ハルモニア Cafe Lumiere (No.0002)

寮美千子/軽い掲示板
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勇崎哲史  「ちゅらさん」のおばー・平良とみ風で  2002年03月23日(土)02時41分00秒
そのココロは? へのコメント

惚れっぽい、というのはねえー、
横田しゃんー(沖縄大和グチ風のイントネーションで、以下も同じ。
つまり、「ちゅらさん」のおばー・平良とみ風で)。
男女の関係だけにはねー限らないんですうー、
とこのおじいは思うわけさあー。
男にも子供にもオラウンタンにもねえー、
自分が暮らす地やあ、よその地もねー。
モノにも星にも、地べたにも、同じべきだからさあー。
あがががあ、あがいたんでえー。(これ、突然に宮古グチよおー)
そんな風に、惚れ込むとねえー、
身がもたなくてさあー。墓穴掘るわけさー。
ただ、惚れ込むことの基本はさー、
男女間のべきさあー。(“べき”というのもねえ、これ、宮古グチよおー)
それも出来ないで、男にも子供にもオラウンタンにもねえー、
自分が暮らす地やあ、よその地もねー。モノにも星にも、地べたにも、
惚れ込むはできないさあー。

グレン横田さま>
僕を褒めゴロしたりしないでね。
墓穴の具体的なひとつの例をあげれば、お金が貯まらない、という感じ。
強いて言えば、カネ儲けはできないけど、ヒト儲けにはなる。

上記凡例
誤)金儲けはできないけど、ひと儲け(うまいこと儲けつこと)にはなる。
正)金儲けはできないけど、“人”儲けにはなる。

ムー大陸  退職しました 2002年03月23日(土)00時49分17秒

3月20日付で19年数カ月勤めた会社を退職しました。
これから行政書士の仕事をしつつ、他の資格取得に励むつもりです。

最後の1週間はほとんど仕事がなかったのですが、毎日会社に顔を出し、「長い間お世話になりました」ということで、ご挨拶と今後の仕事の内容と事務所の住所電話番号を関連部署百数十人に会社のメールで連絡しました。ほとんど営業活動みたいなものですね。
数年の内にこの内何人かの人から仕事の依頼があるかも知れませんが、気の長い話です。
多分2年位は仕事はほとんど来ないと思います。

でも、会社に中国人、韓国人の方が派遣で来ていたのですが、永住ビザとかに非常に関心を示していました。
ひょっとしたらこの辺りから輪が広がって...

登録は4月2日ですので、実際の業務開始はそれからです。
みなさん、御贔屓にして下さい。

グレン横田  プレイボーイになれない男のつぶやき 2002年03月22日(金)22時32分42秒
フリーダ・カーロの恋人 へのコメント

イサム・ノグチについては、ドウス昌代さんという優れたルポルタージュライターが、上下2巻にわたる力作評伝を講談社から数年前に出版されました。

でも、ノグチ本人がかーなーり「自己チュ―」な男だったうえ、(僕と違って)プレイボーイの女泣かせだったらしく、「その評伝を最後まで読むと、ノグチのことが嫌いになること請け合い」という噂(真偽のほどは未確認ですが)を聞き、ノグチファンの私は途中まで読んでほったらかしにしております(笑)。
日本人の父(だいぶと身勝手な詩人)と米国出身の母(地道に生きた才女。ぼく好みか?)の出会いから説き起こし、本人が主に日本で暮らした前半生を中心にした上巻だけでも、非常に興味深く、考えさせられるものでした。異文化のはざまで生きざるを得なかった者の恍惚と不安……とでも言いましょうか。
フリーダ・カーロとの一件も詳しく書かれているかもしれませんねー。興味のある方はお読みになって下さい。むかしフリーダ・カーロの伝記映画を見たことがありますが、ノグチとのロマンスについては触れられていなかったようです。

DORONKO氏曰く:
>グレン横田兄、貴兄も見習ってはどうです、敬愛する
>イサム・ノグチを?!

えー、せっかく励まし(?)のお言葉をいただいたのに恐縮なのですが、今は亡き祖父の「売約済みのご婦人には手を出したらあかんでー」という遺言を破るわけにはいきませぬ。ご容赦ください。

グレン横田  そのココロは? 2002年03月22日(金)22時05分31秒
惚れっぽい人たちへ へのコメント

勇崎さん曰く:
>惚れっぽいのがキミの愛すべき極めてよいところなのだが、
>ときには墓穴を掘ることもある。
>墓穴の見本こそが、この僕なのです。

墓穴?? はて?
そのココロは?
勇崎さんご本人が、惚れっぽいせいでさんざんひどい目に遭ってこられたということでしょうか。
たちの悪い女性にたくさん引っかかったとか(笑)?

まさか、勇崎さんと知り合うと死期が早まるって意味じゃないでしょうね(んなアホな>自分)。勇崎さんは地球上のすみずみに友人・知人を山ほどお持ちだから、そんなわけはないか。

私にとって勇崎さんは決して「墓穴」などではなく、「四次元ポケット」もしくは「どこでもドア」のような存在です。氏のおかげで、それまで触れる機会のなかったさまざまな世界に接することができましたし、色んな人たちとも巡り会わせていただいていますから。
ちゃんと知り合ってからの日の浅さを考えれば、私の人生にもたらされた新たな展開の大きさは、まさに驚くべきものです。これについては、いくら感謝しても感謝しきれないという気持ちです。
北海道への旅も楽しみですねー。

