▲2005年05月の時の破片へ


■10 Jan 2005 絵本『イオマンテ』最後の推敲


イオマンテ絵本の校正、詳細に見直す。長い間、練ってきたので、直すところはほとんどない。ルビの文字の間違いや、行換えの仕方ぐらいだ。ところが、一箇所だけどうしても直したくなった。次の部分だ。
それだけじゃない、みんなみんな、
魚も、鹿も、きびやくるみも、
ぼくは、いのちをたべている。
みんなのいのちをたべている。
ぼろぼろ、なみだがこぼれてきた。
掲示板で、ペリーさんという未知の方から「突然作者が生の顔を出して説教を始めたような印象を受けました」と指摘された部分である。確かに、わたしはこの部分、理念を語るのに性急すぎたかもしれない。子熊の死を、そのまますぐに「きびやくるみ」にまで結びつけるのには、無理がある。飛躍が大きすぎる。そこで、こう変えることにした。
それだけじゃない、みんなみんな、
兎も、鹿も、さけやますも、
ぼくは、いのちをたべている。
これなら「同じ生き物」の範疇なので、無理がないだろう。

野菜や穀物もまた命である、という点については、実は既にラストシーンに直しを入れ、そこで語らせることにしてあった。この物語が、どこか遠いところの、自分とは無関係な出来事ではなく、スーパーの一切れのお魚にも関係することなのだと、読者に知ってもらいたいということから、このような直しを入れたのだ。
その若者が、わたしなのだ。
だから、こどもたちよ、よくおぼえておくんだ。
ひと粒のあわもひえも、ひと切れの魚も肉も、みんないのち。
わたしたちは、いのちをたべている。
いのちと魂との、おおきなめぐりのなかにいる。
すべては、めぐるいのちのめぐみ。
すべては、めぐるいのちのめぐみ。
このシーンで読者が自分のこととして「すべては命」にたどりついてくれたら、と思う。

■ 9 Jan 2005 若草山の山焼き 携帯実況中継


明け方、相棒が奈良へ出発。昨夜から徹夜で支度をしていたので、わたしもついいっしょに徹夜をしてしまった。8時頃眠って、目が覚めたら夕方。まだ日があったので、自転車で買い物に行く。バーゲンで安いパンツを買ったのはいいが、試着室にお気に入りのベルトを置き忘れてしまった。結局、ベルトは見つからない。相変わらずマヌケである。

きょうは、奈良の若草山の山焼き。そのあと、奈良のM口家に大阪のT海さんご夫妻も集って新年会だ。わたしもいっしょに行くつもりだったのだが、仕事が終わらず行けなかった。留守番電話に相棒からの「これから花火の点火です」という声が入っていて、パパパーンと派手な音がした。その音の向こうで、みんなの「おお!」という感嘆の声が聞こえた。うーん、残念。いっしょに見たかったなあ! 来年は、ぜひ!

イオマンテ絵本の文字校正が宅配便で届く。ざっと目を通す。もう一度詳細に見なくてはならない。

■ 8 Jan 2005 イオマンテ絵本 初校


イオマンテ絵本の文字校正があがったとパロル舎より電話。編集部の意向で、頁割りを若干変えたところがあるという。その部分だけ、ファクスが届く。興奮きわまる熊の殺害シーンの直後のシーンだ。
わたしは、ちいさな熊のカムイだ。

気がつくと、わたしは
自分の耳と耳のあいだにすわっていた。
美しい花矢が、空のはてへとかけてゆく。
あれは、天へのしらせの矢。
かあさんは、
もうすぐわたしが帰るというしらせを、
うけとっただろうか。
この頁の後半に、次頁の祭りのにぎわいのシーンの一部を入れたいとのこと。
まっ青な空から、ばらばらと
くるみやだんごがふってきた。
人々はみな声をあげ、
たのしげにそれをひろっている。
こんな雪のまっただなかで、
アイヌの国は、
なんとゆたかなところだろう。
確かに、祭りのシーンは要素が多く、文章も長い。分割して前の頁に送りこんだ方がいいという趣旨はよくわかる。

しかし、ここは殺害シーンの後、話者が転換、殺された子熊が、自分がカムイとして、亡骸の耳と耳の間に座っていると気づくという重要なシーンだ。世界が神話領域がらっと転換し、音のない静かな死の世界になる。ここに、次ページからはじまるまつりの賑わいの雰囲気を持ってきたくない。

というわけで、絵としては空から胡桃や団子が降ってくるシーンが描きこんであるが、言葉は次の頁にもっていくということで納得してもらった。

絵が言葉より先に出てくるのは、却っていいと思う。死んだ子熊が見ているシーン。それが音もなく映像だけで先にやってくる。頁をめくると、そのシーンの意味がわかり、それに引き続く祭りの賑わいが描かれている。この流れは完璧だ。

