楽園の鳥/掲示板 過去ログ(1/2)
新聞連載小説「楽園の鳥」について、なんでも!
心待ち 投稿者:silica
投稿日:2004年 5月25日(火)11時37分24秒
寮さんのカフェルミでのメッセージから、いよいよ今年は「楽園の鳥」が本として手元に来るんだとわくわくしています。毎日のようにこちらでお話を読んだのはもう3年も前のことになるのでしょうか。なんだか、とてもなつかしい。その頃の自分の気持ちも思い出します。もういちど読んだら、「ああ、ミチカさん、もう一度会えたね。」って旧友に会えたような気持ちになれるでしょうか。音楽もそうですが、命をかけて書いたものは心の深いところに響いてまいります。もちろん、インド旅行の味わいを楽しみに読まれるかたもおられることでしょう。寮さんの記念碑的な作品が生まれる現場にリアルタイムで立ち会える嬉しさを感じています。根(魂)を詰めて、どうぞお体をこわさないでくださいね。
母は永遠に強し。 投稿者:古澤 廣
投稿日:2003年 7月14日(月)13時20分45秒
難産に難産を重ねて生み落とされた「楽園の鳥」を、この広い世界へ大きく羽搏かせるには、行商をも辞せずとの心意気に、感服です。母は強し、との思いを新たにしています。更に願わくは、「楽園の鳥}姉妹編(或いは続編)の誕生が、近い未来に現実になる日が招来しますように!!!
忘れずにいてくださってありがとう! 投稿者:寮美千子
投稿日:2003年 6月28日(土)14時56分40秒
▼古澤さま
激励のお言葉、ありがとうございます。連載終了からすでに1年以上も経ているのに、こうやって忘れずに応援してくださる方がいること、ほんとうに励みになります。作品の運命、まだどうなるかわかりませんが、結果を待ちたいと思います。ダメならダメで、行商のおばさんよろしく、また別の所にあたる所存です。
3部作にしてみて思ったけれど「楽園の鳥」は、一応の集結を見ていますが、ミチカはまだ帰り着いていない。帰り着くまでの別の物語を第4部として書き足すことも可能かもしれないという気がしました。ひとつの区切りをつけると、また新たな欲望が湧いてきます。途中になっていた別のファンタジー小説の続きも書きたくなりました。欲望は、きりがないのかな。
「楽園の鳥」単行本、一日も早くお目にかけたいと思います。待っていてください。
楽園の鳥、脱稿を祝します 投稿者:古澤 廣
投稿日:2003年 6月25日(水)13時34分13秒
寮 美千子さんのお知らせによると、作品の内容が何か大変な変貌を遂げているようですね。枚数的にもかなりボリュ−ムがついて、長編小説の骨格をさらに大きくされたように感じられます。いずれにせよ、作者の希望通りに発刊された新刊本の小説「楽園の鳥」を、一日も早く読む日が訪れますようにと、祈る一人です。
「楽園の鳥」脱稿 戦いはこれからだ! 投稿者:寮美千子
投稿日:2003年 6月20日(金)12時25分33秒
5月18日以来、2度の推敲を経て、6月17日、ようやく脱稿。打ち出して(打ち出しに半日はかかる)待っていてくれる編集者に送りました。
もともと1000枚弱の原稿、編集者は750枚ほどに短縮してほしいという希望でした。切れるところはばっさりと切りましたが、書き込みたいところを書き込んだら、なんと1300枚に。なんてこった! 構成的にも3分割にした方がすっきりするので、そうしてみました。
第1部 野蛮な天使
第2部 月迷宮
第3部 永劫の水
第1部は、ミチカが消えた恋人ディオンを追いかけて旅立ち、カルカッタにたどり着いて、最初の夜を迎えるまで。
第2部は、旅人が行き交うカルカッタでのミチカ。短編「天鵞絨の闇」を書き終え、バンコクのゴウから、ディオンがもうJ&JOEにいないという手紙を受け取ったところで終わります。
第3部は、新しい恋人アーロンとヒマラヤへ向かうミチカ。果たして救いはあるのか?
このような大長編になってしまった作品を、果たして出版社が受け入れてくれるのかどうか?
出版にこぎつけるまで、ここからが新たな戦いです。
書いたわたしは作品に責任があるし、なんとか出版までこぎつけたいと思います。
応援してください!
脱稿、おめでとうございま〜す!!! 投稿者:silica
投稿日:2003年 6月19日(木)12時27分26秒
「楽園の鳥」のご誕生、おめでとうございます!
まだ、お披露目はもうちょっと先かもしれませんが、多少の難産でもこの世に出てきてくれて
ほんとにほっといたしました。(ページがすごく増えてるみたい・・・)
本では日置さんの絵は抜粋になるのでしょうね。おしまいのほうのお話が増えていたら、描きおろしもあるのでしょうか。
カスピ海ヨーグルト・・・我が家では愛情不足のため、半年にて自然へかえってしまいました〜
冷凍保存など少し考えておけばよかったのかもしれませんが、ひとつの菌を愛し続けるって、ほんと大変。(笑)
これからプリント 投稿者:寮美千子
投稿日:2003年 5月28日(水)00時03分47秒
「楽園の鳥」の原稿、これから印刷して、もう一度推敲します。
推敲は、やっているとキリがないから、どこかでエイッと思い定めなくちゃいけないんだけどね。
いつも応援してくださるバンコクの中村イワオさんが、帰国なさるとメールをくださいました。
いつだろう? 戻っていらっしゃるまでに、本はできるかな。
なるべく早く、みなさんに本の形で手渡せるといいなあと願っています。頑張ります。
(無題) 投稿者:silica
投稿日:2003年 5月27日(火)09時28分25秒
「楽園の鳥」が最後まで漕ぎつけたと聞いて、嬉しいです!
私の鑑賞能力も同じ分だけ、熟成しているといいなあ・・・と、思います。(わくわく)
ごめん 投稿者:寮美千子
投稿日:2003年 5月12日(月)12時50分44秒
中村イワオさま 古沢広さま
忘れずに待っていてくださってありがとうございます。気長に待ってくれていた編集者もとうとう最後通行状態で、5月いっぱいでしあげることを約束しました。きっと、パワーアップした形でお目にかけたいと思います。がんばります。みなさんの声援のたびに、がんばろうと思うわたしです。ほんとうにほんとうにありがとう。
楽園の鳥は、どうなってます? 投稿者:古沢 広
投稿日:2003年 5月12日(月)12時04分50秒
その後、小説「楽園の鳥」の推敲の進み具合は如何でしょうか。消息を知りたく、ページを開いてみました。 どんな仕上がりになるのか、楽しみにしています。
(無題) 投稿者:中村イワオ
投稿日:2003年 4月23日(水)14時12分36秒
何遍もおんなじようなメ−ルしてごめんなさい。バンコクで一人いるとき、やっぱり「楽園の鳥」を読み返しますね。
ありがとう 投稿者:寮美千子
投稿日:2003年 3月17日(月)03時03分04秒
中村イワオさま 古沢広さま Silicaさま
忘れずに応援してくださってありがとう。
あと少し、というところで、マダガスカルからの珍客が飛び込んできたりして、
なかなか最後の集中がままならずに困っているところ。
でも、ほんとにあと少しです。がんばります。
みんなが待っていてくれると思うと、励みになります。
ほんとに、こんなに時間が経っているのに、忘れないでくれてうれしい。
きっと本の形にして、みなさんの期待にお応えしたいと思います。
わたしの目が黒いうちに?!
よろしく!
寮さんの魅力 投稿者:silica
投稿日:2003年 3月17日(月)01時18分47秒
12 Mar.2003 「時の破片」より
>寮美千子はひどい。「恋と料理の合間に仕事をしている」と公言してはばからない馬鹿者である。
「楽園の鳥」はこんな素敵な寮さんにしか書けない作品。誰にも真似ができません。
作品が完成したら、ファンのひとりとして、寮さんの心を大事に受け取ります。
楽しみに待っています。
さらなる飛翔を、、、 投稿者:古沢 広
投稿日:2003年 3月14日(金)11時01分49秒
小説「楽園の鳥」が、新聞の連載小説と言う制約を離れた、より自由な手が入った作品として進められていると知らされ、期待感が高まっています。一日も早い、より完成度の高い、結実した小説との再びの邂逅が楽しみです。 ご健筆を祈ります。
お久し振りです。 投稿者:古沢 広
投稿日:2002年 9月19日(木)17時30分35秒
楽園の鳥の「掲示板」が、ずっと続いていたなんてビックリしています。連載が終って後、何回かは覗いてみましたが、、嬉しいことです。 小説は兎も角として、9月15日附の公明新聞で寮 美千子さんのエッセイ、「アイヌ・イオマンテ・考」を読み、新鮮な啓発をうけました。この掲示板に書くのはどうかな、とも思いましたが、馴染みのあるフィールドですのでつい書いて仕舞いました。この掲示板が続くのでしたら、楽園の鳥はそれとして、何か楽しいフィールドとしてワイワイ盛り上がっていけたら、好いんじゃないかなどと思いますが、いかがでしょう。
(無題) 投稿者:中村イワオ
投稿日:2002年 9月18日(水)16時48分04秒
「楽園の鳥」全部コピ−して読み返してます。ステイプラ−で左上を留めて何時でも読み返せるようにしたよ。
(無題) 投稿者:中村いわお
投稿日:2002年 7月10日(水)09時52分08秒
楽園の鳥はまだ本にならないのですか?こんな素晴らしい小説が本として出版されないなんて...
