■22 Aug 2006 奈良市立病院/市立図書館/エコならモデル
▼奈良市立病院へ
顔面強打の傷、大きく腫れ、腫れが引き、青あざになり、その青あざが引いてきたのに、痛みがとれない。顔を洗うと、ひどく傷む。いよいよまずいかと思って、病院に行く。奈良で、はじめてかかる病院だ。
徒歩五分のところ、自転車で風のように奈良市立病院に到着。九時半に受け付けてもらったが、診察は十一時半からだという。幸い家が近いので戻って仕事もできるが、せっかく出てきたので、市立図書館へ。『奈良と伊勢街道』という本を探す。我が家の前を通っている道が「上つ道」(かみつみち)という古い街道で、それが伊勢まで続いているのだ。先日、相棒と二人、その道を天理まで自転車で走った。古い街並みが美しかった。その途中で見た風景が、史跡として本のなかに載っている。ここには、古い時代が、いまと地続きで存在している。
病院に戻り、診察。頭部レントゲンと、頭のCTスキャン。待ち時間、聞こえてくる言葉はすべて関西弁。不思議な気がする。なんだか、パラレルワールドにいるような気分だ。わたしが知っている世界と、すべてがそっくりなのに、何かが違う。日本は狭い国なのに、ほんの少し離れただけで言葉も文化もこんなに変わる。これだけ情報化社会になっても、均一化されない、というところが頼もしい。文化、というものは、案外根強いものだ。
検査の結果、幸い頭の中身には異常がなかったが、なんと頬骨が折れて陥没していた。しかし、今回の怪我ではなさそうだ。これは、古い傷。昔、ドメスティック・ヴァイオレンスで殴られた時の傷かもしれない。その時は、失明の心配があって眼科にかかっていたので、骨の心配までする余裕がなく、気づかなかった。いまさらながらに知ってショック。よく、顔の形が変わらなかった。
それにしてもレントゲン写真もCTスキャン写真もおもしろい。医師に「いただけませんか」と訊ねると「医師には保管の義務があるので、さしあげられません」とのこと。「しかし、貸し出しはできます」というので、借りてきた。こんど、著者近影に使おう。
▼エコならモデル
明日は「奈良県ストップ温暖化県民会議」の家庭部会第二回だ。二酸化炭素削減のためのアクションプランの策定、というのが、この部会の目標で、それを載せたA4のリーフレットが成果物として制作されるという。以前に制作されたというリーフレットには、何とどう節約すると、どれくらい二酸化炭素が減るか、ということが書かれていた。電気のスイッチをこまめに切ろうとか、アイドリングストップしましょう、という「省エネ・カタログ」のようなものだ。
この会議では、なぜ省エネしなくてならないか、省エネしようというモチベーションを高めるにはどうするか、という論点がほとんどない。化石燃料を燃やすということはどういうことか、百万年以上をかけて堆積し固定化した二酸化炭素を、たった二百年弱で放出しまくるということが、何を意味しているのか。その理解を徹底しよう、という根本の議論は、ここではしようとしてもできないようだ。その議論がきちんとできれば、アイドリングストップ以前に、車ではなくバスや鉄道に乗る、自転車を使う、ということを提案していこうという方向になるはずなのに。
さらに、二酸化炭素何キログラム削減、といわれても、ピンと来る人はいないだろう。もっと身近に具体的にイメージできるようにしなければならない。それがないと、どこにでもある単なる「省エネ・カタログ」を再生するだけになってしまう。
そこで、前回、使用エネルギーを「吉野杉 何本分を燃やしたとと同様」という単位で示したらどうだろうかと提案した。提案したものの、その具体的な数字をいれてモデルを作るところまで手が回らなかったので、相棒の力を借りながら、調べものをした。明日の午前中までに簡単なまとめを作って、会議に持っていくつもりだ。ともかく、なにか「紙」がないと、そのまま無視されてしまう危険がある。少なくとも、わたしがいままで関わったお役所のナントカ委員はみなそうだった。今回も、わずか3回の家庭部会で「成果物」たるリーフレット作成をするという。そのリーフレットの形も部数も既に決定されているというのも、納得がいかない。それは観音開きA48頁カラーで固い紙に印刷されたものだ。そんな立派なものを少部数作ってどうなるのか。モノクロでもっと別なものをたくさん刷った方がいいのではないか、などということは、いまさらいっても通用しないようだ。せめて「エコならモデル」を導入して、もっと「使える」リーフレットを作ってほしい。さて、どうなるか?
