「物語の作法」雑談板 (0020)


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菊池佳奈子 痛みのリアル 2004年07月06日(火)23時16分57秒
薄れていく「死」のイメージ への応答

城所君の思うところは少し違うかな。と思います。
魚をつっても食べるためじゃないのだから、放すというのは、単純に生態系を守るためです。
魚可愛さではないと思います。
そもそも釣りとは食料調達の手段だったから、こういうことになっているんだと思います。
猫や犬は、食べられるために飼われているわけではなく、それはつまり殺す意味の文化的な歴史がないということです。
確かに人間は魚類や爬虫類よりも哺乳類に情を感じ易いです。
それは生態系的に人間と近いとかいろんな理由があるのでしょうけれど…生物学者でもないのでわかりませんが。
あと、放送倫理規定とかって、別に道徳で作っているわけじゃないと思います。
メディア側からして、なんかの事件の原因にされるのがおそろしいからだと思います。
つまりは発信側の利益。つっこむ隙を与えないということじゃないでしょうか。

そんな中で確かにバタバタ簡単に人を殺すドラマを作ること、誰でも見ることの出来るチャンネルやわりと早い時間帯に放送すること。そのこと自体は私はどうなのかしらと思います。
大人はわかります。「そんなんで人殺したりしなぃだろ!」って笑ってつっこめます。
でも、子供にはわからないんです。
アメリカではアニメの暴力シーンは全てカットされて放送されています(州にもよるのかな?)
留学中の友達が去年の夏に一時帰国していたとき、おもしろおかしく語ってくれました。
セーラームーンの変身シーンも、ドラゴンボールの格闘シーンもほとんどカットらしく、ストーリーがつながらない、と苦笑してました。
日本は規制するところがおかしい、とよく言われます。
マリファナ規制するのにタバコは中学生がすっぱすっぱ吸っていて、お酒も普通に親が子供に飲ませる。
別に規制することが悪いわけでも、規制しない風習や文化が悪いわけでもないです。
日本文化の中で隠してきたところ、と西欧文化の中で隠してきたところって違うんです。
それはつまり日本の倫理と西欧の倫理が違うってことなんじゃないでしょうか。
それをまぜこぜにしちゃうってことに問題があるんじゃないでしょうか。
日本にはテレビで放映したものの影響力に対抗する、親の教育、家庭や地域というフィールドのリアルがあったはずなんです。
裏の家の窓ガラスを割って、おやじに怒られて、軽く殴られる。
料理を手伝ってやけどをする。
一年前昔話をしてくれた隣の家のおばあちゃんが亡くなってしまう。
痛みが生活のなかでリアルだったとともに、死もリアルだったんではないでしょうか。
それを失いつつある日本で、あわてて「生命」をリアルに感じてた大人たちが「命を大切に!」なんて叫んでも、今の子供には伝わらない。
かと言ってテレビドラマで人間の死体を映したところで、「死」をリアルに感じることなんてそうそうできないと思います。
そこで大人がリアルに感じられるのは、自分の中にすでに経験した「死」がそれとなくあるからではないでしょうか。
テレビの中の「死」に、自分の中の「死」を重ね合わせて、初めて、痛みを感じる。
そもそも「死」の経験のない子供に、喪失の恐怖はわからない気がします。
なのに大人はそんな子供に「死」の痛みをわかることを求める…。

言葉の表面だけ、叫んでてもしょうがないんです。
言葉の表面だけ伝わっちゃうから、間違える。
今の人達(私もですが)は言葉の面ばかり見てしまう。
言わないでもわかる、そんな日本文化は薄くなってしまった気がします。
その中で言葉の面だけ叫んでも「本当」は伝わらないんじゃないでしょうか。
だとしたら、言葉の中身、文字の羅列のその奥にある意味を、どう相手に伝えるか。
とてつもなく大きな、課題です。

寮美千子 青春の切ない一瞬 2004年07月06日(火)18時34分16秒
▼課題提出板:千田由香莉 作品2/檸檬 への応答

千田由香莉さんの作品「檸檬」、一読して、泣きました。
「こんないい話を書いた学生がいるんだよ」と
お酒を飲みながら友だちに話してきかせて、
話しているうちに、また泣いてしまった。

なんて切ない物語。
青春の、おずおずとした心の震えがこんなにも鮮やかに描かれているなんて!
この切なさ、懐かしさ、ちょっと古いけれど、堀辰雄の「風立ちぬ」を思い出しました。

「薔薇」と「檸檬」の使い方が、すばらしい。
短編として秀逸です。
あとちょっと、推敲して言葉を磨けば、
そのままちょっとおしゃれな女性雑誌のページに、
美しい写真やイラストとともに掲載しても、遜色ないくらいです。

千田さん、こんどはぜひ教室に!
待っています。

城所洋 補足 2004年07月06日(火)16時58分44秒
薄れていく「死」のイメージ への応答

 放送倫理・番組向上機構(BPO)と括ってしまいましたが、これは他にも事件の被害者に対しての配慮とか、女性差別に関してのこととか、そういう事もしてますので、それを全部含めた批判ではありません。
 ただ、むやみやたらと青少年の教育に悪いからといって臭いものに蓋をしている、そういう考え方としても捉えられるな、と感じられる部分もあったので。

城所洋 薄れていく「死」のイメージ 2004年07月06日(火)08時10分11秒
「生命」という概念。 への応答

 同感です。自分が特に目につくのは、ゲームやら漫画やら、あるいはドラマやTV番組、CM等にやたらと敏感になっている放送倫理・番組向上機構。(BPO)
 このBPOは残酷なシーンや、道徳上よくないとされるものをよく規制しているのですが、本当にそれでいいのか、いささか疑問です。何と言うか、頻りに「死」というイメージをオブラートに包んでいるような錯覚さえ感じます。
 まぁ、規制する原因の一つとしては、性的サディスト(かな?)、つまり、残酷なシーンを見る事で、あるいは、それを実際行う事で快感を得られる人になる事を防ぐためだと思いますが、それにしても、ちょっとあれこれ騒ぎすぎのような気がします。
 そもそも道徳やらなにやらっていうのは、マジョリティ側から見て都合の悪い事、気分が悪くなる事は抑制しましょう、という方針で作られた暗黙の了解チックな、とても体の良いもののように見えます。
 例えば、魚や豚は丸焼きにして食ってんのに、人間の丸焼きは見せちゃいけないだの、キャッチ&リリースとか言ってサカナの口に針を引っ掛けて傷つけるのはOKなのに、可愛いペットの口に針を刺したら虐待だの、非常にあやふやです。
 確かに、頻りに人間の死体やらを見せつければ、逆にそれに馴れて残酷になるかもしれない、でも、このくらいの年になっても、未だに人間の死体を(間接的にでも)見た事が無いっていう人も、少なくありません。
 なら時たま見せる、っていうのも微妙なんですが、その辺が論点となるべきなのではないかと、自分は思います。