「楽園の鳥」さんグッドラック!! 投稿者:古澤 廣
投稿日:2002年 4月16日(火)20時52分11秒
この一年間小説「楽園の鳥」の世界を、作者寮美千子さんの筆の赴くままにさまざまに、遊歩させて戴き感謝に堪えません。とても楽しい一年でした。小説としては、今回で終わりましたが、主人公ミチカの人生はここで終わっていません。果たして彼女は、今後どう生きて往くのでしょう。この物語には、続編が必要だと思います。新聞の連載小説と言う、ある意味で制約もあったでしょう。そう云ったすべてを取り払った自由奔放な発想の展開と、さらに私たち読者を未知魅惑の世界へと誘って下さる次作を期待して、お礼に代えさせて戴きます。本当に有難うございました。因みに、余談になりますが、この小説「楽園の鳥」を、映画で観てみたいです。詩的で自然の雄大なカメラワークが目に浮かんだりします。それと、完成記念の朗読と、ジャズ演奏のコラぼレーションは見事なステージでした。おつまみ無しのシ−バスリーガルと、ハーバーが、お腹に効きました。朗読に立ち向かう寮美千子さんに、人生と戦う凛々しさを見ました。失禮。(御寛しください)
夢読み 投稿者:一色真理
投稿日:2002年 4月14日(日)22時09分18秒
「楽園の鳥」完結おめでとうございます。
お疲れさまでした。>寮さん
ぼくにとって一番気になるキャラクターは、やっぱり 夢読みダンでした。
彼が一度捨てた「一角獣の角」を拾い直すシーン、とても印象的です。
夢でぼくらが見るものはすべて、日常の中でぼくらがいったん忘れ去ってしまったもの。
要らない、つまらないと思って打ち捨ててしまったり、もう忘れたいと、
意識的に心の中から追い出してしまったもの。
それらをすべて、ぼくらは無意識の泥の中に、ゴミとして捨ててしまう。
でも、夢は必ずそれを拾い出してくれる。
しかも、現実では平凡な貝の化石にしか過ぎなかったものを、
100万倍も輝く見事な一角獣の角に変身させてくれたりする。
そのとき、ぼくらはようやく自分の間違いに気づく。
それはつまらないものでも、不要なものでもなかった。
本当はそれこそがぼくの一番大切な、かけがえのないものだったということを。
そして、そのようにして拾い直されることで、再発見されるもの。
それこそがぼくにとっては「持ち前」なんです。
「持ち前」は「ぼくの持ち前は何だったっけ?」とか言って
安易に名指したり、見つけたりできるものではない、
と、ぼくは思っています。
ぼくが詩を書き続け、夢日記を書き続けているのも
「持ち前」はそうすることでしか再発見できないと思うから。
でも、一編の詩が書き終えられたび、夢から覚めるたび
「持ち前」は再びぼくの手から失われ、道ばたの泥の中に転げ落ちて埋もれてしまう。
だから、明日もぼくは詩を書こうとするだろう。
夢日記を書かなくちゃいけないと思うだろう。
、
「楽園の鳥」も物語が書き終えられ、みんなの記憶の中で生き始めたこれからが
物語として本当に生命を持ち始めるのだと思う。
読者の一人一人がこれからはダンになる。
一人一人が自分のまわりの泥をすくって、
そこから自分だけの「一角獣の角」を探さなくてはいけない。
もちろん、ぼくだって……。
最後に、もう一度。
寮さん、素敵な物語をありがとう。
「楽園の鳥」と過ごした日々 投稿者:silica
投稿日:2002年 4月14日(日)03時01分17秒
去年の6月頃から「楽園の鳥」をたずねるのが楽しみになっていました。お話を読みながら、ミチカさんといっしょにインド、ネパールを歩いているような気分もたっぷり味わいました。それは、西洋ばかりに目が行きがちな私にとってはとても新鮮な旅でした。
そして、ミチカさんが自分の心を見つめるとき、私も自分の心の奥を正直に見つめていました。
ミチカさんの設定のように「恋愛」ということだけでなく、あらゆることに向ける虚飾を取り去った後の自分の本当の気持ちはどこにあるのだろう・・・と幾度となく考えました。ミチカさんのせりふが自分の探していたことばと通じたとき、私は「楽園の鳥」を読むべくして読んだのね、とさえ思えてきます。
13日はリーディングコンサートで寮さんにお目にかかることができて、本当に嬉しかったです。坂田明様のサックスの生演奏も学生時代に1度山下洋輔トリオを聞いたとき以来だったと思います。ピアノ演奏をなさるのは初めて聴きました。(第1話 夢の大気はピアノと鈴だったんですよ〜他の場面でもしばしば)やぎの生贄シーンはサックスの音と激しい掛け合いになるだろう、となぜかこれは予測していました。とてもHotでした!お話の最後は会場ではじめて聴き、帰ってきて最終回を読みましたが、まだまだお話の続きが聞きたい・・・!というのが本音です。
でも、寮さんがえがいてくださったことは駆け引きのある「恋愛小説」ではなく、「心」のことだったと思いますので、また新たに「夢みる水の王国」を楽しみにすることもいいなあ、と思っています。
この1年もの間、物語を届けてくださって本当にありがとうございました。
寮さんとの出会いも大切にしたいと思います。
(長々とすみません。みなさんのお言葉も待っています。)
Cafe Lumiereより転載 suikyouさんのご投稿 投稿者:寮美千子
投稿日:2002年 3月15日(金)16時07分54秒
寮美千子主催の軽い掲示板「Cafe Lumiere」に、こんな投稿をしていただきました。
転載させていただきます。
---------------------------------------------------------------------
suikyou 連載小説のUP外になし 2002年03月14日(木)22時28分46秒
寮美千子さま始めまして。
新聞に掲載されているときに付いている挿絵。単行本になるとテキストのみ。
残念に思い、ネットで公開している作品があるかと検索してみましたが「楽園の鳥」以外はお目にかかれませんでした。
いつまでも消さないでくださいね。
今購読の朝日新聞の小説をWebページにするのにソースをお借りしました。
挿絵つきの作品をPCにおいて一人で楽しもうと思っています。
OCRの認識が低く、1日分を入力するのに30分ほどかかる状況では、退職後の楽しみとします。
そばで、娘いわく「スクラップブックに貼ったほうがはやいよ!」
その言葉にくじけることなくCD収納を目指します。
作品はこれから読ませていただきます。「掲示板のご案内」も読まずの投稿。
現住所京都市、50歳代。男。
http://cgi.linkclub.or.jp/~chico/bbs/lumi0001.html#lumi20020314222846
いよいよ、あとひと月! 投稿者:寮美千子
投稿日:2002年 3月15日(金)15時32分12秒
古沢さま。ご愛読ありがとうございます。ネットに掲載されている新聞小説は、いまのところ「楽園の鳥」一作だけの模様。古い回も簡単に検索して読んでもらえるのは、ネットの利点です。「名画座」っていうの、とても面白い。確かに、ちょっと以前のことって、ずいぶん過去のことのように感じますね。「名画座」にかかるような名作になるよう、あと少し、がんばりたいと思っています。
「楽園の鳥」最終回は四月十三日。ほんとうは二月いっぱいで終了するところを、お願いして一月半も延長してもらいました。結局千枚を超える長編となりました。
こんな長い作品を書いたのは、わたし自身初めての経験。本来なら、何回目までにどのシーンまでを書いて、と割り振りして書くべきところを、まったくそれをしませんでした。そう決めたとたん、急に窮屈な気持ちになってしまうからです。結局、わたしのわがまま。それでも、頭のどこかでちゃんと割り振りを考えていて「勘」みたいなもので予定回数で終了できると、故なき自信を持っていたのですが、さすが千枚以上の作品となると、そんな勘もぴったりというわけにいかなくて、誤差が出てしまいました。ああ、だめだ、これでは書きたいところまで書けない、あと二カ月は余分に必要だと気づいたのは、昨年の十月の終わり頃でした。十一月には延長願いを出したものの「そんなこといわないで、予定の期日で終わるように努力してください」と言われてしまいました。プロに対する当然の要求です。努力したものの、力及ばず、どうしてもだめ。結局、次の作家が待っているので二カ月は無理だけれど「一月半なら」とお許しをいただき、四月半ばまでの貴重な連載スペースをいただきました。
それでも、やっぱりちょっとだけ足りなくて、物語の最後の方は駈け足です。すごい勢いで物語が展開するので、目を離すと????ってことになるかも? スピード感が出て却ってよかったという面もありますが、もうちょっとゆるゆると書きたい場面もありました。いずれ、どこかで単行本にしてもらえる機会があるなら、その場面も心ゆくまで書きたいと思っています。
あとひと月、よろしくおつきあいください。連載最終回の四月十三日には、ジャズサックス奏者の坂田明氏と組んで、「楽園の鳥」の朗読会を企画しています。場所は東京の自由が丘。お時間ありましたら、ぜひお越しください。読者のみなさまにお目にかかれることを、心から楽しみにしています。
坂田明+寮美千子/連載小説「楽園の鳥」完結記念リーディング 投稿者:寮美千子
投稿日:2002年 3月15日(金)15時26分31秒
4月13日の最終回を記念して、朗読コンサートを行います。ぜひいらしてください。
日時:4月13日(土) 17:00開場 18:00〜
場所:自由が丘「ラ・リュー」(東急東横線自由が丘 徒歩5分)
目黒区自由が丘2-9-26 河津ビル地下
電話 03-3717-8363
料金:チャージ3500円(前売り3000円)+1ドリンク
申込:marachi@nifty.ne.jp 青木マラカイ
主催:プロジェクト21
メール marachi@nifty.ne.jp
電話 03-3720-2808
http://cgi.linkclub.or.jp/~chico/bbs/planets0000.html#planets20020213022450
小説のクライマックスに、間に合いました。 投稿者:古沢 広
投稿日:2002年 3月11日(月)18時30分52秒
冬の間を(12/1〜2/28)日本を離れて、ハワイの娘宅で生活して居ました。仮名漢字の変換の出来ないパソコンしか無く、楽園の鳥とお別れしていたのですが、今日、再開を果たしました。懐かしく嬉しい気持ちです。ゆっくりと、物語を遡って読んでみようと思っています。デイオンとミチカとの出逢いの場面を、ネット画面で再び読むことが出来、昔の映画を名画座で観ているような気分になりました。変な錯覚ですね。小説「楽園の鳥」のゴールは、どうなっているのでしょう。楽しみにしてイマス。
坂田明+寮美千子/連載小説「楽園の鳥」完結記念リーディング 投稿者:寮美千子
投稿日:2002年 2月13日(水)02時31分30秒
ビッグ・ニュース! 来る4月13日、連載小説「楽園の鳥」最終回を記念して、サックスの坂田明氏と、リーディングのコラボレをすることになりました。みなさま、ぜひ!
http://cgi.linkclub.or.jp/~chico/bbs/planets0000.html#planets20020213022450
るんびに 投稿者:寮美千子
投稿日:2002年 1月30日(水)23時34分22秒
「楽園の鳥」執筆作業は、いよいよ佳境に。ずっと書きたかったシーンが書けるので、興奮の連続です。街の八百屋さんに買い物に出ても、ヒマラヤの山の映像が浮かんできて、困りました。山から戻ってきた人が、街をやけににぎやかなところに思うような、そんな気分もありました。
そしてきょう、書いたのはお釈迦様の生誕地ルンビニの光景。メッカとも、ベツレヘムとも違う、静かな
静かな場所です。その静謐さのなかにじっと沈潜していくと、廃墟となった宮殿に差した夕暮れの光を思いだしました。
公明新聞編集部のご好意により、4月半ばまで連載させていただきます。よろしくお願いします。
240■魔物 訂正 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年12月18日(火)16時09分09秒
昨日12月17日の新聞連載。
一行アキのところが、詰まってしまいました。
アキの後は作中作の『天鵞絨の闇』の本文です。
以下のようにアキが入ります。
240■魔物
(前略)わたしは机に向かい、ペンを執(と)った。
忘れられたピアノが、一人称で語る物語を書くために。
その男は華奢(きゃしゃ)な身体に似合わない、無
骨で大きな手をしていた。ぼくはその手が好きだった。
(後略)
主な登場人物 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年12月 5日(水)21時31分40秒
上野雪子さま。
ミチカの旅におつきあいくださり、ありがとうございます。
ややこしい登場人物。ざっと整理してみました。
▼ミチカ
天生未知花(あもう・みちか)
▼ディオン
ミチカの恋人。ミチカを連れてカルカッタにアンティークのオートバイの買い付けにいったが、失敗。帰国後、失踪。現在、バンコクに滞在中。
▼アッシム
インド人。ミチカがディオンに連れられてはじめてのカルカッタを訪れたとき、ガイドをかってでた。以来、ミチカのよき友人だが、いまは麻薬に侵されている。ミチカの援助で静養のためにダージリンへ向かう。
▼アーロン
ミチカの滞在している部屋の階下の部屋に滞在するオランダ人。酔っている姿を見かけることが多い。祭りの夜に暴漢に襲われたミチカを助ける。
▼ゴウ
恋人との三角関係に悩み、オートバイでインドを放浪していた青年。ミチカのよき相談相手となり、祭りにもいっしょにいく。
▼ダン
壇宏彦(だん・ひろひこ) カルカッタの中級ホテルに長期滞在している日本人。ミチカのカメラを盗んだのと同じ人物にカメラを盗まれていたことで知り合う。
ありがとうミチカさん 投稿者:上野雪子
投稿日:2001年12月 4日(火)17時28分58秒
カナダから帰って一ヶ月以上になりました。時差ボケもトシと共に時間がかかるものだと
しみじみ感じさせられています。バンクーバーへは70才からはじまって今年で7回目です。
”来年も又来てね”と息子は云ってくれていますけれど・・・。
考えちゃいます。でも行きたいと思っているのが本音です。
今日も又、胸おどらせて公明新聞の5ページ目に吸いよせられました。ミチカに逢えるからです。
ミチカの絵葉書への期待、ヒマラヤの山の鋭角に切り立った尾根の描写が素晴らしいです。
大きく振りあげた魚の尾のようにみえるって。
もう〜心が躍ります。私はヒマラヤの山について全然知らないのにヒマラヤの山が見えるのです。勿論、私の想像の中にみえるのですけれど。
ミチカが絵葉書の写真をじっと見つめたように私はしっかりと新聞の挿絵に見入りました。
むづかしい事は解りませんが、この年になって新聞の連載小説に魅せられるなんて自分でビックリ
しています。
物覚えの悪い私は「楽園の鳥」の登場人物の人々、アーロンとか、アッシムとか、ゴーとか、
どうゆう人だったのか、ゴチャゴチャになっちゃって解らなくなってしまいます。
が、ディオンだけはミチカから一瞬も離れることのない恋人だということはよくわかります。
でもいいんです。読んでいくと又、少し思い出せるんです。それでいいんです私は。
毎日が楽しみです。日曜日はチョコット淋しいです。ありがとうミチカさん。
追伸 私はパソコンが使えません。自発的に孫が送ってくれました。うれしいです。
投稿ボタンは私が押します。
異界巡り 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年11月12日(月)23時06分01秒
先日、経堂のギャラリー・イヴの「勝本みつる展」のオープニング・パーティに行ってきた。その二次会、四方田犬彦氏が巌谷國士氏にわたしを紹介してくださった。
四方田 この人、いま新聞に『カルカッタ色懺悔』っていう小説、書いているんだ。
寮 違います! 『楽園の鳥』です。
巌谷 カルカッタは楽園だよ。楽園は地上にあるものだからね。あそこは確かに楽園だ。ぼくがもし、癌だと宣告されたら、好きな都市を5つ巡りたいと思っているんだ。そのひとつが、カルカッタだよ。
寮 ほかの4つは?
