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寮美千子  国の決定を簡単に覆してはいけない=自衛隊の撤退 2004年04月17日(土)00時12分19秒
ぼくは政府の姿勢を支持なんてできない。 へのコメント

▼ドロンコ氏に真の「対話」を求む

>国の決定が「簡単には」覆せないというのは、なるほど、その通りでしょう。
>――極めて個人的なことになりますが、寮さんが、
>その困難さをどの程度まで冷静に認識できているのかについては、
>ぼくにも大いに疑問があります。

ドロンコ氏にどうしてそんなふうに言われなきゃいけないのかなあ。わたしは、あなたの言葉にいたく傷つきます。わたしのこんな発言を、ドロンコ氏は受け取ってくれていないのでしょうか。
「対話」が互いの理解を深める/ドンキホーテの試み  より
ここでわたしがやっていることは、激流に小石を置いてなんとか流れを変えようとしていることに等しいかもしれません。ドンキホーテです。けれど、みんなが自分の身の丈でできる努力を積み重ねていくことでしか、世界はよくならないとわたしは思っている。語り合い、対話を深めて、ともに考えていくこと。その一歩一歩の積み重ねが大切であり、意味があると思っている。
「声を上げれば、それで世界は変わる」と、単純に考えているわけではありません。それは激流に小石を置くような真似だとわかっている。だからといって、黙っているわけにはいかない。自分が正しいと思うことを語り続けなくてはいけない。時にそれが「徒労」ではないかと絶望しながらも、勇気をふるってこの掲示板の運営を続けています。

わたしのその姿勢をきちんと理解したうえで、発言してほしい。電話で友だちに「無駄だ。無意味だ。きみの発言は混乱を招くだけだ」と罵倒されても、その言葉を謙虚に受け取り、考え、考えたうえで、やはり発言は大切だと思い、がんばっているのだとういうことを、わかってもらいたいと思います。

それを何か、簡単に世界は変わる、国の決定を覆せると思っているノーテンキな人のようにいわれるのは、まったく心外です。

ドロンコ氏には、もっと「対話」をしてほしい。ここはドロンコ掲示板ではありません。言いたいことを一方的に言いまくる、っていう姿勢じゃなくて、交流的に対話をしてもらいたい。わたしがいっていることや、みんながいってることをちゃんと受けとめ、理解した上で、発言してもらいたいと思います。

▼法律の運営に忠実に!

>川口外相は、何と、
>「イラクへの渡航は、どのような目的でも差し控えていただきたい」という、
>驚くべき言葉を述べています。(中略)
>外務大臣自らがこんな発言をするというのは、
>自衛隊は「非戦闘地域」に行くのだという、
>自衛隊派兵のそもそもの前提が崩れたということを、
>政府首脳が自ら認めたということになります

これはもう、まったくドロンコ氏のいう通りだと思います。実に明解な理屈です。賛同します。

政府は自衛隊をイラクに派兵するために、新しい法律をつくりました。これこそまさに「国の決定」です。その法律「イラク特別措置法」には、このような文言があります。
対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じ て戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする。
野営地に向けて迫撃砲が飛んでくるような場所を「戦闘行為が行われていない」とはいいくるめることはできません。それはあまりといえばあまりの詭弁です。サマワだけではなく、これはイラク全体を見るべきであり、イラクという国は、まさに戦闘状態です。

戦闘のどさくさだからと、自分たちがつくった法律まで平気で無視するようになっては、国家はもう国家とは呼べません。国は、国の決定を簡単に覆さないでほしい。自衛隊を撤退させるということは、国が国の決定を覆さないということに他なりません。

「イラク措置法」はひどい。けれど、法律をつくったなら、せめて法律の運営に忠実になってほしい。いや、忠実にならなくてはいけないと思います。法律を無視して政府がどんどん好き勝手なことができるのだとしたら、ほんとうに恐ろしいことだと思います。わたしたちは、いまそのような事態に置かれているということを深く自覚するべきではないでしょうか。

辻井 豊  落ち着く時間をあげたい 2004年04月16日(金)20時38分49秒
Good news & Bad news/「究極の選択」という罠 へのコメント

 ようやく開放されました。
 無事でなによりでした。
 しばらくは、家族一緒に、ゆっくりと過ごさせてあげたい。
 マスコミも、追いまわさないで欲しい。
 落ち着いて、またイラクに行こうと決意したならば、その時は、現地で実績をあげている方々を、まず訪ね、アドバイスを受けて欲しい。
 そのために、しばし静かな時間を。


DORONKO  ぼくは政府の姿勢を支持なんてできない。 2004年04月16日(金)17時57分22秒
Good news & Bad news/「究極の選択」という罠 へのコメント

寮さんの「ある友人」というのが誰であり、どんな人なのかは知りませんが、

「自衛隊派遣は国の決定。いまさらそれを簡単には覆せない。
 命知らずの馬鹿者のために、国の決定を覆せというのは愚か。
 自衛隊撤退を主張するなんて、政治の混乱を招くだけ。黙っていろ」

と、この通りに語ったのだとしたら、これは暴論というしかありませんね。
国の決定が「簡単には」覆せないというのは、なるほど、その通りでしょう。
――極めて個人的なことになりますが、寮さんが、その困難さをどの程度まで
冷静に認識できているのかについては、ぼくにも大いに疑問があります。
しかし、先に館野さんも指摘していたように(12日「解放に危機状況」)、
今回の事件をめぐる日本政府の対応はどう見ても賞賛に値するようなものではなく、
むしろ、最初から、今この時に至るまで、極めて問題の多いものであることを
考えるならば、「黙っていろ」はないだろうと思います。

もちろん、これほどの大きな事件で、政府にとっても重大な危機であったわけ
ですから(安田純平さんたちのことを考えれば、現在もその状態は継続中だと
いうべきですが)、政府も何もしなかったわけではなく、彼らが行なったことの
すべてが100%間違っていたとまではいえないでしょう。

けれども、たとえば、ぼくが敬意を抱いている政治家の一人である参議院議員の
中村敦夫氏は、次のように述べています。

 相手が方針転換した気配がある時に、政府はとんでもないビデオメッセージを
 送ってひんしゅくを買っている。
「捕らえられている人々は、イラク人の味方です。」はよいが、「自衛隊もイラク
 のために駐留しています」と余計なことを言っている。
「自衛隊を撤退させなければ殺す」と脅迫している相手に、何という無神経な
 メッセージだろう。無能どころか、ほとんどバカだとしか言いようがない。
                   (4/12「政府のバカなメッセージ」)

実際に、今回の事件に関して、政府の首脳は、ひたすら「テロリストの脅しに
屈してはならない」という言葉をくり返してきました。しかし、「脅しに屈しない」
代わりに、政府にはどんな策があるのかについては、最後まで実体は見えて
きませんでした。これは、人命にかかわる極めてデリケートな交渉だから、途中で
その手の内を明かすわけには行かないということが理由だとは、どうも、ぼくには
思えないのです。もしそうだとしたら、中村氏が指摘するような無神経発言の
オンパレードになるわけがありませんし、具体的な交渉の中身はともかく、「落とし
どころ」ぐらいは、それとなく見えてくるものだからです。――実際にぼくに
感じられた落としどころは、「彼ら3人の命など顧慮している場合ではない。殺された
ら殺されたで、とにかく言いわけを並べられるようにしておこう」という実に
恐るべきものでしたが、そんなことにはならず、彼ら3人が無事に解放されたことは、
まさに奇跡に近いとぼくは思っています。

またここで、1977年の「ダッカ事件」の際の対応と比較するなら、今回、実行
グループの要求をハナから丸飲みするようなことをしなかったというのは、さすがに
政府にも、多少の知恵はついたということではあるのでしょう。しかし、高遠さんたち
3人の命が危機のさなかにある時に「テロリストの脅しには屈しない」の一点張りという
のは、まさしく無能の証明でなくて何とよべばよいのでしょうか?ぼくの見るところ
では、これは“もはや時代遅れになったマニュアルの文言のくり返し”でしかありま
せんし、小泉首相以下の政府首脳が冷静に情勢を分析し、柔軟に、そして何よりも
真剣に“自分の頭を使って考えた末の対応”であるとは、到底思えません。
(イタリア首相のベルスコニーニ氏が同じような愚かさを発揮して見せた結果、
イタリア人の人質の一人が殺害されるという結果を招いたことは、みなさんも
ご存じかと思います。残酷なことではありますが、この出来事における因果関係は
極めて明白で、疑う余地はありません。)

