【音の箱】
提出が遅くなってごめんなさい。
●掲示板に提出された批評について。
【城所君】
早くの課題提出ありがとうございました。
授業で次に私の作品をやると決まった時からずっとどきどきしながら掲示板を覗いていたので
最初に城所君の批評が出されているのを見た時、ほっとしてすごく嬉しかったです。
指摘していただいた【ん】の真中が弱いという点について。
城所君の見通していた通り、五十音順でやるって決めた時点で【ん】はどうしよう?!と焦り
早くから頭においていて少しずつ少しずつ作った作品です。
実は最初書いた時点では上のふたつしかなく、最後の「ん。」は後からつけたしたものです。
なのでつけたしてからあまり読み返しをしなかったので真中が弱いというのは特に気にならなかったのかもしれません。
一番上の「ん?」は疑問符というのは文脈どおりで、一番最後と真中の「ん」はほとんど同じニュアンスの音のイメージなのです。
そして何故最後にだけ「ん。」としたかというのは終止符という意味をつけたかったからです。
五十音順の最後の音の最後の「ん。」ということで。どうしてもつけたかった。
そして違いをだすために真中の「ん」には何もつけなかったのです。
これはもう一度検討してみます。ご指摘ありがとうございました。
【露木君】
<良い目>を持っているという考え方、非常に良いですね!
私はそこに到達するまでに今自分をどうにかコントロールしようと模索中です。
今回、読む人の主観というものをあまり考えずに書いてしまっていて、露木君の批評にはっとさせられました。
というか自分の言葉をどう誠実に表すか、どうわかりやすく書くかということでいっぱいいっぱいで
そこまで頭が廻らなくて…
ありがたいご指摘どうもありがとうございました。
次回作品を書くときは、もっと読み手側を意識して書いていきたいと思います。
【五十嵐さん】
共感したというお言葉、また、選ぶのが難しかったと。。本当にありがとうございます。
本当にうれしかったです。
将来の事とか、これからの進路とか、四年生の皆様には及びませんが、私も今迷いの渦中の真っ只中です。
いろいろ不安に思うことも、自信を無くすこともありますが、それでも自分を信じていたら、
自分に責任を持ってやっていけたら、結果がどうあれ、どうにかなると思うんです。
【鐘】なんかはそこにいたるまえのことで、人のためという意識で何かをしていると苦しくなってしまう。
だから、なんのために自分はあるのかというような疑問を持って答えを掴み取れない時に書いたものなので、疑問のままという感じで残ってしまったのだろうと思います。
自分に責任を持つというのは自分というものを孤独と共にしっかり抱えなければならないということもかかってきて…
そうですね。【ほんとう】とかは少し哲学的なのかもしれません。
最後の「無理をせず納得のいく作品作りをして下さい。」というお言葉、本当にうれしかったです。
ハイ。納得のいく作品を作っていきたいと思います。
【千田さん】
愛しい空気。ありがとございます。今回は五十音もあるのでずっと同じ感じで作ってはいけないなと思い、いろいろと試みを変えながらやってみたのですが
それでも全体を包む空気を読み取れるってすごいなぁ。
でもそれが、もしかしたら私の作品の持っている雰囲気なのかもしれません。
「矛盾だらけで今にも壊れそうなほどに脆い「願い」が、「カタチ」になった感じ。」
「些細な衝撃で、水面がぶれて見えなくなる。そんな風に脆くても、何度でも映し出す。そんな掴めない鏡」
ああ、そうかもしれない。
そうやって私は一つ一つ詩を作ってきたかもしれない。
自分という人間を再発見したとともに、自分という人間が作品に現れていることを、すごく感じることができました。
ありがとうございます。
【土橋さん】
始めにキャッチコピーの「成さぬ脳」という言葉の意味がわかるようなわからないような…
つかみかけている気もするのだけれどどうにも雲のようにかすめてしまうのです。
授業でお聞きする機会をもてなかったので、今度是非お尋ねしてみたいです。
すごく私の中でひっかかっているので。
