「物語の作法」課題提出板 (0031)


物語の作法ホームページへ ▼「物語の作法」雑談板へ ▼課題と連絡へ うさぎアンテナへ
使い方・過去ログ一覧 ⇒このログの目次スレッド別 ⇒検索 ⇒課題を提出する 

横田裕子 五行詩・その2 2004年01月13日(火)21時25分06秒

「記憶」
 ガラクタを処分するように
 余計な記憶(モノ)をごっそり
 捨てられたらいいのに
 今頃になって古傷が
 痛む事なんてないのに

「満月」
 飲んで泣いて帰る道
 真ン丸い月がこっちを見てた
 背筋を伸ばして睨み返したけど
 私はただの
 負け犬でしかなかった

「あやとり」 
 赤い毛糸で家をつくる
 ここは指掛けあそこは外して
 壊れぬように気をつけて
ふたりが辿って巡り合った
あの糸の色ね

「日めくりめくり」
 紙一枚をめくる度
 一日を重ねた毎日が過ぎてく
 新しい何かとの出会いも
 めくりめくって
 巡ってくる

「後悔」
 気が付いてからじゃ
 もう遅い けれど
 気が着く前に対処できるほど
 器用じゃないってことに
 気が付いてしまった

「謎解き」
 かすかな仕種を交わして
 瞳を覗きあって
 口で言うのがもったいなくて
 それでも答えを探すけど
 知ってるのは カラダだけ

「半熟卵〜ゆでたまご・続き」
 可愛くて可愛くて
 何度も指先で撫でて
 歯を立てたら とろり
 私の中もあんな風に
 なっているんだろうか

「ささやかな幸せ」
 寒いホームで頬張る肉まん
 仕事場で見る朝焼け
 夜明け前の満月
 あなたの傍じゃなく
 あなたを想う「時間」

「鍵穴」
 この穴にぴったりの
 鍵を持ってるのはだぁれ
 その鍵の持ち主こそが
 私の中に入ってもいい
 資格を持ってるの

「癖」
 硬くなった足の皮を
 ひんむいちゃうのも
 ヘンな食べず嫌いも
 無駄だと分かっててもまだ好きなのも
 私の悪い癖
 

横田裕子 大掃除の時に出てきたガラクタ 2004年01月04日(日)21時39分53秒

20代 お肌の角を 曲がっても 根性だけは 曲がっちゃだめさ
指先で いちごのジャムを 唇に 今宵のキスは 甘く溶けて
1000本の 涙の跡が 消える頃 古いかさぶた そっと剥がした
ひとつ星 そこしか見えぬ 頑固者 飛べない鳥は また夢を見る

「ゆでたまご」
タマゴの殻に
小さなヒビを入れる
傷付けないで
つるつる剥いて
そして そっと歯を立てて

「ロッキングチェア―」
受け止めることに
疲れきったあなたが座る
椅子の背もたれになれたら
けれど椅子はあなたには
まだ小さすぎて

「見栄を張りたいお年頃」
白いスニーカーを
黒いミュールに履き替えて
紅いルージュの
青いりんごは
熟れていくのを待っている

「やつあたり」
愛だけで
地球はほんとに救えるの
それだけだったら
何度目なのさと
悪態をついた夜

「ふたりではんぶんこ」
眠れない夜は
火照った手のひらのせい
冷たいコップの水じゃだめで
誰かのカラダをぎゅっと抱きしめて
熱を分けてあげたい

滝 夏海 課題21/「森乙女の呪い」を読んで 2003年12月10日(水)00時10分52秒
▼課題と連絡:課題21/古内旭作品3「森乙女と呪い」批評 への応答

 古内さんの作品で毎回のように思う事なんですが、映画(や小説)のあらすじを読んでいるようでした。
 世界観はなんとなく解るし、物語や場面の情景も浮かぶのですが、表面をざーっと撫でているようで盛り上がりません。今回、登場人物の心の動きがほとんどわからない分、余計にそう感じられました。そのせいで物語っぽさとは逆に、説明っぽい部分が目について、多い気がしてしまいます。台詞が入る時『「●●」と誰々は言って(叫んで)』という形が連続して出てくる事も、説明っぽく感じてしまう要素でしょう。
 これが、例えばRPGゲーム(アドベンチャーでも可)に付属しているおまけ的なプロローグだったらそれでも良いのかもしれません。世界に関する基本的な知識を紹介し、主要人物の関係を教え、さぁこれから宝玉を探しに行こう!と。

 外枠についてはこれくらいで、内容についてですが。
 たしかにツッコミどころの多い話ですが、作者がどれくらい意図してやっているのか判らないので、その辺りは授業中他の方の感想やツッコミとそれに対する反応を見て考えたいと思います。
 個人的に、ツッコミをいれたかったのは、初めの方にあった<明日の風>亭で森乙女がチンピラと喧嘩をしている場面の地の文「森乙女はまるで体操の技のように一瞬で起き上がった。」こんな世界設定の中で「体操の技」って。
 あと、気になっているのは、宝玉を使って森乙女(外見)は何をしたかったのか。凍結した精神の解放=魂が元の器に戻る、ということなんですか?それとも、外見そのままで意識だけ戻るんですか?(それなら、また凍結しそうですが)「精神の解放」「魂を呼び戻す」だけではどちらなのか判らなかったもので。

