寮美千子ホームページ ハルモニア Cafe Lunatique (No.0016)

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吉木克実  ななしさま。このあまのじゃくっ!! 2002年07月25日(木)13時46分15秒
吉木克実さま へのコメント

2ちゃんねるチックがきつすぎるって書いたのにぃぃぃっ!!!!!!
わざとだな?
このあまのじゃくっ!!(藁

正直あなたののりは個人的に嫌いではありません。
ROMなんていわず、時々でもいいから参加してくださいな。

これからも「また〜り」と、2ちゃんねる覗かせていただきます。

ありがとね!

ななし  吉木克実さま 2002年07月24日(水)23時41分36秒
ななしさま。 またやっちまった・・・ へのコメント

釣られてくれてどうもありがとさん(w

>だけど、そこに根っこを生やそうが、ROMにとどめようが、
>選択権を持つのは僕だし、僕の自由だろ?

そのとおり。(マジ
熱くなれるのは、いいことでつ。(マジ

このくらいで気を悪くしてたらにちゃんはできないでつ。
たのしかたーよ。

ちなみに、ここに落ち着く気も、議論する気も無いので悪しからず。

寮美千子さま

まず、掟破りですんまそん。

いいことゆうじゃん。
禿胴。

りあるで参加すると、あの、「個人の責任で、個人で行動している人の集合体」の、
会館は、くせになりなすよね〜。

じゃ、ROMにもどりまーつ。

ほんとは馬締な、ななしより

寮美千子  ヴァーチャルとリアルの和音と不協和音を楽しむ 2002年07月23日(火)02時28分10秒 http://ryomichico.net
ばあちゃるとりある へのコメント

▼ななしさま
>ま、嵐と言われるのは目に見えてますがね。ひとこと。
としょっぱなから威勢よく脅してくださったわりには、すてきにフレンドリーな投稿。ありがとう。楽しく読ませてもらいました。

この掲示板は「掲示板の使い方」に書いてあるように、まず自己紹介をお願いしています。2ちゃんねるとは違い「顔の見える発言」をポリシーとしていますので、いまからでも、ひとつよろしくお願いします。

現実は強い。現実を見ずして語ると、とんでもない思い違いをすることもあります。逆に、現実に埋没して見えなくなることもある。ヴァーチャルとリアル、互いに交感しながら、ものごとが進んでいくのが、やっぱり健全。和音や、不協和音を奏でながらね。カフェルナは、かなりヴァーチャル寄りだったので、リアル寄りの方がいらしてくださって、とてもよかった。こんどは、コテハンか実名、ぜひ名前を背負って遊びにきてください。


実はわたし、7月14日の「神南団扇祭り」に参加しました。といっても、わからない人には全然わからない。当然です。これは、2ちゃんねるのオフ会の一種。以前、カフェルナでも取りあげた日木流奈くんのNHKスペシャル「奇跡の詩人」に関して「異議あり!」と声をあげた2ちゃんねるの人々が、「異議あり!奇跡の詩人」というシールと、説明文を貼った団扇千本を、NHK前で配るという催しだったのです。その団扇も、みんなで自腹切ってつくったというのだから、すごい。シール貼りも、家内制手工業状態。

いろんな人の集まりでした。普通、集会というと、なんだか同じ毛色の人々が集まる物だけれど、これが見事にばらばら。胸がすくほどです。

弁護士の滝本太郎氏も来ていました。滝本氏は、法律家であるということで、2ちゃんねるの面々の理論的支柱になってはいますが、基本的にはあくまでも参加者の一人。「きゃあ、有名人、いっしょに写真撮ってください!」なんていうノリもある一方で、単なる参加者、という面もあって面白かった。

2ちゃんねるのオフに参加したのは、二回目。「奇跡の詩人」のビデオを見て番組検証するための新橋オフに参加したのに次いでです。いろいろと報告したいこと、考えたい材料もいっぱいあります。うーん、書いてる時間がない。


ともかく、インターネットというツールは、グーテンベルグの活字発明以来の、世界変革に寄与する道具だと思う。しかし、それが世界をどう変革するかが問題。なるようにしかならない、というのも一面事実だけれど、望むべき姿をイメージして試行錯誤することも不可欠だと思います。

活字が、結果的に中央集権を強化したのに対し、インターネットは権力や情報の一極集中を破壊し、別の力を発揮させる可能性のあるツールです。しかし、だからこそ、権力はこれを統制しようとしたがる。

2ちゃんねるは、いま現在進行形で壮大な実験をしているのだと思います。損害賠償で訴えられても、安易に閉鎖したりしないでがんばりつづけるひろゆき氏(2ちゃんねる主催者)はエライ。ほんとにエライ奴だと思う。

ただ、すべては未知だから、いい結果だけがでるとも限らないし、弊害も噴出してくる。上からの権力によらずに、いかに「世論」として自律的にこれをコントロールしていけるか。そのへんが問われているのだと思います。結局ダメだよね、権力で縛らなくちゃ、ということになると、わたしたちは自らの首を絞めることになる。

そんなこんなで、書きたいことも山積ですが、いかんせんいろいろあって、なかなかじっくり書けません。せっかく2ちゃんねるリンクからやってきてくれた人々とも、ろくに言葉を交わすことができなくて、残念に思っています。

もうすぐ、今年二度目の北海道ツアーに出ます。アイヌの方々のところを訪問する予定。それから戻ってきたら、少し腰を落ちつけられるかもしれません。そしたら、たっぷり話そう思っています。じゃあ、またね。

▼吉木さま
先輩! 投稿は、ゆっくり息を吸って、10数えてからにしましょう。

吉木克実  ななしさま。 またやっちまった・・・ 2002年07月22日(月)17時24分16秒
気持ちよくたってそれを選ぶのは僕の自由だろ? へのコメント

自己レスです。
まあた感情に流されてしまった。

いやいやごめんなさい。
うるさいはいけなかった。
せっかく2ちゃんねるからおでましいただいたのに・・・

ただねえ・・・
ぼく個人としては、あまりに2ちゃんねるチックなにおいがきつすぎて、
ちょっと力強くひいてしまっただけですので、あしからず。
ほんと。ごめんなさいね?
もし気を悪くされたようでしたら、、ぼく個人をお責めください。

吉木克実  気持ちよくたってそれを選ぶのは僕の自由だろ? 2002年07月22日(月)17時14分28秒
ばあちゃるとりある へのコメント

うるさいなあ、過去ログよく読んでそういうことを言うんかい・・・
別にここの板のみんなが、2ちゃんねるをどうかしろって言ってるわけじゃないだろ?
2ちゃんねるの存在と継続に期待している人間だっているんだよ。
ギコが出てこないからとか、そんなつまらないことで乗り込んできたわけじゃないよね?
だったらさ、少し腰落ち着けてみる?
机上の空論が好きなやつこの板にはあまりいないよ?

現地に行ってもいないのにっていうのなら、それは認めて謝らざるを得ないね。
ごめんなさい、掲示板で見ていただけです。
一人一人に会って、実際に確かめてきたわけではありません。
ですから、一般論的な議論の流れがあったことは認めます。

2ちゃんねるが気持ちいいってのはわからないわけじゃないし、
否定なんかしていないさ。
だけど、そこに根っこを生やそうが、ROMにとどめようが、
選択権を持つのは僕だし、僕の自由だろ?
ほかのみんなだってそうさ。

それに、ごみ拾うだけが体動かすってことじゃないだろ?
嵐でも海苔でかきこもいいけどさ、ここの板ではここの板の流れ方を認めてくれよ。
せっかく前向きになろうってみんなそれぞれ懸命なんだから。

批判には答えもするし、謝る事もある。
でも荒らすだけなら無視させてもらうよ?
どう? 少し腰落ち着けてみる?

