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奥野美和 カニバリズム
2003年01月04日(土)23時35分18秒
▽短歌の感想 への応答
って言うんですね。そういうの。
究極の愛ってなんでしょうね。
知らない、わからない、わたしも経験がない!
最近、恋すら思いこみや幻想、まぼろし!?
なんて思う事もしばしばなのですが、
だれかに「会いたいな」と思う気持ちは
思いこみなんかじゃないな、と改めて考えたりもします。
奥野美和 タイトルにやられた
2003年01月04日(土)23時23分30秒
▼掲示板:古内旭 7A「陽子崩壊」 への応答
(1)来るべき 陽子崩壊 無限の闇 宇宙の終わりは 君と二人で
(2)渋谷駅 酔って吐いてる トイレ内 去り行く終電 去り行く意識
(3)さり気なく 冗談めいて 書いてみた 手紙の最後 「愛を込めて」と
(4)前の席 透けるブラウス 女の子 夏のあこがれ いつかみてろよ
が気に入りました。いやあ、タイトル。
古内くんがどういう考えかわからないけど、
アラーキーの奥さんを思い出した。
崩壊……。やられた!
(1)好き。とにかく言葉遣いが好き。
(2)酔っ払って倒れた事も一度しかない(しかもくるりのライヴ)のですが
吐いた事もありません。吐くって行為が怖いんです。異常に。
だから、この主人公が割と冷静なのが不思議。
(3)これを読んだ瞬間に、くるりのロシアのルーレット(だっけ?みやたどん)
を思い出しました。古内くんが「愛を込めて」と書くところが重要な気がします。
(4)「いつかみてろよ」ってとこがピカリ賞です。「月光の囁き」という映画が好きなんですが
あれに出てくる、つぐみという女優さんが演じる紗月が、私の理想の女の子です。
女の子に憧れる気持ち、わかるなあと思って選びました。「いつかみてろよ」。
うん。本当に。
越智美帆子 短歌の感想
2003年01月02日(木)15時22分11秒
あけましておめでとうございます。去年もいろいろありましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さんの作品が、どんどん投稿されていて、とくに短歌は宮田さん、奥野さんがいっぱい書いててすごいなぁと思いました。皆さんの短歌の中から気に入った作品を取り上げてみました。
* 奥野さん
「僕のこと自由に使っていいんだよ」そんな言葉をうっかり信じ
甘い言葉には注意が必要ですね。
* 滝さん
アトピーの痒さもキミの思い出も消えてしまえと叫ぶ寝付けない夜
ストレスとアトピーは密接な関係ですよね。アトピー持ちなんでよくわかります。
* 東條さん
雷が 落ちるときには うれしくて 窓からそっと 雲を眺めて
私も雷大好きです。雷が落ちて、キャーとか言ってる女の子、本当に恐いんでしょうかね?
* 宮田さん
サイレンの音が闇夜に溶けていく ありえないこと期待してみる
私、いっつも、どこかな?とか、もしかしてうち?!とか妄想を繰り広げてみたりしてます。
* 久我さん
暗くして ムード満点 ときめき絶頂 なのにどうして バイオハザード!
バイオハザード、すごく好きで最新の以外は多分、シリーズ全てやったことあります。
* 杉作くん
女子高生 みんながオレを 見てるのさ クール気取って チャック全開
ギャグチックで笑いました。
* 横田さん
明け方の渋谷の駅を駆けて行く夜遊び疲れのブーツが響く
昼間の人込みがすごい渋谷駅と、夜明けの人がほとんどいない駅のコントラストが好きです。
* 古内さん
クリスマス 手編みのマフラー 初挑戦 結局マルイで 完成品
手編みだと 見せかけるため 切り、繋ぐ これ手編みなのよと 似非純情ぶり
一つ詠んでみました。手編みって大変です。
奥野さん、感想ありがとうございます。私にはカニバリズム的な趣向はありません。でも、究極の愛ってなんだろうと考えたとき、どちらかの体に一生宿り続けるなんてどうかな…と思ったので、書いてみました。気持ちの問題ですが。本当はもっと、解体シーンや監禁シーンをグロテスクに書こうかと思ったのですが、なにとぞ経験不足なもので。。
古内旭 『クインシー』続編
2003年01月02日(木)03時26分45秒
▼掲示板:古内旭 8A『クインシー』第4話 への応答
『クインシー』シリーズは、僕の手に戻ってきたら妙にループした内に向かう話になっていました。自殺死体、窓、メロン、シャンプー、幸せのアップルパイ、と変な小道具が登場していますが、登場人物は2人だけで、部屋の中にいるだけです。そろそろ最終回を意識しなければいけませんので、一歩外に踏み出す展開を書きました。
ここで用いた量子論は、「観測者あっての実在」という哲学的命題を物理学的に語れぬものかと引用したものです。量子論は理系時代に力学の中でやりましたが、まるで意味不明でした。目に見えぬ物事を仮定し、数字を計算していくと自然法則に合致するわけですが、これは概念としてもなかなか理解に苦しいものです。量子論は、相対論と並び現代物理学の二柱をなす理論ですが、だいたいからこの2つは矛盾しています(どちらも完璧でないということか………?)。
しかし一方で、量子論で語られる「トンネル効果」や「シュレディンガーの猫」、「不確定原理」などは、不思議な魅力に溢れています。いつかすっぱりと量子論が確立されて誰かに分かりやすく説明されたいものです。
そういえば、最近ではこの量子論と特殊相対性理論の矛盾点を克服した理論が騒がれています。どういうものかはよく知らないのですが、その究極の統一理論は「超ひも理論」と呼ばれています。何だそれは!(笑)
『クインシー』、次は東條氏です。楽しみにしたいと思います。
古内旭 短歌感想
2003年01月01日(水)19時29分41秒
何とか僕も短歌を捻出しました。小説のようにはいかないもので、苦労しました。10首、というのもまた辛いのですが、頑張ります。
皆さんの短歌を読んでみると、恋愛を主題にしたものが非常に多いですね。性的なものも多くあります。関心のウエイトの問題かもしれません。いずれにせよ、「スナップショット」に適った良い作品がたくさん生まれていることと思います。いいことですね。以下に適当にいくつか取り出して一言感想を書きます。
越智さん
● 毎日の メールは全部 嘘だったの 泣く泣く消して 空っぽの箱
「空っぽの箱」の部分がいいですね。メールボックスは仮想箱ですが、それが空になっている状態というのも喪失感に溢れています。
● 見ようねと 楽しみにしてた ミニシアター DVD出て どれくらいたった?