 ところで凍結したナターチカの精神を戻すのに宝玉を使うかどうかってところで、「カーシャを復活させてから、彼女にナターチカを戻してもらう」という選択肢が最初っから無かった事になっているのはわざとでしょうか。ラズーヒンなら言い出しそうかな、と。で「復活するという確証がない」とかなんとか森乙女(外見)に返されたり。

 最後に純粋な感想なんですが。
 地下倉庫であれだけ罠に引っ掛かり魔物に襲われたにも関わらず「我々は不要なものまで盗む気は無い」の後に「サルーハンという魔法使いは、悪人ではなかろう?」なんて言えちゃう森乙女(外見)にすごいと思いました。

五十嵐 舞 課題21/古内さんの『森乙女と呪い』を読んで 2003年12月09日(火)12時01分20秒
▼課題と連絡:課題21/古内旭作品3「森乙女と呪い」批評 への応答

 読んでの感想・・・作品としての評価とは別としてただ読むものとしてはとって面白かったです。最後のオチの部分は正直言って笑いを堪えながら読んでいました。確かに古内さんがこれを天然でやっているんだろうかという変な疑問も浮かびました。

 オチのところ以外は角川スニーカーやキャラ文庫、電撃文庫などのRPG(ゲーム)の世界って、東條さんも述べておりますが、その世界ではまあ王道の剣士(騎士)とエルフ系の女性の話にティーンズ時代の青春真っ只中の主人公が出てきて冒険というか事件に巻き込まれる話だと思いきや、最後のオチで魂は【男】のエルフさんだったという事実に、その事実を知ってもあまり抵抗見せなかった主人公、憧れというか異性として認識していたのにあっさりとしているのは、確かに不自然すぎかも・・・また、今まであんなに躊躇っていたのにいとも簡単にスッパーと、貴族としてなどや家族などのしがらみを捨てるあたりが違和感を感じる部分かなと思ってます。ていうか、その結果にいたるまでの経過のところがないから、変な感じがすると思うのかもしれない…。
確かに作品としては手直しが必要です。こういうオチにするにしても、登場人物の心の動きとか、その行動の理由みたいのが抜け落ちている感じです。本とに主人公が今の生活からというかしがらみから抜け出たいのならもっとちゃんとした動機というか行動理念がないと面白くないし、主人公なのだからもっとちゃんとした設定が必要な気がします。
世界観とかはちゃんとしているので、あとは物語の背景と人物のあり方を充実するというか書き足したり直しが必要だと思います。
手を加えた(直しなど)改稿版のほうを早く読みたい感じがします。ではでは。

追伸:読んでいて疑問に思ったのが、どうやって森乙女って子孫を残すのだろう??

東條慎生 古内旭『森乙女と呪い』 2003年12月08日(月)22時31分58秒
▼課題と連絡:課題21/古内旭作品3「森乙女と呪い」批評 への応答

改稿版はまだあがってませんので、いまの版で読んだ感想を書きます。
オチをばらしますので、読んでない人は先に作品を読んでください。

読んだ方はわかるかと思いますが、この作品のオチは反則っぽいものがあります。
とりあえずそれをのぞいた部分について書きます。
この作品はティーンノベル、いわゆるライトノベルとかジュヴナイルとか挿絵付き小説文庫とか、大塚英志定義するところの「キャラクター小説」の書き方を踏襲しているといえるでしょう。そしてそのなかでももっともメジャーな、「剣と魔法のRPGゲームを小説化したような世界観」によって構成されています。ギルドがあり、仕事の斡旋があり、パーティを組み、ダンジョンに潜る。日本のRPGというよりは輸入パソコンゲーム的な世界観だと思います(私の知る中ではmight&magicが連想されます)。
物語も、ティーンノベルによく見られる青春小説の体裁を採っており、恋愛と決断にかかわる悩みがプロットを構成しています。青春小説をどう定義していいかはわかりませんが、私の感触としては、今作に見られるような、モラトリアムのなかにいる人物が、恋愛や進学、将来などについて思い悩むのと同時に、それに対する決断を迫られるタイプの作品に、青春という言葉を感じます。
それは良いとして、この物語には、きわめてスタンダードな青春小説的なさわやかさが漂っています。リーダブルな文章とほとんど必要要素だけで構成されたような展開が、表面にあるさわやかさ以外のものを感じさせないのです。そしてまた、ほとんど借り物かパロディのような適当な世界観(というか、独自性をそもそも出そうとしていない)のなかで語られる、まさにまた借り物のようなスタンダードな物語。