【最終電車】の批評で平仮名と漢字の選び方ということがあがりましたが、私は表記にした時にどちらの方が伝えたい思いにより近いかということで選んでいることが多い気がします。
たまに遊び心で漢字や平仮名でトリッキーな罠をしかけることをやろうと思ったりしますが、
基本的にはどちらの方が自分の気持ちが伝わるか、ということを意識して選んでいます。
「たったひとつあたたかな僕」についても、平仮名の方があたたかく、そして最後に僕だけ漢字で落ち着く感じのイメージで書いたのですが、一文一文で見ていて全体の中で浮いているといことは考えたことがなかったです。
ご指摘ありがとうございます。これからもっとそういうことも考えていきます。
【縫い目】に関しては私の中では少々批判的というか…。この世にはベトドク願望というのがあるらしく、あのシャム双生児のベトちゃんドクちゃんからついた名前なのですが、
自分を個としてつかめないような、人に依存して生きていくような…。
そんな人々のことらしく。
高校生くらいまでそんなものはあったと思うのですが、今でもそういったものを如実に体現しながら生きている人達への少々の批判をこめて作った詩です。
ただ、そこまでは伝わりにくいかなという気もするのですが…。
【滝さん】
滝さんの批評はとても優しくしかし的確に私の弱点を見つけてくれた気がします。
ありがとうございます。
【うわばみ】については私は吐き出すまでにとても苦しんでためてしまうので、限界が来てようやく吐き出して…吐き出すことがつらいのに、あんたは何故そんなに簡単に飲み込んでしまうの的な。
ベクトルの方向は自分の中ではあっていたのですが、わたしのつもりだったのかな。
【存在】は結構吐き出して書き殴ってしまった感じで、さ行を提出する時に他に「そ」が思いつかず、出してしまったという思いも強く、こんなに選んでいただけるとは思いませんでした。
やはり、根底にある想いの強さは文章にでるのでしょうか。
そんななので、全体のシェイプとかをほとんど整えずに出してしまったので、もう一回検討をしてみようかなと思います。
【おしまいの音】のタイトルについて、嗚呼!と思いました。ここで題名を【音の箱】とかにすれば良かったかなと。
「どこかで聞いた事のあるようなフレーズ」を多用しているということ。本当にはっとしました。
全然意識をせずにそういった言葉を安易に使っていた気がします。
もっと私らしさ、私独特のものを、生かしていきたい。と思いました。
鋭い指摘ありがとうございます。
【高澤さん】
「全体的に暖かくて可愛い感じの詩が多くて癒されました。」というお言葉ほんとうにありがとうございます。
私自身暖かく可愛い感じのものを意識してはいなかったので、かなり意外でした。
でも今回全ての詩を読み直し、ポストカァドに起した時にそうかもしれないと、思いました。
少女的なようなでもそこに留まらないような。ファンタジーにも近く。
暖かくて可愛い、そういったものを私は素敵だと思うので、もっともっとそういうベクトルの方向へも手を伸ばしていきたいなと。
【を】について。これは本当に苦し紛れに作ったというか…。最後にきて「わ」も「ん」もできてたのですが「を」から始まる単語がほとんどなければ(古語とかあさらなければ)「を」についてのネタもない…ということで。
をでとめることであえてその先を隠すことにして、まとめに向かう前のワンクッションの意味で作りました。
なので「終わるひとつ前のことを」というのはご察しの通り五十音順で終わりのひとつ前だからです。
【前澤君】
優しい批評ありがとうございました。
「夜明けは時に、あぁ朝が来たんだなー。今日もがんばろーっ」って思える前澤君なら、きっとそんな作品が作れるはず。
私なんかはああ朝が来たー。また一日始まるのかー。憂鬱ーってタイプの人間なので。苦笑
【誓い】と【印】が対をなすということは、前澤君の指摘で初めて気が着きました。
そうですね。私はプレゼントというものに異常なほどに敏感に反応するのかもしれない。
だからふたつも詩をつくっているのかなぁと思いました。
自分のその手で未来を掴み取るため、がんばりましょう。
【松本さん】
