ハルモニア Cafe Lunatique (No.0021)

寮美千子の掲示板

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黒田武彦  プラネタリウムって幸せだね 2003年04月21日(月)14時00分20秒
プラネタリウム/いろいろ へのコメント

忙しくて掲示板見ることができませんでしたが、熱心なプラネタリウム論議、プラネ
って幸せだなあと思いました。

4月7日、鉄腕アトムの誕生日だったということもあって、手塚治虫さんを思い出して
います。1972年から17年間、大阪市立電気科学館で天文職員として働いていた私
は、プラネタリウムの50周年に遭遇しました。大阪のプラネタリウムをこよなく愛した
手塚さんを呼ぶことを提案し、手塚さんと折衝し、破格(安い方の)の講師謝礼でお引
き受けいただきました。
送迎を含め全部お世話させていただいてよかったことは、直接いろんなお話が聞けた
ことでした。プラネタリウムの音楽にはエルガーの威風堂々がよく使われていたこと
、売店でプラネタリウムというお菓子が販売されていたこと(50周年当時、形を変え
て同名のお菓子が作られていることがわかりました)、アメリカ映画が上映されてい
たことなどです。それよりも何よりも手塚さんが感激してくれたのは、50年も機械が
そのまま使われているということでした。「懐かしくて抱きしめたくなった」と依頼
した原稿にも書いています(自筆原稿持ったままなのですが、どうしましょう?)。
ちなみに大阪は日本初でしたから、投影方法はドイツのやり方の模倣でした。音楽と
共に日暮れ、星座の案内があって、その月のテーマについて解説し、そしてまた音楽
と共に日の出で終わるというパターンです。今となってはこのパターンが新鮮でもあ
ります。

プラネ論議の中心はどうしてもソフト面になり勝ちです。でもメーカーが2社もある
というのにわが国では耐久性などといったハード面が見過ごされ勝ちです。メーカー
もセールスポイントにはしません。ツァイスは50年程度では驚くに値しないと豪語し
ていました。国産では10年とか長くても20年ほどで入替えないといけない現実も問題
にすべきではないでしょうか。
プラネの入替えに10億円も予算がついた大阪市立科学館は別格として、普通は億の
単位は避けたくなります。サンシャインにしても25年間で既に2機、そろそろ入替
える時期で何億もかかるために採算が合わない・・・・が閉館の一つの理由になっ
ています。もっと耐久性で勝負してほしい、とメーカーに言ったことがありますが
頷いてくれません。テレビでも冷蔵庫でも、わざわざ弱い部分を作って買い替えを
促進するという論理の世界に生きているのですから仕方ないのでしょうか。

ソフト面が重要なことはもちろんです。ただ、携わる側に、プラネタリウムの可能性
と限界を知っておく必要はあると思っています。無限の可能性があるんだ、って言わ
れているときにこんなことを書くとお叱りを受けるかもしれませんが、可能性をより
有効に引き出すために限界を知ることは重要だと思うのです。
そもそもプラネタリウムはその名の通り、惑星の見かけの動きを正確に投影できると
ころに生命線がありました。それに加えて観察には長時間を要する日周運動、年周運
動、緯度変化、歳差運動などを短時間に投影できる優れものというのが初期の評価で
した。その惑星投影機構がコンピュータに取って代わり、偏心円(歯車)を使った惑
星機構の妙は消えました。代わって惑星間航行や宇宙空間航行ができるようになりま
した。さらにはプラネタリウム本体の「付属」投影機であった機器類が重要な役割を
演じるようになっていきました。まさに星空という空間は使うけれども、星や宇宙の
解説にはこだわらないエンターテイメントの場に変わっていったと言えなくもありま
せん。
私は20年近く前、文芸誌「すばる」に「デカダンス」というテーマで随想を依頼され、
「プラネタリウムとデカダンス」というタイトルで一文を書いたことがあります。当
時自動投影のプラネタリウムがどんどん増加している時期でした。プラネタリウムを
きちんとコントロールできる「人」がいないと、これからはプラネタリウム怪獣が暴
れ出すといった類のものでした。暴れ出すというのは本来の狙いと全く違った方向に
歩んでしまうという意味です。
自動投影は当初「人手を要しない」が自治体などへのセールスポイントでした。しか
しそのソフトは創作すると1本あたり1000万円近くもする代物で、全手動?のプ
ラネタリウムを年間数万円のスライド制作費で投影しつづけていた人間からすると全
く夢物語のような気がしたものでした。安く制作するソフト会社もできましたが、そ
れでも数百万円、恐らくいずれは全国一斉封切りという時代が来るのではないかと憂
えました。良いソフトの相互利用は大いにあって良いと思いますが、現在でも起こり
始めている安易な一斉封切り的な投影は、施設の独自性を失わせるばかりか、単なる
電動紙芝居的な安直な内容になり勝ちなのです(安上がりを旨としているため)。

プラネタリウムの良さでもあり、限界を作っている原因の一つでもあるのですが、あ
の半球形のスクリーンの特徴は十分に把握しておかねばならないと思います。わざわ
ざ半球形のスクリーンに投影するわけですから、しかも星空を投影するという場です
から、それに相応しいもの、相応しくないもの、生かせるもの、生かせないもの・・・
やはりあって当然です。
何でもかんでも投影するという風潮がなかったとは言い切れません。
プラネタリウムは無限大の半球スクリーンを有限の大きさに縮めたものですから、座
る位置によっても見え方が全く異なります。厳密に言うならば、正確な映像は半球の
中心付近のみということになります。

教育の場としても不十分な部分がある、エンターテイメントの場としても一定の限界
はある。そういったことを斟酌しても余りある成果を生み出す投影を工夫する、それ
にはやはり「人」が要ると思うのです。
アメリカのヘイデンプラネタリウムのオリオン星雲のグラフィックスは確かにすご
い! そう思いますが、そのままわが国で通用するとは思いません。あのCGを作るた
めの人、金等の背景、それを見て満足する利用者の感覚等、アメリカと日本は全く違
う一面を持っていると思います。
デート中心のわが国のプラネタリウムという投稿もありましたが、プラネだけではな
く、科学館等も含め、大人が真に楽しめる場へと高揚させうる社会基盤の変革とあわ
せ、じっくり考えていかなければならないんだな、と痛感しています。

私はいま公開天文台に身を投じていますが、非常勤で講義をしている理系の大学1年
生200人にさっそくアンケートをしてみました。理系の大学生ですら科学の最新情報
を得る最大の媒体は新聞、テレビでした。続いてインターネット、科学雑誌はごくわ
ずか、科学館等に至っては皆無に等しいといってもいいくらいでした。またプラネタ
リウムを利用したことがありますか?の問いには90%近い人が、時々ある、とよく
利用すると答えました。公開天文台に対する同様の問いには、全くないが90%以上
、情けないなあと思うとともに、まだまだプラネタリウムは幸せだなあ、しかもこん
なにいろんな人に熱心に考えてもらえて・・・なんて僻んだりもしています。



寮美千子  一人分の平和/「持ち前」の反戦 2003年04月20日(日)00時44分06秒
「持ち前」の力 へのコメント

▼一色さま 岡島さま
3月21日、一色さんから反戦に関するこんな投稿がありました。
昨日から、私とつれあいの岡島弘子の共同ホームページ
「詩・夢・水平線」のトップページに反戦メッセージを掲示し、
そこから直接、岡島の反戦詩(として書かれた訳じゃないけど)
「一人分の平和」のページに直接ジャンプして読んでいただける
ようにしました。
もともとサイトに以前から掲示していた詩なんですけどね。
レスしたいと思いつつ、期を逸してしまったので、ずっと気になっていました。超カメレスですが、レスさせてください。
反戦・平和の願いを踏みにじるアメリカのイラク侵攻に抗議します。
一色さんのサイトのトップページには、そんなメッセージが載っていました。ここをクリックすると、岡島弘子さんの「一人分の平和」という詩が出てきました。戦地から復員なさったお父上を描かれた、心にしみる詩でした。第9回日本海文学大賞の受賞作となったこの作品は、単に平和を声高に叫ぶような言葉ではありませんでした。それはまるで波のような言葉。大きな力によって生まれ、心の深いところに打ちよせてくる言葉でした。最後の三行は、こんなふうに結ばれていました。
くだけても くだけても くりかえし
私一人分の平和を
未来へと つなげるために
この詩が、反戦詩として書かれたわけではなかったということ、以前からサイトに掲載されていた詩だったということに、一層感動しました。「持ち前」とは、こういうことだと、その時、つくづく感じ入ったのです。戦争だ、さあ、反戦だ! というのも、悪くはない、悪くはないけれど、ほんとうは人は、普段から、自分のなかにそれを見つめなくちゃいけない。そうでなければ「平和」は維持できない。「平和」とは、争いがないこと、何もないことじゃない。そこに「平和」があること、一瞬一瞬「平和」を作りだしていくことだと思うのです。

ほんとうに、みんながそうやって自分の足許から、地道に「平和」を思っていけば、世の中はそんなにおかしな方向には動かないはずだ。そう思います。こういう形の「反戦」のメッセージ、わたしはほんとうにすばらしいと思いました。

▼「石原慎太郎 圧勝」について
今回の日本のイラク攻撃支持。政府の暴走だと、わたしは思っていました。民意が反映していないのだと。新聞の調査では、国民の75%以上がイラク攻撃を支持していないのに、政府がそれを支持するなんて、きっとこのシステムのどこかに大きな欠陥があるのだ、民意が反映しなくなるカラクリがあるのだ、と思っていたのです。

しかし、今回の統一地方選挙で、石原慎太郎という人物が、東京都知事として圧勝したのを見て、わたしは考え違いをしていたかもしれないと思いました。まさか、こんな「軍国主義者」が、この状況下でそんなに票を取れるはずがない、こんどこそ選挙民は気づくはずだ、と思っていたのです。

