「ラジオスター・レストランへようこそ。ずっときみを待っていたんだ」
1■高原列車
琥珀色の光をいっぱいに満たして、二両編成の小さな汽車は、ゆっくりと勾配を登って行った。
ぼくは、ヴァイオリンのケースを膝に抱え、擦り切れたビロードの座席に腰掛けていた。
星明りに照らされた森が、黒い塊になって走り過ぎる。森が途切れると、一面の牧草地が広がる。草は、露を含んでいるだろうか。羊は、眠っているだろうか。
ああ、ぼく、ほんとうは羊飼いになりたかった。そうしたら、毛の長い犬といっしょに一日中羊を追って暮らそう。夜は草のなかで星を数えて眠る。遠い昔の羊飼いたちのように、ぼくも、星をつないで星座をつくろう。
どんな星座がいいだろう。星の渦は、光のホルン。天の釘を廻りながら、子熊は、銀の太鼓を叩く。銀河に浸るヴァイオリンは、見えない水の弓に弾かれる。
2■星船
<ドン・ドドン・ドドン・ドンドン>
「星船だぁ」
「星船が来るぞうっ」
たいまつに火が灯る。火は、生き物のように伸びて、右と左から広場のぐるりを這い、反対側でつながってひとつの大きな環になった。
これなら、空からでもはっきり見える。巨人の魂は、この火の環を目印に、町に帰って来るんだ。
町にはこんな伝説があった。大昔、まだ海もなく、地上は岩だらけで草も木も一本もなかった頃、流れ星といっしょに、巨きな石の卵が降ってきた。卵は割れて、なかからとてつもなく巨きな赤ん坊が生まれた。赤ん坊は、山の頂からほとばしる熱い溶岩をお乳にして、ぐんぐん育った。そいつの吐く息は、風や雲になって地上に雨を降らせ、雨は溜って海になった。そして、気の遠くなる時間が流れた後、赤ん坊は年老いて、どうっと倒れ、死んだ。
巨人の骨や歯は、地下に眠る金や銀になった。ふたつの目は、宝石になって砕け散った。そして、その大きな体は、やわらかな土になった。髭や髪の毛の一本一本が、あらゆる種類の草や木になり、その時から地上は、溢れる緑の大地になったんだ。
巨人の魂は解き放たれて、空に帰っていった。
けれど、年に一度、流れ星の晩に戻ってきて、野原や森の緑をめで、祝福の星をたくさん降らせて、また空に帰るんだ。
「星船だぁ」
「星船が来るぞうっ」
ほら、聞こえてきた。太鼓の音だ。
<ドン・ドドン・ドドン・ドンドン>
ああ、あれは、宇宙の鼓動だ。
3■天文学者 モリモ博士のお話
さて、みなさん。誰よりも遠くを見たい人、みなさんは、それを誰だと思いますか。それは、天文学者です。
遠い昔、天文学者は、自分のふたつの目で空を見ました。そして、星の運行を調べたり、その仕組みを考えたりしたのです。
その頃は、誰もがこの地球が宇宙の中心だと思っていました。地球の回りを太陽や月や星がめぐっているのだと思っていたのです。ですから、星の動きを模型につくろうとすると、とんでもなく複雑でむずかしいものになりました。たくさんの歯車を使ったそんな天球儀が、いまも残されています。
望遠鏡が発明されると、天文学者は、それを空に向けました。すると、目で見たよりもずっと遠くの星まで見えるようになりました。白く煙って見えた天の河が、ほんとうはたくさんの小さな星の集まりであることもわかりました。
星の動きをよく調べると、太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っているということもわかったのです。そう考えると、星の運行の仕組みも、驚くほど簡単でわかりやすいものになりました。
けれども人々は、容易に信じなかったのです。やさしく単純な真実よりも、歯車だらけのむずかしい理屈の方が、ずうっと本当らしく思えたのかもしれません。