ななし  ばあちゃるとりある 2002年07月22日(月)11時17分14秒
カフェルナ正常化に向けてのお願い へのコメント

ま、嵐と言われるのは目に見えてますがね。ひとこと。

ここでの議論(?)は、「ばあちゃる」。(みんなひっk・・・?自粛)
「りある」で参加したものとしては、なんだかなぁ・・・である。
えー、つまり「机上の空論」が嫌いな海苔のいいやつらが
ただ集まって、面白がってやっただけだよ。
だいたい、「2ch来たことあるんかい!」って思いますね。

論点をすりかえるのはやめましょう。
karada ugokaseya! goraa!
というところですな。

2chのスレだったら、「厨房」扱いのレスしてすんまそん。
(2chらぁの皆さん、たたかないでね。)

とにかく、みんな、中に入ってごらん、気持ちいいから。

DORONKO  個人的な経験。 2002年07月20日(土)12時13分54秒
忙しそうで何よりです。 へのコメント

勇崎さんや吉木さんから、過分なお言葉を頂戴して、ちょっと
身のおきどころに困るような気持です。

ただ、どうしてぼくがあんなことを書いたかと言いますと、
それはやっぱり、「海の向こう」に行ったときの経験という
ものがあると思います。ぼくは、10数年前に2年ほどフランスに
いて、大学のフランス語のクラスに通ったりしていたことがある
のですが、最初は、アラブ系の国から来た連中とかは、とにかく
話すことが「熱く」て、「もっと静かに話してくれよ?」という
気がしたものですが、やがて、ある程度親しくなると、彼らの
話し方もとてもおだやかになって、実にいいやつなんだな、と
わかったりするようになるのです。もちろん、個人差はあります
けど。
で、韓国―朝鮮の人間たちにも、似たような傾向があると、ぼくは
感じています。最初に彼らから受ける印象にブロックされて、
「その先」が見えなくなったりするのは、あまりにも惜しいじゃないか?
というのがぼくの考えです。

それと、とくにイタリアを旅して回った時の経験もありますね。
ある町で、同世代の人間たちと親しくなって、そこで半月ほど
居候したことがあるのですが、とにかく彼らは、目の色とか
髪や肌の色などまるで気にならないらしくて、一応は「友だちの
友だち」であるような初対面のぼくに対して、「やあ!」という
調子で、ひたすら気さくに話しかけてくれるのです。もちろん、
何かと親切にしてもらいましたが、それも、決して過剰だったり
せず、とてもサバサバしたものであったことを、ぼくは今でも
忘れることができません。

ちょっと脇道にそれてしまったかも知れませんが、異なる文化や
異なる歴史を背負って生きてきた者同士が深く理解し合うためには、
もっと「生身の」出会いが必要だろうと思いますし、それには
当然、時間もかかりますよね?

吉木克実  忙しそうで何よりです。 2002年07月20日(土)03時22分25秒
現実はもっと前を歩いている。 へのコメント

僕自身も仕事に埋もれてアップアップしている状態で、ついつい我を忘れて言いたいことだけ言ったりして・・・
なかなか性格は直らんもんです。
自分自身カッカしながら何かおかしい、「こんな事言いたいのか?ほんとに?」
なんて感じで、とりあえず自分に引っかかったところだけ反論してました。
でも、勇崎さんやDORONKOさんのおっしゃるように、
差別だ逆差別だの論争は、実は非常に不毛なわけで、現実目の前にある事象に対してどう行動するかが、
一番大切なのだと思います。

もちろん、歴史的に引き継がれてきた言葉の意味や、そこについてまわる感情が、
(相手の傷の存在をを理解しようとするという観点では)大きな意味を持つことに変わりはないと思いますが、
それによって現在が縛られてしまうのは、確かにどう考えてもよろしくない。本末転倒だったりしますよね。

DORONKOさんいわく、

>ぼくは、相手が友好の気持を込めて差し出す手ならば、しっかり握り
>返したいと考える人間です。(悪事への加担を求められるような場合は
>別ですが)それを払いのけるような真似は、多分ぼくにはできません。
>まして、あの韓国の少年少女たちを前に、イカメシイ顔をするなんて
>願い下げです。

とくに、「願い下げです」に、感激しました。
たったそれだけのことが原点だと思うのですが、それを他人に伝えようとして理屈にすると、
もうその時点できっかけとなった気持ちから離れてしまう。
やはり、他人と共感し、また共存するというのはなかなかに難しいものだと、いまさらのように考えてしまいます。

勇崎さんが忙しいというのは、申し訳ないけれど、僕は楽しみなんです。
一仕事終えた勇崎さんの投稿はいつも「もう一歩先へもう一歩!」、という感じで、
「エネルギッシュだなあ」と思っています。
自分も元気をもらったみたいでわくわくしたりしちゃうんですよ。
今回も、「一区切りついたら」の投稿楽しみにお待ちします。

・・・・・・「現実はもっと前を歩いている」うん、そうですね。
いい仕事期待してます。



勇崎哲史  現実はもっと前を歩いている。 2002年07月19日(金)03時52分20秒
四方田本、もう一冊! へのコメント

DORONKOさま>
同感です。
韓国モノを軒並み5冊+αを読破しての、単なる知識レベルのことですが、
差別だとか、嫌悪だとか。時代が食べ残した重箱の底をつついているような行為は無意味に思う。もちろん歴史の事実は事実として認め、それを忘れてはならない。それでもなお、韓国の現実は、このような観点自体を、もうすでに超えているように感じました。
いわば、僕(たち)自身の意識の“構造改革”が求められている。
古い構造の思考の中で韓国(と日本の関係)を語っても、ドアは開かない。
現実はもっと前を歩いている。
僕が理想としたい、この世界のすべての辞書から“差別”という文字が抹消される未来。
僕自身のなかに、そんな未来がおしよせていることのリアリティが生まれ始めています。
とにかく、韓国に行くのが楽しみで、楽しみで、楽しみでなりません。

投稿を1ヶ月封印したのですが、いま、ぼけーっと、東川賞海外受賞者との電話連絡待ち時間。貴兄のレスがうれしくて、ぼけーっとしてるなら、レスしよう、っと思ったのでした。
20日から東川町入りです。写真の町東川町でお待ちしています。

あっ、いま電話がきたぞ。
これで、眠りにつけそう。

ATAXUS  ご無沙汰していますATAXUSです。 2002年07月18日(木)19時27分54秒 http://www.asahi-net.or.jp/‾ak5t-kmn/hawaii.htm

寮さん、ご無沙汰しています。ATAXUSこと久門(殺人事件で、正しく読めるようになった人が増えた)です。

いつもとは言いませんが、ときどき覗かせていただいています。

何で書込みしないのと言われたら、私がつまらないことを書いて雰囲気を壊したらいけないと思っているからなんです。何故、見にくるかといったら、大抵は心地よい気分になるからです。それと、何か寮さんの身に大変なことが起こってやしないかと心配して...ときどき事件があるみたいですね。今も事件かな?

ここが心地よいのは、お世辞でなく寮さんの性格が出ていて、親しい仲間と楽しく意見を交わしているからだと思います。

寮さんは、一見、無茶なことをしたり言ったり、しているみたいですが、人の心とか気持ちを大事にしている人だと思います。After September 11(こういうタイトルでしたよね。間違っていたらすみません)に行きましたが、ご本人がおっしゃるような過激なものとは感じませんでした。

気持ちが通じるというのは、時に難しく、分かってもらいたいのに、分かってもらえないと泣いたり、大泣きするしかないんですよね。でも、これも見ていて面白いけど・・・。

これが正しい、これは間違っているという議論は、やはり不毛な議論になることが多く、何故不毛になるかというと、心とか思いやりとかからだんだん離れていくからではないでしょうか?
よく「差別」の問題で、いやな思いをするのは、形式的にこれは差別、これは差別でないと、人の心や気持ちと無関係に決めつけられるからではないでしょうか?