絵本は画家と物書きとのコラボレーション。そして、そこに編集的見地も入ってくる。わたしはいつも、自分で頁割りまで終えて原稿を提出するので、最初から絵本の流れのイメージを持っている。けれど、それにこだわりすぎるのもいけない。調整がむずかしいが、いろいろな意見を入れ、その結果ばらばらではなしえなかったすばらしいものになっていく。そこが共同作業の醍醐味だ。完成が楽しみだ。

■ 7 Jan 2005 Voice 再リライト全編プリントアウト/賀状を書く


Voice、再リライトした作品を全編プリントアウト。250編ほどある。

15年ぶりぐらいに年賀状を書く。1通も出さないのに、今年も100通ぐらいいただいた。返事も出さないのに気にかけてくださって毎年賀状をくださる方々に心苦しく、今年はせめてお返事だけでもと思って出すことにした。短い言葉を書き添えていると、一人一人の顔が浮かぶ。ゆっくり思いに浸りたいのだが、Voiceのまとめの一件で気持ちが急いている。

そういえば、去年のお正月も早々から忙しかった。2日に突如としてインド再取材を決定、去年のいまごろは訪れる候補地探しで大変だった。インドではきちんとした地図が発表されていないので、旧ソ連製の地図を取り寄せたりと、大変な騒ぎだった。毎年、気ぜわしいお正月を過ごしている。こういうのを「怠け者の節句ばたらき」というらしい。当たっている。

■ 6 Jan 2005 Voice 再リライト後半


Voice再リライト後半を終了する。くたくたである。

■ 5 Jan 2005 Voice再リライト後半/自転車で配達


▼自転車で配達
徹底的に運動不足である。よく晴れたから、思い立って自転車に乗って、ご近所の画家の家に配達に行った。品物は、奈良の正倉院展のカタログ。昨年11月、正倉院展を見に行くと電話でお話ししたら、ぜひカタログをと頼まれていたもの。わたしの怠惰で、届けるのがこんなに遅くなってしまった。ごめん。

おまけに、食玩の「ミニチュアアンティークミュージアム」のビスクドールと木馬をいれた。わたしはこんな駄菓子のおまけみたいなものに目がなくて、つい買ってしまう。

お仕事の邪魔をすると悪いので、黙って郵便受けに入れてくる。そのまま、勢いでイトーヨーカ堂へ。今朝の新聞のちらしに載っていたものを探すも、見つからない。よく見たら、そこはジャスコであった。イトーヨーカ堂は、道を渡った隣のビルなのだ。こんな巨大店舗が、どうして2店も並んで存在しているのか、不思議だ。

中空の渡り廊下を通って、イトーヨーカ堂へ。広すぎて目指す商品が見つからない。うろうろしているうちに、別のものに目がいき、結局をそっちを買って帰る。

外に出て見ると、もう真っ暗である。ライトを忘れたが、常備している豆ライトがあるので、それを灯して走った。

家で心配しているといけないと思い、電話を探したが、見つからない。いまどき携帯を持っていない人など、少ないからだろう。電話を探しているうちに家に着いてしまいそうなので、そのまま家路に向かった。

家に戻ると、相棒が、わたしが事故にでも遭ったのではないかと死ぬほど心配していた。件の画家さんの家にも電話をしていたので大騒ぎになっていた。画家さんを煩わせてはいけないと思って黙って配達してきたのに、却ってご迷惑をおかけしてしまった。反省。ごめんね。それにしても、全体にマヌケな感じのわたしである。

▼Voice再リライト
Voice再リライト前半を終了。7年間の蓄積を仕事をまとめるには、やはり時間がかかると思い知る。いままで少しずつやってきたからこれで済んでいる。でなかったら、短期間にまとめるのは、とても無理だろう。

■ 4 Jan 2005 Voice/落ち穂拾いリライト


▼Voice落ち穂拾い
昨日、一昨日と、Voice元原稿ファイルを見直して、採用しなかったなかから、やはり気になる作品を落ち穂拾いした。そのうち14編にリライトをかけた。

元原稿とつきあわせして、もう一度推敲を加えるべき作品をピックアップしてある。これに手を付ける。さして進まないうちに夜も更けてしまった。これ以上やっていると昼夜逆転が直らないので、もうあきらめて寝ることにする。


▼傑作と駄作の心の間を針が振れまくる
原稿に手を入れているとき、いつも思うのだが、自分の作品は箸にも棒にもかからないとんでもない駄作じゃないかと思ったりする。もちろん、その逆のことを思うこともある。どっちにしても、心持ちが安定しない。自分に自信が持てないというもともとの性質からきているのだろうか。それとも、創作とは常にそのようなものなのか。

■ 3 Jan 2005 Voice/元原稿後半とつきあわせ


▼インド旅行のアドヴァイスをする
写真のキューレーターの女性から電話がある。インドに調査旅行に行くのだが、女性の一人旅なのでいろいろアドヴァイスしてほしいという。できうる限り対応した。インドで仕事をするのはほんとうに大変だ。その反面、ある程度のお金さえあれば、どんなことでもなんとかなる、というのもインド。人も、小悪人から極悪人、信じられないくらい親切な人まで幅が広い。彼女には、向こうでバックアップしてくれる現地の人もいるという。それなら安心だ。インドのことを話しているだけで、ちょっと疲れてしまった。

▼Voice推敲続き
Voice元原稿ファイル2冊のうち後半の一冊とのつきあわせ。仕事の速度が落ちている。明らかに疲れだ。やってもやっても終わらない。結局、朝4時頃までかかってしまった。へとへとだ。でも、一応の見直しは終わった。さらに作業は続く。

■ 2 Jan 2005 Voice/再び推敲の泥沼か?


