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清水雅彦
原子力問題について一言
2001年12月13日(木)11時38分39秒
はじめまして。 寮先生に私の12月5日のレジュメをこの掲示板で掲載していただいた清水と申します。今回、原発論争へのお誘いを受けましたので、専門(憲法学)外ながら、思っていることを述べさせていただきたいと思います。
まず、私の基本的立場は、科学技術の発展を全否定すべきでないと考えるので、原子力開発そのものが悪だとは考えません。しかし、現在の科学技術で安全性が確保されない以上、日本の原子力政策は転換し、原発は全廃すべきだと考えます。かつてのチェルノブイリ事故をあげるまでもなく、一度大事故が発生すれば、放射能汚染は国境と時間を越え、すなわち、他国民と将来世代に多大なる被害をもたらす以上、それに責任をとれない現在の私たちが推進するのは無責任だと思います。
原発が本当に安全なら、大消費地のすぐ近く東京湾や大阪湾に作るべきですし、ガスタンクの近くにガス会社の社員寮があるように、電力会社の本社、支社、社員寮などを原発に隣接すべきです。しかし、遠く離れた地方に、送電ロスが大きいにも関わらず、地元民を札束でたたいて建設しているのが現状です。この点で、原発に賛成する都会住民のエゴも批判されるべきだと思います。
消費者の中には原発賛成派が多いようですが、電力会社は正確な情報を開示し、消費者は冷静に判断すべきだと思います。電力会社が火力発電を止めて、原発の稼働力を高めていること(原発による発電割合を高く見せかけていること)、原発の建設・維持・廃棄・廃棄物の管理費・政府による原子力開発費などトータルで発電コストを算出していないこと(原発は安いという宣伝。電力自由化で競争の激しいアメリカは、原発はコストがかかるし、スリーマイルの経験から79年以降、原発の新規建設がないという事実)など。
今や原子力開発に熱心なのは日本とフランスですが、なぜ日本はこんなに熱心なのでしょうか。それは原発が儲かるからだと思います。財界の利益代表政党、自民党が電力会社の意向に添って戦後の原子力政策を実行してきたのです。特別に地域独占が認められ、倒産することもない電力会社は、競争もなく、投資額に応じて利潤が設定される仕組みから、投資額の大きい原発を重視することで膨大な利潤をえているわけです(よく、日本の電気代は欧米に比べて高いと指摘されていますよね)。政府・電力会社の表面的な宣伝にだまされてはいけないと思います。
その点で、一つの参考となるのは、ヨーロッパの動きでしょうか。スウェーデンは既に80年に原発全廃を決定していますし、昨年にはドイツも原発全廃を決定しています。そのドイツでは、風力発電の発電量が600万kwです(日本は15万kwで、電力会社が買い取りに消極的だから、風力発電が広まらない)。
他国や将来世代に対する無責任、電力会社の儲け主義をやめて、代替エネルギーへの転換とそもそも電力使用量の抑制に向けて、政策転換を行うべきだと考えます。
寮美千子
そこに流れる宇宙があった/門坂流との邂逅
2001年12月11日(火)18時57分44秒
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▽門坂氏作品・輪郭線不在の一考察/独断篇 へのコメント
東逸子さんが、以前 Cafe Lunatique で門坂流の作品論を書いてくださいました。さすが、画家の眼は違うと唸らせられるようなすばらしい評論。というか、ふつう画家は言葉は苦手な人が多いのに、東逸子は例外的存在。頭の中に、きちんとした論理的回路を持っていて、それを自在に言葉に結びつける能力があるらしいのです。と同時に、論理でこぼれおちるものをも言葉と言葉の網ですくいあげてしまう。ううん。参りました。シャッポを脱がなくてはなりません。
そんなわけで、遅ればせながら、わたしも門坂流氏についてのごく私的な文章を書いてみました。流星群の夜のことを書いてあります。読んでみてください。
review0000.html#review20011211184740
目玉おやじ
判って欲しい
2001年12月11日(火)02時09分29秒
▽ちょっと質問 へのコメント
>ここでの議論は、原発推進派の論理を破るために、
いや違うのです。
原発反対派の「論点の弱さ」を指摘することで、原発反対派の人たちの「原発推進派への意見の弱点を
補強する」というのが狙いです。
寮美千子
テロ・報復戦争と日本――憲法上やってはいけないこととやるべきこと/清水雅彦
2001年12月11日(火)00時36分54秒
http://ryomichico.net
12月5日、和光大学にて「同時テロとアフガン『戦争』を考える集い」が開催されました。問題提起者は和光大学のロバート・リケット氏、松枝到氏、清水雅彦氏。ことに憲法研究の清水雅彦氏のお話は、興味深いものでした。清水氏はご自分のHPをお持ちでないとのこと。せっかくの問題提起が、参加した30名ほどだけのものになってしまうのはしのびないので、ここに清水氏のお許しを得て、そのレジュメを掲載させていただきます。