■15 Aug 2006 顔面強打/大文字送り火/東大寺万燈供養会
▼怪我
ガツン、とすごい音がした。強烈な痛みが顔面を襲った。昨晩、寝ようとして電気を消し、ばたりと布団に倒れようとしたとたんのことだった。ドアの枠にぶつかってしまったのだ。引っ越しの荷物が片づかず、布団を敷く場所がなくて廊下で寝ているのがいけなかった。手を伸ばして部屋のなかの電灯のスイッチを切り、廊下に倒れこもうとしたら、暗やみで見当を間違えたようだ。
右目上を強打、少し切って血が出て(ボクサーのようだ)、巨大たんこぶができた。すぐに冷やすがじんじん痛い。なかなか眠れなかった。参った。
▼大文字送り火@高円山
軽い頭痛と傷の痛みを堪えて締め切りの原稿を書く。『夢見る水の王国』連載第一回の五十枚。最後まで書き上げる。細かい推敲はまだだが、ともかく完成した。そうなると、もうどうしても東大寺に行きたい。でも、とても自転車に乗れる体調ではない。バスで行くことにした。
バス停「田中町」は、マンションのすぐ前。いまはもうその町名ではないのに、バス停の名は古い町のままだ。バズがなかなか来ないと思ったら、数珠繋ぎで二台来た。気の短い人は混み合った最初のバスに乗ったが、わたしと相棒は、後ろのがら空きのバスに。
お遅れたせいで、バスから折良く高円山の大文字送り火が見えた。ちょうど、点火の時間だったのだ。戦没者供養のために昭和三十五年にはじまったという。クーラーの利いた特等席から見物。山に火文字が浮かびあがるのは、ただそれだけで、胸がときめく。
バスはやがて、慰霊祭の行われている飛火野へ。人人人の波で、動けなくなった。自転車で来なくてよかった。それにしてもすごい人出だ。しかも、みんな勝手に動いているように見える。人の「動線」というものがない。人は、わらわら道にはみだしてきて、思い思いの方向へ行く。そのほとんどが、家族連れ。まるで、インドの祭りか市場のような風景だ。
インドと違うのは、商売っ気がほとんどないこと。これがインドなら、道ばたに無数に露店が出ているだろう。もちろん規制があって露店はないのだろうが、町中の食堂やレストランも、いつも通りの時間に閉めて、午後八時にはすっかりシャッターの降りた街並みになってしまう。人々の中から「食べるところが全然ない」という声も聞こえてくる。「大仏商法」とはいうが、それにしても優雅?である。それが「奈良」だ。
▼東大寺万燈供養会
博物館前でバスを降りて、東大寺へ。南大門をくぐると、行列の最後尾がそこにあったので並ぶ。長い列だが、さして待たずにすむ。列はゆっくり歩くペースでどんどん進み、大仏殿へ。正面から大仏殿に入れるのは、年に四度ほどしかないという。そして、大仏さまも大仏殿も、やはり正面から拝むに限る。あの巨大なものに、静かに近づいていく興奮。きょうは、そこに無数の燈籠が灯っている。春日大社のものとはちがい、木枠に和紙を貼った紙の燈籠。ひとつひとつに、供養や祈願が書かれている。それが、実に静かに清らかに光を放っている。大仏殿の窓が大きく開き、大仏さまが、胸のあたりまで見えそうなほど大きくお顔を出されている。その大きさ、美しさ。二十一世紀に生きて、世界を旅してきたわたしですら、そう思うのだ。天平人は、どう感じただろう。しかも、その頃、大仏殿はさらに大きく、東大寺には百メートルを超える七重の塔もあったというのだ。「平城京」とは、どのように華やかな場所だったのだろう。
痛みを堪えてお参りしてよかった。春日大社の万燈籠は、庶民の現世の願いを叶えるパワーに満ちていたが、ここは何かが違う。現世を超えた時が、風のように流れている。宇山さん、桶谷さん、そして先に旅立っていった友の行った場所が、静かで美しい場所のように思えてきた。
■14 Aug 2006 万燈籠@春日大社/燈花会
▼中元万燈籠
夕暮れ、春日大社の万燈籠に行く。夕闇が濃くなるに連れ、石灯籠に灯った蝋燭の火が明るくなり、風にちらちらと揺れる。