グレン横田  ぎゃあおおうっ! 2002年03月22日(金)21時56分56秒
チェチーリアの恋人 へのコメント

音楽小僧兼野球小僧の横田です。

うれしい人にはちょっとうれしいお知らせがあります。
勇崎氏がこちらの掲示板で以前紹介された、「伊福部昭米寿記念演奏会」(5月19日@東京・紀尾井ホール)のプログラムに変更があるようです。
主催者から届いたチラシによりますと、当初予定されていた4曲に加え、伊福部作品「SF交響ファンタジー第1番」の抜粋がフィナーレとして追加されるとのことです。例の「ゴジラ」のメインテーマが含まれた曲ですね。

コンサートが終ったらみんなであのメロディを歌い、ときどき「ぎゃあおおうっ!」などと絶叫しながら夜の街へ繰り出すのもまた一興かと存じます。
「我こそは」と思わん方がおられましたら、ぜひ一緒に叫びましょう。

>風邪っぴきのりょりょみ先生
私がこれまで20年とちょっとの人生でいちばん感激した肖像画はですねえ、実はいま山梨県にあるんですよ。桃の花が満開になったら、また会いに行こっかなあ♪

寮美千子  チェチーリアの恋人 2002年03月22日(金)20時42分17秒 http://ryomichico.net
フリーダ・カーロの恋人 へのコメント

っていっても、相手がチェチーリアさんじゃ、さすがの色男グラン横田氏も、手が届かない。とはいえ、勝手に自称することはできるよね。「チェチーリアの恋人」って。

ところで、グレン横田氏、チェチーリアの肖像画はいままで見た中で二番目に感激した作品だって言ってたけれど、一番はなあに? もしかして「ぼくの自画像」?なあんてね。ふふ。

わたしはきのう、ある大切な友だちのことで、すごくすごくすごーくうれしいことがあって、うれしくてうれしくてうれしくて、たまりません。ああ、春満開! 桜も満開! 

しかしながら、はしゃぎすぎて治りかけた風邪にしてやられ、きょうは声が出ないのです。とうとう降参して医者にいってきたところ。きょうはいい子にして、これくらいで寝ますっ! Cafe Lunatique にも「ドロンコ氏、おかえりなさい」とかヤノベさんの作品のこととか、書きたいことあるんだけど、またこんどね。

DORONKO  フリーダ・カーロの恋人 2002年03月22日(金)10時02分01秒
惚れっぽいのかなあ へのコメント

……だったことがあるらしいですよ、イサム・ノグチは。
フリーダのダンナであるディエゴ・リベラの目を盗んで、
逢瀬を重ねたりしていたようです。で、その頃のイサム・
ノグチの作品が、メキシコシチーのとある市場の二階に
あるというのですね。これはぼくも、見てみたいもんだな
と思いました。
先日読んだ、『フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像』
(堀尾真紀子著、中公文庫)という本に出ていました。
とても面白い本でした。

グレン横田兄、貴兄も見習ってはどうです、敬愛する
イサム・ノグチを?!


勇崎哲史  惚れっぽい人たちへ 2002年03月22日(金)02時41分35秒
惚れっぽいのかなあ へのコメント

グレン横田さまへ>
惚れっぽいのがキミの愛すべき極めてよいところなのだが、ときには墓穴を掘ることもある。
墓穴の見本こそが、この僕なのです。

勇崎哲史  メシエ101 2002年03月22日(金)02時33分56秒
M101 へのコメント

左近充円さま>
http://www3.synapse.ne.jp/kouko/m101k.jpg
の美しい写真、拝観いたしました。ありがとうございます。
メシエ101(M101)。
天文年鑑と、誕生日に母に買ってもらった全天星図が宝物だった少年時代。
星雲と星団に番号を付していったメシエという人に、子供ながら強く嫉妬したことを思い出しました。

左近充円  M101 2002年03月21日(木)12時42分43秒 http://www3.synapse.ne.jp/kouko/

最近、良い空に恵まれていませんでしたが、昨日、一昨日と とても透明度の高い
星空が広がり、系外銀河M101を撮影しました。2700万光年の彼方にある直径17万光年
の渦巻き銀河はなかなか手ごわくて、露出時間を240分かけました。23時に撮り始め、
撮影が終わったのが午前3時。赤道儀が60度動く間、光を蓄積したことになります。
別名、「回転花火銀河」です。
↓にリンクしました。ご覧下さい。

http://www3.synapse.ne.jp/kouko/m101k.jpg

寮美千子  白貂とイサムノグチと天使たちと星のこと 2002年03月21日(木)03時26分28秒 http://ryomichico.net
惚れっぽいのかなあ へのコメント

▼白貂
お願いだからうちにきてちょんまげ>グレン横田さん
には思いっきり笑わせてもらいました。でも、来たのは貴婦人じゃなくて白貂の方だったのね。お茶目な横田くん! ダ・ヴィンチの「白貂(を抱く貴婦人―チェチーリア・ガッレラーニの寓意的肖像」はともかくすばらしい。現物じゃなくちゃ、そのすばらしさはわからない。必見です!