「テロ・報復戦争と日本――憲法上やってはいけないこととやるべきこと」
2001.12.5 清水雅彦
はじめに
一 アメリカの報復戦争と日本の対米支援の問題点
1 アメリカの報復戦争の問題点
(1)国連憲章違反(51条の自衛権、86年の国際司法裁判所判決)
・武力攻撃の要件…現に攻撃を受け、受けつつある
・暫定性の要件 …安保理が必要な措置をとるまでの間に限って
・均衡性の要件 …自衛措置は必要範囲内で(先制・予防、報復は不可)
(2)安保理決議違反(1368号、2001.9.12)
・自衛権の確認、あらゆる必要な手段をとるとするが、授権・容認でない
(3)国連総会決議違反(1970年の2625号、友好関係原則宣言)
・武力行使を伴う復仇行為を慎む義務
(4)結論
・アメリカの行為は国際法違反であり、即刻中止すべきである
(5)テロ事件の解決策
・国際犯罪として国際法廷で処罰(88年リビアによる米機爆破テロ)
・そもそもなぜアメリカが攻撃されるのか考え、従来の政策を検討すべき
2 テロ対策特別措置法の問題点
〜米軍などの外国軍隊の軍事行動に補給・修理・医療、武器弾薬人員輸送等
(1)支援対象(1条1号)
・テロ攻撃の脅威の除去、その他の外国の軍隊その他これに類する組織
→9月のテロに限定されず、アメリカ以外の軍隊支援可能(北部同盟等)
(2)自衛隊の活動地域(2条3項)
・現に戦闘行為が行われていない公海上、外国の領域
→全世界どこでも活動可能に、後方地域も国際法上攻撃対象に
(3)自衛隊の支援活動(3条1項1号、別表第1)
・給水・給油、人員・武器・弾薬輸送、修理・整備、医療・施設提供等
→1907,49,77年のジュネーブ諸条約で後方支援部隊も戦闘部隊と同様
太平洋戦争中米軍による日本の平たん任務の民間船攻撃で6万人死亡
日本の武器・弾薬の提供は出来ないが、米軍の輸送はできる(核も)
(4)自衛隊の武器使用(11条1項、2項)
・自己の管理下に入った者の防護、上官がいる場合は上官の命令で
→米軍の傷病兵も防護することに
部隊単位での武力行使可能に(cf. 自衛隊法89条2項の治安出動)
(5)国会の承認(10条)
・当初事後報告、修正案で派遣決定後20日以内に国会の事後承認に
・自衛隊法76条の防衛出動は原則事前、20日後の不承認は意味ない
(6)結論
・対米支援は集団的自衛権の行使にあたり、憲法上許されない
(7)日本の対応策
・法と正義に基づくテロ撲滅、国際法違反のアメリカ批判、アメリカ・
イスラム間の仲介役、構造的暴力の解消
二 日米戦後戦略の背景
〜資本主義体制の維持・強化が至上命題
1 アメリカの狙い
(1)アメリカの戦後の主要な2つの敵
・「社会主義」(東)←NATOや日米安保体制で対処
・民族主義(南) …軍事同盟と経済援助、多国籍企業の進出により
安い資源、労働力、商品市場獲得(新植民地主義)
←民族運動にはLIC(Low Intensity Conflict)戦略等
(パナマ、リビア、イラン、イラクに対する攻撃)
(2)アメリカの世界支配の主要な2つの手段(独占と傘の下支配)
・核兵器…核不拡散条約、国際原子力機関(IAEA)体制、貧者の核兵器規制
・石油 …49年メジャーの支配確立(上流・生産と下流・輸送精製販売)
60年OPEC結成(上流は奪われるが、王制産油国との癒着体制)
58年イラク英傀儡政権打倒・バース党政権(75年石油国有化)
79年イラン革命(反西洋のイスラム原理主義、石油の国有化)
2 日本の狙い
(1)日本の資本の展開と役割の変化
・70年代以降の日本企業による海外直接投資の急増
80年代以降の国内生産から海外生産へのシフト転換、多国籍化
→進出先国の政治的経済的安定必要に
・米の経済力の低下(財政赤字と経常収支赤字の双子の赤字)
→「経済大国責任論」「国際責任論」さらに「国際貢献論」へ
(2)日本の戦略
・軍事、政治、経済、社会、文化の全てに渡る総合安全保障論の登場
(平時)ODAによる日本資本の活動円滑化のための相手国の条件整備
(有事)進出先の邦人救出、市場の防衛・開拓
・アジア諸国の反発、自衛隊の装備・海外拠点の不足・欠如
→アメリカの後方に回り権益保護・獲得…新ガイドライン cf.対米従属
→日本独自に権益保護・獲得…PKO派兵、邦人救出
三 私たちに求められていること
1 憲法の平和主義再考
(1)戦争違法化の歴史
1919年 国際連盟規約 1791年 フランス憲法
1928年 不戦条約 1946年 フランス第4共和制憲法
1945年 国連憲章 1947年 イタリア憲法
・正戦論→文民・捕虜の保護、必要最小限の攻撃→兵器の制限
・正戦論→侵略戦争の制限→侵略戦争の放棄
→この徹底化・行き着く先が日本国憲法
(2)国連憲章との比較
・集団的自衛権(国連憲章51条)…1944年ダンバートン・オークス提案には
なかった、NATO・ワルシャワ成立へ
・集団安全保障(憲章41・42条)…対ファシズムという第二次世界大戦の
影響、正戦論の立場
・武力による威嚇と武力行使…憲章2条4項「慎まなければならない」
憲法9条1項「永久にこれを放棄する」
→日本国憲法は正戦論を否定し、国連憲章よりも進んだ平和主義にある
(3)憲法の平和主義
