リンク
辻井 豊
事実を伝えることの難しさ。
2002年07月15日(月)00時54分25秒
懲りずに、またまた投稿してしまいました。
学校での歴史教育って難しいですね。事実だけを伝える、としても、どうすればよいのか。そこで、9.11テロについて考えてみました。
9.11テロがあったこと、その事実を伝えること自体は簡単(ジャーナリストさんごめんなさい)。しかし、その結果、アメリカの人達がどんな行動をしたか、それを伝えることは難しい。報復戦争を主張した人、それに反対した人、もっと他の行動をとった人。どちらか一方だけを伝ることは、たとえそれが事実であったとしても正解とは言えないと思います。連立方程式は、一つの解だけでは正解とは言えないですよね。ましてや、人間が係わった事柄なら、数式のようにはいきません。
歴史は、必ずしも一つではない、私はそう思います。事実を伝える過程で、伝える人の主観を排除することは不可能だと思うからです。それゆえに、事実関係を詳細に挙げて議論することは、少なくとも、人間の行動について行われる議論に、たった一つの正解はないと思います。
それから、他の掲示板を見ていて気になったのですが、今は、学校の授業で、歴史についての感想まで教えているのでしょうか。わたしの頃には、そんなことは、なかったと思うのです。歴史について抱く想いは、個々人様々なはずです。想いの強制には賛成できません。共感する力は、普段の生活、家庭や学校での集団生活の中で身につけてゆくものだと思いますから。
管理人さん、掲示板をよごしてしまったのだとしたら、ごめんなさい。めげずに、適当に息き抜きして頑張って下さい。それから、在日の方のHPを紹介しておきます。通り一遍の在日観に、蹴り食らわせられました(あれ、勝手リンク?メールしときました)。
それでは、
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/80010/
目玉おやじ
チョンコー と チョン
2002年07月14日(日)23時27分57秒
▽少なくとも僕の少年時代、「チョン」は朝鮮の蔑称だった。 へのコメント
>学校(生徒)を「チョンこう」と呼んでいたのははっきりと事実です。
はい、その事実は私も、よ〜く覚えています。しかし、それは、「朝鮮高校」を略して、「朝高」、
つまり、「チョンコー」と言っていたのであって、そこに蔑視的な意味合いを含めて言う人と、
含めないで単に省略形として言う人の両方が居たと思います。
但し、朝鮮高校が話題に出てくる場面には、あんまり良くない状況のケースが多かったので、
前者、つまり「意味合いを含めて」いた場合の方が多かったかも知れません。
僕自身は、そのような学校についての話題を自分から出すことは考えられなかったので、使ったことは
ありませんでした。
辻井 豊
初めまして、2ch系のサイトからリンクをたどって来ました。
2002年07月14日(日)03時51分29秒
はじめまして、37歳、男、現在失業中です。これまでは、郵便事務、医療事務、システムエンジニアなんかをしていました。2chの湘南ゴミ拾いについて、取り上げられていると聞いてやってきました。
今回の湘南ゴミ拾いで、初めて、2chを本格的にウオッチしました。以前からも気になっていたのですが、確かに、2chには、嫌韓の雰囲気が強く感じられます。なぜ、そうなのか?気になって、2ch内をあちこちさ迷って見ました。しかし、結局、書き込む勇気がなくて、2chの方とは、議論はしませんでした。へたれです。
でも、2ch内をさ迷ってみて、強く感じたことがあります。それは、“どうして、自分の意見が聞き入れてもらえないのか”そんな苛立ち。2chに書き込んでいる人達には、そんな思いが強くあるのではないか、そして、それが、今回のW杯をきっかけに、あふれだしたのではないか、そう思うのです。
いろんな意見があるとは思うのですが、私自身、私達は、韓国のことを、腫れ物を扱うように扱ってきたと思うのです。そんな私達の様子を見ていて、苛立ちを覚える人もいると思うのです。確かに、デリケートな問題です。でも、両国が対等であるべき場面でも、何か私達は卑屈になってしまう、そんな印象があるのです(印象ってこんな用法できましたっけ?)。ですから、嫌韓を唱える人達に、歴史云々と意見をしても、両者の溝は埋まらないと思うのです。もっとも、真剣な議論の場で、悪意をもって相手を傷つけるような人は論外です。
今、ネット各所の掲示板では、嫌韓の書き込みがあふれています。だからこそ、今、私達は、これまでの韓国との接し方を振りかえり、どうすれば、よりよい関係を築いていけるのか、考える時期だと思うのです。こんなことを言う私自身、では、どうすればよいのか、分かりません。その前に、さっさと仕事を見つけろよ!と言われてしまいそうですが。
それから、今回の2chウオッチを通して、私は、2chについての見方が変わりました。2chには、確かに、誹謗中傷があふれています。でも、今回の湘南ゴミ拾い、ネット上でいきなり始まった提案に、全国から、飛行機や新幹線、誘い合わせて夜中の高速を飛ばして、様々な立場、職業の人達があつまりました。そして、3日に渡って、ゴミ拾いをやったのです。その様子が、ネットを上でリアルタイムで中継されていました。書き込みを追っているうちに、熱くなる自分が抑えられませんでした。これほどの大規模な活動で、大きな事件や事故に巻き込まれる方がいなかったのは幸運でした。でも、幸運だけでなく、そこには自治が存在したと思います。関係機関への連絡、海の家の協力。自治がなくては、あんなことできません。
それから蛇足ですが、2chは、他にも継続的に、現実世界に働きかけていることを知りました。心臓移植を待つ人への支援、白血病解析プロジェクト(ここでは、2chが世界のトップを走っています)など。いい意味でも、悪い意味でも、2chは注目すべき存在です。
管理人さん、長くなってすいません。変なところがあったら、みなさん、遠慮なく指摘して下さい。
ストロベリー
穴があったら
2002年07月13日(土)22時08分52秒
▽カフェルナ正常化に向けてのお願い へのコメント
お察しかと思いますが寮さんにメールを出したのは私です。
6月30日の失言を詫びるのが目的でしたが、話の流れから運営方針のことにも若干触れました。
お恥かしい話ですが、それに対する寮さんの返事を私は読み違えていました。
拒絶の返事とはつゆ思わず、呑気にも「参加するのは構わない。でもどうして?」くらいに受け取っていたのです。以降、寮さんの私へのレスが名指しでなくなったことに首を傾げながらも、自分では至って普通に議論している「つもり」でした。
情けないことに、私は自分の投稿のどこがまずかったのか今も全くわかっていません。これからゆっくり考えるつもりです。
寮さんをはじめ、私の発言に不快になった方々には深くお詫び申し上げます。
元凶もわからず謝ることの白々しさを自覚しつつも、とにかくお詫び申し上げます。
吉木克実
補記 チョンという単語は戦前にはなかった・・
2002年07月13日(土)13時54分24秒
▽少なくとも僕の少年時代、「チョン」は朝鮮の蔑称だった。 へのコメント
自己レスです。
記入内容を訂正させてください。
ひとつ、省略しすぎて、明らかな間違いと解釈される前に補足しておきます。
戦前「チョン」という単語はなかったという説さえ・・
というくだりですが、「朝鮮民族の蔑称の意味で使われる「チョン」という単語は・・」と書くべきでした。
東海道中膝栗毛の一節にも「ばかでもちょんでも野呂間でも」とありますので、
単語それ自体は存在していましたので、単語自体が存在しなかった
ということでは明らかな間違いということになってしまいます。
また、独身者をさす「チョンガー」という単語も、
もともとハングル語で、まだ一人前と認められない人の髪型の呼び名が転じて
まだ嫁をとる甲斐性のない独身者をさす単語として使われており、これが「チョン」に
転じたという説もあります。
最後にひとつだけ。
ついつい、長文になるのをできるだけ避けようと、省いては意味が違ってしまう言葉まで省いてしまったりするのは、
自分の推敲ミスとして責任をはっきりさせたいとは思いますが、
議論のための議論に陥りたくはありません。
とかいって、物凄く挑発には乗りやすい僕です。
困ったもんだ・・・
zukunasi
本当に飛び入りで済みません。
2002年07月13日(土)10時39分26秒
▽自分の中の差別意識への自己批判です へのコメント
ずくなしと申します。長野の方言です。しかし今は東京で生活しています。風景に山が無いのにも慣れました。
さてところで、本当に飛び込んできて何をか言わんやという風情だと思うのですが、一言だけ発言をお許し頂きたいと思います。
まず事実確認です。
ゴミ拾いオフは韓国に対するアジテーションだったのであろうかという点について、ほとんどの参加者は明確にノーを言えると思います。その理由は彼らが造るホームページやフラッシュアニメやムービーにあります。まず全部といって言いと思いますが、韓国に対する発言は出てきませんし、何よりも彼らの主張する意見のベクトルは日本海の向こうではなく、東京はお台場に向いています。
