▲2008年07月の時の破片へ


■10 May 2008 FREE TIBETデモ@奈良


本日5月10日、中国の胡錦濤国家主席が奈良県入りした。法隆寺、唐招提寺、平城宮跡を訪問するという。わが家は奈良町のはずれにあるが、朝から頭上をヘリコプターが飛び交い、道路には辻々に白い雨合羽姿の警察官が立っていて、実に物々しい。いやな雰囲気だ。権力、というものは、何かあったとき、きっと人々を守るのではなくて、抑圧する側に回るのだろうな、などと感じてしまう。

晴れていたら、自転車で法隆寺へ行こうと思っていたのだが、生憎のどしゃ降り。あきらめて、午後3時半から開催される「5・10フリーチベット in 奈良」のデモに参加することにした。

これは、特定の政治団体や市民運動グループの主催ではない。ウェブ上で「左でも右でもなく、本当の一般市民の意思を形にしよう」という声があがり、それが形になったものだ。そのHPの「ルール」欄には、以下のように記されている。

「特定団体がこのデモを恣意的に利用することを防止し、デモを安全に実行し、デモの目的を達成するため、必要なルールが定められています。」

これを読んで、参加を決めた。意思表示のつもりが、どこかの政党や宗教団体に利用されては不服だが、こういうことであれば参加したい。生まれてから二度目のデモ参加である。(前回は「奇跡の詩人」問題でNHKに抗議デモ)

雨のなか、出発点のJR奈良へ。すでに多くの人が集まっていた。ウェブを通じて集まったからか、集まっている人々は一色ではない。年代も様々なら、その服装や雰囲気もそれぞれ。テンデンバラバラな様子を見て、ほっとする。

現地に行けば、チベットの旗くらい借りられるかしら、と思ったわたしは甘かった。そのようなものはどこにもない。みな、それぞれに工夫した旗やプラカードを持っている。団扇にプラスチックの書類ケースを被せ、そのなかにチベットの旗をプリントアウトしたものを挟んだ人がいた。いいアイデアだ。「お、いいね、こんど、おれもそういうの作ろう」などと声がしている。

まずは受付へ。デモ参加の注意書きが渡され、これに同意するかどうかを訊ねられ、同意のサインをする。名前は書く必要はない。書いたのは住所、それも奈良市、までだ。見れば、神奈川県相模原市からの参加者もいる。どの人かわかれば話したいところだが、わからない。

デモ参加の注意書きが、よくできていた。以下、サイトより引用。

ルール
1.禁止事項 以下の行為は禁止する。
* デモ・集会などにおける一切の勧誘行為。
* 責任者の承諾なく、署名を募集すること。
* 危険物、凶器となりうると判断されるものを持ち込むこと。
* 中国人に対する侮辱的表現など
* 極度に反中的な表現行為(コール、のぼり、プラカード、横断幕など)。
* コールをしたくない人にコールを強制すること
* 意図的に他と異なるコールをしてデモの協調を乱すこと
* 旗竿等を寝かせて持つなど周りに当たるような持ち方をすること。
* 鳴り物類(ラッパ・ベル・鈴など)の使用。

2.遵守事項
* 警察・公安員会の許可条件(隊列を乱さない、異常にゆっくりしたペースで歩かないなど)に従うこと。
* 主催者・スタッフ・警備の方の指示に従うこと
* コールをしないことは自由。コールをすることも自由。コールの強制は禁止。
* このデモが基本的にはチベットの人権保護を訴える趣旨であって反中デモではないことを理解して行動する。
* コールは原則としてあらかじめ定められたものを使用すること。意図的に他と異なるコールをしてデモの協調を乱す行為は禁止します。

3.その他
* ビラなどのごみは各自持ち帰りましょう。
* チベットの人に迷惑にならないように活動しましょう。返って市民の批判を買うようではデモの意味がありません。

具体例
「胡錦濤は対話せよ、人権を保障せよ、チベットの侵略をやめろ」 OK
「胡錦濤は出て行け」 NG
「胡錦濤にバッテンをつけたプラカード・看板」 NG
「中国人は日本から出て行け」 NG
「オリンピックを中止しろ」 NG

見回せば、みな雨合羽着用。デモ初心者なので、傘で来てしまった。デモが始まりそうになると「すいませんが、傘は使えません。デモ中は傘をささないでください」と係の人に言われる。そういえば、そうだ。テレビで見るデモでも、傘はさしていない。うーん。HPにでっかく書いておいてよー、と思ったが仕方ない。

