そんな作文を書くことにびっくりしたように記憶している。▼いくつかの疑問
「風呂焚きの話、そんなに面白いかなあ」なんて、その時は思ったけれど、いまもこうして思い出せるくらいだから、やっぱりいい作文だったんだろうなあ。曽我くんの朗読を聞きながら「そういえば、お風呂の栓についてる銅の鎖を火にかざすと、炎が緑になるなあ」なんて思い出したことまで、くっきり思い出せます。
つるつると、心の表面を滑っていく口当たりのいい言葉、じゃなくて、実感と結びついた言葉って、やっぱり強い。
言葉に対応する実感が発見しにくい都市生活って、子どもにとって、結構過酷なものなのかもしれないなあ。