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石黒美穂 標本1A『最期-ケツマツ-』
2002年10月10日(木)10時15分00秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
明日から辞めよう
「正義のヒーロー」を
わりと世の中平和だし
警察まかせでいいんじゃない?
炉端のゴミは とうにあきらめ
カルク自分の事を考える
俺はまだ あきらめるにゃはやぃ
コンビニのガラスがそう語ってくれた
さて今日でお終い
「正義のヒーロー」は
壊れた更衣室
カーテンをいつものクリップでトメテ
着替えたなら ぽいっと・・・
いつものはゴミ箱へ
赤い花は最後の咲き乱れ
ひらりと舞って 駆け抜けてゆく
『きゃーたすけて!---ははは 無駄な抵抗はよせ---あ あらわれました 彼です 名もなき正義のヒーローが またあらわれました!---キャーかっこいぃ』
次回は110番へ通報願います★
深谷公一 標本2A『白い迷宮』
2002年10月10日(木)08時15分51秒
これは迷宮です。
黒の迷宮。
飲み込んだ者を決して逃さず、放さない。
ずっと昔々から、それは変わっていません。
迷宮と言えば秘密があると相場が決まっていますが…
何があるのかはまだ分かっていません。
皇帝陛下の遺産か、はたまた手に負えない悪夢か。
何故かですって?
まだ帰ってきた人が居ないからです。
黒く無いじゃないか、ですって?
迷い人の骨で白く染まったのです。
深谷公一 標本1A『世界の原石』
2002年10月10日(木)08時07分59秒
大きな大きな国でもらった
小さな小さな青い石
この中には海の世界が詰まってるんだ
正しく祈るとだんだん緑色になって
大地と生命が生まれるんだけど
放っておくと灰色になって
ただの石になっちゃうんだって
でも正しく祈れた人は
まだいないんだよ
奥山 伸太郎 標本2A「勲章」
2002年10月10日(木)01時10分33秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
先日、愛知県で徳川家康が所持していたと思われる勲章が発掘された。
専門家によると、江戸時代初期、家康が征夷大将軍に任命されたときに授かったものだという。
そこにはその時の日付と、当時の言葉で「征夷大将軍」を表す文字が添えられている。
歴代の征夷大将軍は皆同じような勲章をもらっていたと言われているが、現物が見つかったのはこれが初めて。
家康は常にこれを左胸につけていたとされている。
奥山 伸太郎 標本1A「証拠物件」
2002年10月10日(木)00時09分38秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
2年前に起こった軽井沢連続殺人事件で犯人が使用したと思われる凶器。
極めて異例なこの犯行は、日本中、世界中を混乱させた。
犯人の「スース―させてやった」という台詞はあまりにも有名である。
また、このことにより、全国のドラッグストアからウナが消えるという事件が発生。
日本中の短パン小僧が厳しい夏を過ごした。
東條慎生 標本1A「夢プラグ」
2002年10月09日(水)09時07分58秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
こんな注意書きがついていた。
−当プラグをビデオデッキの入力端子に接続して、録画予約をしてからそのすぐ近くで眠ってください。時間が合えばあなたの見ていた夢を余さず鮮明に録画することができるでしょう。ただし、使用時間は三十分しかありませんので、万一夢を見た時間と予約した時間が合わずに、ビデオに砂嵐しか映らなかったとしても、当方では責任を負いかねます。なお、一度ご使用になりますともう二度とお使いになることはできなくなりますので、ご注意下さい−
山口 文女 標本1A/宛先は、世界想い出回収所
2002年10月08日(火)20時17分42秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
必要なものは・・・。
みどり色の封筒。迷子の想い出。切手はいらない。
そっと封をしたら、あとは風にのせるだけ。
満面の笑みに閉じ込められたわたしは。
みどり色の封筒に包まれて。
ゆっくり夜空に溶けてゆく。
山口 文女 標本1A/冬眠
2002年10月08日(火)19時20分15秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
くたびれて、石ころ蹴飛ばす帰り道。
そんなとき、ポッケにどんぐりひとつ。
どんぐりは秘密の穴ぐら。
かわいた落ち葉を毛布にして・・・。
冬眠しよう。
どんぐりにもぐりこもう。
こころが温まったらニョキっと起きるよ。
じゃあ、またね。おやすみなさい。
・・・Zzz。
古内旭 3A「記憶のゲバルト」
2002年10月08日(火)03時08分02秒
『記憶のゲバルト』
1
私は喫茶店で人を待っていた。
相手はそこそこ名の知れた作家で、私が担当している月刊誌につまらない小説を連載していた。
私はそこで、原稿の受け取りと簡単な打ち合わせをする予定だった。昼の二時に待ち合わせをしていたが、三時を過ぎても彼は姿を現さなかった。
その喫茶店は小ぢんまりとしていて、清潔で、人が少なかった。椅子やテーブルは、明るい色の木目で統一されていて、壁には中学生の女の子が書いたような稚拙な絵が、小さな額に入れられて飾られていた。
それから、店内にはショスタコーヴィチの『チェロ・ソナタ』が流れていた。
私はガラス越しに、前の通りを行き交う人々を眺めながら、それを聴いていた。チェロをロストロポーヴィチ、ピアノをブリテンが弾く一九六四年のオールドバラ・ライヴだ。何枚か出版されている同曲の録音の中では、それほど良い方ではない。
チェロが短三度を反復し、やがてピアノの重い低音が響き一楽章を終結させた時だった。
喫茶店の向かいの銀行の入り口に、若い女性が赤ん坊を抱いて立っているのが見えた。無尽蔵に人々が交差する中で、その母子だけが時間の流れから切り離されているかのように異常だった。彼女は二十歳を少し越えたという辺りだろうか。青いチェックのワンピースを着ている。髪は長く、背中まで伸びていた。それが風に揺れて、時々顔を覆った。しかし彼女はそれを気にするでもない。彼女は赤ん坊を両手に抱き、静かに何もせず、こちらを向いていた。
私はぞっとした。
次の瞬間、聞きなれた声が私を振り向かせた。
「やあ、待たせたね」
作家だった。
私は彼を確認すると、すぐに再び通りに目をやった。いなかった。彼女は姿を消していた。
「この音楽は何だ? なぜモーツアルトをかけん」と作家は言った。「モーツアルトは神の音楽だよ」
2
私は小さなアパートを借りて住んでいた。学生時代からである。その十数年の間、何人かの女の子がこの部屋に入ってきた。そして出て行った。まるで通り道のように。
私はそのうちの一人を思い出さざるを得なかった。喫茶店から見えた女性は、彼女にそっくりだったのだ。私が学生時代に一年ほど付き合った女の子である。
私は、大学では特に親しい友人も作らず、日々の講義を無気力に受けていた。学生運動が激しくなると、講義の数はぐんと減り、私は週に二回ほどしか大学には顔を出さなくなっていた。キャンパスは各セクトの立て看板が並び、あちらこちらで演説が行われ、シュプレヒコールがあがっていた。
ある時、何かの講義の開始前に、白ヘルメットをかぶり、タオルで顔を隠した学生たちがどっと教室に流れ込んできた。彼らの代表者が、マイクに向かって大声で演説を始めた。その代表者の顔は知っていた。講堂でしょっちゅう集会を開いて演説を繰り返していた。しかし、彼はあまりにマイクに近付きすぎるので、音が割れて何を言っているのかほとんど分からなかった。それに他のセクトからの野次も常に飛んでいた。ベトナムとか、安保とか、マルクスとか、そんな単語が端々に聞こえた程度だ。
その時、ビラを撒いている学生の中に、彼女はいた。
彼女はビラを配り終えると、私の隣に座って、その演説を聞いた。それは偶然私が端の席に座っていたからだ。演説を聞きながら、彼女は言った。
「明日、文学部の大講堂で学生大会があるの。行ってみない?」
私がなぜそれに参加することになったのか。彼女が美しかったからか。あるいは、その時多くの若者が真剣にのめり込んでいるものに対して、それを外から見ているということに不安を感じたのか。それは分からない。しかし私は以来、白ヘルの集団に参加するようになった。
私の待遇は悪くなかった。たまたまセクトの幹部がドストエフスキーについて話しているところに居合わせ、意見を求められた。その返答が大いに気に入られたのだと思う。私にはビラや機関紙を作る仕事が与えられた。それは幸いだったのか。もし、いきなり角材を渡され武闘訓練をさせられていたら、私は学生運動なんてすぐにやめていたはずだ。
我々のセクトは、やがてどんどん過激になっていった。始めはインテリが理想論をぶつけるだけの穏健派だった。しかし、全共闘が力をつけてくると、対抗組織として他セクトを巻き込みながら勢力を拡大していった。キャンパスでは武闘訓練のデモンストレイションを頻繁に行っていたし、バリストは日常のものとなった。
3
ひと月後、私は再び同じ喫茶店で作家を待っていた。
作家の書いてくる原稿は、おそろしくつまらないものだ。十数年前に何かの賞をとってデビューし、その頃はそれなりに騒がれた。しかし彼の芸術はすでに枯渇し、文章となって表れるのはただの独りよがりとナルシシズムだ。それでも、雑誌がその小説を扱っている限り、私はこうして原稿を取りに来なければならない。
彼とはやはり二時に待ち合わせをしていたが、一時間が過ぎても彼はやってこなかった。その間に流れた曲は、スクリャービンの『ピアノ協奏曲』、ブラームスの『ヴァイオリン協奏曲』。今はモーツアルトの『交響曲第三十三番』が流れている。二楽章だ。
私は再びガラス越しに外の風景を眺めていた。数人の黒人のグループが若い女の子と話をしている。
そして、私は再びあの女性を見かけた。ひと月前に見かけたあの女性だ。彼女は銀行の前に立っていた。赤ん坊は抱いていない。しかしその代わりに、左隣に小さな少年が手をつないで立っていた。八歳か九歳ぐらいだろうか。見れば、彼女の方もひと月前よりもひとまわり歳をとっているように見えた。
(なんだこれは…?)