でも、違った。結果は圧勝。結局のところ、人々の本音は「強い日本」に安住したいらしい。軍国主義者を都知事にしてしまうのだから。

なんだか、とてもがっくりきた。無力感を感じました。結局は、そういう世界なんだ、と崩れ落ちてしまいたくなった。

もう、わたしたちの未来とか、平和とか、そんなことを考えたり、発言したりするのを放棄して、どっぷりと「自我の遊園地」に遊び、「ゲイジュツ」に淫していたい、とさえ思うほどでした。

そんなとき、岡島弘子さんの「一人分の平和」をもう一度読み直してみました。そうなんだ。世界を動かしたり、社会を変えたりできないかもしれない。けれど「私一人分の平和」を未来へつなげようとする努力をし続けることはできるはずだ。それが、ほんとうに「一人分」でしかなくとも。もう一度、引用させてもらいます。岡島さん、すばらしい詩をありがとう。みなさんも、ぜひ読んでください。
くだけても くだけても くりかえし
私一人分の平和を
未来へと つなげるために


http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/hitoribun.html

一色真理  「持ち前」の力 2003年04月18日(金)22時19分11秒 http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/
ザ プラネタリウム イズ ザ 云々 の追伸 へのコメント

勇崎さん

 ギャラリー・トーク、期待してます。
 ぼくの方は今、「詩と思想」誌8月号の特集「全共闘世代」の編集を進めています。
 明後日は、学生時代、早稲田の部室で何年間もずっとご一緒していた
 全共闘歌人・福島泰樹氏のインタビューに伺う予定。
 なぜか全共闘世代の人たちは自分のやってきた全共闘運動について語りたがらない。
 特に詩人にはその傾向が強いです。
 けれど、全共闘歌人というのは福島氏をはじめ道浦母都子さん、三枝昂之氏ら
 今もたくさん活動されているんですよ。
 なぜ詩人は沈黙し、歌人は全共闘を歌い続けることができるのか?
 伝統の力の強さということかもしれない。
 だとすると、これも「持ち前」の力ではないでしょうか?
 詩人はまだまだ「持ち前」が足りないと思います。

silica  サンシャインプラネタリウム 2003年04月18日(金)13時39分33秒
プラネタリウム/いろいろ へのコメント

以下の投稿は、2003年04月17日(木)22時36分26秒 Cafe Lumiereにされたものですが、現在、こちらの掲示板で話題にしているプラネタリウム関連のものなので、こちらに移動させていただきました。>寮美千子
池袋へ足を向ける機会がありましたので、話題のサンシャインのプラネタリウムへも行ってみました。平日の昼間はカップル5組ぐらい、同性のお友達同士2組ほど、私はおばさんひとりでなんとなく居心地が落ち着きませんでしたが、開演間近に地方の修学旅行生(中学生)が一クラス人数ほど入ってきて、ほっとしました。
 私は、ここのプラネタリウムは2、3回、夜の音楽プログラムの時にしか来たことがありませんでした。(何年も前です。)おぼろげに覚えているのはポップス系の音楽でレーザー光線が音楽にあわせてチャカチャカしていたという印象ぐらいで、そのせいかわざわざ行きたいという気持ちはその後あまり起こりませんでした。ですから、閉館の話がなかったら、昼間の番組はきっと知らなかったと思います。
最終プログラムの「星に願いを・・・」は流れ星のこと、春の星座のお話、砂粒が主人公になったものがたりがひとつのプログラムになっていて、語りは女性と男性が担当されています。星そのもののお話はとてもわかりやすく、あまり春にプラネタリウムへ出かけたことがなかった私はからす座の物語などおもしろく楽しめました。ものがたりの方は、少し饒舌すぎる感じと雰囲気で盛り上げておさまってしまったような、もう一度脚本を読んで確かめてしまいたくなるようなモヤモヤが少し残りましたが、プラネタリウムの存在を忘れないでほしいんだという熱い気持ちはプログラム全体から伝わってきました。
寮さんの「ラジオスターレストラン」(山梨県立科学館)、今回のサンシャインの番組からは、やろうと思えばさらによいプラネタリウム番組を作っていけそうな可能性を大いに感じました。

私がだんだん渋谷の五島プラネタリウムや池袋のサンシャインプラネタリウムに気持ちを向けなくなったのは、あの入館料で従来どおりの(学校で見た時のような)プラネタリウムのスタイルという固定イメージがあったからだと思います。
季節の星の解説は心地よい語りと声があったら、私にとってはそれだけで魅力的、「学習番組」というより最新の宇宙発見情報を美しい映像で教えてもらえるなら、価値を感じます。そして、大人へも子供へも語りかけてくれるような良質なものがたりを「美しさ」、「元気」、「あたたかさ」を持つ音楽と絵(映像)、そして朗読で届けてくれたら、家族みんなでプラネタリウムを楽しみにすると思います。

寮美千子  映像作家鎌仲ひとみさん 本日「ニュース23」に出演 2003年04月18日(金)13時31分33秒 http://ryomichico.net
イラク攻撃/映像作家鎌仲ひとみさん 本日「ニュース23」に出演 へのコメント

先日、鎌仲さんがテレビに出演するとお知らせしましたが、その日はイラク関係のニュースで放送されず、ようやくきょう放送されることになりました。では、仕切直してもう一度。

ドキュメンタリー映画「ヒバクシャ 世界の終わりに」を制作、イラクの劣化ウラン弾についても現地取材した鎌仲ひとみさんが、きょうの「ニュース23」に出演します。TBSで午後11時30分から。ぜひ見てください。

http://junkotanaka.infoseek.livedoor.com/inter-004-01.html

DORONKO  遅まきながら……。 2003年04月18日(金)11時57分40秒
「踊らにゃソンソン」 踊る前に考えろよ! へのコメント

勇崎兄貴の後では、いかにも肩身がせまいのですが、ぼくにとって
プラネタリウムというものがどのように見えているのかということを、
ちょっと書かせてもらいますね。

まず、ぼくの、幼少時からのプラネタリウム体験ということになると、
これは貧困なものです。Eliさんのカキコを読んで、ぼくも似たような
ものかなと思いましたが、ぼくはEliさんよりも丸ごと一世代ぐらい
年配であるわけで、しかも田舎育ちでしたから、最初にプラネタリウム
を見たのが、いつ頃、どこでのことだったかさえ、はっきりと憶えては
いないという有様です。たしかに、小学生の頃、どこかで見たはずでは
あるのですが。
でも、ぼくが星や星空にまったく関心がない子供だったのかというと、
実はそうではないのです。もうずっと忘れてしまっていたのですが、
やはり小学生の頃、2歳年上の兄貴が天体観測に熱心になった時期が
ありまして、ぼくも、兄貴が組み立てた望遠鏡で月を見せてもらったり
して、とても幸せな気分にひたっていたりしたものです。でも、兄貴が
中学生になって、学業が忙しくなったからなのか、この「宙を見る」
楽しみはぱったりとなくなってしまって、その後、ホコリをかぶった
ままの、結構図体の大きな望遠鏡を見るたびに、とてもさびしい気持に
なったものでした。その頃のぼくや兄貴には、ずっと宙を見続ける
というようなことは、「子供だけに許されること」であって、もう
分別も身につけた自分たちには「許されないぜいたく」でもあるかの
ように錯覚していたのだろうと思います。別に、親がそれほどきびし
かったわけでもないのですが、もっと「身近にあるもの」に目を奪われて
いたんでしょうか――。

そこで再びプラネタリウムですが、かように貧困なぼく自身の体験
だけでもって、今後いかにあるべきかを論じたりすることは、正直な
ところできないし、すべきじゃないと思います。ただ、はっきりして
いることは、ぼくの子供時代は、おそらくプラネタリウムの「創成期」
とでもいうべき時期であって、しかも田舎にいたぼくにとって、プラネ
タリウムが身近なものではありえなかったということは無理もない
ことだったと思うのです。でも、だからこそ、「隆盛期」に育った
「その後の子供たち」は、きっと、ぼくよりもずっと豊かなプラネ
タリウム体験を持っているはずで、プラネタリウムの今後を考えると
すれば、まず彼らから話を聞く必要があるんじゃないかな?と思ったり
もします。

ここで、ちょっとカタい言い方をしますと、ぼくは、プラネタリウムは、
やはり大事な「社会資本」とか「公共財」だと思うんですよね。
「大事」かどうかってことをア・プリオリに(ハナから)決めつけたり
すべきではないという意見もあるでしょうが、現にこの国ではかなり
プラネタリウムが普及していて、しかも、それは基本的に教育にも
大きなプラスになる「可能性を持った」施設なのですから、これを
一斉に廃棄してしまうといった選択肢は、ぼくはまず排除してもよいと
思います。――というよりも、ぼくたちは、ややもすると、まず
「存在しているもの」に目を奪われがちですが、ぼくの郷里の町
(一応「市」ですけれど、人口3万ほどの地方都市)には、いまだに
プラネタリウムはありません。多分、電車で15分ほどの隣町まで
行けば、きっとあるだろうと思いますけど。で、ぼくの後輩の小学生
たちに聞いてみれば、答えははっきりしているだろうと思います。
彼らは「それほど大きなものじゃなくてもいいから、自分たちの町にも
プラネタリウムがあればいい!」と答えることでしょう。これは、
断言してもいいです。

――ところで、「社会資本」とか「公共財」という概念には、どうも
“生産至上主義”的思考のナゴリがあるとして、近年、これらに
代えて「社会的共通資本」という概念を使うことにしようという
ことが提唱されています。これを言い出したのは宇沢弘文さんという
世界的な経済学者でも数学者でもある方で、宇沢さんによれば、
「社会的共通資本」とは、「ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を
展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持する―このことを可能に
する社会的装置」のことだそうです。で、ぼくは、プラネタリウムって、
まさしくこれだな!と思いました。