・消極的平和主義…単に暴力(戦争)のない状態をめざす
・積極的平和主義…「構造的暴力」(国際及び国内の社会構造による貧困
・飢餓・抑圧・疎外・差別などが存在する状態)のない
状態をめざす
→軍事力による国家の安全保障(資本主義の維持・発展)ではなく、
非軍事的手段による人間の安全保障へ
2 運動・世論の状況と展望
(1)政党・労組
・公明党、民主党
・社会党…非武装中立→自衛隊違憲・合法論→村山政権の容認路線
・共産党…憲法改悪阻止→非武装中立?→自衛隊活用論
・労組 …総評の労資対決路線→連合の労使協調路線 cf. JR労組の取組
→政党・労組内での活発な議論、国民の建設的批判
(2)マスコミ
・読売・産経…ますます進む先鋭化
・朝日・毎日…良識派を装いつつ体制内化(朝日10月9日社説の容認論)
cf. 国家秘密法案反対報道と自衛隊法改定問題
→国民のマスコミ批判、インターネットを利用した情報の発信者に
(3)憲法学界・法律家
・「湾岸戦争」以降の学会による声明発表の消極姿勢
・日本の憲法研究者の緊急共同アピール(10月9日)…賛同者157名
・全国憲法研究会有志声明(11月14日)…賛同者231名、会員からの批判
・報復戦争・日本の戦争協力に反対する法律家の会声明(10月31日朝日
関東版夕刊)…賛同者414名
(4)市民運動
・市民平和訴訟、カンボジアPKO違憲訴訟、ゴラン高原PKF違憲訴訟
…殺さない権利としての平和的生存権
財政国会中心主義を越える納税者基本権
←権利獲得・主体拡大の新たな運動形態
権利は学者・弁護士が作るのではなく、裁判官が創造するのでもない
・最近の新たなインターネットを通じた運動(チャンスなど)
→感情論の克服と理論構築、時短・担い手の拡大、「権利のための闘争」
むすびにかえて
・ある朝大生の叫び
…子どもたちの悩み「なぜ朝鮮人として……」
・ヴァイツゼッカー氏の『三匹の蛙の比喩』
「三匹の蛙が牛乳の容器のなかに落ちた。悲観主義の蛙は、何をしてもどうせ
だめだからと考えて、何もせずに溺れ死んだ。楽観主義の蛙は、何もしなくて
も結局うまくゆくだろうと考えて、何もせずに溺れ死んだ。現実主義の蛙は、
蛙にできることはもがくことだけだと考え、もがいているうちに、足もとにバ
ターができたので、バターをよじ登り、一跳びして容器の外へ逃げた」(加藤
周一「夕陽妄語」1992年8月18日朝日新聞夕刊)
(拙稿参考文献)
・「憲法裁判としての意義」「PKO法」違憲訴訟の会編『カンボジアPKO違憲訴訟』
緑風出版(1998年)
・「新ガイドライン(実施法)と憲法」マスコミ市民361号(1999年)
・「90年安保と日本国憲法」和光大学人文学部紀要第34号(2000年)
・「戦争否定憲法としての日本国憲法―比較の中からその意義を考える」
和光大学表現学部紀要第1号(2001年)
・「ハリウッド映画を読む――映画・政治の暴力(戦争)と法(憲法)」
和光大学エスキス2002(2002年)掲載予定
目玉おやじ
原発は、現在の技術なら反対
2001年12月07日(金)01時48分51秒
▽ちょっと質問 へのコメント
>目玉おやじさんは、心情的には原発推進派?
>それとも、反対派?
前にも触れたように、「まだ人類のテクノロジーが、原子力を御せるまでに到達してない」という理由で、
実用化するのは時期尚早である。
でも、研究まで止めてしまったら、「将来、発見されるかもしれない、ものすごくGOODな、技術の発見までをも、可能性を逸してしまう」
という考えもある。
目玉おやじ
作文が下手なので理解して頂けないようです
2001年12月07日(金)01時45分26秒
▽どうしたの? へのコメント
ナイフだけを例に出した訳じゃなくて、
>何千人も殺している危険な装置なので、旅客機も製造禁止にしましょう。
というのもあったのに「ナイフとプルトニウム」を比較しているだけで、「僕の論点」をはずして「理解できない」
ということだった。
「例えば、ナイフ、旅客機、その他、いろんな危険物がある」という例をあげただけなのに、
そんなのは「理解できない」と、人の話を理解しようとしない。
僕が言ったのは、「ナイフは危険なのに禁止されないじゃないか?」なんていう下らないフレームを
仕掛けようとした訳じゃない。
危険でも価値のあるもの達、それをやめさせるには「危険だから禁止だ」という論法では、
説得力に欠けているという、例を示すことだった。
寮美千子
ちょっと質問
2001年12月07日(金)01時42分16秒
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▽本当に原子力は論外なの? へのコメント
目玉おやじさんは、心情的には原発推進派?
それとも、反対派?
ここでの議論は、原発推進派の論理を破るために、
仮に賛成派の立場をとってディベートしているの?
それとも本音?
目玉おやじ
本当に原子力は論外なの?
2001年12月07日(金)01時35分37秒
▽それは詭弁で、発展的でない へのコメント
>それで話は戻りますが、原子力などというものは、廃棄物処理の危険性・不可能性の一点だけとってみても、論外です。
それは「現在のテクノロジー」だけを考えているからですね?