 あと、もう一つ、医療ですね。最近はどこも設備が充実し、(こういうのもなんですが)なかなか人は死ななくなってきました。
 自分は小学2年生の頃、祖父が脳溢血で倒れて、それで千葉から東京に越してきました。しかし、祖父が他界したのは、その7年後でした。その間、ず〜っと半植物状態の祖父を見せられていたので、他界した時は、不謹慎ながら「ああ、やっと死んだか」、少なからずとも、こう考えました。家族も同じです。心境としては、幼馴染との恒久的な別れを強いられた原因を作ったのに、そんなに長く生きられちゃ、こっちに来た意味が無い、とか色々考えていたのだと思いますが・・・。
 そして今、祖母が倒れて、医療ミス等で一旦危篤に陥ったのですが、延命処置を経て、結果、再び半植物状態になった家族を看病しています。
 つまり、人がなかなか死なない、という事は、死のイメージが薄れる所か、自分が死ぬ、という危機感すらも薄れさしているような、何と言うか、世の中全体が「緩やかな死」を望んでいるような気がします。
 この問題も難しいので、色々アレですが、もし生命論とかを語るのであれば、こうした世の中全体に目を向けないといけないのかもしれませんね。

菊池佳奈子 「生命」という概念。 2004年07月05日(月)23時47分56秒
佐世保小6同級生殺害事件について への応答

授業とは、さして関係もないのですが…
この間、テレビのニュースから軽く流れてきた、駿くんの一周忌(…かな?)の特集で
各教育機関で「命の大切さ」を教えることに教師が発奮しているというアナウンサーの棒読みのコメントを聞きました。

その時、ちょっと引っかかったんです。
最近変な事件が多い。子供たちは命の大切さを知らない。命の大切さを教えるのにどうしたら良いのか?なぁんて、悩んでる大人が教育機関にたくさんいるらしい。
なんと「命」の教育とかいって、植物を栽培したりするんですって。
率直な私の感想は、「馬鹿じゃないの?」でした。
だって「生命」の大切さ、とか言われても、全然リアルじゃないんです。
「生命」って概念的なもので、私は、死ぬということを説明するためにある言葉なんじゃないかって思っています。
例えば佐世保の小学生も、切ったら痛いということや、死ぬ程痛い思いをするということ、ちっともリアルじゃなかったんじゃないでしょうか。
「生きる」ってなんだろうね。って大学生になった私の周りの友達でさえ、たまにぼそっとつぶやいてきます。
それほど掴み難いことなのに…。
私は「死なないってこと」だと思います。思っています。
でもそれって「死」をリアルに体感してなくちゃ、わからないんじゃないかな。
「死」のこわさ、むなしさ、悲しみ…。
それは「死ぬこと」よりむしろ「死なれること」だけれども。
私が始めて「死」を身近に感じたのは中3の夏に後輩のお母さんが亡くなられたときでした。
「死」を明確に意識できたのは高校生になってから、祖父が亡くなった時です。
一番ショックだった「死」は去年、親友の彼女が自殺した時です。
私は人の「死」を目の当たりにして、少しずつ「死ぬ」ことがわかってきてそうしたら少しだけ「生きる」ことが見えた気がします。
「生命」ってそういうことなんじゃないでしょうか。
生きていく中でまわりの死を経験し、なんとなくつかんでいく概念。
そんなものを生まれて10年前後の子供に理解しろだなんて。
わからずやもいいところです。
「生きる」ことも「死ぬ」ことも理解できない。リアルに知らないのに、「生命」を大切にしろだなんて耳元で五月蝿く叫びつづけられて…
今の子達が戸惑うのも、わからなくなるのも、わかる気がします。

もしかしたら、佐世保のあの女の子も、そんな中で、リアルがわからなくなっちゃったんじゃないかな。
リアルな痛みを忘れてしまったのじゃないかな。

だとしたら、考えなくちゃいけないのは、今の大人と、これからの大人の、私達なのかな。

野島 明菜 どうもデス! 2004年07月05日(月)21時56分54秒

先週の授業、私はお休みしたのですが、私の分の短冊を書いてくれた方!感謝!!   とてもきれいな字ですね。嬉しかったです。

松本紗綾 あさよむ、見てきました。 2004年07月05日(月)18時57分26秒

あさよむというモノ自体、今まで知らなかったのですが、初めて見てきました。
なんだか新しい方法のものですね。投票もしてきました。
(…って、あまり言わない方がいいのでしょうか?)
私は、応募しようなどとは考えたことがありません。
しかし、あさよむというものがあるということが知れて、視野が広がったような気がします。
実際、最終選考まで残った作品の作者が近くにいることに驚きです。
単純な私はそのことに影響され、私も今まで以上に「書く」ということに積極的になろうと思いました。

寮美千子 アンソロジーという手法/質問は雑談板に! 2004年07月04日(日)23時42分51秒


加賀麻東加さんから、メールでこんな質問が来ました。
今日、本屋で短歌の勉強しようとしたら、偶然良い本を発見しました。ディスカヴァー21編集部の『勇気をくれたこのひとこと』という本です。読者から募集して厳選された『勇気をくれたこのひとこと』をたくさん載せたものでした。

感動して、私も自分に影響があった、言われた言葉をいくつか書いて作品にしたいのですが、これは作品として認められませんか?
世界中にばらばらに散らばっている言葉を、ある意図を持って集めてきて、並べる。アンソロジーという手法です。創作そのものではないけれど、編者次第で、面白くもなればつまらなくもなる。編者の人生観や世界観さえ反映されます。そんな仕事も、創造的な仕事と言っていいでしょう。

加賀さんは「私も自分に影響があった、言われた言葉をいくつか書いて作品にしたい」とのこと。ぜひやってみてください。もちろん、ただ漠然と言葉を並べるのではなく、読者を意識して、ちゃんと意図をもって編集してね!