また、「自衛隊もイラクのために駐留しています」というのは、たしかに日本政府の
公式見解であるには違いないし、実際に自衛隊は直接戦闘行為を行なうことはできず、
現地での活動はイラクの「復興支援」のために多少は役立つだろうということは否定は
しないとしても、一方で、今回のイラクでの自衛隊の活動が米軍との密接な協力なし
にはまったく成り立たないということも明白で、もちろん政府も、この大前提を否定
したりなどできるわけがありません。
つまり、この公式見解は、極めてウブな人間が多い日本の国内でこそかろうじて
通用しても、国際的にはまったく通じるようなものではないということは、たとえば、
外務省の人間ならばまさか知らないはずはないような、典型的なダブルスタンダード
(「二枚舌」とでも訳しておきましょうか?)でしかないのです。――まして、その
米軍からの一方的な攻撃によって自分たちの国が崩壊させられ、にもかかわらず治安も
一向に回復せず、日々、何の罪もない市民が彼らの手によって殺されたり重傷を負わ
されたりし続けているイラクの人々に、こんなダブルスタンダードが通じないとしても、
それは当然ではないでしょうか?「そんなことを言えばテロリストを利するだけだ」
などというのは、あまりにも手前勝手な、恣意的な考えでしかありません。

このへんで、高遠さんたち3人が無事解放され、安田純平さんと渡辺修孝さんの二人が
新た人質になったらしいという情勢に即して、もう少し具体的に、政府の姿勢に
ついて検証してみることにしましょう。

まず、高遠さんたち3人の解放が確認されてからは最初になる昨夜のコミュニケの
中で、川口外相は、何と、「イラクへの渡航は、どのような目的でも差し控えて
いただきたい」という、驚くべき言葉を述べています。
――これがなぜ驚くべき言葉であるのか、ピンとこない人もいるでしょうから、
多少説明しておこうと思いますが、この言葉の意味するところは、「今回の事件は、
あくまでも彼ら3人の“自己責任”の問題であるのに、それでは済まなくなって、
政府には実に迷惑なことだった。もちろん、くり返し退避勧告を出してきた外務省には
何の落度もありません。今後も、外務省としては、いかなる責任も取るつもりは
ありません」……ということ以外の何物でもないからです。

もちろんぼくとしても、今、どんどんイラクに行きましょうなどと言いたいのでは
ありません。現在のイラクの情勢について、改めて注意を促すことも大いに必要だと
いうことも認めます。しかし、そうした注意は、この国の外交全般に責任を負うべき
外務大臣の口から発するべきことなのでしょうか?しかも、高遠さんたち3人が解放
された直後で、事件の詳しいイキサツについても不明な点が多いという状況の中で
述べるべきことなのでしょうか?ぼくには、そうした注意を発するのは、せいぜい
局長までの官僚がすべきことであって、外務大臣が口を出すというのは、「逆越権
行為」でしかないとしか思えません。

さらに、外務大臣自らがこんな発言をするというのは、自衛隊は「非戦闘地域」に
行くのだという、自衛隊派兵のそもそもの前提が崩れたということを、政府首脳が
自ら認めたということになります(川口外相は地域の特定などしませんでした。
事実上、イラクのどこだろうと危ないということを、自分で強調してみせたのです)。
まったく、呆れたとしか言いようがありませんね――。

しかも、高遠さんたちの受難は、実は、こんなことだけで済みそうにないのです。
昨夜のニュースに、帰ってきた3人に対して事情聴取を行なうよう、警察庁が警視庁と
北海道警に指示を出した――というものがあったことにみなさんは気付いたでしょう
か?これは、今確認してみたところ、「改正警察法」の規定を適用する初のケースに
なるそうですが、タテマエでこそ3人を「被害者として」扱うことになっているよう
ですが、実質は、犯罪者扱いしようというものであることに、まず間違いないでしょう。
任意で聴くだけでよいではないかとぼくは思うのですが、見せしめにでもしたいので
しょうか、何というムゴイことをするのでしょう?また、いうまでもありませんが、
これが警察庁だけの独自の判断などではないことも疑いありません。この「指示」には
小泉首相や福田官房長官以下の政府首脳の意思=今回の事件についての見方が強く
反映されていることも、疑う余地はないでしょう。

今回、高遠さんたち3人を解放する理由について、実行グループは「日本の政府の対応
を認めたからではない」「次は許さない」等との声明を出しているようだと報じられて
います。もし、これが事実だとすれば(ぼくは、その可能性は極めて高いと思います)、
上に見てきたような日本の政府の姿勢は、安田さんたち二人を極めて危ない状況に
追い込むことになるでしょう。とくに、高遠さんを取材したこともあるというフリー
のジャーナリストである安田さんはともかく、「自衛隊を支援する活動」を行なっている
と見られることが避けられない渡辺修孝さんの場合は、「いつ殺されてもおかしくは
ない」状況にあると言わねばならないでしょう。――小泉首相たちには、その程度の
ことも理解できないのでしょうか?それとも、「わかっちゃいるけど、やめられない!」
とでも言いたいのでしょうか?

言うまでもありませんが、これほど無責任で、“意味もなく非情な”政府を生み出した
責任は、ぼくたち一人ひとりの国民にあります。とりわけ、現在の政府与党に票を
投じた人たちは、その票の重さを自覚してほしいと思います。

3人が解放されたというニュースに、思わず涙があふれましたが、その後の政府の
姿勢は、ぼくの背筋を凍らせるばかりです。

寮美千子  Good news & Bad news/「究極の選択」という罠 2004年04月16日(金)02時23分05秒
解放 へのコメント


人質解放のニュース。三人が無事でほんとうによかった。
ほっとしました。

といいたいところだけれど、新たに二人が拉致されたらしい。
ほっとしていられない。
肩の荷を下ろしきれないこの事態に、苛立ちを感じている人も多いと思います。

その苛立ちがどこへ向けられるか。
「危険地域だとわかって行った人が悪い」と、
拉致された人々への非難の声も、一段と高くなるでしょう。

けれど、よく考えてみれば「日本人が頻繁に拉致されるような事態」を
作りだしてしまった、そのこと自体を、わたしたちは考え直すべきだと思います。


「究極の選択」といった思考ゲームがあります。
これとこれ、二つにひとつしか選べなかったら、どちらを選ぶか、というゲーム。
例えば、救命ボートに一人分のスペースしかなく、
母と子、どちらか一人しか助からない。どちらを助けるか。
母親は子どもを助けてくれといい、
子どもは「ぼくはいいから、かあさん、ボートに乗って!」という。
どちらを助けるのが寄より正しい判断か。
どちらを助けることが、ほんとうの「愛」なのか。

わたしはこの手のゲームが苦手。
というのは、そのシチエーション自体に疑いを抱いてしまうから。
母と子、どちらを助けるか、
なんていう究極の事態を招かないようにすることこそが、正しい判断。
そんな事態が来ないように心を配ることこそが「愛」です。
船が沈没するような危険を避けること、それがまず大切。


いまの日本は
「自衛隊を撤退させないで人質を見殺しにするか、
 自衛隊を撤退して人質を助けるか」の究極の判断を迫られているような事態。
「自衛隊を撤退させず、しかも人質の安全を確保する」という選択は、事実上ない。

そのどちらを選択することが正しくて、そのどちらを選択することが「愛」なのか。

そのような「究極の選択」を突きつけられたとき、
人はどちらを選ぶか、思わず真剣に考えてしまう。

しかし、それは違うんじゃないか。
そのどちらかを選べと迫られるようなこと、それ事態が、間違っていやしないか。
つまり、設問がおかしいんじゃないか。
そんな事態を招かないようにすることが
ほんとうの意味での「正しい選択」であり「愛」だと思うのです。

そして、それこそが「政治」であると、わたしは思います。

こんな事態を招いた原因。それは、日本の盲目的なアメリカ追従であり、
ファルージャ爆撃で六百人以上ものイラク市民の命を奪うような残虐な米軍を支持して
「自衛隊」を派兵していることです。

ほんとうの人命尊重とは何か。
危険に晒されているのは、危険地帯に侵入した日本人ばかりではありません。
ここ日本にいるわたしたちさえも、テロの標的になりかねない。
続発するイラクの人質事件は、そのことを示しています。
そして、その背後には、イラクの人々の痛みがある。


「自衛隊派遣は国の決定。いまさらそれを簡単には覆せない。
命知らずの馬鹿者のために、国の決定を覆せというのは愚か。
自衛隊撤退を主張するなんて、政治の混乱を招くだけ。黙っていろ」と
ある友人からいわれました。

けれど、わたしは思います。
それが間違っていると気づいた時点で、わたしたちは声をあげるべきだと。
間違った進路を行く船が、ますます危険地域に踏みこまないために、
氷山にぶつかって沈没しないために、せいいっぱい声をあげるべきだと思います。

>同じような事件が起きて、それにわたしや、わたしの知人達が巻き込まれませんように。

そのためにも、いま、正しいと思うことを語らなくてはならない。
そう思っています。

勇崎  解放 2004年04月15日(木)21時50分31秒

よかった。
よかった。

DORONKO  「民間人」というマヤカシ。 2004年04月14日(水)12時48分46秒
「三百代言」ということ。 へのコメント

今回の事件をめぐっての、と同時に、現在のイラクの情勢についての
日米両政府のコミュニケ等がいかにマヤカシに満ちているかについては、
多少でも踏み込んで説明しておく必要があるだろうと思っていました。
しかし、それは、かなりヤヤコシイ話になってしまうかも知れない――と
思っていたところに、まさにその点について論じた田中宇氏のメルマガが
届きました。以下で読めますので(4/13付「米イラク統治の崩壊」)、どうか、
これには目を通してみて下さい。