レンタル屋に並んだビデオを見て、公開当時を思い出すということはよくあることです。恋人同士の関係が冷め始めている時のやりとりととれますが、失恋してからの独り言ともとれます。前者だと恐怖があります。やはり字余りが気になりますが、例えば「どれほどたった?」とか「どれだけたった?」とかして何とか7字にしたいところです。
滝さん
● 天の邪鬼はあなた譲りよMyMother だんだん似てきて腹立たしいわ
● 24、25とまた空いてるの 母の溜め息 父の微笑み
両作品とも親が登場します。腹立たしいと言いつつも母娘の関係は決して悪いものではなさそうなのがいいです。母は溜め息で父は微笑みというところ、いいですね。恋人と過ごすであろう日に家にいると、両親の目が気になりますね。
東條さん
● ボール箱 一杯詰まった ミカン箱 たまにはリンゴも 食べてみろ
素朴で好きです。そういえば、東條さんはよくミカン食べていますね。
● おまえだろ 言い出したのに それはねえ 崩れてきても 支えはないぞ
そういうことはよくあります。共感します。
杉作くん
● 「杉作の 好みのタイプ 当てたげる」 いやてゆーかそれ オメーだってば
自分の名前を出しているので個人的になっていますが、そういうことってあるかもしれませんね。しかし、こういう会話を交わしている時点で、二人の仲は悪くない証拠です。そしてまた、恋愛においてはこういう時期がかなり楽しい気がします。「いやてゆーかそれ」はリズムが悪いので、上手い解決法があるといいです。
● 「あなたなら あたしを変えて くれるよね?」ああオレこいつと 縁きらなくちゃ
非常に怖いことです。
● なにもかも すべてが順風万歩だが いつ歯車は 狂い出すのか?
達成した瞬間にまた未到達になります。うまくいっている時はとても不安なのです。なぜなら、まるで時間のように、失うしか先がないと思えてくるからです。
● 想像は目に映るもの超えるからAVよりもアイドルビデオ
● 妄想は実世界さえ超えるから本番のとき力でねえよ
想像も妄想も、目に映るものを越えるのは確かですね。AVなら何も問題はないのですが、本番で力が出ないのは問題です。深刻な話題かも知れませんね。
横田さん
● まだ蒼い月を見上げて飛び乗った始発電車の井の頭線
僕は成蹊大学に(部活で)通っていたので、吉祥寺の始発に乗ることもしばしばでした。始発に乗る時は、なお一層ある特殊な状況から帰路についたことを意識させられます。
宮田さん
● ゆりの木の下で落ち葉を踏んでいた 目をつぶったらいないと同じ
「目をつぶったらいないと同じ」というのはまるで量子論のよう。観測した瞬間に素粒子は位置が決定される。すなわち観測者なしには実在しないというやつです。そういえば、僕は高校生以来理系(物理系)にいたので、その知識でもって量子論を小説のネタにでもしようか、と思いました。
● すまんのう その「すまんのう」が原因でけんかしたよね笑っちゃうよね
以前のタワレコもそうでしたが、「すまんのう」も実にツボにはまりました。実際、僕は「すまんのう」と言うのです!
● アマゾンのみどりと黒のイグアナのようなパックで湯上り美人
アマゾンにイグアナ…。実は多くはないけど生息しているんですね。
● 自慢した エステキャッチの人にまで「あたしこれからデートなもんで!」
若いというか幼い素直な気持ちだと思います。そういう気持ちはいつまでもあるものなのかも知れませんね。
久我さん
● 嬉しくて 自転車いっぱい飛ばしたら 赤トンボの群れ いっしょに飛んだ
美しい光景です。久我さんは、コウモリとか赤トンボとか、太陽の沈みかけた空を背景に飛ぶものが好きなんですか。
● 遥かなる 過去の幻影 色褪せず 天の星々 地上の貴方
● 見上げれば 五千年前の星々と 二年前の貴方が見える
以前の作品でも意識が空にのみ込まれて宇宙を感じるところがありましたが、この二作品にも物理の匂いが感じられます。そうした「大いなる」世界と日常を対比させる傾向があります。
奥野さん
● なんでかなひとりの方がふたりなのいつまでたっても失えないの
「ひとりの方がふたりなの」と言いつつも、そう思っているときには圧倒的な孤独を味わっているのですね。
● くつひもを結びなおして深呼吸 気付かないフリずっと出来たら
こういうどきどきする感じはとても懐かしいです。
● いつの間に押し出されては消えてった君の着信履歴はもうない
電話がないばかりか、履歴まで消えてしまうという、喪失を決定付ける出来事です。失恋の喪失感をうまく表していると思います。
古内旭 1冊に綴じる
2003年01月01日(水)19時24分19秒
ところで、2002年中に書いた短編小説(『テスト』、『乾きと吐き気』、『追憶ゲバルト』、『ルイーズ』、『姫』)を、ちゃんと縦書きにプリントアウトして1冊に綴じてみました。すると、これが1cmほどの厚みになってなかなか本らしい。パソコンの画面でゴシック体横書きでみるのとは、だいぶ印象も変わります。
何となく、2002年の思い出というか記録みたいな感じがするのですが、皆さんもご自分の作品を1つに綴じてみるのはいかがでしょう?
古内旭 『姫』感想ありがとうございます。
2003年01月01日(水)19時22分42秒
『姫』の感想ありがとうございます。
杉作君は、投稿してすぐに感想を電話で頂きました。嬉しいことです。恋愛小説として楽しんでもらえたのもいいことです。
回想するノスタルジーは、ある種のファンタジーと化す。
というのがテーマの1つですが、ここで繰り広げられる恋愛劇はファンタジーみたいなものです。「姫」という存在、女の子に愛着をもってもらえれば何よりです。
東條氏にいただいた作品論『収斂するスパイラルに穿たれた穴』は、タイトルを見ただけで何だかわくわくしますね。「収斂」とか「穿つ」とか大好きです。作品の中にいくつか配置しておいた「奇妙な」要素を読み取ってもらえてよかったです。
古内旭 太陽一周旅行
2003年01月01日(水)04時34分22秒
▽あけたー への応答
今年もまた940,000,000kmの長旅に、秒速30kmで出発です。乗り物酔いしないといいな。
東條慎生 あけたー
2003年01月01日(水)00時01分23秒
あけたー
横田裕子 奥野さんへ
2002年12月31日(火)23時40分35秒
▽感想 への応答
(3)のは、思いっきり実話です。
久我さんと杉作氏と一緒に居酒屋さんでだらだらと時間を潰してるときにできました。
長い髪は、杉作氏の長い髪です。
ところで。
杉作氏に影響を受けたという短歌。
やっぱり可愛い、爽やかな匂いのするエロだなぁ、と思いました。
レモンスカッシュのような清涼感というか、10代後半から20代前半のくすぐったいような仕種が滲み出てる感じです。
それでは皆さん、良いお年を。
2003年もどうぞよろしくお願いし升。
奥野美和 感想
2002年12月31日(火)13時32分10秒
感想を書こうと思っていました。
皆の作品で、わたしも頑張らねば、とよく思っています。
うまく言えないけどとっても感謝!
越智美帆子さん 11A 恋歌
「抱き締めて そう頼んだのは エゴだけよ ごめんねだって しょうがなかった」
「ごめんねだってしょうがなかった」の リズムがとても好きです。
恋愛に対するエゴ……ってなんだろう。エゴとエゴの塊のような
恋しかまだ知らない私には、美輪明宏の世界はまだ理解できません。
いつもしょうがない恋をしている気もします。
「シチュー」も面白かったです。気持ち悪かったです。佐川くんを
思い出しました。食べてしまいたくなる程の気持ちってなんでしょうか。
そりゃあ指をくわえてみたい、とかそういった気持ちはありますけど、
男の人を食べてみたいと思ったことはありません。越智さんはありますか?