100年未来になったら廃棄物処理問題が「あっと驚く方法で解決」しているかも知れません。
電気やコンピュータの無かった縄文時代の人達が、現在私達が享受しているテクノロジーの恩恵を
目の当たりにしたら、恐らくは「悪魔の仕業だ」として忌み嫌うでしょう。
例えば現在でも、ガンの治療とかには放射線が必要です。
寮美千子
どうしたの?
2001年12月07日(金)01時35分33秒
http://ryomichico.net
▽対話 へのコメント
>頭ごなしに「そんなの理解できない」なんて言ってたら、「お話にならない」でしょう?
浜野さんは「頭ごなし」になんかいってないよ。プルトニウムがどんなものか、きちんと説明して「だから」これはナイフと同じとはとてもいえないんじゃない、ということを述べています。浜野さんの説明を読んだら「ちょっとナイフと同じとはいえないな」という感想を抱くことは、ごく自然のことに、感じられます。少なくとも、わたしはそう。参考までに、浜野さんの説明を再録します。
プルトニウム――
●半減期:最も寿命の長い244の場合で8200万年。プルトニウムの代名詞であるプルトニウム239で24000年。100万年たっても、放射線は消えない。
●放射線:放射線のうち、ガンマ線や中性子線は弱いので、外部被曝はあまり問題にならない。その半面、アルファ線やベータ線は強い。体内にとりこまれた場合、人体の限られた部分に集中的に作用し、骨肉腫・肺ガン・肝臓ガンといった病気を引き起こす。人体に影響をもたらさない(とされている)「許容量」は「1億分の3グラム」。
●性質:微粒子となって、空中に飛散しやすい。地中に沈着した場合は可溶成分が植物の根から吸収され、食物連鎖を通じて人体にとりこまれる可能性が大きい。過去に行われた核実験の結果、何十万キュリーものプルトニウムが世界中にまき散らされているといわれる。原発をはじめとする原子力施設がこれに拍車をかけている。
●使い道:原爆の材料。ほかには、その強力な放射能を熱源に利用。プルトニウム電池は人工衛星の電源に使われている。その最初は軍事衛星。
cafe0003.html#cafe20011111081522
目玉おやじ
「危険」⇒「禁止」では論拠として弱すぎる
2001年12月07日(金)01時26分47秒
僕が以前から指摘しているのは、「危険」⇒「禁止」というパターンだけを根拠として議論しているだけでは、
「総ての人を説得できるだけの根拠にはなり得ない」という点なのです。
もっと他の「何か」が無ければ、「政府の解らずや」たちまでをもターゲットとして論破するのは難しい。
のではないだろうか?というのが「僕の指摘」なんです。
う〜ん、上手く説明できない。作文が下手。
原子力には、途方も無い危険性がある、と同時に、途方も無い可能性もある。それはまだ発見されてないかも
知れない。いや、今までに発見されてきた「原子力のメリット」なんて、1%にも達してないだろう。
目玉おやじ
対話
2001年12月07日(金)01時15分03秒
▽「発想が理解できない」のではなくて「理解しようとしない」でしょ? へのコメント
人が考えることを「努力して理解する」ことから「対話」が始まります。
頭ごなしに「そんなの理解できない」なんて言ってたら、「お話にならない」でしょう?
目玉おやじ
「発想が理解できない」のではなくて「理解しようとしない」でしょ?
2001年12月07日(金)01時12分29秒
▽プルトニウム へのコメント
>こんなものを、ナイフその他日常のものと同列に置く発想は理解できません。
そうです。他の人が考えることを理解しようとしない人が世の中に多すぎるのがいけない。
門坂流
木魚
2001年12月03日(月)19時10分58秒
▽門坂氏作品・輪郭線不在の一考察/独断篇 へのコメント
パルステラ様
何か書かねばと、、、、。
以前、もしかしたら自分の表現は日本の伝統文化にねざしているの
では、、、?と思う事があり室生寺を訪れた事があったのですが、
やはり若い頃と同じように、お寺や仏像には何の感慨も得られず
杉の巨木に時間のスケールを感じただけだったので、なぜかホッと
したのを思い出しました。
日本の伝統文化への疎外感は、引っ越し少年だった6歳の頃が原点
かと思いますが、幼年期の引っ越しは精神のありように深い影響を
与えるようです。
それと僕が最も深く無意識の領域にまで刻み付けられるのは日本の
風土かと思っています。
僕が絵は、単純に云えば何も考えず(頭を使わず、、いや使えないと
云うのが正確です)眼から手にぬけるノイロンの痕跡の集積かと、、。
多分その事が東洋的な哲学・宗教に近い感覚を与えてしまうのかも知
れませんが、御存じのように僕は悟りとは縁の遠い「怪しい酔っ払い」
でしかありませんです。もう今も酔っぱらって眼がショボショボして
きたので、読み直さずに返信します。悪しからず。
パルステラ
門坂氏作品・輪郭線不在の一考察/独断篇
2001年12月03日(月)08時00分12秒
▽鉱物の銅版画 へのコメント
図鑑の結晶と流さんの結晶の違いについて、寮さんがコメントされて
いたのを興味深く拝見しました。私もその謎については、以前から感じていたことがあります。