授業や文学に関する質問は、雑談板で受けつけます。メールではなくて、必ず雑談板に書くようにしてください。「物語の作法」では、みんなとともに考え、その試行錯誤の過程も含めて、みんなと共有していきたいと思っています。よろしく。

露木悠太 「傾向と対策」レポート/了解しました 2004年07月03日(土)01時43分18秒
文学関連の質疑応答は掲示板で!/「傾向と対策」レポート求む! への応答

 >露木くんは、これから各文学賞のリサーチをすることになると思います。そこで、お願い。リサーチの結果を、簡単でいいですから、ぜひレポートしてください。「傾向と対策」など、簡単でいいから触れてもらえると、みんなの参考になると思います。

了解しました。少し時間がかかるかもしれませんが、何かわかったことがあったら雑談板のほうで発表したいと思います。お忙しい中、『文学賞/傾向と対策は必要か?』というタイトルで先生の実体験まで教えて頂き、ありがとうございました。ものすごくためになりました。
また、授業を欠席してしまったにもかかわらず、僕の分も短冊を飾って頂き、ありがとうございました。歌を書いてくれた、児玉君でしょうか?(友達の志田匡平いわく。間違っていたらすいません)どうもありがとうございました。

寮美千子 【日常芸術化計画】第2弾 七夕の笹飾りに短歌を発表! 2004年07月02日(金)17時28分43秒

昨年に引き続き、「物語の作法」では、七夕の笹飾りに短歌の短冊を下げて発表しています。昨日の7月1日の授業では、みんなで笹飾りの制作と設置を行いました。

笹を提供してくださった大正橋のたもとの飯田さんに感謝! 飯田さんのお宅は「志ん生の化石」のあるのお家です。

笹飾りを設置したとたんに、通りがかりに見ていく人々の姿が見受けられました。するっと読んでいく人も、じっと腰を据えて読む人も。

雨宮弘輔くんの「SMを試してみたけど痛いだけ 縛る方も縛られる方も」という短冊が、偶然いちばんよく見えるところにきていて、しかも赤で目立っています。それを読んで「がははは」と笑って通り過ぎて行く人もいました。うーん、誤解を招いたかなあ(笑)。でも、ウケにウケていました。

露木悠太くんの「悲しさは突然降りだす雨のよう やっぱりどこにも傘はないんだ」(添削済 やっぱりどこにも傘「が」を「は」に直しました)を、声を出して読んで「クーッ、かっこいい!」と一声あげて、去っていく男子学生の姿もありました。

同人誌をつくるより、効率よく多くの人々に読んでもらえるかもしれません。読者の層も広いし。

どんな反応があったか、みなさんもここで報告してください。よろしくね!

寮美千子 投稿情報にはリンクタグを!/越智作品に投票を! 2004年07月02日(金)15時34分22秒
参考サイト への応答

▼投稿情報
わたしが投稿文を書いている間に、越智さんがすでに情報を投稿してくれていました。えらい! ありがとう。ただ、アドレスがあっても、リンクのタグがはってなかったのが残念。ちょっと面倒だけれど、タグをつけてもらうと、読者にとっていっそう使い勝手がよくなります。とりあえずわたしが、はり直しておきますね。

☆登竜門
http://compe.japandesign.ne.jp/index.php3
☆下読みの鉄人
http://www.sky.sannet.ne.jp/shitayomi/index.html

▼リンクのタグの入れ方
リンクの仕方<a href="リンク先URL">リンク先</a>

▼越智作品トップ!
「あさよむ携帯文学賞」で、越智作品「オッドアイズドール」(筆名:佐伯ツカサ)が善戦。現在14票で、6作品中トップ。しかし、2位との差はわずか2票。まだ投票していない人はいますぐ投票しよう! 投票はメールで以下の手順で。ひとり一回しか投票できません。

件名:投票
本文:自分の名前
   作品名(オッドアイズドール)
   感想(すばらしい! 面白い! もっと読みたい! など)
宛先:sho@asayomu.com

最終選考の6編は以下のサイトで読めます。
携帯サイトでも投票可。

http://www.asayomu.com/pc/prize02/pcprize02.html

寮美千子 文学関連の質疑応答は掲示板で!/「傾向と対策」レポート求む! 2004年07月02日(金)15時15分37秒
文学賞/傾向と対策は必要か? への応答

▼質問も返答も掲示板上で展開しよう!
露木くんがメールで質問をくれましたが、文学上の質問は、必ず「雑談板」でお願いします。質問も答えも「物語の作法」のみんなで考え、共有していきたいと思っています。共有し、切磋琢磨することで、共に伸びていきましょう!

▼「傾向と対策レポート」のお願い
露木くんは、これから各文学賞のリサーチをすることになると思います。そこで、お願い。リサーチの結果を、簡単でいいですから、ぜひレポートしてください。「傾向と対策」など、簡単でいいから触れてもらえると、みんなの参考になると思います。

小説に限らず、短歌でも詩でも、自分で調べた賞のことがあったら、みなさん、ここでレポートしてください。情報を共有して、果敢にチャレンジしていきましょう!

▼情報歓迎!
また、こんなところで「いま、募集中の賞」の一覧があるとか、こんな賞の募集が始まったなどの情報も歓迎です。

▼挑戦は力なり
ともかく、教室の中に留まらず、積極的に攻めて出ましょう。挑戦は腕立て伏せみたいなもの。挑戦することで、底力をつけていくことができます。

▼さっそく!
文芸公募情報一覧「登竜門」はこちら。

http://compe.japandesign.ne.jp/ap/now/lite.php3

越智美帆子 参考サイト 2004年07月02日(金)14時45分06秒
文学賞/傾向と対策は必要か? への応答

前回の授業で言われた通り、文学賞の公募が掲載されているサイトを載せておきます。

☆登竜門
http://compe.japandesign.ne.jp/index.php3

☆下読みの鉄人
http://www.sky.sannet.ne.jp/shitayomi/index.html

「登竜門」のほうは文芸や芸術などのジャンルにわかれていて、新しい募集要項のほうが上に載っているので見やすいです。
「下読みの鉄人」は、下読みのプロの方が賞についての注意やポイントなどを書いています。
どちらも参考になれば、と思います。

送る賞についてなんですが、一般的に賞を募集している文芸雑誌を何ヶ月か読み、傾向を練ったり自分に合った賞を見つけるのがベストだと思いますが、とりあえず中編の賞でいくと純文学は新潮、群像、エンターテイメントはすばる系、文學界、異色は文藝、と言われているようですが、受賞作を読んでみるとそうでもないので、宛てにはなりません。ただ、対象が限定されている賞(R18文学賞、幻冬舎NET学生文学賞)などは比較的どんなものを応募すればいいのかわかりやすいと思います。
ちなみに、これは私がやっていることなのでさらに宛てにはなりませんが、とにかく中編や短編の賞に出しまくる、というのも手だと思います。まず物語を書くということに慣れるし、コンスタントに書いていれば自信もついてきます。無やみやたらに応募するのが良いとは言えませんが、書いても応募していない人が多いみたいなので、とりあえず出してみてはいかがでしょう。
いい作品が、結局はどこにも出されずに眠っているような気がするので。

寮美千子 文学賞/傾向と対策は必要か? 2004年07月02日(金)14時20分12秒

▼賞に応募するために傾向と対策は必要か?
露木くんからメールでこんな質問がありました。
それとぶしつけに個人的な質問でまた恐縮なのですが…
僕も城所君や越智さんのように作品をコンクールに出すことを考えているのですが、自分にあったものをどういった観点から選択すればいいのかいまひとつわかりません。例えば選考委員の方の作品を読んで、もしくはこれまでの受賞作などを読んで、そのコンクールの『色』のような、『傾向』的なものを調べたりするのは役に立つでしょうか?