そう思ってクライマックス近くまで読んでいくと、そこで読者はとつぜん、それまでの表層的なジャンク的世界観が、意図されたジャンクであったことに気がつくわけです。
謎の森乙女と巨躯の剣士の組み合わせが、いかなる来歴によるものかが説明されるのですが、それはそれまで女であると思っていた森乙女には男の魂が入っていた、というものです。つまりそれまで主人公が憧れていた「女性」は「男性」であったことがわかるのです(この場面で都合良く主人公が気を失って、衝撃的な話を友人から伝え聞くという展開は、手を抜いたのか意図的なのか…)。
そしてなぜか主人公は、森乙女が男であったということなど意に介さず(! 事実、友人からの話の後、そのことには一言も触れません)、秘術を自分のために使ってしまい、またもや秘術を探す旅に出た森乙女に「いいね、そういうの」などと言い(!)ながら、至極さわやかに一行にわるのです。
つまり、それまでのジャンク的で借り物じみた世界観が、すべてここでひっくり返され、物語そのもののジャンク性までが、ある種の「罠」であったということに立ち至るのです。そこで問題にされなければならない主人公の内面などは完全に無視され、家や学校からの「さわやかな」脱出が、ひどくうさんくさいものに見えてきます。旅立つ彼らの背後にむけて、読者であるわれわれは無数の質問を投げかけずにいられません。
「主人公は森乙女が好きじゃなかったの?」「そんなにあっさり旅に出て良いの?」「結婚を約束した二人のあいだに割り込むつもりか?」「学院の賢者の倉庫に人骨や腐肉があるのはOKなのか?」
序盤から中盤にかけて、ある程度物語的な構成をはずさずに書いてきながら、終盤にいたって意地の悪さが異様な形で現れていると思います。
作者の主眼が、ある種の典型を形づくるヒロイン造形(男勝りで無骨な女剣士)に対して、意地の悪いヒネリを加えようと言うところにあるのは確かだと思われます。しかし、それによって作品全体を支えるものをも反転させて、いったいこの小説はなんだったんだ、と思わせるものになっています。
そこら辺は作者の意図通りだろうとは思うのですが、なにぶん、無理なオチを加えているために後半の展開がやはり無理がたたっているように思えます。「るりえの帰還」でもそうでしたが、意図した矛盾が、天然なのか企みなのか、判然としないところが出て来ているように思います。
このオチを持ってくるなら、それが物語において不可欠の要素となるような伏線なり展開なりがあった方が、効果的なはずです。このままでは、「思いつきで適当な落ちをつけた」と取られる可能性もあります。
そうでなくても、後半部分はかなりガクガクとした展開をしており、意図なのかミスなのか判然としません。

だから、この作品を面白いと言っていいのか、失敗作だと言っていいのか決められないのです。
ティーンノベルへのアンチテーゼを書こうとしたのだとは思うのですが、それが小説として成功しているとは言い難いと思います。その部分が作品の傷であるとも読めるのです。
改稿でどのように書き換えるのか、とても気になるところです。

古内旭 作品3A『森乙女と呪い』 2003年12月05日(金)17時49分19秒

●下記URLをクリックすると、プレーン・テキスト形式のファイルが表示されます。
●下記URLを、ウィンドウズ機なら【右クリック】、マックなら【Ctrl+クリック】して、「名前を付けて保存」、「対象をファイルの保存」、「ディスクにダウンロード」等を行った後にファイルを開いて下さい。あるいは、メモ帳やワードへの「コピー」、「貼り付け」をご利用下さい。

本作は、中編『るりえの帰還』の直後に書かれたもので、純粋なRPG風ファンタジー小説です。71枚。
かつて、授業の始まりの方に「ティーン・ノベル(ゲーム小説みたいなもの)を書きたい」と熱弁されている方がいて、「じゃあ僕も」という軽い気持ちで書きました。『るりえ』の反動のようなものが見られますが、今読み返すと直したい箇所がいくつもあります・・・。できるだけ早く改稿(というより訂正)版を用意したいと思いますが、皆さんに読んでいただくには間に合わないと思いますので、合評はこちらでお願いします。

http://www.wako.ac.jp/~ryo/2003-00n068-03a.txt

五十嵐 舞 課題20/東條さんの「連星」を読んで 2003年12月03日(水)12時29分13秒
▼課題と連絡:課題20/東條慎生作品1A「連星」批評 への応答

読後の感想、はっきりいって私には最後まで内容が把握出来なかった・・・すみません。
東條さんの小説というか作品自体を書く技量やテクニックはとっても感じるのですが、どうもこういうの苦手で、推理ものは結構好きなので読むけど、その難解さとは違うのでどう表現したらいいのだろう??読んでいても言葉や文章が説明的なものが多くて私的(個人的には)くどいというか混乱してしまって結局理解出来ず。たしかにパズルに近いかも・・・滝さんが言うように。
また、たぶんこれはわざとなのでしょうが、一人称や二人称が多すぎてどれがどの「わたし」でとか、まあ「君」は一人の人物のことしかささないのでいいのですが・・・それが余計この作品を読み解こうとするというか見えてくるものが見えなくなったかなと思った。結局「何がいいたいのか」が見えてこない、テーマというか東條さんがこの作品で表したいビジョンなるものが見えないからこれは未完成の作品なのかな?というかまだ続くというか説明しきれてない印象を受けました。
まあ、作中に出ている「プラトン的恋愛」って実際にある作品なのでしょうか?
これってメールという設定ですよね。こんなに長かったら読むほうも大変ですね、私もあまりすることはないのですが結構読み返しました。(普通は2回程度で理解できるから)実際にこんなメール来たら迷惑な感じの文章量ですよね・・・これは作品だから読めるけど、実際自分のところに届いたら嫌かも・・・。私も話題ごとにきったほうがいいと思います、読みやすいし、メールって感じがする。架空の世界の東條さんと現実の世界の東條さんの微妙なずれが面白いです、そして送り先の秋月さんが一番謎?とおうか友人なのでしょうか、でもメールでこういう内容をやり取りするほどだから近しい間柄のひとなのか、あわやメル友という気軽さからの相談なのかというところで直接出てこない秋月さんの存在について考えてしまった。全然本文とは関係ないところに思考のほうが言ってしまった・・・面白いだけど内容のほうは理解したとはいえません・・・
たぶん、わたしの読解力のなさもありますが、これは相当読み手側に多く依存している作品なのかもしれません。私は古内さんや滝さんや他の方々ほどこの作品の世界が見えてこなかった。その上、今回初めて東條さんの作品を読むせいなのかもしれませんが、やはり他の方々とは違う作風だなという感じを受けました。今度過去の作品を読みますね。結構キツイ感じの感想になってスイマセンです。
では、授業で会いましょう。