▼イサムノグチ庭園美術館
さて、以前より気になる彫刻家だったイサムノグチ。あちこちで目にしたことがあったけれど、わたしも先日、横浜美術館で見ました。そこでもらったパンフに「詩人の野口米次郎を父に、アメリカ人を母として生まれた」とあり、怒り心頭。名もない家庭婦人には名もなくていいのか? 詩人と家庭婦人じゃ、詩人だけに名をかたるような価値があり、母は単なる「アメリカ人」なのか? これが、アメリカ人じゃなくて「黒人」や「韓国人」と書いてあったら、どうだ。「日本人」ならどうだ。名前ないなんてひどいんじゃないの? っていうことになりはしないか。それがアメリカ人でも同じこと。じゃあ、なんでアメリカ人だと見過ごされちゃって公共のパンフになっちゃうのか。ともかく、この表記はあまりにひどい。と、わたしは本題と関係ないところで熱くなってしまいました。

ところで、四国の高松には「イサムノグチ庭園美術館」なるものがあります。イサムノグチが晩年制作に励んだという土地に置かれた作品群。「未完」とあるのは、完成したというと、財団や画商が持っていってしまうので、イサムノグチはわざと「未完成」となのっていたとのことを、晩年の猪熊弦一郎がいっています。

その庭園美術館、要予約でハードル高いんだけど、こんとの西はりま天文台行きの帰りに寄る予定。松山のヴィレッジ・ヴァンガードの店長φ本くんも合流して、いっしょに見に行くんだ。いいでしょう。予約、いまからするところで、まだ間に合うから、いっしょに行きたい人は申し出てね。4日の予定です。

▼パウル・クレー展
わたしも、和光大学の学生たちと見てきました。
技法面での修行を重ね、表現についてあれこれ思考をめぐらし、各地を見聞して歩き、書物の世界で異文化も学び、その上で現出した「考え抜いた末の自由自在さ」とでもいえばいいのでしょうか。見習いたいと思います。>グレン横田氏
わたしも、まさしくそのように感じました。クレーの絵はおしゃれだけれど、正直言ってぴんとこない。クレーの初期の絵を見ていると、具象で絵が上手! なのに、それを捨てて抽象に走った。わたしから見ると「それ、考えすぎでしょう」というような息苦しい作品が並んでいる。けれど、それを突き抜けたところに、あの「天使たち」の絵がある。伸びやかな線。絵を描くしあわせが伝わってくる。人をしあわせにする絵。ああ、これがいい。これがすてき。そう感じました。突き抜けたところにある自在な線は、グレン氏いうように、まさに「恩寵」だよね。

▼土星食
silicaさん、見られたんですね。勇崎さんは残念だったのかな。晴れてさえいれば、空がきれいなら、昼も夜も空はすばらしいショーを見せてくれる。しかも、ただで! だれにでも! わたしら、丸儲けです。ほんと。生きててよかった!

勇崎哲史  星の時間 2002年03月21日(木)01時35分05秒
星の林に月の舟 へのコメント

中学生の頃、天文少年でした。
が、最終学年で恋の海へぽろんと落っこちてしまって(この部分寮さんからの盗作)
夜ごと、片思いに忙しく、毎夜の天文台通いも知らぬ間に終わりました。

「ラスト・コスモロジー」という写真集を刊行された川田喜久治氏の写真に
まさに寮さんの記述をイメージさせる作品を見たことがあります。

>いま土星は、月の船から
>夜の海へぽろんと落っこちてしまった
>ひと粒の真珠のようです。

天文少年だったときに見た世界(宇宙?)、川田喜久治氏の写真、寮さんの記述。
この3つが記憶の中でトライアングルになって、澄んだ音を振幅させながら、
ふわあーっと、色つきの画像が脳裏に描かれました。

あー、楽しかった。

silicaさんは実物がみれて、よかったね。

グレン横田  惚れっぽいのかなあ 2002年03月21日(木)00時04分18秒

無芸大食の横田でーす。

>横田氏は、飲み会で中国語で漢詩を朗読し、
>李白の詩を関西弁に訳して、
>まるで「ただの飲んべえのおっちゃん」みたいな詩にして楽しませてくれ、
>挙げ句の果てに口琴やカリンバを演奏(ちゃんと持参している)、
>そしてモンゴル式の喉歌まで披露してくれる芸達者な人物です。

いくら私がスレンダーで体重が軽いからといって、あまり持ち上げ過ぎないでくださいね。シャイな私は、顔を出しにくくなっちまいますから>りょりょみ先生

今日はひっさしぶりで平日に休みがとれたので、「待ってましたあ!」とばかりにクレーの展覧会「旅のシンフォニー パウル・クレー展」を見に、鎌倉まで行って参りました。
うららか〜♪な好天の下、JR鎌倉駅から鼻歌まじりで北へ向かうこと約10分(無意識のうちにスキップしていたかもしれません)。会場の神奈川県立近代美術館は、実にどうもなんともちょうどいいくらいに古びていて、落ちつけることこの上なしです。しかも中庭には、私の大好きなイサム・ノグチ作品(たぶん)が! まずは美術館に一目ぼれです。
敷地内の大きな池にいた丸々と太った鯉の何匹かとも目が合いましたが、みんな微笑んでいるのが分かりました。
いいところです。

今回の展覧は、画家本人が人生の節目節目で各地へ出かけた旅を軸にして作品を集め、ほぼ年代順に紹介するという趣向。
一見どれも自由奔放だけれど不思議な心地よさにあふれた造形と色彩は、まさにクレーの独壇場。素人目には、正直言ってへんてこな絵ばかりなのに、なぜかとてもとても美しかったり楽しかったりするのです。自分の脳が、理屈抜きで快哉の声を上げているのがひしひしと感じられるというのも、なかなか得難い体験です。暗い色調の作品にさえ漂っている諧謔精神に思わず微笑まされたり……そのへんが、かなづち頭のナチスには気に障ったのでしょうか?