「モーツアルトは神だよ」
私の思考を遮ったのは、作家の声だった。私は振り返る。そこには、大きな封筒を抱えた冴えない中年の作家の姿があった。
私は何も言わず、再びガラスの外を見る。
いない。そこにはすでに、あの母子はいなかった。私は背筋が寒くなるのを感じた。
私はアパートに帰り、冷蔵庫から缶ビールを取り出して一息で半分ぐらい飲んだ。そして考える。あの女性のことを。
4
私が学生運動に参加するようになって数ヶ月が過ぎた頃には、セクト間の抗争は深刻化し何人も重傷者を出していた。我々のセクトは文学部を占拠しバリケードに立て篭もっていた。そして彼女は、私のアパートで寝泊りするようになっていた。
実のところ、私はとても深く彼女を愛していた。彼女は私と同じ本を読み、同じ映画を観、同じ音楽を聴いた。政治や芸術について語り続けることができた。
しかし、ある日のことだ。
「ねえ、バリケードには入らないの?」と彼女は言った。
すでに昼過ぎだったが、我々はせまい布団の中にもぐり、前衛的なクラシック…ストラヴィンスキーやショスタコーヴィチである…のレコードを聴いていた。
「全共闘が『実力』を行使するという話をきいたよ」と私は答えた。
「委員長たちはあなたのことを待ってるのよ。頼りにされてるのに。怖いわけ?」
「何かというと君はすぐに『委員長』だ。僕は彼の兵隊じゃない。だいたい僕は戦闘向きの人間じゃない。それは僕の役割じゃないんだ。分かるだろ」
彼女はもぞもぞと布団から出て、私に背を向けて下着を着け、服を着た。そして出て行った。私はその光景を静かに眺めていた。
5
(幽霊だろうか…?)
私があの母子について考えを巡らせ、恐怖し、しかしようやくそれも薄れてきた頃になると、再びあの作家との待ち合わせの日がやってきた。やはりあれからちょうど一ヶ月後であった。
私は、二時に同じ喫茶店に入り、作家が来るのを待っていた。流れている音楽は、ショスタコーヴィチの『弦楽四重奏曲第八番』。この中には作曲家自身の名前がモチーフとして用いられている。作曲家の名前をドイツ語表記に基く音列である。Dmitrij Schostakowitsch…すなわちDSCH。SをEsと読み替えると、それはレ・ミ(フラット)・ド・シという音型になるのだ。この音型はショスタコーヴィチ作品の中にしばしば登場する。例えば、歌曲『反形式主義的ラヨーク』である。スターリンやジダーノフら共産党幹部の演説をパロディ化し、歌にしたものであるが、その途中、演説を野次る笑い声が挿入される。その笑い声がDSCHの音列を持っているのだ。他の例としては、彼の『交響曲第十番』である。これは、スターリンが…
私は頭の中でショスタコーヴィチの署名に関するどこかで読んだ知識を反復した。
しかし、数分もすると、ショスタコーヴィチの音楽は終わり、モーツアルトの『交響曲第四十一番』が流れ始めた。
そして私の思考は再び動き出す。なぜ今ごろになって彼女は私の前に姿を現すのか。彼女とはあの時に終わってしまったはずだ。
私は前の通りを見ようとした。確認しないわけにはいかないのだ。そして顔をゆっくりと上げていった。
すると、目の前に、すぐガラス越しの目の前に、彼女とその息子はいたのだ。
私は、飲みかけのクリームソーダをひっくり返し、その場に凍りついた。彼女は、歳をとっていた。すでに私の年齢を越えていた。その息子も成長している。十代後半か。あるいは二十代前半か。二人はガラスに張り付くようにして、私を見下ろしていた。
私は、二人の視線を感じながら目を伏せた。
(見ている…! 彼女たちは僕を見ている!)