流さん、寮さん、的外れでしたらお許しを。これは、あくまで私見、独断です。
「流さんの絵には稜線(輪郭線)が無い。」
まさに、そもそも物の存在というものには輪郭線は存在しません。
まわりの気と響き会うものを常に伴い、立体である物達は呼応しつつ、そこに存在しています。
しかし、多くの画家は敢えて、時には安易に輪郭線で物体の存在を表現します。
*油絵や一部のテンペラ画の世界では、ルネッサンス期あたりにスフマートという、輪郭線を描かずに
背景に丁寧にぼかし込む技法が考えられ、ダ・ビンチの絵などには見られますが、
この技法は、実は流さんの場合と同じように、物には輪郭線は存在しないという主旨のもと考案され、
実践されたものと考えられます。しかし、この技法はエッチングやペン画などの線描画には
あまり見られません。私の知る限り、はっきりと輪郭線が描かれているのがほとんどです。
流さんの絵を初めて拝見したのは、もう数十年も前になりますが、
それは、風景ではなく、西洋のアンティークな家具や古い人形などの「物」が描かれた絵本でした。
そこには、背景もその流麗なラインで描かれていながら、やはり輪郭線のない「物達」は、
くっきりと存在していました。
寮さんが所有されている、流さん描くあの結晶と同じ存在のあり方です。
この時以来、私もこの不思議な、西洋絵画のテイストを保ちながらも西洋絵画にはない感覚の
謎を考えていました。
そして、流さんの 輪郭線の消失にも関わらず際立つ物の存在感は、西洋庭園に比べる日本庭園
との違いに通じているようだと思い至ったのです。
つまり、西洋庭園の多くは、自然に対して人工の存在を際立たせるかのように
或いはまるで対立するかのように造られてています。人工的な美を主張しているとも言えます。
一方、日本庭園というのは、自然の流れの中に参加して溶け込むように造られています。
そこには、たとえ計算し尽くしたものであろうとも、実に「自然」というものに対しての
融和が見られます。これは、日本人独特の自然に対する深い畏敬の念から来たものかも知れません。
古来の日本家屋の、庭から縁側、障子を通して部屋の内部へ入って来る一日の光と陰の
移り変わりを愉しむ見事さを思い起こしても、それは通じるものであろうと思います。
日本人のもののとらえ方は、(浮世絵、絵巻などの線描画はまた別ジャンルとして)
本来は漸次(グラデーション)の感覚を持ち合わせているのです。
御覧になったような西洋の図鑑に描かれた結晶は、寮さんおっしゃるように図説であり、
精密に描く事によって、そのディテールを本物の代わりに説明する目的があるので、
その内部の細密表現にのみ眼を向けていますね。さらに、例え図説でなくとも、西洋の画家は
「気」の流れと物の存在との関係には概して日本人ほど敏感ではありません。
流さんの結晶は、説明図ではなく、まず芸術作品であるという点で前者との目的の違いも大きいのですが、
結晶そのものがモチーフであると同時に、そこには結晶という物体のまわりの「気」も、
同じ流れの一環として存在し、表現されています。
じっと存在しているはずの結晶内部まで外の気ともに常に蠢き、変化しているのを垣間見せられたような
流さんの絵は決して画面に切り取られて止まってしまったものではないのです。
言ってしまえば、常に流れ、変化していく「気」の表現なのです。
そこに、周りとは画してしまう輪郭線などあり得ないのは、ごく自然な事なのでしょう。
これは、日本人の優れて高度な漸次の感覚、先に触れた日本庭園に見られるエスプリにも通じるものと
思えてなりません。なおかつ結晶というモノを慄然と存在させてしまうというのは、流さんならではの
「超手業」なのですが。
禅などでは「無、空」とは、決してnothingではなく、満ち満ちた無、空であると言われますが、
流さんの画面全体にはまさに「空が満ちている」とは言えないでしょうか。
流れ行く線の中に、くっきりと立つ木や石、また風景そのものからは、時には移ろい易さや無常感すら
伝わって来ないでしょうか。
これは、技法以前にまで基を辿ると、西洋絵画の伝統ではまず生まれにくい感性なのかも知れません。
私は西洋人ではありませんから、ヨーロッパ伝統の中での門坂芸術の受け止め方については
想像の域を脱し得ませんが、西洋的な技法やタッチでありながら日本人独特の「気」の流れとの
融合表現に成功した流さんの作品は、非常に新鮮な驚きをもってウィーンでも迎えられた
のではないかと思っています。
(かつて、輪郭線の美を持つ浮世絵で西洋人を驚かせたように、今度はその消失の美で?)
またどこか異国の地で個展をなさるのを期待しております。
異文化の人々の感性にはどう響くのか、機会がありましたら是非お伺いしたいですね。
*いつもは辛口のイラストレーター山下勇三氏がつい先日、
流さんに「他は**だけど、君の作品には気品がある」とおっしゃっていたのを私は聞き逃さなかった。
目一杯酔ってた門坂さん、ちゃんと覚えてますか。この後半の言葉には、同感です。
* **** *今回くどくど語り過ぎ!ですが、本来はヴィジュアル情報屋です**
グレン横田
中国語訳/おおきくなったら なんになる?