先生もお忙しいことと思うので、もちろんお時間のあるときで構わないのでよろしければ返信、お願いします。
これは、みんなも知りたいことだと思うので、雑談板でお答えします。
選考委員の方の作品を読んで、もしくはこれまでの受賞作などを読んで、そのコンクールの『色』のような、『傾向』的なものを調べたりするのは役に立つでしょうか?
もちろんです。それなしでは、コンクールに応募しても意味がないといってもいいくらいです。

城所くんは、たいへんな力作を書いたけれど「ジャンプ小説大賞」の第一次選考で落選。落選の原因は、作品そのものにあったというより、むしろ応募する宛先を間違えた、ということの方が大きかったと思います。作品としては一応のまとまりをみせ、普通なら一次選考に残って然るべきものだったと、わたしは感じています。

賞を出す側は、何かの目的があって出しています。「斬新な才能を求む」「いままでになかったものを見せてほしい」なんて、選者の言葉にあるけれど、それはたいがい嘘。というより、ほんとうに新しいものが出てきた時に、判断できる選者はそういるものではありません。というか、選者のところにいく以前に、下読みではねられてしまうのが通例。

つまり「自分ところのカラーに合った作品が欲しい」というのが募集側の本音。そこに「新しさ」がスパイスのように効いていれば、万々歳、といったところ。

ですから、その賞を主催している側を研究しなければ、相手が何を欲しがっているか、わからない。選者の傾向も知らなければ、評価してもらえる可能性があるかどうかも見当がつかない。

「あさよむ携帯文学賞」
以上を踏まえると、越智さんが応募した「あさよむ携帯文学賞」はまったく新しいジャンル。募集もまだ2回目。募集する側も、いったいどういうものが携帯小説に適しているのか、模索している事態。退屈な「定型」が定まっていないので、いまのうちなら、小説そのものが持っている輝きを評価してもらえる可能性もあります。越智さん、目の付けどころが鋭い!

ただ、この賞、携帯で読むのが前提だから、それに合わせた工夫は必要。ちょっと考えてみると、こんな傾向があるかもしれません。

 ・センテンスが短くて、携帯画面でも読みやすい。
 ・語彙がやさしく、文章が簡潔で、内容をたやすく把握できる。
 ・「紙芝居」や「連続ドラマ」のように、次を読みたくなる気持ちを抱かせるもの。

読んでわかりやすく、一回一回「次はどうなるのか?」と、ページを繰るのももどかしくなるような、そんな仕掛けのある小説が最適、なのかもしれません。

その点から越智さんの作品を見てみると「ミステリー」としての仕掛けは充分面白い。アイデアとしては充分です。ただ、携帯画面ではちょっと読みづらい文章ではある。もう一歩わかりやすさを追求したら、万全です。

▼「商品」と「作品」の不一致
しかし、ここで問題があります。作品を書く目的は何か? 入賞すること自体が目的なのか? それとも、別のことか?

前々からいっているように、同じ文学でも「商品」と「作品」とがあります。もちろん「作品」として書いたものが、そのまま「商品」として通用すれば、それにこしたことはない。しかし、「商品としての価値」と「作品としての価値」は、なかなか簡単に一致しないもの。

商品としてとてもすぐれていても、作品としての価値の低いものもあれば、その逆もあります。

▼ともかく「商品」を目指す
「ともかく売れる作家になりたい」というのなら、話は簡単?!です。傾向と対策を立てて、それにのっとって作業を進めれば、ある程度の成功は収めることができるでしょう。「ハーレクインシリーズ」などは、その手法を組織的に用いたもの。人気のある普遍的なパターンを用意し、それにのっとって手をかえ品をかえ、物語を生成していく。作家は、定型パターンを展開するための「ライティング・マシーン」です。

「物語の作り方」という手引き本に載っているのは、多くの場合、こんな「商品」よりの物語の生成方法です。

しかし、これがバカにできない。人間は案外単純で、パターンとわかっていても、それに刺激される。いや、人間の心が普遍的に求める物語があったからこそ、パターンが生まれてきたのです。人間の心を捕らえる物語の基本的パターンをつかまえておくことは、決して損にはなりません。「商品」をつくるためにも「作品」に生かすためにも。

ただ、手引き本なんかで見るより、やっぱり自分で大量に読んで、そのパターンを血肉に染みこませるほうが役に立つに決まっている。手引き本は、大量に読んだ物語を、自分のなかで整理整頓するための目安としてなら、有効でしょう。

▼「作品」を優先させたい場合
いや、売れるか売れないかではなくて「自己表現」として文学を目指すのだ。という人もいるでしょう。それも、またひとつの道です。

同人誌などでこつこつと作品発表をしている人々の多くは、その道を選んでいるのだと思います。

ただ危険もある。自己の中に埋没するあまりに、他者性がゼロになってしまうことも往々にしてあります。だからこその同人誌でしょうが、同人という閉じたグループのなかで自足してしまって、自家中毒状態に陥ることも、ままあります。

▼作品を発表するための方法を見つけることも能力のうち
物を書きたい人の多くは、百パーセント「商品」でも、「作品」一辺倒でもなく、その中間のどこかに位置しているのではないでしょうか。

作品としての個性を出しながらも、商品として通用させたい。そうでなければ、読み手も限られてしまうから。というのが本音ではないかと思われます。

だからこそ「傾向と対策」も必要になってきます。

「傾向と対策」に合わせて物を書く、のではなくて、自分の作品にふさわしい発表場所を見つけること、そこと積極的にコンタクトを取ること。その調査能力と交渉能力も、「力」のうちに入ってきます。どんなにいい作品を書けたとしても、それを発表する手段を見つけられなければ、それはこの世に存在しないも同然です。

▼寮美千子の場合
ところで、寮美千子は31歳の時「毎日童話新人賞最優秀賞」でデビューしました。20代のほとんどをコピーライター&編集者として過ごし、「自分の作品」を書いてみたくなったのが20代後半。会社を辞め、フリーランスのコピーライターの傍らでぼちぼちと書き、投稿していたのですが、いつも最終選考どまり。佳作以上の賞がもらえない。入賞した作品を見ると、どうみてもわたしの作品の方がよく思えて仕方ない。どうして落ちるのだろう?