そして今回の運動に何らかの権力が介在してきたであろうかという点についてもノーでしょう。その理由も簡単に証明出来ると思います。二日目にはある程度組織化されてきたところがあるようですが、7/5の時点では、自主的に集まり自主的に解散して、リーダーと呼べる人間がいなかったことを裏付ける日記の存在です。前に他の方もリンクしていらっしゃるので敢えてリンクしませんが、「2ch湘南ゴミ拾いオフ関連リンク集」で調べていただければ良いと思います。組織を維持するのにリーダーが必要であることは、この掲示板にきている方々にとってはむしろ釈迦に説教と言われてしまうでしょう。
しかし問題の本質は別にあると思っています。今回の行動についての本質的なことについて何も理解をされていないのではないか。むしろ行動と思考を一本に結び付けて、批判のためにこの運動を捉えているのではないかと言うところです。
確かに差別問題があるのではと考えるのは的を射ていると思います。しかし”たかが”スポーツの上での出来事について、自己の差別意識を広く国民全体の問題であるかのようにスリカエルのは勘違いであると思います。その勘違いを修正してもう一度見なおしてみると、韓国サポーターの行動が問題なのかそれを見た日本のサポーターの行動が問題なのか、実はそれを視聴者に提供するべきマスコミに問題があるのかが見えてくると思います。その上で、3者の行動をよく見て彼らの中の差別意識や差別行動について考えていただければとおもいます。
私は今回のゴミ拾いオフのような変った体験を非常に、自分の経験に出来なかったことを、悔いています。なぜこの様な発想が出来たのか?どうやってそれを広げていったのか?通常の市民運動の少し外れたところにある今回のゴミ拾いは、2chが新たなマスメディアになってしまったことの表れではないかと、思いました。ただ今回のこの湘南ゴミ拾いオフは成功でも失敗でもなく終了したで良いと思いますし、今回のようにそれを基にして、自己を省みたり、私のようにマスコミの問題点を考えたり、人それぞれの捉え方を許す教材のように記憶されるものではないかと思っています。
長文アップどうも済みませんでした。ずくなしでした。それでは。
nameless solder
はじめまして。ゴミ拾いの件について
2002年07月13日(土)05時35分07秒
はじめまして、下のurlのリンクから飛んできました。
都内の大学に通う大学生です。目下就職活動の真っ最中です。
この位の自己紹介でいいのでしょうか?
さて、本題に早速入りますが
フジテレビワールドカップ偏向報道に対する抗議を込めた
江ノ島片瀬海岸ゴミ拾いに参加したしたモノです。
一色真理さんが
>これって、正義にかこつけてはいるけど、
>日本人の持つ、以前からの「韓国の人たちへの差別意識」を
>形をかえて噴出させたというだけではないでしょうか?
という書き込みを寄せていましたが、それに対して
現地に行きゴミ拾いに参加した私なりの見解を書かせていただきます
結論から書くと
【韓国人への差別意識】
【権力、あるいはそれよりさらに右側の暗い力からの要請によっていないか】
という件に関してはもちろん私の主観的意見でですが
そういう差別意識や排他的、差別的な右翼的な思想は
今回のゴミ拾いで現地に行った拾った方に関しては無かったと思います。
フジテレビの偏向報道に対する怒りが
悪意なのか善意なのかわかりませんがゴミ拾いという形になっただけです。
フジテレビの報道姿勢への怒りをモチベーションにして続けた方が大多数だったと思います。
が、しかしその怒りもゴミを黙々と拾い続けてくると
「浜を頑張って一晩で綺麗にするぞ!」という気持ちが最優先になってました。
韓国に対する差別意識とかそういう思いでゴミ拾いをされた方がいたとしても
そのようなモチベーションでは
普通の都市生活とは、大きく異なる
江ノ島の深夜の砂浜は
強風で砂が激しく飛び散り顔面を直撃したり、疲労困憊の体に容赦なく雨が降りかかりました。
しかも、ゴミを拾ったからと行って誰にもほめられるモノでもなんでもないという
過酷な状況で、そのような思いでゴミ拾いを続けることは不可能だったと、私は思います。
そして、裏に暗い影が見えるようなイベントに
のべ200人を超えるであろう人数が昼夜を超え参加したとは思えません。
これは私個人の主観かもしれませんが、
参加した私には言う権利があると思い意見を書きました。
http://fuji.nurs.or.jp/
寮美千子
カフェルナ正常化に向けてのお願い
2002年07月13日(土)04時42分09秒
http://ryomichico.net
▽少なくとも僕の少年時代、「チョン」は朝鮮の蔑称だった。 へのコメント
確かに吉木さんのいうように「ちょん」には、辞書に書かれていない、俗語としての差別的な意味があったと思います。差別用語には詳しくないわたしも「ちょん」に「朝鮮人」という意味があると、聞いたことがありました。
しかし……なんかヘンなんだなあ。吉木発言が、というのではなくて、カフェルナ全体の雰囲気のことです。個々の議論、つまり細部としては一見正しいやりとりがあるように見えるんだけれど、なにかこう全体に妙な雰囲気になってしまっている。言葉の解釈をやりとりするのも正当だし、差別についてそれぞれが意見を述べるのも正当。でも、ヘン。すごく、ヘン。どんどん迷路にはまっていくかんじ。細部に入れば入るほど、抜けられなくなる感じ。細部は正しいようにみえるのに、全体のパースペクティブが狂ってきている。きっと、読んでいる人のなかにも、そう感じている人がいると思います。
わたしは、胸の奥に熱い石がつかえたような、なんともいえぬヤナ気分です。落ち着かないし、心が安まらない。いらいらする。読んでいる人のなかにも、そんなふうに感じている人が多いと思う。だとしたら、主催者として申し訳ないと思います。なんとか終息させなくては、と思う。
いままでカフェルナでは、爽やかに議論してきました。意見の食い違いがあっても、気持ちよく言葉を交わし、前向きで、実りのある議論をしてきた。
しかし、今回は何かが違う。
いい雰囲気をつくるのはむずかしい。少しずつ育てていくしかありません。平和といっしょ。毎日の努力の積み重ねからしか、平和は生まれない。けれど、いい雰囲気を壊すのは一瞬。戦争が一瞬で平和を壊すように、いい雰囲気が壊れてしまう。いわゆる「荒し」というのは、そのように短時間で掲示板の雰囲気を悪くする人のことをいうのでしょう。
「荒し」とは呼ばないけれど、もしかしたら、別の動機で発言している人がいるのかもしれない。その人の発言に、みんなが引っ張られているのかもしれない、と思うのです。自己レスした吉木さんも、そんなふうに引っ張られてしまったひとりのように思います。
実は、この掲示板の主旨が気に入らない、運営方法が気に入らないメールしてきた人がいました。ならば、なぜこの掲示板に入ってくるのか。お願いして来てただいているわけではないのに。お引き取りください、とお願いしましたが、聞き入れてはいただけなかったようです。
その人は、個人的にわたしに対して鬱屈した感情を抱いているということも書いてきました。会ったことのある人ではありません。わたしの知らないところで、一方的に鬱屈してしまったようです。聞かされなければ、一生わたしは知らなかった。ほとんど接点はなかったから。それをわざわざ告白してくれたことは、とても正直だと思いました。その正直さには、敬服します。
けれど、そのような個人的なメールをしてきて、そして、あえてこの掲示板で暴れるのは、どうしてだろう。そのような行動をされても、わたしはその裏にある事情をみんなに明かせない。とてもパーソナルなことだから、公開できない。
なにか、とても卑怯に感じます。発言の裏に、実は発言とは別の意味があるらしいとわかっていても、わたしはしゃべれない。公共の場だから、しゃべれないことをわかっていて、あえて議論を仕掛けてくる。
「いえ、違います。あれはあれ。それとは別に、わたしはちゃんと議論をしているのです」とその人はいうかもしれない。けれど、実際その人の投稿で、わたしは不快になり、掲示板全体の雰囲気も引っ張られて悪くなっている。
わたしなりに、雰囲気を悪くしないように努力してきました。けれど、事態はこじれる一方です。まっとうな議論に見えて、なんだかまっとうでない悪い雰囲気に支配され、いつもは爽やかに言葉を交わせるはずの人々が、ぎすぎすしてしまっている。
このまま、表面に現われる意味だけを追いかけていっても、さらに雰囲気は悪くなると感じました。それで、思い切って、事態の底にあるものを公開しました。名指しできないことがつらいです。「それは誰?」とみんなが疑心暗鬼になってしまうことも、つらい。そして、悪意があったにせよなかったにせと、結果的にこのような苦しい場にわたしと掲示板を追いこんだ人を、わたしは憎みます。せっかくみんなで少しずつ積みあげてきたのに。
あなたは、すごい。みんなで育ててきたカフェルナを、わずかのうちにこれだけ荒れさせてしまうのだから。すごい支配力というか、影響力です。
だからこそ、お願いします。この掲示板の運営方法が気に入らないというのだから、どうかお引き取りください。ご自分の掲示板で、存分に言論活動をなさってください。そこで、存分に寮美千子批判をしてください。平にお願いします。
どのようにしたら、カフェルナが正常化するのか。気持ちよく、爽やかに論を戦わせることができるのか。どうか、みなさんも考えてみてください。お願いします。わたしも考えます。
吉木克実
揚げ足取りのつもりはなかったのですが、結果的にはそうなるのかな?