滝 夏海 課題20/「連星」を読んで 2003年12月03日(水)00時20分48秒
▼課題と連絡:課題20/東條慎生作品1A「連星」批評 への応答

 頭がくらくらしました。論理パズルを解いている気分です。
 手紙を繰り返し読んでいると、まるで『わたし』という3文字が主義主張をしているような不思議な感じがしてきます。一人称で語る、のではなく、一人称が語る。
 この小説の大きなポイントはやはり、あなたの書いた小説の主人公=手紙を書いた『わたし』、あなた=『連星』の主人公である『わたし』=『連星』での東條氏、『連星』の書き手である東條氏、というところでしょうか。考えた事を整理して書こうと思ったんですが、まだ混乱しているのでこれ以上のことは無理そうです。

 内容以外では、形式の事が気になります。
 この小説は、手紙ではなく電子メールの形を取っています。手書きよりもつらつらと長く書けるのは電子メールの特徴です。でも、手紙よりもすぐに送れる、というのも特徴としてあげられます。
 せっかくこの形式にしたのだから、もうちょっと切ってみてはどうでしょうか。読んだ感じでは「論文について」「手紙が届いた事」「それに関して考えた事」の3つに切れそうです。また、その合間に「『秋月氏』からの返事が届いた」と仮定して返事に対する文章(例えば「君は〜〜と書いていたが」など)を組み込むと、もっとメールという形が生きてくると思います。実際に返事を小説内で書か無くて良いとは思いますが。

 ところで秋月氏が一番謎なのは、私だけですか?

越智美帆子 課題20/手紙の正体 2003年12月02日(火)20時22分57秒
▼課題と連絡:課題20/東條慎生作品1A「連星」批評 への応答

 これだけの少ない題材で、こうも長く物語を書けるのはすごいなぁと思いました。
 まず私が思ったこと。それは「わたし」の存在の有無です。

「ただ、わたしがあなたとおつきあいするのも、この手紙のこの文章をあなたが読む間だけです。わたしは、この文章のなかにしかおらず、この文章をはずれては存在できません。つまり、この手紙そのものがわたしなのです。」

「わたし」はこの手紙に中にしかいない。しかも「この文章をあなたが読む間だけです。」とあるということは、実際に届いたこの手紙の存在自体も怪しくなります。東條氏が手紙を読むということを前提で存在する「わたし」。つまり何らかのアクシデントのため、この手紙が東條氏の元に届かないとなると、始めから手紙はもちろん、「わたし」の存在自体もなかったことになるのではないでしょうか。これは不思議です。たしかに手紙は存在している。しかしその存在を操るのは、手紙を読んでいる東條氏。また、手紙にはこうあります。

「モデルと主人公とは、いつもすれ違いつつ、連星のようにぐるぐるとおなじところをまわっているようなものです。」

モデルとは東條氏に手紙を書いている「わたし」であり、主人公とは東條氏が書いた、もしくは書くであろう小説の「わたし」。この二つは連星のように同じところをぐるぐると回っている。しかし連星とは二つあって成り立つものであり、どちらかが無だとするともう一方もなかったことになります。もしくは、一方の存在の有無で、それが架空であるのか実際にあるのかが決定される。もしこの怪談が本当であれば、将来東條氏が書いた小説のモデルとなる人物に出会うことになるし、ただのイタズラだった場合、手紙を送ってきた「わたし」も小説の主人公である「わたし」も存在しません。
 この話のおもしろいところは、手紙を送ってきた「わたし」と小説の主人公である「わたし」の関係と、実際にこの物語を書いた東條氏と秋月氏に手紙を書いている東條氏の関係がリンクすることです。二つの連星を巧みに描くことで、奇妙な臨場感が味わえます。手紙は本当にあったのか、手紙の中に記述されている小説は本当にあるのだろうか、「わたし」は存在するのか。果ては、この手紙を書いた東條氏は存在しているのか、という疑問まで浮かびました。


菊池佳奈子 課題20/「連星」を読んで。 2003年12月02日(火)11時03分06秒
▼課題と連絡:課題20/東條慎生作品1A「連星」批評 への応答

とてもおもしろい作品でした。
テェマがとてもおもしろい。
なんだか騙されているような、現実とそうでないものが頭の中で判別できなくなってくる。
そうやって混乱してしまうことがとても楽しい作品でした。
『「わたしは、あなたが書いた小説の主人公です」』
だなんて!
とにかく読んでいる間わくわくしっぱなしで
難しいテェマなのにそれをきちんと書ききってしまう力があるんだなぁと。
それが前、寮先生の言っていた小説を書く「力」なんだろうな。と思います。