みなさんはありますか?それにしても怖い。最後のピアスが出てくるところとか。
滝 夏海さん 11A「おひさまひとつ ふたつ」
照れながらカノジョの話するキミが可愛らしくて憎たらしくて
わかるなあ、と思ったので。わたしは、憎たらしいと思うほうが強いです。
でもお気に入りの男の子だったら、可愛いで済むかもしれません。
わたし、ヤキモチ強くて、しかも意地っ張りだから
こんなすっきり出来なそう。
でも、好きな女の子の話をする男の子を見ているのは、とても
好きです。
宮田和美さん
ドアに立つぼくとホームで待っているきみの位置とで相性チェック
改札でずっと背中を見てたのは振り向く君を傷つけないため
正しくはあの子でもっていうんだよ 花いちもんめ最後のひとり
とても工夫があって上手で、きちんと引っかかるから
すごいなあと思います。わざとらしくないし。
でも、男の子に「改札で……」みたいな事を
思われていたら嫌だな。さっきも意地っ張りと言いましたが、
すごく好きだった男の子との帰り道、ホームまで見送ったんですけど、
電車が来て、彼が乗って、プシューってドアが閉まって、
わたしは彼を見続けることが出来ませんでした。恥ずかしいし、
寂しいし。ドアが閉まった途端、速攻でバッグからヘッドフォン取り出して、
激しい音楽聴いて帰ったのを憶えています。なつかしい。
別にそんなに好きじゃないわ!ってところ見せたかったんです。
めろめろだったのに。
今はぜんぜん好きじゃないけど。
久我真紗子さん 3A/ココロの中の渦巻星雲
得意なの 短期戦より長期戦 7年越しの winnerは私
すごい!片想いが成功したことない。わたし。
あっ。うん。ないない。この主人公の女の子が、
魅力的で可愛いから、とても好きです。
凄いなあ。わたしも主人公が魅力的なものを書きたいです。
頑張る。そういえば、画家(?)のできやよい(ちゃん)は、
10年間片想いして付き合えたとか言っていました。
すごいな。
杉井武作くん 19A「call to mind」
チンコをね 桃の香りの 石鹸で 洗うよやらしい 願いをこめて
「チンコをね」の「ね」がやけに引っかかるんですけど。
情けない感じ、というか。
ちなみに、本当にどうでもいい事かもしれないんですが
「ちんこ」って平仮名の方が好き。そういう感覚とかって、
ひとそれぞれありませんか?
杉作くんに影響を受けて書いてみました。
大切な秘密の部分洗いますここからはじまるレクリエーション
お風呂での声は異常に響くから大人しくして約束をして
お風呂場でするキスなぜか清潔な気がして味気ないからよして
横田裕子 8A「8割方実話な短歌」
(1)恋愛の相談私にしてみても経験不足何も出ないよ
(2)甘い恋夢見ることにもう飽きただって私は子供じゃないし
(3)横たわる長い黒髪さらさらと座布団の上広がっている
(4)夜更かしはやっぱり苦手私には早寝早起きそれがジョーシキ
わたし、横田さんの短歌とても好きです。
とくにこのよっつ。勝手に番号振りました。
順位じゃないです。
(1)は、よくわかるなあ、って感じです。ほんと、
面白い。ストレートで、わかる!
(2)甘い夢なんて見たくないんですけど、すぐ見ちゃう。
大人なのに。わたしは大人なんですけど、ついつい
甘い世界を見てしまいます。飽きないんです。
飽きたいようで、飽きたくない。
現実でも性的なものでさえ、やっぱり妄想というか
幻想を抱いていたいんです。でもまあ、冷静な自分も
いるんですけど。いろんな正体があるってことか。
自分のことは考えるのが難しい。
(3)絵が見れるから。長髪の男の子?女の子?
どっちでも取れる。座布団の上ってところが
面白い。酔っ払っているのか。
(4)わたしも、夜ふかしが苦手だったんですけど
今は、強くなった。横田さん、夜更かし苦手そうだなあ、
って微笑ましくて良いです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
さて。今年はオルガンバーで年越し!
須永辰緒だ!ユーザロックだ!きゃーきゃーしてきます。
良いお年を。。。
今年の授業は、とても刺激になりました。
みなさんありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。
古内くん
感想必ず書きますので読んで下さい。
奥野美和 大丈夫
2002年12月29日(日)19時48分17秒
▽奥野さんへ への応答
お返事ありがとう。
わかりました。いや、なんでかな、と思っただけ。
大丈夫です。お気になさらずに。
中傷されている、というか、なんだろう。
私の書いたものに対する意見なのだったら、
わたしは責任を持って聞かなきゃ!と思いました。
「今後は自らの、授業の掲示板に作品の載せることに対する軽率さと、調子に乗ると周りが見えなくなる無神経さを反省する」
とのことですが、杉作くんの多作は素晴らしいと思うので
どんどん書いて下さい。どんどん載せて下さい。
いつも楽しみにしております。
杉井武作 奥野さんへ
2002年12月28日(土)15時43分37秒
▽このタイトルについて への応答
まずは大変な失礼を深くお詫び申し上げます。
これは、奥野さんの作品のタイトルを無断で拝借したものです。
意図は、リズムが耳に残りやすかったからです。
勢いで書いていて、奥野さんの気持ちはまるで視野に入っていませんでした。
今後は自らの、授業の掲示板に作品の載せることに対する軽率さと、調子に乗ると周りが見えなくなる無神経さを反省すると共に、許可なく奥野さんのタイトルをパクッて作り変えてしまったことを重ねてお詫びします。
本当にごめんなさい。
奥野美和 東条くんの作品についてと お返事
2002年12月28日(土)11時34分57秒
▽環境に優しいポール への応答
東条くん、ありがとう。
わたしの東條作品で好きなのは、
(1)雷が 落ちるときには うれしくて 窓からそっと 雲を眺めて
(2)ことわれば いいんだろうが それもなあ いつもおんなじ ところをまわる
(3)そのことは もう終わったか 本当か 後引くばかりで 切れることない
(4)裏切りと 言えば言えるが その実は? 君は思いを 語ったか?
です。
(1)は、「転換の魔法(命名オクノミワ)」がきいています。生活をしていくなかで、いかに
今の状況を楽しむかって意識して行くことを大切にしているのですが、この句は一見こわい
雷のイメージがドキドキした感じ、高揚する感じにあらわされていて好きです。
しかも「そっと」ってところが静かな興奮を感じさせます。
(2)これはわたしの心のなかに「あ。わたし」のような気持ちが浮かんだので。短歌って、
なんかそういう気持ちが大切な気がします。読み手とのちょっとしたリンク?繋がり?
あくびの運命?