「真っ暗な影があるからこそ、そこに光が差したとき明るいと感じ、自分以外の人がいるからこそ、嬉しくなったり悲しくなったりするんだと全部を通し思った。表があるところには必ず裏はある。」
すごく鋭いご指摘ありがとうございます。
本当にそういうことなんですよね。表と裏があって、影と光があって、自分と他人がある。
いろんなことがそういうところから始まっている気がする。
その中でどのようなものを掴み取っていけるのか。
それは自分の力量でもある。
そういうことを、私はこの音の箱を作っている丁度真中あたりで気が着きました。
【道化】について、土橋さんの批評のところでも書いていますが、私はどのような表記にしたら自分の言いたいことを一番的確に表してくれるかということを考えながら一文一文書いています。
なので、上二行がひらがななのは、道化が難しい言葉とか感じを使うイメージがなかったからです。
わざと愚かなふりをして、笑っている。だからひらがな。
それが下三行は実は仮面の下で思っていることなんです。
だから漢字も使ったりしたのですが…「まぶたにそっと」に漢字をいれなかったのは瞼って漢字にしてしまうと読みにくいじゃないですか。
普段あまり多用する漢字じゃないから、瞼って表記すると私は普通に自分のまぶたをすぐに想像できないのです。ワンクッションついてしまうので…。
そういう漢字は今回なるべく避けるようにしたので、あえて平仮名にしました。
【加賀さん】
大変力の入った批評ありがとうございました。
本当に色んなことをご指摘してくださって、いろんなことを考えさせられました。
ありがとうございます。
【モノトーン】について指なのは、そこまでこだわってはいないのですが、ただ手のどこかということは決まっていたような気がします。
私にとって世界はモノトーンで誰かを通して初めてカラフルになるもので。
そういった誰かを一番リアルに感じることができるのが体温なのです。
なので、どうしても手とかぬくもりとか、そういったもので世界がカラフルに変わる。
またそこで手にこだわるのは、そこまで小さな物にしないと、「この手のひらに」というところに帰ってこないということがあります。
しかしながらこのご指摘はごもっともだと思います。
「囚われる」「お日様」「花火」の単語が目立つのは、私のカラー半分、書いていた時期半分というところでしょうか。書いたのがほぼ春から夏だったので、お日様を当然意識したのだろうし、花火なんかは今年の夏にすごい感動して三回くらい見に行ったので(苦笑
囚われるというのは本当に私のカラーなのかもしれない。
「私」と「僕」の使い分けに関しては、私は誰かに向けて思う詩を書くことか、自分の中のことを言葉にすることが多いのですが、自分の中に「僕」というのが根付いてしまっている気がします。
私というと菊池佳奈子本人になってしまう気もして、女の子というイメージや堅いイメージがあります。一方僕というのは私にとって何者でもあり、何者でもないのです。
私という一人称を使う人は世間一般に多く、僕という一人称を普段日常会話の中で使っている人は少ない気がします。
だからこそ僕は誰でも使えるし、そして誰にもならないのだと。そんな思いがあります。
だから「僕」を多用してしまうのだと思います。
あとは漢字一文字に対して僕は読み二文字。私は読み三文字ということから言葉のリズムの中にはめていくときに僕を選んでしまうことが多いかなとも思います。
【無色透明】に関しても言葉のリズムやテンポ感といったことからなにげなく、「みんなみんな」と始まって「なのに」で終わる。あえて言うならみんなみんなと重ねたのは強調したかったからで、「なのに」で終わったのには憤りや悲しみみたいなものがあったので、逆説。で止めたというところでしょうか。
詩に色があるというご指摘ありがとうございます。
私は特に意識をしているわけではないのですが、自然と色をつかっていたり、つかわなくてもイメージがあったりします。
【越智さん】
キャッチコピーの「淡々とした物語の数々」の的確さに思わず「そうです!」と頷いてしまいました。決して激情ではない、日常の些細な物語の数々です。
越智さんは雑談板のほうに、書いてあったことが本当にうれしかったです。