巌谷 アレキサンドリア、メキシコシティ、イスタンブール。あとひとつは、どこにしようか、まだ決めていない。
カルカッタ、アレキサンドリア、メキシコシティ、イスタンブール……。そのどれもが、異国の匂いのする混沌の街。さまざまな人が、カルカッタに惹かれているんだと、改めて思い知った一夜でした。
合い間をぬって書きました。 投稿者:古沢 広
投稿日:2001年10月21日(日)04時14分42秒
久しぶりに、掲示板を覗いてみました。ボリス・ヴイアンに捧げる詩や、個人の意見の集まったペ-ジを読んでいると、マンハッタンに悪夢のように惹き起された自爆テロのことが、生々しく瞼に蘇えります。そして、いろいろな事を考えます。泥棒に三分の理あり、テロリストに何分の理を推量するのでしょう。一瞬にして多くの人の生命が奪われ、超高層ビルが崩れ落ちる無惨な光景を、テレビで見せられた時の不思議な感覚は、一寸形容出来ません。澄みわたった青空を、ゆっくりビルに向かって飛んで衝突する映像の、信じ難い非現実感。ジャンボ旅客機が、大きな銀やんまのように太陽光線を浴びて、美しくさえあったのは何だったのでしょう。残酷な現実は、それを見る者に或る美しさを伴って語るのでしょうか。”楽園の鳥”の生け贄にされた山羊の首が飛んで、真っ赤な血が一面池にする凄まじい場面の詩的な美しさは、息を呑むものがあります。語り始めるとキリがありませんので、今回はこれで、、、。寸感を書かせて頂きました。
Je voudrais crever/ボリス・ヴィアンに捧げる 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年10月19日(金)22時31分31秒
以前に書いた詩 Je voudrais crever/ボリス・ヴィアンに捧げる のなかに
生贄の山羊のイメージを象眼したことがあります。
2001年ヴァージョンとして、下記に再録しました。
http://cgi.linkclub.or.jp/~chico/bbs/review0000.html#review20011019222711
生贄の山羊 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年10月19日(金)22時11分08秒
ある意味、インドで見たもっとも強烈な場面。
それが、カーリーガットで、山羊を生贄に捧げる光景でした。
記憶の中のあの風景を忠実にたどったもの。
それがきょうのシーン 192■色彩の海 です。
画家の帰還 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年10月 3日(水)01時06分48秒
挿画の日置由美子さんが、ヴェニスより帰国なさいました。
美しいものをいっぱいに心に詰めて、どんなインドを描いてくださるのでしょう?
だれよりも楽しみにしているのは、作者のわたしかもしれません。
はじめまして 投稿者:小林
投稿日:2001年 9月29日(土)02時56分12秒
はじめて書き込みます、はじめまして。
下記にご紹介いただきました小林と申します。お褒めに預かり光栄に存じてます。
インドの祭には、まだまだ慣習化・形骸化されてないものが大半だし、とりわけ「ドゥルガ・プジャ」のパワーはその最たるものの一つで、数年前に見たにも関わらず今でも強烈に印象に残っています。
寮さんの小説も、まだすべてを拝見させていただいた訳ではありませんが、これからじっくりと楽しまさせていただこうと思っております。
http://home4.highway.ne.jp/chan/
ネットは作家の強い味方/感謝! 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 9月27日(木)20時00分57秒
▼ロイヤル・エンフィールド友の会/増井さま
エンフィールドは、インドで出会ったバイク。うろ覚えだったそのバイクのことを小説に書くとき、強い味方となってくれたのが、そちらのサイトでした。バイクの形もはっきりとわかるし、その魅力も。ありがとうございました。
エンフィールド君が登場するのは
141■新品の骨董から。あれってほんとうに、新品の骨董っていう風情ですよね。
143■伝説の馬 には、ウンチク話も書かせてもらいました。
さらにさかのぼると、イギリス製の古いトライアンフの話もでてきます。主人公は、恋人に連れられて、カルカッタ郊外の元貴族の屋敷で古いトライアンフを発見! 随所にバイク話が出てきます。よかったら、バックナンバーで楽しんでください。こちらです。
新聞連載小説「楽園の鳥」http://www.komei.or.jp/komei_news/syousetu/syousetu_index.htm
▼HP
「インドへの道」はすごい!
インド関係のHPは数あれぉ、ここはすごい! 充実しています。執筆陣の多彩さにもびっくり。わたしは、小説のなかで10月にある西ベンガル最大の祭り「ドゥルガ・プージャ」について書いているところですが、このなかで小林さんという方が書かれている「カルカッタのドゥルガ・プージャ日記」を大いに参照させていただきました。感謝。
ドゥルガ・プージャについては、一年ほど前にネットで調べてみたのですが、その時はまだ、日本語サイトには、ほとんど情報がない状態。それが、いまやザクザク。すごい時代になったものです。
小林さんの「カルカッタのドゥルガ・プージャ日記」はこちら。
http://home4.highway.ne.jp/chan/puja_durga1.html
初めまして 投稿者:B増井
投稿日:2001年 9月25日(火)06時25分13秒
初めまして。R・E友の会のB増井です。実は初めてこのサイトを見させて戴いたのですが、ビックリしました。エンフィールドのことがかなりコアに書かれていますし、内容も面白いからです。楽しみにしていますので、これからも頑張ってください。
170■水晶の森 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 9月24日(月)02時19分47秒
▼
9月22日に新聞掲載の 170■水晶の森
新聞では、一行ずつ二カ所のアキがありますが、実はあれはこちらの手違いで、アキはありません。
全部がひとつながりの文章。
作中作「天鵞絨の闇」の主人公のピアノが一人称で語る物語です。
「楽園の鳥」の主人公ミチカの体験とわざとだぶらせて書いているので、
わかりにくいところがあり、編集部とのちょっとした行き違いからアキになってしまいました。
もとはといえば「わかりにくい」文章を書いたわたしの責任です。すみません。
▼
けれども、現実と幻想、不思議とだぶってきて、
自分の足場がどこにあるのか、ぐらぐらとしてくるような感触。
そんな感覚を描きたかったのも事実。
うまくいきすぎたというか、やりすぎだったというか、
ぐらぐらしても、ほんとうにわからなくなってしまっては、やっぱりイケマセン。
作者、反省、であります。
▼古沢広さま
お忙しいのに、わざわざありがとうございます。
テロ事件以来、気も滅入りがちなので、とても力になりました。ありがとうございます。
お忙しいでしょうから、お返事は気にしないでください。
きっと読んでいてくださる、そう思って頑張ります。
▼silicaさま
転倒の後遺症もなく、すっかり元気になりました。ご心配おかけしました。
ざわつく世界。
心を澄ませなければと、自分に銘じています。
ある期間、お休みのつもりが、、 投稿者:古沢 広
投稿日:2001年 9月23日(日)20時10分48秒
身辺急に忙しくなり、パソコンどころでは無い状態に陥ってますが、毎日の楽園の鳥を読んでいると急に小説の先行きが気になり出したり、我ながら不可思議です。何か言いたいものが、胸の中に湧いてくるんですね。そうさせるモノがこの小説には、あるのですね。湧いて来ると言えば、この楽園の鳥の章ごとにつけられている見出しの題名が、砂漠に湧きでるオアシスさながらの、とめどのない詩想に満ちていて、実に魅惑的です。言葉の芸術に、日々触れることのできる幸せ感に、改めて感謝します。
ただいまの楽園の鳥 投稿者:silica
投稿日:2001年 9月18日(火)23時06分14秒
松永様が述べておられるとおり、今お話の中では、いろいろな隣人が登場してきて、
とってもおもしろいのです。
また、食べ物、飲み物の場面にも思わず、ごくりとしてしまいます。
日置さんの絵も色味が加わりましたか?(本の部分)
ますますお話も絵も魅力的ですね。
お祈り 投稿者:silica
投稿日:2001年 9月18日(火)23時00分53秒
寮さん、響きのサーカスの時の感想をあらためて、取り上げてくださいまして、ありがとう
ございました。赤面しておりますが、寮さんのお気持ちがとても嬉しいです。
転倒されて、頭を打ったと聞いて(Cafe Lunatiqueで見て)すごく心配しています。
私はこれまでの寮さんの掲示板を見ていて、作家である寮さんには、次から次へと
いろいろな場面が用意されるものだと、いつも不思議な気持ちになります。
寮さんのメッセージからは、いつもいっしょに考える経験をさせていただいて
おりますが、今回の寮さんのご災難には、「一刻もはやく、寮さんから痛みを
とりのぞいて。」と願うばかりです。どうか無理をなさらないでくださいね。
響きのサーカス 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 9月18日(火)20時00分38秒
きょう、公明新聞の学芸欄で、藤枝守さんが、谷中のリーディングについて触れてくださいました。その時、見に来てくださったsilicaさんが、わたしのもうひとつの掲示板 Cafe Lunatique で、以前感想をよせてくださいましたので、ここに一部再録させていただきます。ありがとう、silicaさん、松永さん、そして、見に来てくださったみなさま。
---------------------------------------------------
谷中のリーディング 投稿者:silica 投稿日:2001年 9月 1日(土)15時48分56秒
谷中でのリーディングパフォーマンスでの感想を寮さんに直接メールでお伝えいたしましたところ、Cafe Lunaで語っていただけると嬉しい、というお返事をいただきましたので、
とても緊張しているのですが、おじゃまさせていただきました。
谷中という場所は、初めてでしたが、会場までの10分ほどの道のりを行く間にちょっと前の日本のなつかしい町や人の空気で包み込まれるような不思議な雰囲気がありました。通りの名前、「三崎通り(みさきどおり)はどこでしょうか?」と店のおじさんに尋ねると、「あなた、これはね、さ・ん・さ・き・どおりと読むんですよ。」と叱られてしまいました。(そんな心持ちになるほど、おじさんの思い入れを感じました。)お祭りの日でもあり、ちょうちんや盆踊りのやぐらがそのにぎわいを待っているようでした。
お風呂やさん改装したThe Bathhouseというスペースは、内側での音とともに外の音もよく振動を通す会場でした。 寮さんの詩の朗読と西さんの琴のかけあいの途中には、ドン・ドコ・ドン・という盆踊りやブィ−ンという自動車、バイクの音などの伴奏も入り、始めのうちは、それらを雑音として、不快とも困惑とも感じるわけですが、いつしか、それら全部を通して、「世界」として聴く気持ちになっていったのも不思議です。寮さんの詩のことば、声、琴の響き・・・に、私は、だんだん心地よい子守唄をきいているような気持ちになっていきました。決して、光や水の描写にきらめく緊張感がなかったわけではないのですが、全体からの印象として残る感覚は、大きな波のようなゆらぎの中で感じる"安らぎ"です。
一見、ボーイッシュな寮さんでいらっしゃいますが、その安らぎからは、女性だからこそ持っているもの、水を含んだ潤い、まるみのある気持ち良さ、そんな魅力を味わいました。声や体に琴の響きはとてもよくなじみました、と座談会で語っていらした寮さんは、さながら、リラの音とともに語る吟遊詩人のようでした。
市民ホールのような広い場所でマイクを通したものを聴くのではなく、たとえ外部の音に遮られそうになっても目の前の作家、音楽家の"気"のようなものを五感全部で聴き取ろうとする、受け取ろうとする、それは、やはりとてもスリリングでワクワクすることだと思います。
座布団がぽんぽんと無造作に置かれていた塾のような、道場のような会場は、コンサートを聴くつもりで来た私には、始めは大変戸惑うものでしたが、ユニークでおもしろい会を経験させていただきました。これ以来、寮美千子さん、古井由吉さん、福永信さんの名前は、私の中で違う響きを持つようになりました。長い記述になりまして、皆様ごめんなさい。
紙上交叉 投稿者:松永洋介
投稿日:2001年 9月18日(火)19時18分50秒
きょうの紙面では、「楽園の鳥」のすぐ上に、現代作曲家の藤枝守さんのコラムが掲載されていました。
夏に行われた
Bゼミのサマー・セッション「響きのサーカス」のことを書かれているのですが、文中にでてくる、8月24日の「寮美千子さんや古井由吉さんたちを招いての朗読会」は、ぼくもその場で見る(参加する)ことができました。
古井由吉さんの朗読はとても渋くて、まるで“NHKラジオの寺田農のナレーション”のようでした。
寮さんの朗読は、西陽子さんの奏でる現代箏曲とのセッション。小説の言語とは異なるアプローチで発せられることばが、参加者の感受性を刺激し、そこに世界を呼び出して、会場の空間を占有しているように感じました。
ところで
きょうの小説は『ちゅらさん』か『めぞん一刻』のへんな下宿みたいで、なんとも楽しげなようす。
これからどういう展開になるのかは、ぜんぜん予想がつきません。
旅するように暮らしたい 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 9月15日(土)18時04分33秒
>旅するように暮らし、暮らすように旅をしたい。
それは、マザー・テレサを取材するために訪れた、わたしにとって3回目のインドへの旅で出会った
日本人青年の言葉でした。
そんなに長く旅をしていて、日本に戻ってどうするつもりだろう?
