奈良県下からも、職員、消防をはじめ、多くの人が職務として被災地にかけつけている。奈良市水道局の岡本豊さん(36)は、日本水道協会の要請で給水活動に赴いた。
1班の給水車2台は16日に出発。原発事故の福島を避け新潟経由で盛岡に。21時間かかったという。岡本さんたちは2班として23日に飛行機で花巻に入り、1班と交代した。
給水の目的地は陸前高田。被害の少なかった住田町で給水車に水を詰め、2人組で17キロの道のりを走って、1日3往復、水を運ぶ。
「住田町は一見普通なんです。ところが、陸前高田に入ったとたん、風景が一変しました。ぶっちゃけ、わけがわからなかった」
原形を留めるものがない。いきなり見渡す限りの荒れ地が広がっていたという。その荒れ地に、車が走れる分だけガレキをよけた道がある。そこを走って目的の避難所へ。
「海辺はすっかりきれいに片づけられている。と思ったら、違う。すべて波にさらわれ、まっ平ら。基礎しか残っていない。むしろ山際がガレキの山。家も車も押し流されて、積み重なっていました」
「水が引かない土地を重機で片づけていると、新たなご遺体が。胸が痛みます。まだまだたくさんの方が……」
心も体もくたくたになる。被災者のお年寄りは、夕方になると「遠くに泊まってるんでしょ。きょうはもうお帰りなさい」とやさしい言葉をかけ、飲み物までくれたという。
被災地では水汲みが子どもの仕事だ。小さな子が何度も水汲みにやって来る。お子さんのいる岡本さんは見ていて涙が出た。子どもたちにと、自費で持参した飴を配ったときの、みんなの無邪気な笑顔が忘れられない。
いまは4班が活動中という。復興が進み電気が通じると、家に戻って暮らしはじめる人がいるが、浄水場が破壊されたので、当分水道は来ない。飲み水だけでなく、洗濯や風呂の需要が増えている。
「また行きたいと患います。道がずたずたでGPSは頼りにならない。現場を知っている者が行かなければ」
岡本さんたちは復興の戦士。奈良の誇りだ。
震災後の陸前高田。(上)まっ平らになった海岸沿い(下)海岸から5キロ離れた山際のがれきの山=岡本豊さん撮影
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