知人の古書店の方が、突然体調を崩されて入院。若宮さまに、病気平癒を祈り、春日大社で一番古い水谷神社の病魔退散のお守りをいただく。「蘇民将来守」という、朝鮮半島風の呪符。きっと、古い物語があるんだろうなあ。
春日大社の本殿に参拝。社殿から、無数の燈籠が下がっている。そのひとつひとつに、寄進した人の名や、年代が書かれている。「伊賀侍 文運長久」「寛永二年」など。たくさんの屋号が書かれて「講」のようにして、みんなで寄進したものも。デザインも一つ一つ違って、切り絵のように文字や模様が浮かびあがる。遠い昔の人々の思いが、燈籠の灯火となって、すぐそこで揺れている。
日本が、明治維新で「英語の国」にならなくてよかった。こんな古い文字が読めて、江戸時代のお侍も町の衆も、すぐお隣にいる人のように感じられる。
ここに名前のある人々は、みなこの地上から去ってしまったが、残された「思い」はいつまでも灯り続ける。それにしても、わたしがこうやってこの地上にいる時間の、なんという短いことだろう。その短い時間の中で、時を超えた人の思いを感じられることのしあわせ。限られた人生が、その時間を超えて、悠久のものにつながっていく思いがする。
平成の文字を刻んだ新しい燈籠もあった。こうやって、受け継がれていくのだろう。
▼燈花会
帰り道、東大寺の前を通って、奈良国立博物館前の燈花会の会場へ。池の周りにずらっと並んだ灯火が、水面に映り、それが博物館の巨大なガラス窓に映り、どこまでもどこまでも、蝋燭の灯る野原が続いているように見える。そのまま、もう一つの世界へと続いているようだ。
「一客一燈」では、五百円で、蝋燭と筒とをもらって、博物館前の好きな場所に自分の蝋燭を灯すことができる。二ついただいて、灯してきました。ひとつは、先日亡くなられた宇山日出臣さんのため。もうひとつは、先日七回忌を迎えた桶谷さんのため。燈花会は宗教とは無関係なので、供養ではないが、風に揺れる炎を見ていると、どうしてもそんな気がしてくる。火をつけて、手を合わせると、自然と涙が滲んだ。
「ひとつひとつが、命のようだね」
行き交う人の声に、そんな言葉が聞こえる。つじうら、つじうら、人の声がわたしの心を映す。万燈籠も燈花会も、派手な催しはほとんどなく、ただただ、揺れる炎のなかをそぞろ歩きするだけ。だからこそ、心にしみる。様々な思いが泡のように浮かんでは消え、人はそれぞれに言葉を交わし、心を交わしながら歩いている。
▼東大寺万燈供養会
明日は東大寺の万燈供養会。年に2回、大仏さまの正面のお顔の扉が開いて、ご尊顔を拝見できる。昨年の大晦日にも見たが、ほんとうに美しい。締め切りだけど、やっぱり見に行くか。
■ 4 Aug 2006 「アクタス」連載予告原稿/すだれ購入
▼「アクタス」連載小説開始予告
本日、北國新聞の月刊誌「アクタス」の締め切り。新しく始まる連載小説『夢見る水の王国』の予告の文章を書いた。書いているうちに、自分でもすごい作品になる予感がふつふつと湧きあがってくる。わたしは、その気になりやすい人間である。
▼樹木は偉大なり
書斎の窓に西陽があたって暑い。クーラーの室外機置き場となるベランダが設置されているため、ちょうどそこだけ、窓の外に木がないのだ。他の部屋にも同じような窓があるが、木が生えているせいで、涼しい。樹木は偉大だ。たったあれだけで、こんなに涼しいなんて。あの強い太陽の光を吸収し、光合成をして、せっせと養分として溜めこんでいるのだ。
都市の屋上やベランダをすべて緑化したら、全体でどんなにか気温が下がるだろう。そして、そこからトマトやナスが収穫できたり、材木が育ったりしたら、一石二鳥ではないか。
奈良でも、山に近い住宅地は、夏でも朝には布団が必要なくらい涼しいという。実際、高畑の友人の家と、町中の我が家でも、かなり気温の差があるようだ。都市にもっと緑を!