そんなおせっかいな心配心から訊いた答えが、これ。
終身雇用制の日本の制度にぴったりはまって安泰に生きる、
というのとは、まったく違った、新しい価値観なのだなあと新鮮に感じたのをよく覚えています。
そしていま、日本は「終身雇用」なんて信じられない世の中に。
脳天気に思えたあの青年の哲学の方が、
いつどこでも通用する考え方だったのかもしれないと感じています。
>ほんとうの旅つていうのは、旅そのものを生きる旅さ。
>いま、ここを生きるための旅が、ぼくは旅だと思うんだ。
いま、ここにいて、いつもの暮らしをしていても、
それは「人生」という旅の途上なのだなあと思います。
一歩先に、何に出会うか、誰も知らない。
すばらしいものも、恐ろしいことも、いろんなことが待ち受けているんだろうなあ。
とはいえ、締め切りもちゃんと待ち受けてくれているのでした。ありがたい! ほんとに。
小説の中の旅論などの、煌めき 投稿者:古沢 広
投稿日:2001年 9月15日(土)17時24分17秒
”161-コ-カサスノ仙人”の章でマルコムの吐露した旅人の心根にふれた言葉に、旅行ブ-ムやファッション化された旅行者との異なりを、文明論的に暗示されたように思いました。〜ぼくは、旅するように暮らし、暮らすように旅をしたい。〜ほんとうの旅つていうのは、〜旅そのものを生きる旅さ。、、いま、ここを生きるための旅が、ぼくは旅だと思うんだ。 一期一会って東洋の言葉があるだろう、旅をしていると、その言葉の意味がしみてくる。〜 小説楽園の鳥の物語の本筋とは離れて、このようなミチカの旅先での友人の語りとかに、人生の或る意味のエッセンスが覗かれるのも魅力の一つです。小説の中の、旅論とでも言っていいでしょうか。これからも、私達をいろいろな世界へと、いざなって下さいますように、、、、。
祈り 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 9月12日(水)03時23分35秒
アメリカでの痛ましいテロ事件を、深い痛みと哀しみを感じています。
犠牲者のご冥福をお祈りします。
一人でも多くの人の命が助かることを祈っています。
このテロ事件への報復行為が、
さらに多くの人命を奪うような展開にならないことを、心から祈っています。
どんぐりたいかい 投稿者:silica
投稿日:2001年 9月11日(火)10時19分48秒
寮さん、皆さん、楽園の鳥の話題でなくて、ごめんなさい。
Cafe Lunaの今の雰囲気をこわしたくなくて、こちらに書いています。
昨日(10日)、吉祥寺のギャラリー創へまいりました。バスは使いますが、買い物圏
なので、立ち寄りました。
寮さんが文をお書きになって、所由紀子さんという人形作家さんがキャラクターである
どんぐりの制作をなさった「どんぐりたいかい」(チャイルドブック幼児向け絵本)の
どんぐりたちが展示されていました。もちろん、寮さんのお話も読むことができます。
あらすじは、はぶきますね。すみません。
私が知っている寮さんの童話に共通して感じるのは、「迫力」です。それは、スピード感
であったり、空間の大きさであったり、心の内側から放出されるものであったりします。
このどんぐりたいかいでも、どんぐりたちが、だれが一番偉いかを決めるのに、生まれ
つきの見かけでは、偉くない、本人の努力だ、根性だ、と、ぐるぐるまわる競争をします。
このぐるぐるまわり、というところが、とっても寮さんらしいと思います。一つ一つの
どんぐりが宇宙の星のように思えます。ぐるぐるまわりの描写は、2ページにもわたって
いて、言葉のリズムが印象づけます。
結局、みんな目がまわって、ひっくり返り、だれが最期までがんばってまわっていたのかも
わかりません。 でも、おもいっきり、お祭り(大会)を楽しんだ満足感がどのどんぐりの
胸にも広がり、「また、来年も会おうね。」と嬉しい気持ちで、さよならします。
まわっているうちに、どのどんぐりが偉いかなんて、もう、どうでもよくなって、みんなと
今、こうしていることが、「かけがえのない楽しい時間」と、どんぐりちゃんたちも感じた
のでしょう。
まわる競争をはじめる前には、「見かけなら、おれさまが一番だ。」とばかりに、栗の
くりたろうまで、しゃしゃり出るのですが、どんぐりたちの楽しいムードの中に入り
たくて、たまらなかったんですね。大会では、咎められて、舞台をおりましたが、
絵本の表紙では、ちゃあんと、どんぐりたちと手をつないでいます。
金子みすずさんは、今、時代の寵児で、テレビドラマや映画などでも盛んですが、
「みんなちがって、みんないい。」は、寮さんもしっかり、だめ押ししてくださって
います。
会場では、本に登場したどんぐりたちが販売されていましたが、大きい子も小さい子も
わけへだてなく、「どのどんぐりも同じ価格です。」とありました。
ひとつとして、同じどんぐりは、いないのですものね。
(それにしても、大きさの差は、すごいんですが・・・笑)
所さんの作品としては、どんぐりの他に、うさぎのかっこをしたお人形と女の子も展示され
ていました。
「何でできているのですか?」と会場のかたにたずねたところ、所由紀子さんにわざわざ
電話をしてくださって、「先生と直接、お話をどうぞ。」と言われてあせりました。
とても若々しい声で、気さくにお話してくださいましたので、私は、年下のかたかと思って
しまいました。
テニスがお好きでいらっしゃるそうです。人形好きなアメリカの女優デミー・ムーアさん
も所さんのお人形をお買い求めになられているそうで、どんぐり人形のイメージだけで
行った私は、所由紀子さんがれっきとした人形作家でいらっしゃることを後から知ることに
なりました。人形の顔は、「どんぐりたいかい」の本の裏表紙にあった所さんの感じに
心なしか似ていらっしゃいました。
寮さんのお話から、それてしまいましたね。
寮さんの掲示板は、いろいろなことを考えさせてくださったり、教えてくださったり、
本当に宝庫です。
たどりついて、良かったな、と心から思っています。
おばさんですが、これからも輪の片隅に入れてくださいね。(笑)
結晶と玉 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 9月 9日(日)04時25分13秒
上野雪子さま 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 9月 9日(日)04時14分43秒
書き込みありがとうございます。
今年八十歳になれれるという人生の大先輩に読んでいただいて、光栄至極です。
>私も"楽園の鳥"のお陰で"旅"をさせていただいたり、知人が出来て嬉しい気分です。
主人公のミチカも、作者のわたしも、余裕のない人間ですが、
それでも、居ながらにして旅を楽しんでいただけて、よかった。
>ミチカの苦悩、見知らぬ人達との出合いもわくわくして読めます。
そういっていただけると、ほんとうにうれしい。
励みになります。
>この十八日にカナダの息子のところへ一人で約一ヶ月の予定で行ってきまーす。
わたしは、カナダにはまだ足を踏み入れたことがありません。
自然の美しい、雄大な土地だそうですね。
いつか、カナダかアラスカでオーロラを見るのが、
わたしの夢のひとつです。
気をつけていってらしてください。
それにしても上野雪子さんは、どうやって書き込みを?
ご自分で。それとも、どなたかが?
いずれにしても、八十歳にしてインターネットを使いこなすなんて、すばらしい!
感動です。
>半月分を切り抜いてまとめて
>カナダのバンクーバーの息子のところに聖教新聞と一緒に送っています。
ありがたき幸せです。
「楽園の鳥」は、インターネットでも読めます。
挿し絵も大きくきれいに見られます。
息子さんがパソコンをお持ちだったら、カナダからでも、
毎日その日の分が、遅れずに見られるんですよ。
下に入れておきますので、よかったら、試してみてください。
また、ぜひ遊びにいらしてください。
http://www.komei.or.jp/komei_news/syousetu/syousetu_index.htm
寮美千子様へ 投稿者:上野雪子
投稿日:2001年 9月 8日(土)10時05分09秒
いつも公明新聞の一番先に読ませていただくのは楽園の鳥です。「高い天井でけだるく回るマカボニー製の四枚羽根だけが・・・」等々。いつもいつも描写が素敵で外国を知らない私にも充分に想像できるのです。ミチカの苦悩、見知らぬ人達との出合いもわくわくして読めます。素晴らしい旅が出来るミチカは本当は幸せなんですね。余裕があります。私も"楽園の鳥"のお陰で"旅"をさせていただいたり、知人が出来て嬉しい気分です。これから先どうなるのか、とても楽しみにしております。私は今年八十才になりましたが、本当に字が読めて楽しいなと思っております。有難うございました。また、半月分を切り抜いてまとめてカナダのバンクーバーの息子のところに聖教新聞と一緒に送っています。この十八日にカナダの息子のところへ一人で約一ヶ月の予定で行ってきまーす。
ミチカの心 投稿者:silica
投稿日:2001年 9月 8日(土)01時24分49秒
ああ、寮さん、あやまっていただいて、恐縮です・・・。
「嵐さんの求め」がミチカさんの心に近いかな〜と下記では申しました。
でも、寮さんは、ディオンではないですね。(笑)
ああ勘違い! 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 9月 7日(金)23時36分25秒
わたしはどうも、silicaさんの書き込み、勘違いして受け取ったみたい。
ご本人から、メールをいただきました。
ミチカの必死さ=「嵐」さんの必死さ
だったんですね。
ミチカの性格=作者の性格
と受け取ってしまいました。
ごめん。
読解力なかったね。
ミチカの性格?! 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 9月 6日(木)02時37分16秒
silicaさんが下に書いてくださったこと、わからない人には全然わからないと思いますので、
ちょっとだけ、補足させていただきます。
寮美千子主催の、もうひとつの掲示板 Cafe Lunatique で、ちょっとひと騒動ありました。
掲示板崩壊をもたらすような「嵐」が起こったのですが、
嵐を呼んだ張本人には、意識的な「荒らし」のつもりは毛頭なく、
それゆえ、実はこれは「荒らし」同然である、ということをわかってもらうのに、
実に大変な思いをしました。わたしだけでなく、掲示板のみんなが。
その結果、ようやうわかっていただけた、というわけにいかず、
アクセス制限という強権発動をせざるをえなくなったのでした。実に残念です。
silicaさんは、そのことを書いてくださったのです。
さて、その Cafe Lunatique でのわたしの対応は、
みんながあきれかえってイライラするくらい愚直(だといわれた)。
というわけで、作中人物のミチカの性格と共通するのでは? というご指摘でした。
まったく、その通り。
フェアであろうとするあまり、おかしなところに迷いこんで、
にっちもさっちもいかなくなり、自分も、そして相手も傷つけてしまう。
もっと早くに見切りをつけて見放せばいいものを、そうしないので、
お互いにどんどん傷が深くなる。
「現実」というものに対して「現実的対処」ができない。
なにをいまさら夢見る乙女、という対応しかできない。
けれども、世間知らずでそうしている、というよりは、
知っていてもなお、確信犯のようにそうする頑固さを秘めている。
そういう性格、silicaさんにはすっかり見破られてしまいましたね。
これからも、そんなミチカともども、よろしくお願いします。
やっぱり、日頃はこちらに。 投稿者:silica
投稿日:2001年 9月 5日(水)00時55分41秒
寮さん、今「楽園の鳥」は、次の日が待ち遠しいほど、おもしろいです。
152 愛の形 以降の日置さんの挿絵も感じが変わったものが出てきて、ビー玉3つの
絵を見たときは、「あ、素敵だな。」と思いました。内面描写になったからでしょうか。
私は、どんな形であれ、寮さんを慕ってきたかたを寮さんが最期まで、その気持ちを大事
にしてあげたかったんだなあ、やりかたは、間違っていたけれど、ミチカさんの必死な
気持ちとどこか共通するものを感じてあげていたのだなあ、という心持ちでいます。
(もし、全然、的はずれだったら、ごめんなさい。思い込みです。)
でも、寮さんの心からのいろいろな言葉の贈り物は、そのかただけへ向けられた
ものではなく、親子関係も、近くの人、遠くの人への思いやりも掲示板を読まれた
多くのかたが、自分のことのように受け取り、(私はそうです。)ああ、寮さんは、
こんなかたなのだ、といっそう、魅力を感じており、そういう意味では、私も本当に
感謝の気持ちすらあります。掲示板に登場する様々な方々のお人柄もそれぞれに素敵
でした。いっぺんに立ち寄るホームページが広がってしまったほどです。
それにしましても、Cafe Lunaはやっぱり、緊張します!書き込みのタイミングもウロウロ
してしまいますし・・・。なにかの感想をお伝えしたい、という時にまた、大きく深呼吸を
してから足を踏み入れたいと思います。やはり、聖域です。(笑)
これからの展開はさらに楽しみに待っています。
(ああ、でも、ミチカさんの気持ちは、時々つらいな〜*)
わたしにとっての新しい試み 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 8月31日(金)04時34分21秒
▼古沢 広さま
ご愛読、ありがとうございます。
いままで、小説は4冊上梓しましたが、どれも11歳ぐらいの少年を主人公にしたものばかり。短編をいれても、女性を主人公にしたものは、ほとんどありません。それが、いきなり女性で、しかも大人を主人公にしました。わたしの新しい挑戦です。海の物とも山の物ともわからないこの試みを、大胆にも受け入れてくださった公明新聞学芸部には、ほんとうに感謝しています。毎日が、わたしにとって、新たな試み。まるで見知らぬ土地を旅するような驚きを感じながら、書いています。現在、物語はようやく半分を過ぎたところ。これから、新しい展開があります。ミチカは、どこへ行くのか? どうか、これからもよろしく。感想など、またお聞かせいただければうれしいです
楽園の鳥、初めから読んでます 投稿者:古沢 広
投稿日:2001年 8月30日(木)21時14分49秒
公明新聞の、連載小説を日曜公明の別連載もいれますと、数え切れないほど読んできました。寮 美千子さんの、今回の「楽園の鳥」は、公明らしからぬ?恋愛小説といった趣がとてもステキです。インド、カルカッタなど異国の舞台や、登場人物の男性の、異邦人ぽい拗ねた性格と日本人女性ライタ-との葛藤のみずみずしい展開に、興味がつきません。新聞小説を、1日3本読んでいる私ですが、寮さんの、新しいフアンとして今後のご活躍に、期待します。