もちろん、感覚的な快楽だけの絵ばかりではありません。最晩年の作品群には、ただならぬ凄みがあります。病魔におかされて自分の死を予感していたせいもあるのでしょうか。シンプルな造形の中にも、なにやら胸締めつけられるような作品が増えていきます。
そんなころにも、なんとものびのびした線で描き出された天使が、画家の手からたくさん生まれたのは、ひとつの恩寵でしょうか。

技法面での修行を重ね、表現についてあれこれ思考をめぐらし、各地を見聞して歩き、書物の世界で異文化も学び、その上で現出した「考え抜いた末の自由自在さ」とでもいえばいいのでしょうか。見習いたいと思います。
(鎌倉会場は3月31日まで。続いて、今年10月にかけて盛岡、津、松本を巡回するそうです。)

そのあと、JR根岸線に乗って桜木町駅に立ち寄り、ダ・ヴィンチの「白貂(てん)を抱く貴婦人―チェチーリア・ガッレラーニの寓意的肖像」とも対面してきました。

惚れました。
ひと目見るなり、両目がハート型になってしまいました。私がこれまで見た肖像画のうち、2番目に感激した作品です。感激のあまり、帰りに思わず白貂のぬいぐるみを買ってしまったことは、誰にも言わないでおこうと思います。

この絵のモデルといわれているチェチーリアさんは、英語読みにすると「セシリアさん」ですよね。私の青春時代にサイモン&ガーファンクルの「いとしのセシリア」という曲が流行っていたのを思い出し、口ずさみながら帰途についたことだけは、とりあえず報告しておきます。たしか、こんな歌詞でした(以下は拙訳)。

  セシリア!
  ぼくのハートは、君のせいでいつも粉々
  君のおかげで、ぼくの自信は毎日ぐらぐら
  セシリア!
  ひざまずいて頼みます
  お願いだからうちにきてちょんまげ(以下略)

上記の展覧会「チャルトリスキ・コレクション展」は、横浜美術館で4月7日までだそうです。みなさんもどうぞお見逃しなく。
同館の常設にもイサム・ノグチ作品があります。そのほか、ミロのブロンズ作品やクールベ、モローらの油絵、写真ではキャパ、ロバート・フランク、木村伊兵衛、濱谷浩らの秀作も楽しめます。

silica  今日はかわいい土星 2002年03月20日(水)22時49分23秒
キュートな土星食 へのコメント

寮さんの掲示板を見て夜空を見上げたとき、土星は嬉々として〜♪月の懐へ飛び込んでいくところでした。 
数時間後、月のうらがわを垣間見た土星は恥ずかしそうに顔を赤らめているようでした。 
その後、月のまなざしは木星へ向けられているみたい・・・。
去年は、木星と土星が兄弟のように近かったですね。あたたかくなってきたので、そろそろ観望会にも行ってみようかなと思っています。^^

寮美千子  星の林に月の舟 2002年03月20日(水)22時16分05秒 http://ryomichico.net

いま土星は、月の船から
夜の海へぽろんと落っこちてしまった
ひと粒の真珠のようです。

みんな、だまされたと思って空を見上げてごらん!

寮美千子  キュートな土星食 2002年03月20日(水)21時01分47秒 http://ryomichico.net

風邪を押して、ヴェランダから土星食を見た無謀な寮美千子です。

土星が月の陰に消える前は、まるで三日月のはしっこから跳ねあがった月の滴のよう。
キュートでお茶目で、とってもかわいかった。

冷えた体をうどんで温め、15分後、再度ヴェランダへ。
土星が月から出てくる瞬間を、双眼鏡で見ました。
これは、つぶった目の形の三日月のはしっこから、
星の滴がぽろっと涙みたいにこぼれた感じ。
これも、どうしようもなくかわいらしい光景でした。

想像以上にキュートな、春の土星食でした。

北の方じゃ、土星はもっと三日月のまんなかを通過したんだよね。
月が地球に近いから、東京と札幌じゃ、全然違って見えるんだね。
おもしろいなあ!

次の土星食は北海道東部で起こる2007年1月7日。さらにその次は2024年です。

寮美千子  月が土星を食べる夜/土星食 2002年03月20日(水)18時34分16秒 http://ryomichico.net

きょうは土星食。関東以北で見られます。房総半島、神奈川、岐阜県、若狭湾を結ぶライン上では、土星は月の縁をかすめるように通過するらしい。

すでに、半分弱に欠けた月のすぐそばに、土星が光っています。もうすぐ、月の影に入ってしまう。潜入時刻は19時44分、出現時刻は20時1分。みんな、空を見あげよう! 月から、光の滴が生まれるようにでてくる土星が見られるかも。

東京では、月のとがった端のすぐそばから土星が出てきます!
http://www.nao.ac.jp/pio/information/020320su.jpg

国立天文台ニュースの情報はこちら。

http://www.nao.ac.jp/nao_news/data/000520.html

寮美千子  遊星たちの消息 2002年03月20日(水)17時15分35秒 http://ryomichico.net

イベント情報コーナー「遊星たちの消息」に、新たに「伊福部 昭 米寿記念演奏会」と「うたううたうたう2002」の新情報が寄せられました。

イベント情報を寄せてくださるみなさん! ぜひここCafe Lumiereでも「書き込んだよ」の告知を! でないと、見過ごしちゃうから。そして、それを心配する心配性のわたしが、こうやって書き込まなくちゃならないから、大変なの。よろしくお願いします。

planets.html

寮美千子  ゴンドラの歌 2002年03月20日(水)01時07分59秒 http://ryomichico.net
「生きる」 へのコメント


「ゴンドラの歌」は、わたしも前から大好きな歌。子どもの頃、両親が見ていた「懐かしのメロディー」みたいな歌番組で、森繁久弥の歌で知りました。ネットで調べたら、こんなことがわかったよ。しかし、なんで「ゴンドラ」なんだ? 演劇と関係ありか?