日本人とアメリカ人がディベートをやると、たいてい訓練を受けていない日本人が負けると思いますが、自分の本心と無関係に先に答えがあって、それを論理的に正当化するための訓練っていうのは、本当に必要なのかなあと思ったりします。


寮さん、突然の乱入お許し下さい。
何か、常連の方が引いているみたいので、チャンスとばかりドサクサにまぎれて踏み込んでしまいました。はやく正常化されることを願っています(私が壊している?)。


目玉のおやじさんへ追伸(私信すみません)
僕も、春ごろからハングル始めました。少し読めるようになって、韓国のヤフーでハングル入力の検索(ナビ=蝶について)もしてみましたよ・・・。

秋吉 優史  お騒がせしております 2002年07月18日(木)07時47分04秒

寮美千子様,はじめまして。

お騒がせしてしまって申し訳ありません。
さすがにちょっと板違いだなと思ったんですけど,
長文投稿出来るところが少ないのと,2ch 等の掲示板とは雰囲気が違って
意見は色々あれども皆さんまじめに議論されているのがとても好感が持てたので
おじゃまさせていただきました。

せっかく寄ったついでと言いますか,ここにいる方を理解するためにも
もちろん元のページも回らせていただこうと思います。

ちなみに私も大酒飲みで趣味でバーテンダーのまねごともしていたりします。
日本では大森の宮崎さんにお世話になっていました。

板違い,スレ違いな部分でご迷惑をおかけしたと思いますが,
御指摘いただければありがたいと思っております。

寮美千子  カフェルナにようこそ 2002年07月18日(木)03時18分12秒 http://ryomichico.net

nameless solderさま
zukunasiさま
辻井 豊さま
秋吉 優史さま

2ちゃんねるのリンク経由でいらしたみなさん、はじめまして。ご挨拶が遅れました。カフェルナ店主の寮美千子です。しがない物書きです。

この掲示板は、カフェで友人たちと飽かずに語り合うように、興味ある問題をみんなとじっくり語り合おう、という趣旨でつくりました。コーヒーも、もちろんアルコールもたっぷりあるCafe Lunatiqueです。酔っぱらいも時々きますから驚かないでくださいね。

いままでは、ここでおしゃべりしていく人のほとんどがわたしの友人知人、あるいはわたしの本の読者の方々でした。いわば、仲間うちの掲示板だったわけです。

ところが! この度、2ちゃんねる系列でリンクが張られたため、寮美千子の掲示板だから、という理由ではなく、そこで話されている話題に興味のある方々が来てくださいました。カフェルナとしては、事実上の新展開といっても過言ではありません。

2ちゃんねる「湘南ゴミ拾いオフ」に関して、想像力が膨らんで机上の空論的に空回りをしているカフェルナに、実際に参加された方や、2ちゃんねるウォッチャーの方が参入し、真摯な意見を寄せてくださったのは、実に有益でした。さらに話を深めるいいきっかけになりました。ありがとうございます。

個人掲示板というのは、つくづく面白いメディアだと思います。自分の家の庭でバーベキューをしながら語り合うような、そんなパーソナルな場所でありながら、広く世界ともつながっている。きわめて個人的でありながら、公共にも開かれている。旧知の人と語ることもできれば、見知らぬ人とも議論できる、不思議なメディアです。

個人と公、その兼ね合いをどうするか、そのへんは主催者の意識とコントロール能力にかかっているかもしれません。Webという新しいメディアゆえ、わたし自身もまだしっかりした方針も立てられませんが、手探りで少しずつ方向を見つけながら、みんなにとって、よりよき討論の場にしていければと思っています。

そんなわけで、この掲示板には個人掲示板の側面もあります。できれば、わたしの著作一覧だけでもご覧になっていただければと存じます。よろしく。

ご意見を寄せてくださったひとりひとりの方と、わたしもさまざまな会話をしたいのですが、いまちょっと忙しくて、ゆっくりと書いている時間がとれません。残念です。また、ゆっくり書かせていただきます。これからも、カフェルナと、酔っぱらっていたりいなかったりするわたしの友人たちを、よろしくお願いします。

DORONKO  四方田本、もう一冊! 2002年07月17日(水)23時15分53秒
追伸:韓国を知る へのコメント

四方田犬彦氏vs韓国ということでは、以下の本を見落とすわけには
いかないでしょう。

四方田犬彦「われらが<他者>なる韓国」平凡社ライブラリー
                  (¥1,400+税)2000年6月刊

これは、あまりお安くはありませんが、究極の「自然体」とでも言いたく
なるような著者四方田氏の澄んだまなざしが、猛き心も静めてくれる
のではないかと思います。


さて、今回のワールドカップ、問題も多々あったということは、ぼくも
認めるのにやぶさかではありません。しかし、TV(某局でなかったことを
祈りたいと思います)に映し出された韓国の人々、とりわけ多数の少年や
少女たちが「日本も一緒に決勝に行こう!」と語る光景は、ぼくには
とても新鮮でしたし、時代が大きく動いているという印象を受けました。

ぼくは、相手が友好の気持を込めて差し出す手ならば、しっかり握り
返したいと考える人間です。(悪事への加担を求められるような場合は
別ですが)それを払いのけるような真似は、多分ぼくにはできません。
まして、あの韓国の少年少女たちを前に、イカメシイ顔をするなんて
願い下げです。

以上。

吉木克実  韓国問題、吉木は降参です。 2002年07月17日(水)20時56分44秒

最初に、突き上げる感情のまま、論調がきつくなっていたことお詫びします。
秋吉さんの「理系の研究者」の一語に過剰反応した結果、揚げ足取りと紙一重ですね。
辻井さんと同じく僕も「理系の研究者」を目指したひとりです。
そんなわけであれは、過去の自分の考え方を省みて、御自分が「理系であること=ニュートラルである」と同義に位置づけるという過ちに陥らないでねという警鐘のつもりでした。

辻井さんにしても秋吉さんにしても、それぞれご自分の中に一定の韓国感をお持ちだと思いますし、僕もそうです。
僕の中での問題は、個々の韓国感の問題ではありませんでした。

秋吉さんのおっしゃるように、

>ただ・・やっぱり一日本人として,日本人を,またその文化をけなされたら
>怒るのは当然だし,それに関して遠慮は要らないと考えます。

そのとおりだと思います。
しかしそれは韓国の人たちも同じではないでしょうか?

僕が言いたかったのは、「韓国人」「日本人」として、すべてを一くくりにして事象を考える論法の危うさです。
また、伝聞について、それをそのまま鵜呑みにして自分の判断のよりどころにしてよいのかどうかということなのです。

辻井さんのおっしゃるように、人はそれぞれ自分で守るべき生活を営んでいます。
それを犠牲にしてまでとは僕も思いません。
そうではなく、単に世間の「のり」に乗ってしまうような真似はしたくないということなのです(秋吉さんはそれなりに根拠をきちんと示していらっしゃいますから、秋吉さんのことではありません。蛇足ながら念のため)。

「俺はお前より知っている」的な論争も不毛ですよね。
重箱の隅を針でつつくより箱そのものを見たいと僕は思うのです。
と同時に、箱の中身は、大量生産されたクローンばかりとも思っていないのです。

辻井さん、こんなところで量子論が出てくるとは思いませんでしたが、いや、おっしゃるとおり。
少年時代「マクスウェルの悪魔」なんて本で目が覚めた僕は鳥肌が立ちます。うれしくて。
・・・と、横道にそれそうなんで話を戻しましょう。

まあ、そんなこんなで僕個人は、韓国問題に関しては一区切りつけたいと思います。
韓国人、朝鮮人の友人はいますが、まだ、一度も現地に足を踏み入れたことのない僕にはこれ以上国家としての韓国や朝鮮を自分の視点で論じるだけの自信はありません。

ただ、善きにつけ悪しきにつけ、相手を断定するには、それなりの裏づけが必要であるということに間違いはないと思っています。
そういった意味で僕は「善意の懐疑心」を持ち続ける生活者でありたい。
作為の感動や扇動された悪意に目を曇らせることなく、自らの視点を保てるように努力したいと思っています。

勝手に降参してしまってごめんなさい。
これ以上もし議論をなさりたければ、メールでどうでしょう?
僕の知らない情報を知りたいと思う気持ちはあります。
ネットという摩訶不思議な場所で知り合ったのも何かのご縁ですね。きっと。
ではでは。

目玉おやじ  よくある誤記 2002年07月17日(水)20時00分10秒

些細な指摘で済みませんが、多くの読者のいるページで宣伝すれば効果が上がると思いまして。

>かなり的を得ているのではないかと思います
      ̄ ̄ ̄ ̄
「的を射た」とか「当を得た」というのを混用して、「的を得た」と書く人が大勢います。
何故か「当を射た」とは言われない。それから、
「名誉を挽回する」とか「汚名を返上する」を混用して、「汚名を挽回する」なども多いけど、
汚名を挽回しちゃったら困りますよね。

ちょっと古い記事の引用ですが、
>どおりで、浮世離れしてると思った。
  ̄ ̄ ̄
「道理で」は「どうりで」で、「お手本通りに」は「おてほんどおりに」という風に、
「どう」「どお」「とう」「とお」なども紛らわしいですね。
「等位」は「とうい」で、「遠い」は「とおい」。

だからどうしたの?っていう訳じゃないんですが、「どおり」は寮さんの記事だったのでついつい、クラスメートのお節介です。

秋吉 優史  また長文失礼します 2002年07月17日(水)13時58分18秒

# お昼に結構な量を書いていたんですが,ブラウザが吹っ飛んで消滅・・・
# エディタで下書きしてから貼り付けるようにします・・・

どうも,思いもかけない方に話が行ってしまっているようですが・・・
もちろん理系だからニュートラルである,文系だから・・・
というような意図は全くありません。誤解を招く表現で申し訳ありません。