2001年12月02日(日)00時40分33秒
▽英訳/おおきくなったら なんになる? へのコメント
英訳拝見しました。
これくらいの分量でしたら、
私が中国語訳をしてさしあげてもよかったのに。
「日本語→英語→中国語」と遠回りするより
「日本語→中国語」の方が近道で、
原文のニュアンスがよく伝わったかもしれませんよ。
私の中国語力を、棚のずうーーーっと上の方に
思いっきり放り上げて言っている話ですけれど(笑)。
*
寮さんがCafe Lumiereでおっしゃっていた、
リーディング・ワークショップというアイデアもいいですね。
めでたく実現の暁には、
私は中国語版の「いたいのいたいの とんでいけ」を
読ませてもらうことにしましょう。
トチっても誰にも分かんないから(笑)。
あのかっこいいヘッドセットも使わせてもらえますか?
*
I'm very happy being myself.
I'm very happy, I love my life.
……というのを中国語で言うと、
我很幸福因為我原来是我自己。
我很高興,我珍惜我自己的生活。
……ってとこでしょうか?
ちょっと固いかな。
寮美千子
英訳/おおきくなったら なんになる?
2001年12月01日(土)12時22分56秒
http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:英訳/おおきくなったら なんになる? へのコメント
拙著「おおきくなったら なんになる?」(鈴木出版2001)を、香港芸術院のプロジェクト「アート・イン・ホスピタル」への提供作品第二弾として送ることにしました。第一弾「いたいのいたいの とんでいけ」(鈴木出版 月刊絵本こどものくにチューリップ版 1996)は、すでに中国語訳され香港で出版されています。
先方では、スタッフに日本語の読める人がいないというので、前回に引き続き、今回も英訳をつくりました。わたしの拙い英訳を、翻訳家の田中彰氏がボランティアで文法チェックしてくださいました。感謝。
いつも思うことだけれど、わたしの作品はわりあいと論理的数学的に組み立ててあるので、どうも英語と相性がいいようです。むしろ、論旨がはっきりくっきりして、この作品の場合など、英語の方がすっきりと伝わるような気さえしました。日本語では、くどくなるので入れたくても入れられなかった言葉
I'm very happy being myself.
I'm very happy, I love my life.
も入れられて、よりよくなったような気さえします。朗読しても、リズミカル。これなら、納得しなかったφ本くんも納得してくれるか?な? というわけで、ご一読下さい。
review0000.html#review20011201115758
寮美千子
鉱物の銅版画
2001年12月01日(土)02時46分43秒
http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:19世紀鉱物図鑑の銅版画と門坂流の水晶 へのコメント
19世紀の鉱物図鑑の銅版画と門坂流の水晶の版画はどこが違うか?
こちらを見よ!
review0000.html#review20011201024346
グレン横田
アフガンの人たちの素顔を
2001年11月29日(木)23時14分39秒
某所にて天の声を受信しました(笑)ので、
初めてこちらへ投稿することにしました。
自己紹介のようなものを申し上げますれば:
私こと「グレン横田」は、
俊足が売り物の草野球選手として活躍するかたわら、
東京都内で外国語加工業に携わっております。
寮さんの磁界に引き寄せられた作用でしょうか。
宮澤賢治の詩のいくつか、
とりわけ詩集『春と修羅』の序でしたっけ、
「私といふ存在は/假定された有機交流電燈の……」
っていうあれがとてつもなく好きだったことを、
最近になって久しぶりに思い出しました。
さて、
以下はリクエストにお応えして、
鳥海さんの掲示板に投稿した文章を転載いたします。
****転載ここから****
タイトル「アフガンの人たちの素顔を」
投稿者:グレン横田
投稿日:11月25日(日)15時24分02秒
「よみがえれカレーズ」という日本・アフガニスタン合作の
ドキュメンタリー映画を見てきました。
1988年にアフガンの現地で撮影されたそうです。
いい作品でした。
かの国で地に足をつけて普通に暮らす人たちの「素顔」が、
落ち着いた筆致で温かく描かれているのがうれしかったです。
それぞれの土地に根差したスタイルで、
おそらく何世紀もの間ほとんど変わらぬ
暮らしを続けている人たちの姿に、
えもいわれぬ尊さを感じました。
大量生産された工業製品に頼りすぎることなく、
自分たちの土地でとれた食物を
自分たちの手で丁寧に加工して日々我が身を養う人たち。
神への真摯な帰依を心の支えにして、
我が身を律しながら暮らしている人たち。
それにしても、大人も子供もラクダやロバまで(笑)、
よく働くこと!
大人たちの仕事ぶりを横で見て、
あるいは小さいうちからせっせと手伝って、
生きる術を自然に身につけていく子供たち。
われわれ先進国の住人が失ってしまったかもしれない、
人間が人間らしく生きていくために大事なことが、
あの土地では淡々と、しかしたしかに、
息づいているのですね。
お金や工業製品は少ないかもしれませんが、
家族や隣人どうしが助け合いながら、
多くの人が基本的には
満ち足りた気持ちで生きておられるように見えました。
内戦や外国軍からの武力攻撃で、
そのような大事なものが理不尽に破壊されることには、
ますます怒りと悲しみがつのります。
テロ対策はもとより必要ですが、
関係当事者には、
身内を殺されて悲嘆に暮れる人たちが
最も少なくて済む方法を選んで欲しいと願います。
腕のいい職人さんたちが懸命に修復にあたったモスクが
今回の戦乱で破壊されなかったことを、
農民たちが何世代にもわたって丁寧に使ってきた
カレーズ(地下水路)が枯れていないことを、
そして、難民・避難民たちが
なんとしても生き抜いてくれることを祈るばかりです。
UNHCRやWFPといった国際機関のアフガン国内での
緊急援助活動も始まったと報じられています。
治安面の不安など障害もまだまだ多いようですが
少しでも多くの住民の手に支援物資が届きますように。
映画の会場は東京都内のBOX東中野。
JR総武線各駅停車で新宿から2駅目・東中野駅で降り、
西口を出て新宿側へ少しだけ戻った左側にあります。
上映は各日午前10時15分からの回のみ。
今週金曜、30日が最終日です。
都合のつく方はぜひご覧ください。
http://www.mmjp.or.jp/BOX
****転載ここまで****
東京での上映は、明日が最後になってしまいました。
今日これを読んでも、行けない方がほとんどですよね……
しかーし、安心召されい!