♪♪ 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 8月30日(木)03時36分29秒
「楽園の鳥」草稿は、180回に到達。
カルカッタは土砂降りで、道は川になっています。
♪ 投稿者:馬渕公介
投稿日:2001年 8月26日(日)00時07分32秒
走り過ぎた夏は、自分で夏ばてしたんでしょうか。
ひと休みしたら、もう立ち上がれないみたい、関東では。
夜が涼しいですねえ。
秋の虫も鳴き出した。
ますますのご健筆を。
お作、拝見しました>堤さん 投稿者:一色真理
投稿日:2001年 8月20日(月)22時24分04秒
堤さん、どうもです。
ホームページに伺い、堤さんの作品拝見しました。
ちゃんと最後まで読みましたよ。
「オレはみんなの目になる」なんて素敵な一行があった。
この行を最初の一行にしたら、すごいんじゃないかと思った。
堤さんって、結構、才能ある人だという気がする。
凡庸な作家に「オレはみんなの目になる」なんて凄い行は書けないもの。
それに、上達のための第一条件は「悔しがる」能力があることです。
だから堤さんも十年たったら、寮さんを見下せる作家になっているかも。
悔しい気持ちをバネとするためにも、それを簡単に暴発させないで下さいね。
夜、眠れなくてもいいのさ。いつかはあいつに勝つんだと信じ続けること。
ぼくもそうだったからね。
ぼくは寮さんが20歳の頃から存じ上げている古い友人です。
別に彼女に遠慮したり、おもねたりしているわけじゃないんですよ。
こないだ編集者として寮さんにあるエッセイを依頼したところ、
彼女の原稿に一カ所、腑に落ちない表現があったので、書き直しを要求。
もちろん、寮さんはすぐ書き直してくれ、とてもいい原稿となりました。
編集者と作家とはバトルをしながらも、互いに信頼関係で結ばれているんだと思う。
ではでは、また。
http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/
誤字誤用の殲滅は文学の発展の前提(1) 投稿者:松永洋介
投稿日:2001年 8月20日(月)09時13分17秒
堤さん、こんにちは。
文学の発展と本の質の向上のために必要なのは、“よい作品がつくられること”と、“作品と読者との出会いの機会が増えること”だと思います。
文芸作品は、まず第一に“人に読まれる”ことが、作品と作者にとっての幸福です。読まれなければ、正当な評価を得ることはありません(絶賛でも酷評でも)。
●作品は読まれない
しかし、書いた当人の思い入れとは関係なく、他人はなかなか読者になってくれません。
“読まれる”というのは、作者の頭と指先から生まれた作品が、読者の手に届き、頭の中へと入っていくことです。そして、この過程には、それはもうじつにさまざまな障碍があります。艱難辛苦の道のりです。
だから、作品を読者の頭の中へスムーズに届けるためには、じつにさまざまな努力が必要になります。
だから、作品を読者の頭の中へスムーズに届けるための、膨大なノウハウが蓄積されています。出版業界なんかは、そのノウハウの上に成立しているのです。
●読みにくい要素を排除する
たとえば用語・用字の間違いは、読者がスムーズに作品を読めない一因なので、可能なかぎり排除します。
「小説の新人賞をとるには」といった解説は、本屋でも図書館でもウェブ上でもたくさん読むことができますが、そこでは、まず誤字・脱字をなくせ、ということが、しつこいぐらい語られているはずです。それは、せっかく作品を書いても、誤字・脱字があると、作者のいわんとすることとは関係なく、悪印象や興醒めな感じを読者(選者)に与えて、作品が正当な評価を得る機会が遠ざかるからです。
誤字・脱字ぐらいで作品に悪印象を持つな、というのはムチャな言い分です。作品中の誤字・脱字は、人にものを伝えようとする努力あるいは誠実さが欠如している、という強いメッセージなのです。
(
⇒「新人賞 誤字」でGoogle検索)
作者に対して「ここの字が間違っている」という親切な指摘をわざわざしてくれるありがたい読者はほとんどいませんが、編集者は、作品を読者へスムーズに届けるのが仕事なので、熱心に指摘してくれます。
自分の作品を読者へスムーズに届ける手伝いをしてくれる編集者のいない人は、自分で直します。
そうしないと、作品が読者の頭の中までスムーズに届かないのです。
発表媒体が印刷物なら、手にとって見てみたときの印象をよくすることも大切です(レイアウトや書体、用紙、インクの色、ページの開きやすさ、その他いろいろ)。そしてもちろん、読者(読者候補者)の手に届けるための流通、その他の数多くの障碍も、可能なかぎり排除しなければなりません。
そもそも、読みたいなと思ってもらうためには、魅力的なタイトルをつけ、表紙のデザインに気を配り、宣伝や話題づくりも必要です。
そうしないと、作品が読者の頭の中までスムーズに届かないのです。
努力なしには、作品を読んでもらうことはできません。そしてその努力は、中身以前の問題です。文章を書いて人に読んでもらおうとするなら、要求されて当然のことだと思います。
誤字誤用の殲滅は文学の発展の前提(2) 投稿者:松永洋介
投稿日:2001年 8月20日(月)09時12分43秒
●つけたしの話
その一
誤字に気づいたのはぼくであって、一色さんではありません。
「おおぜい」の意味で「多勢」と書かれてしまうのは“よくある誤字”の一つなので、編集者なら、堤さんの書き込みを見れば事態は大体わかると思います。それに、堤さんのウェブサイトでよく目立つように置かれている作品の、最初の書き出しにその誤字があるんですし。(これが「たぜい」なら誤用です。)
その二
作者が「おおぜい」は「多勢」と書いたほうが感じが出る、と思っていても、読者には、その意図を酌んであげる義理はありません。そのような意図である、という説明があっても、その考えに与してあげる義理もありません。
ぼくの判断では、「おおぜい」と読むのが自然な箇所で「大勢」でなく「多勢」と書いてあれば、誰が書いたものでも、どこに書いてあっても誤字です。
その三
ぼくは、ひとの作品中の誤字・脱字なら、多少は目をつぶる覚悟があります。でも、最初の一文字から間違ってたら「あーあ」と思います。興醒めもいいとこです。その時点でアウトです。
つまりどうなのかというと、『きる』冒頭の「多勢」という語句を、ぼくや、その他大勢の人が「誤字だ」と思うということは、堤さんの作品が、読者を得る機会を逃すおそれが大きいということです。
それは、書かれた(書かれる)作品にとって、とても残念なことです。書いた(書く)堤さんにとっても残念なんじゃないかなー、と、ぼくは勝手に思います。
その四
『きる』がさわりしかウェブサイトに掲載されてないのは、本を買って読んでほしいということですよね。お金をとるからには、小さいなりにも商業出版物として、それなりの覚悟をなさったほうがいいと思います。
商品である以上、買う買わないはお客の自由。誤字イコール商品の傷。ぐじゃぐじゃ言わずに商品の質を高める努力をしてください。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~ysk/
堤花代作「きる」はこちら 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 8月20日(月)04時37分07秒
▼silicaさま
いつもエールをありがとう。とても励みになります。
138 しあわせの構図
139 こぼれる花
わたし自身も好きなところ。
幼い日々の乳白色に光る記憶、さぐりながら書きました。
▼みなさま
下記で話題にしている堤花代さんの作品は、こちらでさわりだけ読めます。
http://www.d6.dion.ne.jp/~usuke/kiru.htm
作品を人に読んでもらうために1 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 8月20日(月)04時32分18秒
仕事の締め切りがあって、すぐにお返事できなかったことをお許し下さい。
そのために、せっかく親切で書き込みをいただいた一色さんにまで、ご迷惑をおかけすることになってしまい恐縮です。
■堤 花代さま
▼あの時、なぜあなたの本を買わなかったのか
わたしは、街で詩集や文集を売っている人を見ると、見過ごしにすることができません。自分の作品を人に手渡したい、伝えたい、読んでほしいと思う切実な気持ちが伝わってくるからです。路上で、自分の本を売るのは、きっと勇気のいることだと思います。わたしにはできませんでした。その勇気を出して、伝えようとしてくる人を、わたしは横目で見て通り過ぎることができないのです。
ですから、立ち止まります。立ち止まって、手に取ります。
けれども、本屋の店先で、手に取った本を再び置くことがあるように、読みたいと強く感じなければ、やはり買うには到らず、元に戻してしまいます。
「きる」というあなたの本を手にとって、どうしても買いたいとは思わなかった。単に趣味の問題です。それは、致し方ないことです。それは、本屋で手に取った本を買わなかったからといって、だれも責めることはできないのと同じことです。
買われなかったからといって、その作品が、だめな作品だとは限らない。その作品が、いい作品かどうか、買うには、そんなことは関係ありません。単に自分の好みで読みたいか、読みたくないか、直感で決めるだけです。
そんなわけで、あなたの本を買わなかったのは、読む前に作品を否定したからでもなんでもない、ということを、まず、ご理解ください
作品を人に読んでもらうために2 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 8月20日(月)04時31分50秒
▼なぜ、誤字を指摘したのか
ページを開いて、わたしはまず?と思いました。なぜなら、意味がよくわからなかったからです。
>多勢で歩く、夜、街並みの風景。
本の1行目に、そう記されていました。「これ、字が違うんじゃないの」と連れの者が指摘しました。それで、わたしはようやく、それが「大勢で、街を歩く」のことなのかと合点がいったのです。つまり、1行目で、けつまずいた。意味さえ、通じなかったのです。
それは、とても残念なことだと思いました。なぜなら、1行目で意味不明だと思ったら、本を手に取った人は、そこであきらめてしまう確率が高い。本屋でなら、そのとたんに「なんだかわからない、むずかしそうな本だな」と思って、また本棚に戻してしまうでしょう。それでは、せっかくの作品が、読まれる機会を失います。
作品を書き、それを活字に打ち、製本して、路上で売る。そこまでの努力をする人が、意識的にではなく、もし単なるミスとして、気づかずに、本の1行目の最初の文字に誤字を記しているとしたら、それはほんとうにもったいないことです。そこまでがんばる気持ちがあるなら、誤字がないように辞書を引きながら、作品を読みかえすことくらい、なんのむずかしいことでもないでしょう。
既成の本でも、誤字があることもあります。けれども、なるべく避けたいと思っているのは、みんな同じ。ましてや、最初の1字目に誤字があるのは、避けたいはず。作家もみんな、それくらいの注意は払っています。人に読んでもらうために、それは最低の礼儀です。そして、せめてそれくらいしなければ、読んでもらえない、ということも、作家はよくわかっているのです。
だから、誤字を指摘しました。もったいなかったから。そんな些細なことで、読んでもらう機会を失うようなことがあったら、気の毒だと思ったからこそ、指摘したのでした。それは「悪いところを見つけて足を引っ張る」ようなこととは、まったく違います。「がんばってください」というエールなのです。
エールを送るつもりがなければ、そんな指摘さえしないで、黙って立ち去ることができたでしょう。
▼なぜ、自分の名前を明かし、HPを教えたのか
あなたのことを、ほんとうにどうでもいいと思ったら、自分の名前など、明かしません。袖すりあうも他生の縁、といいますが、せっかくすれちがったのだから、このままではなく、コンタクトのとれる機会があれば、なにかの役に立てるかもしれないと思ったのです。わたしがもし、あなたの立場で、通りすがりに作家が作品をちらっとでも手にとってくれたのなら、わたしなら、その作家とコンタクトがとりたいと願うだろう、という気持ちもありました。いまは便利な時代で、HPさえわかれば、コンタクトのとれる時代です。実際、あなたもこうしてコンタクトをとってきているしね。そうやって、作家と直接やりとりできるなんて、わたしがあなたくらいの年齢だったころには、とても考えられなかったことです。
もちろん、自分の作品を人に読んで欲しい、宣伝したい、という気持ちもなかったとはいいません。「読んで欲しい」と思う気持ちは、作品を書いた者なら、だれでも同じでしょう。きっとあなたもわたしも。自分は作家だという優越に立っていたら、自分の名など明かすことはなかったでしょう。同じ、物を書く者だと思うからこそ「わたしも書いているんです」と伝えたかったのです。
作品を人に読んでもらうために3 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 8月20日(月)04時30分55秒
▼物書きの先輩として伝えたいこと
そんなわけで、わたしは物を書く先輩として、あなたに接したつもりでした。編集者に読んでもらいたかったら、まず、誤字を正す。それは、少しもむずかしいことではありません。辞書さえあれば、だれでもできることです。その労を惜しんで、せっかくの作品を読んでもらえなかったら、ほんとにもったいない。
けれども、誤字ではなく、どうしてもそのように表記しなければならない必然があるのだとしたら、それは、その人の表現に他なりません。一色さんが
>作家が「巨きい」と用字した場合、その文字づかいを尊重します。
と書かれたのは、そのような意味だと思います。「作家=表現者」であり、なにもプロの作家かどうか、そんなことは関係なのです。作家であろうとも、誤字ではないか、と思われる表記は、編集者から必ず問い合わせがあり「誤字ではありません。意識的にその字を使いました」と表明することで、はじめて採用されるのです。
一色さんは、編集者として、まったく親切で、そのような指摘をくださったのだと思います。だって、プロの編集者が、そんなこと、お金ももらっていないのに、わざわざ言ってあげる必要など、ありませんものね。労力使って。
わたしとて、誤字をなくすために、原稿を渡すときには、最低でも5回は読み直し、徹底的にチェックします。
あなたは、意識的に「多勢」と使いましたか?