私は激しい動悸に襲われながら、床に散ったアイスクリームを見る。
「やあ、遅れてすまんね」
いつもの、極めて自己中心的な声が聞こえ、私が顔を上げると、そこには作家が立っていた。若いウエイトレスがこぼしたクリームソーダを拭きにくる。
ガラス越しに母子の姿はない。
私はため息をつく。
「四十一番か。悪くない…」そして作家のうんざりするようなモーツアルトの講釈が始まる。
6
彼女が私のアパートを去ってからすぐに、我々のセクトは全共闘と全面衝突し、大規模な戦闘が起こった。占拠していた文学部一号館には殺虫剤が撒かれ、立て篭もっていた一団は燻し出された。末端の戦闘員は適当に痛めつけられるだけだったが、委員長はじめ幹部の連中は凄惨なリンチを受け、血まみれた手で自己批判の署名をさせられたということだ。
彼女がその渦中で死んだらしいと聞いたのは、その一件から数ヶ月が過ぎてのことだった。
7
私は次のひと月の間、仕事がろくに手につかなかった。
私は、決して裕福ではなかったが、安定した収入を得ていた。若者と呼ばれる歳ではなくなっていたが、そのうち結婚もしたいと思っていた。私はこの暮らしにある程度満足していたのだ。少なくとも、方向性は間違っていないと思っていた。
私は、すぐ目の前で私を見下ろしていた母子の顔が頭から離れなかった。女の方は間違いなく彼女だ。息子の方は…、あの顔は…、あの顔…。
作家との待ち合わせの日になって、私はまた喫茶店へ出かけていった。その前夜、私は母子のことを考えていてなかなか寝付けず、起きるのが遅れてしまった。しかし三十分やそこらなら問題は無い。どうせあの作家も遅れてやってくるに違いないのだ。
恐れていても仕方がない。今度は、彼女とその息子の顔をはっきりと見てやろう。そして文句を言ってやろうと心を奮い立たせた。
私が喫茶店の前までやってくると、ガラス越しに、いつも私が座っている席に、すでに誰かがいるのに気が付いた。
私は、はっとした。
座っているのは、彼女の息子だったのだ。彼女の息子が、あの、いつも私が座る席でクリームソーダを飲んでいる。
そうか。そうだ。私は、原稿を取りに来たのではない。渡しに来たのだ。
私の頭の中に蓄積された、正しい歴史を刻んでいたはずの記憶に暴力的な風が吹き荒れ渦巻いた。一瞬にして、私の周囲に形作られた世界は風にさらわれ崩れ落ち、そして再び何かの形を作り出していった。
そうなのだ。彼女の息子は、私だったのだ。そして私は、つまらない作家なのだ。
私は喫茶店のドアに手をかけた。中からショスタコーヴィチの『ヴァイオリン協奏曲第二番』が聴こえてきた。
私はつぶやいた。
「ショスタコーヴィチ…、神の音楽だ」
(おわり)
斎藤多佳子 標本1A「夢の雫」
2002年10月04日(金)14時40分39秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
一口のむと一晩だけ 好きな夢が見られる薬
現在の想い人と結ばれる世界
君にとっての平和な世界
誰もいない静かな世界
何でも君の思うが侭、一夜限りの世界
くりかえすけど、効果は一口ごとに一晩だけ
二口以上のんだなら 二度と夢からさめない薬
この世にあるのは一瓶だけ、薬の残りも二口だけ
松永洋介(アシスタント) きょうの授業/来週(10日)の授業
2002年10月03日(木)22時37分13秒
▼きょう(3日)の授業は
滝さんの作品(
1B「狭間」、
2A「そんな2人」、
3A「スイカ」、
4A「昼下がり交響楽団」、
5A「そうよ、これも愛なのよ」)を扱いました。かなりみっちりやった感じ。
昼休みの延長戦おつかれさまでした。
▼来週(10日)は
きょう出席できなかった小川原さんの作品(
1A「無題。」)と、
宮田さんの作品をとりあげる予定ですが、宮田さんは
こんなに書いているので、これはたいへんなことです。
でもみなさんがんばって読んでください。(プリントはどうするか検討中)
▼来週までには必ず
「夢の標本箱」の標本と、
それにつける文章を用意してください。
出足はかなりのんびりしています。出してない人はがんばって用意してください。もう出した人もさらに用意してくれると安心です。あるべき美しい配置とか、ともかく標本が出そろってみないと検討のしようがないのです。数がオーバーしたらそれはそのとき考えましょう。
文章、メールで出した人もすみませんがあらためて掲示板に投稿してください。
投稿の仕方は、
課題/夢の標本箱の文章
に書いてある手順にしたがってください。
(かならず読んで、上記発言から「この記事に応答」を押して投稿してください)
麻生摂子 標本1A「願い」
2002年10月03日(木)10時37分13秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
川の中の居心地は悪くなかった
仲間の石もいたし、何より魚と話すのが楽しかった
彼らは動けない私に色々な話をしてくれた
川の深い所に行って、誰が川底までいけるかと競った話や
川サギに狙われて危うく食べられそうになった話とか
今の私はなんと惨めなんだろう
私は川に遊びにきた人間に拾われてしまった
乾ききってしまったこの身体
戻りたい、もう一度あの川へ
奥野美和 標本1A「ガールフレンド」
2002年10月03日(木)09時04分41秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
待ち合わせに遅刻!
慌ててかけた
ゴメンの電話が
ついつい長くなってしまって
1時間トーク。
これから会うのにさあ。
いっかい話し始めると止まらないの。
そんな私のガールフレンド。
こんなとこに入れちゃってごめん。
期間が過ぎたら神泉パーラーね。
ナイス!
あ、でもボーイフレンドとの約束、
優先していいよ。
奥野美和 標本1A「かぎ」
2002年10月03日(木)08時46分29秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
悲しい気持ちはちょっとずつ消えるの。
楽しい気持ちはちょっとずつ生まれるの。
日々ね。
日々よ。
大切なのはこころの窓を開けておくこと。
くしゃみをしたら
これが出てきた。
水落麻理 今日という日の今という時間、そして私
2002年10月03日(木)00時57分13秒
岩と空の境が染まっていく。
ゆらゆらと赤く、染まっていく。
岩と空が今、一体となる。
それらを染めた、その色はきっと
今日しか見ることがない。
それは今日だけの色。優しくて甘い赤。
その赤は、空にただよい、風に形作られた白い雲をも染めていく。
そうした雲はまるで赤い海。
風で波打つ、赤い海。雲の海。
その海は、今だけの海。
それを眺める疲れた体に、甘い赤はじんわりしみる。
甘く満たす。今日を、今を、私を。
私にしみたこの甘みは、今日だけのもの。
水落麻理 1A 成長
2002年10月03日(木)00時23分27秒
桜色の島から来ました。
その島には陽がやわらかく照りつける。
陽はふわふわと島をつつむ。
その島が桜色に見えるのは、
その陽がうっすら桜色だから。
誰もがいつか、まどろみの中で見たような、そんな島。
何もなく、すべてがある、そんな島。
その陽の中で、ゆっくりゆっくり育ちました。
その島にも雨は降る。
その島の雨は悲しい色。
悲しい色は桜色にかぶさって、桜色は色を失う。
その雨は涙。誰かが流す、悲しい涙。苦しい涙。切ない涙。
だけど、雨はまたいつか桜色を生み出して、島はやわらかい日々を取り戻す。
この島はそんな仕組み。
雨が上がった瞬間の、まだ少し残る悲しい色と、久しぶりに見る桜色。
雨上がりの桜色はいつもより鮮やか。
雨上がりの桜色はいつもよりもっと優しい色。
桜色の島から来ました。
その島のすべてが育ててくれました。
陽も雨もすべてが育ててくれました。
水落麻理 標本 1A 桜色の猫目石
2002年10月03日(木)00時11分36秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
桜色の島から来ました。
桜色の陽の中でゆっくりゆっくり育ちました。
その島にときどき降る、悲しい色の雨粒たち。
悲しい色は桜色にかぶさって、桜色は色を失う。
だけど、雨はいつかまた陽を生み出して、島は桜色を取り戻す。
桜色の島から来ました。
その島のすべてが育ててくれました。
陽も雨もすべてが育ててくれました。
滝 夏海 標本1A「海が隠していた時間」
2002年10月02日(水)22時42分45秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
人間が海で生きる為に必要なもの
人魚の国特製機械仕掛けの心臓を一つ
その中に月の光を二粒 星の光も同じく二粒
真珠貝の溜息を三粒 幼い人魚の涙を一粒
けれどもどうしても見つからない あと一粒の何か
時間切れになった王子様は 海の底に消えました
代わりに入った一粒は 彼に恋した人魚のこころ
宮田和美 標本1A「かえうた仙人」
2002年10月02日(水)19時02分58秒
▽課題/夢の標本箱の文章 への応答
中学2年のころ仲良くなった仙人がはいっています。
文明堂とハトヤのCMソングは若いころの仕事で、一時期は小林亜星が弟子入りしてた、という自慢話をさんざん聞かされました。
仙人の特技はかえうたなのです。
じゃあなにか作ってと私がねだると、ゴッドファーザーの主題歌のかえうたで「いかの塩辛のテーマ」というのを歌ってくれました。
私があからさまにイマイチだなあって顔をしたので、仙人は機嫌を損ねてとなりにあった箱の中に入り、中から鍵をかけてしまいました。
それ以来出るタイミングがうまくつかめないらしく、仙人はずっと入ったままです。
松永洋介(アシスタント) 課題/夢の標本箱の文章
2002年10月02日(水)17時28分34秒
夢の標本箱の文章は、以下の要領でこの掲示板に、この記事への応答として投稿してください。
(「この記事に投稿」ボタンを押してね)
▼要点1 タイトルをつける
例:標本1A「電気羊の毛」
といった感じで、頭に
標本と書いてください。
標本名の変更や改稿を考えて、
番号とアルファベットもつける。
「無題」では標本とはいえないので、
標本名はかならずつけてください。
▼要点2 字数厳守!