2002年07月13日(土)03時42分05秒
▽少なくとも僕の少年時代、「チョン」は朝鮮の蔑称だった。 へのコメント
吉木です。
あえて自己レスにしました。
議論のための論争になっちゃってるかな?
結局は、一人一人の心の問題だと思うんです。
今の僕の精神状態では、不毛な論争しかできそうもないので、
ちょっと、引いて、少し冷静になって考えてみます。
吉木克実
少なくとも僕の少年時代、「チョン」は朝鮮の蔑称だった。
2002年07月13日(土)03時29分43秒
▽間違った言葉を流布しないでね! へのコメント
吉木です。
目玉おやじさん、「チョン」という単語、戦前にはなかったという説もあります。
しかしながら、僕の少年時代、朝鮮(初等から高等まで含めて)
学校(生徒)を「チョンこう」と呼んでいたのははっきりと事実です。
今は亡くなった僕の父親は「内地人(日本人)」「鮮人(朝鮮人)」と呼んでいましたが、
少なくとも千葉市、特に検見川周辺の僕らと同世代の人々が使った「チョン」とは、「朝鮮学校」の生徒をさしていたことに誤りはありません。
確かに、「バカチョン」の語源にはいろいろ説もあるようです。
ここでの「チョン」は朝鮮人を指すものではないという説も確かにあります。
限られた地域でのみ使われた略称である可能性を否定しはしません。
とはいえ、友人の「キムさん」(僕らは、「きんさん」と呼んでいました)のように、
「チョン」が彼ら朝鮮民族に対する蔑称とはっきり認識していた当事者がいたことからも、
僕独自の解釈ではないと思いますが?
これは根拠とはいえないでしょうか?
彼一人だけがそう受け取っていたのでしょうか?
参考までに下記リンクをご覧いただければと思います。
朝鮮人とはっきり書かれていませんか?
http://piza2.2ch.net/pachi/kako/1007/10070/1007033602.html
目玉おやじ
間違った言葉を流布しないでね!
2002年07月13日(土)02時14分21秒
▽まだおきてたん? へのコメント
>「チョン」つまり「朝鮮人」の蔑称を。
ちょっと、国語辞典を引いてみてください。
勇崎哲史
マンセー=万歳 への追記
2002年07月13日(土)01時48分38秒
▽マンセー=万歳 へのコメント
上記過去の投稿は、寮美千子が直感的に「マンセー」と言葉を発したのは正しい、といいたくて、投稿したものでした。
ジャン、ジャン。
勇崎哲史
一色さん!ごぶさた!
2002年07月13日(土)01時01分34秒
一色さん!しばらく!ごぶさたしてました。
お元気そうでなによりです。
一色さんの「グローバリゼーションVSローカリズム、ではなく、グローバリゼーションVSネイティヴ、であり、ネイティヴとは“持ち前”のこと」という投稿に、大いに教えられました。僕は来月の4日、韓国で写真のシンポジウムに参加するのですが、シンポジウムでは、その請け売りから考えつづけてきたことをひとつの結論として語りたいと思っています。一色さんには、ほんとうに素晴らしい示唆をいただき感謝しています。えりー、ありがとーねー(いまだに、ちゅらさん言葉が抜けない僕)。
ところで、この板は最近、言葉尻の揚げ足取りのレスが続きつまらないですね。しかも“議論”風になってるからたちが悪い。創造性に欠ける消費型議論。HNのかたにはイエローカード、レッドカード出したくなっちゃう。
この板では“持ち前”探検をまだまだ続けたいと僕などは思っているのですが。一色さん、そしてみなさん、いかがでしょう?
例えば、青いナムジルのことでも、“持ち前”探検が前提にあったので、僕なんかはこの板の手応えを感じたなあ。
ストロベリー
手抜き調査/児童虐待者予備軍
2002年07月13日(土)00時10分23秒
▽ネット名士と芸術家の犯罪。お金・性・名誉・不名誉・音楽etc. へのコメント
連続投稿は気が退けますが、スレッドを分けた方がいいような気がするので失礼します。
アサヒ・コムばかりの手抜き調査ですが「児童ポルノ」で検索してみました。
児童ポルノ掲示容疑でサーバー管理会社の社長逮捕
野放し児童ポルノ、ネットに監視網 警察庁が検索ソフト
サイバー犯罪条約 国内法整備に課題
最高裁、バーチャル児童ポルノを禁じる法令に違憲判決(米)
最後のはまさしく「被害防止のための規制」を図るも「自由を奪うのはまかりならぬ」と撥ねのけられたケースですね。表現の質(良し悪し)を測る明確な基準など作れるはずもなく、悪質な表現を規制すれば良質な表現も規制せねばならない。さりとて放任すれば被害が後を絶たず……。ここ数日の2ch談義と見事に重なります。
漫画家の山岸凉子が児童虐待について次のように語っています。
「彼等は自分と同等もしくは上の人間には欲望を感じません(略)“あきらかな弱者”ゆえ安心して欲望するのです」
(「緘黙(しじま)の底」より/白泉社文庫「黒鳥」収載)
言われてみれば、「オタク」と呼ばれる男達の好む漫画やアニメの女性はいずれも顔は子供っぽく、およそ自我というものを感じさせません。となると彼等は児童虐待者予備軍??