どうしてもそうでなくてはならない必然が、あなたの中にありましたか?
それとも、誤字だと気づかず、ただなんとなく使ってしまったのですか。
前者なら、それはあなたの表現として尊重されるべきです。
しかし、後者なら、直すに越したことはない。
そして、例え前者であろうと、作品の1行目の1字目に誤字だと思われる字を持ってくることは、どう考えても得策だとは思えません。どうしても、というなら、仕方ないけれど、それであれば、単なる誤字だと思われて、そこで読むのをやめてしまわれることを覚悟するべきです。その覚悟の上でなお、自己の主張として使うべきです。
▼最後に
エールを送ったつもりが、足を引っ張られたと思われて残念です。誤字を指摘したり、自分の名を明かすのは、好意以外の何物でもありません。誤字を指摘され、読んでもらえなかったので、あなたは悔しかったかもしれない。でも、誤字を書くと、それだけで読んでもらえない可能性がある、という現実を知ることは、大切だと思います。それに気づいたあなたは、得をしたことになります。だって、誤字なんて、すぐに直せるんだから。それだけで、人に読んでもらえる可能性がぐっと広がるんだから、そんなにいいことはない。だれも、あなたの才能を否定などしていません。才能以前に、その才能をわかってもらうためにするべきことを、指摘しただけです。
作家や編集者からアドバイスを受けるいいチャンスを、チャンスだと考えず、単に悪意だと受け取って噛みつくことは、少しもあなたの得になりません。あなた自身を、さらに孤独な場所へと追い込んでしまうでしょう。
そんなことに拘泥せずに、指摘は好意だと前向きに受け止めて、これからもどんどん作品を書いていってください。そのエネルギー、作品に向けないと、もったいないよ。
寮さんへ 投稿者:silica
投稿日:2001年 8月20日(月)01時03分18秒
138 しあわせの構図
139 こぼれる花
とても、好きでした。
矛盾 投稿者:堤 花代
投稿日:2001年 8月20日(月)00時28分14秒
はじめまして、ではないんじゃあないでしょうか。ここに書いた文章を読んだだけで、「多勢」の読み方がどうのと言うのは不可能に近い。多分あの時一緒にいた方なんでしょうねえ。
編集者であるのなら、何故「多勢」が誤用ではないとおっしゃって下さらなかったのでしょうか。「多」にはそのまんま、「多い」という意味がある。「巨きい」と同様、読み方の問題ではないということですね。字面的にも、「大勢」よりも、「多勢」の方が、感じが出る。
「おおぜい」という意味の文脈で使用されているのであれば云々とありますが、辞書にはちゃんと「多勢・・・多くの人。大勢」と載っています。否、例え載っていなかったにしろ、仮にも編集者が、文字から受ける印象や、語呂のよさを念頭に置かず、ただ単に「普通は大勢だ」という感覚でもって、中身を読みもせずに若い作品を切り捨てるのには、はっきりいって閉口する。あまりに機械的すぎる。もっともらしいことを言う誰かの言葉を何の疑いもなく鵜呑みにし、それをあたかも自分の意見のように人に箴言する輩ほど胸糞悪いものはありません。
しかも、「巨きい」は尊重する、「多勢」は誤用とする、その理由がはっきりと書かれていない。下のを読む限りですと、「作家が」用字した場合、とありますので、それは作家なら、つまりは、もう既に文章家としてある程度世に出ている場合ならば、その文字づかいを技術として尊重する、と受け取れる。相手が素人であると、素人が、わざと複雑な語句を選ぶわけがない、普通の尺度ではからなければならない、だからちょっと突飛な言い回しなんかがあった場合には即座に「チェック」を入れてやらないとならない、と読める。
仲の良い人が誰かの文句を言っていると、自分はその誰かを知りもしないのに同調する、下の文章からは、そんな子供じみた印象を受けた。自分の感覚ではなく、既存のもの、上から習ったものでしか判断を下せない、そして、地位のある人のやることなら何でも受け入れる、そういう人が編集者でいる世の中なのだから、本の質が下降線を辿るのも無理はない。排他的で、身内ばかりで、いわゆる小説っぽい言い回しが使われている小説しか認めない、そんなんで文学は発展していきますかねえ。
誤字? 投稿者:一色真理
投稿日:2001年 8月18日(土)22時08分03秒
堤 花代 さんへ
はじめまして。
ぼくは自分自身、雑文書きでもありますが、編集者でもあるので
ちょっとコメントさせていただきたいと思います。
ご指摘の文字づかいは、具体的な使用例が提示されていないので
一般論としてしか言えないのですが、
「巨」という漢字には「おおきい」という意味があるので、
作家が「巨きい」と用字した場合、その文字づかいを尊重します。
「多勢」という言葉はもちろん存在します。
ただし、これは「たぜい」であって「おおぜい」とは読めません。
「おおぜい」という意味の文脈で使用されているのであれば
明らかにそれは誤用として、チェックします。
横やり的なレスで申し訳ないのですが、
私見を述べさせていただきました。
誤字 投稿者:堤 花代
投稿日:2001年 8月17日(金)23時37分37秒
「巨きい」という言葉は、わざと使っているのか。それとも誤字なのか。
ちなみに多勢という語句は存在する。「公明新聞」に連載なさっている程の方がご存知ないとは思わないが。
内容的には無難で、安心して読める雰囲気。四十歳になったら読もうかと思う。まだ二十年近く先の話だが。
掲示板に、「悪い所を見つけるより、いいところをさがして応援し合う方が・・・」とかいう文章があって驚かされた。路上で売っている本のでだしの誤字でないものを誤字と決めつけはなで笑い宣伝だけして帰ったお方ととても同一人物とは思えない。もしかしたら別人なのだろうか。もしそうでしたら大変申し訳ない。
それでは、もしかしたらここの寮美千子先生は良い方かもしれないので、これからも頑張って下さい。
http://www.d6.dion.ne.jp/~usuke/
そろそろ 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 8月15日(水)06時12分58秒
ミチカに大転換点が!
といっても、ただいま執筆中のところだから、
新聞紙面では、ちょっとだけ先ですが。
お盆も机にかじりついている寮美千子でした。
ごぶさたしてます! 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 8月10日(金)16時52分49秒
▼silicaさま みなさま
すっかりごぶさたしてしまってすみません。
マダガスカルのしわ寄せがまだまだ消化しきれず、
予定数の原稿が入稿できなくて、走り続けているわたくしです。
日置さんの挿画は、わたしも毎朝楽しみにしています。
繊細で、すばらしい絵。
打ち合わせもしていないのに、イメージにぴったりの絵ができてきて、
びっくりすることもしばしば。
とても直感力にすぐれた絵描きさんだと感心しきりです。
silicaさん「かわいいもの」が好きなんですね。
わたしもそう。
わたしにとって、いまのところ世界でいちばんかわいいものは、
うちの猫のノイちゃんです。
って親馬鹿ですねえ。
猫を飼う前は、猫自慢、犬自慢、子ども自慢の人を軽蔑していたんだけれど、
わたしがすっかり猫自慢な人になってしまいました。
ホームページ「HARMONIA」の「虎穴」をごらんください。
では、また。
ささやかだけれど、好きなところ・・・です 投稿者:silica
投稿日:2001年 8月 9日(木)21時44分08秒
こんにちは。
ここの掲示板は、ときどき、時間が止まるので、大変緊張いたします〜。
それで、寮さんのこんな文章もとっても好き、というところを、ちょこっと書き出して
おきます。
「かわいい奴さ ぼくのバイクは。歩くんだよ。」・・・・「エンジンをかけたまま止めて
おくだろう。すると、ブルンブルンってうなりながら、少しずつ動いているんだよ。
まるで、早くご主人が戻ってこないかなって、待ちながら、どうしても一歩前へ出ちゃう
犬みたいに。」 (16 砂糖菓子 よりディオンのことば)
・・・出張から戻った父を迎える時はいつも照れてしまって、素直におかえりなさいと
いえなかった。すると父は、わたしをいきなり抱きあげ、髭の伸びかけた頬をごしごし
こすりつけてくるの。痛いよ痛いよといっても、笑いながら、なかなか放してくれない
(19 残像 よりミチカのことば)
「バイクは生き物なんだよ。名前をつけてやりたくなるような。あのころ、人はまだ、
機械を信じていた。 だからあんなものができたんだ。 形だって今のものと全然違う。
掌(てのひら)にやさしい。愛されて生まれたものだっていうのが一目でわかる。」
(22 鼓動 よりディオンのことば)
寮さんのこんな眼差しも、好きです。
P.S. Cafe Lunaの皆さんも時々、「楽園の鳥」のお話を聞かせてくださいね。
素敵な挿絵 投稿者:silica
投稿日:2001年 7月21日(土)21時07分21秒
こんにちは。
「楽園の鳥」No.111 野蛮な天使 では、ミチカさんのお姿が拝見できて、思わず
「まあ、かわいい!」と思ってしまいました。大人の女の人というよりも、まるで
少女のよう。これは、ユダヤ人のおばあさんの時にも感じました。日置さんの絵を近くで
見たらあるいは、そうではないのかもしれませんが、現実の世界から一歩距離を置いた
石の印象が強い絵でおられながら、人物が登場すると、とてもfriendlyでcuteな表情が
加わるような気がいたします。 ほとんど、毎日の連載は、お話を書く寮さんと同じくらい
日置さんもエネルギーを使われることでしょう。 モノトーンの日置さんの絵は、何で、
描かれていらっしゃるのでしょうか?