「よみがえれカレーズ」を監督された土本典昭さんのHPに、
http://www2.ocn.ne.jp/~tutimoto/newpage5.htm
同作品の今後の上映予定が紹介されていたのです。
以下に抜粋いたしますので、
お近くの方はぜひご覧くださいませ。
あるいは、みなさんの地元で自主上映会など
企画されるのも一案かと思います。
このような時期だからこそ
見るべき価値のある作品と思われます。
上記サイトには、
作品に関する解説や監督さんの言葉も掲載されています。
是非ご参照ください。
●12月1日(土)
場所 二宮町(神奈川県)ラディアン
主催 大磯町ナショナルトラストクラブハウス
Tel 0463-71-2574(小宮山)
●2002年1月放送
50ch 衛星劇場
http://www.eigeki.com/
●2002年1月19日〜2月1日 モーニングショウ 10:20〜
場所 大阪 シネ・ヌーボォ
問い合わせ06-6582-1416 担当 奥
http://terra.zone.ne.jp/cinenouveau/index2.htm
●2002年2月13日〜2月18日
一日2回上映 12:15〜/19:55〜
場所 神戸 神戸アートビレッジセンター
問い合わせ 078−512−5500
http://kavc.or.jp/
寮美千子
オーロラへの道
2001年11月29日(木)17時07分23秒
http://ryomichico.net
プラネタリウムの番組「オーロラストーリー」を制作したMARIKOさんは、
山梨県立科学館の学芸員。星野道夫に出会い、導かれるように歩んだ彼女のことが、新聞に載りました。山梨県立科学館では、今月16日まで、星野道夫写真展も開催中。新聞は、こちら。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/science/Earth/200111/26/yume.html
寮美千子
『ぱろる12号 ルポルタージュ特集』で新人一挙に3人デビュー!!!
2001年11月28日(水)17時58分03秒
http://ryomichico.net
▼
パロル舎発行の雑誌『ぱろる12号 ルポルタージュ特集』(2001年11月30日発売)に寮美千子が原稿を書いています。タイトルは以下の通り。
わたしがマザー・テレサに会いに行った本当の理由
以前書いた『
マザー・テレサへの旅 ボランティアってだれのため?』(学研1997)は、世界の有名人マザー・テレサの礼賛本だと勘違いされがち。しかし、そうではありません。読めばわかるはずなのに、なぜか読んでもわからない人もいるらしい。きっと「マザー・テレサ=偉い&すばらしい&ヒューマニスト」という図式が頭にあるためでしょう。そこで、これは礼賛本ではなく、事実を事実として書いた本だということをくどくどと説明した蛇足のエッセイです。それだけではなく、フリーのノンフィクションライターの仕事の実際が生々しく描かれ!?ています。ご一読を!
▼
以上は、前座。ここからが本題だ。和光大学「物語の作法」で勉強中の学生諸君の作品。あまりにユニークですばらしいので、ぜひ世間の眼に触れさせたい!と、パロル舎にお願いしたところ、雑誌掲載と相成りました。作品は次の通り。
ミーコのあめがふってくる 鈴木一業
ちょっとだけ大丈夫 杉山千絵
ゆうやけ 東條慎生
若き才能のデビューです! ぜひ読んでやってください。
あ、そうだ。新人は3人じゃなくて、4人。寮美千子が職権乱用?でイラストを描いています。これも見てやってね。では。
下記は「物語の作法」作品発表のための掲示板。ほかに
雑談版もあります。
pttp.html
寮美千子
寮美千子「さうすウェーブ」に登場!
2001年11月28日(水)13時39分36秒
http://ryomichico.net
▼Review Lunatique:寮美千子「さうすウェーブ」に登場! へのコメント
「さうすウェーブ」というネット・マガジンに寮美千子インタビューが掲載されました。前代未聞・空前絶後の大容量での大紹介。(ページは分かれていて重くないから安心してね)。先日のホロプラとのライブや「夢の解放区展」に出品したオブジェの写真も! ぜひ、ご覧ください。そして、ご感想を!