ストロベリー
2ch発マンセー/韓国批判に潜む本音/バカチョンカメラ
2002年07月12日(金)23時58分50秒
▽憧れの半日教育!?/過剰反応もまた差別を助長する? へのコメント
「差別だ」「お前こそ差別だ」 議論としては非常にまずいパターンです。寮さんに差別意識があるかどうか、私に差別意識があるかどうかを殊更論議するつもりはありません。私が問題にしたこととは若干焦点がずれるからです。
私が2chを見ていた頃、マンセーという言葉をよく目にしましたが、当時は何語の何という意味の言葉かは全く知りませんでした。けれども使われ方は例外なく盲信への揶揄か自虐。嫌〜な気分にさせる使われ方でしたし、本来の意味を歪めて使っているであろうことは容易に想像できました。
つまり、マンセーという言葉への知識がまるでなかった頃から、私は2chでの「マンセー」に差別性を感じていたわけです。それがハングルの「万歳」と知ったのはずっと後のこと。何をかいわんやです。
なぜ「万歳」でなく「マンセー」なのか。「あいつは○○万歳なやつ」よりも「あいつは○○マンセーなやつ」と言う方が、揶揄として<効果的>と思うからでしょう。「万歳」より「マンセー」の方がより妄信的と感じるからでしょう。わざわざハングルを選んで人をバカにする態度から差別意識を感じるなという方が無理な話です。
(「マザーファッカー」は民族や歴史を連想させないという点で「マンセー」と異なります。)
寮さんが2chで目にした「マンセー」の使われ方も、恐らくはそういったものが大半だろうと思います(違っていたら私のこの投稿は全てふいになりますが)。寮さん自身の使い方が差別的かどうかはわかりません。見ようによってどちらにも見える。
しかし、2chのはやり言葉を抵抗なく借用しているということは、2chに蔓延する差別性を見落としているのではないかという疑問は拭えません。あんなのを許していいのかと、そういう意味をこめての「まずい」だったのです。
(つまり私は寮さんの発言自体が差別的だと言いたいわけではないのです。前回の私のコメントを読み返してみると非常に紛らわしい。失礼しました。)
――
話は変わりますが、W杯にまつわる日本での韓国批判には私はかなりうさん臭さを感じています。
確かに韓国のやり口には問題があったかも知れません。しかし私がネット上で目にした批判の中には、ただ今回の件での憤りをぶちまけているだけとは思えないものが少なくありませんでした。
むしろ「悪い面は批判すべき」という大義名分の裏にある、韓国への憎悪と蔑視を感じ取らずにはいられませんでした。
なぜなら多くの韓国批判には、日韓関係の改善を望む気持ちが微塵も見られなかったからです。むしろ嬉々として韓国を罵倒しているようにすら感じられました。
W杯での韓国批判に端を発して知人の掲示板でなされた慰安婦論争(強制連行はあったかどうか)でも同じことを感じました。
「あった派」にも「なかった派」にも、確かに決め手がなく、「なかった」という主張もあながちこじ付けではないというのが正直な感想です。
どちらの説を主張するにせよ、大事なのは日韓関係を改善しようという気持ちであり姿勢です。
しかし「なかった派」には、一体何のために「なかった」と主張したいのかわからない人が多いのが現実です。「あった」という世論が韓国にある以上、「なかった」と積極的に主張すれば彼ら彼女らが怒るのは当たり前。ならば日韓感情をこじらせずに論議する工夫をすべきなのに、それをしない。ただ「日本は悪くない」の一点張り。
「なかった」と主張するということは、「私は強制連行された」と証言する韓国人女性をうそつき呼ばわりするということです。もし強制連行が事実だったとしたら、「なかった」と声高に言うことが彼女たちをどんなに深く傷付けるか。「なかった派」がそのことに目を向けているとはとても思えません。
真相究明はもちろん大事です。でも究明の過程(もしくは結果)において両国の間の溝が却って広がってしまったら本末転倒。そうした視点に欠けた「なかった派」があまりに多い。「日本の誇り、民族の誇り」などと大義名分を掲げてはいるものの、結局は韓国を貶めたいという意識が見え見えなわけです。
ゴミ拾いオフに感心しつつも日韓感情のこじれを危惧するのは、こうした風潮を受けてのものです。余談でした。
更に余談:バカチョンカメラ
「バカチョンカメラ=バカがチョンと押しても写る」は私が以前調べた限りでは正解のようです。少なくともカメラメーカーの主張はそうでした。
この問題でややこしいのは、「チョン」という言葉は元々は朝鮮人を指す言葉ではなかったということです。「バカ」というような意味の、ごく普通の日本語で、何百年も前から使われていたそうです。
朝鮮人を「チョン」と呼んで蔑むようになったのは比較的最近のことで、以後本来の「チョン」という言葉も使うことができなくなったという話です。
吉木克実
あえて一色さんの過剰反応ではないかと言ったもうひとつの理由
2002年07月12日(金)20時38分21秒
▽自分の中の差別意識への自己批判です へのコメント
吉木です。
寮さん度々ご面倒をおかけしますね、ごめんなさいね?
で、さてさて、
僕が、一色さんに対して過剰反応ではないかと言ったのは理由があったのですが、
一色さんご本人から、「在日の人の気持ちを聞いてみたい」と、
僕の考えていたその理由を明示していただくことができました。
海を隔てたこちら側の「在日」の人々が余り目立った動きを見せていないのに、
我々日本人が逆に煽る形になってしまうのではないかと思ったからです。
レスを拝見して、僕には、一色さんが日本人として、
真正面からに人種問題を捉えようとされているのが伝わってきました。
すごくいいなと感じています。
ただ、寮さんの批判は、韓国だけに向けられているのではなく、
たまたま今回の当事者が韓国だっただけでしょう。
ひとつの問題提起であり、彼女の断定的な結論ではないことが重要ではないのかなと、
僕は思います。
日本人の心に、差別意識が内在しているのかどうか、
また、あるとするならそれはどのような意識なのか
僕は今、無性にそれが知りたい。
いい機会だと思うのですが、どなたか他にご意見は?
一色真理
自分の中の差別意識への自己批判です
2002年07月12日(金)19時26分47秒
http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/
▽憧れの半日教育!?/過剰反応もまた差別を助長する? へのコメント
ゴミ拾いをしていた2チャンネラーの一人一人は善意の人であったかもしれないし、あるいは無意識に差別意識があって、韓国への抗議というアジテーションに反応してしまったのかもしれない。ぼく自身は、子供の頃、近くに半島出身の人たちの住んでいる場所があって、親たちから「朝鮮人だから・・・」という差別語を聞かされて育ちました。だから、意識の上では韓国の人たちが好きだと思っているけれど、心の奥底には絶対差別意識が流れているはずだという自覚があります。今回も、寮さんの書き込みに誘われて、2チャンネルに行ってみて、抗議のためにゴミを拾うという卓抜なアイデアに一瞬快哉を叫んだのですが、その次の瞬間、「なぜ韓国の試合だけが問題にされるのだろう? これに快哉を叫んだのはやっぱり自分の中の差別意識なのではないか」と背筋が寒くなったのです。ほかの方々に差別意識があるかどうかよりも、ぼく自身の中にある差別意識に対する自己批判ですね。
また、韓国を利する審判があったのは事実としても、たかがスポーツ。ぼく自身はスポーツが嫌いなので、あまりよく知らないんだけど、スケートでアメリカの日系選手が韓国人選手の進路妨害に抗議して、失格させるというもっとひどい事件もあったじゃないですか。韓国だけに抗議行動を起こすのは、どう考えてもバランスを欠いてるという気がします。また、批判するなら2チャンネル上での言論だけでやるべきで、もってまわった示威行動をするのはとても陰湿だとぼくには感じられました。(言論には反論できるけど、示威行動には対抗手段がない。特に、この示威行動で直接抗議されているのはフジテレビであって、韓国の人たちじゃないから、ますます韓国の人たちは傷つくばかりで、対抗する手段がない) それが過剰反応だといわれると、ぼくの立場では言い返せないけど、在日の人に意見を聞いてみたい気がします。
それと、今回のワールドカップのテレビ中継は、フランス人を中心とする国際的なサッカー中継の専門家チームが全部制作しているはず。ワールドカップが始まる前に、朝日新聞などでそうした中継の仕組みは大きく報道されていました。フジテレビはアナウンスと解説をその画面にかぶせていただけなのではないでしょうか?
寮美千子
「わかる」題名をつけましょう!