でもちょっと余りに概念的なことがずっと続くので
中間部から後半にかけて、少し読むことに疲れてしまいました。
作中キーとなっている『「プラトン的恋愛」という小説』を知らないので。
読者に作品に入らせないようにするならそれも良いんですが
途中から『「プラトン的恋愛」という小説』ばっかりで
少し入りにくかったです。

とにかく楽しかったです。
もっと東條さんの作品を読みたくなりました。

卒論頑張って下さい。

杉井武作 課題19/圓山絵美奈さんの詩の批評  2003年11月26日(水)23時23分32秒
▼課題と連絡:課題19/圓山絵美奈さんの詩の批評 への応答

超えなければいけない壁を再確認して、そこから「さあ飛ぼう」というような意思が感じられます。飛ぶ前のうじうじと、前向きな清清しさが不思議とうまく共存していて、すっきり読めました。
テーマは、思春期に一度は悩むことが多いような気がします。結構共感する人が多いんじゃないかと思いますが(少なくとも僕は一度考えたことがあるテーマが多かったです)、あけすけすぎるような感はあります。悩みを悩みのまま描写されても、他人の日記を読んだ気がするだけというか、「そうなんだ」で終わってしまうような気がします。せっかくテーマをカタチにできるんだし、そのテーマも共有できるものなのだから、そこからもう一歩、他者が入っていけるような工夫が欲しいところです(先週、寮先生がおっしゃられた、他者性という意味がわかったような気がします)。

◎好きな作品

作品12A
すごく清清しいです。人間が他人と出会うことで前向きに変わりゆく瞬間があります。それを実に明確にキャッチしていると思います。

作品18A
言葉の使い方が上手いなと思いました。

作品20A
なるほど、と思いました。複雑な感情をわかりやすく伝えてくれてるから、理解も深くなります。けどこのままじゃ説明文みたいですね。


○疑問に思った作品

作品3A
これは冒頭に「赤い物体をイメージするとき」とかつけたほうがいいような気がします。
リンゴも投げられると痛いような・・・。比喩表現が不鮮明なかんじがしました。

作品6A
最初の2行と最後の2行の意味がわかりませんでした。
“いらないもの 不愉快なもの”〜“君が君でしかないように僕は僕でしかないんだ”はわかりますが、「壊れている」というところとうまくつながらなかったです。

作品16A
えっと、僕の中で、「スカートはパンチラを見せるために穿くもの」という定義があったので、この作品には違和感がありました。僕がズレてるのかな?ごめんなさい。なんかあげあし取りみたいですが、でもそういう考え方もあるのではないかと思いました。

東條慎生 作品1A「連星」 2003年11月26日(水)18時05分47秒

三十枚近いため、学校のサーバに載せてもらいました。
以下のリンクからたどってください。
ブラウザ見ると、どうやら右端が自動改行されないようなので、
非常に見にくいです。保存してメモ帳か何かで見た方がよいようです。

一年近く作品を出していませんでしたが、卒論として書いている
後藤明生にかかりきりだったせいもあります。百五十枚まで書いたのですが、
それでも予定の三分の二で終わってしまいそうな予感です。
今作はその副産物、といっていいもので、ある種のメタ「小説」です。
後藤明生を繰り返し読むうちに気になったところを考えようとして書いた
ものです。
これはこのままあと三十枚でも書けそうなものですが、これ以上長くしても
意味のないことかなと思い、これで切り上げました。

タイトルから連想されるものを完全に裏切るような小説です。
是非読んで、感想をいただけたら、と思っています。
(時間がなく、合評されない可能性が高いので)

http://www.wako.ac.jp/~ryo/2003-00x047-01a.txt

菊池佳奈子 課題19/圓山絵美奈さんの詩の批評 2003年11月25日(火)23時11分05秒
▼課題と連絡:課題19/圓山絵美奈さんの詩の批評 への応答

私はこのみっつを選びました。

1.<作品8A> もしも今 私がすべての糸をたち切ってしまえば

         何もつながらない そこには誰もいない

         フタを開けてみればそんなもの 私は一人でしかないもの

         でも私がちゃんとこの手を離さずに糸をたどれば

         君がいる あの人がいる

         普段そんなことは見えていないから
         時々痛い目にあって これを知るのもいいかもしれない

2.<作品13A> その答えは君しか知らないんだよ
         まわりの人にもらえるものはヒントぐらいなのだから

3.<作品17A> 手に入らないものが好きです
         手に入るものはつまらないです
         私はそうやって人も物も未来も選んできました
         これは不幸ですか?

<作品8A>人との繋がりってあまり普段見えなくて、でもふっとたまにすごくはっきりと見えて、たいていその繋がりが嬉しい。その人との繋がりが、切ってしまえば簡単にはさみとかでちょきんときれちゃう。だけれど意外と丈夫に繋がっている。糸で例えてあるのが的確で好きです。この詩は人との繋がりを書いているのにそれに甘えるのではなく『フタを開けてみればそんなもの 私は一人でしかないもの』ってわかっていて、その上で繋がりを描いているのが。とても良いなぁと思いました。

<作品13A>なんか迷って相談したりすると、いっそその人から答えを教えて欲しいと思ってしまいます。たまに、誰かから聞いたものを『そうなんだ』って何の疑問も持たず、自分のものと勘違いしてしまいます。でも結局、答えは自分で手に入れるもの。すごく真っ直ぐにそんな感情をついている詩だなと思います。言葉がストレートに入ってくる。鋭くも鈍くもないけれど。誠実に真っ直ぐに。それですごく好きです。