「さうすウェーブ」寮美千子インタビューはこちら。
http://swave.atlas.co.jp/swave/6_env/ryo/ryo01.htm
インタビュー経緯などのは、寮美千子のReview Lunatique/日記へ。
review0000.html#review20011128133605
門坂流
「遊星達の消息」の訂正
2001年11月23日(金)11時42分37秒
寮さんに「遊星達の消息」で紹介してもらったアナ・マリア・クリスティーナさんの絵は独学で、自分の心の癒しの為に若い頃から毎日描き続けていたもので、僕が教えたのではありません。僕は木ノ葉画廊に紹介しただけです。
彼女は個展は初めてなので、良かったら見てあげて下さい。
12月の6日の6時からオープニングパーティです。実は彼女のダンスを見た事が無いのでパフォーマンスを楽しみにしています。
案内状が欲しい人は(ryu-@mx10.ttcn.ne.jp)まで連絡下さい。
寮美千子
ほんとうに「発展」は必要か?
2001年11月23日(金)01時26分53秒
http://ryomichico.net
11月21日、会議で上京した黒田武彦氏(西はりま天文台台長)を拉致して、我が家で緊急会議。「人はなぜ☆を見るか」「☆を見るとどんないいことがあるか」についての絵本の構想を練ろうということで、数人が集ったのですが、話がやっと端緒についたところで、すでに深夜十二時。それからさらに一時間、会議を続行したものの、結論らしい結論がでないまま、この話題はネットで続行しようということで、お開きになりました。
というのも、話題が「人類に発展は必要か?」「発展とは、何か?」「科学的、とは何を意味するのか」「真に科学的な態度とは、何か?」など、根元的な文明論になったため。いま、話題になっているプルトニウムのことも含めて、これからも深く考えていかなければならないテーマであると思っています。
因みに「真に科学的な態度」とは、一言でいえば「総合的に考える」ということだと、黒田さんはおっしゃっていました。その詳しい説明は、またこんど。
目玉おやじ
極端にヤバい⇒禁止
2001年11月22日(木)19時01分41秒
▽それは詭弁で、発展的でない へのコメント
>……それは、プルトニウムが極端にヤバい物質だからです。
でも、それは、まだ人類のテクノロジーがその物質を御することができるようになってないから、だけ、なのかも知れません。可能性として。
ヤバイから研究さえもやめてしまう、というのではなくて、例えば200年ぐらい後に、すばらしい技術が見つかるかもしれません。
シアン化カリウムも極端にヤバい物質ですが売られていますよね。でも「ヤバイ」の規模が違うかも。
まだ実用レベルじゃないから、原子炉として稼動させるのには反対なんですが…
寮美千子
星をみること/MARIKOさんから
2001年11月22日(木)17時25分17秒
http://ryomichico.net
>「人はなぜ☆を見るか」「☆を見るとどんないいことがあるか」
>みなさんは、どう思われますか?
わたしのそんな質問に、山梨県立科学博物館の
MARIKOさんがCafe Lumiereでこんな回答をくださいました。ここに再録させていただきます。
▼
自分の仕事に関わる大きな命題です。
先日のしし座流星群の日、私は八ヶ岳山麓で、一晩中満天の星空を見上げました。
大地にねっころがって、視界を全部星にして、ずっと空をみていると、
そのうち、背中と大地が一緒になってきて、
そしてそれ全体がゆっくりと動いていくのがとてもよくわかります。
毎日、きちんと夜と昼がやってくることの不思議さ、すごさを感じます。
そうして地球の持つ時間というのがゆっくり自分の中にしみこんでくる感じがします。
これは、青空をみていてもそうだろうか? 星があるからそうなのか?
どちらもあるからますますその意味が深くなっていくのじゃないだろうか?
そして、何より星は遠いところへ思いをもっていってくれる。遠いところから
自分を眺められる、、、そんなことが、どうしたら伝えられるだろうか、
「地球を外からみる視点」
それがプラネタリウムに課せられた一番大きな課題だと、私は思っているのですが・・・
http://www.kagakukan.pref.yamanashi.jp/index.htm
松井不二夫
11.17「after911」感想でも・・
2001年11月22日(木)11時49分23秒
初めまして。松永洋介さんの紹介でおじゃまさせてももらいます。
松永さんとは母校で時々書生談義を交わす間柄でありました。
あいかわらず混沌した時代感覚に、お互いに正義をたてたアメリカとタリバン。アフガニスタンは私が調べている善悪二元論のゾロアスター教の故地でもあり、詩と音楽に満ちた土地でもあった。何か象徴的なつながりが感じられていたが、どう考えればいいのだろうかと思っていた矢先、寮美千子さんの11.17ライブを案内されたわけです。
それで、遅ればせながら11.17ライブ・after9.11の感想を・・
あの事件から早二ヶ月たち、タリバン撤退やらで、一段落ついた気分になっていた。しかし心は日常に流され、時代のテーマを忘れていく。
だが、あの日のCNNの言葉を再び聞くことで、衝撃を思い出す。
ブッシュの声明、ビンラディンの託宣を今一度噛みしめることで、正義と悪の在処を思い出す。
聖書の言葉と、コーランの言葉をあらためて耳にすることで、不条理に立ち向かう意思を思い出す。
そして来るべき言葉、語り出さねばならないだろう言葉の予感に導かれる。
21世紀最初の年が何であったのか、感じながら考えることができた良き時間でありました。
生ピアノとギター(リュート)の音色が染みいります
再演の予定はありますでしょうか?
(それと今週末ゾロアスター教の講座をやりますので、遊星板に案内書き込ませていただきます。寮さんのイヴェントとかちあって恐縮ですが、自己紹介がてらということで・・)
管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
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