といっても、一朝一夕には緑は育たないので、スーパーにすだれを買いに行った。幅176×長さ157の大きなすだれが、わずか395円。中国から運んでくるらしいのに、どうしてこんなに安いのか? お財布にはうれしいが、なにか釈然としない。これを作っている中国の人は、いったいいくらもらっているのだろう? こういう経済の歪なあり方も温暖化につながっている。だいたい、中国から運ぶ運送エネルギーだけでも、温暖化を加速していることは事実だ。とはいえ、クーラーを取り付けるよりはマシなので、しばらくすだれでしのいでみよう。
■ 3 Aug 2006 指の怪我/アゲハの行方
▼指をスライス
卵サラダをつくる。材料は、卵、黒オリーブ、キュウリ、ジャガイモ、皮付きサツマイモの角切り、マヨネーズ&粒カラシ。やっと、腰を据えて料理ができるようになったのがうれしい。もう、いままでのようにひとり暮らしだからと量を制限したり、あのスパイスは奈良かしら相模大野かしらと悩んだりしなくていい。家がひとつだけというのは、ほんとうに落ち着く。
キュウリは、相棒の実家のお母さんが送ってくださった立派なもの。台所用品を開梱したら、スライサーが出てきたので、試しに使ってみる。うまく行くので、調子に乗ってぐんぐんスライスしていたら、ひょっとしたはずみに自分の指をスライスしていた。痛い! 薬もバンドエイドもまだ開梱されていないので、不要になったTシャツを裂いて包帯をつくって、テープで指に巻いた。久しぶりのケガである。
▼アゲハくんの行方
アゲハの幼虫くんは、そろそろサナギに変身するらしい。変身場所を求めて彷徨っているようだ。それともエサを探して? 思わぬほど遠くまで這っている。
■ 2 Aug 2006 ナミアゲハの幼虫/そうめんカボチャ
▼アゲハの幼虫
相模原のマンションの11階ベランダから持ってきた山椒の鉢植えの梢から、葉っぱが消えうせているのに気づいたのは、一昨日のことだった。見ると、丸々とした緑色の芋虫が一匹。アゲハチョウの幼虫だ。自分で、アゲハの幼虫を見つけたのは、生まれて初めて。昨日、それがだいぶ進んだ、と思ったら、今日になると、葉っぱのほとんどが消え失せていた。よく見ると、全部で5匹もの幼虫がいた。大きい緑色のが二匹、まだ黒っぽい小さいのが3匹。いつのまにこんな! このままでは、全員が飢え死にだ。芋虫たちを捕まえてキャンディーの缶に入れ、柑橘類の木を探しに行った。
ところが、見つからない。東大寺にも春日大社にも行ったけれど、樹種に疎くて、どれがどれやらわからないのだ。結局、緑の濃いところに放してきた。自力でサバイバルできるだろうか。
この山椒の木、相模原では一度も虫が付いたことがなかったのに、奈良はそれだけ生命が濃いということだろうか。きっと、アゲハの幼虫のごときでこんなに慌てるなんて、こちらの人が見たら、笑ってしまうようなことだろう。
実は、一匹だけ持ち帰って、鉢植えに戻した。まだ少しだけ葉っぱがついているから、一匹なら生き延びられるかもしれない。あの子は、いつサナギになるのだろう? 明日、ミカンの苗でも買ってこようかな。
▼そうめんカボチャ
スーパーで「そうめんカボチャ」という名の奇態なカボチャを見つけた。「茹でるとそうめんのようになります」と説明文がついていたが、なんのことやら、さっぱりわからない。岡山産だそうだ。西の方には、こんなカボチャがあるのだろうか。怖いもの見たさで買って帰った。
早速、料理方法をウェブで調べた。3〜5センチほどの厚みの輪切りにして、15分ほど茹でる。すっと竹串が通るくらいのやわらかさが目安。これを水に浸してもむと、同心円状にばらけて、そうめん状になるという。別名、金糸南瓜ともいうそうだ。まさかと思ったが、やってみると確かにそうなる。見た目は、玄武岩の柱状節理のような感じだ。