<作品17A>前半部分、凄く分かるんです。手に入らないものほど魅力的で、手に入らないからこそ魅力的で、手に入るものってどこかつまらなく感じてしまう。簡単に手に入った分だけ。三文目までは凄く良いのに、そこから『これは不幸ですか?』って繋げてしまうとなんだかひねくれちゃう。文章のリズムも落ちてしまう。そこがひっかかります。

三作品に絞るのはなかなか大変でした。
私的に中盤?が好きな作品が多かったです。
圓山さんの詩はどこか痛みを抱えているのに、どれも不幸になっていない。
しなやかな強さを感じました。
淡い痛みから世の真理を見抜こうとする強い視線を感じます。

ただ。なんだろう。詩ってリズムがあると思うから。
文章のもつリズムとか考えてみたらもっと良くなると思うんです。

頑張って下さい。

室橋あや 課題19/圓山絵美奈さんの詩 2003年11月25日(火)21時47分50秒
▼課題と連絡:課題19/圓山絵美奈さんの詩の批評 への応答

作品19A
募金をお願いする姿が恐喝に見えます
無視して通りすぎれば冷たい人間なのよって
言っているようで
こんな事思ってしまう私は人間失格ですか?

人間最高です。詩にしては直球過ぎる気もしますが、募金活動をしている小学生に友人と「それって何のための募金なの、くわしく教えてよ」と聞いてみようとしたことがあります。

作品18A
涙は自分の為に流します
笑顔は他人をあざむく為に使います
無言は自分を守る時に使います
ちなみににらめつけるのは
あなたが好きだからです

こういう意味の変換は好きです。

作品21A
私はあの子よりお金をもっていてはいけません
私はあの子よりかわいくてはいけません
私はあの子より先に彼氏ができてはいけません
どうやらここでは私は幸せになったらいけないようです
でもなぜか私はここから動けません
それもここから動いちゃいけないという静かな命令を
私は無意識のうちに守っているからでしょうか?

一番詩らしくて興味があります。
全体的な流れも含めてタイトルがない理由も知りたいです。

瓜屋香織 作品3A/短歌 「したわ。したわ。したわ。」 2003年11月25日(火)15時22分45秒

つないだ手 ずっと繋いで いたつもり いつのまにやら 感触なくて
くらいふち ひとりぼっちであるいてた ずっとずうっと みんなそうなの?
ほんとうに たすけてほしい そのときは たすけがこない そんなものかも
キレイでも 努力しなけりゃ ただのひと 意外と忘れる 公式みたいに
ないのなら つくればいいさ これからね じぶんらしさも 理想も夢も
うまってる そのポジションが欲しくなる よくみえるのよ となりの芝生は
じぶんだけ なぜこんな目にと思うけど 案外みんな そうおもってて
不細工な ユキダルマでも よかったの たいせつなのは そこじゃないって

ひとりずつ あれよあれよと ぬけてって ひとりつづける はないちもんめ
ラブレター いれようとして わあ!くさい 好きも冷めたわ 靴箱失恋
ふたりのり しているだけで よかったの こいでるせなかで どんぶり三杯
大人でも 子供であっても 痛むのは 変わらないのに 傷つけられたら
いきてても いいことないのに なぜ生きる?いつかの笑顔の 自分のために
不意打ちに 見せた笑顔に クーラクラ ずるいぞずるい 負けたみたいだ
目の前に あるものだけが 現実で 見えないものは 四捨五入
このきもち 送るとしたら 迷わずに 宅急便の ワレモノ注意

今だけを 埋めてくれれば よかったの うわべだけでも カレシトモダチ
逆のもの 同時に欲しい お年頃 素直を武器に 闘いにゆく
あまいこえ 優しい顔で 接すれば 満足なんだろ まがいものでも
おかえりと 自分で言うよ ただいまも ぼくはぼくには とびきりやさしい
それでいい たいしたことのない奴で それでもあがいて 生きてるからいい
ヒーローに 憧れてたけど なれなくて 悪い奴でも 目立ちたかった
ここにおれ いるはずなのに みないふり ここにいるだろ 息してるだろ
でかいから 手を引くほうと決められて つよい役割 おしつけられた
働いて お金いっぱい 溜めるから かえるしあわせ 買い占めてやる
自動車の 後部座席でみる月と 私はいつも ついてくるんだ
世の中は 人をひいたり だしぬいた そんなやつらが 勝つってホント?
デパートの トイレのかがみ ひとりじめ 媚と自意識 ぬりかためてる
結局は 出し抜いた奴 勝ってゆく 席をゆずれば のたれじぬんだ
カラオケで 騒いで楽しぶってみた マイクもたずに 後ろ手ナイフ
クチグセは くだらねんだ しってるさ 何よりそうなの おまえだからね