ちょっと寄り道ですが、寮さん特製のチキン料理、しょうがとシナモンのかわりにパプリカ
をうんとふりこむと、ハンガリアンになります。にんじんやシメジなどを加えてもいいで
す。寮さんのチキンも大変おいしそうですね!
ササヤカに願う。 投稿者:DORONKO
投稿日:2001年 7月13日(金)12時27分59秒
このところの展開、ミチカ、今がツライ時なんだろうなあ!という感じですね。
もっとも、そう簡単にバラ色の未来がやってくるなんてこともないのでしょう
けれども。ただ、読んでいて納得されるのは、ミチカの境遇なりミチカの不幸
というものも、決して外部からやってきて外部(たとえばディオン)が決定して
しまうというようなものではなくて、それは彼女の「内部」からも生まれてくる
ものらしいということですね。かといって、それがどんな「内部」であるのかも、
ソコツ者のぼくにはわかるはずもないのですけれども。
もちろん、一読者として、主人公の行動・挙動をハタから見ていて、あれこれと
「後づけで」解釈することは可能でしょう。そのために術語を提供してくれる
ような本も、巷にはあふれています。……でも、ミチカがまさに「身をもって」
ぼくたちに示そうとしているのは、やはり、そうした学術的な啓蒙書等では掬い
きれない何かなのだろうと思います。
この掲示板への書き込み、とても深いなあと思えるものが多くて、ただの
オッサンというだけでもう部外者のように思えてならないぼくには、ちょっと
勇気を要するのですが、やはりミチカの行く手に、また光が射してきますように、
と願っておきたいと思います。
イヌイビル 投稿者:eulalie
投稿日:2001年 7月 9日(月)23時12分55秒
イヌイビルなのですか!
##なんて書きながら、イヌイビルって耳に馴染みの名前だけれどもどこだっけなあと思っているわたしです(笑)。
地元人間の癖に不覚です。
今度お米を買いに行く時、視察(?)してみます。
そしてふたたびツアー決行!(予定。ね、たきさん)
「楽園の鳥」をよーく読み込んで、もんじゃ屋さんも探してみましょう。
そうしたらまたご報告に。
探検、探検。
うふふ。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6175/top.htm
レス&レス 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 7月 9日(月)01時08分45秒
▼michikaさま
美しいに近いと書いて、ミチカ。
珍しい、すてきな名前ですね。
ミチカといえば、イラストレーターの石川三千花さんが有名。
ちょっと辛口の映画評がすてきですね。
「楽園の鳥」のミチカも、あれくらい辛辣になれれば、
もっと生きやすいのになあ。
▼eulalieさま&たき さま
ごめんね。
物語のなかのビルは、新橋のリクルートのビルじゃないのです。
銀座から晴海に向かっていったところにある
勝鬨橋(かちどきばし)を渡った橋のたもとにある「イヌイビル」がモデル。
近くに、イギリスの中古家具の倉庫みたいなお店もあります。
月島もすぐだし、もんじゃ焼きのお店も実在。
でも、人に連れられていったから、自力でたどりつけないのが、情けない。
作中に出てくる熱帯魚のソフト「アクアゾーン」も実在。
制作者がインド人だというのも、ほんとの話です。
また、探検に行ってね。
▼silicaさま
「おひさま」から「マザー・テレサへの旅」までカヴァーしてくださっているとは、
なんとありがたくもディープな読者でしょうか!
驚きました。
仕事は割合しているのに、範囲が広すぎて散らばっているので、
なかなか世の中に認知されないわたしですが、
silicaさんのような方がいると知って、勇気づけられました。
>それにしても、寮さんの他の小説もボケ〜っとしていては、読み進むことができません。
>本当に五感全部のアンテナがピリピリしていて、
>心地よい緊張感と集中力をともないます。
ごめんなさい。
どの作品も、わたしの作品は読者への要求水準が高いみたいです。
むずかしい言葉は全然使っていないんだけど、なぜかそうなってしまう。
いわゆる「大衆的」じゃないけれど「だから好き」といってくださる方がいるのも、
わたしの勇気になります。
よかったら図書館で『父は空 母は大地』(パロル舎)を読んでみてください。
これも、わたしの仕事のひとつですが、
silicaさんなら、きっと気に入ってくださると思います。
楽しませていただいています。 投稿者:silica
投稿日:2001年 7月 4日(水)12時12分56秒
寮美千子さん、こんにちは。はじめまして。
「楽園の鳥」ぐいぐい、ひきこまれるような文体でおもしろく読ませていただいています。
寮さんの作品は実は、「おひさま」創刊時がちょうど、娘がそれを読む年頃でしたので、
福音館の「こどものとも」とともに取り寄せて購読していました。エルンストやライオン
リーラのお話が印象に残っています。
今年は「ボランティア国際年」だそうで、そのポスターを子どもに描かせてみようかな
と思っていたおりに「マザーテレサへの旅」(ボランティアってだれのため?)という
寮さんの本を見つけました。そこでは、寮さんの体当たりの旅行体験記がいきいきと
書かれていて、私はインドとはこういう国なのか、といっきに読んでしまいました。
(もちろん、子どもにも読ませました。)そうして、寮さんのネット小説に目をやると、
寮さんが大人の小説を連載されていて、そこでは、寮さんのインド体験記がいたるところ
にちりばめられていて、こんなふうに作家さんは、材料を料理していくのだなあ、と
興味を持ちました。私などは一生、インドに行く機会はないように思いますが、
寮さんの描写は本当に道を歩いているようにその国のことを垣間見せてくださいます。
その旅行記的なおもしろさと主人公ミチカの様々な心の世界、相手の心が思う方向と違う
方へどんどん行ってしまうことに対して、自分を責めたり、どういうふうに自分の気持ち
を持っていこうかと悩むさまを痛々しいぐらい見つめる寮さんの目、それが、音楽のように
弛緩と緊張を醸し出していて、このつぎは、眺めている読者をどこへ連れて行ってくれる
のだろう、と目がはなせません。
アッシムの存在がなにやらここにきて、大きくなっているので、ミチカはこの人から何を
見出すのだろう、と興味しんしんです。
それにしても、寮さんの他の小説もボケ〜っとしていては、読み進むことができません。
本当に五感全部のアンテナがピリピリしていて、心地よい緊張感と集中力をともないます。
寮さんの本は、若返りの薬かもしれませんね。(笑)
ミチカさんの明るい未来を応援しています。
「楽園の鳥」ツアー 投稿者:eulalie&たき
投稿日:2001年 7月 2日(月)02時32分43秒
>作中に出てくる勝鬨橋のビルは、リクルートのメディア・ファクトリーの
>入っているビルがモデルです。
・・・と、以前書かれていましたが、それは銀座8丁目ですか?
今日、eulalie&たきは、「楽園の鳥」ツアー(?)を突如決行。
夕闇の中を「ここがあの!!」とカンゲキもひとしお。
けれど、本当にそこがそうなのか??なのでした。
こんにちは 投稿者:michika
投稿日:2001年 7月 1日(日)11時29分44秒
私の名前は「美近」って書きます。
こんな珍しい名前何処にもいないだろうと思ったのですが
いましたね(笑)
「未知花」どんな花が咲くかわからない未知なる花”だなんて何か素敵です
きれいな花を咲かせてくれるとうれしいのですが
michikaさま ドロンコさま 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 7月 1日(日)03時15分51秒
▼michikaさま
同じ名前!
どんな字を書くのですか?
「楽園の鳥」のミチカは「未知花」と書きます。
まだ、作品中に出てこないけれどね。
どんな花が咲くかわからない、未知なる花。
せっかく同じ名前なのに、主人公、ダメ女ですみません。
でも、ダメはダメなりに、必死で頑張っているのです。
ただ、頑張りの方向性がどうもとんちんかんなんだなあ、これが。
それで、事態はどんどんわけがわからない方向へと進化してしまう。
それでもミチカには、どこか強い生命力がある。
とても純粋でフラジャイルな存在なのに、
とんでもない状況を生き延びていく底力がある。
そんな人間です。
どうしてミチカは、そんなふうなのか?
なぜ、危険な方へと歩んでいってしまうのか?
それは、物語の中で、徐々に明かされていきます。
どうも困った奴ですが、同じ名前のよしみで、どうか応援してやってください。
▼ドロンコさま
やさしきご声援、ありがとう!
うう、やっぱり持つべきものは友だなあ(感涙)。
これから、物語はさらなる混沌へ突入!
乞うご期待!
頑張ります。
祝・作者生還ス! 投稿者:DORONKO
投稿日:2001年 6月30日(土)15時58分01秒
欠かさず読んできたというよい読者ではなくて、なぜか作者の知り合いでも
あったりするので、なかなか言いにくいのですが、『楽園の鳥』は、ちょうど
日置さんの絵がこのネット版にも載るようになった頃(86回<光の記憶>)
から、さらなる高みに向けて走り始めたような気がします。自分も含めて、
これほどのものをネットで読むことができる読者は、本当に幸せであるに
違いないと……。
ところで、89回の<街の朝>の「わたしはぎこちなく」以下の文章が重複
していますね。見ればわかることですけれども、係の方、修正しておいて
いただければと思います。
マダガスカルまで日蝕を見に行くというような暴挙?にも出た寮さん
ですが、本人からの報告にもあるように、このほど無事に帰還してくれ
ました。これでもう、この作品が終わるまで、彼女が読者を裏切るような
オソレはなくなったと思います。あとはもう、この破天荒な作者の、
至福の香りを放つ作品についてゆくしかありませんね!
はじめまして 投稿者:michika
投稿日:2001年 6月30日(土)00時22分17秒
私の名前は「みちか」です。今日、自分の名前で検索してみるとここにきました。
物語の主人公が私と同じ名前なんてちょっとびっくりです。
これから少しずつ「楽園の鳥」読んでいきたいです。
帰国! 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 6月27日(水)02時53分09秒
無事、戻って参りました。
日蝕報告ダイジェストはCafe Lunatiqueへ!
http://www65.tcup.com/6509/chico.html
太陽と月に惑わされ! 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 6月18日(月)22時58分43秒
▼
6日21日には、マダガスカルで皆既日食。
どうしても見たくて我慢がならなくなった作者は、
とうとう突発的にチケットをとって、
マダガスカルに飛ぶことにしました。
ミチカと性格が似てるかも?