葉書サイズの用紙にこのように印刷する予定なので、字数厳守でおねがいします。
夏休みの宿題2002/夢の標本箱にあるとおり、
30字×10行です。
「夢の標本箱」のできあがりのイメージは、
夢の標本箱2001はこんな感じでした
のリンクを参照してください。
松永洋介(アシスタント) あす(3日)の授業/先週の授業
2002年10月02日(水)17時04分18秒
▼あす(3日)の授業
最初に提出してもらった課題の合評、まだ半分も進んでいません。
というわけで、あすは
小川原さんの
1A「無題。」
と、
滝さんの作品(
1A、
1B「狭間」、
2A「そんな2人」、
3A「スイカ」、
4A「昼下がり交響楽団」、
5A「そうよ、これも愛なのよ」)
を扱います。
お知らせが遅くてごめんなさい。
▼先週(26日)の授業
横田さんの作品を扱いました。
夏休み前の最後の7月11日の授業でやる予定だったのですが、その日は“杉作デー”になってできなかったのでした。
▼お昼の用意を!
あすはもしかしたら昼休みも続行しますので、そのつもりで来てください。心の用意だけでなく、お弁当もあればよいと思います。
なおこれは課外授業なので、用事のある人は抜けてかまいません。
松永洋介(アシスタント) 夢の標本箱2001はこんな感じでした
2002年09月27日(金)15時04分49秒
▽夢の標本箱の解説文の例 への応答
「夢の標本箱」とは、どんなものなのか?
「夢の標本箱2001」は、こんなパッケージになっていました。
▼標本箱の写真
http://ryomichico.net/toy/box-2001.jpg
前回紹介のものより大きく鮮明です。
▼冊子の表紙
http://ryomichico.net/toy/yhb2001-II_top.jpg
文章はこんな冊子にまとめられています。1冊に20点づつ収録で2冊セット。
▼文章のインデックス
http://ryomichico.net/toy/yhb2001-I_index.jpg
どの品物と対応しているのか示してあります。
▼文章の内容
http://ryomichico.net/toy/yhb2001-I_b7-b8.jpg
葉書大の紙に美しく印刷して、1ページに1点づつ収められています。
▼文章全文
http://ryomichico.net/toy/yhb2001.html
文章の提出方法が変更になりました。メールではなく、掲示板に投稿してください。
手順はのちほどご案内します。
松永洋介(アシスタント) 夢の標本箱の解説文の例
2002年09月25日(水)02時01分55秒
▽夏休みの宿題2002/夢の標本箱 への応答
みなさん! あす木曜は夏休み明けの初授業、かつ宿題の提出日であります。
用意はできてますか。
えーと、こちらは「夢の標本箱」の収蔵品につけられた文章の見本です。
⇒「夢の標本箱2001」
説明されている物品の写真はこちら。ごめんなさい、かなり小さくて見にくい。
⇒「さうすウェーブ」掲載の「夢の標本箱2001」の写真
標本箱の左端の列(A列)から、列ごとに上から下へと番号が振ってあります。A−1からE−8までで40点。
文章に振ってある記号で場所を特定して見てみれば、何が入っているかはだいたいわかる、かも。
滝 夏海 5A「そうよ、これも愛なのよ」
2002年09月24日(火)12時21分31秒
あら、あなたどなた?って一応聞いてあげてるけど、挨拶代わりに聞いただけで本当に誰か尋ねている訳じゃぁなくってよ。ところであなた、何のご用?これはちゃんとした質問だから答えなさいな。
え?あたしとダーリンの話が聞きたいですって?
あなたも好きねえ、そういう話……いいわよ、聞かせてあげてもよくってよ。あたしとあの方の全てを焦がすような愛の物語。覚悟なさい。
あたしとあの方が初めて会った時、あたしはまだ幼いヒヨコだったわ。場所は縁日か、ですって?冗談じゃないわっ。あんなケバケバして下品な色で飾られた、娼婦のような方々とは一緒にしないでちょうだい。あたしはね、由緒正しきニワトリなの。あの方のお祖父様がやってらっしゃる養鶏場、そこであたしは生まれ育ち、そして彼と出会ったわ。お休みが取れて帰省した彼は養鶏場の仕事を手伝っていたの。ああっ、なんて親思い、もとい祖父思いの孝行息子なんでしょう。その彼が数多くいるヒヨコの中から選び拾い上げ、手に乗せたヒヨコ。それが、あたし。あたし達は一目で恋に落ちたわ。彼はあたしに笑いかけて、こう言うの。
「キミは一番の美人さんだね。いや、ヒヨコだから美鳥さん、かな」
その笑顔の爽やかなこと。あたしはうっとりと見惚れていたわ。それに嬉しかった。今まで、あれ程嬉しかった言葉は無かったわ。
そしてお祖父様のご厚意で、あたしはあの方に引き取られる事になったの。
ヒヨコだったあたしにあの方がまず、名前を付けて下さったの。
ポンパドール。
素敵だわ、ポンパドール。昔西欧の偉い方に愛された寵姫の名前でもあるのよ。あぁ、あたしってばなんて博識なのかしら。鳥頭なんて言わせないわ。これほどまでに気品に満ちた名前、あなた他にご存知?
一緒に暮らすようになってから、あの方は甲斐甲斐しくあたしの世話をして下さったわ。食事にお風呂。そして同じベッドで休むの。時々寝返りするあの方に押し潰されそうになったわ。でも愛しい彼に殺されるならば本望よ。こうやって無事生きてるけれど。
幼子のあたしは何一つあの方にしてさしあげることが出来ず、幸せでも歯痒い毎日だった。せめて、と彼の愛撫に愛らしく微笑み愛らしい鳴き声をあげて答えるだけ。
やがてあたしはレディになるの。それは、そう、喜ばしい事でもあり淋しい事でもあったわ。何故って大きくなったあたしは、もう彼の寝室には居られなくなってしまったから。あたりまえよね。淑女たるもの慎みを持って暮らさなければいけないの。その変わりに、庭で寝室に一番近い場所に小さな家を一軒建ててくれたわ。誰?小屋だろう、なんて意地悪を言うのは。いいの、あたしにとっては家なの。そして彼は毎朝毎晩、あたしの家を訪ねて声をかけてくれるのよ。
大人になったあたしは、今までの恩を返すように卵を産み始めたの。でも華奢で病弱なあたしには、毎日なんて無理。一日おきにしか産む事が出来ないの。それでも彼は、とても喜んでくれるわ。もちろん彼がその卵を食べていることは知ってるのよ。けれども、ねえ考えてみて。あたしの産んだものが、あたしの一部が、あたしとあの方の子どもになったかもしれないものが、あの方に吸収されあの方の一部となり、あの方として生きているの。素晴らしいっ、素晴らしいわっ。究極の愛の形ね!
卵を食べた日は、あの方はお出かけになる前にあたしの家に寄って伝えてくれるのよ。
「今日は目玉焼きにしたよ」
「玉子焼きにしたら、綺麗に焼けてね」
「ゆで卵も、なかなかだね」
そうしてとろけんばかりの笑顔で、愛の言葉を囁くの。
「美味しかったよ、ありがとう」
あぁぁっ、愛だわっ!!愛し愛されているのだわっ!!
今日もあたしは卵を産んだの。この子はどういう方法であの方の中に入っていくのかしら。
その前に、モーニングコールをしなければね。
さぁ、ダーリン、朝よ、起きてちょうだい!
コケーッココココココココココッ、コケーーーーッ!!!