なお、これは田中氏一人が言っていることではなく、TVによく登場する
放送大学助教授の高橋和夫氏も、ほぼ同様の指摘をしていたということを
付言しておきます。

http://tanakanews.com/e0413iraq.htm

DORONKO  「三百代言」ということ。 2004年04月14日(水)11時25分36秒
「日の丸・君が代問題」と「イラク人質問題」/地球規模の同胞意識を! へのコメント

>わたしたちは、ほんとうの意味で「国」を大切にしなければならない。
>「国」の沽券のために国民を見殺しにするような国は、いい国ではない。
>「国」のために、命を捨てさせるような国は、いい国ではない。
>国民の命を守ってこそ国家です。親身になって人質のことを考えない
>政治家たちには、ほんとうの意味での「同胞意識」が欠如していると、
>わたしは思います。                    by 寮さん

まったく同感です。
ぼくも、あれこれカキコをしましたが、要するに、このことが
言いたかったのだといっても過言ではありません。

さらにいえば、「『国』の沽券のために国民を見殺しにするような国」は、
単に「いい国ではない」というよりも、もはや「国」と呼ぶにさえ値しなく
なってしまうということが、小泉首相以下の政府首脳はちっとも理解できて
いないようで、この国の政治家の「新人類化」も、ついに行き着くところまで
行き着いたのか……と、ぼくは呆れています。

これに関して、高遠さんたち3人を拘束した武装グループとの交渉は極めて
デリケートな問題だから、報道にあたるマスコミもその点に配慮してほしい
などと政府は語っており、実際マスコミも、この事件が起きて以来その
「配慮」はしすぎるほどにしてきているようにぼくは感じているのですが、
今朝のTVでも報じられているように、当の小泉首相の発言そのものが、事件の
解決に寄与するどころか、ごく普通のイラクの人々の気持さえ逆ナデするような
ことばかりでしかないのでは、いったい何のための「情報管理」なのか?と、
疑うのを通り越して、ぼくは怒りを覚えずにはいられません。

これまでの政府の対応を要約するならば、「ともかくアメリカに頼むしかない」
ということ以外に何の中身もなく、そのアメリカこそが今回のような事件が
起きる要因を生み出した張本人であるということにはひたすら目も耳も
閉ざし続けているとしか、ぼくには見えません(宗教者の組織に働きかけるとか、
部族長に働きかけてみるべきだといったことは極めて当然のことで、その
「努力をしているらしい」ということだけで「政府はよくやっている」などと
思うのだとしたら、それはあまりにもナイーヴだといわざるをえません)。
――もちろんぼくだって、この世界で、軍事力をはじめとするアメリカの「国力」が
どれほど突出しているのかということを知らないわけではありませんが、それに
しても、今の政府与党の政治家たちの“アメリカ”に関する強迫観念は、あまりにも
度が過ぎていると思います。

……話を戻しますが、高遠さんたちの家族のもとに、3人と家族のみなさんを
中傷するようなファックス等も多く送られてきているとマスコミは報じています。
ぼくは思うのですが、そうしたファックスを送るような連中は、おそらく、
イラクの人たちも同じ人間なのだし、もちろん、アフガニスタンの人々だって
そうだし、世界中のあらゆる人間が、自分と同じように「血のかよった人間」
であるということを、まったく思ってもいないか、忘れ去ってしまっているの
だろうと思います。それを思い出させることも、政治というものの極めて大事な
役割の一つだろうとぼくは思うのですが、小泉首相たちにまかせておくかぎり、
そんな役割がきちんと果たされるということには、およそなりそうもないのは
痛恨の極みというべきでしょう。

こんな、みんなの気持を暗くするようなことばかり言いたくはないのですが、
現状は、以上のようなものだと考えるしかなさそうです。が、もちろん
ぼくは、「あきらめましょう…」などと言うつもりはありません。そうでは
なく、小泉首相以下の政府の無能ぶりを、マスコミはもっと率直に批判すべき
だし、ぼくたちも、もっともっと怒りを!……と、ぼくはいいたいのです。
ぼくは、政府のペテンのような説明を信じ込むのではなく(一昨日行なわれた
小泉首相とアメリカのチェイニー副大統領の会談についてのコミュニケなど、
ペテンと言わずに何といえばよいのでしょう?一国の首相や副大統領とも
あろう者が、あれほど公然とウソを公表してはばからないようでは、子ども
たちに「真実を大事にしよう」とさえ言えなくなってしまいます!)そのペテン
を見抜き、それに怒りをもって向き合うことこそが、高遠さんたち3人を救う
決め手になるということを、ぼくは、強く、強く、信じています。

辻井 豊  イラクの人質事件に思うこと。 2004年04月14日(水)03時33分20秒
「日の丸・君が代問題」と「イラク人質問題」/地球規模の同胞意識を! へのコメント

 お久しぶりです。
 イラクの人質事件で、わたしが思うことは二つ。
 一つ、3人が、無事に帰ってきますように。
 一つ、同じような事件が起きて、それにわたしや、わたしの知人達が巻き込まれませんように。
 それだけです。

 今回のことで、阪神淡路大震災を思い出しました。
 焼け跡にじっとたたずむ人。黙々と道路を歩く人。炊き出しに整然と並び、順番を待つ人。
 震災が起きてすぐ、新聞に「震災は明石大橋の工事が影響した」とコラム(?)を載せた有名な方がおられました。
 何かの事件が起きた時、それを利用してやろうとする人たち。政府批判、あるいはその反対のこと、わたしには理解できない目的のために。
 今回の事件でも、そう言う人たちがいるのだとしたら、そんな連中こそ最低だと思います。


吉木克実  誤字、誤変換ごめんなさい 2004年04月13日(火)14時16分17秒
イラクの人質 へのコメント

一気に書いて投稿したはいいけど、
送り仮名が多かったり誤変換があったり、
すまんです。

信介ど〜ん!!
帰っておいでよ〜

寮美千子  「日の丸・君が代問題」と「イラク人質問題」/地球規模の同胞意識を! 2004年04月13日(火)14時03分22秒
入学式での戸惑い へのコメント


silicaさん、中学校のお子さんを持つお母さんの立場からの、生活実感的なお話、ありがとう。机上の空論じゃなくて、ほんとうにそういうところからの実感の言葉が大切です。これはそのまま、kiyomiさんの提示してくれた七生養護学校の問題に直結することだと感じました。

館野先輩、吉木先輩(お二人は、わたしの中学時代の先輩です)、そして勇崎さん、ドロンコさん、征木さん、おむすびの祈りさん、kiyomiさん、そして、カフェルナでおしゃべりをしたり、そのおしゃべりを聞いていてくださるみなさん、ありがとう。

話題になっている「日の丸・君が代問題」と「イラク人質問題」。そこには、同じ匂いがしてなりません。それについて、考えてみました。


いま、日本人3人が人質になっている。まだ解放されていない。このことが、とても気がかりになっている人が多いと思います。どうしても気になってしまう。わたしもそう。

もしこれが、スイス人とか、アメリカ人とか、パキスタン人の人質だったらどうか。みんな、ここまで気になるでしょうか。きっと違うと思う。

それはなぜか? それは、心のなかに自然と「同胞意識」があるからだと思うのです。知人でも友人でもない。赤の他人なのに、同じ日本人というだけで、身近に感じてしまう。我が事のように心が痛む。

その痛みやイライラがあるからこそ、人質となった3人への罵倒の言葉も出てくるのだと思います。

人質となった今井紀明さんと郡山総一郎さんのお母さんは「24時間以内に解放」というニュースが入ったあとの記者会見で「帰ってきたら殴ってやりたい」と語っています。
帰ったら、殴ってやりたい-人質家族ら会見
今井紀明さん(18)=札幌市西区=の母直子さん(51)は、ニュースについて「まだ息子たちが帰っていないので気を引き締めている」と、最初のうちは慎重な姿勢を崩さなかった。しかし、その後「帰ってきたら殴ってやりたい。そういう風になれたら幸せ」と笑い声で話した。郡山総一郎さん(32)=東京都杉並区=の母きみ子さん(55)も「殴ってやりたいよね、一発」と笑顔を見せた。
この「殴ってやりたい」という気持ち、よくわかります。「心配で心配でならなかった。こんなに心配かけてバカヤロー!」という気持ち。それは、強い愛情の現われです。

人質の3人を激しく非難する人々も、自分では気が付いていないかもしれないけれど、実は心の底で、愛を抱いているのかもしれない。「バカヤロー!」といいたいのかもしれない。「こんなに心配させて、イライラさせてバカヤロー!」という気持ちが、とりあえずそのイライラの原因をつくった目先の3人に向かう。そのほんとうの原因へは向かわずに。

マザー・テレサの言葉に「愛の反語は憎しみではない。無関心である」という言葉があります。無関心であれば、非難もしないはずです。罵倒する人々は、無関心ではいられない、ということです。

それはつまり、彼らが日本人であり、どこかで同胞であると感じしてるからにほかなりません。その同胞意識は、自然発生的なものです。決して、ともに日の丸を掲揚し、国歌を歌ったから育まれてきたものではない。


わたしたちは、この同胞意識をアメリカ人やスイス人やパキスタン人の人質に持つことはむずかしい。我が身のこととしては感じられない。なぜか?