▼
というわけで、行ってきます。
黒い太陽に会いに。
詳しい情報は、下記Cafe Lunatiqueへ。
http://www65.tcup.com/6509/chico.html
前進の力 投稿者:AYUMI
投稿日:2001年 6月17日(日)13時20分44秒
「おいしい。いままで食べたトムヤムのなかで、いちばんおいしいわ」
「だろう」と、ディオンが自慢げな笑みを漏らした。目尻にできたやさしげな
笑い皺(じわ)が、切ないほどに懐かしかった。
何もいらない、と思った。わたしが人生に望んでいるのは、大逸(そ)れたもの
ではない。好きな男と、テーブルをともにしたい。それが、高級なレストランである
必要など、さらさらない。なんでもない日常の食卓でいい。朝、目覚めておはようと
いい、夜、眠る前におやすみをいいたい。あ、これ、おいしいね、おや、きょうは雨
だね、と日々の些細(ささい)な思いをやりとりしたい。ただそれだけのことなのに。
それだけのことを手に入れるのが、どうしてこんなにもむずかしいのだろう。
わたしは、切ない気持ちでディオンを見ていた。箸を握る手の形や、目尻の皺を、
限りなく愛しいと思いながら。
時が止まればいい。この瞬間が、永遠に続けばいいのに。
そう願わずにはいられなかった。
<71:祝祭の炎>
私には上手なことは言えないのですが・・・
内田春菊的な「さらけ出し方」「傷」があるように、ミチカにはミチカの
傷つき方、さらけ出し方があるのだろうと思っています。
私にはミチカはなんとも正直な、寮さんがなんとも純粋なひとだと思える
表現の数々に出会い、感動しているのです。
純粋さは傷つきやすさにもつながるのでしょうが、ひるがえると、傷つくことを
恐れない、寮さんが仰ったように、「傷つくことのできる強さ」を持って
いるから純粋でいられるのだという、そんな気がしてきました。
「純粋でいられる強さ」というのでしょうか。
傷つくことよりも先に、純粋でいることを恐れることの多いなかで
彼女は確かに危うい個性をもちながらも、なんと正直なのでしょうか。
<祝祭の炎>を抜粋させて頂きました。
最初に読んだときは、え?もうなに?と、なんて愚かしい女なんだと
思いました。ミチカを嘲笑しました。それはかつての自分を私が嘲笑して
いたからです。でも、次の瞬間には、たまらなく懐かしい、大切だった時間、
という気持ちが起こりました。善悪という物差しをあてない肯定です。
「大人の判断」でいえば、愚かしい。
だけど、寮美千子という作家はそういうことも含めて書いている、と私は思って
います。
作者はこの「楽園の鳥」という素晴らしい作品を、自分が会得してこられた
大人の判断、を表明するために書いているのではないだろうから。
いつのまにか感じることを否定してカチカチになった角質のような感受性。
ミチカの内面を辿る道すがら、私は自分の能面のような顔を観ています。
「なんとか生き抜こうとしている。
たとえ方向性が、間違っていたとしても。
自己を防衛して壁のなかに閉じこもるという方法ではなく、
自己をさらけ出しながら、生きる意味や価値を求めて、
なんとか前進しようとしている。」
寮さんのこの一言は深いなあと、思いました。
私はそんなミチカとともに雨に打たれ、黒い太陽を見ながら歩きたいきがしています。
恋人には裏切られ、ひとには罵倒され嘲笑されるかもしれません。でも、ミチカの
人生はミチカのものでしかありませんよね。。。
私は考えてみると、悲観楽観に関わらず、過ぎ去った何かを、自然に振り返っていて
ひとつの過去に、囚われ、どうしてもそこから離れられないこともありました。
それでなにかを掴もうと、わかろう、ともがいていたのでしょう。
今わからないものは、わからない。と、そう決めるまでが苦しかったように思います。
むしろここで一切をやめ、無になって、空っぽになって、捨て去って、振り返らず、
前へ前へ一歩も引かない。ひたぶる進む。・・
途中の姿でも、目先の結果でもなく、
苦い涙を流しても、何が生まれたか今は見えなくても、何かを生もう、進もうとする心。
価値は、そこに創られ生まれるように思いました。
その「前進する力」が萎えることが、傷つくことよりも、一番の正念場のような気が
しています。
寮さん、お返事をありがとうございました。
傷つくことのできる強さ 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 6月17日(日)00時29分08秒
>バンコクで、ディオンと再会してからの数章は、いいですね。・・
そういってくださって、ありがとう。
久しぶりに旧い友人に電話をしたら、
バンコクでディオンと再会してからのミチカ、
どうにも苦しすぎてやり切れないとの評をもらいました。
「だいたい、自分が疲れた顔していたら、相手が嫌がるだろうとか、
そういう回路って、わたしにはないなって思ったの。
疲れた顔を見せたくないんだとしたら、
それは、相手にどう見えるか
じゃなくて、
わたし自身が、そういう弱みを外に出したくないから。
意地っ張りってことかなあ」
言外に「男の顔色見て行動する女なんて、最低!」という嘆息が。
(いや、言外どころか、そのものずばりか)
「内田春菊の告白物の小説。
あれは徹底的に自己中だから、いいのよね。
いっそすっきりしている。突き抜けているもの。
ミチカって女は、自分で何をしているか、わかっていて、
それで抜けられない。うじうじしている。
そこがもう、うんざりなのよねえ」
このように徹底的にへこまされた後だったので、
AYUMIさんの感想、とてもうれしかったです。
ミチカは確かに困った奴です。
それに、本人も気づいている。
でも、やめられない。
なぜか?
だいたい、本来的な自己防衛機能が壊れているとしか思えない。
それでいて、本人は必死。
なんとか生き抜こうとしている。
たとえ方向性が、間違っていたとしても。
自己を防衛して壁のなかに閉じこもるという方法ではなく、
自己をさらけ出しながら、生きる意味や価値を求めて、
なんとか前進しようとしている。
ミチカはある意味フィラジャイルな心の持ち主だけれど、
別の意味では「傷つくことのできる強さ」を持っているのかもしれない、
と思うのです。
AYUMIさん。
引用していただいたところ、自分でも好きな一節です。
これからも、ミチカを応援してください。
コーヒーブレイク 投稿者:AYUMI
投稿日:2001年 6月15日(金)16時40分34秒
「わたしは、壊れていた。さらに、ひどく壊れようとしていた。
ディオンのせいではない。ディオンに会うずっと前から、壊れていたのだ。
ぼんやりとしたさみしさ、などという生やさしいものではなかった。
孤独という名の野獣が、身体の内側を食い荒らし、皮膚を蹴破って飛びだして
くるほどのさみしさだった。誰かに求められ、愛されていると感じる瞬間だけ、
その獣から遠ざかることができた。
だからいつも、誰かを求めないではいられなかった。」
<野獣>
撃たれる遥か以前から、神経をゆっくりと腐らせていく凶器。
そんな甘美な、そして残忍な凶器が、ほかにあるだろうか。
わたしもそれを撃ちこまれた。やさしく甘い言葉とともに、
心と肉の奥深くに。そして、もう腐りはじめている。
そのせいで、こんなところにいるのだ。目的もはっきりしないまま、
呆然と立ち尽くしている。腐った果実のような匂いを漂わせながら。
<甘美な凶器>
失礼ながら、抜粋をさせていただきました。
胸を揺さぶられる寮さんの文章は、随所にちりばめられていて、
ひとつひとつあげていくと他にもたくさんあるのですが
読んでいて不意を衝かれて、涙がにじみます。
あっという間も無く、自分がどこか遠くに行ってしまいます。
乞食のように愛情を求め、常に相手を愛しすぎ、求めすぎ、
少しの行き違いが、燃えるような確執の火種になり、いつも
相手の顔色をうかがう、そんな敗色の濃い人間関係に
ぼろぼろになり、絶えず何かに怯えていたようにおもいます。
どうしてあんな日々を送れたんだろう。
自分は「被害者」で、可哀相な心の優しい温かい人間、の
筈でした。なぜ自分がこんなに孤独なのか。わかりませんでした。
命の底は、絶え間ない猜疑心と「利用された・する」という価値観。
心の内奥に、いつ爆発しだすかわからない不発弾を抱えて、
これをどうにかして!と、手渡す相手が欲しかったのでしょうか。
内側から自分を食い破るような、ものすごいマイナスの
エネルギーに衝き動かされ、自分以外のものに翻弄されながら
生きていた頃を思い出しているこのごろです。
忘れようと必死で蓋をしてきて、ほぼ無理やりに忘れていたの
ですが、今ちょうど思い出してもいいよという時期がきたの
でしょう。私なりに、いつのまにかジャングルを抜け、克服
下と思っていたのですが。
バンコクで、ディオンと再会してからの数章は、いいですね。・・
寮さんの作品に出会えて、いろんな謎が、とけるような気のする
この頃です。コーヒーブレイクに、読ませていただきました。
日置由美子さんの挿画、掲載開始! 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 6月15日(金)00時36分57秒
▼
AYUMIさんがいち早く書き込んでくださったように、公明新聞のサイト
「楽園の鳥」で、挿画も掲載されるようになりました。
もしかしたら、新聞印刷よりクリアー?
モニターの透過光で見る日置さんの画、また別の魅力があります。
快くご承諾くださった日置由美子さん、
そして、毎日の作業をしてくださる公明新聞のサイト制作の矢田さん、
ほんとうにありがとうございます。
みなさん、ぜひご覧になってください。
http://www.komei.or.jp/komei_news/syousetu/syousetu_index.htm
運命の渦 投稿者:寮美千子
投稿日:2001年 6月15日(金)00時33分17秒
▼AYUMIさま
ありがとう。
こんなふうにミチカを受けとめてもらえて、ほんとうに励みになります。
実は、ミチカの行く手には、まだまだ数多くの困難が。
「どうしてそんなにいじめるの?」という声も聞こえてきそう。
あわせて「ミチカ、しっかりせい! いつまでそんな男に関わっているんだ」とか
「ディオン! 甘えてるよ、きみ!」という怒りの声も聞こえてきます。
まったくディオンもディオンなら、ミチカもミチカ。
わたしも同感ながら、物語の渦は、運命のように変えられない。
いや、ならばこそ、運命を変える強い意志があれば、変えられるのか?
そのきかっけは、一体どこに?
依存症患者のための、こんな励ましの言葉があります。
「神よ。
わたしに、変えられないものを受け容れる心の平静と、
変えられるものを変える勇気を、
そして、そのふたつを見分ける智恵をお与えください」
何が、変えられないもので、何が変えられるものなのか。
孤立無援の異国の地で、いかに生き抜いていこうとするのか。
すでに片手を放しながら、もう一方の手で生きることにどん欲にしがみつくミチカ。
>マイナスイオンに満ちた海の中に、半ば溺れかけている
>彼女に、読者として、ひきつけられ同化していく。
>同化することが快感になってもいく。
>読むのが辛いのに、読まずにはいられません。
つらい旅です。
ミチカもがんばりますが、わたしもがんばります。
どうか、応援してください。
廃墟の光の中から 投稿者:AYUMI
投稿日:2001年 6月14日(木)10時38分49秒
寮美千子さま。
今日の「86回 光の記憶」読ませていただきました。
光に圧倒されるミチカ、脆弱な、震える「私」。
それでも、光の津波を、小さな額に照り返しながら
進んでいく彼女に、読んでいる私が同化していきます。
初話から、行間にある不穏な予兆や湿り気に惹かれました。
ここ一月くらいにかけての、彼女の内面描写と、ディオンの
振る舞いの絡み方には、苦しい溜息が出ます。
忘れかけていた痛みが蘇り、胸が痛くなり、息が苦しくなります。
時には腹が立ったり(?)もしながら、寮さんもうやめて下さいと
言いたいような気持ちにもなりました。
ミチカにも「もうだめ!なにしてるの!!」と怒りたくなります。
(きっとそれは他の読者の皆さんも同じですね・・)
切ない文章、表現の洪水です。
6/12掲載「混沌の闇」で、南国の夜の描写、そして章末の ---
しっかりと目を見開いて受け止めればいい。見えている、それだけ
しかない。想像力のなかで増幅された恐怖に比べれば、その方が
ずっと楽だ。すべては眩しい光のなかに、くっきりと存在していた。
栄光も悲惨も、過去も現在も。
未来だけが見えなかった。
・・・ここは、凄いです。毎回が、胸に迫ります。
過去は、主の私に振り返られることもなくなり、
忘れ去られた都の、古戦場の廃城のように、心の闇にありました。
寮さんの「楽園の鳥」を読んでいると、忘れていた痛みがぶりかえし、
心の廃墟に光が灯って、そのなかで蘇った「栄光」と「悲惨」が、
くっきりと立ち上がってきます。
読むのが辛いのに、読まずにはいられません。
過去を振り返ってばかりいては、前進できません。
私もあまり、そうした自分が好きではありません。
過去を忘れ、捨て去って、一歩も引かない気持ちが必要な
時もあるでしょう。でも、心というのはあまりに自由で、
心ほど自由なものはないんだと私なりの発見です。
空と同じで、境界線がなくて、低く飛んでいるかと思えば
一気に雲の上まで駆け上がることもできる。
次の瞬間、自分の心が何を思っているか、予想も出来ない。
紐でしばったりくくりつけておくことが、ほぼできない。
過去に「拘泥する」ことと、生きる「糧にする」ことは
違うのだろうと、そんなことを思います。
寮さん。どうしてこんなことをこんな文章、描写を書くのかな。
嫌じゃないのかな。ひとつひとつの堕ちて傾いていく感情を、
寮さん自身、一つ引きずり出したらどんどん溢れてきてしまう
のかな。寮さんはよほど純粋なひとではないかしら・・。
いろんなことを考えながら読みました。
マイナスイオンに満ちた海の中に、半ば溺れかけている
彼女に、読者として、ひきつけられ同化していく。
同化することが快感になってもいく。
新聞本誌は毎朝届けていただいて、車に積んで通勤しますが、
朝はなかなか開く時間がないので、ついデスクでWebから読む
癖がついています。挿絵もOnWebされて、素適です!
はい。仕事中です・・。反省。
今日ははじめての投稿なのでお許しいただいて、これからは
自宅のノートで個人アドレスから、ゆっくり投稿させていただ
こうと思います。長くなりまして失礼致しました。