(3)「その事」「その子と」と2つに読み取れるところがおもしろい。「事」だったら、夢とか、小説とか?奥が深い。「子と」だったら、「あの子、いつまでダラダラ付き合ってるの?」
「体の関係だけは続いているんだって!」「えー、まあそんなものなのかなあ」
(女子トークバージョン)
のようなうだうだした恋愛をイメージさせます。
(4)「言えば言えるが」のところが改善の余地があるようにも思うのですが、この、
わたしが提出しようか迷った作品に通じるかな、と思って選びました。
「さっきから君はずっと泣いていて伝えることを忘れたみたい」
伝えることは大事です。聞く姿勢と伝える意志。私も大事にして行きたいと思います。
さて。わたしのエロについて(すごい発言!)ですが。
基本的にわたしは女の子がとても好きなので、
スカートとか、秘密のニオイがする物にひかれるんです。
しかも、エロ、って特別なものじゃないから。妄想も。
生活なんです。生活を書きたいんです。生活と妄想を書きたいから、
必然的にエロくなるのかな。
あと、とても驚いたのが「街」についてピックアップしてくれたこと。
東條くんはほんとうに鋭い!すごいよ。
「街」はキーワードです。ゼミが「表層としての都市」というゼミなので
ついつい引きずってしまうんです。
街の人々はいろんな物語と一緒に生きているんだな、と思うと
とっても興味しんしんで、離れられなくなってしまいます。
街には、そのとき一緒にいた人や、
ひとりぼっちの気持ちよさ、
流れていた音楽、
いろんな景色が見れます。まぼろしかもしれないけどね。
奥野美和 このタイトルについて
2002年12月28日(土)11時07分05秒
▼掲示板:杉井武作 18A「あの子はいつもシコッていて悩みがあると子種虐殺。〜サイテーの短歌傑作選〜」 への応答
こんにちは。
杉作くん
このタイトルについてなんですが、
これは私の作品を意識して書いたのでしょうか?
なにか、杉作くんの作品にからめた意図や意思を持ってのこと?
どう言うことか教えて下さい。
よろしくね。
越智美帆子 完成品≠良品
2002年12月25日(水)07時00分52秒
▽羽及び欠陥品 への応答
言葉が足りなくて、どう表現すればいいのか困っていた矢先に、東條さんの解釈を読ませていただいて、自分が言いたかったことを見つけることができたような気がします。たしかに、完成品の反対語は欠陥品だけれども、完成品が必ずしも良品ではない、その思いはあったのだけれど、その言葉がでてこなかった。先生の小骨は、その表現がなかったために、発生してしまったのかもしれません。
「羽の取り扱いについて」は、反社会的な意味合いを含んでいるとすれば、たしかにそうかもしれません。自由なものでさえ、実は管理されている。進学問題みたいです。
新作を書きました。シチューに入っているとり肉、あれ大嫌いなんですよ。と言うわけで(そうわけでもないか)、ホラーを書いてみました。ちょうど乙一の『GOTH』を読んでいるので、ホラーが書きたくなって。
杉井武作 傑作の誕生、ホンマ
2002年12月24日(火)12時26分40秒
▼掲示板:古内旭 5A 『姫』 への応答
夢中で読んでしまいました。あんまり面白かったので。
古内さんの文章は、主人公の視点が生き生きしていて、イメージをリアルに伝えるツボを押さえてる。それが明確に伝わって心地よいのです。淡白な文体のなかに、暖かい人間くささが感じられるのは、本人の人柄でしょうか。今回は内容もわかりやすいのでさらにその良さが生きています。以前はディティールを細かく書き過ぎるきらいがあったように感じましたが、それも丁度いい具合になりスムーズに読めました。誰にもわかりやすい、楽しい恋愛小説です。
そして「姫」が可愛い!「理想的で存在しない女の子」のツボを押さえてますね。五段落の姫の家に誘われてからキスするまでのくだりはドッキン胸キュンものでした。
僕は「姫」のような女の子と知り合った経験があったから、とても感情移入できました。その彼女は、神々しいまでのオーラを放っていて、クールで少し高慢な感じがしました。しかし、深く接するとどこにでもいる優しくて可愛らしい不器用な女の子だったのです。「姫」そっくし。もちろん虜になりました(そして玉砕しました)。
お気に入りの表現は
・姫は胸のあたりで小さく手を振った
・スカートをぱたぱたとはためかせて僕の前までやってくると
・「何で笑うのよ」と彼女はいじけたように言った
・後ろから射す光が、姫の薄いブラウスを透かして体の線を映した
・首に緑のマフラーを巻いていて、その日はいつもより幼く見えた
・スカートの奥が気になるのは仕方のないことだったが、僕はそれを見ないように目線を下げながら階段を上った(見ちまえばいーじゃん!!)
・僕は、スプーンにつけた彼女の唇を見て、余計に緊張してしまった。視線を落とすと、そこには絶対的に美しい足が無防備になっている。それはさらに僕を困らせる(なんて羨ましいヤローだ!)
