▲2006年07月の時の破片へ


■29 May 2006 海部宣男先生退官記念パーティ@東京會舘


奈良から新幹線で東京へ。普段は節約のため深夜バスを使っているけれど、さすがに疲れてしまったので奮発した。午後1時39分に奈良駅を出発、東京駅に午後5時6分着。3時間半しかかからない。奈良は意外に近い。その足で、海部宣男先生(前国立天文台長)の退官記念パーティに出席。

きら星のごとく、というより、混雑した天の川の中心のように、多くの天文学者が集まっていた。みな、様々な業績を残しているすばらしい研究者たちだ。天文界の重鎮の森本先生や古在先生のお姿も。縣さん、渡辺さんは会の進行で大活躍。西はりま天文台の黒田さんは、わたしと同じ新幹線で到着。いまは石垣島の天文台で活躍中の宮地さんや、平林さん、大石さん、近田さんなど、4半世紀前の野辺山で出会った懐かしい方々もみないらしていた。チベットの天文台視察から戻られたばかりの井上先生も、楽しいお土産話を聞かせてくださった。

お食事もおいしかったけれど、海部さんご夫妻の最後のご挨拶に心を打たれた。
「わたしがはじめて彼の家に行ったとき」と奥さまの重美さんが話しだすと、海部さんは「えっ、そんな話をするの?」とちょっと驚いたような、照れたような表情。
「2時間ぐらいお邪魔していたんですが、彼は、たくさんの石を持ってきて『これはこんな石』『これは何々の結晶』と、実に楽しそうに、ひとつひとつ丁寧に説明してくれたんです。その時『ああ、この人はこんな人なんだ!』と思いました」と、重美さんはにっこり、海部さんを見やった。海部さんの、ますます照れたような表情が微笑ましい。
「わたしは文系の人間ですけれど、彼のお陰で世界がぐっと広がりました。きれいな石のことから、宇宙の果てのことまで考えるようになりました。そのことを、どんなに感謝しているか、わかりません。いまでは、宇宙の果てがどんな風になっているかも知っています」
重美さんがそう断言すると、会場からあたたかい笑い声が湧きあがった。

重美さんは、高校の先生をなさいながら、四人のお子さんを育て上げたとのこと。二人ともお忙しくて、さぞ大変だっただろう。そんななか、お互いの仕事を理解し、未知の世界を知ることで自分の世界を豊かに広げていったお二人。その豊かな関係が透けてみるようなすばらしいスピーチだった。

やがて海部さんご本人のスピーチ。
「ぼくは、子どもの頃から自然が大好きでした。森を歩くことや、石を集めることも好きで、どうしてこんな美しいものができるのだろう、不思議だなあ、すごいなあという驚きを、ずっと感じてきました。いまも、その気持ちは少しも薄れないのです。仕事のなかで『すごいなあ、宇宙ってどうなっているのだろう』ということを、ずっと追いかけることができたことを、ほんとうにありがたく思っています」

そうか、海部さんは、石の好きな少年だったんだ、世界はどうしてこんなきれいなものをひとりでに創りだすのか、その事が不思議でしょうがない子どもだったんだ。その事を知って、わたしは胸がじいんとして、涙がこみあげるような思いがした。そして「野辺山電波天文台」や「すばる望遠鏡」をつくり、国立天文台の台長にまでなった方が、その少年のような「みずみずしい驚きの心=センス・オブ・ワンダー」を失わずにいることに、いたく感動した。

このような人がトップに上れる日本の天文学会というのは、きっとすてきな人々の集まりなのだろう。

あたたかい雰囲気のなか、会はお開きに。海部ご夫妻は、会場の入り口に立ってひとりひとりにご挨拶をなさった。わたしは長い列の後ろに並んでいたのだけれど、お手洗いに行きたくなって、後ろをすっと通り抜けた。すると、海部さんがすかさず「あっ、寮さん、さようなら!」と明るい声をかけてくださった。「お手洗いです! また戻ってきます!」こんなにたくさんの人の中にいても、忘れずに声をかけてくださったこと、ほんとうにうれしかった。

海部さんは、この一年は執筆活動にご専念なさり、来年度からは放送大学でお教えになられるとのこと。わたしは、海部さんの『宇宙をうたう』という本が大好きだ。ゆっくりと時間を持たれた海部さんが、これからどんな本を書いてくださるのか、放送大学でこれからどんな講義をしてくださるのか、いまから楽しみでならない。