味は、冬瓜に似てあっさりしている。これに、生姜風味の鳥のそぼろのあんをかけて食べた。おいしいし、見た目もきれい。ちょっとしゃれた食材だ。短めの時間でしゃきっと茹でて、だし汁を含ませてもおいしいかもしれない。
奈良の八百屋には、見たことのない野菜がいろいろある。早く落ち着いて、いろいろ試してみたい。
■ 1 Aug 2006 ストップ温暖化 提案書作成/ナガノカメラワーク
▼ストップ温暖化県民会議 提案書作成
「奈良県ストップ温暖化県民会議」への提案書提出が昨日締め切りだった。引っ越し作業で書く暇がなかったので、きょうは朝から提案書を作成する。「実際にできること」をいろいろあげつらうことはできる。しかし、問題は「なぜそうするか。そうしなければならないか」の基本原理を人々に知らしめることだと思う。「子どもにテレビを1時間ガマンさせる」などということばかりを積み重ねても、その意味がわからなかったら、子どもたちはただ押しつけられたと思うだけだろう。「もったいない」の精神も、なぜもったいないのかが理解できなければ、押しつけに過ぎない。しかし、原理を知れば、自然とそうしたくなるはずだ。
会議では、以前からそう発言してきたが、ほとんど取りあげられることがなかった。文章できちんと書けば伝わるかもしれないと思い、400字詰めで20枚ほどの提案書を書いた。
そのなかで具体的な提案として書いたのは「エコならモデル」の創出である。石油1リットルが含有している炭素の量は、樹木なら何本分にあたるのか。奈良の名産である吉野杉を例にとって、例えば、よく使われる105ミリ角で3mの柱が採れるような杉の木なら、何本に匹敵するのか。そのモデルの式を作れば、テレビを一時間つけて置いたら、どれだけの木を燃やしたことになるのか(どれだけの炭素を空中に解放したのと同じことになるか)が計算できる。節約するということは、つまり、それだけの木を守ったことになる。
そうやって、自分がどれだけの木を守ったのかを知れば(どれだけの木を燃やしてしまったのかを知れば)、イメージがより具体的になる。
いままで県が制作したパンフレットは、これだけ節約すると、何キログラムの二酸化炭素の削減になる、という表示であったり、金銭的にいくらの節約になるという表示だったりした。これでは、ピンとこない。
しかも「節約」を全面に打ち出せば、スローライフな手作り品より、大量生産の石油製品を消費した方が安くつくことが山ほどあるのだ。もっと「自然保全」のイメージを定着させなければならない。
「奈良らしい提案を」ということで「大仏をキャラクターに使用しよう!」という意見が出て、会議で好評を博していたが、これにも首を傾げざるをえない。大仏造営は、環境に多大なる負荷をかけ、森林を破壊、土石流が発生したという歴史や、有害物質による公害問題などもおきている。「奈良といえば大仏」というのは、あまりに安直ではないだろうか。都市のまん中に原生林を抱えているという奈良独自の「自然」、吉野杉に見られる「人と自然の融合と共生」をアピールするべきだと思う、という主旨のことを書いた。
奈良に来たばかりの新参者の意見がどこまで通用するだろうか。次の会議は8月23日だ。それまでに「エコならモデル」の試算のための数字を調査したいと思っている。
▼日刊ゲンダイ 電話インタビュー
「日刊ゲンダイ」から「あなたのお葬式の時に流してほしい曲は?」という電話インタビューを受けた。わたしの答えは……。今週金曜日発売の「日刊ゲンダイ」をご覧ください。
▼ナガノカメラワーク&河童