そう思ったわたしは、傾向と対策を立てるため、まず、ある賞の審査員である作家が教えている童話創作教室を見つけ、そこに入ってみることにしました。(ほんとは、散歩していたら電信柱にビラがはっていあったの偶然見つけただけ)

「イーハトーボ童話学院」と名づけられたこの創作教室で教えていたのは小沢正氏。隔週でゲストの講演があり、そこにはさまざまな作家がやってきて、自らの体験や創作の鍵を語ってくれました。

他人が語ってくれた「創作の鍵」なんかは、結果的にはほとんど何の役にも立たなかったけれど、「童話業界」「児童文学業界」というのが、全体にどんな風潮にあるのか、それを知るためには、とても役に立ちました。つまり「情報収集の場」として役だった。

そこで知ったのは、わたしがやろうとしていることは、いまの業界ではまったくの異端であるということ。作品の質としては一定レベルをクリアしているから、最終選考に残さざるをえないものの、じゃあ、賞をやるかというと、そういうわけにはいかない。必ずといっていいほど最終選考に残るのに、賞をもらえないのはそのためだろう、ということがわかりました。

わたしと並べて語るのはおこがましいですが、かの宮澤賢治でさえ、そうでした。当時、主流であった童話雑誌「赤い鳥」に投稿。主催者である鈴木三重吉に「この作品はロシアかなんかで発表したらいいでしょう」などといわれて、採用されませんでした。

というわけで、例えすぐれた作品でも、傾向が合わなければ採用されない、というのは自明のこと、というわけです。

▼「傾向と対策」で賞をゲット!
「万年佳作」という言葉があります。結局、佳作では意味がない。突破口が見つかりません。ともかく賞のひとつでももらわない限り、本も作れないし仕事も来ないと考えたわたしは、本気で「傾向と対策」を考えることにしました。

ちょうどそのころ募集があった「毎日童話新人賞」をターゲットにして、前回、前々回の受賞作を読み、また審査員の作品も読みました。その結果「元気がよく」「夢があって」「楽しく」「わかりやすい」作品が好まれるのだとわかりました。じゃあ、ひとつ、そういうのを書いてやろうじゃないか、と寮美千子は思ったわけです。

そうやって書いたのが「ねっけつビスケット チビスケくん」でした。てきとうなデタラメ歌をうたいながらビスケットを焼いていたら、それがたまたま魔法の呪文と一致。オーブンのなかで、唐辛子の心臓を持った熱血漢のビスケットが目覚めてしまいます。ビスケットは食べられる寸前で、逃げだします。お菓子屋さんに逃げ込んで隠れますが、そこでくしゃみをしたとたん「命」が、インフルエンザみたいに他のお菓子にうつってしまったから、たいへん。目覚めたお菓子たちは、チビスケくんといっしょに逃げだして……。というようなお話。

「元気がよく」「夢があって」「楽しく」「わかりやすい」というような要素を盛り込んだこの物語。まんまと最優秀賞をゲット。寮美千子はデビューを果たし、めでたしめでたし。と思いきや、話はそう簡単じゃあない。そこから、新たな苦悩がはじまったのでした。

▼受賞作が手枷足枷に
その苦悩とは? それは、いつだって「元気がよく」「夢があって」「楽しく」「わかりやすい」お話を求められてしまうということでした。

わたしにとって、それはいわば「商品」の発想で書いた物。クライアントのご要望に従って、相手が欲しがるものを書いてみたわけです。けれど、それが「わたしが書きたい物」に一致するわけじゃない。「わたしが書きたい物」を提出すると「これは寮美千子さんのテイストじゃあない」とか「本来の魅力が出ていない」などといわれてしまう。

結局、わたしは「傾向と対策」に合わせて器用に「商品」をつくることで、自分自身の「作品」から一段と遠ざかってしまったというわけです。自分で自分の首を絞めるような真似をしたということになります。

そこから「ほんとうに自分の書きたい物」を書き、それを商品にできるようになるためには、長い道のりがありました。結局「幼年童話」というジャンルでは、作品を商品化することがむずかしい、ということで事実上断念。別のジャンルで、また一から勝負をかけなければならなかった。

それが『ノスタルギガンテス』であり、『小惑星美術館』でした。200枚を超えるような作品であれば、わたしの真価がより発揮しやすい。いわゆる「子ども向け商品」ではない部分で、作品として評価される可能性も高くなる。

『小惑星美術館』は毎日中学生新聞に連載され、後に単行本に。ここにも苦難の歴史があったけれど、それはまた別の機会に。ともかくも、この2作により、わたしは「自分がやりたいこと」を世界にアピールすることができ、それ以降、ずっと仕事がしやすくなりました。

▼「作品」が認められて、自分のなかに変化が
と同時に、わたしのなかでも変化が起きた。「幼年童話」に関して「商品」をつくることに、抵抗が薄くなったのです。

「作品」は小説で存分にできる。ならば、幼年童話に自分が言いたいことすべてを無理に盛り込む必要はない、と思えるようになったのです。むしろ「商品」として際立って楽しいもの、夢のあるものを提供し、そのなかに、ほんの1パーセントでもいい、スパイスでもかまわないから、わずかに「わたしのやりたいこと」「いいたいこと」を入れこんでいく。それをうまくこなすことに「職人芸」的な喜びを感じるようになったのです。

つまり、肩の力が抜けた、というのでしょうか。小説という仕事の傍らに、こんな「創作幼年童話」の仕事ができることは、いまでは喜びです。頭の使い場所が違うから、柔軟体操をするような気持ちで取り組めます。そして、柔軟体操はやっぱり健康にいい。

▼まとめ
というわけで、コンテストに応募するときは「傾向と対策」は必須。「商品」をつくる人になりたいのなら、それ一辺倒でもいいけれど、「作品」をつくりたいなら、むしろ自分に合った賞を探すことが大切。書けるからといって、相手に合わせて書いてしまうと危険。自分で自分の首を絞めることにもなりかねない、ということです。

ということを心得たうえで、みなさん、がんばってください! みんなががんばってくれるのが、わたしの励みにもなります。積極的にチャンレンジしている諸君の姿をみることは、ほんとうにうれしい。力の限り応援したいと思います。相談の質問もどしどししてください。じゃあ!健闘を祈る!