ただ,辻井氏も書いておられるように,自然という人知を超えた相手を対象とする場合,
ニュートラルに実験結果を捉えることが出来なければ,
とんでもない結果を導いてしまいいかねないため,そうあるべきだしそう心がけている,
というような意味で受け取っていただければと思います。
実際予想していたのと全然違う結果が出ることなんてしょっちゅうですから,
ニュートラルにそういうもんかと受け入れざるを得ないと言うか・・・
悲しいかな全ての研究者がそうであるとは言えないのですが,
何らかの固定観念で見てしまうと見えるべき物が見えなくなると言うのは
どの分野でも同じだと思います。思考過程に於けるロジックの深さという点では
確かに文系の方が優れているのではないかと思います。
わし等の論文なんて実験結果まとめただけとか多いですし(^^;

伝聞,ソースの不確かさについては全くその通りで,現時点では私は確かであると
判断しましたが,一般に納得してもらうにはまだまだ多くの情報が必要だと思います。
また,今後自分の判断が変わることもあり得ます。
この点,ほぼ断定的に書いてしまったのは軽率でした。とにかく情報が必要です。
色々な切り口から見た,色々な層の情報が。
統計資料なども,ちょっと質問の仕方を変えたり,収集方法を変えたり,
対象となるサンプル層をかえるだけでいくらでも違う結果が出てくると思います。
とりあえずこちら(バージニア州)で韓国人に接する機会があったら
それとなく聞いてみようかと。

本当の「真の実態」というのはそれこそ神のみぞ知る,ですから,
ある程度妥当性のある抽出法で切り取ったいくつかの情報を元に
全体像を類推するしかないわけですが,こと今回のように,「人の心」
が対象になると,一人の人間の中でだって確定的でない物ですからねぇ・・・
確かに難しいです。
ただ,今回の韓国の件で言えば,国を挙げて捏造,歪曲した歴史を教え,
反日教育をマスコミ,学校で行っており,国の体制として言論統制がある,
というような事実は立証しやすいですし,間違いないのではないかと思います。
その細かい内容,例えば大統領が替わるたびに教育方針の変更があったのか,
言論統制があったとしてどのような内容に対してなのか,
というような点に関してはより深く掘り下げていく必要があると思います。
あと,儒教的な男尊女卑は,かなり強烈に根付いているというのは,
実際に接した人たちからも感じました。
女性の社会進出などの統計が欲しいところです。
# 次期大統領は女性という話しもあるようですが・・・
また,あの国の民族の気質の分析は,かなり的を得ているのではないかと思います。
もちろん全員がそれに当てはまるわけないですし,正反対の人だって居るでしょうが,
これまで接してきた人,ネットでの情報を総合したベクトルの向きとして。

詰まるところ,有限の情報のなかで神のみぞ知る正しい全体像に近い方向を
模索していくしかないわけで,その中では実体験も伝聞も情報のピースの一つに
過ぎません。あとはいかにその情報を評価していくかという過程を
ニュートラルに行えるか,という点に尽きるのではないでしょうか。

もちろん,掲示板で電波を発しているような極端な韓国人は全体の中の割合として
それほど居ないのではないかというのは常識的に分かっているつもりです。
統計的広がりの中のすそ野の部分であると。
洗脳といっても宗教団体のような逃げ場のない状況で強力に,
というわけではないので,それほど積極的な行動に出る人間は少ないでしょう。
しかし,心の根底になんとなくそういう意識が植え付けられるというのが,
実は一番やっかいであると思います。
表に出ない分,ディプログラミングはしにくいでしょうから。
そして,一人一人のベクトルは小さくても,それの総和を取った場合に,
はっきりとした方向性を示すことになる点で,少数の人間が大きいベクトルを持つよりも
危険であると考えます。
これが権力を握る人間が何かの意図を持った場合に恐ろしい点だと思います。

ただ・・やっぱり一日本人として,日本人を,またその文化をけなされたら
怒るのは当然だし,それに関して遠慮は要らないと考えます。
そんなのを野放しにする方が悪い,と。

それからデマに関してですが,確かにネットが普及し,
見る目を持ち事実を調べる手段が増えたとはいえ,
まだまだマスコミを盲信している人間が多いということですね。
今後どんどん自分の目で見て自分の頭で考える人が増えていくに違いない,
いや増えていって欲しい,という感じです。
明らかにあの文おかしいですね。すみません。
ただ,少しずつ変わりはじめてはいるはずです。
まあ,ネタをネタと知って面白いから騒いでいる,という
確信犯もいっぱい居るでしょうけど・・・

一般の社会というのはお互いを信頼するところから成り立っています。
何も信じられなかったら水も飲めないし食べ物も食べられませんからね。
それを騙すのはいとも簡単であり,騙されないように気を付ける側よりも,
騙す方が圧倒的に有利です。(中島らもの著作中にもこういう表記がありました)
しかしこれからの世の中は自分の責任に於いて防衛を行っていかなくては
ならないのではないでしょうか。ちょっと悲しいですけどね。
特に権力側から流される情報に対しては厳しい目で見ることが必要ですね。
私の場合,昔からマスコミ(特にテレビ)の言うことなんて信じてませんでしたが,
左に寄った教育や新聞で知らないうちに洗脳されていたのを知ったときはぞっとしました。

それから,もっともっと言いたいことを言えるという風潮が大事だと思いました。
たとえそれが間違っていたとしても,それを正してフォローする,
頭から否定せずにその可能性について考える,というのがないと,
物事はいつまでたっても先に進みません。
だから,吉木さんの意見もとてもありがたいと思いました。
うんうんいいよ,いいよ,OK,OK ばっかりというのは,
それは見放されている考えています。

失敗を失敗と認め,その中から次への糧となる物を見いだすというのが
今の日本をここまでしたのではないでしょうか。
まあ,バブル崩壊させちゃったりしてあんまりほめるのもどうかとは思いますが。
昔日本人のマナーの悪さにすごく海外で評判が悪かったという時期があったと聞きますが,
それを恥と思い,反省して学び取った結果,現在日本人の評判はそれほど悪くありません。
もちろん例外の日本人もいっぱい居ますし,相変わらず東洋人を見下す白人も居ます。

その点で,http://academy.2ch.net/test/read.cgi/korea/1025709173/
なんか読んで大変ためになったんで,ほんのちょっとだけ韓国に感謝か,
という感じです。何も無かったらこんなこと検証しませんからねぇ。

2ch に限らず,いろんな人が居ていろんな意見を持って当たり前なんです。
人数多かったら賢いのもいればバカも居ますし,まじめなのもいれば
悪ふざけが好きなのも居ます。それをそういうものとして受け止めた上で,
自分にとってプラスになる(もちろん短絡的にではなく)様な使い方をする,
っていうのが賢いネットとの関わり方ではないでしょうか。

2ch がいわゆる「プロ市民」的な,大衆先導の旗手として捉えられる向きがありますが,
今回の off の経過を読めば分かるように,
そんなに物わかりのいい奴らばっかりじゃないですよ・・・(--;
ある意味まとまりが無いとも言えるし,多様性を保っているとも言える。
http://fuji1515.tripod.co.jp/funa.html
にも書いていますが,
「祭りが終わったらさっさと解散して日常に戻る組織,これ最強」
です。ゆるーい結合,という点がポイントです。

一応上記リンクからの自文の引用。
-----------------------
ここでもし 2ch の人間の一部がきっちりとした組織を作り始めて
組織だって抗議運動を続けたとしても,その結末は見えているでしょう。
確かに一時的に効率は上がるでしょうが,結局内部の分裂や目的と手段のすり替えで
自己崩壊していくことは過去の歴史から明らかです。
全員が同じ方向を強制する組織には動脈硬化が待っているだけです。
-----------------------

# ああ,結局最初に書いてた文より長くなっている・・・失礼しました。


征木高司  前略・寮美千子様/矢川澄子さんのこと。 2002年07月17日(水)13時28分13秒
▼Review Lunatique:追悼・矢川澄子氏/その少女のような人の背中にはいつから翼が生えていたのだろう へのコメント