勇崎哲史さんが「奈良フォトフェスティバル」の打ち合わせで、大阪からやってきた。奈良には、勇崎さんが長年プロデユーサーとして手がけてきた、北海道の「東川フォトフェスタ」のボランティア人脈があり、その人々が中心となって、奈良でこのイベントをもう10年も続けているという。打ち合わせの会場は、ナガノカメラワーク。我が家から歩いて1分半のところだ。古いカメラを修理してくれる知る人ぞ知る貴重なお店だという。引っ越してきて、わたしもすぐに気になったお店だった。先日、なにやら2階を改装しているなと思っていたら、「京終画廊」というギャラリーになった。よく見れば、その入り口に「奈良フォトフェスティバル」のポスターがあって、そこに勇崎氏の名前も載っていたのだった。ご主人の長野さんも「湘南ナンバーのでっかいトラックが何台も止まっているなあ、あっちから引っ越してくる人がいるんだなあと思ったら、あなたでしたか」と笑う。引っ越してきてすぐに、こんなご近所に、こんなつながりができるとは。いきなりディープ奈良に吸いこまれてしまったような気分だ。
フェスティバルのスタッフの方や、大阪や京都から来ている写真家の方々とともに、ご近所の「河童」という飲み屋に行った。アンティークの大きな置き時計があるお店で、出てくる小皿もアンティークだ。実に、はやっている。次から次にお客がやってくる。たしかにいいお店ではあるが、さして便利な場所でもないし、住宅地だし、近くに小さな飲み屋がたくさんあるというのに、どうしてこんなにどんどん人が来るのだろう。奈良の人は、みなそんなに飲み歩くのだろうか。不思議だ。
帰りしな、お店の方からチラシをいただいた。奈良在住の映画監督・河瀬直美の新作『殯(もがり)の森』の案内だ。主演男優が、このお店のママのお兄さまだという。以下、奈良県のメールマガジン「大仏さんのつぶより情報」182号より、一部引用。
さてさて、展開されるストーリーは……元雑誌編集者・滋樹は同じ認知症老人たちと一緒にグループホームで共同生活をしている。そこに勤め始めたのが子どもを亡くし心に傷を持つ新人介護士・真千子。真千子は認知症老人たちに戸惑いながらも、深く接するうち次第に心に安らぎを感じるようになる……という認知症男性と女性介護士の心の交流を描くもの。奈良町の葛の老舗天極堂の喫茶店の隣に、怪しい古書店があると思ったが、そこのご店主だった。お店は、最近、奈良女子大の近所の町屋に引っ越したという。こんど、偵察に行こう。→「ならまち文庫北店古書喫茶ちちろ」滋樹を演じる、うだしげきさんは奈良市奈良町の古本屋さん。演技に挑 戦するのは今回が初めてとのことだけど、本に囲まれた生活がからだに しみついている雰囲気はうださんにしか表現できないものかもしれないね。
それにしても、ほんとうにいきなりディープ奈良である。末恐ろしい。
▼奈良的体質?
ところで、奈良県のメールマガジン「大仏さんのつぶより情報」には、映画に関するこんな記事も掲載されていた。
そんな『殯の森』を応援する〈ひとコマもがり〉というサポート制度が あるので紹介するね。 サポート方法は簡単! 最寄りの郵便局から1口2,000円を[郵便 振替 00970-9-245449(口座名:ひとコマもがり)]に 振り込むだけなんだ。 サポーターには、次の3つの特典あり。うーん、奈良県がこのように応援しているとは! 神奈川県ならありえない。奈良は、ふしぎな場所だ。
1)実際に撮影された映画の35ミリフィルムを1口あたり1コマプレゼント。
2)来年初夏に予定されている特別試写会(なら100年会館など、県内6カ所)に無料ご招待。
3)完成時のパンフレットにお名前を掲載。パンフに名前が載ると、いい記念になること請け合い! 払込取扱票通信欄には、郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・電話番号 の記入をお忘れなくね。振込手数料はサポーター各人の負担になるけど、ご容赦を。〆切は9月30日。何口でもサポートできるんでよろしくね。撮影は暑い最中、8月末まで続く予定。完成が楽しみだ!
〈ひとコマもがり〉に関する問合せ= 「殯の森」製作委員会 0742-27-2216