なんかもーカンベンしてよ萌えすぎちゃって困るよオレ・・・。
あと、張り詰めた場で何故かのんきな音楽がかかるのはよくあります。一番参ったのは葬式でハクション大魔王のテーマが流れてたという。
今回の古内作品も深読み要素がちりばめられています。投稿された直後に古内さん本人からいろいろと話を聞いた限り、さらっと読んだ人には伝わりにくいように思えましたが、東條さんがあっさり的を得たことを評論していたのに驚嘆しています。実は二層の楽しみ方がある、簡単にハッピーエンドにしない「奇妙さ」が、古内さんらしいと思います。しかし、なによりまず小説として間口が広く楽しめることが最も素晴らしいと思います。裏の意味を万人にわからせるにはまだ言葉足らずな印象なのは、意図的でしょう。「アレッ?」と匂わせる程度。しかし、さらに貪欲に内容の面白さと深読み要素をバランスよく見せることを心がけて話を構築していけば、より良いものが生まれるかもしれません。
「クインシー」3話目を書きました。忘れてる人も多いかも。遅くなってごめんなさい。
次回は古内さんです。なにかと忙しい時期かと思われますが、ここはひとつ睡眠時間を削って頑張って頂きたいものです^−^
☆☆☆メリークリスマス☆☆☆
東條慎生 環境に優しいポール
2002年12月23日(月)18時07分18秒
▼掲示板:東條慎生 7A/「なんだよおまえ話聞いてないだろこの野郎」「そんなことないってマジで聞いてるって話ホント」「じゃあおまえ何話してたかいってみろ」「そんなこと言ったってすぐに思い出せないって」「ほらおまえ聞いてねえじゃ…」「あ、そうそう。ウツボだろ、そうそう、ウツボの話してたよな、ウツボ」「……」「ルツボ?」「違う」 への応答
短歌がたくさんー。
適当に選んで一行感想書きます。適当なので適当でも怒らないで。
滝さんの
天の邪鬼はあなた譲りよMyMother だんだん似てきて腹立たしいわ
素直というかストレートというか、女性陣の短歌のなかでは最も直球な感じがします。
上のは、最初の「は」は要らないと思うのですが、ジョークのような雰囲気がよく出ています。
越智さんの
マニキュアの 色が私の 心内 今日はとても ピンクを塗れない
ダークサイドが直球で出てきてるようなのが多くてビックリです。不倫やらその種の負の空気が漂ってます。
そのなかで見ると上のものも、やはりブラックな気分がピンクと相容れない様が出ていて、重いです。
奥野さんの
神田川ごっこと言って2人して銭湯行ったの忘れないから
迷うのは行きたい場所があるからで自信を持ってきょろきょろしたい
まっすぐに歩けないんだどうしても街にはお誘いたくさんあって
ひとりだと渋谷の街が広くって 帰れるけれど迷子になった
最近つとに奥野さんのがエロくなってきてる様な気がするのは私だけではないはずだ。
スピッツ風というか、えろの匂わせ方が絶妙です。正直に欲望を口に出すというか、そう言う感じ。スピッツの曲にもラズベリーとかいうのがあって、確か歌詞に「君の裸を見るまでは僕は死ねない」とかいうのがあった。
上のは、神田川ごっこというフレーズがとても面白い。今銭湯というとレジャーランド化したようなものがあったりするのですが、これはやはり町中のぼろい銭湯に行ったのでしょうね。
下の三つは町中を歩いている時の気分がいろいろな形で出ていて、どれもいいのでまとめて選んでみました。
宮田さんの
たとえ犬だからといって女の子をキングと呼んだら傷つきます
三人で恋愛できたらいいのにねあたし下北案内するよ
水槽の夕暮れだから君からの電話も無視して泳いでいたい
友達の間できのこの名前をつけるのはやって私はなめこ
一番上のは、字数的に全然短歌じゃないけど、何だか面白かった。色んな意味ですごい投げやりの家庭が犬を飼ってて、その家に行ったら雌犬がなぜかしらんがキングと呼ばれたのに遭遇した、みたいな断片が浮かんできます。
二番目のは、上の句と下の句の離れ具合と付き具合がイイ感じでした。面白いのと哀しいのが同居している感じ。
三番目のは、奥野さんが書いた短歌と「泳ぐ」という言葉が共通しているのに、使い方が真逆なのが面白いですね。これ自体は「水槽の夕暮れだから」のつなぎ方がいいです。
最後のは、語数があってないのでリズムが悪いのですが、内容の面白さがあるので、それを考慮して書き直してみてはどうでしょうか。宮田さんはいつも語数を無視して、歌詞のごとく書くのですが、字数を守るというのは読んでみたときに一定のリズムがあって読むだけでも心地よいということがあるので、そのためだけでも字数というのは重要だと思うのです。音に乗せる場合は別としても、行数でリズムを取ることもできず、単発でしか成立しない短歌の場合、その言葉のリズムというのは印象に対して非常に大きな影響を与えると思うので、できる限りまたは理由のない限り字数を合わせてみるのがよいと思うのですが。
そういうわけで、課題の短歌を私も提出したので、もしかすると小説よりもたくさんの人が読んでくれるかも知れないですね。小説も読んで。
東條慎生 スパイラルが収斂するテクストに穿たれた穴
2002年12月23日(月)17時59分08秒
▼掲示板:古内旭 5A 『姫』 への応答
!注意! 以下の文章は作品の完全なネタばれを含んでいるので、「姫」を読んでない人は字面を眺めることもやめましょう。
いやあ、すごいですね。私にもこんなプロット構築能力とストーリーテリングの能力があればいいんですが。
奇妙な恋愛小説と銘打たれた本作ですが、奇妙と、恋愛とはどちらが優位というわけではなく、それらの軸がスパイラルになっているのがこの作品の一番の特色だろうと思います。どちらかを抜かしても成立しない話なのですね。
まず、主人公の友人が、彼に「姫」という女性の存在を示すわけですが、それはつまり友人によって彼の姫への恋愛が意識されるという形になっています(結果的に)。主人公の恋愛を起動するのは四谷君です。そうして始まった物語は、主人公が「姫」に告白(始めに読んだときには隠蔽されているが、ここの展開の不自然さが後の伏線となる)したとき、つまり彼らの恋愛がひとつの成立を見たときに四谷君は役目を終えて死ぬことになります。その後に物語の終わりに、主人公の名前が彼の友人だったはずの「四谷」であると明かされるのですが、ここにきてこの物語がダブル/二重体の物語であったことが明かされます。
ここで「四谷」という名前の指示する対象が曖昧であるということと、一人称のために自分の名前を隠せるという非常に小説的なトリック(似たようなことは私も「彼」において用いています)を持って語られる友人の「四谷君」とは誰だったのか、それが重要な疑問として浮上します。寓意的な解釈をするなら、四谷君が、彼の意識せざる無意識の存在としてあり、彼の意識しない「姫」への恋心の水先案内人を果たしたのだといえます。序盤で「四谷君」が憧れの的であるという描写は、四谷君という存在に憧れる主人公の造形した自分の内面の一形態だと考えられるのです。そして彼の恋愛が成立した後に死んでしまうということが、その死が唐突でそれっきりの事件として宙に浮いていることの説明になります。この解釈で大まかには納得できると思います。四谷君を、思春期の自意識のアレゴリーとするも、彼の無意識の存在とするも、「四谷君」を実在ではなく、主人公の抱く妄想の一形態であるとすることには変わりありません。
しかし、それだけではすまない部分がこの作品にはあると思われます。
この作品がスパイラルなのは、絡み合った主人公と四谷君の関係だけではないのです。四谷君が死ぬのは、バイク事故で少年を轢いたからですが、姫の弟が死んだのは幼少期にバイクに轢かれたからなのです。ここには、奇妙な、小説自体の成立をも脅かしかねない時間や人物のねじれ、スパイラルが書きこまれています。ここで死んだのは本当に友人の「四谷君」だけなのか。その時、轢かれたのは誰なのか。
轢かれたのは姫の二歳年下の弟。つまり、主人公の同年齢。この示唆的な記述が意味するものは何か。