愛してるわ。
(完)
越智 美帆子 6A 彼女は、またいつもの日常を
2002年09月14日(土)08時43分16秒
彼女は24歳OL。彼氏なし、金もなし。毎日の通勤ラッシュを、もうなんとも感じなくなるほど、平凡な日常に何の感情もいだかずに過ごしていた。例えば、ビルの間にある人工樹に降り注ぐ光が、まるでそのためにわざわざ用意されたライトアップのように美しい風景であっても、彼女はそれに一瞬は目はとめるものの、その美しさに気付かようともせずに通り過ぎていった。
そんな彼女の平凡で平淡な日常に、ある朝変化が起こった。それは化学変化のようなものであり、彼女の内側から、なにか異常なまでの原色を持ったようなものが溢れ出て止まらないような、彼女自身にもはっきりとはその原因はわからなかったが、確実に彼女の中でそれは起こっていた。
彼女は大声で歌いながら、いつもの電車には乗らず、歩いて約3キロメートルの道のりを会社まで闊歩し、その間の道ばたに咲いていた花々を摘み、その美しさに感動して、会社でもいつもは掛けるつもりもない眼鏡を掛けてパソコンに向かい、超高速でデータを打ちこみ、会社帰りには空に浮かぶ幾層にも重なった薄紫色の雲に涙し、家に着いてもその日を終わらせることが、なんだかもったえないような気がして、動きやすい格好に着替えてから、彼女は夜の住宅街へと散歩にくり出していった。
彼女の足は動く走るスキップする。楽しくて楽しくて、夜空の星に願い事をかけて、その願いが本当に叶うような気がした。さらに、彼女は裸足になって、夜の公園の滑り台に上ったリ、砂山で小さな城をつくったりもしてみた。
そして、その日が終わろうとしたとき、彼女はようやく家に帰ろうと家路を高揚したままで歩いていたら、普段は気付かなかった、小さなバーが彼女の家の近くにあった。彼女は吸いこまれるようにそのバーに入っていくと、中ではカウンターに客が一人とカウンターの中にバーテンダーが一人だけいた。店の内装はアジアン風で、その一人だけの客は何か興奮してバーテンダーにひたすら話し掛けていた。彼女は普段は絶対にそんなことはしないのだが、今日は世界中の人々が彼女の友達のような気がしていたので、その客とバーテンダーに話し掛けてみた。
「こんばんわ、今日はいいお天気でしたね。」
「ええ、雲が普段の数倍綺麗でしたね。」
その客は興奮覚めやらない感じで彼女に応答した。彼女は続け様にその客に話し掛けた。
「今日は夜空も綺麗ですね。」
「そうですね。僕はあまりのこの夜空の綺麗さに、思わず涙しましたよ。」
そこで、彼女は気付いた。今日はこの人に会うための日だったのだと。全ての彼女の過敏とも言えるポジティブな感覚は、この客に出会うための前兆だったのだと。
そのあと二人はバーで乾杯し、肩を組んで同じ歌を歌いながらご機嫌で帰っていった。どこにって?それは、もちろん…。
次の日、彼女はまたいつもの日常を繰り返すべく、通勤ラッシュに揉まれながら会社へと向かった。しかし、彼女の日常には一つだけ新しいものが追加された。それは彼女のモノクロの日々を、まるで柔らかなパステル調に変化させたものであった。
緩やかな幸せのもとを手に入れた彼女の日常は、これからもずっと繰り返される。
横田裕子 4A 「変わり玉」
2002年08月29日(木)11時52分39秒
いつも素通りしていて気にも留めていなかった菓子屋の前を、今日も変わらず通り過ぎようとしている。
どの位前からこの地で営んでいるのか、かなり古びた菓子屋でいつだったかちちょっと中を覗いたら袋詰めになった煎餅やかりんとうが並び、その中で鮮やかなフィルムに包まったラムネ菓子が妙に派手だった。最近の子供が喜びそうなキャラクターのおまけつきやスナック類は1つも見当たらなかった。
そこだけ時代が止まってしまったような雰囲気に好奇心をくすぐられ、私の足はその菓子屋へ出向く。人が入っていくのを見たことがないような店なのに、何かに呼ばれた気がしたのだ。
引き戸をそっと開けるとこの店を一人で切り盛りしているかと思われる、老女の皺がれた「いらっしゃいませ」の声とともに、棚に並んだ瓶詰めの飴玉が視界に入った。桃色であったり水色だったり透き通った橙であったり。いずれも決して自然とは言い難いチープな色の砂糖菓子たち。
子供の頃、こういった「色」のついた菓子に目を輝かせていたのをおぼろげに思い出す。母はいい顔をしなかったが近所の駄菓子屋で色とりどりの菓子を選ぶのが、至福の一時だった。甘いだけで果物の味とは遠くかけ離れていても、食べたあと舌が変な色になっていたりしても、なけなしの小遣いで心を捉える魅力が手に入るのが、嬉しかった。そんな単純なことで小さな幸せを噛みしめていた頃から片手では足りないくらいの年月が経つ。真っ白いスケッチブックに原色の絵の具は眩しく、1ページ1ページにぎっしりと描かれている。小さな発見や感動を描き込めるような心は、随分前に忘れてしまったような気がする。
色褪せていく、小さな幸せ。
何時までも鮮やかなのは、傷跡。
家に戻って、テーブルの上に買ってきた瓶詰めの飴玉を置く。
ラベルには「いちご」と書いてあるが、いちご色というには何とも不自然な、透き通った赤。かき氷の時のように、舌が飴玉と同じ色に染まってしまいそうだ。
銀色の蓋を開けて、一粒口に放り込む。
いちごの味など殆どしない作りものの香りと甘さ。
昔食べた味と同じ。こんな味なのに喜んで買ってたなんて。
あの頃の自分の気が知れないな、と思いながらスーツを脱ぎ下着のままで鏡を覗いて化粧を落とす。
ティッシュで拭い取った口紅は、飴玉と同じ色。
前歯で飴玉を挟んで、もう一度鏡を覗き込む。
舐めかけの飴玉は透き通っててらてらと光り、それが好きで何度もやっていた記憶がある。
紅い飴は、ルビーに良く似た色をしている。
ルビー、ルビー、ルビー・・・・ルビーの指輪。
駄菓子屋通いをしていたあの頃、母のルビーの指輪に憧れて、ビーズを繋げて作った指輪に大粒の紅いビーズを付けた。
ルビーの指輪、ルビーの指輪、ルビーの指輪・・・・ルビーの指輪。
人生最大の大恋愛だと思っていた私をそっけなく置き去りにして、どこかへ行ってしまった男が、残していったのがルビーの指輪。私の元から立ち去る後姿は飄々として後ろめたさの欠片もなく、私はぐしゃぐしゃのずたぼろで無駄とは思いながらも泣き狂っていた。
あのあと私は、ショックで体重が10キロ減り友人たちから死神みたい、と言われた。
小さくなったルビーを、私はひと思いにがりがりと噛み砕いた。
寮美千子 夏休みの宿題2002/夢の標本箱
2002年08月20日(火)11時18分29秒
▼夏休みの宿題
宿題出すぞ。前に話した「夢の標本箱」計画です。
図書館での展覧会の予約もとりました。
2002年10月19日(土)〜2002年10月26日(土)
というわけで、それまでにすべてを揃えなければならない。
▼「夢の標本箱」とは?