2002年07月12日(金)15時09分46秒
http://ryomichico.net
▽ううむ〜・・・ へのコメント
吉木さん、ご意見ありがとう。
ここカフェルミは「ゆるゆると」いろんなこと考えていこうとしている掲示板です。古い話題の蒸しかえしもあるし、いま話していることが過去話した話題とつながることもある。すべてを「過ぎ去った話題」として処理せず、現役として残したまま「ゆるゆる」やっていこうよ、という目論見です。そのために「検索」機能もつけました。
ログの「目次=タイトル」も貴重な情報。何が書いてあるのか、一目でわかるのが望ましい形です。
そんなわけで、ぜひ今度から「中身のわかるタイトル」お願いします。「うむむ…」じゃあ、後で思い出せないのよ、記憶力の薄れてきたわたしとしては。せっかく内容のある投稿が、これではかわいそう。サルでもわかる(サルサベツ?)じゃなくてリョウでもわかるタイトル、よろしく! みなさんも、よろしくお願いします。
吉木克実
ううむ〜・・・
2002年07月12日(金)07時01分36秒
▽民族差別では? へのコメント
一色様、初めまして。
今、寮さんの「まんせー」に関してレスを付けましたが、話の焦点が複数存在するようなので、
新たに7/8の一色さんの投稿へのコメントとしてこちらに上げさせていただきます。
>寮さんのご案内にしたがって、2ちゃんねるのゴミ拾いオフのレポートを読みました。
>なんだか背筋がぞっと寒くなりました。
なるほど、それは同感です。
良きにつけ悪しきにつけ、少数の優秀なアジテーターがいれば、
日本人を操るのは簡単ですって見本だもんなこれ。
>2ちゃんねるが行っているマスコミや企業に対する攻撃が
>権力、あるいはそれよりさらに右側の暗い力からの要請によっていない
>と言い切れるのでしょうか?
確かに言い切れはしないけれど危惧でしょう。
現在の日本に、右にせよ左にせよ、あそこまで狡猾にシーンを操れる力量のある実力者は、
存在しないと思います。
それはここ四半世紀をじっくりみてみると、日本人が大きな意識変革を経験していない
(できていない)ことをみても明らかだと思いますし、
行動が散発的でその後の発展性がなかったことからしても、
偶発的に生じた流れだったのだと思います。
あれが、「何らかの権力」の領導による(ヘゲモニーか?勇ましい話になってきちゃったな・・・)
出来事だとするなら、あまりに稚拙で実のないお祭りだったと思います。
テーゼに対するアンチテーゼは絶対必要です。
歴史はベクトルとして進行するのが一番良いと僕は思っています。
単一価値観。
例え、それが100%良いものだったとしても、一方的な価値観はいつか破綻します。
対峙する価値観があってこそ、自らの正当性を確認できるし、
また自ら誤りを正すことができるのではないでしょうか?
「ニューハーフ」や、「おたく」といった、ある意味「裏文化」として存在したものが、
マスコミに取り上げられ、意識改革を経ることなく「表」としても成り立つようになった現在、
偏見が薄らいだり、一見世間に受け入れられたかに見える反面、
代わりに実はとんでもない差別を生んでしまっているのではないかと、僕は感じています。
要は、僕ら自身が情報に流されず、慎重に検証し自分自身の立場をしっかり確認することこそが
大事なのであって、それが迎合を拒むと言うことでもあると思います。
朝から芸能人の「付いた離れたお目出度だ」を、
いかにも万人の重大事件のように扱うマスコミもマスコミであり、
大きな流れの中にともすれば埋もれてしまうような真実を、白日の下に明らかにしようと、
自らの命を懸けて取材するのもまたマスコミなのではないでしょうか?
そういった意味からも、僕ら自身が自らの視点を保った上で、
「2ちゃんねる」を観察して行けばよいだけのことではないでしょうか。
最後に、僕は、
「北朝鮮人」は嫌いな人もいれば好きな人もいます。
「韓国人」も嫌いな人もいれば好きな人もいます。
「アメリカ人」?
アメリカという国は最近独りよがり的に見えて大嫌いだけれど、
「アメリカ人」と言うことであれば、好きな人もいれば嫌いな人もいます。
「日本人」・・・
さあ、どうなんでしょうね?
「にほんじん」ですか・・・
吉木克実
まだおきてたん?
2002年07月12日(金)05時24分33秒
▽憧れの半日教育!?/過剰反応もまた差別を助長する? へのコメント
このところめちゃくちゃ忙しくて、明け方になってようやく掲示板チェックです。
な〜んてみてたら、いきなり寮さんのメッセージがアップ!
こりゃ!こんな時間まで起きとったらお肌に悪いよ?
と、冗談はさておき「まんせー」は、僕も一色さんほどではないけれど
ちょっと違和感があります。
ただ、これは歴史的な背景を知るもの(あるいは実体験したもの)
と、そうでないものとで明らかに感じ方、捉え方が異なってくると思います。
たとえば、一般的にオートフォーカス、自動巻の廉価版コンパクトカメラの代名詞として使われていた
「バカチョンカメラ」。
僕は迂闊にも知らなかった。
知らなかったとはいえ、その単語をある友人の前で使ってしまったのです。
そのとき、友人は一瞬固まり、そのあと言いにくそうにゆっくり僕に問いかけてきました。
「吉木はチョンって意味知ってて使ったんじゃないよね?」
そういわれて、初めて僕らが子供の頃よく聞いたその響きを思い出したのです。
「チョン」つまり「朝鮮人」の蔑称を。
僕は、なにも考えないでも、「チョンッ!」と押せば、誰でも綺麗に撮れる
という意味だろうぐらいにしか、考えていなかったのです。
不覚でした・・・
「チョン」とは、
アメリカで、日本人を「ジャップ」とさげすむのと同じ蔑称の言葉でした。
それに気がついて僕がとった行動は、友人「金さん」への謝罪ではなく、
「馬鹿がチョンって押しても写るってことでしょ?」と、逃げることでした。
日頃から、「僕は金さんが朝鮮人だからって馬鹿になんかしてないよ?」なんて
いかにも、いかにも善良な日本人を気取っていたものだから、
余りの事の重大さにパニックを起こしていました。
金さんは、恐らく僕が「気が付いた」ことに気が付いたのでしょう。
軽く、でも少し引きつった笑い顔で、
「ならいいけど、僕ら朝鮮系の人間の前では使わない方が賢明だよ」
と言うようなことを言って話題を変えました。
その後は何を話したのか全く思い出せません。
今からちょうど25年前の出来事でした。
その後お互いに別々の道へ進み、2〜3回会ったきりですが、
あのときの話は全く出ませんでした。
つまり僕は未だに金さんに謝っていないのです。
そのせいか、大日本帝国が連合国軍に降伏したあの日、朝鮮の全国土に広がった、
「まんせー」と、寮さんの「まんせー」。
違和感があるのです。
三一運動の時の「まんせー」と、日本の隷属国家から、主権を取り戻したときの「まんせー」。
「まんせー」と言う単語が、「万歳」という言語学的な意味のほかに持つ、
シンボリックな意味での「まんせー」。
そして、日本人寮美千子がが口にした「まんせー」。
寮さんが差別なんて全く意識せず、今回の韓国側協会と、サポーターのとった行動に、
単純に抗議と皮肉を込めて使った「まんせー」だとは思っているのですが、
駄目なんです。
今ひとつ、すっきりしないのです。
一色さんは、さげすまれ続けて生きてきた人たちを知っているからこそ、
反応されたのだと思います。
それもよくわかるのですが、(ごめんなさい)過剰反応かと思います。
ただ、僕は過剰と言ったけれど、当事者からすれば、やはり「歴史的な」嫌悪感を感じるでしょう。
どちらもわかるから、困る。
わ〜・・・
お願い!
すっきりさせて!