誰かに共感してもらえること、誰かの心に触れることができることが、私にとって何よりも嬉しい。
越智さんの毎日書くという決意に負けないくらい頑張ってこれからも作品を作っていきたいです。
がんばりましょう。
【雨宮君】
詩についてどのような批評をしたら良いのか、ということは私もいまだよくわかりません。
にも関わらずきちんと批評を書いてくれて本当にありがとうございます。
言葉が具体的で文芸的なところから離れてしまっている、というのはそのとおりですね。
前回(去年の授業)で合評をしていただいたときにあまりにも自分の言葉の伝わらなさ…というか、至らなさを痛感させて頂いていらい、
どうやったら相手に私を理解してもらえるだろう。
言いたいことを的確に表すにはどうしたら良いだろう。
そういったことを考えながら作っていったので、わりと生の声になってしまっているのですね。
でも今回その中で、どれだけ人に伝わるのかどきどきしていたら、わりとあるところまでは的確に表現できるようになってきたのではないだろうか、というところまで来た気がします。
というか自分の中の土台作りのとっかかりをつかめた気がします。
しかしながらその時点では確かに、雨宮君や露木君のおっしゃる通りその先の読み手を意識した文芸的な作品にはならない。
これから目指すべきポイントを教えていただいたような気がします。
ありがとうございます。
【野島さん】
響くということに関してこんなにも敏感なのは、楽器をやっているせいかもしれません。
でも色んなものが届くというよりは響くほうが、私は強いしきれいだと思っています。
そこをうまく汲み取ってくれてありがとございます。
【ここにいるから】の「夜が怖い」といったのは君であり、僕であり。両方です。
どちらかに限定したくはなかったのであえてわかりづらい書き方をしてみました。
どちらでも、思うほうで良いと思います。
【手紙】のゴロは合わないというか…「今もピアノの上」で1回流れを止めてしまっていて、最後の一行で余韻を残すという感じで作りました。言いたいことと全体のプロポーションが伴わないというのをどうやって折り合いをつけていくか、これも今回の合評で見えた私のヒトツの課題です。
【ナイフ】はいささか夢見がちな言葉をいう女の子への批判的な目がありますね。
こういう女の子の言葉って重いなぁと私は感じがちなのですが、実は男の子たちはそんなことはないのかもしれませんね。
【モノトーン】の僕は…そうですね。自分のことって感じであまり説明をするということは思いつきませんでした。再検討してみます。
【瓜屋さん】
共感するものが多いといって下さってありがとうございます。
私は瓜屋さんの作品に共感することも多く、非常に大好きなので、すごくうれしいです。
何か思ったときに私は言葉にしてしまわないと自分の中でうまく消化ができないのですね。
だからいろんなところにひっかかっては止まって咀嚼消化、また一歩進んで、ということを繰り返しているのかもしれない。
これからもそういった些細なことを大切に書いていきたいと思います。
●授業で合評していただいたことに関して。
多く上がったのは「共感」という言葉。
私が作品を作るのは自分のためという意味合いが強く、日々の中でひっかかってしまった想いを消化するため、言葉にし、そこで止まっていたくないため、形にして世に出すという、ひとつの自己満足でもあるので、そこで誰かの心に少しでも触れられるということは、ほんとうにほんとうに嬉しいことなのです。
今回の合評で多くの方にそういっていただけたことは本当に涙が出るほどうれしく、
これから作品を作っていく糧になります。
ありがとうございます。
そして「考えさせられる」ということもいくつか上がっていました。
これは実は意外で、すごく新鮮な評価でした。
私はよく無駄なこととかどうでも良いことまで細かく細かく考えてしまう人で、よく考えすぎと言われるのですが、正体を掴みとって自分のものにするまで、時間がかかるんですが、それをしないと先に進めなかったりいつまでもひっかかったままだったりします。
そんな正体を掴み切れないという状態の詩には何かそんな力もあるのかなと。