40の枠に区切った標本箱のひとつひとつに「夢の欠片」をいれ、
その由来を述べた文章を添付する、という方法です。
「夢の欠片」は、夢世界ないしもうひとつの世界から持ち帰った「現物」。
なんでもいい、マッチ箱でも、海岸で拾ったゴミでも、
▼夢の欠片のサイズ
夢の欠片のサイズは 118mm×55mm×高さ45mm
平たく置くので、縦横は関係ない。各自自由。
このサイズに納まる「夢の断片」を見つけておいてください。
▼文章のサイズ
文章の長さや形式は、みんなで揃えたい。
展示だから、あんまり長いのはだめなので、30字×10行の範囲で。
短くても構わない。たった一行でもいい。
想像力をかきたてる詩的な言葉を期待します。
▼注意
標本箱は、一応鍵はかかりますが、万全ではないので、
あまり高価なものは標本にしないように。
ナマモノ・イキモノはダメ。
▼参加できる個数
いまのところ、標本箱は40の枠があるので、
ひとり2個までなら、だいたい展示できると思います。
増えたら調整しましょう。
▼提出
夏休み明け9月26日に現物を。
文章の方は前もって寮美千子にメールしてください。
メールのタイトルは 物語の作法 にしてください。
mail@ryomichico.net
▼見本
標本箱はどんなものか、見本の写真はこちら。
http://www.southwave.co.jp/swave/6_env/ryo/ryo05.htm
下の方の《初のオブジェ作品を出展》というところを見てください。
この標本箱にわたしがつけた言葉は、追って紹介します。
杉井武作 鏡の果実
2002年08月18日(日)19時40分53秒
鏡に映る自分を眺めていたら
いつの間にか鏡の迷宮に迷い込んだ
どこを見回しても鏡ばかり
そこで女を見つけた
一目で恋におちた
女は鏡の中だけで見ることができた
私はそれで満足だった
あるとき男が現れて女を汚した
男が去りまた別の男が汚した
その柔らかい素肌が幾度となく
醜い血で染めあげられているのが見えた
何人も何人も
何度も何度も
女は笑っていた
「この女は自分が見えていないのか・・・?」
女の無垢な笑みの大切さは
どうしようもなく私を苦悩させる
その重みに耐えきれなくなったときに女が私のまえに現れた
鏡ではなく触れることができた
私は募る想いを打ち明けた
女は他の男に見せるおなじ笑みを浮かべた
その瞬間私の中にざわざわと狂おしい感情が生まれた
嫉妬ではなく羞恥心
女を支配せずにはいられなかった
「若さを無駄に振り撒く
しでかしてきたことの卑しさを思い知るがいい」
私はありとあらゆる手を使って女を執拗に虐待した
女は私の子供を身ごもったがそれでも罰を与えつづけた
だが女は動じない
変わらぬ笑みを浮かべて私を見つめる
その瞳はいつまでも澄み切っていた
いつしか女は子供を残して消えていった
まるで幻だったように
醜く血まみれた奇形児は
私とうりふたつだった
私は鏡の迷宮から一生抜け出せないことだろう。
越智 美帆子 5A 人形
2002年07月29日(月)20時59分25秒
もう覚えている人は少ないだろう。数年前に、子供の間で爆発的に流行った人形づくりを。僕はあのとき、ちょうど子供と呼ばれる年齢のまさに中心にいた。そして、そのブームに熱狂的にのめり込んでいた一人でもあった。今振り返ると、その遊びは実におぞましく、残酷で、だからこそ子供という残酷なことを残酷だと認識しない年頃の世代にうけたのだろう。しかし、そのおもちゃをメディアに送りだしたのは間違いなく大人だった。そして、作り手も販売者も大人だった。僕は、思い通りにいかない人間関係に対する、あれは皮肉だったのじゃないか、と今になってそう思った。そう、あれは大人が子供という媒介を利用して行った一種の儀式だったのだ。
始まりはインターネットやCMでの、詳細は書かれていない、意味深な広告だった。それはいかにも誰もが興味を持ちそうにつくられていた。真っ黒い画面の片隅に突然現れるかわいいキャラクター。その細い線で描かれたピンク色のキャラクターが「8月13日ね」とだけ喋って、画面の外に走り去るのだ。僕は子供心にあれはなんだったんだろう、と時折画面上に現れるそのCMにもちろん興味を持った。親に聞いても、さあ、何かしらね?と言われ、友達の間では連日その話題で盛り上がった。何が起こるんだろう、何が始まるんだろう、と平穏な日常に退屈していた子供たちはその正体不明な何かに期待していた。それが何なのか調べようにも、一切の情報を漏えいしないように、マスコミにもそのCM以外は何も知らされていなかったらしい。
そして、来る8月13日、その日僕は普通の朝をむかえ朝食をとっていた。しかし、頭の中はあのCMのことでいっぱいだった。突然、朝のニュースを淡々と伝えていた番組があのCMに変わった。真っ黒い画面。静寂のあと、あのキャラクターが現れて、画面いっぱいになったと思ったら、その大きな目を見開いて言った。
「あなたも人形つくってみない?詳しくは○○○で!」
僕と食卓にいた母と父はしばらくその画面に見入っていた。そして父は、ああ、何か世間で騒がれてたやつか、と呟いた。
僕は学校に行くふりをして、そのおもちゃ屋に向かった。すると、もう店の手前から長蛇の列ができていて、その中には大人も少し混ざっていたが、ほとんどが子供だった。僕はその列の最後に並んだ。いったい、何があるのだろう。そんな思いが僕の全身を支配していた。道行く人々は列を見て、これ何の列?とか、ああ、あのCMの、だとか口々に言っていった。そしてようやく店に辿り着いたとき、僕は何を感じたのだろうか。今は何故か覚えていないが、心臓が揺れ動いたような、後頭部を強打されたような、そんな感じだったことだけは覚えている。店中に並べられた人形のパーツの数々。それはリカちゃん人形やガンダムのようなものではなく、極めて生物に近い、いや、人形と称された生物のパーツだった。
人形、そのおもちゃメーカーが売り出した新しいタイプの人形とは、簡単に言うと人間の体のパーツに似せたものを人工的に簡素につくってあり、それを誰でも簡単にお好みに組み立てられる、組み立て式人形のことだった。パーツは子供が扱うにはリアルすぎるほどで、消費期限なるものまであった。その消費期限を過ぎると、人形は腐敗しだすので、説明書にはちゃんと生ゴミにだしてください、と書かれていた。人工の、皮膚、骨格、血液、眼球、髪の毛、それにあらかじめプログラムされた言語機能と知覚機能。各企業はこの産業に次々と参戦していった。
僕は人形づくりに夢中になった。例に漏れず、学校の友達もこぞって夢中になっていった。あるときはコーカソイドにグリーンアイの人形をつくり、入手困難なものをつくりあげた優越感で友達に自慢しまくった。あるときは市松人形のような美少女人形をつくり、その人形に恋心を抱いた。今思えばおかしな話だが、自分の都合でつくった人形に僕はいろいろなものを期待し、幻想を抱いていた。しかし、消費期限がたち、人形が腐り始めるころには、もう何の興味もなくなっていた。僕は新しい遊びに夢中になり、人形が生ゴミと化したころには、もうそんな遊びがあったことさえも忘れていた。
人形はとてつもない売り上げを納めたあと、人権の問題や倫理の問題で法律上禁止になった。そのあと、様々なところで人形の残骸がカラスの肥やしになっている、ということが第二の問題として取り上げられた。僕たちは何を思い、あの人形をつくり楽しんでいたのだろうか。支配欲、それとも人間をつくるということを疑似体験して楽しんでいたのだろうか。
今、僕は密かに人形をつくっている。もちろん法律で禁止されているので、裏ルートで手に入れた代物だ。何故また人形をつくろうかと思ったか、それは満たされない日常に、またあのとき感じた衝撃を取り戻したかったからだ。モンゴロイドの12歳前後の男の子。髪は黒。そう、あのときの自分を、僕は今つくっている。
滝 夏海 4A「昼下がり交響楽団」
2002年07月23日(火)19時14分10秒
タクトが振られた。
まずはティンパニーの如く低音で響く心臓の音。
木琴なアナログ時計も持ち前の正確な刻みで参戦。
2つの刻みが微妙にずれて個性的なリズムが完成。
お次は蝉の第一ヴァイオリン君と第二ヴァイオリン君、
仲良し二匹の呼吸のあった二重奏。
今日も独創的なメロディーを奏でております。
おっとここで種類不明鳥のフルートとピッコロ登場。
猫のオーボエ君も張り切って演奏しております。
どうやらクラリネット犬は本日休業のようです。
微かに聞こえてくる派手な音はなんでしょう?