志田 匡平 すみませんでした…。 2004年06月30日(水)22時13分56秒
▼課題提出板:寮美千子 志田匡平さま/課題5は自選三首 への応答

ちゃんと課題の内容を見ていませんでした。
もう一度課題を見直して3首提出しました。
今まで授業も出ず、課題も出さずにすみませんでした。
これからは授業・課題共にしっかりやっていこうと思います。
それ以外の作品も提出しようと思います。
よろしくお願いします。

瓜屋 香織 7/1の授業 2004年06月30日(水)19時24分56秒

 明日の授業、家庭の事情でどうしても出席できません。
 楽しみにしていたのにとても残念です。

寮美千子 削除依頼はメールで! 2004年06月30日(水)19時03分30秒
削除依頼 への応答

掲示板は、一定投稿数を超えると、掲示板の板番号が変わり、投稿が後ろに隠れてしまいます。
削除依頼は寮美千子までメールで!
mail@ryomichico.net

改稿などで再投稿するときは、「課題5A(BCD……)/」というように、
改稿順にアルファベットをふって提出してください。

越智美帆子 ありがとうございます。 2004年06月30日(水)16時22分48秒
あさよむ携帯文学賞にいますぐ投票を! への応答

心強い声援、ありがとうございます。
それと、ずっと前に書いた作品を覚えていてくださって、とても嬉しいです。

『人形』は私が一年生のときに書いた作品です。
先輩に、「これはプロット状態でしかない」と言われ、たしかに短い文章なのに説明くさく展開が早くて、完成度の低い作品でした。
しかし自分では設定など気に入っていたので、この機会に原稿用紙40枚の短編に書き直して応募しました。

携帯小説と言えば、皆さんも御存じだと思いますが『Deep Love』が爆発的にヒットしました。この作品がうけた理由としては、女子高生の生の感情と過激ではあるが実際にありそうな話、そして携帯で配信されたというところにあります。
本を持ち歩くのは結構大変だけど、携帯ならいつでも持ち歩いているものだし、ネットやメールで配信されたものを読むというのはとても手軽です。普段本を読まない人がこぞって読みふけった、というところに携帯の存在がありました。
「あさよむ」の存在は前々から知っていたのですが、携帯に小説というおもしろい戦略がこれからどんどん需要されるようになればいいと思います。

投票についてですが、寮先生も言われている通り、6つの中で一番おもしろく本当に気に入ったのであれば、投票してください。同じ授業のよしみで、という理由を抜きに、楽しくおもしろく作品を読んでいただけると嬉しいです。

ちなみに、『オッドアイズドール』と『人形』ではラストが全く違います。
10話分しか公開されていないので、まだまだ先が読めないと思いますが、どんなラストになるか予想しながら読むと楽しいかもしれません。

雨宮弘輔 削除依頼 2004年06月30日(水)16時14分29秒
▼課題提出板:雨宮弘輔 世界の中心からずいぶんと離れた『アイ』 への応答

 前回の課題提出板の投稿に『課題5/」とタイトルに付けることを忘れていましたので、再度投稿します。 
 お手数ですが、前回の投稿を削除していただけないでしょうか。

寮美千子 あさよむ携帯文学賞にいますぐ投票を! 2004年06月30日(水)14時59分09秒
あさよむ への応答

越智美帆子さんが、佐伯ツカサのペンネームで「第2回あさよむ携帯文学賞」に応募、堂々最終選考の6編に残っているとのこと、おめでとう!

最終選考に残った作品「オッドアイズドール」は、2002年7月に「物語の作法」に「人形」というタイトルで提出された作品が元になった作品。人工内臓を持ったカスタマイズ人形が爆発的に売れるというSF仕立ての物語。現代社会の心の病理を鋭くついた切れ味のいい短編小説です。前作と読み比べてみると、今回の「オッドアイズドール」は、表現力も一段と増し、ぐっと魅力的な作品になっています。「続きを読みたい!」と切望させる力を持っています。こんなに成長するなんて、頼もしい限り。

ほかの候補作も読んでみましたが、親バカじゃないけれど、やっぱり越智さんの作品がダントツに思われました。

「あさよむ携帯文学賞」は、ネット投票で受賞者が決定します。投票期限は7月28日の午後6時まで。みんなで応援しよう! 携帯からも投票できるので、友だちにも知らせてみんなで投票しよう! もちろん、本気で面白いと思ったらでいいんだけど。

「佐伯ツカサ オッドアイズドール」に、清き一票を! いますぐ! 投票はメールで。

件名:投票
本文:自分の名前
   作品名(オッドアイズドール)
   感想(すばらしい! 面白い! もっと読みたい! など)
宛先:sho@asayomu.com

最終選考の6編は以下のサイトで読めます。
携帯サイトでも投票可。

http://www.asayomu.com/pc/prize02/pcprize02.html

越智美帆子 あさよむ 2004年06月29日(火)21時42分19秒

一次選考通過していた作品が、最終選考に残りました。
今、サイトのほうで読者投票が始まっています。
残っているのは6作品で、全て最初の10話分だけ読むことができます。
どの作品もおもしろいので、よければ読んでみてください。

http://www.asayomu.com/pc/prize02/pcprize02.html

菊池佳奈子 課題5 2004年06月29日(火)09時56分47秒
▼課題提出板:菊池佳奈子 課題5/ワタクシゴト への応答

だしたものからどうしても三首選べなかったので、一首書き加えてしまいました。
それでも良いでしょうか?