初めて思いました。
またタイトルと本文のギャップや、言い回しの日本語の妙など、指摘されて、私にとってわりと自分の言葉なので妙に感じないところを、ああこれって実はおかしいな。と考え直させられたところもあります。
しかしそれが魅力になる場合とマイナスに働く場合とをきちんと見定めて計算して作らなければならないという新たな課題も浮かび上がってきました。
●まとめ
この作品は約一年に渡って書きつづけた詩を、五十音順にタイトルをつけたものです。
詩をヒトツの詩集という束にまとめあげるのにはどうしたら良いんだろうと模索し、
五十音順にタイトルをつけてエッセイ漫画を書いた
楠本まきさんの「耽美生活百科」や
今KERAという雑誌で
PlasticTreeというバンドのボーカルさんが「五十音式」という連載をしていて、これはまさに五十音順に詩をひとつずつ書いていくということなんですが
それにヒントを得て、やってみようと思って始めたものです。
最終的に「おしまいの音」もいれて47作品になりましたが、
批評にあたり、こんなにたくさんを読んでいただき、その上5つ選んで批評して頂いて本当にありがとうございます。
本当に嬉しいです。
今後の課題として
●「どこかで聞いたフレーズ」に頼らないこと。
●漢字と平仮名などの表記の選び方。
●全体の形を考える。
●自分のくせを客観的に見る。
●読み手を意識する。
ということなどがあがってきたと思います。
そういったことを意識しつつ、しかしながら今ある土台の力強さや今ある魅力も殺さないように、今以上のものを作っていきたいと思います。
多くの批評感想、ありがとうございました。
これを糧に次はもっと飛躍したいと思います。
南口の改札を抜けて、緩やかな坂道を真っ直ぐ下っていくと、若者向けに新しく改装された店舗が立ち並ぶ。それと同じならびに一軒だけ古びた古書店があった。そこは、まるでその一角だけ昭和30年代から切り取ってきたみたいで、そこだけ別の時間が流れているような感じがした。その店の出で立ちは、時代遅れだとかそういった類の雰囲気を微塵も感じさせないで、凛としていた。どんよりとした雲が空を覆ったあの日、私は、その店に吸い寄せられるようにふらりと立ち寄ったのだった。
引き戸を開き、足を踏み入れると、床板が、ぎしりと鈍い音をだす。かび臭い匂いと、小さな窓から入り込む光を反射した埃がちらちらと舞う。狭い店内に窮屈そうに立ち並ぶ本棚が、私の行く手を阻む。未開のジャングルに踏み入る感じ。身体を上手く捩りながら店の奥を目指す。やっとの思いで潜り抜けた先には、セピア色の景色があった。
この景色は何処かで見たことがある気がする。何だろう、映画だっただろうか。と、しばらくの間惚けていたら、店の人と目が合ってしまった。あっ!と思うと同時に、すぐさま近くにあった本を掴み取り、咄嗟に本を探している風を装った。私の陳腐な考えを見抜かれないように必死に読むふりをする。店主の視線が外れたのを背中で感じ取ると、本の隙間から、ちらりと様子を伺ってみた。本の隙間、セピア色の中に浮かび上がったのは、くたっ、としたアイボリーのシャツ。さらにゆっくりと目線を上にずらす。首、顎…と、パズルを完成させてゆくように慎重に。やがて、店主の顔のパーツがすべて揃った。
(?!)
驚いた。昭和を切り取った世界に佇んでいたのは、おじいさんではなく、見たところ23歳くらいの若い青年だった。私は、驚きと好奇心から彼を食い入るように見た。
客には見向きもせずに本をうつむき加減で読んでいる。彼は、首を少し右に傾けたスタイルで、淡々とページをめくっていく。指は細いくせに節がごつごつとしていて、長めの前髪の奥から時折覗く涼しげな目に、ちらちらとした睫毛がたまにゆっくりと動くだけだった。ふいに、彼が動いた。瞬間、私はむせ返り、どうしようもない焦燥感に襲われた。急いで本を棚に戻し、逃げるように店を出る。息の仕方を忘れた。頭や他の感覚は真っ白なのに、胸だけがばくばくと音をたてて私の足を動かす。坂を駆け下り、曲がり角を曲がったところでようやく止まることが出来た。そして、ようやく息を吹き返してはじめて思った。何で走ったんだろう?