天文学者は、もっともっと遠くを見たいと思いました。とうとう、直径が二百インチもあるレンズを磨き上げました。
これで見えるいちばん遠くの天体は、そこから光が飛んでくるのに十億年もかかる遠方です。十億年前に出発した光を、わたしたちはいま見ているのです。
距離は、時間です。遠くを見るということは、昔を見ることなのです。誰よりも遠くを見たい天文学者は、誰よりも昔を知りたい空の考古学者なのかもしれません。
みなさん、草原で星を見上げてごらんなさい。わたしたちは、まるで、いろいろな時間をいっぺんに見ていることになるのです。
(だからわたしたちは、いろいろな時間のなかに、いっぺんに存在しているのだ)
4■スペースコロニー育ちの音楽家 ユーリ・ロッセから
若き日のモリモ博士への手紙
お元気ですか、モリモくん。
ぼくが地球にやってきてから、もうずいぶん月日が経ちました。ぼくは、その間、数え切れないほど旅をしてきました。一年の半分以上は、旅でした。あちこちの国で、演奏会を開いたのです。
はじめは、ただもう忙しいばかりでした。けれども、旅にも慣れてくると、いろいろなものが見えてきたのです。
たとえば、音楽です。砂漠には、砂漠の渇いた音楽が、霧の国にはひっそりと大地を包むような音楽が、そして、南の島には、そこにしかない激しいリズムがあるのです。もちろん、楽器だって違います。奏でる人たちの日々の暮しぶりも、ものの感じ方も違います。そして、みんな違いながら、どこか深いところで通じあい、そのどれもが、比べようもなくすばらしいものなのです。
もちろん、スペースコロニーにも音楽はあります。ぼくがことに心を惹かれたのは、天体の音楽でした。遠い星や星雲からの光や電波を音に変え、ぼくはいろいろな音楽を作りました。ぼくは、夢中になりました。宇宙の音楽に浸るのだと思いました。
ところが、どうでしょう。ぼくらの足元にあった、たったひとつの惑星が、あらゆる宇宙の音を合わせたよりも、もっと多様な音楽を生み出しているではありませんか!
森では小鳥が歌います。小鳥といっても、スペースコロニーのように、雀と鳩だけではないのですよ。信じられないことですが、地球には八千六百種もの鳥たちがいて、そのどれもが、違うさえずりを持っているのです。
生き物ばかりではありません。風は見えない弓になって木の梢を奏で、雨は楽しげに地面を、木の葉を、水面を叩きます。森は、ひとつの大きな楽器です。
いいえ、地球がまるごと、楽器です、風の音、波の音、雷の響き。海も空も、砂漠も草原も、鳥も虫も、獣も人も、それぞれの音楽を奏でます。街の雑踏も、子どもたちの声も、ぼくにはいとしい響きに聴こえてなりません。この地球では、すべてが音楽なのです。
ぼくはもう少し、この音楽に身を浸したいと思います。またお便りします。 お元気で。
ユーリ・ロッセ
5■火の魚
火の海だ。いや、光の海だ。ぼくは、その海だ。まるでもう、小さな粒になり、いっぱいに漂っている。
なんて眩しいんだろう。なんて熱い、巨きな、巨きな力。
ここは、どこだろう。太陽だろうか。
嵐だ。炎が一面に渦巻く。
ああ。
そうだ。思い出したぞ。ぼくは、燃え盛る星のなかで生まれた。たくさんの原子たちとともに。
ああ、また嵐だ。
一面に散乱した「ぼく」のひと粒ひと粒のなかから、力が湧き上がり、留めようもない。ぼくは、炎の海から巨大な爆発とともに飛び上がる。
すると、飛び出したその尖から、ぼくは、魚の形になった。
ぼくは、火の魚だ。地球をいくつも飲み込むような、巨きなアーチを描いて舞い上がる魚だ。
その尾が光の海から離れた瞬間、ぼくは、はっきりと意識を持った。生まれたばかりの魚。ぼくの形。ぼくの心。光の海から切り離されてある、たったひとりのぼく。ああ、なんて眩しい時間!