轢かれたのは主人公か、弟か、主人公と同年齢の四谷君か。しかし四谷君はバイクを運転していたのではなかったのか。運転していた人間が自分を轢くことができるのか。しかし、この作品に書きこまれた時間のねじれはそれをも許容するかも知れない。それとも、もしかしたら、主人公と四谷君と姫の弟はすべて同一人物である可能性は? 私が「小説の成立自体をも脅かしかねないねじれ」と書いたのはこのことで、表面的には真っ当な恋愛青春小説である本作品は、そのバイク事故という特異点によって、いくらでもひっくり返されてしまう陥穽―おそらくは作者によって意図的に書き込まれた―を抱えているのです。
しかし、四谷君とヨツヤ君にある違いは何でしょうね。ここで明確に主人公と友人を区別しているのでしょうか。
それに、ヨツヤが、名前だと書かれている部分は、ヨツヤが名字なのか下の名前なのか判別できない。ここら辺もいろいろほじくり返せる部分でしょうが、やめておきます。
細部がかなり書かれており、非常に魅力的な描写がたくさんあります。結構ハードボイルド風の文章なのに、頭のなかに妙な曲が流れていたり、ちょっとした笑いが感じられるところもあります。普通の恋愛小説なのかな、と思わせておいてのオチは思わずにやりとしてしまいました。そうかそう来たか、という気分でした。恋愛小説や青春小説にはほとんど縁がないというか特に好きでもないので、途中まではどうなることかと思いました。
テストと、鍵の扱いが変わっていることもなかなか面白い部分です。なんでプレゼントに鍵なのか(彼女の家の鍵への伏線とも言えますが)。いろいろ意味がありそうです。
東條慎生 羽及び欠陥品
2002年12月23日(月)17時53分09秒
▼掲示板:越智 美帆子 10A 羽の取り扱いについて への応答
「自由であるものを、自由ではないものにする」
越智さん自身は自作の解説として以上のように語ったのだが、これは一体どういう意味か。作品に即して解釈すれば、「本来自由を象徴する(この言い方が悪ければ、ロマン、空想を象徴すると言い換えてもいい)羽が、自由でないものとして扱われる」という、一種のディストピア的管理社会が、その取扱説明書の背景に浮かび上がってきます。そもそも、取り扱いについて、と題された公共文書風のこのスタイルは、その背後にある規律、法を背負っているものとして見ることができるでしょう。作品内にはそのものずばりの、違法行為を指摘する文章まであるのですから。ここにあるのは、管理者から一般民への通告、勧告であり、これはそのような公共的な意味を伴った文章として理解できるでしょう。とすれば、これは一つの悪夢、ブラックユーモア的ファンタジーであると言える。私にとってのこの作品は、そのようなものとして理解されるのです。
ただ、先生が指摘したように、その羽と障害者(もしくはマイノリティ)のアナロジー、つまり少数者を搾取する管理社会的構図を、作者自身がどのように捉えているかがいまいちわからないとは言える。作者自身の自解である、「不安定な主題」などを見ても、それがどういう姿勢で書かれたのか判然としない。言い換えれば、作者はこの「羽の〜」のなかの国をどう見ているのか、それが分からないと言うことです。おそらくこれが先生の感じた魚の骨なのでしょう。
私は直接的に安部公房の「デンドロカカリヤ」を思い出して読んでいたので、この作品は反体制的諷刺なのだと感じたのですが。それ以外の理由は上述しているので繰り返しません。
ただ一つ、「欠陥品」という言葉について一言いうならば、この言葉は必然的に「完成品」との対照によって成立する言葉であり、自らを「欠陥品」だと認識することは、すなわち自分が「完成品」ではない、または「完成品」はどこかにある、という構図が意識せずとも必然的に結びつきます。その構図のなかでは「欠陥品」イコール「粗悪品」なのです。それは、作者の意図とは関係なく言葉の意味として、あらかじめ読者の言語感覚のなかに染みこんでいるものです。それが「粗悪品」でないならば、その言葉を避けなければならない。それが個性であるなら、そう書かねばならない。個性をそのような比喩で語らないこと、それが書き手の倫理だとすれば、意図的であろうとなかろうと、そのような意味を持ちうる言葉に対して注意深くあること、それが大切なのではないでしょうか。
越智さん自身が「個性とは」の書き込みでは決してそのような意味で使ってないことを説明していますが、ならば、それは作品自体に書きこまれていなければならない。「欠陥品」という言葉が、誰かが「完成品」(=良品)であるのではないという言葉であることを明示しなければならない。
>誰にでも欠点はあるし、「明ける空」の2人はどこにでもいる普通の女の子の話です。
このような「欠陥」という言葉自体を相対化する台詞を入れれば、先生の感じた違和感はなかったかも知れない。
東條慎生 ペヤングの語源は「ペア」で「ヤング」でしたっけ?
2002年12月23日(月)17時51分21秒
▼掲示板:杉井武作 しあわせの あかい ふうせん への応答
>風船
風船がどこに飛んでいくのかと思ったら、場所の移動ではなく、時間の移動であったところが面白いです。いろいろなところをまわって、最後は元の持ち主の場所に戻ってきて、そして持ち主と同じようにその生命を終えるという、ただそれだけの詩(童話?)なのですが、その移動が鮮やかでハッとさせるものがあります。
>ペヤング
透明なエロを目指したとのことですが、横田氏のエロティックな描写は、アナロジーによりエロティシズムを想起させられるものの、直接その言葉が書きこまれていないところが非常に淫靡なのですが、この作品には下世話なオヤジ的語彙がふんだんに書きこまれていて、それが直接エロっぽい雰囲気になっているところが違っていますね。言い換えれば、横田氏のが深層的隠喩的にエロなのだとすれば、杉作氏のは表層的にエロなのだと思うのですが。
>ナルト
日常をギャグタッチで切り取った小品でしょうか。それでも最後に少しそうではないところが匂わされていますが、これは杉作氏が「日々のかけら」との関係を自ら書きこんだのかも知れない。
そういえば和光の学食にもひどいキムチラーメンがあって、ここに書かれている麻婆豆腐の味の描写そのものを食わされたことがあります。キムチラーメンと言いつつも、ラー油だか豆板醤だかわからないが辛味成分をこれでもかと投入したその気の狂った男意気で作られたラーメンは「絶対試食してない味」がしました。知り合いはそれをスープごと飲むという暴挙に出ましたが。
>ねれる
完結編といいつつ全く完結してないところが杉作氏らしいというか、なんていうか。
「や星」に行くはずなのに「い星」に行った直後にキーボードを乱打したような文字が続いて終わりとか言われても……。明確に終わりとされる形の結末をあえて避けて、ほとんど破綻したような中断をもって終わりとするところに、形式破壊的な奔放さがありますね。
>阿呆
詩はとりあえず保留としますが、後半でいきなり詩でなくなっているのには笑ってしまいます。なんで最後に観光名所案内になるのか、無茶苦茶ですね。
>CAROLEYES
いやあ、もうひどいもんですね(としか言いようがない)。暗示や示唆のレベルをぶっちぎってます。
と、無理矢理解釈しようとして、視覚と性衝動について調子に乗って途中まで書いたけど、どうにも無理が過ぎたのでやめた。目玉を失ったということと妄想の対象に欲情することを関連づけようとしたけどダメっぽい。まあ、この作品はいつもどおり彼の破天荒な文章を楽しめればいいんじゃないでしょうか。続きを予告しているけれども続きはないらしいですが。
滝 夏海 詠んでみた。
2002年12月23日(月)01時11分56秒
▼掲示板:滝 夏海 11A「おひさまひとつ ふたつ」 への応答
久しぶりに覗いたら、掲示板も雑談版も書き込みの量がすごくて吃驚。
「私も頑張らなきゃ」と焦るより、充電中に良いエネルギーもらった気分です。
そんなこんなで(いや、理由書いてないから)短歌に挑戦してみました。
うーん、まだまだ日本語が不自由。だから面白いんだけど。