ここで、あまり長くなりすぎないように、話を一気に端折らせていただき
ます。――ぼくは、プラネタリウムというのは大きな「平和の配当」を
もたらしてくれる可能性をもった、とても興味深い「社会的装置」の
一つだと思うのですが、この「配当」には、まだかなりの片寄りがある
というのが現実だろうと思います。とすれば、その不均等なり不均衡を、
もう少し是正する努力は続けられるべきでしょう。
ただし、ぼくは、際限のない拡大志向に賛成するものではありません。
技術的には、プラネタリウムは、ほぼ完成の域に近づいているようにも
思えますし、規模も、これからは大きさを競うようなことはやめてほしい
と思います。実際問題として、この国の公共セクターの財政事情を思えば、
そのような拡大志向が一般の市民の支持を得られるとも思いません。
その点では、MARIKOさんが紹介して下さっているような「地域の自主的な
取り組みの中で、演劇をやったり合唱をやったり」という活動はとても
大事だろうと思いますし、いとてつさんがお書きになっているMEGASTAR
のようなコンパクトな装置の可能性に、もっともっと目を向けたいと思います。
ただ、子供たちとの接点ということでは、すべて「出前」で済ますのでは
なく、規模は大したものではなくても、やはり、一定の範囲の地域には、
それぞれの「常打ち小屋」のような拠点があるのが望ましいと、ぼくは
思います。――MARIKOさんがいらっしゃる科学館のようなパワーのある
施設の役割はまた別で、時にはそこまで出かけて行って、スゴイものを
見せてあげることも、とても大切だと思いますけれども。
(その中で、ぼく自身も楽しめるということは大切でしょうが、ぼくが
どれだけ満足できるかということと、子どもたちがどれだけ喜んで
くれるかということは、やはり分けて考えるべきでしょう。今後、
ぼくがより具体的にプラネタリウムとの関わりを持つようになったと
しても、ぼくは、主役はやはり子どもたちであってよいだろうと思い
ます。もちろん、子どもたちのためもの=“お子さま向け”のもので
あってよいとは思いませんが、ぼくも、本当に良質のソフトとは
どんなものかを見分ける目は持っているつもりです。ですから、
それをどのようにプロデュースしてゆくのかということが問題に
なるでしょうが、それを論じることは、今、ここでのぼくの任では
ないでしょう。)

#「社会的共通資本」については、以下のサイトにある記事をお読みに
 なってみて下さい。なお、「社会的共通資本」としてのプラネタリウム
 は、図書館ととてもよく似ていると思います。恵まれている地域も
 あれば、まだまだ足りない地域もあるということは忘れるべきでは
 ないと思います。

http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2001/0128/06.html

勇崎  ザ プラネタリウム イズ ザ 云々 の追伸 2003年04月18日(金)00時44分53秒
ザ プラネタリウム イズ ザ グレーテスト アメージング タイム アンド スペース へのコメント

こどもたちが作ったアニメへのナレーションは、そのアニメを事前に観た寮さんの詩作を期待します。

この場を借りてすいません。
今日から、5月11日まで、札幌市写真ライブラリー企画展「北海道現代写真家たちの眼'03 “彩(いろどり)”展が開催されています。これは一昨年の911直後の秋に開催した“青”展と同じシリーズで、僕のキューレイションによるものです。(詳しくは以前、遊星たちの消息に投稿しましたので、ご参照下さい)

彩り、とは彩色や着色、あるいは色の配合や配色を意味しますが、この展覧では、その意味を超えて、“個の多様性”について探求しています。つまり、それぞれに違いがあるからこそ、彩りが生まれ、違いがあるから、この世界は素晴らしいんだ、ということを伝えようとしています。

4月26日午後2時から、この会場に、アイヌ文様刺繍家のチカップ美恵子さんをゲストに招いて、2時間半のギャラリートークを行います。僕は、この“個の多様性”について、以前この板で一色真理氏が投稿された“持ち前”論を紹介させてもらおうと考えています。つまり、世界の画一化を目論む“グローバリゼーション”への対語としての“持ち前(ネイティビティ)”の意味を語りたいと思っているのです。

一色さん、そして寮さん、みなさん。
この板のおかげです。
ありがとう。

勇崎  ザ プラネタリウム イズ ザ グレーテスト アメージング タイム アンド スペース 2003年04月18日(金)00時09分39秒
プラネタリウム/いろいろ へのコメント

実は、あまり公言していませんでしたが、昨秋から、ほそぼそとした業務の細かい合間をコツコツ縫いながら、<文化><社会><環境>にかかわる写真・映像・コンピュータ画像の未知の活用について開発・創造するという、NPOの立ち上げの準備をしていました。そして、ようやく5月末設立総会開催、というところまで目処がつきました。
プラネタリウムの文化的・社会的活用はこのNPOでもテーマにしてもおかしくない課題といえます。

過日、日本のプラネタリウムのシェアが世界的なものであるなら、国家戦略としてプラネタリウムのソフト開発に取り組むべき、といった趣旨の“風呂敷”を投稿しましたが、今日は東京タワーで買った地球儀型の鉛筆削りをつつむ“ハンカチ”程度のことを投稿したいと思います。

例えば山梨県下の全小学校を対象に、総合学習プログラムとして、パソコンとスキャナーを使った、あるいは立体アニメであれば、静止画のデジカメや写メールなどを使った手描き&手づくりアニメのワークショップを巡回させ、その成果の発表会をMARIKOさんちのプラネタリウムで開催してはいかがでしょう。

子供たちが作ったアニメの投影について、既設のデジタル・プロジェクターが全天スクリーンのどの程度をカバーするのかわかりませんが、全天をカバーしないのであれば、既成の星座プログラムをそれにダブル・イメージングして構成していけば、さらに子供たちの興味をひく内容になると思います。(例えば、満天の星空のなかに子供たちが作ったアニメが映し出される、みたいな、ある種、壮大なイメージですよ。音楽、音響も信介どんたちにふんぱつして貰ってオリジナルで、うんとこだわりたいですね)

そして、県下の小学生が制作するアニメの上映は、相当に頑張ってもせいぜい上映時間15〜20分程度になるでしょうから、アトラクションに、「ラジオスター・レストラン」や星野道夫さんのプログラムなど、開発済み(でコスト負担が軽くなる)の内容をバンドル(正しくは“おまけ”に)してはいかがでしょう。

山梨県下の全小学生は、学校毎の招待日程を組んで、入館無料招待。そのときに子供たちに親子鑑賞割引券を配って、招待日程終了後に一般公開(有料)し、一家揃って来館してもらうようにする。
県下戦略としてとらえてもらえれば、ワークショップ〜制作〜公開にかかる費用の県での予算化(計画中の道路工事を50mも短縮、あるいは道路幅を1ミリ少なくちょろまけせば楽勝)、関連機関からの助成も可能かと思います。

ザ プラネタリウム イズ ザ グレーテスト アメージング タイム アンド スペース(みなさま、この和製英語の発音は、僕の真似をして、是非“和風”にお願いします)
なのですから、あっ、と驚いてもらうことです。

寮さんが提案されていた、ディズニーランド的なところで、サイエンス・アミューズメントする、というのは、一部の博覧会などでは実現されているとも思うのですが、そういうのとは違うのかな。

夏目漱石が、ロンドンで博覧会を観たときの感慨を著作「虞美人草」に、確か以下のように書いていたと思います。

“博覧会は当世である。(中略)
 あっ、と驚くとき、人々は今「(自分は)生きている」と実感する”
というような内容だったと思うのですが、、、(再録はかなり不完全です)。

つまり、僕の伝えたいことは、
あっ、と驚くプラネタリウムを体験させることで、子供たちに、「あっ、いま僕や私は、生きているんだ!!」という強烈な自覚と実感を持たせてあげたい!
生きている、ってことは素晴らしい!を体験させたい。

プラネタリウムがそんな機能や役割を果たす場であって欲しい!
ということでもあるのです。

そそそそそ、そしてですね、
そのプログラムと機材を持って、イラクやアフガンを訪れて、
夜中に子供たちを集めて、
野外の中空にスモークタイプのスクリーンを炊いて、
満天の星空のもと、投影して、観て貰いたいですね。
山梨県下のこどもたちから中東で暮らすこどもたちへのメッセージを。

そのときは、みんなでワークショップしに、イラクにいきたいね。

寮美千子  プラネタリウム/いろいろ 2003年04月17日(木)03時06分34秒 http://ryomichico.net
まだあります へのコメント

▼Eliさま
サンキュー、Eliちゃん。
加納朋子は、わたしも好きな作家の一人。彼女の作品、町田のプラネタリウムのほかにも、座間のキャンプなど、私の住んでいるご近所の話がふんだんに出てきます。実は、Eliちゃんが紹介してくれたふたつの作品、不思議と共振するところがあって、以前、書評とまでいかない感想を書いたことがありました。
http://ryomichico.net/impression.html#kanou1

Eliちゃんもやっぱり加納朋子作品が好きなんだと思って、うれしくなってしまったわたしです。素直な意見もとてもよかった。参考にして、いろいろ考えてみたいと思います。ありがとう。

▼いとてつさま
追加情報ありがとう。追加資料も届きました。感謝感謝です。あえてバラしちゃうけれど、教えてくれたの、作家の瀬名秀明さんなんだよね。瀬名さんも、ほんとうに深く関心を持っていらっしゃるんだなあと感動しました。プラネタリウムに熱い思い入れのある瀬名さんのお話も、いつか、お伺いしたいなあ。

芸術・音楽・文学関係の人々が集って、プラネタリウムの新しい利用方法に関して語り合う機会があったらいいよね。現代美術や現代音楽の作家で、プラネタリウムで何かしたことのある友人もいます。東逸子さんも、作品を投影したことがあるとお伺いしています。東さんの話も、いつかぜひ聞いてみたいなあ。

▼MARIKOさま
というわけで、頭んなかでぐるぐる考えています。また、書くね。

▼勇崎さま
世界から必要とされる「文化」を持つことこそが、国際貢献だと、天文学者の森本雅樹氏が常々おっしゃっています。「ピタゴラスの定理を習わない子どもが、世界にどれだけいるだろう。それを生みだしたということ、それは世界への、そして未来への貢献だった」と。んだんだ。プラネタリウムでどうやったら世界に、そして未来に貢献できるか、考えてみたいと思います。