寮美千子
ヒマラヤ・東京・桂林
2002年07月12日(金)04時13分23秒
http://ryomichico.net
▽arigatou へのコメント
ローマ字で暑中見舞いをくださった林克之さんは、ヒマラヤ山中の村に水力発電の灯ををともした方。真っ暗な闇の中で煌々と輝く村の光を見たときは、幻を見ているような気がしました。そこは、アンナプルナ山系モディ川沿いの最奥の村。そこから先には、もう人は住んでいない。そこに至る途中の村にさえも、電気はなかったのに、なぜこんな山奥に電気が? そのときのことは、レビューでも書いたが、昨年の新聞連載小説「楽園の鳥」でも触れている。
2002/3/8 306雲母片岩
村に着いて、あまりの美しさに目を疑った。石造りの別荘風の家々が立ち並び、窓辺には花が咲き乱れている。雪を戴いた山々が一望できるバルコニーもある。川沿いでいちばん奥の村だというのに、夢でも見ているようだ。
聞けば、この村では川の水を利用して水車を回す小規模な発電をして、全戸に電気を引いているという。それを、ヒマラヤ贔屓の日本人が一人で作ったというので、また仰天してしまった。
何もこんなところまで煌々と照らして、やわらかな闇を追放しなくても、と最初は思った。
しかし、話を聞いているうちに納得した。電気があれば、燃料の木を切らずに済む。麓から灯油や蝋燭(ろうそく)を運ぶ必要もなくなる。それらを買うための現金もいらない。自家発電の電気のお陰で、この村に、自給自足の小さな理想郷が出現したのだ。
美しい村。文明が崩壊した後に楽園があるとしたら、こんな姿をしているのかもしれない。
帰国してから調べてみると、その日本人は林克之さんという方だとわかった。レビューに書いたのは、小説で書き足りなかったエネルギーと環境の問題だ。
その林さんは、投稿してくださった。どのようにしてCafe Lunatiqueにたどりついたのだろう。暑中見舞いをいただいて、うれしい。林さんは今、
中国の桂林にある興坪=Xingpingという町にいるらしい。明代の街並みの残る美しい町のようだ。そこで、何をしていらっしゃるんだろう? そう思ってWebで調べてみたら、こんな記事が。またもやエネルギッシュに活動していらっしゃるらしい。
http://www.agrias.com/hayashi/2002-1.htm
こんなふうに見知らぬ人と人を結びつけ、言葉を交わさせてくれるWeb。マスコミが大々的に喧伝しない出来事を、ひっそりとでも人々に送り続けることのできるWeb。Webというメディアを得て、みんなが小さな発信器になれる世界は、やっぱりいい世界だとわたしは思います。もちろん、そのひとりひとりが、本来放送局に求められるべき自己検証性を持つことが前提ではあるけれど。
林さん。ヒマラヤの村、チョムロンのその後のことを、よかったらお聞かせください。
みなさん。わたしは書いた林克之さんに関する小さな記事、読んでみてください。
review0000.html#review20020204063512
hayashi
arigatou
2002年07月12日(金)03時23分28秒
▼Review Lunatique:ヒマラヤの山中に煌々と輝く電灯の話 へのコメント
Nepal Himaraya kara Thai hokubu,ima China,Xingping.
Ro-maji de siturei.
kikeiga donna kata ka zonjimasenga,
Syotyu Omimai mousi agemasu.
Yorosiku.
Hot mail de Gorenraku kudasai.
K,Hayashi 7-12
Yahoo no Kensaku de kanji de hayashi katuyuki to irete sagasite kudasai mase.
勇崎哲史
サベツという字句がこの世の全ての辞書から消え去る日
2002年07月12日(金)02時28分40秒
▽憧れの半日教育!?/過剰反応もまた差別を助長する? へのコメント
寮さんの援護射撃系レスです。
かつて(あるいは今でも)、沖縄のなかには、先島(沖縄本島に対する宮古・八重山群島のこと)に対する差別や蔑視がありました。いわゆる、差別の中の差別のようなものです。
なかでも宮古への差別はひどく、例えば、僕が「宮古の写真を撮っている」というと、沖縄の人たちから僕の写真への関心は全く向けられない、といったほどです。僕にとって宮古群島は、沖縄のなかでも最も愛すべき心をみつけられる地なのに、です。
ところが80年代に入って、りんけんバンドから派生してできた劇団「笑築過激団」が宮古の人たちのこれまで蔑視されてきたユーモラスな行為そのものを笑いのネタにするギャグを連発したそうです。すると、若い人たちの間で「宮古の人たちって面白いね。宮古の人と友だちになりたいなあ」が広まり、宮古蔑視はなくなっていきました。
それよりも古く、彼の地アメリカでも黒人のコメディアンが黒人自身の蔑視されてきた行為をギャグに持ち込むこと(いわゆるブラック・ユーモア)で、逆に黒人差別をなくすることにもなった、という話を聞いたことがあります。
差別用語なる分類をし、その分類知識を持ち過敏に反応することなど、差別をなくすることは全く役になど立ちません。むしろ差別を助長することにだってなりかねない。
僕(たち)にとって行うべきことのひとつは、この世のすべての辞書から、サベツという字句がなくなること。遙か先かも知れないけど、その日を迎えることに常日頃努めること。
僕は、そんな風に生きたい、と思っています。
勇崎哲史
マンセー=万歳
2002年07月12日(金)01時52分17秒
▽憧れの半日教育!?/過剰反応もまた差別を助長する? へのコメント
8月20日までは佳境の坩堝ゆえ、投稿行為を封印する決意でしたが、
がまんしきれず、投稿します。
マンセー=万歳は、1919年3月1日、いわゆる「三一独立運動」において日本からの国権回復と民族独立の意思を表明する「大韓独立万歳運動」の隠喩としての意味が込められているはずです。
「大韓独立万歳」と叫ぶことは、投獄、拷問、死刑を意味し、その結末を自覚してもなお「大韓独立万歳!」と叫ぶ。「マンセー」と叫べば、日本軍によって、すぐに検挙されました。この運動の中心人物たちの出身村のなかには、日本軍によって焼き討ち全滅された村もあるそうです。
「マンセー=万歳」をおちょくったり、差別、とするのは、命を賭して「三一独立運動」に向かった韓国・朝鮮の人たちの極限において生きようとした行為を侮蔑する行いであることを認識して欲しいのです。
知ったかふりして、ごめんなさい。
寮美千子
憧れの半日教育!?/過剰反応もまた差別を助長する?
2002年07月12日(金)00時30分02秒
http://ryomichico.net
▽民族差別では? へのコメント
▼
2ちゃんねる「湘南ゴミ拾いオフ」に関して、一色さんが「民族差別では?」という感想を持たれたの、びっくりしました。ああ、そういう見方もあったのかと、虚を突かれた思いです。思いもよらないことだったから、ほんと、びっくりした。
というのも、正直いってわたしには「差別感覚」というものが欠如しているからです。育たなかったといってもいい。だから、そういう発想がなかった。
わたしは生粋の新興住宅地育ち。住民は日本全国から集まってきていました。お隣は鹿児島訛り、お向かいは東北訛り。それぞれの家でイントネーションも違えば、食べ物も違う。いちばんわからなかったのが、斜め前のうちのおばあちゃんの言葉。若い頃は房総で海女さんをしていたとのことで、生粋の地元言葉でした。地元の言葉がいちばんわからないというような逆転状況のなかで、わたしは育ったのです。
いわば多民族国家のようなもの。違って当たり前なので、差別という意識は育たなかった。それがそのまま敷衍されて「韓国の人たちへの差別意識」もなかった。「同じ」とは思わない。だって「違う」んだもの。違いは違いで厳然と存在する。だからといって、その違いによって、見下したりあがめたりはしない。違いが並列して存在する感じ。
裏返せば「歴史がない」「文化がない」ということだったのだと思います。ゆかしい文化がなかった。その代わり、文化が背負ってきた「負」の部分も背負わないですんだ。
そんな状況で育ったので「朝鮮学校は反日教育ばっかりして困る」と小耳に挟んだときにも「半日教育」だと思い、ああいいなあ、それならわたしも朝鮮学校に行きたいなあとマジに憧れたのでした。
そんなわけで、まさか2ちゃんねるの湘南ゴミ拾いオフが「韓国の人たちへの差別意識」などということは、思いもよらず、虚を突かれたような気持ちになったわけです。
▼
無知というのは罪なことで「知らなかった」では済まされないこともある。そのような問題にデリケートでないわたしというものを反省する一方で「でも、2ちゃんねるの湘南ゴミ拾いオフは、ほんとうに民族差別なのかなあ?」とも思うのです。
わたしが思うに(って、差別意識の「欠如」しているわたしが思うのだからアテにならないけれど)、あれは、純粋に「Wカップでの韓国へのえこひいきな審判への抗議」「フジテレビの偏向報道への抗議」及び、「それをネタにフジテレビの胡散臭い番組の偽善を暴く」ということだったのではないか。そういう、風通しのいい話に思えてなりません。2ちゃんねるでは「湘南ゴミ拾いオフ」の目的を、こう宣言しています。
偽善はイヤ! でも、嫌がらせでならできちゃう! 湘南ゴミ拾いオフ
【この行動の目的】
「W杯でアジアの地位を貶めた韓国への抗議」及び、
「その韓国を擁護しつづけ、視聴者の抗議を嘲笑した不治テレビへの抗議」
【この行動の主旨】
「27時間テレビの江ノ島ごみ拾い企画の前に、ゴミをすべて片付けよう!