▼ゴンドラの歌 (吉井勇 作詞/中山晋平 作曲)

 いのち短し 恋せよ乙女
 朱き唇 褪せぬ間に
 熱き血潮の 冷えぬ間に
 明日の月日は ないものを

 いのち短し 恋せよ乙女
 いざ手をとりて 彼(か)の舟に
 いざ燃ゆる頬を 君が頬に
 ここには誰れも 来ぬものを

 いのち短し 恋せよ乙女
 黒髪の色 褪せぬ間に
 心のほのお 消えぬ間に
 今日はふたたび 来ぬものを

▼大正4年に流行

大正四年(1915)、松井須磨子が歌った「ゴンドラの唄」が、前年の「カチューシャの唄」に次いで大流行した。作曲者は、東京音楽学校を出たばかりの中山晋平。このヒットで松井はトップ女優の座を、中山はヒットメーカーの座を手にする。

▼「ゴンドラの歌」の元になった歌

ロレンツォ・デ・メディチ「謝肉祭の歌」(Trionfo di Bacco e Arianna)
  青春は麗し されど疾く去り行く
  楽しむ者は楽しめ 明日の日は定めなければ…
「豪家王」の通称で知られるメディチ家の当主ロレンツォはルネサンスを代表する文化人の一人。彼自ら作詞したこの歌は日本の「ゴンドラの歌」の元になったとも言われている。哀愁に満ちた歌詞と旋律が何とも切ない。

▼いってつないとてつ!

いとてつさんは、中学時代から目指していた電波天文学を研究中。「やりたいこと」を存分にやって生きている人生。そのなかでも、いろいろと軋轢はあるだろうけど、でも、基本的に好きなことをやれる人生はすばらしい! きみはえらい! 好きなこと、がんがんやってね! 研究成果、お待ちしてます。われわれトドシロートにもわかるように、やさしく教えてください。

▼東のひとしさんは、西の人!

豊田勇造さんなんかと同世代の、西の歌い手なんですね!
「鼻毛の伸長度に関する社会科学的考察」は、わたしは確か山本コータローの歌で聞いたように記憶しています。しかし、勇造世代はがんばってるなあ! えらい!

浜野 智  ひがしのひとしを聴こうぜ 2002年03月19日(火)20時15分49秒
うた うた、う 2002 はる」 ●第一番 失くした時計の行方を追って…デジタル時代のモノガタリ へのコメント

首都圏では無名に近い存在ですが、3月30日のライブで一番うれしいのは、ひがしのひとし君がはるばる東京くんだりまで来てくれることです。「鼻毛の伸長度に関する社会科学的考察」という歌をご存知の人がどれくらいいるかは知りませんが、一聴の価値ありと言っておきましょう。僕は彼が20年以上歌い続けている歌「マキシム」(詞は菅原克巳)が好きですね。
  マキシム どうだい
  青空を 見ようじゃねえか
プロフィールは下記で。

http://www.hi-ho.ne.jp/gotta/rabi/higashino.htm

いとてつ  「生きる」 2002年03月19日(火)19時55分34秒
黒沢映画をまとめて見ようとしたら熱が出た へのコメント

最近あまり映画はビデオも含めて見ないのですが、「生きる」は
以前ビデオで見たことがあり、印象に残っています。
「いのちみじかし、こいせよおとめ」という歌がでてきて
印象的だったので紙に歌詞を書き取って机の前に張っていました。
また、主人公が転機を迎えるシーンのバックで「ハッピーバースデー」が
歌われ、主人公が生まれ変わったことを印象付けていたのも
効果的でした。このシーンだけでも黒澤ってすごいと思います。



寮美千子  伊福部昭の北海道 2002年03月19日(火)09時59分33秒 http://ryomichico.net

体中痛くて眠れなくて、朝、体温を測ったら38度。これじゃ、きょうの打ち合わせはキャンセルだな、と思いつつ、お腹が減って仕方ない。しっかり食欲だけあるところは、まるでボケ老人のようである。食欲があるなら、快復するだろう。

ともかく、早く元気にならなくちゃ、いろいろと予定が詰まっているから。近々、鳥取と西はりま天文台行きがあるし、その後、坂田明さんとのリーディング・コンサートだし、北海道はなんとその後! その後、5月の連休は四国に民族学のフィールドワークと目白押し。体力が続くか?

北海道、楽しみです。昨日、伊福部昭氏関係のビデオを見てから、一層楽しみになりました。里の虎さん、よろしくね!

里の虎  北海道に住む者として・人間として 2002年03月19日(火)03時32分34秒
映画紹介 へのコメント

『国労冬物語』は絶対に見たいと思います。

日本の「民主主義」をギリギリのところで守ってくれたのが、ボクは国鉄の労働者だと思います。高校生の頃、駅で国労闘争団の方からビラをもらって以来、10年以上たってもその思いは変わりません。

寮美千子  うた うた、う 2002 はる●第一番 失くした時計の行方を追って…デジタル時代のモノガタリ 2002年03月18日(月)23時22分49秒 http://ryomichico.net

いつのまに、コンサート情報が?!
浜野さんが「遊星たちの消息」に書き込んでくださいました。
中山ラビをはじめとする「濃いい」歌い手たちの祭典のようです。
古川豪とひがしのひとしという、関西の歌い手も参加。
桜満開の3月30日、浅草木馬亭です。
詳しくは、こちらを。

planets0001.html#planets20020317194436

寮美千子  黒沢映画をまとめて見ようとしたら熱が出た 2002年03月18日(月)20時20分06秒 http://ryomichico.net

新作をどんどん見られている清水雅彦氏。レビューをありがとうございます。気になる作品がいくつか目に留まりました。折を見て、見られたらと思っています。

連載原稿が終わってから、いい気になってたくさんの外出予定を入れていたわたし、とうとう無理がたたって昨夜から熱を出してしまいました。喉も痛いし、これは完全に風邪の症状。まだまだやりたいこと山積みなのになあ。早く直ろう!