しかし、プラネタリウムというものを、根本から考え直してみる視線も必要だと思うのです。それはひとつの思考実験だけれど「存続させるにはどうしたらいいか」「有効利用は」だけじゃなくて、科学的なるものをプラネタリウムだけが(そして「科学館」と呼ばれるものが)一身に背負ってきた事自体、それでいいのか?と考える価値もあるなあと考えています。(こんどの会で話すかどうかは別問題ですが)たとえば、ディズニーランドや遊園地みたいなところで、自然と科学に触れられるような、そんな機会がもっとあってもいいように思う。科学雑誌じゃなくて、ふつうの雑誌や絵本を見て、自然と科学に触れる機会を作れないものだろうか。そんなことも思っています。そして、ささやかなチャレンジをしています。

当日は『ほしがうたっている』の新思索社の小泉社長も、聞きに来てくださるとのこと。二次会?で、「遠くを見ること」に関する絵本の制作について、西はりま天文台の黒田武彦氏とお話ししていただくことになっています。プラネタリウムに関する絵本もいいかもしれないよね。いろんな展開や可能性が考えられる。いろいろと楽しみながら実現に向けてがんばりましょう。じゃあ、またね。

Eli  まだあります 2003年04月17日(木)01時32分09秒
プラネタリウムと文学作品2 へのコメント

こんばんは。ふだんはカフェルミに出没しているEliと申します。

プラネタリウムが出てくる文学。私が思いついたのは
加納朋子「ななつのこ」創元推理文庫 これ、連作短編集なのですが
この中の「1万2千年後のヴェガ」には町田東急屋上のプラネタリウムが登場します。
デパートの屋上にプラネタリウムがあるなんて、それこそ日本くらいなのでは!?
残念ながら行ったことないのですけど。こんなに身近にありながらも、
確かに私自身、大きくなってからはプラネから遠ざかっています。
小さいときにもそんなに頻繁にいっていたわけではないのですけど、でも何回かはいったことがあると思うのですが。
山梨で「ラジオスター」を見たのが、「ああ、ほんとうに久しぶりだなあ」って思いました。
あまり専門的に極めていないにしろ、夜空や星には決して興味が無いわけではなかったはず、なんですけど。

大人になってから行かなかった理由は、「見たい」と思うような魅力的な映像がなかった、
プラネ側もそういう方向で宣伝してなかった、というのが大きいかなと思います。
唐突ですが私は「ムーミン」が好きなんですけど、前述の町田東急のプラネで、ムーミンのプラネタリウム番組
の投影をやっていたことがあったのです。そのとき、かなり「見てみたい!」と思いました。
結局、都合が合わなくて行かれなかったのですけど。つまり映画と同じような感覚で
プラネにもいろんな映像が見られればいいんじゃないかなと思います。
と言うだけなら簡単なんでしょうけど(苦笑)

ただ私は、現在のプラネの主流でもある、ふっと場内が暗くなり「今日の日没です・・・」から始まる
流れも好きです。現実でありながら現実ではない感じ。一瞬にして異界に連れてこられたような感じが
心地よいので。

プラネの最も大きな特性といえば、あのドーム。天空の象徴でもあり体感でもある
ドームはプラネにしかないものだと思うので、それを生かした映像を作ってアピールしてほしいなと。
アイマックスシアターみたいな感じで。ってこれまた言うだけなら簡単なんですよね(苦笑)
それにあまりエンターテイメントに走りすぎると、結局、あたらなかったから閉鎖、という流れに
なってしまいそうな気もしますし。

今の世の中って何でも利益を生まないもの、赤字のものは閉鎖、という安易な流れがあると思うのですが
またまた唐突ですが私はフィギュアスケートも好きなんですけど(見るのが)、スケートリンクがどんどん閉鎖されていき
選手が思うように練習できないという現状があり、そういう世の中ってこれからどうなっていっちゃうんだろう。って思うことがあります。

だからプラネも(って繋がっているのかどうかよくわからないつなぎですが)安易に閉鎖してほしくないんです。
それってやっぱり文化の損失なんじゃないかと思うので。

なんだかさっぱりまとまってなくてすみません^^;;

ちなみに冒頭で紹介した「ななつのこ」は、個人的に大好きでオススメな作品です。
続編「魔法飛行」にも、シャトル・エンデバーをモチーフに使った作品が出てきます。

それから、いしいしんじ「プラネタリウムのふたご」は、先日、本屋で見かけたので
つい購入したところです^^ いしいさんは個人的に注目している作家でもありまして。
帯が、かなり良い感じなのです。『星の見えない村でうまれ、ひとりは手品師になり、
ひとりは星の語り部になった』
まだ未読なのですが、どんな作品なのか楽しみです。

いとてつ  プラネタリウムと文学作品2 2003年04月16日(水)23時46分45秒
ここにも、プラネタリウムが登場する文学作品が!? へのコメント

このページを見たとある方にプラネタリウムが出てくる小説について
メールで教えていただいたので以下にあげておきます。

・森博嗣『笑わない数学者』(殺人の舞台がプラネタリウム)

・秋山完『天象儀の星』(同名の短編集に所収)

・いしいしんじ『プラネタリウムのふたご』(つい最近の出たもの、とのこと)

・白鳥賢司『模型夜想曲』

こうして並べてみると結構たくさんありますねえ。
やっぱりプラネタリウムは日本の文化?!

寮美千子  「踊らにゃソンソン」 踊る前に考えろよ! 2003年04月16日(水)04時22分54秒 http://ryomichico.net
27日、楽しみですね!! へのコメント

▼影の黒幕さま

あがた森魚さんの出演決定、おめでとうございます。
さすがドロンコ氏。すべては思い通りですね。

>このぼくにできることがあるなら、何かお手伝いもしたいと思うのですが

わたしは、まずあなたの意見がききたい。
暗躍するだけじゃなくて、ぜひ「あなたの」ご意見をお聞かせください。
プラネタリウムについて、どんなふうに思っているのか。
どんなプラネタリウムになってほしいのか。

当掲示板では「自分の頭で考える人」「自分の意見を自分の言葉で語る人」を歓迎します。

つい先日もこんなこと、いったように思うんだけどなあ。

cafe0019.html#cafe20030127103807

DORONKO  27日、楽しみですね!! 2003年04月15日(火)20時21分38秒
市民がつくるプラネタリウムも へのコメント

27日のプラネタリウムのシンポジウム、なかなかスゴイことになってきた
ようですね!――実は、寮さんが書いておいでのように、そのスゴイこと
にした責任の一端(過半?)はぼくにあるわけですが、ここまで来て
しまった以上、踊らにゃソンソン……じゃなくって、楽しまにゃソンソン!
と、いつもながらに脳天気な私でございます。
このぼくにできることがあるなら、何かお手伝いもしたいと思うのですが、
無理をしたところで、ますますお邪魔になるだけでしょうか?


MARIKO  市民がつくるプラネタリウムも 2003年04月14日(月)23時26分36秒
プラネタリウム国家戦略 へのコメント

このところばたついていて、しばらくぶりに覗いたらまた話題が増えていて嬉しくなりました。今日、寮さんが登場される今月27日の「プラネタリウムの役割・使命を考える」研究会(ちょっとタイトルが変わりました。第2報は近々出されると思います。)
http://www.obs.misato.wakayama.jp/tenkyo/kanto030427.html
の打ち合わせなどを含めた、ある会議に出席してきました。もともとこの研究会にはそれほどコミットしていない立場だったのが、何故かパネルディスカッションのコーディネーターをやることになってしまいました。そのパネリストは、寮さん、あがた森魚氏、若宮氏(日本プラネタリウム協会会長)、伊東氏(プラネタリウム職員、「地上に星空を」著者)、林衛氏(元「科学」編集者)、大平氏(メガスター製作者:予定)です。ちょっと重責で、どうしよう〜といったところですが、なるべくみんなが「あれもこれもやることがいっぱいあるね」「もっとプラネタリウムに参加してみよう」という気分になって帰ってもらえるようなしかけができるといいなあ、と思っています。

今日話をしている中では、プラネタリウムの番組制作や投影に、市民も加わって、自分たちで創って、ゆくゆくそういうのを見せ合うコンテストみたいなのができるといいなあ、といったもの。これはちょっと勇崎さん的考え?。
プラネタリウムはそれに関わっている人間にとっては、とっても魅力的なメディアで、おもしろくてしょうがなくてハマッテしまう。でも、どうもこれはやってみないとわからない面白さらしい。なので、もっとこの面白さを多くの人々と共有できるしかけをつくるべきじゃないか、という発想です。
最近、地域の自主的な取り組みの中で、演劇をやったり合唱をやったり、というのがありますが、総合芸術としての要素を持つプラネタリウムはそういった活動がおそらく十分にできうるところのはず。そのあたりもちゃんと考えていきたいな、と思っています。
実際にこのような試みを行っているプラネタリウム(広島、平塚、大町など)もあります。

いとてつさんと寮さんが紹介していた鳥海さんの文章の中に「小さなプラネタリウムを携えながら老人ホームなどの施設を回りたい」というのがありますが、それを言っていた友人は、さっそくピンホールプラネタリウムを購入(自費で!)、腹をきめて活動開始、といったところのようです。
先月、痴呆性高齢者の生の支援と博物館、というテーマを扱ったシンポジウムに出席したのですが、そのコンセプトとして、痴呆性高齢者の方々(個々)の「なじみの空間」をいかに創り出せるか、がその人の「生」にいかに大事なことか、というのがありました。博物館が持っている昔の生活道具などをケア施設に持ち込んで、使ってもらう、あるいは、戦前後の日本民家のたたずまいを施設の一部につくり、利用者が集う場所を作る、それによって、痴呆をもつ人々が目に見えて生き生きしてくる、といった事例が報告されていました。このシンポの企画者の方に、プラネタリウムを持ち込んでみたらどうか、という話を少ししたら、大変驚きをもって、けれども、大変好意的に話にのってくれました。それが広がって、一時期あるMLが盛り上がりました。