次の日も、また次の日も同じようにその店へと向かった。というよりも自然と足がそこを目指している。相も変わらずタイムスリップしたような空気が漂う店の奥には、相も変わらず客に見向きもしない店主がいた。そして、相も変わらずその睫毛が動くのを、本の隙間から横目でちらちらと覗き見る私がいた。
雨が降った日のことだった。私はいつものようにその店に吸い寄せられていた。今日はいつもより授業が早く終わったせいもあって、少し早めに駅に着いたのだけれども、いつもの時間に合わせるために、店の近くにあるミスタードーナッツの2階で時間を潰すことにした。窓側の席に腰掛け、2階から見下ろす見慣れた街は、赤や紺、黄色、様々な色がまばらに彩っていた。灰色の空も悪くないと思いながら、オールドファッションをかじった。あの独特のもそもそとした食感の中から、ほのかに甘い味が口いっぱいにひろがった。夕日が傾く。私は、横に立てかけていた赤い傘を侍のように右手に持ち、席を立った。
密林を潜り抜けると、彼はいた。雨のせいで、かび臭さの中に湿った雨の匂いも混じって、秘密の場所はさらに怪しさを増し、湿気を帯びた木造の柱は、時代をさらに5年くらい古びてみせていた。
いつものように彼を見る。本を探すふりをしていつもの棚に辿り着く。ここからが一番よく見えるという事が、何度も通った結果、唯一わかったことだった。彼はいつもの格好でセピア色の中で本を読んでいた。今日は灰色のシャツだ。思わず店の外に目を向けて、空と彼のシャツの色を見比べた。そっくり。私は、ばれないように本に隠れてくすり、と笑った。笑いをおさめて視線を戻した瞬間、目が合った。合ってしまった。あの日以来、再び私は空白の中に突き落とされた。真っ白だ。私は店を弾丸のように駆け抜け、逃げた。坂道を一気に下る。曲がり角を曲がるとき、横目にあの店主が、彼の姿が映った。
(何で?!)
私はさらに速度をあげて走った。雨が頬にあたる。水溜りを踏んだ足元やスカートの裾は鈍い色に変わり、重たい。
「あっ!」
ようやく事態に気づいた私は、びたっ、と足を止め、道の真ん中に立ち止まった。
(傘!)
振り返ると同時に、赤い傘をリレーのバトンのようにして走ってくる彼を見つけた。
「君、足…はやいね」
私の前に辿り着くなり、がっくりと頭を垂れた彼は、大きく息をついた。
「あの、すみません…ありがとうございます」
「おーい、って呼んだんだけど、この雨だろ?」
彼は顔をあげて、不器用に笑った。そして、はい、と傘を手渡した。
「それから、これは返してね」
何のことやら?と彼の指先を辿ると、本がしっかりと私の左手に握られていた。
「えっ?…あっ!すみません!」
彼の手から傘を受け取り、本を返した。恥ずかしすぎるうえにあまりに無様で目が見れない。
「盗ろうとしたわけじゃないんです。本当です」
「うん、あんなに堂々と盗る人いないしね」
彼は、ははっ、と声に出して笑った。初めて聞いた彼の低めの声を耳に受けるたびに、私の胸はじんわりと波紋を描いた。それじゃあ、と傘をさした瞬間、お互いの「あ」という間の抜けた声が雨音の中に響いた。傘はべこっ、と見事歪な形に変形し、本は雨の中の激走の末、ぐしょぐしょに濡れていた。顔を見合わせ、しばらくの沈黙の後、ぶっ、と噴き出した。
「悪いね。傘壊しちゃって」
タオルと温かいココアを器用に右手に持ちながら、左手でドライヤーを持った彼は、申し訳なさそうに言った。店の奥、彼はいつもの居場所の横に小さな椅子を置いてくれて、私をそこへ座らせてくれた。タオルとココアを受け取ると、甘い匂いが鼻を掠めた。彼はドライヤーのスイッチを入れて、その熱を本に吹きかけた。ドライヤーのごぉー、という音がセピア色の中に響いた。