で、よれよれとしながら見ているのは、まとめて見ようと決意した黒沢明監督作品。いままで見たのは「生きる」1952、「酔いどれ天使」1948、「一番美しく」1944、「わが青春に悔いなし」1946(これはまだ見てる途中)。「一番美しく」で光学機器工場で働く女性たちを主題とした戦争の宣伝映画を撮った黒沢が、戦後すぐに「わが青春に悔いなし」という、思想弾圧に屈しない青春群像を撮ったというの、いろいろ考えさせられました。

科学者が、その力を以てして熱心に戦争兵器を開発してしまう。そこに生じる心の矛盾を「ゴジラ」1954(黒沢作品ではない)では描いていたけれど、芸術家も同じ。天才的才能の持ち主が、その力で「戦争協力」してしまうことの恐ろしさ。才能、はひとつの権力。しかし、才能は好むと好まざるにかかわらず天から付与されてしまう。才能ある人は、その権力をどう使うか、使わないか、という選択を嫌でも迫られることになる。つまり「才能がある=大変な人生」が保証されている、といっても過言ではない。などと思ってしまいました。

「一番美しく」は、黒沢明の監督デビュー第二作。あの時代、映画を撮りたかったらそんな映画を撮るよりなかったのかもしれないけれど、しかし……。その忸怩たる思いが、黒沢に「わが青春に悔いなし」で、正反対の戦争反対の映画を撮らせたのだろうか。禊ぎのような気持ちで。

などなど、思いはつきません。「生きる」の、市民課長が身を挺してつくった児童公園。
その通夜の席で、実は公園建設にほとんど寄与しなかった市役所の人々がいいます。

「ぼくはやる、断然やるぞ」
「そうだ、渡辺さんの後に続け!」
「渡辺さんの死を無駄にしないために」
「ぼくは、生まれ変わったつもりでやるよ!」
「やりますよ」
「やりますよ!」
「がんばるぞ」
「この感激、忘れんなよ!」

そうやって盛り上がって、帰っていく日常。けれど、日常はやはり変わらない。市民からきた苦情や陳情は、他の課にたらい回し。お互いがお互いに責任をなすりつけあい、市役所の複雑な機構のせいにして「なるべく何もしないこと」が美徳とされる。

それを見て、身につまされるというか、胸が痛みました。そんなことは、いまでもいくらでもある。お役所でもそうだし、実際の身の回りにだって、いくらでも転がっている。高い理想を掲げていても、実際に現実にぶつかると、あっけないほど腰砕けになってしまう。そんな人を見ると、がっかりすると同時に、それが人間というものの弱さなのかもしれない、と悲しくもなります。

人間の深い真実を描いた「生きる」。そんな作品を撮ったのも、黒沢が戦争協力映画「一番美しく」を撮ってしまったという事実を、いつまでも深く胸に刻んでいたからかもしれない。あれは、その時の自分への戒めもこめての作品だったのかもしれない。そんなふうに思いました。

川辺川ダムの建設反対運動をしている友人の高橋ユリカさんが「みんな、環境を守りましょう!っていえば、賛成なのよ。だれも反対しない。けれど、現実に直面したとたん、ころっと変わる。『総論賛成、各論反対』なのよねえ。それがむずかしい」と嘆いていたことを思い出します。

よきことを、そのままよきこととして現実に通用させるためにはどうしたらいいのか。目先ではない、生きとし生ける者たちの世界を動かす大原則を感得し、それに従うこと。その大原則のひとつとは「地球生態学」ではないか。昨日、地球生態学の三島次郎先生にお目にかかって、そんなことも考えました。

「エコロジー=生態学は、人間が一番最初に手にした学問です。どこに獣道があるか。いつ木の実が実るか。生存にいちばん必要だったのが生態学。文字にはならなかったけれど、人々は長い時間のなかで、それを知ってきた。それが智恵となって育まれてきたのが、里山の文化です」と三島先生。

そうかあ、ここで「ネイティブ=持ち前」ともつながるんだ。で、そうなると「ゴジラ」の作曲家の伊福部昭だ。などと考えているうちに、弱い頭の熱がどんどんあがる。きょうはもう、寝ようっと。じゃあね。

松永洋介  あす(19日)はセント・ギガの無料放送日 2002年03月18日(月)13時14分17秒 http://www.ceres.dti.ne.jp/‾ysk/

というわけで例によって、赤道上空3万6000キロメートルの宇宙から
美しい音楽とともに降りてくる寮美千子作品のご案内です。

3月19日(火)
 6:00〜 8:00 「春の祭典」
 8:00〜10:00 「森の地図」
14:00〜16:00 「ボイス・イン・マイ・マインド」

セント・ギガの聴取方法はこちら
http://www.stgiga.co.jp/introduction/overview.htm

週間番組表はこちら
http://www.stgiga.co.jp/weekly/folder/DAILY0318-0324.html

清水雅彦  映画紹介 2002年03月17日(日)23時00分52秒

もう見た人もいるかとは思いますが、今月見た映画について、簡単に紹介・コメントします(内容は詳しく説明しませんが)。

『地獄の黙示録 特別完全版』
長くて難解さは変わらないけど、(ベトナム)戦争の欺瞞性・悲惨さを考えるにはいい作品。「戦争の世紀」が終わっても「戦争の世紀」という状況だから、見る価値はあると思います。