ちょっと散漫的に書いていますが、今回の研究会、いかにコラボレーションすると面白いことができるか、という話が重要テーマの一つになると思っています。勇崎さんのおっしゃるように、映像作家もしかり。研究者も、学校の先生も、作家も、ミュージシャンも。そしてケアの現場にいる方々も。そして何より、その施設がある地域の人々と。実際にコラボレするには、中にいる人材も必要でそれが不足しているというのもかなり深刻ではありますが。
でもどんどん夢を語って、少しずつでもそれに向かっていけたらなあ、と思います。

勇崎  プラネタリウム国家戦略 2003年04月14日(月)03時22分30秒
ここにも、プラネタリウムが登場する文学作品が!? へのコメント

プラネタリウムは、映像作家にとってヒマラヤやアンデス山脈みたいに魅力的な空間だと思います。

いとてつさん>Wrore
「日本製のプラネタリウムは世界的に見ても高いシェアを誇って」
いるなら、

国家戦略として、映像作家に新しいプログラムを開発させて、世界に発信するプロジェクトがあってもいいと思います。

映像作家にとって、プラネタリウムの弱点は、(少し専門的ですが)あのドーム空間というのは光がまわりすぎて、映像のコントラストが低下するということです。
しかし、その問題を解決する技術(光源側とスクリーン側)は必ずあるはずだし、その技術は特許もとれるはずなので、国家的に投資することは決してムダではありません。
なんちゃって。

いとてつ  うっかりしました 2003年04月14日(月)00時47分12秒
ここにも、プラネタリウムが登場する文学作品が!? へのコメント

 「ラジオスターレストラン」、忘れておりました。申し訳ありません。>寮さん

 さて、私の前回の書き込みで織田作之助の「わが町」は手に入らない、と書いたのですが、これも間違いでした。リンクを張った瀬名さんのページに「青空文庫」というサイトに置いてあることが書いてあり、さっそく読んでみました。(このプリントアウト、寮さんにお送りします。)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000040/card1326.html
あらすじは「虹の天象儀」でわかっていたのですが、あらためて読んで、戦前の大阪の長屋に暮らす庶民の話、楽しんで読みました。面白いなあ、と思ったのは、戦前から、プラネタリウムはデートで行く場所だった、ということを確認できたことです。五島プラネの卒業文集の原稿を集めていた時も、豊島区議会の文教委員会の審議を聞いていても(ある区議さんが、五島プラネにデートで行った甘酸っぱい思い出がある、という発言をしていた!)思ったことですが、プラネタリウムでデートをした思い出がある人というのはけっこう多い。(私にはないけど (^^; )実はこのことももしかすると、日本で星座の話を売りにするプラネタリウムと深く関わった、ひとつの日本の文化、かも知れません。プラネタリウムを誰が見てきたのか、という問いに対して、学校投影を主にしている小さな自治体のプラネはわかりませんが、少なくとも池袋のサンシャインなどでは、「デート需要」というのが高い割合であるのじゃないかなあ、と思っています。

 五島プラネに足繁く通ったか、と問われれば、私も足繁く通った方ではありませんでした。初めて五島に行ったのは小学生2年か3年の頃、父に連れられてでしたが、その後も1、2年に一度ぐらいの割合でしか行きませんでした。しかし、一方、五島プラネは「星の会」というファンの集まりを持ち、月一回の定期的な講演会を軸としてファンをプラネタリウムへ確実に定着させてもおりました。また「ジュニア星の会」もあって、そこには天文好き、科学好きの小学生・中学生が数多く集まっていたようです。私はこの「ジュニア星の会」には参加しておらず、「星の会」も閉館の声を聞いた最後の年に参加しただけでした。しかし、その1年だけの経験を通しても、その会は五島プラネ側が用意した場、というだけではなく、アマチュア天文ファンの交流の場として大変素晴らしい場になっていたことを感じました。五島プラネ閉館に際して私は発起人の一人となり、「卒業文集」を企画して多くの方に五島プラネの思い出を寄せてもらいました。(大変お恥ずかしいことながら原稿を集めたままで、実はまだ冊子にして世に出すところまでは至っていないのですが、絶対出します。)そこに集まった原稿の中にはジュニア星の会に足繁く通った後、天文学者になったり、プラネタリウムの解説者や理科教員になった方が一人二人ではなくいらっしゃいました。(この原稿募集の途中段階で作った冊子を寮さんにお送りします。)私にしても五島プラネに通った回数は少ないですが、この道に入る引き金を引いた出来事のひとつ(他には森本先生との出会いとか、重要なものがあるわけですが)であっただろうと思っています。寮さんがおっしゃる、なぜ寮さんや私がプラネタリウムに足繁く通うことにならなかったのか、を考えるという視点は、確かにプラネタリウムを考える上で、重要な提起だと思います。しかし、五島プラネは、寮さんや私のような存在も裾野の一部として、非常に多くの人に影響を与えたことも事実だと思います。

 さて、このような五島プラネの雰囲気をまだ味わうことができる集まりがあります。五島プラネの持っていた資料、備品一式は渋谷区が譲り受け、渋谷駅の五島プラネとは反対側、統廃合で閉校した小学校の建物の中にある「ケアコミュニティ桜ヶ丘」で保管されています。残念なことにプラネタリウムがあるわけではないのですが、そこで、元五島プラネの解説員である村松さん(「虹の天象儀」の主人公のモデル!)による星のお話と天体観望会の「桜ヶ丘星のつどい」が月1回、第4土曜日に開かれています。そこに集うのは毎回30人程度ですが、多くは五島プラネ時代からの天文ファンで、村松さんが話すだけでなく天文ファンの情報交換の場として、とてもいい雰囲気の場になっていると思います。次回は4月26日午後5時半からです。晴れていれば望遠鏡で木星、土星も見られるはず。渋谷でも、これだけの星が楽しめるということにも驚かれるのではないでしょうか。マミさんは望遠鏡でこれらを見たことがあるかなあ。シンポジウムの前日ですが、もし可能でしたらご一緒に参加されてはいかがでしょうか。>寮さん
詳細は以下をご参照ください。
http://www.f-space.co.jp/shibuya-star/index.htm
http://www.f-space.co.jp/shibuya-star/gotohe.htm
http://www.f-space.co.jp/shibuya-star/mapmap.htm
http://www.shonanfujisawa.com/‾miwa-s/muramatsu/

http://www.f-space.co.jp/shibuya-star/gotohe.htm

寮美千子  ここにも、プラネタリウムが登場する文学作品が!? 2003年04月13日(日)12時43分10秒 http://ryomichico.net
プラネタリウムと文学作品 へのコメント

「ガガピー、ガピー、ガガ、ら、いら、いらっしゃいませ。ラジオスター・レストランへようこそ」
ロボットは、腰を折り曲げてていねいにお辞儀をした。頭のてっぺんのライトが、歓迎のつもりか虹色に輝く。
「レストラン? ここはプラネタリウムじゃないの?」
「もちろんプラネタリウムです。それも、つくりものなどではございません。まじりっけなしの純正プラネタリウム!」
               『ラジオスターレストラン』より(パロル舎1991)
というわけで、実はもうひとつ、プラネタリウムの出てくる小説があります。いとてつ、忘れてた? ラジオスター・レストランって、ほんとうはプラネタリウムなんだよ。物語は、すべてプラネタリウムで見た夢。宇宙の始まりから、いまの自分に至るプロセスを「食べる」という行為を通じて疑似体験しているのです。まさしく、MARIKOさんが山梨県立科学館のプラネタリウムで上映してくれた、そのままの物語なのでした。だから、あそこで上映されることは、わたしにとって特別の意味を持っていた。映画館じゃなくて、あの空間で見ることが、あの作品にいちばんふさわしいことだったのです。MARIKOさん、ありがとう。

そんなわけで、わたしもプラネタリウムを題材とした数少ない作家のひとりというわけです。つまり、それだけプラネタリウムに思い入れがあるというわけ。中学二年の時の、生まれてはじめてのデートは、渋谷の五島プラネタリウム。真っ暗になって、椅子が倒れて、胸はどきどき。頭の中で、流星群がスパークしていました。あははは。ほんとだよ。

とはいえ、プラネタリウムには足繁く通った訳じゃない。イメージのなかのプラネタリウムがものすごく好きだったけれど、現実のプラネタリウムには、なぜか大きな魅力は感じてこなかった。どうしてだろう? いま、そのことをいっしょうけんめい考えています。星が好き、宇宙の話を聞くのが好き。そして、わたしが子どものころの一番の愛読書は『ギリシャ・ローマ神話』でした。ぼろぼろになるまで、何度も何度も読んだ。それなのに、なぜか、プラネタリウムの星座解説には興味がひかれなかった。どうしてだろう?

わたしのように、星が好き、ギリシャ・ローマ神話が好き、という人間さえ引きつけないなんて、いったい何がいけなかったのだろう? 五島プラネタリウム閉館に際して、ファン達から閉館を惜しむ声がたくさん聞かれました。「渋谷に足を運ばなかった年月を悔いる」という言葉も、そこには見られました。つまり、わたしばかりでなく、多くの天文ファンが、プラネタリウムから足を遠のかせていた。それはなぜか?

逆に考えれば、一体誰がプラネタリウムを見てきたのか。誰によって支えられてきたのか。プラネタリウムに足繁く通う人は、何を求めてやってきたのだろう?