家族のことなら、自分のことのように親身になれる。その想像力が友だち、親類、同窓生、出身の県、同じ国民、というように広がっていくのは、わたしたちの心に想像力の翼があるからです。そして「日本国民」というところまでは、ごく自然にその力が働く。もちろん、人質に対してその親のように親身になれないけれど「気にかかってしょうがない」というレベルの感情は、みんな自然に抱く。

けれど、それが外国人となると、そこまで自然に想像力が働かない。他人事に思われてしまう。

この「我が事のように感じる力」を拡大することが、実はとても大切なことだと思うのです。他の国の人が人質になっても、その安否が気がかりになる。それだけじゃない。そんなことをしなければならないほど追いつめられたイラクの人々の気持ちを考えられる。爆撃で傷つけられ命を失っているイラク市民の気持ちを感じられる。

「国境」という枠を超えて、地球規模の同胞意識を持つことができれば、「殺しあい」など、できるはずがありません。

外国人の友人が一人でもいれば、その友人の国で内戦や戦争が起れば、気になる。それは、想像力が働くからです。その想像力の網の目が広がっていけば、わたしたちはそれがどこの国で起ったことであろうと、武力による解決を是とできなくなるでしょう。


「日の丸・君が代」の強制は、この国境のイメージを強化するものです。広がって行こうとする同胞意識に衝立てを立てて遮るようなもの。壁をつくる行為です。「同胞意識」を国のなかにだけ閉じこめようとする行為。

そして、強制されたからといって、実は、ほんとうの意味での「同胞意識」が芽生えるわけではない。それは、相手を思いやる感情の中からしか育まれないものです。内側から湧きあがるものです。外から鋳型にはめられて育つものではない。

「国」「民族」といったヴァーチャルな存在、帰依するべき何ものかがそこにあるわけではない。すべては「個」の集成です。そこに、一人一人の「個」があって、はじめて「国」や「民族」が成立してくる。そのことを忘れ、「個」をないがしろにし、「個であること」を殺すことで、「国家」「民族」を屹立させようとするのは間違っています。

わたしたちは、ほんとうの意味で「国」を大切にしなければならない。それは「日の丸・君が代」の強制ではありません。「国」の沽券のために国民を見殺しにするような国は、いい国ではない。「国」のために、命を捨てさせるような国は、いい国ではない。「日の丸・君が代」の強制は、むしろ、わたしたちにとってほんとうに大切な「国家」のあり方を、傷つけ、おとしめていくものであるのではないか、とわたしは思います。


「自衛隊を撤退しないといち早く決断したことにより、テロリストがあきらめて、人質解放につながった」などと暴言を吐く「国」は、少しも国民の大切な命のことを考えていない。無能なだけならまだしも、人質解放の足を引っ張るような真似です。

国民の命を守ってこそ国家です。親身になって人質のことを考えない政治家たちには、ほんとうの意味での「同胞意識」が欠如していると、わたしは思います。

吉木克実  イラクの人質 2004年04月13日(火)11時58分51秒

ちょっと長くなるかもしれませんが少し言わせてください。

まず、人質となってしまった三人の人々について。
あの三人は、ある程度危険が存在することを認識した上でイラク入りしています。
人質になるとは予測していなかったかもしれませんが、
命をなくす可能性があることは覚悟していたはずです。
できるだけ危険は積極的に回避するようにはしても、全て避け切ることはできません。
自分の身の危険を担保としつつ行われているのが、現状のNGOなり、独立型のボランティアの姿ではないでしょうか?
「だから殺されても仕方がない」なんて考えはまったくナンセンスですがね。

死ぬのはいやだけど、それさえ忘れてしなきゃいけないことがあるっていうのが、
彼らだけじゃなく今イラクに入っているボランティア全員の本心じゃないのかな?

次に、自衛隊の問題。
わたしは、一定の条件化でなら自衛隊の海外派遣(派兵ではない)も容認しようと思っています(が、このことについて今ここでは論議はしたくありません)。

今回の派遣に関してどうかと聞かれれば、あまりに打算とジェスチャーばかりが目立ち、身震いする思いです。
福田官房長官の「理由がない」発言には意表をつかれましたね。まったく・・・
あの言葉は、「人命と大儀をはかりにかけると大儀が重い」といっているようにしか聞こえない。
彼は、「自衛隊は人道的支援、復興のために駐留しているわけで占領軍としてイラクに存在しているわけではない。 サラヤ・ムジャヒディンの言うような軍隊ではないのだから撤退を強制される理由はそもそもありえない」といったのでしょう。本心は。

あれだけ世論にもまれながら派遣した自衛隊。
イラク当地では自衛隊の存在と任務はどう受け取られているのでしょう。
そこが大きく抜け落ちた論点のひとつであり、派遣前の論争で政府がにあえて無視した部分です。

「人道支援で出した以上、誤解から退けといわれても国としての面子がねえ」
そういうことでしょ?

しかしですね、丸腰でストリートチルドレンの世話をしたり、
サマワでもささやかれる劣化ウラン弾の実態を調べたり、
戦場カメラマンとしてレポートを配信したり、
いくら自衛隊(しかもレンジャー出身)の経験があったとしても、
今回は丸腰の民間人としてイラクに入ったわけでしょ。
軍歴(しかも実戦経験のない自衛隊の)なんかかんけいないよ。

方や自衛隊はなぜ武装状態で派遣されたんでしょう。

何のための武器だったのでしょう。

(あの装備で人質奪還を目指せといっているわけではありません。あしからず)

誰から(あるいは何から)誰を(あるいは何を)守るための武器だったんでしょう。
その辺の議論をしっかりしない限り、
イラクで「Show tha FLAG !!」てなわけには行かないね。

まあ、今回の人質輪結果的に無事開放されるんじゃないかと楽観的に考えてるけど、
どちらにせよ、今後の政府のコメントにはよーく聞き耳を立てていないといけなさそうですね。

silica  入学式での戸惑い 2004年04月13日(火)00時53分41秒

イラクのことから、話題が少しずれてしまってごめんなさい。でも、米国、日本の首相と同じような空気を出している人がほかにもいます。

私は、中学の入学式(公立)で子供の名前を名簿から探すのに少し手間取りました。
といいますのも、小学校ではいつでも全員のあいうえお順だったからです。だいたいこのあたりに子供の名前があるだろう、という場所には見当たらず、「あれ?」と思いました。
よくよく見ると、男子1番〜19番 女子31番〜46番という名簿だったのです。今時こんな名簿?!と驚きました。

さらに、入学式が始まると、中央に掲げられた国旗に対して校長先生や他の先生、来賓のかたが壇上にあがるたび、始めと終わりに深々と旗に対して、お辞儀をしていました。その光景は国旗と校旗がやさしく入学式を見守っている、という感じはおよそなくて、「一番崇められるべきは私です。」と旗が言っているように映りました。

Yahooでこのニュースを(下記URL参照)読んだ時に「ああ、こういうことだったんだ。」と身震いいたしました。中学校が一番遅れているのは、それを実行しなかった時の厳罰処分が厳しいからとも聴きます。(かつて公立中学の教師をしていたというお母さんより)

学校が始まって役員決めなどがありますが、委員長、副委員長、というのではなく学級委員がふたり(男女ひとりずつ)となっているところで少しほっとしたという感じです。

私たちは政治の代表者という人たちにどういう方向へ持っていかれようとしているのでしょう。
戦争をなくそう、ではなく、もし戦争になったら・・・?と耳元でささやかれているような気持ち悪さを感じています。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040410-00000004-mai-l13

寮美千子  「対話」が互いの理解を深める/ドンキホーテの試み 2004年04月12日(月)15時56分21秒
寮さんへ へのコメント

おむすびの祈りさま
わたしの思い、受け取ってくれてありがとう。うれしいです。「対話」の手応えをずっしりと感じました。やっぱり、投げ出したりあきらめたりせずに、対話をし続けようとすることで、互いに一歩深く理解し合えることがあるのだと実感しました。ほんとうにありがとう。

わたしがくだくだと説明しようとしたことは
>「命」という言葉の普遍性
という言葉に集約できるのだと、目から鱗の思いでした。おむすびの祈りさんの心のなかに、常にその思いが強くあるからこそ、その一言に集約することができるのだろうなと感じました。