『がんばれ、リアム』
1930年代初頭、世界恐慌下のイギリスでのリアム一家の話。造船所の閉鎖で失業してしまったプライドの高いリアムの父が、自分が信じる教会(カトリック)、仕事を奪うアイルランド移民、金持ちのユダヤ人に不満を抱え、ファシスト党の活動に関わり……。リアム役及びその姉役の子が好演。今の日本の不況・右傾化という状況を重ね合わせて、私たちはどう立ち向かうべきかということも考えさせられます。

『ぼくの神さま』
1942年、ナチス支配下のポーランドでユダヤ人の強制連行から逃れるために、ロメックは田舎の農夫・グニチオの家に預けられる。豚を飼っていたことがばれて殺される農民、ユダヤ人の移送列車などナチス支配の現実と子どもたちの生活の中で……。ロメック役のオスメント(A.I.の)もいいけど、グニチオの次男・トロ役の子が非常にいい演技をしている。『リアム』と共通しているのは、大人・社会・時代に翻弄される無垢な子どもたち。私は単純だから、度々目頭が熱くなって辛かったです。過去の悲劇を繰り返してはならないし、現代の教訓にしなければならないと思いました。

『エネミー・ライン』
授業のネタにしようと思い見たのですが、予想したとおり、アメリカの正義を押しつけるためのプロパガンダ映画。見ていて、これからもこのような映画をハリウッドが作り続けていくのかと思い、逆にアメリカの危機感を感じたし、哀れな国だと思いました。しかし、観客は必ずしもそうは思わないから、こういう映画の批判をしなくてはならないのですが。

『人らしく生きよう 国労冬物語』
1987年の国鉄分割民営化の時に、それに反対していたため不当に差別・解雇された国労(国鉄労働組合)組合員の闘いの記録。どんなにひどい見せしめ、嫌がらせ、不当処分・逮捕、差別、解雇にあおうとも、自分たちの信念と誇りを失わずに闘い続ける人々の姿に強く心を打たれる。背景説明が多少不十分だと思いましたが、この国家的不当行為を知り、このような強くて優しい人々がいることを知るために是非見て欲しい作品。実は、私は学生時代の87年3月31日に、当時八重洲にあった国労会館で組合員たちと肩を組みながらインターナショナルを歌って「その日」を迎えました。先の出版労連に呼ばれて講演したときも嬉しかったのですが、私は学生・研究者はプチブルだと思っているので(自分たちの「恵まれた」環境を認識していない人が多いのですが)、労働者と連帯して何かしている時に喜びを感じます。当時から今でもGジャンには国労連帯バッチを付けています。授業でもこの問題は時間をさいて説明してきましたが、今後も語り続けるつもりです。

これらの映画を見てみたいなと思われた方、すみませんが検索等で上映場所・時間を調べて行ってみてください。

勇崎哲史  今年の東川町国際写真フェスティバル、みなさんで来ませんか!? 2002年03月17日(日)23時00分51秒
訂正です! へのコメント

DORONKOさま>
訂正で〜す、とかいって、またまた「自然と文化」誌のPR。それが狙いなんでしょ。ありがとうね。

さて、DORONKOさま&みなさま>
飛弾野氏のオリジナル・プリント、見に来ませんか。
毎年夏に開催している「東川町国際写真フェスティバル」も今年18回目を迎えます。東川町のみなさんが、30代だった頃の僕の想いを実現してくれて、18年目になります。小さいけれどとってもチャーミングなフェスティバルです。

毎年素晴らしいゲストを迎えます(約30人)。会場や温泉宿でのそのゲストとのフレンドリーな交わり、大雪山の融雪による地下水&美味しい手料理。いらした方々は、みな満足度200%!。

昨年、韓国で東川町をモデルに、写真の里宣言をした郡(日本の県に相当)があるほど、つまり外国の人たちが真似っこするほど、素晴らしい(と、自画自賛)。寮さんがお住まいの相模原市も、3〜4年前から毎年視察に来て、東川町を参考にして、昨年から写真のフェスティバルをはじめました。

このフェスティバルにいらしていただければ、飛弾野氏のオリジナル・プリント、特別に蔵出しして見て貰えるよう段取りします。もちろん飛弾野氏宅にも押しかけましょう。否、蔵出しの時に飛弾野氏にも来て貰いましょう。
僕がリタイヤしたら、この場所に方丈ほどの小さな小屋をたてて、そこで人生を終えたいという、林の中に湧き水でできた池のあるところにもご案内しようかな。

今年のメイン会期は7月27日(土)〜28日(日)。会場は旭川空港から車で10分というアクセスしやすく、いい温泉ありますよ。

東川町には上水道はありません。都市のインフラのバロメーターでもある上水道普及率ゼロ%。全世帯が地下水利用。大雪山のに降った雪が溶けて、長い歳月をかけて地下にしみ込んだものです。だから、どこの家でも蛇口をひねるとミネラル・ウォーターがでてくるんですよ。

フェスティバルの詳細は、あらためて投稿いたします。

DORONKO  訂正です! 2002年03月17日(日)17時24分43秒

勇崎さん直々にご紹介がありましたので、不要かとも思いますが、以下の通り
誤りを訂正させていただきます。

×「飛騨野数右衛門」
◯「飛弾野数右衛門」

なお、同号の編集後記には以下のような文章があります。
「インタビューの合間、勇崎哲史さんの案内で開拓時代の湧水地を訪れた。
 小高い山の麓の谷間に、清らかな水が湧き出ていた。薮に囲まれていた。
 広大な北海道の地に、点のような場所を見ることができ、私は少なからず
 感動した。」

グレン横田兄、これって、まんま『アレクセイと泉』ではなかろうか?