透明ビニールのゴミ袋を持っている人がいたので「すいません、雨合羽を持ってこなかったので」といって、分けてもらった。これを裂いて、頭から被ることで即席の雨合羽に。

注意事項が拡声器で知らされ、念を押され、いよいよデモの開始である。コースは奈良の銀座通り?である「三条通り」を猿沢の池まで。直線のコースで、1キロしかない。

みんなが、声をあげはじめる。いわゆる「シュプレヒコール」だ。強制されない。内容は以下の通り。

* チベットに自由を
* 言論の自由を
* 教育の自由を
* 宗教の自由を
* チベットに平和を
* パンチェンラマを返せ
* 真実を隠すな
* チベット人を見殺しにするな
* FREE TIBET
* SAVE TIBET
* STOP KILLING
⇒現場で録った音声
最初は、内容が聞き取れなかった。歩いているうちに、だんだんわかってくる。そのすべてではないが、大きな声で賛同したい言葉もあった。しかし、道を歩きながら、みんなといっしょに大きな声を張りあげる、というのは、生まれてこの方、したことがない。だいたい、そういうのは嫌いだ。みんなで同じ言葉を言う、というのは、いけすかない。コンサートなどで「さあ、みなさんごいっしょに」なんてやられると、鳥肌が立つたちである。

しかし、今回は誰も強制していない。そして、声を大にして言いたいこともある。「チベットに自由を」はもちろんだが「言論の自由を」「宗教の自由を」「真実を隠すな」、これは大きな声で言いたい。

そこで、勇気を出して言ってみた。最初は、小さな声しか出なかった。けれど、だんだん声が出てきた。

これはなんだか、不思議なものだな、と思った。人間は、群れの動物なのかもしれない、とも思った。行動を共にして、同じことを叫ぶ。それだけで、なんだか高揚してくる。こういう高揚感は危ない、とも感じた。このような高揚感がさらに高まっていくと、石投げなど暴動へと発展することもあるのだろう。だからこそ、主催者は細心の注意を払って、みんなに注意事項を伝えていたのだろう。

道行く人は「ああ、これが例の……」といった表情で、携帯電話で写真を撮ったり、店から出てきて見物したりしている。外国からの観光客も、こちらにカメラを向けている。制服の中学生らしき男の子が、拳をあげ、なんだかうれしそうにいっしょになって脇を歩いていた。ほんの十メートルほどだったけれど。

新聞社などの取材も多数来ていた。列の前に前に回って写真を撮る。デモのひとつの効用は「デモがありました」とマスコミで報道されることで、そのような意見がある、ということを人々に広く知らせられることだ。

それ以外に、デモにどんな力があるのだろう、とも思う。デモの隊列に参加したとたん、町の人々とデモ隊の間に、大きな溝ができる。なにか、同じ地平に立っていないような乖離が生まれてしまう。町の人は「普通の人々」で、デモ隊は「ちょっと変わった過激な人々」というふうにアイデンティファイされてしまいがちだ。実際はそうではなくても。デモを見た町の人が「そうか、そういう問題があるんだ」と自覚する、というケースはそう多くはないかもしれない。デモという形をとったとたん、なんだか「人ごと」になってしまいがちだ。

それでも、やはり今回のデモに参加してよかったと、歩きながら感じていた。意見を述べるなら、ウェブでもできる。常々、そうしてきた。けれど、自分の足で歩き、自分の声で訴えることによって、また別のリアリティを感じることができた。自分の肉声を使ったという満足感。それは、単なる自己満足に過ぎない。しかし、世界のなかで、自分が確かにひとつの肉体を持って存在していることを実感した。そして、その肉体が実にちっぽけではかないもので、群れのなかでやっと声を出すほどの勇気しかなく、声を出せば道行く「一般人」から白い目で見られる存在なのだ、とひしひしと感じた。

デモ行進は、じきに猿沢の池に到着。ここで溜って集会をしていると道路交通法違反になるので、すみやかに解散しなければならない。その旨を主催者は述べ、最後にみんなで一緒のシュプレヒコールもないまま、五十二段前で解散となった。デモ参加者は二百五十人余だったという。

近道をしようと、五十二段の階段の脇を歩いて、濡れた石畳で転んでしまった人がいた。それを知らず、同じ場所を、他の人が通ろうとするので「そこ、危ないですよ。今も一人、滑って転びましたよ」と話していると、後ろから、すすすと耳にイヤフォンをした黒い背広の男がやってきて、白いカッパの警官に「おい。なにやってんだ」とドスのきいた声で訊ねた。あれは、公安だろうか。いかにも、「不穏分子には即刻対処するぞ」的な雰囲気を漲らせていた。

結局、赤い旗を持った中国人留学生なるものも現れず、なんの衝突もなく、無事にデモは終了。よかった。

しかし、もう少し早い時間には、なんの理由もなく拘束され交番に連れて行かれた人もいたようだ。(⇒mixi上の日記

今回の町の警備は、非常に威圧的だった。警察は、人々を守るのではなく、権力を守るために存在しているのではないか、という気すらした。

それにしても、パンチェン・ラマは、いまどこでどうしているのだろう。1995年、ダライ・ラマはゲンドゥン・チューキ・ニマ少年を、第11世パンチェン・ラマの転生者として認定した。認定発表の日から3日後、少年は、両親と共に行方不明に。中国政府は、後に少年を拘束していることを認めたが、それを「保護している」と称している。少年は、いまも中国政府に拘束されたままだ。
http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/

チベット問題は根が深い。「宗教の自由を! 真実を隠すな!」


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