ほんとうに、同じ思いを持っていても、きちんと伝えることはむずかしい。まして、イラクと日本です。愚鈍といわれようとも「誠意」を尽くすしかないはずなのに、日本政府は自分たちの立場の正しさを主張することばかりに汲々として、イラクの武装勢力を逆なでするばかり。しかも、それを支持する「一般大衆」がいる。「2ちゃんねる」や「Yahoo!掲示板」を見ても、日本政府を支持して人質となった3人を税金泥棒呼ばわりするような意見の多いことに驚かされます。

いわゆる「一般大衆」がいまのような日本政府を支持する限り、いまの日本は変わりません。それどころか、より危うい方へを坂道を転がり落ちるように傾いていくでしょう。

日本の軍事化が間違っている、と感じる人々は、互いの主張の方法を嘲笑したりしている場合ではありません。理解し合うために対話を深め、どうやったら、軍事化に賛同している一般大衆にまできちんと声が届かせられるかを、真剣に考えていかなければならないと思うのです。

ここでわたしがやっていることは、激流に小石を置いてなんとか流れを変えようとしていることに等しいかもしれません。ドンキホーテです。けれど、みんなが自分の身の丈でできる努力を積み重ねていくことでしか、世界はよくならないとわたしは思っている。語り合い、対話を深めて、ともに考えていくこと。その一歩一歩の積み重ねが大切であり、意味があると思っている。革命は幻想です。何事も一瞬にして成就したりしない。何ものにも傷つかない「真実」を育て、共有していく努力を怠ってはいけない。

その呼びかけに、このような形で応答してくださったことに、心から感謝します。

寮美千子  嘲笑の前に、代案を! 2004年04月12日(月)15時24分17秒
「蛇足」 / 愚鈍な善意より鋭敏な悪意を。 へのコメント

>愚鈍な善意より鋭敏な悪意を  by 征木さん

それではその「鋭敏な悪意」の具体的内容をご教授ください。

寮美千子  「軍歴」メディアは報道しています/判断は情報確認後に! 2004年04月12日(月)15時16分57秒
「軍歴」のある人質とそれを報道しないメディア。 へのコメント


> 「軍歴」のある人質とそれを報道しないメディア by 征木氏

郡山総一郎氏の「軍歴」は、朝日新聞紙上でもいち早く報道されました。現在も、asahi.comでも公開されています。「ニュース特集>イラク邦人拘束」のページから「人質3人の経歴」をクリックすると出てきます。
以下、asahi.comより転載。
【郡山総一郎さん経歴】
郡山総一郎さん=東京都杉並区=は、自衛隊に入隊した経験があり、レンジャー隊員の訓練も受けていた。爆発物処理の専門だったが、数年前に除隊。カメラが趣味だった弟の影響でカメラマンを目指したという。

故郷・宮崎県からカメラを担いで上京したのは02年11月。同郷の知人を頼り、杉並区内の木造アパートに同居した。

戦場カメラマンを目指していた。「幼いころに見たベトナム戦争の記録写真が、強烈に焼き付いた時点がスタートだった」と、自身について、宮崎県の地元情報誌に語っている。知人の編集者には「戦場カメラマンとして、自分の人生をもう一度やり直したい」と話していた。

ルポを得意とし、パレスチナやヨルダンにも行った。国内では、東京・山谷の労働者の生活ぶりや、外国人労働者のアパートなどを撮影した。初めてバグダッドに入ったのは、03年4月。フセイン元大統領の銅像が倒された直後だった。

郡山さんをよく知る編集者は、今回のイラク入りの計画を聞かされ、「危険すぎる」と思いとどまるよう説得しようとした。しかし、取材の旅費を稼ぐため、工事現場で2カ月間働き、約60万円をためた郡山さんの決意は固かったという。

〈一発ぶちかましに行ってくるよ。いい写真期待してて〉

フリーカメラマン西原秀さん(29)=東京都新宿区=の携帯電話に、郡山さんは、出国当日の3月31日、成田空港からメールを送った。

タイのバンコク経由でヨルダンのアンマンに入り、5月まで滞在してイラクかパレスチナで取材する予定でいた。
この経歴を見た限りでは、彼がどのような理由で自衛隊に入り、そして除隊したのかわかりません。自衛隊に憧れて入ったのか、自衛隊という存在を自分の眼で確かめたくて体当たり取材で入隊したのか、わからない。除隊してカメラマンになった理由も、反戦の視点からカメラマンを志したのか、それともただ戦争に血湧き肉躍る気質だったのか、わからない。「自衛隊に入ってはみたものの、その実態を知って反戦の立場になり、カメラマンを目指した」という筋書きも可能です。

実態のわからない人物に対して「無定見」というのは、わたしは気の毒に思う。それは、現在の彼の仕事などをきちんと見てから判断すべきことだと思います。

予断というのは、恐ろしい。思いこみを持つと、なんでもそのようにしか解釈できなくなってしまいます。複数の情報源から情報を収集して、できれば現物にあたってみて、はじめて判断可能なことになるのだと思います。

彼が何を考えて行動していたのか、わかりません。けれど、少なくとも、彼がその場にいたことでしか伝えられない情報が、わたしたちの手に届いてきたことは事実です。新聞社やテレビ局のお抱え記者の仕事だけでは、戦争の実態はなかなか伝わりません。組織に属した報道関係者は、安全を優先して、結局のところ独自取材ではなく、アメリカ軍などの発表する記者会見を右から左に流す御用機関になりがちです。その点、単身で潜入した記者のほうが、現場をキャッチする機会が高いともいえます。

彼が元自衛隊員であり、レンジャーの訓練を受けていたと言うことは、戦場といった過酷な場所で取材を敢行するために、なにがしかの助けになったのかもしれない。勝手に物語を膨らませれば「戦場カメラマンになるために、自衛隊を利用して訓練を受けた」ということも考えられる。それはきっと、物語をつくりすぎだと思うけれど。

そのような状況を鑑みて、一概に「無定見」を決めつけてはいかんのではないかと、わたしは思います。


彼のしてきた仕事の意義とは別に「元軍人」であることが、国際世論に与える影響があるのだということ、征木氏の文章を読んで考えました。確かにそうです。わたしたちは「自衛隊」と呼んでいるけれど、外国から見たら、それは紛れもなく「軍隊」です。イラクに派遣された自衛隊の装備を見たとき、わたしはほんとうにどうしてこれを「軍隊ではない」と言い張れるのか、理解できませんでした。誰が見たって、あれは軍隊です。であれば、郡山氏は「元軍人」として見られてしまう。そして、その意味するところは、思った以上に大きいということについても、よく考えなくてはいけないと思いました。
以下「勝谷誠彦の××な日々」より引用
私が心配しているのは郡山総一郎さんの軍歴を安易にメディアが書き立てていることだ。反米主義者たちが妄想的にまで敵視しているのは「米軍のスパイ」である。郡山さんがレインジャー訓練まで受けた元自衛官であることが知られると彼だけ処刑されたりあるい全員がスパイ視される恐れがある。海外において軍歴というのは日本と比べ物にならないほど重い。

征木高司  「蛇足」 / 愚鈍な善意より鋭敏な悪意を。 2004年04月12日(月)14時08分00秒
「軍歴」のある人質とそれを報道しないメディア。 へのコメント

仮に街頭の「示威行動」で軍が「撤退」したら それを歴史は「無血革命」と呼ぶでしょう/嘲笑。

征木某  「軍歴」のある人質とそれを報道しないメディア。 2004年04月12日(月)13時46分18秒

「勝谷誠彦の××な日々。」によるとフリーカメラマンとも「週刊朝日」の特約記者とも報道されている「郡山総一郎」氏は元自衛官でレインジャー訓練まで受けているそうです。国際常識では「軍歴」のある人は「元軍人」或いは「予備役」としてはそれなりに敬意を払われます。しかし彼あるいは彼女たちは「純粋な民間人」じゃないことは勿論です。

それにしてもこの郡山総一郎という人は何という無定見な人物でしょうか。

この誘拐/人質事件に限らず「戦争」「軍隊」に関して余りにも軍事的な常識の不足したナイーブすぎる意見が多すぎると思うのは、僕が好戦的なのでしょうか。そして「国家」に対しても素朴な幻想に何の疑いも持たない人が剰りにも多いと思います。

軍というものはそうそう簡単に「派兵」したり「撤兵」出来るものではありません。


まだ本当に「自衛隊は軍隊ではない」と思っている人は「自衛隊軍」つまり帝国陸海軍ではなく「自衛隊」という名の大きな軍隊を持ってしまっていたという自覚を深く深く痛く痛く痛感して欲しいのです。


(もし自衛隊が軍隊ではないのなら、援助交際は売春ではないし、万引きは窃盗ではないでしょう。)


戦後の50数年でこの国は「女と子供の理屈」が勝つ国になっていたのです。

(大人の男は更に腐っていたことは再確認する必要もありません)