とにかく、この「自然と文化」68号は素敵です!一人でも多くの方に、手に
取ってごらんいただきたいと思います。

飛弾野さんのオリジナルプリント、いずれぜひ拝見しに行かなければ!


勇崎哲史  人知れぬマチ・名もない人々 2002年03月17日(日)11時34分43秒
お先しました!(?) へのコメント

DORONKO氏より紹介のあった「自然と文化」誌(財団法人日本ナショナルトラスト刊)68号(2002年1月31日発行)特集「ぼくの日記帳は、カメラだった。〜飛弾野数右衛門と東川町」について。(ひだの・かずうえもん&ひがしかわちょう)
作家・寮さんちのBBSで宣伝するのはちょっと気がひけますが、根がずーずーしい僕ですので、以下乞うお赦しを。

この雑誌は年3冊発行され、日本文化を深く探求する、毎号ひとつの特集だけで編集されている興味深い内容となっています(60〜100ページ位)。

歴史は概ね勝者側によって記述されています。そういった歴史のなかで、人知れぬマチで名もない人々はどのように生きてきたのか?〜地域史と個人史を紡ぐツールとしての写真の力〜そのケース・スタディとして、80数ページに纏められたのが今号です。

飛弾野氏は14歳のときに、従兄弟からカメラをプレゼントされ、以来70年以上も写真を撮り続けておられるアマチュアです(3月27日に88歳の誕生日を迎えられます)。日本のアマチュアの多くは、アート志向があり、コンテストなどに応募し、賞をもらうことに熱心ですが、飛弾野氏はそれらには全く興味がなく、自分の生まれ育ったマチと周囲の愛おしい人々やとりまく事象だけを、日記を綴るように撮り続けてこられました。

カメラのシャッターを押すとフィルムに反転した像が写り、それを印画紙にプリントすると正像が現れる不思議。そのプリントを、写っている人に贈ると、満面の笑みで喜んでくれる歓び。そういった写真の初源的な感動、そして周囲への愛着だけが飛弾野氏を写真に駆り立てる。このように撮り続けられた像が綴られた1冊がこの特集です。
写真版が約170点。それに飛弾野写真を巡っての座談と評伝(飛弾野氏のライフ・ヒストリー)で全体が構成されています。

座談会は、長野重一氏(写真家)+筑紫哲也氏(ジャーナリスト)+平木収氏(写真評論家)+山岸享子氏(写真キューレーター)+岡部あおみ氏(美術評論家)+佐藤時啓氏(写真家)+僕、といった豪華?な顔ぶれ。評伝は僕の執筆によるもので、24〜25枚(400字詰原稿用紙)との指定でしたが、初稿で60枚以上になり、推敲に推敲を重ね(11回推敲しました)、ようやく40枚にまで縮めて本稿としました。人知れぬマチ・名もない人々の評伝としては興味深く書き上げれたのでは、と内心ほっとしています。

こういった写真による地域史&個人史は全国のいたるところに眠っているはずです。この特集によって、それらが目を覚まし、地域で暮らす多くの人々の間でこういったアノミマスな写真への関心が沸き起こってくれたらと、願っています。

本書の取扱店は紀伊国屋書店などたいへん限られていますが、入手方法についてお知りになりたい方は発行元に問い合わせていただければ、と思います。

財団法人 日本ナショナルトラスト
東京都千代田区丸の内3-4-1 新国際ビル810
電話 03-3214-2631
ファックス 03-3214-2633
E-mail
majima@national-trust.or.jp

自然と文化・68号(2002年1月31日発行)
「ぼくの日記帳は、カメラだった。〜飛弾野数右衛門と東川町」
定価 ¥1000・税込
送料 ¥160

追伸:DORONKOさま>
飛弾野作品の大型のオリジナル・プリントは220点作成されています。このプリントをご覧になると、もっともっと感動されると思いますよ。

寮美千子  「森の声 大地の記憶 星の時間」 2002年03月17日(日)00時03分58秒 http://ryomichico.net
はずかしや へのコメント

誤「森の時間 大地の記憶 星の時間」
正「森の声 大地の記憶 星の時間」

そういえば、ちょっとヘンだなとは思ったんだよん。
時間がふたつ重なるから。
それでも、すてきだったけれど、正しい方がもっとすてきだね。
想像力をかきたてられます。

長くてもたかだか百年しか生きられない人間。
その人間が、長い時間のことを考えられる想像力を持っている。
遠い星のことや、宇宙のはじまりに思いをめぐらせることができる。
それにはきっと意味があるはず。

人間は、想像力をもって道具を作ることで、生物以上の力を得た。
その結果、短期間で、地球大気の組成まで変えるようなことになっている。
このままいくとどうなるか。
その想像力を別の方向使って、自分たちの持つ力の行使の結果を想像することで、
いま、何をしていいか、何をして悪いかを知ることができるはず。

人間、森、大地、星。
いろんなレベルの時間の長さを感じとることで、
もっともっと、いろんなことがはっきり見えてくるはず。
「森の声 大地の記憶 星の時間」は
山梨県立科学館のプラネタリウムで4月13日より上映。
期待してます!

http://www.kagakukan.pref.yamanashi.jp/index.htm

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