かび臭い匂いがする店内をぐるりと見渡すと、今までにない発見がたくさんあることに気づく。黄ばんだ本の背表紙が不揃いに前ならえをしていて、旧漢字で表記されたいかにも難しそうな哲学の本の横に、「素敵な奥様今晩のおかず」なんていうカラフルな料理本が並んでいる事。壁にえらく達筆な厳つい文字で貼られた「本は友達」という手作りの標があるという事。
「それ書いたのじいちゃん」
彼は、視線を本から離さずに言った。その涼しげな目は、周りを見ていないようでしっかりと見ている。カップを持つ指先が熱くなる。顔を標語に向けながらも、私には彼の動作が手に取るようにわかる。彼は、あの華奢でごつごつとした指でドライヤーを小刻みに揺らしながら続ける。
「つい最近、死んじゃったけど」
思わず彼を見た。
「頑固でさ、いつもむすっとした顔でここに座ってたんだ」
彼は今まで以上に柔らかく笑った。横顔が凛として見えた。私は、何か言葉を探そうと地面に視線を泳がせ、焦点が合った先の柱に、落書きを見つけた。下手で稚拙な落書き。古びた柱の低い位置に小さく青いマジックインクで描かれた絵は、しわしわの誰かの顔。時が経つにつれ色が褪せたのだろう。所々消えかかっている。私は、そこに彼の欠片を見つけた気がした。
「よし、乾いた」
かちっ、という音に振返ると、彼はドライヤーを片手に顔をしかめてしばらく本を睨んでいた。本は、めくるとバリバリッ、と煎餅を砕くような音が出るほどハードな仕上がりに変身していた。彼は、苦笑いを浮かべて「これじゃあ売れない」と肩をすくめ、リザーブシートの下に、細長い身体を屈めて一冊取り出し、私の前に置いた。
「お金はいらない。これと同じ本なんだけど、こっちのは改訂版だから、削られてる箇所がいくつかあるんだ。だから内容が微妙に違くなっちゃってるんだけど」
煎餅本と新しい本を並べ、交互に見比べながら彼は説明した。私は、しばらくほうけていたが、言葉の意味を理解すると首を横に振った。
「そんな、いいです」
新品同様の綺麗な本の隣に、あの不細工な本が、飴色の照明にさらされた。微かにつく陰影が、本を浮かび上がらせる。彼は、ドライヤーを持ったまま不細工な本を軽く撫でた。その指先を見ていたら、息が苦しくなった。
「よかったら…これ、ください。こっちがいいです」
彼は驚いたような顔をした。そして、私と本を交互に見ると、本を指先で軽く弾き、キリンのような首を撫でながら嬉しそうに微笑んだ。
店を出て、傘をさした。彼は、「やっぱり傘も弁償する」と言ってくれたのだが、私はそれをどうしてもと断った。灰色の空にぽっかりと浮かび上がった歪な赤い円を誇らしげに掲げて、それじゃあ、と緩い坂道を数歩、駅へと進んだ。
「…あの」
振り返ると、彼は「?」を浮かべた顔で私を見た。どうにかして言葉を吐き出そうとした瞬間、息の仕方を忘れた。まるで、あの日のように。彼は、「ん?」と、言う感じで、なかなか切り出さない私の言葉を、傘もささずに待ってくれていた。身体が熱い。傘の柄をぎゅう、と握りしめ、少しだけ爪先立ち、心なしか前屈みになる。口を開いた。
雨が降る。彼は、「え?」と、聞き返した。ばたばたと傘を叩く雨粒の音が耳に響く。アスファルトが、鈍い光を反射した。私は、彼の顔をはじめて真っ直ぐにとらえ、深く頭を下げると、緩い坂道を歩きだした。傘の先から滴る雨粒が、風をきる私の後方へと流れていく。景色に、仏頂面で本をめくる彼の姿が浮かんだ。思わず口元が緩むと、鞄に詰めたかび臭い匂いと、微かな温かさが、悪戯に胸をくすぐった。