露木悠太 作品3/『ラジカル・ラジオ』について 2004年06月29日(火)04時18分45秒
▼課題提出板:露木悠太 作品3/『ラジカル・ラジオ』 への応答


授業に提出するために作った400字詰めで43枚程度の短編小説です。長いので、みなさん時間のあるときに読み進めて頂けるとうれしいです。
以前から一度は書いてみたいと思っていたものに挑戦してみました。少しだけその内容にこの場で触れておくと、自分や他人から出されるメッセージについて。みたいなことです。…わかりづらいですね。とにかくそれを若者にバンドをやらせて書いてみました。最近のマイブームがそういうものなので、作品2で提出した『散文ラブレター』にも通じている部分があると思います。
では、よろしくおねがいします。

加賀麻東加 課題4/コイノウタの批評会の感想☆ 2004年06月24日(木)14時09分46秒

皆さん、素敵な作品や面白い作品があって、すごい楽しい授業でした(この授業だけは絶対遅刻しないんですよー笑)
それと、自分の作品をわざわざ選んで下った方がいてくれたことが何よりも嬉しかったです!本当にありがとうございました。

【帰り道 手も繋がない キスもない 空気に響く 互いの鼓動】
 ☆五十嵐さんへ☆
  コメントありがとうございます。すごくためになる内容でした。特に「嫌味なく共感を覚える一首でした」が嬉しかったです。
 ☆吉見さんへ☆
  選んで下ってありがとうございます!吉見さんの作品やえらんだ五首もストレート
  なものが多かったですね。【恋愛と 呼べる“好き”かは 分からない でも今は  ただ 傍にいたい】まで入れて下さって、凄く嬉しかったです!
 ☆菊池さんへ☆
  私は菊池さんの【いつのまに こんなに僕等ずれていて どこでどうして 遠ざかる君】が好きです。切ないー。
【デートの日 メイクもバッチリ! 準備OK 私に惚れる 準備はOK?】
 ☆高澤さんへ☆
  「すごい可愛いです」。いやいや、高澤さんの作品の可愛さには負けますよ(笑)
【好きだから 痛くて心 壊れそう 君が見るのは 隣のあの子】
 ☆児玉さん☆
  そうそう、よくある事ですよねえ…共感して頂いてありがとうございます。
【寂しさや 傷みや悲しさ ぬぐえずに 見上げた夜空 君に会いたい…】
 ☆前澤さん☆
  「外。辺りは静寂。」こんな想像してくれる人もいるんだなあと。高校の時に片想いして、好きで好きで、でも結局会えなくなった人のことを短歌にしました。
【友達の 彼氏は白馬で お出迎え なぜロバが合う 私の彼氏】
 ☆野島さん☆
  彼氏、いないんすよ(笑)
  選んで下ってありがとうございます!

先生、批評して下さってありがとうございます!【帰り道 手も繋がない キスもない 空気に響く 互いの鼓動】は実話で、自分の中で思い出深いワンシーンでした。並んで歩くのも恥ずかしくて顔が真っ赤でした。結局この恋は実のらなっかたんですけどね。  
 

越智美帆子 6/24の授業 2004年06月23日(水)21時48分53秒

どうしてもキャンセルできない予定があって、出席できません。
もし私の短歌について意見や質問があれば、メールか掲示板、もしくは来週の授業にてお願いします。
お手数ですが、よろしくお願いします。

瓜屋 香織 挑戦したいと思います。 2004年06月22日(火)19時04分10秒
第3回歌葉新人賞 への応答

歌葉新人賞へ挑戦したいと思います。
これまでの短歌の中から30首を選んでまとめるのに
どれを選ぼうか、どのような配置にしようか悩みますが
挑戦してみようと思います。

吉見幸子 応募しまーす 2004年06月22日(火)15時01分13秒
第3回歌葉新人賞 への応答

歌葉新人賞、応募するつもりで、準備を進めていました。
こういうとき作品を並べる順番が結構難しいなぁ。ということを
再認識しました。いろいろ勉強になります。


寮美千子 第3回歌葉新人賞 2004年06月22日(火)00時50分46秒
コイノウタ/参考作品&サイト への応答

さっそく、こんな賞を発見。
未発表の短歌30首で応募。(ネット発表は未発表とみなす)
選考委員は、荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘の錚々たる顔ぶれ。
そして、賞品は、なんと「賞状および発行歌集300部」!だそうです。
締め切りが2004年6月30日と目前なのが、ちょっと問題か……。
でも、トライする価値あり。どう?

http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/kikaku5/index.asp

寮美千子 コイノウタ/参考作品&サイト 2004年06月22日(火)00時29分33秒

▼「少女主義の王女道」?
穂村弘、東直子など、いまをときめく歌人たちの所属する短歌結社「かばん」の若手の短歌を、ネット上に発見しました。
たわむれに描いた月の絵のようないびつなまるの恋をしました
つるつるの心じゃ何もきざめないしわくちゃにしてそれがはじまり  by 芹沢茜
現在の諸君とかわらない、等身大の恋がすなおに描かれています。
http://www.sweetswan.com/daiei-2004/

▼「題詠マラソン2004」
6月19日朝日新聞夕刊文化欄に「短歌にはウェブがよく似合う」という文章が掲載されました。「題詠マラソン2004」という催しを、ネット上で開催中とのこと。百のお題に沿った歌をひとつづつ、合計百詠むというイベントです。覗いてみると面白いよ。
http://www.sweetswan.com/daiei-2004/

▼短歌リンク集
いろいろなサイトが紹介されています。興味のある人、覗いてみよう。面白いサイトを見つけたり、気に入った短歌を見つけたら、ぜひ報告してくださいね。
http://www.lebal.co.jp/cyabasira_bbs/links.html

城所洋 思い出の一品 2004年06月18日(金)18時36分58秒
▼掲示板:城所洋 作品4/ボクらを造っているモノ への応答

 この歌詞は、自分が高校に入りたてぐらいの時に書いた詩です。(若干修正有り)
 あの頃は、色々友達と集まってバンドを作ろうとか言ってたのに、結局ちょこっと集まってお遊び程度に騒いでお終いになってしまいました。だから考えてみれば、まだ本格的にこの歌詞に音を入れていなかったので、思い出せる訳もないですね・・・(汗
 他にも、「ハロー注意報」とか、「真夏の昼の夢」とか、「村人A」とか、色々考えていたのですが、この曲以外はほとんど思い出せませんでした。
 まぁ、それも青春時代の甘酸っぱい思い出ですね。(笑

松本紗綾 なるほど。奥深いですね。 2004年06月17日(木)00時53分40秒
軽いエッセイを書くむずかしさ への応答

早速の返答ありがとうございます。
どうなるかはわかりませんが、とりあえず挑戦してみたいと思います。
失敗し、こけたらこけたときで・・・・。

室井滋さんの本を読むとき、深いところまで考え抜かれたものだ。とか、
何も考えず、ただ面白いとしか思いませんでした。
そこに著者の凄さがあったんですね。
自分の力のなさを痛感するとともに、言葉・文章に対する興味もますます湧いてきました。

寮美千子 軽いエッセイを書くむずかしさ 2004年06月17日(木)00時19分46秒
質問/軽いエッセイを書いてもいいでしょうか? への応答

松本さん、意欲的ですね。

>ただの娯楽というか、深く考えないで読める。笑える。
>という軽いものも書いてみたいと思うのですが・・・

勿論、かまいません。その「娯楽」というのが、また大変なんだけれどね。読者が深く考えないで読めて笑えるもの、を書くには、作者は結構、深く考えて、よく調べ、よく練らないといけない。しかも、練ったと言うことを感じさせないくらい、こなれさせないとならない。ぜひ挑戦してみてください!