けれども、次の瞬間、ぼくは、頭から光の海に飛び込んで砕け散った。ぼくの体は、幾億の炎の破片になって、花火のように舞い上がる。
ああ、どうだろう。そのかけらのひとつひとつが、確かに魚の形なのだ。ぼくは、まるで、いっぺんに幾億の魚なのだ。
ぼくは、幾億の魚の目で、それぞれに違う光の海を見て、それぞれに違う音楽を聴いた。
途方もない時間のなかで、ぼくは、何回そうやって生まれ、また海に戻っていっただろうか。
そのひとつひとつが、すべて違うぼくだった。ひとつとして、同じぼくは、いなかった。同じ瞬間は、なかった。
そして、いま、ぼくは、このぼくなんだ。その喜びを胸に、ぼくは、大きく尾を振り上げ、ひときわ高く飛び上がった。目のなかいっぱいに、真珠色に輝く空が広がった。
6■モリモ博士とロボットのラグの会話
「故郷か。ラグ。星はね、わたしたちの故郷なんだ」
「あの、遠くで光る星が、ですか? 博士」
「ああ、ラグ。宇宙のはじまりには、水素とヘリウムしかなかった。それが集まって星になって燃え、そのなかではじめて、わたしたちの体をつくる元素ができたんだ。それが爆発して、もっと重たい元素をつくりながら、宇宙に飛び散った。その塵が集まって、また星になる。そうやって、星はなんども生まれ、なんども死んだ。その果てに生まれたのが、この惑星、地球だ。そこから生ままれたのが、わたしたちなんだ。
だからね、わたしたちは、みんな星のかけら。いくつもの星の記憶を持つ、小さなかけらなんだ」
「あの、博士、わたしも、星のかけらですか」
「もちろんだよ、ラグ。みんなみんなそうさ。おまえも、わたしも、それどころか、森も、海も、雲も、この地球のうえにあるものは、みんな星のかけらだ」
「星のかけら、ですか。なんだか、うれしいな。でも、その前はどこにいたんだろう。星になる前は」
「水素とヘリウムのもっと昔、宇宙のはじまりの時には、まるで針の先のような小さなところに、宇宙のすべてがつまっていたんだ。
だからね、何百億光年の彼方に見える星でさえ、ぼくたちとたったひとつの場所にいたんだよ」
「あのお、モリモ博士……」
「なんだい、ラグ」
「その、針の先の一点にみんながいた時、ぼくもいっしょだったんでしょうか」
「当たり前さ、ラグ。宇宙のあらゆるものが、いっしょだったんだ。きみだって、わたしだって」
「よかった。それならもう、宇宙のどこにいても、寂しいなんてことは、ありませんね」
「そうだね、ラグ。どこにいても、星が見える。わたしたちの故郷が見えるんだからね」
7■地球の思い出
「思い出した。ラグ、思い出したよ!」
ぼくは、恐竜だった。魚だったこともある。そうだ、蝉の翅だったこともあるんだ。いいや、小さな石ころだった。それが砕けた砂だった。そうだ。水だった。河を流れる水。巨きな海のひと滴。湧き立つ雲。あたたかい雨。ぼくは、吸い上げられてやわからい緑の草になった…。
ぼくが、ひとかけらの流れ星になってこの惑星にやってきてから長い長い時間、ぼくは、惑星の上のあらゆるものたちだった。
そう思うと、ぼくのなかの骨が、血が、心臓が、脳が、ぼくをつくっている、ありとあらゆる物質が、まるでいっぺんに、かつて自分だったものたちのことを夢見だしたんだ。
ぼくは、いっぺんに恐竜で、魚で、蝉で、石で、砂で、水で、風で、草で、無数のものだった。ぼくの心は、その数え切れない一瞬で溢れ返った。
そのすべてが、いま、ぼくのなかにいる。そのすべてが、いまのぼくになっている。まるで小さなかけらが、時間の一瞬一瞬が、すべて透明な糸でつながって、きらきら煌いているんだ。