あれはコントラバスde通過電車でございます。
アナウンステープ嬢の魅惑のソプラノと共にお楽しみ下さい。
一所懸命頑張っているのは
ホルンになったマフラー装備のバイクさん。
調子が外れっぱなしで四苦八苦。
さあ、盛り上がってきたところで今回のメイン。
隣のチビちゃんの雄叫び、はい、どうぞ!
「ママー、ママー、ママァァァァァァッ!!」
良いですねえ、ナイスですねえ、不協和音交響曲。
どうやら昼寝はできないらしい。
宮田和美 24A 白くまくん
2002年07月19日(金)03時28分38秒
けいたい電話だけを持って、お父さんのサンダルをはいて、時計塔によりかかって待っていた。日ようの駅は家族づれとかおばさんたちのグループとかカップルとか全身黒ずくめで長い髪をひとつに束ねた男のひととか、ともかくいろんなひとがいる。わたしはそんないろんなひとたちの絶えず動くさまを眺めていた。遠く、改札のむこうにひとつだけ、見なれた上半身がまぎれているのに気づく。あ。
こうやってみるとナガオも米粒大なんだなあ、と思う。ナガオはずぼんのポッケから切符をだして改札にそれを入れて改札を出てきょろきょろしている。わたしは、うける、と思いながらナーガオー、と呼んだ。手をひらひらと振って。
ナガオはわたしに気づくと一瞬「お」と「ほ」の中間みたいな顔をしてから、どこかちがうところを見ながら、けど体はまっすぐこっちにむかって歩いてきた。
「やっほう」
「おみやげ」といってナガオは白い亀屋万年堂の紙袋をさしだした。なあに?といって、そういえばやっほうってあいさつ、お母さんにださーいって言われたなあって思いながら中身をのぞくと、ナボナが5個、入ってた。わたしの、お母さんの、ナガオの、お父さんの、だとしたらあと一個は誰のだろうとかんがえながらありがとう、と言った。
「ありがとうでも優先順位は白くまくんだから」
うん、とナガオが言って、わたしたちは歩き出した。
「白くまくんを買ったの、夏が来るから」
とナガオにこの間でんわで話した。来るべき夏のための白くまくん。
「しろくま?エアコン?」
「ううん、でもあたしも最初はそうかなって思ったの。あ、白くまくんを買ったのはお母さんなんだけど」
「で、なんなの」
「ないしょ」
「なんだそれ」こんないきさつで、今日わたしたちは白くまくん大会を開くことになった。
うちに帰る途中、大島商店であずきのかんづめとれんにゅうとみかんのかんづめとカルピスを買った。
「おなかすかせてきたかい。お母さんがぎょうざつくってるよ」
「おっ、いいねえ」
お母さんはきっと今ごろ、はりきってぎょうざを包んでいる。わたしがナガオのこと、いっぱい食べるひとだって言ったから。
ナガオは背がたかくてよく食べる。いつもジーンズをはいていて、めがねをかけている。髪は黒くてみじかい。あいかわらずの手ぶらで、でも足元はいつもはいてるトイレにありそうなサンダルじゃなくて、紺色のスニーカーをはいている。
「今日サンダルじゃないね」わたしはなんとなく嬉しくなった。
ただいまの一言がいつもより明らかにちがうのがわかる。うかれてる、けれどよそいきのただいま。
「おじゃまします」というナガオも緊張しているみたいだった。お母さんが台所から顔を出して「あらあ、いらっしゃい」と、逆光だから見えづらいけどそれでもはっきりとわかるよぶんなにこやかさで言った。うちのお母さんはひと見知りだから普段はそのままでも十分陽気なのに、お客さんが来るとへんな朗らかさが全身から出る。
「お母さん、ナガオがナボナくれたよ。あ、こちら、長岡くんです」
「おじゃまします」
わたしもお母さんもナガオも(ナガオはそうじゃないのかもしれないけど)妙にうきうきのような緊張で、へんだった。
「散らかってますけどねえ、どうぞ。これからぎょうざ焼くから、先にビールかしら、うふふ」
お母さんは文字通りうふふ、と笑うと缶ビールとコップと蒸し鶏ときゅうりのたたきを持ってきてくれた。わたしたちは座布団の上にすわって、卓袱台に置かれたきゅうりをぽりぽり食べながらビールを飲んで、つけっぱなしのテレビから流れるのど自慢を見ながらぎょうざが焼きあがるのを待った。ありふれたパステルカラーの舞台の上で、サラリーマンらしき二人組が、安全地帯の「夏の日のハーモニー」を歌い上げていた。部屋中にじゅうじゅうぱちぱちという音と油の香ばしいにおいが充満している。
お母さんの焼くぎょうざは、皮がかりかりしていて、裏返さないから、焼き色のついていないところは茹でたときみたいにつるんとしていて、かじるとじゅわっと熱くて、わたしが言うのもなんだけどかなりおいしい。なんでも10年以上も前に、自動振込みの案内とか定期預金の説明書とかといっしょに銀行においてあった縦長の紙、お料理一口メモの「おいしいぎょうざの作り方」があまりにもおいしくて、いまでもずっとその焼き方にしているらしい。いわばお母さんのおはこ。
「ビール、もう一本飲む?」とお母さんが聞くと、ナガオはあー、と考えてから
「あ、いいです。すいません」といった。
「じゃあご飯よそうわね」
お母さんがジャーを開けた。直線的なかたちの、外側にふちに沿って紺色の水玉がならんだお茶碗に、ナガオのご飯をよそった。見慣れない、まるでうちのものじゃないみたいなお茶碗。
「あたしも」
というと、わたしのいつものお茶碗、全体がうすいピンクで、こいピンクで梅の絵がさっとはかれたように描かれたやつがやってきた。
ナガオはそれをすいませんと言って受け取ると、ぎょうざうまいですと言ってもりもり食べ続けた。
ナガオは食べかたが美しいと思う。初めて会ったとき、はるちゃんと田原くんと、2人の中学時代の同級生、それがナガオとくんちゃんという白くてちっちゃい女の子だったのだけれど、その子と、ナミコと舟山くんとであそんだときから思ってた。きれいにものをたべるひとだなあと。
「ナガオってさ、時々旅館のおかみさんみたいな食べかたするよね」
ナガオは箸を止め、
「なんじゃそりゃ、女っぽいってこと?」
とわからなそうな顔で言った。
「そうじゃなくて、」
うまく言えなくてもごもごしてたら、ナガオは
「つうかおかみさんは料理食わないじゃん、出すほうじゃん」と言った。
美しいというのは出されたものをきれいにたいらげるという意味だけじゃなくて、たとえばお箸をもつ位置とか、ぎょうざをお酢につけてから(ナガオはお酢にラー油を落として食べるのがすきらしい)口に運ぶまで、左手に持ったご飯茶碗をそえるところとか、そういう、ちょっとした仕草が礼儀正しくていいなあと思う。
ぎょうざとお味噌汁と、高野どうふの卵とじと、ちんげん菜をたいたやつ、きゅうりのたたきでわたしはご飯を2杯とちょっと、ナガオは4杯も食べた。
「すげえ食ったー。あ、ごちそうさまでした」
すっかりリラックスしたナガオは大きなからだをのばして、おなかをさすっていた。
「おなかおっきい。ねえ、おなかいっぱいのときおなかおっきいって言うよね?」
「いわねーよ」
「言うって」
「じゃー腹へったときおなかちっちゃいって言うのかよ」
ごろごろしながらそんなことを喋っている最中、わたしはふと気づいた。
「あっ、白くまくん」すっかり忘れていた。
「そうだよ、やろうよ白くまくん」
わたしたちは、今まで動きたくないなーって思ったのがうそのようにてきぱきと卓袱台の上を片付けていった。そして器とか、山盛りの氷とかさっき買ったものを袋ごと持ってきて並べた。そして、真ん中にどんと白くまくん。