松本紗綾 質問/軽いエッセイを書いてもいいでしょうか? 2004年06月17日(木)00時16分18秒

こんばんは。松本紗綾です。
物語の作法の作品提出について、寮先生にお聞きしたいことがあります。

作品形態は、どんなものでもいいということでしたが、
内容もどんなものでもいいのでしょうか?
私は、室井滋さんのエッセイを読んでから
文章の面白さを知ったので、何かを伝えるためとかではなく、
ただの娯楽というか、深く考えないで読める。笑える。
という軽いものも書いてみたいと思うのですが・・・
やはり、エッセイのようなものはだめなんでしょうか?
(物語の作法という講義名から考えても・・・)

もう、何かを書いたというわけではないのですが、
書いてみたい気持ちがあるので、質問してみました。

寮美千子 佐世保小6同級生殺害事件について 2004年06月12日(土)03時55分27秒
計画性の有無 への応答

松本さんの意見にも、越智さんの意見にも、いろいろ思うところがありました。時間があるときに、ゆっくり書いてみたいと思います。

先日、授業でも話した内容も含め、今回の事件について考えてみたことを、述べてみました。以下にあるので、目を通してみてください。

review0009.html#review20040612015910

越智美帆子 計画性の有無 2004年06月12日(土)00時19分59秒
佐世保の事件で・・・ への応答

佐世保の女児殺害事件について、計画性はあったものの、それを実行するに至っての綿密な計画は立てられていなかったのではないかと思います。
半分衝動的で、半分計画性のあった犯行であるのだと思った理由は、松本さんも指摘されているとおり、一つは少年法の存在があります。
現在の少年法では十四歳未満の児童が犯罪を行った場合、それがどれだけ凶悪であっても刑罰に処されることはありません。以前に話題にもなった神戸連続児童殺傷事件の際に改正されたものの、十四歳未満の児童が起こす犯罪については児童保護施設の管轄であり、重大と判断された場合には家庭裁判所に移送されることもあります。
このことを、加害者である少女は当然知っていたでしょう。
自分が十一歳であることを、悪く言えば利用し、犯罪に踏み切った。もし彼女が十四歳以上、または二十歳を過ぎていたら、犯行には踏み切らなかったのではないかとさえ思えます。
しかし、その犯行手順はあまりにも雑です。
テレビやネットで得た情報によると、加害者である少女は、被害者の少女をその時間使われていなかった教室に呼び出しカーテンを閉めて椅子に座らせ、目隠しをしようとしたら騒がれたので、手で目隠しをしてから頚部を何度も何度も切り刻んでいます。頚部を切ったらもちろん、頸動脈やその他の血管があるわけですから血が予想以上に吹き出ることでしょう。そのことを少女が知らなかったとは考えにくい。もし計画性があったのならば、返り血を浴びないようにするためのレインコートなりビニールを用意し、それを身につけてから犯行に及ぶと思います。そして犯行に使ったカッターナイフの隠蔽、アリバイ工作、返り血を浴びたレインコートの抹消。計画してあったのであれば、以上を即座に行い、犯人が自分であることを隠し通そうとすることでしょう。
しかしここでまた問題が。加害者が、予想以上に自分の行った犯行が惨いものであったことにショックを受け、計画していた手順をパニックによって遂行できなかった可能性が生じます。あくまでも計画していた場合においてですが。
そう考えると、カーテンを閉めたという部分に置いては計画がされていたかもしれませんが、首を切る過程や切ったらどうなるかというところを考えていないところを見ると、怒りと孕んだ衝動が少女の行動を先走りさせていたのかもしれません。
松本さんが指摘される「捕まってでも殺したかった」という理由については、私も同意見です。犯行が小学校内で行われているところを見ると、加害者の少女には逃げようという意思がなかったのかもしれない。もし私が犯人なら、人の目に触れる場所を犯行現場に選ぶことはしません。もしかすると、わざと人目に晒したかったのかもしれない。動機が怨恨であることが本当で、報道されているように加害者の少女が学校のクラスを快く思っていなかったとすれば、自分の力を大衆に見せつけたかったとも可能性としてはなきにしもあらずだと思います。
しかし、捕まってもいいから殺したかったことの理由が「容姿をけなされたから」というのも些か妙です。たしかに思春期の女の子は異常に容姿を気にします。ホルモンバランスが崩れ、肌も汚く体重も増える。しかし本人が思っているよりも、実際はそれほど醜くないものです。容姿をけなして攻撃するというのは、しばし嫉妬や羨望にとってかわって使われます。小学生の女の子がそこまでわからなかったということに悲劇があり、また嫉妬や羨望をしたがために殺されてしまった女の子も悔やみきれないでしょう。容姿への悪口はそれほどタブーなのだと思います。言ったほうも悪い。だからと言って殺人はやりすぎだと思いますが。それにしても、やはり納得がいきません。もしかしたら他に理由があるのかも。

なぜ少女は逃げなかったのか。
計画性があったことを前提にして考えると、私が思うに、それほど冷静ではいられなかったのではないでしょうか。計画を立てているときから、怒りに支配されて冷静ではなかった。いざ実行してみると、血は吹き出るしそれを見てパニックになるし、小学生の頭の許容範囲を遥かに越えた現実があった。それを目の当たりにして、冷静でいられるほど冷徹ではなかった。
犯行後、報道では少女は意外にも冷静であったとされていますが、それは冷静ではなくて放心に近い状態にあったのではないでしょうか。普段ありえないことを経験すると、人の脳は解離状態を引き起こすことがあります。現実なのに夢のような感覚というのがそれです。まさに少女はこの状態にあり、そのため冷静だった、と見られたのではないかと私は推測しています。
まだまだ謎が多い事件ですが、真実が何にしても、人の心を傷つけたり憎んだり恨んだり、そういう感情によって引き起こされる事件はなくなってほしい、と思います。


城所洋 追伸 2004年06月10日(木)21時52分39秒

 今日の合評のまとめは、来週の授業を終えた後に出そうと思っています。(でいいのですよね?>確認)
 とりあえず、先んじて、皆様、忌憚無き批評を下さり、真に有難うございました。

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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