つい先日、矢川澄子さんの最期の著書『アナイス・ニンの少女時代』(河出書房新社刊)を読みました。発行は5月30日です。
巻末に『あるモデルの話』というニンの小説の翻訳があって、透明なエロティシズムがただよういい訳でした。上品すぎず下品にもならないという意味で透明でした。
その翻訳を除いた最期の文章を屹度まだお読みになっていないと思うのでご紹介します。

《アナイス・ニンの少女時代を求めるわたしの旅も、そろそろ終わらなければならない。》

恐らくこの文章がパブリックにされる最期のモノでしょう。

明らかに《遺書》だと思います。 

死後発行される著書を遺書にするなんて、見事です。

以上。用件のみ 匆々。
 
征木高司拝

辻井 豊  横レスになちゃいます、ごめんなさい。 2002年07月17日(水)03時00分25秒

 どうしても気になったもので、失礼な横レス覚悟で書きますね。

 吉木克巳氏の“理系の研究者が果たして「ニュートラル」の代名詞といえますか?”以下云々について。これって、あえて指摘して議論するようなことかな、と思ってしまいました。
 学生時代、私は“理系の研究者”を目指していました、挫折しちゃいましたけど。そんな学生時代、量子論の入門書で“人間は神のごとき正確さで物事を計ることはできない”と言う記述を読みました。とても衝撃を受けました。著者は、この概念こそ量子論の真髄である、そんなことを語っていました。(ちなみに、アインシュタインは“神はサイコロを振らない”と発言しています。この発言についての経緯は、あたってみると面白いです)
 秋吉優史氏の“私は理系の研究者なので,特にニュートラルに物事に接しなければならない機会が多いため”の発言も、前述の“人間は神のごとき正確さで物事を計ることはできない”、そう言った意味合いからではないかと解釈しています。違っていたらすいません。
 “理系vs文系”形の議論は、ちょっと……、と思ったもので。この議論は、できれば、秋吉優史氏ご本人の次スレで、打ち止めになればいいなと……。

 あと、もう一つ、思ったのですが、人、一人の動き回れる範囲、経験できることって、個々人それぞれですよね。だからこそ、いろんな人と接触して、知識を補いあって、見聞を広めることは重要なんだと思います。ですから、“実体験vs伝聞”形の議論が、もし、始まってしまうようなら、できれば、やめてください、とお願いしたいです。

 失礼な勝手なレスですいません。ご批判ありましたら、よろしくお願いいたします。

吉木克実  理系の研究者はすべからくニュートラルなの? 2002年07月16日(火)15時30分24秒
一連の韓国批判につきまして へのコメント

秋吉さん始めまして。

理系の研究者が果たして「ニュートラル」の代名詞といえますか?

寮美千子の青いナムジル草稿に対する投稿以来、この掲示板では客観性と検証の態度に関する意見が多く見られます。

もしお時間があるようでしたら、過去ログもぜひ目をお通し頂きたいと思います。

ニュートラルは理系人間の特質とはいえないでしょう。
僕は、思考の論理性において文系の人間が理系の人間に対し、アドバンテージを発揮している場面を多々見てきていまし、一件異質なテーマから、共通する問題点や、普遍的矛盾を見出すのは、むしろ文系の人間に多く存在しているように思えます。

また今回の秋吉さんの投稿も、伝聞が多いようですが、いくら数々のソースや発言者の信憑性からとおっしゃっても、それが本当に現在の韓国全体を正確に表していると言い切れるだけのものであるかどうか、僕には疑問です(国としての流れと、人々個人−民意−の流れとは必ずしも一致するとは限りませんし)。

デマがそれほどの影響力を持ち得ないとする箇所は到底納得できません。
日木流奈君ブームにしても、一切の疑念を持たなかった人々が非常に多かったからこそのベストセラーだったのではないでしょうか?
あれだけの部数が(しかもあれだけ怪しいNHKの放映後であるにもかかわらず)売れた事実は端的に現実を語っていると思いますが?

と、だいぶ批判(あるいは否定とさえ取れる)めいた書き出しですが、秋吉さんの投稿の後半部分の論旨である、「大本営発表を鵜呑みにするな」は、僕も異論ありません。

恐らく、秋吉さんとは思想的背景も信条も大きく異なると思いますが、2ch、マスコミ等に対する自分自身の身の置き場にに関しては同質かなと感じます。
その割りに前半部分に検証が不足しているように感じ、あえて突っつかせていただいた次第です。

素のまま、有体に相手を受け入れ、論議するのが、秋吉さんのポリシーであると僕は解釈したのですが、それで僕の解釈は正しいでしょうか?
レスお待ちします。


zukunasi  お返事 わが身の事について少々 2002年07月16日(火)13時55分00秒
再び「持ち前」への回帰 へのコメント

お返事どうもありがとうございます。

色々な掲示板に書きこむことがありますが、いつも思うのは「自分の発言にどんな反応が返ってくるのだろうか」と言う事です。

ところで今回の件については何が起こっていたかなどはもう既に沢山の方が書いていらっしゃいますし、私の身の回りの事について少々書いてお返事の代わりにしようと思います。

私の考えのねもとには間違えなく「反権力」や「反社会」というものがあります。学生の頃から自然保護や原発問題に首を突っ込み、様々な厄介ごとを少しづつ手をつけていました。そんな経験の中で気が付いた事があります。すべからく問題は変質していくという事です。今回の湘南ゴミ拾いオフも第一日目と二日目で多少運動のイメージが違ってきたことが複数の日記やレポートから散見されます。変質して行く過程で、本来の任務を忘れ「運動のための運動」になってしまうことが多々あります。「リーダーシップ」の麻薬に酔ってしまう人も多いでしょう。もし2chがこれから暴走することがあったとしたら、悲しいことですが、潰さなければいけないかもしれません。私はこのインターネットの世界で、現実といかにリンクしていくのか、興味を持ってこれからも見ていきたいと思います。

これを機会にこの掲示板もROMさせて頂きます。楽しそうなところにはフラフラと寄ってしまうのですね。きっと。

秋吉 優史  一連の韓国批判につきまして 2002年07月16日(火)04時34分58秒

初めまして。
わたしも 2ch から流れてきましたが,2ch自体をちゃんと読んだのは
ゴミ拾いoffが初めてです。
しかし,昔からマスコミに対する不満は非常にありましたし,
小,中学生の頃は歴史,それも男の子ですから近代戦史に大変興味がありました。
東工大の研究室に10年ほどおりましたが,そこで実際に韓国人,中国人,
インドネシア人など色々な民族,文化の方とも接する機会を持てました。

その上で言わせていただきすが,現在のマスコミの韓国に対する報道姿勢は
異常以外の何物でもありません。
2chで嫌韓な発言が多いですが,それ以上に韓国寄りの発言,偏向ぶりです。
別に,韓国を叩く発言をしろと言っているわけではありません。
大事なのは,
「何故ありのままのことを伝えないのか」
という点です。
今回の off はその点に対しての抗議であり,韓国を「叩く」のが目的ではありません。

そして,最終的にフジテレビはこの件について明らかな黙殺,偏向報道を行いました。
大勢の人間画素の中継を見守っていると言うことを承知の上で。
これこそ,「背筋が寒くなった」以外の何物でもありません。
こうして我々はだまされていくのかと言うことを目の当たりにしてしまったのですから。
# 現在アメリカ在住ですが,動画で報道内容は確認しています


ここにいる皆さんは現在の韓国がどういう状態だかご存じなのでしょうか?