越智美帆子 個性とは
2002年12月22日(日)08時42分32秒
▽越智作品の魅力と危うさ/矛盾する自己 への応答
こんなにも、私の作品を読み深めてくださって、本当に嬉しいです。
人は、他人という存在があって、始めて自分を認識し、他人がいるからその他人との違いが発生します。例えば、それは病気だったり才能だったり。それを個性と呼ぶかは、本当は本人に委ねられているのに、周囲が暗黙のうちに決定してしまう世の中ではないでしょうか。評価されるものであったら、個性。病気や、生きて行く中で困難なものは欠陥や欠損。本人がいくら個性だと思っても、大衆はそうだとは思わないと思います。個性は伸ばすものであって、病気は治すものです。
欠陥品と言う言い方は、マイナスの印象を与えます。これは文中で、意図的に使いました。不快に思われるかもしれませんが、決して、『欠陥品』は何かが欠けているものであって、粗悪品ではないです。誰にでも欠点はあるし、「明ける空」の2人はどこにでもいる普通の女の子の話です。
いろいろ考えているうちに、実は誰でも「個性的」なんじゃないかと思いました。
奥野美和 きみのためはじめてつくった手料理はコーンフレーク・シュガー・フロスト
2002年12月22日(日)00時41分19秒
▽歴然と音楽でありながら物語も見えてくるようなものを! への応答
なんてすてきな短歌!すごい。好きです。
やっぱり先生するどいフムフムです。本当に。
ありがとうございます。
落ち着いて、もう一度全部見直します。
数えてた君のスカート〜は、はい。
さぼりってました。
浮かばないんです。
頑張ります。
「ミルクを見ていた」は、駄目なものが多いなあ、と
自分で改めておもいました。なんか、いそいだ気がする。
ウォーキンインザリズム。頑張る。
「歴然と音楽でありながら物語も見えてくるようなものを」
とっても嬉しい言葉。
読んで欲しい人がたくさんいる。
寮美千子 越智作品の魅力と危うさ/矛盾する自己
2002年12月21日(土)14時54分22秒
▽不安定な主題 への応答
▼両義的な主題
越智作品は、どうも気になって仕方ない。読んですらっと納得、というよりは、何かが魚の小骨のようにひっかかって、気にしはじめるといつまでもそのことを考えてしまう。表現の意味が両義的で、表の顔に隠れたさまざまな意味がそこにあるからでしょう。本人もそれは自覚しているようで自ら「不安定な主題」と語っています。作品は、本人が思っている以上に本人の無意識を表しているのかもしれません。本人以上に本人を知っているのが作品だともいえるでしょう。
世の中にはコントロールが完全にきいたウェルメイドな作品もある。エンターティメント作品は、その方が最後まで破綻なく物語世界に没入させてくれるもので上等。けれどコントロールしきれない無意識が表出してしまう作品の方が、人間という生き物の心の迷路に踏みいっていく面白さがある。それは娯楽作品とは別の種類の面白さ。文学の面白さの神髄は、そこにあるのかもしれない、とわたしは思っています。越智さんの作品は、そんな面白さをかいま見せてくれます。
この作品は、私の願いみたいなものが込められています。
一見爽やかに感じられる物語。願いや希望の匂いがします。しかし、その裏側に、作中人物が自らを縛っている概念、という暗いなにかがほの見える。
「欠陥品上等。いいじゃん、欠陥品なら、欠陥品としての生き方がある。そこらへんで生きてる奴らの何十倍も楽しい生き方できるよ。」
ここが、わたしがどうしても気になるところのひとつです。「欠陥品」というのは、なんだろうか。「完全品」というものがあって、はじめて「欠陥品」という位置づけが可能になる。つまり、この物語世界は「完全品」があって、そのどこかが欠損した「欠陥品」があるというように読める。そして、作中人物はふたりとも、自分が「欠陥品」であると認め、そのことをむしろ積極的に受け入れて前向きに生きていこうとする。一見、爽やかな、前向きな物語に見える。けれども、何かが小骨のように引っかかってくる。釈然としない。
この「欠陥品」という概念を作中人物が抱いているのは仕方ないと思うのです。しかし、それを作者が「欠陥品」という考え方についてどう思っているのかは別の問題。作品には、「欠陥品」に対する作者自身の批評の目が感じられない。あるのかもしれないけれど、見えてこないのです。作者と作中人物が同一平面上にいるように見える。
▼「羽」という過剰と「欠陥品」という欠損の類似
「羽の取り扱いについて」で語られる「羽」の意味も、そうやって「明ける空」と対で見てみると了解されるような気がします。
例えば、染色体異常の方がいらっしゃるように、何分の一という確率で産まれてくる、羽の生えてくる人用に書いた、ある意味パロディです。
つまり「羽」はある種の異常なもの、正常な者からはみだした過剰なものの象徴となっています。そして、それは「過剰」である点において「欠陥」つまり「欠損」と同じ事を意味している。
しかし必ずしも、背中に羽のタトゥーを入れる人や羽のモチーフを使って何かものをつくる人が、自由を訴えているというわけではないと思います。
と越智さんはいうけれども、「羽」に「自由」を読みとってしまうことは致し方ないほど一般的。そのようなものに「欠陥」のイメージが重ね合わされるのが面白い。それがまた、この作品を不思議なものにしています。
さらに、この物語ではその「過剰=欠陥」が、取り扱い方次第でコレクター垂涎の的になり、博物館入りもするというふうに、社会から「貴重品」扱いされることを示唆している。高く評価されうるということです。その「社会」とはつまり、いわゆる世間というものの共通理解であったり「国」の評価であったりするわけです。確かに、世間や国が共通理解として「羽」を評価してくれれば「過剰=欠損」と抱えた者にとっては、生きやすい世界になるかもしれない。
▼「国」という存在
そこで、どうしても気になるのが「国」という存在。つまり、上位的な存在としてそれを認め、管理する者がいるという発想です。
だから、あえて私は「自由であるものを、自由ではないものにする」という形をとってみました。
の「あえて」に、なにか秘密が隠されているのかもしれない。なぜ、そうしたんだろう。なぜ、「あえて」なんだろう。とても気になる。
▼「欠陥」ではなく「個性」であるという認識
わたしは思うのです。「ある種の欠損」「過剰さゆえの逸脱」イコール「欠陥品」ではないと。もっといえば、それは欠損でも過剰でもない。単なる「個性」に過ぎない。
それが目立ってしまうのは、ベル型の分布曲線の端っこの方にいるから。そのような個性を持った人間が、統計的に少ないからに過ぎない。それは「欠陥」ではなくて、単に「少数派=マイノリティ」であるということに過ぎない。少数派の一人ではあっても、それはひとつの完成した人間であるわけで、どこにも欠陥なんかない。
▼差別の発生
社会というものは、多数派に合わせてつくられている。多数派が生きていくのに都合がいいつくりになっているのです。それは、ある意味仕方ないことです。少数派をスタンダードにしたら、多くの人が困ってしまうのだから。しかし、多数派の都合に合わせてできている社会に、少数派を無視したり尊重しない風潮があるのはいけない。ましてや少数派を「欠陥品」と見なし、貶める思想があってはいけない。
しかし、現実の世界はそうしてきました。多数派は、多数派であるがゆえに、社会のありようと自分の内面とのギャップを感じる必要がない。だから、そのようなことに鈍感になる。適応しない人間は、単に「劣っている」「壊れている」「足りない」「過剰」「欠陥品」として処理しようとする。そうやって「差別」が生まれてきた。
そして、その差別が少数派を苦しめてきた。少数民族もそうです。そして芸術家も。貶められるか、崇拝されるかの違いはあっても「多数派ではない」「平均値からはずれている」ということで、ある意味社会から排除されることは同じ構造です。
▼作中人物は救われたか?