その糸は、露を結びながらどこまでも伸び、絡み合い、もつれ合い、結び、また解かれ、広がっていった。そして、いつのまにか、巨きな繭になっていたんだ。
真っ暗な宇宙に浮かぶ、青い繭。
そうだ。あれは、地球だ。ぼくは、地球なんだ。青い青い地球。四十六億年、見続けた美しい夢。
「わかったよ、ラグ。だからみんな、夢を見ているんだね」
8■生物学者 マジロ博士のお話
森は、ひとつの巨きな生き物です。いいえ、地球がまるごと、ひとつの生き物です。生き物だけではありません。海や火山までが、その大循環のなかに組み込まれ、全体としてひとつに動いているからです。
まったく、どうしてそんなにも巨大な、同時に、ほんの小さなプランクトンのひとつにいたるまで寸分の狂いもなくすばらしくできた世界は、どうやって生まれたのでしょうか。
時間です。生命が生まれて三十億年、地球は時間をかけて、考えてきたのです。何をしていいのか、悪いのか。途方もない時間をかけ、ひとつひとつ試しながら、ゆっくり考えてきたのです。
そして、この美しい調和に満ちた世界をつくりあげたのです。
ここに恐竜の骨があります。恐竜は、いまから六千五百万年ほど前に滅びてしまいました。巨きな隕石がぶつかって、激しい気候変動があったせいだといわれています。
けれどもみなさん、恐竜は滅びるまで、一億八千万年の長きにわたって繁栄を続けたのです。この地球の上で。一億八千万年です。
人類が出現してから、わずか十万年しかたっていません。たった十万年です。化石燃料を燃やすようになってからは、わずか百年しか経っていないのです。それなのに、人類はいま、この地球の環境を破壊するほどの力を持っています。
みんな、恐竜はなぜ滅びたのだろうと言います。けれども、わたしは思うのです。一億年以上も、恐竜はなぜ繁栄を続けることができたのかと。みなさん、わたしたちは恐竜に学ぼうではありませんか。
9■星祭り
ほら、聞こえてきた。太鼓の音だ。
<ドン・ドドン・ドドン・ドンドン>
宇宙の鼓動だ。
たいまつの火が燃える。
伝説は、やっぱり本当だったんだ。ぼくたちは、みんな遠い宇宙からやってきた。そして、ここでひとつになって、新しく生まれた。昔の人は、みんなそのことを知っていたんだ。だから、こんなお祭りがあるんだ。
<ドン・ドドン・ドドン・ドンドン>
人々のざわめきが、巨きな音楽になる。
空からは、くっきりと光の環も見えるだろう。巨人は、両手を広げて空を翔けてくるだろうか。
ラグ。きみは、どこにいるの。うまく流星群の軌道に乗れたかい。
ぼくは、空を見上げた。
ポケットから青いビー玉を出して星空にかざす。それは、宇宙に浮かぶ地球だ。壊れやすい生命の星。地球の上ではいまも、核爆弾が眠り、戦争が起こり、緑は失われ、生き物たちが滅んでいく。
恐竜の化石をみるたびに、ぼくは思う。人類は、いまどこにいるのだろう。どこへいこうとしているのだろう。ぼくに、何ができるのだろう。
<ドン・ドドン・ドドン・ドンドン>
ほら、宇宙の鼓動だ。地球の通奏低音だ。地球はラジオグリーン、いまも緑電波を発信し続ける。だから、もっと耳を澄ませて、美しい旋律を聴こう。遥かな歌を歌おう。地球のあらゆる生き物たちとともに。
ラグ! その巨きな和音を、力強い鼓動を、いつかきっと聴きに戻っておいで。ぼく、必ず待っているからね。百万年後も、一千万年後も、緑溢れるこの惑星の上で。そして、こんどは、ぼくがきみに言おう。
「ラジオ・グリーンへようこそ。美しい生命の星へようこそ」って。
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