不治スタッフが撮影のためにゴミを撒いたら、その瞬間を吊るしageよう!」
実際、Wカップでは韓国へのえこひいきな不審な審判があったし、フジテレビはトルコが勝ったのに、なぜか負けた韓国ばっかり映していたといいます。「なんで?」と苛立った人も多かったはず。
マスメディアは、「朝鮮民族差別」と叩かれるのを警戒して、それに対する抗議に及び腰になっている。その「及び腰」の方が、わたしはよっぽど差別的ではないかと思うのです。隠蔽することで、差別はより過激に、陰湿になる。
今回のオフは、その辺の胡散臭さに苛立って声をあげようとした人々が多く集まってきたのではないか、とわたしは感じています。
正面からちゃんと抗議をする。それは、差別でもなんでもない。相手を自分と対等だと思っているからこそ、抗議の声をあげられるのではないでしょうか。
もし、これがアフガニスタンをめちゃめちゃ爆撃したアメリカへの抗議だったとする。その場合、だれが「アメリカに対する差別だ!」と声をあげるでしょうか? 差別意識なんかないから、そんな声はあげない。
韓国への抗議が、即「民族差別」に結びつくのは、そこに根強い差別意識が埋もれていることの裏返しではないか、とわたしには思えてしまうのです。それは「歴史」として仕方ないかもしれないし、充分な配慮も必要かもしれない。けれど、必要以上の配慮はまた、差別と変わらない。わたしは、そう思います。
▼
わたしが「2ちゃんねる万歳(マンセー)」と書いたことに対しても、非難の声があがりました。朝鮮語をバカにした差別発言だというのです。
「マンセー=万歳」という意味言葉自体はニュートラルなものです。どういう文脈で使うかで、意味が生じてくる。2ちゃんねるでは「妄信的」という意味で使われているけれど、わたしは正真正銘「万歳」という意味で使いました。そのように、異文化の言葉が流入してくるというのは、わたしはいいことだと思う。隣の国に住んでいるのに「マンセー」がなんであるかをしらないより、知っている方がいい。
「ナウ」や「クール」という言葉を皮肉の意味で使っても「アメリカ差別」とはいわれない。「マザーファッカー」なんて言葉を使ってさえ差別とはいわれない。ならば、なぜ「マンセー」だけに過剰反応するのか? それも差別意識の裏返しではないでしょうか。
▼
「ハロー」や「ママ」が日常語であるように、「アンニョンハシムニカ」や「オモニ」が日本語の会話にさりげなくはいってきたら、それはすてきなことではないか。「マンセー」もね。わたしはそう思います。
そして「民族差別」だなんてビビらずに、誰に対しても対等な相手として正々堂々と抗議できたらいいと思うのです。
「アンタッチャブル」をつくること自体が、ひどい差別だと思う。もし差別があるのだとしたら、隠蔽されるより表に出た方がいい。隠蔽されるとより陰湿に、過激になる。表に出れば、差別を非難される機会も増えるわけだし、差別という事実が明らかになる。
▼
さて、では今回の「湘南ゴミ拾いオフ」はなんだったのか。組織的に動員をかけたわけではない。「組織じゃない、大衆だから怖い」という考え方はもちろんあります。デマを信じて朝鮮人虐殺に走った関東大震災の轍もある。「情報を検証せず鵜呑みにする人々」の件については、長くなるし、本質的な問題なので、別投稿で書きましょう。
さて、ゴミ拾いに集まった2ちゃんねらーの意識のなかに「民族差別」があったのかどうか。ただ煽られて烏合の衆と化した人々だったのか。それは、自分の目で耳で確かめ、自分で判断するしかありません。この映像を見ると「湘南ゴミ拾いオフ」は、陰湿な差別や煽動されて動いた大衆という名の塊ではなく、個人個人の責任において集まった、やたら風通しのいい抗議行動だったんじゃないかと思えます。みなさんも、こちらをぜひご覧ください。
「それぞれの思いを胸に2ちゃんんらーが集まった。」
http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Celery/3042/flash/gomi_off.swf
「彼らはやった。己の意志で黙々と。」
http://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/7863/flash/2ch_cleaner.swf
征木高司
ネット名士と芸術家の犯罪。お金・性・名誉・不名誉・音楽etc.
2002年07月11日(木)06時03分34秒
あまり大きくは報道されていないみたいですがとても気になる事件について。
久しぶりに(というか初めて来て)こんな事を書き込んだら嫌われるとも思うのですが、
千葉県少年課などは、サーバー管理会社社長・安藤央志容疑者47歳ら3名を児童買春・児童ポルノ容疑(児童ポルノ公然陳列)で逮捕した。
これは10歳前後の少女のわいせつ画像10点をネット上に陳列した容疑。
内3点の外国少女の画像を投稿した指揮者・岡崎正春32歳もベルギーの捜査当局からインターポールを通して得た情報を元に捜査し、逮捕した。
この芸大を卒業した指揮者もかなり有名な人物ですが、それより驚くのは安藤容疑者のキャリアです。この人物は、元アップルコンピュータの教育・コンシューマー事業部長、西日本支社長などを歴任しています。
名実ともに日本のインターネット社会の実力者と言って間違いではない男です。
その男が独立後、サーバー管理会社の表の顔としては、釣り関係、裏の顔は無店舗型性風俗特殊営業届出済・ホットフラミンゴ事業部の責任者だったという事実。
この事件には、お金、性、名誉、不名誉、芸術、教育まで含まれています。
つまり現代日本/世界・構造の縮図を持っていると私は思うので、ここに書き込みました。
ご意見をお聞かせ下さい。
本多信介
おうおう
2002年07月10日(水)22時39分15秒
http://6003.teacup.com/shonda/bbs
▽うーむ。 へのコメント
まさきーー、おれんとこにも顔出せよー
浜野 智
うーむ。
2002年07月10日(水)22時13分50秒
▽いやはや、些か照れました。 へのコメント
元気そうで、何より。
最近、中山久民氏などと会う機会が多く、川上一郎だとか中島君だとかの名前がよく出てきてね。
寮美千子
恋する天体
2002年07月10日(水)16時04分32秒
http://ryomichico.net
▽いやはや、些か照れました。 へのコメント
>ところで私、木偏じゃなくて行人偏の征木高司です。(笑)
ごめん。うっかりの誤変換でした。直しておきました。人の名前の字を間違えるなんて、相変わらずダメですね、わたしは。征木さんのがっかり顔が、目に浮かぶ。反省。
ワープロが流行し始めた頃、征木さん「ぼくはこれから墨で書く。書道だあ!」と息巻いていらっしゃいました。わたしは、実に正しいと尊敬しました。こんな世の中だから、手で書いた字はより貴い。
でも、ワープロにはワープロの利点もあって、こんなふうに遠くの人とも情報交換できたりするのは、やっぱりうれしいと思います。カフェルミの方には、マダガスカルでガイドをしてくれた青年が、勉強中の日本語をつかって、いっしょうけんめい、マダガスカルのことを教えてくれています。
遠い遠い海の果ての国の様子、マミ青年の息づかいまで聞こえてきそう。インターネットは、地球に満ち満ちていたけれど形にならなかった人と人の心を流れる地下水脈を、目に見える形にしてくれたものなのかもしれません。久しぶりに、こんなふうに征木さんと通信できたことも、とてもうれしいわたしです。
がんがん「パトロール」してください。掲示板で意見を戦わせるのもいいけれど、「征木高司サイト」をつくって、がっちり説教するというのもいいと思います。
▼征木高司氏の著作
『狂書目録』(筑摩書房1983)
『恋する天体』(筑摩書房1986)