さて、作中人物は、自己を「欠陥品」と感じているように、おそらくはそのような差別を感じ、多数派に合わせてつくられたいまの世界に生きにくさを感じている。それゆえに「死」を願ったりもする。けれど、夜明けの出会いによって、価値の転換が起こる。「欠陥でもいいじゃないか」と、それをポジティブに受け入れ、前向きに生きようとする。
物語は、一見爽やかで、めでたしめでたし、に見えます。しかし、そうでしょうか。読後の、喉に小骨が刺さった感じはなんだろう。この釈然としない感じは。なんだか、大きな不安が残ってくる。
それはつまり、作中人物が自分たちを「欠陥品」と認識しているところからくるのでは、と思うのです。多数派の認識を、そのままスタンダードとして自分のなかに受け入れている。自分らしくありたい、のびやかに生きたいと思いながら、そんな自分を「欠陥品」だと思っている。他者であり外部である多数派の基準を、そのまま自己のものとすることで、自分で自分を「欠陥品」と同定している。
これでは、苦しくなるのは当たり前です。のびやかに自分らしくありたいと願う自分と、そんな自分を欠陥品とみなす自分が同居して、矛盾を来してしまう。他者からの抑圧なら、がんばって戦えばいい。話は簡単です。しかし、自分自身が自分を抑圧しようとしているとしたら、これはむずかしいことになる。一見前向きに物語は終わっているように見えるけれど、自分を欠陥品とみなす視点を外さない限り、作中人物たちはほんとうの意味で楽になれない。前向きになれない。その不安が、小骨のように喉に刺さってくるのです。
「その後」のふたりが再会することを暗示して物語が終わるのも興味深い。このままでは終わらない、解決ではない、ということを、きっと作者も感じとっているのでしょう。
▼価値判断を他者に委ねない
さて、この問題を作中人物が気づいていないというのは構わない。そういう人物造型であるということですから。そのようなことに気づくことができないでいる作中人物を描くことで、一筋縄ではいかない人生の苦悩を描くという書き方もありうるわけです。しかし、この物語を読んでいて、そのような作者の意図を感じることはむずかしい。むしろ、作者の視点が、作中人物の視点と重なっているような印象を受ける。
もし、作者自身が「欠陥ではなく個性」であるということに気づいていないとすると、あるいは概念としてはわかっているのに実感していないとすると、やはりそこに気づき実感すべきだとわたしは思うのです。社会が当たり前としていることを鵜呑みにせず、きちんと疑ってかかり、社会や世界というものの本当の姿を見ようとする態度が、よりよく生きるためには必要。ことに文学は、そのような当たり前とされているものを逆転し、人々に新しい視点を与える役割も担っていると、わたしは思っています。
価値判断を簡単に他者に任せない。他者や多数派の判断基準を、そのまま受け入れず、自分自身で検討してみる。それは、面倒な、エネルギーのいる作業です。しかし「つまらないエネルギーを使わないで生きる」=「ほんとうに大切なところにエネルギーを使って生きる」=「自分らしくのびやかに生きる」ためには、ぜひとも必要なこと。価値判断の基準を他者に依存しないでいようとすると、余分な力が必要なように見えます。みんなのいうことに従っていれば楽チンに違いありません。けれど、あとで苦しくなるのは目に見えている。人生の全体の収支を見たら、そこで踏ん張ってきちんとしたほうが、そのあとずっと余分なエネルギーを使わずに、大切なことに力を注いだ人生を生きられるようになる。全体として丸得、というわけです。(ほんとか?!)
▼「創作=心の腑分け」説
文章を書く、創作をするということは、ほんとうに面白いことだと思う。自分の心を腑分けするようなもの。自分が書いたものから、自分の知らなかった自分を知らされることもある。そんなところにも、創作のすばらしさがあると、わたしは思っています。そして、自分の心を腑分けしてしまうような文章というのは、心の相当深いところから出てくるものだと思う。表面で書いていたんじゃ、そうはならない。そのような深いところから発信できるということ自体が、ひとつの大きな才能だと思います。
越智さんの作品はとても面白い。作品をきっかけに、ついいろいろなことを思いを巡らせてしまう。そういう力のある作品であることは事実です。どうか、これからも発信しつづけてください。
古内旭 奥野さん、宮田さん、ありがとう
2002年12月21日(土)07時44分00秒
▽おもしろいよ、すごいね、古内君! への応答
まさか投稿してすぐにお2人から感想をいただけるとは思っていませんでした。とても嬉しいです。ありがとうございます。
『姫』(5Aにしてしまいましたが、実は6Aでした)は、一応恋愛小説ですが、僕(作者)は男なので、作中の女の子はどうしても男側から見た女の子になります。ジェンダー要素が混ざるのか何なのか、まさにラカン的に理想的で存在しない女の子になりやすいわけですが、まあその辺はリアルな女の子というよりは一種のファンタジー的恋愛小説ということでいいや。と割り切っていました。でもやはり女の子の感想は気になるもの。不安要素でもあったわけです。いや、よかったよかった。
話の内容に関しては、最後のセリフや、四谷君の存在、ソ連の歴史などが「奇妙な」恋愛小説と言った所以です。確かに、「おや」と思うひっかかるところですね。以前、東條さんに指摘されたようにクセなんでしょうか。
奥野さん、また感想を書いてくれるとのこと、楽しみにしています。
宮田さん、僕はタワレコ新宿店と渋谷店によくいます。渋谷の方が品揃えはだいぶ良いですね。
年末なので、仕事において年内の目標値達成のためにウィークデイは過労してます。はあ。
宮田和美 ありがとうございます。
2002年12月21日(土)00時05分25秒
▽五七五七七のリズムを意識しよう への応答
あー短歌ってむつかしい!
わたしは短歌は31文字ならなんでもいいんだと
勝手に考えていたのですが、やっぱ、だめですよねえ。
リズム。意識してみます。
あと先生が書いてくださった改作、
まだわからない作品もあるのですが、
ひとつひとつ、考えていこうと思います。
『つまり「核」となりきらりと光るものがちりばめられているってこと。』
核。このことばうれしいです!
もっともっと、うまくなりたい
短歌ってたのしいなあ。
おっしゃー!
管理者:Ryo Michico
<mail@ryomichico.net>
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