なんでだよ 剃ったり植えたり抜いたりさ 意思ある毛なら キレて当然
とばないで いまのきもちが 心配で キミにつけたい 洗濯バサミ
ぼろぼろの 弱いスポンジ もってます 無理してでもさ タワシになるべき?
オトコノコ 男子と呼ばなくなったのは あたしがメスになってからだね
捨てられた あんた泣いては いるけれど そんなに価値ある おんなだった?
一人暮らし アロマキャンドル たかずにさ バルサンたくの ダニが多くて
笑わない 笑ったフリを してみせて その下でボク 真顔するから
だれひとり わるものなんか いなくても かなしいことと ゆきは降るんだ
あああたし キノコみたいな あしのゆび マニキュア塗って 何が楽しい?
決めないで 笑っていても そのエガオ ウソじゃないって どうしてわかるの?
ごめんなさい それじゃ足りない許せない そうだなそこで 土下座をしてよ
泣かないで いてもいなくてもいいやつに 何言われても 関係ないし
よかったよ 舌があってね ぴんくのね ボクはすべてを あじわいつくせる
いつまでも みぎとひだりに 手をつなぎ 歩ける気がした 文化祭あと

「よかったね」うまく笑えて いるのかな 気持ちと態度が何故かさかさま
引き金を 笑ってひくの わるいキミ 気持ちが私を 不幸にひいて
壊したい 大事にしたい あぶらみず わたしのなかで じゃんけんをする
なぐさめて くれる人もいないのに 泣いたりしない わたしぜったい
ちやほやを あしらえるうち 花だって 気づいたときには枯れていました
涙をね 隠さないその真っ直ぐさ 恥ずかしいけど 羨ましいんだ
競争だ 君のイイトコ みつけるの 僕がはやいか 君が気付くか

手間隙を かけたからって おいしくは ならないぼくの 未来と料理
まずくても 手間隙かけた 時間ごと 受け入れてくれる人探さないと
音もなく ただねつをもつ アツアツと ぼくのこころと 裸電球
あいのあと みぎくびすじに みつけたの くやしくってね くつひもをみる
待ったって 泣いてみたって 変わらない ひにひにむねは じゅくじゅくしても
なにもない そんなときは なにもなく いそがしいとき なにかがおこる
つまらない そんな人だとおもえるの? 君の自信はどこにゆくの?
ふるえてる 手に気付くより さびしいと ゆれてるきもち そっちをみてよ
マフラーは 初めて編むよ クリスマス ほんとはこれで しめころしたい
クッキーを 焼くのは二度目 ねらいはね たべたあなたが おなかをこわすの
とざされた はこのむこうで ゆっくりと 蝕まれてる みかんとあたし
いうならば 僕にとっての 君ってさ 駅のトイレの トイレットペーパー
ぼろぼろと くちびるから 腐ってく あなたがふれる ところですから
クチビルに くちづけせずに 噛み切って キズをつくって忘れさせない
スキだから なにしてもいいわけじゃない たまに忘れて ぷちストーカー
うすいかわ いちまいなのは 知っていて だけど破れず 途方に暮れる
ないかもと 思うことに期待して その気持ちがね わたしをツブス
ありふれた 思いだって この胸に のこればあたし 特許をとるわ
きまずいよ でもいわなくちゃ ごねんね、と 差し出した手は きっとあたたか
みえなくて したいことって なんだっけ 楽しいことって あるんですか?
オトナって 楽しいのかな?嬉しいの? 利害もなくて 優しくできるの?
ホントでも ニセモノだって その人に だいじなものなら 否定させない
信じてて いいのかわからず わかるのは ひにひに焼かれる ワタシノミライ

なにひとつ 意識もせずに おさげもつ 秋の川べり 帰れるものなら
甘いもの たくさんいれた隠し味 僕の態度は 辛口カレー

演じてる そのほうがまだましみたい ありのままでは 笑えない
よかったの 揺れてるトコが 愚かでも わりきったいま ヒカリ無いキミ
あんたをね 変えるほどの 力など ないのですから すがらないで
年踏んで 同じ目線を 手放した 私たちは 離れるのみなの?

泣き顔で わかって欲しいと言う前に わかりたいひと みつけてみたら?
みつけたよ わかって欲しい スキなヒト 機械じかけで 前進あるのみ
そのことが 相手にとって 負担だと きづかないなら あんた害虫

見苦しい 気持ち悪いわ よらないで 思うからこそ 親切にする
生ゴミのような臭い本性を 認めたくない 知られたくない
みとめろよ 秘めていたって あんたをね 欲しい奴など この世にいない
わかってる 救う人など いないこと うわずみ悩み 同情を買ってく
キョーミない その一言で バッサリと 刀みたいに 斬り捨てられたら

好きならば 相手の望み ちゃんとみて 自分のことだけ 押し付けないで
送られた アイテノコウイ 手にしたら お返ししなきゃ お歳暮みたいに
つらくって SOSだしても 誰も来ず 街の中でも 雪山でもね
こんなのは たいしたSOSでないから うけとる人が一人もいない
悩みごと 人に話して 重荷をね 人に預けて 逃げていくなよ
いいですよ マニュアルどうり 喜べる そんなところ 直さなくても

この恋が 成就したなら 嬉しくて テッシュ三箱 涙を吸うわ
このキモチ 蛇口みたいに 閉めておく そんなつもりが ポタポタポタ

五十嵐 舞 課題19/圓山絵美奈さんの詩を読んで・・・ 2003年11月25日(火)11時15分10秒
▼課題と連絡:課題19/圓山絵美奈さんの詩の批評 への応答