この意見に逆上する人が多いだろうことは解っています。しかし、しかし、

戦争は人間から性欲がなくならない程度にはなくならないと思います。


だからこそ、軍事や戦争、兵器のことを考えつづける必要があったのに、羮に懲りて膾の名前さえ云えなくなっていたのが「敗戦後の50数年」でした。


その付けをいま一度に請求されているのではないでしょうか。

DORONKO  再び「俗説」について。 2004年04月12日(月)08時39分04秒
解放に危機状況 へのコメント

勇崎さん、館野さんのご意見に、まったく同感です。
コリン・コバヤシさんの緊急メールによって、ぼくたちは、
「鏡に映る自分の姿」を、しっかり見つめてみるべきでしょう。

その上で言います。
今回の政府の対応においては、1977年に「日本赤軍」が起こした
「ダッカ事件」の際の対応が世界中から非難されたことが教訓に
されているなどと報じられていますが、これこそ、ぼくのいう
「俗説」の最たるものです。
ぼくは、「ダッカ事件」当時の政府の対応に、何の問題もなかった
とは思いませんが、この「世界中から非難」云々という話は、大変に
マユツバだということぐらいは、よく承知しておくべきです。ここで
いわれている「世界中」とは、強硬策が好きだったり得意であったり
する国々の指導層の一部ぐらいのもので、世界中の普通の市民が、
事件が起きた場所こそ「海外」ではあるけれど、それもアジアの中
でのことであって、大半の人間にとっては単に「遠い国」でしかない
日本の政府の対応について、そもそも詳しく知るはずもないし、
まして、それに一喜一憂したりなど、するはずはありません。
(現在では事情はかなり変わったと思いますが、当時は、インター
ネットも、影もカタチもなかったのです――。)
さらにいえば、愚かな対応をしたおかげで大量の死者を出してしまった
といった場合なら「何てバカなことを!」という思いは抱くでしょうが、
あの「ダッカ事件」の際には、ともかく死者は出なかった。それを、
わざわざ「非難」しようなどという物好きな市民は、たとえいたと
しても、ごく少数でしかなかったでしょう。「そうか。人質になった
人たちは、死なずに済んだんだ。まあ、よかったじゃないか――」
――洋の東西を問わず、世界中の普通の市民の大半は、そんな風に
思ったと考えて、まず間違いありません。どの国に行こうと、まともな
感受性を持った普通の人々が考えるのは、そのようなものだということを、
どうか、感違いしないでほしいものです。

次に、これはもう「俗説」などというものではないかも知れませんが、
ここ数日、米軍がファルージャで行なってきたことは、米軍側では
「テロリスト掃討作戦」などと発表しているようですが、ほんの数日の
間に、多数の子どもたちを含む600人もの死者(その大半は普通の市民
でしかないと考えて、ほぼ間違いないでしょう)を出すというのは、
もはや「作戦」などといえるものではなくて、「虐殺」以外の何物でも
ありません。あるいは米軍は、ファルージャという一つの都市を、
丸ごと殲滅(センメツ)しようとしているのかも知れません。
――いうまでもないことですが、世界中のどんな法規に照らしても、
このような虐殺を正当化しうるような条文などありはしません。
これはすでに、アメリカという国家とその正規軍による、歴史に残る
犯罪であることは疑いありません。これほどの蛮行を、イラクの人々は
決して許すことはできないでしょうし、他のイスラム諸国の人たちに
とってもほぼ同じことでしょう。

今、ファルージャの周辺は一時的な「停戦」状態にあるなどと伝えられて
いますが、それは、たった1日程度の時限的なものにすぎないようです。
しかし、小泉首相以下の閣僚が、ほんの少しでもまともな頭脳を持っている
のなら、この、米軍がやってしまったファルージャにおける虐殺は、
到底許しえない犯罪であること、従って、米軍によるファルージャの
包囲はただちに解かれねばならないということを、はっきりと主張すべき
です。――その「極めて当然のこと」が為されていないことが、高橋さん
たち3人の解放を難しくしているということも、いうまでもありません。

おむすびの祈り  寮さんへ 2004年04月12日(月)08時11分39秒
「命」と「魂」 へのコメント

寮さん
寮さんの気持ち、確かに受け止めました。
僕の認識が浅かったようです。
勝手な思い込みをお許しください。
やっと気持ちが通じ合えたようでうれしいです。

「命」という言葉の普遍性についてはおっしゃるとおりです。
また「愛」のさまざまな捉え方についてもそのとおりですね。
言葉の危うさについても再認識致しました。

直接言葉を交わしてもうまく伝わらないのに
今のイラク⇔日本の交渉は言葉を交わすたびに誤解を招き
解決とは別の方向に流れていってしまう。
思いを伝えるのは本当に難しいなって痛感しました。
日本の窓口の人達はイラクの人達に真心が伝わるよう
開放を信じて頑張って欲しいってほしいと切に思います。


とても大切な事を教えて頂き感謝します。

また心に響く事があれば寄らせて頂きます。

ではまた。

寮美千子  「命」と「魂」 2004年04月12日(月)02時20分18秒
「何か」について へのコメント

おむすびの祈りさん

さっそくのお返事、ありがとう。「違う二つの意見が統合されるような視野に立てるようになりたい」「ガイアの視点に立ってこの問題を見て欲しい」ということ、なるほどと思いました。おっしゃるとおりです。大切なのは立場の違いを超えて、ほんとうに大きなところから互いを理解しようとすることです。

けれど、わたしが伝えたかったことが、どうもうまく伝わっていないのではという懸念も持ちました。言葉が足りなかったのかもしれません。そこで、もう一度説明し直させてください。

>僕は転生を信じているのでここで寮さんとは考え方が異なってしまいます。

わたしは、転生を信じているとも、信じていないとも、どこにも書いていません。ですから「考え方が異なってしまう」と断定されたことは、ちょっとショックでした。もしかしたら、以下の部分が誤解を招いたのかもしれません。
けれど、命は違う。「文化のなかの命の位置づけ」をいっているのではありません。そこのある生命活動としての命です。それは、だれにも一回きりのもので、失われたら最後、ぜったいに戻らない。それは、地上の人に等しく同じものです。だから、大切にしなければならない。
このなかの「だれにも一回きりのもので、失われたら最後、ぜったいに戻らない」というところの意味を、おむすびの祈りさんは、読み間違えたのかもしれない。

わたしがいっているのは「命=具体的な生命活動」のことです。ここで語っているのは、魂のことではありません。霊的な存在のことでもありません。誰の目にも見える、いまここにある肉体としての「命」です。

だからといって、わたしは肉体だけのことを語っているわけでもありません。肉体は肉体だけで存在しているわけではないからです。そこには心もある、魂もあるでしょう。もしその魂が永遠不滅の存在だったとしても、いまここにある、この肉体のなかの命として存在できるのは、やっぱりこの人生だけです。一回限りのこの人生です。

わたしは、その意味で、命は「だれにも一回きりのもので、失われたら最後、ぜったいに戻らない」といっているのです。

うちの猫のノイは死んでしまった。ノイはどこかに転生しているかもしれない。けれど、わたしがノイという形でノイに会えるのは、ノイに命があった間だけです。どこかで、別の形で再会できたとしても、それは、あのノイではなく、ノイの魂を持った違う肉体です。ノイが死んでしまったいま、わたしは、あのふわふわの毛皮の、あのほどよい重さの、あのかわいらしい匂いの、あの甘えた声のノイをこの腕に抱くことは、もうできない。

子どもが死んでしまえば、もう「その子ども」には会えない。母親が死んでしまえば、もう「その母親」には会えない。友だちが死んでしまえば、どんなに会いたくても、もう「その友だち」には会えない。生きていたその時のようには会えない。それは、魂の不滅を信じる人にとっても、信じない人にとっても、厳然たる事実です。

だから、いま目の前にある、一度きりのこの肉体としてある「命」は、やはりかけがえのないものです。大切にしなければならない。魂が不滅だからといって、それをおろそかにすることは許されない。もしも「生まれ変わるのだから」といって、いまある肉体を軽視するとしたら、それは「愛の欠如」です。

もちろん、おむすびの祈りさんが、そのようにして、いまここにある「命」を軽視するだろうと思っているわけではありません。そんなはずがないことは、よくわかります。

ただ、わたしは言葉や論理というものは、とても怖いものだと思っている。いくら本人にはそんなつもりがなくても、その言葉を、まったく裏返しの意味に取ることが可能だからです。それどころか、悪意を持って、わざと逆の意味に利用することすら、可能です。

>魂が個人の思考を乗り越えてもっと大きな何かを得る為に
>時には個人の命を掛けてでもその行動を起こさせようとする。

>でも人は命を掛けてでも何かに向かって進んでいく時に
>素晴らしい宝物を得ているような気がします。

これが特攻隊や自爆テロの人の言葉だと聞かされたら、多くの人は矛盾なくそうだろうと思ってしまうでしょう。つまり、このような言葉や思考は、一歩間違うと、そのまま自爆テロを推奨する精神論になりかねないという危険があるのです。そのような人々に利用されてしまう可能性のある、危険な言葉です。とても慎重にならなくてはいけない。