「プラネタリウム白書」を読みながら、そんなことも考えています。


山梨県立科学館で上映してもらった番組「ラジオスターレストランへようこそ」は、「わたしが見たいような番組」を志して作りました。自画自賛の手前味噌じゃあしょうがないけれど、でも、わたしはかなり満足した。映像も、それから音楽と音響もとても「体感的」だった。

番組が終わった後、七十才を超えるというおばあさんがやってきて、わたしの手を握りました。そしていってくれた言葉が、忘れられません。
「自分が星の欠片だなんて、思いもよりませんでした。はじめて知りました。うれしかった。ほんとうにありがとう」

遠い時間を思うこと、永遠に帰依することは、究極の癒しだと、わたしは思っています。鳥海さんの掲示板で鳥海さんご自身が語られていたことと関連するので、ここに引用させてもらいます。

Re:サンシャインプラネの閉館 投稿者:鳥海  投稿日: 2月15日(土)
(中略)
▼「小さな星の爆弾」を仕掛ける場所
つい最近、寮美千子さんのオフィシャルサイトに掲載された、
「小さな星の爆弾」という素敵な文章を読みました。
ある童話の制作意図が綴られているのですが、
絵本の中に天文写真を用いることによって、
「花火のように炸裂する小さな星の爆弾を、子どもたちの心に仕掛けたい」というのです。
天文写真やプラネタリムという
小さな爆弾を仕掛けるに最も相応しい場所は、
子どもが最も愛着を感じている生活圏、
すなわち、子どもの王国だと思うのです。
http://ryomichico.net/bbs/diary.html

▼今夜の星空を投影する場所
かたや、大阪市立科学館には10億円という桁外れの予算がついたようです。
全国に約300ヶ所あるプラネタリム全体の運営費総額が約30億円だそうですから、
大阪市の10億円という巨額な金額に驚いてしまいました。
問われているのは、
大きいことや、新しいことや、CGの斬新さや、経費をかけることではなく、
「小さな星の爆弾」の質であり、
爆弾と子どもとを媒介する人間の存在だと思います。
10億円もあったら、
老人ホームに入所する高齢者を年間約300人分も支援することができます。

 「小さなプラネタリウムを携えながら老人ホームなどの施設を回りたい」

というプラネタリウム関係者によるメッセージを最近、友人づたいに聞きました。
寝たきりの高齢者にとって眺め飽きたでろう天井に、
その土地の今夜の星空を投影できたなら、
その時、高齢者はその天井に星以外の何を見出すでしょうか。

▼サンシャインプラネタリウムに期待するもうひとつのこと
「サンシャインプラネタリウム存続を願う会」のサイトを拝見し、
短期間にこのようなサイトを立ち上げる機動力に感嘆しました。
当方も社会教育施設の存続を求める運動に関わっていますが、
いろいろと反省することしきりです。
そこで、貴会の活動に期待するもうひとつのことを。
「集客数を誇る」ことは事業の運営を考えるときに現実的であり、
客観的に評価されてしかるべきことですが、
この機会に、生活者をも交えた討議をさらに重ねられて、
集客数とは異なるプラネタリウムの評価尺度を
提示されることを期待したいと思います。
「BBS 地球の自転軸を星野道夫に傾ける」より

先日は「ドームが硝子張りのプラネタリウムに行く」という夢を見ました。みんなが手にしている資料を、わたしだけが持っていない。それなのに、これから壇上で話さなければならず、慌てる、という夢。結構プレッシャーを感じつつ、まとまらない考えをいろいろ転がしている今日この頃です。

そんな折り、いとてつ氏より、「メガスター」の資料と瀬名秀明著『虹の天象儀』(祥伝社400円文庫 2001)を送っていただきました。サンキュー。後者は、プラネタリウムのはじまりやいろんなうんちくを楽しみながら読めて、勉強になりました。そこから、今度話すことのヒントも見つかりました。感謝です。


DORONKO氏が、プラネタリウムでコンサートを続けてきたあがた森魚氏をこんどの会にお呼びして話してもらったらどうだろうと、提案したとのこと。実現に向けて動いているとのこと。うーむ、超盛りだくさんだ。まとまらない頭がさらにまとならなくなりそうだけど、きっとあがたさんならではの鋭く感受性豊かな視点で語ってくれることでしょう。楽しみにしています。

プラネタリウムの話題歓迎。遠慮しないで、どしどし書き込んでください。

4月27日、シンポジウム「プラネタリウム館の役割を考える」は無料。だれでも参加できます。詳細は以下を参照のこと。

http://www.obs.misato.wakayama.jp/tenkyo/kanto030427.html

いとてつ  プラネタリウムと文学作品 2003年04月12日(土)04時25分35秒
日本が誇るプラネタリウム へのコメント

まだ書くのか、と怒られそうですが、、、タイトルがやっと寮さんの講演内容に近づいてきたでしょうか。

日本には大変たくさんのプラネタリウムがあります。プラネタリウム白書を読んだのがもう数年前なので正確に忘れましたが、世界のプラネタリウム館の半数以上が日本にあるのではないでしょうか。その分、館ごとの規模が小さく人員も予算も商圏の小さい、という問題があるのですが、少なくとも、「プラネタリウム、なにそれ、見たことはおろか聞いたこともない」という人の割合はかなり少ないと思います。(西欧の主要国ならともかく、たとえば地球の10分の1の人口を抱えるインドでも、プラネタリウムは1館と聞いた気がします。今はもっと増えたかもしれませんが。マダガスカルからいらしているマミさんもプラネタリウムを知りませんでした。JICAに勤めている私の友人は、ODAでプラネタリウムを提供することになったということでプラネタリウムについていろいろと私に聞いてきました。日本製のプラネタリウムは世界的に見ても高いシェアを誇っています。)
それだけ、日本国民にプラネタリウムは浸透しているわけです。そこで、文学作品の中も安心してプラネタリウムを持ち出すことができます。いくつもあるのだと思いますが、4つほど私が知っているものを紹介したいと思います。

・今江 祥智  「ぼんぼん」
 4部に分かれている2次大戦前後を舞台にした長編の少年少女向け小説。その第一部にあたる「ぼんぼん」の冒頭部に、大阪電気科学館にあったプラネタリウムが登場します。主人公の兄弟がプラネタリウムへ行く。小説の冒頭第一文は投影開始の日の入りの解説のせりふでした。その中で兄は弟に「これはドイツのカールツアイス社が開発したプラネタリウムという機械で東洋初のもんや」(関西弁の詳細不明。記憶に頼って書いてます)と自慢するが、弟は向こう側の椅子に座った白いつばの広い帽子をかぶった少女のことが印象的でそんな兄の話もうわの空、というシーン。
実はこの部分、私が受験した中学入試に国語の問題に出まして、大変印象に残っています。入学直後に国語の先生に出典を聞きに行き、一気に全巻読みました。プラネタリウムがでてくるのは最初だけですが、全体としても面白い小説でした。

・瀬名秀明「虹の天象儀」
 昨年、書き下ろしの文庫で出た中篇SF小説。渋谷にあった五島プラネの最終投影が冒頭のシーンとして据えられている。主人公は五島プラネタリウムに勤めていた解説員という設定になっている。実際、村松さんという五島の解説員の方へ綿密に取材した書かれたものだったらしい。しかし、全編にわたって、プラネタリウム自体が主人公といっても過言ではない。タイムスリップの話で、未来から小型の自作プラネタリウムを携えてやってくる少年の話も出てくる。これは下で紹介した大平さんがモデル?
瀬名秀明はこの小説について自分のHPに特集ページを設けている。
http://www.asahi-net.or.jp/‾fx2h-szk/katharine/newbklist.html

・織田作之助「わが町」
 現在手に入る本ではこれは載っているものがないらしく、私は読んだことがないのですが、上記瀬名の作品の大切なモチーフとなっている。映画化もされたらしい。織田作之助は大正生まれで戦後直後に若くして亡くなった大衆文学作家。

・津村節子「流星」
 これも多分まだ単行本としてはでていないのではないかと思います。「文学界」1999年2月号に載っていて、図書館で読みました。短編小説です。ダムの建設によって故郷を離れなければならなくなったおばあちゃんを孫がプラネタリウムに連れて行くという最後のシーンで使われてました。

私が知っているのはこのぐらいですが、他にもありましたら教えていただければと思います。>皆様

いとてつ  日本が誇るプラネタリウム 2003年04月12日(土)02時56分02秒
プラネタリウム へのコメント

前回の私の書き込みに対して、詳細にレスしていただきありがとうございました。>MARIKOさん

そこで、日本の話として、私は最近とっても気に入っている、MEGASTARというプラネタリウム投影装置を紹介したいと思います。これは、某社に勤めていらっしゃる大平貴之さんというエンジニアの方が趣味で、手作りで作られているプラネタリウム投影機です。ですから、現在世界でひとつしかありません。しかし、趣味といっても気合の入り方が違います。小学生時代に部屋に蛍光塗料で星を書いたのを発端として、アマチュアではほとんどなかったレンズ式投影機を設計・製作し、大学の卒業論文もそれがテーマになっていたそうです。そして、大平さんによる4世代目の本格的なレンズ式投影装置がメガスターです。
この投影機は通常メーカー製の投影機が多くても一万個ほどの星を投影しているのに対して、NASAのHIPPULCOS衛星という観測衛星が計測した恒星の位置データをもとに160万個の恒星を原版上にプロットしてあるそうです。もちろん、これだけの数の星は本来肉眼では見えないのですが、これのおかげで、天の川なども通常のプラネタリウムではスライドプロジェクターのような形式で光の帯を投影しているものが、点光源によって投影されており、一つ一つが粒粒のざらざらした感じを味わうことができます。私はこの投影の際に小さな双眼鏡を持ち込んで天の川を見ましたが、それでも一つ一つが点に見える、すばらしいものでした。
さらに、もうひとつの大きな特徴として、メガスターの投影装置は大変小さく、大人一人で持ち運びができます。これらの特徴は世界に類を見ないものです。実際、メガスターは国際プラネタリウム協会の98年ロンドン大会に大平さんは単身メガスターを持ち込んで実演発表を行い、世界のプラネタリウム関係者を感嘆させたということです。
また、大平さんは実際、この機動性を活用して、各地で移動公演を行っています。私も3種類ほど公演を見ましたが、何度見てもこれが手作りであることが信じられません。そして、星好きということとともにモノ作りも好き、というその大平さんの精神に感嘆します。こういう人がたくさんいれば、技術立国日本の将来も安泰なのですが…。 あ、話がそれました。
以前、鳥海さんの掲示板で鳥海さん本人が、プラネタリウムをシニアケアに使えないか、ということをかかれていたのですが、メガスターのような投影装置を使うならば、ある程度の広さの部屋があれば、一人で持っていって設置できるので、たとえば老人ホームを巡って皆さんに星空を見せて回る、ということができるかもしれません。しかも、いわゆるホームプラネタリウムのようなおもちゃではなく、すばらしいもの見せることができます。
もちろん、このメガスターの現状に、私がまったく不満がないわけではありません。まだ、定常的に長い間公演されるわけではないので、このすばらしさを味わっていただける人は限られる、という問題があります。実際、昨年末、日本未来科学館で公演があったときには事前申し込みの抽選制となっており、抽選に漏れた人もたくさんいたようです。また、メガスターがこれまで行ってきた番組は癒し系のものが多いのですが、この装置を使ってぜひ科学的な番組を作ってほしいものだと思っています。
実際、大平さんが作られているメガスター紹介のページを見るとメガスター2という新機種の作成が進んでいる、ということです。これにはあまり人手がかからずに上演できる機能も付け加えられるのではないかと思います。
詳細は以下のページをご覧ください。
http://www.megastar-net.com/