全体を通して、圓山さんの詩にはひとつひとつに圓山さんらしさが出ていたように思えましたが、その中でも気にいった作品を選びました。

 「作品13A/詩 」
その通りなんです。周りの人が出来るのは、自分の体験や経験などに照らし合わせて出したアドバイスぐらいなのです。周りは自分ではないのだから、ヒントでしかない。周りがどうのこうの言っても最後に決断というか答えを出すのは自分自身、だから失敗しても人のせいにするのは本当お門違いですよね・・・中にはいるけれど、自分がしたことなのに、人のせいばっかにする奴・・・時には人間だからしたくなる時はあるけど。
「まわりの人にもらえるものはヒントぐらいなのだから」って言葉は好きです。なんか、胸に残りますね。

 「作品16A/詩」
もう、この作品は私のツボに嵌まりました。私もこのようなことを書いた短歌書きましたが・・・圓山さんもこう思ってることに、なんか意外な感を受けましたが。やっぱり私もこういう人間には[程ほど]という感覚がないのか、ちょっと辛辣な言い方ですが【自分ってものを知れ】って目の前にいたら言いたくなるでしょう・・・たぶん。
スカートが可哀想、役目が果せなくって泣いているってところはもう堪らなく頭の中で大笑いしてました・・・というか、顔がにやけてしまったかな?いいですね、結構ナーバスな作品の中にこれだけ辛辣な感じが返って味がでていて良かったと私は思いました。パンツを被れば・・・ちょっとびっくりです・ここまで・・言って大丈夫かな。普段の圓山さんから想像できない言葉でした。

「 作品18A/詩 」
この詩は19Aと悩んだ末にこれに選びました。なんかこういう女の子(たぶん)は個人的に微笑ましいと思うので、うえの2作品とは全然色味が違いますが気にいってます。私はこういう経験というか恋愛経験が皆無なので想像するしかないのですが、これってすごく不器用で繊細な女の子って感じがしますね・・・笑顔は他人をあざむく為に使う・・でもほとんど人間ってやってますよね、営業スマイルっていうのもあるぐらいなのだから。日本人ってそういうところありますよねというか外国人にそう思われている節あるし。脇に逸れてしまいましたが・・・でも集団や社会の中で生きていく為には必要なことようにも思えますが。特に営業・サービス関係の仕事に就いたりした時には必然かも…。
涙は自分のために・・・という部分には他人のためには本当に涙が流すことはほとんどないって、言ってもいいと思うのですが結局は自己満足のためだと思っているのですが、こう思うのは変ですかね。最後の「にらみつけるのはあなたが好きだから」ってところは思わず可愛いと思いました。この人の自分に対して正直なところがいいなというか共感したのかもしれません。

越智美帆子 課題19/皮肉のうまい使い方 2003年11月23日(日)16時01分48秒
▼課題と連絡:課題19/圓山絵美奈さんの詩の批評 への応答

この三つを選びました。

16、
今日もパンツ見せて嫌な感じ
だってそのスカート意味がないじゃない
かわいそうに 役目をはたせなくて泣いているわ
毎日毎日そろそろちょっと目障り
だったらいっそ頭にパンツかぶれば?
あんたの主張はなんなのよ?

今年大流行のマイクロミニ。女子高生の短すぎるスカート。スカートを短くすることで、女の子たちは何を狙っているのだろうと考えました。パンツ見せて男の気を引こうとすることが狙いだったり、おしゃれでやっているだけだったり、足の美しさを見せるためだったり。でもこういう見解もあったのだと。「だったらいっそ頭にパンツかぶれば?」というところ、きどっている女の子たちが色とりどりのパンツを頭にかぶっている様を思い浮かべて、おもわず笑ってしまいました。ミニスカートをはくこと=主張=バカバカしい。こういう式が成り立つ詩ですが、これは役割を成さないスカートに対する哀れみを装いながら、実はそいういう女の子たちに嫉妬しているのではないでしょうか。うまくいかないことが多い、そんな日に思わず駅構内とかでそっと毒づいているような感じが好きです。

19、
募金をお願いする姿が恐喝に見えます
無視して通りすぎれば冷たい人間なのよって
言っているようで
こんな事思ってしまう私は人間失格ですか?

いいえ、誰だって思っているだけで口にはしないだけです。と思わず言ってしまいました。募金は余裕ある善意ですから。善意は強要されるものではないし、恐喝に見えるのは、きっと募金運動を行っている彼らに「自分はいいことしてる」っていう自信が垣間見えるからでしょうね。

24、
犬は苦手です いつでも何していても好きだって言ってくるから
ネコは好きです お互い自分が一番大事だから
ウサギとはうまくやっていけます
寂しがりやでも言葉がいらないから
人間は嫌いです いろいろめんどくさいから

私は猫が一番好きです。自己中で愛らしいから。マイペースだとも言えますが。
ちなみに私も人間嫌いです。それをこないだ友達に言ったら、「大丈夫、俺ら妖怪だから」と言われました。なんだか納得しました。「いろいろめんどくさい」けど、世界からドロップアウトしてないってことは、やっぱり好きだけど嫌いな愛憎とでも言いましょうか、それがあるからだと思います。好きな人に嫌いだって言うような感じに似ているなあと思いました。

デスマス調の詩がかなり好きです。「バカバカしいなあ」というような、一種諦めに似た気だるい感じが好感を持てました。

■一つ前の過去ログ:「物語の作法」課題提出板 (0030)


管理者:Ryo Michico <mail@ryomichico.net>
Powered by CGI_Board 0.70