拙著『小惑星美術館』『ラジオスターレストラン』のイメージの根源となったもののひとつに、征木さんの言葉があったことは前述しました。あれは、下北沢の飲み屋ネバーネバーランドで直接聞いたものだったけれど、征木さんの著作にも、その精髄がこんな言葉で記されています。(『恋する天体』あとがきより一部引用)
地球が夢みているから宇宙が誕生し万物が生まれたというのがこの本の著者の考えです。
地球はまだあい変わらず夢をみ続けでいます。子供とは地球の夢によって地球に生えてきたことをまだ覚えている生き物のことです、ちょうど草や木のように。
もちろん人間の子供だけではなくて、犬猫ライオントラサルカバもノミダニシラミ、アリゲーターにクロコダイル、ヒメクビカモメもミソサザイも、それからそれから何千年も昔から生えている縄文杉も、今咲いているムラサキツユクサも、み----------んなみんな地球の夢から生まれたのです。そしてそのそれぞれがまた夢みているというのがこの世界のありのままの姿です。
夢とは生命の持っている記憶への根源的な運動にほかなりません。(中略)
人間とは球形のアンテナを持った卵形ラジオです。様々な発見や発明、事件やありとあらゆるできごとが時どき世界各地で一緒に起きるのも人間がラジオだからでしょう。地球のウェイヴをキャッチした時、世界は共時性を発揮します。時間が消えます。
私たちは孤独ではありません、だって地球そのものなのですから、夢見る地球、恋する天体そのものなのですから。
征木さん、いま読んでも、全然色褪せない、いやむしろさらに輝きを増す美しい言葉です。感動です。これからもたくさん「ほんとうに大切なこと」を教えてください。
征木高司
いやはや、些か照れました。
2002年07月10日(水)14時49分10秒
▽熱烈歓迎 征木高司先輩! へのコメント
そもそもパソコンを手にしたのが一昨年の天皇誕生日というか、東条英機が処刑された12月23日。始めの一月はひたすらタッチタイピングの練習。増田式の本で独習。日誌を書き始めて、2月にはADSL導入。以来ネットの鬼。ネット・サーフィンなんて軽いノリじゃなく、ネット・パトロールと呼んでおりました。(笑)
何となくメールを始める切っ掛けがないまま、ズルズル……先月の下旬に漸くメールを始め。その脚で「関心空間」に参入。
序でと言っては何ですが、ここにも草鞋を脱がせていただきました。(笑)
以後お見知りおき宜しくおたの申し上げますッ。
ところで私,木偏じゃなくて行人偏の征木高司です。(笑)
寮美千子
熱烈歓迎 征木高司先輩!
2002年07月09日(火)17時10分45秒
http://ryomichico.net
▽江戸の敵は東京ではなく長崎でございましょうぞ。 へのコメント
>ウエに同じく。
ウエじゃなくてシタっす。
久しぶり、征木さん。会いたかったよおおお〜ん。会えて、うれしいよ〜ん。
ところで、この掲示板じゃ、初登場の人には簡単な自己紹介してもらうことになっています。わたしはよ〜く知っている征木さんだけれど、みんなにはわからないかもしれないから、ちょっと自己紹介してね。
って一足さきにいっちゃうと、四半世紀前に下北沢の飲み屋「ネバーネバーランド」でよく一緒に飲んだ物書きの大先輩であります。その頃わたしはまだいわゆる物書きはしていませんでした。コピーライターだったけど。
当時は「説教軍団」なんていって、若い女の子ふんづかまえては、説教してたなあ。石橋シュンちゃんも入っていて「おい、おまえ、あそこの女に説教してこい」と征木団長にいわれ、シュンがわたしのところにやって来た。しかし、シュンは逆にわたしに説教されてぎゃふん。「粉砕されたあ」といって、泣いて戻っていきました。
あれ、征木さんの紹介じゃなくて、シュンの話になっちゃった。シュンも、どうしているんだろう。おっと、うっかり懐かしモードに入ってしまった寮美千子でした。
そうそう。『小惑星美術館』の根本メージは、征木さんがネバーで「地球は夢見る卵子である!」といったのに触発されてできたものでした。
また来てね〜! 説教していいから。
征木高司
江戸の敵は東京ではなく長崎でございましょうぞ。
2002年07月09日(火)13時10分04秒
▽寮美千子女史の蛮勇に拍手! へのコメント
ウエに同じく。
目玉おやじ
勝手に代表しないで下さい
2002年07月09日(火)00時08分53秒
▽民族差別では? へのコメント
>日本人の持つ、以前からの「韓国の人たちへの差別意識」を
>形をかえて噴出させたというだけではないでしょうか?
「一部の日本人の持つ」でしょう?
僕は韓国大好きです。北朝鮮は嫌いですが。
ストロベリー
また言い残し/尻馬では
2002年07月08日(月)12時08分16秒
▽初心者が語る 超初心者向き2ちゃんねるの楽しみ方案内 へのコメント
水を注すようですが釈然としないことがもうひとつ。
ゴミ拾いオフのセンスには取り立てて文句なし。1週間前の誰かさんの失言とはえらい違いです。
日韓関係というデリケートな問題でこういう嫌味なやり方はどうなのかという疑問も感じないではないけれど、何もしないよりはずっといい。献血すら面倒でやったことのない者としては、その行動力にも頭が下がる思いです。
けれどもフジテレビへの揶揄投稿は疑問。
2ちゃんねるの「勝ち」は明白。その上での追い討ち。
そこから感じるのは、抵抗能力を失った相手を嬉々としていたぶる陰湿さ。
それは今まで嫌というほど見て来た悪質スレッドに見られる陰湿さと同質のものです。
革命に酔った民衆が、失脚した権力者を袋叩きにする構図にも重なって見えます。
引導の渡った時点でスパッと切り上げる。せいぜい2ちゃんねるで勝どきを上げるだけにする。
そうしていたらもっと格好よかったのになあ。
もっとも私の想像では、実際に行動した人はそういう投稿はしていません。したとしてもほんの一握り。
だからゴミを拾った人達は素直に讃えたい。投稿したのは大方低劣な尻馬連中でしょう。尻馬とは集団心理の発露です。
(尻馬連中の心象を知る方法は簡単。実際にフジテレビの掲示板に投稿してみればいい。私もやってみました。というのはウソですが。)
ゴミ拾いオフからもやはり2ちゃんねるの長所短所双方が垣間見えるのです。
心情的アンチ2ちゃんねるとしては見逃せません。
――という投稿をしようとした矢先に差別問題を指摘する投稿。差別意識があったかどうかは、参加者ひとりひとり違うだろうとは思いますが「韓国嫌い」を喜ばせた側面は否定できないかも知れませんね。と尻馬に乗ってみる。
この企画に流れる揶揄精神自体は好きなんですが。
一色真理
民族差別では?
2002年07月08日(月)10時26分13秒
http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/
▽初心者が語る 超初心者向き2ちゃんねるの楽しみ方案内 へのコメント
一色真理です。ごぶさたしています。
寮さんのご案内にしたがって、2ちゃんねるのゴミ拾いオフのレポートを読みました。
なんだか背筋がぞっと寒くなりました。
これって、正義にかこつけてはいるけど、
日本人の持つ、以前からの「韓国の人たちへの差別意識」を
形をかえて噴出させたというだけではないでしょうか?
ストレートな言論ではなく、背後に本質を隠していること、
また「ゴミ拾い」の形をとっているが、大衆動員による示威行動であること。
裏の裏を推測せずにはおられません。
現在は個人情報保護法案等で、権力がマスコミ弾圧をはかっている最中。
テレビ東京のやらせ強盗事件とか、マスコミ側のミスに乗じて
権力がマスコミを叩き、人々の眼を本当に恐ろしいものから外そうとしている時代です。
2ちゃんねるが行っているマスコミや企業に対する攻撃が
権力、あるいはそれよりさらに右側の暗い力からの要請によっていない
と言い切れるのでしょうか?
管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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