「あれ、電動でうごくやつじゃないの?」
うすいダンボールの箱から出てきた白いプラスチックを見てナガオは言った。
「そうだよ、やっぱりかき氷は手動じゃなくちゃ。ナガオかく係りね」
冷蔵庫からうすい紫のお皿を出しながら言う。ヘモグロビンみたいな形、かどうかは知らないけど見るたびにそう思う白たま。しろいのと抹茶味。缶切りとスプーンをお皿のラップの上にのせて持っていく。準備ばんたん。白くまくんは頭のてっぺんにぐるぐる回すのがついていて、頭の中に氷を入れ、ちょうどあごのところに刃がついていて、そこから氷がおちてくる仕組みになっている。あごの下に置かれた器は、ちょうど座っている白くまくんのからだにすっぽり覆われるかたちになる。だからちょっと欲張って大きな器で食べようとすると、白くまくんのからだに合わなくて氷がうまく器に入らない。取っ手とちょうネクタイが水色で、かわいい目をしているのでわたしはけっこう気に入っている。
ががが、とごりごりごり、とどどど、が混ざったようなすごいでかい音を出して、ナガオはひたすら氷をかいている。力もちだなあ、とわたしは感心してしまう。ナガオはあっという間にわたしのと自分のとおかあさんの分の氷をかいてくれた。それぞれ思い思いのもの、わたしはれんにゅうと抹茶と白たま、ナガオは白たまとカルピスとみかん、お母さんは抹茶とあずきと白たまをのせて食べた。
「うまい、あっでもこめかみ痛い」と言いながら氷をざくざくいわせてナガオは食べていた。そうか、このひと、甘いものも食べるんだ。
今年さいしょのかき氷。どう考えてもちょっと早すぎるけど、しゃりしゃりしておいしかった。
いつのまにかチャンネルのかわっていたテレビから、いつのまにか始まってた紀行番組が、ありふれた感じで進んでいった。
東條慎生 4B「雨の日」(連作「水」3)
2002年07月18日(木)22時00分02秒
右手に傘を、彼女はさして、じっとそこに佇んでいる。坂の上の小さな道。雨の中に霞む家と空。どこからか聞こえる、走る車のエンジンとタイヤの砕いた水たまり。坂を下った道の先には、茶色い川が激しい音を立てて流れている。川を線路が真横に貫いていて、橋脚の上では曇った音を立てて走り抜ける電車が木々の間から少しだけ見えた。一帯を覆う木の群れはこの坂の上にまで押し寄せている。奥は暗くて見通せないが、一段と高くそびえている枯れた大樹だけは、老衰にもかかわらず強い圧迫を感じさせた。霧にも似た水滴の中に音や景色が埋もれていく。木から落ちた葉が、水に押されて側溝の中に消えてゆく。
水に滲んだアスファルト、裸足で彼女はそこに立つ。本来暖かい色をしているはずの足は、水に熱を奪われて、青と白の入り交じった石像のよう。傘の外から入り込んでくる雨粒が、彼女の足や腕にまとわりついて水の幕を下ろす。肌の色はだんだん薄くなっていくように見えた。傘の中で彼女の体は翳っていて、眼はおろか顔や口さえ見えやしない。雨が少し強くなった。大地と空を繋ぐようにも見える細い糸の群れが、檻のように僕らを囲っている。雨に突き刺される、罪状を知らない愚かな囚人。
ふいに彼女は、腕をのばして傘をくれた。傘の中に入った僕は、内にこもった雨音に吸い込まれそうに思った。そして彼女は全身を雨にさらす。腕には肩や頭から流れ落ちてくる雨が、肘を伝って手から滴り落ちていく。腰までのびた黒い髪が、雨を吸って重く湿って、更に黒く、鈍く光る。頬も青白く、水が涙のように流れている。本当に涙なのだろうか、それとも雨か。どこを見ているのかは分からないが、何かを見つめているようなうつろな眼にはただ暗闇だけが浮かんでいる。雨粒が、彼女の顔に打ち付ける。彼女の体には雨粒だけがうろついている。
髪に落ちた雨粒は、山の木々の中からしみ出して一つの流れを形作る自然現象を模倣するように、様々な線を描いて流れてゆく。今にも落ちそうなほどに重い、髪の毛の先からはぽつりぽつりと時を刻む氷柱のように雫が落ちていく。その房のような髪の中には地の底の水の流れがあるのだろう。耳から首を伝って描かれる流れは左右対称に二つあり、片方は背中の方へ流れていき、片方は肩の窪みを経て胸元へと流れ込んでいく。胸元への流れには、眉や鼻の谷間を縫って顎から滝となって落ちてくる大きな川が合流して、肋骨の間をつなぐ胸の骨を流れる大河になった。腹やへそを下って来た流れは、足の付け根から二つに分かれていく。両足を伝っていくそれはもはや一つの大きな流れとはならず、バラバラにまとわりつく蔦のようになって一気に流れ落ちる。踝を通って踵へ通じるものもあれば、足の甲を経て指先から地面に行くものもある。大きな流れの中にない、腕や脇腹の数多の水滴たちはゆらりと揺れたように見えた瞬間、一気に他の水滴を巻き込んで生き急ぐように流れ落ちる。空を流れる束の間の星。
僕はこの景色を、傘を持って見つめていた。雨に煙る景色は、幾重にも重なる書き割りのように、分かり易い遠近感を持っている。雨のカーテンがかぶさった遠くのビルは、本当は五十メートル先にあるんだろう。
大きな雨粒が一つ、空からゆっくりと降りてきた。水滴の表面には、まわりのあらゆる景色が映り込み、世界を丸ごと抱え込んでいた。灰色に覆われた空と、霞んでいるビルや坂の下にある濁流の川、車が流れる道路とか電車が走る線路、そこいらに並んでいる民家やアパート、それに森や林や大きな枯木だって映っている。僕や彼女もその一つの雨粒、一滴の水の中に入り込んでいる。それが空から空気の中を降りてくる間に、水面に映り込んでいるだけのはずの世界が虚像と実像を裏返し、ついには僕たちと世界を閉じこめる。鏡の中との二つの世界。世界と世界の結節点が、空からそっと降りてきた。
彼女の肩を、その水滴は確かに撃った。肩に落ちた水滴は、彼女の肌の色を虫眼鏡で覗いた時のように大きく鮮やかにした。それが肩から流れ出したあと、そこには空白があった。空白、ではなく林の暗がり、つまりは彼女の背後にあるはずの景色が見えていた。その雨粒の流れ下った道筋には、すべて同じように林が見える。肩から胸へと流れているあの大きな川の流域に、傷痕のようにそれは写っていた。もう一つ、水滴が落ちる。彼女の腕には深緑の葉が割り込んだ。もう一滴、それは彼女の頬から、顎を、胸を、足を、脛を、踵を背後の木々と交換した。そうして何をする間もなく、彼女の体は一筋一筋雨が流れていくのに従い、掻き消すように林の中に消えていった。
よく見ると、彼女の足下のアスファルトには、その肌の色をした水の流れが、坂の傾斜に従って側溝に流れ込んでいた。側溝の中では街に注がれた水が勢いよく流れていて、一瞬にしてその色は見分けがつかなくなった。彼女は坂の下の川に合流して、海まで下っていくのかも知れない。
雨は次第に強く傘を打ちつけて、僕はその音に埋まってしまいそうだった。
裏返しに落ちている傘は、雨を集める皿のよう。いくら雨に撃たれてみても、僕が景色と光の中に消えることはない。雨はまだ降る。いつまで続くのか分からない。いつまでも続くのかも知れない。しかし、ずっと遠くの丘の向こうには、雲間からの光が射し込んでいる。虹は遠く、雲は獅子のたてがみのように縁を燃え上がらせている。朝焼けと夕焼けの雲、縁取り光る遠い雲。
雨は止んだ。僕が抱きしめていた黒と白の彼女の服は濡れていて、その袖で顔を流れるものを拭ってみても、意味はない。
管理者:Ryo Michico
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