「韓国は,国を挙げて反日教育,捏造,偏向に満ちた歴史教育を行っています。」

また,儒教的考えにより極端な男尊女卑,人種差別が行われています。
ただ,これもネット経由の情報であり,どこまでが真実だかは厳密には
言えないところもありますが,数々のソース,及び発言者の信憑性からいって
ほぼ間違いないものであると私は判断しました。
判断を強制することはしませんが,是非より多くの事実に接して欲しいと思います。

ちなみに,在日韓国人は日本の状況や世界の状況に触れる機会が多いため,
それほど偏った考えをする方は少ないようです。
# もちろん極端な方もいらっしゃいますが・・・

マスコミ,及び教育の影響力はとてつもなく大きいのです。
それをもっとも端的に表しているのが戦前の日本なのではないでしょうか。
今韓国はまさに戦前の日本と同じような,極端な右傾化,洗脳状態にあります。
もちろん一部良識のある方がいる事は知っています。
しかし,日本の現状,世界の現状を声高に叫ぶと親日罪(正確な名称失念,すみません)
というそれこそ戦前の治安維持法と同じ扱いで逮捕されたと聞きます。
現在アメリカ在住のためその方の「親日派のための弁明」(またも正確な名称失念,すみません)は読む機会がないため,果たしてその方が本当はどういう容疑で捕まったのか
はしりません。

我々はもっと自分で考え,判断しなくてはなりません。
疑わしい情報に対してはソースの提示を要求し,
背後関係,全体像をつかむ必要があります。
全体の中の 1% の人しか言っていないことでも,
それだけを取り上げて残りを報道しなけれはそれが差も全体の意見であるかの
様な印象を持たせることが出来ます。しかも「嘘」はついていません。

私も過去に日本軍はアジアの様々な国で残虐な行為を行いアジアの方々には
申し訳ないという気持ちでいました。
事実,戦争をやっている以上現地の自由民を巻き添えにしたこともあるでしょうし,
全ての兵の統率が完璧に取れていたとは考えにくいですから
報道されているような残虐行為もあったはずです。
しかし,それ以上に欧米各国に占領されていた国々を(結果的にとはいえ)
解放することに繋がり,それほど悪く思っていない人々もいるということも
同時に教えられないのはどうしてでしょう。
マレーシアの方とのやりとりを見ていたのですが,欧米の植民地統治から
解放されたことによりそれまでの権益を失った華僑の人たちの間では
反日,嫌日感情が高いとも聞きました。
このような,色々な事実の両面,裏表,広い範囲のことをマスコミ,教育は
伝えていません。

これでは真の友好などとはほど遠いのではないでしょうか。

大事なことは一人一人が自分の力で考え,既成概念に縛られず,
常にある事実の裏側を考える癖を付けると言うことです。
我々が常識と思っている事実は必ずしも真実ではありません。
私は理系の研究者なので,特にニュートラルに物事に接しなければならない
機会が多いため,自然とこういう癖が付いていますが,
まだまだ「大本営発表」を鵜呑みにしている人が多すぎます。

その点,2ch はもともと嘘と煽り,捏造なんて当たり前の所ですから,
皆さん比較的慎重に情報を取捨選択競れていると思います。

どなたかが一人有能なアジテーターがいれば大衆は簡単に煽動出来る,
というようなことをおっしゃっておられましたが,あくまでもあの人たちは
個人個人の判断の元に自己責任で集まった方々です。
内部では疑問視する声,方針に納得出来ず,別の行動を起こそうという方,
一生懸命がんばっている人を冷やかす声,いろいろありました。
そういう色々な意志,意見が共存出来るところがネットーワークの
いいところではないでしょうか。

昔の大衆はデマで踊らされたようですが,今ここまでネットワークが発達し,
多くの情報が飛び交う中,デマはそれほどの影響力を持ち得ません。
裏付けとなるソースや事実背景がないので,見る目を持った人たちは
簡単に見抜いてしまいます。今後ますます一般の人々もそういう目が要求されるし,
また実際ネットワーク人口の増加に伴いそうなるでしょう。

しかしまだまだ一方的なマスコミなどの圧力には追いついていません。
自称 IT 大国を謳う韓国であれだけ世界から隔離された価値観を保ちうることが
一つの反証となるかも知れません。

ちなみに,かの国では滅茶苦茶な文化教育を施しているというのが,
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/korea/1025709173/
を読むと良く分かると思います。
このスレッドは非常に理知的かつ論理的に検証を行っているので一読に値するかと
思います。自国の文化を見直す良い機会になりました。

ちなみに・・・差別がどうのこうのという感情で見ている時点でそれは韓国の人たちに
対する重大な侮辱です。
差別をしちゃいけませんよ,というのはあくまでも明らかに劣るもの,
弱者に対する感情です。
韓国人を劣等人種だとか言う教育を受けてそういう意識が根底にあるならともかく,
ニュートラルな人間はそんなこと思いもしません。
ただ,それと韓国人のことを嫌いというのは全く別次元の問題です。
アジアの他の国々でも韓国人が嫌われているというのは統計資料として出されています。
マレーシアの方とのお話の中でもリアルな感情として語られていました。

ワールドカップ以降,世界中でその傾向が顕著になるのは確実でしょう。
それまで知らなかった物を知ってしまったんですから。

また,在日韓国人は社会的弱者どころか,税制上の優遇,民団,総連などの組織の
後ろ盾などて,むしろ現在の日本の裏を牛耳って居るとも言われています。
ただこの件に関しては明確なソースが無く,事実の一面であることは否定出来ませんが,
今後より深く追求しなくてはならない問題であると考えています。

マスコミ,教育の現在の偏りの陰にこれらの団体の圧力が示唆されていますので。

私はもっと事実が知りたいです。

P.S. 以下の URL にも長文掲載していただきました。



http://fuji1515.tripod.co.jp/funa.html

勇崎哲史  追伸:韓国を知る 2002年07月16日(火)02時45分59秒
再び「持ち前」への回帰 へのコメント

一色さま&今回の一件で韓国に興味を抱かれたみなさま>
おつたえするのひとつわすれてました。
今回の韓国行きに先だって、僕は5冊の本を選んで購読しました。
そのなかで、特にオススメは次の2冊です。
いずれも四方田犬彦氏の著作です。

四方田犬彦「ソウルの風景」岩波新書-赤749(¥700+税)2001年9月刊
四方田犬彦「NHK人間講座『大好きな韓国』」日本放送出版協会(¥560+税)2002年6月刊

値段も手頃で、よかったね。

勇崎哲史  うしろ姿 2002年07月16日(火)01時06分55秒
再び「持ち前」への回帰 へのコメント

一色さま>
杞憂であろうと一石投じられ、ネットの使い方について、また新たに気づかせていただきました。Thanks。これ一色さん→(ダダ)(タダ)←これ僕。(@@)←これパルステラさん。(・・)←これ寮さん。(ハ)←これ目尻。(バ)←これ鼻毛。なんのこっちゃ。
確かに、この世で一番わからない存在は自分自身であり、その“持ち前”を知ることは困難ですね。自分自身のうしろ姿が見れないように。
僕は、ちょっとだけ恵まれていたことがあったかも知れない。それは、ちいさなときから伊福部昭という音楽家の存在と生き方を覗き見れたから。
一色さんがローカリズムではなく、ネイティヴ。ネイティヴとは“持ち前”と発せられたとき、僕がすぐに頭に浮かんだのが、伊福部昭でした。生き方もその音楽もローカリズムではなく、ネイティヴ=“持ち前”そのものなのです。
もし、伊福部昭に興味がありましたら、下のURLをクリックされ「伊福部」で検索してみて下さい。音楽にも触れて。
ほんとうに、僕はこれからどん底的佳境。ほんとうにほんとうに、以後の投稿は約1ヶ月休眠します。

BBS.cgi?b=cafe&search=&_k=%1B%24B0KJ%21It%1B%28J&_o=1&_s=0

一色真理  再び「持ち前」への回帰 2002年07月15日(月)14時34分02秒 http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/
本当に飛び入りで済みません。 へのコメント

ネットの不調でなぜか書き込めない! というメールを一色真理さんからいただいたので、寮美千子が代理アップします。どうしたんだろう? 他にも書き込めない人いたら、寮美千子までメールください。>寮美千子
>zukunasiさん、nameless solderさん
 ご自分の体験をもとに真摯なレスをしていただいて、有り難うございます。韓国へ
の差別意識と、ゴミ拾いオフを結びつけたぼくの杞憂的発言については、十分納得で
きるご返答をいただけたと思います。
 zukunasiさんの次の言葉は、今回のぼくの提起に対する一つの共通理解としてよい
のではないかと思いました。

>今回のこの湘南ゴミ拾いオフは成功でも失敗でもなく終了したで良いと思います
>し、今回のようにそれを基にして、自己を省みたり、私のようにマスコミの問題点を考
>えたり、人それぞ
>れの捉え方を許す教材のように記憶されるものではないかと思っています。

>寮さん
 ぼくの発言が今回の事態の引き金を引いてしまったところがあるみたいで、申し訳
なく思っています。ぼく天秤座なんですよね。だから、寮さんの発言のバランスがど
っちかへ振れ過ぎたかなあと思うと、つい反対の書き込みをしたくなっちゃうんです