しかし、期間限定の特別イベントだと入りきれないくらい人が集まり、常設の館は採算が合わないといって閉館するという現状。もちろん、番組や投影機そのものの魅力に差があるという話かもしれませんが、なんというか、お祭り好きの日本人の国民性が災いしているような気もします。

http://www.megastar-net.com/

寮美千子  イラク攻撃/映像作家鎌仲ひとみさん 本日「ニュース23」に出演 2003年04月09日(水)11時55分50秒 http://ryomichico.net

ドキュメンタリー映画「ヒバクシャ 世界の終わりに」を制作、イラクの劣化ウラン弾についても現地取材した鎌仲ひとみさんが、きょうの「ニュース23」に出演します。TBSで午後10時54分から。ぜひ見てください。

アメリカがバグダッドを制圧したという「噂」があるけれど、「勝てば官軍」にしては絶対にいけないと思います。

一昨日の朝日朝刊、若い母親が、幼い子どもと赤ん坊を両腕に抱えて溝に伏せている写真が載っていました。子どもの服には、真っ赤な血が飛び散っていた。涙が出ました。これが正義であるはずがない。

昨日の新聞には、ベルファーストで会談したブレア英首相とブッシュ米大統領が、勝利を予感させる安堵の笑顔で見つめ合っている写真が、巨大に扱われていました。なぜ、かくも巨大に扱わなくてはならないのか? その隣の見出しは「フセイン政権、崩壊過程」。

この一面が発しているメッセージが「もうすぐ戦争は終わりだ。みんな安心しよう」であることは明白です。笑顔は、それがどんな笑顔でも笑顔だけで単独に存在すれば、人は安心し、心地よくなる。紙面は、ブレアとブッシュの笑顔を大写しにすることで、紙面全体にある種の安心感を演出しています。それはこのふたりが演出しようとしたものにそのまま無批判にのっかったものに他なりません。

しかし、もしこの笑顔の隣りに、その前日の血まみれの子どもと母親の写真を掲載したらどうだろう、と考えてみると、事態は一変します。この笑顔の背後にあるものがなんなのか、それを見せつけられれば、この笑顔は「悪魔の微笑み」に他ならないとわかる。そうすれば、この写真掲載は「批判」になりうるけれど、朝日はそうしませんでした。

これから、こんなふうな報道が増えていくと思う。ブレア首相はベルファーストで言っていました。「Past is past 」過去は過去だと。だから、これからイラクの再建に向けて力を合わせていこうではないかと。一見前向きで美しく響く言葉に、騙されてはいけません。「勝てば官軍」というのが、古来常識だった。それで平安が訪れれば、やっぱりこれでよかったのだと人々は思いはじめる。

けれども、それは違います。人を殺すことは、いかなる場合でも「正義」ではありえない。そのことを忘れてはいけないと思うのです。

昨日のブレア首相とブッシュ大統領の笑顔の写真の隣りに、ぜひ一昨日の血まみれの母と子の写真を並べてみてください。笑顔の背後にあるものを、わたしたちは忘れてはいけない。その犠牲のうえでの平和など、ほんとうの平和ではなく、単なる圧政にすぎないことを、忘れてはいけないと思います。

本日11時「ニュース23」の鎌仲さんをぜひ見てください。イラク関係(というより米国関係)で突発的一大事があったら、そのコーナーはぶっとぶそうです。

http://junkotanaka.infoseek.livedoor.com/inter-004-01.html

MARIKO  プラネタリウム 2003年04月08日(火)23時27分48秒
NYのプラネ番組の一部(下の書き込みの補足) へのコメント

だいぶ書き込むのが遅くなってしまいました。
4月27日のシンポジウムの講師として、寮さんを推薦したのは私です。でもいとてつの書き込みに対して、寮さんが書いてくださったことが、今回推薦した理由の一つでもあります。寮さん、また余計なお仕事をつくりゴメンナサイ。
プラネタリウムに関わる当事者なので、自分で意見を言うより聞くほうに徹したほうがいいと思いつつ…いとてつの意見にいくつか思うところを。

●ヘイデンプラネタリウム
プラネタリウムだけでなく、博物館などにおける展示制作についても言えることですが、キュレーター、エデュケーター、ディベロッパー、デザイナー、エバリュエーターといった面々が、一つのプロジェクトチームを組んで企画に取り組むことのできるスタイルはほんとにうらやましく、そしてやっぱり理想だな、と思います。ヘイデンのようなところは、アメリカの中でも特別でしょうけれど。
こういったことが日本のプラネタリウムでは皆無かと言えば、名古屋市科学館はそれにかなり近いことをやっていると思います。館内のスタッフだけでなく、大学の研究者やCGデザイナーと一緒にCG制作もやってます。実際にそれが大学の(学生の)研究成果にもなっています。おそらく日本では最良のプラネタリウムでしょうね。

● コラボレーション
今、プラネタリウムと天文学会でコラボレーションしていきましょう、という事業を展開しつつあります。何をやっているかというと、科学館などではよく研究者を呼んで講演会などをやりますが、一方的な講演会に終わることが多い。せっかくプラネタリウムというメディアがあるのだからそれを有効に活用し、プラネタリウム側はドーム演出や簡単な解説をしつつ、サイエンスの深いところについては研究者にしゃべってもらう、というイベントを少しずつやっているのです。こういった試みをもっとプラネ側も研究者側も認識して、お互い楽しく、かつ多くの方々に喜んでもらえることをやりましょう、という呼びかけ。今のところはピンポイント的なイベントですが、だんだん広がって、それが番組づくりにつながったり、上記のようなCG制作につながっていくような形になればいいな、と思っています。プラネタリウムは天文学だけが対象ではないので、周辺の学会にも呼びかけつつあるところです。

● 最新科学VS星座神話?
プラネタリウムでよく話題にのぼるのは、プラネタリウムは最新の天文学を紹介する「べき」ところなのか、星座を紹介して神話などの話をする「べき」なのか、ということです。アメリカのプラネタリウムはほとんど、天文学・宇宙科学の普及という目的を大きく掲げてやって、一般市民もそのように認識していると思います。(たぶん)日本だと、プラネタリウムは日の入りからはじまって、だんだん夜になって、そこから星と星座をたどり、神話の話などを聞いて…というスタイルがあり、これがまた気持ちいいので、「癒しの空間」と言われるようになったり、星空の下で音楽だけを聞く会があったり…という展開をしています。これが一見、「最新科学」といったものとはだいぶかけ離れた世界に感じるので、プラネタリウムは「どっち」をやるほうがいいのか、といった話で担当者も意見がわかれたりなんかします。しかし、ほんとうにかけ離れた世界なのだろうか? もしかしたらとっても近い世界がそこにあるのかも、と私は思っています。それが実は「人の営み」「物語る」という点で近かった、ということを見せられるようなプラネタリウムをやることができればいいな、というのが私の思いです。言うは易し、行なうは…ですが。
プラネタリウムの持ちうる可能性は大変広いので、おそらくすべてを一つのプラネタリウムがやろうとするのは無理かなとも思います。それぞれのプラネタリウムがしっかり自分たちのやっていることを明らかにしていることも大事なのでしょう。とっても小さなプラネタリウムととても大きなプラネタリウムは、単にシステムが違うだけではなくて、それぞれの目的も大きく違うはずです。これまた、私のいる県立というレベルだと、対象が一番あいまいになってしまいがちなのですが。

● プラネタリウムの可能性
これまで、宇宙的視点の提供、というのがプラネタリウムの大きな使命に感じていました。が、最近ちょっと考えが変わってきて、それももちろん大事でやりたいことなんだけど、見る人個々の中に眠る記憶・経験を呼び覚まし、それを再構築したり付加していったりするためのプラネタリウムというのが、どうすればできるか、ということについて思うようにもなりました。おそらく誰にでも(というのはいいすぎか)、星を見た思い出、そのときの風やにおい、星のお話…といったものがどこかにあるはず。単なるノスタルジーではなくて、それらを掘り起こして前に向くための何か、そういうものになれないかな、と。
 それ以外に、ちょっと前にあるMLの中で、プラネタリウムについていろいろ意見が出た折に、自分がふだん思っている中でのプラネタリウムの持っている特性を書いた一部を紹介すると。
・ 天文学・宇宙科学の紹介
・ 星を基点にした多分野とのつながりを楽しむ
・ プラネの機械としての特性(過去未来、世界中の星空、時間の短縮、時間軸の設定など)
・ ホンモノの星空への誘い
・ ドーム・映像空間としての使い方
・ プラネタリウム番組のコンクール
・ 星の慰撫的効果(池澤夏樹的に言えば)
・ オープンマイク
・ 市民がつくる番組
・ デリバリー星空(移動プラネタリウム)