その時に問われるものが、その「何か」です。「何か」とは何なのか。その「何か」を「愛」と規定しても、やっぱり同じです。問題は解決しない。というのは、おむすびの祈りさんが抱いている「愛」のイメージと、他の人が抱く「愛」のイメージが、ぴったり重なるとは限らないからです。
みんなはめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだろう
という賢治の言葉は、単に宗教や神を指しているだけではありません。このような「愛」の解釈の違い、みんなが心に抱くイメージの違いをも、指しているのだとわたしは思います。

例を挙げてみましょう。例えば「現世を無意識に生きている人々は罪深いから、むしろポアして早く新しい人生を迎えられるようにしてあげることが、ほんとうの愛だ」という理論があります。それを愛と呼ぶ人々もいる。それが、オウム真理教のサリン事件の精神的支柱になりました。

しかし、それはわたしやおむすびの祈りさんから見たら、とんでもないことです。とても承服できるものではない。でも、彼らがそれを「愛」と呼び、わたしたちが「違う」といっている限り、それは水掛け論にしかなりません。

もうひとつ、例を挙げましょう。いま、イラクを占領統治しているアメリカ軍をはじめとする軍隊。彼らの名目も「人道的復興支援」です。イラクの人々を大切に思うからこそ、いま、軍隊が必要なのだ、といいます。つまり、アメリカが考えるところの「愛」の押し売りです。

それは「愛」じゃないよといっても、それが「愛」だと思っている人とは、話が噛み合いません。

そこで、わたしは思いました。まったく違う立場の人が、それだけは共通だと理解できるものはなんだろうかと。誰もが同意できる、最低限の共通理解事項とは何か。

それは「命」はだれにもひとつきり、人生は一度きりだということです。もちろん、そこに魂の議論は入ってきません。魂の存在を信じる人にとっては「この肉体にこの魂が宿る人生は、一度きり」という意味であり、魂の存在を信じない人には、文字通りの「一度きりの人生」です。ニュアンスの違いはあっても、これなら合意できるはずです。どんなに立場や考え方が違っても、了解できるはずです。というか、これしか、了解できることはないのではないか、と思われます。

それを互いに大切にしようと、そう約束しあうことはできないだろうか。宗教や「愛」の概念の違い、文化の違い、習慣の違いを乗り越えて、ただその一点で人類は合意でききるはずだ。「殺すなかれ!」「命を大切に」の一点で。

そうすれば、戦争はなくなる。武器も必要なくなくなります。そこに向かって、一歩一歩歩くことしか、ほんとうの意味での平和への道はないのではないか。いま、それがどんなに遠い目標に思えても、実現不可能な夢物語に思えても、そういう共通理解をしていこうよ、という目標に向かって歩こうとすることで、わたしたちは少しでもそこへ近づくことができるのではないか。

人を殺せる武器を携えて「人道的支援」に出かけるなんていう、矛盾に満ちたことをまずやめようと、わたしたちはいま、声をあげられる。自衛隊の派遣は少しも「人道的」ではないといって、自衛隊のイラクからの撤退を求めることもできると思うのです。なぜならそこには「命を大切にする思想」がないから。

「ガイアの視点から」というのは重要なことです。しかし、これもまた、ある意味危険な要素を持っています。巨視的な視点を持つと、自分があたかも神の視座を得たように思い「人類が滅んでも、ぼくは悲観しない。なぜなら、宇宙は生命を生みだすようにできているからだ」なんていう、とんでもない発言をする科学者が出てきたりします。

ガイアの視点というのは、ひとつひとつの命をすべてかけがえのないものとして捉えるところからしかはじまりません。巨視的な視点を持つということは、同時にそこに存在するすべての命を感じることができるということです。際限なく細部に入っていっても、そこに世界がある。その世界をすべて同時に感じられるような、そんな曼陀羅的視点を持つことです。限りなく大きなものと、限りなく小さなものを同時に見て、同時に大切にできる複眼を持つということではないでしょうか。

おむすびの祈りさんの「祈り」「希い」は、きっと気分としてわたしの感じていることととても近いのだと思います。単なる表現方法の問題だとは思います。おむすびの祈りさんのいう「愛」が、偏った恐ろしい「愛」などでは決してないということ、感じます。

けれど、それが一歩間違うとまったく逆の意味を帯びてしまう。逆のことを考えている人々にたやすく利用されてしまう可能性がある。わたしは、そのことを何より恐れます。善意から出たはずのものが、限りない悪意に、知らず知らずのうちに加担することを恐れるのです。だからこそ、誤解のしようのない明白な共通理解を持とうと提案しているのです。それが「殺すなかれ」「命を大切に」です。

違いを大切にして、違いを乗り越えて大きな視点を持ちたいというおむすびの祈りさんのお気持ち、すばらしいことと思います。でも「寮さんとは考え方が異なってしまいます。」と断定する前に、ほんとうに考えが違うのか、ちゃんと見てほしい。受け取ってほしいと切に思います。なにかちょっとさみしいような気がしてしまいました。コミュニケーションは、愛の出発点です。わたしの気持ち、わかっていただけるとうれしいです。

館野公一  解放に危機状況 2004年04月12日(月)00時13分04秒

こんばんわ 流れを無視するようで、いきなり済みません 館野公一です
何とかなるかなと思ったのですが、午後の動きがありません
今日の朝からの各報道を見ていると、小泉の判断は正しかったとか、政府の努力が功を奏したという、とんでもない流れが強くなり「あ〜あ」と思っていたら、現地で強い反発が出ているようです。当たり前です。マスコミに対しても、政府に対してもまったく気を抜くことが出来ません。今回のネゴに極めて重要な役割を担ったグローバル・ウォッチ/パリのコリン・コバヤシさんの緊急メールを以下に貼り付けます。何ができるか考えて力を尽くしましょう。
**************************************

【緊急声明3(転送可)】 

日本政府へ、そして反戦市民、団体すべてへ

アルジャジャーラにたいする川口外相の声明、外務省報道官の声明は、拉致グ ルー
プを激怒させるに充分です。
わたしたち、グローバル・ウオッチはバグダッド経由の警告を受け取りまし た。
(パリ時間正午12時15分)
これ以上、日本政府が自衛隊派兵の正当性を主張し、米軍と組んでイラク民衆 を攻
撃しようとするなら、人質解放の扉は閉ざされる危険性があるだろう、と の警告で
す。
私たちは、日本政府がいっさいの無意味なアジテーションをやめ、今回の人質 解放
に繋がる道を開いたのは、政府の努力ではなく市民たちのネットワークで あること
を素直に認めるべきである。拉致グループを含め、イラク民衆が望ん でいるのは、
あらゆる外国の軍隊のプレザンスの退去であり、占領の早期終結 です。
以上のことが尊重されないなら、拉致された日本人の生命に万が一のことが起 こっ
た場合のあらゆる責任は日本政府にあると判断されても仕方がないでしょ う。

グローバル・ウォッチ/パリ
コリン・コバヤシ

勇崎  拘束された“キミたち”へ 2004年04月12日(月)00時04分01秒

まだ、三人の若者たちは解放されていないようです。
彼らが、一刻も早く、元気で、自由の身となることを願いながら、いま思うところを綴っておきたいと思います。

拘束された三人のうち二人は、僕と同じ生活圏内で生まれ育った人たちです。もう一人はフォトジャーナリストということで、僕と同様に、写真にかかわる人です。僕が彼らと同じ年齢、つまり遠い過去に遡れば、それは“僕”にも突きつけられた事態かも知れない。そして、遠くて近い未来に向かえば、それは僕の“子”や“孫”たちが巡り合う不運だったのかも知れない。
そのように、身近に感じてしまうことと、僕が多分に年長であることに免じて、今井紀明さん、高遠菜穂子さん、郡山総一郎さんのことを“三人”ではなく、“キミたち”と綴りたくなる、冷静さの欠如をお赦し下さい。

キミたちの苦痛と苦悩と引き替えに、“戦争の現場”は遙か彼方のことではなく、多くの日本人に等身大に感じさせてくれたことを、まず、感謝します。そして、テレビで拝見するキミたちのご家族に感動しています。同じ立場にあったとしたら、僕もあのようにありたいと感じます。

救出をめぐって国費(税金)を使うことをキミたちへの非難の口実としている輩がいるとのこと。納税者としての僕は、このような事態がおこった場合にこそ、充分に対処してもらうために、税金を払っているつもりです。国費は政府のお金ではありません。納税者のお金です。ですから、キミたちの救出のために、ケチらず必要なだけ使って欲しいと、意思表示しておきます。この種の意志を持っているのは、僕だけではないはずです。