▼推敲の泥沼再び
朝起きたら、頭が痛い。寒気もする。大晦日に頑張りすぎたかもしれない。頭痛薬を飲んで休んでいるうちによくなったので、のこのこと起き出して仕事にかかる。

Voice の整理。コンピュータ上で整理推敲していたら、どれがどれやらごちゃごちゃになってしまったので、元原稿をプリントアウトしたものと、リライトをかけたものをつきあわせる。落ち穂拾いをしようという魂胆だ。

やはり、紙メディアは見やすいし、ある意味検索性にも長けている。ぱらぱらと全体を見渡すには、やはり紙だ。けれど、具体的な単語検索となるとやっぱりコンピュータが使いやすいので、併用した。

つきあわせをしているうちに「これ、やっぱり元の方がよかった」などと思うものが続出。推敲していると、ついやりすぎて、元の言葉の勢いを削いでしまうことがままある。丁寧に書きすぎたり、逆に省略しすぎたり。結局、一編一編見直しながらのつきあわせ。再び推敲の手を加えることになった。2穴ファイルにぎっしりと2冊ある元原稿のうち、ようやく一冊を見直すことができた。明日は、残りの一冊をやろう。

それにしても、こうなると『楽園の鳥』と同じ泥沼推敲戦に突入しそうな勢い。お正月明けには、ぜひとも編集者に渡したいのに、どうなるのだろう。早くも暗雲立ちこめるお正月である。

▼善哉
昨夜遅く、半日水に浸した小豆を圧力鍋で30分煮て、砂糖を加えて溶かし、そのままタオルにくるんで保温した。その間に、すっかり甘みがしみて、ふっくらおいしく炊きあがった。最初に煮るとき、落としぶたをしたのが正解だったらしい。豆が踊らずに、きれいにできたのだ。大成功である。善哉にして食べた。やっぱり缶詰よりずっとおいしい。食べ過ぎるといけないので、一杯でがまんした。

甘みのしみた小豆もおいしいけれど、しみていないお砂糖とかしたての小豆もおいしい。もしかしたら、わたしは後者の方が好きかもしれないと気づいた。

■ 1 Jan 2005 人類の消えた日の美しい空


▼日記再開の弁
昨年、張り切って再開した日記だったが、あるパーティでの某研究家の発言を書いたところ、ある人からアンフェアであると抗議を受けた。本人ではなかったのだが、発言を削除してもまだ抗議が止まず、それがきっかけで日記を書くのが嫌になりやめてしまった。新年になったので、心新たに再開する。

▼詩作品の推敲
昨年中に仕上げたいと思っていたセント・ギガ時代の詩作品のセレクトと推敲が終わらず、結局深夜二時までかかってしまった。プリントアウトとファイルをしたら、もう空が白みかけていた。結局、小さいものも合わせると600編近くあったなかから、233編を選び、推敲してアップした。不思議なもので、ワープロ上で充分推敲したと思っても、いざサイトにアップしようとすると、また少し手直ししたくなるのだ。たとえネット上とはいえ、人目に晒すとなると、緊張感が違うのかもしれない。

▼お屠蘇気分
目覚めると昼過ぎ。空は美しく晴れていた。昨夜仕込んだお屠蘇で新春を祝い、お雑煮をつくって相棒と食べる。お屠蘇気分でぼやぼやしているうちに一日過ぎてしまった。やはり、疲れが溜まっているらしい。元旦ぐらいは休もうと腹をくくる。

▼美しい空
夕空がおどろくほどきれいだった。丹沢山系の背景に、ほんとうに澄んだ色の夕焼けが燃え、それが全天の雲に反映して世界が淡い紅色に染まったようだった。毎年のことだが、人間がほんのわずかの間活動を控えるだけで、空は澄む。「人類滅びて美しき空あり」という日のことを一瞬夢想したくなる。

しかし、人類が滅びるときは、きっと恐ろしい厄災を放ち、他の生き物たちも巻き添えにするだろう。人類が人類として生きながらえながら、美しい空を取り戻さなければならない。地球を汚しまくった二十世紀、二十一世紀が遠い野蛮な時代として記憶されるような日が、一刻も早く到来することを願う。

▼2004年07月の時の破片へ


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