説明なく同列でない箇条書きでわかりにくいと思いますが、ぜんぶ説明しているともっと長文になってしまうので・・・すでに超長文で失礼しました。

ところで寮さん、岡神社へはいらしたのでしょうか? 今月はじめにメールで書きましたように当日は私自身が東京にいて、お迎えできずに残念でした。
山梨の桃が開き始めました。すももは今、満開です。

いとてつ  NYのプラネ番組の一部(下の書き込みの補足) 2003年04月05日(土)04時32分06秒
ちょっとびっくり へのコメント

下で紹介したプラネ番組の一部分、オリオン大星雲のCGについてが
http://vis.sdsc.edu/
の右上の「Volume Visualization of the Orion Nebula」に載っています。製作過程などが書いてあります。このページは博物館やプラネのサイトではなく、カリフォルニア大学サンディエゴスーパーコンピューターセンター(SDSC)のサイトです。つまり、このCGを作ること自体が、大学の研究成果として公表できるほどのレベルのものである、ということです。こんなこと、日本ではまずないですね。
クレジットを見ると、SDSCがNY自然史博物館ヘイデンプラネタリウムと協力して作ったことがわかります。私が話をしたのは、ヘイデンプラネタリウムのところで名前が出ている、Carter Emmartさんでした。この番組を見た後、映像の素晴らしさ(美しさとリアルさ)に感銘を受けた私が、Carterに、どこまでが科学的に正確(real)でどこが作り物(fake)なのか、と聞いたところ、彼は、すべてrealだ、と答えました。で、30分にわたってCGの製作過程について解説してくれたあと、渡してくれたのはクレジットにも名前が入っているO'Dellさんの学術論文でした。大変びっくりしました。

このページにはムービーファイルも置いてあります。(かなり大きいファイルですので取ってくるのは大変です。ご注意ください。)これを大きなドームで見ると圧巻です。

なんだかNYの宣伝ばっかりしているなあ。反省して、日本の話も近々書きます。(^^;

http://vis.sdsc.edu/

いとてつ  ちょっとびっくり 2003年04月05日(土)04時08分19秒
急告! プラネタリウムについていっしょに考えよう! へのコメント

4月27日のシンポジウム、私も主催している会の会員なのですが、いろいろ忙しく、行こうかどうしようか迷っていました。しかし、寮さんが話をするということであれば行かないといけないですね。実は私、プラネ関係者のメーリングリストに、サンシャイン閉館についてこの掲示板で寮さんがご意見を述べていらしたことをURL入りで紹介したんです。そんなことが遠因で今回のお話が行ったのだとすれば責任がありますし。(^^; (もしかするとMARIKOさんや黒田さん経由かも知れませんが)

日本のプラネタリウムの現状に関しては、まずはプラネタリウム白書を読んでいただければと思います。

私にとって、理想のプラネ番組のひとつの形は、最新の科学の知見を紹介し、なおかつエンターテイメントとして面白い番組です。なかなか難しい注文なのですが、こういった番組もありうると思っています。これを書くと西欧かぶれと怒られそうですが、実は日本ではそういった理想にぴったりのものに巡り合ったことはなく、ニューヨークの自然史博物館ヘイデンプラネタリウムで2年前見たものがまさにそういう番組でした。この番組では、最新の知見に基づいて精密に作ったオリオン大星雲の3次元CGに近づいていきそばを通りぬけながら様子をじっくりと見るというのがひとつの売りでした。この番組の製作スタッフとは話をする機会があったのですが、製作に専念しているスタッフには天文学を専門とした人はもちろん、美術やコンピューターのの専門家まで20人近く(うち博物館のスタッフが10人以上?、それ以外に大学と協力している)いて、元のデータも学術誌に載った論文のものを著者から直接もらってきて使っているとのことでした。演出も凝っていて、ケビンコスナーが声で出演してるんだったかな?大人気で3年ぐらいずっと同じ番組をやっていました。(今もやっているかも知れません)でも、それでも長いこと人を集めていました。私が見に行ったときには幼稚園か小学校1,2年ぐらいの子が団体で来てましたが、子供たちも内容は完全には理解できなくても、美しいCGの映像に満足するというようなものでした。こうであれば、制作費が莫大であってもそのぶんを回収できる、と思うのです。

でも、これは日本と環境がずいぶんと違う状況での話です。
まず、スタッフの数と予算。これは日本ではプラネのスタッフは基本的に毎日の投影をこなします。投影の担当をしながら、なおかつ次回の番組作りもしています。各館、多いところでも担当者は5,6人いればいい方で一人というところも珍しくないでしょう。政策専門のスタッフはもちろん、研究のスタッフを抱えているところはないといっていいでしょう。しかも、プラネの館数が非常に多いので商圏が狭く、来場者もそれほど多くありません。さらに、プラネの番組作りに対して天文学者の側が積極的に協力するということもそれほど多くはないように思います。

先日寮さんの家にうかがった時、松永さんが、最新の科学を紹介しているプラネ、というのは本当にあるのか、というようなことをおしゃっていました。確かにどこも、まず星座の解説から入って惑星などについて解説をしてというのが普通で、太陽系から抜け出すことはそんなに多くないかもしれません。日本では、観客の側もプラネに行けば星座の話が聞けるものだ、と思っているところもありますので、まったく季節の星空の話をしないというのも難しいのかもしれません。天文学者の側に協力する体制がきちんとできていないこともあって、最新の成果を番組で紹介、とはなかなかなっていないかもしれません。
しかし、私個人としては、星座の話の生解説を聞くのは好きです。プラネタリウムという装置とドームスクリーンで再現された星空は普通の平面のスクリーンに比べて星座などを教えるのによほど教育効果が高いと思います。また、演出(というほどのことではないですが)解説者が観客に問いかけ、観客(おもに子供たちですが)が答える、なんていうのを取り入れているのを聞いたりすると嬉しくなってしまいます。観客にあわせた対応ができるのが生解説のよさですので。この方法は五島プラネが残した、ひとつの日本の文化なのではないか(別に日本独自のもの、というわけではありませんが)と思います。

なんだかまとまりのない書き込みになってしまいました。五島閉館の時に「星ナビ」という雑誌に載った日本と世界のプラネの現状に関する解説(評論?)記事が大変よかったのを思い出しました。探してみて、見つかったらコピーを寮さんにお送りします。

寮美千子  急告! プラネタリウムについていっしょに考えよう! 2003年04月03日(木)23時42分07秒 http://ryomichico.net

「プラネタリウム館の役割について考える(仮題)」というシンポジウムで、不肖寮美千子が講演をさせてもらうことになりました。4月27日、国立科学博物館 新宿分館です。主催は天文教育普及研究会。先日「ラジオスターレストラン」をプラネタリウム番組にしてくれた山梨県立科学館の高橋真理子氏や,西はりま天文台の黒田武彦氏も会員として積極的に活動なさっている会です。内容は以下の通り。

1)日本におけるプラネタリウムの現状・問題点など
2)海外におけるプラネタリウムの現状
3)学校教育の現場から
4)文化的な立場から

以上の観点からひとりずつ発言して、あとでみんなで語り合うという形式。で、わたしが頼まれたのは4)です。

わたしひとりが「文化的立場」を背負ってるわけじゃないし、わたしはプラネタリウムの専門家でもなんでもないから、講演なんておこがましいと思っています。でも、この機会にできるだけみんなの意見や考えをきいて、反映させることができたらと思っています。ぜひ、ここカフェルナにプラネタリウムに期待することや、これからのあり方についてのアイデアや要望をきかせてください。

どんなプラネタリウムがあったらすてきか。どんな番組がほしいか。プラネタリウムという空間を、どのようにして生かしたらいいか。どしどしご意見をお寄せください。討論もまた楽し。よろしくね。

シンポジウムは無料。だれでも参加できます。詳細は以下を参照のこと。

http://www.obs.misato.wakayama.jp/tenkyo/kanto030427.html

DORONKO  オーララ!! 2003年03月30日(日)20時08分40秒
イラク関連資料/ぼくたちはイラク攻撃を支援している へのコメント

洋介君がふれていた『アホでマヌケなアメリカ白人』って、「ボウリング・
フォー・コロンバイン」のマイケル・ムーア監督が書いた本だったのですね。
「いかにも」という感じのタイトルなので、避けて通ろうかと思っていた
けれど、読んでおいてもいいかもと思い直しています。まあ、それほど
気乗りはしないのですけれどもね――。

ぼくがお薦めするなら、山内昌之氏の『歴史の想像力』(岩波現代文庫)
かな。これは、とても勉強になりました。

DORONKO  ……絶句!! 2003年03月25日(火)11時54分39秒
無力感にさいなまれた日々 へのコメント

昨日の国会での答弁で、川口外相が「先制行動はすることがあるが、
先制行動は必ずしも先制攻撃を意味しない」……というような、
まことに意味不明なことを語っていたのをニュース番組で見ました。
おそらく、外務省の官僚の誰かが考え出して、そう言えといった
のでしょうが、これ、もちろん川口外相だけではなく、小泉首相も
同じ言い回しを使ってました。何がどうあれ、これはあまりにもヒドイ、
オソマツだと思わずにはいられません。

一方、アカデミー賞の受賞式で、アメリカの銃社会の実態を描いた
というドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」で
受賞したマイケル・ムーア監督が挨拶のステージで「ブッシュよ、
恥を知れ!」と叫んだ様子も、あちこちのニュース番組で流して
いました。会場からは、賞賛の拍手と、ブーイングが……ということ
だったようですが。その後の記者会見の場で、「アカデミー賞のステージで、
あんなことを言っていいと思ってるんですか?」というような質問に対して、
ムーア氏は、「自由に意見を述べることができてこそ民主主義の国だと
言えるはず。ぼくが自分の意見を表明して、何が悪いというんだね?」
といった答え方をしてました。
――「ボウリング・フォー・コロンバイン」って、恵比寿のガーデン
シネマで上映中なんですよね。これは見に行かねば!!

(今回の受賞により、いずれ地方でも上映されるようになるかも?)


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