「ボランティアは究極自分のためである」と僕も思います。きっと、キミたちもそう考えて行動していることでしょう。しかし、キミたちの活動や行動は、現場には行けぬ僕の願いや意志を代行してくれています。その代行の果てに、あのような事態に遭遇してしまったわけで、まことに申し訳なく思っています。そこが、たとえば趣味の登山で遭難したときとは、全く異なるところです。キミたちの活動や行動に、他者である自分の想いを映し、託しているのは、決して僕だけではないと思います。

ですから解放された後も、今後の活動や行動を後退させたり、鈍らせないで欲しいのです。自国の政府がキミたちの命を見捨てても、他国のイラクの人々は拘束したキミたちの実体を知ったとき、日本政府が全く反動的に条件を満たさず、応じないにも拘わらず、“解放する”という声明で、キミたちの命を救おうとしている事実を、誇りにして欲しい。

キミたちのお陰で、わかったことがいくつかありました。
ひとつは、現日本政府は国民個人の生命よりもメンツを優先して選択すること。
誘拐側がアルカイーダとは別のグループということは、イラクのなかに、非合法であろうが武力や暴力を用いてでも、溢れこぼれて噴出する怒りと恨みを解消しようとする多様で多数の人々(某国&政府がいうところのテロリスト・グループ)が、雨後の竹の子のように、“旗揚げ”していることが想像できます。つまり、テロリストを根絶するという大義による某国のイラクにおける行動は、次々と新しいテロリストたちを“旗揚げ”させ、産み出しているだけ、をあからさまに証明していることが、もうひとつわかったことです。

ここまで綴るのに小一時間経ちましたが、まだ、キミたちは解放されていないようです。誘拐側は自分たちの所在がバレぬよう、キミたちを遠いところまでつれていって解放するために、きっと時間がかかり過ぎているのでしょう。
一刻も早く、元気で、自由の身となること、そしてご家族のみなさんのご健康を心よりお祈りしております。

おむすびの祈り  「何か」について 2004年04月11日(日)17時53分20秒
イラク武装勢力より人質解放声明出される! へのコメント

僕は転生を信じているのでここで寮さんとは考え方が異なってしまいます。
でも僕は寮さんと自分の意見の違いは大切にしたいと思います。
またその違う二つの意見が統合されるような視野に立てるようになりたいと思っています。

「何か」についての今の自分なりの答えは「それぞれの神」ではなく「愛」だと思っています。
どこの国の人達もいがみあうより愛し合う事を望んでいると思います。
今はインターネット等で敵国の民衆同士でコミニュケーションがとれる時代になっています。
国は違えど民衆レベルでの意識の統合は確実に進んでいると思います。

世界はとてつもなく大きな船で僕たち民衆は今舵を切ったばかりです。
すぐには進行方向が変わらなくても、必ず進路は変わる!
大切な事は進路が変わるその時まで信じる事だと思います。

寮さんに伝えたかった事は
ガイアの視点に立ってこの問題を見て欲しいという事。
怒れる寮さんともうひとり宇宙船から見ているような客観的な寮さんがいて欲しいなって思ったことです。

生意気なこといってすみません。
それと3人の無事をお祈り致します。

おむすびの祈り

寮美千子  「命よりも大切なもの」よりも大切な命 2004年04月11日(日)17時13分49秒
思った事 へのコメント

おむすびの祈りさま。投稿ありがとう。「命」と「魂」の問題。大きな問題です。大きな理想に向かって歩むことのすばらしさ、わたしも賛同します。

けれども、言葉というものはむずかしい。同じ言葉を、まったく別のところに当てはめることもできるのです。そして、その意味を180度違えてしまうこともできてしまう。

>魂が個人の思考を乗り越えてもっと大きな何かを得る為に
>時には個人の命を掛けてでもその行動を起こさせようとする。

>でも人は命を掛けてでも何かに向かって進んでいく時に
>素晴らしい宝物を得ているような気がします。

その「何か」とは何か。そこが大きな問題になってきます。おむすびの祈りさんの気持ちは痛いほどわかるけれど、一歩間違うと、それはとても危険な言葉にもなりかねません。その「何か」にアラーの神をあてはめれば、それはそのまま、イスラムの戦士たちの自爆テロを賛美することになってしまいます。日本の神風特攻隊も、きっと個人を超えた大きな「何か」に向かっていくことに、個を超えた喜びを見いだしたのかもしれません。

もちろん、おむすびの祈りさんがおっしゃっていることは、そんなことではないということはよくわかります。ただ、その「何か」とは何かを問い始めたとき、答えは出ない。こちらの何かが正しくて、あちらの何かは間違いだと言うことはできない。 宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』のなかで、ブルカニロ博士にこう語らせています。
みんなはめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだろう、
けれどもお互ほかの神さまを信じる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。
そして勝負がつかないだろう。
違う文化、という地平に立ったとき、すべては相対化され、勝負はつかない。ここから見れば、あちらは間違いで、あちらから見ればこっちがおかしい。なぜなら「心」とか「精神」とか「文化」は、等質ではないからです。すべてが違う。

けれど、命は違う。「文化のなかの命の位置づけ」をいっているのではありません。そこのある生命活動としての命です。それは、だれにも一回きりのもので、失われたら最後、ぜったいに戻らない。それは、地上の人に等しく同じものです。だから、大切にしなければならない。

自分の命を大切にする。それと同じように、他人の命を大切にする。命より大事なものはないと互いに確認しあう。もしそれができたなら、戦争はなくなります。他人の命を奪う、という以外の方法で、人は戦いをするようになるでしょう。

だから、わたしは死刑に反対だし、自衛隊のイラク派兵にも反対なのです。自衛隊員が殺されるかもしれないし、自衛隊員が誰かを殺してしまうかもしれない。「武装している」ということは、それを前提としている、ということです。それを前提としなければならないところへの日本国民の派遣は、絶対に許されるものではありません。それは、自衛隊員という立場にある日本国民の、基本的人権を無視したものです。

だから、わたしはいいたい。命は大切であると。命より大切なものがあるかもしれない。けれども「命が大事」ということを、世界共通の理解にしない限り、命より大切なことも、ほんとうの意味で大切にできないと思うのです。

寮美千子  イラク人質事件/ここからが正念場 2004年04月11日(日)17時11分05秒
今こそ、俗説は疑わなければならない。 へのコメント

ドロンコ氏の明解な論理に、拍手。

彼らが無事戻ってきたとして、大切なのはその後のわたしたちの対応です。よかったよかった、ではすまない。この事件をきっかけに明らかになった問題を、もう一度みんなできちんと考えなくてはならないと思います。

人質になった人々が戻ってきたとき「悪いのは、のこのこ出かけて捕まった奴らだ」という議論が出ることは必至でしょう。確かに、彼らにも彼らなりの問題点があり、責任がある。ボランティアとして、わざわざ危険地域に出向くことの是非は問われることであり、それについてわたしたちは考えなくてはいけない。

けれど、だからといって、日本政府の今回の対応の不備、情報の遅さ、人質の命を失ってでも自衛隊を撤退させないといった事実などを無視することはできない。それ以前に、イラクを「危険地域」にしてしまった責任、日本人が、営利目的以外の政治目的で誘拐されるような状況を生みだしてしまったことに対しての問題意識を持たなければならない。

つまり、悪いのは政府か、捕まった人質か、という二者択一の問題ではないということです。確かに、捕まった人々にも問題点はあったでしょう。しかし、彼らを責めればすむということでは絶対にない。人は、目先のことだけを責めれば、それですむように錯覚しがちですが、それは間違いです。その原因となった大きな問題を忘れてはいけない。むしろ、その大きな問題にこそ、取り組まなくてはいけない。

人間というものは、大きな問題は面倒なので、なかったことにして、目先の弱者を責めることでうっぷんばらしをして、それですませようとする傾向があります。多くの人がその傾向にある。

わたしは「2ちゃんねる」は滅多に見ないのですが、今回、人質事件に対してどのような意見が寄せられているかをリサーチする目的で覗いてみました。そして、驚くほど「人質」に対する罵倒の言葉が多く、それが政府を非難する言葉を覆い隠していることを知って驚きました。いわゆる「大衆の気分」というものが、そういうものなのだと肌で感じた。ここカフェルミは、この「大衆の気分」からは、ずいぶんとかけ離れたところにあるということを、改めて感じました。ある意味、美しいガラスの宮殿に棲んでいるようなもの。だからこそ、現実を知り「2ちゃんねる」の人々にも届く言葉で、きちんと語っていかなければならないと思ったのです。

多数派である彼らを単に「愚かだ」と無視するだけでは、日本は変わらない。彼らが、なぜそのように感じ、考えるのかを理解しなければならないし、その彼らに届く言葉を探さなければならない。日本は「多数決」の「民主主義」の国だから。正しければそれだけでオーケーじゃなくて、正しいことを伝え、みんなで共有しなければ、実現しない。

「2ちゃんねる」の論戦に参加しようとは思わないけれど、ここでしか通じない言葉ではなく、誰にでも通じる言葉を目指して、語り続けていきたいと思っています。

http://www.southwave.co.jp/swave/6_env/ryo/ryo06.htm

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