■28 May 2006 改装大作戦/巾木をオスモ塗装


奈良に中古マンションを購入、改装をしている。やりたいことはいくらでもあるけれど、予算は限られている。「巾木」も、ソフト巾木という合成物ではなくて、本物の木で張りたいと希望。当然、予算がかさむ。色もこげ茶を希望したところ、さらに塗装費が4万円ほどかかるという。「それなら自分で塗ります!」と宣言。相棒と二人で塗ることにした。

事前に専門家によく取材して、塗り方を調査。塗料は、オスモというドイツ製の無公害塗料だ。ウェスにしみこませ、こすりつけるように塗り、15分ほど乾かしたら、ウェスでふき取るという。話は聞いたものの実際にやるのははじめて。ぶっつけ本番である。

さすがに、要らない切れ端でちょっと試してみてからはじめた。これが意外とうまくいく。すうっと塗料が伸びてしみこんでいく。木目の詰んだところは吸いが悪く明るい色になるので、塗と木目がきれいに浮き上がってくる。いよいよ本番。

一枚一枚、塗るほどに浮き上がる木目。杉材なのだが、赤いの部分と白い部分では、できあがりの色も違ってくる。赤の濃い所など、仕上がりは虹色といってもいいような複雑な色合いになる。次はどんな木目が出るだろう、次はどんな色になるだろうと、わくわくする。面白くてたまらない。4メートルの巾木を13枚、2時間半ほどで仕上げた。

巾木に塗装する。一見、単純作業に思えるけれど、単なる繰り返しではない。一つ一つが違う。一枚一枚が新しい体験だ。「自然物」を相手にするとは、こういうことなのだと体で感じた。元来「仕事」とは、こういう楽しみや醍醐味があったものだったはずだ。単なる賃労働ではなく、そこには明るい喜びがあっただろう。

自然のものを使う。作る喜びがある。使う喜びも大きいだろう。ほんのわずかな部分だけれど、自分の手で改装工事に関与できて、ほんとうによかった。改装費を節約できて、楽しみまであって、大もうけである。

珪藻土入りの塗壁も自分で塗れたらいいんだけどなあ……。


■27 May 2006 改装大作戦/珪藻土壁の店


奈良に中古マンションを購入、改装中。千葉の実家の両親を呼び寄せるべく、同じマンションに、両親のため、もう一室を借りた。「別荘気分で来てください」といって呼ぶので、家具も必要。ほどほどに趣味のいい家具で、ほどほどの値段で、サイズがぴったり合うものを探さなければならない。これがむずかしい。自転車で30キロを走り、5軒の家具屋とリサイクルショップを巡り、食器棚を探した。結局、一番最初に行ったアウトレットの家具店「赤や」で購入。うーん、それなら最初からそこで買えばよかった。

というわけでもない。最後に行った平城山(ならやま)のリサイクルショップで、我が家のための食器棚を発見して、購入。親には新品、わたしたちは中古。なんという親孝行なわたしたちであろう!

さらに、もうひとついいことがあった。自転車で走っている途中、偶然、珪藻土の壁を扱っているショールーム「土工房」の前を通りかかった。前から気になっていたところだったし、昨日、大工さんと壁紙の相談をしたばかりということもあって、入ってみた。

話を聞くと、面白い。奥が深い。聞けば聞くほど、珪藻土の壁が魅力的に思えてくる。珪藻土の塗壁は大変高価なので、最初からすっかりあきらめていたけれど、それほどいいなら、もう一度考え直してみようかという気になった。

「土工房」は、奈良で、昔から左官業を営んでいたという。パナホームの依頼で、珪藻土と漆喰を合わせた塗り壁の成分を変え、実験をしているとのこと。オーナー自らが、庭先で小さな見本を塗っていた。「これからは、ほんとうにいいものが評価される時代になりますよ」「うちの仕事は、50年経てばはっきりと差が見える仕事です」と胸を張って話す。相棒の漆の師匠や、吉野の製材所の阪口さんと同じことを語っている。こういうおじさまたちがゴロゴロいる奈良という土地は、なんとすてきなところだろう。


▼2005年11月の時の破片へ


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