>勇崎さん
 どうもです。韓国へ来月行かれるんですね。ぼくは95年に韓国へ行って、向こうの
詩人たちと交流したんですが、行ったのはちょうど光復節、つまり日本への戦勝記念
日の直前で、しかも日本の植民地支配の象徴である総督府が爆破されるという時だっ
たので、ソウル市内は日本へのとげとげした雰囲気が漂ってました。韓国の人たちは
日本の帝国主義によって、まさに「持ち前」を奪われてしまったわけですから、しか
たないですよね。でも、韓国の人たちの気持ちを肌で感じられたのは、とても良かっ
たと思います。
 「持ち前」の問題って、難しいです。ぼくは30代で、ある女性(寮さんの言う「歌
姫」)との出会いで、自分の持ち前だと思っていたものが180度変わってしまうとい
う体験をしました。自分の持ち前って、自分が思ってもみない無意識の底に埋もれて
いたりして、自分のつけている仮面みたいなものをべりべり一つずつ剥がしていかな
いと、なかなか見つからない。人や書物、芸術作品と出会うことによって、思いがけ
ずそういう仮面が剥がされ、本当の自分が少しずつ分かってきたかな、と思うこの頃
です。寮さんの「小惑星美術館」との出会いも、ぼくにとってそういう体験の一つだ
った。この掲示板でいろいろな人と出会い、意見を交わすのもそうです。時には血を
流すことも必要だと思う。仮面が肌と分かち難く貼り付いてしまっている場合は、自
分一人の力ではなかなか剥がれない。そういうときは人の切っ先を受ける必要があっ
たりする。ぼくの場合は・・・ということですが。


勇崎哲史  道具とメディアの本質 2002年07月15日(月)13時06分01秒
本当に飛び入りで済みません。 へのコメント

来月、生まれてはじめて韓国の土を踏むことになる僕にとって、2チャンネルを巡る、韓国蔑視問題にも言及された議論?から、いろいろ学ばせていただきました。ありがとうございます。
ただ、僕は机の上でウダウダやり合って他者の言葉を知識で押さえ込むようなことは性に合わず、野に向かう発想と行動しか考えたくありません。

インターネットはインタラクティブな道具性を持ったメディアです。道具やメディアは人間の欲望を拡大させた“かたち”であり、大きな道具には人間の隠しきれない多くの欲望が如実に表出されるものです。

僕(たち)は、インターネットという、かつてない道具とメディアを手にしました。そこは、学ぼうとする欲望、人間的な出会いを求める欲望から、知る欲望、さらには他者を貶めることで自らを安心させる欲望から性を極度に消費する欲望まで、かつてのどの道具やメディアよりも広範に発揮させてくれます。

僕はちゃんと見てはいないのですが、2チャンネルというのは、そういった人間の多様な欲望が曼陀羅のように単に表出された世界だと思います。つまりは僕たち人間の本性の写し鏡。道具や文明が発展しても、肝心の人間自体の精神的な本質が進化するわけではなく、そのギャップがストレスになって新しいタイプの悲劇を産むに過ぎません。

道具やメディアの本質とは、そういうものだ、という認識が必要かと思います。

僕が2チャンネルをちゃんと見ないのは、人間の欲望の恥部まで知るのが恥ずかしいし、怖いからであり、いまさら面倒くさいからです。
しかしながら、人間の欲望や本性は決してネガティブなものばかりではありませんし、新しい道具やメディアは僕たちを新しく素晴らしい世界にも導いてもくれます。そのひとつの象徴的な現象が今回の「ゴミ拾いオフ」という「新しい行動パターンの発明」です。

もう少し解りやすく話せば、例えば「包丁」というのは調理する欲望を満たす道具ですが、人間を殺傷することも出来ることは、誰にもわかることだと思います。道具やメディアの本質を認識していれば、2チャンネルの罪悪だけを問題視して議論するのは、「包丁」の殺傷力だけを議論しているようなもので、当たり前すぎて面白くもなんともないことに気づかれると思います。
「負(ふ)」のファクターを語るのは一見シリアスなことなので、無視できない。議論のための議論というのは、その無視できないという人間の弱みにつきこんだ創造性のない消費行為。

僕(たち)は、インターネットという「包丁、あるいは時空を超えた画期的な万徳ナイフ」の新しい使い方を、実際使う中で発見したい。なかでも人間をほんとうに豊かにしてくれる、そんな使い方を、机上の議論ではなく、ちょっとした行動のなかで発見し、新しい行動パターンを発明したい。

カフェルナやカフェルミ、レビュー・レナティックなど、この一連のサイトはその可能性を具体的に発見できる場として、僕は参加していますし、これからも期待しつづけています。

吉木克実  言葉の意味ということ 2002年07月15日(月)12時54分23秒
チョンコー と チョン へのコメント

言葉はその言葉を発した者によって、言葉の意味ではなくその言葉が「使われる意味」を与えられるってことでしょう。
だから、僕はここで、ある単語の起源や使用方法について議論なんかしたって何の意味もないと思う。
ある言葉を聴いて特別な感情を持つ人もいるんだってことをはっきり知ればいいだけなんだと思う。


勇崎哲史  写真によるふたつのコミュニティ創造宣言 2002年07月15日(月)01時45分19秒

ひとつ前に投稿した江原道寧越郡(カンウォンドウ・ヨンウォルグン)の写真の郡宣言の日本語訳は以下の通りです。ご参考までに、1985年に行った「東川町写真の町宣言」文をコピペします。
この宣言に託された理念は、全く共通するものであり、江原道寧越郡(なかでも寧越市が中心)と北海道東川町は、その共通する理念の実現のための永い辛苦と歓びを共有し合う、共感の関係に導かれることを意味します。
実は、「東川町写真の町宣言」文は18年前、30数歳の僕が、草案から最終稿まで一人で書き上げたもので、町はそのまま受けとめてくれ、6月1日の朝、宣言式において高らかと読み上げてくれました。(以後常々思うのは、なんとと稚拙な文章だったなあ、ということです)
寧越郡の宣言文を韓国からメールでいただいたとき、僕はうれしさを2つ噛みしめました。ひとつは、僕の考えた理念が、迷惑ばかりかけてきた国の人たちの役に立つことができること。もうひとつは、現在人口7500人の日本の小さなコミュニティ(東川町)の実験的な試みが、外国に真似をされた、ということです。しかも市町村レベルを超えて、郡という広域なところでです。
東江写真祝典の開催内容も実は東川町国際写真フェスティバル(愛称:東川町フォトフェスタ)をモデルにしています。この模倣性について考えてみたのですが、韓国の人々は「オーソドキシー(正統性)」と「オリジナリティ(本来性・独自性)」を極めて重んじる文化を持っているそうです。つまり、模倣ではなく、モデルとした東川町の「オーソドキシー(正統性)」と「オリジナリティ(本来性・独自性)」への敬意の表現として、今回の開催内容が決定されたのだと思います。
ちょっと自慢話みたいになってしまいましたが、事実を語っただけで自慢するつもりはないことをご理解下さいね。
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「東江,寫眞の郡(コジャン)」宣言文

發明から160年余り經った今,寫眞は人類が營爲するあらゆる活動の領域に深く根ずいています.歴史を記録する公正な時代の證人として,また,人びとの感動と思想を描き出す卓れた表現媒體として,寫眞は私たちの精神と日常生活の中で缺かすことのできない,最も重要な位置を占めています.

太古より受け繼がれてきた美しい自然のなかで,獨特の文化を育んで来た我が寧越郡は,21世紀が始まる時點に立ちとまり,我われの未來のために,長い生命と眞の價値を持つ,何を殘すことができるのかを考えます.

秀麗な風光と誇しい文化遺産を大事に守ってきた我われ郡民は,寫眞の力を通じて,この美しい自然と活氣に溢れる人びとの生きる姿を國内外に馳せ,世界を抱き寄せる新しい傳
統を創りあげようとしています.

ここに,私たちは意氣を合わせ,寧越郡が我が國の初めての「寫眞の郡」として生れ變ることを嚴肅に宣言します.

2001年9月1日

大韓民國江原道寧越郡 郡守 金 泰 洙

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東川町写真の町宣言

「自然」と「人」、「人」と「文化」、「人」と「人」
それぞれの出会いの中に感動が生まれます。
そのとき、それぞれの迫間に風のようにカメラがあるなら
人は、その出会いを永遠に手中にし
幾多の人々に感動を与え、分かちあうことができるのです。
そして、「出会い」と「写真」が結実するとき
人間を謳い、自然を讃える感動の物語がはじまり
誰もが、言葉を超越した詩人や
コミュニケーションの名手に生まれかわるのです。
東川町に住むわたくしたちは
その素晴らしい感動をかたちづくるために
四季折々に別世界を創造し植物や動物たちが息づく
雄大な自然環境と、風光明媚な景観を未来永劫に保ち
先人たちから受け継ぎ、共に培った
美しい風土と、豊かな心をさらに育み
この恵まれた大地に、世界の人々に開かれた町
心のこもった“写真映りのよい”町の創造をめざします。
そして、今、ここに、世界に向け
東川町「写真の町」誕生を宣言します。

1985年6月1日 北海道上川郡東川町

DECLARATION OF HIGASIKAWA AS A "TOWN OF PHOTOGRAPHY"

Excitement is born within the encounters
between "people"and "nature","people"and "culture", and "people" and "people".
If a camera makes its presence felt like the wind at such encounters,
people will be able to relate the excitement to several other human beings,
thus facilitating mutual understanding.
The fruition of such "encounters" with "photography"
marks the beginning of an emotional story extolling human beings and mother mature.
It enables any pers to be reborn into a poet or expert communicator
in a way that goes beyond words.
In order to represent such splendid emotions,
we residents of Higashikawa are trying to create a new world amidst the four seasons.
We intend to protect for an eternity our spectacular landscape
and magnificent natural environment, which also serve as home to various flora and fauna.
We will further foster the beautiful region and rich spirit we have inherited
from our predecessors and raised together.
We aim to construct on this blessed land a town
that is open to the people of the world... a "photogenic" town with soul.
Therefore, we are here and now proclaiming
the birth of Higashikawa as a "town of photography."

June 1, 1985 Higashikawa-cho, Kamikawa-gun, Hokkaido

勇崎哲史  東江写真祝典 2002年07月15日(月)01時41分15秒

1985年、北海道東川町は「写真の町宣言」を行い、同年から国際写真賞「東川賞」と国際写真祭「東川町国際写真フェスティバル」を制定し、例年開催。その10回目にあたる1994年からは高校生の大会「全国高等学校写真選手権・写真甲子園」も行っています。
そして、その翌年の1995年、東川賞海外作家賞に韓国の写真家キム・スーム(金秀男)氏が選出されました。キム氏に同行し東川町を訪れた韓国のマスコミ人や文化人のかたがたが、「写真の町」という発想に強い関心を示され、韓国にも「写真の町」を創出したい、と語られ、帰国されました。
それから3年後に、「具体化しそうだ」という連絡をいただき、以来、不定期ながら交信をいただきました。そこからさらに3年の歳月が過ぎ、2001年9月1日韓国の江原道寧越郡(カンウォンドウ・ヨンウォルグン)が東川町をモデルとして「東江,寫眞の郡(コジャン)」宣言」を行うことになり、その宣言文をメールで送って下さいました。
そして、1年の準備期間を経て、今年8月1日か17日まで、第1回東江写真祝典を開催することになりました。韓国からいただいた祝典日程などのメールを以下に転載します。
(本来であれば「遊星たちの消息」の方に投稿すべきなのですが、規定の投稿フォーマットに書き込む工夫の時間がとれないので、ここに投稿させていただきます)
-----------------------------------------------------------------
「東江写真祝典2002」行事日程

7月29日〜8月17日 「東江写真展」-------------------[寧越学生体育館]
7月29日〜7月31日 「東江写真ワ−クショップ」----------[寧越女性会館]

8月1日
  10 : 50〜11 : 30 「東江写真祝典2002」開幕式-----[寧越文化芸術会館]
  11 : 40〜12 : 20 「東江写真賞」施賞式-----------[寧越文化芸術会館]
  13 : 50〜15 : 00 「東江写真展」オプニング---------[寧越学生体育館]
  16 : 30〜18 : 00 「東江写真賞」受賞者フォ−ラム--[寧越文化芸術会館]

8月1日・8月4日 「写真パレ−ド」--------------[寧越市内・東江川辺]

8月1日〜8月4日 「寧越写真展」------------------------[東江川辺]
      15:00〜 「生ビ−ル/ワイン祭-----------------[東江川辺]

8月1日〜8月17日 「写真機資材展」---------------[寧越學生体育館]
          「わが家の一枚」展示會----------[寧越学生体育館]

8月2日・8月12日 「一日写真学校」--------------------[東江川辺]

8月2日〜8月17日 「東江写真コンテスト」展-------------[東江川辺]
           施賞式 8月2日---------[寧越学生体育館広場]

8月3日〜8月17日 「私も写真家」作品展-----------------[東江川辺]

8月4日
  10 : 00〜12 : 30 「東江写真シムポジウム」------[寧越文化芸術会館]
  17 : 00〜19 : 00 「東江写真コンサ−ト」---------[寧越学生体育館]

1.メイン行事

東江写真展
7. 29〜8. 17  学生体育館
純粹写真,ドキュメンタリ−,広告写真など,各分野の韓国の代表的な写真家50人の350点の作品が一堂に集まる大展示會.8月4日午前11時から出品写真家と地域住民,観光客が一緒になり,民俗音樂による祝賀公演と郷土飮食を楽しむ.

東江写真賞
8. 1  寧越文化芸術会館
前年度に最も卓れた写真活動を見せた国内・外の写真家に与える賞.韓国の崔光鎬と中国の楊延康(ヤン・イェンカン)が第1回目の東江写真賞の受賞者に決った.「東江写真祝典2002」開幕式に合わせ,施賞式と受賞者フォ−ラム,受賞作展示が開かれる.
運営委員 : 金升坤,金寧万

東江写真ワ−クショップ
7. 29〜7. 31  女性会館
國内・外の著名な写真家による,專門家たちのための3日間の写真講座とワ−クショップ.
講師 : 具本昌,金アタ,鄭鎭國,趙世鉉,辛秀珍,呉亨根,朴基浩,金熙中,George Schaub(アメリカ)
運営委員 : 金英洙

東江写真シムポジウム
8. 4  寧越文化芸術会館
日本,欧米など,世界中の国で開かれる写真フェスティバルの現状を眺望し,「東江写真の町」が韓国の写真のメッカとして発展して行くための基盤を造成し,「東江写真祝典」を通じて地域文化を発展させるための方案について話し合う.
主題発表 : 金亨(韓国),勇崎哲史(日本),平木收(日本),呉家宝(台湾)

2.地域行事

寧越写真展
8. 1〜8. 3  東江川辺行事場
寧越の自然と人々の生きる姿を記録した地域の写真家たちの作品を展示.

「わが家の一枚」展示會
8. 2〜 8. 17  東江川辺,学生体育館
写真を通して振りかえてみる過去.そのとき私たちの生活は? 歳月と生の重みを感じる過ぎ去った時代の寧越の情景が広がる.

1日写真学校及び,東江写真コンテスト
8. 2/11(期間中2回)  東江川辺/補助行事場
観光客や子供,住民など,一般の參加者を対象にした祝祭のなかの小さな祝祭 - 楽しく遊び、写真を学びながら寧越と親しくなるイベント.野外で行われる1時間の写真の授業に參加した後,寧越の一日を撮ってコンテストに出品.賞品がもらえて,自分の撮った写真は翌日,展示場で見ることができる.

フィナ−レコンサ−ト
8. 4  寧越学生体育館広場
写真と音樂,写真と寧越が会う音樂祭.写真の町、寧越の情趣と華麗な花火,郷土料理を楽しみながら夏の日の浪漫と思い出を演出する.

「小学生の写真日記」展示
8. 5〜8. 17  寧越文化芸術会館
写真日記コンテスト.子供の眼に写った家族や友たち,学校生活,町の情景がくり広がる.「写真の町」の未来の主役を育て,子供たちの写真に対する関心を高めるためのイベント.

写真パレ−ド
8. 1〜8. 4  東江川辺行事場
「東江写真祝典2002」に参加する写真家たちが観光客と寧越住民たちの写真を撮って,サイン入りでその場で渡す.

写真機資材展
7. 29〜8. 4  寧越学生体育館
写真関連企業がブ−スを設置,機資材弘報と現場での販売を行う.各企業体の独特の販売戦略で祝祭の雰囲気を一層盛り上げる.

生ビ−ルとワイン祭り
7. 29〜8. 4  東江川辺行事場
夏の日の熱さと渇きを癒す冷たい生ビ−ルと,祭には缺せないワインの試飮会.

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管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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